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2008.09.04

映画『闇の子供たち』

ホットヨガ(一一五回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ホットヨガの会員になってから、既に二年が経過しました。それでもまだ、一度もレッスンを担当してくださっていないインストラクターがいらっしゃいます。インストラクターに尋ねると、どのレッスンを担当するかはバラバラに決められるとのことです。縁とは実に不思議なものであります。

 映画『あの日の指輪を待つきみへ』を鑑賞するためにわざわざ大阪・梅田まで出掛けて行ったわけだが、私が一本の映画を鑑賞しただけで満足するわけがない。実は、気になる映画がもう一つあったのだ。それが、今回レビューを書かせていただく映画『闇の子供たちへ』である。

 この映画が公開されることは、他の映画を鑑賞したときに上映されていた予告編で知った。そして、たまたまテアトル梅田でもこの映画が上映されていることがわかったので、引き続きテアトル梅田で鑑賞することにしたのである。上映時間も、映画『あの日の指輪を待つきみへ』を鑑賞したあと、お昼ご飯を食べてちょうどいい時間だった。

 ところが、この映画もまた、映画『あの日の指輪を待つきみへ』と同様、一日一回の上映のみだった。混雑が予想されるため、私は受付で早めにチケットを発券していただいた。そして、お昼ご飯を食べてから、再びテアトル梅田に戻ってみると、とんでもないことになっていた。この映画が上映されるのは、さきほど映画『あの日の指輪を待つきみへ』を鑑賞したときよりも大きなシアターだというのに、立ち見客を受け付けていたのである。コンサートの立ち見ならすんなり理解できるが、映画の立ち見というのは珍しい。立ち見客を受け入れていたものだから、テアトル梅田の狭いロビーは、上映待ちの観客でごった返していた。これほどまでに人々の興味を惹きつけている映画なのに、一日一回だけの上映とはどういうことだろう。

 さて、いよいよ入場開始となり、比較的早めにチケットを発券していただいた私は座席にありつくことができた。指定席券を持っている人たちがほぼ入場し終えると、立ち見客の入場が開始された。立ち見客だけでも軽く数十人は下らないのではないだろうか。シアター内を見渡してみると、立ち見客のほとんどは、シアター内の段差のある階段に腰を下ろし、体育座りをしていた。しかも、この映画の上映時間は二時間を越えているのだ。よりにもよって、長編の映画を体育座りで鑑賞することになってしまった立ち見客はとてもお気の毒である。しかし、そんな立ち見客からは、何が何でも鑑賞したいという熱意が伝わって来る。映画『あの日の指輪を待つきみへ』の本編が上映されているのに、受付の方に無理を言ってチケットを発券してもらった私も、情熱を持った立ち見客の仲間に加えさせていただくとしよう。

 この映画には、タイの子供たちの売春・人身売買という衝撃的な事実が盛り込まれている。そのような売買を行っている業者に対し、お金のために、親が子供を引き渡すのだ。売春宿に送り込まれ、売春をさせられる子供たちは、男女問わない。まさしく目を覆いたくなるような真実である。そして、そうした子供たちを主に「買っている」のは、日本人をも含む外国人である。子供たちにエイズが感染すると、使い物にならなくなったとして、ポリ袋に入れられ、ゴミとして出される。また、人身売買は、難しい手術を受ける子供たちに対し、生きたまま臓器を提供するというものだ。これらが本当にタイで起こっている真実なのかと目を疑ってしまう。

 このようなタイの真実を記事にしようと、タイに駐在している新聞記者の南部(江口洋介)が取材に向けて動き出す。同じ頃、タイの子供たちを守ろうと動いているタイのボランティア団体に参加した恵子(宮崎あおい)が南部と出会う。南部と恵子は協力し合って、タイの子供たちの売春や人身売買の事実に迫ろうとするが、事実だけを記事にしたい南部と、何が何でも子供たちの売春や人身売買を阻止したい恵子には、温度差がある。

 ここまで書いて来て、お金というものがいかに人々の心を狂わせているかを実感せざるをえない。自分のために使うお金は、単に欲望を達成するための手段と言い切れるのかもしれない。もともとお金というものは、自分のために使うものではなく、人のために使うものなのかもしれない。

 ただ、中にはどうにもならない状況もある。日本では、子供の臓器移植に年齢制限があるため、子供の臓器移植手術は年齢制限の緩い外国で行われる。しかし、タイでドナーとなる子供が見付かったとしても、その子は亡くなっているわけではなく、まだ生きている子供である。そうした事情を知りながらも、我が子の命を助けたい一心で、タイに出向いて臓器移植の手術を受けようとする人たちもいる。何故なら、臓器移植手術を受けなければ、病気の我が子が死んでしまうとわかっているからだ。臓器移植手術を受ければ、タイの子供が死んでしまうというのに。こうした状況に対し、すぐにはすっきりするような解決策は思い浮かばない。ただ、何か人々の心に染みて来るような選択肢は残されている。例えば、タイの子供たちの命を奪うくらいなら、臓器移植の手術は受けないと、勇気を持ってきっぱりと決断するということだ。果たして、誰かから何かを奪ってまで、自分自身の幸せを追求し続けることができるのだろうかと、この映画ではしきりに問い掛けて来る。

 何を隠そう、私はこの映画を製作された阪本順治監督の映画『顔』という作品にエキストラで出演したことがある。阪神淡路大震災の被災者たちが線路沿いを歩いているシーンである。当時の撮影の様子は、エキストラ初体験に綴っている。エキストラで出演した阪本順治監督の映画『顔』を鑑賞したのも、確かテアトル梅田だった。そのときはガンモと一緒に鑑賞し、自分の顔がスクリーンに映し出されていることに対し、驚きの声を上げたものだ。今回、阪本順治監督の作品を鑑賞して、私が驚きの声を上げることはなかったが、何か心の中に錘(おもり)を乗せられたような、ずっしりと重い感覚が残った。

 この映画は問題提起であり、多くの人たちにこの事実を知らしめることによって、何かが変わって行くことを期待した作品なのだろう。実は、この映画には意外な結末が用意されている。もしかするとその結末は、日本人への皮肉であるのかもしれない。すなわち、この映画が日本人の手で製作され、日本で公開されたということは、これらのタイの抱えている問題に対し、日本人の私たちにも何かできることがあるということだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 衝撃的な映画でありました。私の従妹は、夫の仕事の関係で、しばらくタイで暮らしていました。今度従妹に会ったときに、タイの実情を聞いてみたいと思います。この映画を観て、「奪う」ということについて深く考えさせられました。果たして、自分は何かを奪いながら生きていないだろうかということについて、立ち止まって考えさせられたのです。できる限り、「奪わない」で生きていきたいものです。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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