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2008.02.11

「足」が教えてくれたこと

 ガンモの実家に二泊したあと、私たちは帰路についた。今回の帰省で、私は様々なことを思った。一つは、「足」があることの重要性についてである。歩くための肉体的な足ももちろん重要だが、今回の帰省で強く感じたのは、車の「足」である。

 公共の交通機関がそれほど発達していない田舎で不便なく暮らして行くには、「足」があることが必要不可欠だ。田舎では、良く足を運ぶ施設が駅前に集中しているわけではない。「足」としての車が発達しているせいか、良く足を運ぶ施設はあちらこちらに散在している。また、最寄駅から自宅まで歩こうものなら、数十分も掛かってしまうというのに、路線バスも運行されていない。通勤するにも、買い物に出掛けて行くにも、病院へ通うにも、車は必需品となっている。しかし、家族はそれぞれの意志を持って行動している。だから、車が一家に一台だけでは足りない。夫が仕事に出掛けている間に、妻も買い物に出掛けたい。そのためには、最低でも車が一家に二台は必要だ。

 思えば、私の実家は、父と母で別々の車を所有している。その上、母も車の免許を持っている。母の年齢で車の免許を持っているのは珍しい。だから母は、父が車で出掛けて不在のときであっても、自ら車を運転して、入院している祖母を見舞うことができる。一家に複数の車があるだけでなく、自分で車を運転できるということは、田舎で不便なく暮らして行くために、とても重要なことである。

 私は、それぞれの人が持っている役割の重要性についても考えた。人が役割を果たすとは、それぞれの環境で実現できることをこなして行くことだと思う。母はかつて、叔母たちにも祖母の世話を分担して欲しいと思っていたらしい。しかし、叔母は、「足」がないことを理由に、祖母の世話を母に任せてしまった。

 当時は私も、母の負担を考えて、母の妹や弟が分担して祖母の世話をするのが当たり前だと思っていた。しかし、今となっては少し違う。もしも本当に世界が一つで繋がっているなら、それぞれの人はそれぞれの環境で、決して怠けることなく、自分自身の目の前にある問題に取り組んで行くことが大切なのだと思う。「足」がないのに、無理矢理「足」を作って動き回っていては、他の人をも巻き込んでしまうばかりか、長続きしないだろう。

 世の中は、私たちが思っている以上に良く出来ているものだ。例えば、私の知っている人は、お酒をたくさん飲むと、眠くなって、電車の中で寝てしまう。そして、気持ち良く眠ったまま、終点まで行き着いてしまい、既に折り返しの電車もない時間に目覚めると、高い料金を払ってタクシーで帰宅するか、奥さんに電話を掛けて迎えに来てもらっているらしい。お酒の好きな人の奥さんに「足」があるというのは、実に良く出来ていると思う。そうだとすると、私に「足」がないのは、ガンモがお酒を飲まないからだろうかとも思う。本当に、世の中、良く出来ているものだ。私たちは、こんなふうに良く出来た世の中を、もっともっと信頼してもいいのではないかと思うようになったのである。

 大切なことは、今の自分が無理なくできることに出会うことだ。それは、直面している問題から逃げることとは違う。今の自分を一生懸命生きている人には、逃げるという表現は当てはまらない。世界が本当に一つなら、今の自分を一生懸命生きるということは、直面している問題にもいつか繋がって行くはずなのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この他にも、踏み越えてはいけない領域も、時期が来れば、いつかは踏み越えられるようになるということも感じ取りました。時期が来るまでは、奇妙な遠慮が働きます。しかし、そうした遠慮は、あたかも他の人のことを想っているようでいて、自分を守っているに過ぎません。抽象的な表現で申し訳ありませんが、これが精一杯の描写です。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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