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2007.10.11

コンプレックスから役割へ

 島原のびっくり旅館で朝食をとったときのことである。私たちが朝食をいただいたのは、六畳くらいの広さの食事部屋だった。その部屋で、私たちを含めた五人が朝食をいただいた。おそらく、朝食の開始時間によって、部屋が分かれていたのではないかと思われる。私たちが下手(しもて)に座り、他の三人が上手(かみて)に座った。三人のうち二人は五十代後半と思われるご夫婦だった。

 朝食は、夜ほどたくさんの量はなく、ほどよいボリュームだった。ただ、知らない者同士が食卓を囲むので、何となく無口になる。私は気付かなかったのだが、もくもくと食べているうちに、隣で食べているガンモのお茶碗が空になったらしい。突然、上手に座っていたご夫婦の奥さんがガンモに向かって両手を差し出して、
「お替りいかがですか?」
と言ったのだ。お替りに対応するため、ご夫婦の後方には、ご飯の入ったお櫃が置かれていた。私は、「うわっ、しまった!」と思った。

 例え自分の夫でなくても、同じ場所で朝食をとっている男性のお茶碗の空き具合に注意を傾けるという気の効いた行為は、私には欠けてしまっている意識である。私は昔から、この手の状況にうまく対応することができない。例えば、飲み会の席でも、グラスが空いている人に甲斐甲斐しくお酒を勧めることができない。また、鍋物などの世話をするのも苦手である。みんなにお皿を配ったり、出来上がったお料理を小分けしてお皿に盛ったりする行為のも苦手なのだ。私がそれを実践しようとすると、まるで自分が偽善者になったような気がしてしまうのだ。

 例えば、自宅ならば、アバウトな盛り付けでも済ませられる。つまり、わざわざ小分けしなくても、一つのお皿に大盛りでいい。しかし、宴会となるとそうも行かない。心の中では、「アバウトでいいじゃん」と思っているのに、実際はアバウトにできないジレンマ。私はそんなジレンマを抱えているというのに、そうしたジレンマをものともせず、てきぱきと行動できてしまう人もいる。

 また、飲み会の席でなくても、例えば買い物をして両手が塞がっているときに、リュックを背負い直そうとすると、
「持っておこうか?」
とさりげなく声を掛けて、両手に持っている買い物袋を一時的に引き取ってくださる人もいる。私は、そういう親切に出会うと、自分には絶対に気付くことのできない領域だと思ってしまう。時には、自分の至らなさを見せ付けられてしまったような気がして、気後れしてしまうことさえある。実際は、そういう人の存在が、その場をうまく切り盛りする役割を果たしているというのに。

 おそらく私は、そうした状況に対し、てきぱきと行動できる人を前にして、コンプレックスを感じてしまうのだと思う。それは、女性性の欠如というコンプレックスだ。おそらく、そうしたコンプレックスを刺激されてしまうために、コンプレックスが明るみになってしまうのが怖いのだろう。

 実は、こうした気遣いができないというコンプレックスは、私にはずっと小さい頃からあった。私がこうしたコンプレックスを意識し始めたのは、二歳年下の従妹と比較されるようになってからだと思う。従妹は私と違って、料理が好き、裁縫も好きという実に家庭的な女の子だった。みんなが従妹のことを家庭的だと褒めるものだから、私はすっかりひねくれてしまい、その部分を伸ばそうとは思わなかった。私の母もまた、私とはまったく対照的で家庭的な人である。あまりにも家庭的な人が周りにいると、もともと家庭的でない人は、家庭的なことに対して自分の役割を見出そうとせず、反対にひねくれてしまうのではないだろうか。

 しかし、コンプレックスを抱くような出来事も、それぞれが役割を果たしていると考えることができれば、楽になれる。人がそれぞれ役割を持って生まれて来たのだとすれば、私の役割は、お茶碗が空いた男性にそっとお替りを勧める女性の役割ではないのではないか。宴会のときに、空いたグラスにお酒を勧める役割ではないのではないか。リュックを背負い直すときに荷物を持ってあげる役割ではないのではないか。そういう役割の人は、私以外に存在しているのではないか。

 役割を細かさに置き換えて考えてみよう。私の細かさの一つは、コンピュータ方面にある。例えば、日頃実践している細かさの一つに、メールヘッダの編集作業がある。私が参加しているメーリングリストには、メーリングリストのメールアドレスとは別に、登録されている一部の人にだけに届くメールアドレスがある。しかし、そのメールアドレスはメーリングリストとは連携していないため、登録されている一部の人たち全員にメールは届いても、そのメールに返信すると、メールの発信者にだけ返信メールが届いてしまう。何故なら、メーリングリストと違って、Reply-Toのヘッダが付加されていないからだ。そうなると、せっかく登録されている一部の人全員にメールが届いているのに、話の流れが読めなくなってしまう。私は、そのメールアドレスに届いたメールに返信するときは、わざわざReply-Toのヘッダを付加して、Reply-Toのヘッダに対し、登録されている一部の人だけに届くメールアドレスを設定して送信している。そうすることによって、そのメールに返信すると、登録されている一部の人全員にメールが届くようになるからだ。しかし、そうしたことに細かくない人は、わざわざメールヘッダを編集したりしない。だから、私の役割は、こうした不便さに対応しようとするところにあると思っている。他の人が細かくはなれないが、私が細かくなれるところに、私の役割があるのだ。

 「お替りいかが?」と声を掛けてくださった奥さんが、メールヘッダに注目しているとは思えない。この広い世の中で、みんながみんな、同じことをしなければいけないわけではないのだ。何かの細かさが欠けているからと言って、気後れする必要もない。みんなそれぞれ役割を持って生きているだけだ。そう考えると、コンプレックスを抱えていることも楽になった。コンプレックスを抱えている人は、その役割を持っている人に遠慮なくお任せしてしまえばいいのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモと私の相性は、コンプレックスに対して気後れしない相性だと思います。ガンモは私に「お替りいかが?」のような女性性を求めません。そういう相性がソウルメイトなのかもしれません。そうなると、ないものを無理に求めようとする相性がカルマの相性で、ないものをカバーし合う相性がツインソウル。こんな感じでいかがでしょうか。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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