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2008年10月

2008.10.31

手紙

映画『宮廷画家ゴヤは見た』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 映画を観ていたときに、これは魔女裁判と同じだな、と思いました。それと同時に、映画『それでもボクはやってない』で痴漢行為を働いたとされる主人公が、無実を求めて裁判で戦い続けたことを思い出しました。どちらかに優位な裁判など、最初から意味がないですよね。

 一生懸命生きている人に声を掛けるのは難しい。電子メールで便利に連絡を取り合うことのできる現代においては、アナログの手紙のほうが気持ちを伝え易いだろうと判断し、パソコンでわざわざ下書きをして、手書きでじっくりと一通の手紙を書き上げた。その手紙は、私にとって、比較的身近な人たちに向けて送付したものだった。私自身が書いた手紙なので、皆さんと一緒にここで振り返るためにも、差し支えない範囲で公開させていただくことにする。

○○ちゃん、そして△△くんへ

お久し振りです。
十月も下旬だというのに、ずいぶ分暖かいね。

-(略)-

二人の頑張りを□□から時々聞いていたのに、二人に対してどのように接したらいいかわからなくて、
しばらく疎遠になってしまいました。
そして、疎遠になっている間に、二人の雰囲気が変わってしまったと、□□から聞きました。

-(略)-
でも、本当にこのままでいいんだろうかと、-(略)-発言させてもらうことにしました。
電話を掛けるとそれなりに生活時間も奪うし、心の準備もできていないだろうし、
二人といっぺんには話せないので、思い切って、手紙を書いてみることにしました。

普段、パソコンに慣れているので、久し振りに気合を入れてペンを握ると、字が汚いことに気付かされます。
読みにくいと思うけど、最後まで読んでもらえたらうれしいです。

いろいろなことが頭をよぎります。
二人のことを思うとき、やはり頭に浮かんで来るのは、
結婚前の二人が◇◇でとても仲良く一緒に過ごしていたときのこと。

二人はとにかく、互いのことが好きで好きで仕方がないんだろうなあと思っていました。
当時の二人は、一日たりとも離れ離れにはなりたくないという感じだったから。
二人は本当に引き合って結婚したのだと思いますよ。

そんな二人が、今、互いに苦しい状況にあることは、私にとっても大変心苦しい状況です。
夫婦って、本当は自分自身のことがかわいいのか、はたまた、どんな状況に陥ろうとも愛を絶やさずにいられるのか、いつも試されているように思います。
自分への愛も大切だけれど、自分と同じように相手のことも愛せるかどうか、ですよね。

私は、○○ちゃんのように壮絶な経験はしていないけれど、
男女の愛について人と語り合うのが昔から好きなので、
男女の仲がこじれたとき、本当は当事者同士がどのように思っているのか、
深く考える癖がついているのです。

二人は互いに相手のことを嫌いだと思っているかもしれないけれど、
この「嫌い」という感情は、どこからやって来ていると思いますか?
おそらく、「自分を愛して欲しい」という感情の裏返しだと私は思うのです。
でも、自分の正直な気持ちをうまく表現することができなくて、
あたかも相手のことを嫌っているかのようなひねくれた態度を取ってしまっているのではないでしょうか?

今の△△くんは、おそらく-(略)-で、肉体的にも精神的にも余裕がないのでしょう。
そのため、○○ちゃんとの会話もあまり成り立っていないのでは?
-(略)-も違うし、会話も少なくなれば、○○ちゃんとしても寂しく思う部分が少なからずあったのではないでしょうか。

人間、不思議なもので、会話をたくさん交わす相手に対しては好意を抱きやすい傾向があります。
ところが、あまり会話をしなくなると、互いの感情レベルが下がって来ます。
人間の心理として、少しでも多くの話をすれば、他にも話したいことがどんどん出て来るようになっているんですね。
もちろん、それは、互いに心を開いているときに限るかもしれませんが・・・・・・。

勝手な想像かもしれないけれど、もしも今、二人に会話をする時間がたくさんあれば、
今の状況が少しでも変化して行くのではないでしょうか。
自分の中にある本心を見つめ、できるだけ心を開いて自分の本当の気持ちを相手に伝えるようにすれば、
これまで二人が失って来た多くのものを取り戻せるような気がします。
こんなことを書くのも、若い頃の二人の幸せそうなイメージが頭にこびりついて離れないからなのです。

私には、愛がなくなってしまうとはとても思えません。
世の中でうまく行かなくなった夫婦の多くは、相手の見せかけの言葉や態度に惑わされて、
愛がなくなってしまったと自分自身を納得させているだけなのではないでしょうか。
時には、思い切り喧嘩をしてもいいのですよ。
だけど、愛の素晴らしいところは、そんな喧嘩も水に流せること。
そして、水に流して、また新たな愛を引き出せるということ。
これが、男女の愛の素晴らしさだと私は思っています。

今回のような状況になれば、自分だけの判断では決められないことも多いでしょう。
でも、親に結婚を反対されても結婚に踏み切る若いカップルが世の中にはたくさんいます。
それは、周りの意見よりも、自分たちの感じている愛のほうが真実だと実感できるからでしょう。
彼らと同じように、相手の見せ掛けの態度や周りの意見に惑わされることなく、
自分自身の本当の気持ちや相手の本当の気持ちを見抜く力が、一度でも愛し合った二人にはあるはずなのです。
どうかその力を引き出して欲しいと思います。

もしも、相手の態度を憎いと思ったら、何故、相手が自分に対してそんな態度を取っているのか想像してみてください。
そうして想像することによって、自分自身の態度も少なからず相に対して影響を与えてしまっていることに気付くでしょう。
そうなればしめたもの。自分が態度を変えれば、相手の態度も変わるということではありませんか。

お互いの中に隠れてしまっている本当の気持ちを引き出してから結論を出しても遅くはないと私は思いますよ。

長々とごめんなさいね。では、これから秋も深まって来ると思いますが、二人ともお身体に気をつけて。

 そう、この手紙は、離婚の危機に直面している夫婦に向けて送付したものだった。しかし、○○ちゃんから届いた手紙には、恐るべきことが書かれていた。結婚は男女が愛し合い、家同士が結び付くものだが、この夫婦の場合、既に家同士の対立にまで発展していた。壮絶な経験は、人をとことん頑なにし、これ以上のものは受け入れられないという状況を生み出してしまう。受け入れられるのは、唯一、自分の味方だけだ。

 手紙が届いたとき、封筒の中身がやけに分厚かったので、私に対して○○ちゃんがいろいろなことを綴ってくれたのかと思っていた。ところが開封してみると、○○ちゃんが淡々と綴った二枚の便箋とともに、私が綴った七枚の便箋が同封されていたのだ。つまり、私の書いた手紙が突き返されて来たというわけである。

 二人は以前、離婚する、しないで、実際にもめていたことがあったのだが、○○ちゃんから届いた手紙によれば、現在は離婚の危機にさらされているわけではないようだ。△△くんの、一時的な感情を人づてに聞いて手紙を書いたことが、今回の失敗の原因であるかのようにも思われるが、状況はそれほど単純でもなかった。○○ちゃんは、私にその情報を伝えた人に対し、言いたいことがあれば、直接、自分に言ってくれればいいのに、とも書いていた。第三者を通じて意見されるのが、○○ちゃんにとって一番嫌なことなのだそうだ。私自身、決して彼らと遠い存在ではないので、私はこの情報を知らせてくれた人の気持ちを代弁しようとして手紙を書いたわけではなかった。あくまでも、自分自身の正直な気持ちを綴ったまでである。それなのに、私に対する半ば絶縁状のような手紙が私の手元に届いたのである。しかも、△△くんへの愛情はみじんも感じられないのに、これまで通り、一緒に生活は続けて行くと書かれてあった。夫婦のあり方についても考えさせられる一件である。

 文月のふみの日に生まれ、これまでにもたくさんの手紙を綴って来た私だが、自分の書いた手紙が突き返されて来たのは初めてのことである。私の書いた手紙は、それほどひどい文章だったのだろうか。今となっては、この手紙で二人の離婚の危機を救おうとしていた自分が恥ずかしい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m パソコンに慣れている私が一生懸命アナログの手紙を書いて自分の気持ちを綴ってみても、相手にはまったく伝わらないこともあるのだということを思い知らされました。極限状態にいるときは、外からの働き掛けは、あまり意味をなさないものなのですね。そして、余裕がないときほど、自分の主観で物事を判断してしまうということも良くわかりました。そして、結婚というものが、家同士の結び付きであり、壊れるときは、家単位で壊れて行くということもわかりました。互いに強く惹かれ合って一緒になった夫婦なのに、悲しいですね。何だか私自身がしばらく落ち込んでしまいそうです。(苦笑)

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2008.10.30

映画『宮廷画家ゴヤは見た』

写真は語るの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 写真にはいろいろなものが写り込みますので、皆さんも油断しないようにしてくださいね。(笑)さて、納品前で仕事が忙しくなっていますが、この週末は待ちに待った三連休であります。三連休を励みに、仕事の忙しさを乗り切りたいと思います。

 実在した画家が登場する作品は、これまでにもいくつか鑑賞して来た。記憶に新しいのは、映画『真珠の耳飾りの少女』、映画『レンブラントの夜警』などである。映画『レンブラントの夜警』は、登場人物が多くてストーリーを追い切れなかったのだが、映画『真珠の耳飾りの少女』はフィクションではあるものの、台詞の少ない少女の取る行動に釘付けになり、心理的なゲームのような面白さを体験させてくれた。そして今回の映画『宮廷画家ゴヤは見た』は、映画『真珠の耳飾りの少女』とはまた違った面白さを感じさせてくれた。

 この映画は、ゴヤの伝記映画ではなく、ゴヤが描いた二人の人物が辿った波乱万丈の人生を映し出している。いわばゴヤは、二人の人生を見守った証人だ。ゴヤが描いた二人のうち一人は、ナタリー・ポートマン演じるイネス、そしてもう一人は、ハビエル・バルデム演じるロレンソ神父である。ゴヤが活躍した時代のスペインには、異教徒を取り締まるための異端審問という制度があった。あるときイネスは異端審問所に呼び出され、激しい拷問を受けた上に捕われの身となってしまう。そこで、なかなか帰宅しない娘の安否を気遣うイネスの父がゴヤに頼んで、異端審問所に口利きのできるロレンソ神父に取り入ってくれないかと懇願する。異端審問は魔女裁判みたいなもので、やってもいない罪を認めさせるために、激しい拷問を繰り返している。激しい拷問に耐えかねた人たちの多くは、拷問から逃れるために罪を認めてしまうという。ロレンソ神父は、異端審問所に捕らえられているイネスの元を訪ねるようになるが、やがてロレンソ神父とイネスの人生は複雑に絡み合って行く。

 注目すべきは、ナタリー・ポートマンの演技だろう。異端審問所で激しい拷問を受けたイネスは、ボロ着を身にまとい、我が子と引き裂かれた悲しみを抱えて半狂乱になりながら、顔をゆがめてよろよろと街を歩く。ナタリー・ポートマンが、単に美しいだけの女優さんなら、あれだけの演技は出来なかったはずだ。そして、映画『ノー・カントリー』で恐ろしい殺人鬼を演じたハビエル・バルデムもまた、存在感のあるロレンソ神父を演じている。

 また、耳が聴こえなくなってしまったゴヤが手話を使って話す姿も印象的だった。内乱の絶えない時代を生きたゴヤは、人と人が殺し合う音を聞きたくなかったのかもしれない。更に、むしろ聴力を失ったことで、たとえ内乱の中であっても集中して絵を描き続けることができたのかもしれない。

 私は十八年前にツアーで参加したヨーロッパ旅行で、スペインのプラド美術館を訪れた。私はピカソの作品しか覚えていないが、プラド美術館にはカルロス四世の家族を描いた宮廷画家として活躍していた頃のゴヤの作品も収められているらしい。この映画を鑑賞たあとにプラド美術館に足を運べばまた感慨深いものがあったのだろうが、映画を鑑賞するのがずいぶん後になってしまった。

 私は『宮廷画家ゴヤは見た』というタイトルとともに、この映画がすっかり気に入ってしまった。この映画のタイトルを目にしたとき、すぐに思い出したのは、テレビドラマの『家政婦は見た!』シリーズで活躍した市川悦子さんである。ゴヤもまた、市川悦子さん演じる家政婦のように、誰かの秘密を知ってしまったのかと思いきや、さすがは世界をターゲットにした映画である。テレビドラマよりもずっとスケールの大きいストーリーが展開されていた。どうやら、実在の画家が登場する映画には当たりが多いと言って良さそうだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ロレンソ神父を演じていたハビエル・バルデムは、私よりも年上だと思っていたのですが、プロフィールを拝見したところ、私よりも三学年下でした。ほぼ同世代と言っていいのでしょうね。スペイン出身の彼なのに、スペイン以外の国で製作された映画にも出演されている国際派俳優さんのようです。そう言えば、先日まで公開されていた彼の主演映画『コレラの時代の愛』を見逃してしまいました。予告編を観たときに鑑賞しようと思っていたのに、公開終了までに鑑賞することができませんでした。DVDのリリースを待つことにします。

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2008.10.29

写真は語る

カングーの並列乗車の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ちょっと走り気味でマニアックな記事でしたね。(苦笑)それにもかかわらず、応援してくださったことに感謝致します。m(__)m なかなか見掛けることの少ない車ですので、同じことを繰り返していれば、きっと新たな展開があるでしょう。そのときをお楽しみに。(笑)

 映画『しあわせのかおり』の記事を綴っているときに、ガンモと二人で金沢に出掛けたときの写真を掘り起こしてみた。そして、しばらく探したのちに見付けたのが、二〇〇二年の夏にガタンゴトンツアー(青春18きっぷを使った普通列車の旅)で金沢に出掛けたときに私がデジタルカメラで撮影した写真だった。それらの写真の中には、ガンモが私に向けて、心の底からの愛をにじみ出させている、ガンモのポートレートがあった。写真の中のガンモの瞳を覗き込めば、ガンモが私のことを心から愛してくれているのが手に取るようにわかった。ああ、どんなときも、写真は真実だけを映し出す。私は昔から、写真に映し出されている人の表情を読み取って、その人の本心を見抜くのが得意だった。恋人と一緒に映っている友人の写真を見て、
「あなたにはこの恋に不安があるの?」
などとずばり言い当てて、友人をどきまぎさせたこともあったほどだ。私が見付けたその写真には、ガンモの柔らかな表情の中に、私への愛がいっぱいに表現されていたのだ。

 私はその写真を見たとき、うれしさとともに軽いショックを受けた。二〇〇二年の写真というと、今から六年前に撮影したものである。しかし、この六年の間に、ガンモも私もお互いの愛を表現し続けることをちょっぴり怠けてしまったのではないかと反省した。何故なら、ガンモのそんな表情を、最近はすっかり見掛けなくなってしまっていたからだ。もちろん、私に対するガンモの表情だけでなく、ガンモに対する私の表情も同様である。

 私はその写真を、ガンモの目に留まるように、ガンモがいつも使っているパソコンの画面に表示させておいた。その写真を見たガンモは、ひどく照れた様子を見せた。更に私は、その写真を見ながら、うわーんと泣いた。
「この頃のガンモは、私のことを心から愛してくれていた。でも、今はこんな表情、見せてくれない!」
と言いながら。ガンモは私が泣くことが耐えられないらしく、
「泣くなー」
と言って私をなだめた。

 それからのガンモは、私の顔を覗き込む度に、意識的に六年前の表情に近い笑顔を見せてくれるようになった。しかし、どこか違う。六年前の表情を天然とするならば、現在の表情は人工といったところだろうか。六年前は、愛が思わずにじみ出ていた。ガンモの全身から溢れる愛を私のカメラが捕らえた写真だったのだ。しかし、現在の表情は、愛を表現しようとして、意識的に表情を作っているように見えた。ガンモにとっても私にとっても、もはや一緒にいることが当たり前になってしまっているために、愛情表現が省略されてしまっているのだ。結婚したときに、愛情表現を省略する夫婦にだけはなりたくないと思っていたのに、自分たちが少しずつそんな目指したくない夫婦になりつつあったということがショックだった。

 以前と同じように抱き合ったり、キスをしたりしていても、身体からにじみ出ているものが違っている。六年前のガンモのポートレートは、現在の私たちの愛情表現への怠慢に警告を発してくれているように思う。いつまでも新婚さんと言われたかったのに、歳を重ねるとともに、動から静へと変わりつつあった。できれば静を食い止めて、動であり続けたいものだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 日本人は特に、わざわざ表現しなくても伝わっているであろうことを省略する傾向が強いですよね。六年前のガンモのポートレートを見て、ああ、私たちはまさしく日本人だなあと実感しました。(苦笑)これからは、いつまでも愛情表現を怠らない西洋人を目指したいと思います。(笑)

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2008.10.28

カングーの並列駐車

映画『しあわせのかおり』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 毎度のことではありますが、またまた納品前で仕事が忙しくなってしまいました。平日のレイトショー鑑賞も、しばらくお預けであります。帰宅時間が遅いため、なかなか夜のうちに更新することができません。更新時間がまばらになってしまい、申し訳ありません。m(__)m

 我が家にカングーがやって来てから、早くも一ヶ月が経過した。私たちは、通勤の途中に自宅近くのホームセンターの駐車場を覗き込み、そのホームセンターで働いているであろう店員さんの赤いカングーが停車しているかどうかをこまめにチェックしていた。私たちは、通勤前にそのホームセンターの駐車場にガンモと同じ赤いカングーが停車していれば、そのカングーの持ち主の店員さんは早番、仕事帰りに停車していれば、遅番だろうと判断していた。

 さて、今日はガンモの仕事が休みだった。ここのところ、私たちはレンタルDVDショップを利用することが多い。言うまでもなく、私はDVDレンタル百円セール狙いだが、ガンモは音楽CD五枚レンタル千円セール狙いである。我が家にカングーがやって来てからというもの、これまで以上に自家用車で出掛けることの多くなったガンモは、より快適なドライブを楽しむため、カングーの中で聴く音楽を充実させようとしているのだ。

 私はというと、たまたまDVDレンタル百円セールが重なり、職場近くのレンタルDVDショップと自宅の最寄駅近くのレンタルDVDショップでDVDを重ねてレンタルしていた。指定された返却期限までにはまだ少し余裕があったのだが、私はどちらのDVDショップにも少し早めに返却するために、レンタルしていたDVDを持参して家を出た。そして、先に職場近くのレンタルDVDショップに立ち寄ってDVDを返却したあと、仕事帰りに自宅の最寄駅近くのレンタルDVDショップに立ち寄ってDVDを返却した。

 自宅の最寄駅近くのレンタルDVDショップでは、ガンモもCDをレンタルしていたのだが、私は自分が借りたDVDだけを返却した。同じ店に出掛けて行くのに、ガンモが借りていたCDを持参しなかったのは、本人が返却することを義務付けられていると思っていたからだ。

 自宅の最寄駅近くのレンタルDVDショップに借りていたDVDを返却したあと、私はガンモに電話を掛けた。
「へっへっへっ。DVD返却したもんねー」
するとガンモは、
「俺も返却して来たから」
と言う。確か、仕事を終えた直後にガンモに電話を掛けたときはまだ返却していないと言っていたのに、ガンモは私が電話を掛けたあと、カングーに乗ってCDを返却して来たらしい。そして、
「帰りにホームセンターに寄って、一つ置いて隣だけど、停まっている赤いカングーの横に駐車して、ホームセンターで買い物して来たよ。そしたら、お店の中から店員さんが二、三人出て来て、話をしながらこっちを見てた。多分、その中に赤いカングーの持ち主の店員さんがいたんだろう」
と言った。私は、
「すごい! とうとうホームセンターの駐車場の赤いカングーに並べて停めたんだね」
と興奮気味に答えた。私たちはしばしば、そのホームセンターの駐車場に赤いカングーが停まっているときを狙って、私たちのカングーを横に並べて駐車することを夢見ていたからだ。私はガンモに尋ねてみた。
「ガンモが買い物を終えたあと、ホームセンターの店員さんが出て来てガンモに話し掛けることはなかったの?」
するとガンモは、
「さすがにそれはなかったよ」
と答えた。

 これまでは、私たちが一方的にホームセンターの駐車場に停められている赤いカングーを認識していただけだった。しかし、ついにそのカングーの持ち主であろうホームセンターの店員さんに、私たちの赤いカングーの存在をアピールすることが出来たのだ。おそらく、ガンモはこれからも同じようなことを繰り返し試みるだろう。そうした繰り返しにより、いつか赤いカングーの持ち主である店員さんが、たまらず、ガンモに話し掛けて来る日もやって来るかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ホームセンターの店員さんに対し、ついに私たちのカングーの存在をアピールすることが出来ました。どの店員さんが赤いカングーの持ち主なのかまではわからないので、声を掛けていただくのを待つしかないですね。また新たな展開がありましたら、ご報告させていただきたいと思います。

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2008.10.27

映画『しあわせのかおり』

長髪の床屋の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m これまで寝癖とは無縁だったのに、髪の毛が長くなり、タオル地のターバンを使うようになってからは、寝癖と格闘しています。早く乾かそうと思っているのに、思わぬ副作用があるのは困りものです。(苦笑)

 この映画は確か、二週間ほど前の定時退社日に、ホットヨガ神戸店のすぐ隣にある映画館で鑑賞した作品である。その映画館では、毎週水曜日に映画を千円で鑑賞できる水割(すいわ)りデーが開催されているからだ。

 ずいぶん足繁くこの映画館に通ったからだろうか。入場するためにスクリーンまで歩いて行くと、映画館のスタッフが私を見るなり、ひざ掛けを用意して私に差し出してくださった。対応してくださったのは、これまで何度か顔を合わせているスタッフだったが、私がいつもひざ掛けをお借りしているのを覚えてくださっていたのだろう。ひざ掛けは、こちらから申し出ない限りお借りできないので、映画館のスタッフの歩み寄りがとてもうれしかった。こんなアットホームな映画館が十二月で閉館されてしまうのはとても寂しいものである。

 さて、この映画に関してだが、私は予備知識もなく鑑賞に臨んでしまった。この日は邦画を鑑賞したい気分ではなかったのだが、定時退社日に仕事を定時で終えて、大急ぎで神戸まで移動して鑑賞できるというだけで、この作品を選んだのである。予備知識のない邦画でも、千円で鑑賞できるならまあいいか、ぐらいの軽い気持ちだった。しかし、そんな軽い気持ちで鑑賞し始めた映画が、やがては大きな満足感をもたらしてくれた。

 舞台となっているのは、私たち夫婦も何度か足を運んだことのある金沢である。そして、私たち夫婦も乗車し、既に全線を乗り潰した北陸鉄道も登場する。そんな金沢の港町で中華料理店を営んでいる中国人の王さんがいる。王さんの料理は絶品で、店には常連客があとを絶たない。とりわけ、蟹シュウマイが人気メニューである。

 そんな王さんのもとへ、私と同じ苗字のデパート営業担当、山下貴子がやって来る。地元、金沢のデパートで働く貴子は、王さんの蟹シュウマイをデパートに出品して欲しいと要請にやって来たのである。しかし王さんは、そんな貴子を門前払いしてしまう。どうやら王さんは、料理に対して、絶対的なこだわりを持っているらしい。

 王さんに何度断られても、貴子は諦めずに王さんの店にやって来る。そして、王さんのお店で王さんの料理を食べ、王さんの料理のファンになった。そんな貴子の情熱が王さんに通じたのか、ようやく王さんと貴子の間に絆が生まれて行く。

 私には、王さんが何故、最初のうちは門前払いしていた貴子を、やがて受け入れるようになったのかわかるような気がする。立場は異なるのだが、ホームページやブログを開設していると、様々な人たちからのアプローチがある。中には、門前払いしたくなるようなアプローチも、実際にはあるのだ。例えば、ソウルメイトやツインソウルについて卒論で取り扱いたいので、自分の質問に答えてくれないかといったようなメールを、ある研究生から受け取ったことがある。しかし、自宅サーバのアクセスログを参照してみると、その研究生は、私のホームページにほとんど目を通してはいなかった。食らいつくような姿勢がないのに、自分の用意した質問に答えてくれと言う。公開している情報に目を通して答えを求めようとせず、自分の知りたいことだけを教えてくれという身勝手な姿勢に腹を立て、私はメールの返事を書かなかった。

 またあるときは、テレビ番組の制作会社から、前世の記憶がある人にお話を伺いたいというアプローチがあった。とてもせっかちな方で、メールでやりとりをするよりも、直接電話で話をしたいとおっしゃるので、ある程度信頼できそうな方だと判断し、電話番号をお教えした。そして、私の前世体験をヒアリングされたのだが、どうも淡々としていて熱意が感じられなかった。しかも、どのような番組なのか尋ねてみると、霊能者の方の前で前世体験をお話して、その内容をゲストの方たちに討論してもらう番組だという。人の前世を判断しようとしているのかと思い、とてつもなく嫌な気持ちになったことを覚えている。結局、私の前世体験が採用されることはなかったのだが、採用されなくて良かったと思っている。

 王さんが貴子を門前払いしたのは、王さんの料理を味わうことなく、噂だけで王さんの料理を判断し、デパートに出品しないかと言って王さんを利用しようとしたからだろう。そのようなアプローチで、いきなり信頼関係を築けるはずがない。だから貴子が、客として王さんの店に通い詰めたことは、王さんの警戒心を解き、のちに信頼感を得ることに繋がっていたのである。

 やがて物語は、王さんが病に倒れ、店に立てなくなってしまったことから一変して行く。何としてでも王さんの味を守り続けたい貴子は、デパートを辞めて王さんの元で料理の修業を始める。何とも驚きの展開なのだが、実際に鑑賞していると、その流れをすんなり受け入れることができる。それだけ、王さんの料理を守りたいという貴子の情熱が、観客にも伝わって来るのだろう。また、貴子はそれだけでなく、王さんと同じように料理人だった亡き父の面影と王さんを重ねていたと思われる。

 普段、忙しく動き回っている私にとって、料理にじっくりと時間を掛けるということは、一種の憧れでもある。おそらく私は、料理に時間を掛けることは嫌いではない。しばしば利用している駅前の惣菜屋さんに足を踏み入れると、今の仕事を辞めたらここで働いてもいいとさえ思うことがある。これまでの人生で、料理に時間を掛けて来なかった分、どこかで調整したいとも思っているのだ。

 そんな気持ちでこの映画を鑑賞していると、王さんの教えに従って、貴子が次々に王さんの料理を習得して行く姿を好意的に見守ることができる。そして、料理に時間を掛けるということが、とても贅沢な時間であるようにも思えて来る。次々に食卓に並べられる火が通ったばかりの温かい料理の数々。そして、それらの料理を待ち構え、じっくりと味わう人たち。料理を味わう人たちとともに、私もそのテーブルを囲んでいるような気持ちになり、思わずごくりと唾を飲み込んでしまう。

 今は邦画を鑑賞したくないなんて嘘だった。顧客をもてなし、達成感を味わっている王さんと貴子のように、私もこの心暖まる邦画で達成感を味わうことができた。たくさんの料理を目で味わって、映画を鑑賞し終わったあとは、料理を口にできなくても、お腹がいっぱいになったような満足感があった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 金沢と言えば思い出すのは、忍者寺(妙立寺)です。(笑)東京に住んでいた頃、社員旅行で金沢に行ったときに初めて足を運んだのですが、面白くてとても印象に残っていました。そして、ガンモと結婚して金沢に出掛けたとき、ガンモを忍者寺に案内したのです。ガンモも忍者寺の数々のからくりに驚き、そしてとても気に入ったようでありました。昔の人はとても小柄だったのですね。そんな金沢が舞台のこの映画。今度、金沢に出掛けたときに、映画の撮影で使われた王さんのお店を探してみようかと思っています。(笑)

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2008.10.26

長髪の床屋

ホットヨガ(一二四回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 実は最近、寝不足気味なのは、早朝になると、トイレに行きたくて目が覚めてしまうからなのです。毎晩午前一時過ぎに就寝して、毎朝午前四時過ぎにトイレに行きたくなるものですから、どうしても寝不足になってしまうようです。早朝に目覚めてしまうのは、どうやら筋腫が大きくなり過ぎて膀胱を圧迫しているせいだと思われます。ちょっと困っています。(苦笑)

 しばらくサービス満点の床屋さんを営業していなかったので、ガンモの髪の毛は伸び放題だった。そのため、ここ数日のガンモは私の顔を見る度に、
「髪、切ってくれ!」
と懇願するようになっていた。相変わらず、私は平日に身動きが取れない状態だったので、
「わかったよ。じゃあ、週末に切ってあげるね」
と答えていた。

 ホットヨガのレッスンを終えたあと、自宅で仕事の待機要員の当番をしているガンモに電話を掛けてみると、ガンモは開口一番に、
「今日は髪、切ってくれ!」
と言った。私は、
「はいはい、わかってるよ」
と答えた。私に髪の毛を切って欲しいというガンモの思いは、もはやパンパンに張り裂けそうだった。

 帰宅してご飯を食べてしばらくくつろいだあと、いよいよお風呂に入る時間になった。しかし私は、まだまだ寝不足が解消されず、ひどく眠かったことに加え、ホットヨガのレッスンのあと、シャワーを浴びて帰宅していたので、お風呂には入らないことにした。これから就寝しようとしているのに、お風呂に入ってしまうと、すっかり目が覚めてしまうと思ったからだ。そこでガンモには、
「今日はサービス満点じゃないから」
と予告しておいた。サービス満点でないというのは、今回は服を脱ぐサービスはないという意味である。

 いつもは私もガンモと一緒に服を脱いで浴室に入るのだが、今回はガンモだけが服を脱ぎ、浴室に入った。そして、私は服を着たまま床屋さんになった。前回、ガンモの髪の毛をカットしたのはいつのことだったろう。おそらく、もう二、三ヶ月も前のことである。

 ガンモは、私が一緒に服を脱がないので、
「今日はサービス満点じゃないの?」
と、少々不満そうに言った。

 ガンモのそんな不満をよそに、私はガンモの髪の毛を手際良くカットして行った。予め濡らしておいた髪の毛を、ハサミを使っててきぱきとカットしたあとは、生え際に石鹸を着けて、剃刀で調整して行く。間もなく、もさもさしていたガンモの髪の毛はすっきりと刈り上がった。ガンモはとても満足そうだった。

 髪の毛には、自分にとって心地の良い長さがある。二、三ヶ月ごとにこうしてガンモの髪の毛をカットしている私も、最近は髪の毛が伸びていて、ヘアアクセサリを使ってまとめておかないと、ひどく気になる。普段からショートヘアに慣れていると、どこまでも伸び続けて行く状態に、ついには我慢ができなくなってしまうようだ。

 一番困るのは、洗髪したあとになかなか乾いてくれないことである。普段から、ドライヤーを使う習慣のない私は、洗髪後も濡れた髪の毛を自然乾燥させていた。しかし、髪の毛が長くなると、その分、乾きも遅くなる。そこで、百円ショップで購入したタオル地のターバンを巻いて水分を吸い取っているのだが、タオル地のターバンを外すと、髪の毛がところどころ逆立っていたりする。髪の毛が長くなると、それだけ手間も掛かるのだ。

 それでも私は、美容院で当たり障りのない会話をするのが苦手なので、長くてももう少し我慢できると自分に言い聞かせてここまで来た。長くなった私の髪の毛は、一体誰が切ってくれるのか。髪の毛がすっきりして涼しい顔をしているガンモをよそに、美容院の苦手な私は、もう少し、もう少しと踏ん張り続けるのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「医者の不養生」ということわざがありますが、床屋さんの髪の毛が伸び放題の状態のことは何と言うのでしょうか。先日も、ホットヨガのレッスンに出掛けたときに、顔なじみのスタッフに「髪の毛伸びましたねえ」と言われました。私が「そろそろ切りたいんですけどねえ」と答えると、「一緒に伸ばしましょうよ」と誘われました。(苦笑)しかし私は、「いやあ、私のほうが先に挫折してしまうかもしれません」とは答えたものの、やはり美容院が苦手なんですよね。

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2008.10.25

ホットヨガ(一二四回目)

映画『愛は静けさの中に』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m プールの中で二人が裸になって抱き合うシーンがあるのですが、プールの中にいるという状況が、耳の聞こえないサラの状況と重なってとても印象的でした。つまり、二人の愛は、比喩的にプールの中でも愛し合えることを目指そうとした愛だと言えるのでしょうね。

 ホットヨガのレッスンを受けるため、神戸店のスタジオに出掛けた。今回は、神戸店でいつも受けている九十分のベーシックコースではなく、六十分のライトコースという私にとっては初めてのレッスンを受けることにした。六十分のライトコースを選んだのは、ここのところ少し寝不足気味だったので、午前中はゆっくり身体を休ませて、午後のできるだけ早い時間に行われるレッスンに参加しようと思ったからだ。更に、三宮店ではなく神戸店を選んだのは、もしかすると家出した結婚指輪が神戸店で見付かるかもしれないと思ったからだ。

 受付でロッカーの鍵を受け取るときに、さりげなく受付のカウンターに目をやったが、落し物の案内は出ていなかった。私は、指輪の落し物がなかったかどうか、尋ねてみたい気持ちはあったものの、それが大切な結婚指輪であり、神戸店のスタジオにはないということがわかれば、スタッフに結婚指輪を失くしてしまった責任の一部を負わせることになってしまわないだろうかと思い、尋ねるのはやめにした。

 いつもお話をさせていただいているスタッフが私に、
「そう言えばまるみさん(実際に呼ばれたのは私の苗字)、隣の映画館、閉館されますよね」
と話し掛けてくださった。そのスタッフは、いつも私が隣の映画館で映画を鑑賞していることをご存知だからだ。私は、
「そうなんですよ。上映の案内をメールでいただいているのですが、十二月の終わりに閉館されるとメールが届いていました。とても残念です」
と答えた。するとそのスタッフは、
「いつも、ヨガのレッスンのついでに映画を鑑賞されていたのに残念ですね」
とおっしゃったので、私はすかさず、
「そうですね。まあ、どっちがついでだか良くわかりませんけど・・・・・・」
と冗談を言って、ロッカールームへと向かった。

 ところで、今回、初めて参加したライトコースだが、ホットヨガのホームページには以下のような説明が書かれている。

このコースは主に、仰向け・うつ伏せ・座位のポーズで構成されています。
「体の重みをマットに預け、深く吸い、深く吐く」
ゆったりとした時間の流れに身を任せて、呼吸と共に自重力で体をひらいていくことで、身体の内側や深層部分への刺激をじんわりと感じるでしょう。
心身のリラクゼーションがもたらす効果は、柔軟性やポーズの安定感につながります。
やさしいポーズで緊張を緩めて、心と体をリラックスしましょう。
また、ポージングに行き詰まり感のある方、中上級者の方は、受講回数を重ねるごとに、新しい発見があるでしょう。

受講時期の目安:トライアル受講終了後、初級~オールレベル対象

どうやらライトコースというだけに、脂肪燃焼コースやパワーアクティブコースのような動きの激しいコースとは正反対のゆったりとした緩いポーズを取るコースらしい。レッスンに参加していたのは、私を入れて十名の参加者である。驚いたのは、五十代と思しき女性が三名ほど参加されていたことである。五十代と思しき女性の参加者は、梅田店のレッスンではお目に掛かったことがあるが、神戸店でお目に掛かるのは珍しい。私は、これまでとは違ったレッスンになりそうだと期待に胸をふくらませながら、わくわくしていた。

 ライトコースのレッスンは、スタジオに流れている音楽からして、いつもとは雰囲気が違っていた。スタジオ内には、いつになくリラックス度の高い音楽が流れていたのである。レッスン前の参加者の様子も、他のレッスンのときとはまるで違っていた。他のレッスンでは、レッスン前にヨガマットの上でストレッチをしている人たちが多いものだが、ライトコースのレッスンでは、ほぼ全員がヨガマットの上に仰向けになって静かに休んでいた。一方、私はというと、リラックス度の高い音楽を聴いてくつろぎながら、レッスンが始まるのを静かに待っていた。

 レッスンを担当してくださったのは、先日、めでたく一ポイントを獲得されたインストラクターではないが、過去に一度だけレッスンを担当してくださったインストラクターである。通常のレッスンならば、呼吸を整えたあとストレッチに入るのだが、ライトコースのレッスンは違っていた。呼吸を整えるために、仰向けに寝転がったのである。いきなりリラックス度の高いポーズに入り、私は日頃の疲れや緊張を思い切ってヨガマットに預けた。

 ライトコースのレッスンは、全体を通してゆったりとした流れの中で行われた。急ぐ必要もない。息切れすることもない。他のレッスンのように、著しく水を欲することもない。それゆえに、汗が次から次へと噴き出して来るようなこともない。ただ、ホットヨガのレッスンのために用意された三十八度の室温と六十五パーセントの湿度に保たれたスタジオでゆったりと身体を動かしているといった感じである。ああ、これぞ、慌しい毎日を送っている人たちに最適のレッスンではないだろうか。私は、ライトコースのレッスンがとても気に入った。

 シャワーを浴びたあと、着替えを済ませて受付に行くと、さきほど映画館の話をしてくださったスタッフが、
「ライトコースのレッスンを受けられるのは珍しいですね」
と話し掛けてくださった。それに対し、私は、
「そうなんですよ。今回、初めて参加させていただいたんですが、ゆったりとしていて、とても気持ちが良かったです」
と答えた。今後もライトコースのレッスンに参加し続けるかどうかはわからないが、慌しく過ごす毎日の中で、ふと休息を取りたいときに、リラックス感を味わうために参加してみようと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ゆったりとした時間を感じることのできるライトコースに、五十代と思しき女性たちが参加されていたのは、あまり肉体的な負担が掛からないレッスンだからだということがわかりました。土曜日のレッスンであるにもかかわらず、参加者が十名だけというのも魅力的でしたね。仕事においても、月に一度は定時退社日が設けられているように、ホットヨガのレッスンにおいても、こうしてゆったりとした時間を過ごせるレッスンを選ぶのもいいのではないかと思いました。

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2008.10.24

映画『愛は静けさの中に』

お菓子セット(後編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m これまでにも、見知らぬ方からチケットを譲っていただいたことは何度かあったのですが、毎回、事務的なやりとりだけに終わっていました。何故なら、お互いの感情に触れることがなかったからです。しかし今回は、特別思い出に残るチケット売買となりました。ちなみに、私は毎日、ガンモと一緒にそれらのお菓子を食べています。(笑)

 最近は、映画館での映画鑑賞と平行して、DVDでの映画鑑賞も進めている。今回は、そうして鑑賞したDVDの中から、一九八六年に製作されたこの映画を皆さんにご紹介したい。

 確かこのDVDをレンタルしようと思い立ったのは、レンタルDVDショップの店員さんのお勧め作品として、陳列棚に説明が加えられていたからだ。若い頃は何につけ、誰かのお勧めよりも、自分自身で開拓したい気持ちのほうが強かった。しかし、こうして年を重ねてみると、次第に受身になる術も覚えて来る。人生がロールプレイングゲームならば、「まるみは受身の術を覚えた!」と説明が加えられるところだ。

 実際に鑑賞してみると、とても見応えのある作品で、「お勧めしてくれた店員さん、ありがとう」と言いたい気分だった。レンタルDVDショップの店員さんの目は肥えている。受身の術を覚えて良かったと思った。

 この映画は、聾唖(ろうあ)学校の教師と聾唖学校で掃除係として働いている卒業生との恋の物語である。聾唖学校の教師ジェームズをウィリアム・ハートが演じ、聾唖学校の卒業生サラを、実際に聾唖者であるマーリー・マトリンが演じている。もともとジェームズには、聾唖者がうまくしゃべることができないのは、最初から諦めの気持ちがあるからだという彼なりの強い信念がある。そのため、自らが受け持つ授業でも、生徒たちの中にある心理的な壁を取り除こうとすることから始める。気の強いサラに出会ったときも、彼女がその気になれば実際にしゃべることができるのではないかと思い、必死になって、しゃべることを彼女に教えようとする。しかし、サラはどこまでも頑なだった。いや、頑なというよりも、サラはサラで自分自身を確立させていたのである。

 この映画を鑑賞した人たちが気付かされるのは、聾唖者に対し、健常者がいかに自分たちが良かれと思っている方法を押し付けているかという事実である。健常者は、手話を学ぼうとするよりも、自分たちにとって楽な方法で彼らとコミュニケーションを取りたがる。つまり、歩み寄るのはいつも聾唖者のほうであり、健常者は聾唖者を自分の領域に引き寄せようとしているという事実を突きつけられるのだ。

 ジェームズとサラはやがて深く愛し合うようになるのだが、サラは自己を確立させているだけに、健常者の方法を押し付けてくるジェームズに強く反発する。サラはジェームズに言う。あなたが見ているのは本当の私ではない。だからまだ、二人は本当の意味で繋がっているわけではないと。つまりジェームズは、自分が好ましいと思う方向にサラを向けさせようとしているのであり、本当のサラを見ているわけではなかった。サラにしてみれば、本当の自分に目を向けてくれてもいないのに、真に愛し合っているとは表現したくなかったのだろう。それは、ジェームズを嫌いになったというよりも、ジェームズと対等になり、ジェームズと更に一歩進んだ関係を目指そうとしたことから出た台詞であると私は感じた。

 本当は深く愛し合っているはずなのに、お互いの立場を尊重し合うことができない二人。違うものを持っている者同士が集まれば、どうしても自分の価値観を相手に押し付けてしまう。それでも、二人の中には燃えたぎるような愛がある。二人の愛は、愛することで、お互いのエゴを克服して行くような愛だと感じた。

 相手をより深く知ろうとするための喧嘩や対立は、むしろ遠慮せずにどんどん展開して行くべきだと思う。そうした喧嘩や対立は、愛の中にいる相手を自分から切り離そうとするのではなく、新しい価値観を受け入れるためのチャンスを与えることにも繋がって行く。その結果、相手に対し、本当の自分を見てもらうチャンスを与えることにもなり、お互いの精神的なギャップが埋められて行く。こうした展開は実にいい。

 この映画でヒロインを演じていたマーリー・マトリンは、アカデミー主演女優賞受賞したそうだ。実際に聾唖者であるだけに、彼女の手話はとても力強く、彼女の伝えたい気持ちがたくさん詰まっているように思えた。彼女は、この映画で共演したウィリアム・ハートと一時的に同棲生活を送っていたこともあるそうだ。二人が現実にも強く惹かれ合ったのだとすれば、それだけ二人がこの映画に全力投球したということではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 耳の聴こえないサラに対し、音楽をどのように表現したらいいのか苦悩するジェームズがとても印象的でした。しかし二人は、そうした苦悩よりももっと大切なものに気付いて行きます。それはサラにとっても同じでした。この映画には、健常者と聾唖者が対等に接するためのヒントが隠されているように思います。自分にとって都合のいい方向に相手を引き寄せようとするのではなく、お互いに同じだけの歩み寄りが必要なんですね。自分の幻影を見ている相手に対し、真実の自分を伝えようとする姿勢も大切なのだと思いました。

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2008.10.23

お菓子セット(後編)

お菓子セット(前編)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m これだけネットワークが発達していても、私が普段利用しているインターネットバンキングからは、ゆうちょ銀行への振り込みが不可能でした。そのため、わざわざゆうちょ銀行まで足を運ぶ必要があったわけですが、調べてみると、一部の銀行のATMからは、その銀行の口座とゆうちょ銀行の口座の相互利用が可能になっている場合もあるようです。でも、どうやら一部の銀行のみで行われているサービスのようです。以前も書きましたが、個々に成立しているサービスを連携させて行くことが、今後の課題となって行くのでしょう。

 月曜日の朝、私は出勤前にゆうちょ銀行に出向き、神戸公演のチケットをお譲りくださる方の口座に代金を振り込んだ。普段は、コンサートチケット代金の振り込みのために、0から始まる口座に対し、振り替え用紙を使用してATMから現金を入金して振り込むことが多かった。しかし今回の振り込みは、0から始まる口座に対してではなく、1から始まる口座に対して行うのである。かつて、ネットオークションなどの取引で、1から始まるゆうちょ銀行の個人口座に振り込みをした実績はあったはずだが、しばらく利用しないうちに、1から始まる口座への振り込みの仕方をすっかり忘れてしまっていた。

 私は、0から始まる口座と同じように、ATMからの振り込みが可能なはずだと思い、ATMを操作してみた。ところがATMからは、1から始まる口座への現金を利用した振り込みができず、キャッシュカードを求められた。私はゆうちょ銀行にも口座を持ってはいるが、普段、ほとんど利用していないので、ゆうちょ銀行のキャッシュカードはリュックの奥のほうに仕舞い込んでいる。出勤前で急いでいたため、わざわざリュックを下ろして、リュックの奥のほうに仕舞い込んでいるキャッシュカードをゴソゴソ取り出すのはやめて、潔く窓口を利用しようと思い立ち、郵便局の中に入った。そして、0から始まる口座に振り込むための用紙に記入して窓口に提出した。すると、驚いたことに、振り込み手数料が五百二十五円も掛かると言う。一般の銀行に比べて振り込み手数料がやけに割高だと思ったが、出勤前で急いでいたのでそのまま支払った。

 とは言うものの、心の中では、キャッシュカードを使ってATMから振り込をみすれば、もう少し振り込み手数料が割安だったのにと思い直し、ちょっぴり悔しかった。そのことを窓口担当の方に確認してみると、
「そうですね。今でしたら、ATMからのお振込みに限りまして、振り込み手数料無料のキャンペーンを行っております」
という答えが返って来たではないか。しまった! リュックを下ろして、ゆうちょ銀行のキャッシュカードを探し出して振り込めば、窓口で支払った五百二十五円がまるごと浮いたのにと思うと、悔やまれて仕方がなかった。しかし、先ほども書いたように、ゆうちょ銀行の口座はほとんど使っていないので、残高も少ない。ATMからキャッシュカードを使って振り込むには、いったん自分の口座に入金してから振り込みの手続きを取らなければならなかったことだろう。出勤前の慌しい状態の中で、そこまでの手順を落ち着いて操作できたかどうか、あまり自信がない。

 ところで、振り込んだお金を、先方さんがいつ確認できるのかと窓口担当の方にお尋ねしてみると、電信扱いで振り込んだので、手続きが終わればすぐに確認できると答えてくださった。つまり、先方さんが通帳記入をすれば、私の入金を確認できるというわけだ。私は安心してゆうちょ銀行をあとにすると、通勤電車の中でノートパソコンを開き、チケットをお譲りくださる方に、入金完了のメールを送信した。

 夜になると、チケットをお譲りくださる方から、「入金を確認させていただきました。ありがとうございました」という内容のメールが届いた。そのメールには、私宛に発送してくださったゆうパックの追跡情報も記載されていた。日曜日にいただいたメールにも、ゆうパックの到着予定日が火曜日と書かれていたのだが、うっかりしていた私は月曜日に届くものと勘違いし、振り込み後に送信したメールでもそのように触れていたのだ。しかし、実際は火曜日の到着予定だった。ゆうパックの追跡情報にも、既に私の住んでいる地域の郵便局までは届けられているという情報が提示されていた。

 私は、ゆうパックの着払いで発送してくださるとうかがったときに、いつも帰宅時間が遅い遅いので、ポストに入った不在連絡票をいったん受け取ってから、翌日、郵便局まで取りに行くことになるという事情を話しておいた。元払いの荷物に関しては、マンションの宅配ボックスに入れてもらえるのだが、着払いの荷物に関しては、宅配ボックスに入れてもらうことができないので、自宅で受け取るか、郵便局まで取りに行くことになるのである。

 そして翌日の火曜日、私はポストに入っている不在連絡票を受け取った。そこで再び先方さんにメールをお送りし、自宅のポストに不在連絡票が入っていたので、水曜日の仕事帰りに郵便局まで取りに行くことを伝えた。それに対し、先方さんからは、「了解しました。わざわざありがとうございます。引き取り、よろしくお願いします」という返事が返って来た。このような細かいことは連絡し合わなくてもいいのかもしれないが、これまでに、少しずつ先のことを予告しておいたので、予告どおりにことが運んでいるかどうかを報告しておきたかったのだ。

 水曜日の仕事帰り、私は予定通り、不在連絡票を持って、地元の大きな郵便局に出向いた。地元の大きな郵便局は、普段、利用しているJR線とは異なる路線の駅前にあるため、少々不便ではある。私は、窓口に不在連絡票を提示して、保険証と印鑑を用意してしばらく待った。免許証を持っていない私が郵便局で郵便物を受け取るときは、いつもこうして保険証を提示しているのだ。私は、郵便局の担当の方が奥から持って来てくださった段ボール箱の大きさに驚いた。それは、「自転車の籠に入るだろうか?」と、少し心配になってしまうほど大きな段ボール箱だった。

 無事に受け取りを済ませて、受け取ったダンボール箱を恐る恐る自転車の籠に載せてみると、何とかすっぽり入った。私は、その場で段ボールを開けてしまいたい衝動に駆られたが、ぐっと我慢してそのまま自宅まで持ち帰り、自宅の玄関の前で段ボールを開けた。そのときの私の一番の関心ごとは、神戸公演のチケットよりも、お菓子の正体だった。果たして、お菓子はスーパーで売られているような一般のお菓子なのか、それとも、コンサート会場で売られているコンサートグッズのお菓子なのか・・・・・・。

 すぐに答えが出た。それはまぎれもなく、コンサート会場で売られているお菓子だった。お煎餅とクッキーがそれぞれ六箱入っていた。そして、箱の上のほうには封筒が入っていて、「この度はありがとうございます。コンサート、楽しんできてください」と書かれてあった。

 更に本格的に段ボールを開けて、中に入っているお菓子を取り出してみると、お煎餅のパッケージには、トレカを取り出したと思われる控えめなビニールの破れがあった。まるで職人技のように、六箱すべてにその控えめなビニールの破れがあり、もはやこれらのお菓子の中にトレカが入っていないことは一目瞭然だった。その状況を理解したとき、私の胸には、じーんと熱いものがこみ上げて来た。念願の神戸公演のチケットを入手できたことはもちろん、大きな喜びだったが、トレカを収拾するために、これほどまで熱心にお菓子を求め続けた人もいるのだという、いわば驚きの向こう側にある、ファンとしてのピュアでストレートな気持ちに触れることができたからだ。むしろ、トレカに興味を示さない私のほうが、ファンとしてひねくれているのではないかと思ってしまったほどである。

 私はすぐに、チケットとお菓子を無事に受け取らせていただいたことを先方さんにメールした。チケットをお譲りくださったことの御礼に加え、これだけたくさんのお菓子を購入されていることにも感動したこと、そして、封筒に書かれていた「コンサート、楽しんでください」というメッセージから想像して、「もしも参加される予定だったのに、参加できなくなったのだとしたら、○○さんの分まで楽しませていただこうと思います」と書いた。すると、先方さんからすぐに返事が届き、「喜んでいただけて光栄です。実は、トレカ欲しさにお煎餅とクッキーをそれぞれ二十箱ずつ購入しましたが、どうしても食べ切れないので、購入してくださって感謝しています。コンサートには都合で参加できなくなったので、どうか楽しんでください」と書かれていた。このメールを拝見したとき、単に事務的なやりとりではなく、お互いの感情を交わすことができたことを誇りに思った。それにしても、先方さんがそれぞれ二十箱もお菓子を購入されていたとは恐れ入った。

 今回の出来事を通して、私は、普段、自分の中にはない感情をとても大切にされている方がいらっしゃることを改めて痛感した。そして、その方の感情に触れたことで、情熱のおすそ分けをもらったような気さえしている。抱き合わせ販売も、決してネガティヴなことばかりではなかった。例え事務的なやりとりから始まったにしても、まめに連絡を取り合い、相手の本質を引き出せるようなやりとりが実現できれば、こうした取引のあとに残るものは大きい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 段ボールを開けたあとは、とにかく感動して胸がじーんと熱くなりました。事務的なやりとりを始めて、最初は閉じているお互いの心も、相手の好きなものに触れ、感動することによって、閉じていたものが互いに開かれて行くのでしょうね。そして、相手をもっと知ることによって、最初に抱いていたネガティヴなイメージは一掃され、相手にも相手の事情があり、好きなもので満たそうとしているのだということにようやく気付くのです。今回は、必要以上にまめに連絡を取り合ったことが、最終的な感動に繋がったと思っています。

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2008.10.22

お菓子セット(前編)

客寄せ術の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 前回、訪れたときは、二十二時の閉店時間に対し、二十一時から店内に『蛍の光』が流れ続けていましたが、今回は二十一時になっても『蛍の光』は流れ始めませんでした。店内が広いので、二階の売り場から一階に降りてレジに進むまでに余裕を持っていて欲しいために、そのような方法を取っているのだろうとは思います。しかし、『蛍の光』が流れている中でショッピングを続けるのは、追い立てられているようで逆効果だと思いました。そのような声が利用客から上がったのかどうかはわかりませんが、今回、『蛍の光』が流れ始めたのは、閉店の三十分前からでした。もしかすると、利用客の多い休日は、従来と同じように一時間前から『蛍の光』が流れているのかもしれませんが・・・・・・。

 実に不思議なことなのだが、私がある出来事を「ガンまる日記」に綴り、片側からの主張をすると、もう片側からの主張を受け入れたくなるような出来事が立て続けに起こることがある。例えば、コンタクトレンズ購入奮闘記(後編)に対し、交換で高感度アップ!の記事のように。これから書かせていただくのは、抱き合わせ販売の、もう片側からの体験である。

 好きなアーチストの神戸公演が刻々と迫っているというのに、私はまだ、神戸公演のチケットを入手することができないでいた。相変わらず、ファン同士が定価でチケットを融通し合う掲示板に目を光らせてはいたものの、神戸公演のチケットを譲りたいという人はなかなか現れなかった。定価で神戸公演のチケットを入手することを半ば諦めかけていた私は、ネットオークションに神戸公演のチケットが出品されていないか、チェックしたりしていたのだが、そもそもネットオークションにも出品数が少なく、入札受付中のオークションにはかなりの高値が付いていた。もはや、神戸公演への参加は諦めるしかないのだろうか。そう思い始めた矢先のことである。ファン同士が定価でチケットを融通し合う掲示板に、神戸公演とお菓子をセットでお譲りしますという書き込みがあったのだ。

 はて、お菓子? もしや、コンサート会場で売られているお菓子のことだろうか? 実は、コンサート会場で売られているグッズの中には、パンフレットやTシャツ、キーホルダーなどの他に、トレカ付きのお菓子も含まれている。調べてみると、トレカは何と十五種類も用意されているそうだ。そのため、トレカ欲しさにお菓子をまとめ買いされているファンの方たちも多い。

 一方、私はというと、こうした戦略には乗らないタイプで、例えばCDの売り上げを上げるためにときどき企画される替わりジャケットのCDや、CDに付属の無料コンサートの応募券などにも無頓着である。そんな私が、コンサートに出掛けて購入するグッズと言えば、パンフレットとTシャツ、キーホルダー、ツアータイトル入りのトートバッグといったところだ。トレカの入ったお菓子が発売されるようになってから数年経つが、これまでに私がそれらのお菓子を購入したのは、わずか二、三回程度である。

 私が想像するに、掲示板にその書き込みをされた方はおそらく、トレカ欲しさにお菓子をまとめ買いされたのだろう。お菓子には、お煎餅とクッキーの二種類があり、神戸公演のチケット二枚とお煎餅六箱、クッキー六箱という組み合わせだ。価格は、神戸公演のチケット代金に加え、お煎餅とクッキーがそれぞれ一箱五百円である。これらのお菓子は、コンサート会場では確か一箱千円で売られていたはずである。それが半額の五百円というのは、安い。とは言うものの、それぞれ六箱ずつということは、合計十二箱もお菓子が届くことになる。しかも、私は先日、抱き合わせ販売の記事を書かせていただいたばかりだというのに。

 それでも私は、神戸公演のチケットを入手できない焦りから、お菓子との抱き合わせ販売もやむを得ないと思い始めていた。コンサート会場で売られているお菓子が一緒にやって来るなら、最初から参加することのできない公演のチケットと一緒に購入するよりはずっとマシだと思ったのである。

 このコメントが書き込みされた時間を見てみると、書き込みからまだ一時間も経過していなかった。私はしばらく考えたのち、神戸公演のチケットをお譲りくださるよう、思い切ってメールを書かせていただいた。すると、すぐに返事が返って来た。その内容によれば、私のメールが一番に届いたので、私にお譲りくださるという。代金をゆうちょ銀行の指定口座に振り込んだあと、神戸公演のチケットとお菓子は、ゆうパックの着払いで発送してくださるそうだ。メールの内容もしっかりしていて、私は直感的に、この方を信頼できそうだと感じた。私は、それで了解したとのメールをすぐに返信した。

 普通ならば、チケットとセットになって届くお菓子はどんなお菓子なのか、予め確認するものなのだろう。例えば、中のトレカは抜き取られた状態なのかどうかなど。しかし、私は敢えて確認しなかった。掲示板のコメントには、お煎餅とクッキーとしか書かれていなかったが、もしかすると、コンサート会場で売られているお菓子ではなく、スーパーで売られているような普通のお菓子かもしれない。もしそうだとしたら、一箱五百円は高いのではないだろうか。私はいろいろなことを頭の中で思い巡らせながらも、怖いもの見たさの状態を維持するために、お菓子の詳細はおろか、お譲りいただくチケットの座席番号さえも確認しなかった。確認したところで、どうにかなる問題でもないと思ったからだ。

 チケットをお譲りいただけることが決まったのが先週の土曜日だったので、指定されたゆうちょ銀行への振込みは、月曜日の出勤前に行うことになった。お譲りくださる方にそのことをお伝えすると、その方も月曜日にチケットとお菓子を発送してくださるという。それでいったん落ち着いていたのだが、日曜日の夜にその方からメールが届き、既にチケットとお菓子を発送してくださった旨と、ゆうパックの問い合わせ番号をお知らせくださった。

 こうした取引では、お譲りいただくほうが代金を先に振り込んでから物品が発送されるものだが、私が代金を振り込むよりも先に発送してくださったというのである。おそらく、お譲りくださる方も、お仕事をされている関係で、月曜日に私の入金を確認した上で発送するよりも、日曜日のうちに発送してくださったほうが負担が少なかったのだろう。私は、お譲りくださる方の勇気ある歩み寄りにいたく感動していた。わずか二、三回のメールのやりとりで、私のことを信用してくださったのだから。

 私自身も、お譲りくださる方から届くメールがとてもしっかりした内容であることに安心感を覚えていた。その上、私が代金を振り込むよりも前にチケットとお菓子を発送してくださり、わざわざゆうパックの問い合わせ番号までお知らせくださった。私は、まだチケットとお菓子が届く前から、何だか特別なことが起こりそうな予感がしていた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 記事が長くなりそうなので、二回に分けて記事を書かせていただきますね。多くの人たちがトレカに夢中になるというのに、私がトレカに興味を示さない理由について考えてみました。一つは、アーチストをもっと身近に感じたいという願望があるからかもしれません。トレカの中に閉じ込めてしまうのではなく、私の中で、当たり前のように存在して欲しいのだと思います。そのせいか、仕事用にポーズを取った写真よりも、普段の素の表情のほうが魅力を感じますね。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.10.21

客寄せ術

映画『プロヴァンスの贈りもの』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。最近、映画のレビューを書くのがとても楽しみになって来ました。(笑)自分が受け取ったものを表現できる喜びを心から感じているようです。以前は、映画を鑑賞しても、ほんの数行程度しか感想を綴ることが出来なかったので、これは大きな進歩と言えます。ところで、今年の夏休みにパリとロンドンに出掛けたとき、私たちはパリからロンドンまで移動するのにユーロスターを使いました。しかし、この映画では、小さな車で移動しているんですね。おそらく、ドーバー海峡を船で渡ったあと、フランス製の車に乗り換えたものと思われます。そうそう、マリオン・コティヤールがエディット・ピアフを演じていたことを書きましたが、パリでたくさんの有名人が眠るペール・ラシェーズ墓地にも足を運び、エディット・ピアフのお墓を見て来ました。エディット・ピアフのお墓には、今なお、多くの人たちが訪れているようです。

 週末を返上して仕事をしていたガンモは、代休を取っていた。それにもかかわらず、ガンモは仕事に出掛けて行くと言う。私が家を出たあと、いつもよりは遅い時間に仕事に出掛けて行ったようだ。

 仕事を終えてガンモに電話を掛けてみると、ガンモは三宮の事務所で仕事をしていた。三宮で待ち合わせて一緒にご飯を食べようとガンモに提案してみたところ、ガンモはカングーに乗って来ていると言う。私はてっきり、いつものように電車に乗って来ていると思っていたので、意外な展開に驚いた。ガンモは何かと理由をつけてカングーに乗りたがっているのだろうか。一瞬、そう思ったが、どうやら事情があるらしい。

 その事情とは、今度の日曜日にガンモがTOEICの公開テストを受験することになっている会場が、埋立地であるポートアイランドにある大学に割り振られたため、その下見をしておきたかったからだそうだ。ガンモはTOEICの公開テストを受けたあと、車でしか移動できない場所での仕事が入っているという。そのため、TOEICの受験会場に指定された大学の場所を確認するとともに、その大学の近くに駐車場があるかどうかも一緒に確認しておきたかったらしい。ガンモは、カーナビに登録した大学の場所を確認したあと、その近くに駐車場があることも確認した。これで、ひとまず安心である。

 そのあと、せっかくポートアイランドまで来たのだから、久し振りにIKEAまで足を伸ばしてみることにした。IKEAとは、今年の春に神戸ポートピアランド跡地に開店したスウェーデン生まれの大型家具店である。初めてここに来たときは、土曜日だったこともあって、たくさんの利用客で溢れ返っていたのだが、今日は閉店一時間半前の平日だからだろう。店内にはほとんど利用客の姿もなく、閑散としていた。店員さんの姿さえ見えないほどである。

 二階にあるレストランでご飯を食べたいと思っていたものの、どういうわけかなかなかたどり着くことができなかった。二階に着いたときに、目的のレストランはすぐ側に見えていたのだが、中に入ろうにも「出口」と書かれている。どうやら「入口」を見付けるには、二階のフロアをぐるっと回って来なければならないらしい。

 そこで私たちは、順路に従ってレストランの入口を目指した。何と、レストランにたどり着くまでに、二階のほぼ全フロアをくねくねと見て回らなければならない構成になっていた。

 前回、訪れたときは、レストランを利用することが本来の目的ではなかったので、店内をじっくりと見て回るのも珍しく、そして楽しかった。しかし、今回は特に欲しいものがあるわけではない。そうは言うものの、レストランにたどり着くまでに全フロアをくねくねと見て回らなければならないとすれば、特に欲しいものがなくても、興味を惹かれるものがあれば、ついつい立ち止まって見てしまう。なかなかうまく考えられているものだ。

 確か、ハワイで訪れた免税店も、これと同じような作りだった。下の階まで降りて行くのに、単にエスカレータを利用するだけでなく、店内のフロアを見て回らなければ、目的の場所にはたどり着けないような構成になっていた。そこには、お店側の「買って欲しい」気持ちが表れていた。

 ようやくレストランにたどり着き、私たちは食べ物を注文した。前回、訪れたときに、IKEA FAMILY CARDの会員に加入していたのだが、IKEA FAMILY CARDを提示すると、ドリンクバーの料金が無料になった。どうやら平日だけの特典らしい。これはラッキーである。しかも、売り場と同じく利用客もほとんどいない。



休日はたくさんの利用客でにぎわうIKEAのレストランも、平日の夜はご覧の通り

 改めて、IKEA FAMILY CARDの特典について考えてみた。なるほど、土曜日や休日は、利用客が多いので、レストランの売り上げも多いはずである。しかし、平日はご覧の通りである。そこで、企画担当者は考えたのではないだろうか。平日の客寄せのために、平日のみドリンクバーの料金を無料にするということを。レストランを目指して二階の全フロアをくねくね曲がりながらようやくたどり着いたとしても、ドリンクバーが無料なら、笑って許してしまう。

 レジが出口のすぐ近くにあるということも、レジ付近を手ぶらでは素通りできない利用客の心理を突いていると感じた。実際、食事を済ませた私たちは、特に何も買うものがなかったのだが、何となくレジを素通りしにくいと感じて、安売りされているブランケットを買った。以前、来たときに購入したのと同じものである。

 ガンモはその後、レジを出たところにある食べ物専用レジでクッキーを買った。そのとき店員さんに、
「よろしかったらどうぞ」
と言われ、無料のお茶をいただいた。それは、ブルーベリーやザクロ、はちみつの入った不思議な緑茶だった。これも平日だけの特典なのだろうか。それとも、新商品の宣伝のためのサンプル配布なのだろうか。見ると、パッケージには「日欧共同開発商品」と書かれている。なるほど、新しい試みを広めているようだ。

 平日の夜にカングーに乗ってどこかに出掛けることはほとんどないので、私たちにとっては貴重な体験だったと言える。こうして私たちは、平日の夜を満喫したあと、再びカングーに乗って帰路についたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 売り上げを上げるためには、いろいろな工夫がなされているのですね。IKEAはフランスにもありましたし、ロンドンの地下鉄で使うオイスターカードを、IKEAのロゴ入りケースに入れて使っている人たちも見掛けました。IKEAが駅のすぐ近くにあれば足を運んでみたかったのですが、やはりヨーロッパでも郊外にお店を構えているようでした。実際に足を運ぶことができたとしても、神戸で作ったIKEA FAMILY CARDが、ヨーロッパでも使えたかどうかは、定かではありません。(笑)

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2008.10.20

映画『プロヴァンスの贈りもの』

ヘナを求めて三千里の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 実際は三千里も旅をしていませんし、まだヘナを見付けてもいません。(苦笑)ひとまず、二回分使用できる買い置きが一つあり、ヘナが本当に必要になるときまでまだ時間はたっぷりありますので、根気強く探し続けることにします。

 職場近くのレンタルDVDショップでは、ときどき旧作DVDレンタル百円セールなるものが開催されている。セールが開催されるときは、携帯電話とパソコンのメールアドレスに案内が届くように設定しているので、セールを見逃すことはほとんどない。映画館に足を運び、毎月およそ十本のペースで映画を鑑賞し続けていたとしても、公開中に足を運べないまま公開が終了して、ひどく後悔してしまう作品も数多くある。最近は、旧作DVDレンタル二百円セールがあちらこちらで開催されてはいるが、旧作DVDレンタル百円セールというのは滅多とないチャンスである。普段は出掛けることが多く、ほとんど自宅で過ごす時間を確保できない私だが、三連休という条件も重なって、これを機会に久し振りにレンタルDVDショップに足を向けて、いくつかの旧作DVDをまとめてレンタルすることにした。今回ご紹介する作品は、その中の一つである。

 ロンドンでトレーダーとして金融業界を揺り動かしているマックスを、映画『シンデレラマン』のラッセル・クロウが演じている。多忙な仕事人間という印象を受けるだけに、どことなくクールなイメージを抱いてしまう。彼には子供の頃、南フランスのプロヴァンスで、同じ英国人のヘンリーおじさんとともに夏休みを過ごした良き思い出がある。ある日、マックスの元に、十年間疎遠になっていたヘンリーおじさんの訃報が飛び込んで来た。間もなくマックスは、ヘンリーおじさんの遺してくれたシャトーとぶどう園を相続することになる。

 この映画を観ると、イギリス人とフランス人が互いにどのような感情を抱き合っているかを何となく察することができる。大きな感情としては現れないのだが、深層心理として、互いに相手国の人々に対し、敬意を払っていないのが伝わって来る。そう言えば、私たちは子供の頃から、イギリス人とフランス人の対立を見守って来た。その代表的なものが、シャーロック・ホームズ対アルセーヌ・ルパンである。私の偏見に過ぎないのかもしれないが、積極的にフランス語を学ぼうとはしないイギリス人に比べて、英語を学ぼうとしているフランス人のほうが、相手国への歩み寄り度は高いように思う。とは言え、フランス人はイギリス人に対し、多少の歩み寄りの姿勢を見せてはいるものの、心の中ではイギリス人のことをどこか見下しているようにも思える。同じように、相手をどこか見下す気持ちは、イギリス人の態度からも垣間見ることができる。

 さて、ロンドンで忙しく働いていたマックスが、ヘンリーおじさんの訃報を受けて、十年振りにプロヴァンスを訪れる。そこは田舎で景色も美しく、マックスがいつも慌しく過ごしているロンドンとは時間の流れ方も大きく異なっていた。相続したシャトーとぶどう園をさっさと売りさばいてしまおうと計画するマックスだったが、あたかもプロヴァンスの魅力を満喫する時間を与えられたかのように、マックスは降って沸いたような休暇を得ることになり、しばらくプロヴァンスで過ごすことになる。

 ヘンリーおじさんのアメリカ人の隠し子(つまりは、マックスの従妹)が突然訪ねて来たり、地元で人気レストランを経営するファニーに敵対心をむき出しにされながらもやがては恋に落ちたりと、マックスが休暇を過ごしている間に、次々にいろいろなことが起こって行く。そう、まるで休暇を終えたマックスが、プロヴァンスを去り難くなってしまうことを目的としているかのように、それらの出来事は、マックスにプロヴァンスという場所を強く印象付ける。

 それにしても、この映画の最大の驚きは、映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』でエディット・ピアフを演じていたマリオン・コティヤールが、地元の人気レストランを経営するファニーを演じているということだろう。私には、二人が同一人物であるとは、とてもとても思えない。この映画を鑑賞してみて初めて、女優マリオン・コティヤールの偉大さに気付く。

 プロヴァンスでしばしの休暇を過ごすだけで、まるで人格まで変わってしまったかのように見えるマックス。仕事人間の険しい顔つきから一変して、彼の表情にはファニーと離れ離れになりたくない苦悩までうかがえる。つまりは、マックスおじさんが遺してくれたものは、単に物質的なシャトーやぶどう園だけではなかったということだ。マックスは、そんな環境もひっくるめて相続したのだろう。

 ファニーのもとで、フランス語を話しているマックスの姿がいい。イギリス人がフランス語を話しているのだ。運命の恋は、仕事人間でさえもこうしてふにゃふにゃにしてしまう。それは、ファニーにとっても同じだったかもしれない。赤ワインの香りが漂って来そうな二人の恋に乾杯!

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ミニシアターで公開されている映画は、上映期間が短いので、見逃すことも多いのです。そんな映画をわずか百円でじっくり鑑賞できるのはいいですね。ロンドンに住むマックスの仕事仲間や友人たちと、プロヴァンスに住むフランス人が対照的に描かれていました。きっと、イギリス人とフランス人のささやかな戦いは、これからもずっと続いて行くのでしょうね。(笑)

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2008.10.19

ヘナを求めて三千里

ホットヨガ(一二三回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 久し振りに三宮店でレッスンを受けました。ただ、十三時からのレッスンだったので、お昼ご飯をいつ食べるかで悩んでしまいました。(苦笑)ホットヨガのレッスンを受けるには、少なくとも二時間前に食事を済ませておかなければならないのです。十一時にお昼ご飯を食べるには早過ぎて、夕方になってからお腹が空くと思い、結局レッスンを終えてから食べたのですが、お昼ご飯を食べるのが十五時になってしまいました。(苦笑)

 休日の泥遊びをしてからというもの、百円ショップのダ○ソーでヘナを探し続けている。二回に分けて使用したヘナを使い切ってしまったので、買い置きが欲しいと思ったのである。我が家には確か、あと一箱だけダ○ソーヘナの買い置きがあったはずなので、現在のペースで使い続けるとするならば、少なくともあと四ヵ月は困らないはずである。しかし、ザ・ダイソー ナチュラル;ヘナのクチコミ - アットコスメ(@cosme)のページなどを参考にして、ダ○ソーヘナが人気商品だとわかってしまえば購買意欲が掻き立てられるもので、買い置きを確保しておきたかったのだ。

 仕事を早く上がったガンモが、神戸に行くと言った。私もあとから合流すると伝えたところ、ガンモは欲しいものがあるので、私が到着するまでの間に百円ショップダ○ソーに行きたいと言った。神戸にあるダ○ソーと言えば、ホットヨガ神戸店のスタジオのあるビルに一店舗、別のビルにもう一店舗ある。何を隠そう、私が最初にヘナを買ったのは、ホットヨガ神戸店のスタジオと同じビルにあるダ○ソーである。ガンモがそのダ○ソーに行くと言うので、
「ヘナのナチュラルブラウンがあったら、三、四箱よろしく」
とメールした。

 しばらくしてガンモに電話を掛けてみると、ガンモのお目当ての商品がなかったので、店を移動したいと言う。私は、神戸にはダ○ソーがもう一店舗あるが、ダ○ソーの他にも大規模な百円ショップがあることを伝えた。そして、ガンモに、
「ヘナはあった?」
と尋ねてみると、
「四回グルグル回ったけど、ヘナはなかった」
という答えが帰って来た。私は、
「確かレジの近くにあったはずなんだけど」
と言ったのだが、
「いや、四回も回ったけどなかった」
とガンモは主張した。時計を見ると、ガンモに紹介したもう一つの大規模な百円ショップの閉店時間が近づいていたので、私は慌てて電話を切った。

 その後、神戸でガンモと落ち合ったのだが、ガンモはもう一つの大規模な百円ショップがひどく気に入ったと言っていた。ガンモは、
「まるみがヘナを使うのは、二ヶ月に一回くらいのペースなんだろ? まるみは俺にヘナを三、四個買って来いって言ったけど、今のまるみのペースだったら、ヘナはすぐには要らないから。そのことを思い出したら、何で今、三、四個も買う必要があるのかと、だんだん腹が立って来た」
と言う。私はおかしくなって大笑いした。確かに私はガンモにヘナを三、四個買って来て欲しいと頼んだ。しかし、買い置きがまだ一つあるので、ヘナが今すぐ必要なわけではない。それなのに、ヘナを見付けたら三、四個も買っておいてと頼まれたことで、ガンモは腹を立てたようだ。私がヘナを使うペースをガンモが考慮し、腹を立てた経緯がおかしいではないか。私は、
「ばれたか」
と言った。

 その翌日、月に一度の定時退社日だったので、仕事帰りにホットヨガ神戸店のすぐ隣にある映画館に足を運んだ。その映画館は、毎週水曜日には映画を千円で鑑賞できるからだ。そのとき、すぐ下の階にあるダ○ソーに立ち寄ってみた。ガンモは四回グルグル回ってヘナを見付けられなかったと言っていたが、果たして本当にそうなのか、自分の目で確かめておきたかったのだ。ガンモの言う通り、確かにヘナはなかった。かつて私がヘナを見付けた場所には、跡形もなかったのである。

 私は、仕事帰りに他のダ○ソーを探してみることにした。最初に目指したのは、職場の最寄駅にあるダ○ソーである。やはり、売り場にはなかったので店員さんに尋ねてみたところ、どうやらその店員さんは、ヘナの存在自体をご存知ないらしく、
「そういうものは扱っておりません」
と言われてしまった。もしかすると、店舗によって、仕入れる商品が決まっているのかもしれない。

 ホットヨガ(一二三回目)のレッスンを受けたあとも、三宮にある比較的大規模なダ○ソーに足を運んでみたが、やはりヘナはなかった。店員さんに尋ねてみても、へナそのものをご存知ない様子で、私が、
「毛染めのヘナです」
と説明すると、毛染め用品を置いてある売り場に案内してくださり、
「一応、ここに出ているだけですね」
とおっしゃった。やはり、そこにもヘナはなかったのである。

 ヘナは品薄というよりも、もともと扱う店舗が限られているのかもしれない。今になって思えば、夏休み前にヘナを見付けたときに、もっとたくさん買っておくべきだったと今更ながらに後悔している。とは言うものの、出回っている商品の数が少ないとわかれば、ヘナを見付けたときの喜びもひとしおというものだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ヘナを使用したあとの臭いは、二、三日残っていましたが、記事の中でご紹介したユーザーレビューを拝見すると、臭いに耐えられないという方もいらっしゃるようです。私は森林浴をしているような感じと書きましたが、畳(たたみ)臭とか牧草臭いなどと書かれていますね。(苦笑)私がヘナの臭いを受け入れられるのは、私が田舎育ちだからでしょうか。(笑)それでも、ヘナにはトリートメント効果もあるらしく、ヘナを使ってからの私の髪はサラサラであります。そんなヘナを、これからも探し求めたいと思います。

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2008.10.18

ホットヨガ(一二三回目)

映画『グーグーだって猫である』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 「グーグー」の意味は、ラストで明かされます。そう言えば、ガンモのハンドルは、「GuGuガンモ」から来ているのですが、「GuGuガンモ」の「グーグー」もまた、この映画のグーグーと同じ由来なんでしょうかね。

 先週は、体調が芳しくなかったため、ホットヨガのレッスンの予約をキャンセルして自宅で過ごした。今週は、体調も回復したので午後からレッスンに出掛けた。いつもと違って午後からのレッスンを選んだのは、午前中、自宅近くの歯科で三ヵ月に一度のデンタルケアを受けたからだ。そのため、午後から開催されるレッスンで、私にとってちょうどいいレッスンを選ぶために、久しぶりに三宮店でレッスンを受けた。今回は、いつもの九十分のベーシックコースではなく、十月から復活して新しくなった六十分の脂肪燃焼コースを受けた。

 かつて、三宮店で六十分の脂肪燃焼コース2のレッスンを受けていたとき、毎回、レッスンを担当してくださっていたインストラクターがいた。今回も、そのインストラクターが担当してくださるといいのにと思っていると、お目当てのインストラクターがレッスン着に着替えた状態で受付に立っていた。インストラクターがレッスン着に着替えているということは、これからのレッスンを担当されるということである。しかし、彼女はどうやら新しい会員の方に説明をされているようだ。お忙しそうだったので声は掛けず、私は受付に立っていた他のスタッフからロッカーの鍵を受け取り、ロッカールームで着替えを済ませた。

 スタジオに入ってくつろいでいると、お目当てのインストラクターが入って来た。やはり、今回のレッスンを担当してくださるようである。彼女は私を見付けると、ひどく驚いた様子で、
「お久しぶりですねえ。お元気でしたか?」
と笑みを浮かべながら声を掛けてくださった。素直にうれしい。そう、私は彼女のレッスンが好きで、三宮店で行われている脂肪燃焼コース2のレッスンに足繁く通ったものだった。当時の脂肪燃焼コース2のレッスンは、三宮店が土曜日のお昼過ぎ、神戸店が土曜日の夕方にそれぞれ開催されていた。私はできるだけ早い時間にレッスンを受けたかったので、レッスン時間の早い三宮店を好んでレッスンを受けていたのだ。

 しかし、一時的に自分の取るポーズに行き詰まりを感じて、九十分のベーシックコースでもう一度ポーズを鍛え直そうと思い立ち、九十分のベーシックコースに通うようになった。神戸店では、九十分のベーシックコースのレッスンが午前中に行われていたため、私の求めているレッスンの条件にぴったり合い、次第に三宮店のレッスンからは遠のいてしまった。そうこうしているうちに、脂肪燃焼コース2のレッスンが終了になり、代わりに七十五分のパワーアクティヴコースのレッスンが始まった。ところが、私にはパワーアクティヴコースのレッスンがきつく、再び九十分のベーシックコースのレッスンに戻った。そんな状況の中、脂肪燃焼コースのレッスンが十月よりリニューアルされて帰って来たのだ。

 レッスンを受けた感触としては、これまでの脂肪燃焼コース2で取っていたポーズに、更にアレンジが加えられていると感じた。全体的に、お腹の筋肉を使うポーズが多いように思う。個人的にきついと感じたのは、ブロックを両手で持ち上げて、身分の高い人に捧げるようにして保つポーズである。ブロックと言っても発泡スチロール製の軽いブロックなのだが、ブロックを持ったまま両腕をピンと伸ばして前方に突き出したり、ウエストをねじった状態で差し出すためにはお腹の筋肉を使って踏ん張らなければならず、お腹に力を入れることのできない私にはかなりきつかった。

 英雄のポーズも、まるで一つの物語を生み出すかのように、一セットが長かった。新しい脂肪燃焼コースの形としては、後ろに向けた手や足を前方に戻す反動でポーズを変えるというのが共通のテーマのようである。どのような形で新しいポーズが生み出されて行くのかわからないが、長い間通い続けている好きなアーチストのコンサートで演奏される曲目が、次々にアレンジを加えられて新しく生まれ変わっているように、ホットヨガのポーズもどんどん手を加えられて新しくなっているのだと感じた。そこに、私たち会員を飽きさせない工夫がなされているのだ。

 新しく生まれ変わったポーズと格闘しながらも、六十分のレッスンでたっぷりと汗をかき、レッスンを担当してくさったインストラクターに御礼を述べて、スタジオを出た。久しぶりに心地良い刺激だった。六十分の脂肪燃焼コースのレッスンは、神戸店では土曜日の夕方に行われているので、もしかしたらこの先、再び三宮店に通い始めることになるかもしれない。その前に、一度神戸店でレッスンを受けて、家出した私の結婚指輪がシャワールームに残っていなかったかどうかを確かめておきたい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 脂肪燃焼コースは、帰って来たというよりも、新しいレッスンに生まれ変わったという感触のほうが強かったように思います。一.五リットル入りのペットボトルに水を用意してレッスンに臨んだのですが、六十分のレッスンだったので、あまりたくさんの水を飲むこともなく、たくさん余らせてしまいました。六十分のレッスンですと、用意する水は、一リットルくらいで十分なようです。ということは、たくさん汗をかくことができる上に、持参する水も一リットルで済むので、一石二鳥かもしれません。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.10.17

映画『グーグーだって猫である』

抱き合わせ販売の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。実は今日、神戸公演のチケットを譲ってくださるという方からメールが届き、残念ながら、私は抽選に漏れてしまったとのことでした。ご丁寧に、あみだくじを作って抽選してくださったそうです。チケットを譲っていただけなかったことはとても残念なことではありましたが、あみだくじを作って公平に抽選してくださったことへの御礼のメールを送っておきました。何となくすがすがしい気持ちです。また、新たな気持ちでチケットを探したいと思います。(笑)

 私は知らなかったのだが、この映画は大島弓子さんという漫画家さんの自叙伝的エッセイ漫画が映画化されたものらしい。大島弓子さんは、この映画の中では麻子という名前で登場する。麻子の役を演じているのは、私と同学年のキョンキョンこと小泉今日子さんである。同い年と書かずに同学年と書いたのは、キョンキョンのほうが早生まれだからだ。そう言えば、私は高校を卒業して初めてパーマをかけたとき、美容師さんにお願いして、キョンキョンと同じ髪型にしてもらったことを思い出す。当時のキョンキョンは人気アイドルだった。そんなキョンキョンも、この映画ではソバージュ姿の大人の女性を演じている。

 麻子を取り巻く人たちがいい感じである。この映画に『麻子とその仲間たち』というありふれたタイトルが掲げられていたとしてもおかしくない感じだ。麻子のアシスタントの女性たちを中心に、アシスタントの一人であるナオミの彼氏やその恋敵、のちに麻子といい感じになる沢村青年、出版社の人などが主な登場人物である。

 舞台となっているのは、私にとっても懐かしい吉祥寺である。独身時代、東京の下北沢に住んでいた私は、下北沢を走っていた京王井の頭線に乗って一本で行ける吉祥寺にもしばしば足を運んでいた。そんな吉祥寺の駅ビルである吉祥寺ロンロンや井の頭公園が登場する。故・高田渡さんも足繁く通っていたと言われている焼き鳥屋さんのいせやも登場する。井の頭公園と言えば、カメラ仲間たちと撮影会を行うために、私も訪れたことのある場所であるが、私が東京に住んでいた頃、バラバラにされた遺体が井の頭公園のごみ箱で発見されたりと、ダークな思い出も残っている。その事件は未だに未解決であるが、井の頭公園でくつろいでいる人たちの映像を見ると、そんなダークな思い出も、ひとまずどこかに押しやってくれるような気がした。

 そう言えば、この映画を鑑賞したのは、職場で飲み会が行われた金曜日だった。私にとっては、狼少女になったTOEICの試験の前日のことである。飲み会の幹事さんからは、飲み会への熱心な勧誘を受けたのだが、私は、
「翌日、TOEICの試験を受けるので、勉強しておきたいんです」
などと言って、飲み会を断っていたのだ。しかし、飲み会がある日は仕事を早く上がれるものだから、ついつい映画館に足が向いてしまう。私は、ヒアリングの学習目的で映画を鑑賞することに決めたものの、何を血迷ったのか、この日本映画を選んでしまった。

 結局、飲み会への熱心な勧誘を断って日本映画を鑑賞するという罪悪感を抱いたまま鑑賞に踏み切ったのだが、そんな罪悪感を一掃してくれような出来事が起こった。それは、この映画に登場する外国人英語講師の存在である。この映画には、吉祥寺で英語を教えているという外国人英語講師がときどきナビゲーター役として登場するのだ。私は、彼の英語を一生懸命聞き取ろうとすることで、飲み会への熱心な誘いを断って日本映画を鑑賞しているという大義名分を果たすことができた。

 ただ、正直に書いてしまうと、この映画は全体を通して、感情が大きく揺れ動くような作品ではない。麻子という人の、ある人生のひとコマが表現された作品である。そのひとコマとは、かつての愛猫サバの死、麻子の体験した大病、沢村青年との友達以上恋人未満の関係、グーグーという新しい猫の登場といったところである。

 猫に関して言えば、映画のタイトルに掲げられているグーグーよりも、かつての愛猫サバのほうが存在が大きいように思える。サバ亡きあと、新しい作品を生み出すことができなくなってしまった麻子は、締め切り直前の忙しさの中で、既に肉体を去りつつあった愛猫サバをかまってあげられなかったことをずっと後悔していたのだろう。麻子は、そんな自分を許すことができなくて、しばらくの間、新しい作品を生み出すことができなくなってしまったのだと思われる。だから、この映画の中で最も印象に残るシーンがあるとすれば、擬人化されたサバが麻子を安心させるシーンだと思う。サバの最期のときにサバをかまってあげられなかったことを後悔し続けていた麻子は、そのシーンで救われたに違いない。

 サバ亡きあとにやって来たグーグーは、そんな麻子のスランプを解いてくれた。だからこそ、『グーグーだって猫である』というタイトルが生きて来る。「グーグーだって」と表現されているからには、グーグー以外にも愛猫がいたということである。だからこの映画は、サバを亡くした麻子が、本当の意味でグーグーを受け入れられるようになるまでを描いた作品と言えるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 沢村青年を演じていたのは、最近、いろいろな映画でお見掛けする加瀬亮くんです。いつもなら、目立たなくて小柄に見えてしまう加瀬亮くんですが、この作品ではとても大きく見えていました。もちろん、いつもと違った役柄のせいもあるとは思いますが、キョンキョンが小柄であることも大きいように思えます。麻子と沢村青年の出会いは、ちょっとしたことがきっかけではありましたが、そんなちょっとした縁を繋いで行くと、新たな関係を目指すこともできるのですね。しかも、二人を応援するかのようなお膳立てもあり、観客である私も二人の展開をほほえましく見守ることができました。

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2008.10.16

抱き合わせ販売

一四〇点差の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 私は、英語学習に取り組んでいる人たちがどのように英語学習に励んでいらっしゃるのかという記事も良く読ませていただいているのですが、最近、ある記事を拝見しました。ご家族と住んでいらっしゃるその方は、仕事から帰宅しても英語を学習する時間がなかなか取れないので、毎朝、一時間早く家を出て、スターバックスでコーヒーを飲みながら学習に励んだそうです。そして、これと決めた一冊の参考書・問題集に取り組んだとか。なかなか参考になる勉強法でありますね。今の私は、良い教材には出会っているものの、持続力がなくていけません。「継続は力なり」とわかってはいるんですけどね。(苦笑)

 好きなアーチストのコンサートツアーが始まっている。私はついうっかりしていて、神戸で行われるコンサートのチケットを申し込むのを忘れてしまっていた。私が参加しているコンサートのほとんどは、チケットの半券に住所と氏名を書き込んでおけば、チケットの発売前になると、コンサートを企画しているイベンターが次回のコンサートのチケット発売情報を郵送してくれる。しかし、どういうわけか、神戸で行われるコンサートに限っては、毎回、その案内が届かないのだ。そのため、どうしても神戸公演のチケットの発売日を忘れがちで、チケット発売後に慌てて友人や知人を介して余りチケットを融通してもらったり、時にはインターネットで探し回ることもしばしばである。例え前売券がSOLD OUTの公演であったとしても、一枚や二枚くらいのチケットは、たいていはどこかで余っているもので、私は毎回、そうした方法で何とか買いそびれたチケットを入手できていた。

 ところが、今年は一週間ほど前からあれやこれやと手を尽くしているのだが、未だにチケットを入手することができないでいる。ファン同士がチケットを定価で融通し合う掲示板を盛んに参照しているのだが、私が探している神戸公演のチケットを求める人たちの書き込みばかりで、神戸公演のチケットを譲りたい人の書き込みが見当たらない。どうやら神戸でコンサートが行われる日は土曜日なので、あちらこちらからファンが詰め掛けて来るようである。これは困った。これまで比較的簡単にチケットを入手することができていたので、事態を甘く見過ぎていたようだ。

 それでも、およそ数時間ごとに、ファン同士がチケットを定価で融通し合う掲示板に目を通していると、ついに私が探している神戸公演のチケットを譲りたいという人が現れた。しかし、どこか様子がおかしい。その人は、他の公演のチケットと一緒に神戸公演のチケットを譲りたいと書いている。つまり、神戸公演のみのチケットは譲ってもらえないということである。一体これはどういうことなのだろうと私は考えてみた。どうやら、一緒に譲りたいと書かれているもう一つの公演のチケットを譲りたがっている人がたくさんいるらしい。

 その公演のチケットを譲りたがっている人の書き込みを拝見すると、中には定価よりもディスカウントされている人もいるくらいだ。おそらく、その公演のチケットを譲りたい人たちがたくさんいるために、もともと自分が購入した席よりも前方の席に昇格したいなどの理由で、購入したチケットがだぶってしまったのだろう。その公演が行われる会場はとても大きな会場なのか、五階席まであるようだ。しかも、その公演のチケットを譲りたいと書き込みをしている人たちの多くが、四階席や五階席などの、比較的ステージから遠いチケットを譲りたがっている。つまり、同じようにその公演のチケットを譲りたい人たちがたくさんいるため、自分のチケットが手元に売れ残ることのないように、神戸公演のチケットと抱き合わせで譲りたがっているのである。

 その会場は、新幹線を利用すれば、我が家から二時間程度で行き着く場所にあったが、その公演には足を運ぶ予定はなかったので、神戸公演だけのチケットを譲ってくれる人を根気強く探した。すると、ひょっこり現れたのである。しかも、二枚セットで譲ってくださるという。私は、ガンモと一緒に出掛けたいと思っていたので、すぐにその方にメールを入れた。

 数時間後にその方から、チケットの申し込みをした人たち全員に宛てたメールが届いたのだが、驚いたことに、その方もまた、神戸公演だけでなく、別の公演のチケットを一緒に買ってくださる方を優先したいと書かれていた。別の公演とは、我が家から二時間程度で行き着くことのできる会場とは別の会場で行われる公演だった。私はそれを読んでがっかりした。これでは、ファン同士でチケットを融通し合うやりとりが、まるで営業活動みたいだ。確かに、余りチケットを手元に残したくない気持ちは私にも良くわかる。しかし、半ば売りさばくような形で買い手が付いたとしても、お互いの中に楽しい気持ちは残らないのではないだろうか。

 私は、届いたメールになかなか返信できないでいた。もともと、神戸公演のチケットを譲りたいという情報が書き込まれた掲示板には、他の公演との抱き合わせ販売だとは書かれていなかったので、本当はがっかりしたのだが、がっかりした気持ちを相手に伝えてしまうと、神戸公演のチケットを入手することからどんどん遠ざかってしまうような気がした。

 届いたメールになかなか返信できないでいると、およそ二時間後に、その方からもう一度メールが届いた。前回同様、その方に神戸公演のチケットを譲ってくださいとメールしたであろうすべての人たちのメールアドレスが宛先に加えられていた。そのメールには、他の公演のチケットを抱き合わせでお譲りしたいと言ってしまってごめんなさいと書かれていた。抱き合わせでお譲りしたいと申し出た他の公演のチケットは、改めてお譲りする人を探すとのことだった。そして、申込者多数の場合は抽選で決めるので、神戸公演のチケットが欲しい場合はもう一度連絡をくださいと書かれていた。私はすぐに、神戸公演のチケットを譲ってくださいとメールを返した。そのメールには、他の公演のチケットを一緒に譲りたいという気持ちを改めてくださって感謝しますと付け加えた。心をこめて書いたつもりだったが、抽選の結果はどうなるか、まだわからない。今週末には結果が出るようだ。

 他の公演のチケットは、改めてお譲りする人を探すとメールをくださったとき、その方に何が起こったかまではわからない。もしかすると、私と一緒にメールを受け取った人たちの誰かが、抱き合わせ販売について、掲示板に掲載された内容と異なるのではないかと、その方に指摘されたのかもしれない。もしも二回目のメールが届かず、チケットが誰かの手に渡ってしまったとしたら、私は敗北感を味わうとともに、何となく後味の悪い気持ちを残したことだろう。二回目のメールが届いて本当に良かったと思う。例え抽選に漏れてしまったとしても、チケットを譲りたいと言ってくださった方の良心に触れることができて良かったと思っている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。欲しい公演のチケットを求めようとすると、他の公演のチケットが一緒に付いて来るというのは、営業的には良く考えられたストーリーだと思いました。こういうことは、日常生活でも良くありますよね。例えば、キャンペーン中の商品にくっついてくる景品の存在は、これとは正反対の役割を果たしているように思います。商品は、景品がくっついて来るから売れるのであって、その商品が純粋に欲しいと思う人が多いから売れるわけではないですよね。そうなると、売り上げも純粋なものではなくなってしまいます。抱き合わせになった結果、相乗効果をもたらすものなら歓迎しますが、抱き合わせた結果、気持ちが暗くなってしまうものは、できることならば避けて通りたいものです。

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2008.10.15

一四〇点差

映画『最後の初恋』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 私は、この映画の登場人物の中では、エイドリアンの友人である海辺のホテルのオーナーの存在が気になりました。自然でとてもいい演技をする女優さんだと思います。彼女の不在が、エイドリアンとポールを引き合わせたとも言えますので、二人の幸せをお膳立てをした人なんですよね。

 狼少女の記事を書いてから十日余りが経過した。連休明けの火曜日、私はガンモとともに帰宅した。私には、先日のTOEICのスコアシートが届いていることが予感としてわかっていたので、先にガンモの手に渡してなるものかと思いながら、いち早くポストを確認した。すると、いつものオレンジ色の封筒が、確かにポストに入っていたのだ。いつもならば、先に帰宅したガンモに開封されてしまうスコアシートだが、今回は一緒に帰宅したのだから、私に優先権がある。私は、期待に胸を膨らませながら、落ち着いたき持ちでスコアシートを開封した。

 私の予想では、これでガンモとの差は八十点くらいまでに落ち着いただろうと思っていた。ところが、現実は違っていた。予想をはるかに上回り、ガンモの最高スコアを超えた・・・・・・? いやいや。残念ながら、ガンモの最高スコアには及ばなかった。しかし、これまでの私の最高スコアを二十五点上回っていた。すなわち、狼少女になって、「できた、できた」と喜んでいたあの感触は、わずか二十五点アップの感触に過ぎなかったというわけだ。それでも、これまでの亀のようなスコアアップの歩みからすれば、二十五点アップは大きい。私としては大満足である。

 私は、過去に届いたスコアシートの情報を元に、エクセルにそれぞれのスコアを打ち込み、折れ線グラフを作ってみた。その折れ線グラフをここにご紹介することはできないが、作成した折れ線グラフを見ていると、今回の二十五点アップはリスニングのスコアがアップしたことが勝因あることがわかった。リーディングもかなり丁寧に解いたはずなのに、リーディングのスコアはこれまでと変わりがなかった。これが一体何を意味しているかというと、私がこれまで超能力に頼っていた部分は、それなりに正解だったということである。しかし、今回はほとんど超能力を使わなかった。ということは、超能力を使わなかった分、実力がアップしていると思っていいのかもしれない。

 ガンモにそのことを話すと、
「超能力、超能力って言うけど、超能力って何?」
と聞かれた。私は、
「TOEICで時間が足りなくなったときに、適当な記号で解答を埋めてしまうことだよ。例えば、Aと決めたらAだけ、Bと決めたらBだけで、マークシートを塗り潰すんだよ」
と答えた。それに対し、ガンモは、
「ふうん」
と答えた。

 これで、ガンモの最高スコアと私の最高スコアの差は一四〇点となった。そして、とうとう来月末の公開テストで、私たちはおよそ十年振りくらいに同じ土俵に立つことになる。私よりも一四〇点リードしているライバルのガンモは、今、私のすぐ隣で、ニンテンドー DS Liteの「えいご漬け」の二回目のレッスンを行っている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 大きなことを書きましたが、やはりこのような結果になってしまいました。(苦笑)超能力を使うと、その場しのぎにはなりますが、正しいスコアが出ませんね。正確なスコアを把握することができないので、これからはできるだけ超能力に頼らないようにしたいと思います。

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2008.10.14

映画『最後の初恋』

休日の泥遊びの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 泥遊びは休日に限りますね。(笑)聞くところによると、化学染料に慣れている人がヘナを使うと、眠気やだるさなどに見舞われるそうです。そう言われてみれば、今日、私は仕事中にひどく眠く、身体もだるかったのですが、ここ最近の体調の不具合と関連しているのかどうか、区別がつきませんでした。日中、眠いのは、プロゲステロンクリームを塗り過ぎたときも同様の現象が起こるので、もう慣れっこです。睡眠不足のときのような、あくびの出る眠さではありません。目がとろーんとして眠りの世界に誘われるのです。そう言えば、フローエッセンスを飲み始めたときも、同じように眠かったことを思い出します。個人的には、身体に良い天然のものが身体に入って来ると、眠くなってしまうのではないかと勝手に解釈しています。

 この映画を鑑賞したのは、一週間余り前のことである。前売券を購入していたわけではなかったが、ガンモの仕事が遅くなると聞いていたので、レイトショーで鑑賞したのである。私は、タイトルから勝手に運命的な大人の恋の物語だと想像し、わくわくしながら鑑賞した。実際、その通りではあったのだが・・・・・・。

 友人が経営する、海辺にそびえ立つ古いホテルの留守番にやって来たダイアン・レイン演じるエイドリアンは、夫の浮気が原因で、夫とは別居中の身である。そのホテルにたった一人の宿泊客として、リチャード・ギア演じる外科医ポール・フラナーがやって来る。どうやら、ポールも何か問題を抱えているらしい。折しも、嵐が近づいていて、古いホテルは激しい雨と風に見舞われることになる。古いホテルの外側にいる嵐という外敵に立ち向かうため、古いホテルの内側にいる二人は結束を固める。まさしく恋が生まれやすいシチュエーションである。

 最初のうち、二人の関係は予想通りに展開して行く。おそらく、観客の期待を少しも裏切らないだろう。しかし、後半になると、観客の期待通りには運ばなくなってしまう。決して、そうした展開が面白くないわけではない。私が思い描いている運命的な大人の恋の物語と違っていただけだ。おまけに、鑑賞する前からずいぶん気持ちが盛り上がっていたせいだろうか。自分の用意していた結末とかけ離れてしまっていたばっかりに、最後まで鑑賞しても、とうとう涙は出て来なかった。これはひとえに、大人の運命的な恋に対し、期待し過ぎてしまったせいだろう。そこで、私ならこの映画をどのように製作するだろうかと考えてみた。

 まず、二人の出会いの時期は、二人がそれぞれ最も輝いている時期に設定するだろう。この映画の場合、二人とも何らかの悩みを抱えているような低迷期に出会っている。そういう時期に始まる恋は、お互いが立ち直って本当の自分に戻ったときに、継続しなくなることがある。何故なら、相手の存在により、何かを埋め合わせようとする関係が成立し易いからだ。そのため、抱えている問題から解放されたときには、もはや埋め合わせてもらう必要がなくなるので、互いの居場所をなくしてしまう場合が多いのだ。

 次に、恋の展開としては、互いに自分の気持ちに素直になれない時期をもっと引き延ばすだろう。そうすることにより、二人が結び付いたときの感情が一気に高まるからだ。そのような段取りを経て、ようやく結び付いた恋ならば、この映画が用意した結末でも納得できると思う。

 とは言うものの、この映画には、印象に残ったシーンや台詞がいくつかあった。はじめに、唯一の宿泊客であるポールが、晩御飯を作っているエイドリアンに対し、初対面であるにもかかわらず、いきなりリラックスした態度を取り、運命的な恋の始まりを予感させてくれた。

 それから、妻を亡くした男がポールに、
「妻の目の色を覚えているか?」
と問い掛けるシーンも印象に残った。この台詞は実に深い。外科医であるポールからすれば、患者の存在は、大勢の中の一人に過ぎない。しかし、男にとって妻は、唯一の存在だった。私はそこに、妻に対する男の深い愛情を感じ取った。

 もう一つは、恋に落ちたエイドリアンとポールが、それぞれ自分の本当の好きな道を思い出し、自発的にその道へと進んだことである。エイドリアンは、木を削って小物入れを自作すること、そしてポールは外科医の仕事である。こうした描写は、恋する二人が、それぞれ本当の自分に帰って行くという意味で、まさしく運命的な恋をイメージさせる。

 ところでリチャード・ギアは、恋愛映画で主役を演じるにはもはやギリギリの年齢だと思われるが、相手役のダイアン・レインが私と同年代だったということにショックを受けてしまった。というのも、彼女の演技を見ながら、彼女は私よりもずっとずっと年上だと思い込んでいたからだ。しかし実際は、彼女のほうが私よりも一学年上なだけだった。この映画の中で、彼女は高校生くらいの女の子と小学生くらいの男の子の母親役を演じているが、現実に私とほぼ同じ年齢であったとしても、それくらい年齢のお子さんがいてもおかしくはないのだ。そのことに気づいたとき、母になるということは、大多数の人たちが選んで来た道であることと、自分がそうした大多数の選んだ道からは外れた生き方を選んだことを改めて気づかされた。

 この映画は、映画『きみに読む物語』の原作者の小説が元になっているのだそうだ。運命的な恋の物語としては、映画『きみに読む物語』のほうがだんぜんいいのだが、この映画の主な舞台となった海辺の古いホテルはとても気になってしまう。何とか見つけ出して、泊まってみたい衝動に駆られる。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この映画がユニバーサル・スタジオ・ジャパンと関係があるかどうか知りませんが、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンに海辺の古いホテルのアトラクションを作って欲しいと思います。そこに、一組ずつのカップルを閉じ込めて、激しい嵐を起こさせるのです。古いホテルの中で二人が激しい嵐を体験すると、二人が出て来る頃には、運命的な恋のパートナーが誕生しているはずです。(笑)

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2008.10.13

休日の泥遊び

カングー日和の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m かつて私は、村上春樹さんの著書を熱心に読んでいました。もしも「ガンまる日記」を読んでくださっている方たちの中に、「我こそはハルキストだ!」とおっしゃる方がいらっしゃいましたら、私が作成した村上春樹クイズ(初級編)村上春樹クイズ(中級編)にトライしてみてくださいませ。実は私も自分で作成しておきながら、もはや満点は取れません。(苦笑)

 あれは確か夏休み直前のことだったと思う。真夜中の泥遊びという記事を書かせていただいた。あれから二ヶ月余りが過ぎ、私の頭にも少しずつ白さが舞い戻って来た。週末を迎える度に、そろそろ泥遊びをしたいと思ってはいたものの、外に出掛けてしまうと一日があっという間に過ぎてしまい、なかなか思うように泥遊びの時間を確保することができないでいた。何しろ、取り扱い説明書には、三時間ほどじっくり放置するように書かれているのだが、外に出掛けることの多い私には、毛染めのために自宅で過ごす三時間を確保するのがなかなか難しい状況にあったのだ。

 しかし、この三連休は体調が芳しくなかったことから、ホットヨガの予約もキャンセルして、日曜日と月曜日ともに自宅でゆったり過ごすことにした。しかも、旧作DVDレンタル百円セールを利用してレンタルしたDVDもある。となれば、泥遊びをするには最適である。そんな経緯から、およそ二ヶ月振りに泥遊びをすることに決めたのである。

 まず、百円ショップのダ○ソーで購入した前回の百パーセント天然ヘナの残りをすべて、同じく百円ショップで購入した一人用の小さなホーロー鍋に入れた。そして、浄水器を通して沸かしたお風呂の温度くらいのお湯を注いで、スプーンでグルグルかき混ぜた。すると、天然ヘナの緑の粉はお湯をたっぷり含んで深緑色をした泥のようになった。それを三十分間放置し、その間に頭をシャンプーして、タオルドライした髪の毛に塗り始めた。前回は、クシを使ってお行儀良く塗り始めたものの、最後にはビニール手袋で泥を直接掴んでどんどん塗りたくって行ったので、最初から豪快に塗り込むことにした。

 泥遊びをしているうちに、前回と同じ草の香りが漂って来て、まるで森林浴をしているかのような楽しい気分になった。やはり、これまで使用していたような化学染料の嫌な感じはしない。化学染料の場合、一分でも早く洗い流してしまいたい気持ちになるものだが、百パーセント天然のヘナは、このまま何時間でも放置したい気分だ。植物が私たちに与えてくれるエネルギーはいつも優しい。

 すべての泥を丁寧に塗り込んだあと、頭に薄いタオルを巻いて、その上にターバンを着けて、巻いたタオルを軽く固定した。そして三時間放置したのち、お風呂に入る直前に、すべての泥を洗い流した。百パーセント天然のヘナだから、素手で洗い流すことにも抵抗がない。そして、シャンプーとトリートメントをしたあと、そのままお風呂に入った。お風呂から上がって鏡を見てみると、今回もきれいに染まっていた。今回の泥遊びも大成功である。ただ、しばらくは、髪の毛から森林浴の香りがほんのりと漂って来そうな雰囲気だ。それは、化学染料を使った場合も同じである。化学染料のツンとした匂いが残るか、森林浴の余韻に浸るかどちらかを選べと言われたら、私は迷わず後者を選ぶだろう。

 ガンモが天然ヘナできれいに染まった私の髪の毛を確認しようとしたので、
「良く染まってるでしょ?」
と言って頭を見せると、ガンモは、
「うん。これからは、泥遊びの周期をもっと短くしたら?」
と言った。ガンモは、前回の泥遊びのあと、私の頭が白くなり始めた頃から、
「髪の毛、染めれー(染めろー)」
としきりに言っていたのだ。私が楽しく泥遊びをして、白髪もきれいに染まったので、こんなに楽しく染まるなら、もっと周期を短くしろと言ったのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回もきれいに染まりました。インターネットで調べてみると、私が購入した百円ショップのダ○ソーの天然ヘナは、かなり人気の高い商品のようですね。次にダ○ソーで見付けたら、買いだめしておこうと思います。(笑)ちなみに、私が使用しているのはナチュラルブラウンですが、ナチュラルオレンジを購入された方は、コーヒーやレモンを加えたりして、更なる色付けや匂い消しに工夫されているようです。そう言えば、化学染料もいくつか買い置きがあるのですが、こちらもまた、丈夫な人にお譲りすることになりそうです。(苦笑)

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2008.10.12

カングー日和

映画『後悔なんてしない』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。最近は、インターネットや携帯電話の普及により、出会いのチャンスが増えて来たからでしょうか。今の世の中は、交友関係にしても、男女関係にしても、お互いに特別感を感じることが少なくなって来ているように思います。人々は比較的簡単にくっついて、少しでもうまく行かなければ簡単に離れてしまいますよね。特別感がないから、代わりの人に出会えればそれでいいのでしょうか。そんな時代だから、何があっても離れられないような映画を重いと感じてしまう人も、中にはいるのかもしれませんね。

 かつて、村上春樹さんが『カンガルー日和』という短編小説を書かれていたが、私がこれから書くのは『カングー日和』という記事だ。

 三連休初日の土曜日、ガンモの運転するカングーに乗って、映画『パコと魔法の絵本』を鑑賞するために大阪の箕面(みのお)まで出掛けた。我が家から箕面までは車でおよそ三十分程度である。わざわざ箕面まで出掛けたのは、映画館の近くにはフランス生まれのスーパーCarrefour(カルフール)があり、フランス生まれのカングーに少しでもフランスの雰囲気を感じ取ってもらおうと思ったからだ。

 途中、私たちが乗っているのと同じ赤いカングーが対向車ですれ違った。ガンモはそれだけで興奮してしまい、運転中であるにもかかわらず、走り去って行く赤いカングーを目で追った。私は、
「ガンモ! 危ないよ。運転中なんだから、運転に専念してよ!」
と言ってガンモを制した。ガンモのカングー熱はまだまだ冷めやらぬといった感じで、カングーを見付けると興奮し、運転どころではなくなってしまうようだ。とにかく、運転中もカングー仲間が走っていないか、きょろきょろ探しているのである。実に危ない。

 しかし、ガンモにとって、同じ赤いカングーに出会ったことは、うれしい反面、自分の中の特別感が薄れてしまう気持ちも少しあったようである。ガンモは、
「赤いカングー、禁止!」
となど言っていた。この心理は、女性が自分と同じ服を着ている同性と出会ったときのような複雑な気持ちと同じなのかもしれない。

 映画の鑑賞前に、飲食店に入ってお昼ご飯を食べた。いつものようにガンモは、店内を見渡せるように窓に背を向けて座り、私は窓に向かって腰を下ろした。ガンモはこうして窓に背を向けて座り、店内を見渡しながら飲食店に訪れている人たちを人間ウォッチングするのが好きだった。しかし、私の席から窓の外が良く見えることに気が付くと、
「禁止! まるみの席からは、カングーが走っているかどうかが良く見えるのに」
と言った。ガンモはもはや、カングー熱というよりも、カングー病にかかっているのかもしれない。

 一方、私はというと、何となく体調が優れず、映画『パコと魔法の絵本』のハイテンションな展開に着いて行くことができなかった。この映画は身も心も健康なときに鑑賞すべき作品である。何故なら、鑑賞する側が例え「静」を求めていたとしても、否応なしに「動」の世界に引きずり込まれてしまうからだ。

 映画を鑑賞したあとは、フランス生まれのスーパーCarrefour(カルフール)で買い物をした。Carrefour(カルフール)は、関西地区にも何店舗かあるのだが、実は私たちが初めてCarrefour(カルフール)に足を運んだのは、北京のCarrefour(カルフール)だった。フランス生まれといえども、Carrefour(カルフール)は気取らないスーパーだということがわかったので、それ以来、私たちにとってCarrefour(カルフール)は、気になるスーパーとして存在していたのである。ちなみに、夏休みに出掛けたフランスではCarrefour(カルフール)を見付けられなかった。

Carrefour(カルフール)(撮影:ガンモ)

 Carrefour(カルフール)で買い物を済ませた私たちは、尼崎のとあるショッピングセンターまで出掛けた。駐車場を求めて徘徊していると、何と黄色いカングーに出会った。駐車場が混み合っていたため、空いているスペースをなかなか見付けることができずにいたのだが、驚いたことに、ようやく見付けた駐車スペースのすぐ隣には、さきほどの黄色いカングーが停車していた。これが赤いカングーならば、ガンモも複雑な気持ちになってしまうのだろうが、黄色いカングーということで、ガンモはとても友好的な姿勢を見せていた。そして、黄色いカングーと並んでいる姿をデジタルカメラに収めたりしていた。

黄色いカングーと並んでいる我が家の赤いカングー(撮影:ガンモ)

 その後、買い物を済ませて帰路に着いたところ、今度は行きに見掛けたのと同じ赤いカングーを、自宅近くのホームセンターの駐車場で見付けた。そこは、私たちの通勤路でもある。そう言えば、以前、その駐車場に赤いカングーが停車していると、ガンモが通勤中にメールをよこして来たことがある。
「あのときと日にちも時間も違うのに、赤いカングーが同じ場所に停車しているということは、あのホームセンターの店員さんのカングーなんだろうなあ」
とガンモは言った。更に付け加えて、
「行きにすれ違った赤いカングーも、その店員さんが出勤する前だったんじゃないのかな」
と言った。

 一日のうちに、赤いカングーに二台、黄色いカングーに一台出会った。赤いカングーは、同じカングーだったのかもしれないが、一日のうちで延べ三台のカングーに出会ったので、私はこの日をカングー日和と名付けることにしたのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモはもはや、寝ても冷めても「カングー!」状態であります。時には、返事をするときにさえ、「カングー!」と言います。それにしても、運転中によそ見をするのは危ないですよね。困ったちゃんであります。黄色いカングーを見るとうれしさいっぱいなのに、赤いカングーを見るとうれしい反面、複雑な気持ちになってしまうのは、私にも良くわかります。自宅近くのホームセンターは、自転車でわずか数分の距離なのです。きっと、これからも何度となく見掛けることになるでしょう。また、ガンモの微妙な気持ちをレポートしたいと思います。

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2008.10.11

映画『後悔なんてしない』

カングー熱の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 私は、スライド式のドアの車に初めて乗るのですが、スライド式のドアは駐車場などで荷物を出し入れするのにとても便利ですね。開閉式のドアですと、隣の車にぶつけたりしないだろうかと、冷や冷やしていたことを思い出します。また、ガンモは特に、観音開きのトランクに魅せられたようです。そう言えば、パリに設けられた路上の駐車場では、車を出し入れするときに隣の車と接触してもおかしくないほど詰められていたことを思い出します。そうした駐車場事情から、フランス生まれのカングーは、狭いスペースでも開閉しやすいように設計されているのかもしれませんね。

 この映画を鑑賞したのは、三週間ほど前のことである。男性同士の同性愛を扱った映画ということで、昔観た映画『ブエノスアイレス』を思い出していた。映画『ブエノスアイレス』も、かなり切ない映画だった。なかなかうまく行かない異性愛も多いが、社会的な背景も加わると、同性愛は異性愛よりももっといろいろな問題に直面しやすいのだと思う。私は、映画としてできるだけ偏見を持たないようにしたいと思いながら、鑑賞に臨んだ。

 まず始めに、この映画は韓国映画である。日本には、韓国映画というだけで偏見を持ち、どれだけ素晴らしい映画だったとしても、低い評価を書き連ねる人たちがいる。ちなみに、私が参照した映画レビューサイトの評価は、Yahoo! ユーザーレビューが五点満点中二.九二点、goo 映画が百点満点中五点、映画生活が百点満点中七十七点だった。これらの評価を拝見すると、数ある映画レビューサイトの中で、本当に映画が好きな人たちが集まっているサイトはどのサイトなのか、一目瞭然である。

 ストーリーを簡単にご紹介しておこう。孤児院で育ったスミンは、ソウルに上京して、いくつものアルバイトを掛け持ちしながら生活費を稼ぐ大学生である。あるときスミンは、代行運転手のアルバイトをしているときに、大金持ちの息子ジェミンと運命的な出会いを果たす。二人は出会った瞬間から強く惹かれ合っているはずなのだが、お金持ちのジェミンに対する反発心からなのか、スミンは自分の気持ちに素直になることができず、ジェミンを遠ざけてしまう。やがてスミンはお金のために、男性客相手のホストや自分の身体を売るような仕事まで始めてしまう。しかし、ジェミンのスミンに対するアプローチは、どんなときも真っ直ぐだった。

 私はこの二人の間に、同性同士のツインソウルの愛を見た。ジェミンの真っ直ぐなエネルギーに対し、彼の周辺で螺旋状に渦巻くスミンのエネルギーがある。スミンに激しく拒絶されても、スミンの表面的な態度に惑わされることなく盛んにアプローチし続けたジェミンには、スミンの本心が見えていたとしか思えない。スミンが素直になると、まるで朝顔のツルのように、真っ直ぐなジェミンにしっかりと絡みつく。しかし、素直になっただけでは成就したとは言えないのが同性愛である。何故なら、お金持ちのジェミンには、親の勧めにより結び付いた女性の婚約者がいたからである。ジェミンが心から愛しているのはスミンだというのに・・・・・・。

 異性愛が自らの自由意思だけで成立し易いのに対し、同性愛者がその愛を貫こうと思えば、まずは周りの人たちから理解を得ることが重要である。しかし、異性愛が当たり前だと思っている周りの人たちは、例え同性愛者に強く惹かれる同性が居たとしても、決してその気持ちを理解しようとはせずに、自分の価値観を同性愛者に押し付けようとする。映画を観ていると、そこが何とも物悲しい。今回はたまたま同性愛がテーマだが、テーマが何であれ、自分と異なるものは理解できないという状況は、世の中の至るところに存在している。しかし、相手を理解しようとする姿勢を見せずに、愛しているなどとは言えないのではないだろうか。

 この映画に低い評価を付けた人たちがこの映画を受け入れられないのは、人を愛するという感情を、プラス方向においてのみ認めようとしているからかもしれない。例えば、憎しみの果てにはどのような感情が生まれるかということを、この映画に低い評価を付けた人たちは、あまり考えたくないのかもしれない。たった今、憎しみを抱いた相手に対し、次の瞬間には深い愛情を感じるなどという経験がなければ、この映画を受け入れることはできないだろう。憎しみと愛情が常に隣り合わせであり、憎しみへの忘却と深い愛情を新たに引き出す行為を交互に繰り返しながら関わって行く人たちもいるのだ。同性愛をテーマに製作された映画ではあるものの、憎しみへの忘却と深い愛情を新たに引き出す行為は、異性愛にも通じていると感じた。

 男性同士の濡れ場の多い映画ではあったが、私には主人公たちの行為が欲望には見えなかったので、鑑賞中、目をそむけることもなかった。むしろ、男女の肉体的な欲望が表現された映画のほうが目をそむけたくなる。主人公たちの欲望が表現されていない分、愛とは何かということについて、シンプルな気持ちで考え直すことのできる映画だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 皆さんは、三連休をいかがお過ごしでしょうか。今回は更新が遅くなり、申し訳ありません。実は、ちょっと体調を崩していました。ホットヨガの予約もキャンセルし、自宅でのんびり過ごしています。金曜日に職場近くのレンタルDVDショップでDVDをたくさん借りて来たので、どうやらDVD三昧な三連休になりそうです。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.10.10

カングー熱

もらい手探しの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。布ナプキンを使い始めて、早くも一年以上が経過しました。一年以上布ナプキンを使い続けると、布ナプキンもさすがに劣化して来ますね。しかし、手術を控えているかもしれない状態で、新しい布ナプキンを注文するのも何となく気が引けてしまいます。(苦笑)このまま手術を受けないでいられるならば、新しい布ナプキンを選ぶ楽しみ、装着する楽しみ、そして、洗う楽しみもまだまだ残されているんですよね。

 我が家にカングーがやって来てから二週間が経った。ガンモは若い頃、現在乗車しているカングーと同じルノー製のキャトルという車に惚れ込んでいたことがあるらしい。しかし、ガンモは当時から、百万円以下の車に十年間乗り続けるというポリシーを持っていたので、二百数十万円の値段が付けられていたキャトルの購入を見送ったという。

 やがてガンモも年齢を重ね、今後も一台の車に十年間乗り続けるというポリシーを守り続けるとするならば、今の自分の年齢を考えると、あと二台くらいしか車を選べないだろうと計算したらしい。実は、つい先日まで乗車していた三十万円のメルセデスベンツ 190Eを手放す前に、ガンモの会社の後輩から、またしても格安で車を譲ってもらえる話が浮上していた。しかしガンモは、自分のポリシーに従って車を購入することにより、あと二台くらいしか車を選べないとするならば、格安で譲ってもらえる車よりも、自分が乗りたい車を買おうと決心したようだ。そして、若い頃に欲しいと思っていたキャトルを探し求めたという。運良くキャトルには巡り合えたものの、古い車で安全性や実用性が懸念されたことから、もっと新しい車を探すことにしたそうだ。そこで、キャトルの中古車情報を調べているうちに、キャトルの孫に当たるカングーの存在を知り、カングーに一目惚れしてしまったという。百万円以下というポリシーからは外れてしまったが、ガンモは運命を感じてカングーを手に入れたのである。

 そんな経緯で、思い切って手に入れたカングーだからだろうか。ガンモはカングーに対して思いのほか、愛情を注ぎ込んでいる。まずは車計簿という名目でノートを一冊用意し、普段は筆不精のガンモがカングーに何キロ乗ってどこまで走ったか、どこのガソリンスタンドでガソリンを何リットル入れたかという情報をせっせと記録し始めた。また、カングーにカーナビを備え付けたり、ETCカードを搭載したりと、平日の休みを利用して、ガンモはカングーの装備も充実させている。

 カングーに必要な装備が揃うと、ガンモはネットオークションでカングーグッズを次から次へと落札し始めた。カングーのイラストの入った足元マットや、カングーが中で泳いでいるメモクリップ、それからランチョンマットなどである。ガンモはそれらを次々にカングーに運び込み、カングーに何を装備したかを車計簿にせっせと記録している。これ以外にも、ゴミ箱を設置したり、ドリンクホルダーを取り付けたりと、平日の休みを利用してガンモが次々にカングーに手を入れるものだから、久しぶりに私が乗ってみると、毎回、以前とどこか違った雰囲気を感じ取ることになる。

 私は、ガンモによってどんどん手が入れられて行くカングーにちょっぴり焼きもちを妬きながら、
「カングーにどんどん手が入ってるよね。何かさ、『家の車』じゃなく、すっかり『ガンモの車』だよね。私はカングーに乗せてもらうお客さんみたいだよ」
と言った。私はほんのちょっと皮肉を交えて言ったつもりだったのだが、ガンモはそれに対し、罪悪感のない笑いを浮かべていた。

 これまで乗っていたメルセデスベンツ 190Eよりも背の高いカングーは、収納スペースが広いので、我が家にカングーがやって来てからとは、カングーに乗って買い物に出掛けることが多くなった。そして、お店に着いてカングーを駐車場に停めると、カングーを降りたガンモは、駐車場に残したカングーを振り返り、振り返り、歩き始める。まるで、お店の中にまでカングーを連れて行きたいほどの入れ込みぶりだ。

 先日も、とあるショッピングセンターに二人で出向いたときに、たまたまカー用品のお店を見付けた。私は別に買い物があったので、ガンモをカー用品のお店に残し、私は私で別のところで買い物をして、ガンモとあとから合流することにしていた。私の買い物にはそれなりの時間を費やしたはずだったが、私が買い物を終えても、ガンモはまだカー用品のお店で買い物をしていた。こんなことは、ガンモと結婚して以来、初めてのことである。どうやらガンモは、久しぶりにカー用品のお店に入り、若い頃に車に夢中になっていた時代とは違って、いろいろなカー用品が増えていることに感動し、あれやこれやと物色していたらしい。
「二十年振りくらいにワックスを買った。最近のワックスは、いろんな色があるみたい」
と言って喜んでいた。

 あまりにもカングーに対して愛情を注ぎ込むガンモに対し、
「ねえ、私のこと愛してる?」
と尋ねてみると、
「カングーと同じくらい愛してるよ」
という答えが返って来た。男性にとって、本当に好きな車を買うということはこういうだったのかと、今更ながらに驚く毎日である。とは言うものの、妻として、夫の好きなものを一緒に応援して行ける存在でありたいと思うのだった。



我が家のカングー(撮影:ガンモ)

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m まあ、とにかく、これまでとはまったく違う入れ込みようであります。カングーはガンモから、溢れんばかりの愛情を引き出しているようです。私たちは、本当に好きなものに囲まれると、生き生きとして来るものなのですね。妥協してしまうのではなく、好きなものを求め続けるという姿勢は、私たち自身を輝かせるためにも必要なことなのかもしれません。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.10.09

もらい手探し

映画『おくりびと』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 大悟のボスを山崎務さんが演じていらっしゃいましたが、実にいい味を出していました。大悟は、ボスの手ほどきがあってこそ、納棺師という仕事に誇りを持てたのだと思います。年齢を重ねた俳優さん、いいですね。一つ一つの台詞に深みを感じさせてくれます。

 先日から生理が始まった。今回の生理は、わずか二十四日周期でやって来た。最近の私の生理は、二十四日周期と二十八日周期が交互にやって来るケースが多い。生理が始まる前日は、鈍い生理痛のようなものが一瞬だけ起こるので、翌日には来るだろうと思い、布ナプキンを用意しておくと、ほぼ百発百中で大当たりする。

 残念なことに、今回の生理の出血量は、再び三十パーセント減に逆戻りしてしまった。乳製品の摂取を控えてはいるものの、少し気が緩んでしまったのか、少量ではあるが、甘いものやお肉を食べてしまったからだろう。また、野菜を取る量が以前よりも減ってしまったことも要因の一つだと思われる。五十パーセント減の状態よりも出血量が増えてしまったため、私は、
「乳製品をやめて生理の出血が少なくなったのなら、しばらくそれで様子を見てみますか。まあ、私はあまり信じてないけどね」
というI医師の言葉を思い出していた。本当に出血量が少なくなって来ているにもかかわらず、「まあ、私はあまり信じてないけどね」とおっしゃったI医師の言葉がちょっぴり悔しくて、継続的に生理を軽くしてI医師を仰天させようと思っていたのに、気が緩んでこのような結果になってしまった。あるいは、I医師の「まあ、私はあまり信じてないけどね」という暗示に掛かってしまったのかもしれない。改めて気を引き締めて、また頑張るしかない。

 ところで、派遣仲間の一人が、Yakultでもらったという「SHINKANSEN」のサンドイッチケースを私にくれた。鉄道好きが高じて、職場の売店でSHINKANSENグッズのたっぷり詰まった福袋を購入したりしていたので、彼女には私のSHINKANSEN好きが伝わっていたようだ。

 彼女には、以前にもちょっとしたものをもらっていたので、私は思い切って彼女に尋ねてみた。
「紙ナプキンの買い置きがあるんだけど、使う? 実は私、布ナプキンに変えたから、紙ナプキンはもう使わないんだよね」
と小声で言ってみた。すると彼女は、
「布ナプキンって何?」
と聞いて来た。そこで私は、
「布製のナプキンで、布おむつみたいに繰り返し洗って使うのよ。私は筋腫があって、ナプキンに対してデリケートだから、紙ナプキンはもう使えなくなってしまって・・・・・・。紙ナプキンの買い置きがあるんだけど、もう使わないのよ」
と答えた。それを聞いた彼女が、
「じゃあ、使う、使う」
と言ってくれたので、私はその翌日、紙ナプキンを二セット包んで職場に持って行った。彼女は喜んでくれたようだ。

 実は、彼女に紙ナプキンを使ってもらおうと思ったのは、彼女がとても丈夫だからだ。ほとんどの女性は、仕事中にひざ掛けを使用している。しかし彼女は、冷えを感じることもないので、ひざ掛けなども必要ないのだそうだ。当然、オフィスの空調にも強い。そんな彼女だから、紙ナプキンを使ってもらっても大丈夫だろうと判断したのである。結果は大正解だったようだ。

 紙ナプキンを二セット手放せたものの、私の手元にはまだまだたくさんの紙ナプキンとタンポンの買い置きがある。紙ナプキンは、手術を受けるときに必要らしいので、ある程度は手元に残しておくにしても、タンポンを人に譲ることを切り出すのは、少々気が引ける。というのも、私の手元にあるタンポンは、どれもスーパーサイズだからだ。それとなくヒアリングした実績によると、私の周りにはタンポンを使っている人はあまりいないように見受けられる。使っていたとしても、レギュラーサイズのようだ。私は、筋腫が見付かるずっと前からスーパーサイズのタンポンを愛用していた。もしかすると、そのことが子宮にストレスを与えるきっかけになっていたのだろうか。もし仮にそうだとすると、買い置きのタンポンをお譲りするには、子宮のとびきり元気そうな人を探し出さなければならないだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 仕事中にひざ掛けを使用していない女性は、彼女を入れてオフィスに二人います。もう一人の女性も子宮は元気そうでありますが、タンポンをお譲りできるほど親しくはないのです。(苦笑)それにしても、同じ環境で働いていても、これだけ身体の状況が違うのですから、人間の身体とは不思議なものですね。私は、夏に寒く、冬に暑いオフィスと外気との温度差という状況が自律神経に良くない影響を与えていると考えています。特に、冬の残業時間は、クーラーが止められてしまうため(オフィス内にはたくさんのパソコンがあり、熱がこもりやすいので、冬でもクーラーが入っているのですが、夜になると止められてしまうのです)、室温がかなり上昇するのです。しかし、残業を終えると外はひどく寒いため、外気との温度差が激しく、自律神経に障害が出て、ホルモンバランスが崩れてしまったのではないかと考えています。今回、紙ナプキンを引き取ってくれた彼女は、ほとんど残業をしていないので、冬の温度差の影響は受けていないかもしれません。しかし、ひざ掛けを使用していないもう一人の女性は、バリバリ残業をこなしているので、影響を受けてもおかしくないはずなのです。それでもひざ掛けを必要としないくらい強いのですから、やはり環境にも負けない身体作りがあるのでしょうね。

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2008.10.08

映画『おくりびと』

秋のベランダの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。久しぶりに鳩の記事を書かせていただきました。キッコロの突付きとTKMYの鳩パンチはいかがでしたでしょうか。鳩パンチは、まだ産毛の残っている雛でさえも元気に食らわして来ます。ガンモも、ベランダの掃除をするときに、巣に残っている雛たちに何度となく鳩パンチを食らわされました。鳩は、小さい頃から身を守るために鳩パンチを教わるのでしょうか。ちなみに鳩パンチは、音は凄まじいですが、それほど痛くはありません。鳩パンチよりも突付かれたり噛み付かれたりするほうがずっと痛みを感じます。

 この映画を鑑賞したのは、確かこの映画が公開されてから一週間ほど経った雨の日曜日だった。ガンモと一緒に鑑賞しようと、派遣会社の福利厚生サービスを利用して、前売券を二枚購入していたのだ。

 前売券を購入する前に、ガンモにこの映画を紹介したところ、ガンモはこの映画のあらゆるパターンの予告編を、インターネットの公式サイトにアクセスして何度も何度も繰り返し観ていた。五月の終わりに義母が亡くなり、長男であるガンモが糖尿病を患っている義父の代わりに喪主を代行した。そのときに体験したことと、この映画の内容がどこかかぶるのではないかと思っていたのだろう。私が、
「前売券、購入するよ」
と言うと、ガンモは黙っていた。こういうときのガンモの沈黙は、イエスを意味しているのだ。私は迷わず前売券を申し込んだ。

 雨が降っているのにわざわざ出掛けたのは、この映画が公開されてから、早くも大ヒットを飛ばしているという話を聞いていたからだ。そのため、雨の日であれば、映画を鑑賞するために出掛けて来る人も少ないのではないかと目論んだのだ。ところがどっこい、映画館に着いてみると、上映まであと三十分近くもあるというのに、
「申し訳ございません。次回の『おくりびと』の上映は、ただいま最前列のみのご案内となっております」
と言われてしまった。私たちは顔を見合わせたが、せっかく雨の日に出て来たのだから、思い切って鑑賞することにしたのである。

 この映画の内容については、既に皆さん、ご存知のことだろう。職を失くし、ご遺体を棺に納める「納棺師」の仕事をすることになった大悟の役を本木雅弘くんが好演している。彼は確か私と同い年だったはずだ。昔、シブがき隊という三人組のアイドルグループのメンバーだった彼が、すっかり演技派の俳優さんになった。一方、大悟の妻を演じているのは、広末涼子ちゃんである。彼女もずいぶん大人の女性に成長したものだ。

 人の死に関わる仕事をしていると、自分の職業をなかなか人には語れないものらしい。それは、仕事の内容がどうかということよりも、もともと死について、できる限りクローズに向かう傾向があるからだと思う。例えば私も、今年は義母や祖母との辛い別れを経験したが、そのことをはっきりと記事に書いたのは、ごく最近のことである。何故なら、うれしい出来事と違って、多くの人たちの目に触れる場で公開することにためらいがあったからだ。「しめやかに」という言葉があるが、人の死に関しては、まさしくその言葉通りの感覚が伴う。

 人の死に関して、そうしたイメージが先行しているものだから、死に関わる仕事をしていることを人に隠しておきたくなる気持ちもわからないではない。それ以外にも、私が日頃から感じていることがある。それは、故人との距離が遠ければ遠いほど、ご遺体を怖がるという事実である。生きている人にとっては、死は未知なるものである。その未知なる世界に旅立ってしまった故人に対し、故人との距離が近い人は、これまでと変わりなく接することができるが、故人との距離が遠い人は、更に一歩下がったところで留まろうとする。

 納棺師は、故人との距離が遠いにもかかわらず、ご遺族の前でご遺体をきれいに拭いて、死に装束に着せ替えた上で納棺する。それらの一連の流れは「神聖なる儀式」とも言えるべきものである。見ず知らずのご遺体に対し、たじろぎもせずに「神聖なる儀式」を取り行う大悟に対し、ご遺族の方たちは、深い悲しみを抱えながらも、丁寧に故人を送り出そうとする大悟の納棺師としての大いなる仕事に深い感動を覚える。

 納棺師という仕事に対し、最初はたじろいでいた大悟も、こうした経験の積み重ねにより、自分の仕事に誇りを持つようになる。納棺師という仕事に対する周りの反応は、大悟自身の中にあった仕事への迷いと正比例しているようにも思えた。一時は納棺師という仕事に反発し、理解を示さなかった妻の美香や古くからの友人も、大悟の納棺師としての仕事の現場を目の当たりにしてからは、その「神聖なる儀式」に大きく心を動かされることになる。

 印象に残ったのは、大悟が美香に泣きつくシーンだった。そこには男性の弱さと、男性が女性に求める母性が表現されていた。妻の役割は、夫をしっかりと受け止めること。そんなふうにも感じ取れた。

 この映画は、とても深刻な内容を扱ってはいるのだが、一見、コメディのようにも見える。ほぼ満員の映画館で、大きな声をあげて笑うのは気持ちがいいものだ。そうかと思いきや、ラストは思い切り号泣した。とにかく思い切り笑って、思い切り泣いた。雨の日にさえ、多くの人たちがこの映画を鑑賞するために映画館に足を運ぼうとする気持ちも良くわかる。納棺師という仕事を誇り高きものとして位置付けて行くためのストーリーの組み立て方や、納棺師に関わる人たちとの絡ませ方も実に良かった。描写の細かなミニシアター系の映画を好んで鑑賞していると、がっかりしたくなくて、描写の大雑把な全国一斉ロードショーの映画からは遠ざかる傾向にある。しかし、例え全国一斉ロードショーの映画であったとしても、このような映画が上映されるならば、見逃さずに鑑賞したいものである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 相手を拒絶することは自己愛なんですね。この映画を鑑賞して、ふとそんなことを思いました。拒絶した相手を自分から切り離してしまえば、ひとまず楽にはなるけれど、心からすっきりはしないのでしょう。それと、拒絶した相手を理解するためのチャンスが与えられることのありがたさも実感しました。わざわざ自分の命を投げ出してまで、納棺師の仕事を理解させたと思えるような尊い人の死の描写もあり、人の死が重要な役割を持っていることを改めて認識しました。

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2008.10.07

秋のベランダ

ホットヨガ(一二二回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 一.五リットル入りのペットボトルの存在に、これまで気付かなかったというのは、大変お恥ずかしい限りです。でも、ちょっぴり欲を言えば、繰り返し使いたいので、ゴシゴシ洗える容器が欲しいのですね。ペットボトルですと、入口が狭いので、なかなか洗い難いのです。しばらくこのペットボトルを使いながら、もう少し模索してみますね。

 鳩の話を書くのは、ずいぶん久しぶりのことである。父ちゃんに三度目のロマンスが訪れて、その後どうなっているのか、気に掛けてくださっている方もいらっしゃるかもしれない。

 現在、我が家のベランダには父ちゃんと三番目の母ちゃん夫婦、そしてキッコロとTKMY夫婦、それから父ちゃんと二番目の母ちゃんの間に生まれた子供の合計五羽が生息している。相変わらず縄張り争いは続いていて、父ちゃんとキッコロ、三番目の母ちゃんとTKMYが、にぎやかに噛み付き合いを繰り広げている。

 三度目のロマンスの記事には、三番目の母ちゃんが卵を温めていることを書いたが、実はこの夏、あまりにも暑かったせいだろうか。三番目の母ちゃんが温めていた卵はとうとう孵らなかった。それも、一回や二回ではない。少なくとも三回はチャレンジしているはずなのだが、卵はなかなか孵らなかった。ベランダといえどもコンクリートなので、夏の暑い時期は照り返しが強く、卵を温めるのには向かなかったのかもしれない。また、父ちゃんと三番目の母ちゃんの愛の巣が、雨や風などの悪天候の影響を受けやすい場所に作られていたことも要因の一つだろう。この夏は、三番目の母ちゃんだけでなく、TKMYも卵を産んだが、やはり孵らなかった。

 長い間抱いて、とうとう孵らなかった卵は、そのままベランダに放置される。親鳩はそれ以上、卵を温め続けることを放棄してしまうのだ。私たちとしては、卵をそのままベランダに放置されてしまっては困るので、親鳩が放置した卵は処分させてもらっている。それでも彼らのチャレンジ精神は旺盛で、現在、三番目の母ちゃんは、年老いた父ちゃんと結ばれてから何度目かの卵を温めているところだ。

 ところで、ずっとご紹介する機会を失っていたのだが、キッコロの突付きとTKMYの鳩パンチの映像をご紹介しておきたい。ベランダに続く寝室の窓を開けると、キッコロが餌を求めて怒鳴り込んで来て私たちの手をしきりに突付く。餌を求めているはずなのに、私たちに媚びることもなく、どこまでも態度の大きい鳩である。キッコロの妻であるTKMYも、容赦なく私たちに鳩パンチを食らわす。それらの瞬間を捉えた映像をどうぞお楽しみあれ。ちなみに、灰色の鳩がキッコロで、フェンシングのように華麗な鳩パンチを食らわしているのがTKMYである。バックにチラチラと見えているのは、排水溝付近に作られていたTKMYとキッコロの愛の巣である。


鳩パンチ posted by (C)まるみ
※なお、動画を再生するためには、最新のFlashが必要です。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 鳩にとっても、この夏の暑さはずいぶん堪えたようであります。巣はベランダのコンクリートの上に作られていますので、コンクリートが熱くなり過ぎると、せっかくの卵も孵らなくなってしまうのでしょうね。しかし、あれほど暑かった夏も過ぎ去り、急に秋らしくなって来たので、彼らも戸惑っている様子であります。三番目の母ちゃんはまた卵を産みましたが、涼しくなった今、いよいよ孵るのでしょうか。

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2008.10.06

ホットヨガ(一二二回目)

映画『言えない秘密』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 撮影に使われた音楽学校は、ジェイ・チョウの母校なのだそうです。ジェイ・チョウが監督・脚本・音楽も手掛け、自分の母校である音楽学校を舞台にしたことからも、それだけ思い入れの深い作品に仕上がっているのかもしれませんね。

 梅田でTOEIC IPテストを受けたあとは、お昼ご飯を食べて少しばかりふらふらと歩き回ったあと、梅田店で九十分のベーシックコースのレッスンを受けた。レッスンを担当してくださったのは、比較的若いインストラクターだった。インストラクターは、ポーズを取りながら発声するため、お腹の底から声を出しているように思えた。

 梅田店の細長いスタジオに集まったのは、私を入れて十七人の参加者だった。そのうち二名は男性会員である。梅田店は男性会員を受け入れてはいるものの、レッスンのときに語られるそれぞれのポーズの効果については、どちらかと言えば女性寄りである。例えば、バストアップに効果があると言われている鳩のポーズは、女性ホルモンのバランスを整える効果があるとも言われている。また、合蹠(がっせき)のポーズは、生理不順を解消する効果があると言われている。これらの女性寄りのポーズを男性会員たちはどのように受け止めているのだろうか。反対に、男性特有の問題に効果的なポーズがあるとしたら、私たち女性はどのように受け止めたら良いのだろうか。

 また、レッスンの終盤に行われる肩立ちのポーズは、血液を逆流させるポーズなので、女性会員ばかりの神戸店のレッスンでは、「生理中の人はお控えください」とインストラクターが注意を促している。しかし、梅田店ではそのような注意は促されない。おそらくそれは、そうした注意を促すことで、このポーズを取らない女性がいたならば、その人が生理中であることが男性会員にわかってしまうからなのかもしれない。梅田店では、男性会員を受け入れたら受け入れたなりの配慮がなされているようである。

 そう言えば、レッスンのときにちょっとした発見があった。それは、一.五リットル入りのペットボトルが世の中に出回っているという事実だった。インストラクターがレッスンに持ち込んだペットボトルに、一.五リットルの表記があったのだ。私はてっきり、大きなペットボトルは二.〇リットル入りが主流だと思い込んでいたのだが、どうやら一.五リットル入りのペットボトルも世の中に出回っているようである。レッスンのあと、スーパーの水売り場でVITTELの一.五リットル入りのペットボトルを探し当てて購入したのは言うまでもない。

 レッスンを終えて、結婚指輪を失くしたことを頭に思い浮かべながら、シャワーを浴びた。仮に、神戸店のスタジオでシャワーを浴びたときに結婚指輪を失くしてしまったとしよう。しかし、私の手から滑り落ちた結婚指輪が、ゴルフのホールインワンのように、いきなり排水溝に落ちてしまうようなことでもなければ、ホットヨガのシャワールームで結婚指輪を失くすことは有り得ないことだと実感した。というのも、シャワーを使ったあとは、次の人のためにシャワールームを洗い流すことになっているので、仮に結婚指輪を落としてしまったのだとすると、その時点で気付くはずだと思ったからだ。排水溝にホールインワンしないまでも、それなりに重さのある結婚指輪が、排水溝にたどり着くまでに気付かないということは、ほぼ有り得ないと思ったのである。となると、私の失くした結婚指輪は、やはり自宅のどこかに埋もれているのかもしれない。神戸店のシャワールームで失くしたのではないという一つの確証を得て、私は元気良く梅田店のスタジオをあとにした。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回のレッスンで、男性会員が少ない理由も何となくわかって来ました。ホットヨガのレッスンが女性寄りだとすれば、男性にとってはなおさら、ホットヨガでなくてもいいのではないでしょうか。汗をたっぷりかきたいという目的があるならば別ですが、ヨガを学びたい男性たちは、ホットではないヨガのレッスンを受けていらっしゃるのでしょうね。私の場合は、汗をたっぷりかいて、新陳代謝を促したい気持ちがあるので、ホットヨガを選択して正解だったと思っています。ただ、真夏でもファンヒーターを使って室温を三十八度に保つので、地球環境には優しくないかもしれません。その分、エコバックやMy箸を持ち歩いて、地球環境を守ることに貢献して行くしかないですね。(苦笑)

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2008.10.05

映画『言えない秘密』

狼少女の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m これまではIPテストだったので、受験票には写真は不要でしたが、公開テストとなると、写真が必要になります。ガンモの話によれば、受験時には受験票に貼り付けた写真と比較するための身分証が必要だとか。替え玉受験されないように、ずいぶんチェックが厳しいのですね。私は運転免許を持っていないので、パスーポートを持参することになりそうです。(笑)

 実はこの映画は、公開前にポスターを目にしたときから気になっていた。ホットヨガ神戸店のすぐ隣にある映画館でも上映されていたのだが、悲しいことに、この映画館は今年の十二月に閉館されてしまうことになり、割引特典の高いシネマポイントカードも去年からそのサービスが打ち切りになってしまっていた。そこで、できるだけ千円で鑑賞できる日を選んで鑑賞しようとしたのだが、平日はなかなか身動きが取れず、気をもんでいた。

 折しも、私の手元には、大阪のチケットショップで購入したミニシアター系映画館の鑑賞券が一枚だけ残っていた。おまけに、使用期限ギリギリの大阪までのJR回数券も揃っていた。となると、大阪へ向かうしかない。そう思った私は、映画『蛇にピアス』を公開初日に三宮で鑑賞したあと、わざわざ大阪まで移動して、ホットヨガ梅田店に近いテアトル梅田でこの映画を鑑賞することにしたのである。

 この映画は、ポスターも早くから掲示されていたりと、ミニシアター系の映画館で上映される作品にしては比較的積極的な宣伝が行われていたので、実はあまり期待はしていなかった。しかし、予想に反して泣けた。とりわけラストでは、むせぶように泣いた。

 果たしてどんな映画かと言うと、台湾で製作された恋愛映画であり、主演のジェイ・チョウが監督・脚本・音楽も同時に手掛けている。ジェイ・チョウと言えば、二年半前に公開された映画『SPIRIT』のエンディング曲を担当していたのに、日本で映画『SPIRIT』が公開されたときには彼のオリジナル曲が採用されずに、別のアーチストの曲がエンディングに採用されて物議をかもしだしていたことを思い出す。当時、ジェイ・チョウの熱心なファンの方たちが、日本では彼のオリジナル曲が流れないので、映画配給会社に対し、激しい怒りをぶつけていた。あのとき怒っていたジェイ・チョウのファンの方たちも、この映画を鑑賞するために映画館に足を運んだのだろうか。

 さて、この映画を観ると、運命の恋がどのように始まり、どのように展開して行くかを客観的に観察することができる。運命の恋の場合は、どちらかが一方的な想いを抱えて告白してから成立するといった、ぎこちない始まり方はしない。運命の恋は、出逢った瞬間から双方がバランスを保ちながら、二人同時に始まるのだ。

 また、二人が運命の恋の渦の中にいるときは、そのどちらかに好意を抱いた第三者が容易に近づくことはできない。何故なら、二人の集中力の高まりが密度の高い領域を作り出すため、密度の粗い第三者を寄せ付けないからだ。運命の恋を成り立たせているのは、個と個が織り成す密度の濃さの相性かもしれないとさえ思う。そして、恋に対してこれほどまでに一生懸命になれるのは、「この人しかいない」と感じられるからだ。その特別感が運命の二人を突き動かす。

 そんな運命の出会いを果たしたのは、ジェイ・チョウ演じる転校生のシャンルンと、グイ・ルンメイ演じる喘息持ちのシャオユーである。二人は共に音楽学校に通い、ピアノを習うという共通の志がある。同じ志を持っていることからしても、二人の出会いが運命的であることは決定的である。運命の出会いとは、自分が本当に好きなものに向き合っているときに訪れるものだ。二人がピアノを連弾するシーンがあるのだが、四本の手がまるで一人の人間の手のように見える。

 実は、先日も書いたが、シャオユーを演じていたグイ・ルンメイがホットヨガのスタッフに良く似ていたので、私は彼女が登場してからずっと、彼女に釘付けになっていた。そう、『言えない秘密』を抱えているのは彼女のほうである。果たして、喘息を患っている彼女にどんな秘密があるのだろうか。これ以上、多くを語らないほうがいいのだろう。何しろ、『言えない秘密』なのだから。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 映画館に掲げられていたポスターには、リピーター割引の案内がありました。リピーター割引とは、「二回目以降にこの映画を鑑賞される方は、割引しますので映画の半券をお持ちください」といった割引です。確かにこの映画は、二回、三回と鑑賞したくなる作品かもしれません。それにしても、この作品で監督・脚本・音楽・主演を同時に手掛けたジェイ・チョウは、多才な人なんですね。ピアノを弾くシーンにも目を見張るものがあり、彼の才能に惹かれる人がたくさんいてもおかしくはないと思いました。

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2008.10.04

狼少女

家出した結婚指輪の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 記事に書けば、何か変化が訪れるかもしれないともちょっぴり期待していましたが、結婚指輪はまだ出て来ません。一体どこに雲隠れしてしまったのでしょうか。他の人にとってはまったく価値のないものなので、家出してもあまりいいことはないと思うのですが・・・・・・。(苦笑)

 今日は、大阪・梅田まで出掛け、派遣会社が主催するTOEICのIPテストを受けた。こうして梅田の貸会議室でTOEIC IPテストを受けるのも、今回で四回目となるため、もはや慣れたものである。十月といえども暑い一日になりそうだと思ったので、私は半袖Tシャツを二枚着込んで出掛けた。しかし、道を歩いている人たちの九十パーセント以上は長袖を着ていた。長袖を着ている人たちの多くは、おそらくまだ暑いと心の中では思っているものの、既に夏物を押し入れの奥に仕舞い込んでしまって、わざわざ取り出すのが面倒臭いのだろう。私は人工的な寒さには弱いが、自然の寒さには強いのだ。それに、最高気温二十四度というと、夏休みに出掛けたパリの夏の最高気温とほぼ同じくらいだ。

 TOEIC IPテストの試験会場は、いつもクーラーが良く効いているので、半袖Tシャツで出掛けて来てしまった私は、リュックの中から冷房対策用の薄手のジャンパーを取り出して着込んだ。また、冷房の冷たい風が頭に降り注いで来ないように、頭には帽子をかぶり、膝の上にはショールを掛けた。これで準備完了である。私を知る人たちの多くは、私がいつも大きなリュックを背負っていることを不思議に思っているようだが、このように私のリュックには、自分の環境を快適にするためのグッズがたくさん詰まっているのである。

 それはさておき、前回のIPテストでは、リーディングの問題に取り組むときに、後半の文章問題から解き始めて成功を収めたので、今回もその方法を採用することにした。すると、時間の都合で諦めた問題の数がこれまでよりもぐっと減ったのである。TOEIC IPテストを受け始めてから、初めての確かな手ごたえを感じることができた。毎回、同じようなことを書いているように思われるかもしれないが、今度こそかなりいいところまで行ったと過信、いや、確信している。

 ただ、文章問題を解くには、かなりの集中力が必要だということを改めて実感させられた。お腹に大きな筋腫を抱えていると、感情的なエネルギーが衰えて来るという話を以前も書いたが、同時に集中力も乏しくなっている。私は文章問題に取り組みながら、何度も何度も同じ文章の同じところを繰り返し読んでいることに気がついた。頭の中で、たった今読んだばかりの文章がどんどん素通りしてしまうのである。集中力の欠如により、ロスしてしまった時間を取り戻すことができれば、今回感じた手ごたえも、もっともっと確かなものになったことだろう。

 そう言えば、ガンモの提案により、今回のTOEIC IPテストの結果によって、公開テストに踏み切るかどうかを判断することにしていたはずだ。しかし私は、今回のTOEIC IPテストに手ごたえを感じたので、そろそろ公開テストに踏み切ってもいいと判断し、ガンモがいつも手続きを行っているように、インターネットから次回の公開テストを申し込んだ。派遣会社の主催するTOEIC IPテストは、一回四千五百円で受けられるが、公開テストは六千六百十五円である。これまで馴れ親しんで来たTOEIC IPテストよりも二千円以上も高いとなると、気を引き締めて取り組まなければならない。ガンモも次回の公開テストを申し込むようだが、新婚当時に受けたときのように、ガンモと同じ会場で受験できるかどうかはわからない。

 今度こそ実感できた確かな手ごたえ。実は、TOEIC IPテストを終えたあと、すぐにでもガンモにこの確かな手ごたえの喜びを伝えたかったのだが、ガンモは二日間連続で夜勤の仕事が入っていたため、自宅で昼夜逆転の睡眠中だったので、連絡は控えることにした。私は、いつものように梅田店でホットヨガのレッスンを受けたあと、ガンモが目を覚まして、夜勤に出掛ける準備を整える頃に帰宅した。帰宅してからガンモに、
「今度こそ○○点クリアしたよ」
と言ってみたが、私が大きなことを言うのはいつものことなので、取り合ってくれなかった。狼少年ならぬ、狼少女だと思われているのかもしれない。えっ? 少女のはずがないだろうって? もう、記事のタイトルにしてしまったので、今さら変えたくない・・・・・・。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 毎度のことではありますが、「今度こそ!」という手ごたえを感じています。(笑)まだ結果は出ていませんが、TOEICの試験には問題の解き方があるのだということを改めて思い知らされました。これまでは、まるで拷問のように時間が足りなかったのです。終了時間が近づくと、残された数分で、マークシートの特定の記号だけを塗り潰しておいて、あとは超能力に頼ることが多かったのですね。しかし今回は、ほとんど超能力を使いませんでした。そのため、試験を終えたときの充実感が、これまでとは違っていました。またまたこんな大きなことを書いてはいますが、およそ二週間後に結果が出ますので、どうぞお楽しみに。(笑)

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2008.10.03

家出した結婚指輪

映画『蛇にピアス』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ここだけの話ですが、原作を読んでいなかった私は、映画『蛇にピアス』というタイトルから勝手に想像して、主人公が飼っている蛇にピアスを開けるのかと思っていました。(笑)しかし、そうではなく、「蛇とピアス」の意味合いだったのですね。

 今週の始めのことである。ふと左手を見ると、小指に着けていた結婚指輪がなくなってしまっていた。ええっ? 私は驚き、そして青ざめ、慌てて自分の身の周りを探し回ってみたのだが、一体いつ失くしてしまったのかもわからない状態だったので、都合良く見付かろうはずがなかった。私はガンモに、
「結婚指輪失くしちゃったよ」
と力なく言った。ガンモは、
「禁止!」
と言ったあと、
「普通は男が失くすもんだから」
と続けた。

 私たちの結婚指輪は、二人ともサイズが合わなくなってしまったので、ガンモの分も私が引き取り、左手の小指に私の結婚指輪を、左手の中指にガンモの結婚指輪を着けていた。しかし、私の結婚指輪が小指からすべり落ちて、どこかに転がって行ってしまったらしい。以前、職場近くのラジウム温泉に入っているときに、打たせ湯に打たれて結婚指輪を流してしまったことがあった。そのときは、流してしまったことにすぐに気が付いたので、血眼になって捜し求めたところ、お湯の中から何とか救出することができた。しかし今回は、小指からすべり落ちた実感がなかった。見ると、かつて私の結婚指輪が納まっていたはずの左手の小指には、たった今外れたかのように、指輪の痕がくっきり残っていた。おそらく、ここニ、三日の間に外れてしまったに違いない。

 私はまず、自宅の浴室を探してみた。これまでの経験からも、結婚指輪が最も外れ易いのは、お風呂に入っているときだと思ったからだ。しかし、結婚指輪は発見できなかった。ガンモは、
「ホットヨガでシャワーを浴びたときに外れたんじゃないの?」
と言った。しかし、仮にそうだとしたら、この次にレッスンに出掛けたときに尋ねてみるしかないだろう。電話で問い合わせてもいいのかもしれないが、仕事以外のことでスタッフの気をもませてしまうのは申し訳ない。

 ガンモは、
「いつも俺の失態ばっかり『ガンまる日記』に書いてるから、今度はまるみの失態も『ガンまる日記』に書くんだろうね?」
と意地悪っぽく言った。私は、
「わかったよ。書くよ」
とガンモに誓った。そして、実際に記事を書くまでに結婚指輪が見付かってくれればいいのにと思いながら、ドラマチックな展開を期待していたのだが、あいにく私の結婚指輪はまだ見付かっていない。

 時として、執着やこだわりを解放するために、いろいろなことが起こる場合がある。果たして結婚指輪とは何だろう? 結婚指輪を愛の証だと仮定すると、夫婦の愛は物質的なものに限定されることになり、結婚指輪を失くしてしまったら、同時に愛の証も失ってしまうことになる。そんな馬鹿な話はない。結婚指輪を失くしてしまった今、結婚指輪はむしろ、愛の証というよりも、第三者に対して既婚者であることを宣言するためのツールであるように思えて来た。現に私たちは、お互いに結婚指輪のサイズが合わなくなり、左手の薬指が寂しくなったために、今ではそれぞれダミーのファッションリングを左手の薬指に着けている。結婚指輪が愛の証だとすると、二人ともダミーの愛の証を着けていることになってしまう。

 結婚指輪を失くしてしまったのは、お互いにサイズが合わなくなってしまったのだから、そろそろ結婚指輪を買い換える時期がやって来たということなのだろうか。それとも、物質的なものにこだわらない新たな一歩を踏み出すために結婚指輪が家出してしまったのだろうか。失くしてしまった結婚指輪のことを思いながら、あれやこれやと想像を巡らせている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 結婚指輪を失っているときは、「物質的なものは愛の証ではない」などと書いていますが、もしもこの先、結婚指輪が見付かったならば、「やはり私たちの愛は強かった!」などと書くんでしょうね。(笑)やはり思い入れの強い指輪ですから、本心では、意外なところからひょっこり出て来てくれないかなと、密かに期待しています。(笑)

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2008.10.02

映画『蛇にピアス』

決断のとき(3)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 十二月の手術は見送りになりましたが、今後、いつまた手術の話が浮上して来るかわかりません。(苦笑)これ以上、悪化させないように模索しながら、健康的な生活を送りたいものです。怠けて、時間を無駄にしてしまってはいけませんね。

 金原ひとみさんの同名の小説が芥川賞を受賞したとき、世間が沸いていたことを思い出す。若干二十歳の女性が芥川賞に輝いたのだから無理もない。もちろん、若干十九歳で同時受賞された綿矢りささんの『蹴りたい背中』も、同じように話題に昇っていた。しかし私は、どちらの作品も読まなかった。単なるイメージに過ぎないが、どちらも淡々とした小説であるように思えていたからだ。私が好んで読みたいと思うのは、燃え上がるような感情を持った主人公の物語である。しかし、最近の文学には、燃え上がるような感情を持った主人公がなかなか登場しない。ひと昔前に読みふけっていた桜井亜美さんの小説もまた、どこか冷めたところのある主人公ばかり登場する作品だった。最近は、熱血人間よりも、どこか空虚を感じているような主人公が流行りなのだろうか。

 それはさておき、私がこの映画を鑑賞したのは、確か公開初日だったと記憶している。映画館には、この映画の公開を心待ちにしていた人たちがたくさん詰め掛けていた。しかしどういうわけか、上映が開始されると、鑑賞している人たちがこの映画に集中していないのがわかった。中には途中で席を立ち、鑑賞をやめて外に出て行く人も何人か居たくらいだ。その後、席に戻って来なかったのだから、トイレに立ったのではないことは確かである。何故だろう。私はそれなりにこの映画の世界に入り込むことができたので、この映画に集中できなかった人たちがどんな感想を抱いたのか、知りたかった。

 鑑賞を終えて、インターネットの映画紹介サイトを参照してみると、この映画を堪能できた人とそうでない人で意見が真っ二つに分かれていた。いわゆる酷評を書いている人たちは、どうやらこの映画で描写されている世界があまりにも自分のいる世界とかけ離れ過ぎていることを受け入れられなかったようだ。かつての私も、映画に対してそのような姿勢で臨んでいた。つまり、映画を映画としてとらえずに、現実の世界の延長線上に置いて鑑賞してしまうために、映画で描かれた特殊な世界に入り込むことができなかったのである。言い換えるとそれは、映画に対して自分なりの期待を持って鑑賞することに似ていた。期待を持って映画を鑑賞すると、その映画が期待通りでなかったときにがっかりしてしまうのだ。そのことがわかってからは、映画に対してできるだけ期待を抱かずに、受身の姿勢で鑑賞するように心掛けている。そのおかげで、それぞれの映画に沿った鑑賞が可能になった。つまり、あまりにも自分の理想とする世界とかけ離れた作品であったとしても、映画は映画として楽しめるようになって来たのである。

 この映画は、見方によってはとても過激な内容である。付き合い始めた恋人のアマに感化され、蛇のように割れ目の入った舌(スプリットタン)を目指す主人公ルイ。スプリットタンは、舌にピアスをあけて、少しずつその穴を広げて行くことで、ようやく完成する。ルイが鏡を見ながら、舌に装着するピアスを少しずつ拡張して行くシーンがやけに生々しい。また、スプリットタンを目指す以外にも、SMの濡れ場シーンも繰り返し登場する。席を立った人たちの多くは、こうした濡れ場シーンの連続に目をそむけるしかなかったのかもしれない。

 実は、ルイは様々な痛みを通して、自分自身を感じ取ろうとしているのだ。スプリットタンを完成させようとすることも、刺青を入れることも、SMプレイも、ルイにとってはすべて自分探しの手段の一つなのだろう。私がこの映画をそれなりに楽しめた要因は、ルイの気持ちが少しだけわかったからかもしれない。私は筋腫を患ってからというもの、感情レベルがひどく落ち込んだ。かつての私は、いつも溢れんばかりの感情を持て余していた。ふとしたことがきっかけで、とにかく泣けて泣けて仕方がなかったのだ。しかし、お腹に余分なものを抱えていると、感情の反応が鈍くなる。私が映画をしきりに鑑賞するようになったのは、映画によって自分の溢れんばかりの感情を引き出して欲しいと思ったからだ。方法は違っても、何とかして自分自身を引き出したい気持ちはルイと一緒なのかもしれない。

 確かに過激な映画ではあるのだが、あることをきっかけにして、ルイは肉体の痛み以外の要因で、自分の心の痛みを感じることができるようになる。それは、取り返しのつかない方法ではあるのだが・・・・・・。普段、当たり前のように存在しているものは、失くしてしまってからでないとその大切さに気付かないものだ。そうした警告を、この映画は与えてもいる。何故、それが成り立っているのか。成り立たせているものが背景にあるからなのだが、たいていの場合は、成り立たせているものが何であるかに気付かないまま通り過ぎてしまっているものである。

 東京に住んでいた頃、下北沢の住人だった私は、自転車に乗ってしばしば渋谷まで遊びに出掛けていたものだった。私にとっては、比較的身近な存在だった渋谷が、この作品を通して、これまで私のまったく知らなかった世界を見せてくれた。本当にこの作品の原作を、若干二十歳の女性が書き上げたのかと思うと、改めて驚きを隠し切れないでいる。決して感動して涙するような作品ではない。観る側にとっては、痛い映画と言えるのかもしれない。しかし、これまで私のまったく知らなかった世界をとことん見せてくれたという点においては、得たものが大きい作品であると言える。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 思わず目を覆いたくなるようなシーンの多い映画ではありました。まさしく別世界を体験させてくれる映画でしたね。私は、いったん手で目を覆いながらも、積極的に別世界を思う存分体験しようと、手と手の間からスクリーンに視線を戻していました。(笑)

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2008.10.01

決断のとき(3)

決断のとき(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。閉経してからも乳がんにかかる人が多いのは、脂肪細胞からもエストロゲンが作られているからなのでしょうね。となると、いくら脂肪細胞から作られるエストロゲンが少ないといえども侮れません。脂肪細胞を少なくすることを心掛けたほうが、あらゆる意味で身体に良い結果をもたらしてくれそうです。(苦笑)

 I医師との話はもう少し続く。

 私は、母が子宮全摘手術を受けたときに、筋腫が卵巣に癒着していたため、卵巣まで切除することになってしまったことをI医師に話し、手術を先延ばしにすると、そのようなことが起こり得るのかと尋ねてみた。すると、I医師は驚くべきことを語り始めた。
「おそらくそれは、手術を担当した医師の都合でしょう。手術のときに、卵巣に筋腫が癒着していることがわかったとしても、卵巣と筋腫を丁寧に切り離すことは可能です。また、ほとんどの場合、卵巣を二つとも取ってしまわなければならないようなケースはありません。卵巣は、一つだけ残しておけば、九十六パーセントくらいは二つ揃っているときと同じ能力を発揮します。それに、臓器を一つ取ると、病院のポイントになるんです。二十年くらい前までは、手術のときに卵巣まで取ってしまうような手術が多く行われていました。今でもこのような手術が行われている病院はあります」

 私は驚きのあまり、しばらく声が出なかった。卵巣は女性ホルモンを形成するところであり、二つの卵巣がまったく同じ働きを持っている。子宮全摘手術を受けたとき、筋腫が卵巣に癒着しているという理由で卵巣までも一緒に切除されてしまった母は、手術のあとにホルモンバランスを崩し、とても苦しんでいた。I医師がおっしゃるように、卵巣を一つでも残しておけば、もう一つの卵巣がこれまでとほぼ同じ働きをしてくれたはずだ。しかし、術後の母の調子の悪さからすれば、母は卵巣を二つとも取り除かれてしまったものと推測される。それが、医師の都合による判断だったとは・・・・・・。そんなこと、母には決して言えない。

 I医師からそのことを聞いた私は、頭の中でいろいろなことを思い巡らせた。そう言えば、プロゲステロンクリームと出会ったときに熟読したリー博士の著書(医者も知らないホルモン・バランス―自然なプロゲステロンが女性の一生の健康を守る!続・医者も知らないホルモン・バランス―自然なプロゲステロンが女性の健康を守る!)にも、同じようなことが書かれていた。筋腫だけを取る筋腫核手術よりも、子宮を丸ごと取ってしまう子宮全摘手術のほうが医師の手間が掛からないので、子宮を全摘する必要のない人に対しても、子宮全摘手術を勧めることが多いという。私も最初にお世話になった地元の病院では、エコーの検査で最大五センチを筆頭に三センチ前後の筋腫が四個という状況で、子宮全摘手術を勧められた。以前もご紹介したが、リー博士の著書から抜粋させていただくことにしよう。

 子宮から筋腫だけを除去することは、技術的に高度なレベルと、忍耐、専門知識を必要とするが、これらはほとんどの産婦人科医が持っていないものである。それに長い期間と金がかかるので、保険会社はその支払いをしたくない。ごく最近まで、ほんのわずかの産婦人科医しか、その手術をすることができなかったし、その費用をカバーする保険会社もなかった。手術ができない産婦人科医は、ほかの医者に患者を回さなければならない。それをしたくなければ、医者はあなたの子宮を除去することもできる。それはまったく簡単で、手っ取り早い作業である(医者にとってであり、あなたにとってではない)。

 私はすっかり気が滅入ってしまった。私たちも仕事をするとき、単にそれが面倒臭いという理由だけで、こちらの都合を顧客に押し付けることがある。それと同じことが筋腫の手術においても行われているということだ。ただ、このようなことを同じ医師としてI医師が包み隠さず話してくださったので、I医師の手術ではこのようなことは行われていないという安心感を覚えた。

 その後、これからどうするかという話になった。I医師は、
「乳製品をやめて生理の出血が少なくなったのなら、しばらくそれで様子を見てみますか。まあ、私はあまり信じてないけどね」
と言ってくださったのだ。私は、
「ありがとうございます! 今回も生き延びることができました」
と喜びの声をあげた。

 参考までに、I医師に手術の必要性について尋ねてみると、手術が必要かどうかは、筋腫の大きさで判断しているわけではないとおっしゃった。I医師が患者に対し、手術が必要だと判断されるのは、骨盤全体を筋腫が覆い、更に筋腫がおへその上まで来たときだという。私の場合は既におへその上まで筋腫が来てはいるが、まだ骨盤全体を筋腫が覆っているわけではないので、もう少し経過観察できる状態だという。ただ、筋腫が骨盤全体を覆って来ると、以前も説明を受けたように、血栓ができやすくなるので、I医師は手術を勧めているという。I医師は、
「まだ少し時間があるので、手術について、じっくり考えてください」
と言ってくださった。

 こうして私はいつものようにI医師に二ヶ月分の桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)を処方していただいた。I医師に、
「出血量が減ったなら、鉄剤はもういいね」
と言われたので、
「はい、不要です」
と元気良く答えた。

 手術を覚悟して診察に臨んだのに、何とも意外な展開だった。思い起こせば、カングーが我が家にやって来た金曜日、ガンモと出掛けた飲食店でちょっとした占いをしたのだ。その占いとは、身近なものが○○だったら手術を受けることになる、という程度のものである。私はガンモの前でその占いを二回ほど実践したのだが、二回とも手術を受けないという結果が出た。手術を受ける決意を固めているのに、手術を受けないというのはどういうことなのだろうと不思議に思っていたのだ。

 I医師と、具体的な手術の話に発展しなかったのは、患者の細かい状況について、カルテに記載されていなかったからかもしれない。つまり、十二月に手術を受けるかどうかを九月の診察のときまでに決断して回答するという約束が、私のカルテには書き込まれていなかったのだろう。そのため、今回も何とか生き延びたわけであるが、それも私の筋腫が骨盤を覆い尽くすまでの猶予となりそうだ。

 私は、I医師からいろいろなことを吸収することができて、とても有意義な時間を過ごすことができたと思っている。こんな有意義な時間が閉経までずっと続けばいいのになどと、都合のいいことを考えながら、病院をあとにした。

 病院を出たあと、ガンモと母にそれぞれ電話を掛けて、手術は先延ばしになったことを伝えた。二人とも緊張が解けたような反応をしていた。母が子宮全摘手術を受けたときに卵巣まで取る必要はなかったかもしれない件については、母にはとても言えず、そのまま電話を切った。

 私は軽い足取りで神戸駅まで歩き、途中の古本屋さんで漫画をたらふく買い込んで帰宅した。それは、手術が先延ばしになった自分へのご褒美のつもりだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 三回に渡る長い記事を読んでくださってありがとうございます。このような展開でありました。I医師から聞いた話は、皆さんにとっても衝撃的だったと思います。私も強い衝撃を受けました。ほとんどの場合、診察は婦人科の医師が行い、筋腫の手術は外科医が行うのですよね。I医師は、診察と執刀医も兼ねているので、手術の事情にもお詳しいのだと思います。手っ取り早いという理由で卵巣まで取ってしまう話、筋腫核手術を行うべきなのに、子宮全摘手術を勧めてしまう話。どちらも、婦人科の医師や執刀医が男性だから、簡単にこのような結論が導き出されてしまうのでしょうか。ふと、そんなことを考えてしまいました。

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