忘れるのではなく、留める
※紙ナプキン、ありますの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 実践する前は、頭の中でいろいろなことを考えてしまいます。究極的な状況に陥っているわけではないので、理性が働く余裕があるんですね。理性が働いているときは、「密度」が低いと感じます。反対に、理性を捨て去るときは、「密度」が高くなっているときですね。例えどんな状況にあろうとも、状況が少しずつ落ち着いて来ると、過ぎ去ってしまった高密度の時期を懐かしく思うものです。
朝からガンモは、洗濯機と乾燥機を次々に回したり、家の中をせっせと片付けしたりと、これまでにないほど忙(せわ)しく動き回っていた。高松の港を十五時半に出航するフェリーに乗って帰宅する予定にしていたので、お昼過ぎには実家を出発することになるため、実家を離れる前に思い付く限りのことを実践していたようだ。
一週間と一日の滞在は、日を追うごとに口数の少なくなってしまった義父にとってだけでなく、私たちにとっても大変思い出深いものとなった。このような気持ちになったのは、私たちが毎日、食卓を共にしていたからではないだろうか。これだけ長い期間滞在したのは、私たちが結婚して初めてのことだった。ガンモはその間にすっかり讃岐弁を思い出したらしく、義父や義弟ら讃岐弁のネイティヴスピーカーたちに劣ることなく、自然な讃岐弁を話していた。讃岐弁のTOEICのようなものがあれば、きっと高得点を取れるはずだ。
昼食のあと、いよいよ出発することになっていたのだが、ガンモは義父に、
「じゃあ、これから帰るきん(讃岐弁で、『じゃあ、これから帰るから』」
とはなかなか言い出し辛い様子だった。一週間と一日という長い期間をともに過ごしたことで、離れ難いような感情がお互いの中に芽生えていたのだ。私は、
「来週の日曜日にまた来ますね」
と義父に言った。義父はそれに対し、こっくりとうなずいた。
日本人は、愛していることを表現するのがとても下手である。だから、愛していることを伝え切れなかったことを、後になってからひどく後悔することになる。そうした後悔を身をもって体験することになったガンモは、私に、
「親を大切にしろー」
と言った。
高松まで自家用車を走らせ、フェリー乗り場の近くにあるショッピングセンターでそれぞれの職場に持参するお土産を購入し、私たちは自家用車ごとフェリーに乗り込んだ。何とかコンセントのある席を確保することはできたものの、いつもはノートパソコンを操作することに熱心な私たちも、さすがに今回は疲れが出たのか、ノートパソコンを置いてしばらく横になって眠った。おかげで少し疲れが取れた。
帰宅すると、義父ではなく、父ちゃんが私たちを迎えてくれた。突然、母ちゃんが帰って来なくなり、独りぼっちになってしまった父ちゃん。歳のせいか、求愛活動もやや控えめのようである。一週間以上、不在にしていたので、私たちが帰宅する頃にはきっと新しいお嫁さんをもらって一緒に生活を始めているものと思い込んでいたのだが、父ちゃんはまだ独りだった。久しぶりの再会で恥ずかしいのか、父ちゃんは私たちの姿を確認すると、ベランダの奥のほうに隠れてしまった。父ちゃんは、キッコロと違ってひどくシャイなのだ。一方、キッコロはと言うと、早速ガンモに餌をねだっていた。
ガンモはあと一日休暇を取っているが、私は月曜日から仕事である。今回のことをきっかけに、一時は自分のブログを休止させると宣言したガンモだったが、少し前向きの気持ちになることができたのか、実家にいる間にブログを更新したようだ。実家を離れ、場所も変われば、少しずつ気持ちも切り替わって行くのかもしれない。忘れるのではなく、留(とど)めるという方向に。
※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回のことで、義父や義弟たちとの距離が縮まったことは確かですが、こうしてそれぞれの生活に戻って行くことで、この次に再会したときには、少しやり直しの部分も出て来るかと思います。しかし、それを繰り返すことで、本当の絆が出来上がって行くのかもしれませんね。その繰り返しにより、絆の形成もまた、忘れるのではなく、留めるという方向に動いて行くのでしょう。
さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。
上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。
| 固定リンク





