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2007年11月

2007.11.30

毛と毛皮

 寒い季節になった。手袋の使用はまだ本格的ではないが、できるだけ首を冷やしたくない私は、既にマフラーを使い始めている。このマフラーは、去年、直径十二センチの彼女が、もう使わなくなったからという理由で私にくれた、スコットランド製の三本のマフラーのうちの一本だ。肌触りも良く、とても暖かい。

 スコットランドと言えば、私たちが夏休みに出掛けたイギリスに近いところにある。だから私は、スコットランド製のそのマフラーを見ると、イギリスで放牧されていた羊たちのことを思い出す。そして、イギリスで撮影した羊の写真を見ながら、「この冬、お世話になってますよ」と彼らに向かって感謝の気持ちを述べている。

 放牧されていた羊たちの毛がとても短かったので、始めのうちは羊ではなく山羊だと思い込んでいた。羊にはむくむくしたイメージがあったからだ。しかし、旅行中に訪れたお土産売り場で、顔の中心が黒い動物のぬいぐるみに対し、sheepと表記されていた。そのときになって初めて、私たちが見て来た動物は山羊ではなく、羊であることに気が付いたのだった。

ストーンヘンジ周辺で放牧されていた羊。
毛が短いので、山羊だとばかり思っていた

 しかし、何故、羊の毛を刈るのだろう? 人間の防寒具に使用するためだろうか? 私は、毛を刈ってしまうことで、羊が羊らしくなくなってしまうのは、何だか羊に対して申し訳ないような気がしていた。そんな話を、帰国してから派遣仲間に聞かせると、
「羊は、毛を刈ってあげないと、毛がもつれて大変なことになるんでしょ。確かニュージーランドだったかな。しばらく毛を刈ってない羊がいて、テレビ中継でとうとうカットされたんじゃなかったっけ?」
そのニュースなら私も知っている。毛を刈られるのが嫌でずっと逃げ回っていたシュレックという名前の羊が、毛刈り名人によって六年振りにカットされたという話だ。

 刈り取られた羊の毛は、私たち人間の防寒具として多いに役に立っている。羊にしても、私たちに毛をカットしてもらうことで、肉体を快適な状態で維持することができる。何しろ、毛をカットしてもらっていないシュレック君の写真を見ると、見るからにパンパンで動きにくそうだ。羊と私たち人間は、持ちつ持たれつの関係だったのだ。ただ、何故、羊の毛は、刈り取ろうと考えたのですか?羊は、毛が伸びて、重さで死んでし... - Yahoo!知恵袋に書き込まれた内容からすると、毛を刈る必要があるのは、人間にとって都合がいいように改良された羊たちらしい。

 ところが、何度も生え変わる毛は良しとしても、毛皮となると話は別である。実は、一年前のこの時期に、インターネットで毛皮製造に関するある衝撃的な映像を目にした。有名な映像なので、既にご存知の方も多いことだろう。その映像へのリンクを張っても良いが、あまりにも衝撃的な映像なので、やはり直接リンクは控えておく。ちなみに、私は最後までその映像を観ることができなかった。その映像には、毛皮の作り方が実に生々しく収められている。今にも毛皮になろうとしている動物の目が映し出されているのだが、その目はとても悲しそうだった。そんな目を見ると、もうたまらない。覚悟のある方は、YouTubeで「毛皮の真実」という検索キーワードを指定されるとその映像に辿り着くことができるだろう。参考までに、直接リンクではなく、間接リンクを張っておく。

Google検索:毛皮の真実(リンク先への訪問は、各自の責任のもとで行ってください)

 その動物が生きている限り、一匹の動物からは、毛を繰り返し分けてもらえるが、毛皮はたった一度しか分けてもらえない。しかも、毛をカットすることは、羊にとっても人間にとってもメリットがあるとしても、私たちが動物たちから毛皮を分けてもらうことで、動物たちには何のメリットもないどころか、命さえ奪ってしまう。高い高い毛皮のコートを着込んでいるお嬢さん。あなたが今、着ている毛皮が、どのようにして作られているか、ご存知だろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 一年前に、マフリャー(前編)マフリャー(後編)を書いたあと、ここに書いた毛皮のことを書こうと思っていました。しかし、映像を観た衝撃が強過ぎて、当時の私には書けませんでした。今回、毛をカットされた羊のことを書こうと思い立ったとき、ようやく関連内容として書く気になれたのです。「じゃあ、食べることはどうなの? 命を奪うという点では同じじゃないの?」という疑問も沸いて来ると思います。私もある時期までは、お肉を食べることができませんでした。しかし、今ではおいしくいただくようにしています。食肉よりも毛皮のほうが問題視されているのは、毛皮のあり方の問題でしょうか。食肉は、私たちが生活をして行く上での必要条件になっていますが、毛皮のコートを着ることは、十分条件なのだと思います。つまり、生きるための行為か否かなのですね。このあたりは、とても奥が深いことなので、いずれ、また。

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2007.11.29

張り込み

 最近、私よりも帰宅時間の早いガンモは、
「家に帰ってもね、鳩しかいないの」
などと愚痴をこぼしている。私の仕事がとてつもなく忙しいためだ。

 確かに、帰宅すれば鳩たちがベランダでハリセンボンのように身体を膨らませながらガンモの帰りを待っていることには違いない。しかし、彼らはガンモを待っているのではなく、ガンモの与える餌を待っているのだった。

 ハリセンボンたちは、ベランダに続く寝室の窓から、「今夜は餌をくれないのかな」といった物欲しげな表情で、私たちの寝室をしきりにのぞきこむ。その粘り強さと言ったらない。中でも、最も粘り強いのがジェットだ。まるで張り込みをしている刑事さんのように、私たちの寝室の窓辺にぴっとりと張り付いて動かないのだ。しかも、大人の鳩なら大人しいのだが(シャレではない)、雛の特権なのか、夜中に声を挙げて訴えて来るのでかなわない。

 ジェットは、雛特有のピーピーという鳴き声から少しずつ声変わりが始まっているようで、ピーとフーが混じって、ひどくかすれた声になっている。そう言えば、かつて、ヒーとフーという名前を別の雛に付けたことがある。ヒーとかフーとかいうかすれた声で鳴いていたからだ。今になって思えば、あれはちょうど声変わりする頃の雛の鳴き声だったのだ。人間にも声変わりがあるように、ハリセンボン、いや、鳩にもちゃんと声変わりがあったのだ。

 私たちがとううとう根負けして、ジェットに餌を与えようとすると、TKMYやキッコロが敏感に察知して、夜中だというのに、「俺たちにも餌をくれ」と言わんばかりに飛んで来る。夜は目が見えないはずのハリセンボンだが、私たちの寝室の明かりを頼りに飛んで来るのだ。そして、餌を与えるためにほんの少しだけ開けた寝室の窓辺で、餌の激しい争奪戦が繰り広げられる。私たちとしては、夜中にハリセンボンたちが騒ぐものだから、近所迷惑になってしまうのではないかと気が気じゃない。寒くなり、自力で探す餌の絶対数が減って来ているのだろうか。ハリセンボンたちは、これまでよりも殺気立っているように見える。

 私たちが寝室の窓から餌を与えるときは、缶に入れた餌を差し出すようにしている。寝室の窓を少しだけ開けると、ハリセンボンたちが狭い隙間に顔を突っ込んで来る。そして、餌の入っている缶を見つけると、ちゃんと蓋を閉めてあるというのに、嘴(くちばし)で缶の蓋を突付くのだ。そこに餌が入っていることを、彼らはちゃんと知っているのである。その仕草が面白いので、私たちはわざと餌を出し渋る。すると、ハリセンボンたちは怒り出す。私たちの手を突付いたり、鳩パンチを仕掛けて来たり、噛み付いたりするのだ。何故、餌を与えようとしているのに噛み付かれなければならないのか。私たちがちょっぴり機嫌を損ねて、餌を与えないまま窓を閉めようとすると、彼らは更に怒り出す。そして、私たちが窓を閉めると、ハリセンボンたちは嘴で窓を突付いて来る。その様子があまりにも真剣でおかしい。

 実際に、私たちが缶の中に入っている餌を与えると、ハリセンボンたちは死に物狂いで餌を突付き始める。途中で息継ぎをしながら食べなければ、喉に餌が詰まってしまいそうなのに、私たちがいつ缶に蓋をしてしまうかが気が気じゃないらしい。私たちは、
「そんなに一気に食べなくても、餌は逃げないよ。それよりも、水を飲んだほうがいいんじゃないの」
などと彼らに向かって話し掛けている。

 かつて寝室の窓は、父ちゃん、母ちゃんたちのテリトリーだった。私たちもしばしば、寝室の窓から、父ちゃん、母ちゃんに餌を与えたものだった。しかし、TKMYとキッコロが寝室の窓の正面にあるベランダの排水溝付近に巣を作り、ジェットを産んだあたりから、寝室の窓はTKMYとキッコロのテリトリーになった。だから、父ちゃん、母ちゃんは、どんなにお腹が空いていたとしても、TKMYとキッコロのテリトリーを侵そうとはしない。狭いベランダの中にも、ハリセンボンたちのテリトリーがあり、秩序が保たれているというわけだ。

 それにしても、ジェットは、我が家で育った雛たちの中で最もやんちゃである。かつてはテリトリーなど関係なく、父ちゃん、母ちゃんたちの巣にまで出掛けて行って、糞の中に混じった餌を食べていたジェット。ハリセンボンの秩序がテリトリーを保つことで守られているのだとすれば、テリトリーを知らない雛だからこそできる行為だったのかもしれない。そんな食い意地の張ったジェットは、今夜もまた、寝室の窓辺で張り込みを続けている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 餌争奪戦ともなると、TKMYやキッコロは、自分の子供であるはずのジェットに平気で噛み付きます。早く一人立ちしろということなんでしょうが、私たちととしては、キッコロが雛の頃のジェットの頭をチョンチョンチョンチョンと愛情深く突付いていたのを見ていたのがついこの間のことなのに、実に複雑な気持ちであります。ジェットが成長して、次第にTKMYやキッコロと対等になりつつあるということでしょうか。

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2007.11.28

映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』

 日曜日に、ガンモと一緒に三田(さんだ)市まで自家用車を走らせて映画を観に行った。観た映画は、派遣会社の福利厚生で前売券を購入しておいた映画『ALWAYS 続・三丁目の夕日』である。私はこの映画の前作を劇場で観ているのだが、ガンモは観ていない。予習をしていないガンモにも楽しめる内容だろうかと少し心配になっていたところ、映画が始まってすぐに、前作との関連性を強く感じてしまった。その時点で、私にとってはとても面白い展開になっていたのだが、ガンモも楽しめるといいのにと祈りながら、スクリーンに釘付けになっていた。

 本作は、前作から四ヵ月経過した時代設定らしい。今回も、昭和三十年代の様子がCGの技術を駆使して忠実に再現されている。前作から、東京タワーの周辺で路面電車がさかんに走っている様子がCGで見事に再現されていたが、本作ではもう当たり前の光景になっている。その当たり前の光景に加え、今回、新たに再現された羽田空港は、当時の羽田空港を良く知らなくても、思わず息をのんでしまうことだろう。

 昭和を生き抜いて来た人たちにとっては、とても懐かしい電気製品も登場する。例えば、手動のローラー式脱水機付き洗濯機だ。今でこそ、洗濯機は全自動が主流だが、昔は手動のローラー式脱水機に通して、水分を搾り出していたのだ。そんな手動のローラー式脱水機付き洗濯機よりももっと古いのが、本作の中で淳之介が使っていた洗濯板だ。まな板くらいの大きさの板の一部に、ぎざぎざの突起が施されている。その突起の部分に洗濯物をこすり付けて、手でゴシゴシ洗って汚れを落とすのだ。これらの道具を振り返ってみても、昔の女性たちは家事をこなすのに多くの時間を掛けていたのだろうと想像する。家族の洗濯物を全部洗って干すだけでも、実に大掛かりな作業だったのではないだろうか。しかも、現代よりも子だくさんで、家族も多かったはずだ。当時の人たちが使っていた道具を見るだけでも、その時代の人たちの暮らしが見えて来る。それにしても、あの洗濯機や洗濯板、どのようにして揃えたのだろう。大江戸博物館から貸し出しを受けたのだろうか。

 前作では、忠実に再現された昭和の雰囲気にぐいぐい引き込まれた私だった。本作では、前作で引き込まれた世界がそのまま忠実に引き継がれている。それは、さきほども書いたように、既に私の中では当たり前の光景になっていた。だから、何か目新しいものが欲しい。そんな欲張りな感情が芽生えてしまったのも事実だ。

 本作では、「恋愛」というテーマが随所随所に登場する。鈴木家に一時的に預けられたみかちゃんと、一平くんのコンビ。鈴木オートに東北から集団就職にやって来た六ちゃんと、コックを目指す幼馴染の彼とのコンビ。初恋の人に偶然再会した母トモエ。そしてもちろん、「恋愛」というテーマにおける主役は芥川賞を目指す茶川と踊り子ヒロミの二人だ。

 劇場では、前作を観ている人たちが、前作を観ているからこそ理解できる数々のユーモアに声を出して笑っていた。同じ劇場の中に、声を出して笑ってくれる人たちがいると、私としても笑い易い。笑い易いということは、同時に泣き易いということでもある。私も思い切り笑った。しかし、シュークリームをお土産にもらったシーンで噴き出したのは、私だけだったので、あとからガンモに、
「何であのシーンで笑ったの?」
と言われた。
「むふふふ。それはね、前作を観たほうがいいね」
と私は答えた。

 映画には、クライマックスとなるシーンがある。そのシーンで自分の感情をどれだけ引き上げることができるかどうかで、映画を観終わったあとの感動が決まる。本作にもそんなシーンがあった。それは、芥川賞候補に残った茶川の小説を、茶川との生活を諦めて一人新幹線に乗り、大阪に向かっているヒロミが黙読するシーンだ。スクリーンからは、茶川の声で小説の内容が音読されている。その小説には、二人にとって大切な、見えない指輪の約束の話が書かれている。今はお金がないけれど、いつか君の手に似合うような指輪を買ってあげたい。そんな内容だった。本当は惹かれ合っている二人が、相手のことを大切に思うあまり空回りし、今、まさに別々の道を歩もうとしている。ああ、もう駄目だ。悪いけど、ここで泣かせて欲しい。私は、劇場で声をあげて泣いた。もう、かまうもんか。声をあげて笑っている人だっていたのだから、大丈夫だ。私がそう、覚悟を決めると、前や後ろや横の席からも、声をあげて泣く声が聞こえて来た。ああ、良かった。みんな、心に響くツボは同じだった。

 この映画の脚本は、映画『キサラギ』で完璧な脚本を示してくれた古沢良太氏が山崎貴氏と二人で手掛けている。さすがである。ただ、前作のほうがインパクトが強いと感じてしまったのは、やはり、前作と同じ世界が見事に引き継がれ、再現されていた心地良さによる甘えからだろうか。

 映画『アルゼンチンババア』にも出ていた堀北真希ちゃん。昭和のパーマが良く似合う薬師丸ひろ子さん。血の気の多い鈴木オート社長の堤真一さん。他にも、昭和の時代にマッチした人たちがたくさん出演されていた。何と言っても、茶川を演じた吉岡くんが、『北の国から』の純くんを完全に卒業できたと、本作で強く感じられたことは大きい。今後、彼が別の作品に出演するときは、茶川を卒業する必要があるかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本作の中に、母トモエが六ちゃんのためにワンピースを縫ってあげるシーンがあります。そうそうそう、昭和の子供たちは、お母さんの手作りのワンピースを着ていました。何だか自分の子供の頃のことを思い出して、とても懐かしくなりました。昭和という時代は、本当に素朴で素敵な時代だったのですね。

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2007.11.27

ぜんまい式

 昔の時計はぜんまい式だった。目覚まし時計の後ろにぜんまいを巻き上げるつまみがあり、時計が止まってしまう前に、ギーコギーコ巻いていた。掛け時計も腕時計もぜんまい式のものが多かった。今ではほとんどの時計が電池式となってしまったが、ぜんまい式の仕掛けは、私たち人間を動かす原動力となっている。

 何を隠そう、私もぜんまい式で動いている。毎朝七時過ぎに起きて、しゃかしゃかとぜんまいを巻く。一度ぜんまいを巻いてしまえば、およそ十七時間は活動することができる。しかし、しっかりとぜんまいを巻いているにもかかわらず、あまりにもこなすべきことが多過ぎて、途中で息切れしてしまう。深夜になっても、一日の作業がまだ終わらないまま眠りに就くことになる。

 現在、仕事から帰宅してから就寝するまでに、多く見積もっても二時間程度しか時間がない。帰宅してすぐにお風呂に入り、ガンモとコミュニケーションを取る。他の人たちとのコミュニケーションもある。英語の学習もしておきたい。それなのに、眠らなければならない時間はすぐにやって来てしまう。そう、何もかもが時間に追われてしまっているのだ。

 だから、今日はちょっとブレイクしてみよう。そう思い、朝起きたとき、私はいつもよりもぜんまいを緩く巻いて出掛けて来た。昼休みになったとき、朝のうちに巻いたぜんまいが解けた。そして、こうして昼休みに「ガンまる日記」を書いている。書き上げたあと、再びぜんまいを巻いて活動を始めれば良い。ぜんまいを一度に巻いてしまうと、途中で休みを取ることができないが、一休みできるように、最初から緩く巻いておけば良かったのだ。どんまいどんまい、じゃなく、ぜんまいぜんまい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「ぜんまいざむらい」というキャラクターがいるそうですね。私はそれを知らずに、顔抜きのはなしというブログでぜんまいざむらいの顔抜きを掲載していたところ、「これはぜんまいざむらいですよ」というコメントをいただきました。ぜんまいざむらいは、頭にぜんまいがあるんですね。ぜんまいは、背中にあるものだと思っていましたが、背中にあると自分でぜんまいを巻くことができないからでしょうか。それとも、ぜんまいをちょんまげに見立てたのでしょうか。私はかつて、オフィスでサムライと呼ばれていたこともありますので、もしかすると私こそがぜんまいざむらいなのかもしれません。

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2007.11.26

布ナプキン普及委員会

 I医師から処方していただいた桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)を服用し始めて、通算二回目の生理がやって来た。やはり、前回同様、すこぶる軽い。生理痛もまったくなければ、出血量も格別に少ない。例え二日目であっても、これまでの三日目以降とほとんど変わりがない。また、出血量が少ないばかりでなく、これまで良く出ていた血の塊も激減している。普段の生活においても、自分が筋腫持ちであることをすっかり忘れてしまっているほどだ。布ナプキンを使い始めたことと、桂枝茯苓丸のおかげで、私はすっかり生まれ変わってしまったかのようである。何故、こんな素晴らしい薬を、これまの医師は処方してくださらなかったのだろう。

 桂枝茯苓丸はともかく、直径十二センチの彼女にも布ナプキンを勧めたところ、彼女から、出血の多い日はどのようにしているのかと質問を受けた。出血の多い日は、布ナプキンだけでは血液が下着に漏れてしまうので、布ナプキンの下に紙ナプキンを敷いて使っているのだそうだ。私は、布ナプキンには撥水(はっすい)加工されたものがあることを彼女に伝えた。現在、使用している布ナプキンが撥水加工されていなくても、ナプキンサイズの撥水シートだけを購入して、それを下着と布ナプキンの間に挟み込んで使用する方法もある。参考までに、[布ナプキン 撥水]で検索したYahoo! オークションの出品リストをご紹介しておこう。ちなみに、私は撥水加工の布ナプキンも使用しているが、通常の布ナプキンと撥水シートの組み合わせも使用している。まだまだ布ナプキン初心者の私ではあるが、布ナプキンはまだそれほど多くの人たちに受け入れられているわけではないので、これまで私が実践して来たことをここにまとめておきたい。

 当たり前のことだが、布ナプキンを使用していると、帰りもナプキンが減らない。心配性の私は、一度に必要以上の布ナプキンを持ち歩く癖があり、布ナプキン専用バッグはいつもパンパンに膨れ上がっている。トイレに立つときに、そのバッグを手に持つと、「ちょっと往診に行って来ます」とギャグを言えるくらいの膨らみ具合だ。使い捨ての紙ナプキンならば、使用後に汚物入れに捨ててしまえるのだが、布ナプキンを使用している人は、取り替えた布ナプキンを再び持ち帰らなければならない。だから、行きと帰りでは、布ナプキンが減るどころか、かえって水分を含んで膨れ上がっているかもしれないのだ。ちなみに、取り替えた布ナプキンを持ち帰るには、ジッパー付きのビニール袋が最適なので、私は百円均一で購入した一番小さなサイズの衣類圧縮袋を愛用している。

 布ナプキンの取り替えには、できるだけ広いスペースを使用できることが望ましい。公衆トイレを利用する場合、おむつ交換シートのあるトイレが有り難い。布ナプキンとおむつは、多少、かぶるところがあるので、私は正々堂々と利用させていただいている。使用済の布ナプキンには、同じく百円均一で購入した血液専用洗剤をスプレーで吹き掛けたあと、二つ折りにして、衣類圧縮袋に大事にしまいこむ。

 帰宅すると、すぐに衣類圧縮袋を解き、使用済の布ナプキンを取り出して、手でゴシゴシ洗う。取り替えるときに血液専用洗剤をスプレーしているので、手洗いだけでも十分落ちる。洗い終えた布ナプキンは、洗濯ネットに入れて脱水しておくと良い。夏の間は、脱水して干しておくと、一晩で乾いてくれるのだが、今の季節はなかなか乾かないので、自宅に乾燥機がある人は乾燥機で乾かすと良いだろう。我が家には乾燥機がないので、お風呂で洗濯物を乾かすための乾燥システムを使って乾かしている。しかし、乾燥システムの性能がそれほど良くないのか、私はたいてい、生乾きのままの布ナプキンを次の日に持参することになってしまう。生乾きの布ナプキンは、ひんやりと冷たいので、私は乾燥したオフィスにこっそり干してしまいたいくらいである。

 布ナプキンの使い心地の良さは、お気に入りのパジャマに優しくくるまれているような感覚である。一度でもこの心地良さを体験すると、なかなか手放すことができない。また、以前も書いたように、使用済の布ナプキンを手洗いするのも楽しい。そして何よりも、紙ナプキンと異なるのは、さきほどのYahoo! オークションの出品リストにもあるように、かわいらしい柄(がら)が豊富なことだ。一度に必要以上の布ナプキンを持ち歩いている私は、トイレで次の布ナプキンを選ぶときに、サイズや吸収力よりも、柄で選んでしまったりする。柄選びもまた、紙ナプキンでは体験できなかったことの一つである。

 先日、職場で環境ISOの社内監査があった。監査のときはいつも、派遣社員であろうとなかろうと、監査員の方に環境I問題への取り組みについてインタビューされることがある。インタビューされる内容としては、例えば、
「あなたご自身が実践されている環境問題への取り組みは何ですか?」
といった項目がある。私は、もしも監査員が私のところにやって来たら、
「はい。生理のときに布ナプキンを使用しています」
と言ってみようと思っていた。しかし、監査員は私にインタビューをしなかったので、私は布ナプキンを普及させるチャンスを失ってしまった。だから、今回、このような記事を書きたくなったのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m そう言えば、先日、千絵さんから、『月経血コントロール』という大変興味深い内容の情報を掲示板で教えていただきました。生理用品が今ほど優れていなかった昔は、普段は月経血ができるだけ流れないようにコントロールして、トイレに立ったときに一気に月経血を出していたそうです。先日、Amazonで『月経血コントロール』に関する本を購入し、現在、半分くらいまで読みました。大変興味深い内容ですので、また別の記事でご紹介させていただこうと思っています。千絵さん、大切な情報を教えてくださってありがとうございます。いただいている掲示板へのコメントの返信、もう少しお時間をくださいね。ご覧の通り、ちょっと毎日、あたふたしております。(苦笑)

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2007.11.25

映画『この道は母へとつづく』

 ホットヨガのレッスンを終えて観たのは、先週、見逃してしまった『この道は母へとつづく』である。孤児院で育った六歳のワーニャが実の母を捜して旅をするという実話に基づいて製作されたロシア映画だ。私にとって、本格的なロシア映画を映画館で観るのは、初めてのことだったかもしれない。

 この映画を観ようと思い立ったのは、予告編を観たときに強く引き込まれたからだ。何と言っても、主人公のワーニャ役のコーリャ・スピリドノフ君がかわいい。私も子供に恵まれるなら男の子がいいと思ってしまう。物語は、そんな彼が、ある日、イタリア人夫婦に引き取られることが決まるところから始まる。

 本来ならば、孤児院で生活している子供たちにとって、養子としての引き取り手が決まるということは、喜ぶべきことだろう。何らかの理由で両親と離れ離れになってしまった子供たちが暮らす孤児院での生活は、同じような境遇の多くの仲間たちに囲まれてにぎやかに暮らしているとは言え、決して幸せであるとは言い切れないものがあった。孤児院にはボス的な存在の年長の男の子がいて権力を振るい、年下の子供たちが働いて得たお金を巻き上げていた。小さな子供たちが働くなんて、一体どういうことだと思ってしまうのだが、予算の少ない孤児院においては、与えられないのならば自分たちで働いて勝ち取るという仕組みが出来上がってしまっているのだ。

 そうした仲間たちの間で、イタリア人夫婦に養子として引き取られて行くことが決まったワーニャに対し、嫉妬心が生まれてしまったとしても無理はない。誰だって、与えられることの少ない孤児院の生活から抜け出したい。みんな、そのチャンスを手にすることができたワーニャがうらやましいのだ。そんな孤児院の子供たちからは、「何が何でも欲しい!」という強い感情が伝わって来る。お金が欲しい。あたたかい家族が欲しい。誰しも、与えられなくなると、自ら強く欲するようになって来るものだ。

 更に悲しいことに、孤児院から養子として子供を引き取るための斡旋業者が幅を利かせている。彼らは養子を切望する夫婦から、斡旋料として、高額の謝礼を受け取っているのだ。その謝礼はやがて孤児院の院長の手にも渡ることになる。つまり、孤児院から子供が引き取られる度に、誰かが利益を得ているのである。そうした背景からうかがえるのは、孤児院で暮らす子供たちが、子供を切望する家庭へと引き取られて行くことへの純粋な喜びではなく、斡旋料を手にすることのできる喜びだった。子供を望む家族と、あたたかい家庭を望む孤児たちは、高い斡旋料を介して結ばれているのだった。

 そうした状況の中、イタリア人夫婦に引き取られることが決まったワーニャは、どうしても実の母への想いを捨て去ることができなかった。引き取り手が決まるということは、孤児院にいるほかの子供たちからすればうらやましてくてたまらないはずのことなのに、自分がイタリア人夫婦の元へ引き取られて行くことを想像すればするほど、ワーニャは実の母への想いを募らせる。ワーニャのこうした気持ちは、心から愛する人がいるのに、自分を必要としてくれる人と結婚することになってしまった状況に置き換えて考えてみると良くわかる。そして、ワーニャはとうとう孤児院を脱走し、実の母を捜しに出掛けて行くのだ。しかし、既に高額の斡旋料を受け取った斡旋業者があの手この手を尽くしてワーニャを追いかける。言葉は悪いが、彼らにとって、ワーニャは金ヅルである。大切な金ヅルが逃げてしまっては、高額な斡旋料を受け取っているのに申し訳が立たない。そこで、猛烈な勢いでワーニャの捜索が始まる。斡旋業者に捕まってしまえば、イタリア人夫婦のところにたちどころに強制送還されてしまうだろう。そうなると、実の母にも会えなくなる。そこで、わずか六歳のワーニャは、孤児院の仲間の手引きにより、一人で列車に乗り、何とかして母の手掛かりを探そうと旅を始めたのだった。

 映像を通して見るロシアは、見るからに寒そうな土地だった。それでも、孤児院の部屋の中で、ワーニャはランニング一枚で過ごしている。以前、北海道を旅行したときに、地元の方がこんな話を聞かせてくれたのを思い出した。北海道の人たちは、暖かいはずの本州に行くと風邪を引いてしまうらしい。それは、北海道の人たちが、寒い冬の日に、部屋の中を薄着で過ごせるほど暖かくしているからだそうだ。しかし、北海道よりも暖かいはずの本州では、部屋の中を薄着で過ごせるほど暖房を使用する習慣がないので、北海道の人たちは部屋の中があまりにも寒くて風邪を引いてしまうというのだ。かくいう私も、部屋の中ではできるだけ暖房を使わずに厚着をしてしまうたちなので、極寒のロシアで薄着で過ごしているワーニャが風邪を引いてしまわないか、とても心配だった。しかし、北海道の方が聞かせてくださった話を思い出して、ワーニャが過ごしていた孤児院の部屋も、きっと暖房で暖かかったのだろうと想像した。

 この映画の見どころは、高額の斡旋料に対してやっきになっている養子斡旋業者と孤児院の院長、そして、ボスが牛耳っている孤児院の子供たちの描写だろう。あまりにもリアルで胸が痛む。映画を観ているはずなのに、本当にロシアの孤児院の事情が描き出されているのかと錯覚してしまったくらいだ。しかし、お金のために、やっきになってワーニャを追いかける人もいれば、ワーニャを援助する人たちもいる。この映画では、そうした陰陽が見事に描き出されている。前半のうちに主に陰が描かれ、後半で少しずつ陽が描かれて行く。前半の陰があるからこそ、後半の陽が際立っても来る。特に、以前の孤児院の院長のワーニャへのもてなしは素朴で素晴らしい。普通に考えれば当たり前のもてなしなのに、前半の陰があるから、余計に陽が際立つ。同じ孤児院の院長でも、お金に目がくらんでしまう人と、そうでない人がいるということだ。ワーニャの旅がクライマックスを迎えることができたのも、前の孤児院の院長のおかげだと言っても過言ではないだろう。ただ、ラストはもう少し余韻が欲しかったと思う。果たして、あの続きには何があったのだろうか。それは、私たち自身が想像するしかない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m とにかく、ワーニャ役の男の子がかわいいのであります。当たり前のことですが、六歳というのは、七歳でもなく、五歳でもないのですよね。一人で列車に乗り、旅をするのに絶妙な年齢だと思いました。決して、号泣するような映画ではないかもしれませんが、孤児院の事情がとてもリアルに描き出されていて、スクリーンから目を離せない映画でありました。

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2007.11.24

ホットヨガ(七十九回目)

 またしても、ガンモに徹夜の仕事が入った。連休になると、顧客のシステムを一時的に止めるチャンスに恵まれるため、作業がやりやすくなるからだ。しかも、たいていの場合、そうした作業は夜から朝に掛けて行われる。「ガンモよ、仕事がこんなに不規則で大丈夫かい?」と私はいつも思う。

 私の土曜日はと言うと、いつもの時間に神戸店でホットヨガのレッスンである。ガンモがまだ仕事から帰宅しないうちに、支度を整えて家を出た。前回のレッスンでは、体調が悪くて途中で退出してしまったので、今度こそ九十分のレッスンを最後まで受けたいと思っていた。しかし、その意志に反して、何となく体調が良くなかった。風邪はまだ完全には治っていなかったし、何よりも、首の後ろと頭のてっぺんに不快感を感じていた。これは、いつもの偏頭痛の兆候である。今回も途中で退出することになってしまってはインストラクターに申し訳ないと思いながらも、私はレッスンに臨んだ。

 今回のレッスンを担当してくださったのは、いつもお話をさせていただいているインストラクターである。確か、彼女のニックネームを先日、聞かせてもらったばかりだ。これまでにも、彼女のレッスンを何度か受けて来たが、彼女のレッスンには独特のリズムがあることに気が付いていた。他のインストラクターよりも、レッスンのペースがスローなのだ。そのことに気が付いたのは、同じインストラクターからスクイーズコースのレッスンを何度も受けたあと、彼女がスクイーズコースのレッスンを担当してくださったときだった。そのとき、私はこれまでのインストラクターのペースに慣れていたので、彼女のペースがひどくスローであると感じてしまった。しかし、今回、体調があまり芳しくない状態で受けた彼女のレッスンは、私の身体にとても優しかった。最初は、「今回は大丈夫だろうか?」という不安を抱えながら受け始めたレッスンだったが、彼女のレッスンを受けているうちに、「今回は大丈夫だ」という確かな手応えを感じることができたのだ。レッスンについて行けなくなってしまうと、追いかけられているという感覚が付きまとい、息切れをしてしまうものだが、彼女のスローなレッスンは、体調の良くなかった私のペースにちょうど良かったのである。

 今回のレッスンでは、憧れのフリーパス会員のあの方は参加されていなかったが、鏡越しに参加されている皆さんのお顔を拝見すると、いつもと同じ参加者の方が何人かいらっしゃるのがわかった。お顔を拝見して、何度もご一緒させていただいていると判断できる場合もあるが、持参されているペットボトルケースでわかる場合もある。

 水分補給を行いながら実践するホットヨガのレッスンでは、それぞれが思い思いの形で水を持ち込んでいる。水の量も種類も実にバラエティに富んでいるのだ。ちなみに、私は、コカコーラから出ているアクエリアスなどの四角い一リットル入りのペットボトルに、自宅から海洋深層水を常温のまま持ち込んでいる。中には水をカチコチに凍らせて持ち込まれる方もいらっしゃって、ペットボトルの水を解かすために、レッスン中に別の水を補給している人もいらっしゃる。冷えた水を持ち込む方の多くは、ペットボトルケースを使用されているので、お顔を拝見しなくても、そのペットボトルケースで判別できるのだ。

 レッスンを終えたあと、インストラクターを担当してくださった彼女にスローなペースのお礼を言いたいと思っていたが、彼女にお礼を言うことは、他のインストラクターのレッスンが速いと言っていることになるのではないかと思い、受付で出掛かった言葉を慌てて飲み込んだ。彼女は、荷物の多い私を見て、
「これからどこかへお出掛けですか?」
と聞いてくださった。私は、徹夜帰りのガンモの安眠を邪魔しないようにするために、レッスン後に映画を観て帰ろうと思っていたので、
「このあと、隣で映画を観ようと思ってるんです」
と答えた。すると、彼女は、
「映画を良く観られるんですか?」
と聞いてくださった。私は、
「はい。そうなんです。だから、時間ができると、こっち(ホットヨガのこと)に来るか、隣で映画を観るかで、いつも迷ってしまうんです」
と答えた。彼女が言うには、スタッフの方の誰かが、現在公開中の韓国映画をご覧になったそうだ。しかし、その映画は良くわからなかったとおっしゃっていたと言う。おそらく、私が先週観た『サイボーグでも大丈夫』だろうと思い、聞いてみると、やはりそうだった。
「私も、あの映画は、監督の世界に入り込めないでいると、置いてけぼりをくらってしまう映画だと思います」
と言った。彼女の話によれば、同じビルの従業員割引があり、多少は安くなるのだそうだ。私も隣の映画館の会員なので、一回千二百円で映画を観られるという世間話をして、スタジオをあとにした。

 観たい映画は二本あったのだが、受付で尋ねてみると、上映時間が多少、かぶってしまうらしい。そこで私は、観たい映画を一本だけに絞り、お昼ご飯を食べてから再び映画館に戻り、じっくりと映画を鑑賞した。しかし、映画を観ている間に、レッスンを受ける前に感じていた首の後ろと頭のてっぺんの不快感が激しくなり、気持ち悪くなってしまったのだ。おそらく、ホットヨガのレッスンを受けたことで、身体の中に活性酸素が増えてしまったのだろう。映画を観終わったあとと、帰宅してから、またしても偏頭痛に襲われ、お昼ご飯に食べたものを数回に分けてすべて戻してしまった。私はガンモの介護を受けながら、私は首の後ろをカイロで温め、しばらく休んだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m トホホなことに、何だか最近、身体の調子が良くないのです。今回の不調も、生理前の偏頭痛だと思われますが、以前よりも偏頭痛の回数が増えて来ているように思います。現在、服用している薬の副作用なのでしょうか。良くわかりません。首の周りに不快感を感じると、頭のてっぺんにある百会(ひゃくえ)がひどく痛むのです。百会のあたりをマッサージすると気持ちが良くなります。皆さんも、首周りの不調には、充分ご注意ください。

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2007.11.23

アナログ対デジタル

 TOEICの試験に向けて、私は私なりの方法で、ガンモはガンモなりの方法で英語学習を始めた。私はと言うと、もっぱらアナログ派で、ノートや筆記用具を使いながらの学習のほか、最近では情報カードをせっせと使い始めた。

 情報カードと言えば、大学時代に卒業論文を書くときにずいぶんお世話になったものだ。私は、大学の卒業論文のテーマに『日英ことわざ比較』を選んだ。日本語のことわざと英語のことわざを比較することで、何かを見出そうとしたのだ。国文科に進んだ私だったが、実は同時に英語も好きだったので、国語ばかりでなく、せめて卒業論文だけでも英語との関わりを持っておきたかったのだ。私は様々な文献から、英語のことわざと日本語のことわざをピックアップし、情報カードに書き出して行った。それらはやがて膨大な量に膨れ上がり、大学の文具店に置いてあるほとんどの情報カードを私が買い占めてしまった。

 何を隠そう、情報カードには、英語を学習する過程で出くわした知らない単語や言い回しをどんどん蓄積している。実は、英語学習に情報カードが有効であると、どなたかのブログで拝見したのだ。実際、使い始めてみると、単語カードよりも多くの情報を蓄積することができるので、とても重宝している。

 これから、情報カードを大量に使用することが予想されるので、思い立ったときのオークション頼みで、情報カードを出品されている方から比較的安い価格で情報カードをお譲りいただいた。英語学習に最も適している情報カードは、コレクトの5×3サイズ(125ミリ×75ミリ)のようである。

 実は、英語学習に情報カードが有効であると知ったとき、私はサイズも確認することなくオークションで情報カードを落札してしまった。もちろん、お手頃サイズの5×3サイズの情報カードも落札していたのだが、その数はわずか三百枚しかなかった。かつての『日英ことわざ比較』の卒業論文で情報カードを使用したペースを考えれば、三百枚程度の情報カードなど、すぐに使い果たしてしまうことだろう。5×3サイズの他に届いた情報カードは、5×3サイズよりも更に大きめのB6サイズ(182ミリ×128ミリ)の情報カードだった。しかも、格安で購入し、同じサイズのものが九百枚くらいある。さて、どうしたものか。そう思ったとき、オフィスに、業務用カッターがあるのを思い出した。そうだ、オフィスの業務用カッターを拝借して、B6サイズの情報カードを5×3サイズにカットしてしまおう。

 私はB6サイズの情報カードをオフィスに持ち込み、何食わぬ顔で業務用カッターで5×3サイズにカットすることを試みた。カットすれば、B6サイズの情報カード一枚から、5×3サイズの情報カードが二枚できるので、手間は掛かるがかなりお得である。しかし、オフィスにあった業務用カッターは、長いこと使用されていなかったのか、切れ味に根性がなかった。そこで仕方なく、私は机の上にダンボールを敷いて、せっせとカッターナイフでカットした。何だか内職をしているみたいだった。しかも、カッターナイフでカットしたので、中にはいびつな形の情報カードもあったりして、一枚一枚に愛着がわく。

情報カード。手前にある罫線入りのタイプが5×3サイズの既製品。
後方にある無地のタイプがカッターでカットしたもの。
いびつな形に愛着がわく

 英語学習は、わからない単語や言い回しをそのままにしておくのではなく、このように情報カードなり単語カードなりに書き出して、繰り返し覚えるという地道な努力が実を結ぶのではないかと私は思っている。

 一方、ニンテンドーDS Liteをを購入したデジタル派のガンモは、夜、寝る前に、ニンテンドーDS Liteを使って、せっせと英単語を覚えている。最初に購入した英単語のソフトのほかに、私が購入した英熟語のソフトも仲間に加わった。英熟語のソフトは私も使用してみたが、実に良くできている。学校の授業とは違い、聞き取りが主体になっているのだ。ネイティヴスピーカーが話した内容を聞き取り、その内容を専用のデジタルペンで書く。書いた内容が正解ならば、伏字の部分に文字が浮かび上がって来る。デジタルペンでは、書くことも消すことも自由自在だ。消しゴムの削りカスも出なければ、ペンもちびない。ガンモは、この方法で英語学習を楽しんでいるようだ。

 果たして、私のアナログ的な英語学習法と、ガンモのデジタル的な英語学習法のどちらが効果を上げるのだろうか。英語学習に取り組み始めてからのTOEICの試験は目前に迫っている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 電車に乗っていると、ニンテンドーDSをお供に連れている人が多いのに驚きます。ヘッドフォンで音を聞きながら楽しんでいるのですね。ほんのちょっと覗き込んでみると、英語の学習をしている方もいらっしゃいました。時代は変わったものですね。もしかすると、かつてのように、単語カードに単語を書き込む学生さんは、もういらっしゃらないのでしょうか。私は、アナログからデジタルに向けてのソフトウェア開発という仕事をしているくせに、昔ながらの勉強法がなくなってしまうのは、少し寂しい気がします。デジタルのほうが、ずっとスピーディーに数をこなすことができますが、赤ペンを使って、自分自身で記しを入れたりすることはできないのですよね。自分なりにカスタマイズできるという点においては、アナログのほうがまだまだ優れていると私は思います。

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2007.11.22

媚びないハリセンボン

魔法のポットの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m あのような素朴な記事を応援してくださり、とても感謝致します。ありがとうございます。m(__)m

 我が家のベランダにはハリセンボンがいる。何故、水の中に棲んでいる生物が我が家のベランダにいるのかと言うと、実は、寒さのために鳩がハリセンボンのように身体を膨らませているのだ。鳩は、身体を膨らませることで体温を逃がさないように工夫しているのだろうか。

 ハリセンボンたちは、ガンモが寝室の窓から餌をちらつかせると、一目散にやって来る。しかし、ガンモがちょっと餌を出し渋ると、生意気にもガンモに鳩パンチをくわらす。時には嘴(くちばし)で突付くことさえある。とは言うものの、彼らの攻撃などかわいいものなので、ガンモは彼らと楽しく戯れている。鳩の動きよりも、私たち人間の動きのほうがずっと素早いので、彼らの攻撃のリズムさえ掴んでしまえば、鳩パンチも嘴で突付かれることも、容易にかわせるのだ。

 それにしても、餌をもらえないとこれだけ怒るのだから、既に彼らにとっては、私たちに餌をもらえることが当たり前になっているのだろう。もっと私たちに媚びてみればいいのに、と私は思う。自分にとって有利にことを運ぶために媚びるのは、人間だけなのだろうか。彼らはどんなときも、本能のままに生きている。媚びない代わりに、なついたりもしない。ただ、私たちに対する警戒心を解くだけだ。

 ガンモが言うには、雛の頃から我が家にいるハリセンボンたちと、成人してから我が家にやって来た父ちゃんハリセンボン、母ちゃんハリセンボンとは、私たちへの態度が違うらしい。雛の頃から我が家にいるハリセンボンたちは、私たちが危害を与えないことが良くわかっているので、私たちに鳩パンチをくらわしたり、嘴で突付いたりする。しかし、ただ一度の例外を除き、父ちゃんや母ちゃんは私たちに対して一定の距離を保とうとする。ガンモは、
「父ちゃん、母ちゃんは、大人になってからここに来たから、俺らに対する警戒心が完全には解けてないんじゃないかな」
と言った。ガンモはすなわち、鳩パンチをくらわしたり、嘴で突付いたりすることを「じゃれあい」ととらえているようだ。明らかに人間のほうが強いとわかっているのに、そうした攻撃に挑んで来るということは、私たちが決定的な危害を与えないことを彼らは知っていると解釈しているらしい。
「でも、前に父ちゃんから攻撃を受けたじゃない?」
と私が言うと、ガンモは、
「ああ、あのときは、父ちゃん自身もお腹が空いて、無我夢中でわけがわからなくなったときだから」
と言った。ガンモは、鳩の気持ちをとても良く理解している。

 ところで、ガンモの父性の記事でご紹介した雛が、ようやく空を飛び回るようになった。私たちはその雛に、ジャンプと名づけた。勇敢にも、ベランダからジャンプして下に降りたからだ。

 一方、キッコロとTKMYの間に生まれたジェットは、我が家のベランダ始まって以来のやんちゃなハリセンボンに成長した。何がやんちゃかと言うと、まあ、とにかく餌に対する執着が激しい。親であるキッコロやTKMYを、自分の羽を広げて押しのけてでも餌を食べにやって来る。良く、猫をたくさん飼っている人が、猫はそれぞれ性格が違っていて面白いと言っているが、鳩もそれぞれ性格があって面白い。大人しい鳩もいれば、ジェットのように餌に対する執着が激しい鳩もいる。こうした現象こそが、生き物にも魂が宿っている証拠なのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 三連休をいかがお過ごしでしょうか。更新が遅くなりまして申し訳ありません。実は、またしても、体調を崩してしまいました。トホホであります。ようやく落ち着いて来たので、こうして更新させていただいた次第であります。せっかくの三連休ですもの。有意義に過ごしたいですよね。寒い日が続いていますが、くれぐれも風邪などにお気をつけください。

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2007.11.21

魔法のポット

電車で良く会う人の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ここのところ低迷気味でしたので、喜びもひとしおでありました。皆さんからの反応は、記事を書く上でとても参考になっています。ありがとうございます。m(__)m それにもかかわらず、更新が遅くなりまして申し訳ありません。

 我が家の電気ポットは、何かのポイントを貯めてもらった一.ニリットル入りの小さな電気ポットだった。私は毎朝、毒出しホットジュースを作ってオフィスに持参しているのだが、小さな電気ポットなので、無精なガンモがお湯を使ったあとは、お湯がほとんどなくなってしまっていることもしばしばだった。電気ポットを持ち上げるとやけに軽いので、
「ああ、ガンモ、お水、足さなかったの?」
などと言って、私が機嫌を損ねることも多かったのだ。洗濯物はこまめに干してくれるのに、電気ポットのお湯となると、なかなか足してくれないガンモである。おそらくそれは、お湯が少なくなると、私が毎回、水を足しているからだろう。私も、洗濯物を干す作業はガンモに任せている。一方、ご飯を作ったり、ゴミを出す当番は私である。つまり、二人の間に暗黙的な役割分担が出来上がっているのだった。

 やんちゃな車が動くようになって出掛けたスーパーの中にある電気屋さんで、二.二電リットル入りの電気ポットが安売りされているのを見つけた。私たちは、その電気ポットの周りをぐるぐる回りながら、買おうかどうしようか、しばらく迷っていた。安売りされている電気ポットの前で迷うということは、どうやら私たちの間には、一.ニリットル入りのポットが小さいという共通の認識があったようだ。果たして、この値段は安いのだろうか。それとも、普通なのだろうか。しかし、形も気に入ったし、これから寒くなるに従って、これまでよりもお湯を使う機会がもっと増えることも予想されていた。

 私たちがスーパーの電気屋さんに着いたとき、閉店間際の時間だった。私は、ひとまず電気ポットの入った箱を一つキープしてはいたが、私はガンモの決断を待っていた。そして、とうとう閉店の音楽が流れ始めたとき、ガンモが言ったのだ。
「よし、買おう」
私は電気ポットの箱を持って、そのままレジへと進んだ。

 こうして私たちのところに新しい電気ポットがやって来た。ガンモはとてもうれしそうだった。自分ではなかなかお水を足さないくせに、お湯の量を外から確認できることがありがたいらしい。ガンモは言った。
「ポットを持ち上げなくても、お湯が入っているかどうか確認できるのがいいよね。こんなに便利なら、もっと早く買っておくんだった」
いまどき、こんな素朴なことで喜んでいる夫婦が世の中にはいるものである。
「それに、いつ見てもお湯がいっぱい入ってるしさ」
と、あたかも新しい電気ポットが魔法のポットであるかのようにガンモは言った。ガンモ自身もまた、これまでの小さな電気ポットでお湯が残り少なくなっていることに不便を感じていたこともあるようだ。
「あのね、お湯がいつもいっぱいなのは、私が毎回、水を足しているからだよ」
例え電気ポットが新しくなったとしても、水を足す当番が私であり続けることには変わりがないようだ。ガンモ自身が不便を感じない限り、ガンモがお水を足そうとしないのだとしたら、私が水を足さないことが一番いいのかもしれないが、私にはそこまでの根気はないのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m オフィスには、五リットル入りの電気ポットがあるのですが、やはり、お水を足す作業は面倒だと感じる人が多いようで、私が電気ポットを使おうとすると、中身がほとんど空のことが良くあります。私は毎回、貧乏くじを引いたような気分になりながら、電気ポットに水を補充しに行くのですが、五リットル入りだから、お湯が沸くのに三十分くらい掛かるんですよね。当然、その間は何かを飲みたくても飲めないことになります。お湯が少なくなっていることを確認しない人が多いのか、それとも、次の人のことを考えない人が多いのか、良くわかりません。これもまた、暗黙的な役割分担が決まっているからなのでしょうか。皆さんも、電気ポットの残り湯にはくれぐれも注意を払ってくださいませ。

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2007.11.20

電車で良く会う人

 通勤の途中、ガンモとばったり会うことが多いという話を、以前、ここに書いたと思う。駅の改札でばったり会ったり、駅のホームで見掛けたり、お互い路線の異なる駅を利用したとしても、帰宅途中に自宅近くの交差点でばったり会ったりと、その偶然性には目を見張るものがある。おそらく私にとってガンモは、最も頻繁にばったり会う人なのだろう。

 実は私には、ガンモの次にばったり会う人がいる。電車の中で良く見掛ける、四十代半ばくらいの男性だ。お互い見知らぬ間柄なのだが、あまりにも電車で良く見掛けるので、私はいつの間にか、顔を覚えてしまった。そろそろ老眼が進んで来ているのか、携帯電話の画面を覗き込むときに、掛けている眼鏡を額の上に押し上げて見ている姿がとても印象的だ。ただ、相手が私の存在を認識しているかどうかはわからない。見掛けるのは、仕事帰りの通勤電車の中である。帰宅時間はまちまちなのに、実に良く会う。新快速電車に乗ろうが、各駅停車に乗ろうが、彼はいる。しかも、お互い、同じ駅で降りる。最寄駅を降りてから歩いて行く出口も同じ方向だ。単にそれだけならば、私も記事にはしないだろう。不思議なことに、私には、彼が同じ電車に乗っていることがわかるのだ。

 普段、彼の存在は、私の意識の中には浮上していない。しかし、仕事帰りにふと、彼の存在を感じることがある。そして、周りを見渡すと、同じ車両に彼がいるのだ。それも、一度や二度の話ではない。何故、彼が同じ車両にいるとわかってしまうのか、私にはとても不思議なのだ。彼に対しては、ソウルメイトやツインソウルに感じるような既知感も、過去世の記憶が呼び覚まされそうになるほどの、時空が捻じ曲がるような感覚もない。もちろん、恋愛感情もなければ、気になる存在でもない。ただ、どういうわけか、彼を見ると、ツインソウルを思い出す。彼は何か、ツインソウルとリンクしているものを持っているのかもしれない。更に不思議なことに、仕事帰りにほんの少し顔を見ているだけの存在なのに、こうして記事を書いていても、彼の顔を鮮明に思い浮かべることができるのだ。

 彼は一体何者なのだろう。とにかく、特別な感情もないのに、同じ電車の同じ車両に乗っていることがわかり、お互い、同じ駅で降りる。いつか彼と話をする機会があったら尋ねてみたいものだ。私が彼の存在を察知できるのと同じように、彼もまた、私の存在を察知できるのかどうか。また、私のことを認識していたかどうか。意外な答えが返って来たら面白いのだが。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 彼とは、波長と言うか、生活リズムが合うのでしょうか。本当に良く会うのですよ。出勤時間は毎日ほぼ同じでも、帰宅時間は日によって違いますよね。田舎と違い、電車は数分置きに発車しています。だから不思議なんです。彼と会話を始めてみれば面白いのかもしれませんが、きっかけがありません。「良くお会いしますね」と言って話しかけるのも、こちらからナンパしてるみたいですしね。(苦笑)

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2007.11.19

やんちゃな車

 日曜日の私は、とろけそうになるほどの眠気を感じていた。眠気のせいで、身体が重くて動かないのである。仕事が忙しいというのに、ホットヨガのレッスンを午前中に切り替えたため、私が睡眠時間を補充できるのは日曜日のみとなっていた。私が眠くなると、ガンモも一緒に眠くなる。私たちは朝食を取ってしばらくくつろいだあと、ベッドに横になり、しばらく睡眠を取った。

 しかし、休日ともなると、身体を休ませるだけではなく、家の用事もこなさなければならない。さしあたって、この日曜日は、自家用車のバッテリを取り替える作業と鳩のいるベランダ掃除が必須項目として上がっていた。実は、数ヶ月前にちちんぷいぷいの記事に書いた通り、バッテリを入れ替えることで動き始めた我が家の三十万円ベンツが、再び動かなくなってしまっていたのである。もうすぐ車検が近づいているので、何とかして動くようにしておきたいと思ったガンモは、バッテリを充電するための充電器を購入して、再びバッテリを取り替えようと思い立ったようだ。

 我が家の三十万円ベンツは、ボンネットを開けたときの支えが既に緩んでしまっているため、一人では作業できない。ボンネットに首を突っ込んで作業をしていると、ボンネットが自身の重みで自然に閉じてしまうのだ。そのため、一人で作業していると、首を挟んでしまう危険性がある。だから、ガンモが車のメンテナンス作業をするときは、私がボンネットを手で支えるというチームワークが出来上がっている。

 私が手でボンネットを支えている間に、ガンモは充電の終わったバッテリを素早く取り替えた。数ヶ月前は、新しいバッテリに取り替えただけで元気良く動き始めた三十万円ベンツだったが、しばらく乗らないまま放置していたため、バッテリが完全に放電してしまい、とうとう動かなくなってしまったようである。もしかすると、走行中に充電が行われない現象が発生しているのかもしれない。ひとまず、バッテリの交換で、今回もうまく動くようになるといいのだが。

 バッテリを交換したあと、ガンモが運転席に座り、エンジンを掛ける。これまでは空回りしていただけのエンジンが、ぶうんとうなった。一回目は空振りしたものの、これまでとは明らかに手応えが違う。ガンモが二回目のエンジンを掛けた。すると、ぶううん、ぶううんと連続してエンジンが音を立てて回り始めた。エンジンが掛かったのだ。
「やった!」
ガンモは、車の調子を見るために、駐車場から少し車を動かしてみた。大丈夫、ちゃんと動いている。

 私たちはほっと胸を撫で下ろし、ひとまず部屋に戻った。それからガンモは、もう一つの必須項目である鳩のいるベランダの掃除をしてくれた。私は、風邪がまだ完全に治ったわけではなかったので、寝室で大人しくしていた。

 夜になり、久しぶりに車でお気に入りの回転寿司まで出掛けることにした。何ヶ月も車に乗っていなくても、助手席に座ると、すぐに当たり前の感覚が蘇って来る。もしかすると、回転寿司を離れるときにエンジンが掛からないかもしれない。そんなドキドキわくわく感を覚えながらも、私たちは三十万円ベンツに乗り続ける。手の掛かる子供ほどかわいいと言うが、手の掛かるやんちゃな車ほど手放せないものなのかもしれない。車のほうも、私たちに気に掛けて欲しくなると、調子を悪くしてだだをこねるというのも面白いではないか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモは、一つのものを長く使い続ける性格なので、車もなかなか乗り換えるということをしません。私たちにとって、車は必需品ではないので、車に対してそれほどのこだわりを持っていないのかもしれません。車検に出すことで、走行中にバッテリが充電されない不具合が改善されるといいのですが。

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2007.11.18

映画『象の背中』

 あらゆるところで酷評を書かれている映画を観てしまった。何故、この映画を観ることになったかと言うと、ガンモがどうしても観たいと言ったからだ。ガンモはこの映画が、ひどく泣かせてくれる映画だと思い込んでいたらしい。派遣会社の福利厚生のページから、現在公開中の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の前売券は購入していたものの、この映画の前売券は購入していなかった。そこで、レイトショーならば割安で観られると思い、レイトショーを上映している映画館を検索してみたところ、どういうわけか、わざわざ交通費をかけて出掛けて行かけなければ辿り着けない映画館でしか、この映画のレイトショーが上映されていなかった。そのため、私は仕方なく、映画の上映時間と照らし合わせながら、チケットショップで松竹映画館の鑑賞券を一枚千三百円で購入したのである。

 ガンモは夕方まで加古川で仕事が入っていた。映画の上映は、先日、縁の下の力持ちの記事に書いたコンサート会場のある映画館で十八時半からの予定だった。仕事を終えたガンモと合流できる時間が、映画の上映時間とかなり接近していたため、私はお気に入りの場所でガンモと一緒にお弁当を食べようと思い、近くのデパートの地下でお弁当を購入してガンモの到着を待っていた。そして、十八時過ぎにようやく合流できた私たちは、私のお気に入りの場所でお弁当を食べてから映画館に入った。

 この映画は、末期ガンを宣告された主人公が、抗ガン剤などの治療をまったく受けずに、静かに最期を迎えるというストーリーである。末期ガンを宣告された主人公の男性を役所広司さんが演じ、その妻を今井美樹さんが演じている。予告編をチラッと拝見した限りでは、迫り来る死を受け入れようとうする主人公と、主人公を支えようとする家族の間の強い絆が描き出されているに違いないと思っていた。しかし、実際に映画を観ると、それはまったくの見当違いだということがわかった。

 思い切り、ネタバレになってしまってもいいだろうか。主人公は大きなプロジェクトを抱え、いつも仕事が忙しい会社の部長である。私から見ると、妻とは家庭内別居であるように見える。いつも帰宅時間が遅いからなのか、妻とは寝室が別々、当然、お風呂に入るのも別々だ。仕事が忙しくて夫婦の生活のリズムが合わないというのならまだ許せる。しかし、医師から末期ガンを宣告された物語の最初の段階から、主人公は一人暮らしの女性の元に通うシーンが映し出される。「この女性は一体誰だろう?」と、映画を観ている私たちは、一瞬、戸惑う。そして、間もなくその女性が、主人公の愛人であることを知る。もう、その段階でいきなり興ざめしてしまうのだ。主人公は、仕事が忙しいために妻と家庭内別居していたわけではなかった。仕事が忙しくても、愛人と会う時間はしっかり確保していたのだ。しかも、この愛人との関係は、物語の最初から終わりまでずっと継続する。果たして、実際に、末期ガンを宣告された男性が、この映画の主人公のようにあり続けられるものだろうか。自分の人生があと半年しかないとわかったとき、最期まで美しく咲き続ける花でありたいと切実に願うなら、せめて愛人との関係を清算して、家族とともに過ごす時間を作ろうとするのではないだろうか。

 主人公と妻の夫婦関係も、実に空々しいものだった。いまどき、夫に敬語を使う妻などいるのだろうか。しかも、愛人の存在に何となく気づいているのに、妻が夫に宛てた手紙の中で、「あなたは最高の夫です。生まれ変わっても、私と一緒になってくれますか?」などと言う。そんなこと、絶対に有り得ないだろう。そう、この映画には、どろどろどした人間の感情などが、一切表現されていないのである。だから、最初から最後まで感情移入することができない。唯一、人間らしいと思えるのは、「あたしも食べようかな」と言いながら、妻がカップラーメンにお湯を注ごうとするシーンだ。妻は、夫から末期ガンであることを知らされていなかったが、夫が会社で倒れて救急車で病院に運び込まれたことで、ようやく夫の病状を知ることになる。病院から帰宅した妻は、半ばやけっぱちになって、カップラーメンを食べている息子に便乗して、「あたしも食べようかな」となるのである。

 夫としては、妻が自分の病気の問題を一人で抱え込むため、話さないという姿勢だったらしいが、果たしてそれが夫の心からの愛からの行動なのか、私には疑問に思えた。妻を心から愛していれば、最初から愛人は作らないだろうし、愛人にはすぐに自分が末期ガンであることを話しているからだ。それに、もしも百歩譲って妻のことを心から愛しているとしたら、主人公にとって、愛人の存在は、もっとも心を悩ませる存在だったはずだ。また、妻ではなく、愛人のことを心から愛していたのだとしたら、彼女を愛人という立場には留めないだろう。

 この映画は、生だとか死だとか考える前に、男女の有り方について考えさせられる映画なのかもしれない。そこでテーマとして浮かび上がって来るのは、「自己愛」だ。例えば妻が、余命を宣告された夫の横で、「あなたが死んでしまったら、私はどうやって生きて行けばいいの?」と涙を流すシーンがある。愛に敏感な人ならば、この台詞は不自然に思えるだろう。確かに、愛する人ともうすぐお別れしなければならないという状況において、そのような気持ちになるのは当然のことだろう。しかし、「あなたが死んでしまったら、私はどうやって生きて行けばいいの?」という言葉は、自分に向けた言葉であって、愛する人に向ける言葉ではない。つまり、自己愛だ。相手に向ける愛ならば、「まだまだこれからやりたいことがたくさんあるだろうに、あなたがまだ若くして死んでしまうのはとても無念だ」となるのではないだろうか。

 この映画の原作者は、秋元康さんなのだそうだ。なるほど、彼ならば、このようなストーリーを考えかねない。しかし、本当に誰かを感動させようと思うなら、このストーリーでは受け入れられないだろう。私は、今年の春に観た映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を思い出した。この映画もまた、ガンと闘う映画だが、この映画よりも人間の描写がずっと深い。同じようにガンを扱う映画であっても、これほどまでに深みに違いが出て来るのは何故だろう。秋元康さんの原作は、どこか人間を軽く見過ぎているところがあるように思う。人は、そう簡単に感動するものではない。特別に仕舞い込んだ感情に針が触れたときに、人は感動するのだ。末期ガンというテーマを扱えば、誰もがそこに辿り着けるわけではない。夫婦関係を美化しているように、他のものまでも美化してしまっては、感動は薄れてしまうのである。

 映画を観終わったあと、この映画を観たいと思っていたガンモもまた、激しく腹を立てていた。そして、あまりにも腹を立て過ぎて、Yahoo!映画 - 象の背中のユーザーレビューに、勢いで投稿までしてしまったくらいだ。ガンモは一つ星の評価をしたようだが、気持ち的にはゼロ星にしたかったようだ。ガンモはレビューを書いたあと、
「だって、最低でも一つ星なんだもん」
とぶつぶつ文句を言っていた。ガンもが観たいと主張していた映画だっただけに、落胆もひとしおだったようだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m こういう映画があるから、「ようし、俺も映画を作ってみよう」とか「私も小説を書いてみようかしら」と、反面教師として、かえってパワーをもらう人も出て来るのかもしれませんね。私は、こういう映画を観ると、自分ならこう表現するのになあと、いろいろと思いを巡らせます。そういう意味では、こういう映画も、世の中には必要なのでしょう。でも、感動させられようと思って観に行った人は、裏切られたような気持ちになってしまうのも事実であります。「ガンまる日記」の記事も、そうならないようにしたいものであります。(苦笑)

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2007.11.17

ホットヨガ(七十八回目)

 風邪がなかなか治らない。歳を取ると、風邪の治りが遅くなってしまうようだ。鼻はいつまでもグズグズと音を立てているし、時折出て来る咳は、とても甘い痰を運んで来る。そんな体調であるにもかかわらず、私はホットヨガのレッスンに出掛けた。午前十時からのいつものベーシックコースのレッスンである。

 スタジオに入ってみると、同じレッスンを受ける人の数が多いのに驚いた。それほど広くないスタジオに、ヨガマットが十八枚ほど敷かれていただろうか。確か、神戸店に設置されているシャワーの数は十一個だったはずだ。この状態では、レッスン後にシャワー争奪戦が繰り広げられるのは必至である。実は、私は、スタジオのすぐ隣にある映画館の上映スケジュールも気になっていた。ちょうどレッスンを終えて着替えを済ませた頃に、観たい映画が上映されることになっていたのだ。できれば、その上映時間に間に合うようにスタジオを出たい。それに、夕方には、仕事に出掛けて行ったガンモと待ち合わせて別の映画を観る約束をしていたので、できる限り時間を有効活用したかった。そのためには、お昼ご飯も食べずに映画を観ることも考慮に入れていたのだ。しかし、シャワー争奪戦が繰り広げられるとなると、例えお昼ご飯を見送ったとしても、観たい映画の上映時間には間に合わないかもしれない。それは困った。私は頭の中であれこれと思いを巡らせながら、レッスンに取り組んだ。

 今回のレッスンも、先週、お世話になったインストラクターが担当してくださった。私は、ひしめき合ったスタジオの中に、久しぶりに、憧れのフリーパス会員のあの方を見つけた。九十分のベーシックコースにレッスンを切り替えてからと言うもの、一度もお目にかかったことがなかったので、ものすごく懐かしい気持ちになると同時に、大きな安心感を覚えた。彼女の存在は、放浪癖のある私にとって、やはり「安定」だ。

 前回のレッスンのあと、私は現在取り組んでいる英語の学習と同じように、予習・復習を心掛けようとしていたはずだった。しかし、実際のところ、あまりにも時間が取れないため、ホットヨガの本を読み返すことができなかった。つまり、今回も、どのポーズにどんな効果があるかを意識しないままレッスンに臨んでしまったのである。仕方がないので、帰宅してからホットヨガの本を広げて復習することにしよう。

 レッスンを受けながら、私は自分の身体の様子がおかしいことに気がついていた。おそらく、風邪を引いて、呼吸が楽にできないせいだろう。ポーズを取る度に疲労感を覚え、ヨガマットの上で何度も何度も休みながらポーズを取っていた。ああ、苦しい。そう言えば、かつて私の目の前で、レッスン中にバタンと倒れた人がいた。このままレッスンを続けると、私もその人と同じ道を歩んでしまうかもしれない。ホットヨガのスタジオの中は三十八度と暑いので、体調の良くない人は要注意なのである。

 レッスンを開始して一時間が過ぎたとき、とうとう私は、それ以上のレッスンを放棄して、スタジオを出る決意を固めた。ちょうど座位のポーズから寝ポーズに切り替わる頃だった。例えほんの少しの休憩であろうと、これまで、レッスンの途中にスタジオを出たことはなかったのだが、どうにもこうにも身体が持ち堪えられなかった。かつて私の目の前でバタンと倒れた人のように、私もレッスン中に倒れてしまったとしたら、インストラクターにも迷惑を掛けてしまう。そんな恐ろしさもあり、意を決して予定よりも三十分ばかり早めにスタジオを出て行ったのである。

 どういうわけか、ちょうど同じタイミングにスタジオを出て行く人たちが三、四人ほど居た。私は、レッスンの途中で出て行くことが、インストラクターに申し訳ない気がしていた。せっかくレッスンを担当してくださっているのに、最後までレッスンを受けられなくてごめんなさい。スタジオを出て行くときに、インストラクターと目が合ったので、私は軽く手を合わせて「ごめんなさい」のポーズを取ってから、会釈をして出て行った。

 私はよろよろとロッカールームに辿り着き、ガラガラのシャワールームにこもり、ゆっくりとシャワーを浴びた。シャワーを浴びる間も、大きな息を繰り返して。九十分のレッスンだったのに、六十分余りで出て来てしまった。それでも、六十分はレッスンを受けたのだから、良しとするか。受付で、担当してくださったインストラクターに「ごめんなさい」の伝言を頼んでおくことにしよう。レッスンの途中で退出してしまった私は、少し気が滅入っていたが、すぐに頭を、観たい映画のことに切り替えた。この時間ならば、ゆっくり支度を整えても、上映時間には十分間に合うだろう。私は気持ちを切り替えて、スタジオを出て行く準備を整えた。

 着替えを済ませてロッカールームを出ると、レッスンを終えたばかりの、さきほどのインストラクターとばったり会った。私は彼女に、
「途中で退出してしまってすみませんでした。実は、風邪を引いてしまいまして、調子が悪かったんです。次回はちゃんと最後まで受けさせていただきます」
と言いながら謝った。インストラクターは、
「いえいえ、確かに調子悪そうでしたもんね」
と、かえって恐縮した様子で受け答えしてくださった。そのとき、インストラクターが取っていたのは、ちょうどサイババの信者の方たちが「サイラム」を言うときのような、両手を合わせた神聖なポーズだった。とっさのタイミングで、そのような神聖なポーズを取ることができるインストラクターは、確かにヨガの道を歩んでいる人なのだと実感した。そして、インストラクターを担当してくださった彼女に一言謝っておきたいという願望が直ちに叶ったことをうれしく思った。

 ホットヨガのスタジオをあとにした私は、観たいと思っていた映画を観るために、その足で、すぐ隣にある映画館へと足を運んだ。ところが、改めて上映スケジュールを見てみると、観たいと思っていたもう一つの映画が、これから上映されようとしていることがわかった。私は少し悩んだが、もう一つの候補である『サイボーグでも大丈夫』を観ることにした。今回、見送った映画は、『母を訪ねて三千里』のような、実の母親探しの実話を元にした『この道は母へと続く』である。こちらは公開初日だったので、例え見送ったとしても、まだまだ観るチャンスはあると思ったのである。時計を見ると、『サイボーグでも大丈夫』の上映までにまだ少し時間があったので、私は軽く昼食を取ってから再び映画館へと足を運んだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実は、『サイボーグでも大丈夫』は、予告編を観たときからとても気になる映画だったのです。自分自身をサイボーグだと信じている女の子と、彼女が入院することになった精神クリニックで出会った男の子との恋愛物語であります。監督の思想がそのまま映像になった、奇想天外なストーリーでした。私の中には、二人のキスシーンがとても印象に残っています。東洋人は、西洋人に比べてキスシーンの描写が貧弱だなあと常々思っていたのですが、この映画のキスシーンはとても好感が持てました。ただ、あまりにも奇想天外なストーリーでしたので、この映画のレビューを書くことは見送りますね。(^^)

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2007.11.16

この冬のカニプラン

 今年もカニのおいしい季節となった。ガンモは来月、会社の人たちと、毎年お世話になっている鳥取県の民宿まで泊りがけでカニを食べに行くことになっている。ガンモの会社の毎年恒例のイベントなので、私もその時期になると、一人で泊りがけで、同じく鳥取県の三朝温泉に出掛けたりしている。さて、今年はどうしようか。

 カニと言えば、カニ尽くしに書いたように、今年の初めにWindows Vista対応の打ち上げとして、ガンモと一緒に「かに道楽」でカニをたらふく食べたことが記憶に新しい。場所がらなのか、いわゆる「同伴出勤」のような、普段、お目にかかれないような方たちも来店されていて、カニを食べることも、人間ウォッチングも忙しかった。

 さて、この冬はどんな形でカニと出会えるのだろうか。かつてのように、城崎温泉にカニを食べに出掛けて行くのもいい。

 旅行会社の主催するカニ食べ放題ツアーの情報を見ていたガンモが、何やら面白いツアーを見つけたらしい。
「まるみの職場の近くの○○ホテルで、宿泊プラン付きのカニバイキングのコースがあるよ」
と言う。そのホテルは、どんなに寒くても、ホテルの外にはベルボーイが立っているような、比較的高級なホテルである。そのホテルへの宿泊が割安で、しかもカニバイキングのコースまで付いているお得なツアーがあると言うのだ。
「俺は休みを取って出掛けるから、まるみは仕事に出勤して、残業前の休み時間にホテルにやって来て、夕食にカニを食べてから、また職場に戻って残業すればいいんじゃない?」
とガンモが言った。私は、
「何だってえ? 残業前の休み時間は、三十分しかないんだよ。その間にホテルまで移動した上で、カニをたらふく食べられるわけないじゃん」
私は口を尖らせて反論した。するとガンモは、
「そうか。でも、ホテルに泊まれば、翌日はゆっくり出勤できるよ」
などと言う。最初からガンモは仕事を休むつもりでチェックインしているのに、いくら職場に近いホテルだとは言え、私だけが仕事に出掛けて行かなければならないなんて、何だか理不尽だ。そうは思いながらも、毎日、通勤には片道一時間半掛かっているので、仕事を終えてすぐにガンモに会えたり、朝、ゆっくりと支度を整えてから仕事に出掛けて行くことができるのも何だか魅力的だと感じてしまう私もいる。

 この冬、ガンモの提案したこのプランが実際に生かされるかどうかはわからない。しかし、近場でカニ尽くしを体験できる可能性の一つとして、リストに挙げておこう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 記事を書いているうちに、カニをたらふく食べたくなってしまいました。ああ、カニはどうしてこうも、私たちを激しく魅了するのでしょうか。しかも、カニは、毎日少しずつ食べるのではなく、まとめてドバッと食べて、「しばらくカニはいいよ」という状態になって初めて満足するうのですよね。つまり私たちは常に、「カニに飢えた状態」か「カニに飽きた状態」のどちらかしか選べません。カニを食べるまでは、しばらく、カニのことばかり考えながら過ごしてしまうのです。皆さんも、一緒にカニのことを考えてお過ごしください。(苦笑)

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2007.11.15

従量制の床屋さん

 髪の毛がすっかり伸びてしまったガンモは、そろそろ私にサービス満点の床屋さんを営業して欲しいらしかった。しかし、ここのところ、私の帰宅時間が遅いため、なかなか床屋さんを営業することができなかった。

 お風呂に入る前に、ガンモは自分の髪の毛を鏡に映し出して、
「ああ、髪の毛、切って欲しいなあ」
とつぶやいた。私は、
「私も、ガンモに髪の毛を切って欲しいくらいなんだよね」
と言いながら、お風呂に入るために、長くなった髪の毛を束ねているゴムを外した。

 お風呂の中では、どういうわけか、都会の駅の構内で良く見掛ける十分間のカットサービスのお店の話になった。そう、一回わずか千円程度の料金で、髪の毛をカットしてくれるお店のことである。神戸市内でも大阪市内でもしばしば見掛ける。
「確か、あの手のお店は、髪の毛が長い人は別料金になるんでしょ?」
と私が言うと、ガンモは、
「ええ、そんなことないだろ?」
と反論して来た。それに対し、私は、
「でも、どこかでそんな注意書きを読んだことがあるよ。確か、『髪の毛の長い人は、別料金になることもあります』って書いてあったと思うけど。要するに、髪の毛の長い人は、十分ではカットが終わらないからじゃないの?」
と更に反論した。すると、ガンモはこんなことを言った。
「でもさ、髪の毛が長くて、少しずつ切るなら、十分でカットが終わらないのもわかるけど、最初からいっぺんに切ってしまえば、長くても短くても変わらないんじゃないの? カットした髪を集める手間はかかるけどさ」
「それもそうだねえ」
確かに、最初からばっさり切ってしまうなら、単に髪の毛が長いという理由で、割り増し料金が発生するのはおかしい。私もそれには納得してしまった。

 やがて、ガンモがぼそっとつぶやいた。
「それなら、髪の毛の少ない人は、もっと安くしてくれよなあ」
「えっ?」
ガンモの頭の中では、髪の毛が長い人=髪の毛が多い人という等式が成り立ち、髪の毛の多い人に対して割り増し料金が発生するなら、髪の毛の少ない人には割引料金が発生してもいいのではないかということだった。そのつぶやきには、髪の毛がそれほど多くないガンモの主張が入っているようにも思えた。その状況を想像していたガンモは、寂しそうにつぶやいた。
「でもさ、あるときまでは千円だったのに、ある時期から七百五十円になってしまうのは、ちょっと寂しいものがあるよね」
ガンモに言われて、私もその状況を想像してみた。髪の毛の量によってカット料金が変わるのだとしたら、お店の誰かが客のカット料金を判断するわけである。そのとき、カット料金が高い人は何となく優越感を持ち、カット料金が安い人は何となく気後れしてしまうかもしれない。髪の毛が少ないおかげで、カット料金が安くて助かってしまうなどと割り切ることのできる人は少ないだろう。

 「じゃあ、もっと歳を重ねて、髪の毛が一本もなくなったら?」
と私が言うと、ガンモは、
「そしたらタダだから」
と言った。
「そうか。髪の毛が一本もなくなってしまったら、もう床屋さんに行く必要もないしね。でも、それはかなり寂しいね」
そう言いながら、私たちはお風呂の中で笑った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 均一料金は、時にアンバランスを生み出すこともありますが、髪の毛の多い人に対してだけバランスを取ろうとするのではなく、髪の毛の少ない人に対してもバランスを取って欲しいと願うのが、ガンモなりの考えのようです。でも、こうしたアンバランスは、世の中には多いですよね。例えば、百円玉を入れて掛ける公衆電話。実際の料金よりも少なく話したとしても、おつりは出ませんが、料金が足りないと切れてしまいます。電車の切符もそうですよね。下車駅よりも先の目的地の切符では下車することができますが、超過分の料金を払い戻してくれるわけではありません。それなのに、手前の駅までの切符で下車すると、しっかり乗り越し料金を請求されます。ところで、もしも実際に「従量制の床屋さん」があったとしたら、繁盛するでしょうか。その人の髪の毛が多いか少ないかではなく、髪の毛をどのくらいカットしたかで料金が決まる床屋さんならば、繁盛するかもしれませんね。料金が、カットした髪の毛をかき集めて、計量したあとに決まるなら、面白いかもしれません。

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2007.11.14

ゴジラの襲撃

 朝、起きると、ガンモがとても不機嫌な様子だった。
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
と尋ねてみると、ガンモは、
「朝四時にゴジラに起こされたから、寝不足なんだよ」
と言った。ゴジラの襲撃により、ガンモは朝四時に目が覚めてしまい、仕方なく、夕べのお風呂の残り湯で洗濯した洗濯物をすべて干してくれたという。朝早くからご苦労さまである。ふうん、それにしてもゴジラか。またしてもあのゴジラが、ガンモを襲撃したわけだ。

 何を隠そう、ゴジラとは、風邪で鼻を詰まらせた私のことである。息をする度に大きな音がするので、ガンモがそう名付けたのだ。仕事を休んだ夜、私の鼻は息をすることさえ困難なほど詰まってしまっていたので、仕方なく、口で息をするためにマスクを付けて布団に入った。しかし、寝ているうちにむくむくとゴジラに変身し、鼻汁混じりの大きな寝息で、安眠中のガンモを襲撃したらしい。襲撃されたガンモは、それ以上、睡眠を続行することができず、早朝から仕方なく起き出して、洗濯物を干してくれたと言うのだ。

 大して悪びれた様子もなく、ゴジラは言った。
「ごめん、ごめん。そう言えば私も、きのう、朝早くからガンモに起こされたからさ」
前日の早朝、仕事を終えて帰宅したガンモにすっかり起こされてしまった私は、ゴジラに変身してガンモを襲撃したというわけである。私たちはこのように、夫婦間の絶妙なバランスを保ちながら、仲良く一緒に暮らしている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m どちらかに起こった出来事と同じことが、すぐにもう一人にも起こるのは、大変興味深い現象であります。私たちは、このような方法で、お互いにそれぞれの立場を体験しているのでしょうか。ところで、風邪を引くと、咳を出して痰を身体の外に出そうとしたり、鼻水が出て来たりしますよね。私はこれらの現象を、身体にとって不要なものを押し出そうとしている働きであると見ています。そうだとすると、筋腫を身体の中に押し出そうとする力も、本当は、私たちには備わっているのかもしれませんね。是非とも、その力に出会いたいものであります。

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2007.11.13

昼下がりの優雅な時間

マスクウーマンの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m おかげ様で、少しずつ快方に向かっています。不覚にも、風邪を引いてしまうなんて、私の人生に染みをつけてしまったようなものであります。(苦笑)

 朝、起きてみると、私は軽い悪寒と鼻水に見舞われていた。おまけに食欲もない。私は、仕事がとても忙しかったが、このまま出勤しても仕事にはならないと判断し、大事を取って、休暇をいただくことにした。ガンモを送り出したあと、私は近所の個人病院で診てもらって薬をもらおうと思い、診察券を探し始めた。我が家から歩いてすぐのところに小さな個人病院があるのだが、以前、そこでお世話になったことがあり、どこかに診察券があるはずだった。しかし、いくら探しても診察券が見つからない。もちろん、診察券がなくても診てもらえるのだろうが、妙なところで完璧主義の私は、それならば診察券のある病院に行こうと思い、自転車に乗ればすぐのところにある少し大きめの個人病院を目指すことにした。

 ところが、ふらふらした足取りでマンションの自転車置き場に降り立ってみると、私の自転車がない。「あっ」と思った。誰かに盗まれたわけではない。きっと、ガンモが乗って行ったのだ。前日、朝方までの仕事をこなしたガンモは、最寄駅の駐輪場に自転車を預けたまま、タクシーで帰宅したのだ。こんなとき、いつもならば、路線バスを使って仕事に出掛けて行くのだが、私が休暇を取ることを知ったガンモは、路線バスを使わずに、私の自転車に乗って出掛けて行ったというわけである。案の定、携帯電話をチェックしてみると、
「自転車、借りて行くから」
というガンモからのメールが届いていた。こんなとき、英語圏の人たちなら、
"tut"
と言って舌打ちするのだろうか。ああ、病院に行きたいというのに、何ということだろう。私はガンモに文句を言うために電話を掛けた。文句を言えるくらいの気力が残っているのだから、まだまだ大丈夫な証拠である。
「ガンモ、○○病院に行きたいのに自転車がない!」
と私が言うと、
「メールしたから」
などとガンモが言う。
「ところで、念のために聞いてみるけど、ガンモは仕事帰りにどの自転車に乗って帰るつもりなの?」
と尋ねると、ガンモは、そんなこと聞くまでもないだろうといった口調で、
「もちろん、俺の自転車だよ」
と答えた。ああ、やはりそうか。ということは、私が明日、仕事に出掛けて行くときは、路線バスを利用しなければならないということだ。

 私は仕方なく、路線バスに乗って最寄駅の駐輪場まで自分の自転車を取りに行くことにした。どの道、路線バスを利用しなければならない。路線バスをいつ利用するかだけの違いだ。これから出掛ける病院は、路線バスで最寄駅まで向かう途中にあったので、路線バスを途中下車しても良かったのだが、明日のことを考えると、ちょっと無理をしてでも最寄駅に自転車を取りに行っておいたほうがいいと判断したのだ。

 路線バスはひどく混み合っていた。身体の調子が良くないときに、混雑した路線バスの中で立ち続けるのは、かなり骨の折れることだと良くわかった。途中でタイヤの上の高い席が開いたが、もうすぐ最寄駅だったので、そこには誰も座ろうとしなかった。私は、立っている人々を掻き分けて、
「すみません、そこに座らせてください」
と言いたい気持ちでいっぱいだったが、実際はそんな気力もなく、熱っぽい身体で満員バスの中で踏ん張り続け、何とか最寄駅に着いた。

 最寄駅の駐輪場では、駐輪場を管理しているおじさんがいつものように話し掛けてくれた。私がいつもとは違う格好をしているので、驚いたようだ。おじさんが驚くのも無理もない。何しろ、私と来たら、自宅から自転車ですぐのところにある病院に出掛けるつもりで家を出て来たので、ラフなホットヨガパンツを履き、髪の毛も束ねていなかったのだ。おじさんは、私がリュックを背負っていないことを指摘し、その格好は私らしくないと言った。

 駐輪場のおじさんに別れを告げて、私は目的の病院へと向かった。その病院の内科で小一時間ほど待って、ようやく診ていただくことができた。内科の医師は、昔、良く食べたアイスクリームのスプーンのような使い捨ての棒で私の喉をチェックした。診察が終わり、処方していただいた薬を受け取った私は、せっかく病院に来たのだから、病院の食堂でご飯を食べてみたくなった。しかし、あいにく、その病院には食堂がなかったので、私は残念に思いながらも病院をあとにした。

 時計を見ると、もう十一時半である。帰宅すれば、ご飯の用意はあったのだが、病院の食堂に行きそびれた私は何となく外食したくてたまらなかった。病院に行くまでは食欲がなかったのだが、食後に薬を飲みたい一心で、自宅近くのファミリーレストランに入り、ランチを注文した。平日のランチはお手頃価格だ。まだお昼休み前だったので、私の他には二組の客がいるだけだったが、お昼過ぎになると、どやどやと人が入って来た。中には、テニス帰りの奥様方もいらっしゃって、にぎやかにランチを食べていた。その奥様方は、私とそれほど年齢が変わらないか、私よりも年下の世代の人たちだった。当たり前のことかもしれないが、同じくらいの年齢で、同じファミリーレストランに居るというのに、その奥様方の人生と、私の人生は大きく異なっている。ファミリーレストランは、いろいろな人生を歩んでいる人たちが集う場所なのだろうか。そして、私もいつか、彼女たちの仲間入りするときがやって来るのだろうか。そんなことを思いながら、平日の昼下がりの優雅な時間を、ドリンクバーで喉を潤しながら静かに過ごした。

 食後に薬を飲むと、私の身体はいくらか楽になった。ガンモはしばしば市販の風邪薬を飲んでいるが、私は頭が痛くなっても、風邪を引いても、市販の薬はほとんど飲まない。全身麻酔が苦手なのと同じように、もともと薬に頼るのがあまり好きではないのだ。しかし、今は仕事が忙しいので、どうしても西洋医学の薬の力に頼りたかった。

 帰宅した私は、「ガンまる日記」を書き上げたあと、ベッドに横になって睡眠をとった。それから、二十二時にガンモが帰宅するまで、たっぷり五時間も寝ていたらしい。風邪薬が眠気を誘ってくれたのだろうか。おかげで、目が覚めた頃には、ずいぶん調子が良くなっていた。明日は仕事に行けるだろう。そう思いながら、私はガンモと一緒にお風呂に入った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 風邪のおかげで体験できた、平日の昼下がりの優雅な時間。いつか私にも、この優雅な時間が手に入るのだと思うと、それまでは仕事を頑張ろうという気持ちになりました。風邪は、走り続ける私に休息を与えてくれたのかもしれません。仕事を辞めたあとの私は、平日の昼間に一体何をしているのでしょう。そんなことを想像した昼下がりでありました。

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2007.11.12

マスクウーマン

 夕方から朝方に掛けて仕事に出掛けていたガンモが、午前四時過ぎに帰宅した。私は眠っていたのだが、帰宅してからお風呂に入ったガンモがベッドに潜り込んで来たとき、目を覚ました。ガンモ、お疲れさん。しかし、ガンモが帰宅してから私は眠れず、週明けから早くも寝不足に陥ってしまった。

 前々日あたりから、ガンモは風邪を引いていた。それでも、こうして夜の勤務をこなして帰宅したのだから、ガンモの仕事に対する責任感は尊敬に値する。私は夢現の状態で、帰宅したガンモに尋ねた。
「風邪は大丈夫なの?」
すると、ガンモは、
「大丈夫。仕事仲間と話しているうちに治った」
などと言った。

 もともとガンモが風邪を引いたのは、寝ている間に布団がなくなっていたことが原因らしい。今でもシングルベッドに仲良く寄り添って寝ている私たちだが、冬場になると、毛布の取り合いになり、負けたほうが風邪を引く。たいていは、私のほうが勝ってしまい、ガンモはいつも市販の風邪薬を飲んで風邪を治している。一方、私は年間を通して風邪を引きにくい体質である。というのも、風邪を引きそうになると、ガラガラとうがいを繰り返して、風邪の元を身体の外に追い出してしまうからだ。

 しかし今回は、何となく調子がおかしいことに気がついていた。週明けから寝不足のまま出勤した私は、喉に不快感を覚えたため、職場では一日中、マスクをしていた。オフィスの空調は、年間を通して身体に優しくない。冬場は特に乾燥している。それでも、マスクを付けていれば、口から息をしたときの湿気が乾燥から喉を守ってくれる。また、鼻が詰まって息ができない状態にあるとき、マスクは口で息をするときのフィルターの役割を果たしてもくれる。マスクをしている私を見て、上司が、
「風邪ですか?」
と聞いてくれた。私は、
「いえ、風邪を引いてしまわないように、うがいを繰り返して、風邪と一生懸命と戦ってます」
と答えた。

 実際、私はトイレに立つ度にうがいを繰り返した。健康管理のため、私はいつもうがい薬を持ち歩いているのだ。しかし、今回はどうも様子がおかしかった。私は、風邪に負けてしまいそうな予感がしていた。仕事が忙しい上に、寝不足も重なり、おまけにオフィスの空調も優しくなかった。もう十一月だと言うのに、頭のてっぺんから冷風が降りて来るのだ。冷たい風が足元に溜まって足首が冷たい。ああ、風邪に負けてしまいそう。私はそう思いながらも、何とかその日の仕事を終えて帰宅した。まるでとどめをさすかのように、外は震えるほど寒かった。

 ガンモは、私が風邪を引いてしまいそうな状況にあることを珍しがった。それくらい、私は風邪を引かない体質だったのだ。帰宅してからも、何度も何度もうがいを繰り返したにもかかわらず、私はとうとう降参することになった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私の風邪は、たいてい喉からやって来るので、うがいを繰り返しているうちに、風邪の元を外に追い出すことができるのですが、今回はそれがうまく行きませんでした。もしかすると、のど飴をなめてしまったからかもしれません。うがい薬が痰を身体の外に押し出してくれるのに対し、のど飴をなめることは、痰を身体の中に入れてしまうことになるのではないでしょうか。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2007.11.11

過信

ホットヨガ(七十七回目)の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 新月は、終わりを意味するのでしょうか? それとも、始まりを意味しているのでしょうか? タロットカードの死神は、正位置が終わりを意味し、逆位置が再生を意味していますよね。タロットカードがくるくる回って、その瞬間の状況をカードに映し出すように、私たちの人生の一コマもまた、ほんの一瞬の出来事を映し出しているだけなのかもしれませんね。

 最近は、わざわざ店舗まで出掛けて行かなくても、インターネットでたいていのことは実現できるようになっている。例えば、銀行のサービスやネットオークション、Amazon.co.jp、楽天市場などは、私がしばしばインターネットで利用しているサービスだ。そんな中でも、欲しい本やCDを自由に検索して購入できるAmazon.co.jpのサービスは、私が最も良く利用しているサービスの一つと言っていい。

 この度、そのAmazon.co.jpで、ある本を古本で購入した。一冊百六十円足らずの小さな買い物である。古本の場合、代金の他に三百四十円の送料・手数料を支払って、出品者に発送していただくことになる。本の価格よりも送料・手数料のほうが高くなるが、それでも、本を定価で購入するよりはずっと安い。私はいつものように、注文画面でウィザードに従って「次へ」をクリックして行った。Amazon.co.jpでは何度も購入実績があるので、実に手馴れたものである。最後のボタンで「注文を確定」させたとき、私のメールアドレスには、Amazon.co.jpから注文内容の確認メールが届いた。しかし、そのメールを見てみると、何だか様子がおかしいのだ。注文してもいない商品が注文リストの中に入っている。良く見るとそれは、『魔法使いチャッピー』のDVDボックスだった。

 そう言えば、本番への備えのためにガンモとカラオケに出掛けた直後、ガンモが私にこんなことを聞いて来た。
「まるみはAmazon.co.jpのアカウント、持ってるの?」
もちろん、私は持っているので、
「うん、持ってるよ」
と答えた。そのとき私は、ガンモに自分のAmazon.co.jpのIDとパスワードを教えたのだ。おそらく、その後、ガンモが私のIDとパスワードを使って、Amazon.co.jpにログインしたのだろう。そして、『魔法使いチャッピー』のDVDボックスを検索し、そのあと何を思ったのか、カートに入れてしまったのだ。

 私は、Amazon.co.jpのページにアクセスし、最近の注文内容を確認してみた。すると、自分では一つだけ注文したつもりだったのに、二つの商品が配送中になっていた。私は慌てた。何とか気を取り直し、冷静になってAmazon.co.jpのヘルプを参照した。確か、配送のキャンセルができたはずだと思いながら。

 Amazon.co.jpは、商品を新品で購入する場合は、Amazon.co.jpの指定するページにアクセスすることで、キャンセルすることが容易である。しかし、ガンモがカートに入れていた商品は中古品だった。中古品の場合は、出品者の方に直接連絡を取って、キャンセルをお願いしなければならないらしい。Amazon.co.jpのの決済は、登録したクレジットカードで行われているため、処理が早い。もたもたしているうちに、クレジットカードによる決済が終了したとのメールがAmazon.co.jpから届いた。これはいかんと思い、私は冷静に冷静にページをクリックし、出品者の方と連絡が取れるページに辿り着いた。そして、「申し訳ありません。カートに商品が入っていることに気付かずに、注文を確定させてしまいました。大変お手数ですが、キャンセルしてくだされば幸いです」と書いて送った。

 出品者の方は、古本を扱うお店だった。夜中であるにもかかわらず、何故かお店の担当者の方からすぐにメールが届き、「キャンセルの件了解いたしました」と書かれていた。私はそのメールにホッと一安心し、丁重にそのメールに返信して、再びお詫びの言葉を述べた。

 私は仕事中のガンモに電話を掛けて、
「『魔法使いチャッピー』のDVD、カートに入れるの禁止!」
と言った。ガンモは最初、一体何が起こっているのかわからない様子だったが、私が事情を説明すると、ようやく理解したようだ。そして、
「禁止!」
と自分で言った。禁止は君だよ、ガンモ。

 翌日、Amazon.co.jpから正式に、『魔法使いチャッピー』のDVDが出品者の方によってキャンセル及び返金されたとメールで通知が来た。お店の方からもメールが届いていたので、私は再びメールを送り、お礼とともに今回の無礼を詫びた。

 まさか、ガンモがカートに商品を入れているとは思ってもいなかったので、私は特に確認することもなく、注文ウィザードで「はい」を選択し続けてしまった。今回のことは、そんな過信から招いた失態だった。

 仕事から帰宅したガンモは、
「ちゃんと確認しろー」
と私に言ったが、私は、
「買う気もないのに、ガンモがカートに入れたりするからだよ」
と反論した。ガンモは大して悪びれた様子もなく、
「だって安かったんだもん」
と言った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「こうであるはずだ」という過信があると、注意力が失われてしまいますね。今回、私は、Amazon.co.jpの注文画面がウィザード形式になっているというのに、カートの中には他に何も入っていないはずだという過信があり、このような事態を招いてしまいました。出品者の方には多大なご迷惑をお掛けしてしまいました。キャンセルできたから良かったものの、キャンセルできない場合もありますので、注意が必要です。皆さんも、どうかお気をつけくださいね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2007.11.10

ホットヨガ(七十七回目)

ガンモの父性の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモが雛を見つけたとき、雛は低い木に留まっていたようですが、ガンモが手を伸ばすと、雛はいったん、マンションの一階の角部屋の門の中に入り込んでしまったそうです。しかし、たまたま門の扉が開いていたので、ガンモは意を決して雛を追いかけて門の中に入って行ったそうです。ガンモは雛を捕獲すると、大事そうに懐の中に入れて、エレベータも使わずに階段を駆け上がって来たのです。ガンモの懐の中にいる間、雛はずっと大人しくしていたそうです。きっと、一睡もしていなかったのでしょう。ガンモに抱かれて安心したのかもしれません。ガンモと雛の大冒険でありました。

 寝不足がなかなか解消されない原因がわかった。ホットヨガのレッスンを土曜日の午前十時にセッティングしているためだ。午前十時からのレッスンとは言え、着替えの時間などを考慮すると、いつも仕事に出掛けて行くのとほぼ同じ時間に起きなければならない。しかし、寝不足が更に加速するとわかってはいても、やはり、午前中のレッスンは魅力的だ。私はいつものように、支度を整えて神戸店へと向かった。ガンモの仕事が休みだったので、レッスンを終えたあとはすぐに帰宅するつもりだった。

 受付には、吉本興業のインストラクターと、以前、一度だけレッスンを担当してくださったインストラクターが立っていた。二人とも、インストラクターのウェアを着ている。きっと、今回も吉本興業のインストラクターが担当してくださるに違いないと思いながら、着替えを済ませてスタジオに入ってみると、意外にも、一度だけレッスンを担当してくださったインストラクターが入って来たので驚いた。彼女の名前は、既にシステム手帳に記載していたのだが、彼女は何と、私が聞き取っていた苗字と一字違いの苗字を語った。どうやら、以前、聞き取ったときに間違えて記載してしまったようだ。私は、TOEICのリスニングの学習を思い浮かべた。日本語でさえ、こうして聞き取りミスを犯してしまうのだから、英語の聞き取りミスを犯してしまったとしても仕方のないことだ。

 これまで、九十分のベーシックコースでは、他のコースに比べて汗がなかなか出て来なかったのだが、今回のレッスンから汗がたくさん出て来るようになった。ようやく私なりのペースを取り戻すことができたのかもしれない。しかし、九十分のベーシックコースでは、ビギナーコースと違って、どのポーズにどのような効果があるかについて、インストラクターからの説明がない。だから、自分で効果を調べて復習しなければならない。そう言えば、以前、ホットヨガの本を購入したことがあったはずだ。あの本を活用しながら、どのポーズにどのような効果があるかをノートに書き出して覚えて行くことも必要なのではないか。インストラクターの名前を書き出すことも重要だが、ホットヨガのポーズに関する情報をノートに書き込むことも、もっと重要ではないだろうか。

 レッスンの最後に、インストラクターが、
「今日は新月ですので、家に帰ったら願い事をしてみてください。新月から八時間以内なら、願いごとが叶いますので」
とおっしゃった。なるほど、今日は新月だったのだ。だから、いつもよりも汗がたくさん出て来たのだろうか。

 スタジオを出て、シャワーを浴びるためにロッカーに向かっていると、ロッカーの入口に立っていた吉本興業のインストラクターが、レッスンを終えた私たちに冷たいタオルを差し出してくださった。これまで、こんなサービスを受けたことがなかったので、驚いたのだが、それは「新月の日サービス」なのだそうだ。神戸店のスタッフが新月にこだわりを持っていることについては、以前、別のインストラクターから聞いたことがある。その新月がとうとうサービスに繋がったのである。冷たいタオルは、ほんのりとレモンの香りがした。私は、ホットヨガのレッスンではいつも顔がホテホテに熱くなってしまうので、冷たいタオルのサービスはとてもありがたかった。シャワーを浴びる前に、私は冷たいタオルで自分の顔を心行くまで冷やした。とても気持ちが良かった。新月と言わず、毎回、このサービスを実施して欲しいくらいだった。

 シャワーを浴びて着替えを済ませた私は、いつものように、受付にロッカーの鍵を返しに行った。次回の予約をまだ入れていなかったので、受付のスタッフが、
「次回のご予約はどうされますか?」
と聞いてくださった。私は反射的に、
「今日と同じ時間でお願いします」
と答えてしまった。ああ、これでまた寝不足になってしまうが、まあ、良しとしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 角度の関係でしょうか。起き上がったままで顔を冷やし続けるのは難しいですよね。顔を冷やしながらも、動き回りたい人はどうしているのでしょうか。以前、顔パックなるものを購入してみたのですが、それを付けて動き回るのは、ちょっと不気味な感じがしました。マスクのような感覚で気軽に使える顔冷やしタオルのようなものがあればありがたいのですが・・・・・・。まあ、例えそんなものがあったとしても、私専用かもしれませんけど。(苦笑)

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2007.11.09

ガンモの父性

 鳴き声はまだまだ「ピーピー」のままではあるものの、ジェットはようやく空を飛び始めた。ジェットが自由に空を飛べるようになると、TKMYとキッコロはジェットに対して次第に冷たくなって行った。TKMYもキッコロも、まるで早く巣立ちしろと言わんばかりにジェットを追い掛け回している。おそらく鳩は、次々に子供を産む習性があるために、ジェットを追い出して、次の出産準備に取り掛かりたいのだろう。

 さて、ガンモがベランダの掃除をしたある日のことだった。掃除を終えてしばらくしてから、台所に立ったガンモは、母ちゃんたちの雛のうちの一羽の姿が見当たらないことに気が付いたらしい。寝室に戻って来たガンモは、
「母ちゃんたちの雛がいない! もしかすると、下に落ちたのかもしれない」
と、慌てた様子で私に言った。ガンモが掃除をしたときには確かに居たと言う。その雛はまだ飛べないはずなので、ベランダから落ちたとしか考えられなかった。私たちのベランダには、ベランダの設計上、鳩が飛び立てるくらいの隙間があり、父ちゃんたちは飛び立つときにしばしばその隙間を活用していた。父ちゃんたちの巣は、その隙間に近いところにあったので、雛が何らかのはずみでその隙間から落ちたことは十分に予想された。

 ガンモは、自分の掃除の仕方に問題があったのかもしれないと責任を感じたようで、慌てて玄関から飛び出して行った。しばらくするとガンモは帰って来たが、再び出て行った。どうしたものかと思っていると、再び帰宅したガンモがこう言ったのだ。
「雛が下の階の玄関にいる。俺が降りて行ったときは、まだ玄関の門の外に居たんだけど、門の中に入っちゃった。餌でおびき寄せようかと思ったけど、無理だった。よその家の玄関の門の中だし、むやみに近づけないよ。どうしよう」
やはり雛は、私たちのベランダの隙間から落ちてしまったらしい。それでも、一階まで落下せずに、すぐ下の階の玄関の手すりのところにかろうじて留まったようである。ガンモにそう言われて、私も下の階の様子を見に行った。すると、確かに母ちゃんたちの雛が、すぐ下の階の門の奥にある手すりの上でおどおどしながら留まっているのが見えた。雛は、あまりにも若過ぎて、飛びたくてもまだ飛べないのだ。しかも、辺りは既に暗い。

 雛の居場所はわかったものの、私たちは困り果ててしまった。相手は野生の鳩である。しかも、雛が居るのは、よその家の玄関の門の中だ。私たちのマンションは、角に位置する区画にだけ、門が付いている。私たちの部屋も角部屋なので、門が付いている。雛がそこに居るとわかっていても、よそ様の家の門を勝手に押し開けて、雛を連れて帰ることなどできないだろう。かと言って、ピンポーンと呼び鈴を鳴らして、
「すみません。うちの雛がお邪魔していますので、引き取らせていただきます。ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」
などとも言えない。更に、運の悪いことに、その部屋は、かつて鳩たちが頻繁に出入りしていたのか、ベランダに鳩避けの網を張っている。私たちのおぼろげな記憶では、私たちのベランダに父ちゃんたちが出入りするようになった頃、下の階から雛の鳴き声がピーピー聞こえていたことがあった。おそらく、その家のベランダで、鳩が卵を産んで育てていたのだろう。しかし、現在は鳩と縁を切るために、網を張っているのだ。結局、私たちはどうすることもできず、ときどき外に出ては、雛の様子を見守っていた。

 夜中の一時過ぎだったろうか。寝る前にもう一度確かめておこうと思い、ガンモが再び雛の様子を見に行った。すると、下の階の奥さんが怒った様子で部屋に戻る姿が見えたと言う。そのとき、下の階の部屋の門が開いていたのだそうだ。何らかの理由で、門の中にいる雛を見つけた奥さんが、雛を下に追いやったのかもしれない。しかし、単にそれだけならば、手で「しっしっ!」と追い払えばいい話である。まさか、まさか、最悪の事態に陥ったりはしていないだろうか。何しろ、夜中の一時過ぎなのだ。翌日がゴミの日でもないのに、そんな時間にわざわざ外まで出掛けて行く用事は何なのだろう? しかも、ガンモには、奥さんの表情がひどく怒っているように見えたと言う。私たちは気が気ではなかったが、その日は何とか眠りに就いた。雛の姿が見えないことを嘆いていたのか、ベランダにいる父ちゃんが、一晩中、ホーホーと鳴いていた。

 一夜明けて、ベランダの様子を見てみたが、やはり雛は帰って来てはいなかった。雛の成長具合からすると、羽を使って上から下に何とか無事に降りることはできても、下から上に昇ることはできないのだろう。

 ガンモが仕事に出掛ける前に、下の様子を見てくれると言った。
「もしも雛がいたら携帯に連絡ちょうだいね」
と頼んでおいたのだが、ガンモからの連絡はなかった。その代わり、何と、ガンモは出掛けてからわずか数分後に玄関のドアを開けて帰って来た。しかも、興奮気味に、
「雛が居た! 低い木に止まってたから、連れて帰って来た!」
と言うではないか。私は泣きそうになり、うれしさの余り、雛を抱えたガンモの肩をポンポン叩いた。ああ、良かった。本当に良かった。

 ガンモは、抱えて来た雛をベランダに放した。そして私たちは、雛を中心に餌を与えた。雛は、まだ飛ぶことはできないが、自分で餌を食べられるくらいに成長しているのだ。私は、再びガンモを慌しく送り出し、雛たちが元気に餌を食べる姿を見守りながら、ガンモのこういうあたたかさが好きだと実感していた。マンションの人たちの視線も気にすることなく、低い木に止まっていた雛を救出したガンモは勇敢だ。こうしたアプローチは、ガンモの父性の表れに違いない。私たち夫婦に子供が居なくても、ちゃんとガンモの父性を引き出すような出来事が起こっているのだった。

 しばらくして、仕事に出掛けたガンモから、メールが届いた。見ると、
「雛の体温があったかかった(^^)」
などと書かれている。私はすぐに、
「ガンモの行動もあったかかったよ(^^)」
と返事を返した。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 一時はどうなることかと思いましたが、何はともあれ、一件落着であります。自然な巣立ちができるようになるまでは、雛はやはり、親元で過ごしたほうがいいでしょう。失ったピースがぴたっとはまるような、心温まる出来事でありました。

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2007.11.08

まるみのココだけの話

 TOEICに向けての英語学習がとても楽しい。だから、もう少し英語の学習について書かせていただこうと思う。

 私が英語を本格的に勉強していたのは、大学受験の頃だった。高校の英語の授業は確か、リーダー(読解)とグラマー(文法)とコンポジション(作文)に分かれていた。私の通っていた高校では、受験に必要とされている英語や数学、国語などの教科に関しては、教科書をさっさと終わらせて、学校の推薦する参考書や問題集に積極的に取り組むという方針が取られていた。短い間により多くのことを詰め込もうとするので、授業のスピードがとても速く、予習をしておかなければ授業について行くことができなかった。

 私は、英語を効率良く学習するために、自分なりの工夫をしていた。その中でも最もユニークだったのが、リーダーのノートである。

 リーダーの授業は、教科書に書かれている英文を日本語に訳して行くというものだった。だから、リーダーの予習をするときは、授業で進むところまで予測して、自宅で辞書を使いながら、ノートに日本語訳を書き出して行く方法を取っていた。ただ、日本語に訳すと言っても、やみくもに日本語ばかりをノートに書き出して行くのではなく、意味のわからない単語や慣用句なども同時にピックアップしながら行った。しかし、ノートに書き出された日本語訳は、教科書と離れてしまっているために、とてもわかりにくい。できれば、元の英文と日本語訳を近くで対応させながら学習したいものだ。

 そこで思いついたのが、サンドイッチ学習法だった。私は、大胆にもリーダーの教科書をばらし、ばらした教科書の間に一枚一枚、ルーズリーフを挟み込んで行った。そして、教科書とルーズリーフが一枚ずつ交互に重なっているのを確認すると、それらをまとめてリングで綴じた。そうして出来上がった教科書兼ノートを開くと、英語の文章のすぐ隣のページに必ずルーズリーフがあるので、日本語訳を書き込み易かった。予習のあとはそのまま授業に臨み、日本語訳が間違っているところがあれば、赤ペンで修正しておけば良い。私はこの方法がとても楽しかったので、リーダーの授業が楽しみだった。ただ、初めて教科書をばらすときは、かなり勇気が要ったのを覚えている。

 英単語の学習方法も、ちょっとユニークだった。私の通っていた高校では、故森一郎さんの『試験に出る英単語』を教材に使用していた。英語の授業では、出題範囲が予め指定された上で『試験に出る英単語』の中から英単語の試験が行われるので、汽車(電車ではなかった)で通学していた私は、汽車の中で一生懸命、英単語を覚えていた。実は、私の通っていた高校では、先生にお願いして、『試験に出る英単語』の上下とページをめくるところにある余白部分を、職員室にあるカッターで大胆にもカットしてもらい、コンパクトにして使用するという風習があった。カットしてもらうと、新書本サイズの『試験に出る英単語』が、文庫本サイズに早代わりして、一層持ち運び易くなるからだ。職員室には、製本用なのか、『試験に出る英単語』の余白部分をカットできるカッターがあったのだ。先生たちも、生徒たちの頼みとあれば、快く引き受けてくださったようである。おそらくこれは、先輩たちから伝えられて来たアイディアなのだろうと思う。また、カッターで大胆にカットしてもらうだけでなく、中には、『試験に出る英単語』をもう一冊購入して、英語の授業で試験が行われる部分だけをばらして持ち歩いている人もいた。

 リーダーの教科書をばらして、教科書と交互にルーズリーフを埋め込んでいたのは私だけだったが、『試験に出る英単語』の文庫本化は、多くの生徒たちが実践していた。ただ、カットしてもらった余白部分を単語帳に利用していたかどうかまでは知らない。今になって思えば、とてもユニークな英語学習方法だったと思う。ちなみに、私と同じ高校の後輩に眞鍋かをりちゃんがいる。既にお気づきの方も多いと思うが、実は、今回の記事のタイトルは、彼女の書いているブログタイトルから拝借したものだ。彼女もまた、職員室で『試験に出る英単語』を文庫本サイズにカットしてもらっていたのだろうか。機会があれば尋ねてみたいものである。

コンパクトになった『試験に出る英単語』。通称「しけ単」。
「でる単」と呼ばれることもある。

コンパクトになった『試験に出る英熟語』。通称「しけ熟」。
「でる熟」と呼ばれることもある。
左と右のページで印刷の色が違っているのは、
確か古本で購入したために、
切り取られているページがあったからである。
友達に借りて、足りない部分をコピーさせてもらい、糊で張り付けた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この記事を書いているのは土曜日ですが(苦笑)、百円ショップでロケットペンシルを見つけて購入しました。(^^) 何と、ご丁寧に消しゴムまで付いていました。TOEICの試験向けに、アイブロウのような仕様のマークシート専用ペンシルも売られていました。ただ、こちらは2Bだったので、かえって濃過ぎて、一度書いたもので手やマークシートを汚してしまったりしないかと心配になったため、見送りました。ということで、私は、懐かしいロケットペンシルでTOEICの試験に臨みます。(^^)

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2007.11.07

結婚することって、こういうことかもしれない

2007~2008 さだまさしコンサートツアー Mistの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m えっ? もしかすると、さだまさしさんのファンの方も多いのでしょうか? 「苦手だ」などと書いてしまい、大変失礼致しました(苦笑)コンサートの模様は、2007~2008 さだまさしコンサートツアー Mistの記事だけでは書き足りなかったのですが、それはコンサートの余韻として大切に取っておきたいと思います。

 最近の私は、通勤の途中に英語の学習に励んでいる。帰宅すると、ノートパソコンや英語の学習ノートを小さなバッグに詰めて寝室に向かう。そして、寝る前にもほんの少し時間を作り、英語学習の続きをする。あるとき、寝室に持ち込む小さなバッグに筆記用具を入れ忘れてしまったので、ガンモに、
「ねえねえ、シャープペンシルない?」
と尋ねてみた。すると、ガンモは、
「おう、あるよ。任しとけ」
と言って、筆箱を手渡してくれた。それは、ガンモがTOEICの試験を受けるときに持参している筆箱だった。

 ガンモの筆箱は、シャープペンシルが二本と消しゴムがかろうじて入るくらいの小さな透明の筆箱である。数年前に、スポーツセンターのキャンペーングッズとして、街角で受け取ったものだ。我が家には、その筆箱と同じものがあと二つあり、私もTOEICを受験するときは、その筆箱を持参しようと思っていたところだった。

 見ると、その筆箱の中には、シャープペンシルが二本入っていた。私は、そのうちの一本に思わず目を奪われた。ああ、このシャープペンシル! それは、私が独身の頃に愛用していたシャープペンシルだった。そのシャープペンシルは、まるでガンモ自身が長いこと使用したシャープペンシルであるかのように、ガンモの筆箱の中に平然と納まっていた。ガンモはこれまで、何度も何度もTOEICの試験を受けて来たはずだ。その度にガンモは、この筆箱を持参し、私が独身の頃に愛用していたシャープペンシルをあたかも最初から自分のシャープペンシルであったかのようにTOEICのお供にしていたのか。そう思ったとき、ガンモがこのシャープペンシルを使っていることがたまらなく愛しくなった。久しぶりに「つーん」と込み上げて来る感覚を体験した。ああ、結婚することって、こういうことかもしれない。私とガンモが区別のない存在となり、私が独身の頃に愛用していたものを、私と区別のない存在のガンモが愛用するということである。

 そう言えば、昔、ガンモが独身時代に着ていた服を私が着たとき、ガンモがひどく喜んでくれたことがあった。私はその服がとても気に入って、しばしば外に着て出掛けて行った。確かに、自分が独身時代に愛用していたものを、自分の愛する人があたかも最初から自分のものであるかのように平然と使っている姿を見届けるのは、元の所有者としても大変うれしいものである。それが自然であれば自然であるほど、うれしさは増す。

 それにしても、ガンモよ。マークシートを塗りつぶすTOEICの試験には、シャープペンシルよりも、鉛筆のほうが効率がいいのではないだろうか。それに、筆箱に入っていた消しゴムもひどく固いよ。柔らかい消しゴムのほうが消し易いはず。それでは、出遅れてしまう。私はロケットペンシルで臨むつもりなので、ガンモのためにもロケットペンシルと柔らかい消しゴムを用意してあげよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ロケットペンシルとは、鉛筆の芯がロケット式になって、芯を入れ替えるだけで削る必要のない鉛筆のことです。かつては文房具屋さんで良く見掛けましたが、今でもどこかで売られているのでしょうか。百円均一などで探しているのですが、なかなか見つかりません。

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2007.11.06

2007~2008 さだまさしコンサートツアー Mist

 めまいから一夜明けると、身体の調子はすっかり良くなっていた。私は、日頃の睡眠不足を少しでも解消しておきたくて、休暇を取っているのをいいことに、午前十時半頃まで寝ていた。そのおかげで、睡眠不足は少し解消されたようである。

 夕方になり、そろそろライブに出掛ける時間になった。私が何となく出渋っていると、
「俺だって、まるみの行きたいライブに何度も付き合って来たんだからね」
とガンモが言う。そう、確かにガンモの言う通りだった。ガンモは私の行きたいライブに何度も何度も同行してくれた。
「ミッチーのライブだって行ったんだからね」
と言うガンモに、
「はいはい」
と答えるしかない私であった。ミッチーというのは、説明するまでもなく、及川光博氏のことである。七年ほど前、私は彼のキャラクターにはまり、大阪や横浜で行われたライブに足を運んだり、また、現在は脱会してしまったが、一時はファンクラブにまで入会していたこともあったくらいなのだ。当時のガンモとしては、ミッチーのライブに参加するのは、あまり気が進まなかったらしい。そんなガンモにしてみれば、
「俺だってあんまり気が進まなかったけど、ミッチーのライブに付き合ったんだから、まるみも今日のライブ、付き合ってくれ」
と主張したくなるのも当然のことだろう。

 さてさて、記事のタイトルにもあるように、ガンモの好きなアーチストというのは、シンガーソングライターのさだまさしさんである。我が家には、ガンモが独身時代に購入したさだまさしさんのレコードが何枚もある。一方、バンド志向の私は、ソロアーチストに対して食わず嫌いなところがある。自分たちの好きな音楽を演奏しながら、一つになろうとしているバンドの結合力がとても好きなので、ソロアーチストのバックで演奏しているミュージシャンたちを見ていると、職業的ミュージシャンのような気がして、何だか気の毒に思ってしまうのだ。

 ファンの方には大変申し訳ないのだが、私はとりわけ、さだまさしさんと松山千春さんが苦手だった。おそらく、私自身がおしゃべりな男性を苦手に思っているせいだろうと思う。ガンモは、さだまさしさんだけでなく、松山千春さんのことも大好きで、さだまさしさん同様、独身時代に購入したレコードをたくさん持っている。二年前の夏休みに北海道旅行に出掛けたときも、足寄まで足を伸ばし、千春の実家に足を運んだほどだ。

 そろそろ出掛ける時間になったので、私は渋々立ち上がり、ライブに出掛ける準備を整えた。渋々と書いたが、実はそれほど渋々というわけでもなかった。ガンモの好きなアーチストなので、ガンモの世界に触れられるチャンスでもある。また、コンサートが行われる会館までは、我が家から自転車で行けるほど近かった。それほど私たちに近い場所にさだまさしさんがやって来るのだから、ガンモの喜びもひとしおだったのだ。
 
 自転車で行ける距離にあるというのに、二年前にオープンしたばかりのその会館に、私たちはまだ一度も足を運んだことがなかった。普段は、ミュージカルなどの舞台が上演されている会館である。今回のコンサートが行われる大ホールに入ってみると、またしてもオペラハウスを思わせる切り立った造りに、思わず息をのんだ。五階まであると思われる客席は、木の優しさが十分に生かされ、会場を取り囲むように配置されていた。

 コンサートのために次々に集まって来た観客に埋もれながら、まず驚いたのは、年齢層の高さだった。何と何と、参加者のほとんどは、私たちよりも年上の人たちばかりなのである。平均年齢は五十五歳くらいだろうか。さだまさしさんは、私たちよりも上の世代の、おじさま、おばさまたちに支持されていたのだった。もちろん、今回のチケットは完売である。届いたチケットを見たとき、平日にもかかわらず、十八時開演となっているのは珍しいと思っていた。私たちのような立場では、仕事を休まなければこうして駆けつけることはできないが、このような年齢層が中心ならば、平日に十八時開演であっても差し支えはないのだろう。

 十八時を少し回った頃、いよいよコンサートが開幕した。開幕という名の通り、本当に幕が開いたのだ。ということは、コンサートが始まる前までは、幕が閉まっていたわけである。開幕と同時に、会場からは、一斉に大きな拍手が沸き起こった。一曲目は『道化師のソネット』だった。古いナンバーである。ありがたいことに、コンサートが始まる前から、ロビーに本日のセットリスト(演奏曲目)が掲示されていた。一部のアーチストは、こうした方法を取ってファンに曲目を提示し、CDなどの売り上げにも繋がっているようだ。

 コンサートはたっぷり三時間余りもあった。私は、以前から、「さだまさしさんは歌よりもステージトークのほうが面白い」とか、「歌を歌ってる時間よりも、ステージトークのほうが長い」と噂に聞いていた。しかし、ロビーに提示されていたセットリストには十七曲も挙げられている。「十七曲も、本当に演奏できるの?」と半信半疑で構えていたのだが、やはり、二曲、三曲、演奏する度に、長い長い爆笑トークが始まる。さだまさしさんは、おしゃべりが得意と言っても、関西のお笑い系の乗りではない。ポリシーを持った、人間的な笑いを招く人である。おそらく、会場に足を運んだおじさまやおばさまたちは、そんなさだまさしさんの人間的な部分に強く惹かれているのだろう。

 入場時に受け取ったチラシから、これまでのコンサートの爆笑トークがCDになって販売されていることを知る。観客は、さだまさしさんの歌を聴きに来ているのか、それとも、爆笑トークを聞きに来ているのだろうか。実際、さだまさしさんからも、こんな話が飛び出した。演奏中にトイレに立つお客さんがいらっしゃったので、
「できれば話をしているときに行ってください」
とお願いしたところ、そのお客さんに、
「だって、歌はCDで聴けますからね」
と言われたらしい。それを聞いた会場は大爆笑である。

 さだまさしさんは、日本で最も多くコンサートを開催しているアーチストなのだそうだ。今回のコンサートは、通算三千五百三十九回目のコンサートになったという。年間百本コンサートを開催したとしても、三十年以上掛かる数字だ。それを考えると、さだまさしさんがどれくらい多くのコンサートを開催して来たかが想像できるだろう。

 前から十一列目くらいの席に座っていた私には、ステージの上で爆笑トークを繰り広げているさだまさしさんの姿が、時には円広志さんに見えたり、コロッケさんに見えたり、志村ケンさんに見えたりした。さだまさしさんの様々な表情を見守りながら、この人は、世の中に対して真剣に何かを伝える役割を持って音楽に出会ったのだと、はっきりわかった。例えば、
「信号を守りましょうよ、関西の皆さん」
とさだまさしさんは言う。当然、信号無視を得意とする関西在住の人たちが集まっている会場からは、どっと笑いが沸き起こる。さだまさしさんは、夜中に誰もいない交差点に立っているときでさえ、きちんと信号を守る人なのだそうだ。そして、信号を守らないような風潮が、世の中を悪くしているとおっしゃった。また、相撲の話を例に挙げながら、
「時代の申し送りをしたい」
としきりにおっしゃっていた。そう、さだまさしさんの中には、今の若い世代に伝えて行きたいことがたくさんあるのだ。さだまさしさんの中には、今のままの世の中ではいけないという危機感があり、どこか「世直し」的なエネルギーが感じられるのだった。そうした世直し的なエネルギーを、ステージで振りまいている人なのである。  

 食わず嫌いだったさだまさしさんのコンサートは、アコースティックなサウンドが響き渡る、とても心地の良いライブとなった。ガンモも大満足の様子で、
「まっさん(さだまさしさんの愛称)はまだ現役だから」
と、喜びを隠し切れない様子だった。ガンモの言う現役とは、新曲を発表し、それをライブで歌うことだ。確かに、今回のコンサートは、新しいアルバムからの曲が多かった。五十歳を過ぎても、過去のヒット曲にしがみつくことなく、いつまでも新曲を発表し続けているさだまさしさん。ガンモはさだまさしさんのライブがえらく気に入ったようである。実はガンモにはまだ内緒だが、私もちょっぴり気に入って、次回はもっと気持ち良くライブに出掛けられそうな気がしている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「さだまさしさんのコンサートに行って来た」と派遣仲間に話したところ、まだ二十代の彼女は何を思ったか、『神田川』を歌い始めました。「いや、違う違う。それは『かぐや姫』」とフォローしたのですが、彼女たちの世代には、同じようなものとしてカテゴリ分けされているのでしょうか。

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2007.11.05

めまい

 最近の「ガンまる日記」は、どこかおかしいと感じていらっしゃる方も多いかもしれない。文章が踊らなくなってしまったのだ。一度書き上げたものを読み返してみても、文章に凹凸がなく、平坦な文章になってしまっているのが良くわかる。仕事が忙しくなり、時間的な余裕がないことも原因の一つだが、身体の調子が何となくおかしいことも影響しているようだ。書き上げる文章と同じように、感情の盛り上がりに乏しく、時間ばかりが過ぎ去って行くのを実感している。こういう状態のときに文章を綴ると、意識があちらこちらに分散してしまい、伝えたいことが伝わりにくくなってしまう。

 仕事も、来月末の納品を控えて、プログラム開発を行っているのだが、なかなかはかどらない。仕事中もひどく眠く、ソースファイルの同じ場所を何度も何度も行ったり来たりしているのような状況である。

 ちなみに、いつも私が体験している眠気は、あくびの出る眠気ではなく、自然に目がトーロンとして来る眠気だ。実は、これまで飲んでいたミントティーベースの毒出しホットジュースをシナモンベースに変えたのだが、そのことが原因かもしれない。私の身体は、新しいものを摂取し始めると、眠くなる傾向にあるようだ。例えば、少し前まで使用していたプロゲステロンクリーム。それから、フローエッセンス。そして、I医師に処方していただいた漢方薬の桂枝茯苓丸。これらの新しいものが身体に馴染むまでは、眠気を感じてしまうようである。今回、毒出しホットジュースをシナモンベースに変えたことで、同様のことが起こっているのかもしれない。

 それらのことと関連性があるかどうかはわからないのだが、仕事中に初めて本格的なめまいを体験してしまった。歩くと景色が迫って来るような感じで、地面に吸い込まれてしまいそうだった。このめまいは一体何だろう。もしかすると、貧血なのだろうか。しかし、先日の生理は、I医師が処方してくださった桂枝茯苓丸のおかげで出血量も少なかったはずだ。それならば、貧血になるはずもない。だとすると、高血圧なのだろうか?

 めまいはしばらく続き、帰宅してからベッドに横になると、一気に身体が沈み込んで行くような気がした。ガンモは、
「疲れてるからじゃないか?」
と言った。ガンモも身体が疲れているときには、ベッドに横になると、身体が沈み込んで行くような気がするそうだ。

 確かに、疲れているのかもしれない。仕事が忙しく、帰宅時間が遅いため、毎晩、寝るのは午前二時前だ。それでも、朝は午前七時過ぎには起きて仕事に出掛けて行く準備を始めるので、睡眠不足が続いて次第に疲れが溜まっていたのかもしれない。

 インターネットで、めまいの色々「めまいナビ」めまい・ふらつき・吐き気・頭痛・耳鳴り等の症状の情報サイトというサイトを拝見したところ、脳の病気が原因でめまいが起こることも多いと書かれてあった。その場合は、しびれや意識を失くす、物が二重に見えるなど、特有の症状を伴うことが多いようだ。私の場合は、幸いにして、それらに当てはまるような症状はない。ひとまず、これらのサイトを参考にさせていただいて、様子を見てみようと思う。

 ガンモは、
「もしかして、明日のライブを控えて病気になったんじゃないの?」
などと冗談っぽく言った。翌日の記事に詳しく書くつもりだが、実は、翌日は休暇を取って、ガンモと二人でライブに出掛ける予定になっているのだ。誰のライブかと言うと、ガンモの好きなソロアーチストである。しかし、私はそのアーチストのことがずっと苦手だったので、そのアーチストのライブに行きたいと言うガンモに対し、
「ガンモがチケットを取るなら行ってもいいよ」
と宣言していたところ、とうとうそれが実現してしまったのである。ガンモは、私がそのアーチストのライブに足を運ぶことに対して、消極的になっていたことが原因で病気になったのではないかと、冗談っぽく言ったのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最近、更新も遅く、また、パワーなしですみません。こういうときはお腹に力が入ってないときなんですよね。それにしても、私のパワーがなくても、時間は待ってくれず、どんどん過ぎて行くのが悲しいです。私が停滞しているときも、他の人たちの時間も、私の時間も進んでいるんですよね。皆さんも、「めまい」には気をつけてください。私は、ひとまず琉球もろみ酢の摂取を再開しました。

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2007.11.04

ボディはあとからついて来る

 ホットヨガの帰りに観た映画とは、ホットヨガのすぐ隣にある映画館で上映されていた映画『クワイエットルームにようこそ』である。精神科病棟で繰り広げられるユニークなキャラクターたちのはちゃめちゃドラマだった。久しぶりに、内田有紀ちゃんのご活躍振りを拝見することになったわけだが、私はこの映画を通して、アイドル路線からは既に卒業しつつある彼女の姿を確認した。映画の中で喜怒哀楽の感情をむき出しにすることは、アイドルにはできない演技だと思う。彼女がそのような役割をこなしたということは、中身を表現する女優になりつつあるということだ。だから、私はこれから彼女を見るときに、アイドルという色眼鏡を外そうと思う。

 映画と言えば、ガンモと一緒に観るために前売券を購入していた映画『ヘアスプレー』も鑑賞しておきたかった。そこで、仕事が休みだったガンモと一緒に大阪まで出掛けて行って、鑑賞することにしたのである。映画『ヘアスプレー』は、過去に上演された、映画を元にしたミュージカルが更に映画化されたもので、ジョン・トラヴォルタの女装が話題になっている。人種差別というテーマを伏線で進行させながらも、軽いタッチで描かれている。ダンスシーンの多い映画なのだが、黒人さんたちのリズム感の良さに圧倒されてしまった。練習を積み重ねることで身に付けたのではない技術と言うのだろうか。彼らの踊りは、彼ら自身が元々持っている力を感じさせてくれる踊りだった。

 実は、映画を観るためにわざわざ大阪まで出掛けて行ったのは、もう一つ、別の目的があったからだ。ガンモは、ヨ○バ○カメラのポイントを使って、ニンテンドーDS Liteを購入したいと考えていたのである。今更ニンテンドーDS Liteを購入して何をするのか? それは、英語の勉強らしい。

 ヨ○バ○カメラでは、会員になると、カードにポイントを貯められるようになっている。私は東京に住んでいた頃からの会員で、ガンモも私と同じ頃、東京で会員になっていた。数年前にヨ○バ○カメラが大阪駅前にオープンしてからというもの、私たちは大阪に足を運ぶ度に足繁く通っていた。不思議なことに、そのポイントは、使おうと思っているときに限って、還元率が高くなる。そのため、ポイントを使うよりも貯めることのほうが多くなり、知らず知らずのうちにポイントがどんどん貯まっていたのである。ときどき、書籍を購入する際にガンモがポイントを使用していたようだが、まだまだ多くのポイントが使われずに残っていた。そこで、ガンモは新しい英語勉強法を確立させるために、ニンテンドーDS Liteを購入しようと思いついたらしい。というのも、先日、まだ本体も購入していないというのに、英単語の学習のための中古ゲームソフトを購入して来たのだ。中古商品を取り扱うお店で、たまたま見つけたらしい。

 中古カメラの世界においても、ボディを持ってもいないのに、レンズだけを掘り出し物で見つけて先に買ってしまう人がいる。彼らが口を揃えて言うことは、
「ボディはあとからついて来る」
である。中古の掘り出し物は、見つけたときに買っておかなければ、後から探し回ってもなかなか巡り合えないことを、誰もが経験して知っているのだ。ガンモもそれに習い、目の前に現れた中古の英語ソフトを本体よりも先に購入したのである。

 さて、ヨ○バ○カメラのポイントで購入したニンテンドーDS Liteだが、店内に設置されたソファの上で、早速包みを広げて開けてみた。それは、以前、私が持ち歩いていたPDAよりも少し小さいくらいの大きさだった。ガンモは、一緒に購入した防御フィルターを苦心して張り、本体の電源を入れた。まず初めに使用者の情報を入力する。それにしても、こんな小さな端末から、クリアな音が再生されるとは。私たちは、その処理スピードの速さにも驚いた。かつて私が使っていたPDAよりもずっと速い。時代は益々加速している。より一層、速さを求められる時代になって来たのだ。そうした技術のおかげで、かつてのように、「ふっかつの呪文」をわざわざ紙に書き留めておかなくても、メディアに書き込みができるため、前日の続きからゲームを行うことが容易になっている。「ふっかつの呪文」を書き写し間違えて、ふっかつできないということもないのだ。しかし、こうしてどんどん時間が短縮されているというのに、私たちは何故、まだ慌てているのだろう?

 帰宅してから、ガンモはベッドにニンテンドーDS Liteを持ち込んで、本格的に英単語の演習を始めた。ペンで入力した文字が認識され、音声と画面で正解か不正解かを教えてくれる。しかし、購入したソフトはどうやら中学生向けだったらしく、出題される単語があまりにも簡単な単語ばかりなので、ガンモは拍子抜けしているようである。ガンモは、
「いずれ、『えいご漬け』も買う」
などと言っている。

 本当に、時代は進化している。今や、ゲーム機を使って英語の学習ができる時代になったのだ。すなわち、大人も子供もゲーム機で遊べる時代になった。というよりも、かつてのファミコンブームのときに若者だった人たちが、次々に親の世代になって来たという事情もあるのかもしれないが。

 ニンテンドーDS Liteのソフトウェア開発もまた、私と同じコンピュータ業界におけるソフトウェアの開発の業務と言っていいだろう。地味な業務用ソフトウェアを開発するよりも、ゲームソフトの開発のほうがずっと楽しいのではないだろうか。何しろ、テストという名目で、ゲームができるのだから。もちろん、発売日が既に決まっているのに、開発が遅々として進まないときの悲惨な状況は、私にも想像できる。それでも、業務用ソフトウェアの開発よりも、デバッグ作業が楽しいのではないだろうか。

 実は、私が最初にコンピュータ業界への就職を志望したときには、ゲーム会社はまだ週休二日制ではなかったので、週休二日制が取り入れられている業務用ソフトウェアの会社のほうを選んでしまった。今からゲームソフトの開発に鞍替えするつもりはないが、もしもゲームソフトの会社に就職していたら、どんな生活を送っていたのだろうか。今よりももっと、会社に棲んでいる人になっていたかもしれない。同じソフトウェア開発技術者として、ニンテンドーDS Liteのソフトウェア開発者に敬意を払いたい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 本文に登場した「ここに棲んでるみたい」の補足をしておきますと、私は、快適な会社生活を送るために、自分のデスクを好きなもので固めているのですが、それを見た同じ職場の人たちから、「まるでここに棲んでいるみたい」と言われているのです。ところで、ガンモは、本体と一緒に占いソフトもポイントで購入しました。生年月日を入力して占うものですが、ガンモと私の相性よりも、私とツインソウルの相性のほうが良かったので、ちょっぴりすねていました。(苦笑)

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2007.11.03

ホットヨガ(七十六回目)

 先週に引き続き、今週も、神戸店で九十分のベーシックコースのレッスンを受けた。ガンモは仕事の待機当番に当たっていたため、自宅で過ごすことになっていた。そこで私は、レッスンが終わったあと、お昼過ぎには帰宅するつもりで家を出た。先週は二分ばかり遅刻してしまい、悔しい思いをしてしまったので、同じ失敗を繰り返さないためにも、前回よりも早い時間に家を出た。その甲斐あって、今回は遅刻することなく無事にスタジオ入りすることができた。

 レッスン開始時間までにレッスンの準備が整っているのと、ほんの二分程度であってもレッスンに遅刻してしまうのとでは、レッスンを受けているときの気持ちがまったく異なって来る。前者は、最初から自分のペースでレッスンを受けることができるが、後者は、まるで吐く息と吸う息を間違えたときのように自分のペースを取り戻すのに時間が掛かってしまう。きっと、初めから自分のペースで動かなければ、何ごともうまく行かない仕組みになっているのだ。

 受付で、前回、顔を合わさなかったスタッフの方が、
「午前中に来られるのは珍しいですね」
と声を掛けてくださったので、私は、
「ベーシックコースに戻って、もう一度やり直そうと思いまして」
と答えた。私が受けるコースを変える度に、スタッフの方が気に掛けてくださるのはうれしい。

 今回も、前回と同様、吉本興業のインストラクターがレッスンを担当してくださり、明るく楽しいレッスンとなった。一緒にレッスンを受けていた人たちの様子を鏡越しに観察していると、レッスンに参加されているのは、前回とほぼ同じ顔ぶれのようだった。やはり、年齢層が低い。前回のレッスンでは、ベーシックコースのポーズを思い出すことができずに、多少の戸惑いを感じてしまった私だったが、ようやく調子を取り戻したのか、私らしいポーズを取ることができた。

 ただ、これまで参加して来たレッスンに比べると、汗のかき具合がまったく違っているのを感じる。脂肪燃焼コース2では、ウォーミングアップの太陽礼拝のポーズの段階から既に汗だくになってしまうが、ベーシックコースのウォーミングアップで行うおだやかなストレッチでは、じんわりと汗ばむ程度なのである。また、ストレッチのあと、本編に入っても、脂肪燃焼コース2のように汗が吹き出して来るようなこともない。ベーシックコースでは、じわじわとやって来るような、とても大人しい汗のかき方なのである。

 レッスンの途中、私はあることに気が付いた。それは、一緒にレッスンを受けている人たちの中には、ヨガとして、とても美しいポーズを取っている方たちがいるということだ。ベーシックコースは、ビギナーコースを卒業した人たちが進むコースだと思い込んでいたが、彼女たちのポーズの取り方の美しさからすると、もっと激しいコースに進むことなく、ベーシックコースにどっしりと腰を落ち着けている人も多いようである。ベーシックコースは、アクティヴコースや脂肪燃焼コースほど激しいポーズがないので、ポーズ美の追求に専念できるのかもしれない。

 シャワーを浴びたあと、着替えをしていると、またしても何かが足りないことに気が付いた。どうやら今回は、着替えのシャツを忘れて来てしまったようだ。ああ、またやってしまった。しかし、いつも致命的ではなく、ギリギリのところで助かっている。私は仕方なく、シャツを着ることなく、肌の上から直接フリースを着ることにした。ちょっぴりセクシーだった。

 ところで、前回のレッスンのあと、私はホットヨガからアンケート用紙を受け取っていた。そのアンケートとは、ホットヨガに一年以上通った会員に向けたものである。シャワーを浴びて着替えを済ませたあと、私はホットヨガのロビーに設置されたソファの周辺に荷物を置いて、ペンを持ってアンケートに答え始めた。私が回答したのは、およそ以下のような内容である。

Q.現在の目標は何ですか?

A.身体の歪を矯正することと、ホルモンバランスを整えること。

Q.ホットヨガを始めてから、改善されたことがありましたら教えてください。

A.肩こりが一気に解消された。

Q.ホットヨガの良いところは?

A.スタッフの方たちの気さくな雰囲気がいい。また、いろいろな支店でレッスンを受けられるのも楽しい。

Q.これから取り入れて欲しいレッスンは?

A.特別レッスンにあったようなバレエヨガ。

Q.今後のホットヨガに望むことは?

A.梅田店のように男性会員を受け入れるスタジオを増やして欲しい。レッスン後に、参加者がインストラクターにレッスンの感想を述べる機会を持って欲しい。

 「名前を覚えてくださっているのがうれしいので、私もインストラクターの皆さんの名前を覚えています」とは書かなかった。ひょっとすると私は、表裏のある人間かもしれない。 

 アンケート用紙に回答を記入している間に、私と同じベーシックコースでレッスンを受けていた人たちが次々に帰宅され、スタッフの方たちの会話が、お仕事モードから次第に素に切り替わって行くのを感じた。そうした会話の中で、あるスタッフの方がニックネームで呼ばれているのが聞こえて来て、私はそれをとても微笑ましく思った。何故なら、お仕事モードでは決して聞くことのできない会話だったからだ。私は、生まれてからこのかた、学生時代もずっと共学だった。おまけに、加入していたサークルや職場ではむしろ男性のほうが多い環境にいるので、女性ばかりの職場の雰囲気を想像することができない。そのため、女性だけの職場に対する偏見があるのかもしれないが、女性だけの職場は競争心が生まれ易く、なかなかうまく行かないのではないかと想像していたのだ。しかし、ホットヨガの雰囲気は違うのだとわかった。例え女性の多い職場であっても、第三者から見ても心地良い雰囲気が伝わって来るのは、どこかに属することで安心するのではなく、自立した人たちの集まりだからなのだろう。

 しばらくして、ニックネームで呼ばれていたスタッフの方が私の近くまで来られたときに、
「さっき、ニックネームで呼ばれていましたよね?」
と尋ねてみた。すると、そのスタッフは、そのニックネームは自分の苗字から来ていると教えてくれた。「はいはい、知っていますとも。私のシステム手帳には、ちゃんとあなたの名前が書かれていますからね」という心の中の気持ちは言葉に出さなかった。

 それからニックネームの話になり、さきほどの吉本興業のインストラクターが意外なニックネームで呼ばれていることがわかった。そのニックネームは、彼女の携帯電話のアドレスにも使われているそうだ。こうした情報も、しっかりと私のシステム手帳に書き込んでおかなければ。

 ホットヨガのスタジオを出る頃、ガンモから私の携帯電話に連絡が入った。自宅で待機していたガンモだったが、コールセンタから呼び出しが掛かり、これから客先に向かうことになったと言う。なるほど、そういうことならば、私は映画を観て帰ろうか。そう思いつつ、先に「ガンまる日記」を書き上げたあと、ガンモの仕事が終わるのを映画を観ながら待機し、仕事を終えたガンモと待ち合わせて帰宅したのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実はこの日、スタッフの方たちといろいろな話をしていたためか、ロッカーの鍵を返却するのを忘れてしまいました。ホットヨガのあるビルの中で昼食を食べているときにそのことに気付き、昼食を食べたあと、返却しに行こうと思っていました。ところが、たまたま飲食店街のエレベータのところでスタッフの方に会い、エレベータに乗り込もうとしているところを捕まえて、大急ぎで鍵を手渡しました。ちょうどお昼どきだったので、スタッフの方もお弁当を買いに降りて来られていたようです。着替えのシャツを忘れてしまったり、鍵を返却するのを忘れてしまっていたりと、何だか盛りだくさんなレッスンでありました。

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2007.11.02

免許証作成します

 私がメインで使用しているメールアドレスは、一九九四年からずっと使用し続けているものである。メールアドレスは、長く使えば使うほど、スパムメールが増えて来る。現在、私のメインアドレスには、一日およそ二百通程度のスパムメールが届いているが、そのほとんどは、プロバイダの提供する強力で優秀なスパムフィルタによってWebメールの迷惑メール専用フォルダに振り分けられ、私がメーラーを使ってメールを受信するときには、受信フォルダには入って来ない設定になっている。つまり、例え一日におよそ二百通程度のスパムメールが私のメインアドレスに届いていたとしても、わざわざWebメールにログインして、迷惑メール専用フォルダを参照しない限り、スパムメールには出会えないということである。今回は、そうした強力で優秀なスパムフィルタを掻い潜って、私の手元に届いたスパムメールを皆さんにご紹介しよう。

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Subject:免許証作成します

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■免許証作成■《年中無休》★完璧な仕上がりでスピード納品★

★最新版2007年6月より中型自動車免許の表記に対応★
★最新版2007年1月よりICタイプはIC無しで今までと同価格★
★業界最速納品※1日で完成、翌日お渡し★リピーター多数★
透かし有り、ブラックライト対応、チェックデジット対応。
お客様の希望の住所、氏名、生年月日で作成できます。
顔写真は画像をメールで送信してください。翌日完成します。
都内手渡し現金取引です。地方の場合は郵送納品可能です。
ご注文お待ちしています。

本名で生きていけなくなった方、何か黒い物から追われている方、
住所や年齢を変更して夜の仕事をしたい方など、相談多数。
ただし未成年者はお断りします。
■関連商品■印鑑証明、住民票、保険証、プリペイドケイタイ、
IC付パスポート(本物)←大特価大幅値下げ、卒業証明書、
給料明細、印鑑複製(印影から印鑑本体製作可能)、etc...
探し物ご相談ください。

▼△▼注文専用連絡先▼△▼
ほにゃらら@yahoo.co.jp

証明屋

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【メール送信代理】送信屋
★広告メール配信します★あなたのホームページを宣伝しませんか?
どのような内容でも『匿名』で配信可能。1通1円で3万通(3万円)
以上から受付。5万通配信で5万円、10万通配信で10万円。
1日最大100万通まで配信可能。配信先はPCアドレスのみ。
携帯アドレスには配信できません。常時1000万通のアドレス保持。
■注文連絡先■【送信屋】 ほにゃらら@yahoo.co.jp

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 何だかもう、見るからに怪しいメールである。私は免許証を持っていないので良くわからないのだが、ガンモの話では、「透かし有り、ブラックライト対応、チェックデジット対応」というのは、それなりの技術が必要らしい。そうした技術が横流しされ、このような商売が成り立っているのだろうか。仮にそうだとしても、こうした特殊な技術を持っているというだけで、人物が特定されることはないのだろうか。都内ならば、手渡しも可能ということなので、警察の誰かがおとり捜査で申し込んで、手渡しを希望すれば、すぐに御用となってしまうのではないだろうか。

 しかし、このメールの発信者は、免許証の他にも、パスポートなど、様々な証明書を偽造しているようである。最初からいくつもの技術が同時に完成して行くわけではないので、少なくともこのメールの発信者は、警察に御用になることもなく、ある程度、場数を踏んで来たと想像する。

 私はこのメールを読んで、少し前にDVDで鑑賞した映画『堕天使のパスポート』を思い出した。ロンドンに不法に移住した外国人たちが、偽のパスポートを手に入れるために、闇取引を行うというものだ。ロンドンの闇を描いた作品として話題になった映画である。

 私たちは、アイデンティティを証明するのに、何らかの証明書に頼ろうとする。つまり、個人と何らかの証明書を関連付けることによって、個人を特定しようとしている。もともと、同じ人間は二人といないはずなのに、個人の見せ掛けの特徴だけでは個人を特定することができないものだから、何らかの証明書に頼ってしまうのだろう。しかし実際は、このメールのように、個人を識別するための証明書が偽造される世の中になってしまった。

 それにしても、私たちは本当に、何らかの証明書に頼らなければ個人を特定することができないのだろうか。もともとそうした証明書でさえ、自己申告により作成されているものである。私の感覚からすれば、私たちがもともと生まれ持ったユニークなものと、後付の証明書が関連付けられるのは、実に不思議な気がするものである。

 私たちはしばしば夢の中で、現実とは異なる顔つきをした知人・友人が出て来たとしても、的確に識別していることに気付いているだろうか。一方、夢の中にまったく知らない人が登場すると、知らない人(まだ現世では出会っていない人)として、夢の中でちゃんと認識している。すなわち、これらの現象は、もともと私たちには、顔ではない何かで識別できる能力が備わっていることを証明していると思う。それは、魂を識別する能力かもしれない。しかし、今は、そのその識別能力が的確に使われていないために、何らかの証明書に頼ることになってしまっているようにも思える。

 もしも知人や友人に対する識別能力を多くの人たちで共有できるならば、更に、共有されるアイデンティティには偽りがないという約束のもとで共有が行われるのであれば、アイデンティティを証明するのに、何らかの証明書に頼る必要はなくなるだろう。

 信頼に値するのは、証明書ではなく、私たちがもともと持っている力だと私は考える。もともと持っている力を使わないから、このような偽物の証明書が出回ることになってしまっていると言えるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m おそらく、このような偽物が広く出回ってしまえば、世の中は混乱するでしょうね。そうした事態を想定し、私たちは一体、何を信頼すべきなのかという観点でこの記事を書いてみました。人間がもともと持っている力に、人工的なものは叶わないと、私は考えます。デジタルなものは次々に繋ぐことが実現されている現代ですが、人間がもともと持っているアナログの力も繋ぎ合わせられる世の中になればいいですね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2007.11.01

ライバル意識の相互作用

 ガンモは、先月受けたTOEICの成績が芳しくなかったらしく、少しばかり落ち込んでいた。継続的な学習を重ねることなく受験してしまったのだから、無理もない。結果は、私が過去に一度だけTOEICを受けたときの点数よりも、わずか十点ほど高いだけだった。かつてのガンモは、私よりもずっと高い点数を字キープしていたはずなのに、しばらく英語の学習を怠けているうちに、すっかり英語力が落ちてしまったらしい。

 安上がりな英語教材に書いたような経緯から、私もガンモと一緒に英語の勉強を始めようと思っていた。もともと私は英語が好きだったので、もっと英語を勉強して海外旅行でも困らないようにしたいと思っていたところだった。そこで私は、ガンモを奮い立たせるために先手を打って、少しずつ活動を始めたのだった。

 ソウルメイトの私たちは、一緒に過ごすことの心地良さに酔いしれてしまうと、安定的な現状以上のものを望まない傾向にある。家の中がすぐに散らかってしまうのも、一緒に過ごすことの心地良さに甘えてしまっているからだろう。その反面、私たちは互いの影響を受けやすいので、どちらかが奮起して英語の勉強を始めれば、もう片方にその意気込みが直ちに感染するという一面もある。なるほど、そうした特性をうまく生かせばいいのだ。

 私は、過去にどこかのサイトで、英語の究極的な学習方法を情報として販売している人が居たことを思い出した。その人は、ある方法で英語を学習し、TOEICの点数を着実に伸ばして行ったと言う。その情報はPDFファイルにまとめられていて、情報料として一万円近くの代金を支払った人にだけがそのPDFファイルを入手できるシステムになっていた。宣伝文句によれば、目からウロコが落ちるほどの有益な情報らしいが、私は何となく気が進まなかったので購入しなかった。しかし、ガンモと一緒に英語を頑張ろうと決めたとき、過去にそのような情報を販売している人が居たことを思い出したのだった。

 私はネットオークションで、同様の情報を検索してみた。すると、私が最初にインターネットで見つけた人と同じ人ではないが、英語の究極的な学習方法を情報として出品されている方が何人かいらっしゃった。ネットオークションでは、物品の売買だけでなく、こうした情報も出品されていることがある。例えば、コンサートチケットの予約番号なども、だいたい五百円程度で売られている。観たいコンサートのチケットの予約ができなかった人は、こうした出品者から予約番号を購入するという手もあるわけだ。

 私は、複数の出品者の中から、もっともリーズナブルな価格で、かつ、最も信頼のおける紹介文を書いている出品者から情報を購入した。複数の出品者の中からその方を選んだのは、その情報が八百円というリーズナブルな価格で、ノウハウ本を一冊購入するくらいの感覚で入札できたことと、オークションの商品情報に掲載されている日本語の表現が、購入を考えている人に対して押し付けがなく、とても好感が持てたからだ。

 取引が成立し、その方が実践されてTOEICで高得点を取得されたという英語の学習方法が記載されたPDFファイルが電子メールで送付されて来た。その方とのお約束があるために、その内容をここに書くことはできないが、確かに大変有益な情報だった。もともと、私たちがどのようにして日本語をマスターして来たかを考えてみると、納得の行く学習方法でもあった。

 私は早速、PDFファイルに書かれている方法で英語の勉強を始めた。すると、少しずつ達成感があって、何だか楽しいのだ。最近は、私の仕事が忙しいため、私のほうがガンモよりも帰宅時間が遅くなっている。しかし、私は帰宅するや否や、
「英語の勉強が楽しいんだよね」
などと言いながら、英語の学習グッズを取り出して、ガンモの前でわざと勉強を始めている。すると、私にライバル意識を持っているガンモは、おろおろしながら私の行動を見守る。私が英語のヒアリングに使用しているMP3を聞こうとすると、
「スピーカーに流して一緒に聞こうよ」
などと言う。その慌てぶりが妙におかしい。

 落札した英語学習法のPDFファイルが電子メールで送付されて来たときに、私はガンモのメールアドレスにもそのPDFファイルを転送したのだが、ガンモはガンモなりの学習方法でガンモに、いや、頑固に頑張っているらしい。しかし、どう見てもガンモの英語の勉強は楽しそうに見えない。楽しそうに見えないから、何だか英語を学習するのが義務であるかのように見えてしまう。

 英語に限らず、何かを習得したいと思ったとき、楽しいと思える実現方法に出会えたならば、それは好ましい結果に続いていると予測して良いのではないだろうか。また、何かを実現するのに、自分の許容する以上のお金が掛かってしまう場合は、その実現方法と自分とのバランスが取れていない兆候であるようにも思える。ちなみに、私が教材に使っているのは、相変わらず、百円均一で購入した英会話のCDとテキストである。これで十分やる気が出て来るのだから面白い。大切なのは教材の値段ではなく、教材をどのように使うかではないだろうか。

 私が働いている派遣会社の福利厚生サー日図には、割引価格で受けられるTOEICの試験もある。通常、六千六百十五円掛かるTOEICの試験を、わずか四千五百円で受けることができるのだ。私は早速、一ヶ月後に開催されるTOEICの試験を申し込んだ。ガンモも同じ頃、TOEICの試験を受けることになっている。この先、ガンモが私と同じ楽しい方法で英語学習を始めるかどうかはわからないが、果たして一ヶ月後に勝利を収めるのはどちらなのだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m PDFファイルに書かれていた英語の学習方法については、落札させていただいた方が販売されている情報であるため、ここには記載しませんでした。もしも興味のある方がいらっしゃいましたら、ネットオークションで検索してみてください。おそらく、現在も同じ情報を出品されていると思います。ガンモの会社が外資系であるために、私はガンモに負けないように英語の勉強に力を入れることができます。ガンモもまた、私が英語に興味を示すために、私に負けないように、英語の勉強に力を入れることができます。このように、お互いのライバル意識を刺激し合えると、お互いの向上に繋がって行くのでいい感じですね。

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