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2008.07.27

映画『近距離恋愛』

三十パーセント減の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 生理の出血量が少なくなれば、まずは貧血が改善されるでしょう。筋腫が小さくなったかどうかは、エコーによる検診である程度はわかりますが、誤差があると思います。誤差を振り切るほど小さくなってくれればありがたいと思っています。それにしても、やはり、食べ物が身体を作っているのですね。もしかしたら、私たちは植物と同じような存在かもしれません。水が必要ですし、肥料に何を与えるかによって、どのように育つかが決まるのですから。

 この映画は、最近、あまり足を運ぶことのなかった映画館で上映されていた。そのため、予告編に触れることもなかったのだが、たまたまこの映画館の近くを通り掛かったときに、この映画のポスターが目に留まり、そこに書かれている内容に強く惹かれた。そして、仕事を休んだI医師の診察のあとに鑑賞することにしたのである。

 この映画は、あまりにも存在が近過ぎて、これまで恋愛対象にはならなかった男女が恋愛対象に変わって行く様子をコミカルに描いたラブコメディである。この手の映画として有名なのは、映画『恋人たちの予感』だろう。果たしてこの映画は、映画『恋人たちの予感』のような魅力的な作品に仕上がっているのだろうか。

 女性遍歴を重ねて来たトム(パトリック・デンプシー。羽賀研二氏ではない)と堅実なハンナ(ミシェル・モナハン)。一見、正反対に見える二人だが、あることをきっかけにして、大学時代から十年来の大親友である。大親友であるがゆえに、週末を必ず一緒に過ごし、街を歩くときも腕を組んで歩く二人。私から見ると、恋人同士と区別が付かないのだが、欧米の人たちは、唇にキスをするかどうかで線を引いているのだろうか。あるとき、ハンナがスコットランドに長期出張に出掛けることになる。これまで当たり前のようにハンナとの時間を重ねて来たトムだったが、ハンナの長期不在をとても寂しく思うようになり、やがて自分が本当はハンナを愛していることに気付いて行く。しかし、長期出張から帰って来たハンナは、スコットランドで知り合った男性と一緒だった。何と、二人は近いうちに結婚すると言う。それを知って大慌てするトム。さて、トムはハンナが人妻になってしまう前にハンナに自分の想いを伝え、ハンナと結ばれることになるのだろうか。

 多くの方たちのレビューに、「期待を裏切らない結末」といった感想が書かれているが、まさしくその通りの映画だった。映画の雰囲気としては、映画『恋人たちの予感』+映画『卒業』といったところだろうか。二人の結末はさておいて、この映画を通じて感じた男女の愛について書いてみたいと思う。

 トムがハンナへの本当の想いに気が付いたとき、トムには恋人がいたはずだった。しかし、その恋人とは、どうやら付き合いが浅かったらしい。トムが恋人ではなく、ハンナと二人で出掛けるときは、おいしいケーキのお店の行列に並び、順番待ちをしている間に、どんなケーキを食べたいのかを言い当てるゲームをする。そうしたゲームを楽しいと感じているトムは、恋人にも同じゲームを提案してみるのだが、どうもしっくり来ない。私は、こうした描写が何を意味しているかが気になってしまう。これを突き詰めて行くと、理想的な男女の愛とは何か、というところに辿り着くからだ。

 トムと恋人の間にはセックスがある。しかし、恋人とは、二日間連続では夜を共にしないというルールを決めている。もう、その時点で、トムは恋人とそれほど長い時間を過ごしたくないのではないかと想像を膨らませてしまう。二日間連続で夜を共にできないのなら、トムが恋人と結婚することはまず有り得ないだろう。おそらく、二日間連続で夜を共にしないという現在の距離が、トムと恋人にとってちょうど良い距離なのだろう。そして、こうした描写は、映画を鑑賞する私たちに、トムが恋人とそれほどうまく行っているわけではないという印象を植え付ける。そうすることで、私たち観客は、トムがハンナに傾いたときの展開を容易に受け入れることができるのだ。

 トムがハンナを恋人にせず、別に恋人がいたということは、トムはハンナに対し、同性のような親しさを求め、恋人には異性の部分を求めていたのかもしれない。しかし、トムは見るからに、恋人に対して心までは開放していない。心を開放していないのに、肉体だけは繋がっている。心を開放しているのはむしろ、大親友のハンナのほうである。だから、映画を鑑賞している私たちは、トムと恋人の間にあるのは肉体の繋がりだけで、心の繋がりが存在していないと感じてしまう。一方、トムはハンナに対しては確実に心を開いている。食べたいケーキ当てゲームのような楽しい時間を共有しながら食事を共にし、いつも当たり前のように側にいた。私には、どうしてハンナが恋人ではないのだろうと、ハンナが恋人でないことがむしろ不思議に思えて来る。心を裸にしているのに、肉体が裸になっていないことが不自然にさえ思えてしまうのだ。だから私たち観客は、例えハンナにそのような兆候がなくても、用意された結末に納得が行くのだと思う。

 この映画を観ていて、思わず涙を流したシーンがある。それは、既に数回の離婚暦を持つトムの父がハンナへの想いを認めたトムを激励するシーンだった。細かい台詞をはっきりとは覚えていないが、トムの父はトムの母と、トムとハンナのような固い友情で結ばれた関係だったことを告白したあと、そのような大切な存在を決して失ってはいけないとトムに助言する。愛する人を所有するわけではないので、「失う」という表現はおかしいかもしれないが、私はそこで涙が流れた。何故ならトムの父は、既にトムの母を失ってしまっていたからだ。本当に心を開くことのできる異性は、一生のうちに一人出会えるか出会えないかだろう。それほど貴重な存在を失ってしまったトムの父の言葉は、私たち観客の胸にもずしりと重く響き、トムには貴重な存在を失って欲しくないと強く願うのだった。

 結婚式をスコットランドで挙げたあとは、スコットランドに永住する覚悟を決めていたハンナ。スクリーンに映し出されるスコットランドの景色が目を見張るほど美しい。カレンダーに登場するようなお城にもわくわくする。あんなところに住んでみたいが、できれば日常よりも非日常として体験したい。普通は同性の友人や姉妹が担当するらしい花嫁付添人に抜擢されたトムもまた、複雑な気持ちのままスコットランドに向かう。そこから始まる最後のドタバタ劇は、どんなにちぐはぐな展開でも、スコットランドの美しい景色がすべて吸収してくれる。

 この映画を鑑賞された多くの方たちがコメントされているように、「期待を裏切らない映画」なだけに、ハンナの気持ちがギリギリのところまでわからないなど、突っ込みどころも多い。それでも、私にとっては、男女の愛について再考するとともに、人間対人間が向き合うにあたり、何が一番大切かということをじっくりと考えさせてくれた映画であった。相手に異性の部分を求めるだけでは男女の愛は成り立たないということが証明できた。男女間にも、友情をベースにした信頼が必要だということだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ラブコメディーと分類されている通り、いろいろなハプニングが用意されている映画でありました。思えば、ガンモと私も、最初は友達から始まったんですよね。でも、お互いにとても気になる存在でした。友達から恋人に変わるときには、約束された人生のパートナーであることを思い出させてくれるような感動がいくつも湧き上がって来ました。些細なことで涙が出て来るようになるのです。どうしてこんなに涙が出て来るのだろうと、私たちは不思議で仕方がありませんでした。今になって思えば、あれは、「涙で余分なものを洗い流して、素直になりなさい」という警告だったのでしょうね。その警告通り、私たちは涙で余分なものをすっかり洗い流して、めでたく結ばれました。(^^)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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