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2008.04.28

映画『地上5センチの恋心』

夢観る少女の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 「もう少女ではないのでは?」などという厳しい突っ込みがなかったことにホッと胸を撫で下ろしています。実は最近、以前ほど英語の学習に力が入っていません。教材で使用しているCDの内容が少しずつ難しくなって来たからかもしれません。こういうときは、とりあえず先に進むという思い切りも必要なのかもしれませんね。でも、「少女」の私には、こうした思い切りがなかなか持てないのであります。(苦笑)

 タケのライブに足を運んだ先週の金曜日、加入しているシネマポイントカードの特典で、金曜日に限り、千円で映画を観られる映画館があった。タケのライブに参加するために有給休暇を取っていた私は、朝からその映画館で映画を二本観るつもりで家を出たのである。

 金曜日の午前中から映画館にこもり、映画を鑑賞することは、私にとって、とても優雅なひとときとなった。普段、足を運ぶことのできない平日の映画館には、中年の女性を中心としたたくさんの人たちの姿があった。中には、おそらく最近退職されたであろう男性の姿もちらほら見受けられた。やはり、ミニシアター系の映画館の特徴と言っていいのか、単独で鑑賞されている方たちが多かった。

 いつもならば、たいてい、予告編で興味をそそられたり、これから観ようとしている映画がどのような映画なのかを知るためにインターネットで調べたりしてから鑑賞に臨むのだが、今回鑑賞した映画『地上5センチの恋心』は、単に千円で観られるというだけで、何の前知識もなくいきなり鑑賞することになった。今になって思えば、それが良かったのかもしれない。前知識もなく鑑賞し始めたおかげで、途中で「ええっ? こんな映画だったの?」という驚きを何度も体験しているうちに、私はこの映画の持つ独特の世界にグイグイ引き込まれて行ったのだった。

 一言で言ってこの映画は、実にユニークな映画である。デパートの化粧品売り場で働く主人公のオデットは、憧れの作家であるバルタザールのサイン会を心待ちにする未亡人だ。ある日オデットは、バルタザールのサイン会に出掛けるために、ブリュッセル行きの長距離バスに乗り込む。サイン会の会場に着いてみると、オデットと同じようにバルタザールのサインを求めて並んでいるファンがたくさんいる。オデットは、サイン待ちの列に並んで待っている間に、バルタザールの作品をネタにして、同じ列に並んでいる複数のファンと交流する。このあたりの熱狂的な雰囲気は、例え相手が人気作家でなくても、似たような経験を持つ人ならば、思わず「ああ、わかる。わかる」と相槌を打ちたくなるのではないだろうか。日常生活においては、見知らぬ人と会話を始めるには特別なきっかけが必要である。しかし、同じ作家のファンというだけで、彼女たちの間には最初から壁がないのである。そんな熱狂的なファンの中に、バルタザールのファンではなさそうな女性も混じって並んでいるところが面白い。少々ひねりの効いた作品であることを思わせる。

 おっと、そんなところで立ち止まっていては、この映画の面白さをすべてご紹介できないかもしれない。オデットはバルタザールに対し、少女のように純粋な恋をする。恋する女性は、例え歳を重ねていたとしてもかわいい。実際、オデットの年齢はいくつぐらいだろう。二十代と思われる子供さんが二人もいらっしゃるので、四十代後半から五十代前半といったところだろうか。そんなオデットがバルタザールへの想いに溢れると、オデットの身体がふわっと軽くなり、宙に浮く。だから、この映画のタイトルが『地上5センチの恋心』なのだろう。

 この映画の何が楽しいかと問われれば、バルタザールのサイン会で自分の名前すらまともに言えなかったはずのオデットが、次第にバルタザールとの距離を縮めて行くプロセスだろう。多対一の関係から一対一の関係へと発展して行くプロセスを静かに見守っていると、決してオデットだけが歩み寄っているのではないことがわかる。恋を始めるには、少しの偶然というお膳立てと、お互いの歩み寄りが大切だ。

 オデットにとってバルタザールが身近な存在になってからの展開は、とにかく目を離せない。本当に日とを愛することはどういうことなのだろうと考えてしまう。そして、オデットが取ったように、自我を解放することが本当に人を愛するということなのではないかという結論に辿り着く。多くの恋愛には自我がつきものだ。言い換えると、肉体関係に限らず、好きな人に想われたい、一緒になりたいなど、自分自身の欲望を達成したがるということだ。しかし、オデットの取った行動は違う。彼女の行動があまりにも冷静なので、もしかするとオデットはバルタザールが身近な存在になり過ぎて、もはやバルタザールへの恋心を失ってしまったのではないかと錯覚してしまいがちだが、彼女の身体が宙に浮く姿を見届けることで、私たちは彼女の本当の気持ちを理解する。

 映画サイトでは、「大人向けラブ・コメディ」と紹介されているこの映画だが、ラブ・コメディと表現するには奥が深過ぎると思う。女性に対してあれほど節操のなかったバルタザールが、素朴なオデットと出会ってどんどん変わって行く姿を見届けるのも面白い。二人で始める恋愛は、互いに影響を与え合うものなのだ。そして、影響を与え合うことにより、好きな自分に変身させてくれた恋愛は、もはや手放せなくなってしまうものなのだ。それは化学反応のようなものだから仕方がない。言い換えれば、お互いが簡単に手放せる恋愛というのは、こうした化学反応の起こらなかった恋愛と言えるのかもしれない。単に肉体を通り過ぎて行くだけの情事など、お互いの中に何も残しはしないのだ。

 さきほども書いたが、運命的な恋が始まるときには、それなりのお膳立てが必要である。こうしたお膳立ての中には、時には痛みを伴うこともある。しかし、痛みの先には、これまで体験したこともなかったような素朴で確かな幸せが待っていることもある。幸せ探しは、「灯台下暗し」なのかもしれない。幸せを求めようと、バルタザールがあちらこちらを探し回っても見付けることができなかった。しかし、素朴なオデットに出会い、バルタザール自身が変わることによって、これまで見えていなかったものが見えて来るようになった。これまで幸せだと感じられなかったものが幸せだと感じられるようになったのだ。幸せは、探し求めて得るものではなく、自分自身の視点を変えることにより得られるものだということを、この映画は教えてくれてもいる。多くの場合、探し求める幸せは物質的なものであり、自分の視点を変えたことで得られる幸せは精神的とも言える。幸せが何であるかを知ったバルタザールは、オデットに出会ったことによって、愛の本質を「求める愛」から「与える愛」に変化させたと言えるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 恋する中年のおじさまとおばさまが、とてもかわいらしく描かれている映画でした。ミニシアター系の映画館に足を運ぶと、こういう映画に出会えるから素敵です。ミニシアター系の映画館と言うと、これまでホットヨガ神戸店の隣にある映画館に足を運ぶことが多かったのですが、このような映画が上映されているとなると、見逃せませんね。(笑)ちなみに、もう一本観た映画は『4ヶ月、3週と2日』でしたが、こちらは鑑賞中もなかなか感情が動かず、レビューを書き辛い作品でありましたので、レビューは見送らせていただきたいと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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