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2008.06.13

映画『痛いほどきみが好きなのに』

気持ちだけパリ!の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 私がパリでかけたパーマは、ちょうどミュージカル『アニー』の主人公のような髪型でした。思えば、その頃は会社員をしていたんですよね。そのような髪型で出勤しても受け入れてもらえたのですから、いい会社だったと思います。(笑)さて今回は、I医師の診察のあとで鑑賞した二つ目の映画のレビューを書かせていただくことにします。

 この映画を観ようと思ったのは、『痛いほどきみが好きなのに』という切ないタイトルに強く魅かれたからだ。果たしてどのような映画なのか、映画の紹介サイトで調べてみたところ、どうやら互いに深く愛し合っているはずなのに、相手のことが良くわからずにひどく悩み続けてしまう映画らしい。愛し合う男女といえども、すべての価値観においてまったく同じというわけではない。価値観の異なる相手が、社会的な付き合いだけで済む存在ならば、できるだけ関わらないようにしてしまえば済むことだが、この映画の場合、相手はもっとも身近で愛を交し合うべき存在である。悩みを抱え込んでしまうのも無理はないだろう。

 この映画は、俳優イーサン・ホークの体験に基づいた小説をイーサン・ホーク自身が監督をつとめた作品である。映画の中には、イーサン・ホーク自身も主人公の父親役として登場している。

 さて、簡単なストーリーだが、若手俳優のウィリアムとシンガーソングライターの卵であるサラが出会い、互いに恋に落ちる。しかし、ストレートな愛情表現をするウィリアムに対し、サラはいつも冷静で、ウィリアムのようにこの恋にのめりこむことはない。また、二十歳のウィリアムは、恋人ができればセックスをしたくてたまらない。それなのに、サラはウィリアムの要求をじらし続ける。次第にウィリアムは、自分が本当にサラに愛されているのかどうかがわからなくなってしまう。「愛している」気持ちは互いに一致していても、外見えの行動がまったく異なっているのである。そんな、どこかツインソウル的な愛の展開に、私は思わずくすっと笑ってしまうのだった。

 やがてウィリアムは、メキシコで行われる撮影旅行にサラを誘う。そこでようやくウィリアムとサラは肉体的に結ばれる。ひとたび肉体的な繋がりができると、二人はモーテルのような一室で一週間を共に過ごし、一日のうちに何度も何度も愛し合う。部屋の中じゅう、セックスの匂いが立ち込めていたという。私はその表現をとても好ましく思った。欲望にまみれたアダルトビデオなどによるセックスの映像は、比較的容易に私たちの手の届くところに存在しているが、本当に愛し合う男女のセックスが描かれた映画は数少なく、わざわざ見つけ出すとなると困難である。つまり私たちは、本当に愛し合う男女のセックスが描かれた作品を鑑賞する機会にはなかなか恵まれない状況にある。だからこそ、そうした機会に恵まれたならば、欲望ではなく、真剣に愛を交し合っている男女の美しい姿をしっかりと目に焼き付けておくべきなのだ。

 サラは独自の世界を持ち、自立を目指している。ウィリアムと過ごす時間も大切だが、自分の時間も大切にしたい。ウィリアムと肉体的な絆ができたサラは、次第に自立へと傾き始める。ウィリアムは、それが不安でたまらない。サラに対るす溢れ出さんばかりの愛情を常に表現し続けたいウィリアムと、ウィリアムとの基盤が整うと、自分自身の目的を達成することにエネルギーを費やし始めるサラ。こうして客観的に映画として鑑賞していると、ツインソウル的に擦れ違っている二人の気持ちが痛いほど良くわかる。ウィリアムは、常に目に見える方法でサラに愛を表現して欲しい。一方、サラは、基盤が整ったことで安心し、その基盤の上に自分を築き上げたい。サラが自分の道を行きたがったのは、ウィリアムとの信頼関係が出来上がったからこそだったのだ。ウィリアムにとっては、サラの愛情が以前よりも衰えてしまったかのように映って見えたかもしれないが、実際は、サラのウィリアムへの愛情はちっとも衰えていなかったのかもしれない。

 与える人は、自分自身も受け取ることで安心する。しかし、与えられることに慣れた人は、自分自身が与えることを忘れてしまう。ウィリアムが持っているのは縦に伸びるエネルギーで、サラが持っているの横に伸びるエネルギーだった。両者は接点でしか交わることができない。まさしくツインソウル的な愛である。それなのにウィリアムは接点ではなく、面の付き合いをサラに求めた。

 二人の愛の頂点を極めたかのように思えたメキシコでの一週間が、その後の二人の人生を大きく変えてしまった。精神も肉体もたくさん重ね合って、互いを感じ合ったはずなのに、まだまだ足りなかった。ツインソウルの愛は、互いに大きな信頼を得たあと、相手の自由意思を尊重できるかどうかで道が二手に分かれる。別れを決めたあとも、サラを引きずり続けるウィリアムの姿がとても痛々しい。ウィリアムにしてみれば、「あれほど深く愛し合ったのに何故?」という気持ちでいっぱいなのだろう。だから、プライドなんて一切省みずに、サラに積極的なアプローチを繰り返す。それに対し、頑なに自分の立場を守り抜こうとするサラ。愛し合っているはずの二人があれよあれよという間に擦れ違って行く様が、まさしくタイトル通りに描かれた切ない映画だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この映画に描かれているのは、愛情表現に差がある男女の愛の典型だと思いますす。私はどちらかと言うと、ウィリアム寄りの人間ですので、鑑賞中もウィリアムの言動にうなずき、彼を応援していました。この映画を観て、ひとたび愛の信頼を築き上げたならば、例えどんな状況に陥ったとしても、相手の愛を疑ったりしてはいけないと痛感しました。楽しかった日々までも、否定してしまってはいけませんよね。それができなければ、信頼と同時に、愛する相手をも失ってしまうことになるのですね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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