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2008.02.01

映画『迷子の警察音楽隊』

 予告編を観ただけで虜になってしまう映画がある。この映画がまさしくそんな映画だった。先日、映画『子猫の涙』を観たときに、この映画の予告編が流れた。ミニシアター系の映画館同士は仲がいいのだろうか。この映画は、映画『子猫の涙』を上映していた映画館とは別のミニシアター系の映画館で上映されている作品だった。私はこの映画の予告編を観た途端、絶対にこの映画を観たいと思ったのだ。

 この映画を上映しているのは、三宮と梅田にある同系列のミニシアター系映画館だった。私はその系列の映画館の優待会員なので、三宮と梅田のどちらの映画館で観たとしても、優待サービスを受けられることになっていた。そこで、梅田店でホットヨガのレッスンを受けたあと、梅田でこの映画を観ることにしたのである。

 この映画の製作国は、イスラエルとフランスとなっている。おそらくこの映画が私にとって初めての、劇場で観るイスラエル映画になったはずだ。舞台となっているのは、一九九〇年代のイスラエルである。そのイスラエルに、かつて敵対していた隣国のエジプトから、文化交流のために歴史の古いアレクサンドリア警察音楽隊がやって来る。しかし、空港に来ているはずの迎えも見当たらず、市役所に電話を掛けても取り合えってもらえず、右往左往したアレクサンドリア警察音楽隊は、とうとう自力で路線バスに乗り、文化交流の目的地に向かうことにする。ところが、目的地を間違えて迷子になってしまう。間違えて訪れた小さな町には、演奏を行う予定の文化センターはおろか、ホテルさえもなかった。そこで、道を尋ねたるために会話を交わしただけの食堂の女主人の家と、食堂の常連客たちの家に、迷子の警察音楽隊が分散してお世話になるというたった一夜の物語が始まる。

 この映画は、観ているだけでおかしさがこみ上げて来る作品に仕上がっている。しかし、決して最初から笑いを狙って制作された作品ではない。この映画で表現されているのは、例えかつて敵対していた国同士の国民であっても、言葉や習慣の違いを乗り越える方法があるということだ。それは、音楽であったり映画であったりする。事実、イスラエルからはるか遠い日本に住んでいる私にも、イスラエルで製作されたというこの映画が胸に響いている。

 警察音楽隊としての古い歴史を頑なに守り続け、考え方も保守的な警察音楽隊の団長と、今、そのときを楽しみながら自由奔放に生きている食堂の女主人との対比が面白い。女主人が団長に話し掛ける度に、団長の中の頑なな何かが溶けて行くようにも思える。ああ、もう少し、もう少し。もう少しで団長がほぐされて行く。スクリーンで繰り広げられる会話を追いながら、何度も何度もそう思う。しかし、女主人は最後に・・・・・・。

 この映画の中で、私の中に最も印象に残ったシーンがある。それは、迷子になった警察隊を自宅に泊めることに決めた食堂の女主人が、迷子の警察隊の団長に、
「子供の頃、エジプトの映画をテレビで良く見ていた。エジプトの映画がとても好きだった」
と語り掛けるシーンだ。エジプトとイスラエルでは、言葉や習慣が異なっている。それでも、女主人の子供の頃に
は、エジプトの映画がイスラエルの言葉に翻訳され、テレビで放映されていたのだろう。もともと島国である日本の、更に島である四国で生まれ育った私には、陸続きの地に異なる文化が存在するという感覚は良くわからないが、相手と何らかの接点を持とうとして、かつて相手の世界に自分も足を踏み入れた経験があることを相手に示すという歩み寄りに心を打たれる。

 食堂の男性客の家にお世話になった別の警察音楽隊のメンバーたちの家族団欒においても然りである。その日はたまたま、食堂の男性客の妻の誕生日に当たっていた。そんな大切な日に、出会ったばかりで異国の、しかも、かつて敵対していたエジプトの警察音楽隊の複数のメンバーを泊めることになる。当然、事情を聞かされていない他の家族の対応はぎこちない。それでも、突然、その家の主が音楽の話題を警察音楽隊に振る。主は若い頃、楽器を演奏していたのである。その話をきっかけに、決して大げさな展開にはならないが、少しずつ、一体何を話していいものかわからずに黙りこくっていた沈黙の状況から救われる。この映画では、そうした細かい動揺や感動や歩み寄りによる進展が、見逃されることなくこと細かに描写されている。

 見知らぬ町で見知らぬ現地の人の家に泊めてもらう一夜は、観ている私たちが冷や冷やするほど長い。食堂の女主人と団長は、夜の町に繰り出して、ちょっとしたお店に入る。お店の中で、自分がリクエストした曲をかけてもらう女主人。その曲は、一体誰に聴いて欲しい曲だったのだろうか。

 警察音楽隊には、女性と接するのが得意な若い隊員もいる。そんな彼が、奥手な男性に恋の手ほどきをする。そのシーンが何ともおかしい。国の違いが問題ではない。人と人が触れ合うために、まずは話を始めてみることが大切なのだ。決して感情が大きく揺れ動くような作品ではないが、ストーリー全体を通して、接点を持ちながら語り合うことの大切さを教えてくれる心温まる作品だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m どこかの映画サイトの解説に、「かつて敵対していた国同士で、国家もなし得なかったことを、一個人がいとも簡単にやってのけた」というような表現がありました。なるほど。もともと、同じ国の人間同士でさえ、知り合ったばかりの人を自分の家に泊めるという行為ははばかられます。でも、それを実践できたということは、この人たちを家に泊めても大丈夫だと太鼓判を押すに至った何かがあったのでしょう。おそらく、物語はそこから始まっているのですね。個人的に、ラストはちょっぴり残念でしたが、人間に個性があるように、映画の中の登場人物の個性が映える作品でありました。でも、それが食堂の女主人の生き方なんでしょうね。国が違っても、名曲や名画と言われるものは、国境を越えて通じるものなのですね。言葉に依存しないからこそ、それが可能になるのだと思いますが、そういう意味においても、芸術の存在は大きいと思います。

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