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2008年4月

2008.04.30

映画『アイム・ノット・ゼア』

ホットヨガ(一〇四回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ステップアップを図る退職というのは、これまでの環境と、これからの環境に橋を架けることなのかもしれませんね。今、彼女はちゃんと、橋を架けています。橋が架かっているから、私たちも彼女を見失うことがないのでしょう。

 ボブ・ディランの伝記映画『アイム・ノット・ゼア』を観た。私にとって、ボブ・ディランは、ほんの少し歌を知っている程度の存在である。ボブ・ディランは音楽活動だけでなく、詩人や俳優としても活躍したり、また、ドラッグにおぼれたこともあったという。この映画では、六人の俳優さんたちがそれぞれ名前を変えてボブ・ディランの様々な顔を演じている。

 上映少し前に映画館に足を運んだところ、トイレで二人連れのおばさまに出会った。トイレで交わされていたお二人の会話から想像するに、お二人は『アイム・ノット・ゼア』の上映途中にスクリーンから抜け出してしまったらしい。
「むつかしい映画やったなあ。私にはわからへんわ」
「あれ、離婚したやんなあ? そこまではわかったけど、それでどうなったん?」
などという会話が聞こえて来た。

 私は、予告編を観たときにこの映画を鑑賞しようと心に決めたのだが、確かに六人のキャストがボブ・ディランという一人の人物を演じているとなると、途中でストーリーに着いて行けなくなってしまったとしても無理はないのかもしれないと思った。おばさまたちのぼやきのおかげで、私は「この映画はどうやらとでも難解らしいから、心して鑑賞しよう」とスイッチを入れて鑑賞を始めたのだった。

 実際に鑑賞してみると、確かにわかりにくい映画だった。時系列もばらばらで、過去が未来にどのように繋がって行くかも良くわからない。しかも、六人の俳優さんたちが演じているそれぞれのボブ・ディランが、ボブ・ディランという名前でないことのも混乱する要因になっている。どうしてこんなにわかりにくい映画になってしまったのだろう?

 ただ、良くわからないなりにも、ロックシンガーとしてのボブ・ディランを演じていたケイト・ブランシェットに釘付けになっていた。女性であるはずの彼女が、ボブ・ディランという男性ロックシンガーを演じているのだ。彼女は、歌で時代を変えようとしていたフォークからロックに転向し、ファンからは裏切り者呼ばわりされていた時代のボブ・ディランを演じているのである。

 ケイト・ブランシェット主演映画としては、少し前に映画『エリザベス:ゴールデン・エイジ』を鑑賞した。映画『バベル』を鑑賞したときは、それほどスポットを浴びるような役柄ではなかったので、映画を鑑賞したあとも彼女の存在があまり心に残らなかったのだが、映画『エリザベス:ゴールデン・エイジ』や今回の映画『アイム・ノット・ゼア』では、彼女の存在感の大きさに圧倒され、いつの間にか彼女から目を離すことができなくなっていた。

 映画『ファクトリー・ガール』を鑑賞したとき、初めてボブ・ディランとイーディが恋人同士だったことを知った私だが、この『アイム・ノット・ゼア』にもあのイーディが登場するのだろうかと、ドキドキしながら鑑賞していた。しかし、この映画の中では、イーディの存在はほんの少しかすっただけに留められていた。この映画を観る限りでは、ボブ・ディランとイーディが激しい恋に落ちたことは、想像できないのではないだろうか。

 とあるサイトで、映画『ファクトリー・ガール』が公開されることになったとき、ボブ・ディランが圧力をかけたという情報を得た。もしそれが事実なら、彼の中には今でもイーディが生き続けているのかもしれない。映画『ファクトリー・ガール』が公開されることにより、彼が触れて欲しくない領域に、第三者がどかどかと土足で入り込んで来るような恐怖を感じていたのではないだろうか。もしもイーディとの恋が、彼にとって単に過ぎ去っただけの過去の恋ならば、彼ほどの大人物が映画の公開に圧力をかける必要もないはずだろう。それにしても、同じ頃にそれぞれの伝記映画が製作されるというのは、それだけでも運命的なものを感じてしまう。

 この映画から感じられるボブ・ディランは、「探し物がなかなか見つからない人」という印象を得た。世の中が彼の感覚とずれているのか、それとも、彼自身が世の中の感覚とずれているのか良くわからないが、ボブ・ディランは心地良い環境を求めようとして、いつも失敗している人のように見受けられた。彼は、そのいつまでも満たされないエネルギーを、創作活動に充てていたのではないだろうか。だから逆に、彼自身が満たされていれば、いろいろな作品は生まれなかったかもしれないのだ。

 私にとってはこの作品が、四月に鑑賞した最後の映画となった。いろいろな映画を鑑賞した四月だったが、三月に鑑賞した作品数をちょっぴり下回ってしまった。ちなみに、四月に鑑賞した鑑賞した映画は以下の通りである。

ノーカントリー
悲しみが乾くまで
スルース
ファクトリー・ガール
犬と私の10の約束
地上5センチの恋心
・4ヶ月、3週と2日
・さよなら。いつかわかること
・アイム・ノット・ゼア

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m やはりこの映画は、ケイト・ブランシェットに釘付けになりますね。少々難解な映画であるだけに、ケイト・ブランシェットの演技が救いでもあります。もしかすると、ケイト・ブランシェットを際立たせるために、わざと難解に仕上げたのかもしれません。そんな妄想さえも膨らんで来ます。そうそう、突っ込みどころが一つだけありました。子供の頃、左利き用のギターを弾いていた彼が、大人になってからは右利き用のギターに変わっていました。これは狙いでしょうか? それとも設定ミスでしょうか? もともと、子供時代の設定が黒人の男の子なので、別人と言えば別人なのですが・・・・・・。ちなみに、ボブ・ディランが演奏している写真を見ると、ちゃんと右利き用のギターを使用していました。

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2008.04.29

ホットヨガ(一〇四回目)

映画『地上5センチの恋心』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m この映画は、フランスとベルギーの合作映画でした。本当に楽しい映画でしたので、映画を鑑賞し終わった直後から、早くレビューを書いて皆さんにご紹介したいと思っていました。ようやくそれが適ってホッとしています。ホッとしたところで、ホットヨガのレッスンの記事に繋げて行きますね。

 飛び飛びのゴールデンウイークが始まってから初めての祝日。私は脂肪燃焼コース2の最後のレッスンに参加すべく、ホットヨガ神戸店に向かった。私にとっては、久しぶりに受ける休日のレッスンとなった。

 着替えを済ませてスタジオのドアを開けた途端、私は驚いた。な、何と、狭いほうのスタジオに、ヨガマットがこれでもかというくらい、びっしりと並べられていたからだ。見ると、既に多くの参加者の方たちがヨガマットの上で思い思いのポーズを取りながら待機されていた。スタジオに足を踏み入れ、空いているヨガマットに腰を下ろし、鏡越しにヨガマットの数を数えてみると、この狭いスタジオの中にヨガマットが前後に十七枚並べられていた。こ、これは・・・・・・。あの、平日の夜の四名、五名ののどかな雰囲気のレッスンを一日に数本しか運行しないローカル線に例えるならば、今回のレッスンは、大都市を走る満員電車のようだ。おそらくだが、隣のヨガマットとの距離は、わずか二十センチ足らずといったところだろうか。ヨガマットを前後に大きくずらさなければ、両手を広げるポーズを取るときに当たってしまうことだろう。

 今回のレッスンを担当してくださったのは、二回目のトライアルレッスンで私が入会を決めたときにレッスンを担当してくださったベテランインストラクターだった。私はこれまで何度も何度も彼女のレッスンを受けて来た。今回、レッスンが始まる前に、彼女のほうから、
「私事ですが、皆さんにお伝えしておきたいことがあります」
という前置きで話が始まった。何となく緊迫した雰囲気を感じ取り、私は思わず息を呑んだ。
「実は、以前からずっと考えていて、タイミングを見計らっていたのですが、もっともっとヨガの勉強をしたいと思いまして、一年ほどインドに渡り、インドでヨガの勉強をすることになりました。そのため、五月九日をもって、こちらのスタジオを退職させていただくことになりました」
いつもならば、すぐに声が出て来るのに、私は驚きのあまり、声を出すことができなかった。ずっとお世話になったインストラクターだっただけに、彼女がホットヨガを離れるとなると、寂しさが募る。しかし、確か彼女は、これまでにもインドに渡り、インドで静かなヨガを体験して来たとおっしゃっていた。そのことを思い出すと、彼女はヨガの中にご自分の生きる確かな道を見出され、更なるステップアップを目指そうとされているのだとわかった。そのため、彼女のレッスンが受けられなくなってしまう寂しさは募るものの、彼女の選択がとても頼もしいことだと思えて来た。

 自分の目標がまだ漠然としているときは、現状を維持し続けようと努める。しかし、より高い目標に目覚めた人は、現状に甘んじることなく、これまで築き上げた環境を積極的に手放し、勇敢にも次なるステップへと足を踏み出して行く。彼女は言った。
「ここで皆さんからたくさんのことを学ばせてもらいました。どうもありがとうございました」
いやいや、お礼を言いたいのは私のほうなのに、スタジオ内がしんとしているからか、声が出て来ない。私はレッスンを終えてから彼女に話し掛けようと思い、そのままレッスンに臨んだ。

 五月九日まででホットヨガを去って行くと宣言した彼女は、ホットヨガで自分が学んで来たものを私たちにすべて分けてくださるかのように、とても丁寧なレッスンを展開してくださった。私はふと、これまでの派遣生活の中で派遣期間が満了し、退職する日が近くなったときのことを思い出していた。私はこれまで企業を去って行くときに、今の彼女のように美しく輝きを放ったのだろうか。答えはノーだった。それは何故なのだろう。おそらく、私がこれまで体験して来たのは、次なるステップを目指した退職ではなかったからではないだろうか。だから私は、退職して行く職場で燃え尽きることもなく、ただ自分が去って行く日を受身モードで静かに待ち続けていたに過ぎなかったのだ。しかし、今の彼女は違う。ホットヨガのインストラクターを通して学んで来たものを、退職の日までカウントダウンが始まったレッスンで還元させている。彼女が取っている行動が、彼女自身のためにも、私たち自身のためにも役立っているのがわかる。「立つ鳥あとを濁さず」という格言があるが、彼女の取っている行動は、もはやその格言を超えていた。

 レッスンを終えてから、スタジオを出るときに、彼女に声を掛けた。私と同じことを考えていた方が私の他にもう一人いらっしゃって、二人で彼女を激励する形となった。彼女曰く、
「三年経って、スタッフも育って来ましたので、古株はそろそろ引退してもいいかなと思いまして」
ということだった。どうやら彼女が時期を見計らっていたというのは、後輩インストラクターたちが育って行くのを見守っていたということらしい。彼女は、ホットヨガのスタッフにも自分が受け取って来たものを残し、私たちにも残してくださっているというわけだ。私は彼女に激励の言葉を贈り、シャワーを浴びた。

 ガンモが仕事の待機要員で家に居たので、出掛けて来るのが少し憚(はばか)られたレッスンだったが、思い切って出掛けて来て良かったと思った。最後の脂肪燃焼コース2のレッスンを受けることができたことよりも、ホットヨガで学んだことを循環させている彼女のレッスンを受けることができたことのほうが私には大きかった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m もう一度、自分の過去をじっくりと振り返ってみたのですが、私にはステップアップに向けた退職というのがないように思います。ステップアップに向けた退職というのは、「自分はもう十分、ここで学んだ。だから、次なるステップへ進もう」だと思うのです。しかも、彼女の決断から、彼女はヨガのインストラクターという仕事に対して能動的であることがわかりました。派遣生活を続けていると、能動的というよりも受動的になりがちです。しかも、自分が企業を選ぶのではなく、企業に選ばれるのを待っているのですね。そんなことをあれこれ振り返るきっかけを与えてくれた彼女に感謝したいと思います。ちなみに、彼女は一年経つと日本に帰国されるそうですが、そのあと再びホットヨガに再就職されるかどうかは未定だそうです。

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2008.04.28

映画『地上5センチの恋心』

夢観る少女の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 「もう少女ではないのでは?」などという厳しい突っ込みがなかったことにホッと胸を撫で下ろしています。実は最近、以前ほど英語の学習に力が入っていません。教材で使用しているCDの内容が少しずつ難しくなって来たからかもしれません。こういうときは、とりあえず先に進むという思い切りも必要なのかもしれませんね。でも、「少女」の私には、こうした思い切りがなかなか持てないのであります。(苦笑)

 タケのライブに足を運んだ先週の金曜日、加入しているシネマポイントカードの特典で、金曜日に限り、千円で映画を観られる映画館があった。タケのライブに参加するために有給休暇を取っていた私は、朝からその映画館で映画を二本観るつもりで家を出たのである。

 金曜日の午前中から映画館にこもり、映画を鑑賞することは、私にとって、とても優雅なひとときとなった。普段、足を運ぶことのできない平日の映画館には、中年の女性を中心としたたくさんの人たちの姿があった。中には、おそらく最近退職されたであろう男性の姿もちらほら見受けられた。やはり、ミニシアター系の映画館の特徴と言っていいのか、単独で鑑賞されている方たちが多かった。

 いつもならば、たいてい、予告編で興味をそそられたり、これから観ようとしている映画がどのような映画なのかを知るためにインターネットで調べたりしてから鑑賞に臨むのだが、今回鑑賞した映画『地上5センチの恋心』は、単に千円で観られるというだけで、何の前知識もなくいきなり鑑賞することになった。今になって思えば、それが良かったのかもしれない。前知識もなく鑑賞し始めたおかげで、途中で「ええっ? こんな映画だったの?」という驚きを何度も体験しているうちに、私はこの映画の持つ独特の世界にグイグイ引き込まれて行ったのだった。

 一言で言ってこの映画は、実にユニークな映画である。デパートの化粧品売り場で働く主人公のオデットは、憧れの作家であるバルタザールのサイン会を心待ちにする未亡人だ。ある日オデットは、バルタザールのサイン会に出掛けるために、ブリュッセル行きの長距離バスに乗り込む。サイン会の会場に着いてみると、オデットと同じようにバルタザールのサインを求めて並んでいるファンがたくさんいる。オデットは、サイン待ちの列に並んで待っている間に、バルタザールの作品をネタにして、同じ列に並んでいる複数のファンと交流する。このあたりの熱狂的な雰囲気は、例え相手が人気作家でなくても、似たような経験を持つ人ならば、思わず「ああ、わかる。わかる」と相槌を打ちたくなるのではないだろうか。日常生活においては、見知らぬ人と会話を始めるには特別なきっかけが必要である。しかし、同じ作家のファンというだけで、彼女たちの間には最初から壁がないのである。そんな熱狂的なファンの中に、バルタザールのファンではなさそうな女性も混じって並んでいるところが面白い。少々ひねりの効いた作品であることを思わせる。

 おっと、そんなところで立ち止まっていては、この映画の面白さをすべてご紹介できないかもしれない。オデットはバルタザールに対し、少女のように純粋な恋をする。恋する女性は、例え歳を重ねていたとしてもかわいい。実際、オデットの年齢はいくつぐらいだろう。二十代と思われる子供さんが二人もいらっしゃるので、四十代後半から五十代前半といったところだろうか。そんなオデットがバルタザールへの想いに溢れると、オデットの身体がふわっと軽くなり、宙に浮く。だから、この映画のタイトルが『地上5センチの恋心』なのだろう。

 この映画の何が楽しいかと問われれば、バルタザールのサイン会で自分の名前すらまともに言えなかったはずのオデットが、次第にバルタザールとの距離を縮めて行くプロセスだろう。多対一の関係から一対一の関係へと発展して行くプロセスを静かに見守っていると、決してオデットだけが歩み寄っているのではないことがわかる。恋を始めるには、少しの偶然というお膳立てと、お互いの歩み寄りが大切だ。

 オデットにとってバルタザールが身近な存在になってからの展開は、とにかく目を離せない。本当に日とを愛することはどういうことなのだろうと考えてしまう。そして、オデットが取ったように、自我を解放することが本当に人を愛するということなのではないかという結論に辿り着く。多くの恋愛には自我がつきものだ。言い換えると、肉体関係に限らず、好きな人に想われたい、一緒になりたいなど、自分自身の欲望を達成したがるということだ。しかし、オデットの取った行動は違う。彼女の行動があまりにも冷静なので、もしかするとオデットはバルタザールが身近な存在になり過ぎて、もはやバルタザールへの恋心を失ってしまったのではないかと錯覚してしまいがちだが、彼女の身体が宙に浮く姿を見届けることで、私たちは彼女の本当の気持ちを理解する。

 映画サイトでは、「大人向けラブ・コメディ」と紹介されているこの映画だが、ラブ・コメディと表現するには奥が深過ぎると思う。女性に対してあれほど節操のなかったバルタザールが、素朴なオデットと出会ってどんどん変わって行く姿を見届けるのも面白い。二人で始める恋愛は、互いに影響を与え合うものなのだ。そして、影響を与え合うことにより、好きな自分に変身させてくれた恋愛は、もはや手放せなくなってしまうものなのだ。それは化学反応のようなものだから仕方がない。言い換えれば、お互いが簡単に手放せる恋愛というのは、こうした化学反応の起こらなかった恋愛と言えるのかもしれない。単に肉体を通り過ぎて行くだけの情事など、お互いの中に何も残しはしないのだ。

 さきほども書いたが、運命的な恋が始まるときには、それなりのお膳立てが必要である。こうしたお膳立ての中には、時には痛みを伴うこともある。しかし、痛みの先には、これまで体験したこともなかったような素朴で確かな幸せが待っていることもある。幸せ探しは、「灯台下暗し」なのかもしれない。幸せを求めようと、バルタザールがあちらこちらを探し回っても見付けることができなかった。しかし、素朴なオデットに出会い、バルタザール自身が変わることによって、これまで見えていなかったものが見えて来るようになった。これまで幸せだと感じられなかったものが幸せだと感じられるようになったのだ。幸せは、探し求めて得るものではなく、自分自身の視点を変えることにより得られるものだということを、この映画は教えてくれてもいる。多くの場合、探し求める幸せは物質的なものであり、自分の視点を変えたことで得られる幸せは精神的とも言える。幸せが何であるかを知ったバルタザールは、オデットに出会ったことによって、愛の本質を「求める愛」から「与える愛」に変化させたと言えるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 恋する中年のおじさまとおばさまが、とてもかわいらしく描かれている映画でした。ミニシアター系の映画館に足を運ぶと、こういう映画に出会えるから素敵です。ミニシアター系の映画館と言うと、これまでホットヨガ神戸店の隣にある映画館に足を運ぶことが多かったのですが、このような映画が上映されているとなると、見逃せませんね。(笑)ちなみに、もう一本観た映画は『4ヶ月、3週と2日』でしたが、こちらは鑑賞中もなかなか感情が動かず、レビューを書き辛い作品でありましたので、レビューは見送らせていただきたいと思います。

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2008.04.27

夢見る少女

映画『犬と私の10の約束』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 田中麗奈ちゃん、いい女優さんになりましたね。とっくに「なっちゃん」のイメージを打破しています。作られていない自然な演技が彼女の一番の魅力かもしれませんね。

 そろそろ、TOEICで脂肪燃焼の記事に書いたTOEICのスコアシートが郵送されて来る頃だと思っていた。しかし、私の手元にスコアシートの入った郵便物がなかなか届かなかったので、ガンモに、
「おかしいなあ。私の○○点のTOEICのスコアシートが郵送されて来るなずなんだけどなあ」
とぼやいていた。

 今回のTOEICのIPテストでは、ガンモとの開きがこれまでの一〇五点から三十点ほどまでに縮まったという手ごたえを感じていた。その予測スコアが○○点だったのである。だから、私としてはスコアシートが届くのをとても楽しみにしていた。スコアシートがそろそろ届くはずなのにおかしいと思っていると、ある晩、寝る前にガンモが私に一枚の紙を差し出した。それは、これまで私が待ち望んでいたスコアシートだった。
「何、これ? 届いてたの?」
と言いながらそのスコアシートを見ると、あれれれれ? 何かの間違いではないだろうか。予想していた点数よりも百点以上も低い。この場に及んでも現実を受け入れることができない私は、
「これ、いつの?」
と言いながら、スコアシートに印刷されている受験日を確認したところ、確かにTOEICで脂肪燃焼のスコアシートだった。

 ガンモ曰く、そのスコアシートは、二日ほど前に届いていたそうだ。TOEICのスコアを私と競い合っているガンモは、私の帰宅を待ち切れずに、スコアシートの入った封筒をこっそり開封したらしい。何しろ私が、そろそろガンモのスコアに追いつきそうだなどと宣言したものだから、気になって仕方がなかったのだろう。実際、ガンモが夜寝る前に実践しているニンテンドー DS Liteの「えいご漬け」でも、ガンモが聞き取れない言い回しを聞き取ったり、ガンモの知らない単語の意味を答えたりしていたからだ。それなのに、このような結果を叩きつけられてしまうとは・・・・・・。

 「スコアシートが届いてるのに、何で言ってくれなかったの?」
とガンモに尋ねると、
「だって、まるみが○○点だと思ってるのに言えないだろ?」
と言う。ガンモは、私が
「おかしいなあ。私の○○点のTOEICのスコアシートが郵送されて来るなずなんだけどなあ」
と言っていたので、私をがっかりさせないために、スコアシートが届いたことを二日ほど黙っていたようなのだ。

 自分では「できた!」という感触を得たはずなのに、実際には、前回の試験よりも二十点ばかり成績が落ち込んでしまっていた。ちなみに、TOEICで脂肪燃焼の記事を読み返してみると、大胆にもこんなことを書いている。

私としては、前回よりもガンモのスコアにぐっと近づいた手ごたえがある。現在、ガンモと私のスコアの開きは百五点だ。これがあと三十点くらいにまで迫っただろうと自負している。

 またしても、「自負」するだけに終わってしまった。きっとこれからも、私は「できた! できた!」などと自負し続けるのだろう。それにしても、悔しい。本当に悔しい。TOEICの学習も、ダイエットと同じだ。ダイエットは、順調に痩せている間は楽しいが、食べ過ぎてリバウンドすると挫折してしまう。TOEICも、スコアが上がっているうちは楽しいが、以前のスコアに逆戻りしてしまうと、激しい挫折感を味わうことになる。自分が頑張らなかった結果を受け入れることができないのである。

 ガンモは私に、
「そろそろ公開テストを一緒に受けようよ」
と提案して来た。しかし私は、
「六月のIPテストも申し込んでるし、公開テストを受けるのは、やっぱり○○点取ってからにする」
と答えた。ガンモにしてみれば、スコアシートが届く度に私が現実を受け入れられずに文句ばかり言っているので、自分と同じ公開テストを受ければ、私も自分の実力がわかって納得するのではないかと思ったのだろう。

 私も、ガンモと一緒に公開テストを受けたほうがいいのはわかっている。しかし、もう少しスコアが上がってから公開テストを受けると決めていたので、できればそれに従いたい。これまでに何度かIPテストを受けて来て、どれも同じようなスコアだったので、そろそろ現実を受け入れなければならないと思うのだが、なかなかそうも行かない。TOEICの試験を考える人は何故、私の知っていることを出題してくれないのだろう? スコアシートが返って来る度に、そんなことを思うばかりで、なかなか前進できない自分がいる。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m TOEICに限らず、私はなかなか現実を受け入れられない傾向が強いようです。もともと、変わりたい願望よりも、変わりたくない願望のほうが強いのかもしれません。人間関係においても、自分が変わっていないのだから、人も変わっていないのではないかと過信してしまうところがあります。だからでしょうか。自分自身の歩みがひどくゆっくりで、世の中の歩みがめまぐるしいと感じてしまうのです。それなのに、ちょっと英語の勉強を始めれば、すぐにTOEICで百点アップも可能だなどと思い込んでしまいがちなのです。つまり私は、いつも自分の都合のいいように願う、夢見る少女なのですよ。(苦笑)

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2008.04.26

映画『犬と私の10の約束』

タケカワユキヒデコンサート ~神戸から叫ぼうビューティフルネーム~の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方から応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。私と同世代の方もたくさんいらっしゃるのかもしれませんね。ゴダイゴが大好きだった中学生の頃は、月々のお小遣いが何千円という時代でしたので、田舎に住んでいた私は大都市で行われているコンサートに行きたくても足を運ぶことができませんでした。だから、大人になって、こうして複数回に渡り、自分の想いを遂げることができることは、本当に喜ぶべきことなのであります。中には一度解散してしまうと、グループとしての活動を完全に停止させてしまうアーチストもたくさんいらっしゃいますよね。そういう意味では、現在住んでいる場所も含めて環境にも恵まれていると言っていいのかもしれません。

 休日ともなると、一日に二本もしくは三本の映画を観ているため、レビューの記事がなかなか追いつかない。他に観ている映画もたくさんあるのだが、今回は、一週間前にガンモと一緒に観た映画『犬と私の10の約束』のレビューを書かせていただくことにしよう。

 この映画が公開されることを知ったのは、確かまだ去年の秋頃のことだったと思う。犬好きの私は、映画館に設置されていたチラシに、かわいらしい犬の写真が掲載されていたので、思わず手を伸ばしてチラシを手にしたのだ。それが、この映画のチラシだった。そのチラシには、犬の十戒が綴られていた。その内容に目を通したとき、思わずぐっとこみ上げて来るものを感じ、この映画が公開されたら絶対に観に行こうと心に決めていたのだった。公開時期が近付くにつれ、どうやらガンモもこの映画に興味を示したようである。そこで私は、派遣会社の福利厚生ページから、前売券を購入しておいたのである。

 しかし、ようやくこの映画が公開されたものの、所用でなかなか二人揃って鑑賞の時間を取ることができず、公開からおよそ一ヶ月も経過して、ようやく観に行くことができた。さすがに公開から一ヶ月も経つと、神戸市内の映画館では上映時間が限られてしまうため、私たちは買い物がてら、大阪の梅田まで出向いたのだった。

 犬を飼った経験のある人ならば、この映画を観ると、自分自身の経験と照らし合わせたくなるのではないだろうか。私自身もこれまでに二回、飼い犬との辛い別れを経験している。小さい頃に飼っていた黒爪の「チロ」という犬、それから、中学の頃から買い始めた、タケの息子さんの名前からもらった「ギョウ」という犬だ。チロが亡くなる前はひどく衰弱しつつも、独りで静かに永眠できる場所を探し求めていたように思う。私の誕生日に亡くなったチロは、もしかすると私の身代わりになってくれたのではないかと母は言っていた。

 この映画に登場するソックスと、私が中学の頃から飼い始めたギョウは、犬の種類は違うものの、飼い主との関係が良く似ている。映画の中では、ソックスの飼い主であるあかりが、大学卒業後、就職のために実家を離れることになる。ギョウの飼い主である私も、高校を卒業したあと、実家を離れることになった。

 飼い主の長期不在により、飼い犬は、これまで長い時間をともに過ごして来た飼い主よりも、実家に残っている家族と過ごす時間のほうが長くなって行く。映画の中では、犬の苦手なはずのあかりの父とソックスという新たなペアが誕生することになる。私の実家でも、私の替わりに主に母がギョウの世話をしてくれていた。

 犬の十戒によれば、犬は十年くらいしか生きられないとされている。しかし、かつて飼い犬と多くの時間を過ごしていた子供だって、歳を重ねれば、飼い犬以外にも大切にしなければならない対象が増えて来る。だから、犬の十戒にある「あなたには学校もあるし友達もいます。でも、私にはあなたしかいません」という言葉が切なく胸に響いて来る。そう、私たち人間が歳を重ねるごとに自分の世界を広げて行くのに対し、犬はいつまでも自分の世界を広げはしない。だから犬は、飼い主と小さい頃に出会ったままの状況で大きくなって行くのだ。言い換えれば、犬にとって飼い主は、ずっと一番の対象であり続けるということだ。

 歳を重ねるにつれて、ソックスに対するあかりの態度が次第に消極的になって行くのも良くわかる。私もギョウに対し、実家にいるときも、散歩に連れて行くのを面倒臭がったり、餌を与えることを後回しにしたりした。つまり、ギョウとの関係よりも、自分の世界を拡大することを優先させてしまったのである。

 しかし、飼い犬と長い時間を過ごさなくなると、やがて飼い犬との辛いお別れの時期がやって来る。旭川で仕事をしていたあかりは、函館の実家にいるソックスの最期に間に合う。しかし、東京に住んでいた私は、ギョウの死を母からの電話で知ることになった。当時の私には、子供の頃、良く一緒に眠っていたギョウの孤独な死の衝撃が大き過ぎて、仕事を休んで自転車で遠出をし、自宅から遠く離れた場所でひっそりとギョウのことを想った。

 犬の一生はとても短い。その短さに耐えられない人は、犬を飼うことから遠ざかる。しかし、そうした選択は、犬が献身的に捧げてくれる犬との大切な想い出さえも一緒に遠ざけてしまう。この二元的な世界にいる限り、常にプラスだけを選び続けることはできないのだ。

 この映画に残念なところがあるとすれば、あかりとソックスとの関わりを中心に描かれた作品であるためか、人間の死が意外にもあっさりと描写され、片付けられてしまっているところだろうか。ソックスが居てくれたからこそ、あかりが元気に生きて来られたというところの描写がもう少し丁寧であれば良かったのにと思う。

 とは言うものの、幼馴染のギター奏者である星くんとの恋はいい。音の記憶には、人の想いをも一緒に込められるということを、この映画は証明してくれているように思う。音楽を聴くことによって、当時の情景や感情がそのまま甦って来るのだ。実は私には、ソックスが旅立つシーンよりも、あかりと星くんの子供時代を象徴する音楽やあかりの母が口ずさんでいた曲が流れたときのほうがたくさん涙が出て来た。

 ちなみに、あかりの子供時代の子役さんと成長したあかり役の田中麗奈ちゃん、そして星くんの子供時代の子役さんと成長した星くん役の加藤亮くんは、まったく違和感なく受け入れることができた。この配役は正解だと思う。

 映画を観終わって席を立とうとしたとき、ふとガンモの横顔を見てみると、目がウルウルしていた。ガンモに、
「泣いてるの?」
と尋ねると、
「俺は泣きに来たんだから」
と言った。最近のガンモは、映画を観てメロメロに泣かされてしまいたいらしい。そしてこの映画は、そんなガンモの願いを無事に叶えてくれたようだ。

 普段、ミニシアター系の映画を中心に、人間の感情が細やかに表現された映画を鑑賞している私からすると、この映画は大多数の人たちに向けて作られているために、細やかな描写という面では少々物足りないと感じるところもあった。そういう意味では、いくつか突っ込みどころのある映画と言えるのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 犬を飼うということは、犬に首輪を付け、ロープで縛って自由を奪うわけですから、私たち人間は、奪った犬の自由に対し、常に責任を負うべきなのですよね。それなのに、子供の頃は真剣にかわいがって世話をしても、歳を重ねるごとに、犬との関係は薄くなりがちです。しかし、犬は十年くらいしか生きられないのです。そのことがわかっているのに、最期を迎えるときに慌てふためいてしまう人間は、少々滑稽かもしれませんね。

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2008.04.25

タケカワユキヒデコンサート ~神戸から叫ぼうビューティフルネーム~

ホットヨガ(一〇三回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 四月も残すところあとわずかとなりましたね。脂肪燃焼コース2のレッスンとお別れする日も間近に迫っています。できれば最後の〆として、あと一回、脂肪燃焼コース2のレッスンを受けておきたいところです。

 仕事帰りに、いつも利用している地下鉄の駅の改札をくぐると、一枚のポスターが目に留まった。それは、中学の頃から大好きだったゴダイゴのメンバー、タケカワユキヒデ氏のソロライブの案内だった。どうしてこんなところにポスターがあるのだろうと思っていると、このコンサートを主催している団体がこの近くにあるらしい。見ると、コンサートが行われるのも、いつも通勤に利用している地下鉄の沿線にある会館だった。

 私は、すぐにチケットを入手すべく動き始めた。真っ先に思い付いたのは、チケットぴあでチケットを発券してもらうことだった。しかし、私がチケットぴあのカウンターに足を運んでみると、既にチケットぴあでのチケットの販売期間は終了してしまっていることがわかった。チケットぴあの方によれば、チケットを入手するには、会館で直接購入してくださいとのことだった。しかし、いくら通勤沿線にある会館といえども、会館がチケットを販売している時間内に足を運ぶのは、なかなか大変なことだった。

 そこで、困ったときのネットオークション頼みとして、ネットオークションでこのライブのチケットを検索してみたところ、運良く格安で出品されている方が見付かり、無事に落札することができた。どうやら某お茶メーカーの懸賞に応募して当選された人たちが、入手したペアチケットを出品されているらしい。そのせいか、正規で購入すると一枚分の代金にも満たない金額でペアチケットを入手することができたのである。

 私は、最も身近なガンモに声を掛けてみたが、ガンモはその日、飲み会があって参加できないと言う。そうは言うものの、私の周りには、平日の夜に神戸で行われるライブに参加できそうな友人はいない。古い友人に声を掛けてみようかと考えあぐねていると、ガンモから、開演時間には遅れるものの、飲み会は何とかなりそうだから、参加したいという返事があった。そこで私は、購入したペアチケットを他の誰かに譲ることなく、手元に取っおくことにしたのである。

 会場となる会館は、仕事帰りに立ち寄ることのできる場所ではあるものの、仕事を終えて十八時半の開演に間に合うかどうかは、正直、自信がなかった。幸運にも、こうしてチケットを入手することができたのだから、できれば遅刻したくない。そこで私は有給休暇を取り、余裕を持って会場へと向かうことにしたのである。もちろん、せっかく有給休暇を取得したのだから、直前まで映画鑑賞に明け暮れていたことは皆さんの推測されている通りである。その話は、また後日お話させていただくことにして、今回はライブの話に専念させていただくことにしよう。

 タケカワユキヒデ氏というと、私と同じゴダイゴ世代の方たちからは、タケという愛称で親しまれている。すべてではないが、ゴダイゴのほとんどの曲はタケの作曲によるものだ。そのため、ゴダイゴ解散後にソロ活動を始めてからも、他のアーチストに曲を提供したりと、作曲家としての活動も続けていた。

 タケのソロライブには、東京に住んでいた独身の頃に一度足を運んだことがある。そのときは、モンキー・マジックやガンダーラのようなゴダイゴ時代の往年のヒット曲は演奏されなかったと記憶している。あくまで、タケカワユキヒデ個人としてのソロライブだったはずだ。だから、今回のライブもきっとそのような構成なのだろうと想像していた。それなのに、ここ最近、タケの音楽活動に注目していなかった私は、予習もせずにタケのライブに臨むことが、タケに対してちょっぴり申し訳ないような気もしていたのだ。

 さて、会場に足を運んでみると、仕事帰りのサラリーマンなどの姿は見られず、のんびりとした平日の昼下がりの雰囲気が漂っていた。今回のライブの主催団体が「かがやき神戸」という福祉団体であるためか、参加者の中に障害者の方たちの姿が多く見受けられた。

 私は、開演時間の少し前に入場した。入口でチケットの半券がちぎられると、ピエロの格好をした人たちが「ようこそ!」と迎えてくださった。何と暖かい雰囲気なのだろう。これまで、いろいろなアーチストのライブに参加して来たが、会場に足を踏み入れた途端、このように暖かく出迎えてもらったのは初めてのことだった。

 会場内では、今回のライブを主催する福祉団体に所属する人たちの手作りの巾着袋やエコバックなどが販売されていた。大きさとデザインが気に入ったので、私は一つ三百五十円のエコバックを三つ買い求めた。

 席に着いてしばらく待っていると、定刻を少し過ぎた頃に会場が暗くなり、舞台奥からピエロが出て来た。どうやらタケのライブの前座を務めるらしい。ピエロは、分離された三つのブロックを巧みに操りながら、私たちの前で芸を披露してくれた。ブロック芸のあとは、三つの長い棒のようなものを操り、それらをお手玉のように宙に舞い上げては受け取る芸も披露してくれた。

 およそ二十分間に渡り、ピエロが前座を努めたあと、いよいよタケのライブが始まった。バックバンドにキーボードとギター、そして、タケがヴォーカル、タケの両脇に立った二人の女性がコーラスといったバンド構成だった。何と、タケの両脇の二人の女性は、タケの二十一歳の三女と十九歳の四女だと言うので、私はひどく驚いた。確かにタケは子沢山だとは聞いていたが、お子さんたちがそれほど立派に成長していたことも知らなければ、彼女たちが音楽活動を始めていたことも知らなかったからだ。親子だからだろうか。タケとのハーモニーがものすごく美しく、思わず聞き惚れてしまった。

 今回のライブでは、タケのソロアルバムに収められているような曲もちらほら演奏されたが、主にゴダイゴ時代のヒット曲を中心に演奏された。「モンキー・マジック」や「ガンダーラ」は比較的早い時間に演奏され、遅れて来たガンモはそれらを聴くことができなかった。ゴダイゴのメンバーで往年のヒット曲が演奏されるのもいいが、アレンジされた曲が新しいメンバーで演奏されるのもまたいい。曲が生き続けていることを実感できるからだ。

 遅れてやって来たガンモは、私の横に腰を下ろした。
「『ガンダーラ』、『モンキー・マジック』はどうした?」
とガンモが言うので、
「もうやったよ」
と私が答えると、ガンモはとても残念がっていた。

 やがて、「ビューティフル・ネーム」が演奏されると、熱い想いがこみ上げて来た。ゴダイゴ時代のヒット曲が演奏される度に、私は中学の頃の自分を思い出す。「ビューティフル・ネーム」が発売された当時、確かNHKで特定の番組が放送されたあと、この曲の一部が流れていた。その放送形態には様々なバリエーションがあったため、私はカセットデッキを使ってFMラジオからNHKのテレビの音を拾い、流れて来た曲をカセットテープに録音していた思い出がある。あれから三十年。私は歳を重ねたタケのソロライブに参加し、夫であるガンモと一緒に「ビューティフル・ネーム」のサビの部分を合唱していた。

 「ウーワーウーワーララララ ララララ ララララ」を繰り返す「ビューティフル・ネーム」のサビの部分の合唱は、以前から会場を二つに分けて競われていたように思う。二つに分けて声の大きさを競い合うことにより、お互いの持つ力を最大限に引き出して、会場の人たちがより大きな声を出せることをタケは知っているのだ。対戦の結果、私たちのいた左半分のうさぎさんチームが勝利した。

 他に、ゴダイゴ時代のヒット曲で演奏されたのは、「銀河鉄道999」だった。私はこの曲を聴くと、TBSで放送されていた「ザ・ベストテン」を思い出す。大ヒットした「銀河鉄道999」は、「ザ・ベストテン」で何週間かに渡り、一位の座を獲得し続けていたと記憶している。この曲は、日本語バージョンと英語バージョンがあるのだが、タケがテレビでこの曲を歌うときは、一番の歌詞を日本語で歌い、二番の歌詞を英語で歌っていた。そして今回も、当時のテレビで歌われていたような形式が取られた。

 途中、ソロ活動をしているという二人の娘さんたちのコーナーが設けられたり、タケが大好きなビートルズをカヴァーした曲を披露したりと、最後までアットホームな雰囲気でライブが行われた。本編が終了すると、アンコールに応えてくださり、くじけたときに元気が出るような曲を披露してくださった。もともとこの曲は、バンド活動を始めた若者たちに向けて作られた曲らしい。

 人生、何が起こるかわからないものだとつくづく思う。私が高校に入る頃、ゴダイゴの人気は少しずつ下火になり、やがて解散してしまった。しかし、一度解散した彼らは、不死鳥のごとく甦った。今回、会場となった神戸文化ホールは、およそ九年前にゴダイゴの再結成ライブのときにも訪れた会場だ。そのライブに参加する直前に、私は大阪で行われたライブに参加していた。大阪のライブだけで自分の熱を治めようとしていたのに、大阪のライブに参加したあと、居ても立ってもいられなくなり、神戸のライブのチケットを何とか入手して参加して、高まる気持ちを治めたというわけである。おそらく、ゴダイゴという存在は、私の中で長いこと封印され続けていたのだろう。それが、ようやく解き放たれる時期がやって来たのに、あまりにも想いを溜め込み過ぎたため、熱を解放し切れずに、神戸のライブまで持ち越したのだと思われる。

 その後、ゴダイゴはもう一度再結成し、二年前のゴールデンウィークに奈良の東大寺で行われたライブにも参加することができた。そして、今回のタケのソロライブである。終わったかと思えばまた出会える彼らの活動は、まさしくGo-Die-Goなのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 音楽活動を長く続けていると、娘さんたちとの共演も叶うのですね。とにかく、タケと二人の娘さんたちとのハーモニーが美しく、惚れ惚れしてしまいました。タケの娘さんたちの中には養女もいらっしゃると聞いていますが、客席から拝見していると、二人の個性の違いを感じ取ることができました。タケや彼女たちの遺伝子には、音楽家として活動することの命令が刻まれているのでしょうね。彼女たちの才能がうらやましくも思いました。親子でステージに立てるなんて、タケもずいぶん歳を重ねたものですが、きっと幸せいっぱいの気持ちに違いありません。三十年前に予想もしていなかったことが、ここでも起こっているわけであります。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.04.24

ホットヨガ(一〇三回目)

映画『ファクトリー・ガール』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m アンディとイーディはずいぶん歳が離れていたようですね。どこかのサイトには、イーディは実の父親とうまく行っていなかったために、アンディの中に父親を求めたとも書かれていました。さて今回は、ガンモに
「良く続くねえ」
と感心されているホットヨガの話題であります。

 毎週木曜日の夜のお楽しみと言えば、ホットヨガ神戸店で行われている脂肪燃焼コース2のレッスンに参加することである。五月に入ると仕事が忙しくなってしまうため、こうして平日の夜のレッスンに参加できるのも、そろそろお預けになってしまうかもしれない。

 今回のレッスンの参加者はわずか五名だった。理想的な人数である。人数が少なかったためか、レッスンを行うスタジオも小さいほうのスタジオに変わっていた。レッスンを担当してくださったのは、前回のレッスンと同じインストラクターである。参加者がわずか五名だと、インストラクターが語りかける「皆さん」という言葉も、一人一人の参加者に確実に届いている。何故なら、インストラクターが五名の参加者の顔を順番に見てくださるからだ。

 ところで、私はどうやら変わり者らしい。レッスンを終えてロッカーの鍵を受付に返しに行くと、いつものように、今回のレッスンを担当してくださったインストラクターと、インド帰りのインストラクターと世間話になった。そのときに、今回のレッスンを担当してくださっているインストラクターが、私の背負っているリュックに目をつけて、
「CDプレイヤーを入れられるようになっているんですね」
とおっしゃった。そう、私のリュックは、CDプレイヤーを収納するポケットが付いているのだ。CDプレイヤーを衝撃から守るために、収納ポケットは固い生地で出来ている。

 インストラクターは、私がリュックの側面に入れている水筒に注目され、
「その水筒には何が入っているんですか?」
と質問してくださった。私は、
「『毒出しホットジュース』と言って、ペパーミントティーに、しょうがやオリゴ糖、レモンを加えた飲み物です。食前にこれを飲んでおくと、食欲を抑えられるんですよ」
と答えた。二人のインストラクターは、興味深そうに私の話に耳を傾けてくださった。

 インストラクターが言うには、私は面白いものを持ち歩いているらしい。靴を履こうとしたときに、ダイエットのために履いている重い靴がインストラクターの目に留まった。そこで私は、
「この靴には、錘(おもり)が入ってて重いんですよ」
と説明した。彼女に私の靴を持たせてあげると、
「確かに重いですね」
と驚いていた。私が、
「そうなんです。これで、普段歩いているときも脂肪燃焼させてるんですよ。でも、あまり効果がないですけどね」
と言うと、インド帰りのインストラクターがケラケラと笑ったので、
「笑い過ぎですよ」
と指摘すると、インド帰りのインストラクターは、
「いや、笑ってないですよ」
と、確かに笑いながら、さっき笑ったことを否定したあと、
「彼女の長靴も重いんですよ。持ってみます?」
とおっしゃった。どういうわけかわからないが、今回のレッスンを担当してくださったインストラクターの長靴がひどく重いらしい。結局、インストラクターの長靴を持つまでには至らなかったのだが、重い靴に慣れたあとに、普通の靴を履くと、身体が妙に軽くなって、ぴょこぴょこした動きになることなどの話で盛り上がった。靴は軽くなっているのに、重い靴に慣れているものだから、身体が構えて不自然な足の踏み出し方になってしまうからだ。

 そのあと、他に私が面白いものを持っていないか、インストラクターが私に注目し始めた。突然、インド帰りのインストラクターが、
「あっ、ポシェットが犬の形をしている!」
と気付き、本格的に笑い始めた。そのタイミングの良さに、私はこれ以上堪(こら)え切れないほどおかしくなり、顔をくしゃくしゃにして笑った。そう、私が持ち歩いているポシェットは、ジーンズ生地でわかりにくいのだが、ダックスフントの形をしているのだ。四十を過ぎてそんなものを持ち歩いているのは子供じみていると思うのだが、大きさがちょうどいいのと、形が気に入っているので愛用している。ポシェットだけでなく、ウェストポーチに変身できるのも手放せない理由の一つだ。

 このまま笑い続けていては、彼女たちの帰宅時間がいつもよりも遅くなると思い、私は退散することにした。とは言うものの、スタジオの扉を出て、エレベータを呼び出している間もずっと笑いを引きずっていた。こうして書いてみると、何でもないことなのだが、あのタイミングで私の愛用している犬のポシェットがインド帰りのインストラクターの目に触れたことが、とてつもなくおかしかったのだ。

 それと同時に、私はいつも、同じポシェットを職場にも持参しているのに、これまで誰からも何も言われなかったことを思い出した。それだけ人に対して無関心な職場だということなのだろう。実際、私自身も他の人たちがどんなバッグを抱えて出勤しているかなど、ほとんど注意を払っていない。私の勤務先はフレックス制度が導入されているため、出勤時間もばらばらで、帰宅時間にもばらつきがあるため、持参しているバックはおろか、他の人たちがどのようなジャケットを着て出勤しているかということにさえ気づかないことが多い。しかし、こうして一人の人に注目するのは実に面白い。ホットヨガのインストラクターがこれだけ楽しんでくださったというのに、毎日のように顔を合わせている私の職場の人たちは、笑いの材料に辿り着いていないのだ。

 良く、
「人をじろじろ見てはいけません」
などという教育じみた表現に出くわすことがある。例えば電車に乗っているときに、子供が誰かをじろじろ見ていると、親が子供に注意を促すパターンだ。何故、見てはいけないかというと、じろじろ見ることに相手が何か反応を示した場合、その反応に対して責任を持てないからだと思う。職場などの無機質な人間関係も、実はこれに近いものがある。特に最近は、個人情報保護などの理由により、職場のコミュニケーションが薄くなりがちだ。つまり、お互いにプライベートな話題には極力触れないようなコミュニケーションが一般化しつつある。

 人をじろじろ見ることを禁止する場合や、職場で一般化されている無機質なコミュニケーションは、愛を介入させない付き合いを実現させようとしているのだと思う。しかし、今回のように、一人の人に注目する行為は、注目したことによって生じる相手の反応に対して責任を負って行く付き合い方である。そのような場合は、じろじろ見てもいいのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回の話は、以前、ここにも書いた、マザーテレサが言ったという「愛の反対は無関心」にも通じる内容かもしれませんね。ただ、私が書いたのは、愛を持てないから無関心を装っているという話になろうかと思います。自分の行いに対して責任を負って行くことは、愛情を持って接して行くことに繋がっていたのですね。レッスン終了後にこのような会話が成り立っていたのも、今回のレッスンの参加者がわずか五名だったからだと思います。休日のレッスンのように、参加者が二十名以上もいらっしゃると、受付でのんびりとした会話を楽しむことはできなかったことでしょう。五月のレッスンスケジュールを見てみると、木曜日の夜はビギナーコースのレッスンに変わっていました。どの映画の割引デーとも重ならなかった木曜日の夜は、仕事が忙しくなければ比較的レッスンに参加し易かったので、ちょっぴり残念であります。

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2008.04.23

映画『ファクトリー・ガール』

ヒルズダイエットの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 一週間で六百グラム痩せたと書きましたが、実は記事公開から一日経って、更に痩せました。これはなかなかいい感じであります。私には、ヒルズダイエットのパステルゼリーよりも、バランスパワーのほうが満腹感が感じられるようです。ガンモは残りのパステルゼリーでダイエットを頑張っています。以前は体重もほとんどお揃いの私たちでしたが、今は私のほうがガンモよりも数キロ軽くなっています。と言っても、あまり自慢できることじゃないかもしれませんね。(苦笑)

 映画『スルース』を鑑賞した私は、ただちに神戸から三宮まで移動した。映画『スルース』の上映前に放映された別の映画の予告編で、観たい映画に出会ったからだ。携帯電話に登録している映画の上映スケジュールと照らし合わせてみると、あと数十分後の上映である。そこで、その映画を上映している三宮のミニシアター系映画館へと急いだわけである。実は、私はその映画館のシネマポイントカード会員でもある。しかも、都合良くポイントが溜まっていたので、今回はポイントを使用しての鑑賞となった。

 この映画は、ポップ・アートの世界で有名な芸術家かつ画家かつ版画家のアンディ・ウォーホールと出会い、「ファクトリー」と呼ばれていたスタジオで撮影されていた彼の実験映画に出演するようになったイーディ・セジウィックが世間から脚光を浴びて成功し、その後、転落して行く様を描いた伝記映画である。

 美術の勉強のためにニューヨークにやって来たイーディが、アンディ・ウォーホールに一目で気に入られたところから人生が大きく変わって行く。アンディはやがて、公の場にもイーディを伴うようになったらしいが、二人が男女の関係だったかどうかはこの映画からは読み取れなかった。それは、イーディが後に出会ったボブ・ディランとの運命的な恋を強調するためだったかもしれない。アンディとの一対一の関係は、電話で会話するというシーンに留められていた。そのことからも、アンディとイーディが生活を共にするほどの間柄ではなかったことが想像される。

 ディランと付き合うようになったイーディは、アンディとディランを引き合わせる。しかし、映画の感触からすると、アンディよりもディランのほうがずっと知名度が高かったようだ。ファクトリーにやって来たディランが、あたかもアンディを見下しているかのような雰囲気が見て取れた。

 短い人生を駆け抜けたイーディにとって、ボブ・ディランとの恋が一生の恋になったらしい。しかし、運命が二人を引き合わせたはずなのに、やがて運命が二人を引き裂いた。それからのイーディは、アンディからも見放され、映画の仕事ももらえず、転落の人生を辿ることになる。もともと裕福な家庭に育ったはずのイーディなのに、実家の両親からの仕送りまで制限され、やがて借金とドラッグにまみれた人生を送るようになるのである。

 一度崩れたものが元に戻ることがなく、どんどん転落して行く彼女の人生を見守っていると、生涯を通して密に関わることのできる人は限られているのかもしれないと痛感する。多くの場合、人と人は人生のある時期においてのみ密に関わる。例えイーディにとって、アンディやディランとの出会いが運命的であったとしても、その運命を生かすのは彼女自身だったのだ。運命を生かすことができなければ、ふとしたことで歯車が狂い始め、これまで築き上げて来たものがガラガラと音を立てて崩れて行く。のちにイーディは、ディランとの別れが、自分の人生にとって最大の後悔だったと述べている。実際、二人のラブシーンには目を見張るものがあった。男女の愛のエネルギーがみなぎっていたからだ。アンディとのラブシーンが表現されていないだけに、二人のラブシーンは特に映えていた。

 人にはそれぞれ、人生の分岐点がある。人生の分岐点に立ったときに、既存の環境との共存がうまく行かない場合は、涙をのんで既存の環境を捨て去らなければならないこともあるのだろう。イーディはアンディとディランの両方を選んで共存させようとしたが、その方法ではうまく行かなかった。アンディとイーディが男女の間柄だったかどうかはわからないが、ディランの登場でアンディとイーディの関係が崩れたのだとすると、男女の間柄に近いものがあったと想像する。

 この映画を観ると、「栄枯盛衰」という言葉をついつい思い出してしまう。栄華を体験した人ほど人生の落ち込みも激しい。あたかもそれは、静かに死んで行くことへの準備を始めているかのようだ。

 現在は、イーディもアンディも他界してしまったが、ボブ・ディランはまだ活動している。彼はこの映画をどのような気持ちで鑑賞したのだろうか。それとも、イーディとの恋人時代は遠い過去のものとして胸の中にしまいこみ、今をしっかりと生きているのだろうか。もうすぐ、『アイム・ノット・ゼア』というボブ・ディランの伝記映画が公開される。この映画の中にも、イーディやアンディが登場するのだろうか。別の側面から三人の関係が映し出されることを期待して、『アイム・ノット・ゼア』も観に行こうと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 映画を観ている私にとっても、イーディとディランの別れはとても残念でした。二人が運命的に出会い、激しい恋に落ちたことがわかったからです。もしも二人が強烈な想いを残したまま別れたのだとしたら、イーディの魂はまだ肉体を持たず、再生のチャンスをじっとうかがっているのかもしれません。ちなみに、アンディは既に亡くなっていますが、生涯独身を通したそうです。映画のエンドロールの中で、イーディの死に対し、「特に親しい間柄でもなかったしね」というような台詞が流れていましたが、果たして本当にそうなのでしょうか。もし親しい間柄でなかったとしたら、ディランの登場でイーディとの関係が崩れなくても良かったのに、と思います。私たちは、いろいろな後悔を残したまま、肉体を去って行くのかもしれませんね。そして、次なる人生を生きるときは、その後悔をバネにしながら、少しずつ前に進んで行こうとしているのかもしれません。

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2008.04.22

ヒルズダイエット

映画『スルース』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ジュード・ロウ、いいですよね。三十数年後の彼は、どんなおじいちゃんになっているのでしょうか。年を重ねると、多くを語らなくても存在感が出て来ます。今回の映画で共演したマイケル・ケイン氏も、存在感を感じさせてくれる俳優さんでありました。さてさて今回は、映画の話ではなく、ダイエットの話であります。

 ガンモの実家に帰省していたときに観ていたテレビで、ヒルズダイエットなるダイエット食品のコマーシャルが流れていた。ビタミンやミネラルを多く含んだ満腹感のあるダイエット食品を毎日の食事替わりに食べることで、健康的にぐんぐん痩せられるというものだ。影響を受け易い私は、早速その商品をネットオークションで探し出し、格安で落札した。手元に届いたのは、パステルゼリーという十五食入りのダイエット食品が二箱である。

 レトルトパックに入ったパステルゼリーは、フルーチェのように冷たい牛乳を入れてかき混ぜて食べる。かき混ぜているうちにトロトロのゼリーが固くなるので、満腹感を味わえるというわけだ。味は、バナナ、ブルーベリー、マンゴ、オレンジ、メロンの五種類あり、日替わりで楽しめるようになっている。食べてみると、コマーシャルで紹介されていた通り、とてもおいしかった。

ヒルズダイエット パステルゼリー

 私はパステルゼリーを毎日二袋ずつ職場に持参し、お昼ご飯と晩御飯の替わりに食べるようになった。これまで実践して来たダイエットでは、晩御飯を軽くすることで成功した実績があった。しかし、せっかくおいしいダイエット食品を購入したので、晩御飯だけでなく、お昼ご飯もパステルゼリーに切り替えようと思ったのである。ただ、パステルゼリーだけではさすがにお腹が空いてしまうので、インスタントスープのほか、おせんべいを何枚かかじったりして空腹をしのいでいた。

 私がパステルゼリーを食べ始めると、ガンモがすぐに興味を示した。そして、
「俺もダイエットする」
と言って、晩御飯の替わりにパステルゼリーを食べるようになった。つまり、これまで仕事帰りに待ち合わせて外食をしていた私たちが、二人揃って晩御飯をパステルゼリーに切り替えたのである。

 しかし、パステルゼリーは一時的に満腹感を感じられるものの、しばらく経つと、やはりお腹が空いてしまう。たまりかねたガンモが、家にあったスナック菓子の袋を開けた。ガンモはほんの少しだけそのスナック菓子をつまんだようだ。私もお腹が空いていたが、せっかくダイエット食品に切り替えたのだから、一生懸命我慢していた。しかし、目の前にはガンモが開けたスナック菓子の袋がある。手を伸ばせばそのお菓子に手が届く。私はとうとう誘惑に負け、お菓子に手を伸ばした。

 ポリポリポリポリ。食べ始めると、もう止まらなくなってしまった。恐ろしいことに、私はガンモの食べ残したスナック菓子をすべて平らげてしまった。ガンモはお菓子のパッケージを見ながら、
「あああ、食べちゃった。四百四十キロカロリーです」
と言った。私は、
「ガンモがスナック菓子の袋を開けるからだよ。私の前で、お菓子の袋を開けるの、禁止!」
と言った。自分の意志の弱さをガンモのせいにしたのである。

 それからガンモは、パステルゼリーを食べたあとでお腹が空くと、ところてんを食べるようになった。ガンモがところてんを食べて満足そうにしているので、私もガンモの真似をしてみることにした。なるほど、ところてんを食べると、少しは満腹感を感じることができる。しかし、やはりところてんだけではお腹が空いてしまうので、冷蔵庫にあるソーセージなどを少しだけかじって空腹をしのいでいた。

 あるとき、私はぜんざいのレトルトパックを台所で見付けた。ヒルズダイエットを始める前に、甘いものに目がないガンモがスーパーで買ったものらしい。私は、ぜんざいのレトルトパックがパステルゼリーの箱の中に紛れ込んでいる様子を想像して、クックックッと一人で笑った。そしてぜんざいのレトルトパックを手に取り、パステルゼリーの箱の中にこっそりしのばせておいた。ガンモがパステルゼリーと間違えてぜんざいのレトルトパックを食べると面白いのではないかと思ったのだ。しかし、ガンモはそんな子供騙しには引っ掛からなかった。

ぜんざいのレトルトパック

 ヒルズダイエットを始めてからおよそ一週間。私の体重は六百グラム落ちている。ガンモは体重計には乗っていないが、お腹周りが少し楽になったようだ。ただ、パステルゼリーにかけている牛乳が、私の子宮筋腫にはあまり良くないらしい。筋腫が膨張して来るような気がするのだ。牛乳にはエストロゲンが多く含まれているため、筋腫持ちの人は牛乳を控えたほうがいいらしい。そこで私は、残りのパステルゼリーをすべてガンモに譲ることにして、バランスパワーという栄養調整食品に切り替えて、今後のダイエットを継続しようと思っている。

 かつて私は、毒出しホットジュースとバランスパワーの組み合わせで体重を数キロ落とした。毒出しホットジュースを食前に飲むと、オリゴ糖のおかげで食欲が抑えられていたのだ。しかし、保温効果の高い水筒がひどくかさばるので、保温効果のないコンパクトな容器に入れて持ち歩いていたところ、毒出しホットジュースの効果が薄れてしまった。これはいかんと思い、再びホットジュースを保温効果のある水筒に入れて持ち歩くようになった次第である。

 ガンモと私は、どんなときも良きライバルである。TOEICでも競い合っているライバル意識が、ダイエットでも生かされれば、数ヶ月後の私たちは、新しい服を着ていることだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私がダイエットを始めると、ガンモも始めるというのが、いかにも私たちらしいですね。しかし、こうしたダイエット食品は高価なのが難点です。今回、ネットオークションで格安で落札することができましたが、一食分に換算すると七百円なのです。これでは、毎回、外食しているのと変わりません。そういう意味も含めて、バランスパワーのダイエットに切り替えることにしたわけです。袋入りのバランスパワーなら、一食分がわずか数十円で済むのです。同じダイエットするなら、カロリーだけでなく、エンゲル係数も小さくしたいものです。

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2008.04.21

映画『スルース』

ついに鉄剤の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 鉄剤は、月・水・金に服用することに決めました。漢方薬は吸収力を良くするために食前に服用し、西洋医学の薬は胃を守るために食後に服用します。このことから想像しても、西洋医学の薬は身体に負担の掛かる薬が多いように思います。私の場合、サプリメントでも十分効果がありました。それなのに、わざわざ便が黒くなるような強い薬を作らなくても・・・・・・と思ってしまうのですね。まあ、こんなことを思ってしまうのも、私の貧血がそれほど深刻な状況ではないからかもしれません。(苦笑)

 I医師の診察を終えて「ガンまる日記」を書き上げたあと、再び映画館に戻ってみると、春の歓送迎会の帰りにばったり出くわした映画館のスタッフの男性がスクリーンの入口に立っていた。私は彼と軽く会釈を交わし、彼から定番のひざ掛けを受け取った。

 ああ、この映画館で一日に何本も映画を鑑賞するのも、残すところあとわずかかもしれないと思う。というのも、この映画館では、シネマポイントカードの制度が廃止されてしまうからだ。現在、使用しているシネマポイントカードの有効期限が切れてしまうと、これまでのように一回わずか千二百円では映画を鑑賞できなくなってしまうのである。ちなみに、私のシネマポイントカードの有効期限は六月二十二日である。ということは、千二百円で映画を楽しめるのもあと二ヶ月しかない。これまでいろいろな映画映画館で映画を鑑賞して来たが、私にはこの映画館で上映される映画が一番合っていると思う。それなのに、これからは前売券を購入したとしても、一回千五百円の鑑賞になってしまう。ミニシアター系の映画館の前売券は、少々割高なのだ。そのため、六月二十二日までという有効期限が、私をこの映画館に駆り立てているのかもしれない。

 さて、映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』のレビューの中に、近々公開される『スルース』にもジュード・ロウが出演しているので観るつもりだと書いた。そして予定通り、こうして観に来たわけである。

 戯曲が元になっている映画だとは知らなかったので、予告編を観たときから、この映画には独特な世界があると感じていた。近代的な家屋の中で繰り広げられている二人の会話がクローズアップされていたのだが、まるで二人の登場人物の会話だけで成り立っているかのような予告編だった。実際に鑑賞したあと、戯曲が元になった映画をリメイクした作品だと知って、なるほどと思った。

 一人の女性を巡り、年老いた夫とその妻の若い愛人の男が近代的な家屋の中で緊迫した知的ゲームを繰り広げる。ジュード・ロウ演じる若い愛人は、年老いた夫に離婚に応じてくれるように話を付けに来たのである。最初のうちは、二人だけの会話で成り立っていることが単調にさえ感じられたのだが、途中で刑事さんが登場した辺りから新たな風が吹き込み、しゃきっとして来た。そして、意外な展開に「あっ」と驚かされたのだ。

 それからは、登場人物の二人が何を言おうが、すべての言葉に対し、嘘かもしれないと懐疑的になってしまう。懐疑的になると、登場人物たちの台詞を一つでも聞き漏らすまいと精神を集中させる。そんなハラハラドキドキの中、観客の視線をぐっと惹き付けたまま最後のクライマックスを迎えるのだ。

 この映画、リメイクされる前は、年老いた夫の役を演じているマイケル・ケイン氏が若い愛人の役を演じていたのだそうだ。前作から三十六年も経ち、貫禄が出て来たところで、リメイク版では夫役を演じることになったようだ。今回、若い愛人の役を演じていたジュード・ロウは、この映画のプロデューサーを手掛けているとか。映画の中では若い愛人の役がすっかり板についている彼だが、この映画のプロデューサーも手掛けることは先に決まっていたものの、若い愛人の役を誰が演じるのかは、まだはっきりとは決まっていなかったのだそうだ。しかし、話の流れの中で、彼が演じることになったとか。役が決まり、完成した映画を鑑賞してしまうと、もはや彼以外にこの役は考えられないし、三十六年前にマイケル・ケイン氏が若い愛人の役を演じていたということも想像することができない。

 これから三十年以上経って、この映画が再びリメイクされる頃、今回、若い愛人の役を演じたジュード・ロウが年老いた夫の役を演じるというのも有りかもしれない。ただ、その頃まで私がまだ健在で、「ガンまる日記」を書いていられるかどうかもわからないので、その映画のレビューを綴れるかどうかもわからない。そう考えると、マイケル・ケイン氏が三十六年後にリメイクされた映画に出演しているというのは、恐るべきことである。安易かもしれないが、『犬神家の一族』にダブルで出演されていた石坂浩二さんを思い出してしまった。石の上にも三年と言うが、マイケル・ケイン氏も石坂浩二さんも石の上にも三十数年というわけだ。

 この映画の上映前に放映された予告編でひどく気になる映画があり、この映画を鑑賞したあと、私は映画館をはしごするために三宮に向かったのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今から三十数年後、私が今と同じ仕事をしているということは絶対に有り得ません。(苦笑)石の上にも三十数年というのは、本当に凄いことですよね。ところで、「スルース」というのは、探偵という意味であります。相手をとことん探り続けるので、このようなタイトルが付いているのかもしれません。すべての言葉が嘘かもしれないと思うと、鑑賞する側としてもぐっと力が入りました。この日は結局三本の映画を観ることになったわけですが、映画の記事が続いてしまうので、別の記事を挟んでから新たなレビューを書かせていただこうと思います。

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2008.04.20

ついに鉄剤

映画『悲しみが乾くまで』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m ミニシアター系の映画館で上映されている作品であるにもかかわらず、たくさんの方たちから応援クリックをいただきました。心より御礼申し上げます。m(__)m 仲の良い男女は、身体の凸凹がフィットしていますよね。そんなことをふと思い出させてくれる、痒いところに手が届く映画でありました。

 映画『悲しみが乾くまで』を観たあと、私は次なる目的地へと急いだ。二ヶ月ごとに診ていただいているI医師の元へと足を向けたのである。診察は十三時半からの予約だった。映画が終わったのが十三時五分。そこからI医師のいる病院までは、早歩きで十分ほど掛かる。いつもならば、映画を鑑賞してもエンドロールが終わるまで席を立たないのに、何となく気が急いてしまい、エンドロールの途中で席を立ってしまった。しかし、病院に着いたのがまだ十三時十五分過ぎだったので、エンドロールが終わるまで映画館に残っていたとしても、予約した診察時間には十分間に合っていたのだった。

 I医師は、前回の診察でカメラ仲間の契りを交わしたことなどすっかり忘れてしまったかのように見えた。私は、三月分と四月分の生理がいつ始まり、いつ終わったかをI医師に報告し、やはり桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)のおかげで出血が少ないことを伝えた。

 しかし、I医師の口からは、驚くべき事実が告げられた。
「血液検査の結果が出たんやけども、貧血が起こっているようやね。ヘモグロビン値が九.五という値が出ています」
私はその検査結果に驚いた。確か、最も最近の私のヘモグロビン値は十一.五だったと記憶している。それは、ヘモグロビン値としては貧血か貧血でないかのギリギリのラインではあるのだが、とりあえず貧血ではない部類に入ると言っても良い値だった。しかし、その値が今では九.五に下がっているというのだ。

 私は検査の結果に納得が行かなかった。もっと生理の出血が多かった頃の私は、ヘモグロビン値が十四を超えていたはずだ。しかし、どうやらこの頃は、鉄分を補給するサプリメントを飲んでいたようである。その後、私のヘモグロビン値は十二.三に下がっている。この頃は、鉄分を補給するサプリメントを飲んではいなかったようだ。そして、布ナプキンを愛用するようになり、更にはI医師に桂枝茯苓丸を処方していただいて、生理がすっかり軽くなっていたと思っていたはずなのだが、今回の血液検査でヘモグロビン値が十を下回ってしまったのだ。

 血液検査の結果に納得が行かずに首をかしげる私に、I医師は、
「検査では、ちょっと前の数値が出るからね。鉄剤を処方しますので、しばらく飲んでみてください」
とおっしゃった。ああ、ついに私も鉄剤のお世話になることになってしまった。I医師は、
「鉄剤を飲むと、便が黒くなります。それから、便秘気味になったり、食欲が減退する人もいます」
とおっしゃった。I医師は、一ヶ月分の鉄剤を処方してくださり、毎日一ヶ月服用し続けるか、一日おきに服用するかして、次回の診察まで様子を見ましょうと言ってくださった。

 自分では気付かないところで貧血が起こっていたことがわかり、私はショックを隠し切れなかった。ただ、冷静になって思い返してみると、ときどきフラフラするような感覚に襲われていたことは確かである。I医師は、私には子宮内膜にかかっている粘膜下筋腫がいくつかあるので、生理の出血量は多いはずだとおっしゃった。自分では生理の出血量が多いという自覚がないのに、ヘモグロビン値が下がっているということは、これまでサプリメントに助けられていたということなのだろう。確かに、最近は出血量が少なくなったと思い、鉄分を補給するサプリメントをほとんど飲まなくなっていた。言い換えれば、鉄分を補給するためのサプリメントは、それだけ効果を発揮していたということである。

 とうとうI医師から鉄剤を処方していただくまでになってしまい、私は自分がすっかり落ちこぼれてしまったような劣等感を感じていた。確かにあれだけの筋腫を抱えているのだから、貧血が起こっていたとしてもおかしくはなかったのだ。私の貧血は、何も今、始まったわけではなく、もともと貧血気味だったところを、サプリメントで鉄分を補うことにより、貧血の診断が下されていなかっただけのことなのだろう。そして、これまでよりも出血量が少なくなったことでサプリメントを飲むのを止めたため、本来の姿に戻っただけなのだ。

 I医師は、
「多分、二日目が多いんやろうね」
とおっしゃった。確かに二日目の出血が多いのは認めるが、それでも、これまでよりはずっと少なくなっているはずなのだ。しかし、実際は他の人たちよりも多く出血しているということなのだろう。出血量が少なくなったと思ってサプリメントを飲まくなったことにより、貧血が起こり始めたのだとすると、私が少ないと思っている出血の量は、他の人からすれば、ずっと多いということなのだろう。

 それにしても、I医師の薬の処方はいつも的確である。桂枝茯苓丸で生理の出血量を抑え、必要以上に流出してしまった血液を補うために鉄剤を処方してくださる。まるで、あっちの蓋を閉めた上で、こっちの蓋も閉めておくような忙しい感じはあるものの、実際のところ、私はI医師の的確な処方に助けられている。他の医師は、こうした手続きを行わずに、すぐに手術と結び付けたがったのだ。それを考えると、I医師の診察は本当に有り難い。

 私は愕然としながら処方箋の用紙を受け取り、二ヵ月後の診察の予約を入れて、病院をあとにした。それから、薬局で処方箋を受け取ったあと、「ガンまる日記」を書き上げ、再びさきほどの映画館に戻って映画を鑑賞したのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これまでの血液検査の結果値が、鉄分を補給するサプリメントのおかげだったというのは、驚きでありました。サプリメントはオフィスの机の上や自宅にも置いてあり、気が付いたときに良く飲んでいたのですね。どうやらそれが効力を発揮していたようなのです。かつては十四を超えていたヘモグロビン値が、現在は九.五にまで落ち込んでしまいました。私よりももっと深刻な状況にある方もいらっしゃるかと思いますが、サプリメントを飲むのを止めたことで、ここまで数値が違うと、さすがにしょげてしまいます。鉄剤を服用してヘモグロビン値が正常値に戻ったところで、所詮、鉄剤のおかげなんですよね。やっぱり悔しいですね。(苦笑)

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2008.04.19

映画『悲しみが乾くまで』

 春の歓送迎会の帰り、いつも足を運んでいる映画館のスタッフの方にばったりお会いした。その映画館には何度も足を運んでいるためか、彼は私の顔を見るなり、会釈をしてくれた。私は、
「明日、映画館でお会いすることになるでしょう」
と心の中で思いながら、彼に会釈を返すと、足早に彼の前から立ち去った。

 明けて土曜日、ガンモが朝から仕事に出掛けて行ったので、私は映画を観るべく、映画館に出動した。ホットヨガ神戸店のすぐ隣にある映画館である。まずは一本目として、予告編を観て以来、絶対に観ようと心に決めていた『悲しみが乾くまで』を鑑賞した。どうやらゆうべばったり出会った彼は遅番なのか、まだ出勤されていないらしい。

 さて、この映画は、最愛の夫ブライアンを亡くした妻オードリーが、ヘロイン中毒だったブライアンの親友ジェリーと一緒に暮らし始めるという、一見、奇妙な物語である。ブライアンは、街角で出くわした激しい夫婦喧嘩の仲裁に入った際に、夫婦喧嘩をしていた男に射殺されてしまうのである。オードリーは、突然の夫の死をなかなか受け入れることができないでいる。

 夫の死からなかなか立ち直ることのできない妻が、夫の親友と暮らし始めるなどというのは、確かに奇妙なことのように思えるかもしれないが、実際に蓋を開けてみると、決して奇妙な物語などではなく、実に人間らしさに溢れた物語に仕上がっている。一言で言って、他の映画とは何かが違っている。

 ブライアンとジェリーは、子供の頃からの親友同士だった。ジェリーがヘロイン中毒になってからも、ブライアンはジェリーを見放すことなく、かつてと同じようにジェリーの誕生日をお祝いしていた。しかし、オードリーは、ブライアンを深く愛してはいたが、ブライアンがヘロインに手を染めたジェリーと交流を持つことを快くは思ってはいなかったようだ。

 映画を鑑賞していて、まず最初に驚かされるのは、オードリーがジェリーに再会するなり、さも憎らしげに"I hate you."と口にするシーンだ。一言で言って、この台詞は深いと思う。このような言葉を面と向かって言えるのに、相手を完全に拒絶していないところが深いのだ。私は、この台詞だけで心を打たれてしまった。さきほども書いたように、オードリーはヘロインに手を染めたジェリーを快く思ってはいない。そんな状況のまま、ブライアンの葬儀に参列したジェリーと再会し、"I hate you."と口にしたのである。オードリーの"I hate you."に心を打たれた私は、自分を取り巻く人たちについて想いを馳せる。そして、"I hate you."と言ったあと、オードリーのように、相手から目をそらしたり、立ち去ったりしないでいられるのは、ある程度親しい相手に違いないという結論に達した。そして、"I hate you."という言葉の中には、単なる憎しみだけではなく、親しさと憎しみが入り混じった複雑な感情が芽生えているであろうことを推測した。

 物語が進んで行くと、オードリーは"I hate you."よりももっと醜いことをジェリーに対して口にする。それは、「あなたが死ねば良かったのよ」という意味の言葉だ。この台詞も実に深い。どうしてオードリーの台詞がこんなにも深くなってしまうのだろうと考えたときに、これらの言葉を受けているジェリーの存在としての器の大きさが浮き彫りになる。つまりジェリーは、オードリーの言葉に惑わされることなく、どんなときもジェリー自身であり続けたということだ。そして、オードリーとブライアンを亡くした悲しみを共有できたということだ。

 台詞の他にも、興味深いシーンはいくつもある。確かこの映画の予告編では、「そう、きっとあなたを利用した」というキャッチコピーが流れていた。映画の中にも、そのキャッチコピーを思い起こさせるシーンがある。それは、深い悲しみのために不眠症になってしまったオードリーが、ジェリーの力を借りて眠りに就こうとするシーンだ。仲の良い夫婦ならば、お互いの身体を絡ませて眠りに就くのが日常だろう。その上、オードリーにとっては、愛するブライアンに自分の耳たぶを引っ張ってもらうことが心の安堵に繋がっていた。そう、オードリーにとってブライアンの存在は、子守唄でもあったのだ。そんな子守唄的な存在だったはずのブライアンを亡くし、不眠症に陥ってしまったオードリーが、かつてブライアンと身体を絡ませて眠っていたときのポーズをジェリーにねだる。こうしたシーンからも、この映画が他の映画とどこか違うことを感じさせるのだ。

 映画を観ている人たちは、果たしてオードリーとジェリーの間に男女の愛情が芽生えるかどうかについて注目するだろう。それは、映画を観てのお楽しみということにしておこう。全体を通して、カメラに収められている映像も他の映画とどこか違っていて、ところどころに、写真展に展示されている作品を鑑賞しているような映像が挿入されていた。それは、明るいレンズで被写体をズームアップして撮影し、周りをぼかしたような映像である。

 この映画を観ていると、愛と憎しみの区別がなくなってしまう。実際に、愛と憎しみはいつも隣り合わせだ。しかし、無邪気な子供たちは、きっと一つの感情しか持たない。だから、一緒に暮らし始めたジェリーを父親のように慕い始める。子供は、新しい環境に対する順応性が高いのだ。しかし、これまで築き上げて来たものをなかなか捨てることができないでいる大人は、愛だけでなく、憎しみとも仲良くすることで、自分自身を守りながら頑なに生きているのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私にとっては、こんな表現方法もあるのかと、発見の多い映画でありました。そう言えば、この女性監督さんの映画は、過去に『しあわせな孤独』を鑑賞しています。『しあわせな孤独』も深く心に残る映画でありました。残念ながら、先日まで公開されていた『アフター・ウェディング』は見逃してしまいました。『アフター・ウェディング』には確か、『しあわせな孤独』にも出演していたマッツ・ミケルセンが出ていましたよね。ちなみに、『悲しみが乾くまで』で夫のブライアンを演じていたのは、『X-ファイル』でモルダー捜査官の役を演じていたデヴィッド・ドゥカヴニーであります。話は変わって、この映画をホットヨガ神戸店の隣にある映画館で鑑賞したのですが、映画を観終わって、次なる目的地に向かおうとエレベータに乗ろうとしたところ、ホットヨガの二人のインストラクターに見付かってしまいました。この日は、レッスンも受けずに映画だけ観に行ったのでした。(笑)

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2008.04.18

春の歓送迎会

ホットヨガ(一〇二回目)の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m もうすぐゴールデンウイークですね。皆さんは、ゴールデンウイークの予定は立てられましたか? 私は、ホットヨガと映画三昧のゴールデンウイークにしたいところですが、どうもそのようにはなりそうにない予定です。新しいパワーアクティヴコースのレッスンが五月から始まるのに、出遅れてしまうのは、ちょっぴり悔しい気もしています。

 四月の人事異動で部長が転任されることになった。部長と言うのは、宇宙から帰って来たロシアの人である。あれから四年。部長もとうとう神戸での任期を終えたということだ。

 部長の転勤の話を聞いたとき、素直に寂しいと思った。部長は、私の筋腫のことや、オフィスでの空調問題についても気に掛けてくださっていた。また、誰に対しても血の通った言葉を投げかけてくださる方で、部下や派遣社員たちからも幅広く慕われていた。これまでいろいろな企業に派遣されて来たが、仕事をバリバリこなす部長に出会えることは多くても、仕事だけでなく、仕事以外の面においても部下や派遣社員のフォローのできる部長にはなかなか巡り合えなかった。私も含め、部長がいたから今の職場でやって来れたという人も多いのではないだろうか。

 心地良かった四年間が終わってしまう寂しさを部長に告げると、部長は、
「同じところに留まれる身ではないからね」
とおっしゃった。しかし、転任されても、仕事上の繋がりは切れないらしく、これからも私たちの勤務先にもしばしば顔を出されるとのことだった。

 転任される部長と、東京から新たに赴任される部長、四月に昇進された方たち、それから、三ヶ月間の約束で滞在していた海外からの研修生の歓送迎会が行われた。こうした会社全体の飲み会には、ほとんどの派遣社員は参加しないものだが、今回の歓送迎会には私を含めた部長を慕う派遣社員のうち何人かが参加していた。

 私が選んだテーブルは、歓送迎される主賓の方たちの多いテーブルだったため、いろいろな会話を楽しむことができた。とりわけ、海外からの研修生たちと話ができたことは、とても有意義なことだった。というのも、三ヶ月間、彼らと同じオフィスで仕事をしていたにもかかわらず、プロジェクトが異なっていたため、彼らとほとんど話をすることができなかったからだ。会話をすると、相手の笑顔が自分に向けられる。当たり前のことだが、会話をしなければ、相手の笑顔は自分には向けられない。何故なら、一人で笑う人などいないからだ。いや、中には一人で笑うことのできる人もいるかもしれないが、それは笑顔とは言えないだろう。

 ちなみに、彼らは日本語がとても上手である。それだけ日本語が達者だと、反対に、私たち日本人が彼らの国の言葉をここまで話せるのだろうかと考えさせられる。彼らは日本について、多くのことを学ぼうとする姿勢を見せてくれている。しかし、私たち日本人は、彼らの国のことをどのくらい知ろうとしているのだろう。彼らと会話をしながら、そんな想いが心の片隅に浮上していたが、それは彼らが日本に来ているからであって、私たちが彼らの国を訪問するときは、彼らの国のことをもっと知ろうとするはずだと自分自身を納得させた。

 昇進された方の一人が、アメリカでの駐在経験があり、英語がペラペラなので、ここのところ、私は英語の勉強を頑張っていることを話した。どのようにしたら日本に居ながら英語がペラペラになるかという話題になると、その方は、
「アメリカ人の彼氏を作ること。これが一番確実」
とおっしゃった。そんなこと、結婚している私が実現できるわけがないのに。

 宴もたけなわになると、部長がピッチャーを持って私たちのテーブルにやって来た。細やかな心遣いのできる部長である。その後、部長を慕っている、普段は物静かな派遣社員の男性が私たちのテーブルにやって来て、部長と話を始めた。酔っているのか、彼は部長と直契約をすれば、現在、派遣会社に取られている二十パーセントから三十パーセントの仲介料を自分のものにできるなどと言っている。ご存知のように、私たち派遣社員は、派遣会社と企業が契約を結んで支払われている時給をそのまま受け取っているわけではない。私たちの懐に入るのは、企業が支払う金額から派遣会社が仲介料を差し引いた金額だ。彼は、部長と直契約をすれば、派遣会社に差し引かれている分の金額が自分の懐に入ることを目論んでいるようだ。私は、
「○○さん(彼の名前)、いつもそんなにしゃべる人でしたっけ?」
と彼に言った。すると、彼は、
「本当の自分を出したら周りに引かれるから、出していない」
と答えた。なるほど、彼は正直である。多かれ少なかれ、誰だってそうなのだ。私だって、オフィスでは本当の自分を押し隠している。ああ、だからなのか。私がいつも抱いている「人と繋がれない」という感覚は、他の人が私と繋がろうとしていないのではなく、私自身が他の人と繋がろうとしていなかっただけなのだ。

 それだけでなく、彼については更に面白いことがわかった。彼は、しばしば仕事を休んでいる。その理由を部長が彼に尋ねると、彼は、
「あれはズル休みですよ」
と答えたらしい。言ってくれるじゃないか。私は、
「彼は信頼できますね」
と部長に言った。すると部長は、
「そう、そうなんだよ」
と同意してくださった。こんな形で信頼を得る方法もあったのだ。しかも、彼が得るのは、常に本当のことを言い続けるよりも確かな信頼かもしれない。

 こうして歓送迎会は、大盛況のうちにお開きになった。一次会の会場を出て、二次会に参加される方たちが二次会の会場まで移動する直前まで、私は元上司と話をしていた。元上司とは、仕事で帰りが一緒になることが多く、そのときに彼のプライベートな問題を聞いていたのだ。元上司にその後の状況を尋ねてみると、以前よりも良くない状況に陥ってしまっているらしい。私は彼に言った。
「素直にならないと後悔しますよ」
しかし、この言葉を発した途端、自分が誰かに向けて発する言葉というのは、自分自身にも当てはまる言葉であることに気が付いた。なるほど、「人は鏡」というのは、こういうことだったのか。自分と関わる人は、常に別の方面から自分を映し出してくれる人だったのだ。

 人と話をすることは面白い。自分自身を深く知ることにも繋がる。だから、自分自身への探求がおろそかになっているときは、人とのコミュニケーションも億劫になる。自分だけの世界というのはきっと有り得ない。何故なら、内の世界と外の世界は繋がっているからだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 新しい部長もピッチャーを持って来てくださって、少しお話しをさせていただきました。私が空調に敏感であることは、以前の部長から引き継がれているようで、「暑いのも寒いのも苦手な人で、席替えのときに自分で席を選べる特権を持った人と聞いています」などと言われました。なかなか乗りのいい部長のようでありました。しかし、乗りの良さよりも、人間性に注目して行きたいと思います。それにしても、現在の職場での派遣生活も丸六年になりますので、私にとっては三人目の部長となりました。部長の任期が四年だとすると、さすがに四人目の部長を迎えることはないでしょうね。(笑)

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2008.04.17

ホットヨガ(一〇二回目)

シャーロック・ホームズの記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 「冷え性」というのは、私のような人のことも指すのでしょうか。私の中で「冷え性」というのは、「手先や足先が冷たくなる人のこと」という先入観があるので、自分が冷え性であるという自覚がありません。私は、手先や足先は冷たくなりませんし、外の寒いのは平気です。むしろ、寒い日に暖かくして出掛けるのが好きなくらいです。人工的な寒さや暑さが苦手なだけなのです。人工的な寒さや暑さに平気な人が健康で、人工的な寒さや暑さが苦手な人は不健康なのでしょうか。良くわかりませんね。(苦笑)

 ここのところ、毎週木曜日の夜は、神戸店で行われている脂肪燃焼コース2のレッスンに明け暮れている。しかし、月に一度の定時退社日以外の日にレッスンの予約を入れるのは、かなりの冷や冷やものである。この先、仕事が忙しくなってしまうまでの束の間のお楽しみといったところだろうか。

 今回のレッスンのインストラクターも、いつもお話をさせていただいているインストラクターだった。最近、私が参加するレッスンでは、彼女とインド帰りのインストラクターの二人が交代で担当してくださっているかのようだ。彼女にその理由を尋ねてみると、たまたまそのようなスケジュールが組まれているのだという。

 今回も四、五名ほどの参加者を期待していたところ、九名の参加者だった。それでも、週末に行われている二十名以上がひしめき合うレッスンからすれば、ずいぶんゆったりとしたレッスンである。そのせいか、最近の私は、週末のレッスンからは遠ざかってしまっている。週末に出掛けることが多くなったのも原因の一つかもしれないが、少人数のレッスンの心地良さを体験してしまうと、ひしめき合いながらのレッスンに参加するのが億劫になってしまうのも事実である。

 今回の九名の参加者の中には、脂肪燃焼コース2のレッスンに初めて参加される方が二名いらっしゃった。そのため、いつもはすぐにポーズに入るのだが、新しく参加された方たちに脂肪燃焼コース2のレッスンで取っているポーズを説明するために、インストラクターがお手本を示してくださった。そのポーズがあまりにも美しくて、私は思わず見とれてしまったものだ。私がインストラクターのような身体になることはあるのだろうか。あるとしたら、これからあとどのくらいかかるのだろう。更に、インストラクターは生理の二日目であってもインストラクターを担当するのだろうか。私のようなデスクワークならば、生理の二日目であってもほとんど差し支えなく仕事をこなせるが、インストラクターという仕事ではどうなのだろう。今度、聞き易い雰囲気になったら聞いてみることにしよう。

 私にとって、二十時半からのレッスンというのは、残業のない日の仕事帰りに立ち寄る時間帯としてはちょうどいい。しかし、スタッフの方たちは、一日のレッスンを終えたあと、シャワールームの掃除をして、スタジオも片付けてから帰宅されるわけだ。スタッフの方たちに尋ねてみると、二十時半のレッスンを終えたあと、後片付けを済ませて自宅に辿り着くのは二十三時半頃になってしまうという。私のように、仕事帰りにレッスンを受ける人たちにとっては、二十時半からのレッスンはとても有り難いが、スタッフの方たちにとっては帰宅時間が遅くなってしまい、大変なのではないだろうか。

 当たり前のことだが、私はここに、ある種のギャップがあることに気がついた。二十時半からのレッスンに参加することは、参加者にとっては仕事ではなく趣味だが、スタッフの方たちにとっては仕事であるということだ。何もホットヨガのレッスンに限ったことではない。仕事帰りに観ている映画も、レイトショーの上映を有り難いと思うが、映画館のスタッフの帰宅時間は、上映が終わったあとの後片付けを含めると、観客よりも遅いはずなのだ。つまり、仕事帰りに趣味や娯楽を楽しむということは、そこで働いている人たちの帰宅時間を引き延ばしているとも言えるのである。だからこれからは、もっと遅い時間にホットヨガのレッスンがあればいいのにと思ったり、もっとたくさんの映画館でレイトショーが上映されることを願ったりしないようにしようと思ったのである。

 もしも私がホットヨガのスタッフとコミュニケーションも取らず、単にレッスンだけを受けていれば、このようなことを考えることはなかっただろう。無関心のままで通り過ぎていれば、他の人の視点で物事を考えることもなく、自分だけの世界に浸り続けることができるが、人とコミュニケーションを取ることによって、自分以外の人の視線で物事をとらえることができるようになるということだ。

 ところで、気になる脂肪燃焼コース2の後継レッスンだが、「パワーアクティヴコース」という七十五分のレッスンが新しく誕生するのだそうだ。「パワーアクティヴコース」は、脂肪燃焼コース2とアクティヴコースのレッスンが合体したようなレッスンらしい。脂肪燃焼コース2のレッスンで行っている太陽礼拝のポーズも取り入れられているそうだ。スタッフの方がおっしゃるには、
「まるみさん(実際に呼ばれたのは私の苗字)の好きそうなレッスンですよ」
だそうだ。五月から始まるという新しいレッスンに期待することにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 脂肪燃焼コース2のレッスンを受けられるのも、あとわずかとなりました。脂肪燃焼コース2のレッスンは、六十分という短い時間で効率良く汗をかくことができたので、忙しくてせっかちな私にはぴったりのレッスンでありました。五月から始まるパワーアクティヴコースのレッスンは七十五分のレッスンなので、六十分のレッスンに慣れている私には、少々長く感じられるかもしれません。途中で退出することのないように頑張りたいと思います。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.04.16

シャーロック・ホームズ

「ガンまる日記」はいかにして出来上がるか?の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m もしかして、私が設定している画面の色に驚かれましたか? 私は、ノートパソコンではWindows XPを使用しているのですが、緑色が好きなので、XPのテーマは緑色ベースで作成しています。緑色ベースのWindowに濃い緑色の背景、そして黄色の文字。これは私の設定の定番であります。仕事でもプライベートでもこの色に設定しています。そして、左側の階層構造の項目は、第二チャクラの活性化を願ってオレンジ色にしています。緑色とオレンジ色は、色の相性がいいですものね。

 四月に入り、早くもオフィスにクーラーが入るようになった。オフィスではたくさんのパソコンが稼動しているため、クーラーで冷やしておかなければ、パソコンの持つ熱が部屋にこもってしまうからだ。その証拠に、冬の残業時間はオフィスがひどく暑くなる。というのも、昼間のうちは例え外が寒くても、オフィスの温度が上昇し過ぎないように冷やされているが、残業時間になると、オフィスを冷やすクーラーが止められてしまうからだ。残業時間に部屋がひどく暑くなると、昼間のうちにいかに部屋が冷やされていたかが良くわかる。つまり、私の働いているオフィスでは、夏には寒く、冬には暑いという、私たちの身体が本来持っている機能を忘れてしまいそうな温度設定になっているというわけである。

 いつの間にか、私は暑さにも寒さにも敏感な身体になってしまっていた。敏感ではあるものの、自律神経の働きが衰えたのか、自分で体温調節をすることが難しくなってしまったのだ。現在のオフィスに勤務する以前は、これほど空調に敏感になるようなこともなかったので、おそらく現在のオフィスで冷たい風に当たり過ぎて自律神経が正常に機能しなくなってしまったのではないかと思われる。

 そんなことを二年ほど前からこの「ガンまる日記」に綴っていたところ、それを読んでくださった方から、「仕事を辞めてもっと身体を大切にしたらどうか?」というご意見をいただいた。しかし私は、クーラーの冷気には負けたくはなかったので、一年後、裸足で過ごすという画期的な方法で身体から熱を発する方法を生み出し、去年の夏を何とかしのいだのだ。

 あれから一年経ち、オフィスでは四月の人事異動による体制の変化に伴い、席替えが行われることになった。既に、私が空調に敏感なことは周知のことなので、上司や上司のまた上司、部長が気遣ってくださって、私に暖かい席を優先的に決めさせてくださった。部長は、
「まるみさん(実際に呼ばれたのは私の苗字)の席が決まらないと、同じチームのメンバーの席が決まらないんだよね」
などと言って、冗談っぽく茶化すほどだった。そうした配慮はとてもありがたく、私は自分で暖かいと思う席を選び、ここにしますと宣言したのだった。部長の言う通り、私の席が決まったことで、私と一緒に仕事をしている人たちの席も、仕事がやりやすいような形で決まった。

 ところが、私が選んだその席は、ひどく寒い席だということがわかってしまった。というのも、席を選んだ頃には、まだ本格的にクーラーが入っていなかったからだ。しかし、席替え直後から、オフィスに本格的なクーラーが入るようになり、私の席はクーラーの冷気がざんざんと降りて来る席だということがわかってしまったのである。

 私は困り果てた。この席なら暖かいはずだと、自ら選んだ席なので、今更、
「実はあの席、ものすごく寒いんですよ」
などとは言い出せない。何故なら、私のために動いてくれた人たちを裏切ってしまうことになるからだ。そこで私は、仕事帰りにポンチョを買って、翌日からポンチョを着て仕事を始めた。動くとパサパサと音を立てるものの、袖口が絞られていないポンチョは、体温で温まった空気を適当に逃がしてくれるので、暑過ぎず、ちょうど良かった。ポンチョの他にも、私は上から降りて来る冷気をガードするために、帽子をかぶって仕事をしている。トイレに立ったとき、ポンチョに帽子姿の自分を見て、
「あっ、シャーロックホームズがいる!」
と思ったものだ。

 しかし、時にはポンチョによる防寒も意味を成さないほど冷たい風が降り注ぐことがあった。私は仕事中、身体をいぞいぞと動かしながら、何とかこの冷風をガードする方法はないものかと考えあぐねていた。既に、分厚いひざ掛けと、足元をガードするためにサウナスーツをレッグウォーマーのようにカットしたもので下半身を守っている。そして、上半身を覆うポンチョと頭をガードする帽子。一体、これ以上、どのようにガードすればいいのだろう。

 隣の席の社員の方が心配して、
「上司の上司に相談されたら?」
と言ってくださった。もちろん、上司の上司も私が凍えているのを見て、状況をわかってくださってはいる。何故なら、上司の上司もまた、オフィスの空調には悩まされているからだ。上司の上司は、オフィスの空調の温度が極端に低くなるのは、外の温度が低いときだということも分析されていた。やはり、上司の上司に相談したほうがいいのだろうか。しかし、この席は私が優先的に選ばせてもらった席である。

 凍えながらトイレに立ったとき、オフィスの外で、設備のおじさんに会った。そのおじさんは、私がいつも寒そうにしているので、
「寒ないか?」
と言って、しばしば気遣ってくださっている。そこで私は、そのおじさんに、席替えをして、冷たい風が吹き付けて来ることを話した。すると、おじさんは私と一緒にオフィスに入ってくださり、クーラーが吹き付けて来る吹き出し口を見上げながら、
「他の吹き出し口との兼ね合いもあるけれど、風が余り出ないように吹き出し口を絞れる場合がある」
とおっしゃった。おじさんは、
「絞れるかどうか、確認してみようか?」
と言ってくださったのだが、派遣社員の私がそこまでお願いできる立場ではなかったので、
「いえ、周りの人に聞いてみてからにします。ありがとうございました」
とひとまずお礼を言った。

 しかし、その後も、冷たい風が降りて来ている間はほとんど仕事にならなかった。何故、私が選ぶ席はいつもこんなに寒いのだろう。それとも、寒いと思っているのは私だけなのだろうか? 設備のおじさんが言うには、空調の吹き出し口から冷たい風が降りて来ていることには間違いないのだが、他の吹き出し口からも冷たい風が降りて来ているため、空気の対流が起こり、吹き出し口から離れている安全そうな場所であっても、冷たい風が降りて来ることもあるとのことだった。

 今年もオフィスの空調に悩まされるのかと気をもみながら帰宅した翌日、私はオフィスの空調の設定温度を確認してみることにした。何と、設定温度が二十二度になっているではないか。これでは寒いはずである。おそらくこの設定温度は、以前、暖房が入っていたときの設定温度のままなのだろう。暖房と同じ設定温度のままクーラーが入っていたのだとすると、たまったもんじゃない。私は、空調の温度設定のつまみをこっそり右に回し、二十六度まで上げさせてもらった。それからは、私の席に冷たい風はもう降りて来なくなった。やれやれである。

 今回のことにより、場所によって、空気の対流が起こり、冷たい風が降りて来ることがわかった。空調の吹き出し口から離れた場所ならば暖かいだろうという目論見は、ものの見事に外れてしまったわけだ。温度設定を二十六度に変えてからは、シャーロックホームズは見掛けなくなった。どうやら、事件が解決したようである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ポンチョを着て仕事をしていると、暑いのか寒いのかわからなくなることがあります。暑いのと寒いのが同時にやって来ているような感じでしょうか。身体がどう反応していいのかわからずに、戸惑っていたのかもしれません。オフィスの空調問題は、本当に難しいですよね。同じ部屋でも、場所によって温度が違いますし、例え同じ状況だったとしても、人によって感じ方が違いますし。今回の場合は、空調の設定温度を変えることで何とか救われましたが、逆に言えば、同じ設定温度であっても、私のようにならなかった人たちもいるわけなのです。

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2008.04.15

「ガンまる日記」はいかにして出来上がるか?

おならブルの記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 実は高校生の頃、"honorable"という単語を覚えるときに、今回のタイトルを頭の中で思い浮かべていました。二十五年近くも温め続けて来たネタをここで披露することができたことで、私としては大変満足しています。(苦笑)

 いつも持ち歩いていたノートパソコンが壊れてしまったので、現在、予備のノートパソコンで「ガンまる日記」を書いている。どうやら、ディスクの一部に不良箇所があるらしい。ノートパソコンやPDAが壊れてしまうのは、一体これで何台目だろう。とは言うものの、万が一、ノートパソコンが壊れてしまったとしても、特にスペックにこだわらなければ、我が家には持ち出しできるノートパソコンが常に三台ほど控えている。また、壊れたノートパソコンは、ガンモの時間があるときに、わかる範囲で修理してくれている。

 ガンモに言わせてみれば、私はノートパソコンをすぐ壊すらしい。私は昔から、職場においても、フロッピーディスクを破損させてしまうことが多かった。私の身体の中には宇宙人に埋め込まれたチップがあって、宇宙人とコンタクトを取るために、地球上のデータを破壊してしまうような特殊な電波を流し続けているのかもしれない。

 それはさておき、ノートパソコンが壊れたことをきっかけに、今回、「『ガンまる日記』」はいかにして出来上がるか?」というタイトルを掲げてみた。ノートパソコンが壊れたとしても、「ガンまる日記」を書き続けるのに快適な環境を、私がどのように構築しているかについてご紹介しておきたいと思う。

 皆さんは、複数のパソコン間でデータを共有したいとき、どのような手段を使っていらっしゃるだろうか。一昔前ならば、フロッピーディスクにデータをコピーするだけでもこと足りていた。しかし、今ではフロッピーディスクに格納できる情報など、たかが知れている。かつてのノートパソコンには、フロッピーディスクドライブが付いていたものだが、最近ではオプション品としてもほとんど見掛けなくなってしまった。現在は、コンパクトフラッシュやSDメモリ、またはmicro SDなどが主流なのだろう。それらの媒体が扱えるデータの単位はギガである。もしくは、パソコン同士をネットワークに接続して、共有フォルダ経由でデータを丸ごとコピーしたりすることも多いかもしれない。

 私のように、モバイル環境と自宅のデスクトップ環境のデータを連携させるには、自宅のデスクトップ環境をマスタにして、普段持ち歩いているノートパソコン環境をサブとして使用する場合が多いだろう。例えば私の場合、自宅のデスクトップ環境で電子メールを受信するときは、電子メールを引き込んだあとにメールサーバ上から電子メールを削除してしまう。しかし、モバイル環境で電子メールを受信するときは、メールサーバ上にメールを残す設定にしておく。そうすることで、受信した電子メールを自宅のデスクトップ環境で一元管理することができるからだ。更に、モバイル環境から電子メールを送信するときは、自分宛のメールアドレスにもBcc:で送信する設定にしている。そうしておけば、自宅のデスクトップ環境でメールを受信したときに、モバイル環境から送信した電子メールも管理することができるからだ。

 また、メインで受信しているプロバイダの電子メールは、すべてWebメールの別アカウントにコピー転送する設定にしている。そうしておけば、モバイル環境からも、自宅のデスクトップ環境に引き込んでメールサーバ上から削除してしまった電子メールを参照することができるからだ。

 それ以外に、複数のパソコン間でデータのやりとりを行うには、ファイルサイズがそれほど大きくない場合、Yahoo! ブリーフケースを活用している。この中には、HTML化したお気に入りサイトのURLや、FTP転送するときの設定情報(Windowsのレジストリ情報)などを格納している。また、アプリケーションが吐き出すデータも格納しておくと、複数のパソコン間で同じアプリケーションを使用している場合、データを共有することができてとても便利である。

 さて、ここからが本題である。私は、「ガンまる日記」を書き上げるのに、Story Editorという便利なツールを愛用させていただいている。Story Editorは、頭の中でごちゃごちゃしている情報を、階層的にまとめ上げるのにとても便利なエディタである。Story Editorという名前の通り、もともとは、物語を創作する人向けに開発されたエディタで、私も最初は小説を書き始める目的で使い始めた。ところが、頭の中にあるものを階層的に整理するのにもってこいなので、小説を書く以外の目的でも重宝させていただいているという次第である。

愛用しているStory Editorの画面。
頭の中にあるごちゃごちゃした情報を階層的に管理できるのがうれしい

Story Editorの配布元:
CHEEBOW'S HOMEPAGE

 ほとんどの場合、「ガンまる日記」はモバイル環境であるノートパソコンから生まれているのだが、自宅のデスクトップ環境で「ガンまる日記」を書くときは、Story Editorが吐き出すデータをさきほどのYahoo! ブリーフケースに入れておき、デスクトップ環境からインターネットに接続して、モバイル環境で編集したStory Editorのデータを取り込むようにしている。

 頭の中の情報は、必ずしも平べったいわけではない。Story Editorは、いくつもの平べったくない情報をカテゴリごとに分けることができるので、頭の中がごちゃごちゃしている人にとっては、もってこいのエディタなのである。「ガンまる日記」は、Story Editorから生まれていると言っても過言ではない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m機能的な ツールを使いこなすということは、時間の短縮にもなります。私のように、頭の中がごちゃごちゃしている人は、複数のテキストファイルに情報を保存していると大変なことになります。このように、情報を階層的に一元整理してくれるツールがあれば、一つのアプリケーションでこと足りるわけです。フリーソフトですので、頭の中がごちゃごちゃしていると自負している人は、一度使ってみてください。おそらく、頭の中がごちゃごちゃしている人ほど、手放せなくなるツールだと思います。

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2008.04.14

おならブル

祝・瀬戸大橋開通二十周年の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m テレビでも、瀬戸大橋が開通した当時の番組が再放送されていました。瀬戸大橋の建設には、実に多くの人たちが関わっていたようです。そんな映像の中で、私たちの目を引いたのが、瀬戸大橋の状態を確認するために使用されていたパソコンでした。二十年前と言えば、まだWindows OSが登場する以前の時代です。当然、パソコンのOSとなると、MS-DOSなのですね。私がコンピュータ業界で仕事を始めたのが一九八九年のことでしたので、瀬戸大橋の開通当時に使用されていたMS-DOSベースのパソコンを見ながら、自分のコンピュータ業界における歴史を振り返るようで懐かしく思えました。

 ガンモの実家に帰っていたときに、珍しくテレビを観た。和田アキ子さんが、ご自身がパーソナリティを務める番組の中で、ご主人さんとの間の夫婦の取り決めについて語っていらっしゃった。アッコさんは、ご主人さんよりも先に新聞の朝刊を開かないし、ご主人さんの前でおならもしないそうだ。アッコさんほどの人だから、きっとご主人さんを立てていらっしゃるのだろうが、私たち夫婦との違いの大きさに目を丸くした。

 私が勝手に想像するに、アッコさんは、日本全国の人たちに存在が知れ渡っているほど有名な方である。しかも、おそらく芸能界においてもその存在は大きい。そんなアッコさんが、家庭においても天下を取っているのだとしたら、きっと夫婦関係はうまく行かない。だから、ご主人さんよりも先に新聞を開かないことで、アッコさんはご主人さんを立てている。そういうことなのではないだろうか。普段、大きく出っ張っている分、家庭では引っ込んで、アッコさんなりにバランスを取っているのだろう。そして、アッコさんにしてみれば、それが夫婦円満の秘訣と言えるのだろう。

 もう一つの「夫婦の間でもおならをしない」という状況は、私たちには良くわからない。私たち夫婦の場合、結婚前に私のほうがガンモよりも先におならをして、ガンモを悔しがらせてしまった。ガンモは、自分のほうが先に私の前でおならをしようと心に決めていたようなのだ。だから、ガンモが初めておならをするとき、別の部屋にいたのに、わざわざ私に音を聞かせるために、私のいる部屋の戸を開けて、お尻を突き出し、「ブッ」と放屁したのだ。私たちは、そんなやりとりがおかしく、お互いに許容されていることを温かく感じる。つまり、相手の前でおならをすることで、根本からの繋がりを持とうとしているのである。

 しかし、例えば職場で仕事中におならをする人がいるとしたら、私は許容できるのだろうか。おそらく、その人がおならをしても笑うことができずに、聞いてはいけないものを聞いてしまったかのように、平静を装いながら黙って仕事を続けることだろう。また、仕事中、日常的に放屁を繰り返す人がいるならば、その人のおならを許容することができずに、その人を避けるようになってしまうかもしれない。

 ガンモのおならはうれしいのに、他の人のおならはうれしくないところに、何かヒントが隠されているようである。つまり、「おなら」そのものに好き嫌いがあるわけではなく、誰のおならであるかということが重要であるかということだ。

 身体のことを考えると、おならは我慢するよりも、出してしまったほうがいいだろう。しかし、恥ずかしさや他の人に与える不快感や礼儀などの理由から、多くの人たちが人前でおならをすることを我慢する。もちろん、私だって、仕事中におならをしたくなったら我慢する。何故なら、自分のおならが許容されないことを知っているからだ。言い換えれば、私がガンモの前でおならをするのは、ガンモに自分のおならを許容してもらえることを知っているからだ。そこには、男女の愛の前に、人間としての愛が存在しているからである。

 こうした許容の対象は、何もおならに限ったことではないだろう。例えば、毎月生理のときに使用している布ナプキンを、私は職場では洗うことができないが、自宅では堂々と洗っている。しかし、中には、そんなものは自分の目の届かないところでこっそり洗って欲しいと願う男性もいるかもしれない。もしも私がそういう男性と共同生活をしたとしたら、きっと窮屈に感じてしまうことだろう。何故なら、先ほども書いたように、既に許容される喜びを知っているからだ。

 ちなみに、おならについては、以下の記事にも書いている。

おならのススメ
マンネリって何?
愛のエネルギー

 私たち夫婦の場合は、たまたま嗜好が似通っているが、片方が許容を望んでいるのに、もう片方が許容できない場合、夫婦生活において、何らかの取り決めが必要になって来るのだろう。そして、夫婦間の取り決めが必要な場合は、夫婦であっても介入しない領域を作って守ろうとしたり、一人の時間を尊重するような付き合い方になるのではないだろうか。また、人間としての関わりよりも、男女としての関わりを重視している場合に、おならを許容しない関わりが出来上がって行くように思う。

 私たち夫婦の場合、男女である前に、人間として関わっているように思う。言い換えれば、世間で言うところの、男女としての色気が足りていないとも言える。それでも、夫婦として成り立っているのだからそれでいいのだ。世の中、いろいろな夫婦がいるのだから、他のご夫婦が私たちと同じであっても、同じでなくてもいいと思う。勤務先によって、自分の力を発揮できたり発揮できなかったりするのと同じように、人生を誰と一緒に過ごすかによって、自分という人間はどんどん変化して行くものだ。夫婦として結ばれたということは、男女として密に関わることによって学ぶことの多い間柄であることには間違いないのだから。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m タイトルに掲げた「おならブル」ですが、英語の"honorable"から来ています。日本語の意味は、「尊敬すべき、名誉ある、敬意を示す」などであります。ブルっと音を立てておならをすることは、実に名誉あることだと主張したかったのです。(苦笑)皆さんは、和田アキ子さん派ですか? それとも、ガンまる派ですか?

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2008.04.13

祝・瀬戸大橋開通二十周年

TOEICで脂肪燃焼の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 空調に敏感な私は、早くも冷房の効いたオフィスで凍え始めているのですが、そんな私の様子を見た派遣仲間が、「(自分は)これまで風が当たっても冷たいとか感じたことがない」と言い放ちました。正直言って、驚きました。そんな人もいるのですね。あまりにもさらっと言うので、逆に、こういう苦しみを知らない彼女のことをちょっぴり気の毒にさえ思ってしまったくらいです。(苦笑)でも、彼女は彼女なりに、私の知らない苦しみも体験しているのです。

 帰宅してから準備を整えると、私たちはガンモの実家に向けて車を走らせた。「車を走らせた」と書いたが、私は運転免許を持っていないので、実際に車を走らせたのはガンモである。ここのところ、月に一度の割合でガンモの実家に帰ってはいるが、目的は一つではない。ただ、ガンモの希望により、どの目的に関しても、ここで触れることは差し控えたい。

 ガンモの実家までは、青春18きっぷを利用して普通列車を乗り継いだとしても、最短で三時間余りだが、ガンモの運転で高速道路を走ると、安全運転かつ途中で何度か休憩を挟みながら移動するため、少なくとも四時間は掛かってしまう。それでも、私はガンモの運転する車のスピードがちょうどいい。

 しかし、他のドライバーからすれば、ガンモの運転はひどくのんびりしているように見えるようだ。ガンモが職場の同僚に、目的地の香川県に行き着くまでに、神戸方面から何回休憩を入れるかという話をしたところ、ガンモが二回も休憩を入れると聞いた同僚は、「一回にしろ」と言ったらしい。ガンモの同僚は、香川県くらいの距離ならば、途中で休憩を入れることなく走り続けることができるそうだ。ガンモの同僚は、きっとスピードを出してスイスイ走るのだろう。

 スピードと言えば、以前、仕事がらみで一緒だった男性が、大阪の自宅まで車で帰宅するというので、そのとき一緒に働いていた女性と二人で途中まで乗せてもらったことがある。しかし、スピード狂の彼が稲妻のように車を飛ばすので、私は彼の車の中で降ろしてくれと絶叫し、途中で無理矢理降ろしてもらって命拾いした。私と一緒に彼の車に乗せてもらった女性は、おそらく彼と同じスピード狂だったのだろう。スピード狂の彼の運転に平気な顔をして乗り続け、そのまま自宅近くまで送り届けてもらったようだ。

 さて、今回は、瀬戸大橋開通二十周年にちなんで、四国内の高速道路が乗り放題のツアーに応募していた。ツアーと言っても、単にインターネットで申し込むだけのもので、バスツアーのようにぞろぞろと集団で移動するわけではなく、個人で好きなように移動できることになっている。ツアー申し込み時に送付されて来た電子メールをプリントアウトして、指定されたサービスエリアやパーキングエリアの売店で提示すれば、ツアー特典のお土産を受け取ることができるようになっていた。そのため、売店で何か求めるついでに、ツアー特典を受け取ろうとしたのだが、売店にはこれと言って欲しいものが見当たらず、私たちは同じ場所を何度も行ったり来たりしていた。買い物もせずに、ツアー特典だけ受け取るのも気が引けるからだ。

 その状況に溜まりかねたガンモが、ツアー特典を受け取らずにそのまま立ち去ろうとしたので、私は、
「ちょっと待って!」
と言ってガンモを引き留め、ガンモから電子メールをプリントアウトした用紙を受け取った。そして、売店で何も買っていないにもかかわらず、売店の店員さんにその用紙を見せて、ツアー特典のお土産を受け取った。さすがにちょっと恥ずかしかったが、十年以上も関西に住んでいると、次第に度胸も据わって来たようだ。言葉が関西弁でないだけで、他の人から見れば、私は立派な関西人のおばちゃんである。

 瀬戸大橋開通二十周年と聞いて、私は瀬戸大橋が開通した時のことを思い出した。確か、瀬戸大橋が開通した頃、一番乗りで橋を渡ろうと意気込む人々が、何日も前から車の中に泊まり込みをして、開通の日を今か今かと待ち望んでいたことを覚えている。

 開通当時、私は東京に住む大学生だった。開通した翌日、奇しくも愛媛の実家に帰る用事があり、私は列車で瀬戸大橋を渡ったのだ。車と列車が同時に走行できる橋が完成したのは、全国でも初めてのことだったらしい。私としても、これまで宇高連絡船で何度も往復していた場所に立派な橋が掛かり、そこを列車で渡るのは、とてもエキサイティグな出来事だった。車窓から見える瀬戸内の島々はとても美しかった。瀬戸大橋だけでなく、その後、明石海峡大橋やしまなみ海道など、瀬戸内の美しい島々を眺めながら走行できる陸橋が次々に完成した。瀬戸大橋の開通から二十年。私も年をとるはずである。そんな私が、瀬戸大橋のすぐ近くの坂出市出身のガンモと結ばれたこともまた、実に感慨深いことである。何故なら、こうしてガンモの実家に帰る度に、瀬戸大橋を渡ることができるからだ。

 瀬戸大橋開通二十周年、本当におめでとう。

瀬戸大橋

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅れてしまい、申し訳ありません。実は、激しい睡魔に襲われてしまい、夜のうちにアップすることができませんでした。その上、ノートパソコンの調子が悪く、インターネットに接続できなくなり、あたふたしていました。また、私自身のエネルギーもすっかり落ちてしまっていたようです。こんなこともあるのですね。瀬戸大橋の写真をアップしたかったのですが、写真を編集するソフトウェアを起動することができず、途方に暮れておりおります。(苦笑)環境が整い次第、アップロードしておきますね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.04.12

TOEICで脂肪燃焼

月経血コントロールの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 三砂ちづるさんの昔の女性はできていた -忘れられている女性の身体に"在る"力-の体験談にも書かれていましたが、私も初めて生理を体験したとき、生理をどのように過ごすかという知恵を、母から細かく教わったわけではありませんでした。多くの母子が私と同じような状況だとすると、九十歳以上のお年寄りの世代で月経血コントロールが行われていたことが下の世代に伝わっていなかったことも納得が行きます。デリケートな内容であるだけに、例え親しい友人同士であったとしても、自分の生理が普段、何日で終わるとか、どんな感じで始まり、どんな感じで終わるかとか、生理用品に頼らず、トイレに立ったときにお腹に力を入れて月経血を出しておく方法があるとか、そんなことは話さないですよね。話す場所も選ばなければなりませんから。だから、こうした知恵が、縦にも横にも繋がらずにここまで来てしまったように思います。そういう意味からも、とても貴重な本だと思いました。

 二ヶ月に一度のペースで受けているTOEICのIPテストの日がやって来た。IPテストを受けるのは、今回で三回目となる。これまでのIPテストは、三宮にある派遣会社のオフィスでこじんまりと開催されていたのだが、今回からは、梅田にある貸し会議室で行われることになっていた。おそらく、兵庫と大阪の派遣スタッフが集結されているのだろう。

 派遣会社が主催するTOEICのIPテストは、同じ日に午前の回と午後の回があり、どちらか都合のいい回を選べるようになっている。午前の回も午後の回も、定員は五十名である。私は、午前の回のほうが都合が良いので、毎回、午前十時から行われる午前の回を申し込んでいる。

 今回からの受験会場となるビルは、初めて足を運ぶビルだったので、私は前日の夜にインターネットの地図サイトを参照して場所を確認しておいた。すると、受験会場となるビルは、どうやらホットヨガ梅田店のスタジオと比較的近い場所にあるらしいことがわかった。今回は午後から出掛ける予定があったので、ホットヨガのレッスンとセットにすることはできないが、今後はなかなか面白い展開になりそうな予感がした。

 受験会場がホットヨガ梅田店のスタジオと近かったおかげで、初めて足を運ぶ場所にしては迷うことなくすんなりと会場に到着することができた。トイレを済ませて受付で名前を告げると、
「十九番の席にお座りください」
と案内された。会場には、四十名分くらいの席が用意されていた。三宮にある派遣会社のオフィスで受験していたときは、わずか数人程度の参加者で、好きな席に座っていいことになっていた。席が指定されていることと言い、定員が五十名にふくれ上がったことと言い、それだけ公開テストの条件に近づいたことになる。

 ところで、試験会場のトイレに入ってみて、私は驚いた。女性にはうれしいパーソナルボックスが設置されていたのだ。まるで郵便局の私書箱のように楽しいではないか。この中に、歯磨きセットやちょっとした化粧ポーチなどを入れておくと、トイレに立つときに荷物を持たなくて良いのである。見たところ、布ナプキンを置いておくには小さ過ぎるのが難点だが、それでも、ないよりはずっとマシである。

トイレに設置されているパーソナルボックス

 トイレにパーソナルボックスが設置されている職場で働いたことは、かつて一度だけある。そのときは、もう少しボックスが大きかった。やはり透明のパーソナルボックスで、外から見ても自分のボックスと他の人のボックスを識別できるようになっていた。あと、パーソナルボックスではないのだが、トイレに棚があり、同じビルの同じ階の別会社で働いていた派遣仲間と、本の貸し借りに利用していたことがある。お互いに読みたい本が一致している派遣仲間だったので、トイレの棚を利用して、しばしば本の貸し借りをしていたのだ。そのときのことを思い起こしてみても、やはり、もう少しボックスが大きいほうが楽しみが広がる。そこで働くわけでもないのに、トイレにパーソナルボックスが設置されていることから、様々な想いを巡らせていた。

 会場に入り、周りを見渡してみると、男性の参加者が何名かいらっしゃることがわかった。もちろん、私が働いている派遣会社には、男性の派遣スタッフの方もいらっしゃるし、私の現在の職場にも、同じ派遣会社から派遣されている男性の派遣スタッフが三名ほどいらっしゃる。しかし、三宮のオフィスでIPテストを受けていたときには男性の派遣スタッフとは出会わなかったので、とても新鮮だったのだ。こんなことを書いていると、まるで梅田店でホットヨガのレッスンを受けたときの感想を書いているみたいだ。というのも、いつも私が参加している三宮店や神戸店は女性会員限定だが、梅田店では男性会員の入会も受け入れているからである。

 それはさておき、指定された席に着いた私は、会場内の空調がひどく寒いと感じていた。しかし、ほとんどの人たちは、ジャケットを脱いで椅子に掛けている。寒くはないのだろうか。それとも、部屋に入るとジャケットを脱ぐことが当たり前になっているのだろうか。私は、ひどく寒いと感じていたので、ジャケットを脱ぐことができなかったばかりでなく、首にはスカーフまでしっかりと巻きつけていた。これほど寒い空調のままTOEICの試験に臨むのは、かなり厳しいのではないだろうか。そこで私は、リュックの中から薄手のショールを取り出して、ひざ掛け代わりに使用した。ひざ掛けの貸し出しのない映画館で映画を観るときに使用しているショールである。

 空調のことが気になっていると、私の他にも寒いと思った方がいらっしゃったようで、試験官に空調の温度を上げてもらえるようにお願いしてくださった。ありがたいことである。おかげで部屋の温度が少し上がり、まだ少し寒さを感じてはいたものの、その寒さをほとんど気にすることなく試験を受けることができた。

 さて、今回の試験の感触だが、最近、使用し始めたThe Nativebusterという教材のおかげで、TOEICのリスニングのスピードが比較的ゆっくりであることを実感できた。そのため、以前よりはリスニングの点数がアップしているのではないだろうか。そんな手ごたえを感じた。ただ、リーディングの問題は相変わらず時間が足りず、手付かずのままで終わってしまった問題の数は前回までとほとんど変わらなかった。これまでは、リーディングの問題を解く時間があまりにも短過ぎるため、終了間際になると少しでも多くの問題に答えようと、かなり焦りを感じていた。しかし今回は、一問でも多くの問題に回答しようと先走るのではなく、確実な回答を目指したため、焦りを感じずに済んだのである。

 空調の温度を少し上げてもらうことができたものの、試験が終わる頃には、私はトイレに行きたくて行きたくて仕方がない状態に陥っていた。試験を受けている間に、身体の中の脂肪が使われ、たくさんの尿に変化したのだろうか。そう言えば、空調の温度を上げてくださいと試験官にお願いしてくださった方が、試験の最中に試験官に許可をもらって席を立っていた。彼女も空調に対して敏感で、どうしてもトイレに行きたくなってしまったのかもしれない。

 試験終了後、問題用紙と解答用紙が集められ、枚数の確認が行われたあと、ようやく解散となった。そのあと、私がトイレに駆け込んだのは言うまでもない。しかし、トイレに駆け込んだのは私だけではなかった。十数人の参加者が次々にトイレに駆け込み、三つしかない個室の長い順番待ちをすることになった。やはり、試験会場の設定温度は、他の人たちにとっても低かったようである。

 トイレを済ませたあと、ビルの外に出て、自宅で待機しているガンモに電話を掛けた。
「どうだった?」
と尋ねるガンモに私は、
「うん。The NativebusterのCDを聴き込んでたから、やっぱりTOEICのリスニングがゆっくりに聴こえたよ」
と答えた。ガンモは私にライバル意識を燃やしながら、
「ふうん」
と言った。私としては、前回よりもガンモのスコアにぐっと近づいた手ごたえがある。現在、ガンモと私のスコアの開きは百五点だ。これがあと三十点くらいにまで迫っただろうと自負している。まあ、実際のスコアがわかるまでは、相変わらず何とでも言えるのだ。

 午後からは、ガンモの運転する車に乗り、ガンモの実家に帰ることになっていたため、私は大阪でご飯を食べたあと、自宅への道のりを急いだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私の席の隣の人も、最初は上着を脱いでいたものの、途中から上着を羽織っていたので、やはり試験会場が寒かったのだろうと思います。それでも、上着を脱いだまま、薄着で受験されている方もたくさんいらっしゃいました。そういう方たちは、きっと体温調節が自由自在なのでしょうね。次回はおよそ二ヵ月後に同じ場所で開催されることになっていますが、その頃には外気がもっと暑くなっているはずなので、空調の設定が今回よりもずっと厳しいかもしれません。できる限り、空調の設定に左右されることなく、試験に臨みたいと思います。ちなみに、今回の試験の結果はおよそ二週間後に郵送されて来ることになっています。ガンモとの差が三十点にまで縮まったと自負しておりますので、どうぞ結果をお楽しみに。(笑)

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2008.04.11

月経血コントロール

 以前、少しだけご紹介させていただいたのだが、三砂ちづるさんの昔の女性はできていた -忘れられている女性の身体に"在る"力-をようやく読み終えた。特に興味深い記述にアンテナを立てて行くかのように、付箋紙を貼り付けながら読み進めて行ったところ、すべて読み終える頃には何十枚もの付箋紙が貼り付けられていた。それくらい、私には全体を通してとても興味深い内容の本だった。ご参考までに、この本の内容を要約しておくと、概ね以下の通りである。

 現代のように生理用品が充実していなかった昔(とりわけ、九十歳以上の女性たちをターゲットにした時代)は、例え月経血が多い日であっても、生理用品の性能に頼ることなく、トイレに立ったときに月経血をまとめて排泄しておくことが可能だった。現代よりもずっと簡単な生理用品で生理を迎えていたため、身体が環境に順応していたのかもしれない。また、昔の女性が全般的に請け負っていた家事は、月経血コントロールを可能にするほど、女性たちの身体を鍛えていたとも言える。

 昔の女性は着物を着て、下着を着けていなかった。そして、生理のときも、現代よりもずっと簡単な生理用品で生理をしのいでいた。そうした状況が、トイレに立ったときにお腹に力を入れ、月経血を排泄しておくという工夫を生み出していたようだ。どうやらそのような力は、骨盤底筋によって培われているものらしい。よって、現代の女性たちも骨盤底筋を鍛えることによって、昔の女性に近づくことができるのではないだろうか。

 昔の女性が実践していた月経血コントロールを可能にするために、高岡英夫氏の開発した「ゆる体操」をベースにした「大和撫子のからだづくり」という教室が開催されている。この教室に参加した人たちは、排卵日にお腹の痛みを感じて身体の変化を敏感に感じ取ったり、これまでダラダラ続いていた生理がきっかり五日で終わるようになったり、生理用品を着けていても、生理用品に排泄する月経血が極端に少なくなったりといった共通の体験を持っている。また、身体を締め付ける下着を着用したくなくなるため、自然に着物への憧れが強まって来るそうだ。

 何とも興味深い話ではないだろうか。実は、第二チャクラが弱い私は、長い時間、同じ姿勢を取り続けるのがとても苦手である。仕事中も一つの姿勢に落ち着かず、オフィスの椅子の上をいぞいぞと動き回り、自宅でパソコンに向かうときも、身体をあちらこちらにずらしたりして、常に落ち着きがない。集中力に欠けるのも、同じ姿勢を取り続けることができないせいもあるかもしれない。おそらくそれは、身体に「センター」が通っていないからだろうと思われる。高岡氏によれば、「センター」とは、「まっすぐ立ったときにちょうど背骨に沿うような形で、地球の中心から、からだを貫いて天へと抜けていく1本の直接的なラインのこと」だそうだ。となると、背骨が曲がっている人は、「センター」が形成されないことになる。レントゲンを見ると、私はまさしく背骨が曲がっている人なのである。

 私はテレビを見る習慣がないので良く知らなかったのだが、高岡氏の開発した「ゆる体操」は、テレビなどでも話題になっていたらしい。こちらも興味深いので、Amazonで関連する本を注文したところだ。普段は身体をゆるめておいて、いざというときに締めるという方法で月経血コントロールが可能になるらしい。月経血コントロールができるようになると、生理用品に月経血を排泄することでさえ、罪悪感を感じてしまうようになるそうだ。

 確かに、私も布ナプキンに変えてからは、そういう意識が強くなったような気がする。布ナプキンを使うことで小さい頃に着けていたおしめを思い出すのだろうか。できるだけ布ナプキンを汚したくない気持ちが芽生え、布ナプキンの中に月経血を排泄すると、粗相をしてしまったような気持ちになってしまうのだ。使い捨ての紙ナプキンに対しては、最初から捨ててしまえばいいという意識が働くため、紙ナプキンに排泄することに抵抗はなかったように思う。布ナプキンに変えてから、月経血の量がぐっと減った私だが、布ナプキンやタンポンで化学物質の影響を受けていたというよりも、そうした心理的なものも大きいのかもしれない。

 実は、先日、派遣仲間たちと晩餐会を催したとき、私は生理の二日目を迎えていた。飲み会となると、必然的に帰りも遅くなる。帰りが遅くなるということは、持ち歩いている布ナプキンのストックも心配だ。私は、晩餐会に出掛ける前に、非常用の化学ナプキンを予備で持参しようかと思っていったんカバンに入れたのだが、あとから思い直して元に戻した。何故なら、紙ナプキンの予備があると思うと、布ナプキンに排泄する月経血の量が増えると思ったからだ。そして、昔の女性はできていた -忘れられている女性の身体に"在る"力-の本に書かれているように、トイレットペーパーで軽い蓋をしておいたところ、二日目だというのに、布ナプキンをそれほど汚さずに済んだのである。

 私自身の経験からも、月経血コントロールは、意識によるものも大きいと感じる。「取り替えられる生理用品のストックがたくさんある」と思えば、生理用品に垂れ流してしまうのは当然であり、「取り替えられる生理用品のストックはあまりない」という状況を作ってしまえば、それなりに自分の身体を締めて、月経血をコントロールすることは可能であるように思う。これに「ゆる体操」の実践を加えれば、もっと月経血コントロールが自由自在になるのだろうか。「ゆる体操」については、Amazonで注文した本が届いてから実践し、改めてご報告したい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「ゆる体操」をベースとした「大和撫子のからだづくり」教室に参加された方たちの中には、女性として生まれたことの喜びを再認識された方もいらっしゃるようです。例えば、これまで妊娠や出産をイメージしていなかった女性の中にも、子供を産みたいと強く願うようになった方もいらっしゃるとか。そうした変化にも興味がありますね。インターネットで調べてみると、関西地方でもゆる体操の教室は開催されているようです。ただ、やはり開催されているのは平日の昼間ですね。(苦笑)平日の夜か、週末に開催されている教室があるかどうか、もう少し念入りに調べてみたいと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.04.10

ホットヨガ(一〇一回目)

クラッシュの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 同じ場所で何度も事故が起こるというのは、きっと何か解決されない問題が残っているのでしょうね。私には、もともと交差点の作りには無理があるように思えます。それだけに、交差点は、単に自分たちのことだけでなく、他の人ちをも思いやる場所にしたいものですよね。

 木曜日と言えば、神戸店で開催されている脂肪燃焼コース2のレッスンの日である。三宮店に続いて、神戸店においても脂肪燃焼コース2のレッスンがなくなってしまうので、私はせっせと神戸店で行われている木曜日の夜のレッスンに通い続けている。ここのところ、週末を利用して出掛けることが多くなっているのと、木曜日のレッスンは参加者が少なく、ゆったりとレッスンを受けられるからだ。しかし、二十時半からのレッスンを受けて帰宅すると二十三時頃になってしまう。前日の夜、派遣仲間たちとの晩餐会で帰りが遅かったため、連日に渡って帰宅時間が遅くなってしまうのは少々気が引けたのだが、今回も思い切って参加することにした。

 ガンモには予め、仕事帰りにホットヨガのレッスンを受けて帰ることを伝えておいた。仕事を終えてガンモに電話を掛けてみると、ガンモは神戸市の隣にある明石市で仕事をしていると言う。いつもよりも仕事が遅くなりそうな素振りだったので、
「私は二十二時過ぎに神戸から電車に乗るから、帰りの電車が一緒になるといいね」
と言って電話を切った。

 さて、今回のレッスンも参加者が少ないことを期待していたのだが、スタジオに入ってみると、ヨガマットが前後に渡って敷かれていたので、実のところ、少々がっかりしてしまった。四名のとき五名のときも、ヨガマットは一列しか敷かれていなかったのである。今回、ヨガマットは九枚敷かれていたが、実際の参加者は八名だったと思う。今回のレッスンを担当してくださったのも、インド帰りのインストラクターだった。

 レッスン中、インストラクターが左右の足を間違えて、左足からポーズを取るよう促した。ホットヨガのレッスンで取るほとんどのポーズは、左右セットで行い、右足からポーズを取るように統一されているはずだった。インストラクターは、左足からポーズを取るように誘導してしまったことに自ら気付き、右足からポーズを取り直すように誘導しなおした。私は、左足からポーズに入るのはおかしいことに気が付いていたので、「あれえ、やっぱりそうですよね」などと声に出して笑ったが、他の参加者の方たちはとても静かだった。

 今回のレッスンでは、夜に受けるレッスンとしては珍しく、いつもよりも汗がたくさん出て来た。新月も終わり、満月に向けて月がふくらみを持ち始めた頃である。一方、私の身体は生理が始まっていた。生理が始まると、身体の水分を解放する傾向にあるので、その影響もあったのかもしれない。心地良く汗をかいて、凝縮された六十分のレッスンが終わった。

 シャワーを浴びたあと、着替えを済ませて受付にロッカーの鍵を返しに行くと、先週のレッスン終了後にもお話しをさせていただいた、今回のレッスンを担当してくださったインストラクターと、もう一人のインストラクターが対応してくださった。そのとき、何となく沈黙になり、
「何か会話が始まりそうな予感ですね」
と、もう一人のインストラクターが、あたかも沈黙を破るように語り掛けてくださった。ああ、なるほど。いつも受付でお話しをさせていただいているので、ここで何か話をすることが当たり前になっているのだとわかった。だから、しばしの沈黙は、嵐の前の静けさのように感じられたのだろう。

 それを受けてか、今回のレッスンを担当してくださったインストラクターが口を開いた。
「まるみさん(実際に呼ばれたのは私の苗字)が居てくださると、失敗したときに癒されるんです」
今回のレッスンを担当してくださったインストラクターによれば、今回のレッスンで、左足から踏み出してポーズを取るように誘導してしまったことを訂正したときに、私が声を上げて笑ったことが救いになったらしい。ああ、その気持ちは私にも良くわかる。たくさんの人たちの前で間違いをしでかしてしまったとき、誰かに笑ってもらえると、間違いを許容してもらえたような気持ちになれるからだ。私が笑ったことが役に立ったとわかり、私はこれからも、インストラクターが間違いをしたときには声をあげて笑うことを約束して、スタジオをあとにした。

 時計を見ると、もう二十二時を回っていた。神戸駅まで歩いて行くまでの間に、ガンモから私の携帯電話にメールが届いていたようだ。ガンモからのメールに気付き、メールを開封してみると、これから新快速電車に乗ると言う。ええっ? 私は再び時計を見た。ガンモがそのメールを送信したのは明石駅からだった。となると、ガンモが乗った新快速電車はもう少しで神戸駅に着くことになる。私は大急ぎで、
「ガンモと同じ新快速電車に乗るから!」
とメールをガンモに返信して(「ガンモに変身して」ではない)、神戸駅の改札をくぐった。案内板を見ると、ガンモが乗っていると思われる新快速電車がもうすぐ入線して来ることがわかった。その新快速列車の発車時刻は、ガンモからのメールに気付いてゆっくり歩いて来たとしても十分間に合う時間だった。

 私は、
「もしかして、もうすぐ神戸に着くの?」
と再びガンモにメールを送ってみた。すると、ガンモからは、
「何でばれてるの?」
という返事が返って来たのだ。これは面白い展開になって来た。私は、ガンモが何両目に乗っているかを確かめずに、入線して来た新快速電車にそのまま乗り込んだ。周りをきょろきょろ見渡したが、ガンモの姿はなかった。すると、ガンモからメールが届き、ガンモは四号車に乗っていることがわかった。一方、私が乗っているのは五号車だった。さすがに乗車する車両まではドンピシャとは行かなかったようだ。私たちは、途中の駅で合流し、向かい側に停車していた普通列車に乗り換えた。

 ガンモに尋ねてみたところ、ガンモは私のホットヨガのレッスンが終わるのを計画的に狙った上で新快速列車に乗り込んだわけではないと言う。それなのに、お互いにとって、帰宅するのにちょうど良い新快速電車が一致していたというのは、実に不思議なものである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 自分が何か失敗をしたときに、笑ってくれる人がいると救われるという気持ち、私も同じような経験があるので良くわかります。少々笑い過ぎたかもしれないと思っていたので、私が笑ったことで救われたと、インストラクターが言ってくださったのは、うれしかったですね。それと、やはり、ガンモとは不思議な縁で繋がっているようです。お互い別々に行動していたとしても、帰り道は自然に一緒になるものなのですね。逆に、変に狙うと空振りします。(苦笑)

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2008.04.09

クラッシュ

大きなつづらの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 携帯電話に付属のGPS機能については、どうやら賛否両論あるようですね。本当に遭難したときにだけ役に立つならば、便利な機能だと言えるのでしょうが、一方ではプライバシーの侵害だなどという声も上がっているようです。でも、それは、携帯電話に限らず、何でもそうだと思います。何故なら、私たちは二元的な世界を生きているからです。

 派遣仲間たちとソフトウェア技術者の晩餐会を催すことになっていたため、いつもよりも早い時間にオフィスを出た。ビルの外に一歩足を踏み出した途端、すぐ近くで、
「ウーーーーー」
というパトカーの音が聞こえて来た。見ると、オフィスに面した道路がひどく混雑している。そのとき、私の中に、「ひょっとして・・・・・・」と、ある予感がよぎった。

 私が勤務しているオフィスのすぐ側にある交差点は、事故が多いことで有名だ。私自身も、横断歩道を渡ろうと信号待ちをしているときに、すぐ目の前で自動車同士が軽く接触する現場に出くわしたことがある。そのときは、幸い軽い接触事故で済んだものの、一歩間違えば、歩行者をも含んだ大きな事故にも繋がりかねない状況だった。

 パトカーの音と車の渋滞に直面した私は、例の交差点で事故が起こっていることをほぼ確信しながら、交差点までのわずかな距離を歩いた。すると、やはり、交差点の真ん中に派手に追突して車の前方が大きく変形した車が二台、停まっているのが見えた。交通整理のために、警察官が交差点に立ち、交差点を行き交う車に指示を与えている。そして、交差点の道路脇では、数人の人たちが誰かを取り囲み、その人の身体をしきりに撫でていた。恐る恐る見てみると、幼稚園くらいの男の子が道路脇に横たわっていた。不幸中の幸いと言っていいのだろうか。男の子は自分で身体を動かせる状態にあった。道路脇にいた人たちからは、
「救急車、来(け)えへんなあ」
などという声と、それに答える警察官の
「救急車はもうすぐ来ますから」
という声が聞こえて来た。

 事故は起こったばかりで、救急車もまだ到着していない状況だったようだ。救急車よりもパトカーの到着のほうが早く、私が横断歩道の信号待ちをしている間にも、次々にパトカーがやって来た。

 やがて、二人の警察官が事故の状況について聴取を始めた。双方の運転手は、見たところ、怪我をしている様子もなくしっかりしていた。おそらく、シートベルトを着用していた大人は事故の衝撃から身を守ることができたが、道路脇に横たわっていた男の子は後部座席に座っていたか何かでシートベルトを着用していなかったのではないだろうか。

 信号が変わったので、私が横断歩道を渡ろうとしていると、渋滞している車の間を掻き分けて救急車がやって来て、男の子が横たわっている道路脇に着けた。そこから先のことはわからない。私は、男の子が救急車に運ばれて行くのを見送らずに、事故のあった交差点の横断歩道を渡り切った。単なる傍観者という立場においては、これ以上の傍観は失礼に当たると思ったからだ。

 事故車両がそのまま残された横断歩道を渡っている間中、私の中から激しく込み上げて来る感情があり、私は顔を歪めながら、半泣きの状態で横断歩道を渡っていた。

 救急車がまだ到着していなかったことからすると、事故が起こってからまだ数分しか経っていなかったと思われる。ということは、事故に遭った人たちは、つい十数分前までは、車の中でふざけて笑い合ったりしながら、自分たちがこのような事故の当事者になろうとは夢にも思っていなかったはずだ。しかし、事故は突然起こり、ついさっきまで乗っていた車も大きく変形してしまった。私の目の前に、まったく予測もしていなかった大変な状況に直面している人たちがいる。その事実が、私の心を大きく揺さぶり、横断歩道の歩行中に涙を流さずにはいられなかったのである。

 その後、私は派遣仲間たちと合流し、事故のことを話した。彼女たちもその事故の現場を通ったようだ。私よりも早い時間にその現場を通った派遣仲間は、横たわっていた男の子が血を流し、周りにいる人たちが泣いているのを目にしたと言う。そのため、あまりジロジロ見てはいけないと思い、足早に現場を立ち去ったそうだ。私が見たときには、男の子は比較的しっかりと身体を動かしていたので、おそらく危機的な状況ではなかっただろうと推測する。

 多くの場合、私たちはこうした惨事を自分の身内の出来事に置き換えることで、当事者の気持ちを間接的に推し量ろうとする。しかし、私にとってこの事故は、間接的ではなく、私の心に直接的に響く何かをもたらした。そして、これまでいかに多くの出来事を、自分にとって間接的な出来事であるかのようにとらえ、見過ごして来たかということに気付かされたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 車も人も時間を掛けて形成されますが、壊れるのはほんの一瞬の出来事なのですね。「一寸先は闇」などという言葉もありますが、まさにその通りだと思いました。今回の事故は、私の心にダイレクトに響きました。事故の翌日、泣きながら渡った横断歩道に、花が添えてあったらどうしようと思いましたが、花はありませんでした。軽症で済んでいるといいのですが。お子さんがいらっしゃる方は、運転中、お子さんのシートベルトの着用に十分注意を払ってくださいね。同じ事故に遭っても、大人はぴんぴんしているのに、お子さんだけが横たわっている状態でしたので、そのことを痛切に感じ、ここでお伝えしておかなければならないと思いました。

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2008.04.08

大きなつづら

映画『ノーカントリー』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m アントンの髪型が頭から焼き付いて離れません。と思いきや、ある日、鏡を見ると、アントンがこちらを見ているではありませんか! それは、おかっぱ頭と言えなくもない私の姿でありました。

 犬山と名古屋に出掛けた翌日の日曜日、ガンモは加古川(かこがわ)まで仕事に出掛けて行った。兵庫県の東に位置する我が家から、兵庫県の西に位置する加古川までは、最寄駅までの移動時間も含めると新快速列車を利用しても一時間半ほど掛かってしまう。ということは、必然的に運賃も高い。そこでガンモは、手元に残っていた最後の一枚の青春18きっぷを消化しようと思い付いたようだ。

 ガンモからは、夕方には仕事を上がれると聞いていたので、夕方少し前にガンモに電話を掛けてみた。するとガンモは、
「大阪のショッピングモールでもらったスクラッチカードで五百円の商品券が当たってるんだけど、もうすぐ有効期限が切れるから、これから大阪に行って来る」
と言う。普段のガンモならば、私が一人で自宅にいるときは、できるだけ早く帰宅しようとする。しかし、青春18きっぷと五百円の商品券が、ガンモを大阪へと誘(いざな)ったようだ。

 二時間近く経ってから、再びガンモに電話を掛けてみた。ガンモはきっと、大阪駅周辺のパソコンショップを徘徊しているに違いない。私は、
「ガンモ、どう? 何かいいものはあった?」
とガンモに尋ねてみた。するとガンモは、
「まだ加古川だから。道に迷ってもう一時間半くらい彷徨ってる」
と答えるではないか。
「何だってえ?」

 ガンモによれば、加古川の仕事は、予定通り、夕方には終わったそうだ。加古川の仕事先から加古川駅までは、タクシーに乗らなければならないほど距離があるらしいのだが、タクシー会社の電話番号がわからなかったので、徒歩で加古川駅まで移動しようと思いついたらしい。ところが、途中で道に迷ってしまい、かれこれ一時間半も彷徨い続けているのだと言う。

 「何? それ? 遭難したの?」
ガンモからは、「そうなんです」という答えは返って来なかった。そんな余裕のあるギャグを口にするよりも、
「俺、どこにいるんだろう?」
と、歩き回って疲れ果て、すっかり途方に暮れている様子だった。

 「確か、携帯電話にGPS機能が付いていなかったっけ?」
と私はガンモに尋ねた。しかし、ガンモが個人で使用している携帯電話はFOMAではなくまだmovaである。ガンモが仕事で使っている携帯電話はFOMAだが、仕事以外で使用するのは気が引ける。となると、ガンモの居場所をどのように把握したらいいのだろう?

 話をしているうちに、ガンモの目の前には、見覚えのある景色が広がって来たらしい。
「あっ、多分、加古川駅が近いと思う」
とガンモは明るい声で言った。ガンモはその後、加古川駅を示す案内板も見つけ、何とか加古川駅までの道のりを把握したようだった。一時間半も歩き回って、ようやく加古川駅に辿り着くことができたのだ。

 結局、加古川駅を探して彷徨い続けているうちに時間が経ってしまい、それから大阪まで出掛けて行くには遅い時間になっていた。ガンモは、
「五百円の商品券、当たったその日に使っておくんだった」
と後悔していた。加古川から大阪まで移動できれば、青春18きっぷの残り分も少しは元が取れたかもしれなかったのに、それも叶わなかった。

 四月になり、携帯電話の各社で、家族との通話料が無料になるサービスが始まった。私たちが使用しているNTT DoCoMoでも、FOMAでファミリー割引等に加入している家族との通話料が無料になった。ただ、ガンモはまだmovaを使っているため、私からガンモへの通話料は無料だが、ガンモから私への通話料は課金されてしまう。今回、加古川駅周辺を彷徨い続けているガンモが私に電話を掛けて来なかったのも、自分で何とか解決したいという想いもあったと思うが、自分から電話を掛けると課金されてしまうのが悔しいという想いもあったようだ。

 舌切り雀に出て来る大きなつづらのように、いたずらに欲を出すと、遠回りの人生を送ってしまうことになる。今回の出来事は、あたかもそんな教訓を思い出させてくれたかのようだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m こうしたいと思っているのに、きっかけを失ってしまうことって良くありますよね。今回の出来事は、まさしくそんな展開だったのだろうと思います。ガンモも仕事でノートパソコンを持ち歩いているので、ちょっと腰を落ち着けてノートパソコンを広げ、タクシー会社の電話番号を調べれば良かったのですが、既に歩き始めてしまい、きっかけを失ってしまったのでしょう。作業を継続しているとき、その作業をどこで切り捨てて別の手段を選ぶか、切り替えるタイミングを見計らうのは難しいと思います。私もガンモと同じで、継続している作業をなかなか切り捨てることができないために、作業を切り替えるタイミングを推し量るのはとても苦手であります。結局、たくさんの時間をロスしてしまったガンモですが、ありがたいことに、途中で格安のスーパーを見付けて、買い物をして帰って来てくれました。

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2008.04.07

映画『ノーカントリー』

犬山成田山参拝の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 記事の中に貼り付けたスライドショーがあまりにも重く、皆さんにもご迷惑をお掛けしたかもしれません。申し訳ありませんでした。私は普段、タブブラウザを使っているのですが、フォト蔵のスライドショーを二つも貼り付けた「ガンまる日記」を一つのタブで開いていると、メールは送受信できないわ、他のタブでインターネットにもアクセスできないわで、もう大変でした。もともと、私のモバイル環境が極端に遅いことも原因の一つではありますが、それにしても耐えかねる遅さでありましたので、やはり従来通り、4 travelのスライドショーに戻しました。皆さんにも負荷をかけてしまい、重ね重ね申し訳ありませんでした。m(__)m フォト蔵へのリンクを張るのは、動画を公開させていただくときに留めたいと思います。

 先週金曜日の夜、ガンモは職場の人たちとお花見をしたあと、飲み会があると言うので、私も仕事帰りにレイトショーを観て帰ることにした。鑑賞した映画は、予告編を観たときから気になっていた『ノーカントリー』である。

 予告編では、人々を震撼させるほど強烈な内容であることを訴え掛けていたのだが、映画の予告編にはこれまで何度も裏切られて来たので、今回も予告編の内容を百パーセント鵜呑みにしていたわけではなかった。しかし、この映画を鑑賞し始めた途端、予告編以上の映画だと予感した。

 はっきり言って、この映画はとても恐ろしい映画である。本当に恐ろしい映画を観ると、鑑賞中に感じた恐怖感が強烈に残り、現実世界に戻っても物音や人影に怯え、映画の帰り道にさえ恐怖を感じてしまう。十年ほど前に、仕事帰りに派遣仲間と一緒に『8mm』というニコラス・ケイジ主演の映画を観た。この映画も恐ろしい映画で、実際の殺人が撮影された8mmフィルムが発見されたため、ニコラス・ケイジがその謎を追うというストーリーだった。やはり、帰り道がひどく恐ろしく、派遣仲間と分かれて電車に乗ったあとも、すぐにその派遣仲間とメールを交わしたことを覚えている。

 今回鑑賞した『ノーカントリー』は、テキサスの荒野で激しい銃撃戦の末に息絶えたであろういくつもの遺体に遭遇したルウェリン・モスが、彼らの遺した大金を自分のものにしてしまったことから始まる。その大金の行方を追って、非情な殺人鬼アントン・シガーがモスをどこまでもどこまでも追いかけて来る。アントンは、消火器のような形をした強力な空気銃のようなものを使って人を殺めたり、また、モーテルの施錠を容赦なく破壊して中に入って来る。無表情のまま冷静に殺人を繰り返すものだから、その恐ろしさと言ったらない。何しろ、登場人物たちがアントンの顔を見ただけでも殺されてしまいかねない状況だったからだ。

 大金を持って逃走するモスを、殺人鬼アントンがじりじりと追い詰めて行く。アントンの恐ろしさは、感情が動かないところにあった。それは言い換えると、殺される直前にアントンに命乞いをしても、決して聞き入れられることはないということだ。映画全体を通して、アントンの感情は読み取れない。アントンの髪型は、大金を取り戻すという目的に向かってまっすぐ突き進む彼自身のようにストレートのおかっぱヘアだった。そんな彼には、怒りの表情さえ読み取れない。感情が読み取れないからこそ、私たちはアントンのおかっぱヘアに意識を向けてしまう。

 逃げ回る立場の人が、自分自身を守るものが何もない恐ろしさは、手に汗を握るシーンとなる。第三者の視線すらも、アントンの武器で簡単に開けられてしまうモーテルの薄い扉も、モスを守ってはくれない。だからモスは、守ることよりも、銃でアントンを攻撃する。やがてその銃弾は、アントンに当たるのだが、そのことにより、アントンが更に激怒したようにも思えなかった。だから余計に恐ろしい。アントンはまるで、大金を取り戻すという命令をインプットされたロボットのようである。

 守るという観点で言えば、モスには愛する妻がいる。きっと、守るものがある人には、こうした戦いは向かないのだ。何故なら、適の攻撃があちらこちらへと分散されるからだ。それに、もともと守ることと戦うことは別物である。戦いに専念するためには、守るものを持たないほうがいいこともあるということだ。

 映画の中に、血だらけになった男が道行く若者に対して、
「その服を譲ってくれ」
と請うシーンが二回ある。声を掛けられた若者は、自分の着ている服を脱いで与えるのだが、そうしたやりとりが成り立ってしまうところに、日本との大きな国民性の違いを感じる。日本で同じことを実践しようものなら、警察に通報するか、救急車を呼ぶ人が多いのではないだろうか。しかし、映画に登場する若者たちはそのような行動は取らず、血だらけになった男の言う通りに服を差し出し、服の代償としてお金を受け取り、何が起こったかを内密にする。こうしたやりとりが、日常、当たり前のように行われているのだとすれば、警察が介入できない事件も多いのではないかと推測する。実際、この事件の語り手は引退した保安官なのだが、事件が起こっていることを知りながらも、彼は傍観者で終わってしまう。そして、映画の中でも、自分には手に負えない事件が増えて来たことを嘆いている。

 実に不思議なことだが、感情が読み取れず、次々に殺人を犯して行くアントンを見ていると、人を愛することの大切さを痛感させられてしまう。まさしくこれが反面教師というものだろうか。この映画では、人を殺めることを何とも思わないアントンに意識を向けてしまいがちだが、残酷なシーンを何度も見せ付けられると余計に、事件を解決できなかった保安官の苦悩や、大金を奪って逃げ回っていたモスと妻の愛が浮き彫りになって来るのだ。やはり映画というものは、観る人の記憶を引き出してくれるありがたいツールなのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この映画の監督は、コーエン兄弟であります。私は彼らの過去の作品を観てはいませんが、兄弟で一緒に映画制作に携わっているなんて、きっと使命を持って生まれて来た人たちなのでしょうね。大金を持って逃げ回る男モスを演じていたのは、ジョシュ・ブローリンという俳優さんですが、彼を見ていると、在りし日のチャールズ・ブロンソンを思い出してしまいました。実は私は、彼のファンだったんですよね。彼の出演した映画はほとんど鑑賞しました。年齢に関係なく、何故か惹かれる存在でありました。

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2008.04.06

犬山成田山参拝

さらば名鉄モンキーパークモノレール線の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、スライドショーの表示元サイトをフォト蔵に変えてみました。これまで愛用していた4 travelのページは、機能性に優れてはいるものの、写真を五枚ずつ地道に選んで管理画面からアップロードしなければならず、写真の数が多いときは同じ処理を何度も繰り返すことになり、ひどく時間が掛かってしまうのです。その点、フォト蔵は、自分のアルバムにアップロードできる外部ツールが用意されていて、アップロードしたいファイルを外部ツールにドラッグ&ドロップして、投稿ボタンを押しておけば、ファイル転送してくれます。フォト蔵のほうが、一度に多くのファイルをアップロードしやすいのですが、職場のインターネット環境からは、アクセス制限が掛かっていて参照できませんでした。(苦笑)

※申し訳ありません。m(__)m フォト蔵のスライドショーは異常に重いことから、やはり4 travelのスライドショーに戻しました。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

 名鉄モンキーパークモノレール線に乗車した私たちは、途中の成田山で降りて犬山成田山を参拝することにした。ありがたいことに、周辺の桜が満開だったので、お花見も兼ねての参拝となった。

 モノレールの駅は小高いところにあるというのに、成田山の本堂はもっと高いところにあった。まるで、「ここまでおいで」と信仰心を試されているかのようだ。私たちは、目の前に広がる階段を見上げ、昇って行こうと覚悟を決めた。なあに、香川県にある金毘羅さんを制覇した私たちからすれば、これくらいの石段はかわいいものである。

 とは言うものの、途中で何度も休みながら階段を昇って行くと、階段の終点に阿吽(あうん)の狛犬が何体もまとめて並べられていた。しかし、どういう分け方なのか、左右に並べられている狛犬が、阿吽の阿形だけ、阿吽の吽形だけという集合体ではなかった。一般的に、口を開けている阿形は右側に位置しているものだが、口を閉じている吽形は左側に位置しているものなのだ。

 階段を上り切ったところに広場があり、そこに本堂があった。成田山のご本尊は、不動明王だそうだ。見ると、本堂の周りにはたくさんの鳩たちがいる。成田山に参拝に来ているというのに、私たちは鳩が気になって気になって仕方がない。彼らの中には、我が家のベランダにいる鳩たちにそっくりの柄(がら)の鳩もいた。しかし、同じような柄をしているというのに、彼らは私たちのことを認識していない。我が家のベランダの鳩たちならば、私たちが台所に立とうものなら、ガラス戸に向かって「餌をくれ!」と体当たりして来ると言うのに。

 成田山の鳩たちはとても警戒心が強く、ガンモが高山線の中で食べた行楽弁当の残りのおにぎりを与えても、すぐには食べようとしなかった。安全であることを注意深く確認した上で、ようやく喰らいついて来るといった感じだった。こうした光景に出くわすと、私たちと我が家のベランダの鳩たちの間には、既に信頼関係が出来上がっていることを思い知らされる。自分たちに対する不信が、自分たちに対する信頼を照らし出す。信頼と不信、両方存在しなければわからないことだ。

 成田山の鳩たちは、我が家のベランダの鳩たちよりもずっと血気盛んだった。求愛しながら雌を追いかけ回している雄がいたのだが、振られるとすぐに別の鳩に切り替え、それでも振られるとまた別の鳩に切り替えるといった状態で、背中に筋を立てながらエネルギッシュに走り回っていた。そうかと思えば、群れから離れてディープキスを交わしたあと、白昼堂々と交尾を楽しんでいる鳩カップルもいた。鳩の世界では、交尾の前に雌が雄にピジョンミルクをおねだりする。雄からピジョンミルクをもらった雌は、雄が自分の上に乗ることを許すようだ。しかし、それも一瞬のことである。交尾が終わったあと、腕枕をしてもらって二羽で巣に横たわるなどといった余韻もないのである。

 参拝して、鳩をじっくり観察したあと、私たちは昇って来た階段を降りることにした。そのとき、石に刻まれた時津風という名前が目に留まった。多くの神社や寺院がそうであるように、成田山においても、献金した人たちや団体の名前が石に刻まれている。その中に、事件の起きた時津風部屋の先代の親方の名前があったのだ。なるほど、ここは犬山だった。献金することで、石に名前が刻まれるのは名誉なことかもしれない。しかし、一度刻まれたものは、撤去しない限り、そこに残り続ける。

 階段を昇って行くときよりも、降りて行くときのほうが桜を満喫することができた。成田山に限らず、ここに辿り着くまでに、列車の中から見えたいくつもの美しい満開の桜。愛知県には、桜の木が多いのだろうか。

 成田山には、鳩だけでなく、猫や鯉(狸ではない)、亀までもいた。お天気のいいうららかな春の休日。私たち人間も、動物たちも、猫のように目を細めてぽかぽかした春の日差しにくつろぎながら、春の到来を祝福していた。

 それから私たちは、終点の動物園まで名鉄モンキーパークモノレール線に乗車したあと、再び折り返し、犬山遊園で少し散策した。犬山遊園駅前の桜も満開で私たちを迎えてくれた。そして、犬山遊園から名鉄に乗り、ひとまず犬山まで出たあと、名鉄広見線に乗り換え、新可児(しんかに)まで出た。そこから更にJRに乗り換え、名古屋まで移動して少し買い物を楽しんだあと、帰路に就いた。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合は、犬山成田山参拝をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 帰りは金山から米原行きの新快速列車に乗ることができました。名古屋からだと混み合うと思い、一つ手前の金山から乗車したのは正解でした。おかげで米原までゆったりと座ることができました。青春18きっぷの利用者が米原や大垣で乗り換えなくても済むように、名古屋行きの新快速などがあればいいと思うのですが、そうなると、今よりももっともっと遅れが目立って来るのでしょうね。帰宅したら、二十三時を過ぎていましたが、お天気も良く、桜も堪能できて、日帰り旅行としては最適だったと思います。

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2008.04.05

さらば名鉄モンキーパークモノレール線

ホットヨガ(一〇〇回目)の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 私はインドには行ったことがないのに、インドに行ったことがないのは意外だとスタッフの方に言われました。まさか、レッスンのときに着ているインドの神様Tシャツを、インドまで直接買い付けに行っていると思われていたのでしょうか?

 青春18きっぷの使用期限が迫っているため、ガンモと二人でお花見を兼ねた日帰り旅行に出掛けた。行き先は、愛知県である。新快速列車の乗り継ぎが良ければ、我が家から名古屋まで三時間余りで移動することができる。そのため、名古屋方面への旅は、青春18きっぷの残り切符を消化するには最もお手軽な旅となるのである。

 午前中の比較的早い時間に家を出た私たちは、尼崎から新快速列車に乗り、ひとまず米原(まいばら)まで出た。米原から直通で名古屋まで移動できる新快速列車に乗ることができる場合もあるのだが、時間帯によっては大垣止まりの列車になってしまう。今回は、途中の野洲(やす)までしか行かない新快速列車に乗る羽目になり、野洲で待ち合わせをしていた米原行きの普通列車に乗り換え、米原まで出ることになった。

 移動に利用したのは、私たちが普段、通勤に利用している新快速列車と快速列車だった。快速列車は上下線とも、特定の場所を過ぎると普通列車に切り替わる。いつも乗り慣れている列車だと言うのに、走っている場所が違うだけで、雰囲気も変わって来る。おまけに、尼崎から京都までの新快速列車は、身動きが取れないくらいぎゅうぎゅう詰めだった。青春18きっぷのシーズンには、新快速列車を利用して効率的に移動する人が多いのだ。

 それにしても、私たちがいつも通勤に利用している列車は、毎回、兵庫県の端のほうから、大阪、京都を経て滋賀県まで大移動していることを実感した。いつも通勤に利用している列車に行き先が掲げられていたとしても、普段はそれらの行き先からはほど遠い生活をしているため、列車がいつも長い旅をしていることを意識していなかった。

 JRは遅れることが多く、
「また今日も遅れてるの?」
という不満の気持ちも少々あったが、毎回、これだけ長い距離を走行しているのなら、遅れが出てしまうのも無理もないことだろう。

 私たちは、大垣から名古屋方面に向かう列車に乗り換えて、いったん岐阜で降りた。そこから高山線に乗り換え、鵜沼(うぬま)で降りて、名鉄犬山線に乗り換えた。実は、名鉄犬山遊園から出ている名鉄モンキーパークモノレール線が今年いっぱいで廃線になってしまうため、お別れを言いに来たのである。

 と言っても、犬山遊園から動物園までは、二〇〇三年に既に乗車している。しかし、乗り潰しの旅を始める前の乗車となるため、ガンモとしては乗り潰しとしての正式な記録を残しておきたかったらしい。ちなみに、過去に乗車したときの写真はこちらをご参照あれ。

 実は、名鉄モンキーパークモノレール線の車両を初めて見たのは、沿線の成田山に初詣に出掛けられた方が、インターネットに写真を公開されているのを拝見したことがきっかけだった。おサルさんの絵が描かれた豪快なラッピング車両に驚いたのだが、その画像を拝見したのがちょうど申年だったので、私はてっきり申年にちなんでおサルさんの絵が描かれているものと思い込んでいた。しかも、その写真を撮影し、インターネットに公開されていた方は奇しくも申年生まれだった。だから、申年にちなんだイベントとして思い出に残すために写真に収め、インターネットに公開されているのだと思っていたのだ。しかし、実際はそうではなく、名鉄モンキーパークモノレール線が日本モンキーパークという動物園と犬山遊園の間を往復しているモノレールであるため、おサルさんの絵が描かれていたのである。

 今回乗車したのは、おサルさんの絵というよりも、カラフルなジャングルの絵といった印象を受けた。私たちにとってはおよそ五年振りの乗車となったわけだが、お天気も良く、桜も満開だったので、遊び心いっぱいのモノレールに乗車しているというだけでも、うきうきした気分になった。念のためにお断りしておくが、「うきうき」であって、決して「ウキーッ」ではない。車両もレールも少々古い感じは否めないが、それだけ歴史を感じさせてくれる乗り物だった。車両に備え付けのシートにさえ、おサルさんの絵が描かれていて、まるでおサルさんたちと一緒にモノレールに乗っているような楽しい気分になる。

 このような楽しい路線が廃線になってしまうのは、実に寂しいものである。もしも遊園地にあまり人が入らないことが廃線の原因だとすると、おそらくそれは少子化の影響であり、子供を産んで育てていない私にも責任があることになる。それを考えると、何だか複雑な気持ちになってしまうのだが、こうして乗車しているのだから、良しとすることにしよう。

 今回は日帰り旅行のため時間がなかったので、日本モンキーパークには入場しなかった。五年前に入場したときの感想を正直にここに書いてしまえば、捕獲したおサルさんたちが逃げ出さないように柵に電流を流しているのは、人間たちの傲慢だと感じた。動物たちは、餌を保証される代わりに自由を奪われている。動物園に足を運ぶと、自由ではあるものの、餌にありつけずにいつもお腹を空かせているのと、動物園に入り、餌は保証されるものの、自由を奪われてしまうのと、動物たちにとってはどちらが幸せなのだろうといつも考えてしまう。そして、それらを突き詰めて考えて行くと、我が家のベランダにいる鳩たちに餌を与えることは、彼らを甘やかしていることにも繋がっていると自覚するのだった。

 五年前に訪れた日本モンキーパークの代わりに、今回は途中の成田山で下車し、参拝した。明日はその模様をお伝えすることにしよう。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合は、さらば名鉄モンキーパークモノレール線をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 行楽シーズンの到来ですね。お昼ごはんを食べる時間がなかったので、高山線の中で、岐阜で買った行楽弁当を広げてもぐもぐ食べました。とてもおいしかったです。(^^) 三月末の服装で出掛けたところ、外はとても暖かかったので、ジャケットを腰に巻いて動き回っていました。さすがに帰りは寒くなったので、再びジャケットを羽織りました。この時期、昼間は薄着で過ごせても、夜はまだまだ寒いですよね。ついつい薄着で出掛けてしまって、体調を崩したりなさいませんよう、十分お気をつけくださいね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.04.04

ホットヨガ(一〇〇回目)

映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 主人公が長距離を移動しながら物語が進行して行く映画の形式をロードムービーと呼んでいるそうですが、この映画はまさしくロードムービーとして仕上がっていました。エリザベスの滞在先が変化する度に彼女の周りにいる人たちがどんどん切り替わって行くのに対し、カフェのオーナーであるジェレミーはずっと同じ場所に滞在しながらも、彼女との交流は途絶えません。そのあたりの作り方も実にうまいと感じました。まるで、いったん左右対称に組み上げたあと、少しひねりを加えたような作りの映画でありました。さて今回は、ホットヨガのレッスンのお話です。

 ホットヨガの記念すべき一〇〇回目のレッスンは、木曜日の夜に神戸店で脂肪燃焼コース2のレッスンを受けた。最近は仕事がそれほど忙しくない上に、木曜日の夜のレッスンは参加者が少ないということがわかったからだ。

 受付でロッカーの鍵を受け取ったとき、スタッフの方から、今回のレッスンの参加者がわずか五名であることを聞かされ、その人数の少なさに小躍りした。とは言うものの、先週の木曜日のレッスンでわずか四名というぜいたくなレッスンを体験してしまったものだから、四名から一名増えていることに対し、少しがっかりしてしまう気持ちも同時に芽生えた。

 着替えを済ませてスタジオに入ろうとすると、今回のレッスンを担当してくださるインストラクターとばったり会った。先週の土曜日のレッスンを担当してくださったインストラクターだった。彼女は、先週の木曜日のレッスンのときに私が少ない人数でレッスンを受けられることを喜んでいたのを知っていたので、
「今回も少ないんですよ」
とおっしゃった。私は、今回も人数が少ないことに対し、喜びを表現しながら、
「○○さんは、見栄を張って、ヨガマットを二枚追加されたみたいですけど、今回はどうですか?」
と尋ねてみた。○○さんと言うのは、先週の木曜日のレッスンを担当してくださったインストラクターである。今回のレッスンを担当してくださったインストラクターは、見栄を張っても仕方がないので、きっちり五枚分用意したとおっしゃった。
「人数が少ないので、取りたいポーズがあったらおっしゃってください」
と言ってくださったのだが、すぐには思い浮かばなかった。

 スタジオに入ってみると、広々としたスタジオにヨガマットが五枚敷かれていた。もちろん、インストラクターの使用するヨガマットは別である。レッスン開始まであと十五分もあったが、既に私以外の参加者はスタジオに入り、スタンバイされていた。つまり、五人の参加者の中で一番最後にスタジオに入って来たのが私だったというわけである。当然のように、空いているヨガマットの目の前の鏡には継ぎ目があった。私は、「残り物にも福が来ますように」と願いながら、空いていたヨガマットに腰を下ろした。

 比較的早い時間に参加者全員が揃ったので、インストラクターが、
「皆さん、お揃いのようですので、時間は少し早いのですが、早めにレッスンを始めたいと思います。よろしいですか?」
と尋ねてくださった。私たちは全員、こっくりとうなずいた。こうして、少し贅沢なレッスンが、いつもよりも少しだけ早い時間に始まったのである。

 まずはいつものようにカパラバティ呼吸から始まった。カパラバティ呼吸は、大きく息を吸い込んだあと、お腹をポンプのようにして息を少しずつ吐き出して行く呼吸である。インストラクターが、
「二十回の呼吸が辛い方いらっしゃいますか?」
と聞いてくださったので、先週の土曜日のレッスンで、二十回の呼吸が苦しく感じてしまった私は素直に手を挙げた。しかし、手を挙げたのは私一人だった。そこで、私だけ自分の可能な回数でカパラバティ呼吸を実践してもいいことになった。

 また、ポーズを取るレッスンが始まってみると、私ともう一人の方以外の三人は、ブロックも使わずにポーズを取っていることがわかった。脂肪燃焼コース2のレッスンでは、ポーズを取るときの補助としてブロックを使っていいことになっている。しかし、身体の柔らかい熟練者は、ブロックが目の前に用意されていたとしても使わない。私はいつもブロックを使うのだが、今回のレッスンでは、三名の方がブロックを使わずにレッスンを受けていたということだ。

 それだけではない。脂肪燃焼コースが終盤に差し掛かる頃に取る、足を前に伸ばしたテーブルのポーズ(正式なポーズ名は失念)は、お腹に強い力が入るため、第二チャクラが弱い私が取るにはとても厳しいポーズだ。そこで私はいつも、テーブルのポーズで代用させてもらっている。しかし、私以外の人はみんな足を前に伸ばしたテーブルのポーズを取っていた。

 ヨガマットの件と言い、カパラバティ呼吸の件と言い、当たり前のようにブロックに頼っていることと言い、テーブルのポーズで代用させてもらっていることと言い、私だけが何となく、他の方たちよりも遅れを取っているような気がしてならなかった。それでも、今回のレッスンでは、夜にしてはたくさんの汗が出て来た。新月が近くなっていることと、レッスンを受ける前に毒出しホットジュースを飲んだことも原因の一つかもしれない。

 レッスンを終えて、シャワーを浴びたあとロッカーの鍵を受付に返しに行くと、先週の木曜日のレッスンを担当してくださったインストラクターが受付にいらっしゃった。彼女は、今月一日の映画サービスデーに仕事が休みだったので、『ダージリン急行』を観に行かれたそうだ。彼女曰く、インドの方たちは、外国人に出会うとじっと見入る習性があるそうだが、『ダージリン急行』の中にもそうしたシーンがあり、妙に受けてしまったらしい。なるほど、同じ映画を観たとしても、まだインドに足を運んだことのない私には、引き出せない感想だった。

 私は、『ダージリン急行』で観た第三の目を付けるシーンが気になっていたので、彼女に尋ねてみた。すると彼女は、インドでは、たいていどこの家にも祭壇があり、祈りを欠かさないようにしているので、そのために付けているのではないかとおっしゃった。

 他にも、私が見落としているシーンの感想が出て来て驚いたのだが、同じ映画を観ても、感想がまったく同じというわけではなく、自分とは違った感想が引き出され、新たな気付きを与えてくれるのは面白い。もちろん、マニアックな部分での共感は、人と人を強く結びつけて行くことには変わりがないのだが、何においても、単に共感だけでなく、お互いが見出したものを示し合うような交流が実現できるなら、きっと楽しいことだろう。そうした交流を実現させるためには、自分自身の器を広げる覚悟も必要だということも忘れてはならない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 少ない人数のレッスンは、やはり魅力的ですね。しかし、今回のレッスンでは熟練者の方が多く、私はちょっぴり落ちこぼれ気味でありました。(苦笑)神戸店における脂肪燃焼コース2のレッスンも、今月いっぱいで終了してしまうわけですが、今回のレッスンのように熟練者が多くなって来ると、同じレッスンに参加し続けるのは物足りないと感じられる方も出て来るのでしょうね。私たちは、一秒たりとも立ち止まってはいないのだなあとつくづく実感させられます。私には名残惜しい脂肪燃焼コース2のレッスンですが、参加できる限り、参加して行きたいと思います。

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2008.04.03

映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』

何度でも出会う運命の人の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 今になってみれば、残してはいけないと、ご飯を一生懸命、ゆっくりと口に運んでいたことが懐かしく思い出されます。少々大袈裟かもしれませんが、それがこのような結末に繋がっていたのですから、人生とはわからないものですね。ご飯を食べ終えてから最寄駅に着くまで、本当に苦しかったです。単に頭が痛いだけでもこれだけ苦い経験になってしまうのですから、常に身体が健康であることはとても大切なことなのだと思いました。視界に入って来る景色さえも違って来ますから。女性の皆さん、ホルモンバランスの崩れには十分ご注意ください。さて今回は、映画のレビューをお届けしますね。

 この映画を観たのは、ちょうどガンモが鳥取に出張に出掛けているときのことだった。正直に書いてしまうと、予告編を観たときには、それほど観たいと思えるような映画ではなかった。しかし、このまま家に帰ってもガンモはいない。それならば、映画をもう一本観て帰ろうと思い、一日に観る映画としては自己最高記録の三本目の映画として、レイトショーで鑑賞したのだった。さすがに、一日に三本も映画を観るのはかなり疲れが出てしまうものだが、鑑賞しているうちに、予告編から抱いていた印象はどこかに消えてしまい、いつの間にかこの映画の世界に引き込まれていた。そして、映画を観終わる頃には、絶対にこの映画のレビューを書こうと心に決めていたのである。

 この映画は、アメリカが舞台だというのに、全体的にアメリカ映画とはどこか違う雰囲気が漂っていた。帰宅してからインターネットで調べてみると、この映画の製作国は香港/中国/フランスとなっていた。アメリカが舞台の映画なのに、何故、アメリカ映画ではないのだろう? 答えはすぐにわかった。この作品の映画監督は、中国・上海出身のウォン・カーウァイ監督だったのだ。私が彼の過去の作品で観ているのは、男性同士の愛情を描いた『ブエノスアイレス』だ。私には、ウォン・カーウァイ監督は、人間の感情を丁寧に描き出す監督として映っている。

 出演者がまたいい。カフェのオーナーをロンドン出身のジュード・ロウが演じている。彼の熱心なファンのために、ごく控えめに言っておこう。おそらく私は、彼のことが好きである。特に彼目当てでなくても、彼の出演した作品はいくつか観ている。『イグジステンズ』、『A.I.』、『ホリデイ』、『オール・ザ・キングスメン』などの作品である。おそらく、もうすぐ公開される『スルース』も観ることだろう。そして、失恋した女性を演じているのが歌手のノラ・ジョーンズだ。この映画の予告編やポスターからも容易に想像できる通り、この映画が最終的に行き着くところは、ジュード・ロウ演じるジェレミーとノラ・ジョーンズ演じるエリザベスとの恋物語である。しかし、二人がすぐにはくっつかないところにこの映画の面白さがある。

 実際の恋愛においても、きっとそうに違いない。いくら失恋したことがきっかけで急接近したとは言え、長続きする恋愛に発展させるためには、一方の感情がひどく落ち込んだままでいては、もう一方に依存する関係になってしまう。お互いが自立した関係を築いて行くには、彼女は過去の痛みを手放す必要があったのだ。やがて彼女は、過去の痛みを手放すための旅に出ることになる。

 彼女は滞在先で、自分と同じように痛みを抱えた人たちに出会って行く。このあたりの展開も実に良く出来ている。「人の振り見て我が振り直せ」ということわざがあるが、結果的に彼女の痛みを癒したのは、彼女と同じように、心に痛みを抱えた人たちが彼女の鏡になってくれたからではないだろうか。決して自分だけが大きな痛みを抱えて生きているわけではないということに、彼女は気づいて行ったのだろう。

 この映画の中には、恋愛の醍醐味が宝石のようにちりばめられている。例えば、カフェのオーナーであるジェレミーは、これまでたくさんの客から預かったいくつもの部屋の鍵を大事そうにビンの中に入れて保管している。一つ一つの鍵にはそれぞれの愛の物語があり、ジェレミーはそれらをちゃんと記憶している。

 何故、すべての鍵を大事に取っておくのかと尋ねるエリザベスに、ジェレミーは「何故って、扉が閉まっていたら困るだろ?」と言う。実はこの言葉、ジェレミー自身の言葉ではない。ネタバレになってしまうのだが、彼が昔付き合っていた恋人が彼に言った言葉なのだ。そう、私が恋愛の醍醐味として、何を挙げておきたいか。それは、例え男女としての付き合いが幕を閉じてしまったとしても、二人が共に過ごした時間は、お互いの言葉や行動の中に自然に溶け込む形でずっと残って行くということだ。つまり、人と付き合うということは、知らず知らずのうちに互いに影響を与え合っているということである。相手の言葉が自分の言葉になってしまうほどに。ジェレミーがエリザベスに扉のことを話して聞かせたのは、今でも彼の中に、元恋人への想いがちょっぴり残っているからに他ならないだろう。

 実際、その元恋人がジェレミーに別れを告げるために店にやって来る。そのとき、ジェレミーと元恋人は別れのキスを交わす。そのキスがまた自然でいい。これから別れようとしているのにキスを交わすなんて、通常では考えられないことである。しかし、この映画の中で起こるとなると、ごく自然な出来事として受け入れられるのだ。

 旅に出たエリザベスは、旅先からジェレミーに手紙を書く。エリザベスが旅に出る前から、二人の間には既にちょっぴり恋愛めいたものが始まっていた。だからジェレミーはエリザベスの居場所を突き止めようと躍起になる。しかし、そんなことをしなくても二人は・・・・・・。

 ううん、とにかくわくわくするような、いい映画である。ジェレミーとエリザベスのキスシーンが、まるでジグソーパズルを並べているかのような映像に仕上がっている。予告編でそのシーンを観たとき、私はてっきり絨毯の上に寝転がってキスしようとしているのだと思い込んでいたのだが、実際は違っていた。なるほど、ジェレミーがエリザベスにキスをしたのは、エリザベスの口の周りについたブルーベリーの食べかすをきれいに取ってあげるという大義名分があったのだ。私は、鳩の父ちゃんや母ちゃんがチョンチョン、チョンチョンと嘴(くちばし)を使ってお互いの身体の汚れを取っている姿と重ねた。そう考えると、自分の口を使って食べかすを取ってあげるような行為は、ちょっぴり動物的と言えるのではないだろうか。そういう愛情表現の仕方が、現代の私たちには、とても新鮮に映って見えたのだった。

 もしかすると、ジェレミーが一回目にキスをしたとき、エリザベスは気付いていたのに気付かない振りをしていたのだろうか? もしも本当は気付いていたのだとしたら、そのあとすぐにエリザベスが旅に出掛けて行ったことと言い、二人の間には余裕のある確かな恋愛が始まっていたに違いない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最近、あちらこちらの映画でご活躍のナタリー・ポートマンも出演されていました。彼女はショートヘアがとても良く似合いますね。私は個人的に、ジェレミーがエリザベスを探すために、あちらこちらのお店に電話を掛けまくっているシーンが好きです。あのシーンには、ちゃんとオチもありましたね。ジェレミーとエリザベスがそれぞれ鼻血を拭くシーンも良かったです。しかも、二人とも同じ時期に鼻血を出したばかりか、鼻血の出ている鼻が左右対称なんですよね。これから始まりそうな恋を予感させながらも、観客を決して裏切らない、実に良く出来た映画だと思いました。

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2008.04.02

何度でも出会う運命の人

特急料金の要らない新幹線の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 記事を書いたあと、かっぱ寿司の特急レーンについて書かれたブログを検索エンジンで検索して拝見したところ、注文の品が新幹線に乗せられてやって来るときに、「間もなく電車が参ります」というアナウンスを流して欲しいと書かれている方がいらっしゃいました。「なるほど!」と思いましたね。それが実現されると、きっと楽しいはずです。普段は別の世界で活躍しているものに遊び心が加えられて、意外な場所で出会えるのはうれしいものですよね。

 プロゲステロンクリームの使用を再開してから、生理前後の頭痛は治まって来たかのように思えたのだが、実はまだ完全に治ったわけではなかった。生理を目前に控えて、私は再び本格的な頭痛に悩まされていた。

 そんな状況の中、仕事を終えてガンモに電話を掛けてみると、まだ上がれないと言う。いつもならば、ガンモの仕事が終わるのを一時間でも二時間でも待てるのだが、何しろ頭痛がひどい。そこで私は、一人で三宮で晩御飯を食べてから帰宅することにしたのである。しかし、激しい頭痛のために、お店に入ってもご飯を食べるのがやっとだった。私は、せっかく注文したご飯を残したくはなかったので、ゆっくりと時間を掛けてようやく平らげた。

 それから私は三ノ宮駅の改札をくぐり、新快速電車に乗って途中の駅まで移動したあと、普通列車に乗り換えた。最寄駅に着いてからは、頭痛のために顔を歪めながら、重い足取りで駅の階段を足をひきずるようにして下りていた。すると、反対側の階段から見覚えのある人が降りて来たのだ。何と、ガンモだった。私たちはあまりもの偶然に驚き、しばらく声を出すことができなかった。

 「びっくりしたあ」
とガンモが最初に口を開いた。私がゆっくりと晩御飯を食べているうちに、ガンモは仕事を片付けて私と電車に乗っていたのである。しかしガンモは、私が既に帰宅しているものと思い込み、また、同じ職場の人と同じ電車に乗っていたことから、私に電話を掛けて来なかったらしい。

 私が三ノ宮駅から新快速電車に乗ったのに対し、ガンモは三ノ宮駅から普通列車に乗ったのだそうだ。つまり、私は途中の駅でガンモの乗った普通列車に乗り換えたことになる。三ノ宮から大阪方面への電車など、数分おきに発着しているというのに、またしてもガンモとばったり出会ったのである。

 ガンモは、頭痛のために私が苦しそうにしているのを見破った。いや、見破ったと言うよりも、私が重い足を引きずりながら、苦痛のために顔を歪めているのを見て、お腹がひどく空いて歩けないのかと思ったらしい。

 一方、私はあまり言葉を発することができなかったが、ガンモの顔に付いている黒いすすのようなものが気になっていた。顔に黒いすすが付いていることに気が付いていないガンモを見ていると、少し前に、父ちゃんやキッコロが同じように顔や身体に黒いすすのようなものを付けておすまし顔でいたことを思い出した。私はガンモに、
「いつかの父ちゃんたちみたいに、黒いすすのようなものが顔に付いているよ」
と指摘した。しかしガンモは、黒いすすには心当たりがないと言った。

 それから私たちは、不在時に配達された書留郵便を受け取るため、わざわざ遠回りをして郵便局に立ち寄った。郵便局は、私たちが普段利用しているJRとは異なる路線の駅前にあるため、家を空けることの多い私たちにとってはちょっぴり不便な場所にある。

 その帰りに、普段利用していないスーパーに立ち寄って買い物を済ませた。郵便局からの帰り道にあるそのスーパーは、食料品がとても安い。買い物をして夜風に吹かれながら帰宅しているうちに、私の頭痛は少しずつ治まり、帰宅してしばらくすると、いつもの私に戻っていた。

 折しも、私が参加しているMLで、生理前後の偏頭痛のことが話題になっている。やはり、多くの人たちがプロゲステロンクリームを使用することで生理前後の頭痛の症状が緩和された実績があるようだ。私はその反対で、プロゲステロンクリームの使用を止めたことで頭痛がひどくなってしまった。だからやはり、身体の中がエストロゲン優勢に傾くことで、頭痛に悩まされることになるのだろう。私は今、半年近くもの間、プロゲステロンクリームの使用を中止したことによる影響の大きさに驚いている。つまり、すぐには取り戻せないということだ。ホルモンバランスの崩れは思っていた以上に恐ろしい。

※注:「さんのみや」については、地名を表す場合は「三宮」と表記し、JRの駅名を表す場合は「三ノ宮」と表記しています。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私はてっきり、ガンモはもう少し仕事に時間が掛かるだろうと思っていたので、最寄駅の階段でばったり会ったときは驚きました。それにしても、ガンモとは本当に良く出会いますね。出会うということは、時間軸と座標軸が一致しているということであります。しかも、合わせようとして計算しながら行動しているわけではなく、計算もしていないのにピタッと合うのです。ただ、私が頭痛に悩まされていなければピタッと合わなかったであろうことを思うと、ちょっぴり悔しい気もします。今回の場合、晩御飯を食べるのにゆっくりと時間を掛けていなければ、起こり得なかったことなので、あたかも始めから私の頭痛が計算されていたかのようです。

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2008.04.01

特急料金の要らない新幹線

突然始まる展覧会の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 実は、インターネットで購入した教材以外にも、私には秘密兵器があるのです。(笑)それは、購入した教材の発案者の方が推薦されている英英辞典であります。英単語の意味が日本語で書かれているものは英和辞典ですが、ご存知のように、英英辞典には英単語の意味が英語で書かれています。英英辞典を使いながら、単語の意味を英語で理解しようとすることによって、次第に英語脳が出来上がって行くそうです。ちなみに、購入した英英辞典には、パソコンにインストールして使える英英辞典が付録で付いていたので、それをノートパソコンに入れて使っています。

 少し前の休日のことである。ガンモの運転する自家用車に乗って、晩御飯を食べに出掛けた。私たちが休日に晩御飯を食べに出掛けるとなると、行き先はたいてい回転寿司と決まっている。私たちは二人とも回転寿司が大好きなのだ。

 いつもならば、自宅近くに二店舗ある回転寿司のうち、どちらか一方に足を運ぶのだが、ガンモは何やら急に思い立ったように、
「尼崎のかっぱ寿司に行く」
と言い出した。
「かっぱ寿司?」
と私は聞き返した。何故なら、自宅近くにはかっぱ寿司がないため、回転寿司好き夫婦といえども、これまでほとんど馴染みがなかったからだ。

 それにしても、ガンモはどうして急にかっぱ寿司に行くなどと言い始めたのだろう。不思議に思ってガンモに尋ねてみると、どうやらガンモが交流している鉄道ブログ仲間のブログにかっぱ寿司のことが紹介されていたらしい。ガンモは、
「特急レーンを新幹線が走ってるんだよ」
と私に説明してくれた。特急レーン? 新幹線? いきなりそんなことを言われても、ガンモの鉄道ブログ仲間のブログに目を通していない私はなかなかイメージをつかむことができなかった。そこで、百聞は一見にしかずということで、私は素直にガンモの提案に従うことにした。

 しかし、尼崎のかっぱ寿司に出掛けて行くことを突然、思い立ったものだから、地図も用意していなければ、お店の正確な名前もわからないと言う。そこで、私の携帯電話と年代物のカーナビを駆使して、店内に新幹線が走っていそうなかっぱ寿司を探し当てたのである。

 店内に入ってみると、やはり混んでいた。週末の夜の回転寿司はどこも混んでいる。しかし、混んでいる割には次々に名前が呼ばれている。さすが、回転寿司というだけに、利用客も回転しているようである。混雑しているにもかかわらず、それほど待つこともなく、私たちの名前が呼ばれた。

 私たちが腰を下ろしたのは、カウンター席だった。しかも、厨房に近い場所である。ふと見ると、な、何と、かっぱの運転する新幹線がお寿司を運んでいるではないか。私たちが座った席は、新幹線の発着場所になっていたので、新幹線の様子が良く見えた。ここに来てようやく特急レーン、新幹線というキーワードがようやく繋がった。

※以下にいくつか画像をご紹介しますが、新幹線の動きが速いため、ガンモがマニュアル撮影しようと、私のデジタルカメラを取り上げて、勝手に設定を変えてしまったため、露出がずいぶん狂ってしまっています。ごめんなさい。m(__)m

注文の品を素早く運ぶ特急レーン

新幹線は、高架の上を走っている

 かっぱ寿司では、通常のレーンに回っていないお寿司を注文することができる。利用客からお寿司の注文を受けると、厨房に控えているスタッフが注文の品をさきほどの新幹線に乗せて、特急レーンで運んでくれるのである。新幹線の特急レーンは、通常のレーンの上にあるので、ちょうど新幹線の高架のようにも見える。特急レーンという名前が付けられている通り、新幹線の動きはすこぶる速い。しかし、特急料金は要らない。

注文の品を運ぶ勇姿

 注文の品を乗せた新幹線は、注文した利用客の席の前で確実に停車する。利用客は注文の品を受け取ると、新幹線を厨房に返すために手前の赤いスイッチを押す。すると、新幹線は再び厨房に帰って行くという仕掛けになっている。この流れが面白いため、在来線のレーンを回っている寿司よりも次々に新鮮な品を注文してしまう。まるで、みんなで一台の新幹線を取り合っているような感じだ。いやはや、何とも楽しいではないか。

 ちなみに注文は、席の前にある液晶タッチパネルを操作して行う。私たちの自宅近くにも、液晶タッチパネルで操作する回転寿司があるのだが、かっぱ寿司に設置されている液晶タッチパネルは解像度が高く美しい。また、「おあいそ」を申し出るときも、わざわざ店員さんを呼び止める必要がないので、ストレスを感じない。忙しそうな店員さんを呼び止めるのは躊躇してしまうものだが、液晶パネルで簡単に店員さんを呼び出せるとなると、いくらか気持ちも楽なのだ。

解像度の高い液晶タッチパネル

 昔に比べれば、回転寿司はずいぶん進化したものだ。学生の頃、下北沢や渋谷の回転寿司屋に何度も足を運んだことを思い出す。既にあれから二十年以上経過しているはずなのに、回転寿司の一皿の値段はほとんど変わっていないばかりか、むしろ値下がりしているように思えるのも、回転寿司が人々に長く愛され続けていることの証なのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 撮影したときの露出が狂っていたため、写真の色がひどく悪くて本当に申し訳ありません。これでもずいぶん調整したのですが、これ以上はいじらないことにします。上が新幹線の高架で、下が在来線になっていると想定すれば、本当に良く出来ていると思いました。これで、在来線のレーンを普通列車のプラレールが運んでくれていたら、鉄道好きにはたまらない回転寿司屋になることでしょう。(笑)

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