« ホットヨガ(九十回目) | トップページ | SPITZ JAMBOREE TOUR 2007-2008 "さざなみOTR" in 神戸 »

2008.02.19

映画『潜水服は蝶の夢を見る』

 ホットヨガのレッスンのあとは、いつものように神戸店のスタジオのすぐ隣の映画館に足を運び、観たい映画の入場整理券を発行してもらってから昼食をとった。ミニシアター系の映画館の多くは、指定席ではなく、受付で発行してもらった入場整理券の番号順に入場する仕組みになっている。しかし、私のように、上映の二時間前に足を運んだとしても、一番の入場整理券を獲得できないことがある。できるだけ良い席で映画を観たいと思う情熱がそうさせるのか、早い時間に映画館の窓口に足を運び、先に受付で入場整理券を発行してもらってから自分の用事を済ませる人が多いようである。かくいう私も、映画の上映まで二時間ばかりあったので、昼食をとってから「ガンまる日記」を書き上げた。書き上げたあとは、またしても映画の上映時間にちょうどいい時間となっていた。

 再び映画館に戻ってみると、いつになくたくさんの人たちがこの映画の入場待ちをしていた。いつもならば、観客の数は、少ないときで数人程度、多いときでも十数人程度といったところである。しかし、私が申し込んだ上映回には、軽く見積もっても三十人以上の人たちが集まっていた。舞台挨拶に当たる日は別としても、これほど多くの人たちがこの映画館に集まって来るのは珍しい。この映画は、余程話題に上っている映画に違いない。私はと言えば、単にこの映画の予告編が頭の片隅に残っていたことと、昼食をとって、「ガンまる日記」を書き上げてから観るのにちょうどいい時間帯に上映されているというだけの理由でこの映画を選んだのだった。実際、上映されてからわかったことだが、あちらこちらでいろいろな賞を獲得し、世界的にもかなり評価の高い映画だったのである。

 この映画は、実話に基づいて製作されている。原作は、この映画の主人公である雑誌"ELLE"の編集長ジャン=ドミニック・ボビーだ。突然、脳梗塞(のうこうそく)を患(わずら)い、病院に運ばれた彼は、左目を二十万回のまばたきさせることによって、一冊の本を完成させた。それが、この映画の原作となっている本である。本の執筆にあたっては、言語療法士がアルファベットを一つずつ読み上げながら根気強く彼に問い掛け、該当する単語のときに彼がまばたきをして答える方法を取ったと言う。彼の唇は動かず、ぐにゃりと醜く曲がったまま固く閉じられている。映画の中では、アルファベットを順番に読み上げるシーンが何度も何度も登場する。そうした光景を目にすると、私たちは根気強くコミュニケーションを取り続けることの大切さについて考えさせられる。肉体的には、自分の意志を伝えることに問題のない私たちは、今や情報化社会に埋もれ、一人の人と根気強くコミュニケーションを確立させることが困難な状況になってしまっている。相手の言っていることがわからなくても、また、吸収できなくても、そこで立ち止まらずにとにかく前に進んで行くしかない。そんな生き方を選んでしまっている私にとって、アルファベットを一文字ずつ読み上げながら行うコミュニケーションは、特に心に響いた。

 この映画が多くの賞を取ったのは、脳梗塞という危機的な状況を描写しながらも、原作者、そして監督ともに、ユーモアの精神を忘れなかったからではないだろうか。例えば、主人公の鼻の頭に蝿が止まる。両手を自由に動かすことのできる私たちは、手を動かして蝿を追い払えばいい。しかし、身体の自由がきかない主人公は、自分の鼻の上に止まっている蝿すら追い払うことができない。そうした一見些細な不自由さを見逃さずに、主人公の心情を面白おかしく描写しているところに、この映画のユーモア精神が表れている。また、医師により、自由のきかなくなった右目を縫い付けられるシーンはとてもリアルだったが、右目を縫い付けられることに対し、主人公の抵抗する心情が面白おかしく、そして的確に表現されていた。

 主人公は、身体の自由がきかないことを、「まるで潜水服を着ているようだ」と表現している。潜水服を着ているように身体は重くても、思考は蝶のように軽い。だから、映像はしばしば、主人公の蝶の思考へとトリップする。それがまたおかしくもある。主人公の頭の中は、結婚していながらも、女性のことでいっぱいだ。愛人もいたようである。愛人からの電話に対し、妻が主人公の言葉を主人公のまばたきで一文字ずつ拾い、単語を解釈して愛人に伝えるといった残酷なシーンもある。そのあたりの主人公の生き方には共感できなかったが、映画としてとらえるならば、彼にはまだまだ身体を動かしながら実践したいことがたくさんあったととらえることができる。

 前半においては、身体の自由のきかない主人公の視点からの映像で構成されている。つまり、主人公が実際に見ていたであろう、左目だけのカメラワークだ。それが、突然、ぼやけてしまったり、そうかと思えば鮮明になったりとおぼつかない。そうした不安定な映像が、睡魔を誘う。実際、私は前半の途中でコックリコックリ居眠りをしてしまった。しかしそれは、映画が退屈だったと言うよりも、映像が催眠術のようで心地良かったととらえるべきだろう。それに対し、後半は、いきなり視界が広がり、通常の映像となる。となると、前半の描写が潜水服で、後半の描写が蝶ととらえるべきなのだろうか。

 シリアスな題材を扱っているにもかかわらず、泣けて来るシーンがないのは、さきほども書いた通り、この映画がユーモア精神に溢れているからだと思う。主人公と同じように、観客自身も蝶になって思考をトリップさせる。そういう方法で自分自身の思考をこの映画に預けてしまうことで、映画としての面白さを実感できる作品なのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 残念なことに、主人公は既に亡くなってしまっているそうです。しかも、亡くなったのは、二十万回のまばたきで完成させた本が発売されてわずか十日後だったとか。まるで、本の発売を待っていたかのようですね。エンドロールで氷山が崩れ落ちるシーンが繰り返されていますが、それが監督の表した脳梗塞のイメージなのでしょう。私たちにとっても、脳梗塞は身近な病気となって来ました。実際に身体が動かない状況になったとしても、コミュニケーションを取る方法は残されているのだということを心に留めておきたくなりました。更には、「死」についても考えさせられました。もしかすると、お葬式の最中に、故人は棺の中で「俺は死んでなどいない! ただ、心臓も脳も止まってしまっただけだ!」と叫びたい気持ちでいっぱいかもしれません。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

« ホットヨガ(九十回目) | トップページ | SPITZ JAMBOREE TOUR 2007-2008 "さざなみOTR" in 神戸 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18521/40206200

この記事へのトラックバック一覧です: 映画『潜水服は蝶の夢を見る』:

« ホットヨガ(九十回目) | トップページ | SPITZ JAMBOREE TOUR 2007-2008 "さざなみOTR" in 神戸 »