映画『アメリカン・ギャングスター』
※ホットヨガ(九十三回目/九十四回目)の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 通勤途中の見知らぬ男性の言葉には参りましたね。良くもあんな表現を思いつくものだと感心してしまいました。でも、例えば私が、いかにも旅に出掛けて行くことがわかるように、スーツケースをコロコロと転がしていたならば、彼は何と言って話し掛けて来たのでしょうか。それを考えると、彼のあの言葉は、「旅行に出掛けて行くのではないにしては、ずいぶん荷物が多いね」という遠回しの表現だったと思うのです。

ホットヨガのレッスンのあと、私は三宮界隈の金券ショップを渡り歩いていた。土曜日だったが、夕方から深夜に掛けてガンモに仕事の予定が入っていると聞いていたので、映画を二本観てから帰宅しようと思っていたのだ。現在公開中の映画であっても、金券ショップで格安の前売券を購入できることがある。映画をたくさん観たいと思うと、ついつい格安の前売券を手に入れたくなるのだ。
私はある金券ショップで、公開されたばかりの『ライラの冒険 黄金の羅針盤』の前売券を、派遣会社の福利厚生ページよりも安い千百円で購入することができたことを喜んでいた。昼間の明るいうちに、『ライラの冒険 黄金の羅針盤』を観ておいて、休憩を挟んだあと、千二百円で観られるレイトショーで別の映画を鑑賞すれば、満足して帰宅できるだろうと思っていたのだ。
ところが、『ライラの冒険 黄金の羅針盤』を上映している映画館に足を運んでみると、これまでにないほどの混雑ぶりだった。私はそれらの人たちの多くが『ライラの冒険 黄金の羅針盤』を鑑賞するために映画館に足を運んだに違いないと思い込んでいた。『ライラの冒険 黄金の羅針盤』は、公開前からの宣伝がずいぶん派手だったので、十分に有り得る話だと思っていたのだ。
しかし、いざ、受付カウンターで、さきほど購入した『ライラの冒険 黄金の羅針盤』の前売券を座席指定券に取り替えてもらおうとして、とんでもないことに気が付いてしまった。受付カウンターの横に、「サービスデー 千円」と書かれた札が立て掛けられているではないか。
そのときになって、私はようやく気が付いたのだ。毎月一日は、映画サービスデーであり、男女問わず、千円で映画が観られるということに。それなのに、私は数十分もの間、三宮のあちらこちらの金券ショップを渡り歩いて、格安の映画の前売券を探し回っていたのである。しかも、『ライラの冒険 黄金の羅針盤』の前売券を千百円で購入できたことを喜んでさえいたのだ。千円で映画を観られる日に、千百円の前売券を購入できて喜んでいた。ああ、情けない。
私は、受付カウンターの前でしばらく固まっていた。しかし、ショックのために直立不動の私のことなどおかまいなしに、とうとう私の順番が巡って来た。観たい映画を受付カウンターの女性に告げなければ・・・・・・。混雑しているので、受付カウンターの女性は私に決断を急いでいるようだった。映画を千円で観られる日に、千百円で購入した前売券を差し出すのはもったいない。そこで私は、上映スケジュールとにらめっこしながら、まだ観ていない、そして、まだ前売券を購入していない映画を一つ選んだ。その映画は先行上映の『ジャンパー』だった。私はその映画を鑑賞したが、ここにレビューを書くにはとても難しい作品だった。そこで、そのあとのレイトショーで観た『アメリカン・ギャングスター』のレビューを書いてみたいと思う。
映画サービスデーのことをすっかり忘れてしまっていたショックがあまりにも大きかったので、ついつい前置きが長くなってしまった。ちなみにこの映画は、公開されてから既に一ヶ月が経過している。それにも関わらず、たくさんの人たちがレイトショーに足を運んでいた。タイトルにもあるように、アメリカのギャングの話なので、私にとってはおそらく映画サービスデーでもなければ、観る機会に恵まれることのなかった分野の映画だろう。しかし、そんな先入観などまったくおかまいなしに、また、百五十七分という長い上映時間も気にならないほど、見ごたえのある映画に仕上がっていたのである。
この映画は、事実に基づいた作品なのだそうだ。ベトナム戦争を利用して大規模な麻薬密売ルートを築き上げた闇の帝王フランク・ルーカスを、映画『デジャヴ』のデンゼル・ワシントンが演じている。一方、警察関係者であっても、ギャングたちと利害関係を結ぶことが当たり前の時代に、正義を貫き通した刑事リッチー・ロバーツを、映画『シンデレラ・マン』のラッセル・クロウが演じている。二人とも、驚くほどそれぞれの役にぴったりはまっていた。私は、「ラッセル・クロウみたいな刑事さんは、絶対にアメリカにいる!」と心の中で叫びながら、この映画を観ていた。
最初のうちは、ギャングが主役の物語と刑事が主役の物語と、二つの物語が別々に進行しているかのように見えていた。そして、まるで下ごしらえをするかのように、二人を取り巻く周辺の物語が地道に描かれて行く。ギャングであるフランク・ルーカスについては家族や親戚たちとの繋がりが描き出され、刑事であるリッチー・ロバーツについては、別れた妻や同僚との繋がりについて描き出されていた。前者は次第に結束して行く繋がりだが、後者は解(ほど)けて行く繋がりだ。やがて二つの主人公の物語が交差するとき、いよいよ映画としての緊張感が高まって来る。
私は、アメリカ史上において、実際にこのような出来事が起こっていたということに対し、驚きを隠し切れなかった。ギャングと警察関係者の多くが利害関係で結び付いていたとは・・・・・・。それでは、ギャングも捕まらないし、世の中も良くはならないだろう。光よりも闇。とにかくそんな時代だった。警察には、別の事件の捜査の延長線上で発見した大金を署に届けたことが、いつまでも語り草になっている正義感の強いリッチーとは対照的な人たちばかりが揃っていたわけだ。
リッチーの取った行動に対し、私は「大金を見つけたのだから、警察に届けるのは当たり前だろう」という気持ちで観ていた。しかし、私の感覚がおかしいのか、この映画の登場人物たちは、そんなことをするリッチーが馬鹿正直なんだと言わんばかりの展開だった。もしも誰にも見つからないならば、最初から署に届けたりせずに、こっそり自分の懐に入れてしまうのが当然だと思っている人たちがいかに多かったかということだ。そんな考えの警察関係者が多かったから、警察関係者がギャングと利害関係で結び付いたとしても、おかしくはなかったのだろう。しかし、自分の周りがどのような人たちであろうとも、決して朱に染まって赤くなることのなかったリッチーは、いよいよフランクとご対面となる。
闇の帝王フランクは、刑事リッチーが自分がこれまで出会って来た刑事とはまったく違うことに気が付く。最初は
、正義感の強いリッチーを馬鹿にしているフランクだが、不思議なことに、対立していたはずの二人は、やがて手を取り合って一つの方向へと向かって行く。
フランクとリッチーは対照的な存在である。ギャングと刑事という立場からも、闇と光の正反対のエネルギーを持ち合わせているように見える。しかし、だからこそフランクは、逮捕されたあと、リッチーに協力したのではないだろうか。普段から大きなエネルギーを持っている人は、そのエネルギーが闇に傾いても光に傾いてもかまわないと思っている。例えベクトルは正反対だったとしても、相手の中に自分と同じものを見出し、わかり合えるのだ。
※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m フランクの逮捕をきっかけにして、検挙された警察関係者は相当な数に上ったようです。捜査に協力したフランクは、捜査への貢献が考慮されて、通常よりも早く出所できたとか。フランクが出所してからのことは描かれていませんでしたが、フランクとリッチーは親友にも匹敵するほどの友情を築き上げることができたのではないでしょうか。ベクトルの向きが正反対であっても、絶対値が近ければ、どういうわけか安心することができるのです。
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