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2008.04.26

映画『犬と私の10の約束』

タケカワユキヒデコンサート ~神戸から叫ぼうビューティフルネーム~の記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方から応援クリックを賜り、心より御礼申し上げます。私と同世代の方もたくさんいらっしゃるのかもしれませんね。ゴダイゴが大好きだった中学生の頃は、月々のお小遣いが何千円という時代でしたので、田舎に住んでいた私は大都市で行われているコンサートに行きたくても足を運ぶことができませんでした。だから、大人になって、こうして複数回に渡り、自分の想いを遂げることができることは、本当に喜ぶべきことなのであります。中には一度解散してしまうと、グループとしての活動を完全に停止させてしまうアーチストもたくさんいらっしゃいますよね。そういう意味では、現在住んでいる場所も含めて環境にも恵まれていると言っていいのかもしれません。

 休日ともなると、一日に二本もしくは三本の映画を観ているため、レビューの記事がなかなか追いつかない。他に観ている映画もたくさんあるのだが、今回は、一週間前にガンモと一緒に観た映画『犬と私の10の約束』のレビューを書かせていただくことにしよう。

 この映画が公開されることを知ったのは、確かまだ去年の秋頃のことだったと思う。犬好きの私は、映画館に設置されていたチラシに、かわいらしい犬の写真が掲載されていたので、思わず手を伸ばしてチラシを手にしたのだ。それが、この映画のチラシだった。そのチラシには、犬の十戒が綴られていた。その内容に目を通したとき、思わずぐっとこみ上げて来るものを感じ、この映画が公開されたら絶対に観に行こうと心に決めていたのだった。公開時期が近付くにつれ、どうやらガンモもこの映画に興味を示したようである。そこで私は、派遣会社の福利厚生ページから、前売券を購入しておいたのである。

 しかし、ようやくこの映画が公開されたものの、所用でなかなか二人揃って鑑賞の時間を取ることができず、公開からおよそ一ヶ月も経過して、ようやく観に行くことができた。さすがに公開から一ヶ月も経つと、神戸市内の映画館では上映時間が限られてしまうため、私たちは買い物がてら、大阪の梅田まで出向いたのだった。

 犬を飼った経験のある人ならば、この映画を観ると、自分自身の経験と照らし合わせたくなるのではないだろうか。私自身もこれまでに二回、飼い犬との辛い別れを経験している。小さい頃に飼っていた黒爪の「チロ」という犬、それから、中学の頃から買い始めた、タケの息子さんの名前からもらった「ギョウ」という犬だ。チロが亡くなる前はひどく衰弱しつつも、独りで静かに永眠できる場所を探し求めていたように思う。私の誕生日に亡くなったチロは、もしかすると私の身代わりになってくれたのではないかと母は言っていた。

 この映画に登場するソックスと、私が中学の頃から飼い始めたギョウは、犬の種類は違うものの、飼い主との関係が良く似ている。映画の中では、ソックスの飼い主であるあかりが、大学卒業後、就職のために実家を離れることになる。ギョウの飼い主である私も、高校を卒業したあと、実家を離れることになった。

 飼い主の長期不在により、飼い犬は、これまで長い時間をともに過ごして来た飼い主よりも、実家に残っている家族と過ごす時間のほうが長くなって行く。映画の中では、犬の苦手なはずのあかりの父とソックスという新たなペアが誕生することになる。私の実家でも、私の替わりに主に母がギョウの世話をしてくれていた。

 犬の十戒によれば、犬は十年くらいしか生きられないとされている。しかし、かつて飼い犬と多くの時間を過ごしていた子供だって、歳を重ねれば、飼い犬以外にも大切にしなければならない対象が増えて来る。だから、犬の十戒にある「あなたには学校もあるし友達もいます。でも、私にはあなたしかいません」という言葉が切なく胸に響いて来る。そう、私たち人間が歳を重ねるごとに自分の世界を広げて行くのに対し、犬はいつまでも自分の世界を広げはしない。だから犬は、飼い主と小さい頃に出会ったままの状況で大きくなって行くのだ。言い換えれば、犬にとって飼い主は、ずっと一番の対象であり続けるということだ。

 歳を重ねるにつれて、ソックスに対するあかりの態度が次第に消極的になって行くのも良くわかる。私もギョウに対し、実家にいるときも、散歩に連れて行くのを面倒臭がったり、餌を与えることを後回しにしたりした。つまり、ギョウとの関係よりも、自分の世界を拡大することを優先させてしまったのである。

 しかし、飼い犬と長い時間を過ごさなくなると、やがて飼い犬との辛いお別れの時期がやって来る。旭川で仕事をしていたあかりは、函館の実家にいるソックスの最期に間に合う。しかし、東京に住んでいた私は、ギョウの死を母からの電話で知ることになった。当時の私には、子供の頃、良く一緒に眠っていたギョウの孤独な死の衝撃が大き過ぎて、仕事を休んで自転車で遠出をし、自宅から遠く離れた場所でひっそりとギョウのことを想った。

 犬の一生はとても短い。その短さに耐えられない人は、犬を飼うことから遠ざかる。しかし、そうした選択は、犬が献身的に捧げてくれる犬との大切な想い出さえも一緒に遠ざけてしまう。この二元的な世界にいる限り、常にプラスだけを選び続けることはできないのだ。

 この映画に残念なところがあるとすれば、あかりとソックスとの関わりを中心に描かれた作品であるためか、人間の死が意外にもあっさりと描写され、片付けられてしまっているところだろうか。ソックスが居てくれたからこそ、あかりが元気に生きて来られたというところの描写がもう少し丁寧であれば良かったのにと思う。

 とは言うものの、幼馴染のギター奏者である星くんとの恋はいい。音の記憶には、人の想いをも一緒に込められるということを、この映画は証明してくれているように思う。音楽を聴くことによって、当時の情景や感情がそのまま甦って来るのだ。実は私には、ソックスが旅立つシーンよりも、あかりと星くんの子供時代を象徴する音楽やあかりの母が口ずさんでいた曲が流れたときのほうがたくさん涙が出て来た。

 ちなみに、あかりの子供時代の子役さんと成長したあかり役の田中麗奈ちゃん、そして星くんの子供時代の子役さんと成長した星くん役の加藤亮くんは、まったく違和感なく受け入れることができた。この配役は正解だと思う。

 映画を観終わって席を立とうとしたとき、ふとガンモの横顔を見てみると、目がウルウルしていた。ガンモに、
「泣いてるの?」
と尋ねると、
「俺は泣きに来たんだから」
と言った。最近のガンモは、映画を観てメロメロに泣かされてしまいたいらしい。そしてこの映画は、そんなガンモの願いを無事に叶えてくれたようだ。

 普段、ミニシアター系の映画を中心に、人間の感情が細やかに表現された映画を鑑賞している私からすると、この映画は大多数の人たちに向けて作られているために、細やかな描写という面では少々物足りないと感じるところもあった。そういう意味では、いくつか突っ込みどころのある映画と言えるのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 犬を飼うということは、犬に首輪を付け、ロープで縛って自由を奪うわけですから、私たち人間は、奪った犬の自由に対し、常に責任を負うべきなのですよね。それなのに、子供の頃は真剣にかわいがって世話をしても、歳を重ねるごとに、犬との関係は薄くなりがちです。しかし、犬は十年くらいしか生きられないのです。そのことがわかっているのに、最期を迎えるときに慌てふためいてしまう人間は、少々滑稽かもしれませんね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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