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2008.08.06

奇岩城のモン・サン・ミッシェル

ソンム湾鉄道の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 写真の数が多くなってしまいましたが、記事と連動した写真を旅行アルバムにアップしました。ソンム湾鉄道の記事にスライドショーを貼り付けてありますので、よろしければご覧ください。ちなみに、ソンム湾鉄道を走っている蒸気機関車は、もともとベルギーの車両なのだそうです。

 朝五時に目が覚めたので、撮影した写真を旅行アルバムにアップした。やはり、早朝から起きて活動するのはとても気持ちがいいものだ。この日は遠出をすることになっていたため、朝七時にはホテルを出たかった。そのため、朝七時から営業のホテルのレストランでは朝食を取ることができない。そこで、前日の夜に買っておいたパンとお惣菜とカット野菜で再びサンドイッチを作って食べた。

 支度を整え、朝七時にホテルを出発した私たちは、メトロ四号線に乗り、ひとまずモンパルナスへと向かった。モンパルナスからは、フランス国鉄のTGVに乗車した。TGVとは、全席予約制のフランスの新幹線である。これから出掛けるモン・サン・ミッシェルからの帰りのバスの時間の都合により、先日、モンパルナス駅の窓口で乗車する列車を変更し、指定席を変更してもらったばかりである。指定席を変更してもらう前までは、二人掛けのシート席を確保できていたのだが、変更後は四人掛けのテーブル席になってしまった。とは言うものの、おしゃれな国フランスの新幹線の四人掛けシートは、なかなか凝った作りをしていた。キャンプのときに使用するような折り畳み式のテーブルにコンセント、読書灯、蛍光灯など、列車の中でくつろげるような最大限の工夫がなされていたのである。ただ、私たちの隣には、見知らぬフランス人が座ることになったので、他の人の迷惑にならないように、ガンモとの会話もヒソヒソ声で行うことになった。

 TGVは順調に走行を続け、予定通り、二時間余りでRENNESに到着した。そこからモン・サン・ミッシェル(MONT ST-MICHIEL)行きのバスに乗り換えると、一時間半ほどで目的のモン・サン・ミッシェルに到着した。モン・サン・ミッシェル行きのバスから見える景色は、一年前にイギリスに出掛けたときに乗車したストーン・ヘンジ行きのバスの中から見えた景色に良く似ていた。やはり、のどかな風景が広がり、放牧の家畜がくつろいでいた。ストーン・ヘンジもそうだったが、目的地に着いてみると、さすがに世界的な観光地らしく、駐車場には自家用車やツアーバスなど、たくさんの車が停まっていた。

 バスの中からモン・サン・ミッシェルが見えて来たとき、私の中の血が騒ぎ、身を乗り出して写真を撮った。モン・サン・ミッシェルは、海の中の小島に作られた小さな街である。こじんまりとした島の中に、お土産売り場やレストラン、カフェなどのお店が所狭しと並んでいる。街を歩いていると何となく、広島の宮島にいるような錯覚さえしてしまう。私は初めてモン・サン・ミッシェルを遠くから見たとき、直感的に「これは、奇岩城だ」と思った。「奇岩城」とは、モーリス・ルブラン原作のアルセーヌ・ルパンシリーズに登場する岩で出来たお城の名前である。ひょっとするとルブランは、モン・サン・ミッシェルに「奇岩城」のヒントを得たのではないかと思い、ホテルに帰ってからインターネットで調べてみると、やはりモン・サン・ミッシェルが「奇岩城」のモデルとなっていたようだ。私は、ルブランのアルセーヌ・ルパンシリーズが好きで好きでたまらなかったので(大人になってからも、子供の頃に読んでいたシリーズの古本を買い集めたほどである)、モン・サン・ミッシェルを見たとき、血が騒いだのかもしれない。

 私たちは、お腹がとても空いていたので、入口付近にあるレストランで昼食を取った。ガンモが下調べをしたとき、入口付近のレストランのふわっとしたオムレツがとても有名でおいしいという情報を得ていたので、ランチが三十九ユーロ(日本円で七千円弱:手数料込みで一ユーロ百七十円の計算)もするというのに、入ってみることにした。

 お店の人が日本語のメニューを出してくださったのだが、注文するときは英語かフランス語しか通じなかった。日本語のメニューを指差して、
"This one, and..."
と注文を始めると、
"Second?"
というふうに、メニューの上から何番目の料理であるかを確認された。日本語のメニューを用意してくださったとは言え、彼らも日本語が読めるわけではないらしかった。私たちは前菜と主菜だけのボリュームの少ない三十九ユーロのランチを注文した。
「食前酒は飲みますか?」
と聞かれたが、
「いりません」
と答え、
「他に飲み物は?」
と聞かれたが、これまた
「いりません」
と答えた。飲み物は、ワインのリストが用意されていたのだが、普段、ワインを飲み慣れていない私たちにはちんぷんかんぷんだった。しかも、ガンモは下戸なので、お酒を飲むとしたら私が飲むことになるのだが、お酒は筋腫に悪いので、今は禁酒しているのだ。

 何も飲み物を注文しなかったので、お店の人がお水を持って来てくださった。さて、これからどんなお料理が運ばれて来るのだろうとドキドキしていると、最初にパンが運ばれ、続いて前菜が運ばれて来た。前菜には、季節の野菜を注文したのだが、おしゃれなお皿に麺のように細長くカットされたニンジンと、ニンジンよりも更に赤い野菜が、ニンジンと同じように細い麺状にカットされてお行儀良くお皿に盛られていた。盛り付けにもこだわりがあるようで、四角いお皿の周りに何かをまぶしているようだった。

 それからしばらくすると、主菜が運ばれて来た。主菜にはそのレストランの名物料理である菜食オムレツを選んだ。卵をふわっと泡立てて作ったオムレツに、きのこが添えられていた。お腹が空いていたので、私たちはすぐに平らげてしまった。味はとてもおいしかったのだが、ボリューム的にはちょっぴり物足りなかった。

 このまま長居しても仕方がないので、いよいよ会計を済ませようと思いながら、私たちはそのタイミングを見計らっていた。というのも、直前に目を通したガイドブックには、普通は男性が注文し、会計も男性が済ませると書かれていたのだが、それを読む前に私が注文をしてしまったからだ。そのため、せめて会計だけでもガンモに任せようとしたところ、常に相手の気持ちを読み過ぎてチャンスを失ってしまいがちなガンモは、なかなかベストなタイミングを掴むことができず、しばらくテーブルの上でやきもきする羽目になったのである。

 ようやくチャンスを掴んでお店の人と目が合い、会計の合図とされている何かサインする仕草をしたところ、間もなくテーブルに計算書が運ばれて来た。そこでクレジットカードを差し出して、会計を済ませた。計算書と一緒に何か運ばれて来たと思ったら、サービスでお菓子を付けてくださった。一口サイズのフランスのお菓子、マシュマロやマカロン、マドレーヌなどである。甘いお菓子は筋腫には良くないのだが、せっかくなのでいただくことにした。それらのお菓子のおかげでちょっぴり空腹感が満たされた。

 こうして何とか空腹を満たしたあとは、小島の小さな通路に沿って上に昇り始めた。小島のてっぺんにあるモン・サン・ミッシェル修道院を目指そうとしたものの、帰りのバスの発車時刻を考えると、小島のすべてを見回るには時間がとても足りなかった。修道院に辿り着くまでにあるお土産売り場や小島の造りを堪能するか、それとも修道院を目指すかでずいぶん気持ちが揺れた。しかし、私たちはお土産も買いたかったので、修道院を諦めて、お土産売り場と小島の造りを堪能することに決めた。何しろ、ヴェルサイユ宮殿も中に入るのを見送り、エッフェル塔に昇るのも見送ったくらいだから、観光地に対しては平等に振舞わなければならないだろう。

 行きと同じバスに乗って帰るのはちょっぴり悔しいので、ガンモは行きとは別のルートでパリまで戻ることを思い付いたようだ。私たちはモン・サン・ミッシェルからフランス国鉄の最寄駅の一つであるPONTORSONまでバスを利用し、そこからフランス国鉄に乗って、いったんDOL-DE BREATAGNEまで出た。そして、DOL-DE BREATAGNEから別の列車に乗り換えて、今度はTGVの発着駅でもあるSAINT MALOへと移動した。予約しているTGVの発車時刻までSAINT MALOで一時間余り時間があったので、SAINT MALO駅周辺でショッピングでも楽しみたいと思っていたのだが、残念なことに目ぼしいお店が見付からず、時間だけがいたずらに過ぎて行った。ありがたかったのは、少し早めにTGVに乗り込むことができたことである。私たちは、駅の売店でサンドイッチと飲み物を買って、早めに車内に乗り込み、発車までの時間をゆったりと過ごした。

 SAINT MALOからパリのモンパルナスまでは、TGVでおよそ三時間掛かった。新幹線で三時間と言うと、東京から大阪くらいだろうか。それを考えると、日帰りするのが少々忙しいのも理解できるような気がする。私たちの乗ったTGVがSAINT MALOを発車したのは十九時過ぎだったので、モンパルナスに着いたのは二十二時過ぎだった。モンパルナスからホテルの最寄駅である北駅まではメトロ四号線でおよそ三十分掛かるため、ホテルに着いたのは二十三時前だった。朝七時にホテルを出てから、実に十六時間の長旅だった。私は早朝からコンタクトレンズを入れていたので、既に目がしょぼしょぼしていた。空気が乾燥しているせいもあるのかもしれない。それでも、私にとって、奇岩城のモデルとなったモン・サン・ミッシェルを見て血が騒いだことは、大きな意味を持っていた。例えモン・サン・ミッシェル修道院に辿り着くことができなかったとしても、奇岩城のルーツを探ることができて大満足だったのである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、奇岩城のモン・サン・ミッシェルをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ルブランの作品の中でも、『奇岩城』は私が最も好きな作品の一つであります。当時、読んでいた本の挿絵がモン・サン・ミッシェルにそっくりかどうか、帰国してから確認したい気持ちでいっぱいです。ああ、ここは本当にフランスなのですね。せっかくフランスに来たのだから、アルセーヌ・ルパン縁の地をどこか訪れたいと思っていたのに、調査する時間も訪問する時間もなく、半ば諦めかけていました。しかし、こうして触れることができて、思いがけないプレゼントを受け取ったみたいで興奮しています。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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