« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

2008年8月

2008.08.31

ホットヨガ(一一四回目)

百六十五点差の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 妻としてはガンモに「おめでとう!」と言いながらも、ライバルとしては悔しさを感じてもいました。さすがに百六十五点も差をつけられると、奇跡でも起こらない限り、なかなか追い越せないとは思うのですが、その奇跡が起こることをいつまでも期待し続けています。(苦笑)さて今回は、久しぶりにホットヨガの記事をお届けします。

 TOEIC IPテスト後のお決まりのコースと言えば、梅田店で受けるホットヨガのレッスンである。TOEIC IPテストの会場とホットヨガ梅田店のスタジオは、歩いてわずか数分の距離にあるのだ。

 私は昼食を取ったあと、軽くショッピングを済ませてから、少し早めに梅田店へと向かった。レッスン開始の一時間も前だったが、ロッカールームでノートパソコンを取り出して、一度書き上げた「ガンまる日記」を推敲しようと思ったのだ。

 私は、利用者が誰もいないのをいいことに、メイク台に座って、ノートパソコンだけでなくACアダプタまで取り出して、無断でコンセントを拝借しながら「ガンまる日記」を推敲していた。梅田店のスタッフが掃除にやって来たが、顔見知りのスタッフではなかったのであいさつもせずに黙々と作業を続けていると、
「申し訳ありませんが・・・・・・」
と声を掛けられた。私は、メイク台に座ってノートパソコンの操作をしていることがいけないのだと自覚し、すぐに立ち上がって別の場所に移動した。しかし、あのときのスタッフは私に何を伝えたかったのだろう。私は、彼女の言っていることを正確に聞き取るよりも前にさっさと席を立って移動してしまったことをちょっぴり後悔した。結局、ホットヨガ所有のコンセントを無断で拝借していたことと、本来、メイクをする場所でノートパソコンを広げて作業していたことのどちらを重点的に注意されたのか、わからずじまいになってしまった。というのも、私がメイク台からすぐに離れたことで、それ以上は何も起こらなかったからだ。おそらくだが、私がスタッフにあいさつを交わしていれば、もっと違う展開になっていたことだろう。スタッフのことが視界に入っているのに視線を送らなかったことが、今回の出来事に繋がったと言える。あいさつを交わせば、その時点でお互いにもう味方なのである。

 私は、無断でコンセントを拝借することは控え、周りに誰もいないソファの上でノートパソコンをバッテリ駆動させて「ガンまる日記」を推敲した。最近は、夜のうちに記事を書き上げて、朝、読み返しながら、一度書き上げた記事に再度手を加えているのだが、TOEIC IPテストに出掛ける準備とホットヨガのレッスンの準備が重なってしまったため、推敲のための時間が取れず、前日の夜に記事をアップしたままの状態でずっと放置していたことがどうしても気になっていたのである。

 推敲が終わると、レッスンにちょうどいい時間になっていた。私は、どうかこれから参加するレッスンを担当してくださるインストラクターがさきほど私に声を掛けて来たスタッフではありませんようにと願いながら、九十分のベーシックコースのレッスンが行われるスタジオへと向かった。

 スタジオの扉を開けてみると、梅田店の細長いスタジオには十数名分のヨガマットが敷かれていた。私はいつものように、インストラクターのすぐ近くのヨガマットに腰を下ろした。今回の男性会員の参加者は、全体で十数名の参加者うちわずか一人だけだった。また、既にスタジオ入りされている方たちを鏡越しに観察してみると、これまでにもお目に掛かったことのある方が何人かいらっしゃった。

 ありがたいことに、今回のレッスンを担当してくださったインストラクターは、ロッカールームで私に声を掛けて来たインストラクターではなかった。私は、ホッと胸を撫で下ろしてレッスンに臨んだ。見た目はとてもお若いのだが、声がしっかりしていて、彼女の持っているヨガの知識と技術を何から何まで吸収したいと思えるような、人間的にも引き込まれるインストラクターだった。私が、いつも足を運んでいるスタジオから少しだけ離れてレッスンを受けるのは、そんなカリスマ性を感じさせてくれるインストラクターに出会える可能性に期待しているからかもしれない。

 およそ一ヶ月振りのレッスンでも、九十分のベーシックコースは私の身体に優しかった。私はTシャツを手で絞れるくらいにべっちょりと汗をかき、すがすがしい気持ちで梅田店をあとにした。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この日はガンモが仕事の待機要員の当番に当たっていたので、レッスンを終えたあとはすぐに帰宅したのですが、久しぶりのレッスンだったからでしょうか。例の頭痛に見舞われました。おそらく、脳の頭酸素不足が原因でしょう。いつもよりも軽い頭痛だったので、首の後ろを温めることで何とかしのぐことができましたが、レッスンを一ヶ月休んだだけでこんなことになってしまうのは、ちょっぴり情けないですね。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2008.08.30

百六十五点差

映画『ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m この映画の主演俳優のブレンダン・フレイザーが日本の俳優名高達郎さんに見えてしまうのは私だけでしょうか。それと、パリのメトロに掲げられていたポスターにキャストの名前が書かれていますが、ジェット・リーの写真の上にブレンダン・フレイザーの名前があり、ブレンダン・フレイザーの写真の上にジェット・リーの名前がありますよね。ひょっとすると、このポスターは失敗作だったのでしょうか? さて今回は、久しぶりにTOEICの話題であります。

 私が仕事から帰宅すると、ガンモがニコニコしながら寝室のパソコンの前に座っていた。ガンモは始終ニコニコしながらパソコンの画面を指さして、
「お帰り。ちょっと、これ見てくれ」
と言う。何だろうと思いながら画面を覗き込んでみると、そこに映し出されていたのは、ガンモが夏休み前に受験したTOEICのスコアだった。公開テストを受けた場合、指定されたページにアクセスすると、スコアシートが手元に届くまでに自分のスコアがわかるらしい。何と、ガンモはこれまでのベストスコアを六十点も上回り、これまでよりも更に私を引き離してしまっていた。
「目標まであと二十点なの」
とガンモは言う。ガンモ曰く、リーディングの問題にじっくり取り組んだところ、スコアが大幅にアップしたらしい。私は、
「ガンモ、凄いじゃん。おめでとう!」
と言ってガンモと握手を交わした。とは言うものの、私の内心はちょっぴり穏やかではなかった。やはり、ガンモにどんどん引き離されてしまうのは悔しいのだ。結局、ガンモの今回のスコアアップにより、ガンモのベストスコアと私のベストスコアは百六十五点差まで開きが出てしまった。私は、
「よし、今度のIPテストで私もドーンとスコアアップを目指すよ」
とまたまた大きなことを言った。

 実は、前回のIPテストの結果はさんざんなものだった。残業のため、私の帰宅時間が遅いのをいいことに、ガンモは私宛に届いたTOEICのスコアシートを開封し、優越感に浸っていた。私は、自分のスコアがなかなか伸びないことがあまりにも悔しかったので、前回の結果については記事にすることができなかった。そして、それからおよそ二ヶ月経ち、夏休みにロンドンで生きた英語のヒアリングのトレーニングを積んだ成果を試すべく、またしても派遣会社の主催するTOEIC IPテストに臨んだのである。

 IPテストが行われたのは、大阪・梅田にあるとある貸会議室である。ここでTOEIC IPテストを受けるのも今回で三回目だろうか。いつものようにエレベータを降りて、これまでに受験して来た会議室に足を向けようとしたが、いつもとは異なる雰囲気が漂っていることに気が付いた。何故なら、貸会議室の入口に掲げられている案内札には、私の所属している派遣会社とは異なる会社の案内が掲げられていたからである。どうやら、今回はこれまでとは異なる会議室でIPテストが行われるようである。また、大変興味深いことに、他の派遣会社のTOEIC IPテストが同じビルの同じ階で開催されていた。その派遣会社は、私が独身時代に東京に住んでいたときに、登録だけしていた派遣会社である。おそらく、もう一つの派遣会社とTOEIC IPテストの開催時間が重なっていたからだろう。試験開始前の女子トイレがひどく混雑していた。

 さて、いよいよTOEIC IPテストの本番が始まった。私はガンモが言っていたように、「リーディングの問題にじっくり取り組む」ことにチャレンジしてみた。いつもは順番に問題を解いていたのだが、その方法では、リーディングの前半の穴埋め問題を解いているうちに時間が足りなくなってしまい、後半の文章問題の半分くらいが手付かずのまま残ってしまっていた。今回、ガンモが実践した通り、後半の文章問題にじっくり取り組んだところ、確かな手ごたえを感じた。文章問題にひねりが入っていることに気が付いたのは、今回のIPテストが初めてだった。これまでは、ひねりの問題に気付くことなく、時間が足りずに適当な選択肢をマークして提出していたのである。しかし、ガンモの方法でもやはり時間が足りないことには変わりなく、私は机の上に置いた腕時計で残り時間を確認しながら、超能力を使って、後回しにしていた穴埋め問題を解いて行った。結局、残した問題の数は、順番に問題を解いて行くよりも多かったかもしれない。しかし、リーディング問題にじっくり取り組むことができたことで、自分がこれから何を強化して行けば良いのかがはっきりと見えて来た。私に必要なのは、読解力のスピードアップとリスニング力である。

 IPテスト終了後、解散の合図で受験者たちは一斉に席を立った。今回も五十人ほどの派遣スタッフが同じ会場で一緒にTOEIC IPテストを受験していたが、考えてみれば、みんな私と同じ派遣会社に所属しているスタッフなのである。

 試験後にトイレを済ませたあと、エレベータに乗って一階に下りると、私はすぐにガンモに電話を掛けた。私に百六十五点差をつけてすっかり余裕のガンモにとって、もはや私はライバルではないらしく、
「どうだった?」
とも聞いてくれない。何だ、何だ、ガンモめーっ。

 今回のスコアは、およそ二週間後に自宅に配達されることになっている。今度こそガンモよりも早く帰宅し、ガンモに開封される前に自分自身の手でスコアシートを確認したいものである。そして、ガンモが帰宅する頃にニヤニヤしながら寝室でガンモを待ち伏せし、届いたばかりのスコアシートを得意げに見せるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m とうとうガンモに百六十五点も差をつけられてしまいました。悔しいったらありません。(苦笑)今回、ガンモはほとんど勉強せずに受験したのに、とても不思議であります。学習の成果はすぐに現れるものではなく、何ヵ月後かにようやく現れて来るものなのでしょうか。まるで、I医師に処方していただいている鉄剤のようですね。(笑)でも、後半の文章問題を先に解いてみたことで、自分が何を強化すれば良いかがはっきりと見えて来たことは、私にとって、大きな収穫でした。さて、これをどのように生かして行きましょうか。次回のIPテストはまたまた二ヵ月後です。ガンモには、「そろそろIPテストではなく一緒に公開テストを受けようよ」と誘われていますが、これだけ差が出ると悔しいので、断わり続けています。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (1)

2008.08.29

映画『ハムナプトラ3 呪われた皇帝の秘宝』

五十パーセント減の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 生理の出血量がぐんと減ったことで、私自身、筋腫がなかった頃の感触を思い出しました。このまま続行すれば、現在服用している漢方薬もやがて必要なくなるかもしれません。その状態を目指してI医師をびっくりさせたいと思っています。(笑)

 八月末納品の仕事を抱えていたため、夏休みを終えてからの仕事は、夏休み前と同じくらい忙しかった。しかし、他の人たちがまだ夏休みを取っていたある日、私は自分のために一日だけ定時で仕事を上がり、映画を観に行った。というのも、映画『ハプニング』の前売券を購入していたからである。ガンモも夜勤の仕事に出掛けていて不在だったし、せっかく久しぶりに映画館に足を運んだというのに、一本だけ鑑賞するのも寂しいと思ったので、レイトショーでもう一本鑑賞することにしたのがこの映画である。

 私は、映画館でこの映画のポスターを見たとき、「あっ」と思ったものだ。何故なら、パリのメトロで何度も何度も見掛けたポスターだったからである。そこで、今回の映画紹介の写真は、パリのメトロの構内に掲げられていたポスターを掲載してみた。ちなみに、映画『ハプニング』は、なかなかレビューを書きにくい映画だった。

 タイトルに「3」という数字が使われているくらいだから、この映画はきっと、このシリーズ三作目なのだろう。私は普段、この手の映画をあまり観ていないので、シリーズ三作目とは言うものの、私にとっては初めての鑑賞となった。いきなり何の前知識もなく鑑賞に入ったのだが、雰囲気としては映画『インディージョーンズ』シリーズに近い映画だと思った。

 ただ、普段から、人間の心理が細かく描写され、ゆっくりとストーリーが展開してい行く映画を好んで観ているせいだろうか。この映画のストーリーの展開の速さに驚き、映画と同じスピードでストーリーを追うことができずに、私は自分が無理にどこかへ引っ張られている気がした。「おいおい、私はまだここに居るんだよ」と思いながら一生懸命踏ん張っていても、スクリーンでは次々に新しい局面を迎えていた。

 そんなスピードの速い展開を体験しながらも心に残ったのは、この物語の柱にもなっているであろう、複数の男女の愛の物語である。一つは、リックとエヴリンの夫婦の愛。大学生の息子がいるというのに、今なお熱烈に愛し合っている。そして、呪術師の娘ツイ・ユアンとミン・グオ将軍の愛。二人が深く愛し合っているにもかかわらず、ツイ・ユアンに横恋慕してしまった皇帝は、二人の仲を引き裂いただけでなく、権力に任せてツイ・ユアンの前でミン・グオ将軍を処刑してしまう。深い悲しみとともに激しい怒りを爆発させたツイ・ユアンは、皇帝に呪いをかけてしまう。珍しく、悪役皇帝を、本国の映画では正義の味方の主役ばかりを演じているあのジェット・リーが演じているのも面白い。そして最後に、リックとエヴリンの息子アレックスとツイ・ユアンの娘リンとの愛。不老長寿のリンとアレックスには、かなりの年齢差がある。

 何しろ、私はこのシリーズの作品を観るのが初めてで良く知らなかったのだが、このシリーズはミイラを掘り起こす映画らしい。ミイラと言うと、大英博物館で見た本物のミイラを思い出す。ただ、ミイラとは言うものの、今回の映画はエジプトのミイラではなく、中国のミイラである。映画の中では、そのミイラが甦る。

 夏休みを終えて仕事を再開したとき、私は大英博物館で購入した自分用のお土産のミイラの棺のペンケースを使い始めた。なかなかインパクトのあるペンケースである。この映画は実際に、それらのミイラを発掘した人たちを主人公とする映画だと思えば良いのだろう。映画の中には、秘宝の魅力にとりつかれた人たちも登場する。このような秘宝に博物館でしかお目に掛かることのない私たちは、秘宝で私腹を肥やそうなどとは思わないが、実際、国の財産になる前に秘宝を見付けた人は、自分のものにしてしまおうと、欲が出て来るものらしい。

 何はともあれ、パリで見掛けたこの映画のポスターと言い、大英博物館のミイラと言い、私がこの映画に呼ばれたことは確かなようである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 大英博物館で、ミイラを掘り起こす行為について考えていたら、このような映画に出会いました。もしかすると、この映画は単に一つの秘宝について述べたに過ぎず、現在、大英博物館に展示されている展示物にも、それぞれ別の物語があるのかもしれませんね。なお、ある筋からの情報によりますと、今回、舞台を中国にしたのは、北京オリンピックが開催されるからだとか。公開時期もちょうど北京オリンピックの時期と重なっていましたし、北京オリンピックをかなり意識した作品に仕上がったのかもしれませんね。ただ、私は第四作目が出来たときに、喜び勇んで映画館に足を運ぶかどうかはわかりません。(苦笑)

先行ロードショーのレイトショーで鑑賞したのですが、ほぼ満席状態でした。このシリーズをずっと鑑賞している人たちは、きっとシリーズで観ていらっしゃるのでしょうね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2008.08.28

五十パーセント減

自分の物語を創造するの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 今回の出来事を通して、失敗を生かしながら、自分の続きの物語を創造することを覚えました。ということで、この次に混雑した夜行便のフェリーに乗船したときは、何が何でもじゅうたんのある場所を確保したいと思います。(笑)

 予定よりも遅れて〇時半過ぎに出航したフェリーは、朝四時頃に神戸の港に着いた。下船した私たちは連絡バスに乗り換え、三ノ宮駅まで移動した。始発までまだ時間があったので、私たちは駅のホームに設置された椅子に腰掛けて、始発列車が入線して来るのを静かに待っていた。結局、私は一睡もしていなかったが、どういうわけか元気だった。ホットヨガのレッスンの予約も入れていなかったので、帰宅してからゆっくり眠ればいい。ようやく始発列車が入線して来ると、私たちは待ってましたとばかりに始発列車に乗り込み、帰宅した。

 それにしても、何というタイミングだろう。帰宅してトイレに立ってみると、生理が始まっていた。いつもよりも二日早い始まりである。私は、布ナプキンをあてがって布団に入った。ガンモの仕事は午後からだったので、お昼前までひとまず一緒に眠った。

 お昼前にセットしておいた目覚ましが鳴ると、ガンモはのそのそと起き出して仕事に出掛けて行った。私は夢うつつの状態でガンモを送り出し、次に目が覚めたのは十六時過ぎだった。フェリーの中で一睡もしなかったとは言え、ずいぶん長く眠ったものである。ようやく目を覚ましてトイレに立った私は、「あっ」と驚いた。早朝から生理が始まったはずなのに、布ナプキンがほとんど汚れていなかったからである。やはり、乳製品や肉食を最小限に留め、野菜を多く取ったことが効果を現したのだろうか。

 結局、初日の出血量は驚くほど少ないまま、魔の二日目を迎えた。しかし二日目も、生理痛らしきものをほんの少し感じた程度で、出血の量はいつもよりもずっと少なかった。私は、効果が現れていることを確実に感じつつあった。

 乳製品と肉類の摂取を控え、少しでも多くの野菜を取ることで、筋腫が子宮内膜に掛かっているにもかかわらず、生理の出血量が著しく減少した。前回の生理では、実践し始めてからわずか十日ほどで出血量が三十パーセント減となった。そして今回の生理では、これまでよりも五十パーセント減の出血量となった。この方法を実践し続けることで、現在、I医師から処方していただいている鉄剤は必要なくなることだろう。

 しかし、これだけでは手術を免れられる材料にはならない。私の筋腫が小さくならない限り・・・・・・。残念なことに、現在のところ、筋腫が小さくなったという確実な手応えはない。ただ、以前よりも筋腫が柔らかくなっているという感触はある。

 旅行中、私は筋腫に良くない食べ物に気を配ってはいたものの、年末に手術を受けるかどうかについては考えたくなかった。いったん頭の中を空っぽにして、もう一度考え直したかったのだ。その結果、やはり手術を受けることに関しては消極的な気持ちにしかなれないことがわかった。手術を受けないことで生じる血栓への不安はさておいて、それが私の正直な気持ちだ。勇気ある人たちは手術を受けているのに、何故、私はこれほどまで手術に対して消極的な気持ちにしかなれないのかというと、おそらく私には出産経験がないために、手術に臨む度胸が足りないのだと思う。

 また、中には生理が煩わしいという人もいるが、私にとって、生理は楽しい。布ナプキンを使用し始めてからというもの、生理を楽しむ余裕が出て来た。年末に手術を受けるとなると、布ナプキンとの付き合いもあと数ヶ月となってしまう。それはやはり寂しい。自然な寿命で生理が尽きるのではなく、人工的に終わらせてしまうのは子宮に対しても申し訳ない。一緒にここまで頑張って来た仲なのに。天然のプロゲステロンクリームや、天然染料のヘナ、天然素材のシャンプーなどを好んで使っているのに、人工的に生理を終わらせてしまうことに対して抵抗を覚えないはずがない。

 私にとって、手術を受けるメリットは何なのだろう? 生理の出血量が多いことに関しては、既に改善されつつある。そして、現在の方法を実践し続けていれば、これ以上、筋腫が大きくなることはないだろう。それならば、果たして年末に手術を受ける意味があるのだろうか? 私は、はっきりとした答えを出せないまま、次回のI医師の診察の予約を引き延ばした。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 天然のものに目を向ければ向けるほど、人工的なものに対する嫌悪感が強くなりますよね。では、人工的に生理を終わらせることはいいのかと考え始めると、私の中の答えはノーです。手術を受けるというメリットがあまり感じられなくなって来ました。布ナプキンとの付き合いが終わってしまうことは、私にとって、大きなデメリットです。それでも、大きなメリットがあるとすれば、お腹がへこむことくらいでしょうか。(苦笑)ゆらゆらと揺れ動いてはいますが、とにかく、今はこのような状況です。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2008.08.27

自分の物語を創造する

旅行の友の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 百円ショップや三百円ショップには、旅行の友として連れて行きたいものがたくさんありますね。記事の中でもちょこっと触れましたが、ボトルガムのケースもなかなか重宝しています。洗剤の他にも、オフィスや旅行に持参するために、愛飲しているハーブティーを小分けして入れたりしています。

 楽しかった夏休みが終わり、私は帰国した次の日から仕事に出掛けた。ほとんどの人たちが夏休みに入っていたが、私と同じように前半のAパターンで夏休みを取得された人たちが後半のBパターンの夏休みの時期に出勤されていた。その数、わずか数名ほどである。その中には、派遣社員である私のために、同じプロジェクトメンバとわざわざ夏休みをずらして出勤してくださった上司のまた上司の姿もあった。ほとんどの人たちが夏休みに入っていたため、電話も鳴らず、メールの数も少ない静かで落ち着いた環境で、私はいつもよりも気楽でありながらも、仕事に集中できる喜びを感じていた。

 夏休み明けの仕事を終えた週末は、お盆ということで、ガンモの実家に帰省することになっていた。最初は土曜日にガンモの実家に一泊して日曜日にこちらに帰る予定だったのだが、ガンモの仕事の都合で土曜日に日帰りすることになってしまった。いつもならば、自家用車でフェリーを利用するところだが、三十四度という暑い盛りにクーラーの効かない自家用車に乗ることはできない。おまけに運転手のガンモは、まだ時差ボケが直らず、ずっと寝不足が続いていた。とりわけ、金曜日の夜はほとんど一睡もできない状態で、土曜日の朝に家を出ることになってしまった。日帰りするために、私たちは行きは姫路から新幹線に乗り、帰りは高松からいつものフェリーを利用することにした。

 さて、ガンモの実家で数時間を過ごしたあと、できれば高松を二十時に出航するフェリーに乗りたいと思っていたのだが、予定がすっかり長引いてしまい、二十時のフェリーには乗船することができなかった。しかし、ガンモには翌日の日曜日に仕事が入っていたため、何としてでも帰らなければならない。そこで、私がゴールデンウィークに一人で帰省したときに利用した深夜〇時半発の夜行便のフェリーを利用することにしたのである。

 お盆の時期に夜行便のフェリーを利用するとなると、いつもはそれほど利用客の多くないのんびりしたフェリーも、おそらく私がゴールデンウィークに利用したときとほぼ同じように混雑した状況に陥るだろうと予測していた。また、フェリーの中はひどく寒いことを知っていたので、私は出掛ける前に自家用車の中から、いつもフェリーの中で使用している毛布を取り出して持参した。しかしガンモは、
「この毛布、持って行くの? いつもまるみが持ち歩いているショールで十分なんじゃないの?」
と言った。私は映画館で映画を鑑賞するときに寒くないように、リュックの中にショールを二枚、忍ばせている。今回は自家用車を利用しての帰省ではないため、ガンモはできるだけ荷物を減らしたくてそう言ったのである。私は、
「お盆の夜行便を甘く見ちゃいけないよ」
とガンモに釘をさした。

 私たちは、ガンモの実家からタクシーを呼んで坂出駅まで運んでもらい、列車に乗って高松駅まで出た。そこから、フェリー乗り場まで運んでくれる無料連絡バス乗り場へと徒歩で向かったのだが、まだ比較的早い時間であるにもかかわらず、既に何人かの人たちが無料連絡バスを待っていた。結局、無料連絡バスの発車時刻が近づくにつれて、無料連絡バスの乗り場には次々に人が集まって来て、最終的には二十人以上の人たちが集まった。その状況を見た私は、ゴールデンウィークのときとまったく同じ状況だと思った。

 無料連絡バスは予定よりも大幅に遅れて乗り場に到着した。無料連絡バスに乗り込むと、中に乗船券の申し込み用紙があったので、私は筆記用具を取り出して、さっさとそれに記入した。乗船券の申し込み用紙は、乗船券を購入するときに必ず必要である。フェリー乗り場に着いてから窓口で書いていると、乗船が遅れると思ったので、書きにくいながらも、無料連絡バスの中で記入を済ませたわけである。

 私たちの手元には、フェリーの回数券が一枚だけ残っていたのでそれを利用することにしたのだが、残りの一枚の乗船券を、私が窓口で購入している間にガンモが先に降りて和室のスペースを確保することになった。回数券を購入したときの情報が残っているのか、前もって回数券を購入している人は、乗船名簿に記入することなく、そのまま乗船することができるのである。

 無料連絡バスがフェリー乗り場に着くや否や、私は荷物を持って窓口まで走った。運良く、窓口では二番目に並ぶことができた。回数券を握り締めていたガンモも、和室のスペースを確保すべく走った。乗船券はすぐに購入できたので、私はガンモの後を追って間もなく乗船したが、見ると、ガンモが諦めた様子で船内の階段を降りている。「ああ、駄目だったか」と思い、
「ガンモ!」
と声を掛けた。ガンモは、諦めたような顔をしながら、首を横に振った。

 念のため、いつも利用している和室に足を運んでみると、そこにはびっしりと人が座っていた。既に横になっている人もいる。もはや一人の人間さえも足を踏み込めないくらい狭い。無理して踏み込もうものなら、そのエリアにいる人たちから反感を買いそうだ。諦めて、シート席のある船室も見てみたが、こちらも既にいっぱいである。ちなみに、レディースルームものぞいてみたが、やはり、いっぱいだった。私たちが無料乗った連絡バスが到着するよりも早く、自家用車でフェリーを利用する人たちがたくさん乗り込んでいたのだ。

 私は、「これはいかん」と思った。見ると、客室以外の場所にあるロビーのじゅうたんの上に敷物を敷いて、既に横になっている人たちもいる。和室やシート席を利用できないとわかった人たちが、せめてロビーのじゅうたんの上で横になろうと、必死で場所を確保しているのだ。このような状況のときは、できるだけ早いうちにじゅうたんのある場所を確保しなければならない。しかし、どうやら遅かったようである。私たちの目のつくところにあるじゅうたんは、もはや隙間がないほど埋まりかけていた。

 私たちはじゅうたんのあるロビーを諦めて、さきほど乗船して来た入口付近のテーブルと椅子のあるところまで降りて行った。そこは、スペースは広いが、下がじゅうたんではなく、冷たい床だった。私たちは仕方なく、そこに荷物を置いて椅子に座った。いつものようにコンセントもなければ、和室のじゅうたんもない。ああ、じゅうたんが恋しい。私たちは、このままここで三時間半余りを過ごすことになるのだろうか。

 ガンモは、
「こんな話は聞いていない」
と言った。私は、予想した通りの展開だったので、
「だから私が言ったじゃん。ゴールデンウィークもこんな感じだったって」
と言った。私はゴールデンウィークに体験した、予想をはるかに超える混雑と睡眠中に襲う過剰な冷房を思い出していた。ようやく状況を受け入れたガンモは、しばらくの間、テーブルの上にノートパソコンを広げていじっていたが、前日の夜、ほとんど寝ていなかったためか、やがて冷たい床の上に座って毛布にくるまって目を閉じた。私は、床の上に座るのは冷たいだろうと思い、自家用車の中から取り出した薄い毛布を床に敷き、ガンモの隣に座った。そうこうしているうちに、私たちが陣取ったスペースの近くにも、次々と人が流れ込んで来て横になった。そのほとんどが男性の一人客だった。

 床の上に薄い毛布を敷いたとは言え、出入口近くだったためか、座っていると、冷房の風がスースーと腰の辺りに入り込んで来た。私は、別の毛布を下半身に巻き付けて冷房から自分の身体を守った。そのうち、ガンモが本格的に眠くなったらしく、眼鏡を外してとうとう横になった。私は、ガンモが翌日仕事なので、できるだけガンモに優先的にスペースを譲ろうと思っていた。何故なら、床に敷いた薄い毛布は、二人で横になって寝られるほどスペースがなかったからだ。そう思っていると、いつもは夜が苦手なはずの私なのに、不思議と目が冴えて、私は長い間、ノートパソコンを広げて操作していた。

 結局、三時間半余りの運航中、私はずっと起きていた。一方、前日の夜、ほとんど睡眠を取っていなかったガンモは、床の上に薄い毛布を敷いただけという悪条件であるにもかかわらず、ぐっすりと眠ったようだ。目を覚ましたガンモに、私は意地悪っぽく言った。
「ガンモは、私が普段持ち歩いているショールだけで過ごそうと思ってたみたいだけど、実際はどうだった?」
それに対し、ガンモは、
「この毛布がなかったら寝られなかった。まるみ、ありがと」

 ゴールデンウィークに私が凍えた経験は、ここに来て、ようやく役に立った。少々大げさかもしれないが、多少荷物になったとしても、いつも利用している毛布を持ち込んだことで、翌日、仕事が入っていたガンモを冷えから守ることができた。数ヶ月経って、ようやく失敗を生かすことができたのである。そして、失敗を生かすことができて初めて、あの寒くて眠れない状況を自分の味方につけることができたような気がする。だから、ゴールデンウィークに乗船した直後は、もう二度と乗船するものかと腹が立って仕方がなかったのに、今はこうして受け入れているのだ。どうやら私は、繁忙期の〇時半のフェリーを克服できたようである。苦手科目にも攻略法があるように、混雑した夜行便のフェリーにも攻略法があったのだ。混雑した寒い夜行便のフェリーよ、どんと来い。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 凶で終わらせるか、吉の続きを作るかは、いつも自分次第なのではないでしょうか。自分でポジティヴな続きを作らなければ、思い出はいつまで経ってもネガティヴのままかもしれません。自分の物語は自分で作り上げるという意気込みで、これからも自分の物語を紡いで行きたいと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2008.08.26

旅行の友

ロンドンで出会った情熱カップルの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ロンドンの情熱カップルのアツアツぶりはいかがでしたでしょうか。情熱カップルに出会えることもまた、芝生の上に寝転がることと同じくらい、私にとってはロンドンにおける楽しみとなっています。日本でも、もっと多くの情熱カップルたちが街で堂々とキスを交せるようになればいいのにと思います。

 タイトルに「旅行の友」と掲げたが、田中食品のふりかけの話ではない。旅行に持参するグッズのことである。今回は、私が海外旅行に持参しているいくつかのグッズについて書いてみようと思う。

旅行の友その1:圧縮袋

 既に記事の中でも何度かご紹介しているが、スーツケースに効率良く衣類をまとめるために、圧縮袋を使用している。大きさはL、M、Sとあるが、Mサイズのものが衣類を最もまとめやすい。Lサイズのものは、旅行を終えて帰国するときに、洗濯物をまとめて詰め込むのに良い。洗濯物でパンパンに膨らんだ圧縮袋に体重を掛け、空気を押し出してコンパクトにしてからスーツケースに収める。これらの圧縮袋は、百円ショップで手軽に手に入るのでお勧めである。


旅行の友その2:レジャーシート

 旅先で生理を迎えるとき、最も心配なのは、白いシーツを汚してしまわないかということである。私はそのために、レジャーシートを持参している。今回の旅行では生理の時期はうまく外れたので、このレジャーシートの出番はないかと思いきや、ベッドサイドの脇机を使用するにあたって、枕を椅子代わりにしてその上に胡坐をかき、脇机の上にノートパソコンを広げて「ガンまる日記」を綴っていた。レジャーシートの上に座るとピクニック気分を味わうことができるので、いつもとは違った雰囲気で「ガンまる日記」を綴ることができた。ところで、何故、脇机でノートパソコンを広げなければならないかと言うと、ホテルに備え付けの机と椅子はガンモが占有してしまうため、私には私なりの工夫が必要なのである。ベッドサイドに脇机がないときは、ベッドの上で書いたりもする。ちなみに、このレジャーシートは百円ショップで購入してからずっと使っているもので、破れてしまった部分をガムテープで修繕している。

旅行の友その3:子供用はみがき

 旅行に持参するのにちょうどいい大きさのはみがきが欲しくて、入れ物目当てに百円ショップで購入したものである。もともと入っていたオリジナルの子供用のはみがきはとっくに消費してしまったので、現在は、中身を詰め替えて大人用はみがきを使用している。

旅行の友その4:マグカップ

 ホテルに備え付けのカップは小さいことが多い。飲み物をごくごく飲むには、やはり大きめのマグカップが必要である。こちらは三百円ショップで購入したもの。色違いのマグカップをオフィスでも使用しているが、同僚からは「大きなマグカップですねえ」と言われている。

旅行の友その5:室内履き

 海外のホテルにはスリッパが用意されていない。そこで、百円ショップで購入した室内履きが重宝される。スリッパ形式のものもあるが、私は踵(かかと)を仕舞い込むことのできるルームシューズ型の室内履きがお気に入りである。

旅行の友その6:洗濯用クリップ

 パリでコインランドリーに出掛けたときも大活躍した洗濯用クリップ。三百円ショップで購入。室内の出っ張りに引っ掛けて、靴下や下着を吊るすことができる。

その他

 写真の掲載はしないが、耳栓、空気枕などは旅行の友としての必需品である。また、コインランドリーを利用することがわかっているときは、市販の小さな洗剤を購入しても良いが、ボトルガムの入れ物を再利用して洗剤を小分けして持参したり、自宅で使用している一回分または二回分の洗剤を、チャック付きの小さな袋に小分けして持参したりしている。それから、海外のホテルには浴衣の用意もないので、パジャマも忘れてはならない。

 今回の旅行では、ルーズリーフ式のノートを一冊作って、旅の計画や持参するもの、実際に体験したことなどを次々に書き連ねて行った。そのおかげで、物忘れの激しい私も、記録に頼りながら「ガンまる日記」を綴ることができた。旅行に出掛けて行くと決めたら、旅専用のノートを一冊用意すると、記録を取ることもできる上に、旅がもっと楽しくなることがわかった。これからもこの方法を採用して行きたいと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私たちの夏休みの旅行記に長らくお付き合いくださいましてありがとうございました。これで、夏休みの旅行の話題はひとまず区切りを付けたいと思います。まだ想い出を引きずって行きたいので、これからもほんの短い内容で登場することがあるかもしれませんが、そのときは、またどうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2008.08.25

ロンドンで出会った情熱カップル

カリカリのサンドイッチの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ちなみに、写真ではわかりにくいかと思いますが、サンドイッチの大きさは、手で拳を作ったときの拳の先から肘の関節あたりまでくらいでしょうか。かなりボリュームがあるので、サンドイッチだけでもお腹は空きません。また、とてもおいしいので、毎日食べても飽きることがありませんでした。

 この記事は、去年書いたイギリスで出会った情熱カップルの一年越しの続編である。今年はパリに五泊、ロンドンに三泊したのだが、やはり、パリよりもロンドンのほうが情熱カップルの数が圧倒的に多いことがわかった。去年は、ロンドンへの滞在期間が今年よりも長かったので、慌てて撮影した手ぶれ写真をも含めると、合計七組の情熱カップを写真に収めることができた。しかし、今年はロンドンでの滞在期間が短かったからだろうか。わずか二組の情熱カップルしか撮影することができなかった。それでも、パリでは一枚も情熱カップルを撮影することができなかったことを考えると、ロンドンではそれなりのチャンスに恵まれたことになる。

 まずは、一組目のカップルからご紹介することにしよう。去年と同様、たくさんの人たちの前で堂々とくちづけを交わされているので、顔にモザイクを掛けるなどの処置は行わないことにする。ところで皆さんには、彼らが一体どこで熱いくちづけを交わしているか、おわかりだろうか?

堂々とくちづけを交わすカップル

実は、彼らがくちづけを交わしているのは、大英博物館の前だった

 そう、写真のコメントにも書かせていただいたように、彼らがくちづけを交わしているのは大英博物館の前だった。外国人をも含む多くの人たちが行き交う大英博物館の前で、大胆にもこの情熱カップルは熱いくちづけを交していた。この情熱カップルは、このあと離れ離れになってしまうのだろうか。まさか、これからどちらかが大英博物館に展示されてしまうために、別れを惜しんでいるなどということはないだろうか? 冗談はさておき、私は、情熱カップルが大英博物館を見て回っているうちに感極まり、思わず唇と唇を重ねたくなってしまったのではないかと勝手に想像した。

 大英博物館からほんの少し歩いたところで、二組目の情熱カップルに出会った。

あっ、ここにも情熱カップルがいた

 見るからに幸せそうなお二人である。こうしてくっついていることがお互いにとってとても気持ちがいいと感じているのが、傍観者である私にも伝わって来る。やはり、男女が愛し合う姿を身近で感じるのはとてもいいものだ。抱き合っている二人は、きっと二人だけの世界を作っているはずなのに、傍観者である私でさえも、彼らの世界を共有しているかのような幸せな気持ちになる。私も彼らの世界に加わっているから疎外感がなく、ちっとも嫌じゃない。

 それにしても、日本では、どうしてこのような光景を目にすることが少ないのだろう。それは、もともと日本人が「イエス/ノー」を曖昧にする国民性だからかもしれない。オープンな場所で抱き合ってキスをしたりするのは、はっきりとした「イエス」を示すことだと思う。しかし、私たち日本人は、「イエス」も「ノー」もなかなかはっきりと言うことができない。

 例えば滞在中、こんなことがあった。ユーロスターに乗ってパリからロンドンに着いた日、私たちはスーツケースを抱えて、リフト(エレベータ)のないアンダーグラウンドの駅の階段を昇っていた。ガンモは自分のスーツケースを楽々と持ち上げていたが、、私はスーツケースを持ち上げるのに四苦八苦していた。そこへ、これからアンダーグラウンドを利用しようとしていたある子供さん連れの英国紳士が通り掛かり、私に、
「手伝いましょうか?」
と言ってくださった。私は、
「ありがとうございます。でも、大丈夫です。手伝うには及びません」
と言おうとして、何となく曖昧に返事をしてしまった。すると、英国紳士は、私が手伝いを望んでいるのか、それとも手伝いを必要としていないのかわからず、しばらく私の様子を見守っていた。そこで私は、ようやく、
「いえ、結構です。ありがとう」
と言った。すると、英国紳士はひとまず階段を下りてホームに行ったのだが、いつでも手伝いに駆けつけるといった様子で、階段の下から心配そうに私を見上げていた。私はそれを見て、
「大丈夫。ありがとう」
と、相手を制するような素振りを見せたのだが、このことを通して、「イエス/ノー」をはっきりと相手に示すことはとても大切なことだと実感した。

 また、飛行機やホテルでコーヒーや紅茶をすすめられたときも、筋腫のために大好きな紅茶を絶っているのでお断りしたかったが、ついついあいまいな返事をしてしまい、私のカップにコーヒーや紅茶が注がれたことが何度かあった。

 日本人は、自分の感情を曖昧に表現することで、社会的な秩序を守ろうとしているように思う。言い換えれば、感情表現が曖昧な分、「イエス/ノー」を相手にそれとなく察してもらうことを常に望んでいる。だから、男女の愛情表現もどこか押し隠したものになってしまうのかもしれない。日本人も、「イエス/ノー」をはっきりと示し続けることができれば、大勢の人たちの前でキスをしたくなるような感極まる状況に自分自身を置くことができるのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私たちも新婚当時は、みんなの前でキスをしまくっていました。今でも、軽いキスならば、街角では交わせますが、さすがに大英博物館の前では恥ずかしいですね。(苦笑)そう言えば、人前で交されるキスでも、どこか不快感を伴うキスがありますよね。そういうときは、キスを交している人たちが、自分たちの世界と周りを完全に切り離している利己的なキスであるように思います。しかし、今回ご紹介したような、情熱カップルは、自分たちの世界と周りを完全に切り離してはいないと感じました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2008.08.24

カリカリのサンドイッチ

安上がりなフランス語素材の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 旅はとっくに終わり、二週間近くも前から既に仕事も再開しているのですが、まだ夏休みの旅行記を書いています。(苦笑)書くのを止めてしまうと、楽しかった夏休みの思い出がどんどん遠ざかってしまうような気がして、必死に守ろうとしているのかもしれません。よろしければ、もう少しだけお付き合いくだされば幸いです。

 パリでもロンドンでも、私たちが主に食べていたのはサンドイッチだった。朝はホテルでバイキング形式の朝食を取り、昼はサンドイッチの専門店でサンドイッチを買って食べた。夜はスーパーに足を運び、出来合いのサンドイッチがあればサンドイッチとカット野菜を買い、出来合いのサンドイッチにカット野菜を加えて食べていた。また、出来合いのサンドイッチがスーパーになければ、代わりに薄切りの食パンとお惣菜を買って、日本式のサンドイッチを作って食べていた。あまり外食をしなかったのは、筋腫のためにできるだけ菜食で通したかったことと、できるだけ多くの野菜を取りたかったことに加え、少しでも早くホテルに帰って「ガンまる日記」を書きたかったからである。

 パリのサンドイッチには、筋腫に良くない乳製品のチーズが含まれることが多かったため、出来合いのサンドイッチを食べるのは少々躊躇したが、味はとてもおいしかった。一方、ロンドンのサンドイッチには、わずかではあるものの、緑の野菜も含まれていることが多く、味はもちろんのこと、色合いも良かった。パリのサンドイッチもロンドンのサンドイッチも、おいしさの秘密は、カリカリのフランスパンにあったようである。

サンドイッチのお店で売られているロンドンのサンドイッチ。
写真を見ているだけでもカリカリ感が漂って来る。
一つの価格は三ポンド強なので、日本円にするとだいたい七百五十円前後。
購入すると、お店の人が、一本一本細長い紙袋に入れてくれる。

ロンドンのスーパーで売られているサンドイッチにカット野菜を足したもの(左)
ロンドンのスーパーで売られているサンドイッチ(右)
スーパーにはいつも夕方に足を運んでいたので、売れ残りしか購入することができなかった。
売れ残っているのは、ご覧の通り、一番安いツナとスィートコーンのサンドイッチ。
日本円にすると、だいたい四百円くらい。

ロンドンのスーパーで売られているサンドイッチにカット野菜を足したもの(左)
カット野菜(右)

こちらは、パリのスーパーで買った薄切りの食パンとお惣菜、そしてカット野菜。
薄切りの食パンにお惣菜とカット野菜を挟んで食べた。
また、食事のお供として、ネクター。
ちなみに、私の本名はMIEなので、薄切り食パンにMIEと書かれていることに親しみがわいた

 私は、カリカリのサンドイッチを忘れることができず、帰国してから日本のスーパーでフランスパンを買って来て、真ん中を割り、その中にサラダを詰めて再現してみた。しかし、日本のフランスパンはカリカリ感がなくもちっとしていて、パリやロンドンで食べたフランスパンとは異なっていた。もちろん、もともとフランスパンの焼き方が異なっているのかもしれないが、私には、日本は湿気が多いために、もちっとした食感になってしまっているのではないかという気がしている。

 というのも、良く食べて良く遊んだ今回の旅行から帰って来て体重計に乗ってみると、体重が一.五キロほど落ちていたからだ。ガンモは、一日中、あちらこちらを歩き回って運動していたために痩せたのではないかと言っていたが、私は、フランスパンがカリカリになるように、私の身体からも余分な水分が排出されて軽くなっていたのではないかと思っている。その証拠に、帰国してわずか数日で体重が元に戻ってしまったからだ。去年、ロンドンを旅行したあとも同じようなことが起こっていたので、やはり、湿度の違いが体重の違いに大きく関係しているという考えは、あながち的外れではないと思っている。ダイエットしたいと思ったら、湿度の少ない国に出掛けて行くのもいいかもしれない。ただし、帰国すると瞬く間に元に戻ってしまうので、リバウンドは覚悟しなければならない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m カリカリのフランスパンを使ったおいしいサンドイッチを食べさせてくれるお店は日本にもあるのでしょうか。そう言えば、アメリカ生まれのSUBWAYというサンドイッチショップがありますよね。確かSUBWAYは四種類のパンを選べたと思うので、カリカリのパンのフランスパンを選ぶことができるといいのですが・・・・・・。でも、例えカリカリのフランスパンが選択肢に上がったとしても、SUBWAYのサンドイッチは水分が多いですよね。どうやらそこも違うのです。やはり水分が多いと感じてしまうのも、日本に湿気が多いせいなのかもしれません。ああ、早くもカリカリのサンドイッチへの想いが膨らんでいます。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (1)

2008.08.23

安上がりなフランス語教材

難しいトイレ(4)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 有料公衆トイレの扉が開いたとき、便座に座っていたおじさんもまた、特に慌ててはいませんでした。扉が開いてしまったのだから、今更慌てても仕方がないのですが。(苦笑)中に入っているのがおじさんだったからまだ救われたものの、結婚前の若い女性であれば、お嫁に行けなくなるかもしれません。(苦笑)

 私は、出発の二週間ほど前から、主に休日を利用してあちらこちらの百円ショップダイソーを駆けずり回っていた。安上がりな英語教材にも書いたように、百円ショップダイソーでは、「CDで学ぶ会話シリーズ」という語学教材が販売されている。このシリーズには、英語はもちろんのこと、フランス語、ドイツ語、イタリア語、スペイン語、ロシア語、インドネシア語、中国語、韓国語、ブラジル語、ポルトガル語、タイ・ベトナム・ヘブライ・アラビア・ギリシャ語の教材もある。それぞれ、ネイティヴスピーカーによる基本的な会話が収録されたCDが税込みで百五円、CDの内容を収録したテキストが税込みで百五円という驚きの安さである。

通じる!かんたんフランス語会話/そのまま使えるフランス語会話

 何故、あちらこちらのダイソーを駆けずり回っていたかというと、人気の商品なのか、一つのダイソーではなかなか揃わなかったからだ。ひとまずCDだけは入手できたものの、対応するテキストが在庫切れだったり、また、そもそも「CDで学ぶ会話シリーズ」の商品を扱っていないダイソーもあったりと、私は四苦八苦しながらようやくフランス語に関する四つの教材をすべて集めることに成功したのである。

 購入したCDをMP3に変換し、デジタルメモリプレイヤーで再生しながらテキストに目を通した。それぞれ、わずか百五円のCDとテキストだが、驚いたことに、内容はなかなか本格的で感動に値するものだった。しかも、フランス語の美しさをじわじわと実感することのできるありがたい構成になっていた。フランス語は、耳で聞くにはとても心地がいい。しかし、悲しいことに、意味がさっぱりわからない。

 ちなみに、ダイソーのフランス語教材としは、「通じる!かんたんフランス語会話」と「そのまま使えるフランス語会話」の二種類の教材が用意されているが、どちらも似たり寄ったりの内容だったので、実際にはどちらか一つの組み合わせを購入しただけでも良かったかもしれない。

 こうして、普段は英語学習に使用しているデジタルメモリプレイヤーがフランス語学習のためのツールに早変わりしたわけだが、実際にパリを訪れて、これらのツールが役立ったかと言うと、必ずしもそうではない。

 というのも、コミュニケーションは必ずしも一方通行では終わらないからだ。こちらから発信する情報としては、教材に掲載されている例文で何とか間に合うかもしれないが、それに対する相手の受け答えは、教材には掲載されていない場合がある。何故なら、教材に掲載されているのは、あくまで代表的な回答例に過ぎないからだ。それだけに、こちらからフランス語で発信したとしても、相手のフランス語を受信できるかどうか、自信がない。そのため、フランス語で問い掛けることに対し、最初から躊躇してしまい、できる限り英語で何とかしようと思ってしまうのだった。

 それに加え、私たちがフランス語を話すことに戸惑っていると、ほとんどの方たちは英語で話し掛けてくださった。滞在中はそれがとてもありがたかったのだが、今になって思えば、フランスを訪れたのにほとんどフランス語を話さずに帰って来たというのは、何ともフランスに対して失礼な態度を取ってしまったと反省している。

 出発直前に、何とか時間を作って、かつて劇場で鑑賞したオムニバス映画『パリ、ジュテーム』をDVDで鑑賞し直した。その作品の中に、アメリカ人女性が一人でパリを旅行している作品がある。彼女は現地の人にフランス語で話し掛けるのだが、相手は英語で答えてくれる。それに対し、「フランス語で話そうとする気持ちが大切なのだ」といった彼女のナレーションが流れている。私は、旅行中も帰国後も、このシーンが特にしみじみと心に染みている。

 十八年前にパリを訪れた頃は、「フランス人はフランス語が好きだから、例え英語を話せてもなかなか英語を話してくれない」という噂を聞いていた。同じ頃、パリを旅行した職場の同僚も、「ヴィトンのお店でフランス語がわかんなくて、溜息つかれちゃったよ」などとこぼしていた。しかし、現在のフランスはそうではないと感じる。英語を話せるフランス人は、外国人に対し、ちゃんと英語で話してくれる。しかし、その裏側には、日本人と同じく、外国人旅行者と母国語で語り合うことができない悲しさが潜んでいるようにも思う。

 日本においても、外国人旅行者との会話はほとんどの場合、英語で交わされている。そして、相手がたどたどしい日本語で話し掛けてくれると、妙にうれしかったりもする。もしかすると、フランスと日本は、そうしたうれしさを共有できる国同士なのではないかという気がして来た。もちろん、その反面、互いに母国語で外国人との会話が成り立ちにくいという悲しい運命も背負っている。今回の旅行で、私はそこに、これまで気付かなかったフランスと日本との共通点を見たのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ちなみに、フランス滞在中、最も良く使用したフランス語は、「メルシー」と「ボンジュール」でした。英語の"Thank you."と"Hello."に慣れている私たちは、「メルシー」よりも"Thank you."と言ってしまったことが何度もありました。うれしかったのは、大学のときに習ったフランス語で、「ジャリーヴ(今、行きます)」という言葉がずっと耳に残っていたのですが、実際にサンドイッチのお店でその言葉を聞くことができたことです。耳で覚えた言葉は、生きたままずっと残っていることが証明されました。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2008.08.22

難しいトイレ(4)

難しいトイレ(3)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 便座を洗浄するのは、使い捨てではなく、再利用の発想からでしょうか。そう言えば、二年前にハワイに行ったときは、公衆トイレにおいても、便座シートやペーパータオルが贅沢に使用されていたことを思い出します。国をあげての省エネルギー、省資源が実現されているかどうかは、意外にも身近なところで判断できてしまうものなのですね。果たして、日本はどうでしょうか。それでは、難しいトイレシリーズの最終回をお届けしたいと思います。

 難しいトイレの話もいよいよ最終回を迎え、舞台をフランスからイギリスへと移すことになる。大英博物館でミイラとご対面した日のことである。大英博物館近くの公園の前にある有料公衆トイレを利用するために、タクシーの運転手さんらしき男性がコインを投入した。私は、有料公衆トイレの扉がコインにどのように反応して開くのか、すぐ近くで見守っていた。ところが、待てど暮らせど、有料公衆トイレの扉は開きそうになかった。有料公衆トイレにコインを投入した男性は、「あれ、おかしいなあ」といった素振りを見せてはいたものの、さすが英国紳士である。取り立てて慌てる様子もなく、とても落ち着いた様子でその場に立ち尽くしていた。男性は、私が側で見守っているのを知ると、私に苦笑いしたので、私も苦笑いを返してその場を立ち去った。

 その翌日、私たちはリバーボートでグリニッジへまで出掛けた。あいにくの雨の中、Greenwich Peirで降りて傘をさして歩き始めると、間もなく観覧車のある公園が見えて来た。公園の近くには有料公衆トイレがあり、三人組のおじさんたちがその有料公衆トイレを操作中だったらしく、有料公衆トイレの扉が開いていた。私は、おじさんたちの誰かがこれから有料公衆トイレを利用するのだと思い、有料公衆トイレの扉がどのように閉まるのかを見届けたいと思った。すると、三人のうち、二人のおじさんが仲良く一緒に公衆トイレに入って行ったのだ。しかも、入ったあと、有料公衆トイレの扉を閉めるのかと思いきや、二人のおじさんたちは扉を閉めようとはしなかった。おそらくおじさんたちは、男性用のトイレを利用したのだろう。扉を閉めてしまえば、再び扉を開けるのに料金が掛かる。となると、このあと残ったおじさんは、男性用のトイレではなく、便座付きのトイレを利用されるのだろうか。

 扉を開けたまま、男性用のトイレを利用した二人のおじさんは、間もなく有料公衆トイレから出て来た。その後、私が予想した通り、残ったおじさんが一人で有料公衆トイレに入って行った。そして、今度は扉を閉めてしまった。先に出て来たおじさんたちの一人が、私が有料公衆トイレの様子に見入っていることに気付くと、
「このトイレは難しい。最初はお金を入れてもなかなか扉が開かなかった」
と言った。なるほど、それで、しばらく三人で悪戦苦闘したあと、ようやく機嫌を直して開いた有料公衆トイレを三人で代わる代わる利用することにしたのだろう。私は、有料公衆トイレが当たり前のように存在しているイギリスでも、そこに住む人たちは、このようにしてトイレ料金を節約する工夫をしていたのだと感心した。

 私は、その後もしばらく有料公衆トイレの様子を見守っていた。もしも、先ほど有料公衆トイレに入って行ったおじさんが有料公衆トイレから出て行くときに扉を閉めなかったとしたら、有料公衆トイレの扉は開いたままである。となると、そのあと私たちが利用させてもらってもいいのではないだろうか。私はまたしても、そんなよからぬことを考えていた。

 やがて、有料公衆トイレの扉が静かに開いた。しかし、最後に有料公衆トイレに入ったおじさんはなかなか出て来なかった。扉が開いた範囲で有料公衆トイレの中の様子に目をやってみると、何と、最後に入ったおじさんがまだ便座に座っているではないか。ということは、有料公衆トイレの扉は、おじさんがまったく意図しないときに勝手に開いてしまったのだ。確かに別のおじさんが言っていた通り、難しいトイレである。

 私はガンモに、
「どう? おじさんが開けてくれたトイレに私たちも一緒に入ってみる?」
と提案した。するとガンモは、
「扉が勝手に開いたら嫌だ」
と言って、嫌がった。確かにガンモの言う通りである。便器に座っていたおじさんが出て行ったあとも、扉が開いたままの状態であれば、私たちもコインを投入することなく有料公衆トイレを利用することができるかもしれないが、いったん扉を閉めて、まさしく用を足しているときに扉が開いてしまったとしたら恥ずかしい。私たちはよからぬ計画を諦めて、別のトイレを探すことにしたのだった。すると、そこからわずか数分歩いたところに、無料公衆トイレがあったのだ。私たちは、迷わず無料公衆トイレを利用することにした。扉がいつ開くかわからない有料公衆トイレよりも、自分で扉を開け閉めできる無料公衆トイレのほうが安心して利用することができたのは言うまでもない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 二日間連続で、扉の調子が良くない有料公衆トイレに出くわしました。やはり、少しでもトイレ料金を節約しようとして、少々無理な運用が強いられるために、扉の調子が良くないのかもしれませんね。それにしても、有料公衆トイレが当たり前のように設置されている国には、利用者の間でそれなりの工夫があるものですね。扉を開けたまま二人で一緒にトイレに入るなんて、思い付きもしませんでした。ちなみに、今回の記事でご紹介した有料公衆トイレを、先日の記事でご紹介したスライドショーに収めています。深緑色の有料公衆トイレの前に、肩を落として立っている男性が、お金を入れたのに扉が開かなかった男性です。グリニッジで見掛けた有料公衆トイレもまた、これと同じタイプの有料公衆トイレだったと思います。皆さんも、イギリスを旅行されたときは、開かないこともあれば、まったく意図しないときに開くこともある有料公衆トイレの扉には十分ご注意ください。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2008.08.21

難しいトイレ(3)

難しいトイレ(2)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 当たり前になってしまえばすんなりと受け入れられるのかもしれませんが、トイレが無料の国で生まれ育った私には、トイレを利用するのわざわざお金を払うということが、何ともしっくり来ませんでした。だから、できる限り無料のトイレを利用していたのですが、有料のトイレで面白い体験ができたので、トイレの使用料を支払ったというよりも、面白い体験料を支払ったような気持ちであります。(笑)さて今回も、トイレにまつわる話を書かせていただきますね。

 私たちは、ソンム湾鉄道に乗って、フランスの人たちが夏休みを過ごしているであろう場所に足を運んだ。そこには小さな港やカフェや出来合いの遊戯施設があった。心地良い海の風に吹かれながら、 港の周辺を散歩していた私たちは、港の近くで無料公衆トイレを見付けた。

 私は、ソンム湾鉄道を降りたときに、既に終点のLe Crotoy駅でトイレをお借りしたので、まだそれほどトイレに行きたい状況ではなかった。しかし、Le Crotoy駅のトイレを利用しなかったガンモが、その無料公衆トイレを利用すると言って中に入って行ったので、私はしばらく外で待っていた。

 用を足して無料公衆トイレから出て来たガンモは、首をかしげながら、何やら神妙な顔つきをしていた。そして、
「ここのトイレは、行っておくべきだと思うよ」
と私に言った。私は、何だろうと思いながら、ガンモの推薦通り、その無料公衆トイレに入ってみることにした。

 中はとても広く、無料公衆トイレにしてはなかなか近代的なトイレだった。私は、真ん丸の便座に腰を下ろし、用を足したあと、立ち上がって水を流した。水は普通に流れたのだが、しばらくすると、驚いたことに、便座が回転し始めたのである。しかも、回転するだけならまだしも、便座に接触するように取り付けられたノズルから、水がさらさらと流れているのである。「ええっ? 何? このトイレは?」

 最近はほとんど見掛けなくなってしまったが、かつて日本にも、スイッチを押すと、ビニール製または紙製の便座シートがしゅるしゅると出て来るトイレがあった。しかし、私が先ほど利用した公衆トイレは、大胆にも便座を水で洗浄しているのである。しかも、便座を洗浄し終わると、特に便座を乾かす様子もなく、便座は濡れたままの状態で放置された。いやはや、世の中には変わったトイレがあるものだ。

 私は、面白い体験をさせてもらった満足感を味わいながらも、やはりガンモと同じように首をかしげながら無料公衆トイレを出た。私はガンモに、
「便座を洗浄してたよね?」
と確認した。ガンモは、
「うん、洗浄してた」
と言った。
「でも、洗った便座を乾かさないのかな?」
と私が言うと、ガンモは、
「うん、そうみたいだね。変わったトイレだった」
と答えた。

 フランスは、日本よりもずっと省エネルギー化、省資源化が進んでいる国である。例えば、スーパーのレジ袋も、こちらから申し出ない限り付けてはもらえないし、列車内の電気も、発車直前まで点灯されない。また、外がどれほど暑くても、既にたくさんの人たちが乗り込んでいようとも、路線バスのクーラーが入るのは発車直前である。そう言えば、私はフランスでスーパーを訪れる度に、日本から持参したエコバッグを何度も活用させていた。そんなフランスだから、便座シートを使うよりも、水を使って毎回、便器を使って洗浄したほうが省エネルギーに繋がっていると判断されたのかもしれない。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、難しいトイレをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m お食事どきに読んでくださっている方もいらっしゃるようなので、トイレの画像を貼り付けるのはどうかとも思い、躊躇していましたが、やはりリアルな情報をお伝えして行きたいと思い直し、思い切って画像を貼り付けさせていただきました。ちなみに、今回の記事に書いた便座洗浄トイレは、真ん丸い便座の公衆トイレです。また、これまでの記事の中に登場したコインを投入するトイレや怪しげなるコインの自動販売機、それから、一円玉を引き伸ばしたような怪しげなるコインの画像も収めています。ちなみに、洗面台の写真もありますが、残念ながら、シャルル・ド・ゴール空港のおしゃれな洗面台ではありません。なお、難しいトイレのシリーズは、多分、あと一回だけ続きます。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2008.08.20

難しいトイレ(2)

難しいトイレ(1)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m この記事に対し、たくさんの応援クリックをありがとうございました。コンタクトレンズを流してしまったときには、本当に焦りました。(苦笑)しかし、ピンチは何とか切り抜けられるものですね。これでもしもコンタクトレンズが洗面台の外に流れてしまっていたら、果たしてどんな旅行になっていたのでしょうか。想像してみただけでも身震いがします。さて今回も、トイレのお話を続けて行きたいと思います。

 日本ではあまり考えられないことだが、パリでもロンドンでも、有料公衆トイレが多い。また、フランス国鉄や旧イギリス国鉄の駅には有料公衆トイレの設備があるのだが、パリのメトロやロンドンのアンダーグラウンドの駅にはトイレの設備がない。そのため、観光地などで無料公衆トイレに出会えると、ほとんどの人たちがまっしぐらにトイレを利用している。滞在中、私たちも観光地などの無料公衆トイレを積極的に利用していたのだが、無料公衆トイレが近くにない場合は、お金を払って有料公衆トイレを利用することになった。

 初めて有料公衆トイレを利用したのは、「俺は捕まってたから」の記事に書いたAMIENSのスーパーを利用したときのことである。AMIENSに着く前に、列車の中にある無料トイレを利用しておけば良かったのに、タイミングを逃してしまい、そのままAMIENSで降りることになってしまった。AMIENSの駅にも有料公衆トイレはあったのだが、壊れていて利用できなかった。そこで、「俺は捕まってたから」の記事に書いたスーパーのトイレに足を運んだというわけである。

 日本人的な感覚から、スーパーのトイレなら無料だろうと思っていたのだが、トイレの個室のドアにはしっかりとコインを投入する仕掛けが施されていた。そこにコインを投入しなければ、個室のドアが開かない仕組みになっているようである。ちなみに、トイレの利用代金は〇.四〇ユーロ(日本円で七十円足らず)である。あいにく、私には小銭の持ち合わせがなかったので、ガンモに小銭の持ち合わせはあるかと尋ねてみた。しかし、ガンモにもちょうど〇.四〇ユーロの持ち合わせがなかった。ガンモの財布には、〇.五〇ユーロならあるらしいのだが、〇.五〇ユーロを入れて個室のドアが開かなかったら悔しい。私たちは、トイレの前でしばらく気をもんでいた。

 しかし私たちは、そもそも〇.四〇ユーロ玉というのは存在しないことにはたと気が付いた。となると、コイン投入口には〇.二〇ユーロを二枚投入するのだろうか? それとも、〇.五〇ユーロを投入すれば、〇.一〇ユーロのお釣りが出て来るのだろうか? そんな考えをあれ思い巡らせていると、トイレの入口に両替機のようなものが設置されているのを発見した。どうやらここで、有料トイレを利用するための専用のコインを購入するようである。

 ガンモは早速、〇.五〇ユーロを両替機のような機械に入れた。すると、お釣りの〇.一〇ユーロと何やら怪しげなるコインが一緒に出て来た。まるで、一円玉を引き伸ばしたかのような、のっぺりとした何の刻印もない怪しげなるコインである。私はその怪しげなるコインを、恐る恐る個室のコイン投入口から投入してみた。すると、これまで開かなかったドアが、カチャリと音を立てて開いたのだ。これはなかなか愉快だ。こうした発想ならば、それぞれのトイレの個室にお釣りの用意が要らない。これもまたコインランドリー同様、有料トイレの集中管理システムである。しかし、こうした有料トイレに慣れない人は、入口にある両替機のようなものに気付くこともなく、自分にはちょうど〇.四〇ユーロの持ち合わせがないと断念し、トイレを我慢する人も出て来るかもしれない。

 さて、その翌日のことである。私たちは早起きして、モン・サン・ミッシェルまで遠出した。モン・サン・ミッシェルに向かうバス乗り場にも、有料トイレがあった。一時間以上、バスに乗るので、できればトイレは済ませておきたい。有料トイレの利用料金は、昨日のスーパーよりも少々高めの〇.五〇ユーロ(日本円で八十円程度)だった。

 有料トイレの入口には、前日のスーパーで見たようなコインの投入口があったので、私は財布をまさぐってコインを探した。しかし、またしてもちょうど〇.五〇ユーロの持ち合わせがなかった。そのとき私は、前日のスーパーで使った、平べったい怪しげなるトイレ専用コインのことを思い出し、もしかすると、コインらしいものであれば、どんなものでも認識して扉が開くのではないかとよからぬことを思い付いた。そこで、十八年前にパリを旅行したときに残した十フラン硬貨を投入してみたのである。しかし、残念ながら、扉は開かなかった。しかも、投入した十フラン硬貨はとうとう戻っては来なかった。やはり、よからぬことを思い付くものではない。

 ところが、私が扉の前でもたもたしていると、驚いたことに、扉が反対側から開いたのである。「えっ? この個室、人が入ってたの?」と思い、一瞬、ぎくりとしたのだが、開いた扉の向こう側を覗き込んでみると、その扉は個室への入口ではなく、集合体としてのトイレの入口になっていたのだ。私は予想外の展開に驚いたが、扉が開いてラッキーと思い直し、図々しくも、そのままトイレの中に入った。そして、何食わぬ顔で用を足し、再びその扉から出て行った。

 すると、更に驚いたことに、その扉の向こう側では、扉が開くのを待っている人がいるではないか。つまり、その扉が有料トイレの個室に続く扉ではないことを知っている人たちは、自分の財布からコインを取り出して扉を開けるのではなく、出て行く人が扉を開けたタイミングを見計らって、さりげなく中に入るという方法で有料トイレを利用していたのである。私などは、もはや使えない硬貨であったにしても、十フラン払って入った分だけ、まだマシである。ちなみに、十フランは、現在の通貨であるユーロに置き換えると一.五二ユーロ(日本円でおよそ二百五十円弱)に相当するそうだ。すなわち私は、わずか〇.五〇ユーロで利用できるトイレに対し、一.五二ユーロも支払ったことになる。十八年前の旅行の記念に取っておいた貴重な十フラン硬貨一枚を消費してしまった上に、通常よりも割高なお金を支払ってトイレを利用することになってしまったことが、今となってはちょっぴり心残りである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実は、この十フラン硬貨は、フランスでまだ使えるかもしれないと期待を抱きながら、日本から持ち込んだものでした。幸いなことに、私の手元にはあと四枚の十フラン硬貨が残っています。しかし、もうよからぬことは企みません。(苦笑)有料トイレに対し、このような利用法があったことは驚きでした。多分、ガイドブックにも書かれていない利用法だろうと思います。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2008.08.19

難しいトイレ(1)

行きは怖いが、帰りは優しいパリのメトロの改札の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 英雄になりたかったのに、英雄にはなれませんでした。(苦笑)私が通勤に利用している神戸市営地下鉄の改札は、入口と出口でまったく同じ機械を使っています。JRもそうです。だから、改札を通るとき、さあ入ろう(出よう)とすると、反対側からやって来た人に改札の機械を占有されてしまい、通ろうと思っていた改札が一時的に使用できなくなってしまうこともしばしばです。しかし、パリのメトロは入口の機械と出口の機械がまったく別物なんですね。日本の改札の機械が入口と出口を兼ねた両性具有ならば、パリのメトロの改札は、入口と出口で男女別々に分かれているといったところでしょうか。さて今回の記事からは、複数回に渡って、旅行中に遭遇したトイレにまつわる話を書いてみたいと思います。

 今回の旅行では、関西国際空港からエールフランスに乗り、パリに飛んだ。十二時間弱のフライト中、私は飛行機の中でずっとコンタクトレンズを装着したままだった。そのため、シャルル・ド・ゴール空港に到着した頃には、コンタクトレンズがすっかり乾いてしまい、目がかなりしょぼしょぼしていた。そこで、入国審査の前にコンタクトレンズを外して眼鏡姿に変身しようと、シャルル・ド・ゴール空港のトイレに入った。

 シャルル・ド・ゴール空港のトイレの洗面台は、凹凸が洗面台のカーブに自然に吸収されてしまっているかのような、とても洗練されたデザインだった。私は、フランスに着いていきなりおしゃれな洗面台を使用できることを、とてもうれしく思ったものだ。

 用を足してひとまず手を洗ったあと、私はその洗面台でコンタクトレンズを外すことにした。コンタクトレンズはすぐに外れたのだが、外したコンタクトレンズを洗浄しようにも、その洗面台が、最近流行りの自動給水式の洗面台であることに四苦八苦していた。手を洗おうとして手をかざせば、センサーが反応して水はすぐに出て来るのだが、コンタクトレンズを持った手をかざすと、手だけを洗う姿勢とはセンサーの反応する位置が微妙に異なるのか、なかなか水が出て来てくれない。しかも、ようやく出て来たとしても、出て来る水の量を調整することができず、出て来た水の勢いで、あれよあれよという間にコンタクトレンズが手の間から滑り落ちてしまった。

 私はとにかく焦った。旅行はまだ始まったばかりだというのに、初日からいきなりコンタクトレンズを紛失してしまったのでは、せっかくの旅行も心理的に楽しめない。私はすがる思いで、おしゃれな洗面台にコンタクトレンズが落ちていないかどうか、目を皿のようにして調べ始めた。すると、あったのだ。運良くと言うべきか、それとも運悪くと言うべきか、私の手から滑り落ちてしまったコンタクトレンズは、おしゃれな洗面台の上に凸型に張り付いていた。

 私は、ほっと胸を撫で下ろしたものの、今度は凸型に張り付いたコンタクトレンズを剥がすことにやっきになっていた。ハードコンタクトレンズをお持ちの方なら、一度や二度は経験があるだろう。洗面台の上に、コンタクトレンズが凸面を上にして落ちてしまったとき、なかなかコンタクトレンズを救出できずに四苦八苦してしまうという経験が・・・・・・。 

 私は、凸型に張り付いたコンタクトレンズを何度も何度も剥がそうと試みたが、コンタクトレンズはいっこうに剥がれてはくれなかった。困った。本当に困った。どうやら、凸面を上にして洗面台に張り付いてしまったコンタクトレンズは、空気を吸って、吸盤のように洗面台に張り付いてしまっているようだ。

 私は、何とかして吸盤の中に少しでも水を送り込むことができれば剥がれるのではないかと思い、手で水をすくっては、吸盤のように張り付いたコンタクトレンズの上にさらさらと掛けてみた。そして、今度は指を使って、洗面台から吸盤のコンタクトレンズを引き剥がそうと努力した。何度目かの挑戦で、ようやくコンタクトレンズが剥がれた。やれやれである。

 しかし、安心したのも束の間、洗面台から剥がれ落ちたコンタクトレンズは、排水溝に直行してしまったのである。私は息を呑んだ。「お願い! 私の旅行は始まったばかりなの! 流れて行かないで!」と懇願していると、おしゃれな洗面台には、排水を止める栓はなかったものの、粗い網のような作りの排水溝があった。その粗い網の排水溝に、私のコンタクトレンズは何とか引っかかってくれたのだ。私は、慎重に手を伸ばし、流れたコンタクトレンズを救出し、コンタクトレンズの洗浄液できれいに洗ってコンタクトレンズケースに収めた。ふう、やれやれである。

 私のように、ハードコンタクトレンズを使用している人などは特に、センサー式の自動給水に対し、ありがたくないと思っている人も多いのではないだろうか。自宅でコンタクトレンズを洗浄するときは、蛇口の水をちょろちょろと出して、慎重に洗浄しているはずだ。そう、自分で蛇口をひねって水の量を調節できる水道ならば、今回のように、コンタクトレンズの洗浄中にコンタクトレンズを洗面台に流してしまうことも少ない。しかし、水の量を調節できないセンサー式の洗面台は、水の勢いでうっかりコンタクトレンズを流してしまうことも起こり得るため、細心の注意が必要である。

 同様に、私はトイレの自動洗浄についても、あまりありがたくないと思っている。何故なら、私がまだトイレットペーパーを使い終わらないうちに、さっさと洗浄してしまうトイレが多いからだ。これでは、かえって水の無駄使いになってしまうと思う。水の量も、水を流すタイミングも、できれば自分で選びたいものである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m シャルル・ド・ゴール空港のトイレの洗面台には栓がなく、代わりに粗い網が排水溝を守っていました。もしも栓があれば、洗面台でコンタクトレンズを外す人は、迷わず洗面台に栓をして水を貯めますよね。だから、コンタクトレンズが吸盤のように洗面台に張り付いてしまったとしても、次第に水かさが増してくれば、張り付いたコンタクトレンズをやがて水がさらってくれます。しかし、水を貯めることができないと、こういうことが起こるのですね。長時間のフライトに疲れて、シャルル・ド・ゴール空港でコンタクトレンズを外す人は、どうか気をつけてください。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2008.08.18

行きは怖いが、帰りは優しいパリのメトロの改札

リトル・ベニスの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m お恥ずかしい話ですが、野生のリスを見たのはこのときが初めてだったかもしれません。検索エンジンで検索してみましたら、ロンドンで野生のリスをご覧になったという方が他にもいらっしゃいましたので、やはりロンドンに野生のリスがいることは確かなようです。さて、今回は短めの写真になりますが、もう少し、旅の話を続けて行きます。

 私たちはフランス国鉄の鉄道フリーパスを購入していたが、鉄道フリーパスは遠出をするときに利用することにして、パリ市内の移動には、ほとんどメトロを利用していた。初めてパリのメトロに乗車するとき、滞在中、何度もメトロを利用することになるだろうと、自動券売機でメトロの回数券を購入した。ガンモは購入した回数券を、私に一枚渡してくれた。私は、パリのメトロの改札がとても複雑な造りをしていることをガイドブックで見て知っていたので、ガンモよりも先に改札をくぐって英雄になろうと、ガンモから回数券を受け取るや否や、さっさと近くの改札をくぐってしまった。ご存知の方もいらっしゃると思うが、パリのメトロの改札は、「本当に開くのだろうか?」と不安になってしまうくらい複雑な造りをしているのだ。切符が認識されると、楕円形のゲートが横にカシャンと開くのである。

 私が先に改札をくぐったので、ガンモが悔しがるだろうと思っていたのだが、何だかガンモの様子がおかしい。改札の外で何やら言っている。
「まるみ! そこは反対側のホームの改札だから!」
「ええっ!?」

 私が驚いたのは言うまでもない。ガンモよりも先にパリのメトロの改札をくぐって、英雄になろうとしたはずなのに、何と、行き先とは反対のホームの改札をくぐってしまったのだ。しかし、日本の地下鉄と同じ構造ならば、通路を渡って反対側のホームに出られるはずだ。果たして、私がくぐったメトロの改札は、反対側のホームにも続いているのだろうか。私はガンモに、
「反対側のホームに出られたら電話するよ」
と言って、ホームに下りてみた。ガンモは、私が反対側のホームに出られるかどうかわかるまで、改札の外で待っていてくれるという。

 ところが、私が降りたホームには、反対側のホームに続くような通路はなかった。通路として存在していたのは、sortie(出口)に続く道だけである。やはり、ガンモが心配していた通り、私がくぐった改札は、反対側のホーム専用の改札だったのだ。私は諦めて、sortieを目指した。ところが、sortieもまた、日本とは異なる造りをしていた。もしかすると、裏側に鉄道警察隊が防弾チョッキを着て、盾を構えて控えているのではないかと思ってしまうような造りだった。パリのメトロを何度か利用するうちにわかったことだが、鉄道警察隊パージョンの他に、スーパーの勝手口バージョンのsortieもあった。それでも、改札に比べると造りは簡単で、日本のように、出て行くときに券を通す必要もなかった。つまり、sortieでは切符を回収されないのである。

 sortieを通った私は、あまりにもあっけない回数券の短い命を哀れに思った。まるで、パリのメトロの改札の通過テストを行ったかのようだ。私は、sortieに出たことを知らせるためにガンモに電話を掛けた。驚くべきことに、この電話は国際電話になってしまうのだ。私たちは二人とも日本の携帯電話を持ち込んでいたので、距離的にはとても近いところにいるというのに、ほんのちょっと話をするにも、お互いに国際電話を掛けることになってしまったのである。発信するときに、+81が自動で付加され、頭の0が取られる。日本にいれば、家族への通話は無料なのに、これだけ距離が近くても国際電話を掛けなければならないとは、何とももったいない話である。

 私はガンモに、
「出口を通って出て来た」
と言った。それに対し、ガンモは、
「禁止!」
と言った。私は英雄になるどころか、ガンモがせっかく購入した回数券を、一枚、無駄に消費してしまったのだ。

 しかし、それでも私は諦め切れずに、
「もしかしたら、この回数券、まだ使えるかも」
などと言って、反対側のホームの改札に入るときに、さきほどの回数券を通してみた。案の定、複雑な改札機には、使用済みであることをしっかりと怒られた。ああ、もったいない。

 日本では、回数券が奇数枚数のセットで販売されているが、パリのメトロの回数券は十枚セットで販売されていた。二人で行動するのにはちょうどいい偶数である。しかし、そのうちの一枚を私があっという間に消費してしまい、奇数枚数になってしまった。その後、回数券を買い足すときに、
「あのときの一枚があればなあ」
とガンモがぼやいていたのは言うまでもない。

 結局、パリのメトロの回数券は、手元に三枚余ってしまった。
「本当は、四枚余るはずだったんだけどね」
とガンモは苦笑いしながら言った。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、行きは怖いが、帰りは優しいパリのメトロの改札をご覧ください。

※注:写真の中には、メトロ以外のRER(フランス国鉄の近郊線)改札の写真も二枚含まれています。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 改札をくぐったときは、「しめしめ。ガンモよりも先に、やっかいな改札をくぐったぞ」と思ったものです。しかし、結果はご覧の通りでした。中には、改札が二つのホームに繋がっている、日本と同じような駅もあったのですが、私たちが初めて乗車した駅は、そうではなかったようです。瞬く間に一.四五ユーロの損失となってしまいましたが、こうして記事にできたことで、良しとしたいと思います。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2008.08.17

リトル・ベニス

パリのコインランドリー初体験の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ちなみに、私たちが利用した八キロまでの洗濯物を洗濯できる洗濯機の使用料は三.四〇ユーロ(日本円でおよそ五百四十四円)でした。これに二回分の乾燥機の使用量を足しても千円に満たないので、フランス人のおじさんのおかげで、ロンドンのコインランドリーよりもずっと安く上がったことになります。(笑)根気強く語り掛けてくださったおじさんに心から感謝であります。さて今回の記事は、パリからロンドンに移動した日の午後の出来事を綴ってみたいと思います。

 ユーロスターに乗ってロンドンに到着したのはお昼過ぎだった。これからどこかに出掛けて行くには中途半端な時間だったので、私たちはパディントンのホテルにチェックインしたあと、パディントン駅から歩いて十分程度のところにあるリトル・ベニスに足を向けた。

 しかし、リトル・ベニスへの方向を示す矢印を見付けたものの、一体どこがリトル・ベニスなのか良くわからない。良くわからないまま、私たちが足を踏み入れたのは、運河に面した公園だった。ロンドンには芝生のある公園がたくさんあることをこれまでにも書いて来たが、そこは本格的な公園で、きれいな無料公衆トイレもあった。私は、芝生の上に寝転がりたい衝動に駆られたが、パリから移動して来る直前に雨が降っていたので、芝生は少々湿っていた。お天気はいいのに、芝生の上に寝転がることができないのは残念である。

 私たちは、公園の茂みの間から運河を眺めた。運河には、停泊しているいくつかの遊覧船が見えた。なるほど、ここがリトル・ベニスと呼ばれている場所に違いない。それにしても、リトル・ベニスとは良く言ったものである。美しい景色と緑の芝生のおかげで、私たちはだんだん楽しくなって来た。
「ガンモ、ここ、すごくいいよ」
と私は言った。

 運河に面したベンチに座ってしばらくくつろいでいると、茂みの中から何かが走り出た。何と、リスだった。ロンドンにリスがいるとは驚きである。私の目はリスの動きに釘付けになった。リスは素早く木に登った。木の上で何かを食べているようである。私が木の下から見上げていると、リスは木の上から何かを落とした。リスが私を追い払おうとして落としたのではない。どうやら手がすべって、食べていたものを落としてしまったらしい。リスが落としたものを確認してみると、ビスケットのようだった。リスは、いいものを見付けたと思い、誰にも邪魔されずに木の上でゆっくり食べたかったのだろうか。しかし、食べていたものを落としてふてくされてしまったのか、リスは更に木の高いところまで登り、とうとう姿が見えなくなってしまった。

 私たちは、リトル・ベニスに面した公園で、とても気持ちのいいロンドンの風を感じていた。出発する直前のパリは暑かったが、ロンドンはとても涼しい。しかし、わずか二時間余りのうちにパリからロンドンに移動して来たばかりで、まだ気持ちの切り替えができない。私たちは、リトル・ベニスでとことんロンドンを感じてみることにした。

 運河沿いの道を歩いて行くと、運河にはカモがいることがわかった。また、運河の周辺にはたくさんの鳩もいる。ガンモは、チップの小銭を作るために、パディントン駅構内にあるスーパーでフランスパンを買っていた。ガンモはそのフランスパンを小さくちぎって、鳩やカモに与えた。ふと向こう岸を見ると、白鳥のような大きな鳥に餌を与えている人たちがいた。あの、白鳥のような大きな鳥は何だろう? 私たちも、あの大きな鳥にパンを与えたい。

 そう思い、向こう岸に渡る道を見つけ、大きな鳥に餌を与えている人たちから少し離れたところにあるベンチに腰を下ろした。そして、まずは周辺を飛んでいる鳩にフランスパンを小さくちぎって与えた。すると、白鳥のような大きな鳥も反応を示し、少しずつ私たちとの距離を縮めて来た。とは言うものの、信頼関係がまだ出来上がっていないうちは、いきなり手からは食べてくれないので、ガンモは大きな鳥の足元にフランスパンをちぎって投げた。すると、それらを瞬く間に平らげた大きな鳥が、もっとたくさんのフランスパンを求めて近づいて来た。ガンモはやがて餌付けに成功し、大きな鳥はガンモの手からパンを食べるようになった。しかし、彼らはガンモの指をパンと間違えて突付くため、ガンモはしばしば
「痛ぁい!」
と悲鳴をあげていた。実際、ひどく痛かったらしい。

 それにしても、何だろう、この感じは。知り合いがいるわけでもないロンドンにやって来ても、誰かが私たちを歓迎してくれるわけではなかった。私たちが宿泊しているホテルのスタッフは、去年、宿泊したホテルのスタッフよりもクールだった。去年、宿泊したホテルでは、ホテルの入口にボーイさんが立っていて、私たちが出入りするときに必ず、
"Hello."
と声を掛けてくれたものだった。あの"Hello."はホテルのボーイとしての仕事の言葉ではなかった。ボーイという仕事を離れた一人の人間としての言葉だったと思う。しかし、今回宿泊したホテルでは、私たちがフロントを行き来しても、こちらから声を掛けない限り、私たちには無関心である。私たちに対してだけでなく、他の宿泊客に対しても同じ姿勢なので、宿泊客との積極的なコミュニケーションを望まないホテルなのかもしれない。そんな状況から、私たちがロンドンに着いても誰からも歓迎されていないという印象を抱き、孤独を感じていたのかもしれない。

 しかし、ここにいる鳩やカモや大きな鳥たちはどうだろう。ロンドンに来て、私たちが初めて体験した触れ合いと言っていいのではないだろうか。ホテルのスタッフが宿泊客に無関心という背景があったからこそ、鳥たちとの触れ合いがとても貴重なものに思えた。孤独はいつも私たちに、孤独を感じていない状態では気づくことのできない大切なものを見せてくれるようだ。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、リトル・ベニスをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m リトル・ベニスは、ガンモがガイドブックを見て急に思い付いて出掛けた場所だったのですが、景色も美しく、とてもリラックスできる場所でした。野生の鳥たちと触れ合うことができるのはいいですね。もちろん、彼らは餌を求めているだけなのですが。(苦笑)日本よりも涼しい夏の昼下がりに、緑の芝生のある公園のベンチでくつろいだり、フランスパンをちぎって鳥たちに与えるなんて、最高にのどかで贅沢な時間だと思いました。リトル・ベニスの鳥たちとの触れ合いを、これからもずっと忘れません。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2008.08.16

パリのコインランドリー初体験

ヴェリブ・デビューの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ヴェリブの楽しさとスリルが、皆さんにも伝わったでしょうか。三十分以内にヴェリブ・ステーションにヴェリブをいったん返却するというウルトラマンのカラータイマー的な制限が、何とも言えない緊張感を与えてくれました。利用者が多いのも、そんな緊張感を味わう楽しさに出会えたからかもしれません。さて今日は、ヴェリブに乗ってコインランドリーに出掛けたときのことを書いてみたいと思います。

 パリに滞在して五日目のことである。洗濯物がひどく溜まってしまっていたので、クロード・モネの邸宅と庭園に足を運んだあと、私たちはヴェリブに乗って、ホテルから比較的近いところにあるコインランドリーに出掛けた。パリの北駅からサン・ラザール駅に向かう途中で見付けたコインランドリーである。 

 ヴェリブを停めて中に入ってみると、フランス人のおじさんが一人、コインランドリーを利用していた。私たちは、ひとまず壁に掲げられている注意書きに目を通そうとしたが、フランス語で書かれているため、何が何だかさっぱりわからなかった。とりあえず、経験としてわかったことは、去年、利用したロンドンのコインランドリーと同じように、コインランドリー内の洗濯機や乾燥機がすべて集中管理されているということだった。集中管理とはすなわち、一台一台の洗濯機や乾燥機にコインを入れて使用するのではなく、コインランドリー内のすべての洗濯機や乾燥機を操作することのできるコントローラにお金を入れて、自分の指定する洗濯機や乾燥機の使用を開始するということだ。

 何となく雰囲気はつかめたものの、そのコインランドリーを利用するのが初めてだったため、私たちがしばらくもたもたしていると、フランス人のおじさんが私たちに話し掛けてくださった。しかし、おじさんが話す言葉もまた、壁に掲げられている注意書きと同じフランス語だった。私たちはおじさんの言っていることをほとんど理解することができずに首をかしげてしまったが、おじさんはそれでも気にせずフランス語でしゃべり続けてくださった。おそらく、初めてパリのコインランドリーを利用するであろう私たちに対し、自分の知っていることを何としてでも伝えようとしてくださったのだろう。そうした状況がしばらく続いたのちに、おじさんの身振り手振りも加わり、私たちには何となくおじさんの言っていることがわかるようになった。やはり、私たちの予想した通り、まず洗濯機を選び、洗濯物を洗濯機の中に入れて、洗濯機の上から洗剤を注ぐということだった。それからコントローラにお金を入れて、自分の使用する洗濯機の番号を指定しなさいということだったのだろう。

 私たちの洗濯物はかなり多かったので、六キログラムの洗濯物を洗濯できる小さいほうの洗濯機ではなく、八キログラムの洗濯物を洗濯できる大きいほうの洗濯機を選んだ。ガンモがコントローラにお金を入れると、すぐに私たちの選んだ洗濯機が反応して動き始めた。ところが、洗濯機の蓋を閉めていなかったのことがわかり、一瞬、青ざめてしまった。私たちは去年、ロンドンのコインランドリーで同じような過ちを犯してしまい、高い高い洗濯代金を支払った。しかし今回は、フランス人のおじさんが、私たちの選んだ洗濯機の蓋が閉まっていないことに気付き、洗濯機の蓋を素早く閉めてくださった。そのときのおじさんのリアクションを日本語で想像すると、
「おっと危ない。蓋が閉まっていなかったね。まだ間に合うかな、よっこらしょと。はい、これでOK」

 ありがたいことに、ロンドンのコインランドリーのような事態には至らず、洗濯機はすぐにリカバリできた。無事に洗濯機に水が送り込まれ、洗濯機の注ぎ込んだ洗剤も吸い込んで、順調に動き始めたのである。洗濯機が二度洗いする機能を持っていることも、ロンドンのコインランドリーとまったく同じだったので、私は日本から持ち込んだ洗剤を指定された二箇所に分けて注ぎ込んでおいたのだ。

 ところが、フランス人のおじさんは、私が入れた洗剤の量が少ないという身振りを示した。当然のごとく、そのコインランドリーでは洗剤も販売されていたのだが、洗剤の自動販売機を見てみると、五百ミリリットル入りのペットボトルを三分の一程度の大きさにカットしたカップが設置されていた。洗剤の自動販売機にお金を入れると、そのカップの中に洗剤が出て来るのだろう。

 一方、私が入れたのは、日本で売られている袋入りの一回分の洗剤を二つである。その二つを足したとしても、洗剤の自動販売機の下に設置されているカップの半分にも満たない量だろう。しかし私としては、例え洗濯物を二度洗いするとは言え、既に洗剤を二袋も注ぎ込んだので、これで十分だろうと思っていた。私がそれ以上、洗剤を注ぎ込むのを渋っていると、おじさんは「まあいいか」というような素振りを示していた。

 こうして何とか無事に洗濯機が回り始めたので、私たちは、ヴェリブをヴェリブ・ステーションに返却するために、いったんコインランドリーを出た。もちろん、いろいろ教えてくださったフランス人のおじさんに、
「メルシー・ボークー」
とお礼を言うのを忘れなかった。

 運良く、ヴェリブ・ステーションはコインランドリーのすぐ近くにあったので、私たちは三十分を超過することなく、ヴェリブ・ステーションにヴェリブを返却することができたので、ひとまずホッとした。そして、外の空気を吸ったあと、ほどなくしてコインランドリーに戻った。すると、さきほどのおじさんが洗濯を終えて、乾燥機から取り出した洗濯物を一枚一枚丁寧に畳みながらバッグに詰めていた。普段、私でもしないようなことを、そのおじさんは丁寧に時間を掛けて実践されていた。このおじさんは、パリで一人暮らしをされているのだろうか。コインランドリーで洗濯をされているということは、ご自宅に洗濯機がないのだろうか。もしも私たちがフランス語を話すことができたならば、こうした待ち時間におじさんといろいろなことを話せたのにと残念に思った。

 やがておじさんはすべての洗濯物を畳み終わった。そして、コインランドリーを出て行くときに、私たちに乾燥機の使い方を説明しようとしてくださった。おそらく、さきほど洗濯機を使い始めたときと同じように、乾燥機に洗濯物を入れてから、コントローラにお金を入れれば良いというようなことをおっしゃったのだと思う。私たちは、再びおじさんに、
「メルシー・ボークー」
とお礼を言って、コインランドリーを去って行くおじさんを見送った。

 私たちの選んだ洗濯機は、およそ三十分ほどで洗濯を終えた。私たちに根気強く使い方を教えてくださったおじさんがいなくなってしまってちょっぴり心細かったが、私たちは洗い終わった洗濯物を洗濯機から取り出して、今度は乾燥機に入れた。乾燥機の使用料金は驚くほど安く、一回わずか〇.五〇ユーロだった。ただし、日本のように一回三十分も回り続けるのではなく、動いていたのはせいぜい十分程度だったと思う。乾燥機が思っていたよりも早く止まってしまったので、私たちはコントローラにもう一度、お金を入れて、同じ乾燥機を回した。しかし、二回目の乾燥が終わっても、私たちの洗濯物はほとんど乾いてはいなかった。きっと、洗濯物の量が多いのに、乾燥時間が足りていないのだろう。しかし、あまり時間もなかったので、私たちはこれ以上、乾燥機を回し続けるのは諦め、洗濯物を生乾きのまま袋に詰めて、ホテルに持ち帰った。水をたっぷりと含んだ五日分の洗濯物は、ずっしりと重かった。そして、ホテルの部屋の至るところに洗濯物を干したのである。こんなときのために、私は洗濯物を吊るすロープまで持参していたので、とても役に立った。

 おじさんのおかげで、かつてのハワイロンドンのような失敗に至ることはなかった。過去の失敗が、間違いなく教訓に繋がっているからこそ、フランス語しか話さないおじさんの言っていることを、想像することができたのだと思う。また、おじさんが、フランス語を理解できない私たちに伝えようとする姿勢を崩さなかったことも、今回の成功に繋がっていると思う。そんな親切なおじさんが、同じコインランドリーに居合わせてくださったということは、私たちにとって、とても運が良かったのだ。あのおじさんに出会えたことで、私たちは滞在五日目にして、ようやく生のパリを感じることができたように思う。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、パリのコインランドリー初体験をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m フランス人のおじさんが、私たちに伝えたいという姿勢をずっと崩さないでいてくださったことは、今回の私たちの成功に大きく繋がっていると感じます。私は頭でいろいろ考えてしまうタイプなので、もしもおじさんと同じような状況にぶち当たってしまったとしたら、途中で相手に説明するのを止めてしまうかもしれません。でも、止めてしまったら、壁にぶち当たったままで終わってしまうんですよね。時には頭でいろいろ考えるのを止めて、一つの姿勢を崩さずに続けてみるということもアリなのかもしれないと、今回の経験を通して思いました。思考を巡らせて先回りするのではなく、自分のペースで地道に進んで行くことの大切さを実感させてくれる出来事でありました。今回の成功は、おじさんのまっすぐな姿勢と、過去における私たちの苦い経験が組み合わさって生まれたコラボレーションと言っていいでしょう。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (1)

2008.08.15

ヴェリブ・デビュー

映画『アメリ』の舞台モンマルトルの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m パリでいろいろなところに足を運んだものの、どの場所も百パーセントの達成率ではないところが私たちらしい回り方かもしれません。モンマルトルに足を運んだのに、アメリの働いていたカフェ・ドゥ・ムーランに行くことができませんでしたし、コリニヨンの八百屋さんも閉まっていたのですから。きっと、パリが「またおいで」と言ってくれているのでしょう。(笑)さて今日は、そんなパリを貸自転車で走ったというお話です。

 パリに出掛ける前にパリの予習をしていたところ、ヴェリブという名前の貸自転車があることを知った。貸自転車と言うと、二年前に北京に出掛けたときに、貸自転車に乗りたくて、ホテルの人に頼んで調べていただいたというのに、結局利用しなかったという苦い想い出がある。パリの貸自転車ヴェリブは、価格も驚くほど安く、三十分以内に返却できるならば、一日わずか一ユーロ(日本円でおよそ百六十円くらい)で繰り返し利用できるという。街を歩いていると、ヴェリブに乗った人たちが私たちの前をスイスイ通り過ぎて行く。ヴェリブの存在を知ってからというもの、ヴェリブを見る度に、「いいなあ、いいなあ、私たちも乗りたいなあ」と思っていた。

 ヴェリブを借りたり、また、返却したりするところをヴェリブ・ステーションと呼んでいる。ヴェリブ・ステーションは、パリの至るところに設置されている。ありがたいことに、私たちの宿泊していたホテルのすぐ近くにもヴェリブ・ステーションがあった。ヴェリブを使った移動は、距離的には近いのに、公共の交通機関では乗り換えが何度も必要な場所に移動するのにとても便利だ。映画『アメリ』の舞台モンマルトルも、私たちの宿泊していたホテルから距離的には近い場所にあったので、メトロに乗るよりもヴェリブを利用したほうがフットワークが良かったのだ。しかし、モンマルトルに出掛けて行ったのが夜に近い時間帯だったので、初めてヴェリブを利用するにはちょっぴり不安だったのである。そこで、午前中から利用できるチャンスを狙っていたところ、クロード・モネの邸宅と庭園に足を運んだ日の朝に、パリの北駅から比較的近い、モネも描いたというサン・ラザール駅までヴェリブを利用することにしたのである。

 朝、ホテルを出ると、ホテル近くのヴェリブ・ステーションに、数台のヴェリブが停まっていた。ああ、これなら二人揃って借りられると思ったものの、近くまで行ってヴェリブの状況を確認してみると、パンクしてチューブがタイヤからはみ出していたり、サドルが付いていなかったりと、いわゆる状態の良くないヴェリブが何台かあった。しかも、初めてヴェリブを借りるためにもたもたしているうちに、よそから歩いて来た人がヴェリブの前で何かをピッとかざして、私たちが狙っていたヴェリブをさらって行った。何? 一体何が起こったのだろう? ヴェリブを借りるには、ヴェリブ・ステーションに設置された操作パネルで、これから利用するヴェリブの番号を指定しなければならないはずではなかったのだろうか?

 一体、何が起こったのかわからずに目をぱちくりさせていると、また別の人がやって来て、ヴェリブの前でピッと何かをかざして、またしてもヴェリブをさらって行った。どうやら、ヴェリブを何度も利用している人たちは、ヴェリブ用のICカードを持っているようである。そのICカードをかざせば、わざわざ操作パネルの前まで行って操作しなくても、利用したいヴェリブのロックが外れるらしいのだ。そんな便利なものがあるとは知らなかった。気が付けば、私たちのホテル近くのヴェリブ・ステーションには、あと一台のヴェリブしか残っていなかった。

 朝からいきなり競争率の高い戦いになりそうだと予感した私は、ガンモに、
「私だけでもここで一台借りておこうか」
と提案した。しかしガンモは、三十分以内に返却しなければ追加料金が発生することから、二人同時に同じヴェリブ・ステーションで借りたいと言った。そこで私たちは、ホテル近くのヴェリブ・ステーションでヴェリブを借りるのを諦めて、そこから近い別のヴェリブ・ステーションを探して歩き始めたのである。

 ヴェリブ・ステーションに示されていた地図通りに数分歩くと、次のヴェリブ・ステーションが見付かった。ヴェリブ・ステーションには、その周辺にあるヴェリブ・ステーションの地図が記載されているのだ。私たちはそれをデジタルカメラに写し、ガンモがその画像を確認しながら歩いた。しかし、新たに見付けたヴェリブ・ステーションにも、利用できるヴェリブの数が少なかった。そしてまたしてももたもたしているうちに、ヴェリブの熟練者がICカードをピッとかざし、貴重なヴェリブをさらって行った。私たちは、ヴェリブに乗るのはなかなか容易じゃないと思い始めていた。そこで、更に歩いて、別のヴェリブ・ステーションに足を運んだのだが、そこでもヴェリブの数が少なくて借りられなかった。そしてようやく、次のヴェリブ・ステーションでたくさん停車しているヴェリブに巡り合うことができたのである。

 私たちは操作パネルを操作してICチップ付きのクレジットカードを挿入し、まず初めにヴェリブを利用するための登録を行った。登録番号を発行してもらい、それに対して自分専用の暗証番号を登録することで、ヴェリブの利用が可能になるのだ。ヴェリブの借り方について、詳しくは、ふらんすノート26. Velib'に乗ってパリを走ろう!を参照させていただいた。

 さて、いよいよサン・ラザール駅に向けて出発である。地図を確認したガンモが、私の前を先導して走った。おや、実際に走ってみると、私が選んだヴェリブは、後ろのタイヤがグラグラしている。しかし、「サン・ラザール駅までだから、まあ、いいか」と思い、一生懸命、ガンモに着いて行った。

 朝のパリの街をヴェリブでスイスイ走る。とても気持ちがいい。しかし、しかしである。日本では、自転車は左側通行だが、パリでは車も自転車も右側通行である。しかもパリでは、自転車は自動車と同じ交通ルールで車道を走ることになっているらしい。厳密に言えば、日本でも、自転車は自動車と同じ交通ルールで車道を走ることになっているらしいが、自転車が歩道を走っていたとしても許される。しかし、パリでは注意されるらしい。そこで私たちは、歩道を走りたいときはヴェリブから降りて、ヴェリブを手で押して歩くという作戦に出ることにしたのである。

 ヴェリブに乗ってパリの街を走るのは、とても気持ちがいいことには違いないのだが、一方では緊張感が伴う。その緊張感とは、パリに不案内であることや、慣れ親しんだ左側通行ではなく右側通行であることや、自動車と同じ交通ルールで車道を走らなければならないことや、三十分以内にヴェリブ・ステーションに返却しなければ追加料金が発生するといったことである。逆に、そうした緊張感があるからこそヴェリブは楽しい。特に、三十分以内にヴェリブ・ステーションを見つけて返却するというスリルは、まるでゲームに参加しているみたいで面白い。

 私たちは、クロード・モネの邸宅と庭園からの帰りにもヴェリブを利用した。朝、北駅周辺からサン・ラザール駅まで難なく移動できたという安心感があったからだろうか。どういうわけか、道に迷ってしまったのだ。私たちは、まったく見覚えのない場所に迷い込み、三十分以内にヴェリブを返却できないかもしれない状況に陥ってしまい、あたふたした。正しい道を探し出すことよりも、まずはヴェリブ・ステーションを探し出すことに必死になり、ようやく見つけたヴェリブ・ステーションにヴェリブをいったん返却して、地図を確認した。どうやら、どこかで道を間違えてしまったらしい。私たちが道を間違えてオロオロしている間にも、車道を走っているので、すぐ側を自動車がびゅんびゅん通り過ぎて行く。パリで孤独を感じた瞬間だった。
 
 地図を見てようやく軌道修正して、私たちはいったん返却したヴェリブに再びまたがり、無事にホテル近くのヴェリブ・ステーションにたどり着いた。やれやれである。しかし、パリへの滞在も早くも五日目となり、洗濯物がかなり溜まっていたので、私たちはいったんホテルに戻ると、今度は洗濯物を持ってコインランドリーへと向かった。朝、サン・ラザール駅まで移動している間に、コインランドリーを見つけておいたのである。私たちは迷わずにコインランドリーにたどり着くことが出来た。

 私たちは、コインランドリーの前にヴェリブを停めた。ヴェリブをヴェリブ・ステーション以外の場所に停めるときは、付属のロック式ワイヤーを使って盗難からヴェリブを守る。しかし良く見ると、コインランドリーのすぐ側にヴェリブ・ステーションがあったので、私たちはいったんヴェリブ・ステーションにヴェリブを返却した。そして、洗濯を終えたあと、再びヴェリブに乗って、ホテル近くのヴェリブ・ステーションまで戻ったのである。

 ヴェリブは、自転車でパリを走ることのできる爽快感と様々な緊張感を同時に味わうことのできる楽しい乗り物である。ヴェリブにたくさん乗ってパリの地理に詳しくなれば、いくつかの緊張感も緩和され、ヴェリブを利用するのがもっともっと楽しくなることだろう。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、ヴェリブに乗ろう!をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ヴェリブは去年の夏から登場したばかりの比較的新しいサービスのようです。ご紹介したページにはいろいろと詳しく書かれていますが、実際にヴェリブを使い始めてみると、使い方はとても簡単でした。ヴェリブ・ステーションは、少し走ればいろいろなところにあるので、たいていの人は、三十分以内に返却できることになっているようです。また、ヴェリブ・ステーションに停められているヴェリブが飽和状態でヴェリブを返却できないときは、貸し出し時間をあと十五分延長できるなど、工夫がなされています。ヴェリブのサービスは、もともと自転車の路上駐車を緩和するために始まったサービスなのだとか。確かにこのサービスのおかげなのか、一般の自転車の路上駐車は日本ほど多くなかったように思います。一日百六十円程度なら、レンタルしたくなりますよね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2008.08.14

映画『アメリ』の舞台モンマルトル

「俺は捕まってたから」の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 大き目のスーパーだったので、帰りにパリの北駅まで行く直通列車に乗ることができなければ、再びAMIENSで途中下車して、じっくりとスーパーの中を見て回ろうかなどと言っていたのです。しかし、こんなことがあったからなのか、帰りに乗った列車はパリの北駅まで行く直通列車で、しかも運良く座れてしまったのです。そのため、途中下車することもなく、北駅までまっすぐ帰ってしまいました。(苦笑)さて今回は、映画『アメリ』の舞台となったモンマルトル界隈を散策したときのことを綴ってみたいと思います。

 映画『アメリ』については、四年前の記事に簡単に綴っている。私たちは、この映画が大好きだ。我が家には、「アメリ缶」という限定DVDもある。パリに行く前に、そのDVDをもう一度鑑賞して、映画の舞台となったモンマルトルを復習しておきたかったのだが、出発前はあまりにも忙しく、DVDを鑑賞する時間をどうしても確保することができなかった。宿泊するホテルがパリの北駅周辺で、映画『アメリ』の舞台となったモンマルトルに近いというのに、復習していないと、映画で見た景色を見落としてしまいそうだった。

 ガンモは、「アメリ缶」のDVDを自分のノートパソコンで再生できるように設定して、パリに持参した。そして、私がパリで「ガンまる日記」を書いている間に、ちょこちょこ観ていたようだ。私も、映画『アメリ』の舞台となったモンマルトルを確認しておきたくて、ときどき手を止めて、ガンモのノートパソコンに映し出されている映像を覗き込んだりした。

 ソンム湾鉄道に乗車した帰り、まだ明るかったので、いったんホテルに帰ってひと休みしたあと、ガンモと二人でモンマルトル界隈を散策することにした。私たちはメトロを乗り継いで、ひとまずアベス駅で降りた。アベス駅は、アメリとニノが初めて出会った場所である。アベス駅の階段を上がって地上に出た途端、私はとても楽しい気分になった。駅前には、浅草の花やしきのような雰囲気を持つ遊戯施設があった。パリの北駅が上野なら、ここは浅草だろうか。しかし、どのガイドブックにも、また、パリの治安について詳しいサイトにも、モンマルトル界隈は治安が良くないと書かれていた。

 モンマルトルでもやはり石畳を確認したので、私たちにはまたしても石畳の記憶が増えた。石畳だけでなく、モンマルトルは、坂道の多い街でもあった。何しろモンマルトルは、パリで最も高い場所にあるのだそうだ。見上げるだけでもため息が出てしまいそうな階段があったり、モンマルトルの丘の頂までのケーブルカーが運行されていたりした。

 ガイドブックを見ながら歩いていたガンモが、ふと立ち止まった。ガンモは、
「コリニヨンの八百屋がこの辺にあるはずなんだけど」
と言う。コリニヨンの八百屋とは、映画『アメリ』に登場する八百屋のことである。
「おーし、ちょっと待ってな。クンクンするから」
と私は言った。「クンクンする」とは、ガンまる用語で、「勘を働かせて方向を探ること」である。私はガイドブックも見ずにクンクンして、ガンモが立ち止まったところから左方向へと歩き始めた。すると、そこに見えて来たのだ。コリニヨンの八百屋が・・・・・・。しかし、外は明るいのに、お店はもう閉まっていた。時計を見ると、既に十九時を回っているので無理もない。夏のパリは日が長いので、ついつい時間の感覚を失ってしまう。私は、閉まっているコリニヨンの八百屋を写真に収めた。私たちのほかにも、コリニヨンの八百屋を撮影している人がいたので、おそらく映画『アメリ』は世界中の人たちに愛される映画だったに違いない。

 モンマルトルの路上には、たくさんの車が停まっていた。オムニバス映画『パリ、ジュテーム』の第一作目に、モンマルトルを舞台としたショートストーリーがある。その中にも、石畳のモンマルトルの路上に停められている車が題材として上がっていた。車を停めるときに、前後の間隔があまりにも狭過ぎて、他の人の車にドーンと当たってしまうのである。私たちが訪れたモンマルトルでも、ドーンと当てている現場こそ目撃しなかったが、ドーンと当てなければ絶対に出し入れできないだろうという駐車状況に出くわした。これはそのまま、パリの駐車場事情を物語っているように思う。つまり、例え車同士が接触したとしても目を瞑ってしまえるほど、パリの人たちは駐車場を切望しているということだ。車同士の隙間を詰めることで、一台でも多くの車を駐車できるように配慮されているのだろう。

 私たちは、きわどい状態で停められた路上の車を見送りながら、ケーブルカー乗り場まで歩いた。ケーブルカーは、パリのメトロの回数券でそのまま乗車でき、モンマルトルの丘の頂まで運んでくれる。私たちは、メトロの回数券を購入して動き回っていたので、それを使ってケーブルカーに乗車することができた。モンマルトルの頂には、映画『アメリ』にも登場するサクレ・クール寺院があった。そして、その頂の下にある公園は、アメリがニノを呼び出した公園だった。しかし実際は、映画にあったような公衆電話はなかった。

 私たちは、モンマルトルの丘の頂から、しばらくパリ市内の景色に見入っていた。外は、既に二十時頃だというのにまだ明るい。日本では味わえない感覚である。このように足場のしっかりした場所ならば、高所恐怖症の私でも下を見下ろすことができる。パリ市内の景色を堪能したあと、私たちはモンマルトルの丘の頂から公園まで下りて行った。

 公園には、観光客目当てに路上で物品を販売する若者がたくさんいた。少しでも売り上げを伸ばしたい気持ちからなのだろう。かなり積極的に話し掛けて来る。こうした光景が、モンマルトルは治安が良くないと書かれている謂(いわ)れの一つなのかもしれない。しかし、人通りの少ない場所で話し掛けられているわけではないので、はっきりと断れば済む話である。

 公園の下まで来て、もう一度サクレ・クール寺院を見上げた。メリーゴーランドがにぎやかに回っている。公園を出て、更に歩いて行くと、お土産売り場がたくさん集まっている街があった。これまで見たどのお土産売り場よりも価格が安かったが、ここでは自分用のお土産しか買わなかった。

 もう少しゆっくりとモンマルトルを散策したい気持ちでいっぱいだったが、既に二十時を回っていたので、私たちはホテルに帰ることにした。モンマルトル界隈は、人々が気取っていなくていい。願わくば、もう少し早い時間にゆっくり訪れたかった。そうすれば、コリニヨンの八百屋で何か買い物ができたのに。暗くなると危ないので、私たちはアメリが働いていたというカフェ・ドゥ・ムーランには足を運べないまま、モンマルトルをあとにしたのである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、映画『アメリ』の舞台モンマルトルをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 映画『アメリ』をご覧になった皆さん、楽しんでいただけたでしょうか。お気に入りの映画の撮影場所を訪れるのは、なかなか楽しいものですね。もう少し地理に詳しければ、もっと効率的に回ることができたのにと思います。実際にパリにあった証明写真機は、映画『アメリ』に登場していたものよりもずっと新しかったので、撮影することもなく通り過ぎてしまいました。今回、旅行アルバムにアップしたような証明写真機と同じような証明写真機が、至るところにたくさんありました。アメリの働いていたカフェ・ドゥ・ムーランのほか、北駅とすぐ近くの東駅も回ることができませんでした。こうして中途半端に行きたい場所を残しておくと、またパリを訪れるきっかけになるのかもしれませんね。メトロの回数券も残しておいたことですし、またパリが私たちを呼んでくれることでしょう。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (1)

2008.08.13

「俺は捕まってたから」

凱旋門とシャンゼリーゼ大通り、ペール・ラシェーズ墓地の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 偏見かもしれませんが、フランスには石畳が多いようです。きっと、石畳職人がいるのでしょう。(笑)フランスの子供たちが作文を書くと、「大きくなったら、石畳職人になりたい」なんて綴るのでしょうか。さて今回も、旅行中に書き切れなかったエピソードを綴って行きますね。ちなみに今回は、写真の公開はありません。

 あれは、ソンム湾鉄道に乗車した日のことである。パリの北駅からAMIENS行きの列車に乗車した私たちだったが、AMIENSから更に先へ向かう列車に少しだけ待ち時間があったので、AMIENSでいったん降りて街を散策することにした。AMIENSの駅前をうろうろしていると、スーパーがあったので中に入った。私たちは列車の中で食べるつもりで、昼食にサンドイッチとカット野菜を買い物籠に入れた。宿泊しているホテルの近くにもスーパーはあるのだが、それほど規模は大きくない。私たちが入ったAMIENSの駅前のスーパーは、比較的大きなスーパーだったので、できれば店内をゆっくりと見て回りたいと思っていた。しかし、トイレをお借りしたりしているうちに時間が経ってしまい、AMIENSから先へ向かう列車の発車時間が迫って来た。時計を見ると、発車まであと二十分しかない。私はお会計を済ませようと、急いでレジに並んだ。

 日本でも海外でも、スーパーのレジに並ぶのは、たいてい私の役目である。ガンモは私が並んでいる間に、他の商品を物色して、私がまだお会計を済ませていないようであれば、新たに物色した商品を私の持っている買い物籠に入れようとする。このときも、私がレジに並ぶと、ガンモはコーヒーを探して来ると言って、再び店内に姿を消した。ところが、私がお会計する順番が回って来てもガンモはレジに現れなかった。他に欲しいものがなかったのだろうと、大して気にも留めなかったのだが、そろそろ列車の発車時間が迫っていることが気になり始めていた。確か、発車まであと二十分しかないと確認してから、かれこれ十分は経過しているはずだった。

 私がお会計を済ませて、自分の買ったものを日本から持参したエコバッグに詰めていると、ようやくガンモが現れた。私は、商品を見て回るのに時間が掛かっただけだと思い、ガンモに袋詰めを手伝って欲しいと伝えた。すると、ガンモは何気ない様子でボソッと、
「俺は捕まってたから」
と言った。
「えっ? 今、何て言ったの? 捕まってた? どういうこと?」
と尋ねると、ガンモはちょっぴり決まり悪そうな顔をして、自分が体験した出来事を話して聞かせてくれた。

 商品棚にいろいろなチーズが並べられているのが面白くて、ガンモは首からぶら下げたカメラで、ついつい店内にある商品のチーズを撮影してしまったらしい。すると、その様子を警備員室のモニタで見ていたのか、スーツを着てトランシーバを持った黒人さんの警備員がつかつかとやって来て、ガンモを警備員室に連行したのだという。その警備員は、フランス語しか話さなかったそうで、ガンモには、
「フォト」
という単語しか聞き取れなかったらしい。

 警備員はその後、ガンモをそのスーパーの店長室に連行したそうだ。ありがたいことに、店長は英語が話せる人だったらしく、英語でガンモに、どこから来たのかと尋ねたという。ガンモが日本から来たと答えると、
「日本から来たのなら、まあ、いいか」
というようなことを言ったらしい。つまり、店長には、ガンモが他のスーパーのスパイではないことがわかったのだ。しかし、正義感の強い警備員の怒りはなかなか収まらなかったらしく、店長に、
「何で許すんですか!」
と予想されるようなことをフランス語で言って、しばらく店長に反論していたらしい。それでも、最終的には店長の判断で、ガンモは釈放されることになったそうだ。そして、何食わぬ顔でお会計をしている私のところにやって来たというわけだ。

 私は、ガンモからその話を聞いて、心臓がバクバクするほど驚いた。それと同時に、ガンモが無事に釈放されたことに対し、ほっと胸を撫で下ろした。しかも、目的の列車に間に合うように、である。

 今回、パリに出掛けて来るまでは、十八年前にパリでパーマをかけたことが、私にとって、パリの一番の思い出になっていた。しかし、今回の旅では、ガンモがAMIENSののスーパーで強烈な旅の想い出を作った。スーパーで警備員に連行されるなんて、日本にいたとしてもなかなか体験できることではない。想い出の持つ強烈さから言えば、ガンモに軍配が上がるだろう。

 それでも、今、こうして記事を書きながら、何故かクククと笑いがこみ上げて来る。そのときは一瞬、青ざめたことであっても、過ぎ去ってしまえば笑い話になる。実際、警備員室や店長室に連行されたガンモは、自分がこれからどうなるのか、また、目的の列車に間に合わないのではないかと、内心、冷や冷やしていたそうだ。しかし、店長の取り計らいにより、無事に釈放され、目的の列車に間に合った。そして今、そのことが記事になっている。やっぱり旅は楽しい。何故なら、過ぎ去ったことを、こうして笑い話にできるからだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモからこの話を聞かされたときは、とにかくびっくりしました。それでも、こうして笑い話にできるのは、ガンモが無事だったからでしょう。むしろ、旅の想い出として、心にずっと残る体験ができたのではないかと思っています。確かに日本でも、店内では商品を撮影してはいけないことになっているのですが、私たちは面白いものを見つけてしまうと、ついついカメラを向けてしまうんですよね。何はともあれ、ガンモが無事に釈放され、大事に至らなくて良かったと思っています。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2008.08.12

凱旋門とシャンゼリーゼ大通り、ペール・ラシェーズ墓地

そして帰国の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 皆さんは今頃、夏休みを満喫していらっしゃる頃でしょうか。私は今日から仕事でした。楽しかった夏休みとのギャップがあり過ぎて、早起きもできず、暑い中、ブツブツ言いながら仕事に出掛けて行きました。案の定、頭が全然回りません! しかも、これほどの暑さなのに、クーラーが効き過ぎた部屋はとても苦手なんですよね。同じ寒さなら、自然の寒さのほうがずっといいのです。頭がボケボケなのと、体温調節ができないのと、眠いのとで、エンジンが掛かるまでに半日ほど掛かってしまいました。さて今日は、気を取り直して、石畳の記憶の日の後半の出来事を綴って行きたいと思います。

 エッフェル塔を見上げたあと、私たちは凱旋門に向かって歩き始めた。エッフェル塔から凱旋門までは、私たちののろい足で軽く三十分は掛かったと思う。パリを感じながら、ちょっと身体を動かすにはちょうどいい距離である。途中、ギメ美術館で行われている北斎展の入場待ちをしている人たちの長い行列に出会った。北斎展の開催は、八月四日までだったらしい。もうすぐ北斎展が終了してしまうからだろうか。並んでいる人たちの数が半端ではなかった。北斎がこれほどまでにパリで人気だったとは驚きである。

 パリの路上には、駐車場のために用意された区画があり、多くの車が路上の駐車場に収められている。ちゃんと駐車場のために用意された区画にお金を払って停めているので、違法ではない。以前、クイズ番組で見たことがあるのだが、こうした路上の駐車場を利用して、中古車を売りたい人が自分の車に貼り紙をして、歩行者の目に留まるようアピールしているらしい。実際、そのような車を何台か見掛けた。貼り紙には、車の名前やこれまでに何キロ走ったか、それから、持ち主の連絡先などが記載されていた。誰が始めたのか、実に効率的な方法だと思う。

 のろのろと歩いているうちに、ようやく凱旋門が見えて来た。凱旋門の周辺は放射線状になっていて、車がびゅんびゅん走っていた。確か十八年前にツアーでパリに来たときは、凱旋門の前を貸切バスで通っただけだった。高いところが好きな人たちは、凱旋門の上に昇っているようだが、高所恐怖症の私はエッフェル塔と同じように、下から見上げるだけで満足だった。

 トイレに行きたくなったので、凱旋門のすぐ近くにある地下公衆トイレに入ったところ、無料であるにもかかわらず、とてもきれいなトイレだった。一つ一つの個室に手洗い場まで付いているのだ。トイレ番のおばさんが居たので、こういうときこそ、トイレをきれいに保ってくれてありがとうという気持ちを込めてチップを置いて帰りたかったのだが、小銭に持ち合わせがなかったことと、他の利用者が誰もチップを置いていなかったので、そのまま出て来てしまった。

 トイレを済ませた私たちは、凱旋門を背にして歩き始めた。そこはかの有名なシャンゼリーゼ大通りである。十八年前、私はシャンゼリーゼ大通り沿いの美容室で、大胆にも旅の思い出にパーマを掛けた。そのときのお店を探しながら歩いたのだが、もはや見当たらなかった。ご年配のご主人さんと奥様が経営されていた美容室だったので、今は別のお店に生まれ変わっているのかもしれない。いや、例え見付けることができたとしても、あの頃のようにお店の中に入る勇気はなく、お店の前をウロウロするだけなのだが・・・・・・。

 一日のうちにヴェルサイユ宮殿の入口、エッフェル塔の下、凱旋門の下、シャンゼリーゼ大通りを巡り、私たちにとってはなかなか充実した観光だったのだが、それでも、ホテルに帰るにはまだ早い時間だった。そこで私は、
「ペール・ラシェーズ墓地に行きたい」
とガンモに提案した。ペール・ラシェーズ墓地とは、パリ最大規模の墓地で、著名人のお墓がたくさんあるところである。映画『パリ・ジュテーム』などにも登場する、とても有名な墓地だ。

 私たちは、シャンゼリーゼ大通りのフランクリン・D.ルーズベルト駅からメトロを乗り継いで、ペール・ラシェーズ墓地の最寄駅の一つであるガンベッタに降り立った。裏口のようなところからペール・ラシェーズ墓地に入り、広い園内を彷徨い歩いた。お墓に足を踏み入れた途端、自由なデザインのお墓に衝撃を受けた。何と表現力豊かなお墓なのだろう。日本のお墓は、ほとんど同じようなデザインばかりだ。しかし、フランスの、いや、パリのお墓は、故人の個が表現されている。一つ一つがとてもユニークだ。ステンドグラスがあり、ちょっとした教会のようなお墓もあれば、十字架を縦に置いたり、横に置いたりしているお墓もある。故人と思われる人が寝そべっているお墓もある。片方ずつの手を繋ぎ合わせている男女のお墓もある。

 私たちは、自由な発想で造られたお墓を見て回った。一つ一つ見て回るにはとても時間が足りないので、ガイドブックを片手に、著名人のお墓を探すことにした。しかし、その広大な敷地に恐れ入った。歩いても歩いても端が見えて来ない。ガイドブックに乗っている著名人のお墓が一つでも見付かれば、そこから相対的に他の著名人のお墓を探し当てることができるのだが、ペール・ラシェーズ墓地はあまりにも広過ぎて、一体どのお墓が誰のお墓なのかまったくわからない。とりあえず、人だかりのあるお墓の前で立ち止まり、そこに刻まれている名前を確認する。しかし、良くわからない。私が知りたいのは、キスマークのあるオスカー・ワイルドのお墓とエディット・ピアフのお墓だった。しかし、歩けども、歩けども、なかなか見付からない。エディット・ピアフのお墓は、端のほうなので、何とか墓地の端のほうへと足を向けてみるのだが、歩けども歩けども、墓地の端が見付からないのだ。

 私は、もしもフランス語が不自由なく話せるなら、今、自分が歩いているところをGPSを使って探し当て、タクシーを呼びたいくらいだった。しかし、私はフランス語を話すことができなかったし、私が日本から持参したFOMAの携帯電話も、海外ではGPS機能が使えなかった。私はこのままお墓で遭難してしまうのだろうか? パリ最大の墓地とは聞いていたが、これほど広いとは思ってもいなかった。しかも、墓地の敷地内はすべて石畳で、歩き疲れている人には更に足の疲れが増して来る。

 そんなとき、それまでずっと私に着いて歩いていたガンモが立ち上がった。ガンモが、あるお墓に反応したのだ。どうやらそのお墓は、音楽業界の著名人のお墓だったらしい。ガンモはガイドブックに載っているその著名人のお墓を探し当て、そこから相対的に他の著名人のお墓を探し出せる状態になった。私たちはまず、イヴ・モンタンのお墓を探し当てた。続いて、キスマーク付きのオスカー・ワイルドのお墓を探し当てた。そして最後に、エディット・ピアフのお墓を探し当てた。エディット・ピアフのお墓に行きたかったのは、去年、映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』を鑑賞し、波乱万丈な彼女の生き様を見届けたからだ。

 いやはや、ペール・ラシェーズ墓地で遭難しそうになった挙句、著名人のお墓が一つも見つけられない状態で閉園の時間を迎えようとしていたのだが、ガンモのおかげでいくつかの著名人のお墓の前に立つことができたのである。ペール・ラシェーズ墓地の中で迷いに迷って、石畳の上を歩き回ってヘトヘトになっているというのに、閉園の時間が差し迫っていたために、私たちは元来た道を早歩きでずんずん歩いた。ペール・ラシェーズ墓地は、予想以上に広大である。これから出掛けようとされている方は、遭難覚悟で出掛けて行かなければならない名所の一つである。こうして、私はまた一つ、石畳の記憶を増やしたのだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、凱旋門とシャンゼリーゼ大通り、ペール・ラシェーズ墓地をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この日はこれ以上、足を一歩も踏み出せないというくらい、ヘトヘトに疲れていました。ガンモが立ち上がってくれて、本当に良かったと思っています。石畳の上をペタペタと歩き回るのは、本当に足が疲れます。しかも、あの広大な墓地の敷地内すべてに石畳が張り巡らされているのです。著名人のお墓を見に行こうと、軽い気持ちで足を運んでしまったので、バチが当たったのかもしれませんね。(苦笑)でも、こうしたオープンな形でお墓参りができるのはいいものですね。パリには、著名人の眠るお墓が他にもいくつかあるようです。次回、パリを訪れたときに、別のお墓に足を運ぶかどうかはわかりませんが、広大なお墓を歩き回ったことは、とても良い想い出になりました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2008.08.11

そして帰国

リバーボートでグリニッジへの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 記事の最後に、「この記事が公開される頃、私たちは空の上を飛んでいることでしょう。」と書きましたが、申し訳ありません。まだ、空の上を飛んではいませんでした。ちょうど搭乗ゲートに入ったくらいの時間でした。(苦笑)こうして無事に帰国することができましたので、ロンドン最終日から帰国までの様子を綴っておきたいと思います。

 とうとう帰国する日がやって来た。前日に降っていた雨は止み、ありがたいことに、ところどころ晴れ間ものぞいていた。私は、公園の芝生が乾いているかどうか、そればかり気にしていた。

 ホテルで朝食を取り、荷物をまとめてチェックアウトした。日本で出発前の準備をするときも、パリからロンドンに移動して来るときも、スーツケースに荷物をまとめた。しかし、同じことをしているはずなのに、どうしてこんなに気持ちが違うのだろう。旅の終わりはいつも寂しい。特に、忙しい日々から脱出した私たちにとっては、とびきりの非日常を体験させてくれる貴重な旅が終わってしまうことが残念で仕方がなかった。しかし、その一方で、この充実した旅に十分満足してもいた。

 帰りの飛行機は夕方の便だったので、私たちはスーツケースを抱えたまま、ひとまずパディントン駅近くの公園に足を運んでみることにした。空港に行く前に、公園の芝生の上に寝転がっておきたかったのだ。お天気が回復したからだろうか。外の気温も半袖Tシャツと毛糸のベストで過ごすのにちょうど良く、芝生を触ってみても、ほとんど湿ってはいなかった。ほんの少し湿ってはいたものの、私は迷わず芝生の上に寝転がった。うわあ、気持ちがいい。私の目の上で緑の木々が枝を広げてそよいでいる。ああ、本当に気持ちがいい。夏のロンドンは外の芝生に寝転がって過ごすのが一番いい。

 欲を言えば、もう少し広い公園で太陽を感じながら寝転がりたかったが、スーツケースを抱えていては移動も楽ではない。私たちは後ろ髪を引かれながらも公園をあとにし、パディントン駅の構内にあるスーパーで昼食を買って、ヒースロー空港へと向かった。

 パディントンを離れる前に、パディントン駅構内にある回転寿司やサンドイッチショップなどをカメラに収めた。ちなみに、回転寿司の値段は、十五ポンドではなかった。一番高いお皿で一皿五ポンド(日本円でおよそ千円弱)、一番安いお皿で一皿一ポンド七十ペンス(日本円でおよそ三百九十円)だった。それでもやはり割高である。

 去年、ロンドンを訪れたときは、ちょっぴり贅沢をして、ヒースロー空港からパディントン駅までヒースロー・エクスプレスを利用し、帰りはパディントン駅からヒースロー空港までヒースロー・コネクトを利用した。ヒースロー・エクスプレスは、ヒースロー空港とパディントン駅をわずか十五分で結んでいるが、利用料金が十四.五ポンド(日本円でおよそ三千三百三十五円)と恐ろしく割高である。一方、ヒースロー・コネクトは、ヒースロー空港とパディントン駅をおよそ三十分で結んでいるが、それでも利用料金が六.九十ポンド(日本円でおよそ千五百八十七円)と少々割高である。

 今回、私たちはロンドンで多くの人たちに利用されているチャージ式のプリペイドICカード、オイスターカードを購入した。このプリペイドICカードを利用すると、アンダーグラウンドの利用料金が割安になる。今回の旅で大いに活躍したのは言うまでもない。しかも、ヒースロー空港までは、アンダーグラウンドを乗り継いでも行き着くことができる。せっかく割引特典のあるオイスターカードを購入したのだから、空港までの移動手段としてアンダーグラウンドを利用しない手はない。ただ、一つだけ難点があった。ロンドンのアンダーグラウンドの駅は、まだまだリフト(エレベータ)が設置されていない駅が多く、ほとんどの駅でスーツケースを抱えたまま駅の階段を昇り降りすることが必要だった。そのことを除けば、パディントンからヒースロー空港まで、オイスターカードを使用するとわずか一.五ポンド(日本円でおよそ三百四十五円)で移動することができたので、移動交通費をかなり節約できたと思う。

 去年、訪れたときは工事中だったヒースロー空港の出発ロビーまでの通路も、今年はすっかり工事も終わってすっきりしていた。私たちは、ヒースロー空港内のベンチに腰を下ろし、スーパーで買ったサンドイッチとサラダをほおばった。それから、ゆっくりとチェックインを済ませ、手荷物検査を受けたあと、免税店でお土産を買った。

 そうこうしているうちに、搭乗手続きが始まったので、私たちは搭乗ゲートまで移動した。そして、とうとう帰りの飛行機に乗り込んだのだ。パリまでの行きはエールフランスの直行便だったが、ロンドンからの帰りは日本航空の直行便である。例によって、エコノミー席に窮屈さを感じながらも、映画を観たりしながらくつろいだ。

 飛行機は、ロンドンから十一時間余り飛行を続け、無事に関西国際空港に到着した。飛行機を一歩降りて私たちが口にした言葉は、
「あちーっ!」
である。日本、いや、関西は本当に暑い。関西国際空港で、日本の暑さを受け入れたとき、私たちの旅は逃避の旅だったのかもしれないと感じた。しかし、あれだけ忙しい日常から解放されて、充分リフレッシュできたと思う。ガンモはもう一日休みを取っているが、私は明日から仕事である。しかし、仕事を始めても、この旅の楽しい思い出をしばらく引きずることになるだろう。パリやロンドンでは、この暑い日本とはまったく別の時間が流れていることは間違いない。次回はいつになるかわからないが、またいつか休みを取って、日本とは違う時間を過ごしたいと思う。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、そして帰国をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本日、無事に帰国しました。旅行中も「ガンまる日記」を応援してくださった皆さんに心より感謝致します。先日もお伝えしたように、これからもしばらくは、旅のエピソードを綴って行く予定です。それにしても、日本は暑いですね。気温差にかなり参っています。(苦笑)気温差と八時間の時差を修正しつつ、明日からの仕事に臨みたいと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2008.08.10

リバーボートでグリニッジへ

ミイラとご対面の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m そう言えば、若い頃、『ツタンカーメンの謎』というタイトルの本がずいぶん話題になっていました。ツタンカーメンの発掘に関わった人たちが次々に謎の死を遂げたというものです。ツタンカーメンは今、エジプトの博物館に展示されているのですね。考古学というと、すぐにエジプトを想像してしまいますが、確かに謎解きに夢中になってしまうのもわかるような気がします。やはり独自の文化があり、未知の部分が多いだけに、人々の心を魅了して止まないのでしょうね。

 今回の旅で、ガンモはロンドン郊外にあるグリニッジを訪問したいと思っていたようだ。最初は鉄道を使ってグリニッジまで移動するつもりだったらしいのだが、ロンドンに着いた初日に散歩をしているうちに、偶然、テムズ河を行き来するリバーボート( River Boats)の存在を知ることになった。リバーボートに乗っても、どうやらグリニッジに行けるらしいのだ。私たちは、テムズ河をクルージングできることにわくわくしながら、アンダーグラウンドに乗って、Embankmentに降り立った。アンダーグラウンドのEmbankmentのすぐ目の前にリバーボードの乗り場であるEmbankment Pierがあるのだ。

 Embankment PierからGreenwich Peirまでは、所要時間四十四分、料金は一人四ポンドだった。切符は乗船したあと巡回して来る乗務員さんから購入した。私たちは、運良くリバーボートの一番前の席を確保することができた。去年乗った大きな観覧車のロンドン・アイも、去年歩いたタワー・ブリッジも、リバーボートの船内から見上げるという、去年とは違った体験をすることができた。

 道路と違って、交通量の少ない水の上は、信号待ちもなく、スイスイ移動することができた。ただ、残念なことに、Greenwich Peirに着く頃には雨が降り始めていた。今回の旅において、雨は、パリからロンドンに移動する日の早朝に降っていたが、私たちがホテルを出る頃にはもう止んでいた。パリ滞在中も、ほんの少しぱらついた程度だった。しかし、今回の雨はどうやら本格的な雨のようである。私たちは、背負っていたリュックから折り畳み傘を取り出してさした。パリでもそうだったが、ここロンドンでも、傘をささずにカッパを着て歩いている人が多い。日本では、自転車に乗るときさえも傘をさしている人が多いが、危険なので、私は断然カッパ派である。

 さて、世界的に有名なグリニッジ天文台は、グリニッジ・パークの中にあった。グリニッジ・パークもそうだが、ロンドンには芝生のある公園が実に多い。公園のベンチに腰掛けて本を読んでいる人や、芝生の上に寝転がってくつろいでいるいる人たちを良く見掛ける。去年は、ロンドン滞在中、ずっと天候に恵まれ続けたので、私も芝生の上に寝転がり、心からロンドンを感じた。今年もロンドンに滞在することが決まったとき、私はロンドンのどこに行きたいか、すぐには思い浮ばなかった。しかし、実際にロンドンに来て芝生のある公園を目にしたとき、ああ、私がロンドンで実現させたかったのは、天気のいい日に芝生の上にゴロンと寝転がることだということを思い出したのだ。しかし、今回の滞在では、去年と違って雨が降ったり止んだりでずっと天候が悪く、芝生の上に寝転がることが実現できていない。

 おまけに、天気が悪いせいか、ひどく寒い。去年、半袖でも何とか過ごせると感じたので、私たちは今年も軽装で来てしまった。防寒具として持っているのは、毛糸のベストくらいだ。パリでは、Tシャツの上にもう一枚Tシャツを着て過ごしていたのだが、パリよりも更に気温の低いロンドンでは、TシャツとTシャツの間に毛糸のベストを着込んで何とかしのいでいる。しかし、それでもまだ腕が寒い。天気の良くない夏のロンドンは、長袖で歩くのがちょうどいい気温なのだ。実際、街を歩いていると、いろいろな服装の人たちに出会う。中にはコートを着ている人もいれば、ジャンパーを羽織っている人もいる。革ジャンを着ている人もいる。そうかと思えば、半袖Tシャツの人もいれば、ノースリーブの人もいる。同じ気温でも、身体への感じ方は人それぞれなのだろう。雨に降られてしまった私たちは、むき出しになった両腕を手で擦り合わせて身体を温めながら、長袖のパーカーが恋しいと感じていた。

 それはさておき、私たちは坂を上り、グリニッジ天文台に到着した。現在、ここは観測には使われていないらしい。空気が悪くなったとかで、星の観測ができなくなり、ケンブリッジに移転したのだそうだ。現在は、博物館的な存在として機能しているようだ。ちなみに、こちらの入場料も無料だった。近代的な技術を駆使した様々な展示物に触れることができた。

 私たちは、外の冷たい雨と空気に寒さを感じながら、明日になれば帰国することになっている三十四度の日本へと想いを馳せた。ああ、今の日本の暑さを少しでもロンドンに送り込んで欲しい。天候の良くないロンドンは、半袖で過ごすには寒過ぎる。寒過ぎる夏と暑過ぎる夏、どちらを選びたいだろうか。どちらも選びたくない。どこかにちょうどいい夏はないものだろうか。

 グリニッジ天文台をあとにして、その周辺にある海洋博物館らしきものにも足を運んだのだが、寒さと精力的に歩き回ったせいでどっと疲れが出て、早くホテルに帰りたいモードに陥ってしまった。そこで私たちは、海洋博物館の見学を途中で諦めて、ホテルに戻ることにしたのである。

 私はガンモに、
「うどんが食べたい」
と言った。確かにサンドイッチもおいしい。ボリュームのあるサンドイッチは、日本のサンドイッチと違って、空腹感を感じない。しかし私は、そろそろセルフサービスのうどんが恋しくなった。ロンドン中を探せば、セルフサービスのうどんを食べさせてくれるお店がどこかにあるのかもしれないが、きっと恐ろしく高いのだろう。ちなみに、私たちが宿泊しているパディントンには回転寿司がある。通り掛けにちらっと値段を見てみたのだが、十五ポンドなどと書かれていた。まさか、一皿が十五ポンドなのだろうか?(現在、手数料込みで一ポンド二百二十円程度なので、十五ポンドは三千三百円) いや、そんなはずはないだろう。(※これについては、そして帰国の記事で弁明しています)

 私たちは、ロンドンにあと一泊したのち、日本に帰国する。お天気が回復して、芝生の上に寝転がることができれば心残りはないのだが、さて、どうだろう。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、リバーボートでグリニッジへをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ロンドンはとても寒いです! 日本の暑さを分けてください! なんて叫んでいますが、もうすぐ私たちの夏休みも終わりに近づき、日本に帰ります。この記事が公開される頃、私たちは空の上を飛んでいることでしょう。記事を公開予約に設定しておきますね。なお、日本に帰ってからも、今回の旅行中にリアルタイムで書き切れなかったことをしばらく綴って行く予定です。それでは皆さん、日本でお会いしましょう。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2008.08.09

ミイラとご対面

ガンまる、ユーロスターに乗るの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 食事が終わっても、ワインがまだ少し残っていたので、ワイングラスとワインだけをテーブルに残して、食事のトレーをいったん下げていただいたのです。その後、ワインを飲み終えたので、下げていただくつもりでワイングラスとワインの空びんを差し出すと、"Another one?"と聞かれました。(苦笑)"No, thank you."と言ってお断りしましたが、積極的なサービスに感動しました。

 午前三時半に目が覚めた。と言っても、パリとロンドンでは一時間の時差があるので、パリの時間で言えば午前四時半である。いつものように、私は、朝食の時間までに写真を整理し、旅行アルバムに写真をアップした。そうこうしているうちに、朝食にちょうどいい時間になったので、ガンモと一緒にホテルのレストランで朝食を取り、出掛ける準備を整えた。

 去年、ロンドンを訪問したときに達成できなかったことがある。それは、大英博物館に足を運ぶということだ。ロンドンに行って大英博物館に足を運ばないのは、パリに行ってルーブル美術館に足を運ばないのと同じくらい失礼なことなのかもしれない。しかし、今回の旅において、私たちはパリのルーブル美術館にも足を運ばなかった。私に限って言えば、独身の頃、ツアーでヨーロッパに出掛けたときに、大英博物館には足を運んでいないが、ルーブル美術館には足を運んでいる。ルーブル美術館の館内で模写をしている人が多かったのがとても印象的だった。それはさておき、私たちは去年、足を運ぶことができなかった大英博物館を訪問することにしたのである。

 大英博物館の広い館内は、たくさんの利用客で溢れ返っていた。大英博物館の入場料は無料だが、館内のあちらこちらで自主的な寄付を募っている。利用客が多いのは、入場料が無料であることも大きいのかもしれない。

 私たちは、エジプトの展示物を中心に見て回った。最初のうち、私はイギリスという国が、これだけ多くの他国の貴重な財産を次々に収集して、元の国になかなか返却しないことに腹を立てていた。何故なら私は、例えばエジプトで見付かったものは、エジプトの貴重な財産だと思うからだ。しかしイギリスは、それらを自分の国のものとして大英博物館に展示している。簡単に言えば、正々堂々と他国の略奪品を展示しているように思えてしまったのだ。

 展示されている美術品の中には、完全な形の彫刻ではなく、あちらこちらが大胆にも欠けてしまっている彫刻も多かった。私は決して、彫刻に対する完全性を求めたいわけではない。例えあちらこちらが欠けてしまっているとしても、こうして館内に展示されていることで、かえってイギリスの美術品への強い執着心を感じてしまったのである。

 更にもう一つ、私は別の観点からも嫌悪感を抱いていた。その観点とは、美術品と美術品でないものの切り分けについてである。大英博物館には、エジプトのお墓を掘り起こして得たミイラや骸骨、遺体などが展示されている。例え展示されているものがどれほど豪華なものであったとしても、それはもともと誰かのお墓であり、永眠している人を元の場所に留まらせずに、わざわざ大英博物館まで運んで展示しているのである。例えば、日本にとても豪華なお墓があったとしよう。墓石に見事な彫刻が施され、棺にも目を見張るほどの豪華さが現れているとしたら、そのお墓を掘り起こして博物館に展示することに対し、人々は同意するのだろうか。それが日本国内の博物館に展示されるのならば、まだ人々の理解を得られるかもしれない。しかし、他国の博物館に展示されているとしたらどうだろう。それに、お金持ちの人のお墓と、一般の人のお墓と一体何が違うのだろう。私には、お金持ちの人のお墓も一般の人のお墓も、お墓という意味では区別がないように思える。古いお墓も新しいお墓も同じだ。しかし、お金持ちの人の豪華なお墓で、時代が古ければ掘り起こして他国に持って行って博物館に展示しても許されているように思える。

 そんな様々な嫌悪感が渦巻いて、私はガンモに、
「大英博物館、嫌だ。もう出よう」
と提案したのだった。ところが、館内をじっくりと見て回っているうちに、そのような嫌悪感も次第に和らいで来た。というのも、これだけの数の美術品を常に良い状態で保管し続けるには、莫大な費用が掛かるであろうことを想像したからである。それらの莫大な費用を利用客からの入場料でまかなっていないところに、イギリスの真剣さを感じ取ったのだ。

 そうして私がイギリスを受け入れると、展示されているエジプトのミイラがすっと心に入って来た。お墓を掘り起こされてここに展示されているミイラたちは、本当はエジプトで静かに眠っていたかったかもしれないが、こうして大英博物館に展示され、多くの人たちの目に触れることで、多くの人たちが彼ら(ミイラ)の生きた時代に触れることができる。そのことは、彼ら(ミイラ)にとっても、大きな喜びであり、誇りでもあるかもしれないと思ったのだ。

 また、こうした形で様々な展示物が大英博物館に集まっていることで、私たちがわざわざエジプトやその他の国に足を運ぶことなく、個々の国々が持つ独自の文化に効率的に触れることができる。大英博物館は、立派にその役割を果たしていると感じた。

 実際、ミイラや骸骨や遺体を目にするのは痛々しいものがあったが、逆に、ここで既に多くの人たちの目に触れて来たという事実が、そうした痛々しさを和らげてくれた。そこに大英博物館の偉大さを感じたのである。視点を切り替えてみると、最初は美術品や出土品に対する執着のように感じていたイギリスの姿勢も、美術品や出土品に対する愛情を持っているからこそ、無料での公開が実現できているのではないかと思えて来たのだった。

 私は、エジプトという国が独自の文化を持っていることに強く魅せられた。お土産売り場で、エジプトグッズを購入したのは言うまでもない。とりわけ、ミイラの入っている棺の形をした金属性のペンケースに著しく魅せられ、自分用のお土産としても購入した。大英博物館を出たあとも、そのペンケースを手に入れることができたことがうれしくて、しばらくの間、興奮していた。

 大英博物館には、すべて見て回るのに一体どれくらいの時間が必要なのかわからないほど多くのものが展示されていた。イギリスは確かに、これらの展示物に対して真剣に取り組んでいる。今回、すべての展示物を見て回ることはできなかったが、これらの展示物に対するイギリスの真剣な姿勢を確認できただけでも得たものは大きかったと思う。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、ミイラとご対面をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ロンドンの物価の高さは、日本の旅行者を悩ませていると思います。例えば、今回、旅行アルバムの中に収めたサラダが、大英博物館のフードコーナーでは日本円で千円以上します。確かに物価は高いけれど、一方では病院代が無料など、いざというときのために蓄えられているのですね。それはさておき、最初は嫌悪感さえ感じてしまったイギリスの姿勢でしたが、真剣さを確認することができて良かったと思います。美術館や博物館の存在意義についても考え直すきっかけになりました。作品が一箇所に収集されていることで、私たちの時間短縮にも繋がっているのですね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (1)

2008.08.08

ガンまる、ユーロスターに乗る

クロード・モネの邸宅と庭園の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 以前、時間軸と空間軸の話を書いたと思いますが、モネの邸宅と庭園を訪れている人たちとモネ自身は、空間軸は一致しているけれど、それぞれ時間軸がずれているんですよね。そう考えると、とても不思議な気がします。時間軸を捻じ曲げて、モネの邸宅と庭園を訪れている私たちをモネが描いてくれたら面白いのに、なんて思ってしまいました。

 いよいよパリを離れる日がやって来た。朝五時に起床し、旅行アルバムに写真をアップしたあと、ガンモと一緒にパリで最後の朝食を取り、スーツケースに荷物をまとめ始めた。日本を出発したときと同じように、圧縮袋を有効活用しながら、てきぱきと衣類をスーツケースに詰めて行った。部屋にあるものをまとめさえすれば良いという点では、出発時に比べてとても楽ちんだった。

 荷物をまとめて部屋を出るとき、私にはいつも決まって行う儀式がある。それは、部屋に向かって、
「ありがとう。また来るからね」
とお礼を言うことだ。そうすることで、再びそのホテルに宿泊できるチャンスが巡って来ることが多いのだ。私は今回も、
「ありがとう。また来るからね」
と言って、ホテルの部屋を出た。

 ホテルをチェックアウトしたあと、私たちはホテルの最寄駅である北駅へと向かった。これからロンドンまでユーロスターで移動するのだ。宿泊先を北駅周辺に決めたのは、シャルル・ド・ゴール空港からの移動がRER B線で一本だったことと、ロンドンに向かうユーロスターの発着駅ともなっていたからだ。

 私たちは、ユーロスターが停車している一番奥のホームへと足を運んだ。しかし、ユーロスターから降車する人たちの姿はあっても、これから乗車しようとする人たちの姿が見えない。それに、ユーロスターは国際線の列車なので、乗車チェックは空港の国際線と同じくらい厳しいはずなのだ。ユーロスターの停車しているホームには、そのような厳しい審査を行っていそうな人たちは見当たらなかった。

 私は確認の意味を込めて、ひとまず駅の案内板を見に行った。ユーロスターの発車時刻まであと一時間近くもあったのだが、ヨーロッパの列車は、発車直前にならないとホームの番号が決まらないことになっているので、もしかするとそうした影響もあるかもしれないと思ったからだ。さすがにユーロスターの発着番線は固定されているとも思ったのだが、念のためである。

 駅の案内板を見ると、ユーロスターの発車番線を示すエリアに1st Floorと書かれていた。「一階? ここは一階じゃないの?」と思いながら、ユーロスターの停車しているホームの近くで待機していたガンモにそのことを報告した。するとガンモは、はたとひらめいたように、
「なるほど、そういうことだったのか」
と言って、上に向かうエスカレータを探し始めた。私が、
「ガンモ、どうしたの? 一階はここだよね?」
と言うと、ガンモは、
「いや、ヨーロッパ式で言うと、一階は日本の二階なんだよ」
と言った。そう言えば、ホテルもそのような造りだったことを、今更ながら思い出した。グランドフロアがフロントで、客室は二階からではなく、一階から始まっていた。つまり、グランドフロアは〇(ゼロ)階の扱いなのだ。今回、パリで宿泊したホテルの部屋も、日本式に言えば三階だったのに、部屋番号は日本式の二階に割り当てられたものだった。

 ガンモのひらめきにより、私たちは間もなく一階に向かうエスカレータに辿り着き、おそらく出入国審査待ちをしているであろう人たちの行列を見付けて列に加わった。ガンモが言うには、ユーロスターに乗車するには、三十分前にすべての手続きを済ませておかなければならないらしい。ああ、良かった。危うく乗り場がわからずにおろおろしてしまうところだった。

 私たちはユーロスターの切符のチェックとイギリスへの入国カードへの記入、それから、フランスからの出国の手続きと、イギリス国内への入国審査及び荷物チェックを受けた。イギリスへの入国審査については、イギリスからの担当者が出張して来ているようだった。去年、ヒースロー空港に降り立ったとき、入国審査待ちのために二時間も並んで待つことになったので、フランスからイギリスへの出入国審査を少し恐れていたのだが、実際は飛行機の国際線よりもずっとスピーディな審査だった。

 こうして私たちは、ようやくユーロスターに乗車できることになった。出入国審査を終えると、飛行機の国際線と同様、中には免税店もあり、買い物を楽しめるようになっていた。間もなくユーロスターに乗車可能な状態になり、エスカレータを使って一階からグランドフロアまで降りて行った。私たちの乗車する車両は十一号車である。

 重いスーツケースをよっこらしょと持ち上げて車内に乗り込み、荷物置き場にスーツケースを何とか収めた。それから自分の座席番号のシートを探し当て、ゆったりと腰を下ろした。パリからロンドンまでは、およそ二時間十五分の旅となるという。ユーロスターを新幹線に例えると、パリからロンドンは、東京-名古屋間よりも少し遠いくらいの距離なのだろうか。

 今回、利用するのはファーストクラスなので、走行中に昼食サービスを受けられるという。乗車して間もなく、飲みたい飲み物は何かと聞かれたので、オレンジジュースを注文した。入れてもらったオレンジジュースは、丸い透明なビニールのコップではなく、四角い透明なビニールのコップに入っていた。

 ほどなくして、今度は食事のメニューが配られた。どうやら、飛行機の国際線のように、食事を自分の席に運んでもらえるらしい。選択できるメインディッシュは、ビーフかリゾットだったので、私はリゾットを注文した。

 また、食事中の飲み物として、ワインを勧められたので、筋腫のために禁酒しているというのに、とうとうワインを注文してしまった。私がワインを注文したので、ガンモもどうかと声を掛けられたらしく、私につられてガンモもワインを注文していた。実に流されやすい私たちである。とは言うものの、下戸のガンモが例えミニサイズ(グラスワインくらいの量)とは言え、出て来たワインを全部飲めるはずもなく、私がほとんど全部飲むことになってしまった。おかげでちょっぴりご機嫌モードで食事が進んだ。

 ただ、今回の食事で感じたことがある。それは、口にすると喉が渇く食べ物や飲み物と、そうでない食べ物や飲み物があるということだ。久しぶりにワインを口にしたところ、ひどく喉が渇いてしまった。また、甘い、辛いも含めて味の濃いものはすべて喉が渇きやすい。そうした観点で食べ物や飲み物を観察すると、必然的に身体に良い食べ物かどうかがわかるような気がして来た。

 食事が終わった頃、ユーロスターの景色が暗くなった。どうやらドーバー海峡を渡っているようである。ドーバー海峡を渡ると、そこはもうイギリスだ。そう言えば、国内旅行では、これまでに青函トンネルや関門トンネルを渡っている。しかし、国をまたぐのは初めてである。およそ二十分ののち、外の景色が明るくなった。ドーバー海峡を越えてイギリスに入ったのだ。

 ユーロスターにはコンセントもテーブルも着いていたので、ノートパソコンを広げて「ガンまる日記」の下書きを書いておきたかったのだが、食事のあと、ノートパソコンを広げる時間もなく、あっという間にロンドンに着いてしまった。ユーロスターのロンドンの発着駅は、一年前まではウォータールーだったが、今ではセント・パンクロスに変わっている。確か去年、ロンドンを訪れたとき、ウォータールーに停まっていたユーロスターを伸び上がって見ていたことを思い出す。そのユーロスターにようやく乗車することができたのである。私たちは、長いようで短かったユーロスターの旅を終え、一年ぶりにロンドンへと降り立った。

 今回の宿泊場所も、去年と同じパディントンである。しかし、去年、宿泊したホテルはグレードアップしたらしく、私たちにとっては少々高い価格になってしまっていた。もともとロンドンは物価が高いので、できるだけ節約を心掛けたい。そこで、ガンモがもっとリーズナブルな価格の新たな宿泊先を開拓したのだ。ホテルはすぐにわかり、無事にチェックインを済ませた。ロンドンには三泊する予定である。こうして私たちの、ロンドンでの短いステイが始まったのである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、ガンまる、ユーロスターに乗るをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ようやくパリに慣れ始めた頃、パリとお別れしてしまいました。ちょっぴり寂しいものですね。パリへの滞在の後半は、パリも大いに気温が上がり、とても暑くなりましたが、ロンドンは半袖で歩くには少し肌寒いほどであります。この温度差は何でしょうか。また、パリとロンドンでは時差が一時間だけあります。ロンドのほうが一時間遅いのですね。私の使用している携帯電話はユーロスターがイギリスに入ったとき、時差が自動修正されたのですが、腕時計は自分で回して時間を合わせなければなりませんでした。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2008.08.07

クロード・モネの邸宅と庭園

奇岩上のモン・サン・ミッシェルの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m モン・サン・ミッシェルは、とても不思議な小島でありました。また足を運びたい場所の一つであります。パリからツアーバスも出ているので、時間を節約したいと思ったら、ツアーバスを利用するのも手かもしれません。ただ、バスが苦手なガンモは、どうしても鉄道を利用したがるでしょうけど。(苦笑)入口付近のレストランで食べた、高級な、ふわふわしたオムレツは、テレビなどで紹介されていたそうですね。個人的には、何故、前菜と主菜だけのランチが三十九ユーロもするのかわかりません。(苦笑)

 前日の夜、〇時頃就寝したにもかかわらず、目覚めたのは午前四時半だった。ただ、奇岩上のモン・サン・ミッシェルからの帰りにTGVの中で少し眠ったので、それほど寝不足ではない。

 パリへの滞在も、とうとう最終日となった。あと一日だけパリに宿泊すると、今度はロンドンへと向かうことになっている。フランス国鉄の鉄道パスがあと一日分残っていたので、私たちは少しだけ足を伸ばして、パリからおよそ八十キロのところにあるクロード・モネの邸宅と庭園を訪問することにした。そこには、クロード・モネが晩年を過ごしたアトリエ兼住宅と庭園があるのだ。

 私たちはSANT LAZAREから各駅停車の列車に乗り、終点のVERNONで降りた。そこから十分ほどバスに揺られ、GIVERNYで降りた。さすが、クロード・モネが晩年を過ごした場所とあって、観光客も多い。その中には、日本人観光客も何組かいる。

 バスを降りて、他の人たちが歩いて行った方向に歩いて行くと、小さなレストランやサンドイッチ売り場があった。私たちはお腹が空いていたので、ひとまずサンドイッチを購入した。野菜の入っていない、チーズとハムだけという、まったくもって筋腫には良くない組み合わせだったが、自分でその店のサンドイッチを食べたいと申し出たのだから仕方がない。

 クロード・モネの邸宅と庭園の入口は、小さなレストランやサンドイッチ売り場のすぐ側にあり、少しずつ行列が出来始めていた。私たちが木陰に座ってサンドイッチを食べていると、あとからあとから人がやって列に加わるので、少々お行儀が悪いが、サンドイッチを食べながら行列に並ぶことにした。庭園だけの鑑賞と、邸宅と庭園の両方の鑑賞で入場料が違っていたのだが、私たちは邸宅と庭園の両方を鑑賞できる入場券を支払って中に入った。

 ところで、私たちは絵画ファンかと問われれば、素直に「ノー」と答えてしまうほど絵画には詳しくない。それなのに何故、クロード・モネの邸宅と庭園にやって来たのかと言うと、距離的にも、フランス国鉄の鉄道パスを使った日帰り旅行に最適だったことと、私の周りに絵画ファンが多いため、お土産を買いたかったことと、池にある蓮を見たいというちょっぴりミーハーな気持ちからである。フランス国鉄の鉄道パスを有効活用するには、もう少し遠出をしても良かったのだが、既にパリ滞在五日目で、コインランドリーで洗濯をしなければ着替えがない状態に陥っていた。そのため、できれば早めにホテルに帰り、コインランドリーに足を運びたかったのである。そうした様々な要因が重なって、クロード・モネの邸宅と庭園をパリ滞在の最後の訪問地に選んだわけだ。

 私たちは、邸宅の見学はあと回しにして、まず、池の庭を見に行った。晩年のモネは、蓮の絵ばかり描いていたと、絵画ファンの方が綴ったブログで拝見したことがある。この庭園に蓮があるのなら、この目で見てみたいと思ったのだ。池の庭は、花の庭の裏手にあった。涼しい地下道を通ると、大きな池があった。蓮は? 蓮は? と思いながら、足早に池に近づいてみると、そこに咲いていたのは、私が思っていたような蓮ではなかった。私は、大鬼蓮 (おおおにばす)というのか、平べったい蓮がたくさんあることを勝手に想像していたのだ。しかし、蓮はたくさんあったものの、私が想像していた平べったい蓮は一つも存在していなかった。これは、季節によるのだろうか? それとも、蓮の種類が違うのだろうか? ただ、蓮の花は咲いていた。

 何となく拍子抜けしたような感覚を覚えながらも、私たちは池の庭の周辺を散歩した。すると、橋があり、その橋の上に立っている人を、連れの人が遠くからさかんにカメラに収めている。たくさんの観光客が同じようなことをしていたので、きっとそこから撮影するのがベストショットなのだろうと勝手に想像しながら、やみくもに他の人たちの真似をすることはないと思い、その場を素通りした。

 それから再び花の庭に戻り、いくつもの花を観賞した。花の大好きな母がここに来たら、きっと大喜びするだろうと思いながら、さくさくと花の庭を歩いた。花の庭は、堅苦しい感じに整備された庭ではなく、花たちの自然な育ち方を尊重した庭であるように見えた。それだけに、一日中外に出て庭いじりをしたくなるような気持ちにさせてくれる庭だと感じた。

 最後に、私たちはモネの邸宅を拝見した。入口で、写真は撮影しないように注意を受けたので、邸宅の中の写真を撮ることはできなかった。広い二階建ての家で、窓からは、これまた広い花の庭に咲き乱れる花が見えていた。二階から花の庭を眺めたとき、思わず、
「邸宅の中は撮影してはいけないと聞いていますが、ここから見える庭の写真は撮影してもいいですよね?」
と係の人にフランス語で尋ねたかった。しかし、フランス語はおろか、英語さえも出て来なかった。

 モネの邸宅には、様々な部屋があり、その中にはモネの描いた絵画が飾られている部屋もあった。私たちはそこに飾られている絵を一つ一つ見て行った。それらの中には、私たちが先ほど利用したSANT LAZARE駅の絵もあった。しばらくモネの絵に見入っているうちに、私はある絵に目を留めた。それは、橋の絵だった。私はガンモに、
「あっ! この絵、ほら、さっきの池の庭の橋!」
と言った。ああ、なるほど。モネのこの絵を知っている人は、あの池の庭にあった橋がこの絵のモデルになっていたことをちゃんと知っていたのだ。しかし、絵画に疎い私たちは、そんなことも知らず、橋の前を素通りしてしまった。しかも、最初に邸宅を見学しておけば、この絵があの橋であることにすぐに気が付いたはずなのに、私たちは絵画に疎いばかりでなく、肝心の邸宅の見学を一番後回しにしてしまったのだ。

 その絵ともう一つ、モネが花の庭と自宅を描いた作品があった。その場所も、さきほど私たちが邸宅に入るために歩いて来た道の途中にあったはずだった。ガンモは、
「もう一度、あの橋に戻って写真を撮ろうよ」
と言った。しかし、帰りのバスの時間まで、あと二十分しかなかった。そのバスを逃せば、バスは一時間後の発車となり、コインランドリーに洗濯に行くのが遅くなってしまう。私たちはひとまず池の庭に向かって足早に歩き始めた。しかし、あの涼しい地下道を通り、池沿いの道をぐるっと回ってあの橋にたどり着かなければならない。しかも、そこに辿り着くには、たくさんの観光客の方々を掻き分けて歩いて行かなければならない。モネの邸宅と庭園からバス停までは、早歩きで歩いて五分は掛かるだろう。今から橋まで戻って、帰りのバスに間に合うのだろうか。私たちは、ドキドキしながらも大急ぎで地下道のすぐ近くまで戻ったが、
「やっぱりやめよう。帰りのバスに間に合わないよ」
と、私が言った。するとガンモが、
「じゃあ、せめて、家をバックにした絵のアングルだけでも写真に収めておこう」
と提案して来たので、私たちはまたしてもバタバタと急ぎ、おそらくモネが花の庭と自宅を絵を描いたであろう場所に立ち、シャッターを切った。そして、足早に邸宅と庭園を出て、バス停まで向かって歩き始めたのである。おかげで、乗りたかったバスには間に合った。

 それにしても、今回の私たちの観光は、いつも肝心なところで打ち切られてしまう。これが映画ならば、結末を確認せずに次の映画を鑑賞するようなものである。それでも私たちは、今回の旅がとても楽しいと思う。パリに帰ってから、予定通り、コインランドリーに足を運び、洗濯をしたのだが、いろいろな試行錯誤もあった。一日のうちにいろいろな経験をしたあと、ホテルに帰って来てからガンモが言った。
「まるみと一緒だから、こんな旅ができるんだよ」
私はその言葉がとてもうれしかった。私にとってもそうだ。そう、ガンモと一緒だから、こんな旅ができるのだ。例え映画の結末を確認できずに次の映画を鑑賞するようなことになってしまったとしても、私たち二人が一緒にいることで、映画の結末よりも大切なことをちゃんと体験しているのだ。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、クロード・モネの邸宅と庭園をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m モネが書いたのは大鬼蓮ではなく、睡蓮だったのですね。勝手に大鬼蓮を想像していました。(苦笑)毎日、盛りだくさんな出来事を体験しています。一日の出来事を一つの記事にはなかなか書き切れないので、コインランドリーに出掛けたときの話は、帰国してからじっくりと書かせていただきますね。今回の旅行では、ノートを一冊作り、そこに旅の内容をペンでさらさらと綴っています。「ガンまる日記」は、そのノートに綴った内容を参照しながら書かせていただいています。記事に盛り込めなかった出来事も、そのノートに覚書として書いていますので、どうぞご安心ください。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2008.08.06

奇岩城のモン・サン・ミッシェル

ソンム湾鉄道の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 写真の数が多くなってしまいましたが、記事と連動した写真を旅行アルバムにアップしました。ソンム湾鉄道の記事にスライドショーを貼り付けてありますので、よろしければご覧ください。ちなみに、ソンム湾鉄道を走っている蒸気機関車は、もともとベルギーの車両なのだそうです。

 朝五時に目が覚めたので、撮影した写真を旅行アルバムにアップした。やはり、早朝から起きて活動するのはとても気持ちがいいものだ。この日は遠出をすることになっていたため、朝七時にはホテルを出たかった。そのため、朝七時から営業のホテルのレストランでは朝食を取ることができない。そこで、前日の夜に買っておいたパンとお惣菜とカット野菜で再びサンドイッチを作って食べた。

 支度を整え、朝七時にホテルを出発した私たちは、メトロ四号線に乗り、ひとまずモンパルナスへと向かった。モンパルナスからは、フランス国鉄のTGVに乗車した。TGVとは、全席予約制のフランスの新幹線である。これから出掛けるモン・サン・ミッシェルからの帰りのバスの時間の都合により、先日、モンパルナス駅の窓口で乗車する列車を変更し、指定席を変更してもらったばかりである。指定席を変更してもらう前までは、二人掛けのシート席を確保できていたのだが、変更後は四人掛けのテーブル席になってしまった。とは言うものの、おしゃれな国フランスの新幹線の四人掛けシートは、なかなか凝った作りをしていた。キャンプのときに使用するような折り畳み式のテーブルにコンセント、読書灯、蛍光灯など、列車の中でくつろげるような最大限の工夫がなされていたのである。ただ、私たちの隣には、見知らぬフランス人が座ることになったので、他の人の迷惑にならないように、ガンモとの会話もヒソヒソ声で行うことになった。

 TGVは順調に走行を続け、予定通り、二時間余りでRENNESに到着した。そこからモン・サン・ミッシェル(MONT ST-MICHIEL)行きのバスに乗り換えると、一時間半ほどで目的のモン・サン・ミッシェルに到着した。モン・サン・ミッシェル行きのバスから見える景色は、一年前にイギリスに出掛けたときに乗車したストーン・ヘンジ行きのバスの中から見えた景色に良く似ていた。やはり、のどかな風景が広がり、放牧の家畜がくつろいでいた。ストーン・ヘンジもそうだったが、目的地に着いてみると、さすがに世界的な観光地らしく、駐車場には自家用車やツアーバスなど、たくさんの車が停まっていた。

 バスの中からモン・サン・ミッシェルが見えて来たとき、私の中の血が騒ぎ、身を乗り出して写真を撮った。モン・サン・ミッシェルは、海の中の小島に作られた小さな街である。こじんまりとした島の中に、お土産売り場やレストラン、カフェなどのお店が所狭しと並んでいる。街を歩いていると何となく、広島の宮島にいるような錯覚さえしてしまう。私は初めてモン・サン・ミッシェルを遠くから見たとき、直感的に「これは、奇岩城だ」と思った。「奇岩城」とは、モーリス・ルブラン原作のアルセーヌ・ルパンシリーズに登場する岩で出来たお城の名前である。ひょっとするとルブランは、モン・サン・ミッシェルに「奇岩城」のヒントを得たのではないかと思い、ホテルに帰ってからインターネットで調べてみると、やはりモン・サン・ミッシェルが「奇岩城」のモデルとなっていたようだ。私は、ルブランのアルセーヌ・ルパンシリーズが好きで好きでたまらなかったので(大人になってからも、子供の頃に読んでいたシリーズの古本を買い集めたほどである)、モン・サン・ミッシェルを見たとき、血が騒いだのかもしれない。

 私たちは、お腹がとても空いていたので、入口付近にあるレストランで昼食を取った。ガンモが下調べをしたとき、入口付近のレストランのふわっとしたオムレツがとても有名でおいしいという情報を得ていたので、ランチが三十九ユーロ(日本円で七千円弱:手数料込みで一ユーロ百七十円の計算)もするというのに、入ってみることにした。

 お店の人が日本語のメニューを出してくださったのだが、注文するときは英語かフランス語しか通じなかった。日本語のメニューを指差して、
"This one, and..."
と注文を始めると、
"Second?"
というふうに、メニューの上から何番目の料理であるかを確認された。日本語のメニューを用意してくださったとは言え、彼らも日本語が読めるわけではないらしかった。私たちは前菜と主菜だけのボリュームの少ない三十九ユーロのランチを注文した。
「食前酒は飲みますか?」
と聞かれたが、
「いりません」
と答え、
「他に飲み物は?」
と聞かれたが、これまた
「いりません」
と答えた。飲み物は、ワインのリストが用意されていたのだが、普段、ワインを飲み慣れていない私たちにはちんぷんかんぷんだった。しかも、ガンモは下戸なので、お酒を飲むとしたら私が飲むことになるのだが、お酒は筋腫に悪いので、今は禁酒しているのだ。

 何も飲み物を注文しなかったので、お店の人がお水を持って来てくださった。さて、これからどんなお料理が運ばれて来るのだろうとドキドキしていると、最初にパンが運ばれ、続いて前菜が運ばれて来た。前菜には、季節の野菜を注文したのだが、おしゃれなお皿に麺のように細長くカットされたニンジンと、ニンジンよりも更に赤い野菜が、ニンジンと同じように細い麺状にカットされてお行儀良くお皿に盛られていた。盛り付けにもこだわりがあるようで、四角いお皿の周りに何かをまぶしているようだった。

 それからしばらくすると、主菜が運ばれて来た。主菜にはそのレストランの名物料理である菜食オムレツを選んだ。卵をふわっと泡立てて作ったオムレツに、きのこが添えられていた。お腹が空いていたので、私たちはすぐに平らげてしまった。味はとてもおいしかったのだが、ボリューム的にはちょっぴり物足りなかった。

 このまま長居しても仕方がないので、いよいよ会計を済ませようと思いながら、私たちはそのタイミングを見計らっていた。というのも、直前に目を通したガイドブックには、普通は男性が注文し、会計も男性が済ませると書かれていたのだが、それを読む前に私が注文をしてしまったからだ。そのため、せめて会計だけでもガンモに任せようとしたところ、常に相手の気持ちを読み過ぎてチャンスを失ってしまいがちなガンモは、なかなかベストなタイミングを掴むことができず、しばらくテーブルの上でやきもきする羽目になったのである。

 ようやくチャンスを掴んでお店の人と目が合い、会計の合図とされている何かサインする仕草をしたところ、間もなくテーブルに計算書が運ばれて来た。そこでクレジットカードを差し出して、会計を済ませた。計算書と一緒に何か運ばれて来たと思ったら、サービスでお菓子を付けてくださった。一口サイズのフランスのお菓子、マシュマロやマカロン、マドレーヌなどである。甘いお菓子は筋腫には良くないのだが、せっかくなのでいただくことにした。それらのお菓子のおかげでちょっぴり空腹感が満たされた。

 こうして何とか空腹を満たしたあとは、小島の小さな通路に沿って上に昇り始めた。小島のてっぺんにあるモン・サン・ミッシェル修道院を目指そうとしたものの、帰りのバスの発車時刻を考えると、小島のすべてを見回るには時間がとても足りなかった。修道院に辿り着くまでにあるお土産売り場や小島の造りを堪能するか、それとも修道院を目指すかでずいぶん気持ちが揺れた。しかし、私たちはお土産も買いたかったので、修道院を諦めて、お土産売り場と小島の造りを堪能することに決めた。何しろ、ヴェルサイユ宮殿も中に入るのを見送り、エッフェル塔に昇るのも見送ったくらいだから、観光地に対しては平等に振舞わなければならないだろう。

 行きと同じバスに乗って帰るのはちょっぴり悔しいので、ガンモは行きとは別のルートでパリまで戻ることを思い付いたようだ。私たちはモン・サン・ミッシェルからフランス国鉄の最寄駅の一つであるPONTORSONまでバスを利用し、そこからフランス国鉄に乗って、いったんDOL-DE BREATAGNEまで出た。そして、DOL-DE BREATAGNEから別の列車に乗り換えて、今度はTGVの発着駅でもあるSAINT MALOへと移動した。予約しているTGVの発車時刻までSAINT MALOで一時間余り時間があったので、SAINT MALO駅周辺でショッピングでも楽しみたいと思っていたのだが、残念なことに目ぼしいお店が見付からず、時間だけがいたずらに過ぎて行った。ありがたかったのは、少し早めにTGVに乗り込むことができたことである。私たちは、駅の売店でサンドイッチと飲み物を買って、早めに車内に乗り込み、発車までの時間をゆったりと過ごした。

 SAINT MALOからパリのモンパルナスまでは、TGVでおよそ三時間掛かった。新幹線で三時間と言うと、東京から大阪くらいだろうか。それを考えると、日帰りするのが少々忙しいのも理解できるような気がする。私たちの乗ったTGVがSAINT MALOを発車したのは十九時過ぎだったので、モンパルナスに着いたのは二十二時過ぎだった。モンパルナスからホテルの最寄駅である北駅まではメトロ四号線でおよそ三十分掛かるため、ホテルに着いたのは二十三時前だった。朝七時にホテルを出てから、実に十六時間の長旅だった。私は早朝からコンタクトレンズを入れていたので、既に目がしょぼしょぼしていた。空気が乾燥しているせいもあるのかもしれない。それでも、私にとって、奇岩城のモデルとなったモン・サン・ミッシェルを見て血が騒いだことは、大きな意味を持っていた。例えモン・サン・ミッシェル修道院に辿り着くことができなかったとしても、奇岩城のルーツを探ることができて大満足だったのである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、奇岩城のモン・サン・ミッシェルをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ルブランの作品の中でも、『奇岩城』は私が最も好きな作品の一つであります。当時、読んでいた本の挿絵がモン・サン・ミッシェルにそっくりかどうか、帰国してから確認したい気持ちでいっぱいです。ああ、ここは本当にフランスなのですね。せっかくフランスに来たのだから、アルセーヌ・ルパン縁の地をどこか訪れたいと思っていたのに、調査する時間も訪問する時間もなく、半ば諦めかけていました。しかし、こうして触れることができて、思いがけないプレゼントを受け取ったみたいで興奮しています。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2008.08.05

ソンム湾鉄道

石畳の記憶の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m いつもとは違う雰囲気でお送りしている旅行記を読んでくださってありがとうございます。旅行記は、旅行が好きな人でないと、なかなか楽しめないかもしれませんが、できる限り旅のエピソードを盛り込んで行く予定ですので、しばらくお付き合いくだされば幸いです。それから、後追いになってしまいましたが、石畳の記憶の記事でご紹介した内容を収めた写真を元の記事に貼り付けておきました。よろしければご覧ください。また、たくさんの方たちからメールをいただいておりますが、なかなか返信できず、申し訳ありません。m(__)m

 前日の夜、二十二時過ぎまでベッドの上でパソコンをいじっていたのだが、気が付けばこっくりこっくりと大きな船を漕ぎ、これ以上起きていられない状況に陥ってしまったので、私はとうとうベッドに横になった。その後、熟睡できたからなのか、それともまだこちらのリズムに身体が馴染んでいないからなのか、朝二時半過ぎに目が覚めた。私はちょっぴり得したような気分に浸りながら、「ガンまる日記」に掲載する写真を整理して旅行アルバムにアップしたあと、次の記事の下書きをして、ブログに公開予約を設定しておいた。

 朝からゴソゴソといろいろな作業をして落ち着くと、朝食にちょうどいい時間になっていた。ガンモも目を覚ましたので、支度を整えてグランドフロアのレストランに足を運び、二人で朝食を取った。

 朝食のあと、私たちは八時半頃にはホテルを出て、ひとまず北駅からAMIENS行きの列車に乗り込んだ。いよいよフランス国鉄の乗り放題切符の活躍である。ありがたいことに、この乗り放題切符はファーストクラスに乗車することができる。私たちは、ふかふかしたファーストクラスのシートに腰を埋めながら、ちょっぴり贅沢な旅を楽しんだ。AMIENSからは更に列車を乗り継いで、今度はNOYELLES SUR MERという静かな駅に降り立った。そこからソンム湾鉄道という蒸気機関車の保存鉄道に乗車するのである。

 NOYELLES SUR MERを降りて、売店のようなところでソンム湾鉄道の往復乗車券を購入した。今回、私たちが乗車するのは、列車の発着時間の関係で、ソンム湾鉄道の特定の区間だけである。やはりフランスも夏休みなのか、平日だというのにたくさんの家族連れで賑わっていたが、東洋人は私たちだけだった。

 私たちが乗車したのはソンム湾鉄道の中間の駅で、別の区間を走る蒸気機関車と隣同士のホームで待ち合わせて発車する。そのとき、それぞれの蒸気機関車に乗っている人たちが、もう一つの蒸気機関車に乗っている人たちに向かって手を振っていた。蒸気機関車に乗るという非日常が、見知らぬ人に手を振るという無邪気さを思い出させてくれるのだろう。

 保存鉄道というと、去年、イギリスでブルーベル鉄道に乗車したことが記憶に新しい。やはりブルーベル鉄道も蒸気機関車で、車窓からは、羊などが放牧されているのどかな草原が広がっていた。今回も同様に、車窓から広がる草原がとても素晴らしかった。馬や牛、羊などが放牧されている緑いっぱいの草原は、せかせかした日常を忘れさせてくれた。私たちがホテルを出た頃は、小雨も降りそうな空模様だったのだが、いつの間にかすっかり回復して、むしろ暑さを感じるくらいに晴れ渡っていた。

 窓から広がるのどかな草原に癒されながら、私はスーパーで買って来たサンドイッチをほおばった。野菜不足にならないように、サンドイッチには、同じくスーパーで買って来たカット野菜をふんだんに挟み込んだ。喉が渇くと、フルーツジュースで喉の渇きを潤った。至福の時間というのは、こういう時間のことを言うのではないだろうか。日本で直前まで体験していたせかせかした時間がまるで別世界のようだ。仕事のことも、筋腫のことも、すっかり忘れてしまっていた。

 およそ三十分ほどで、私たちは終点のLe Crotoyに着いた。ここから再び折り返すのだが、列車の発車まであと二時間もある。私たちと同じ列車に乗っていた人たちは、列車を降りたあと、線路沿いの道を歩いてどこかに消えて行った。どうやらこの近くに、待ち時間を快適に過ごせる施設があるらしい。私たちは、蒸気機関車を念入りに撮影していたため、同じ列車に乗っていた人たちが一体どこへ行ったのか、確認することができなかった。そして、他の方たちよりもかなり出遅れて歩き始めた私たちは、どうやらこの辺り一体が避暑地らしいことに気付く。

 というのも、一般の家と違い、あまり生活感の溢れていない番号付きの家が、フランスの人たちがひと夏を過ごすための貸し別荘であろうことに気が付いたからだ。こうした場所があることは、確か映画でも観たことがある。夏になると、フランスの人たちは荷物をまとめて家族で出掛けて行く。フランスには、夏をのんびり過ごすための長い夏休みが用意されているらしい。なるほど、それでパリには今の時期、フランス人が少ないのかもしれない。

 ガンモと二人でずんずん歩いて行くと、やがて海が見えて来た。港には何艘ものヨットが停まり、空にはカモメが飛んでいる。ウミネコの鳴き声も聞こえて来る。その景色を見た途端、私は、
「ガンモ、ここ、すごくいいよ」
と言った。ガンモも、
「ああ、これでやっとフランスに来たって実感が沸いて来たよ」
と言った。私たちが宿泊している北駅周辺は、フランス人よりも移民の方たちが多い場所である。しかし、今、私たちが立っている場所には、フランス人しかいない。更に、別荘のようではあるが、視界に入るところにフランスの住宅がある。北駅周辺は商業地区なので、一般の住宅は見当たらない。ここに来て、いかにもフランスらしい雰囲気をたっぷりと味わっているうちに、北駅周辺には移民の方たちが多いなどと言う前に、今の私たちのほうがむしろフランス人の方たちがのんびりと過ごしている空間に乱入してしまっているのではないかと思えて来た。

 私たちは海の風に吹かれながら、海辺を散歩し、再びLe Crotoyまで歩いて戻った。列車が発車する時間まであと二十分ほどあったが、どこからともなく列車に乗車する人たちが集まって来て、駅周辺はたくさんの人たちで賑わっていた。結局、彼らが二時間ほどの待ち時間をどこで過ごしていたのかはわからないままだった。

 帰りは行きとは反対側の景色を眺められるように座った。しかしどういうわけか、帰りはあっという間にNOYELLES SUR MERに着いてしまった。行きと違って下り坂だったのか、それとも、運手士さんが何らかの事情により、急いで運転したのか、それはわからない。私たちは、蒸気機関車の余韻に浸りながら、NOYELLES SUR MERからフランス国鉄に乗り換え、ホテルのある北駅まで戻った。帰りは乗り換えの必要のない直通特急だったので、乗り換え時間が少しだけ浮いた。時刻はまだ十七時半くらいだったので、ガンモと相談して、そのあと映画『アメリ』の舞台となったモンマルトル周辺を散策することにしたのだった。モンマルトル散策の様子については、記事が長くなってしまうので、帰国してからゆっくりと書かせていただくことにしよう。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、ソンム湾鉄道をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 手を振ってくれるのは、蒸気機関車に乗っている人たちだけではありませんでした。道路を走っている車に乗っている人たちも、歩いている人たちも、蒸気機関車を見付けると手を振ってくれました。おそらく避暑地であろうことからすれば、手を振ってくれたのは地元の人たちかどうかはわかりませんが、とにかくみんなに愛されている鉄道だということが良くわかります。子供たちと楽しい思い出を作ろうと、家族連れでやって来て、ちょっぴり非日常を味わえる鉄道に楽しみながら乗車するのは、日本もイギリスもフランスも変わらないのですね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2008.08.04

石畳の記憶

温度差十六度の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m いつも記事と連動させている旅行アルバムにパリの写真をアップしておきました。いつものように、温度差十六度の記事の下にスライドショーで表示されるようにしておきましたので、パリの雰囲気を味わってみたいという方がいらっしゃいましたら、どうぞご覧ください。今回の記事も、後追いで写真を公開させていただくことにします。

 前日の夜、現地時間の二十二時過ぎに就寝したためか、朝三時半過ぎに目が覚めた。熟睡できたからだろうか。睡眠時間はそれほど多くはないものの、目覚めの感触がとても良かった。まだインターネットには接続していなかったが、私はノートパソコンを立ち上げて、「ガンまる日記」の下書きをした。いつもならば、起きてから一時間余りの間に支度を整えてバタバタと仕事に出掛けて行くのだが、早朝に起きてゴソゴソと活動するのは、もともと私の性に合っていると感じた。

 私がゴソゴソと活動しているうちに、ガンモも起きて来たので、私たちは朝七時過ぎにホテルのグランドフロア(日本で言うところの一階)にあるレストランに朝食を食べに行った。朝食はバイキング形式で、スクランブルエッグ、ソーセージ、ハム、ベーコン、パン、コーンフレークなどのシリアル、ミルク、フルーツジュース、ドライフルーツ、ヨーグルト、チーズ、りんごをすりおろしたデザート、コーヒー、紅茶などが用意されている。私は、筋腫に良くない乳製品やコーヒー、紅茶には手を付けないようにしながら朝食を取った。

 早起きしたおかげで、午前八時過ぎには出掛けられることになった。私たちはまず、ホテルの最寄駅である北駅でフランス国鉄の鉄道レイルパスのヴァリテーション(切符を有効化、使用を宣言すること)をお願いするために、北駅の窓口に並んだ。ところが、どういうわけか、後日、私たちが乗車する列車が北駅からではなくモンパルナス駅からの切符だったので、モンパルナス駅に行かなければヴァリテーションができないと言われた。私たちは、そんなことはないはずだろうと首をかしげながらも、メトロ四号線に乗り、モンパルナスへと向かった。メトロの中はスリが多いので気を付けた方がいいとガイドブック等には書かれているが、休日の朝早い時間だったためか、混雑もなく快適だった。ただ、驚いたのは、メトロの扉は自動開閉ではなく、乗り降りする人が手動で扉の引っ掛けを外して開閉するということだった。つまり、誰も降りず、誰も乗って来なければ、駅に停車している間も扉は開閉されないということだ。

 モンパルナスのフランス国鉄の窓口で、鉄道レイルパスのヴァリテーションをしていただいた。窓口を担当している係員の方が英語を話してくれるのはとてもありがたかった。英語を話すことのできる係員のいる窓口には、英国の国旗マークが掲げられている。ヴァリテーションの他にも窓口でお願いしたいことがあったので、私たちはその後、別の窓口に並び直し、後日、乗車する予定の列車の指定席を変更してもらった。

 朝、早くから起きて活動するのは実に気持ちがいいものである。一日はまだ始まったばかりだったので、私たちはフランス国鉄に乗ってヴェルサイユ宮殿に向かうことにした。十八年前に私がツアーでパリを訪れたときには、自由行動の日にフランス国鉄ではなく、RERという郊外線に乗車した。この列車が旅行者にはとてもわかり辛く、私は乗車していた列車がヴェルサイユ宮殿の最寄駅までは行かない列車だということにようやく気づいて途中下車した記憶がある。しかも、持っていた切符では途中下車した駅の自動改札をくぐることができなかったので、閉まっているゲートを飛び越えて自動改札をくぐり抜け、新たに切符を購入しなおして、何とかヴェルサイユ宮殿の最寄駅に降り立ったというわけだ。

 今回は、ガンモと一緒にRERではなく、フランス国鉄に乗ってヴェルサイユ宮殿へと向かうことになった。私たちが日本から持参したフランス国鉄の乗り放題切符は、一ヶ月のうちの三日だけフランス国鉄を乗り放題できる切符だった。三日のうちの一日を、近郊までちょっと出掛けるだけのために利用するのはもったいない。そこで、わざわざ切符を購入しての乗車となったのだが、近郊線と郊外線で自動券売機が分かれており、購入するのに難儀した。

 乗車してからおよそ三十分でフランス国鉄のヴェルサイユ宮殿の最寄駅に着いた。私たちは、そこからおよそ二十分ほど歩いてヴェルサイユ宮殿へと向かった。十八年前に訪れたときは、宮殿の中の豪華さに思わず溜息が出たことを覚えている。更に、私の中にはヴェルサイユ宮殿周辺の石畳が印象的な記憶としてずっと残っていた。しかし、その記憶はどこかあいまいなものでもあったので、果たして本当にヴェルサイユ宮殿周辺には石畳があったのかどうか確かめたい気持ちもあった。

 宮殿の入口付近まで来たとき、私はその石畳を確認した。十八年間、ずっと私の記憶の片隅に残っていた石畳は、決して幻でも思い違いでもなく、確かに実在していたものだった。石畳を確認したあと、さて宮殿の中に入ろうと思い、周りを見渡したことろ、入場券を購入する列に数百人もの人たちが並んでいることに気が付いた。日本にいるときに購入しておけば良いものを、鉄道以外では行き当たりばったりの旅を続けている私たちは、ヴェルサイユ宮殿の入場券を購入していなかったのだ。これから数百人の列に並んで入場券を購入し、中に入るまでに一体どれくらいの時間が必要なのだろう。しかも私たちは、トレイにも行きたかった。ガンモに、
「どうする?」
と尋ねてみたところ、
「俺はいいよ。中に入らなくても。ヴェルサイユ宮殿まで来て、中に入らないのも面白いもんね」
と答えた。私も、これだけの待ち行列に並んでチケットを購入して中に入るよりも、明日からはフランス国鉄の乗り放題切符で郊外まで出掛けてしまうことを考えると、パリ市内をもっと観光しておきたかった。しかも、ヴェルサイユ宮殿は、現在修復中のようだった。そこで私たちは、ヴェルサイユ宮殿の入口だけを確認したあと、くるりと背を向けて、今度はRERの最寄駅まで歩き始めたのである。

 少し歩いたところに、美術館巡りの切符を扱っているお店があった。そのお店では、フランスの美術館などの指定の場所を複数箇所訪問する人たちのための割引切符が販売されていた。そのような切符があることはガイドブック等で確認して知っていたのだが、例えその切符を購入したとしても、ヴェルサイユ宮殿とセットになっている他の施設に立ち寄る時間がないことがわかっていたので、私たちはその切符の購入も見送ったのである。

 間もなく、私が十八年前に降り立ったRERの駅前に着いた。駅前にマクドナルドがあったので、トイレをお借りした。RERの路線図を見ていると、エッフェル塔まで一本で行けることがわかったので、私たちは迷わずエッフェル塔までのチケットを購入した。RERもまた、女性の一人旅での利用は危ない路線とされているが、私たちにはそのような雰囲気はあまり感じられなかった。

 RERを降りると、いくつかのカフェが見えて来た。ロンドンでもそうだったが、パリもまた、外のテラスにテーブルが並べられたオープンカフェが多い。日本で同じことをすると、暑さのために夏にはほとんど利用者がいないだろうと予想されるが、ヨーロッパは夏の気温が低いので、オープンカフェも普及し易いのだろう。お腹がとても空いていたので、私はオープンカフェに入りたかったのだが、ガンモがオープンカフェの利用に消極的な態度を示したので、泣く泣く見送ることになった。私はそのときそのときの直感でチャンスを活かそうとするタイプだが、ガンモはなかなか決断できずにチャンスを見送ってしまう傾向がある。しかも、ひとたびガンモがチャンスを見送ると、同じチャンスにはなかなか巡り合うことができないことが多い。このときも、オープンカフェを見送ってしまったために、お昼ご飯にありつけるのがひどく遅くなってしまった。ガンモはオープンカフェを見送って、エッフェル塔の下にある売店で何か買おうと提案したのだが、実際のところ、エッフェル塔の下にある売店はひどく混み合っていて、ヴェルサイユ宮殿ほどではないものの、長い行列ができている上に、食べたかったサンドイッチを売っていそうなお店も見当たらなかったのだ。

 日曜日だったからだろうか。言うまでもなく、エッフェル塔もたくさんの観光客でにぎわっていた。エッフェル塔の上に昇る人たちの待ち行列も出来ていた。お腹が空いていた私たちは、エッフェル塔に昇ることよりも、まずは空腹を満たしたかった。そこで、エッフェル塔も下から見上げただけでおしまいにして、サンドイッチを売っているお店を求めて凱旋門の方向へと歩き始めたのである。

 私はエッフェル塔もまた、十八年前に訪れていたが、やはり上まで昇らなかった。高所恐怖症のため、もともと高い所に昇りたくないということもある。ヴェルサイユ宮殿の中まで入らなくても、エッフェル塔の上まで昇らなくても、満足感を味わうことはできる。

 少し歩くと、ようやくホットサンドイッチを売っているお店を見つけた。どのサンドイッチにも筋腫に良くない乳製品のチーズが入っていたが、私はお腹がとても空いていたので仕方なく注文して食べた。日本では、お昼ご飯にサンドイッチを食べただけではすぐにお腹が空いてしまうものだが、ロンドンのサンドイッチにもパリのサンドイッチもも、空腹を十分満たしてくれるだけのボリュームがあった。しかも、サンドイッチがこれほどおいしいかったのかという感動さえ与えてくれるのだ。

 サンドイッチを食べて元気を取り戻した私たちは、セーヌ川を眺めながら再び凱旋門に向かって歩き始めた。そして、凱旋門を観光したあとは、シャンゼリーゼ大通りを歩き、再びメトロに乗り、パリ最大規模の墓地であるペール・ラシェーズ墓地へと向かったのである。メトロの中では、またしても身体を張ってお金を得ようとするチャレンジャーに出会った。今回のチャレンジャーは六十五歳くらいのおばあちゃんである。おばあちゃんは、地下鉄の中で歌を歌い始めた。その後、乗客に向かって何か熱心に語り掛けていたが、乗客の反応はいま一つだった。凱旋門、シャンゼリーゼ通り、ペール・ラシェーズ墓地の詳細を綴ると記事が長くなってしまうため、帰国後にじっくりと書かせていただくことにしよう。盛りだくさんな観光メニューでヘロヘロに疲れた一日だった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、石畳の記憶をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m パリには本当にたくさんの見所、名所がありますね。私たちはパリに五日間滞在したあと、ロンドンに向かいます。今回はパリでの滞在期間が短いということと、フランス国鉄のレールパスを購入していることから、パリ市内をじっくり観光できるのは、この一日だけだったのでした。そのため、欲張って、次から次へと観光する流れになり、とにかくへとへとに疲れました。まるで受験生が、一夜漬けをしているかのような観光の仕方でありました。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2008.08.03

温度差十六度

トントン拍子の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 何はともあれ、こうして私たちの夏休みが始まりました。これからしばらくの間、パリから「ガンまる日記」をお届けしますね。

 某ラウンジを出て、いよいよ搭乗開始という段階になって、ガンモが、
「航空券がない!」
と言い出した。さきほど、某ラウンジを使用するにあたり、パスポートと航空券を提示したのだが、そのあと、某ラウンジに航空券を置き忘れてしまったのだろうか。ガンモは血相を変えて某ラウンジまで戻り、航空券の忘れ物がないか確認した。ところが、私が冷静にガンモの持ち物をチェックしてみると、ガンモの航空券はちゃんと見付かったのだ。私はすぐにガンモに電話を掛けて、ガンモを呼び戻した。搭乗直前になってこのようなハプニングが発生するとは思いもよらなかったが、気を引き締めるきっかけを与えてくれたと解釈することにしよう。

 私たちが搭乗した飛行機は「パネルクイズ アタック25」でおなじみのAIR FRANCEである。飛行機は夏休みをフランスで過ごす人たちやフランスに帰るフランス人たちで満席だった。私たちの席は、狭い狭いエコノミー席である。三人掛けの席に、ガンモが最も奥の窓際で、私が真ん中、私の右隣に六十歳くらいの日本人女性が座っていた。

 国際便を利用するときに楽しみなのは、それぞれの座席の前に取り付けられている個人ビデオの鑑賞である。劇場公開中に見逃してしまった映画や、時には日本では未公開の映画も上映されていることもあり、疲れを感じていても映画を鑑賞したい私にとっては、更に寝不足を促す必須アイテムとなっている。今回も、それぞれの席に個人ビデオが備え付けられていたのだが、どういうわけか、ガンモの席の個人ビデオも私の席の個人ビデオも調子が悪く、一部の機能しか使えなかった。特に、ガンモの席に取り付けられていた個人ビデオに至っては、表示すらされないこともあり、ゲームをして楽しみたいと思っていたガンモは、ひどくがっかりしていた。それでも、これは私たちにわざわざ睡眠時間を与えてくれるために壊れていたのだと思い、私たちは寝不足を解消すべく、できる限り眠った。おかげで、狭いながらも、十二時間足らずのフライト中に四時間程度は眠ることができたと思う。

 それにしても、十二時間というのは長い。十二時間も経てば、コンタクトレンズもしょぼしょぼして来るし、トイレに立つにも、隣に人が座っていると思うと遠慮する。一番奥に座っていたガンモが、トイレに行きたいと私に耳打ちして来たのだが、隣の女性が眠っていたので、しばらく我慢することになってしまった。しかし、とうとう意を決して話し掛けたおかげでその女性とのコミュニケーションが始まり、いつでもトイレに立ち易い状況となった。その女性は、娘さんたちと一緒に個人旅行に来られたそうだ。

 途中、飛行機がかなり揺れて怖い思いもした。シートベルト着用のサインがなかなか消えないので、トイレに立つのも更に憚(はばか)られたのだが、生理的欲求には適わない。そこで、シートベルト着用のサインを無視して立ち上がり、トイレ待ちをしていると、乗務員の黒人男性に英語で話しかけられた。その内容によると、
「今はシートベルト着用のサインが付いているので、席に戻ってください」
というものであった。私はそれに従い、いったん席に戻ったのだが、隣の女性に再び立っていただくのも申し訳ないと思い直し、もう一度、恐る恐るトイレの前に戻った。すると、さきほどの乗務員の黒人男性に見付かってしまい、
「はあー」
と溜息をつかれてしまったのだ。実は、私がトイレの前に戻る前にも、別の日本人女性がシートベルト着用のサインを無視してトイレに立ち、その乗務員の黒人男性に注意を受けていた。しかし、その日本人女性は、彼の言うことを無視してそのままトイレを利用した。おそらく彼の溜息は、そうした背景もあってのことだと思う。今回は、注意ではなく、溜息だけで済んだので、私も彼女と同じように図々しくトイレ待ちを続けて、めでたく用を足した。

 こうして飛行機は、揺れを続けながらも何とかシャルル・ド・ゴール空港に着陸した。着陸前にアナウンスが流れて驚いたのだが、パリは夕方で気温は何と十八度なのだそうだ。日中の最高気温が三十四度くらいの日本から、いきなり十八度のパリに着いてしまった。気温差十六度である。半袖でも大丈夫だろうかと心配になっていたが、実際に降り立ってみると、それほど寒さは感じなかった。

 空港に降り立った感じは、去年、イギリスのヒースロー空港に降り立ったときの感じとまったく異なっていた。ヒースロー空港では、入国審査のために二時間も待つことになってしまった。待ち時間が長く、かなりのストレスを感じてしまったのだが、フランスの入国審査は、待ち行列もなく、何と、入国審査が行われる場所には私たち以外の旅行者は誰も居なかった。入国審査の前にトイレに行ったため、同じ便で到着した方たちよりもかなり遅れて入国審査を受けることになったのだ。フランスの入国審査は至って簡単なもので、何も質問されず、パスポートに入国の記しを示すスタンプも押してはくれなかった。ガイドブックにもそのようなことが書かれていたので、「スタンプを押してください」と言おうとしているうちにパスしてしまい、とうとう言い出せなかった。

 私たちは、何だか拍子抜けしたような感覚だった。外国人入国者に対し、念入りにチェックするイギリスとは異なり、パスポートをただ眺めるだけで何も言わないフランス。フランスはきっと、カムカムエブリバティの国なのだろう。私たちは、フランスに対して自由な国という見方が強まった。

 シャルル・ド・ゴール空港からは、鉄道のRER B線を利用してパリ市内へと向かった。実は私たちは、フランス国鉄の三日間乗り放題切符を持っているのだが、その切符を持っている人への特典として、RERの窓口で無料の乗車券を発行してもらえることになっていた。そのチケットを発行してもらうために、窓口の列に並び、何とかその無料乗車券を発行してもらうことができた。

 さて、RER B線に乗車すると、私たちが乗車した次の駅からサックスを持った男性が乗り込んで来た。リュックサックではない。楽器のサックスである。扉が閉まるとその男性は、乗客に向かって、
「ボンジュール、何とかかんとか」
と言って、いきなり列車の中でサックスを吹き始めたのだ。あまりにも突然のことに驚いたが、私にはそれが何を意味しているのかすぐにわかった。演奏後、サックスの演奏を聴いた乗客に、カンパをお願いするのだろう。予想した通り、男性は一曲だけ演奏すると、カンパを要求して来た。私たちはその要求を断った。他の乗客も同様に、誰一人、彼にカンパをする人はいなかった。フランスは、生きるために身体を張る国なのだろうか。気のせいか、彼の吹いたサックスは、どこか物悲しげな雰囲気が漂っていた。

 列車の窓から見える景色を見て、最初に感じたのは、アート的な文字の落書きが多いということだった。列車から見える、ありとあらゆる建物にはアート的な文字の落書きが施されている。それらのアート的な文字の落書きに一体どのような主張がなされているのか、フランス語に疎い私たちには良くわからなかった。

 私たちは、映画『アメリ』にも登場する北駅で降りた。その周辺のホテルに五泊するためである。ガイドブック等には、そのあたりの治安はあまりよろしくないと書かれている。降りてみると、確かに上品な感じとは言い切れなかった。また、フランス人よりも、他国からやって来た人たちが多いように思えた。北駅というのは、フランス語では、GARE DU NORDだが、パリの北側という意味ではなく、北に向かって走る列車が発着しているところなのだそうだ。街の雰囲気や駅の性格からも、私は東京の上野駅に似ていると感じた。変に気取っていないところが、かえって庶民的でいいのではないだろうか。

 私たちはホテルにチェックインしたあと、ホテル周辺を少し歩いた。飛行機の中で夕食も食べていたが、お腹が空いていたので、地元の人たちが利用するスーパーに入り、パンやお惣菜などの食料品を調達した。どこかで何かを食べるほどではなく、ちょっとしたものを挟んでサンドイッチを食べたかっただけなのだ。価格は、ロンドンの物価の高さからすると、比較的安かった。例えば、二リットル入りのジュースが一ユーロ(日本円でおよそ百七十円くらい)にも満たない。一リットル入りの牛乳も日本と同じくらいの値段だ。スーパーで購入したパンとお惣菜で作ったサンドイッチは、驚くほどおいしかった。

 ところで、現在のパリの日の入りはだいたい午後九時くらいである。つまり、夜八時を過ぎてもまだ明るいので、感覚が鈍りがちだが、私たちの身体は確実に睡眠を欲していた。
「ああ、もう駄目。眠い」
私はそう言って、ガンモよりも早く布団に入った。ガンモもやはり眠気には勝てなかったようで、私がベッドに入ると、間もなく私の隣に潜り込んで来た。こうして私たちは、長い飛行機の旅の疲れと睡眠不足を解消すべく、ゆっくりと眠りに就いたのだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、温度差十六度をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m とうとう念願のパリにやって来ました。記事及び写真の公開が少々遅くなりまして申し訳ありません。実は、ホテルのインターネットが有料(しかも割高)だったため、一日中繋ぎ放題プランを申し込むか、時間制で申し込むか悩んでいました。思い切って繋ぎ放題プランを申し込んでみたところ、どうやら価格の見直しが行われたようで、実際はホテルの案内に書かれていたよりもずっと安い価格だったのです。こんなことならさっさと申し込んでおけば良かったと、今更ながら後悔しています。(笑)ただ、毎日のように精力的に歩き回っていますので、体力的にも余裕がなく、当面は記事の更新のみとさせていただき、もしも余裕があるようでしたら、撮影した写真を随時ご紹介させていただきますね。気温は確かに低いのですが、どういうわけか、あまり寒さを感じません。半袖でも十分過ごせます。(^^) しかし、フランス語がほとんどわからず、途方に暮れています。(^^; そのせいか、まだあまりパリに溶け込めない感じですね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2008.08.02

トントン拍子

仕事からフェードアウトして夏休みにフェードイン!の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 今回は、出発直前まで旅行の準備が整っていないというドタバタ劇でありました。しかし、ガンモの帰宅が遅いので、覚悟を決めて、徹夜で準備をしてもいいかな、という気持ちになっていましたね。どうせ飛行機の中で寝られるんですもの。では、前回の続きを書かせていただきますね。

 〇時半を回った頃、ようやくガンモは帰宅した。仕事ではまってしまい、なかなか抜けられなかったのだそうだ。確か去年も、更なる演出効果に書いたような出来事が起こり、出発前にドタバタした。今回は、お昼過ぎくらいまでは何事もなく仕事をこなしていたので、このまま行けば、いつもよりも早い時間に仕事を上がれるだろうと思っていたという。ところが、夕方になって顧客のところでトラブルが発生し、またしても対応に追われていたらしい。結局ガンモは、帰宅してからもしばらくは仕事で使っているノートパソコンと格闘しながら、仕事の引継ぎ作業を行っていた。

 私もその間に「ガンまる日記」をリアルタイムまで追いつけるように記事を書き貯めしたり、旅行に持って行く荷物をもう一度確認したりした。心行くまで準備を追え、私がベッドに横になったのは午前三時過ぎだったが、ガンモはまだ仕事の引継ぎ作業を行っていた。私は、ガンモよりも先にベッドに横になったものの、朝五時過ぎには目が覚めてしまった。しかし、目が覚めたとき、ガンモは私の隣にはいなかった。起き上がってみると、ガンモはパソコンの前でそのまま横になって寝ていた。エアコンが付いたままだったので、私はガンモにそっとタオルケットを掛けた。

 やがて、私はゴソゴソと起き出して、持って行く荷物の最終チェックを行い、スーツケースをロックした。リュックにも、手荷物のバッグにもすべて持って行くものがすべて収まり、旅行の準備はようやく百パーセント完となった。

 私たちは、予定通り朝七時過ぎには家を出て、スーツケースを転がしながら最寄のバス停へと向かった。私たちがバス停に着くやいなや、バスは直ちにやって来て、私たちを最寄駅まで運んでくれた。最寄駅からは、リムジンバスで関西国際空港に向かうのである。驚いたことに、リムジンバスも私たちの到着後、すぐにやって来た。時には乗車を見送ることもさえあるリムジンバスも、週末の朝とは思えないほど空いていた。こうしてこれまでの仕事の忙しさとは裏腹に、トントン拍子に関西国際空港に到着したのである。およそ一時間近く掛かるリムジンバスの中で、私たちが少し睡眠を取ったのは言うまでもない。

 私たちはチェックインを済ませてスーツケースを預けて身軽になったあと、手荷物検査を受けて、入国検査をスルーして、某ラウンジでくつろいでる。もうすぐフライトの予定だ。この続きは、パリで書かせていただくことにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 一時はハラハラドキドキするような展開もありましたが、トントン拍子に関西国際空港に導かれました。現在、関西国際空港の某ラウンジでこれを書いています。指定されたカード会員が利用できる無料のラウンジがあり、ありがたいことに、ドリンクや温かいスープが飲み放題なのです。早めに空港に到着したので、記事を更新できる時間的な余裕が生まれました。いよいよこれからパリ行きの飛行機に搭乗します。こちらの記事も、公開予約を設定しておきますね。ノートパソコンを持って行くので、パリからも記事を更新する予定です。それでは皆さん、パリでお会いしましょう!

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2008.08.01

仕事からフェードアウトして夏休みにフェードイン!

真夜中の泥遊びの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 一時間から三時間掛けて、染料をじっくりと染み込ませて行く天然ヘナは、子供の頃の無邪気な泥遊びを思い出させてくれました。じっくりと時間を掛けて髪の毛を染め上げる時間は、とても贅沢な時間であるように思えます。ひとたび天然素材のものに注目し始めると、化学物質を含んだものに対する嫌悪感が強くなります。実は、化学染料の買い置きがいくつかあるのですが、今後はおそらくそれらの活躍の場はなくなってしまうことでしょう。

 いよいよパリ行きが目前に迫っていた。私の仕事はどうなるのだろう? ガンモの仕事はどうなるのだろう? 仕事のフェードアウトの仕方によって、パリに呼ばれているか、こちらからパリに押し掛けて行くかが決まろうとしている。そんなことを思いながら、私は週の後半を迎えていた。

 驚いたことに、私の仕事は落ち着きを見せ始めていた。あれほどがむしゃらに走り続けて来たはずの忙しかった仕事が、ようやく収束に向かい始めたのだ。そのため、木曜日の夜はいつもよりも仕事を一時間早く上がることができた。そのおかげで、真夜中の泥遊びを実践することができたというわけである。しかし問題は、出発の前日となる金曜日だ。何しろ、私はまだ八十パーセント完の状態から進んでいない。残りの二十パーセントを完了させるためにも、できれば一時間と言わず、もっと早く仕事を上がりたい。

 ドキドキしながら出勤してみると、木曜日の夜と同じ落ち着いた状況で、私の担当部分で特に大きな問題が発生しているわけでもなく、穏やかな一日の始まりとなった。途中、小さな障害が発生したものの、落ち着いて対処を行えば、夕方頃までには対処できる程度のものだった。折しも、十七時半からはビル全体を対象にしたイベントが開催されることになっていたので、私と一緒に仕事をしているプロジェクトメンバも、特に仕事に大きな問題を抱えていなければ、そのイベントに参加することになっていた。

 私は、午後になってから、
「今日はイベントに参加しないんですか?」
などと、何度も何度も上司に尋ねていた。最初のうち、上司は、
「仕事の状況によりますね。もし、夕方の時点で大きな障害が発生しているようなら、イベントには参加せずに残業しますよ」
と答えていた。しかし、私が何度も何度も同じ質問を繰り返しているうちに、上司には、私がそのような質問を繰り返す理由がわかってしまったようだ。つまり、私と一緒に仕事をしているプロジェクトメンバが夕方からのイベントに参加するなら、私はイベントに参加せずに、直ちに仕事を終えて帰宅できるということだ。

 そして、いよいよイベントの始まる十七時半になった。しかし、私の担当部分でちょっとした問題が発生し、先日、休日出勤した三人で、頭を突き合わせながら問題の原因を探ろうとしていた。ありがたいことに、その問題についてはすぐに解決の目処が立った。すると、状況を判断した上司が、
「じゃあ、今日の仕事は十八時半頃には終わりにしましょうか」
と宣言したのだ。私は心の中でまたしても「ヤッター!」と叫んだ。一緒に仕事をしているプロジェクトメンバと夏休みの時期がずれることになるため、私にしか解決できない問題を含めた仕事の指示や、仕事の残項目への報告については、すべてメールで行われることになった。私が夏休み明けに出勤すると、仕事の指示依頼のメールが山のように溜まっているかもしれないということである。さて、十八時半になると、私は帰り支度を整え、周りの人たちに一足先に夏休みを取得することを宣言したあと、喜び勇んで退社した。職場を一歩出た途端、私は夏休みにフェードインしていた。ああ、うれしい。この解放感をガンモにも伝えたい。

 ところが、職場の最寄駅まで向かう途中にガンモに電話を掛けてみると、電話の呼び出し音が鳴るばかりでガンモは電話に出なかった。十八時半から夏休みにフェードインした喜びを伝えたいのに、伝える相手がいない。私は、今度はガンモの仕事用の携帯電話に電話を掛けてみた。すると、ガンモはワンコールで電話に出たのだが、すぐに切られてしまった。どうやら取り込み中のようである。そういうことは良くあることなので、私は軽い足取りで地下鉄に乗車し、三ノ宮からJRに乗り換えて帰宅した。途中、慌てた様子でガンモから電話が掛かって来て、
「これからまだ客先に行くから」
と一言だけ言った。あらあら、お疲れさん。ガンモは夏休みの直前まで忙しいようである。

 帰宅した私は、残り二十パーセントの荷物をまとめる作業の前に、一日遅れの「ガンまる日記」を書き上げてアップした。時計を見ると、もう二十三時を回っている。しかし、ガンモはまだ帰宅しなかった。もう一度、ガンモに電話を掛けてみたが、やはりガンモは電話に出なかった。普段なら、オロオロしてしまう私だったが、何故か心が落ち着いていた。きっとガンモは大丈夫だ、仕事を終えてちゃんと帰って来る。そんな気がしていたのだ。

 私は、残り二十パーセントの荷物を、スーツケースやリュックに次々に詰め込んだ。やはり、リビングにはクーラーを入れていないので、動き回っているうちに汗だくになってしまう。そのため、のどの渇きを覚え、何度も冷蔵庫の麦茶を飲んで喉を潤した。それにしても、ガンモはまだ帰宅しない。旅行に出掛けるとなると、ガンモは毎回、直前までトラブルに見舞われる。

 私は、涼しい顔で持って行く荷物の整理を終えた。出掛ける前から既にスーツケースがパンパンだが、まあ、何とかなるだろう。そう思いながら、ガンモの帰りを待っていた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最後までバタバタしている私たちであります。何か忘れ物がなければ良いのですが・・・・・・。ところでこの記事は、公開日時を予約してから出掛けます。ブログに、先に記事を用意しておいて、公開日時を指定する機能があるんですね。この記事が公開される頃、おそらく私たちは空の上でしょう。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »