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2007.12.29

映画『アイ・アム・レジェンド』

 仕事納めの日に仕事を早く上がることができた私は、このまま帰宅してしまうのがもったいない気持ちでいっぱいだった。ガンモに電話を掛けてみると、職場の同僚と飲みに行くことになるかもしれないと言う。しめしめ。それならば、仕事納めもしたことだし、映画納めもしておかなければ。私はそう思い、レイトショーを上映している三宮駅前のミント神戸に足を運んだのだった。

 職場の最寄駅周辺で、少しだけショッピングを楽しんでから向かったので、三宮に着いたのは二十時頃だった。いつもならば、観たい映画があると、映画の情報サイトを参照して、映画の内容や上映時間をチェックしておくのだが、急に思い立ったために、何のチェックもしていなかった。映画館に着いてみると、二十時台に上映される作品がいくつかあった。時計を見ると、既に予告編が始まっている時間帯だったが、私は心惹かれるままに『アイ・アム・レジェンド』を選んだのである。

 確かこの映画の予告編は、劇場で一度か二度、目にしているはずだった。しかし、内容についてはまったく覚えがなかった。他の映画の予告編が終わり、いよいよ本編の上映が始まったとき、映画の中でいきなり野球のニュースが流れ始めた。スポーツ観戦がひどく苦手な私としては、「ひょっとして、野球の映画だったらどうしよう」などと、少し不安になったものだ。しかし、結論から言えば、この映画は野球とはまったく無縁の映画だった。ただ、この映画の感想を、私自身をバッターに例えて述べるならば、恐る恐る振りかざしてみたバットがボールに当たり、思いがけずホームランを打ってしまったような心境だろうか。

 時代は近未来。正体不明のウィルスに感染した動物たちが、凶暴になり、まだウィルスに感染していない動物たちを次々に襲っている。そんな状況の中で、たった一人生き残った科学者ロバート・ネビルをウィル・スミスが好演している。

 いきなり映し出されるのは、荒野と化したニューヨークの風景である。私はニューヨークを訪れたことはないが、映像から、そこがニューヨークだとわかる。舗装されたアスファルトの間からは雑草が生え、たくさんの車が路上に乗り捨てられている。また、いくつかの建物には、何かから守ろうとするかのように、巨大なシートがかぶせられている。ロバート・ネビルが愛犬を同行させて車を運転している以外には、人影は見当たらない。やがて、鹿の大群が目の前に現れ、ロバート・ネビルは銃で鹿に狙いを定めようとする。おそらくCGなのだろうが、大都会であるはずのニューヨークに鹿の大群が発生していることに驚きを覚え、私たちは思わず目を見張る。

 物語は、殺伐としたニューヨークで何が起こったのか、特別な説明がなされないまま進行して行く。何故、ロバート・ネビルはたった一人なのか。彼は一体何者なのか。ウィルスに感染した人間たちはどこでどのような生活をしているのか。また、彼らの苦手なものは何なのか。そうしたことが、言葉による説明ではなく、映像を通して自然に理解できるような構成になっている。ただ、ロバート・ネビルが自宅で自家発電装置のようなものを使用していたとは言え、実際に食べ物や水などをどのように入手しているのかまでは不明だった。もしも私が彼と同じ状況に追い込まれたとしたら、いつまで続くのかわからないこの状況に危惧して、もっともっと電気や水や食べ物を節約しようとするのではないかと思ったのだが、この映画の中ではそうではなかった。ただ、そういうことを抜きにしても、十分楽しめる映画だったと言える。

 科学者として、感染者に効力を発揮する血清の研究にエネルギーを費やし続けたロバート・ネビル。ウィルスに感染しなかった人間としては一人かもしれないが、ウィルスに感染して凶暴になってしまった人間たちはたくさんいる。そうした人間たちをも含めると、決して一人であるとは言い切れないのだが、感染者たちとは心を通い合わせることができないだけに、激しい孤独を感じたことだろう。それだけに、ロバート・ネビルにとって、愛犬サムの存在は大きかったと想像する。大多数の感染者と同じように、朱に染まって赤くなってしまえば楽なはずなのに、ロバート・ネビルはいくつもの壁にぶち当たりながらも、ウィルス感染に有効な血清の研究を続けて行く。

 この映画の中で、一体何がレジェンドなのかは、物語の最後にわかることだろう。ロバート・ネビルが絶体絶命の危機にさらされたときに、彼が何を思ったかを私は想像することができる。かつては言葉を使い、互いに心を交わし合ったはずの人間たち。そうした人間たちが、ウィルスに感染し、凶暴な人間と化してしまい、今にも自分に襲い掛かろうとしている。もう、彼らに何を言っても無駄であることがわかってしまった。そんなどうにもならない空しさと、大勢いるはずの彼らと心を通い合わせることのできない孤独。ロバート・ネビルは、とうとう決意を固める。彼は、窮地に立たされても、科学者としての道を歩み続けた。それがすなわち、レジェンドとなった。

 仕事帰りにふらっと映画館を訪れ、どの映画を観るのか狙いを定めることなく観た映画にしては、今年の映画納めを飾るだけの迫力と面白さを感じさせてくれた映画だった。私にとっては、仕事に対する取り組みについても大いに考えさせられる映画だったとも言える。自分の命と引き換えに何かを選択しなければならないような状況は、その仕事に対して命を燃やしているからこそ起こり得るのかもしれない。

 映画を観終えてガンモに電話を掛けてみると、ガンモもちょうど飲み会が終わったところだと言う。グッドタイミングな私たちは、三ノ宮駅で待ち合わせをして一緒に帰宅したのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私は、ウィル・スミス主演の『幸せのちから』を観ていないのですが、彼は涙が似合う役者さんですね。涙が似合うというのは、情が深い証拠だと思います。今回の映画では、実の娘さんとの共演が叶ったそうですが、娘さんと離れ離れになるシーンで流す涙が特に印象的でした。そうそう、話は変わりますが、いつの間にか三十万アクセスを突破していました。いつもアクセスしてくださっている皆さんに深く感謝致します。これからも書き綴って行きたいと思いますので、今後とも「ガンまる日記」をよろしくお願い申し上げます。m(__)m

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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