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2008.10.17

映画『グーグーだって猫である』

抱き合わせ販売の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。実は今日、神戸公演のチケットを譲ってくださるという方からメールが届き、残念ながら、私は抽選に漏れてしまったとのことでした。ご丁寧に、あみだくじを作って抽選してくださったそうです。チケットを譲っていただけなかったことはとても残念なことではありましたが、あみだくじを作って公平に抽選してくださったことへの御礼のメールを送っておきました。何となくすがすがしい気持ちです。また、新たな気持ちでチケットを探したいと思います。(笑)

 私は知らなかったのだが、この映画は大島弓子さんという漫画家さんの自叙伝的エッセイ漫画が映画化されたものらしい。大島弓子さんは、この映画の中では麻子という名前で登場する。麻子の役を演じているのは、私と同学年のキョンキョンこと小泉今日子さんである。同い年と書かずに同学年と書いたのは、キョンキョンのほうが早生まれだからだ。そう言えば、私は高校を卒業して初めてパーマをかけたとき、美容師さんにお願いして、キョンキョンと同じ髪型にしてもらったことを思い出す。当時のキョンキョンは人気アイドルだった。そんなキョンキョンも、この映画ではソバージュ姿の大人の女性を演じている。

 麻子を取り巻く人たちがいい感じである。この映画に『麻子とその仲間たち』というありふれたタイトルが掲げられていたとしてもおかしくない感じだ。麻子のアシスタントの女性たちを中心に、アシスタントの一人であるナオミの彼氏やその恋敵、のちに麻子といい感じになる沢村青年、出版社の人などが主な登場人物である。

 舞台となっているのは、私にとっても懐かしい吉祥寺である。独身時代、東京の下北沢に住んでいた私は、下北沢を走っていた京王井の頭線に乗って一本で行ける吉祥寺にもしばしば足を運んでいた。そんな吉祥寺の駅ビルである吉祥寺ロンロンや井の頭公園が登場する。故・高田渡さんも足繁く通っていたと言われている焼き鳥屋さんのいせやも登場する。井の頭公園と言えば、カメラ仲間たちと撮影会を行うために、私も訪れたことのある場所であるが、私が東京に住んでいた頃、バラバラにされた遺体が井の頭公園のごみ箱で発見されたりと、ダークな思い出も残っている。その事件は未だに未解決であるが、井の頭公園でくつろいでいる人たちの映像を見ると、そんなダークな思い出も、ひとまずどこかに押しやってくれるような気がした。

 そう言えば、この映画を鑑賞したのは、職場で飲み会が行われた金曜日だった。私にとっては、狼少女になったTOEICの試験の前日のことである。飲み会の幹事さんからは、飲み会への熱心な勧誘を受けたのだが、私は、
「翌日、TOEICの試験を受けるので、勉強しておきたいんです」
などと言って、飲み会を断っていたのだ。しかし、飲み会がある日は仕事を早く上がれるものだから、ついつい映画館に足が向いてしまう。私は、ヒアリングの学習目的で映画を鑑賞することに決めたものの、何を血迷ったのか、この日本映画を選んでしまった。

 結局、飲み会への熱心な勧誘を断って日本映画を鑑賞するという罪悪感を抱いたまま鑑賞に踏み切ったのだが、そんな罪悪感を一掃してくれような出来事が起こった。それは、この映画に登場する外国人英語講師の存在である。この映画には、吉祥寺で英語を教えているという外国人英語講師がときどきナビゲーター役として登場するのだ。私は、彼の英語を一生懸命聞き取ろうとすることで、飲み会への熱心な誘いを断って日本映画を鑑賞しているという大義名分を果たすことができた。

 ただ、正直に書いてしまうと、この映画は全体を通して、感情が大きく揺れ動くような作品ではない。麻子という人の、ある人生のひとコマが表現された作品である。そのひとコマとは、かつての愛猫サバの死、麻子の体験した大病、沢村青年との友達以上恋人未満の関係、グーグーという新しい猫の登場といったところである。

 猫に関して言えば、映画のタイトルに掲げられているグーグーよりも、かつての愛猫サバのほうが存在が大きいように思える。サバ亡きあと、新しい作品を生み出すことができなくなってしまった麻子は、締め切り直前の忙しさの中で、既に肉体を去りつつあった愛猫サバをかまってあげられなかったことをずっと後悔していたのだろう。麻子は、そんな自分を許すことができなくて、しばらくの間、新しい作品を生み出すことができなくなってしまったのだと思われる。だから、この映画の中で最も印象に残るシーンがあるとすれば、擬人化されたサバが麻子を安心させるシーンだと思う。サバの最期のときにサバをかまってあげられなかったことを後悔し続けていた麻子は、そのシーンで救われたに違いない。

 サバ亡きあとにやって来たグーグーは、そんな麻子のスランプを解いてくれた。だからこそ、『グーグーだって猫である』というタイトルが生きて来る。「グーグーだって」と表現されているからには、グーグー以外にも愛猫がいたということである。だからこの映画は、サバを亡くした麻子が、本当の意味でグーグーを受け入れられるようになるまでを描いた作品と言えるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 沢村青年を演じていたのは、最近、いろいろな映画でお見掛けする加瀬亮くんです。いつもなら、目立たなくて小柄に見えてしまう加瀬亮くんですが、この作品ではとても大きく見えていました。もちろん、いつもと違った役柄のせいもあるとは思いますが、キョンキョンが小柄であることも大きいように思えます。麻子と沢村青年の出会いは、ちょっとしたことがきっかけではありましたが、そんなちょっとした縁を繋いで行くと、新たな関係を目指すこともできるのですね。しかも、二人を応援するかのようなお膳立てもあり、観客である私も二人の展開をほほえましく見守ることができました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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