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2007.12.13

好敵手

映画『PEACE BED アメリカVSジョン・レノン』の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この映画を観たことで、ジョンとヨーコという運命的なユニットについて見直すきっかけになりました。まさしく、ジョンとヨーコを再発見したような感じであります。真に愛し合う男女が寄り添う姿を目にするだけでも、私たちは大きなエネルギーを感じ取ることができるものなのですね。ただ、私としては、ソウルメイトとツインソウルの違いというものを改めて実感することになりました。仮に、愛し合う二人が死を迎える時期がお互いに別々なのだとすれば、ソウルメイトの夫婦よりも、ツインソウルの夫婦のほうが精神的にずっと気丈なのではないかという気がしました。魂の片割れを失っても、自分自身で陰陽のバランスを取りながらヨーコが強く生きて来られたのは、ヨーコが今でもジョンの魂と交信できている証なのかもしれませんね。

 もうすぐ、二人の派遣仲間が現在の職場での勤務を満了することになっている。一人は同じプロジェクトで仕事をしている派遣仲間で、もう一人は、しばしば一緒に飲みに出掛けている派遣仲間である。同じプロジェクトの派遣仲間とは、まだ一年半程度の付き合いで、個人的な付き合いは特にないのだが、しばしば一緒に飲みに行っている派遣仲間とは、私が現在の職場に派遣されてからの付き合いなので、もう五年半になる。今回は、派遣仲間としては長い付き合いになる彼女への想いを綴ってみたい。

 私が彼女への想いを綴ろうと思ったのは、私の中で、彼女が職場を去って行くことに対して、ひしひしと寂しさのようなものが込み上げて来ていることに気が付いたからだった。彼女と私は年齢も近く、夫婦二人だけで生活していることや、夫がコンピュータ業界で働いていること、夫婦が出会ったきっかけが彼女の場合はインターネットのML、私はパソコン通信と、共通点が多かった。また、関東出身の彼女の話し方は、結婚する直前まで東京で生活していた私に安心感を与えてもくれた。根本的なところは縦と横の織り糸のようにまったく異なっていたのだが、職場で席が隣同士になったときは、仕事も忘れて、いや、時間が経つのも忘れて良く話し込んだものだった。

 仕事においては、彼女が参加しているプロジェクトと、私が参加しているプロジェクトは対照的だった。というのも、彼女が参加しているプロジェクトは新しい技術がふんだんに盛り込まれた新しいプロジェクトだったが、私が参加しているプロジェクトは、長きに渡って愛用され続けている製品の保守及び開発だったからだ。一言で言うと、彼女は新しい製品を開拓する立場にあり、私は古いものを守り続ける立場にあった。

 彼女とたまたま一緒に仕事をすることになったときに、そんな対照的な立場にある彼女とは、仕事上で激しい喧嘩に発展してしまったことがあった。しかし、それはほんの一時的なもので、すぐにお互いに水に流すことができた。私にとっては、女性同士でありながらも、激しい喧嘩を繰り広げても壊れなかった存在はとても貴重である。ただ、あとから彼女に当時の感想を聞いてみると、どうやら私一人が烈火のごとく怒っていたらしい。

 現在の職場には、同じ派遣会社から十名程度の派遣社員が派遣されている。しかし、派遣社員の女性の多くが技術者のサポート的な存在であるのに対し、女性で技術者として働いているのは彼女と私だけだ。他に、技術者の派遣社員としては、男性が三名いる。そうした背景も手伝って、彼女と私は、技術的な情報交換や、お互いの近況報告などを、職場の電子メールを使ってしばしばやりとりしていた。考えてみると、私には、同じ職場で、彼女の他にそのようなやりとりが実現できる派遣仲間がいないのだ。もともと、職場の雰囲気が全体的に無機質で、お互いのプライバシーにはほとんど介入して来ないようなドライな雰囲気がある。他の派遣仲間たちとは、単にトイレで顔を合わせたときに話をする程度の軽い付き合いだということに、今更ながら気が付いてしまったのだ。

 現在はほとんど使われなくなってしまったが、「好敵手」という言葉がある。私にとって、職場における彼女はそんな存在だったのかもしれない。その好敵手が、もうすぐ現在の職場を去ろうとしている。彼女はもう、現在の職場に出勤して来なくなるのだ。彼女にしてみれば、あまりにも忙し過ぎる職場からようやく解放されることになるわけだから、きっと新しい門出になるに違いない。しかし、何だろう。好敵手を失ってしまうかのような私の中のこの寂しさは。

 彼女の新しい門出を祝うには、私の寂しさはどこかに押し込めてしまうべきなのだろう。私の感じている寂しさは、どこか自己愛的だ。彼女に対する想いではなく、単に自分が寂しいという想いに過ぎない。しかし、これまでこのような気持ちになったことがないだけに、戸惑いを覚える。直径十二センチの彼女が現在の職場を去って行くときは、これからも職場以外の場所で会えるという希望に満ちていた。しかし、彼女とは、きっとこれからも職場以外の場所で会って食事をしたりする間柄であることには変わりがないのだが、そうなると、好敵手という存在からはかけ離れてしまうような気がして、余計に寂しさがつのるのだと思う。ジョン亡きあと、ヨーコが自分自身でバランスを取りながら生きて抜いて来たノウハウが、現在の私にも欲しいところである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅れて申し訳ありません。唐突ですが、ブログを更新し続けることは、トランプの七並べに似ているように思います。場に出すことのできる札が、ブログの記事としてストックしているネタです。そして、場に出すタイミングが、毎日の更新のタイミングに相当します。七並べの場合、場に出すことのできる札が手元になくても、ジョーカーが手元にあれば、一回パスの難を逃れることができます。しかし、ブログの更新にはジョーカーがないので、一回パスをすることになってしまいますね。しばらく自分の感情とじっくり向き合う時間が欲しかったので、更新に時間が掛かってしまいましたが、ようやく引き出すことができました。なあんて、たまには七並べではなく、御託(ごたく)を並べてみました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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