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2008.01.28

映画『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』

映画『子猫の涙』の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m いやはや、この映画が公開されている地域は少ないはずなのに、皆さんの反応の多さに驚いています。ありがとうございます。調子に乗って(?)と言いますか、今回ははしごした先の映画館で観た映画のレビューを書かせていただきますね。

 久しぶりに映画館をはしごした。映画『子猫の涙』を観終わったあと、JR神戸駅からJR三ノ宮駅までJRで移動し、三ノ宮駅前にあるミント神戸に足を運んだ。JR神戸とJR三ノ宮間は、電車でわずか二駅しか離れていないのだが、さすがに消防車のはしご車は届かないので、はしごするのに電車を利用したというわけである。

 多くの劇場で公開されるような映画ならば、いつものように派遣会社の福利厚生ページから格安の前売券を購入することができる。しかし、これほど多くの人たちに鑑賞されている映画であるにもかかわらず、どういうわけか、この映画の前売券は取り扱われていなかったため、格安料金のレイトショーで鑑賞することにしたのである。平日のレイトショーはいつも人影がまばらなのに、映画館に入ってみると、話題の映画であることと、土曜日ということもあって、たくさんの人たちが鑑賞に訪れていた。

 この映画は、ティム・バートン監督とジョニー・デップの六作目のコラボレートになるのだそうだ。何を隠そう、私は今回の作品も含めると、すべてのコラボレート作品を鑑賞したことになる。『シザーハンズ』『エド・ウッド』、『スリーピー・ホロウ』、『ティム・バートンのコープスブライド』『チャーリーとチョコレート工場』、そして今回の『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』だ。

 ティム・バートンという映画監督は、扱う作品の幅が実に広い。彼が製作を手掛けた作品を鑑賞した人たちは、これまでの作品を振り返り、「とても同じ人が監督した作品とは思えない」と溜息を漏らするのではないだろうか。さしずめ、善なのか悪なのか、区別がつかないが、実はそういう人こそ、光にも闇にも傾くことのできる、素晴らしいバランス感覚の持ち主なのかもしれない。

 ティム・バートン監督は、一つの作品を完成させてしまうと、振り子のように、すぐにもう一つの世界に傾きたくなってしまう人なのだろうか。もしそうだとしたら、私も少しは監督の気持ちを理解することができる。恐れ多くも、の記事を書いたかと思えば、鉄道の記事を書いてみたり、そうかと思えば、英語への意気込みを示してみたくなる気持ちと似ているかもしれないと思うからだ。ティム・バートン監督は、フライパンで何かを焼いているときのように、あらゆる側面をまんべんなく前面に打ち出しながら、創造し続けて行くことが好きなのかもしれない。

 主役を演じたジョニー・デップもまた、天使にも悪魔にもなれるような、役に幅のある素晴らしい役者さんである。こうして幅のある二人がコンビを組めば、彼らについて行く私たち観客は、時に地獄を見たり、天国で昇天したり、とにかく忙しい。ちなみに今回の作品では、思い切り地獄を見せてくれた。

 今回の作品でジョニー・デップとペアを組んだ女優さんは、ティム・バートン監督の内縁の妻であるヘレナ・ボナム=カーターだ。ティム・バートン監督とヘレナ・ボナム=カーターは、『PLANET OF THE APES 猿の惑星』の撮影をきっかけに交際が始まったそうだ。『PLANET OF THE APES 猿の惑星』は確か、私も映画館で鑑賞している。

 ヘレナ・ボナム=カーターという女優さんは、主役にとても良く馴染む女優さんだと思う。結婚式に出席する女性が、花嫁を立てるために白い衣装を着ないことが暗黙の了解となっているように、ヘレナ・ボナム=カーターもまた、決して主役を食わない女優さんである。とりわけ、今回の役は彼女にぴったりだと私は思う。それほど、今回の役は彼女にしっくりと馴染んでいた。

 オープニングでは、あたかも『チャーリーとチョコレート工場』を思わせるかのような流れ作業が映し出されているが、実はこの流れ作業、この物語の最も恐ろしい部分を映し出している。ジョニー・デップ演じるスウィーニー・トッドと、ヘレナ・ボナム=カーター演じるミセス・ラペットは、互いに持ちつ持たれつのパートナーとして、その最も恐ろしい部分で結び付いている。

 この映画は、一言で言うと、復讐をテーマにした作品と言っていいだろう。しかし、単に映画として観るならば、これは愛の映画だ。愛をどのように表現して行くかは、人によってそれぞれ異なる。それについては、あとで述べることにしよう。

 舞台は十九世紀のロンドン。十五年前に無実の罪で投獄され、スネイプ先生、いや、ターピン判事に美しい妻と娘を奪われたベンジャミン・バーカーが、スウィーニー・トッドと名前を変えて、ターピン判事への復讐のためにロンドンのフリート街に戻って来た。ちなみに、現在のロンドンの地図でフリート街を探してみたが、良くわからなかった。

 それにしても、いくら美しい女性と出会ったとは言え、夫と固く愛情で結ばれた人妻に対してさかんにアプローチを繰り返し、力ずくで奪ってしまうターピン判事は何者なのだろう。例え彼女の肉体の自由を奪うことができたとしても、心の自由までは奪えないはずなのに、肉体だけを自分の側に置くことで、かえって虚しくならないのだろうか。それとも、判事のように権力を持った人ならば、肉体の自由を奪うだけでも十分だったのだろうか。ターピン判事の歪んだ愛は、やがてスウィーニー・トッドによる大量殺人の引き金となって行く。

 『スリーピー・ホロウ』や『ティム・バートンのコープスブライド』でもそうだったが、ティム・バートン監督が描き出す闇の世界は、まるで一日中、夜であるかのように画面全体が暗い。それこそ、何が起こってもおかしくないような不吉な暗さである。確かに、冬のロンドンならば、暗いイメージはある。しかし、この映画の季節は必ずしも冬だけではなかったはずだ。

 そんな不吉な闇の中、私たち観客は、スクリーンで繰り広げられる数々の惨事を目にすることになる。「ああっ!」と両手で顔を覆いながらも、最も残酷なシーンが既に通り過ぎていることを期待しながら、両手の隙間からスクリーンをのぞき見る。そんな行為が、果たして何度繰り返されたことだろう。

 『スリーピー・ホロウ』にも、残酷なシーンはたくさんあった。しかし、残酷な行為を行ったのはすべて、主人公ではなく、殺人鬼だった。ところが、今回の作品では、主人公が残忍な行為を繰り返すのだ。しかも、それらはすべて、美しい妻を奪ったターピン判事に復讐するためのプロローグに過ぎなかった。

 スクリーンを通して、私たちは愛に向かってまっすぐに突き進むことの恐ろしさをまざまざと見せ付けられる。愛に向かってまっすぐに突き進むことは、常に道をまっすぐに歩き続けることにも例えることができる。まっすぐ進んだ先に、既に誰かが立っていれば、身をかわして避けようとするだろう。何故なら、そこに立ちたい人の自由意思を尊重するのも愛だからだ。しかし、そのためには、自分が貫き通したい愛を曲げなければならない。そこで、自分の自由意思を優先させるか、他の人の自由意思を尊重するかで、その人の愛が決まる。スウィーニー・トッドは、自分の愛を曲げなかった。それが彼の取った、彼の視点での愛の行動だ。

 私たちは、ある特定の期間だけを切り取って物事を判断しがちだ。例えば、誰かが人を殺めたことがニュースで流れる。世間においては、人を殺めた人物は殺人者である。しかし、その人物が殺人を犯す前に、殺人の動機に繋がるような、様々な出来事が起こっていたとしたらどうだろう。時代をもっともっと遡ってみれば、更なる原因にたどり着くこともある。しかし、多くの場合、問題の根本までたどり着くことができずに、ある特定の時間だけが切り取られて判断されてしまうことが多い。時には、その根本原因は過去世まで及ぶことさえあるというのに。

 共同作業を進めて行くうちに、ミセス・ラペットはスウィーニー・トッドを愛するようになるが、スウィーニー・トッドはただただ一途にかつての美しい妻のことを想っていた。その頑なでまっすぐな想いが、悲しいほどに伝わって来る。

 たくさんの人を殺めてしまったスウィーニー・トッドは、やがて大きな大きな代償を支払うことになる。人が生きて行く上で、最も大きな苦しみとは何だろう。自分自身が誰かに殺されてしまうことだろうか。この映画を観ていると、どうも違うような気がして来る。何年も何年も時間を掛けて、人に殺されるわけではない。しかし、愛する人と引き裂かれた苦しみは、何年も何年も続いて行く。そうだとすると、スウィーニー・トッドの復讐は一体何だったのだろう。彼の取った行為を映像で見る限り、「それ」は一瞬にして終わってしまった。結局、誰とも愛し合っていないターピン判事からは、彼の命以外、何も奪い取れなかったことになるのではないだろうか。

 本当のところはわからないが、スウィーニー・トッドは、愛する人と引き裂かれる苦しみを知っていたからこそ、身寄りのない人たちをターゲットにし続けたのかもしれない。

 物語は、オープニングの流れ作業に繋がるようなエンディングで終わる。ティム・バートン監督の描き出す暗い闇の世界に、赤い血の色が映えていた。映画だからこそ入り込むことのできる凄まじい地獄を見せてくれた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この映画がミュージカル仕立てになっていることを知らずに鑑賞し始めたのですが、出演者がいきなり歌い始めたので驚きました。(苦笑)もともとは舞台で演じられている作品だったのですね。とても一途で切ない物語でした。スウィーニー・トッドミセス・ラペットに支えられてもいるのに、彼女の好意には見向きもしていないのがわかります。ぽっかりと開いた心の穴は、きっと他の人では埋められなかったのでしょう。あまりにもまっすぐに歩き過ぎたスウィーニー・トッドの悲しい物語でありました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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