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2008.02.17

映画『母べえ』

さらば三木鉄道の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m かなり鉄分の多い記事でしたので、とてもうれしく思います。きっと三月になれば、廃線前に乗り潰しておこうという人も一段と多くなるはずです。そして、もっともっとたくさんの感動的なドラマが生まれるのでしょう。私たちも、これまでいろいろな廃線を見送って来ましたが、その歴史を知らないのに、思わず感極まり、時には涙することさえあります。例えその路線と密接な関係になかったとしても、終わりは何だか物悲しいんですよね。

 派遣会社の福利厚生ページからは、時々思わぬ価格で映画のチケットが手に入ることがある。今回観た映画『母べえ』は何と九百九十円だった。ちょうどガンモもこの映画を観たいと言っていたので、ガンモと一緒に観るつもりで申し込んでおいたのである。

 時代は第二次世界大戦が始まる前の昭和十五年。父べえ、母べえ、初べえ、照べえと呼び合い、質素ながらも幸せに暮らしていた家族に、突然の不幸が降りかかる。ドイツ文学者である一家の大黒柱の父べえが反戦を唱えたとして治安維持法違反で逮捕されてしまうのだ。現代ではとても考えられないことだが、当時は言論の自由、思想の自由が認められていなかったため、自らの考えを自由に述べると逮捕されてしまうというようなことが起こっていたらしい。むしろ、こうした時代を乗り越えて来たからこそ、今のような時代に繋がっているのかもしれない。映画の中では、父べえの逮捕以降、母べえが二人の子供たちを立派に育てて行く様子が丁寧に描き出されている。

 不幸は、父べえの逮捕だけでは終わらなかった。父べえの長期不在のまま、間もなく戦争が始まってしまうのだ。私は戦争を知らない世代だ。だから、戦争というものに対し、今一つピンと来ない。働き盛りの男性たちが兵隊として招集されて行く。働き盛りの男性たちが家に居ないという点においては、父べえの長期不在と変わりがないのだが、当時の人たちは、お国のために戦争に出掛けて行くことは、大変名誉なことであると考えていたようだ。だから、何らかの事情で召集されない男性に対し、あたかも非国民であるかのような言葉を投げ掛けもする。犯罪者として捕らえられている父べえたちに至っては、「犯罪者に食べさせるような飯はない」とまで言われる始末だ。しかし、実際にすべての人たちがお国のために戦争に出掛けて行くことが名誉であると思っていたとは考えにくい。この時代、本音と建前をうまく切り分けることのできる人たちが太陽の光を浴びながら堂々と生きて、本音でしか生きられない人たちが日陰に回ることになってしまっているように思えるからだ。父べえも、建前を使えば家に帰ることができたのかもしれない。しかし、父べえは自分の考えを譲ろうとはしなかった。黒いものを白いとは言えない。そんな父べえのまっすぐな生き方を、彼を捕らえた人たちは、本当はうらやましく思っていたのかもしれない。

 母べえもまた、家の中では本音で生きることを教えていた。だから、娘たちが獄中の父べえに手紙を書くときに、心に思っていることをそのまま書けば良いと助言する。そして、周りから何と言われようとも、父べえは悪いことをして捕まったわけではないと主張する。その芯の強さに、私たちは心を打たれる。本音と建前で生きている人たちが多い中で、母べえや父べえの本音を貫く生き方が映えるのだ。

 この映画を観ていると、実の父でさえも母べえの味方になってくれないことを腹立たしく思うことだろう。母べえの実の父は警察関係者である。だから、自分の娘婿である父べえが逮捕されたことを心憎く思っている。それは、自分の立場を守るためでしかない。実の父もまた、建前で生きている人間だったのだ。建前で生きる父を持ちながらも、母べえが本音で生きることを選択したのは、母べえと父べえが本物の愛で結ばれていたことに他ならない。おそらく、母べえと父べえの間に建前など必要ないことが、とても心地良かったのだろう。

 母べえを取り囲む存在の中で決して忘れてはならないのが、父べえの教え子である山ちゃんの存在である。私は、○べえというニックネームが家族の間で流行っているのだから、山ちゃんも山べえで良いのではないかと思いながら観ていた。山ちゃんのニックネームに山べえが採用されなかったのは、家族と一線を置きたかったからなのだろうか。

 浅野忠信氏が演じている山ちゃんは、忠実にその時代を生きた男性像が再現されているかのようだった。果たして、浅野忠信氏以外に山ちゃんの役を演じ切ることのできる俳優さんがいるだろうか。そう、この映画はありとあらゆる人が適役を演じていたと思う。とりわけ、三十代からの母べえを演じた吉永小百合さんの演技は素晴らしい。彼女以外に、母べえの役を演じ切ることのできる女優さんがいるだろうか。鶴瓶師匠以外に奈良のおじちゃんの役を演じ切ることのできる俳優さんがいるだろうか。そして、でんでん以外に・・・・・・。

 私にとっては、時代背景を理解するのがなかなか難しい状況にはあったものの、建前で取り繕ろうとせず、本音で生き抜く家族の生き様をまざまざと見せ付けられた気がする。山ちゃんが母べえへの想いを必死に心に秘めていた設定もいい。金づちなのに、家族を海水浴に誘うなんて、普通ならできないことだ。例え逆境の中にあったとしても、一生懸命支えてくれる人たちに出会うことができて、母べえの人生は波乱万丈ではあったものの、きっと最期には幸せだったと言える人生だったに違いない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 予告編を観たときに、父べえが逮捕されるシーンが映し出されていました。一体どんな罪で逮捕されたのだろうと、実際に映画を観るまでわからなかったのですが、現代っ子の私が観ると、「なんでそんなことで逮捕されなければならないの?」という疑問を持ちました。しかし、かつては本当に「そんなこと」で逮捕されていたのですよね。こういう時代に学問を続けるということは、至難の業だったことでしょう。感情的に大きく盛り上がるようなシーンはなかったのですが、おそらく、当時の日本の様子が忠実に再現された映画なのだろうと思いました。私たちが歴史をとらえるときに、百年単位でとらえがちですが、わずか数十年前の日本は、今の日本とはまったく違う世の中だったのですね。過去を振り返るとき、失ったものもあれば、得たものもあると思います。だから、一概にこの時代が良いとは言い切れないのですが、思想の自由、言論の自由という点においては、現代のほうがずっと生き易いのは言うまでもありません。父べえも、今の時代に生きていれば、捕らわれることもなかったのです。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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