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2007.11.18

映画『象の背中』

 あらゆるところで酷評を書かれている映画を観てしまった。何故、この映画を観ることになったかと言うと、ガンモがどうしても観たいと言ったからだ。ガンモはこの映画が、ひどく泣かせてくれる映画だと思い込んでいたらしい。派遣会社の福利厚生のページから、現在公開中の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の前売券は購入していたものの、この映画の前売券は購入していなかった。そこで、レイトショーならば割安で観られると思い、レイトショーを上映している映画館を検索してみたところ、どういうわけか、わざわざ交通費をかけて出掛けて行かけなければ辿り着けない映画館でしか、この映画のレイトショーが上映されていなかった。そのため、私は仕方なく、映画の上映時間と照らし合わせながら、チケットショップで松竹映画館の鑑賞券を一枚千三百円で購入したのである。

 ガンモは夕方まで加古川で仕事が入っていた。映画の上映は、先日、縁の下の力持ちの記事に書いたコンサート会場のある映画館で十八時半からの予定だった。仕事を終えたガンモと合流できる時間が、映画の上映時間とかなり接近していたため、私はお気に入りの場所でガンモと一緒にお弁当を食べようと思い、近くのデパートの地下でお弁当を購入してガンモの到着を待っていた。そして、十八時過ぎにようやく合流できた私たちは、私のお気に入りの場所でお弁当を食べてから映画館に入った。

 この映画は、末期ガンを宣告された主人公が、抗ガン剤などの治療をまったく受けずに、静かに最期を迎えるというストーリーである。末期ガンを宣告された主人公の男性を役所広司さんが演じ、その妻を今井美樹さんが演じている。予告編をチラッと拝見した限りでは、迫り来る死を受け入れようとうする主人公と、主人公を支えようとする家族の間の強い絆が描き出されているに違いないと思っていた。しかし、実際に映画を観ると、それはまったくの見当違いだということがわかった。

 思い切り、ネタバレになってしまってもいいだろうか。主人公は大きなプロジェクトを抱え、いつも仕事が忙しい会社の部長である。私から見ると、妻とは家庭内別居であるように見える。いつも帰宅時間が遅いからなのか、妻とは寝室が別々、当然、お風呂に入るのも別々だ。仕事が忙しくて夫婦の生活のリズムが合わないというのならまだ許せる。しかし、医師から末期ガンを宣告された物語の最初の段階から、主人公は一人暮らしの女性の元に通うシーンが映し出される。「この女性は一体誰だろう?」と、映画を観ている私たちは、一瞬、戸惑う。そして、間もなくその女性が、主人公の愛人であることを知る。もう、その段階でいきなり興ざめしてしまうのだ。主人公は、仕事が忙しいために妻と家庭内別居していたわけではなかった。仕事が忙しくても、愛人と会う時間はしっかり確保していたのだ。しかも、この愛人との関係は、物語の最初から終わりまでずっと継続する。果たして、実際に、末期ガンを宣告された男性が、この映画の主人公のようにあり続けられるものだろうか。自分の人生があと半年しかないとわかったとき、最期まで美しく咲き続ける花でありたいと切実に願うなら、せめて愛人との関係を清算して、家族とともに過ごす時間を作ろうとするのではないだろうか。

 主人公と妻の夫婦関係も、実に空々しいものだった。いまどき、夫に敬語を使う妻などいるのだろうか。しかも、愛人の存在に何となく気づいているのに、妻が夫に宛てた手紙の中で、「あなたは最高の夫です。生まれ変わっても、私と一緒になってくれますか?」などと言う。そんなこと、絶対に有り得ないだろう。そう、この映画には、どろどろどした人間の感情などが、一切表現されていないのである。だから、最初から最後まで感情移入することができない。唯一、人間らしいと思えるのは、「あたしも食べようかな」と言いながら、妻がカップラーメンにお湯を注ごうとするシーンだ。妻は、夫から末期ガンであることを知らされていなかったが、夫が会社で倒れて救急車で病院に運び込まれたことで、ようやく夫の病状を知ることになる。病院から帰宅した妻は、半ばやけっぱちになって、カップラーメンを食べている息子に便乗して、「あたしも食べようかな」となるのである。

 夫としては、妻が自分の病気の問題を一人で抱え込むため、話さないという姿勢だったらしいが、果たしてそれが夫の心からの愛からの行動なのか、私には疑問に思えた。妻を心から愛していれば、最初から愛人は作らないだろうし、愛人にはすぐに自分が末期ガンであることを話しているからだ。それに、もしも百歩譲って妻のことを心から愛しているとしたら、主人公にとって、愛人の存在は、もっとも心を悩ませる存在だったはずだ。また、妻ではなく、愛人のことを心から愛していたのだとしたら、彼女を愛人という立場には留めないだろう。

 この映画は、生だとか死だとか考える前に、男女の有り方について考えさせられる映画なのかもしれない。そこでテーマとして浮かび上がって来るのは、「自己愛」だ。例えば妻が、余命を宣告された夫の横で、「あなたが死んでしまったら、私はどうやって生きて行けばいいの?」と涙を流すシーンがある。愛に敏感な人ならば、この台詞は不自然に思えるだろう。確かに、愛する人ともうすぐお別れしなければならないという状況において、そのような気持ちになるのは当然のことだろう。しかし、「あなたが死んでしまったら、私はどうやって生きて行けばいいの?」という言葉は、自分に向けた言葉であって、愛する人に向ける言葉ではない。つまり、自己愛だ。相手に向ける愛ならば、「まだまだこれからやりたいことがたくさんあるだろうに、あなたがまだ若くして死んでしまうのはとても無念だ」となるのではないだろうか。

 この映画の原作者は、秋元康さんなのだそうだ。なるほど、彼ならば、このようなストーリーを考えかねない。しかし、本当に誰かを感動させようと思うなら、このストーリーでは受け入れられないだろう。私は、今年の春に観た映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を思い出した。この映画もまた、ガンと闘う映画だが、この映画よりも人間の描写がずっと深い。同じようにガンを扱う映画であっても、これほどまでに深みに違いが出て来るのは何故だろう。秋元康さんの原作は、どこか人間を軽く見過ぎているところがあるように思う。人は、そう簡単に感動するものではない。特別に仕舞い込んだ感情に針が触れたときに、人は感動するのだ。末期ガンというテーマを扱えば、誰もがそこに辿り着けるわけではない。夫婦関係を美化しているように、他のものまでも美化してしまっては、感動は薄れてしまうのである。

 映画を観終わったあと、この映画を観たいと思っていたガンモもまた、激しく腹を立てていた。そして、あまりにも腹を立て過ぎて、Yahoo!映画 - 象の背中のユーザーレビューに、勢いで投稿までしてしまったくらいだ。ガンモは一つ星の評価をしたようだが、気持ち的にはゼロ星にしたかったようだ。ガンモはレビューを書いたあと、
「だって、最低でも一つ星なんだもん」
とぶつぶつ文句を言っていた。ガンもが観たいと主張していた映画だっただけに、落胆もひとしおだったようだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m こういう映画があるから、「ようし、俺も映画を作ってみよう」とか「私も小説を書いてみようかしら」と、反面教師として、かえってパワーをもらう人も出て来るのかもしれませんね。私は、こういう映画を観ると、自分ならこう表現するのになあと、いろいろと思いを巡らせます。そういう意味では、こういう映画も、世の中には必要なのでしょう。でも、感動させられようと思って観に行った人は、裏切られたような気持ちになってしまうのも事実であります。「ガンまる日記」の記事も、そうならないようにしたいものであります。(苦笑)

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» 「象の背中」を見てきました。 [逃げないほうが楽なんだよ]
象の背中 オリジナル・サウンドトラック販売元:EMIミュージック・ジャパン発売 [続きを読む]

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