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2007.10.26

映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』

 これは、shisyun氏のエディット・ピアフ~愛の讃歌~へのトラックバックである。

 私は、気に入ったブログがあると、すべての記事にくまなく目を通す。shisyun氏の空想俳人日記も、そんな読み応えのあるブログの一つだ。特に、エディット・ピアフ~愛の讃歌~の記事を拝見したとき、私は彼の分析力にうなり、洗練された文章に打ち震えた。その記事を賞賛するつもりで書き込んだコメントに、shisyun氏は、いつものようにそっけない返事をくれた。何だ? 私は記事を賞賛したのだぞ? shisyun氏は、記事の賞賛に対するコメントは一切書かず、映画を観ろと言う。映画を観たshisyun氏に、ここまでの記事を書かせる映画とは、果たしてどんな映画なのだろう。私はそう思い、派遣会社の福利厚生のページから、この映画の鑑賞券を申し込んだのだった。

 この映画は、エディット・ピアフというシャンソン歌手の生涯の一部分にスポットを当てた伝記映画である。恥ずかしながら、私はエディット・ピアフというシャンソン歌手を知らない。しかし、映画の中で流れていた『愛の賛歌』は何度となく耳にしたことのある曲だった。たったそれだけの予備知識しかなくても、二時間二十分という比較的長い映画の中で、私は一人の女性の生き様を最後まで見守ることができた。

 ただ、最初のうちは、この映画の構成に少し戸惑ってしまったのも事実である。というのも、ストーリーが時系列に並べられていないからだ。過去と未来が行ったり来たりする。しかし、何故、時系列に並べられていないかは、映画の最後のほうでようやくわかる。私たちは死に行くときに、走馬灯のようにその人生を振り返ると言われている。おそらくこの映画は、死の床に就いたエディット・ピアフの回想そのものなのではないだろうか。

 パリで生まれたエディットは、決して裕福ではない環境で育った。夫婦仲が良くなかったのか、最初のうちは母だけに育てられていたエディットだったが、母娘二人だけの生活とは言え、母からの愛情をたっぷりと受けていたわけではなかった。あるときエディットは、父に引き取られることになり、祖母の経営する娼婦宿にいったん預けられる。娼婦宿では、とりわけティティーヌという娼婦から、実の母から与えられることのなかった愛情をたっぷりと受けながら育った。幼少の頃、エディットは一時的に目が見えなくなってしまったようだが、のちに見えるようになる。

 やがて大道芸人の父が迎えに来て、エディットは娼婦宿を離れることになる。このときのエディットとティティーヌを引き裂くシーンは、互いに相手を必要としている存在だと認識していただけに、ひどく胸が痛んだ。娼婦宿を離れたエディットは、父とともにサーカスに入団するが、父がサーカスを退団することになったために、路上で芸を披露しながら生活することになってしまう。

 実際に、路上で芸を披露しながら生きて行けるのだろうかと心配になってしまうのだが、映画のシーンからも、パリの人たちはとても寛大だった。彼らの芸を鑑賞している人たちも、決して裕福な生活を送っているわけではないはずなのに、自分を楽しませてくれた芸に対しては、きちんと対価を払うのである。夏休みに出掛けたロンドンでも、たくさんの大道芸人さんたちが路上で芸を披露されていて、彼らに楽しませてもらったと感じた通行人たちは、大道芸人さんに惜しみなく対価を支払っていた。このように、ヨーロッパには、一般の人たちにも芸術を受け入れる余裕があるために、芸術が育ち易いのかもしれない。

 この映画の中でも、路上で歌うエディットの営業活動に対し、注意を促す警官が登場するが、自分の望むを歌えば見逃してやるとその警官は言う。どんなに余裕がなくても、芸術を受け入れる余裕だけは残している。私はこの映画の中からも、パリに住む人々のそんな心の余裕を感じ取った。

 路上で少しずつお金を稼げるようになった頃、エディットは実の母と再会する。そのシーンに見られるのは、母と娘の久しぶりの再会の喜びではなく、母が娘にお金をせびるという信じられない光景だ。私は、歌が好きだった母が、娘の才能に嫉妬しているのだとわかった。エディットの母もまた、路上で歌を歌いながら、生活を支えようとした時代があったのだ。エディットは、そんな母に育てられて来た。母にしてみれば、自分も好きな歌で食べて行きたかったのだろう。しかし、自分は成功しなかったのに、娘は自分から受け継いだであろう才能を生かして成功しつつある。実の娘に対するそんな嫉妬の気持ちが、娘にお金をせびるという荒い行為に現れているのだと思った。

 路上で歌っていたエディットは、キャバレーのオーナーに見出され、ステージに立つようになる。そこから、彼女の歌手としての人生がスタートすることになり、次第にフランス中に知れ渡るほどの偉大な歌手へと成長して行く。私には、最初のキャバレーで出会った人たちが、長きに渡ってエディットの良き仕事のパートナーであり続けたように思えた。彼女が出会った人たちは、彼女の財産だ。

 やがて、名声を得たエディットが、スタッフの人たちと豪快に食事をするシーンが映し出される。そこには、かつて、金銭的に余裕がなかった頃のエディットの姿はない。まるで、お店ごと買い占めてしまわんばかりの勢いだ。それは、金銭的に余裕のなかった時代への反動かもしれない。

 この映画では、エディットにとっての、一生の恋も描かれている。プロボクサーであるマルセル・セルダンとの恋である。マルセル・セルダンには妻子が居たが、エディットとは公認の仲だったらしい。これまで固かったエディットの表情が、マルセルとのシーンでは一気にほころんでいる。エディットを演じているマリオン・コティヤールは、「本当に同一人物だろうか?」と思ってしまうほど、幅のある演技をする人だ。エディットの若い頃も、病気に侵されてしまった晩年も、魂を震わせながら一生懸命歌うシーンも、おどおどしたシーンも、売れてわがままに振る舞うシーンも、マルセルに恋するシーンも、また、悲しむシーンも、見事に演じ切っていた。

 私は、エディットが海辺で編み物をするシーンが最も印象に残っている。おそらく、エディットにとっての海辺は、飛行機事故で亡くなってしまったマルセルに最も近い場所に相当するのではないだろうか。亡きマルセルに最も近い場所で、大好きな編み物をするのが、晩年のエディットにとって一番落ち着く時間だったのだろう。

 名声を得ても、客観的に見ると、決して幸せだったとは言い切れないエディットの人生。それでも、『水に流して』の曲の中でも歌われている通り、彼女はきっと自分の人生を後悔はしていない。私は、彼女の『水に流して』という曲の中に、映画『千と千尋の神隠し』の『いつも何度でも』に通じる精神を感じ取った。辛いこともうれしいことも、過ぎ去ってしまえば同じこと。それは、自分の人生に起こっていることから逃げ出さずに、良いことも悪いことも受け入れ続けて来たからこそ言える言葉だと思う。

社会の中で女性が得たものと失ったものの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m このような記事を書いておきながらも、私は今の自分の生き方を後悔してはいません。むしろ、社会の中に、自分の役割があったのだろうと思っています。ところで、I医師のところに行って参りました。そのときの模様を綴るのは、もう少し先のことになりそうなので、先に結論だけお伝えしておきますね。私はまだ手術を受けません。詳細については、後日、記事の中でご報告させていただこうと思っています。それから、電子メールや掲示板にコメントをいただいていますが、返信が遅れてしまい、申し訳ありません。特に筋腫仲間のRさん、いつも見守ってくださって、ありがとうございます。m(__)m それから、千絵さんも、いつも読んでくださっているそうで、ありがとうございます。m(__)m 少しずつ返信させていただきますので、もう少しお時間をくだされば幸いです。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅くなり、申し訳ありません。レビューの中に書き切れなかったことがたくさんあります。筋腫持ちの私は、トイレがとても近いので、二時間二十分という上映時間に耐えられず、上映中にトイレに立ってしまいました。トイレに立つ前までは、トイレに行きたい気持ちが先立って、映画を集中して観ることができなかったのですが、思い切ってトイレに立って良かったと思いました。何事も決断ですね。(苦笑)この映画を観て、本当に、走馬灯のように彼女の人生に立ち会いました。人生の終わりは、彼女が歌っていた『水に流して』のようでありたいものです。人生が『水に流して』のようなものであると感じられるならば、自分に迫り来る死さえも受け入れる覚悟ができるのかもしれません。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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受信: 2007.10.29 06:41

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