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2008年1月

2008.01.31

抱擁で大人しくなる

ホットヨガ(八十八回目)の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 「あなたについて行きます!」と言いたくなるインストラクターとの出会いは大変貴重です。次回も同じインストラクターが担当してくださるといいのですが。さて、今回は、久しぶりに鳩の話題をお届けします。

 私たちが寝室でくつろいでいると、寝室の窓からそーっとのぞく影がある。相手が人間ならば、変態呼ばわりされても仕方のない行為であるが、相手は我が家のベランダに棲み付いている鳩たちである。最近は、ベランダの窓越しに餌を与えることが多くなったので、餌をもらえることを期待しているのだ。

 ベランダに続く寝室の窓は、TKMYとキッコロの縄張りだ。だから、窓を覗き込んで来るのもTKMYとキッコロが圧倒的に多い。覗き込む回数が最も多いのは、何と言ってもキッコロだ。キッコロの次はTKMY、そして父ちゃん、母ちゃんと続いている。縄張りの関係で、父ちゃん、母ちゃんが寝室を覗き込むのは、決まってTKMYやキッコロが散歩に出掛けて不在にしているときだ。

 TKMYとキッコロが私たちの手を嘴(くちばし)で突付いたり、鳩パンチを食らわして来ることは以前も書いた通りだが、それらの行為が次第にエスカレートして来て、かわいげがないと感じるようになったので、私たちはTKMYやキッコロに餌を与えるのを次第にじらすようになった。その代わり、父ちゃんや母ちゃんがやって来ると、喜んで餌を与えている。紳士淑女の父ちゃん、母ちゃんは、私たちに噛み付いたりしない上にとても控えめなので、好感が持てるのである。

 そんなところにTKMYやキッコロが散歩から帰って来ると、それはもう大変な騒ぎになる。「俺たちの縄張りで、父ちゃん、母ちゃんが餌にありついているなんて抜け駆けだ! 俺たちにも食わせろ!」と言わんばかりに、凶暴なキッコロが、餌箱を静かに突付いている父ちゃん、母ちゃんを攻撃し始めるのだ。キッコロと父ちゃんは、私たちの目の前で大きく羽を広げ、嘴同士で激しく噛み付き合う。キッコロは父ちゃんにとっての娘婿に当たるが、鳩の世界にそんな情けはない。あまりにも戦いが激しくなると、ガンモは彼らを引き離すため、キッコロの身体をひょいと持ち上げる。すると、実に不思議なことなのだが、凶暴なはずのキッコロが急に大人しくなるのだ。ガンモの両手にすっぽり収まっているやんちゃなキッコロは、先ほどまで暴れ回っていた凶暴なキッコロとはまるで別人、いや、別鳩のようだ。

 キッコロが落ち着いて来ると、ガンモは空中に向けてキッコロを放す。すると、キッコロは羽を広げてバサバサと飛んでベランダに着地する。しかし、我に返ると、再び父ちゃん、母ちゃんを攻撃して来る。紳士淑女の父ちゃん、母ちゃんは、再びキッコロが凶暴になると、自分たちの縄張りに大人しく帰って行く。

 しかし、その後、ガンモがキッコロの奥さんであるTKMYに餌を与え始めると、今度はキッコロは自分の妻であるはずのTKMYを攻撃し始める。
「おいおい、キッコロ。TKMYはあんたの嫁さんなんだよ。嫁さんを攻撃してどうする? ドメスティック・バイオレンス、禁止!」
とガンモがキッコロに対して怒る。しかし、自分だけがなかなか餌にありつけないことに興奮して、既にわけがわからなくなってしまっているキッコロは、相変わらずTKMYを攻撃し続ける。そこでガンモが再びキッコロを両手で持ち上げると、また大人しくなった。不思議な鳩である。凶暴なはずのキッコロも、スキンシップにより、安心を覚えるのだろうか。

 相変わらずにぎやかな状況の中、この真冬に、母ちゃんが卵を産んだ。どうやら母ちゃんは、卵を産むべきか、産卵をもう少し見送るべきか、しばらく迷っていたようだ。というのも、ベランダの父ちゃん、母ちゃんの縄張りに、これまでにないくらい立派な巣が出来上がってはいたものの、しばらくそのままになっていたからだ。やはり、立派な巣は暖かいのか、特に寒い日は父ちゃんと母ちゃんが並んでその巣にうずくまっていた。私たちは、これだけ寒い日が続いているので、まだ卵は産まないだろうと油断していたのだが、ある日、ふと見てみると、母ちゃんが巣でうずくまり始め、母ちゃんが立ち上がった巣に卵が一つあったのだ。それから一、二日後に、卵は二つに増えていた。我が家のベランダは、またしてもにきがやになりそうな気配である。

 ところで、以前よりも寒さが厳しくなって来たためか、最近の彼らは、ハリセンボンどころでは寒さをしのげなくなってしまったようだ。台所に立ったときにベランダの様子を見てみると、TKMYのお尻にキッコロが顔を突っ込んでじっとしている姿を見掛けたことがある。人間ならば、妻のスカートの中に夫が頭を突っ込んで寒さをしのいでいるのと同じだ。とにかく外は寒いので、鳩たちも身体を寄せ合って少しでも暖かく過ごそうと工夫しているようだ。父ちゃん、母ちゃんと言い、TKMY、キッコロと言い、夫婦で身体を寄せ合って寒さをしのいでいる姿は何とも微笑ましいものだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモは、抱きかかえられて大人しくなったキッコロに対し、
「キッコロ、どうしたんだよ、お前。野生の鳩としてのプライドを持て」
と言いました。野生の鳩として、人間に抱かれて大人しくなるのはおかしいとガンモは言いたかったようです。両手を使える人間ならば、身体を丸ごと包み込むと、愛情を感じて大人しくなるのはわかります。でも、鳩には抱擁する習慣がないのに、こうして抱擁されると大人しくなるのは、やはり安心できるからではないでしょうか。これは、何か別のことに応用できるかもしれませんね。抱擁する習慣のない鳩でさえ、これだけ大人しくなるのですから、もともと抱擁を知っている人間にはもっと効果があるかもしれません。

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2008.01.30

ホットヨガ(八十八回目)

「個人差があります」の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m もともと誇大広告だったのか、それとも本当に現れる効果に個人差があるのか、実際のところはわかりません。でも、本当に痩せる効果のある商品ならば、格安料金で販売されるのはおかしいですよね。「痩せると話題になったのに、痩せない人が多いので、価格を落として販売している」というのが真実かもしれません。さて、今回は初めてレッスンを受けたフロウコースのお話です。

 日曜日は、土曜日に引き続き、ホットヨガのレッスンに出掛けた。行き先は梅田店である。いつもは週一回のペースでレッスンを受けているのに、二日連続で足を運んだのは、ガンモが休日出勤していたことと、私の購入しているホットヨガの回数券の使用期限が二月下旬で切れてしまうからだ。これまでは、使用期限内にすべての回数券を使い切ってしまわなければ残った回数券が無効になってしまっていたのだが、最近では、残った回数券を次回購入時の回数券に繰り越しできるようになっている。とは言うものの、私はできる限り使用期限内に回数券を使い切っておきたいと思っていたので、ガンモが仕事に出掛けて行くならばと、私もホットヨガのレッスンに出掛けたのである。

 梅田店に足を運ぼうと思ったのは、これまで受けたことのなかった七十五分のフロウコースのレッスンにチャレンジしてみようと思ったからだ。先日も書いた通り、フロウコースはフロウ(流れ)を楽しむコースである。ホットヨガのサイトによれば、「ゆったりと流れのあるムーブメントにあわせて身体を動かすことで、リンパの流れを促進し、むくみや冷えの緩和を促す」コースなのだそうだ。一体どのようなポーズを取るレッスンなのだろう。流れを大切にすることからすると、どうやら激しいレッスンではなさそうだ。

 梅田店は、男性会員も受け入れている。今回のレッスンに参加されている男性会員は、全体で十八名の参加者のうち、四名だった。おそらく一人の方を除いて、これまで梅田店で一緒にレッスンを受けたことのある方たちだった。私がこれまで梅田店で参加したレッスンは、主に七十五分のアクティヴコースだったので、かつてそれらのレッスンに参加していた男性会員の方たちもフロウコースに流れて来たことになる。

 今回のレッスンを担当してくださったインストラクターは、ベテランインストラクターという表現がぴったりの熟練インストラクターだった。何故、そう感じたかと言うと、マニュアル通りのレッスンではなく、インストラクター自身がレッスンを創造していると感じたからだ。インストラクターは、ちょっとしたときに身体を動かすのに都合の良いストレッチの小技を、それぞれ的確なタイミングでいくつも教えてくださった。

 レッスン開始直後に、インストラクターが、
「フロウコースのレッスンを初めて受けられるという方、いらっしゃいますか?」
と聞いてくださったので、私は手を挙げた。鏡越しに見てみると、私の他にも二、三人の方が手を挙げていたので心強かった。インストラクターは、
「フロウコースは、流れるようなポーズを途中で止めることなく行って行きます。また、同じポーズを何度も何度も繰り返すのが特徴です」
と説明してくださった。途中で止めることのないポーズというと、休符がないまま次の小節に移るようなリズムのイメージだろうか。それが繰り返されるということは、サビの部分が何度も繰り返される歌のようなものだろうか。

 レッスンが始まると、私はようやく理解した。確かにフロウコースのレッスンは、流れるようなポーズを何度も何度も繰り返す。前半に取ったポーズは、太陽礼拝のポーズと少し似ている。ポーズには、まず太陽礼拝のポーズに似た基本のパターンがあり、基本のパターンに慣れて来ると、次第にポーズにアレンジが加えられて行く。基本のパターンが一つとアレンジのパターンが二つあり、それらを組み合わせながら、何度も何度も同じ流れを繰り返すのだ。脂肪燃焼コース2では、太陽礼拝のポーズを三セット繰り返すだけでも汗がどっと出て来るので、もしかすると脂肪燃焼コース2と同じくらいの効果があるかもしれない。また、アレンジされたポーズには、去年の夏に受けたスクイーズコースで取っていたようなねじりのポーズがいくつか含まれていた。片方ずつ手を回して身体をねじりながらバランスを取って行くポーズである。

 後半の座位のポーズでは、ちょっと恥ずかしいポーズを取ることになった。何と、大きく開いた足を上に持ち上げるポーズである。鏡で自分の取っているポーズを見ると、ついつい股間に目が行ってしまう。男性会員もいらっしゃるというのに、恥ずかしいではないか。私は、少し恥じらいながらポーズを取っていた。

 私の隣には、風邪を引いているのか、大きな音で不規則に鼻水をずるずるとすすっている女性がいらっしゃった。そうした音に敏感な私は、彼女が鼻をすする音が少し気になっていた。きっとご本人もレッスンに集中できなかったのではないだろうか。それでも、彼女はフロウコースのレッスンを何度も受けていらっしゃるらしく、一つ一つのポーズがびしっと決まって美しかった。 

 休憩のポーズ(シャバーサナ:屍のポーズ)のときに、これまでになくリラックスすることができたのは、インストラクターのかけてくれた魔法が効いたのだろうか。いつもは緊張がなかなか解けないでいるのに、リラックスできたということは、私は今回のインストラクターを信頼し、身体を預けているのだと思った。

 レッスンを受けた翌日の月曜日、私は歩行中に軽い筋肉痛を感じていた。ホットヨガのレッスンを受けて初めて感じた筋肉痛だった。これまで筋肉痛を感じたことがなかったのは、私がレッスンのときに自分の動きをセーブしていたからかもしれない。しかし今回は、インストラクターの魔法についつい誘われて、思い切り身体を動かした。そのため、軽い筋肉痛が現れたのではないだろうか。私は、軽い筋肉痛を覚えながらも、再びあのインストラクターのフロウコースのレッスンを受けたいと強く思ったのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 男性会員のいらっしゃるレッスンで、足を大きく広げて持ち上げるのは、やはり恥ずかしいものですね。(苦笑)しかし、他の方たちは、どうってことないといった表情でレッスンを受けていらっしゃいましたので、私の考え過ぎかもしれません。筋肉痛を感じたのが下半身だったので、フロウコースはどうやら下半身に効くレッスンのようです。時間の許す限り、しばらく梅田店に通ってみたいと思っています。きっと何度も通ううちに、大きく足を広げるポーズにも慣れて行くことでしょう。(笑)

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2008.01.29

「個人差があります」

映画『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 闇の世界が色濃い作品ではありましたが、映画だからこそ、こうした闇の世界を客観的に見つめることもできるのではないかと思います。やみくもに残酷なシーンばかりを映し出すのではなく、ちゃんと主人公の苦悩が表現されていること。それが、闇の世界を表現した作品を鑑賞するときの基準になるのではないかと思います。

 半年ほど前から順調に痩せて、痩せた状態をしばらくキープしていた私だったが、昨年十一月頃から急に欲が出て来てしまい、もっともっと痩せたいと思うようになった。

 あるとき、購読しているメルマガを読んでいると、飲むだけで痩せる紅茶があるとの情報が記載されていた。私は紅茶党なので、好きな紅茶を飲みながらぐんぐん痩せられるのは願ってもないことだと思った。紹介されたページにアクセスしてみると、その紅茶を愛飲したことにより、これまでぽっこり出ていたお腹が思い切り引っ込んだ人の写真や、手の指まで細くなった人の写真が掲載されていた。何でもこの紅茶は、かつては医師の判断のもとで医療に使用されていた成分が入っているとかで、食前に飲むと、脳に満腹感を知らせる信号を送るのだそうだ。そのため、一日や二日、何も食べなくても平気な状態になる人もいるのだという。身体に蓄積されている体脂肪は、空腹の状態になって初めて使用されるので、写真で紹介されているようなダイエット効果が期待できるのだそうだ。

  私は、毒だしホットジュースを飲み続けていたが、体重がしばらく横ばい状態だったので、試しにこの紅茶を飲んでみようと思い立った。その紅茶の商品名は、「スラーリ カムカムレモンティー」である。購入にあたっては、メルマガで紹介されていたサイトではなく、別のショップで同じ商品を安く販売しているサイトを探し出して注文した。

 我が家にカムカムレモンティーが届いたのは、注文してから二週間ほど経ってからのことだった。注文したお店の話では、リピーターさんが多く、注文も殺到していることから、発送が間に合わないとのことだった。品薄の状態なのに、どのショップも定価より安く売られていたのは不思議だった。

 私が参照していたサイトには、中にはカムカムレモンティーが効き過ぎてしまう人もいるらしく、拒食症の傾向が現れる可能性もあるので、十分注意して欲しいと書かれていた。私は、拒食症になってしまうことは怖かったが、万が一、そうなってしまったときはガンモに助けてもらおうと思い、
「これから、拒食症になるかもしれない紅茶を飲むことにするけど、もしも私がご飯を食べなくなってしまったら、私が飲んでいる紅茶を辞めさせて、ご飯を食べるように促してね」
と言っておいた。そして、これまで愛飲していた毒だしホットジュースを飲むのを辞めて、カムカムレモンティーを飲み始めたのである。

 メルマガで紹介されていたサイトを参照していた私は、あれほど痩せた人がいるのだから、私もきっと驚くほど痩せられるはずだと思っていた。しかし、飲んでも飲んでも効果は現れなかった。飲むとお腹が空かなくなると聞いていたが、お腹はちゃんと空く。だから、体重はちっとも減らなかったのである。

 それでも私は、「そんなはずはないだろう」と思いながら、注文したカムカムレモンティーをすべて飲んでしまうと、今度は別の格安のお店を探し出して、再び注文してしまった。結果は同じだった。

 飲んでも飲んでも痩せないので、私はとうとうカムカムレモンティーを飲むのをやめてしまった。一回分がきちんとパッケージされているので、単なるレモンティーとして旅行に持って行くにはいいかもしれない。もともと私はミルクティー派なのだが、まあ、よしとしよう。結論から言ってしまえば、私はむしろ、毒だしホットジュースを飲んでいた頃よりも二キロ太ってしまった。

 確かに、メルマガで紹介されたサイトには、「個人差があります」などと書かれていたが、それにしても、個人差があり過ぎではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「個人差があります」は、宣伝文句としてはいい表現ですね。実際に痩せた人がいるというのですから、「個人差」なのでしょう。高い高い紅茶を買ってしまいましたよ。トホホであります。これに懲りて、私は再び毒だしホットジュースに戻ります。(^^) 欲を出してはいけませんね。何事も地道に、であります。近道だと思っていた道が回り道になってしまうこともあるというお話でありました。

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2008.01.28

映画『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』

映画『子猫の涙』の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m いやはや、この映画が公開されている地域は少ないはずなのに、皆さんの反応の多さに驚いています。ありがとうございます。調子に乗って(?)と言いますか、今回ははしごした先の映画館で観た映画のレビューを書かせていただきますね。

 久しぶりに映画館をはしごした。映画『子猫の涙』を観終わったあと、JR神戸駅からJR三ノ宮駅までJRで移動し、三ノ宮駅前にあるミント神戸に足を運んだ。JR神戸とJR三ノ宮間は、電車でわずか二駅しか離れていないのだが、さすがに消防車のはしご車は届かないので、はしごするのに電車を利用したというわけである。

 多くの劇場で公開されるような映画ならば、いつものように派遣会社の福利厚生ページから格安の前売券を購入することができる。しかし、これほど多くの人たちに鑑賞されている映画であるにもかかわらず、どういうわけか、この映画の前売券は取り扱われていなかったため、格安料金のレイトショーで鑑賞することにしたのである。平日のレイトショーはいつも人影がまばらなのに、映画館に入ってみると、話題の映画であることと、土曜日ということもあって、たくさんの人たちが鑑賞に訪れていた。

 この映画は、ティム・バートン監督とジョニー・デップの六作目のコラボレートになるのだそうだ。何を隠そう、私は今回の作品も含めると、すべてのコラボレート作品を鑑賞したことになる。『シザーハンズ』『エド・ウッド』、『スリーピー・ホロウ』、『ティム・バートンのコープスブライド』『チャーリーとチョコレート工場』、そして今回の『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』だ。

 ティム・バートンという映画監督は、扱う作品の幅が実に広い。彼が製作を手掛けた作品を鑑賞した人たちは、これまでの作品を振り返り、「とても同じ人が監督した作品とは思えない」と溜息を漏らするのではないだろうか。さしずめ、善なのか悪なのか、区別がつかないが、実はそういう人こそ、光にも闇にも傾くことのできる、素晴らしいバランス感覚の持ち主なのかもしれない。

 ティム・バートン監督は、一つの作品を完成させてしまうと、振り子のように、すぐにもう一つの世界に傾きたくなってしまう人なのだろうか。もしそうだとしたら、私も少しは監督の気持ちを理解することができる。恐れ多くも、の記事を書いたかと思えば、鉄道の記事を書いてみたり、そうかと思えば、英語への意気込みを示してみたくなる気持ちと似ているかもしれないと思うからだ。ティム・バートン監督は、フライパンで何かを焼いているときのように、あらゆる側面をまんべんなく前面に打ち出しながら、創造し続けて行くことが好きなのかもしれない。

 主役を演じたジョニー・デップもまた、天使にも悪魔にもなれるような、役に幅のある素晴らしい役者さんである。こうして幅のある二人がコンビを組めば、彼らについて行く私たち観客は、時に地獄を見たり、天国で昇天したり、とにかく忙しい。ちなみに今回の作品では、思い切り地獄を見せてくれた。

 今回の作品でジョニー・デップとペアを組んだ女優さんは、ティム・バートン監督の内縁の妻であるヘレナ・ボナム=カーターだ。ティム・バートン監督とヘレナ・ボナム=カーターは、『PLANET OF THE APES 猿の惑星』の撮影をきっかけに交際が始まったそうだ。『PLANET OF THE APES 猿の惑星』は確か、私も映画館で鑑賞している。

 ヘレナ・ボナム=カーターという女優さんは、主役にとても良く馴染む女優さんだと思う。結婚式に出席する女性が、花嫁を立てるために白い衣装を着ないことが暗黙の了解となっているように、ヘレナ・ボナム=カーターもまた、決して主役を食わない女優さんである。とりわけ、今回の役は彼女にぴったりだと私は思う。それほど、今回の役は彼女にしっくりと馴染んでいた。

 オープニングでは、あたかも『チャーリーとチョコレート工場』を思わせるかのような流れ作業が映し出されているが、実はこの流れ作業、この物語の最も恐ろしい部分を映し出している。ジョニー・デップ演じるスウィーニー・トッドと、ヘレナ・ボナム=カーター演じるミセス・ラペットは、互いに持ちつ持たれつのパートナーとして、その最も恐ろしい部分で結び付いている。

 この映画は、一言で言うと、復讐をテーマにした作品と言っていいだろう。しかし、単に映画として観るならば、これは愛の映画だ。愛をどのように表現して行くかは、人によってそれぞれ異なる。それについては、あとで述べることにしよう。

 舞台は十九世紀のロンドン。十五年前に無実の罪で投獄され、スネイプ先生、いや、ターピン判事に美しい妻と娘を奪われたベンジャミン・バーカーが、スウィーニー・トッドと名前を変えて、ターピン判事への復讐のためにロンドンのフリート街に戻って来た。ちなみに、現在のロンドンの地図でフリート街を探してみたが、良くわからなかった。

 それにしても、いくら美しい女性と出会ったとは言え、夫と固く愛情で結ばれた人妻に対してさかんにアプローチを繰り返し、力ずくで奪ってしまうターピン判事は何者なのだろう。例え彼女の肉体の自由を奪うことができたとしても、心の自由までは奪えないはずなのに、肉体だけを自分の側に置くことで、かえって虚しくならないのだろうか。それとも、判事のように権力を持った人ならば、肉体の自由を奪うだけでも十分だったのだろうか。ターピン判事の歪んだ愛は、やがてスウィーニー・トッドによる大量殺人の引き金となって行く。

 『スリーピー・ホロウ』や『ティム・バートンのコープスブライド』でもそうだったが、ティム・バートン監督が描き出す闇の世界は、まるで一日中、夜であるかのように画面全体が暗い。それこそ、何が起こってもおかしくないような不吉な暗さである。確かに、冬のロンドンならば、暗いイメージはある。しかし、この映画の季節は必ずしも冬だけではなかったはずだ。

 そんな不吉な闇の中、私たち観客は、スクリーンで繰り広げられる数々の惨事を目にすることになる。「ああっ!」と両手で顔を覆いながらも、最も残酷なシーンが既に通り過ぎていることを期待しながら、両手の隙間からスクリーンをのぞき見る。そんな行為が、果たして何度繰り返されたことだろう。

 『スリーピー・ホロウ』にも、残酷なシーンはたくさんあった。しかし、残酷な行為を行ったのはすべて、主人公ではなく、殺人鬼だった。ところが、今回の作品では、主人公が残忍な行為を繰り返すのだ。しかも、それらはすべて、美しい妻を奪ったターピン判事に復讐するためのプロローグに過ぎなかった。

 スクリーンを通して、私たちは愛に向かってまっすぐに突き進むことの恐ろしさをまざまざと見せ付けられる。愛に向かってまっすぐに突き進むことは、常に道をまっすぐに歩き続けることにも例えることができる。まっすぐ進んだ先に、既に誰かが立っていれば、身をかわして避けようとするだろう。何故なら、そこに立ちたい人の自由意思を尊重するのも愛だからだ。しかし、そのためには、自分が貫き通したい愛を曲げなければならない。そこで、自分の自由意思を優先させるか、他の人の自由意思を尊重するかで、その人の愛が決まる。スウィーニー・トッドは、自分の愛を曲げなかった。それが彼の取った、彼の視点での愛の行動だ。

 私たちは、ある特定の期間だけを切り取って物事を判断しがちだ。例えば、誰かが人を殺めたことがニュースで流れる。世間においては、人を殺めた人物は殺人者である。しかし、その人物が殺人を犯す前に、殺人の動機に繋がるような、様々な出来事が起こっていたとしたらどうだろう。時代をもっともっと遡ってみれば、更なる原因にたどり着くこともある。しかし、多くの場合、問題の根本までたどり着くことができずに、ある特定の時間だけが切り取られて判断されてしまうことが多い。時には、その根本原因は過去世まで及ぶことさえあるというのに。

 共同作業を進めて行くうちに、ミセス・ラペットはスウィーニー・トッドを愛するようになるが、スウィーニー・トッドはただただ一途にかつての美しい妻のことを想っていた。その頑なでまっすぐな想いが、悲しいほどに伝わって来る。

 たくさんの人を殺めてしまったスウィーニー・トッドは、やがて大きな大きな代償を支払うことになる。人が生きて行く上で、最も大きな苦しみとは何だろう。自分自身が誰かに殺されてしまうことだろうか。この映画を観ていると、どうも違うような気がして来る。何年も何年も時間を掛けて、人に殺されるわけではない。しかし、愛する人と引き裂かれた苦しみは、何年も何年も続いて行く。そうだとすると、スウィーニー・トッドの復讐は一体何だったのだろう。彼の取った行為を映像で見る限り、「それ」は一瞬にして終わってしまった。結局、誰とも愛し合っていないターピン判事からは、彼の命以外、何も奪い取れなかったことになるのではないだろうか。

 本当のところはわからないが、スウィーニー・トッドは、愛する人と引き裂かれる苦しみを知っていたからこそ、身寄りのない人たちをターゲットにし続けたのかもしれない。

 物語は、オープニングの流れ作業に繋がるようなエンディングで終わる。ティム・バートン監督の描き出す暗い闇の世界に、赤い血の色が映えていた。映画だからこそ入り込むことのできる凄まじい地獄を見せてくれた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この映画がミュージカル仕立てになっていることを知らずに鑑賞し始めたのですが、出演者がいきなり歌い始めたので驚きました。(苦笑)もともとは舞台で演じられている作品だったのですね。とても一途で切ない物語でした。スウィーニー・トッドミセス・ラペットに支えられてもいるのに、彼女の好意には見向きもしていないのがわかります。ぽっかりと開いた心の穴は、きっと他の人では埋められなかったのでしょう。あまりにもまっすぐに歩き過ぎたスウィーニー・トッドの悲しい物語でありました。

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2008.01.27

映画『子猫の涙』

ホットヨガ(八十七回目)の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m インストラクターによれば、片足だけでポーズを取るときに、足の指でヨガマットをぎゅっと掴んでバランスを取らないほうがいいそうです。実は私は普段から、気が付いてみると、靴の中で左の足の指だけが丸くなってしまっています。右足の指は普通にリラックスしているのに、どうも左足だけリラックスしていないようなのです。気が付いたときに、緊張を解くように、左足の指をリラックスさせているのですが、もしかすると、身体の歪みと何か関係があるのかもしれませんね。さて、今日はホットヨガのレッスンの帰りに神戸店のスタジオのすぐ隣にある映画館で観た映画のレビューをお届けします。

 ホットヨガ神戸店のスタジオのすぐ隣には、ミニシアター系の映画館がある。いつだったか、エレベータの中で一緒になった買い物客のおばさまが、お連れの方にこんなことをおっしゃっていた。
「このビルの中にある映画館に行ったことあんねんけどな、お客が七六人しか入ってへんかってん。あんなんで映画館としてやって行けるんやろか?」
私は、心の中でこっそり思っていた。
「でもね、おばさま。その七人の方たちは、映画の本編が終わってエンドロールが始まっても、決して席を立たなかったでしょう? それだけ映画好きの人たちが集まって来ているんですよ」

 そう、大きな映画館に出入りしている人たちと、ミニシアター系の映画館に足繁く通っている人たちの映画に対する思い入れは違う。大きな映画館に出入りしている人たちの中には、数人でどやどやと映画館にやって来て、上映中もポップコーンなどをほおばりながら音を立てていたかと思うと、本編が終了するや否やエンドロールには目もくれず、まるで何かを消化したかのように、さっさと立ち上がって出て行く人が多い。しかし、ミニシアター系の映画館は違う。たいてい、一人またはカップルでやって来て、静かに席に着き、本編が終了しても決して席を立とうとしない。まるで最後の一粒までも楽しむかのように、エンドロールが終了して、場内が明るくなって初めて席を立つ人が多いのだ。また、映画館の優待会員になって、毎回、映画を格安料金で鑑賞している人が多いのも、ミニシアター系の映画館の特徴だ。

 これまでいろいろな映画を観て来てわかったことは、私はミニシアター系の映画に心惹かれることが多いということだ。だから、私も二つほど、三宮・神戸界隈のミニシアター系の映画館の優待会員になっている。そんな私にとって、ホットヨガのレッスンのあとに観る映画は、心休まるひとときなのである。

 さて、前置きが長くなってしまったが、先日の記事にも書いたように、この日は映画を二本観る計画を立てていた。ホットヨガのレッスン終了時刻と、二本目の映画の上映時刻に都合がいいように、見事にスケジューリングされていたのがこの映画だったのだ。

 実は、『子猫の涙』というタイトルが掲げられてはいるが、子猫が主人公の映画ではない。映画の内容は、メキシコ・オリンピックで銅メダルを獲得したボクサー森岡栄治氏の波乱に満ちた人生を再現したものである。監督を務めたのは、森岡栄治氏の実の甥に当たる人物なのだそうだ。私はたったそれだけの情報で、この映画はきっとアマチュアが作ったような仕上がりに違いないという偏見を持って鑑賞し始めた。ところがどっこい。カメラワークもストーリーも、どれを取っても素晴らしかった。何のことはない。この作品の映画監督は、過去にも作品を発表しているプロの映画監督だったのだ。

 周りの人たちから栄ちゃんと呼ばれて慕われ、はちゃめちゃな人生を生き抜いた森岡栄治氏を武田真治くんが好演している。いやはや、彼はいい役者さんに成長したと思う。台詞を覚えて栄ちゃんの役を一生懸命演じているのではない。彼の身体から、魂から、栄ちゃんのエキスがにじみ出ている。私は栄ちゃんを知らないが、彼は栄ちゃんそのものだ。そんな気迫さえ感じられた。

 オリンピックで銅メダルを獲得するということが一つの頂点だとすれば、そこから下降して行く人生はどうなのだろう。映画の中にも、オリンピックでメダルを取った選手が一生暮らして行けるだけの保証を与えてくれる国もあるが、日本はそうではないという台詞がある。この一言には考えさせられた。

 実は、スポーツに興味がない私は、例えオリンピック開催中であってもオリンピックのテレビ中継を見ない。だから、メダルを取ったオリンピック選手が日本の誇り高き存在として崇められているという状況が良くわからない。良くわからないながらも、その栄光をたたえる人たちが、栄ちゃんと何らかの接点を持ちたがるであろうことは想像できる。しかし、プロに転向した栄ちゃんは、成績が振るわず、おまけに試合で片目が見えなくなってしまい、とうとう引退することになる。そこから始まる栄ちゃんの転落とも言える人生。オリンピックで銅メダルを獲得したのだから、その後の人生も輝き続けると思ったら大間違い。その後の栄ちゃんの人生は、やくざとの関わりや、夫婦の不仲、異性関係の乱れ、ついには離婚など、様々な問題を抱えていたようだ。それでも、子供たちはずっと栄ちゃんの側に居た。

 この映画は、栄ちゃんの娘である治子(はるこ)の視点から語られている。その治子は、父の栄光をリアルタイムでは知らない。オリンピックで銅メダルを獲得するということがどれだけ凄いことなのか、あまりにもピンと来ないので、リアルタイムの活躍を知っているおじいちゃんに確認している。治子から見れば、父は単なる女好きのスケベ親父である。とても尊敬に値するような人物ではない。それに、治子から見た父は、ボクシングジムのコーチの仕事をしているものの、本当にボクシングが好きなのかどうかもわからない。その疑問がずっと治子の中で引きずられ、物語の最後に花を咲かせる。

 やがて栄ちゃんは、あっけなくガンで亡くなってしまう。強がって別れることになった栄ちゃんのかつての妻も、栄ちゃんの棺の前で激しく泣き崩れる。それが彼女の真実だった。人が亡くなることで、これまでわからなかったことが次々に明るみになって行く。例えそれがどんな内容であったとしても、そこで知りえた真実は、故人の遺して行った断片を繋ぎ合わせる手掛かりとなる。生前、警察の取り調べまで受けることになった栄ちゃんが、本当にボクシングが好きだったかどうかを、取り調べを担当したという栄ちゃんファンの刑事さんが解き明かす。おそらく、この映画のクライマックスはそこにある。

 何と素晴らしいヒューマンドラマよ。事実は小説よりも奇なり。大きなことを成し遂げた人の人生ほど、波乱に満ちている。波乱が人を大きく成長させてくれるのだろうか。人生、山あり谷あり。そう、この映画は、人生の谷にスポットを当てた作品と言えるかもしれない。人生の山を体験した人が、谷をどのように生き抜いたか。谷の生き様を見せてくれる作品でもある。

 人間、どんなはちゃめちゃな生き方を選択したとしても、振り返ってみれば、そこには一本筋の通った人生の輝きがある。そんなことを感じさせてくれる素晴らしい作品だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 親がしっかりしていないと、子供がしっかり育って行くのでしょうか。だらしのない親を見ると、反面教師として、決して自分だけはそうなってはいけないと奮起するのかもしれませんね。世の中、うまく出来ているものです。家のことを何でもこなす母を持った私は、家庭的でない女性に育ってしまいましたが。(苦笑)この映画、上映されている映画館は少ないようです。このような素晴らしいヒューマンドラマが全国展開されないのはとても残念であります。映画館でご覧になれない地域にお住まいの方は、DVDが発売されるかどうかわかりませんが、心に留めておいてくだされば幸いです。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.01.26

ホットヨガ(八十七回目)

映画『アース』の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 実は、この映画のレビューについては、表現し切れなかったことがたくさんあります。一つは、ツルの舞い降りる里にも書かせていただいた特別天然記念物の話です。映画『アース』によれば、このまま地球温暖化が進めば、北極の氷が解けやすくなり、北極に住む白熊が絶滅の危機にさらされるのだそうです。どうも数だけが守られようとしているようで、私の中でしっくり来ないのです。今はどうだか知りませんが、私が小さい頃、鯨の数が減って来たので、鯨を捕って食べることが禁止になりました。ううん、私の中のもやもやを、何と表現したらいいのやら。一言で言うと、命に優劣をつけているようで抵抗があったのです。それが私の中で何とも引っかかります。極端な話、特別天然記念物として守られているツルの命と、弱肉強食で肉食動物に食べられた草食動物の命とどう違うの? と言いたくなってしまうのですね。でも、それを言い始めたら切りがありません。私は、道の上を歩くときに踏み潰している蟻のことを考えながら生活しているわけではありません。鳥や魚も食べています。それなのに、命に優劣をつけていることに対し、反論できないのです。自分の中の理想と現実が異なっているような、そんなもやもやした気持ちをずっと抱え続けているのです。

 神戸店で脂肪燃焼コース2のレッスンを受けた。レッスンを担当してくださったのは、先日の定時退社日のときに三宮店に応援に駆けつけていたインストラクターである。

 実は、ホットヨガには支店ごとのスタッフが近況報告やお勧め情報などを綴っているブログがある。そのブログにはしばしば、神戸店に飾られているサボテンの観察日記が綴られている。店内に置かれている植物は、すべて園芸業者さんからレンタルされているものらしい。他の植物は、すっかり元気がなくなってしまい、園芸業者さんにお願いして新しい植物に取り替えていただくことが多かったようだが、このサボテンは開店当時からずっとすくすくと成長し続けているのだそうだ。現在も、添え木までしてもらい、すくすくと元気に成長し続けているという。ブログやホームページもそうだが、植物もまた、愛情を注がれることで元気に成長して行くものだ。

 今回のレッスンを担当してくださったインストラクターは、サボテンの成長して行く様(さま)をブログに綴っているインストラクターだった。ブログで紹介されているサボテンを実際に拝見したのだが、実にまっすぐ伸びていた。後ろを見ると確かに添え木があった。おそらくサボテンは、添え木をしてもらっていることに安心して、すくすくと上に伸びているのだろう。サボテンの添え木は、人間にとっての杖に相当するのだろうか。それとも、コルセットだろうか。何の助けも借りずにすくすく伸びているのではなく、添え木によって一層元気に伸びているというところに、スタッフとサボテンの愛の架け橋が架かっているように思えてならない。

 土曜日の夕方だったからだろうか。レッスンを受ける人の数は少なく、神戸店のシャワールームと同じ数の十一名だった。両手をゆったりと広げ、くつろぎながらレッスンを受けた。ここしばらく、神戸店においてはひしめき合いながらレッスンを受けることが多かったので、ゆったりとしたレッスンを受けることができたのは久しぶりのことだった。

 受付で、ずいぶん久しぶりのインストラクターに出会った。もしかすると半年振りくらいかもしれない。彼女はまだ、私が脂肪燃焼コース2に進んでいなかった頃、主に脂肪燃焼コース2のインストラクターを担当していた。今でも脂肪燃焼コース2の担当が多いのだと言う。しかし、私が脂肪燃焼コース2のレッスンに進んでからは、まだ一度も彼女のレッスンに当たったことがなかった。

 会話の中で、私は自分のシステム手帳に書き込んだインストラクターの名前をさりげなく活用している。今回のレッスンを担当してくださったインストラクターの名前も、久しぶりに顔を合わせたインストラクターの名前も、さりげなく引用させていただいた。なかなか気持ちが良いものである。

 私は、
「では、明日は梅田店に行って、フロウコースのレッスンを受けて来まーす」
と宣言して、神戸店をあとにした。フロウコースとは、流れるようなポーズを目指したレッスンで、三宮店や神戸店ではまだ開催されていない新しいレッスンである。

 ガンモに夜の仕事が入っていたため、私はレッスンのあと、映画を二本観て帰宅した。一本は、ホットヨガのスタジオのすぐ隣の映画館、もう一本は、三宮のミント神戸の中にあるレイトショーである。久しぶりに映画館のはしごをして気持ちのいい土曜日だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 週末に更新の遅れを取り戻すべく頑張ってみたのですが、なかなか難しいものですね。出掛けることが多く、例えノートパソコンを持ち歩いていたとしても、ゆっくりと落ち着いてパソコンに向かうことができないのが原因だと思います。締め切りに追われ、ホテルに缶詰になって文章を書いていらっしゃる作家さんがいらっしゃいますが、ああいうのはちょっと憧れますね。と言っても、せいぜい私が缶詰になれそうなのは、ネットカフェくらいでしょうか。ネットカフェもずいぶん利用していませんので、利用するとなると、新鮮かもしれません。

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2008.01.25

映画『アース』

 話題の映画『アース』を観た。この映画も、映画館で予告編を観たときに気になって、派遣会社の福利厚生ページで前売券を購入しておいた作品だ。スクリーンいっぱいに渡り鳥が飛んでいる予告編は実に壮大で、公開されたら是非とも観に行きたいと思っていたのだ。しかし、実際に鑑賞してみると、私が想像していた内容とは少し違っていた。違っていたからと言って、この映画が素晴らしくないと言っているわけではない。私の中で勝手に想像を膨らませていたに過ぎない。

 私は、NHKのこの手の番組を観てはいない。テレビでこの手の番組を観ていたのは、もうずいぶん前のことだ。だから、この手の映像ならテレビでも十分観られるとコメントされている人たちと同じ視点に立つことはできない。というのも、私自身が普段からカメラを持ち歩いているからだろうか。いつの間にか、私は映画を撮影する側の視点でこの映画を観ていた。

 台本通りに演じてくれない野生動物を撮影するには、長い時間、フィルムを回し続けて、決定的な瞬間が訪れるのをひたすら待ち続けることになる。ということは、映画の中では決定的なシーンばかりが採用されてはいるものの、公開されない決定的でないシーンのほうがはるかに膨大であろうことを想像する。つまり、この映画は、製作スタッフの努力と根気で撮影された作品だと言える。

 素晴らしいと思ったのは、野生動物たちの映像ばかりでなく、音までも同時に拾っているということだ。カメラで映像を撮影するだけならば、遠距離から高性能な望遠レンズが仕事をしてくれる。しかし、同時に音まで拾えているのはどういうことなのだろう。例えば、北極で冬眠から目覚めたばかりの白熊が映し出される。鹿児島名物の白熊ではない。生きている白熊だ。白熊は、生まれて間もない小熊たちを連れて、雪で覆われた斜面を半ば滑りながら歩いている。そうした映像において、生まれて間もない小熊たちの泣き声がきちんと収録されているのである。つまり、仕事をしていたのは単に望遠レンズだけではないということだ。音を拾うためのマイクも同時に仕事をしていたことになる。極寒の北極で、白熊たちが足を滑らせてしまうほどの雪で覆われた斜面をどのように撮影しながら音を拾ったのだろう。

 また、草食動物を真剣に追いかける肉食動物もいくつかとらえられているが、万が一、ターゲットが草食動物でなく、撮影中の人間に切り替わってしまったとしたらと想像すると、恐ろしいことだ。走る動物たちを追いかけるスピードはすこぶる速いはずなのに、手ぶれは見られず、確実にその瞬間をとらえている。遠くから望遠レンズを使って撮影する場合、被写体との距離が遠ければ遠いほど、素早く動く被写体を的確にとらえるのは難しい。一体どれくらいの距離から撮影されたものなのだろうか。鑑賞中、そんなことが気になっていた。

 この映画では、肉食動物が草食動物に喰らいついてからの、最も残酷なシーンはほとんどカットされてしまっている。弱肉強食の真実を映し出していないという点においては、賛否両論があるかもしれないが、私は映画を観る人への気配りだと解釈している。

 この映画を観ていて思ったことは、もしかすると、人間以外の動物は群れる傾向にあるのではないかということだった。人間は、この映画の中で取り上げられている動物たちと違って、比較的少数で行動したがる。動物たちのように生活の場を変えることはあるが、その原因は、仕事の都合による出張であったり、転勤だったりする。それらの移動はあくまで人為的なものであり、生活するためにより良い環境を求めて旅をしているわけではない。自分の意志で移動しているというよりも、移動させられているという表現のほうがしっくり来る。しかし、動物たちは、より良い環境を求めて、時には何百キロ、何千キロと集団で移動する。彼らはそれだけ自然の環境に左右されやすいということだ。渡辺謙さんの吹き替えによるナレーションの中にも、我々生き物にとっては、太陽と水が大切だということがしきりに力説されている。

 文化を持たず、自然の環境に左右されやすい動物たちは、水がないという危機に直面することもある。しかし、文化を持つ人間にはそれがない。だから、地球温暖化の影響があると言われても、あまりピンと来ないのかもしれない。文化で何とかなると思っているのではないだろうか。地球温暖化の問題は、私たちにとって、まだまだ間接的な問題であり過ぎるのだと思う。

 しかし、もっと直接的にとらえるならば、自分自身の身体の問題に置き換えてみるといいのではないだろうか。身体の問題として最も顕著なのは、昔はそれほど多くなかった病気が増えて来ているということだ。地球と私たちの身体は同期していると思う。何故なら、環境や食べ物が私たちの身体を造っているからだ。だから、地球の環境を整えるということは、私たち自身の身体を整えるということに等しい。環境汚染や地球温暖化の問題にピンと来ないなら、自分自身の身体を整えて行くためにはどのようにすれば良いかを考えてみるといいのではないかと思う。それが、地球の環境を整えて行くことに繋がって行くと私は思うのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この映画が問題提起しようとしている内容については、あまりピンと来ない人も多かったようです。確かに、地球温暖化の問題は、最後に取って付けたようなアプローチになっていました。私は、地球温暖化の問題は、私たち人間の生活が便利になり過ぎて、自然の暑さや自然の寒さを我慢し切れなくなってしまったことにも要因があるように思います。もっと自然の暑さを受け入れたり、自然の寒さを受け入れるような生活をしてみるというのはどうでしょうか。というのも、私自身が、夏の冷房や冬の暖房があまり好きではないからなのですが。人間がもともと持っている力をもっと信頼することで、地球の変化を最小限に食い止めることができるのではないかとも思えます。

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2008.01.24

裁判通達書

映画『シルク』の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m たくさんの方たちから応援をいただきました。映画をご覧になった方も多いのかもしれませんし、男女の愛の映画として気になっている方も多いのかもしれません。いずれにしても、ああ、ちゃんと内容を読んでくださっているのだなあという感触がひしひしと伝わって来ました。感謝、感謝であります。私が映画館に足を運ぶようになったのは、自分の中のエネルギーがひどく落ち込んで来たときに、映画を鑑賞することによって、自分自身の中に眠っている感情を引き出してもらおうとしたことがきっかけでした。今では映画を観ると、楽しみながらレビューを書いています。もちろん、観た映画にも当たり外れがあり、レビューを書きたくなる映画とそうでない映画があります。今は少し調子に乗っていますので、近いうちにまた別の映画の記事を書かせていただくことになろうかと思います。(笑)その前に、映画とは関係のない話題を一つお届けしますね。

 先日、私宛に奇妙なハガキが届いた。私よりも先に帰宅していたガンモが先にそのハガキを見て、
「まるみはいろんなお店でものを買って個人情報を公開したりするから、こんな変なものが届くんだよ」
と言った。そのハガキには、以下のように書かれていた。

裁判通達書

この度、貴方はご契約会社及び債権回収業者に対しての契約不履行につき原告側が提出した起訴状を指定裁判所が受理した事を通知いたします。後日、指定裁判所から出廷命令通知書が届きますので記載期日に出廷して頂く様お願い致します。出廷拒否されますと民法136条(民事訴訟法)に基づき原告側の主張が全面的に受理され財産調査の上、動産物、不動産物及び給料の差し押さえを執行官立会いの下、強制的に執行させて頂きます。また、裁判所執行官による「執行証明の交付」を承諾して頂く様お願いすると同時に債権譲渡証明書を1通郵送させて頂きますのでご了承下さい。尚、書面通達になりますので個人情報保護の為、詳しい詳細等は当局員までご連絡ください。
※ご連絡なき方には不本意ながら本書を勤務先等へ郵送させていただきます。

裁判取り下げ期日     平成20年1月XX日

 このあと、このハガキの発送元の住所と電話番号が書かれていた。いやはや、ブログのネタになりそうなハガキをありがとう。

 ガンモは、
「『詳しい詳細』って何だろうね? 変な日本語」
と言いながら笑っていた。確かに良く見ると、他にも日本語の表現で気になるところがあった。まず、「事」、「尚」、「為」や「下さい」が漢字表記されていること。正式な日本語では、これらの用語は漢字表記しないはずだ。また、「頂く様」という表現も気になる。「頂く」が平仮名の「いただく」になっているところもあり、表現が統一されていない。全体的に読点が少ないのも気になる。これらのことからも、普段、このような文章を書くことに慣れていない人が、慣れない文章を一生懸命書き上げたように見えてしまう。実際、こうした文章は、推敲を重ね、流れるような文章に仕上がっているはずなのだ。

 おそらくだが、このハガキの狙いは、このハガキを受け取った人が驚いて、指定された電話番号に電話を掛けて来ることにあるようだ。発送元の名前は、実にもっともらしい名前で、しかも、携帯電話ではなく、固定電話の電話番号が提示されている。そのような電話番号を見れば、ハガキの発行元がきちんと事務所を構えていると錯覚してしまうことだろう。そして、電話を掛けて来た相手に対し、何だかんだと言いくるめて、高額な裁判取り消し料を支払わせるつもりなのだろう。

 私はガンモに、
「固定電話の番号が書かれてるけど、その電話番号を誰が使ってるか、警察が調べればすぐにわかるんじゃないの?」
と言ってみた。するとガンモは、
「『裁判取り下げ期日』が指定されてるから、指定したその日にだけ繋がる電話を用意してるんだろう。例えば、転送電話とかさ」
と言った。なるほど、確かに私の手元にこのハガキが届いたのは、ハガキの中で「裁判取り下げ期日」に指定されている当日だった。ガンモの言う通り、この日だけ通じる固定電話を用意し、同じ日を裁判取り下げ期日に指定したハガキをいくつもばらまいて電話待機すれば、ハガキを見て驚いた人が電話を掛けて来るかもしれない。そういう狙いなのだろう。

 結局、このハガキが届いてから十日以上経っているが、このハガキに書かれているような債権譲渡証明書なるものは私の手元には届いてはいない。ということは、やはり、このハガキを受け取った人たちを指定された固定電話に導くことだけが狙いだったのだ。このような結果なので、皆さんもどうか、この手のハガキには気をつけて欲しい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 二年ほど前に、これと同じようなハガキが届いたと、派遣仲間から聞いたことがあります。彼女もハガキを手にしたときに、「怪しいと思った」と言っていました。ずいぶん前からある手口なのかもしれません。このようなものが届いたときは、その情報が誰にとってメリットがあるかを冷静に考えることが重要だと思います。お金を支払うことで何かが解決するように提案されるならば、金銭的な利益を得る人が企んだ内容である可能性は十分に考えられると思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.01.23

映画『シルク』

ホットヨガ(八十六回目)の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 更新が遅れがちで申し訳ありません。週末には何とか追いつきたいところですが・・・・・・。さあ、どうでしょう。メールや掲示板の返信もずいぶん遅れがちになってしまい、申し訳ありません。やはり、お返事には時間が掛かってしまっています。さて、気を取り直して、今回は、映画のレビューであります。

 この映画は、映画館で予告編を観たときから気になっていた映画だったので、派遣会社の福利厚生ページから前売券を申し込んでおいた。しかし、この時期、観たい映画がラッシュを迎えている上に、なかなか映画館に足を運ぶ時間を確保することができなかった。ようやく足を運ぶことができたものの、他にも前売券を購入している映画もあったため、どの映画を観ようかと思い悩みながら、上映スケジュールを優先して観たのがこの映画だ。

 美しい新妻エレーヌをフランスに残し、優秀な蚕の卵を求め、大胆にもフランスからヨーロッパ大陸を横断し、極寒のロシアから船で日本の酒田に入った蚕の卵の買い付け人エルヴェ。ヨーロッパから壮大な旅を続けて来た新婚の彼が、日本でとても気になる少女に出会ってしまうという心理的なラブストーリーである。

 ハッピーエンドではない映画だからだろうか。映画を観終わって二、三日は、映画の余韻を引きずっていた。ちょうど、登場人物たちの感情をそのまま預かってしまったような感覚だった。一見すると不倫の映画なのだが、必ずしもそうとも言い切れない何かがこの映画にはある。

 この映画は、フランス人の物語なのに、映画の製作国はカナダ/イタリア/日本となっている。そのせいか、フランス人の言葉も英語で語られている。フランス人の言葉が最初からフランス語で語られていれば、もっと違う映画になっていたことだろう。しかし、江戸時代に英語を話せる日本人がいたことだけでも驚異なのに、フランス語を話せる日本人がいることなどもっと考えにくい。だから、フランス人の言葉も英語で語られているのかもしれない。

 製作国に日本も加わっている通り、日本でのロケも多い。ただ、日本以外の国が美しくカラフルに描写されているのに対し、日本の描写は水墨画のように白い雪と黒い農村が映し出されている。しかも、この映画で描き出されている日本は、外国人の視点から捉えたとてもミステリアスな国に仕上がっている。そういう意味で、私たちにとっては、日本という国を客観的に観察できるチャンスになっているかもしれない。

 フランスからわざわざ蚕の卵の買い付けにやって来たエルヴェは、ほとんどしゃべらないが存在感のある妖艶な雰囲気を漂わせている日本人の少女のことが気になって気になって仕方がない。少女は、原十兵衛という男と一緒にいる。二人がどのような関係なのかはわからないが、もしかすると、男女の間柄なのかもしれない。エルヴェは、原十兵衛から優秀な蚕の卵を購入する。何故かこの原十兵衛、江戸時代の、しかもひどく田舎に住んでいるというのに英語が達者である。実に不思議な人物である。今やどんな映画にも出演されている役所広司さんが原十兵衛の役を演じていたが、もしも私が配役するなら、原田芳雄さんを抜擢したことだろう。

 少女は始終、エルヴェに対してずいぶん思わせ振りな態度を取っている。私は、彼女と同じ日本人女性として、それらの思わせぶりな態度に、「おいおい、そんな思わせぶりなこと、しないだろう」と反論したくてしょうがなかった。おそらく、日本人の演じるシーンも、日本人ではないスタッフが演出を手掛けたのではないだろうか。だからだろうか。とりわけ、少女については不可解な行動が多かった。しかし、映画の中では、彼女が日本人ではないというような表現もあったように思う。

 自宅の庭が特に美しいカラフルなフランスと、水墨画のような日本の対比はいいのだが、残念なことに、色彩が変化して行くフランスから日本に向けての長旅が、あまりにも早送りのシーンとして流れてしまっている。もっと細かい描写をしてしまうと、今の上映時間では収まり切れなかったのかもしれないが、あまりにも早送りなので、フランスから日本まで、いとも簡単に移動できてしまったのかと錯覚してしまうのだった。科学が発達した現代でさえ、飛行機で十数時間も掛かる距離なのだから、もう少し移動の大変さが表現されていても良かったのではないだろうか。

 私にとって、この映画で最も印象的だったのは、エルヴェとエレーヌのセックスシーンだ。愛し合う男女のセックスは、互いの感情を交し合い、動きもスローだ。決して喜びを一人だけのものにしてしまわずに、二人で同期を取りながらくつろいでいる。どちらか、あるいは両方が快楽に溺れているわけでもない。二人とも快楽に顔を歪めることなく、とても優しい表情をしている。

 それに対し、もう一つのセックスシーンは、エルヴェとエレーヌのそれとは対照的だった。互いに感情を交わすこともなく、喜びよりも戸惑いが感じられる。終わったあとに、その二人がどんな表情で衣服を身に付けたか、スクリーンに映し出されていなくても容易に想像することができた。セックスは、衣服を身につけるまででワンセットではないだろうか。衣服を身に付ける瞬間にどのような気持ちを抱くかで、そのセックスの素晴らしさが決まるように思う。とにかく、もう一つのセックスシーンは、状況からしてもとても不可解なものだったのだ。あまり詳しく書くとネタばれになってしまうので書かないが、一体何故? という疑問ばかり沸いて来た。

 映画の中には、いくつかのキーワードがある。庭、そして文(ふみ)。愛する妻のために、庭を完成させようとするエルヴェ。その一方で、日本の少女が書いた文に心を惑わされる。そこで登場するのが、日本語を理解するというリヨンに住む娼婦マダム・ブランシュ。庭は造り上げて行くものとして登場するが、文は解いて行くものとして登場する。庭の完成も、文の読解も、まるでパズルに挑戦しているかのようだ。そして、そのパズルを解いたとき、エルヴェの前には意外な結果が現れた。予測もつかない終わり方だったからこそ、エルヴェとエレーヌの愛のあり方を考えさせられ、私たちはこの映画の余韻を楽しむことができるのだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「そう言えば、蚕の買い付けを命じたバルダビュー役の俳優さん、どこかで観たことがあるけど、誰だっけ? 何の映画に出てた人だっけ?」と、上映中、この映画とはまったく関係のないことが気になって仕方がありませんでした。レビューを書くにあたり、俳優さんの情報を参照してようやく思い出したのです。これまで、いろいろな作品に出演されている俳優さんではありますが、映画『スパイダーマン2』でオットー・オクタビアスを演じた俳優さんだったのですね。この映画は、日本がとてもミステリアスに描かれている作品としても、楽しめるかと思います。そして、愛のあり方についても十分考えさせられます。愛する人にすべてを話すことと話さないでいること。例え話さなくても相手が自分を許容してくれているのだとしたら・・・・・・。そこが、この映画を観終わったあとに感じられる余韻なのですね。別の視点からこの映画を一気に振り返るのです。

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2008.01.22

ホットヨガ(八十六回目)

まな板の上のガンモの記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 現在、ガンモはお風呂に入るときにビニールテープで傷口を塞ぎ、お風呂から上がったあとは傷口を消毒してカットバンを貼っています。寒いのに、湯船に浸かることができなくて不便を感じてはいるようですが、これも傷口が塞がるまでの辛抱であります。仕事についても、職場の人たちにサポートされながら、何とかこなしているようです。

 日曜日の夕方、私はホットヨガのレッスンを受けるために神戸店に出掛けた。参加したレッスンは、久しぶりに脂肪燃焼コース2である。

 その日はとても寒い日だった。受付でロッカーの鍵を受け取り、ロッカールームに向かう途中、吉本興業のインストラクターと顔を合わせた。彼女は、いかにも暖かそうなフリース地のルームソックスを履いていた。

 実を言うと、私はこの真冬に、夏と同じように裸足で過ごしている。仕事から帰宅して一番にすることと言えば、ブラジャーのホックを外して楽になることと、靴下を脱いで開放的な気分を味わうことだ。それらの行為がリラックスに繋がっているのだとすれば、私にとってはそれらの存在が軽い緊張感をもたらしていると考えられる。しかし、ブラジャーを着けずに仕事に出掛けて行くわけには行かないので、せめて靴下を履くのを辞めてみたのである。

 寒い日だったが、その日も私は裸足のまま靴を履いて電車に乗り、ホットヨガのスタジオに来ていた。だから、ホットヨガのインストラクターたる吉本興業のインストラクターが、いかにも暖かそうなルームソックスを履いているのを見たときに、思わず、
「冷え性なんですか?」
と聞いてしまったのだ。すると、吉本興業のインストラクターは、
「そうなんですよ。日によって、特別冷えるときがあって、今日は冷える日に当たってるんです」
と答えた。私は、
「あららら。ホットヨガのインストラクターさんなのに、冷え性とは不思議ですね」
と言った。すると、吉本興業のインストラクターは、
「腹巻もしてるんですよ」
と言って、お腹をチラッと見せてくれた。私は、
「いやいや、そんな自慢されても。腹巻なら、私だってしてますよお」
と自慢し返した。ホットヨガのインストラクターのように、身体がしっかり出来上がっている人が腹巻をしているとは驚きだった。しかし、少なくとも、私の周りにも腹巻の愛用者は何人かいる。もしかすると、単に腹巻を愛用していることを口にしないだけで、多くの女性が腹巻のお世話になっているのかもしれない。

 さて、久しぶりに受けた脂肪燃焼コース2のレッスンは、とても新鮮だった。レッスンを担当してくださったのは、いつもお話をさせていただいているインストラクターである。レッスンの始めにカパラバティ呼吸を十回、二十回、そして三十回と行った。息を大きく吸い込んだあと、身体をポンプに見立てて息を吐き出そうとしても、さすがに三十回も吐き出すとなると息が続かなくなってしまう。インストラクターも含めて、三十回ちゃんと息が続いていた人がいたのは驚きだった。

 カパラバティ呼吸のあとは太陽礼拝のポーズを左右で三セット行った。脂肪燃焼コース2のレッスンは、太陽礼拝のポーズでエンジンが掛かる。ウォーミングアップのポーズなのに、この時点で既に汗がタラタラ出て来るのだ。

 不思議なことに、いつもは挫折してしまう後半のスフィンクスのポーズからのレッスンも、インストラクターの導きにより、挫折することなく、出来る範囲で参加することができた。私はレッスン中に筋腫をかばう傾向があるため、お腹に負担の掛かるポーズは毎回パスしてしまっていた。しかし、今回のレッスンを担当してくださったインストラクターが、
「このポーズが難しい人は、両足をついてもかまいませんよ」
と言ってくださったので、私はその言葉に甘えて両足をついてポーズを取ってみたのだ。そうすることで、何とも言えないすがすがしさを感じることが出来た。最初から諦めてしまわずに、できる範囲で行うということがステップアップに繋がって行くのだと実感した。はじめの一歩を踏み出さないことは、常にゼロを選択し続けていることに等しい。しかし、はじめの一歩を踏み出してしまえば、最初は一でも、次からは二になり、更には三になりと、少しずつ完成へと近付いて行くことができるのだ。

 六十分のコースだったが、レッスンを通して汗が噴出して来て、とても気持ちが良かった。そう、私の身体が求めていたのはこの刺激、この達成感だった。はじめの一歩を体験させてくれたインストラクターに感謝している。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m レッスン中、「自分の出来る範囲で、自分のペースで参加してください」と、毎回、どのインストラクターも言ってくださっているのですが、私はお腹に負担の掛かるポーズに関しては、最初から諦めてしまっていました。そのため、前半のレッスンでは達成感を感じても、後半のレッスンでは、自分が落ちこぼれているような気がしていました。知らず知らずのうちに、他の人たちの取っているポーズと比較していたのかもしれません。でも、考えてみれば、ヨガは自分の世界なんですよね。決して宝塚歌劇団やバレエのように、全体としての美しさを問われるわけではありません。だから、最初からマイペースで良かったのです。これからは、お腹に負担の掛かるポーズを取ることを諦めずに、少しずつ歩んで行こうと思います。

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2008.01.21

まな板の上のガンモ

床屋の学校の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 髪の毛をいきなり短くすると、周りの人たちが意外性を感じてくださるのが面白いですね。でも、武田鉄矢さんは別としても、ほとんどの男性にはそういう楽しみがないのですよね。髪の毛をいきなりばっさり切るのは、女性ならではの楽しみの一つなのかもしれません。

 去年の四月にガンモが足に出来た膿を自分で取ろうとして失敗し、近所の病院のお世話になった。実は、ガンモにはそのときの後遺症がずっと残っていて、足の傷口付近に直径二センチくらいの脂肪が溜まり、そこに何かが接触すると痛みを感じるようになってしまったらしい。

 ガンモは独身時代に二回ほど、似たような症状で病院のお世話になったことがあるという。二回とも簡単な外科手術を施されたそうだ。おそらく、今回も簡単な手術になるだろうと言いながら、ガンモは再び近所の病院に出向いた。

 ガンモを診てくださった医師は、心臓血管外科医だったそうだ。きっと普段は、難しい手術を担当されているのだろう。ガンモの症状をご覧になり、やはり手術になるとおっしゃったが、
「そんなもったいぶるような手術じゃないですから。十分で終わるほどの簡単な手術ですからね」
と補足されたそうだ。医師はすぐにでも手術を始める勢いで、看護士さんに、電気メスがあるかどうか、その場で確認したらしい。やがて医師は、電気メスがあることを確認すると、すぐ隣の処置室で手術を始めようかと提案してくださったという。

 しかしガンモは、手術をした場合、手術の翌日も病院に出向き、消毒する必要があると医師から聞かされたため、まずは仕事を二連休させてもらってから、後日、手術を受けることにしたのである。

 そして、とうとうその手術の日がやって来た。簡単な手術と言われていたので、私は通常通り、朝から仕事に出掛けて行った。本来ならば、私も仕事を休んでガンモの手術の応援に駆けつけたかったのだが、ここのところ、身体の具合が悪くて仕事を休みがちだったので、休まずに仕事に出掛けたのである。

 ガンモの手術は十五時からの予定だった。しかし、十五時少し前に「手術が無事に終わりますように」と祈りを捧げようと思っていたのに、あろうことか、私は仕事に追われ、十五時半になってようやくガンモの手術のことを思い出した。コロッと忘れていたとはこのことである。慌てて祈りを捧げたが、十五時から始まって、十分で終わるような手術なら、もしかすると既に無事に終了してしまっているかもしれなかった。そこで、手術の様子を聞くために、十六時過ぎにガンモの携帯電話に電話を掛けてみたのだが、何度掛けても電話が繋がらなかった。私は一体どうしたのだろうと思い、少し不安になっていた。

 足を少し切るだけの簡単な手術と聞いていたので、局部麻酔のはずだが、まさか麻酔で何か事故でも起こってしまったのだろうか。よからぬ予感はしなかったが、簡単なはずの手術に一時間も掛かってしまうのはおかしい。

 結局、ガンモと連絡が取れたのは十七時前だった。ガンモ曰く、直前になって、頭に大怪我をしたおばあちゃんが急患で運び込まれ、手術の開始時間がひどく遅れてしまったらしい。その他にも、ガンモの手術を担当してくださる医師の手術を受けたばかりの患者さんが急に具合が悪くなり、その場で入院することになってしまったという。その患者さんは、のどがひどく渇く傾向にあり、脱水症状を起こしていたそうだ。これから手術を受けようとしていたガンモは、その様子を見て、果たして自分の手術も大丈夫なのだろうかと不安になってしまったらしい。

 ガンモは二十畳ほどもある本格的な手術室に案内され、手術着に着替えて待機していたという。しかし、このようにいろいろな要因が重なり、手術の開始時間が予定よりも大幅に遅れてしまったそうだ。そのため、ガンモは薄着の手術着で待機し続けることがあまりにも寒く感じられ、とうとう自分から申し出て、上着を羽織らせてもらったそうだ。まな板の上のガンモも、薄着で待機していたために、風邪を引きそうになってしまったというわけである。

 局部麻酔を六本も打たれたあと、ようやく手術が始まったものの、今度は十分で終わると言われていた手術が意外にも長引いてしまい、途中、院内で使用しているPHSに院長らしき人から二度も電話が入り、「手伝おうか?」と言われていたらしい。しかし、手術を担当してくださった医師は、院長の応援を断ったと言う。結局、十分で終わると言われていた簡単なはずの手術は、予定をはるかにオーバーして、三十分も掛かってしまったそうだ。

 こうして、ガンモの足の傷口にくっついていた脂肪の塊は無事に取り除かれた。手術直後で足を曲げられないガンモは、自転車を転がしながら何とか帰宅したという。

 私は、仕事から帰宅して、ガンモに傷口を見せてもらった。すると、ブラックジャックみたいに、ガンモの傷口が縫い合わされていた。さすがに手術直後の傷口は生々しい。私は気を取り直して、冗談っぽく、
「そのお医者さん、縫い物ができるんだったら、ガンモの穴の開いた靴下も縫ってもらえば良かったのに」
などと言った。冗談はさておき、実は私自身もガンモの症状がずっと気になっていて、
「病院に行けー」
と口がすっぱくなるくらい言い続けていたので、こうして無事に手術を終えることができてひとまず安心である。今後のスケジュールは、翌日、消毒に出掛け、一週間後に抜糸の予定なのだそうだ。

 それにしても、ガンモの手術は十五時から行われていると聞いていたのに、私はコロッと忘れていた。しかし、結果的にはガンモの手術は、私が気付いた一五時半頃にようやく始まったのである。こうした絶妙なタイミングも、ガンモとの関わりの中ではもはや当たり前の現象になりつつあるのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最初は、処置室で横になっているだけで、十分で終わる簡単な手術などと言われたようですが、実際は二十畳ほどの大きな手術室に入り、手術着に着替えて手術を行ったようです。二十畳ほどの大きな手術室というのは、医師や看護士さんが一度にたくさん入室することができるように作られているようです。局部麻酔なので、ガンモは自分の手術の様子を見届けたいと思っていたようですが、実際は身体を起こせない状況にあったようです。何から何まで予定通りにはことが運ばなかったガンモの簡単な手術でありました。ただ、傷口はすぐにはふさがってくれないようで、ときどき痛がっていますが、ブラックジャックの傷口が塞がれば、もう少し楽になることでしょう。(苦笑)

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2008.01.20

床屋の学校

ホットヨガ(八十五回目)の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 久しぶりに平日のレッスンを受けたわけですが、やはり、仕事帰りにちょこっとでも汗をかいて帰宅するのはいいものですね。私の仕事は、確実に仕事を早く上がれるという保障がないため、月に一度の定時退社日くらいしか平日のレッスンに参加することができないのが残念です。早朝レッスンがあるといいのですが・・・・・・。

 いつの間にか、私の髪の毛はすっかり伸びてしまっていた。「医者の不養生」などと言うが、私自身はサービス満点の床屋さんなのに、美容院があまり好きではないのだ。本当は伸びてしまった髪の毛をばっさり切ってしまいたいのだが、美容院では当たり障りのない話をしなければならないため、苦手なのである。そのため、伸びて来た髪の毛を束ねて何とかやり過ごしていた。

 あるとき、伸びた私の髪の毛を見て、ガンモがこう言った。
「武田鉄矢さんみたいに伸びて来たね」
「ええっ?」
私は一瞬、言葉を失った。武田鉄矢さんは男性ではないか。何故、武田鉄矢さんを引き合いに出すのだろう。私は女性なのだから、女性の有名人を引き合いに出して欲しい。
「ちょっとちょっと。何で武田鉄矢さんなの?」
と口を尖らせて反論したものの、私自身も、今の自分の髪の毛にぴったり来る有名人が思い付かなかった。それなら、武田鉄矢さんでも、まあ、いいか。私は、
「暮れーなずぶーまちどーひかーりとーかげのーなかー」
とガンモの前で歌った。

 「髪の毛、切らないの?」
とガンモが尋ねるので、私は、
「美容院、苦手だからね。それに、美容師さんに『学生さん?』って聞かれて、美容師さんの夢を壊してしまうのも申し訳ないし・・・・・・」
と言い掛けた。すると、ガンモはすかさず、
「大丈夫。『学生さん?』なんて聞かれないから」
と言った。私は少しむっとして、
「まあ、失礼な。だって、少し前までは二十代に見られてたんだからね」
と反論した。これは本当のことだ。少し前までは、カメラを首からぶら下げて歩いていると、
「写真学校の生徒さん?」
などと声を掛けられていたのだ。

 ガンモ曰く、私が武田鉄矢さんみたいに髪の毛を伸ばしているのは、結婚して以来、初めてのことだと言う。私の長い人生において、もっと若い頃には長く伸ばしていた時期もあったはずだが、確かにガンモと出会ってからはずっとショートヘアを通していたので、ガンモがそう言うのも無理はないかもしれない。

 ショートヘアに慣れてしまうと、伸びてしまった髪の毛を邪魔に思う傾向がある。私は、髪の毛を一つに束ね、前髪もヘアピンで止めていたが、髪の毛を解(ほど)いてしまうと、自分の髪の毛がひどく邪魔で仕方がなかった。しかも、おだんごヘアにするにはまだ長さが足りなかったため、ホットヨガのレッスン中に仰向けになると、束ねた髪の毛が頭に当たり、ストレスを感じてもいた。そこで私は、とうとう思い切って、苦手な美容院に足を運ぶことにしたのである。

 美容師さんには、
「美容院に来られるの、久しぶりなんですね」
と言われてしまった。やはり、髪の毛を専門に扱っていらっしゃる方にはわかってしまうようだ。私は、
「はい。美容院が苦手なんです」
と正直に答えた。美容師さんは、
「でも、毛染めはご自分でなさるのね」
とおっしゃった。私は、
「はい。そうなんです。でも、毛染めも、たまらなくなってからする方ですね」
と答えた。そう、私はときどき自分で白髪染めをしている。しかし、これも子宮への影響を考えて、我慢できるギリギリのところまで実践しない。美容師さんは、私の頭が少しずつ白くなりかけているのをご覧になって、そのようなことをおっしゃったのだろう。

 ありがたいことに、私を担当してくださった美容師さんは、当たり障りのないことを次から次へと話し掛けて来る美容師さんではなかった。私は安心して、その美容師さんにカットをお任せした。美容師さんは、櫛と鋏を見事に使いこなして、私の髪の毛を切りそろえてくださった。私は鏡越しに、美容師さんの手さばきを研究した。美容師さんの技術を、サービス満点の床屋さんに活かそうと思ったのである。

 帰宅してから、ガンモと顔を合わせると、ガンモは私の新しい髪型を一目見て気に入ったようだ。
「おお、良く似合うよ。かわいいよ、かわいいよ」
などと言う。私が調子に乗って、
「武田鉄矢さんだったのが、ちょっと前のキョンキョンに変身したでしょ」
と言うと、
「それは言い過ぎだろう」
と釘を刺されてしまった。それでも、ガンモは私の髪を見る度に、
「良く似合うから。かわいいから」
と言いながら、にこにこしてくれた。これだけ気に入ってくれるなら、私の美容院嫌いも治るかもしれない。しかし、こうして久しぶりに美容院に足を運んだからこそ、一気に大変身を遂げて、ガンモを喜ばせることができるのだということも私は知っている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 美容院は、サービス満点の床屋さんのための学校と思えばいいんですよね。美容師さんの手さばきが気になって、じっと見ていました。ただ、ガンモの髪質と私の髪質は違うので、私が見て来たようには行かないかもしれません。あと、鋏の切れ味にも注目してしまいました。我が家の鍬鋏(すきばさみ)は、美容院で使われているものほど切れ味が良くないことに気が付きました。良く切れる鍬鋏が一つあると便利だと思いました。

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2008.01.19

ホットヨガ(八十五回目)

白熊を耕すの記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m この時期、おいしいカニにしても、鹿児島名物の白熊にしても、おいしいものを食べるとなると、ついつい過剰になってしまうのはどうしてなのでしょうか。カニプランを提示している旅館に宿泊すると、「しばらくカニはいいよ」と言いたくなるくらい、たくさんのカニが出て来ます。鹿児島の白熊も然りですね。おいしいものは、毎日少しずつ食べるのではなく、特別な日にたくさん食べなければならない運命にあるようです。

 先週の水曜日は、月に一度の定時退社日だった。久しぶりにホットヨガのレッスンを受けようと思い立ったものの、仕事の状況により、もしかすると定時には上がれない可能性もあった。そのため、私はレッスンの予約をしないまま、レッスンに参加する準備だけ整えて仕事に出掛けた。レッスンの予約をしなかったのは、万が一仕事の都合でレッスンに参加できなくなった場合でも、指定時間内に予約をキャンセルできないと、一回分の回数券が消費されてしまうからだ。参加できるかどうか状況が不安定なときは、参加が確定するまで予約しないほうがいいのだ。

 仕事の状況を見て、予定通り定時に上がれそうだと判断した私は、ホットヨガ神戸店に予約を入れるために電話を掛けた。いつもならば、インターネットでレッスンの予約ができるのだが、レッスンの時間が迫って来ると、電話での受付のみに切り替わるのである。水曜日の神戸店では、十九時半から七十五分のアクティヴコースのレッスンが開催されていた。かつて、私が何度も参加したレッスンである。前日の夜、このレッスンの予約状況をインターネットで参照したときは、定員間近のマークが付いていた。そのため、もしかすると既に定員に達してしまったかもしれないと思いながら電話で確認してみると、案の定、
「申し訳ございません。そちらのレッスンは、既にご予約でいっぱいになってしまいました」
と言われてしまった。ああ、せっかくレッスンの準備をして家を出て来たのに残念だ。

 それでも、私は諦め切れなかった。「神戸店が駄目なら、三宮店があるじゃないか!」と気を取り直し、インターネットで三宮店のレッスンスケジュールを確認してみた。すると、仕事を定時に上がって参加できるレッスンと言えば、十九時四十五分からのビギナーコースしかなかったのだ。

 ビギナーコースと言えば、もうずいぶん長いこと参加していないレッスンである。そう言えば、少し前にポーズを正すために原点に帰ろうとして、九十分のベーシックコースのレッスンを受け始めた。そのとき、ベーシックコースに戻るか、更にさかのぼってビギナーコースに戻るかで少し悩んだはずだ。結局私はベーシックコースのレッスンを受けることにしたのだが、結果的にそれは正解だったと思っている。ただ、どのポーズが、身体のどのような症状に効果があるのかを、インストラクターがきちんと説明してくださるのはビギナーコースだけなので、もう一度ビギナーコースのレッスンを受けてみたい気持ちもあった。ひょっとすると、今回がそのチャンスなのかもしれない。私はそう思い、思い切って、三宮店でビギナーコースのレッスンを受けることにしたのである。

 さて、三宮店に着いて、着替えを済ませてスタジオに入ってみて驚いた。何故なら、参加されている皆さんの年齢層がひどく低かったからだ。ビギナーコースというと、ホットヨガに入会されて半年前後の方たちが参加されている六十分のレッスンである。ホットヨガのレッスンを受け始めるのに年齢は関係ないと思うのだが、ビギナーコースに参加されている方たちは、単に年齢層が低いだけでなく、全体の雰囲気も初々しかった。私がこれまで参加して来たレッスンには、熟練者が多かったためか、スタジオ内にはいつも落ち着いた雰囲気が漂っていた。レッスンに慣れて来ると、それぞれが自分の世界を持ち始める。そうして確立された個々の世界が、落ち着いた雰囲気をかもし出しているのかもしれなかった。しかし、ビギナーコースに参加している人たちは、それぞれがまだ独自の世界を持たず、レッスンに対して受身だ。レッスンへのそうした取り組み方の違いが、雰囲気を大きく変えているのかもしれない。

 今回のレッスンを担当してくださったインストラクターは、初めて顔を合わせるインストラクターだった。あとから聞いた話によると、梅田店から応援に駆けつけたインストラクターだったようだ。さて、久しぶりにビギナーコースのレッスンを受けた感触としては・・・・・・。正直に書いてしまうと、物足りなかった。六十分間、ほとんど汗もかかず、身体が更なる刺激を求めているのがわかった。私の身体は、いつの間にか激しいポーズに慣れてしまい、三十八度の部屋でビギナーコースのポーズを取っても、汗をほとんどかかなくなってしまった。やはり、汗の量を期待するなら、六十分の脂肪燃焼コース2がダントツだろう。続いて、九十分のアクティヴコースか、2の付かない六十分の脂肪燃焼コースだ。

 汗をかく量を気にせずに、ヨガのポーズを極めるならば、ビギナーコースやベーシックコースはきっと最適だ。しかし、ひとたび刺激的なレッスンに身体が慣れてしまうと、緩やかなレッスンにはもはや戻れなくなってしまう。今回、ビギナーコースに参加してみて、もう一度、脂肪燃焼コース2に戻ってみようと思い始めた。そういう意味で、ビギナーコースのレッスンに参加できたことは有意義だったと言える。どのレッスンに参加するのが最も最適であるかを、消去法により確認したのである。

 六十分のレッスンが終わり、どやどやとスタジオから出てロッカールームに雪崩れ込もうとしているとき、受付に良く知った顔のスタッフが立っているのが見えた。何と、神戸店でいつもお話をさせていただいているスタッフだった。
「あっ」
と私は声をあげた。すると、神戸店のスタッフが私に気付いてくださった。彼女は、たまたま三宮店の応援に駆けつけていたらしい。彼女の存在を確認したとき、私は大きな安心感を覚えた。普段、あまりおしゃべりすることのない三宮店のスタッフの中に、一人だけ良く知っている人が混じっていたからだ。このとき私が体験したのは、幼稚園に預けられた園児が、たくさんのお母さんの中から自分のお母さんを見つけたときの安心感のようなものだったかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回の記事を書きながら、自分でも「あれれ?」と思ったことがあります。私はポーズの基本を学び直すために、脂肪燃焼コース2からベーシックコースに戻ったはずでした。そして、今回のレッスンでは、更にビギナーコースへとさかのぼったわけですが、何だか求めるものが違って来ていて、おかしいですよね。もともと、レッスンをさかのぼったのは、ポーズの基本を学び直すことが目的だったはずなのに、基本に帰り過ぎると、身体が刺激を求めてしまっているのです。私にとって、身体への心地良い刺激と、ポーズの基本が絶妙に交差するレッスンは、どんなレッスンなのでしょう。ひとまず、脂肪燃焼コース2のレッスンに戻ることにしますが、もしかすると、これからももう少し試行錯誤が続いて行くかもしれません。

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2008.01.18

白熊を耕す

ちょいと桜島への記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 鹿児島市内の野菜売り場で生まれて初めて桜島だいこんの実物を見ました。ずいぶん実が詰まってますね。子供の頃、男子が女子の足を「桜島だいこん」などと言って茶化していたのを思い出しました。あの頃は、桜島だいこんの実物を見たことはありませんでしたが、ひょっとすると桜島だいこんは、今の私の足よりも、ずっと小ぶりかもしれませんねえ。(苦笑)

 寝台特急なは・あかつきで九州入りした私たちだったが、帰りは鹿児島空港から神戸空港まで空の便を利用することになっていた。しかし、その前に、せっかく鹿児島にやって来たのだから、三年半前と同じように、あれを食べておかなければならないだろう。そう、あれとは、タイトルにも示した通り、白熊のことである。

 もしかすると、白熊をご存知ない方もいらっしゃるかもしれないので、白熊について簡単に説明しておこう。氷白熊の本家-天文館むじゃきというお店で食べられる鹿児島名物の白熊は、自家製のミルクのかかったカキ氷である。自家製ミルクだけでなく、ところどころに果物が埋め込まれている。普通のカキ氷ならば、練乳がカキ氷の上に掛かっているという感じなのだが、白熊の場合、カキ氷と自家製のミルクが実にうまく混ざり合っている。その上、量が多い。氷白熊の本家-天文館むじゃきによれば、白熊の大きさは直径約十五センチ、高さ十七~十八センチだという。とにかく、夏でもギブアップしてしまいそうな量なのだ。

 そんな白熊を食べさせてくれるお店が、先ほどもご紹介した氷白熊の本家-天文館むじゃきなのだが、地図も持たずに、三年半前に足を運んだときの記憶だけを頼りに歩いていたものだから、私たちは商店街で迷ってしまった。鹿児島の商店街は広い。しかし、鹿児島空港までバスで五十分も掛かるというので、そうそう迷ってもいられない。なかなか目的の店が見付からないので、私は半ば諦め掛けていたのだが、ガンモはどうしても白熊を食べて帰りたいと言い張った。

 ガンモが食べたがっているにもかかわらず、白熊を食べさせてくれる氷白熊の本家-天文館むじゃきは、なかなか私たちの前に現れてくれなかった。白熊よ、私たちが食べていいなら、お店の前まで導いて欲しい。そう思いながら、商店街をあっちへ行ったり、こっちへ行ったりしながら彷徨っていた。

 そうこうしているうちに、帰りの飛行機の時間は刻一刻と迫って来たい。とうとうガンモはノートパソコンを取り出して、インターネットに接続し、氷白熊の本家-天文館むじゃきの場所を確認し始めた。その結果、探していた氷白熊の本家-天文館むじゃきは、私たちが歩いている通りよりももう少し先にあることがわかった。

 インターネットの情報を頼りに、ようやく目的の店に辿り着いたものの、同じビルの中に系列のお店がいくつもあり、今度はどのお店で白熊を食べるべきか悩み始めた。確か、三年半前に足を運んだときは、白熊ばかりを食べさせてくれるお店だったと記憶している。三年半前には、その前日にも白熊を食べていて、そのときは、一階にある喫茶店で一つの白熊をガンモと二人で分け合って食べたのだった。さて、今年はどうしようか。悩んだ挙句、私たちは二階のレストランに入ることにした。

 ウエイトレスさんが持って来てくれたメニューには、白熊以外のメニューも掲載されていたが、私たちは迷わず白熊を注文した。しかも、この真冬にレギュラーサイズの白熊を二つも注文してしまったのである。レギュラーサイズと書いたのは、冬場に限り、ベビーサイズの白熊がメニューに加えられているからである。冬場になると、さすがにレギュラーサイズでは食べ切れない人が多いのだろう。私たちもベビーサイズの白熊で十分だったはずなのに、レギュラーサイズを注文せずにベビーサイズを注文してしまうのは、どうしても悔しかったのだ。私たちは、変なところで完璧主義なのである。

 テーブルに運ばれて来た白熊は、三年半前に既に制覇しているとは言え、やはり大きかった。私たちが桜島の国民宿舎のレストランで昼食を食べたのは十三時過ぎだった。それなのに、十六時過ぎにレギュラーサイズの白熊を食べようとしているのである。正直言って、目の前の白熊がちゃんと胃の中に収まってくれるかどうか、私たちは不安だった。

 注文した白熊が運ばれて来るやいなや、私たちは、白熊をデジタルカメラに収めると、黙々と白熊を食べ始めた。最初のうちは、楽しみながら食べていた。しかし、その量の多さから、さすがに途中でペースダウンして来たのは言うまでもない。とりわけ、ガンモがスプーンを口に運ぶペースが遅くなっていた。スプーンで白熊をすくうのだが、すぐに口元には運ばずに、ぺちゃぺちゃとセメントを固めるようにしている。その姿は、まるで畑を耕しているようにも見える。
「ガンモ、あれだけ食べたいって言ったんだから、残さずちゃんと食べようね」
と私は言った。どうやらガンモは、白熊を溶かしているようだった。溶かしたあと、口の中に流し込むつもりなのだろう。一方、私はと言うと、単なるレギュラーサイズの白熊ではなく、プリン付きの白熊を注文していた。プリンの分だけ、ガンモよりも量が多いはずである。普段、辛党なのにおかしいではないか。実はここだけの話、ガンモがノーマルタイプの白熊を注文したので、ガンモに負けたくないと思い、ガンモよりも少し大き目のプリン付きの白熊を注文したのである。そんな負けず嫌いの私が精を出してせっせと食べているのに、言いだしっぺのガンモのペースが落ちているのはけしからんと思ったのである。

 ようやく半分以上食べたとき、私たちは身体が冷えて来るのを感じた。三年半前に食べたときは真夏だった。そのときでさえ、お店のクーラーが寒いと感じたレギュラーサイズの白熊を、私たちは真冬に食べているのだ。このまま食べ続けるには、既にお腹がいっぱいの上、寒いという二重の苦しみを味わうことになってしまった。ああ、それでも食べることをやめられない白熊よ。

 いつの間にか、私もガンモと同じように、畑でも耕すかのように、スプーンで白熊を耕していた。白熊を耕して背丈を低くすると、制覇の瞬間が近付いて来るような気がした。せっかく注文したのに残してしまうのはもったいない。食べ切る自信がないならば、最初からベビーサイズの白熊を注文すれば良かったのだ。しかし、変なところで完璧主義の私たちは、こうしてわざわざレギュラーサイズの白熊を注文してしまったのだから、最後まで責任を持っていただこう。白熊を耕しながら溶かして、口の中に流し込んでもいいのだ。私はそう自分に言い聞かせた。

 そして、とうとう私たちは白熊を制覇した。食べ終わる頃には、身体が完全に冷え切っていた。ガンモは、風邪薬を取り出して服用するほどだった。冬に白熊のレギュラーサイズを食べることは、苦行にも等しいことがわかった。

 真冬の白熊を制覇した私たちは、空港バスに乗り、およそ五十分掛けて鹿児島空港に移動した。暖房の効いた空港バスの中で、私たちは白熊で冷えた身体をしっかり暖めて帰路に就いた。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、白熊を耕すをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 長い長い旅行記にお付き合いくださいまして、どうもありがとうございました。白熊はやっぱり量が多いですね。でも、あの量がお店の定めたレギュラーサイズだと思うと、何としてでも制覇したくなってしまいます。当然のことながら、この日、私は夕食を食べることができませんでした。皆さんも、鹿児島に足を運ばれましたら、是非とも白熊を耕してみてください。きっと思い出に残る体験が待っていることできることでしょう。

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2008.01.17

ちょいと桜島へ

 私たちは、肥薩おれんじ鉄道の川内(せんだい)で降りて、そこから鹿児島行きのJR鹿児島線に乗り換えた。ここでめでたく、肥薩おれんじ鉄道を完乗したわけである。ちなみに、肥薩おれんじ鉄道も、かつては鹿児島線の一部だった。一部区間だけが第三セクターの肥薩おれんじ鉄道となったのだ。

 鹿児島は、ちょっと面白いところで、鹿児島駅で降りてしまうとひどくさびれた駅にたどり着いてしまう。東京に出掛けた人が、東京駅で降りても、ほとんど用がないのと同じような感覚だろう。鹿児島で最も栄えているのは、九州新幹線も走っている鹿児島中央だ。私たちは、およそ三年半振りに鹿児島中央に降り立った。以前、鹿児島を訪れたときは、まだ鹿児島中央の駅ビルが完成していなかったのだが、今では立派に完成し、機能していた。夕方に鹿児島に着いたので、私たちは新しく完成した駅ビルで夕食をとり、路面電車に乗って、宿泊するホテルへと向かった。鹿児島市内の路面電車は、三年半前に既に乗り潰しが終わっているので余裕である。

 鹿児島市内のホテルに一泊した翌日は、旅行最終日ということもあり、特に予定を立てていなかったのだが、ガンモの提案により、桜島を訪れることにした。ホテルをチェックアウトしたあと、ガンモと二人で繁華街からてくてく歩いて港まで出た。神戸のハーバーランドを思わせるような海沿いにあるショップ街を抜けて、桜島行きのフェリー乗り場まで更に歩き、桜島フェリーに乗船した。桜島フェリーはおよそ十分から十五分間隔で運航され、所要時間もわずか十五分程度、料金もわずか百五十円という大変お手軽なフェリーだった。

 目的地の桜島は、船に乗り込む前から目の前に広がっていた。現在でも小規模ながら噴火を繰り返しているという桜島。私たちが訪れている最中に噴火してしまったらどうすればいいのだろう。お土産に火山灰を持って帰り、「これ、何?」と聞かれたら、「火山灰ばい」と答えようか。そんなことを思いながら、桜島フェリーに乗り込むと、あっという間に桜島の桟橋に着いた。

 桟橋にある観光センターで、桜島の様子を探ってみると、徒歩数分のところにある国民宿舎にレストランとマグマ温泉があることがわかった。ありがたいことに、国民宿舎のレストランの割引券が置いてあったので、私たちはその割引券を頂戴して、そこで昼食をとることにした。

 国民宿舎のレストランでは、本格的な昼食をいただくことができた。すべてのお料理にサラダバーとドリンクバーが付いていて、千二百円前後である。洋食の場合は、スープも付いて来る。桟橋にある観光案内所で割引券を手に入れることができれば、十パーセントオフで食事をすることができる。お料理もおいしかったが、りんご酢や黒酢ベースのドリンクなどのヘルシーなドリンクが飲み放題なのがうれしかった。

 昼食のあと、少し休憩してから、マグマ温泉に入ることにした。マグマ温泉の利用料金は一回三百円だった。脱衣場には、無料の小さな貴重品ボックスが設置されているものの、ロッカーそのものはオープンな籠でしかなかったため、ノートパソコンやデジタルカメラなどを持ち歩いている私たちは、荷物番のために交互にお風呂に入ることにした。脱衣場に置き放しにするには、あまりにも荷物が多かったのである。

 マグマ温泉の泉質は、含鉄泉とかで、黄土色の泥水のような感じだった。お湯が濁っているので、マグマ大使が潜っていても気付かないかもしれない。源泉湯は何と、地下千メートルから湧き出ているそうだ。長距離フェリーの中で入るお風呂のように、窓の外には海が広がっていて、とても開放的な気分を味わうことができた。カランもたくさんあり、シャンプーとリンスも備え付けられているので、タオル一枚あれば温泉に入ることができる。また、売店で販売されているという古い角質を取り除くジェルも三種類ほど備え付けられていた。

 時間の関係で利用しなかったが、サウナやジェットバスやうたせ湯もある。他に、電気風呂もあった。私は電気風呂が好きなので、利用してみたところ、ピリピリしないゆるやかな電流でとても心地が良かった。ただ、利用客が多く、せかせかとした感じが漂っていて、のんびりと温泉気分に浸ることはできなかった。

 温泉の雰囲気としては、道の駅といったところだろうか。青森県の浅虫温泉の駅前にある公衆浴場と似ている。桜島を自転車で回っているのか、ツーリングを楽しむ人たちが集団で訪れていた。こういう温泉は、宿泊して、利用客の少ない時間帯にのんびりと浸かりたいものである。夜の眺めも気になるところだ。

 昼食にも満足し、マグマ温泉で温まった私たちは、帰路に就く前に鹿児島に戻って実践すべきことが一つだけ残っていた。そう、せっかく鹿児島に来たのだから、是非ともあれを食べて帰りたい。私たちは、再び桟橋まで歩き、桜島フェリーで鹿児島まで戻り、再び鹿児島市内の繁華街まで歩いたのだった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、ちょいと桜島へをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m マグマ温泉はインパクトのある温泉でした。最終日にせかせかとした気分で入る温泉ではなかったのかもしれません。(苦笑)桜島が鹿児島からこんなにも近い場所にあるとは思ってもいませんでした。鹿児島の人たちにとって、火山灰はとても身近なものだったのですね。それにしても、こういう場所を訪れると、自然と向き合っている人たちの強さを感じさせられます。去年の十月に訪れた島原もそうでしたが、噴火しても、住民の方たちは再びそこに戻って生活しているのですよ。住民の方たちにとっては、噴火の恐怖よりも、そこに留まりたい気持ちのほうが強いのでしょうね。そうしたひたむきな気持ちと、観光気分でふらっとやって来る私たち観光客との間にはギャップがあるはずなのに、地元の人たちがいつもあたたかく迎えてくださることをありがたく思っています。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.01.16

武家屋敷を訪ねて

ツルの舞い降りる里の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 更新が遅くなり申し訳ありません。実は、またいつもの頭痛に見舞われ、頭のてっぺんにある百会のツボを一生懸命マッサージしてしのいでいます。ああ、百会のツボのあたりにお灸をすえたいのですが、髪の毛が邪魔でできません。仕方がないので、ミニカイロをヘアピンで止めて頭のてっぺんを暖め、その上から帽子をかぶっています。さて、旅の続きですね。

 ツル観光周遊バスに乗り込んだものの、当日に限り乗り降り自由という特権をまだ使っていなかった。そこで私たちは、出水駅の一つ手前の武家屋敷群のあるバス停で降りてみたのである。ここで、一般公開されている武家屋敷を見学した。

 当時の武家屋敷そのものというよりは、一般公開用にいくつかの部品が模型として作り変えられていたが、それでも、武家屋敷の雰囲気を十分に味わうことができた。五右衛門風呂の再現や四角く切り取られた取り式トイレなど、私が小さい頃に父の故郷で直に体験していたものがいくつかあった。四角く切り取られた汲み取り式のトイレは、小さい頃、吸い込まれてしまいそうで本当に怖かった。水洗トイレが主流の現代では、例え小さいお子さんであっても、吸い込まれる恐怖を感じることなく、すくすくと育っていらっしゃるのではないだろうか。私などは、小さい頃に、汲み取り式のトイレにうっかり落としてしまった財布のことが今でも悔やまれる。五右衛門風呂に関しては、湯船に入ると沈んで行く板が面白かったが、小さな子供の重みではなかなか沈まず、父と一緒でなければうまく温まれなかったのを覚えている。武家屋敷にある五右衛門風呂の建物は、格子の板がスライド式になっていた。寒く感じるときやお風呂に入っているところを人に見られたくないときなどは、格子の板をスライドさせることにより、格子同士がぴたりと重なるというわけだ。実に良くできている。

 武家屋敷は、一つ一つの柱の下に、平らな石が敷かれていた。石の上に柱を置いたりすると、かえってぐらぐらしないのだろうかとも思ったが、武家屋敷は、石の上にしっかりと建っていたのだ。石垣など、天然の石がふんだんに使われているのも、出水の武家屋敷の特徴だった。

 出水の武家屋敷群は、四百年ほど前からおよそ三十年の歳月を費やして作られたと伝えられている。武家屋敷群は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されているため、武家屋敷を相続した人たちは、安易に改築できないのだそうだ。改築をするにも、いろいろな手続きが必要らしい。しかも、武家屋敷を相続した人たちは、実際に武家屋敷に住んでいるのだ。すべてを一般公開している武家屋敷もあったが、一部のみ公開の武家屋敷もあり、ここから先は立ち入らないでくださいと札を掲げている武家屋敷もあった。

 観光客である私たちは、保存され、手入れされた武家屋敷を観光して想い出に残すが、実際に武家屋敷を相続した人たちからすれば、自由に改築することができずに大変な想いを抱えている。ツルといい、武家屋敷といい、出水では「保護」や「保存」がキーワードになっているようだ。しかし、観光客は、保護されたツルや保存された武家屋敷を見て楽しんでいる。そうしたギャップについて、少し引っ掛かりを覚えてしまう。

 ツルに関しては、他の鳥たちとの差別化や農家の人たちの苦労を思い、武家屋敷に関しては、相続した人が自由に改築できない不便さを思う。国民的アイドルが、行動を制限されているのと似てはいないだろうか。自由意思を犠牲にしてまでも、何かを守り続けるということは、果たして本当に必要なことなのだろうか。観光客なのだから、そこまで心配しなくても、美しいツルや美しい武家屋敷の街並みをそのまま受け入れれば良かったのかもしれない。しかし、私にはそれができなかった。美しさの裏側でじっと支えているものまでも気になってしまったのだ。

 私たちは、一時間後にやって来たツル観光周遊バスに乗り込み、出水駅まで戻った。出水駅は九州新幹線の停車駅でもある。観光バスの運転手さんの話によれば、九州新幹線の開通により、出水周辺の昔ながらの旅館が廃業に追い込まれてしまっているそうだ。というのも、これまでは出張にやって来て、宿泊が必要だった人たちが、九州新幹線の開通により、日帰りできるようになってしまったからだという。これを聞いたとき、私は更に複雑な気持ちになってしまった。一体何が便利なのかわからない。便利だと思って始めたことが、他の人にとっては不便になってしまったり、他の人の活躍の舞台を奪ってしまうことになる。携帯電話の普及が街の公衆電話の役割を奪ってしまったように、時代は常に移り変わっているということだ。

 私たちは、ツルをイメージして作られたという九州新幹線の出水駅を眺めながら、次なる目的地へと向かったのである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、武家屋敷を訪ねてをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m このあと、めでたく肥薩おれんじ鉄道を乗り潰すことができましたので、「肥薩おれんじ鉄道、完乗おめでとうございます」と言って、ガンモと握手を交わしました。ツルといい、武家屋敷といい、廃業になってしまった旅館といい、実に複雑な気持ちになった出水観光でありました。

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2008.01.15

ツルの舞い降りる里

ボケたのはどっち?の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 初めての土地で寝ているときもそうですが、私は小さい頃、車に乗っていると、行きと帰りで方向の感覚が狂ってしまうことが良くありました。帰宅途中なのに目的地に向かっているような、奇妙な感覚を味わっていたものです。大人になってからは、そういうこともなくなりつつあったのですが、今回、久しぶりに体験したというわけです。さて、今回は、ツルの渡来地である出水(いずみ)を訪れたときのことを綴ってみたいと思います。

 旅館の夕食は、宿泊する部屋とは別の個室でいただいた。朝食も同じように、宿泊する部屋とは別の部屋に案内されたのだが、そこは夕食をいただいた部屋とは別の部屋で、他の宿泊客と一緒にいただくことになっていた。朝食の準備は早朝から始められるため、宿泊客を一つの部屋にまとめることで、旅館側の負担が少しでも軽くなるのではないだろうか。お寝坊さんの私たちが朝食部屋に足を運んでみると、既に他の宿泊客は、今にも朝食を食べ終わろうとしているところだった。

 他の宿泊客と言っても、私たちの他には熟年のご夫婦が一組いらっしゃるだけだった。その方たちは何と、当日思い立ち、インターネットで検索されてこの宿を予約され、長崎から車を走らせて来られたのだと言う。そして、今日はこれから出水(いずみ)までツルを見に行くとおっしゃった。私たちは、兵庫から来たことや、寝台特急なは・あかつきが引退するので乗車しておこうと思ってこの旅を計画したことなどを話した。

 旅館の女将さんがツルの話に反応され、どういうわけか、出水の辺りには渡り鳥のツルがたくさんやって来て、観光名物になっていることを教えてくれた。女将さんが、
「電車でも行けますよ」
とおっしゃるので、私たちも出水のツルを見物に行くことにした。

 チェックアウトするときに、旅館の方からお土産をたくさんいただいた。おまけに、日奈久温泉駅まで車で送っていただき、至れり尽くせりのサービスだった。

 日奈久温泉駅に着くと、肥薩おれんじ鉄道の一日乗車券を購入した。もちろん、肥薩オレンジ鉄道を乗り潰すためである。その後、待合所で待っていると、何故か駅員さんがお茶とお茶菓子を出してくださった。日奈久温泉駅は、女性だけで運営されている駅なのだそうだ。こうした女性ならではの配慮がありがたい。鉄道乗り潰しの旅を始めてから数年経つが、駅でお茶とお茶菓子をご馳走になったのは初めてのことである。

 ツルを見るために、肥薩おれんじ鉄道で出水まで出て、出水からツル観光周遊バスに乗り換えた。歓迎を意味する駅の看板にもツルが描かれ、駅前にもツルのオブジェがあった。コインロッカーに荷物を預けると、間もなくツル観光周遊バスがやって来た。料金は八百円と少々割高だが、周遊区間を一日に何度でも乗り降りできるという。混雑しているわけではなかったが、利用客は多かった。

 バスの運転手さんの説明は、私たち観光客にわかり易い上にとても丁寧だった。観光客に喜んでもらえるように、自分の知識を惜しみなく出し切っている様子だった。私は、こういう人に出会うと、いつも仕事のあり方について考えさせられる。仕事を仕事として割り切っているのではなく、自ら楽しむ余裕を持って仕事に取り組むこと。それが、他の人の喜びにも繋がっている。そう考えると、運転手さんは、観光客に喜んでもらえるように働いているのではなく、観光バスの仕事を自ら精一杯楽しんでいるのだと思った。つまりは、自分自身が楽しく過ごすことで、他の人のことも幸せにできるということである。

 観光バスの窓から、田んぼに舞い降りているツルの姿を確認すると、観光客は喜びの声をあげた。私たちも、観光バスの中からすかさずシャッターを切った。運転手さんの話では、ツルは家族単位で行動を共にしているという。田んぼに舞い降りるときは、子供を保護するかのように、子供の両側に親が立つそうだ。結ばれて間もない鳥は、まだ子供もなく、男女の番(つがい)だけで行動しているという。運転手さんは、出水では、ツルが観光名物になっているだけに、農作物への被害も多少はあるが、農家の人たちは公には愚痴をこぼせないとおっしゃっていた。観光地といえども何も美しいものばかりではない。これが観光地の実態なのだろう。観光名物のツルを保護する裏側には、農家の方たちの忍耐が隠されていたのである。

 観光バスの窓から見えたツルはまだまだ序の口だった。観光バスが終点のツル観察センターに到着すると、黒いシートで守られた田んぼの中に、無数のツルがいた。どこを見ても、ツル、ツル、ツルだった。飼っているのではない。時期になると、渡り鳥として野生のツルがここにやって来るのだ。出水のツルは特別天然記念物に指定されているため、ツルが渡来する時期になると、田んぼの持ち主でさえ、ツルのいる田んぼには立ち入れなくなるのだそうだ。その代わり、ツルのために田んぼを提供している農家の人たちには、ある程度の補助金が支払われているらしい。

 ツル観察センター周辺では、ツルを保護するために、餌を与えたりしているという。その餌を狙って、カラスやカモなど、他の鳥たちも集まって来ていた。ツルの種類としては、マナヅルが一万羽ほど、ナベヅルが千羽ほどで、あとはいろいろな種類のツルが少しずつ混じっていた。

 私はとても不思議なものを見た気がした。ここで保護されているツルたちは、鳩とどう違うのだろう。鳩は何故、特別天然記念物ではないのだろう。同じ鳥なのに、周辺にいるカラスやカモは特別天然記念物ではない。特別天然記念物とは一体何だろう。数が少ないものに対して指定されるのだろうか。それとも、美しいものに対して指定されるのだろうか。渡り鳥がやって来て、観光名所になるから、特別天然記念物に指定されるのだろうか。私は、特別天然記念物の意味が良くわからなくなってしまった。一生懸命考えた末に思いついたのは、特別天然記念物を定める人たちにとって、カラスやカモや鳩は日常であり、ツルは非日常なのではないかということだった。しかし、たくさんのツルを見ているうちに、私の目にはツルがダチョウに見えて来た。もう少し長い時間見続けていれば、鳩に見えて来たかもしれなかった。

 ツルを堪能した私たちは、昼食をとったあと、再びツル観光周遊バスに乗り込み、出水駅方面へと向かった。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、ツルの舞い降りる里をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 三脚にカメラを構えて、ツルを撮影している人がいらっしゃいました。写真の中でもご紹介したように、ツルの写真はどうしても集合写真になってしまいます。でも、望遠レンズを使い、根気強くシャッターチャンスを狙い続ければ、ツルの一部にスポットを当てることができます。実は、そういう写真こそが面白い写真になるのですよね。売店でも、ツルが求愛のポーズを取っている写真が販売されていました。私も、写真を嗜(たしな)む者として、そういうシャッターチャンスを狙ってみたいものです。その写真を見たあと、ガンモと私がツルの求愛のポーズを真似てみたのは言うまでもありません。

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2008.01.14

ボケたのはどっち?

山頭火の愛した日奈久温泉の記事にの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m これまで訪れて来た温泉地を振り返ってみると、どこの温泉地でも地元のお年寄りたちがとてもお元気だったことを思い出します。やはり、お年寄りたちを元気にしているのは、温泉のパワーではないでしょうか。お年寄りのほうが、自然の恵みを受け取りやすい状況にあるのかもしれませんね。さて、今回は、日奈久温泉で宿泊した旅館で起こった出来事について書いてみたいと思います。

 日奈久温泉で私たちが宿泊した旅館の部屋の造りは、ちょっと変わっていた。たいていどの旅館でも、部屋に入ってすぐの場所にトイレが設置されているものだが、その旅館のトイレは、障子を隔てた部屋の奥に設置されていたのだ。

 夕食を終えて部屋でくつろいでいたとき、ガンモがおもむろに立ち上がり、部屋の入口に続く襖(ふすま)を開けた。ガンモは一体どこに行くのだろうと思い、私はガンモに尋ねた。
「ガンモ、どこに行くの?」
すると、ガンモは当然のように、
「トイレ」
と言う。私は、
「えっ? トイレはこっちでしょ? さっき使ったよね? ボケたの?」
と言って、入口とは反対の、障子のある部屋の奥のほうを指さした。そのときになって初めて、ガンモはこの部屋のトイレが障子を隔てた部屋の奥にあったことを思い出したらしい。そして、
「普通、トイレは部屋の入口にあるよね。俺が間違ってるの?」
と、自分がトイレの場所を間違えたのは、この部屋の造りが他の旅館と異なっていることが原因だと主張した。私は、確かにガンモの言うことも一理あると思った。ただ、ガンモが一度使ったトイレの場所を忘れ、何の疑いもなく、入口に続く襖を開けて外に出て行こうとしていたことがあまりにもおかしかったので、心の中でクククと笑っていた。

 それから数時間後のことである。夜中にガンモがトイレに立った。ガンモがトイレに立つ気配を感じて目を覚ました私は、再びガンモが入口付近の襖を開けて出て行こうとしているのを見て、慌てて制した。
「ガンモ、どこ行くの? トイレはそっちじゃないでしょ?」
私は、ガンモがとうとうボケてしまったと思った。夜中で寝ぼけているとは言え、数時間前と同じことを繰り返してしまうなんて、かなり重症だと思ったのだ。しかしガンモは、驚くべきことを言った。
「何、言ってんだよ。トイレはこっちだよ」
それを聞いた私は、ガンモのボケはかなり進行していると思い、やり切れない気持ちになった。それでも私は根気強く、
「違うよ。トイレはあっちでしょ」
としきりに主張した。

 しかしガンモは、
「だから、こっちだって」
と言って、私の助言をまったく聞き入れようとしない。ああ、これから先、私たちはどうなってしまうのだろうと、将来を悲観していたその時、私は暗がりの中で、自分が思っていたのとは逆の景色が映っていることに気が付いた。

 そう、ボケていたのは私だった。初めての旅館だったため、布団に入って眠りに就いたときの左右の感覚と、目が覚めたときの左右の感覚が、逆転してしまっていたのだ。暗がりの中で、ガンモがトイレに立ったとき、私はガンモが入口付近の襖を開けたのだと思い込んだ。しかし、実際にガンモが開けたのは入口付近の襖ではなく、奥の部屋に続く障子だったのだ。

 「あれ? そっちが障子だったんだ。それならよし」
と、私は自分の間違いを恥じながら、再び布団に潜り込んだ。用を足したガンモは、
「俺はもう、まるみが完全にボケたと思って、これから先、どうしようと思ったよ」
と、将来を悲観していたことを白状した。左右の感覚を間違えていた私も、そのときはガンモとまったく同じ気持ちだったのだ。私たちは、自分たちの勘違いを笑った。このような珍事件のおかげで、私たちはすっかり目が冴えてしまい、朝食の時間に遅刻してしまうほど寝坊してしまったのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これを書きながら、勘違いでまだ良かったと思いました。こうして笑い飛ばすことができますからね。でも、決して笑い飛ばせないような事態に直面していらっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。私たちだって、いつ、そのような事態に直面するかもわかりません。例えそうなったとしても、映画『きみに読む物語』のような夫婦でありたいものです。

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2008.01.13

山頭火の愛した日奈久温泉

熊本電鉄、完乗おめでとうございますの記事に応援クリックしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。m(__)m 鉄道記事かつ旅の記事であるにも関わらず、励ましに感謝致します。それにもかかわらず、更新が遅くなり、申し訳ありません。今回の旅からは無事に帰宅したのですが、「ガンまる日記」を更新しようと思いながらも、ベッドの上でノートパソコンを開いたまま眠ってしまっていました。(苦笑)ガンモは私が眠っていることに気が付いていたようですが、しばらくそっとしておいてくれたようです。では、気を取り直して、旅の続きを書かせていただきますね。

 私たちは市電に乗り、熊本駅まで出たあと、鹿児島本線に乗り換え、八代(やつしろ)まで出た。そこから更に肥薩おれんじ鉄道に乗り換え、今回の旅の宿のある日奈久(ひなぐ)温泉で降りた。

 日奈久温泉は初めて聞く名前の温泉だったが、開湯六百年もの古い歴史があるのだそうだ。俳人の種田山頭火に愛された温泉だという。日奈久温泉駅のホームには、いかにも俳人らしい、眼鏡をかけた種田山頭火の人形が設置されていた。

 宿泊する旅館までは、日奈久温泉駅から歩いて十分ほどだったが、私たちは大きな荷物を抱えていたので、旅館に電話を掛けて、迎えに来ていただいた。ただ、マイクロバスの運転手さんと連絡が取れないとかで、お忙しい中、旅館の若奥様が自ら軽自動車で迎えに来てくださった。申し訳ない。

 今回、宿泊させていただいた旅館は、建物は古いが、とてもアットホームな雰囲気の漂う旅館だった。おそらく、親族の皆さんで運営されているのだろう。こうした温泉旅館は、あちらこちらに増改築のあとが見られて、造り的にも面白い。既存の建物を生かすために、例えば不自然な場所に階段があったりする。私たちが宿泊させていただいた旅館も、入ってすぐのところに階段が二つもあり、二つとも同じ場所に続いているのかと思いきや、まったく違うところに出てしまうという、とても不思議な造りになっていた。

 夕食の時間まで二時間ほどあったので、私たちは温泉街を散策することにした。街のあちらこちらには、山頭火の句が掲げられていた。山頭火は、日奈久温泉にずっと滞在したかったらしい。山頭火は、日奈久温泉への想いを『日記抄』という作品の中に『温泉はよい、ほんたうによい、ここは山もよし海もよし、出来ることなら滞在したいのだが、――― いや一生動きたくないのだが、』と綴ったそうだ。日奈久温泉を愛してくれた山頭火の句を、日奈久温泉の人たちもこよなく愛している。つまりは、長い年月を経ても、両者はずっと両思いというわけだ。

 海辺には、これまであまり見たことのない鳥が居た。トサカがあって、身体の色はグレーである。あなたは一体何者? 鳩でないことだけは確かだった。おそらく、海辺の魚を捕って生活しているのだろう。空を飛んでいる鳥も見掛けたが、大きいだけあって、飛び方がたくましい。

 街の中にいくつか、公衆浴場の温泉があった。何と、利用料金は一回百五十円である。わずか百五十円で温泉に入ることができるのだ。温泉街を行き交う地元の人たちが、あいさつを交わしているのが聞こえて来る。きっと、街中の人たちが顔見知りなのではないだろうか。今回、私は公衆浴場には入らなかったが、そんな公衆浴場の脱衣場のロッカーに鍵は必要ないだろう。もしも鍵が必要になるとすれば、よそからやって来た人たちがよからぬことを思いついたときに違いない。

 街の散策が進むうちに、給油ポンプが一つしかないガソリンスタンドを見付けた。ああ、このガソリンスタンドこそ、この街の象徴だと私は思った。たくさんのものは必要ない。一つあれば十分。この給油ポンプ一つで、この街のすべての自動車の給油をまかなうことができる。きっと、街中のすべての車がこのガソリンスタンドを利用していたとしても、混雑することもないのだろう。仮に混雑することがあったとしても、互いに譲り合うことができる。そういうアットホームな街なのだ。

 街の散策を終えて、私たちは旅館に戻った。夕食前にあまり時間がなかったので、私だけがささっとお風呂に入った。湯船には、八代の名物である晩白柚(ばんぺいゆ)が浮かべられていた。アルカリ性の泉質が、肌をつるつるにしてくれる。これは気持ちが良い。何度でも入りたくなる。結局、私は一泊の滞在中に三回もお風呂に入ってしまった。

 夕食も適度な量でとてもおいしかった。有名な旅館には、高い給料で雇われた板長さん(料理長さん)がいらっしゃる。しかし、こちらの旅館では、おそらくご親族の方たちが協力し合ってお料理を作られている。その味付けが家庭的でとても温かかった。トマトを丸ごと揚げたトマトの満月揚げが出て来たのも驚いた。旅館の名物料理なのだそうだ。

 料理を運んでくださった方は、ご年配のお年寄りだったが、おそらく現役の女将なのだろう。七十歳を超えているはずなのに、とてもお元気そうに見えるのは、やはり温泉のおかげなのだろう。

 日奈久温泉が八代にあるということで、私は演歌歌手の八代亜紀さんのことを思い出した。すると、旅館の廊下に、八代亜紀さんが来館されたときの写真が掲示されていた。女将さんの話では、八代亜紀さんは年に三回くらい来館されているそうだ。八代亜紀さんと同じ温泉に入ったかと思うと、これまで遠い存在だったはずの八代亜紀さんが、少しだけ身近に感じられた。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、山頭火の愛した日奈久温泉をご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 夜、寝る前にもう一度お風呂に入っておこうと思い、女湯ののれんをくぐってみると、一日の仕事を終えた旅館の方たちがくつろいでいらっしゃったので、お風呂には入らずに、そのまま部屋まで退散しました。せっかくくつろいでいらっしゃるのに、私が行くとくつろげなくなるだろうと思ったのです。しばらく経って、もう一度様子を見に行ってみると、どなたもいらっしゃらなかったので、お風呂に入ったのですが、私が上がる頃に、女将さんが入って来られました。時間は二十三時頃だったと思います。その時間が一日の仕事を終えてお風呂に入る時間なのだとしたら、旅館のお仕事は本当に大変ですよね。私も学生時代に温泉旅館で住み込みのアルバイトをしていたのでわかりますが、旅館は朝も早いし、夜も遅いのですよ。そんな中で、私たちをもてなしてくださってありがとうという感じでありました。

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2008.01.12

熊本電鉄、完乗おめでとうございます

 私たちの乗った寝台特急なはは、七時三十六分に熊本に着いた。激しい揺れのため、夜中に何度も何度も目が覚めたので、さすがに眠い。私たちは、眠い目をこすりながら、半ば追い出されるように熊本駅のホームに降り立ち、寝台特急なはのヘッドマークを撮影したあと、回送して行く姿を見送った。ホームには、私たち以外にも、寝台特急なはの引退を惜しむ鉄道ファンがたくさん詰め掛けていた。

 寝台特急なはが回送して行く姿を見送ったとき、私は思わず目頭が熱くなってしまった。何十年も続いた歴史がとうとう幕を閉じる。私自身、何度も利用できる立場ではなかったはずなのに、やはり引退してしまうのは寂しいものだ。乗車する前のわくわくした気持ちとは明らかに違う。何だろう、この寂しさは。

 目の前を通り過ぎて行く雄姿を見送っていたとき、寝台特急なはの運転士さんたちがにこやかな笑顔を鉄道ファンに向けてくれた。きっと、運転士さんたちにとっても、寝台特急なはは誇りだったのではないだろうか。そして、こうして多くの人たちに惜しまれながら役目を終えて行くことが、私たちとは別の意味で感慨深いのではないだろうか。

 いつまでも悲しみに暮れてもいられない。私たちは気を取り直して、コインロッカーに荷物を預けたあと、熊本駅構内にある吉野家で朝定食をとることにした。私たちが朝食を食べていると、三人組の若者がどやどやと入って来て、豚丼を六つ注文した。三つではなく、六つである。どうやら一人二つずつ食べるらしい。朝から食欲旺盛な若者たちである。若者たちは、豚丼を二つずつ注文したことに恥じらいを感じながらも、六つの豚丼を並べてデジタルカメラで記念撮影をしていた。

 朝食のあと、私たちは鹿児島本線に一駅だけ乗り、熊本から一つ隣の上熊本へと向かった。以前にも、JR九州の車両はユニークだと書いたことがあるが、JR九州の車両は、特急列車だけでなく、普通列車であっても、デザイン性に優れている。枕付きの皮製シートや、サークル状に配置されたつり革など、どれを取っても洗練されたデザインで目を見張る。JR九州の洗練されたデザインに目が慣れると、JR九州以外のJRの車両がとても地味に見えてしまう。

 私たちは、上熊本で降りると、熊本電鉄を乗り潰すため、熊本電鉄の乗り場を目指した。上熊本から、熊本電鉄の支線が出ているのだ。驚いたことに、熊本電鉄の上熊本駅は、とても地味な駅だった。ほとんど吹きさらしの建物は、そこが無人駅であることを物語っていた。

 しばらく待っているうちに入線して来たのは、かつて東急線で使用されていた古い車両である。地方の私鉄は、都会で活躍していた車両のおさがりを譲り受けて走らせることがある。この車両はとても古い車両だが、どことなく安心感を覚える。それだけ多くの人たちを運んで来た実績があるからだろうか。

 本線に乗り換えるため、途中の北熊本で御代志行きの列車に乗り換えた。乗り換えた車両は、今度は京王線からのおさがりだった。このように、列車が引退しても、他の私鉄で活躍し続ける場合もある。しかし、寝台特急なははどうなのだろう。私鉄の寝台列車など聞いたことがない。となると、寝台特急なはが現役で活躍できる場はないことになってしまう。これ以上考えても悲しくなるばかりなので、考えるのはよそう。

 終点の御代志に着いたものの、ショッピングセンターなどの楽しい施設が見当たらなかったので、私たちはさきほど乗って来た車両に素早く乗り込み、折り返すことにした。今度は北熊本で乗り換えをせずに、本線の終点である藤崎宮前まで出た。そこでめでたく、熊本電鉄の完乗となったわけである。

 私たちは、路線を一つ乗り潰すと、
「○○、完乗おめでとうございます」
と言って、握手を交わす。これは、私たちの間で行っている乗り潰しのための暗黙的な儀式である。この儀式では、乗り潰しが完了したことに気づいたほうが先に宣言することになっている。たいていは、ガンモのほうが先に気付いて宣言するので、その宣言を受けた私がガンモに手を差し出して握手を交わしている。ちなみに、今回の儀式では、「○○」が「熊本電鉄」に置き換えられて宣言された。

 藤崎宮前から商店街を探して歩くと、くまもと阪神という阪神百貨店グループの百貨店があった。何故、熊本に阪神百貨店があるのかはわからない。しかも、くまもと阪神のロゴマークは、オリジナルの阪神百貨店のロゴマークとは異なっているようだ。

 私たちは、くまもと阪神の飲食店街で、熊本名物の太平燕(タイピーエン)を食べた。ガンモがブログを通じて交流している人のお勧めらしい。太平燕は、簡単に言うと、スープ春雨のようなものだったが、これがなかなかおいしかった。

 こうして、お昼ご飯もお腹の中に納めたので、私たちは宿泊地となる温泉地へと向かったのである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、熊本電鉄、完乗おめでとうございますをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実を言うと、旅の記事はいつも不人気なんです。(苦笑)でも、私は書きたいので書かせていただきます。旅先で寝不足になりながらも、写真をしこしこアップしつつ、一生懸命書いています。旅好きでない人にとっては、旅の話は退屈かもしれませんが、旅の話はもう少し続きます。(苦笑)ただ、鉄道色が濃いのは、今回の記事だけですので、今後はリラックスして読んでくだされば幸いです。

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2008.01.11

さらば、寝台特急なは・あかつき

 寝台特急あかつきに乗車して、長崎に出掛けたのは、昨年の十月のことである。実はこの度、寝台特急あかつきと、途中の鳥栖(とす)まで一緒に走っている寝台特急なはが、今年三月のダイア改正をもって引退することになった。そこで私たちは、まだ乗車していなかった熊本行きの寝台特急なはに乗車して、お別れを言うことにしたのである。

 前日に引き続き、いつもよりも早めに仕事を上がって三宮に向かった。昨年十月と同様に、三宮から歩いておよそ七分のところにある二宮温泉に入って身体を清め、年末年始に休日出勤したときの代休を取っていたガンモと三宮で待ち合わせをして、晩御飯を一緒に食べた。

 実は、ガンモが今回の旅の切符を手配したとき、開放B寝台の喫煙車両しか空いていなかったそうだ。仕方なく、開放B寝台の喫煙車両を押さえたのだが、私たちは二人とも喫煙者ではないため、喫煙車両で一夜を過ごすのは、実のところ、あまり気乗りがしなかった。しかし、ガンモがいちかばちかの賭けをして、出発直前に三ノ宮駅のみどりの窓口で寝台の空き状況を再度確認してみると、運良くキャンセルが出たのか、B寝台デュエット(二人用の個室)が空いていたという。そこでガンモは、すぐさま寝台券を変更してもらったというわけだ。しかも、開放B寝台から個室B寝台に昇格したにもかかわらず、開放B寝台との差額は発生しなかったそうだ。

 個室で過ごせることになった私たちは、とてもうきうきしていた。これまでにも、寝台特急サンライズ瀬戸寝台特急あけぼのに乗車したときに、寝台特急の個室を利用したことはあった。個室の利用で有難いのは、周りの人たちのことを気遣って、声を潜めて会話をしなくても良いばかりでなく、コンセントにも恵まれるということだ。パソコン使いの私たちにとって、長旅となる列車の中でコンセントが使えることは、とても心強いことなのである。

 私たちはいよいよ三ノ宮駅の改札をくぐり、特急列車なは・あかつきが入線するホームへと向かった。三ノ宮駅は、いつも通勤で利用しているものの、住んでいる場所が、これから向かおうとしている熊本とは逆方向なので、夜に下り方面のホームに立つのは何だか変な気持ちである。

 そうこうしているうちに、寝台特急なは・あかつきが入線して来て、一部の車両が私たちの目の前を通過して行った。そうそう、この感じだ。ブルートレインが目の前を通り過ぎようとするこの瞬間。自分自身で大きな荷物を抱え、これからそのブルトレに乗車しようとするこの瞬間に、私のわくわく度は頂点に達する。

 中に入り、寝台券で指定された部屋の扉を開けた途端、私たちは喜びの声を上げた。そこには、こぢんまりしたカプセルホテルのような部屋が広がっていたからだ。まず、階段を挟んで両側にシングルベッドが並んでいる。屋根裏部屋の窓のように、ほんの少しカーブの入った高窓からは、三ノ宮駅を利用する人たちの様子を見下ろすことができる。既に引退が決まっているだけあって、さすがに車両は古びているが、必要な設備は揃っている。窓の前には使い勝手の良さそうなテーブルが付いているし、ベッドの奥には広い荷物棚も用意されている。もちろん、一夜を過ごすための枕や浴衣も用意されている。しかも、ゴミ箱まで用意されているのは有難い。そして、パソコン使いの私たちにとって、重要なコンセントもちゃんとあった。天井が低く、多少狭いことを除けば、とても快適な車内である。まるで、移動するカプセルホテルのようだ。ああ、それにしても楽しい。寝台特急は何て楽しいのだろう。

 こうして寝台特急なは・あかつきは三ノ宮駅を定刻通りに発車し、熊本に向かって走り始めた。ただ、電車仕様の寝台特急と違って、機関車が引っ張って走っているブルトレは、揺れがひどく激しい。だから、安眠したい人は、乗車しないほうがいいだろう。それでも、移動するカプセルホテルを体験したいと思う人は、親しい友達と一緒に個室を利用してみるといいかもしれない。もちろん、一人旅が好きな人には、一人用の個室もある。

 ガンモは、B寝台デュエットがひどく気に入ったらしく、
「引退したら、この部屋を俺らにくれないかなあ。ルーフバルコニーに取っておくから。だって、うちより広いもんね」
と言った。
「確かに広いね」
天井が低く、狭く感じられるB寝台デュエットであっても、物が溢れ返っている我が家よりはずっと広いということだ。本当に、引退したら、これらの車両はどこに行ってしまうのだろう。今後は活躍の場がないとすれば、どこかの鉄道博物館に寄贈されるのだろうか。それとも、解体されてしまうのだろうか。解体されるくらいなら、せめてこの部屋だけでも分けてもらえたなら、私たちは楽しくて仕方がないだろう。毎日のようにその部屋にこもり、寝台列車気分を味わえるのに。とは言うものの、もしかするとそれは、パチンコ好きな人が、自宅にパチンコ台を持って一人で遊んでいるような空しさも同時に抱えてしまうことになってしまうのかもしれない。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。なお、スライドショーが表示されない場合や、写真へのコメントをご覧になる場合は、さらば、寝台特急なは・あかつきをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 高速夜行バスの利用者が多くなってしまったからでしょうか。寂しいことに、昔ながらのブルトレは、次々に引退して行きます。確かに寝台特急は、高速夜行バスよりは、ずっと割高かもしれません。でも、どんなに高速夜行バスの人気が高くても、浴衣があって、ベッドがあって、布団をかぶってちゃんと横になって寝られる寝台付きの高速夜行バスは、まだまだ存在していないのではないでしょうか。贅沢と言われている飛行機のファーストクラスやビジネスクラスでさえ、限りなく寝台に近いシートが用意されているだけで、個室はおろか、寝台そのものも存在しませんよね。ということは、人が寝られるだけの設備を提供するということは、とても贅沢なことなんだと思います。そうした贅沢を、もはや利用客が求めなくなったということは、時代の加速とコミュニケーションの簡素化と関係があるのかもしれませんね。

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2008.01.10

えべっさんと焼きとうもろこし

 ようやく仕事が一段落ついた。とは言うものの、これは嵐の前の静けさであり、今月末になると、再び昨年末に体験したような忙しさがやって来る。束の間の骨休みとして、私は十八時半に仕事を上がり、ガンモと待ち合わせをして、西宮ゑびす神社で開催されているゑびす祭に出掛けることにした。全国のゑびす神社では、毎年一月十日の前後三日間に、十日ゑびすと呼ばれる、商売繁盛の神様であるゑびす様(通称:えべっさん)をお祭りするためのゑびす祭が開催されている。私たちが足を運んだ西宮ゑびす神社は、全国のゑびす神社の総本社となっている日本一のゑびす神社で、十日ゑびすが開催される三日間でおよそ百万人の人たちが訪れている。ちなみに、九日は宵ゑびす、十日は本ゑびす、十一日は残り福と呼ばれている。

 いつもはJRを利用している私たちだが、西宮ゑびす神社に参拝するには、西宮ゑびす神社の最寄駅がある阪神電車を利用するのが望ましい。そこで私たちは、三宮から阪神電車に乗り、西宮で降りた。阪神電車の中では、手に笹を持っている人たちと出会った。私たちの乗っていた阪神電車が西宮ゑびす神社のある西宮に向かっているのだとすれば、手に笹を持っている人たちはおそらく参拝帰りではなく、去年までの笹を返却するために持参していたのだろう。私たちも、返却したい笹が既に二本も溜まっていたのだが、仕事帰りに西宮ゑびす神社に寄ることができるとはよもや予想もしていなかったので、笹を持参しなかった。いや、例え予想していたとしても、職場に笹を持参する勇気があったかどうかは定かではない。それにしても、今年も笹を買うとなると、来年には返却すべき笹が三本になってしまいそうだ。

 西宮ゑびす神社には、これまで何度か足を運んで来た私たちだが、毎回、楽しみにしているのが屋台である。阪神西宮駅から西宮ゑびす神社まで、そして、西宮ゑびす神社の中に入ってからも、たこ焼き、いか焼き、焼きとうもろこし、広島風お好み焼き、から揚げ、はし巻き、いかの姿焼き、バナナチョコ、りんごあめなど、実にたくさんの屋台が並んでいる。こうした屋台での食べ歩きもいいが、仕事帰りの私たちはお腹がとても空いていたので、阪神西宮駅前の飲食店に入り、軽く腹ごしらえをしてから屋台を回ることにした。

 しかし、いったん腹ごしらえをしてみると、意外にも、本当に食べたいものは屋台にはないということに気がついてしまった。屋台は、お腹が空いているからこそ、あれもこれも食べたくなるのであって、空腹が満たされている状態にあると、思っていたほど身体が欲しなくなるのだとわかった。

 やがて私たちは、屋台の雰囲気をたっぷりと味わいながら、西宮ゑびす神社の手前まで歩いて来た。参拝客が多いので、
「お手回り品には十分お気をつけください」
と繰り返しアナウンスが流れている。

 西宮ゑびす神社の手前までやって来たものの、入り口付近に人が停滞していてなかなか動いてくれない。どうやら、入場制限が行われているようである。これは困った。時計を見ると、既に二十一時半を回っている。実は私たちは、翌日の仕事を終えたあと、旅行に出掛ける計画を立てていた。そのため、帰宅後に旅行の準備をしなければならないし、「ガンまる日記」も更新しておきたい。例えこの行列に並んで参拝できたとしても、中もきっと混雑しているに違いない。そうなると、参拝に時間が掛かってしまい、帰宅時間はどんどんずれ込んでしまうことだろう。参拝を終えたあと、阪神西宮駅まで歩いて行くのも、混雑していなければわずか数分程度の距離なのに、これだけ多くの参拝客で賑わっているとなると、三十分ほど掛かってしまうのではないだろうか。


さすが、総本社の西宮ゑびす神社の本ゑびすは混雑している

消防も救急車を使って出動。入場規制をアナウンスしている

 私たちは、しばらく考えた。総本社である西宮ゑびす神社の本ゑびすだから、人が多いのも無理はない。しかし、せっかく来たのだから、できれば参拝しておきたい。とは言うもののし、帰宅してからすべきことが山積みだ。それを考えると、このまま参拝せずに帰宅すべきか。それとも、帰宅してからのことは一切考えずに、入場規制が緩和されるのを根気強く待ち続け、今を楽しむべきか。

 私たちは考えた末に、やはり参拝は見送ることにした。私は、西宮ゑびす神社の鳥居に向かって手を合わせた。
「中に入らず、外から失礼します。でも、今年はこうしてお参りに来ました。いつもありがとうございます。では、もう帰ります」
ゑびす様が神様なら、西宮ゑびす神社の中に入って参拝しようと、外から手を合わせて拝もうと、想いは届くのではないだろうか。それに、商売繁盛のために自分自身の大切な時間を失ってしまうなら、商売繁盛しなくてもいい。すなわち、仕事がそれほど忙しくなくてもいい。そんなことを考えてもいた。

入り口の前で断念

 こうして私たちは、熊手を買うこともなく、商売繁盛の笹を買うこともなく、帰宅してから実践すべきことを優先して、参拝を諦めたのである。

 ただ、それだけでは少し寂しいので、屋台で焼きとうもろこしを一本買って二人で食べることにした。焼きとうもろこしと言えば、父ちゃんやキッコロを思い出す。とうもろこしは、父ちゃんやキッコロの大好物なのだ。そこで私は、キッコロが餌をねだるときの「クウ」という低い声を真似して、ガンモに焼きとうもろこしをねだった。
「クウ」
ガンモは、私のおねだりの声を聞くと、私にとうもろこしをかじらせてくれた。私は、ガンモの差し出してくれた焼きとうもろこしを一口かじって、もぐもぐ食べた。そして、再び食べたくなると、
「クウ」
と言った。するとガンモは再び私に焼きとうもろこしをかじらせてくれた。そんなことを繰り返すうちに、私には父ちゃんやキッコロの気持ちが少しわかったような気がした。

 この連携プレイに感動した私は、もしかするとガンモが私の言った「クウ」を「食う」という意味に捉えていたのではないかと、少し不安になった。焼きとうもろこしを食べ終わってから、ガンモに、
「私が『クウ』って言ってたのは、『食う』だと思った?」
と尋ねてみると、ガンモは、
「いや、キッコロの真似だろ?」
と言った。ちゃんとわかってくれていたのだ。

 帰宅してから、とうもろこしをたくさん食べたことは、父ちゃんとキッコロには黙っておいた。鳩は鼻がきくのだろうか。仮に鼻がきいたとしても、普段、硬いとうもろこしばかり食べている彼らは、きっと調理された焼きとうもろこしの味を知らないだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 突然、ぽっかりと開いた時間にえべっさんに出掛けられることになったため、カメラも持参していなかったのです。私の携帯電話はひどく古いため、掲載させていただいた写真の画像が悪くて申し訳ありません。西宮ゑびす神社に参拝できていれば、えべっさんのお酒の試飲もあったはずですし、おそらく、お化け屋敷の出店もあったことでしょう。実は、何年か前にガンモと二人でお化け屋敷に入り、あまりもの怖さに出口から飛び出しました。だって、生身の人間がお化けを演じるお化け屋敷だったんです。人形ならば怖くないのですが、生身の人間は恐ろしいですよ。

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2008.01.09

まるみの歩き方

 私は、自分が歩くときの姿勢がひどく気になっている。毎日のように、ノートパソコンやら英語学習グッズやら大きなシステム手帳やらを大きなリュックと手提げかばんに分けて持ち歩いていると、さすがに体力的にも疲れが出て来てしまう。そんなとき、自分の歩き方を客観的に観察してみると、身体をまっすぐにして歩いていないと感じてしまうのだ。荷物があまりにも重過ぎるために身体をまっすぐにして歩くことができないのか、それとも、身体に歪みがあるために身体をまっすぐにして歩くことができないのか。もしかしたら、その両者なのかもしれない。

 自分の歩き方がひどく気になっていた私は、あるときガンモに、
「ねえねえ、私の歩き方って変?」
と尋ねてみた。するとガンモは、
「変だから。でも、まるみの場合は、存在そのものが変だから」
と答えるではないか。
「何、それ。どういうこと?」
と更に私が尋ねてみると、ガンモは、
「だってほんとに変なんだもん。自分で変じゃないと思うなら、こんなやつ(私のこと)を俺の目の前に連れて来なよ」
と言った。私はそれを聞いた途端、何だか胸の中がじゅわんと熱くなって来た。実は、これは、ガンモなりの逆説的な愛情表現だとわかったからである。私はガンモの言葉を、以下のように勝手に翻訳した。

 確かにまるみの歩き方は変わっている。でも、歩き方以前に、存在そのものが変わっているよ。だけど、それほど変わっているまるみと俺は、驚くほど息がピッタリ合っている。嘘だと思うなら、まるみみたいに変わっている人を俺の目の前に連れて来てごらんよ。きっと、まるみほど変わっている人はいないよ。何故なら、まるみが変わっているのと同じように、俺も変わっているから。俺は、そんなまるみと息がピッタリ合うように生まれて来たはずだから。変わっていて結構。変わっているほうが、まるみを見つけ易かったと思うよ。

 それはさて置いて、私の歩き方に話を戻そう。ガンモに聞いてみると、やはり私は歩くときの姿勢が悪いようである。私は前かがみになって歩く癖があることは、自分でも薄々感づいてはいたし、過去に他の人からも指摘されたことがある。

 もしかすると、前かがみというのは、自分が歩いている方向に鏡があって、それに引っ張られているだけなのかもしれない。これから先、
「まるみさん、どうしてそんなに前かがみで歩くんですか?」
と誰かに尋ねられたならば、
「何故なら、前に鏡があるからです」
と答えてみることにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 前かがみになって歩いているというのは、ずっと以前からいろいろな人に指摘されて来ました。ホットヨガのレッスンに足繁く通っていても、姿勢はなかなか治らないものですね。話は変わりますが、平安時代から室町時代にかけて、四鏡と呼ばれる「大鏡」、「今鏡」、「水鏡」、「増鏡」という四つの物語が書かれましたよね。実はここだけの話、私も平安時代に生きた前世では、「前鏡」という作品を発表しているのですが、四鏡の仲間には入れてもらえなかったのですよ。トホホです。・・・・・・というのは、まったくの冗談であります。ちょっと、疲れているのかもしれません。(苦笑)

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2008.01.08

映画『ONCE ダブリンの街角で』

 今年初めてのホットヨガのレッスンのあと、ホットヨガ神戸店のすぐ隣の映画館で、映画を二本、立て続けに観た。今日は、そのうちの一本のレビューを書かせていただくことにしよう。

 この映画は、アイルランド共和国の首都ダブリンの街角で出会った、音楽好きの男女の物語である。男はギターの弾き語りを得意としたストリート・ミュージシャンで、ゆくゆくはプロのミュージシャンを目指している。一方、女はチェコからの移民で、普段は花売りや家政婦などの仕事をしているが、ピアノを弾くことができた。一見、孤独な者同士にも見えるこの男女の出会いは、すぐにでも恋愛に発展しそうな雰囲気を漂わせていた。しかし、なかなかそうは問屋が卸さないところにこの映画の面白さがある。「この二人、一体どうなるのだろう?」そんな観客の興味を最後まで引っ張りながら、「なるほど、こういう終わり方をするんだ」と、エンドロールの手前でじわじわと感動がこみ上げて来る映画だった。その感動が、今、こうしてレビューを書きながらも、私の中に余韻として残っている。

 私はまず、冒頭のシーンから引き込まれた。路上でギターをかき鳴らしながら歌を歌っている男がいる。その男のすぐ側で、男の歌にさりげなく耳を傾けている浮浪者のような男がいる。やがて浮浪者のような男は、歌を歌っている男によろよろと近付き、歌を歌っている男の前に置いてある売り上げ金の入ったギターケースをいきなり奪い取り、走り出す。そのシーンがあまりにもリアルなので、もしかすると、この映画の撮影中に、本当にそのような出来事が起こったのではないかと錯覚してしまうほどだった。また、カメラワークにどことなく素人っぽい雰囲気を感じるのも、この映画の特徴である。

 男が使っているギターは、良くもまあここまで使い込んだものだと、思わず感心してしまうほどのおんぼろギターである。何しろ、通常、ピックガードが貼り付けられるところに引っかき傷のような穴が空いてしまっているのだ。つまり、ギターがピッキングに耐えられずに擦り切れているのである。それでも、ちゃんとチューニングは合っているし、男を演じている役者さんがプロのミュージシャンであるだけに、演奏も上手い。演奏される曲のコード進行は至ってシンプルだが、どの曲もアコースティックギターの弾き語りにぴったりの、好感の持てるナンバーだった。

 間もなく、この映画の主人公となる二人の男女がダブリンの街角で出会う。最初は女のほうが男に対し、積極的に質問を浴びせかけて来る。二人が出会ったばかりの頃、男は女の積極性に対し、少し引いているようにも見える。しかし、ある時期からそれが逆転する。そうした男女の駆け引きのようなところも、ごく自然に描写されている。

 しかし、日本人の私からすれば、知り合ったばかりの異性を、まだ交流も重ねないうちから自宅に招くというのは、経験がないため、なかなか想像することができない。自宅には、自分の親も住んでいるわけである。しかも、自宅に招くということは、自分のプライバシーの一部を公開することにも等しい。もともと日本には、恋人ならまだしも、異性の友人を自宅に招くという習慣はあまりないのではないだろうか。しかし、ダブリンではごく当たり前のように異性の友人を自宅に招き、家族と食事を共にしている。欧米諸国には、晩御飯をもう一人分、すぐに用意できる柔軟性があるのかもしれない。料理を大皿に盛り、大勢で取り分けられるような食事が主流なのだろうか。

 男が女の自宅を訪問し、女を取り巻く環境を知ったあたりから、二人のこれからが急激に気になり始める。そして、お互いに好意を持っていることがスクリーンを通してもびんびん伝わって来るのに、相手の自由意思を尊重しているのか、それとも、男女として一緒に過ごす相手ではないと互いに認識しているのかわからないが、決して自分の気持ちを明かそうとしない二人の距離が、少しでも縮まることを心から期待する。そんな二人の距離感が、見方によっては駆け引きにも見える。そして、最初からこの距離感を保ち続けるならば、男のあの台詞は何を意味していたのだろうかとか、女のあの態度は、一体どういうつもりだったのだろうかと思考を巡らせるのだが、いくら考えてもわからない。わからないが、彼らが関わっていたある時期において、お互いに好意を寄せ合っていたことだけは確かなのだ。音楽を通じて、人生のうち、たった一度でも心を通わせ合った二人。おそらく、onceという単語が邦題に掲げられていることからしても、そういう意味合いを持った映画なのだと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 楽器店で、男がギターで自分のオリジナル曲を弾き、女がピアノを弾くシーンがあります。初めて、男と女が音合わせをして、共同作業を行うシーンです。男のギターに合わせて、女がピアノを弾きます。初めての音合わせなのに、楽譜を頼りにしているのか、それともコードを頼りにしているのか、ギターとピアノ、そして男と女の声が美しいハーモニーを奏でます。私はこのシーンが好きです。ハーモニーは、相手が出している音と調和するように、互いに相対的な音から成り立っていますよね。そうした音合わせには、相手がこう出るなら自分はこう出る、みたいなところがあります。音楽は、それぞれが相対的に行動した結果、見事に調和するところが美しいのです。二人は、相対的に奏でた音のように、常に距離感を保ち続けていたのかもしれません。何故、距離感を保ち続けたのか。いろいろな解釈のできる映画だと思いました。

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2008.01.07

ゲルソン療法に思うこと

 思うところがあって、ゲルソン療法の本をAmazonで購入して読んだ。ゲルソン療法とは、ドイツ生まれのマックス・ゲルソン博士が開発してアメリカで広まった、ガン患者のための食事療法である。最初に断っておくが、決して私自身がガン患者というわけではない。

 その食事療法とは、簡単に言えば、搾り立ての新鮮な野菜ジュースを一日のうちに十三回にも分けて合計三リットル以上も飲むというものだ。胃の許容量をすべて野菜ジュースで満たすようにしておくため、水を飲んではいけないことになっている。しかも、野菜ジュースは、できる限り新鮮なうちにすぐに飲んでしまうことが推奨されている。多くの栄養価が失われてしまうため、ゲルソン療法では野菜ジュースの作り置きは認められていない。それに加え、合計六キログラムから七キログラムに相当する三度の菜食を摂るのだそうだ。その際、塩分は摂らず、カリウムを多く摂るのだという。そうすることにより、体内のガン細胞がいつの間にか小さくなっていたり、時には消えてなくなっていたりするそうだ。更に、ゲルソン療法は食事療法だけではない。極めつけは、いちじく浣腸ならぬコーヒー浣腸を実践して、身体を十分に解毒することが推奨されている。

 食べてはいけない食品群リストがまた凄い。代表的なものを挙げておくと、塩、水、ビンや缶に詰められているもの、冷凍食品、保存食、精製食品、塩蔵食品、すべての乳性品、アルコール、アボカド、パイナップル、イチゴ類、キュウリ、香辛料、大豆、豆腐、味噌、たまり醤油、醤油、大豆タンパク、乾燥そら豆などの豆類、肉製品、キャンデー、ケーキ、マフィン、菓子パン、その他もろもろである。繰り返しになるが、これらは食べても良い食品ではなく、食べてはいけない食品群である。そうした制約を守りつつ、野菜ジュースと菜食とコーヒー浣腸を実践することが、ガンを克服するための秘訣だとされている。

 はっきり言って、これらの食事療法を忠実に実践してくれるような施設を見付け出して、しばらくそこに缶詰状態にでもならない限り、自分一人で実践するのはなかなか難しいことだろう。野菜ジュースの作り置きができないのに、その野菜ジュースを一日十三回にも分けて飲むのだから、野菜ジュースを作る人は、野菜ジュースの材料の買い出しにも出掛けられない。野菜ジュースを作る人は、野菜ジュースを作ることに専念しなければならないほどの、重要な役割を担うことになるのだ。どう考えても、これは一般家庭で行うには現実的ではない食事療法だと思う。しかし、この食事療法で、既に多くの末期がん患者が救われているそうだ。

 私は、ゲルソン療法を実践できる環境にある人は恵まれていると思う。西洋医学が主流の日本では、患者の免疫力を低下させる抗がん剤を使った化学療法が平然と行われている。抗がん剤は、ガン細胞だけを狙い撃ちできるわけではなく、正常な細胞までも一緒に破壊してしまうのだそうだ。更に、抗がん剤には激しい副作用もある。それがわかっていても、西洋医学が主流の日本では、ガン治療に対する選択肢が余りにも少ない。

 ここで私は、アンデルセンの書いた童話『人魚姫』を思い出した。人魚姫は、人間の女性に変身できる薬を魔女から授かるが、その薬を飲むことにより、口がきけなくなってしまうばかりか、歩く度に足に激しい痛みさえ感じるようになる。これぞ、現代の西洋医学の副作用に相当する作用ではないだろうか。

 ゲルソン療法の本を読んで、私は以前にも増して、西洋医学に対する不信感が高まってしまった。西洋医学は、足りないものを補うには強い分野なのかもしれない。しかし、ガンや筋腫のように、身体の中に不要なものが存在している病気に関しては、不得意な分野に相当するのではないだろうか。医学が発達して来たとは言え、今なお多くの人たちがガンで亡くなり続けている。おそらく、多くの人たちは、代替療法に巡り合ったとしても、一体何を信頼したらいいのかもわからずに、選択に踏み切れない状態にあるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私の職場では、関連会社が開発した、とても使いにくいメールソフトが社内標準のメールソフトとして指定されています。私には、使い慣れたメールソフトがあるので、抵抗して、職場で指定されたメールソフトを使っていませんでした。職場でも、自宅でいつも使っているメールソフトの個人用ライセンスを入力して使っていたんですね。そうしたら、それはまずいと職場の上司から指摘を受けて、私が使いたいメールソフトの法人用ライセンスを貸与してくれました。それはさておき、使いにくいメールソフトというのは、職場で標準のメールソフトとして認定されたソフトですから、使いにくくても危機感がないわけです。通常、ソフトウェアが使いにくければ、売り上げが伸びないなどの現実を付き付けられ、改善に向かって行くでしょう。しかし、標準のメールソフトと認定されてしまえば、ユーザーが使いにくさを感じてはいても、とりあえずは売り上げが伸びているため、使いにくい部分はいつまで経っても改善されることがありません。西洋医学に関しても、同じようなことが言えるのではないかと最近思うようになりました。胡坐をかいてデーンと居座るのではなく、暗中模索を重ねて築き上げて来たものこそ、どんどん洗練されて、より素晴らしいものに成長して行けると思うのです。でも、現代の西洋医学は、自分の立場に胡坐をかきすぎていると思います。このまま、根本治療を行わない西洋医学を野放しにしてしまってもいいものなのでしょうか。ゲルソン療法の本を読んで、これから先の西洋医学の行方が少し不安になってしまいました。

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2008.01.06

うどんの国

甘党の矛盾、辛党の矛盾の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 一般的に、あまりお酒が飲めない人は甘党で、お酒が飲める人は辛党ですよね。ちなみに、私は小さい頃から和菓子のあんこがとても苦手で、和菓子を食べるときは、中のあんこを避けて、あんこのない周りだけを食べていました。今でもほとんどの和菓子は苦手ですが、ほくほくのたいやきや、姫路名物の御座候(ござそうろう)は、あんこがおいしいので好きです。ガンモは和菓子も大好きで、大福やかしわ餅なども好んで食べています。私は、あんこが入ったおもちはほとんど食べません。しかし、いつだったか、ガンモの実家に帰ったときに、あんこ入りのお雑煮を食べさせてもらったことがあるのです。そう、ガンモの出身地である香川県のお雑煮は、あんこ入りのお雑煮なのです。もともと、あんこ入りのお餅が好きではない私は、恐る恐る食べたのですが、こちらは意外においしかったです。残念ながら、今回の帰省ではあんこ入りのお雑煮を食べることはできませんでした。さて、今回は、そんなうどんの国の実情を書いてみたいと思います。

 うどんの国で生まれ育ったガンモは、大晦日に年越しそばを買うためにスーパーに足を運んだとき、奇妙なことを口にした。
「やっぱり、年越しそばじゃなく、年越しうどんだろ?」
「えっ? 香川の人たちは、年越しそばじゃなくて年越しうどんを食べるの?」
と私が尋ねると、ガンモは、
「当たり前だから」
と言った。

 結婚十一年の私たちは、これまでにも、きっと同様の会話を交わして来たに違いない。しかし、ガンモの仕事の都合で、これまであまり大晦日を一緒に過ごした記憶がない私は、過去にそんな会話をしたことさえもすっかり忘れてしまっていたのだ。

 香川県が本格的なうどんの国であると実感したのは、幼くして亡くなってしまったガンモの弟の三十三回忌の法要のときのことだった。お経をあげてくださったお坊さんのことも、法要に来てくださった親戚の人たちのことも、うどんでもてなしたのである。もともと私は、そばよりもうどんが好きなので、うどんの国の出身のガンモと結ばれたことは願ったり叶ったりだった。しかし、そのあとも遠縁の人の法事があるとかで、親戚の人たちが、
「ああ、またうどんを食べるんかね」
と言うのを耳にしたときには、
「ひぇええええ! またうどんですか?」
と言いながら、既に夕方だという理由で私たちは帰路に就くことにしたのだった。いくらうどんが好きだと言っても、お昼と夜に連続で二食もうどんを食べるのは厳しい。

 ところで、村上春樹さんのエッセイでも有名になったなかむらうどんが、ガンモの実家から比較的近いところにある。なかむらうどんは、「ねぎが入っていなければ、近くの畑で取って来い」というようなことを店主に言われてしまうほどのワイルドなうどん屋さんとして、全国のうどん愛好家たちに知られている。そんな人気のなかむらうどんは、午前中のうちに、うどんの玉が売り切れになってしまうらしい。実は、数年前、お昼過ぎに足を運んでみたところ、もはや玉が売り切れになってしまったため、お店が閉まっていた。お店と言っても、納屋を改造したような、これまたワイルドな建物である。それ以来、なかむらうどんは訪れていない。というのも、実家に帰っているときに、朝早くから外にうどんを食べに出掛けて行くのは、久しぶりに帰省した私たちに食事の支度をしてくれている義母に対して申し訳ないと思っていたからだ。


 今回の帰省でも、午前中までしかうどんの玉が持たないなかむらうどんには足を運ばなかった。しかし、しばしば足を運んでいるセルフのうどん屋さんに入り、お腹いっぱいになるまでうどんを食べた。香川県には、セルフのうどん屋さんが実に多く、リーズナブルでボリュームたっぷりのもてなしをしてくれる。私たちがしばしば足を運んでいるうどん屋さんは、小がうどん一玉、中がうどん二玉、大がうどん三玉ほどのボリュームである。いつもの癖で、ついつい「中」を注文すると、そのボリュームの多さに驚いてしまう。うどんの国はうどんの産地なので、うどんを出し惜しみしないのである。

 トッピング用のてんぷらなどを取り皿に取ったあと、備え付けの蛇口からうどんの出汁を注ぐのが香川県のセルフのうどん店の特徴だ。それから、ねぎやしょうがを盛ったりする。今回、私はしょうがを多めに盛ってみたのだが、これがなかなかおいしかった。あらあら、記事を書いているうちに、またうどんを食べたくなってしまったではないか。

 赤ちゃんの離乳食としてうどんを与え、法事でもうどんを食べ、大晦日にも年越しうどんを食べるうどんの国の人たちは、さぬきうどんブームをどのようにとらえているのだろう。もしかすると、食べたいときにだけうどんを食べるなんて、まだまだ甘いと思っているかもしれない。食べたくないときでさえもうどんを食べてこそ、真のうどん好きとして認めてもらえるのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私は九連休だと言うのに、ガンモは飛び飛びで仕事が入っていたため、冬休み中の帰省は、ガンモの実家に一泊するに留まりました。ガンモの話によれば、今では少なくなりましたが、昔はお豆腐屋さんや魚屋さんと同じように、うどんを売りに来る行商の方がいらっしゃったようです。わざわざお店まで買いに出掛けなくても、うどんが手に入るのは有難いですよね。ところで、現在、全国のあちらこちらにあるセルフのうどん屋さんの原型は、香川県には早くからあったようです。そう言えば、香川県には、セルフのうどんの他に、セルフのガソリンスタンドもたくさんあります。今回、帰省したときに、給油するためにガソリンスタンドを探していると、ガンモが、
「セルフと書いてあっても、うどん屋かもしれないしなあ」
などとぼそっとつぶやいたのが妙におかしかったです。

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2008.01.05

甘党の矛盾、辛党の矛盾

 ガンモが四十四歳の誕生日を迎えた。午前〇時を回った頃、私はゴソゴソと誕生日プレゼントの包みを取り出して、ガンモに差し出した。果たして、私がガンモに何をプレゼントしたのか。言うまでもなく、チロルチョコレートである。

 本来ならば、ガンモの絶叫に書いたような長方形の板状のチロルチョコレートを探していたのだが、あいにく、売っているお店を探し出すことができなかった。小さい頃はもっと簡単に手に入ったはずの長方形の板状のチロルチョコレートは、今ではほとんど見掛けなくなってしまった。一体どこに雲隠れしてしまったのだろう。そこで私は、正方形の一口タイプのチロルチョコレートを何とか探し出して、いくつかまとめて購入したのである。

 プレゼントの中身がチロルチョコレートだとわかったガンモは、
「俺、糖尿病になっちゃうよ」
などと言いながらも、喜んでいた。おいおい、ガンモがそれを言うのはおかしくないかい?

 以前もここに書いたが、ガンモの父は糖尿病を患っている。数年前に他界してしまった義父の兄も糖尿病を患っていた。だからガンモも糖尿病に患わされないように、普段から糖分の取り過ぎに注意して、コーヒーを飲むときに入れる砂糖を極端に少なくしている。しかしガンモは、それ以前に甘いものが大好きなのだ。私から見ると、ガンモはコーヒーに入れる砂糖を減らしたくらいではとても追いつけないほどの糖分を摂取しているように見える。だから私は、ガンモが買って来たお菓子を取り上げてしまうことがある。少なくとも、私の家系には糖尿病を患っている人はいないので、甘いものを我が家で発見したならば、それらは私の口に運ぶほうが安全だと思ってしまうのだ。ガンモが寝室で発掘したチロルチョコレートを私が食べてしまったのも、そうした背景も手伝ってのことである。

 とは言うものの、実は私は辛党で、甘いものよりも辛いものを好んで食べる傾向がある。オフィスでは、しばしば派遣仲間が甘いお菓子を分けてくれることがあるが、甘いお菓子よりも、辛いお菓子のほうに幸せを感じてしまう。そんな私が、ガンモの発掘したチロルチョコレートをペロリと平らげてしまったことがきっかけで、ガンモが絶叫するほど恐ろしい夢を観てしまったのだから、やはり、ガンモの誕生日にはチロルチョコレートをプレゼントするのがいいだろう。普段ならば、甘いものばかり食べているガンモから甘いお菓子を取り上げている私だtった、年に一度のガンモの誕生日なので、甘いものを食べることに対し、寛大になろうと思ったのである。

 すっかり前置きが長くなってしまったが、これらのことから、ガンモが、
「俺、糖尿病になっちゃうよ」
と言うのは絶対におかしいということだ。もしも糖分の取り過ぎに気を付けたいならば、普段から甘いものを食べるのを控えればいいのだ。

 しかし、そのあと、私が取った行動もわけがわからない。
「俺、糖尿病になっちゃうよ」
というガンモの言葉を受けた私は、
「じゃあ、チロルチョコ、半分ちょうだいね」
と言って、ガンモにプレゼントしたはずのチロルチョコレートを半分もらい、ペロリと食べてしまったのだ。もともと私は辛党のはずなのに。チロルチョコレートの本当の名前はペロリチョコレートなのかもしれない。

 ここに、二つの矛盾がある。一つは、普段から、甘いものばかり好んでいるはずのガンモが、私の買って来たチロルチョコレートを目にするや、
「俺、糖尿病になっちゃうよ」
と言った矛盾。もう一つは、辛党のはずの私が、ガンモが寝室で発掘したチロルチョコレートをぺろりと平らげた挙句、ガンモの誕生日のプレゼントに買って来たはずのチロルチョコレートも半分食べてしまった矛盾である。

 私たちは誰しも、振り子のように、気分によってあっちへ傾いたり、こっちへ傾いたりする矛盾を抱えながら、たくましく生きているということではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m またまた更新が遅くなり、申し訳ありません。ガンモの実家より、無事に帰宅しました。そして、とうとう私の年末年始の休暇も終わってしまいました。この冬休み中に、実践すべき項目をリストアップしていたのですが、二十二項目リストアップしていたにもかかわらず、実践できたのはわずか十三項目でした。それでも、半分以上実践できたので、良しとしましょうか。なかなかパワフルに動き回ることはできませんでしたが、本当に次から次へと実践したいことが湧き上がって来て、収拾のつかない状況でもありました。これまで、いかにやりたいことを実践できていなかったということがわかりました。それだけ、普段から余裕のない毎日を送っていたのかもしれません。私は今、人のスピードに合わせて生きるのではなく、自分だけの絶対的なスピードを確立させたいと思っています。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2008.01.04

ホットヨガ(八十四回目)

ガンモの絶叫の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅くなりまして申し訳ありません。実はこの記事を書いている今、ガンモの実家に来ています。その話は後日書かせていただくことにしますね。さて今回は、およそ二週間振りに受けたホットヨガのレッスンのお話であります。

 ガンモが仕事だと言うので、私は神戸店でホットヨガのレッスンを受けることにしていた。まだ今年の営業を始めていない支店もあったのだが、我等が神戸店では三日からレッスンを受けられるようになっていたのである。他の支店がまだお正月休みというくらいなので、神戸店の営業もまだまだ本格的ではなく、開設されているレッスンの数も限られていた。私は、脂肪燃焼コース2のレッスンを受けたかったのだが、この時期は脂肪燃焼コース2のレッスンが開催されていなかったため、九十分のベーシックコースのレッスンを受けることにした。

 ホットヨガのレッスンを受けるのは、年末に閉店した本町店でレッスンを受けて以来二週間振りのことである。着替えを済ませてスタジオに入ってみると、スタジオ内にはびっしりとヨガマットが敷き詰められていた。その数は、何と二十二枚にも及んでいた。お正月三が日も明けて、それぞれの日常を取り戻しつつある時期なのだろう。ホットヨガのレッスンを受けたいと思うものの、三宮店がまだ営業を始めていないので、今回は神戸店でレッスンを受けてみようと思い立った方もいらっしゃったのかもしれない。

 今回のレッスンのインストラクターを担当してくださったのは、吉本興業のインストラクターだった。今年初めてのレッスンも楽しくなりそうな予感である。私は、吉本興業のインストラクターに久しぶりのご挨拶と新年のご挨拶をしたあと、年末に本町店でレッスンを受けたことをご報告した。

 間もなくレッスン開始時間になり、レッスンが始まった。吉本興業のインストラクターは、あいさつのあと、
「皆さん、今日はウェアがきつくなかったですか? 私はきのうからレッスンに出てるんですけど、『きつー』と思いましたよ」
とおっしゃった。私はおかしくて、ついつい、ぷっと吹き出してしまった。年末年始に不摂生をして、体重が増えたりしていないかという意味に違いないと思ったのだが、実際はそういう意味ではなく、運動不足のために身体がむくんだりしていないかということだったらしい。吉本興業のインストラクターがいきなりそんなことを言い出すものだから、その後のスタジオ内にほのぼのとした雰囲気が漂い始めたのは言うまでもない。これが、吉本興業のインストラクターの成せる技である。

 レッスンが開始されてしばらく経ってから、憧れのフリーパス会員のあの方がスタジオに入って来られた。おそらく、別のレッスンを受けられて、シャワーを浴びられた直後なのだろう。髪の毛がしっとりと濡れている。連続してレッスンに参加されるとは、相変わらずタフな方である。

 一方、私はと言うと、九十分のレッスンには慣れているはずだったが、久しぶりだったせいもあるのだろう。後半になるとすっかり息が荒くなってしまっていた。ちょっぴり情けない。おまけに、まだまだ身体も硬いため、鳩のポーズのときに、吉本興業のインストラクターが私に素早くハンドタオルを添えてくださったのがうれしかった。我が家には鳩がいるのに、いつまで経っても鳩のポーズがビシッと決まらないとは・・・・・・。

 それでも、何とか最後までレッスンを受けて、シャワールーム争奪戦にも敗れることなく、空いているシャワールームに駆け込んだ。シャワーを浴びながら、私はふと思い付いて、頭痛対策として、あることにチャレンジしてみることにした。

 私がしばしば頭痛に悩まされていることは、これまでにも書いて来た通りだ。頭痛が起こりやすい状況としては、ホットヨガのレッスンを受けたあとか、もしくは生理の周期と前後することもある。頭痛のときは、たいてい、首の後ろあたりに不快感を感じている。同時に、頭のてっぺんにある百会(ひゃくえ)というツボの周辺を押さえるとひどく痛む。今回は、久しぶりのレッスンだったので、頭痛に見舞われないようにするためにも、百会のツボの辺りをシャワーで温めてみることにした。実は、頭が痛くなったときに、百会のツボの辺りにカイロを当ててみたところ、痛みが和らいで来た経験があるのだ。とは言うものの、頭のてっぺんを温めるのはなかなか困難である。私は自宅で、タオルマフラーにカイロを貼り付け、カイロの温かいところが百会のツボの辺りに当たるように、傘地蔵のごとくタオルマフラーを首元まで引っ張って結んでいる。そのような格好は、自宅でこそ出来る格好でもある。その姿を目にしたガンモからは、「浪人生」と呼ばれている。おそらく、なりふりかまわず過ごしているからだろう。

 私は、身体を洗うときよりもシャワーの温度を少し熱めに設定して、百会のツボの辺りに熱いシャワーを当てた。すると、何だか心地良く感じることができた。これはいい。私はしばらく熱いシャワーを百会のツボに当てながら、その心地良さに酔いしれていた。

 シャワーを浴びたあと、今度はパウダーコーナーに備え付けのドライヤーを使って、頭のてっぺんから温めながら、百会のツボを刺激した。少し熱かったが、やはり温めると気持ちがいい。それから更に、百円ショップで購入したいぼいぼ付きのマッサージグッズを取り出して、百会のツボを刺激した。少し痛かったが、痛さよりも気持ちがいいと感じることのほうが勝っていた。これで頭痛から救われる。そんな気さえしたものだ。久しぶりのレッスンだったので、身体が驚いて再び頭痛に悩まされるのかと心配していたが、少し熱めのシャワーとドライヤーといぼいぼのマッサージグッズを使って百会のツボを刺激したおかげで、頭痛から逃れることができた。

 ホットヨガのレッスンのあとは、昼食をとったあと、ホットヨガ神戸店のスタジオのすぐ隣にある映画館で映画を二本観て、ちょうど仕事帰りのガンモと待ち合わせて帰宅したのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私の周りにも、頭痛に悩まされている方が多いようです。もしも私と同じように、肩こりや首の後ろの不快感から始まる、酸素不足から来ている頭痛ならば、今回の記事に書いたように、百会(ひゃくえ)のツボの辺りを活性化してみてくださいませ。もともと頭痛に悩まされている人は、この辺りを押してみるだけでも、痛みを感じたりしないでしょうか。ご参考になれば幸いです。

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2008.01.03

ガンモの絶叫

 夢の中で感情移入すると、私たちはしばしば寝言を口にしたりする。ガンモとの十年余りに及ぶ結婚生活の中で、おそらく私も何度か寝言を口にしたことがあるはずだ。しかし、「ガンまる日記」を書いているのは私なので、私の寝言はネタにはならない。そう、ネタになるのはガンモだ。

 お正月三が日と言えども、世間はすっかり寝静まっている丑三つ時のことだった。私の隣で寝ていたガンモが、突然、絶叫したのである。
「うわああ、ああ、ああ、ああ、あああああああああああああああああああああ!」
私は既に、最初の「うわああ」で目が覚めていた。目覚めたあと、ガンモの口から更に大きな叫び声が聞こえたので、私は、
「ガンモ、どうした?」
と声を掛けた。きっと悪い夢でも観たのだろう。夢で良かったね、ガンモ。

 自分の絶叫で目を覚ましたガンモはしばらく放心状態だった。私は、ガンモが口を開くまで根気強く待っていた。すると、ガンモがようやく口を開いたのである。
「妹が、俺が手に持ってたガラスの破片を奪い取って、俺の目の前で○○しようとしたので、必死に止めた」
おおよそ新年にはふさわしくない内容なので、一部伏字にさせていただいた。私はガンモに、
「妹?」
と聞き返した。現実には、ガンモに妹なんていないのだ。それにも関わらず、ガンモの妹が、ガンモが持っていたガラスの破片をガンモの手から奪い取り、ガンモの目の前で○○しようとしたと言う。私はガンモに、
「その妹って、もしかして△△ちゃん?」
と尋ねた。△△ちゃんというのは、ガンモの弟の嫁である。私には、ガンモの妹と言うと、彼女しか思い浮かばなかったのだ。しかしガンモは、
「違う。血の繋がった妹だった」
と答える。
「その妹は、現実に出会っている人物なの?」
と私が更に尋ねると、ガンモは、
「いや、出会ってない」
と答えた。現実には出会ってない人物が夢に出て来ることは、決して珍しいことではない。

 ガンモはまだまだ衝撃が激しいようで、しばらくの間、興奮していた。何しろ、ガンモの目の前で実の妹が○○しようとしたのだから無理もない。ガンモの観ていた夢は、あれほどの絶叫に充分ふさわしい内容である。ようやく落ち着いて来たガンモは、更に口を開いた。
「俺が手に持ってたガラスの破片は、ちょうどチロルチョコレートくらいの大きさだったんだよ。そう言えば、この間、俺が発掘したチロルチョコレートをまるみが一人で食っただろ? 多分、それが無念だったんだよ」
「ちょっと待って。あのチロルチョコレートを私が食べたことが無念だったから、こんな夢を観たの?」
と私が尋ねると、ガンモは、
「そう」
と答えた。

 あれは去年の年末のことだった。ガンモが寝室でチロルチョコレートを一つ発掘した。一口タイプではなく、長方形の板状のチロルチョコレートである。夢の中のガンモは、チロルチョコレート大のガラスの破片を握り締めていたらしい。そして、あのような夢を観てしまったわけだ。
「きっと、まるみにチロルチョコレートを食べられたことが無念だった」
とガンモは繰り返し言った。
「何だ、それ」
「ああ、でも、真剣に怖かったよ」
「確かにあの絶叫は、歴史に残るよ」

 元旦の夜に夢を観なかったガンモは、この夢が初夢になるのだそうだ。年明けからこのような夢を観てしまうとは、果たしてガンモにとって、どんな一年になるのだろう。チロルチョコレートでお清めしておいたほうがいいのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 現実のガンモでも、あれほど大きな声を出しているのを見たことがありませんでした。いはやは、本当に恐ろしい夢だったのでしょうね。そう言えば、私はこの年末年始の休暇を利用して、ずっと以前に読んだ漫画を読み返しているところです。その中に、怖い漫画も含まれていました。そして、その漫画が、私たちの寝ているベッドのガンモの足元に転がっているのです。ガンモがこのような夢を観たのは、私がガンモの足元に置いておいた怖い漫画のせいなのでしょうか。それとも、ガンモの言うように、チロルチョコレートに対する無念さが招いた夢なのでしょうか。

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2008.01.02

ガンモの作戦

ガンモの仕事始めの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 皆さんは、お正月休みをいかがお過ごしでいらっしゃいますか? 初詣や実家訪問などで慌しく動き回っていらっしゃる方も多いかと思います。私は、ガンモの仕事が飛び飛びで入っているため、現在のところ、年末年始の九連休を自宅でのんびりと過ごしています。やりたいことは山のようにあるのですが、やりたいことがあり過ぎると、なかなかはかどりません。(苦笑)リフレッシュするために、休息の時間が必要なのかもしれませんね。

 去年の暮れ頃から冷え込みが急に厳しくなり、我が家のハリセンボンたちの動きも一段と鈍くなった。時折ベランダに目をやると、ハリセンボンたちが身体を丸め、じっとしているのが見える。それでも彼らは、私たちの姿を寝室の窓越しに確認すると、餌をもらえるものと思い込み、窓辺までバサバサと飛んで来る。しかし、最近の私たちは、そう簡単には餌を与えようとはしない。

 というのも、鳩の餌の買い置きがなくなりかけていることと、私たちが餌を与えようとしているにもかかわらず、TKMYやキッコロが私たちの手を突付いたり、噛み付いたり、また、時には鳩パンチをくらわすこともあるからだ。しかし、紳士・淑女の父ちゃん、母ちゃんの大人しいカップルしか居ないときは、寝室の窓を開けて、残り少なくなった餌をそっと差し出している。TKMYやキッコロの気性の激しさからすれば、父ちゃん、母ちゃんの紳士・淑女ぶりにはとても好感が持てるのである。

 TKMYやキッコロに対して私たちが餌を出し渋っていると、やがて彼らは低い声でクウと鳴きながら怒り出す。彼らは私たちに餌をもらえることを当たり前のように思っているのだ。私たちとしてもそれは悔しいので、最近は、彼らを怒らせることに興じている。特に冬場は、ハリセンボンのように身体を膨らませたまま怒る仕草がとても面白い。

 やがてガンモは、TKMYやキッコロの特性を生かして、更なる楽しみを見つけた。それは、ガンモに鳩パンチをくらわそうとするTKMYを利用して、TKMYの夫であるキッコロに鳩パンチをくらわせるというものだ。

 TKMYとキッコロが餌を食べに来るとき、彼らは番(つがい)でやって来て、ベランダの窓辺に並ぶ。二羽の距離はそれほど離れてはいない。TKMYもキッコロも、私たちが手を出すと、私たちに鳩パンチをくらわすが、どちらかと言うと、キッコロは突付くほうが専門らしく、TKMYの鳩パンチの回数が圧倒的に多い。そこでガンモは、TKMYとキッコロの間に自分の手を置き、TKMYがガンモの手を目掛けて鳩パンチをくらわすように仕向ける。しかし、TKMYの鳩パンチよりもガンモの手の動きのほうがずっと素早いので、ガンモはTKMYの鳩パンチが当たる直前に手を引っ込めることができる。すると、TKMYがくらわそうとした鳩パンチは、すぐ隣にいるキッコロに命中してしまうのだ。当然、キッコロは驚く。これが何ともおかしくて、TKMYの鳩パンチがキッコロに命中したときには、思わず拍手喝采をしてしまうほどだ。

 TKMYにしてみれば、叩くつもりのない夫のキッコロに鳩パンチをくらわしてしまったわけである。そんなTKMYに対し、キッコロが怒り出すともっともっと面白いのだが、キッコロがいつまでも冷静なのは、私たちとしても計算外である。

 紳士と淑女のような父ちゃん、母ちゃん夫婦と、餌をもらえないとわかると私たちの手を突付き、鳩パンチをくらわすTKMY、キッコロ夫婦。現在、我が家のベランダは、そんな対象的な二組の夫婦で構成されている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今になって思えば、あれだけ餌に対して執着心の強かったジェットが、TKMYとキッコロの子供だったということに大きくうなずくことができます。おそらく、雛の性格は、親から譲り受けるものなんでしょうね。それに、夫婦が似て来るというのもなかなか面白いですよね。紳士・淑女の父ちゃん、母ちゃんは、餌を与えなくてもじっと大人しくしていますが、TKMYとキッコロは、まるで申し合わせたかのように、寝室の窓を開けると私たちの手を突付き始めます。家族単位でルールが決まっているのでしょうか。まるで小さな国家を見せられているような、そんな気さえして来ます。ところで、やんちゃなTKMYやキッコロともっとじゃれ合おうと、「謹賀新年」と書いたたすきを彼らの首からぶらさげて写真を撮りたいとガンモに持ち掛けたところ、「それが絡まって、いざというとき羽が広げられなかったらどうするんだよ」と怒られ、断念しました。(苦笑)

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2008.01.01

ガンモの仕事始め

※新年あけましておめでとうございます。旧年中は皆さんから多大なご支援を賜り、例え仕事が忙しい状況にあったとしても、何とか一日一記事のペースを守り続けることができました。ひとえに皆さんのご支援のおかげであります。本当にありがとうございます。同じような状況でブログを綴っていらっしゃる方ならおわかりいただけるかと思いますが、書くためのエネルギーが失われているときであっても、皆さんからのご支援に励まされ、書きたい気持ちがむくむくと沸き上がって来るのです。言い方を変えれば、「ガンまる日記」は決して私一人が書いているのではないということでもあります。内容が多岐に渡り、中には素通りしてしまう記事もあろうかと思いますが、それでも毎日のようにアクセスしてくださっている方たちのご支援に支えられています。これからも、時間の許す限り書き続けて行きたいと思っていますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 大晦日から元旦に掛けて、ガンモは徹夜の仕事が入っていた。大晦日の二十二時過ぎに家を出て、元旦のお昼過ぎに帰宅したのである。ガンモが元旦に徹夜で仕事をするのは良くあることだ。ハードウェア屋さんのガンモは、世間が休みのときにシステムの入れ替えやメンテナンスを行うためである。

 この元旦も徹夜の仕事が入っていると聞いたとき、私はガンモに言ったものだ。
「元旦にいないの? ガンモにあけましておめでとうって言えないの?」
と。すると、ガンモは待ってましたとばかりに、私が湯治に出掛けていたときのことを口にした。
「あのとき、帰って来ると言ってたのに帰って来なかった」
それを言われてしまうと、私は黙るしかない。

 私は、二年前のこの時期に、一人で鳥取県の三朝温泉の湯治宿にこもり、筋腫を少しでも小さくするために湯治に励んでいた。しかし、予定よりも早く生理が始まってしまい、湯治の効果がなかなか現れなかったため、滞在期間を延長したのである。あの頃、私たちは、離れ離れになったことにより、精神的に不安定な日々を送っていた。大自然の中で感じた激しい孤独を今でも忘れない。それでも、激しい孤独を感じたからこそ、自然の恵みを受け取ることができた。高速バスが三宮に着いて、三宮から自宅の最寄駅までJRに乗ったとき、外の景色がこれまでとは違って見えたことも印象的だった。観光客でもなく、住人としてでもなく過ごした三朝温泉。実際に、湯治後の私の身体は活性化し、湯治の効果は現れたと思っている。しかし、あれほどの孤独と引き換えに湯治の効果を手に入れるには、あまりにも代償が大き過ぎるように思える。それでも、私はときどきあの湯治の日々を懐かしく思い出すのだった。

 仕事始めから帰宅したガンモは、ベッドに横になってすやすやと寝息を立てた。それにしても、ガンモの年齢での徹夜作業はそろそろ厳しいのではないだろうか。ガンモ、年越しの仕事、お疲れさん。いつもならば、ガンモが寝ている間はガンモの安眠を妨害しないように気を遣って、別の部屋で過ごしたりするのだが、他の部屋がひどく寒いので、私はずっと寝室にこもり、ゴソゴソと活動していた。

 ガンモが現在の仕事を続ける限り、これからも年明けをガンモと一緒に過ごせる機会は少ないだろう。そして、私が年明けをガンモと一緒に過ごせないと愚痴をこぼす度に、ガンモは三朝温泉の湯治のことを引き合いに出すのだ。ということは、私が三朝温泉に湯治に一人で出掛けたことは、決して後ろめたいことではなく、ガンモの年明けの徹夜を正当化するための口実にもなっているわけである。ガンモはむしろ、私が湯治に出掛けたことに感謝すべきかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 人は、自分の体験を通してでしか、本当の意味での感情を体験することができないように思います。もちろん、意識を集中させることで、人の意識の中に入り込むことは可能だと思いますし、私自身も経験があります。しかし、多くの場合は、人の気持ちも理解できるように、様々な出来事を自分自身で引き寄せているのだと思います。私たちが「カルマ」と呼んで来たものは、実は、魂が時間差で体験したいと願った「自由意思」と言えるのではないでしょうか。例えば、ガンモは私が感じた孤独を体験できるように、私はガンモが感じた孤独を体験できるように、動いているのだと思います。言い方を変えれば、もしも何か辛いことが身の回りで起こったとしたら、それは、誰かの気持ちを理解するために、魂が時間差で体験したいと願った「自由意思」かもしれないということです。できれば、そうしたメッセージを見逃さずにいたいものです。

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