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2008.04.07

映画『ノーカントリー』

犬山成田山参拝の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 記事の中に貼り付けたスライドショーがあまりにも重く、皆さんにもご迷惑をお掛けしたかもしれません。申し訳ありませんでした。私は普段、タブブラウザを使っているのですが、フォト蔵のスライドショーを二つも貼り付けた「ガンまる日記」を一つのタブで開いていると、メールは送受信できないわ、他のタブでインターネットにもアクセスできないわで、もう大変でした。もともと、私のモバイル環境が極端に遅いことも原因の一つではありますが、それにしても耐えかねる遅さでありましたので、やはり従来通り、4 travelのスライドショーに戻しました。皆さんにも負荷をかけてしまい、重ね重ね申し訳ありませんでした。m(__)m フォト蔵へのリンクを張るのは、動画を公開させていただくときに留めたいと思います。

 先週金曜日の夜、ガンモは職場の人たちとお花見をしたあと、飲み会があると言うので、私も仕事帰りにレイトショーを観て帰ることにした。鑑賞した映画は、予告編を観たときから気になっていた『ノーカントリー』である。

 予告編では、人々を震撼させるほど強烈な内容であることを訴え掛けていたのだが、映画の予告編にはこれまで何度も裏切られて来たので、今回も予告編の内容を百パーセント鵜呑みにしていたわけではなかった。しかし、この映画を鑑賞し始めた途端、予告編以上の映画だと予感した。

 はっきり言って、この映画はとても恐ろしい映画である。本当に恐ろしい映画を観ると、鑑賞中に感じた恐怖感が強烈に残り、現実世界に戻っても物音や人影に怯え、映画の帰り道にさえ恐怖を感じてしまう。十年ほど前に、仕事帰りに派遣仲間と一緒に『8mm』というニコラス・ケイジ主演の映画を観た。この映画も恐ろしい映画で、実際の殺人が撮影された8mmフィルムが発見されたため、ニコラス・ケイジがその謎を追うというストーリーだった。やはり、帰り道がひどく恐ろしく、派遣仲間と分かれて電車に乗ったあとも、すぐにその派遣仲間とメールを交わしたことを覚えている。

 今回鑑賞した『ノーカントリー』は、テキサスの荒野で激しい銃撃戦の末に息絶えたであろういくつもの遺体に遭遇したルウェリン・モスが、彼らの遺した大金を自分のものにしてしまったことから始まる。その大金の行方を追って、非情な殺人鬼アントン・シガーがモスをどこまでもどこまでも追いかけて来る。アントンは、消火器のような形をした強力な空気銃のようなものを使って人を殺めたり、また、モーテルの施錠を容赦なく破壊して中に入って来る。無表情のまま冷静に殺人を繰り返すものだから、その恐ろしさと言ったらない。何しろ、登場人物たちがアントンの顔を見ただけでも殺されてしまいかねない状況だったからだ。

 大金を持って逃走するモスを、殺人鬼アントンがじりじりと追い詰めて行く。アントンの恐ろしさは、感情が動かないところにあった。それは言い換えると、殺される直前にアントンに命乞いをしても、決して聞き入れられることはないということだ。映画全体を通して、アントンの感情は読み取れない。アントンの髪型は、大金を取り戻すという目的に向かってまっすぐ突き進む彼自身のようにストレートのおかっぱヘアだった。そんな彼には、怒りの表情さえ読み取れない。感情が読み取れないからこそ、私たちはアントンのおかっぱヘアに意識を向けてしまう。

 逃げ回る立場の人が、自分自身を守るものが何もない恐ろしさは、手に汗を握るシーンとなる。第三者の視線すらも、アントンの武器で簡単に開けられてしまうモーテルの薄い扉も、モスを守ってはくれない。だからモスは、守ることよりも、銃でアントンを攻撃する。やがてその銃弾は、アントンに当たるのだが、そのことにより、アントンが更に激怒したようにも思えなかった。だから余計に恐ろしい。アントンはまるで、大金を取り戻すという命令をインプットされたロボットのようである。

 守るという観点で言えば、モスには愛する妻がいる。きっと、守るものがある人には、こうした戦いは向かないのだ。何故なら、適の攻撃があちらこちらへと分散されるからだ。それに、もともと守ることと戦うことは別物である。戦いに専念するためには、守るものを持たないほうがいいこともあるということだ。

 映画の中に、血だらけになった男が道行く若者に対して、
「その服を譲ってくれ」
と請うシーンが二回ある。声を掛けられた若者は、自分の着ている服を脱いで与えるのだが、そうしたやりとりが成り立ってしまうところに、日本との大きな国民性の違いを感じる。日本で同じことを実践しようものなら、警察に通報するか、救急車を呼ぶ人が多いのではないだろうか。しかし、映画に登場する若者たちはそのような行動は取らず、血だらけになった男の言う通りに服を差し出し、服の代償としてお金を受け取り、何が起こったかを内密にする。こうしたやりとりが、日常、当たり前のように行われているのだとすれば、警察が介入できない事件も多いのではないかと推測する。実際、この事件の語り手は引退した保安官なのだが、事件が起こっていることを知りながらも、彼は傍観者で終わってしまう。そして、映画の中でも、自分には手に負えない事件が増えて来たことを嘆いている。

 実に不思議なことだが、感情が読み取れず、次々に殺人を犯して行くアントンを見ていると、人を愛することの大切さを痛感させられてしまう。まさしくこれが反面教師というものだろうか。この映画では、人を殺めることを何とも思わないアントンに意識を向けてしまいがちだが、残酷なシーンを何度も見せ付けられると余計に、事件を解決できなかった保安官の苦悩や、大金を奪って逃げ回っていたモスと妻の愛が浮き彫りになって来るのだ。やはり映画というものは、観る人の記憶を引き出してくれるありがたいツールなのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この映画の監督は、コーエン兄弟であります。私は彼らの過去の作品を観てはいませんが、兄弟で一緒に映画制作に携わっているなんて、きっと使命を持って生まれて来た人たちなのでしょうね。大金を持って逃げ回る男モスを演じていたのは、ジョシュ・ブローリンという俳優さんですが、彼を見ていると、在りし日のチャールズ・ブロンソンを思い出してしまいました。実は私は、彼のファンだったんですよね。彼の出演した映画はほとんど鑑賞しました。年齢に関係なく、何故か惹かれる存在でありました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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