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2008.01.08

映画『ONCE ダブリンの街角で』

 今年初めてのホットヨガのレッスンのあと、ホットヨガ神戸店のすぐ隣の映画館で、映画を二本、立て続けに観た。今日は、そのうちの一本のレビューを書かせていただくことにしよう。

 この映画は、アイルランド共和国の首都ダブリンの街角で出会った、音楽好きの男女の物語である。男はギターの弾き語りを得意としたストリート・ミュージシャンで、ゆくゆくはプロのミュージシャンを目指している。一方、女はチェコからの移民で、普段は花売りや家政婦などの仕事をしているが、ピアノを弾くことができた。一見、孤独な者同士にも見えるこの男女の出会いは、すぐにでも恋愛に発展しそうな雰囲気を漂わせていた。しかし、なかなかそうは問屋が卸さないところにこの映画の面白さがある。「この二人、一体どうなるのだろう?」そんな観客の興味を最後まで引っ張りながら、「なるほど、こういう終わり方をするんだ」と、エンドロールの手前でじわじわと感動がこみ上げて来る映画だった。その感動が、今、こうしてレビューを書きながらも、私の中に余韻として残っている。

 私はまず、冒頭のシーンから引き込まれた。路上でギターをかき鳴らしながら歌を歌っている男がいる。その男のすぐ側で、男の歌にさりげなく耳を傾けている浮浪者のような男がいる。やがて浮浪者のような男は、歌を歌っている男によろよろと近付き、歌を歌っている男の前に置いてある売り上げ金の入ったギターケースをいきなり奪い取り、走り出す。そのシーンがあまりにもリアルなので、もしかすると、この映画の撮影中に、本当にそのような出来事が起こったのではないかと錯覚してしまうほどだった。また、カメラワークにどことなく素人っぽい雰囲気を感じるのも、この映画の特徴である。

 男が使っているギターは、良くもまあここまで使い込んだものだと、思わず感心してしまうほどのおんぼろギターである。何しろ、通常、ピックガードが貼り付けられるところに引っかき傷のような穴が空いてしまっているのだ。つまり、ギターがピッキングに耐えられずに擦り切れているのである。それでも、ちゃんとチューニングは合っているし、男を演じている役者さんがプロのミュージシャンであるだけに、演奏も上手い。演奏される曲のコード進行は至ってシンプルだが、どの曲もアコースティックギターの弾き語りにぴったりの、好感の持てるナンバーだった。

 間もなく、この映画の主人公となる二人の男女がダブリンの街角で出会う。最初は女のほうが男に対し、積極的に質問を浴びせかけて来る。二人が出会ったばかりの頃、男は女の積極性に対し、少し引いているようにも見える。しかし、ある時期からそれが逆転する。そうした男女の駆け引きのようなところも、ごく自然に描写されている。

 しかし、日本人の私からすれば、知り合ったばかりの異性を、まだ交流も重ねないうちから自宅に招くというのは、経験がないため、なかなか想像することができない。自宅には、自分の親も住んでいるわけである。しかも、自宅に招くということは、自分のプライバシーの一部を公開することにも等しい。もともと日本には、恋人ならまだしも、異性の友人を自宅に招くという習慣はあまりないのではないだろうか。しかし、ダブリンではごく当たり前のように異性の友人を自宅に招き、家族と食事を共にしている。欧米諸国には、晩御飯をもう一人分、すぐに用意できる柔軟性があるのかもしれない。料理を大皿に盛り、大勢で取り分けられるような食事が主流なのだろうか。

 男が女の自宅を訪問し、女を取り巻く環境を知ったあたりから、二人のこれからが急激に気になり始める。そして、お互いに好意を持っていることがスクリーンを通してもびんびん伝わって来るのに、相手の自由意思を尊重しているのか、それとも、男女として一緒に過ごす相手ではないと互いに認識しているのかわからないが、決して自分の気持ちを明かそうとしない二人の距離が、少しでも縮まることを心から期待する。そんな二人の距離感が、見方によっては駆け引きにも見える。そして、最初からこの距離感を保ち続けるならば、男のあの台詞は何を意味していたのだろうかとか、女のあの態度は、一体どういうつもりだったのだろうかと思考を巡らせるのだが、いくら考えてもわからない。わからないが、彼らが関わっていたある時期において、お互いに好意を寄せ合っていたことだけは確かなのだ。音楽を通じて、人生のうち、たった一度でも心を通わせ合った二人。おそらく、onceという単語が邦題に掲げられていることからしても、そういう意味合いを持った映画なのだと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 楽器店で、男がギターで自分のオリジナル曲を弾き、女がピアノを弾くシーンがあります。初めて、男と女が音合わせをして、共同作業を行うシーンです。男のギターに合わせて、女がピアノを弾きます。初めての音合わせなのに、楽譜を頼りにしているのか、それともコードを頼りにしているのか、ギターとピアノ、そして男と女の声が美しいハーモニーを奏でます。私はこのシーンが好きです。ハーモニーは、相手が出している音と調和するように、互いに相対的な音から成り立っていますよね。そうした音合わせには、相手がこう出るなら自分はこう出る、みたいなところがあります。音楽は、それぞれが相対的に行動した結果、見事に調和するところが美しいのです。二人は、相対的に奏でた音のように、常に距離感を保ち続けていたのかもしれません。何故、距離感を保ち続けたのか。いろいろな解釈のできる映画だと思いました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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