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2008.07.21

映画『ぐるりのこと。』

迷える子羊の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m こうして振り返ってみても、I医師の診察はロジカルで納得の行くものでありますね。しかし、そんなI医師とも、手術をしてしまえば、縁が切れてしまうんですよね。何だかちょっぴり寂しい気持ちです。(苦笑)さて今回は、I医師の診察の前に鑑賞した映画のレビューを書かせていただくことにします。

 既に公開されてから一ヶ月以上経っている映画だが、レディースデイだったこともあって、I医師の診察の前に鑑賞した。この映画を上映している映画館には何度か足を運んでいたものの、どのような映画なのか、良くわかっていなかった。単に日本映画であるというだけで非日常を体験させてくれる映画ではないと思い込み、敬遠してしまっていたのだ。しかし、いつも熱心に拝見しているブログに、この映画に対する熱い想いが綴られていたので、鑑賞することにしたのである。

 この映画は、ある夫婦の十年を軌跡を辿った作品である。夫カナオの役を演じているのは、映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の原作者であるリリー・フランキーだ。彼は、映画初主演だとか。一方、妻翔子の役を演じているのは、映画『怪談』にも出演されていた木村多江さんである。ルールに従って行動しようとする翔子と、臨機応変に生きたいカナオの、ボタンを掛け違えたような価値観のずれが、観ている側には妙に面白い。自分の求めているものを相手の中に一生懸命、見いだそうとするのだが、見つけられずにどちらもイライラする。ついつい、相手に対する要求が高くなってしまう二人である。

 それでも、私には、うまく行っている夫婦に映って見えていた。何故なら、価値観の違いによるずれは感じるものの、根底にはお互いに対する愛が存在していると感じられたからだ。しかし、妊娠した翔子が子供を喪ってから、二人の溝は更に深まって行く。

 日本人の多くの男性がそうであるように、カナオは妻に対する愛情、いや、感情全般に渡って、言葉で表現しようとしない。しかし、妻以外の女性には積極的にアプローチしたりする一面も持っている。一方、妻の翔子は、カナオに感情を言葉で表現して欲しいのだろう。翔子にしてみれば、子供を喪ったという悲しみをカナオと共有したかったのだ。そして、カナオと寄り添いたかった。しかし、二人がお互いの中にある喪失感を共有できないまま、時間が過ぎて行く。ルールに従って、「ちゃんと」したい翔子。いつの間にか、自分自身をルールでがんじがらめにしてしまっていたのかもしれない。

 夫婦のすれ違いが表現されているかのように見える映画ではあるが、客観的に夫婦のなりゆきを見守っている私たち観客には、お互いへの愛がしっかり届いている。隠れてしまった男女の愛は、主観で見ればなかなか気づくことはできないが、客観で見れば、気づいて行くものなのかもしれない。おそらく、愛は探しても見つからないものなのだろう。探さなくても、愛がいつもちゃんとそこにあるということに自ら気づかなければ。例えば、雷が鳴った日に、カナオは職場で歓迎会を催していたのに、職場のみんなよりも先に帰宅する。それは他でもない、翔子のことが心配だったからだ。そうした心遣いが、自分の求めている愛ではないとき、見落としてしまいがちなのである。

 ところで、カナオの職業は大変興味深い。法廷画家というのだろうか。裁判のときに、法廷にカメラを持ち込むことができないため、裁判の様子を絵に描く仕事である。法廷で裁判を傍聴する人たちの中には、テレビ局に雇われた法廷画家が何人もいるらしい。また、法廷画家だけでなく、報道陣たちの姿もある。有名な事件の裁判においては、判決が下されるのを、報道陣たちがまるで「ようい、どん!」の姿勢を取るかのように、身を乗り出して聞き入っている。そして、判決が下されるやいなや、それ以降の裁判には目もくれずに、一斉に法廷の外へと駆け出して行く。おそらく、社に戻って記事を仕上げるためだろう。報道の無機質さを描いた象徴的なシーンだと思う。果たして、裁判に出席している人たちの中に自分の身内がいたとしても同じことができるのだろうかと、思わず問い掛けたくなってしまう。

 夫婦の再生を描いた作品と言われているこの作品だが、鑑賞し終えても、一体何が二人を再生させたのか、具体的なことは良く見えて来ないかもしれない。私には、再生というよりも、「愛は最初からそこにあるのに」ということを感じさせてくれた作品だった。大切なのは、究極的な闇を体験しているときに、表面だけ取り繕おうとせずに、本音で語り合うことだ。いわば、究極的な闇は、基盤を整え直すチャンスなのだ。そこで互いの本音をさらけ出し、グラグラしない基盤を築かなければ、おそらく同じことの繰り返しである。どうやら、カナオと翔子は、基盤を整え直すことに成功したようである。

 絵を描くという共通の趣味で結ばれた二人が、次第に原点に戻って行く。翔子が描き上げた天井の絵を眺めるために、お堂のようなところで仰向けになっているシーンが印象的である。互いに足を蹴り合う親しさ。そんな親しさは、十年も連れ添った夫婦にとっては当たり前のことなのに、これまでの二人には実践できていなかった。そのシーンを見て、「ああ、二人は乗り越えたね」と思うのだった。

 長い作品だったが、ちっとも長さは感じなかった。公開終了前に鑑賞できて良かったと思える作品だ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ちなみに、ぐるりのこと。というのは、自分のを取り囲む環境のこと、という意味らしいです。おそらく、周辺の人たちをも含むのでしょうね。お互いの「ぐるり」を重ね合わせながら、人と人は関わっているんですね。一九九三年間から十年間という時代背景もしっかりと感じさせてくれる、とても良い映画でありました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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