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2007年10月

2007.10.31

父ちゃんの逆襲

縁の下の力持ちの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私は高校時代、演劇部に所属していたのですが、文化祭で公演するときに、衣装を縫ってくれた裏方さんたちがいたことを思い出しました。彼女たちは、自分たちが舞台に立つことよりも、裏方として文化祭に参加することを選んだのですね。コンサートでも、演劇でも、舞台に立つ側は直接的な喜びを感じますが、裏方さんたちが感じるであろう喜びは、間接的な喜びと言えるのではないでしょうか。そうした視点で見ると、ソフトウェアを製作するという私の現在の仕事も、間接的な喜びを体験する仕事なのかもしれません。

 TKMYとキッコロの間に生まれたジェットは、ガンモが高い高ーいをして、外の世界への好奇心を掻き立てたにもかかわらず、なかなか飛行練習を始めようとはしなかった。ときどきベランダから、ジェットの姿が見えなくなっていたので、ようやくどこかに飛び立って行ったのかと思っていると、ジェットは何と、父ちゃんと母ちゃんの間に生まれた雛たちの巣に遊びに行き、糞の中に混じっている餌を突付いて食べているようだった。どうやら、餌の中には消化できない粒があるらしく、ジェットは、父ちゃんたちの巣の周りの糞に混じっているそれらの粒を突付いて食べていたのだ。父ちゃん、母ちゃんは、ジェットが自分たちの巣に進入していることに気付くと、ジェットを嘴(くちばし)で突付き出した。

 父ちゃん、母ちゃんは、突付き出しているジェットが自分たちの孫だということがわかっているのだろうか。どうやらわかっていないらしい。というよりも、人間社会のように、血縁と愛情が直結する社会ではないのかもしれない。父ちゃん、母ちゃんは、自分たちの子供であるTKMYに対してさえ、TKMYが一人立ちしてしまってからは、もはや餌を争う敵同士なのである。人間のように、宅配便で時々娘に食料品を送り届けたりはしないのだ。父ちゃん、母ちゃんは、私たちの与える餌が自分たちの縄張りの餌だと思っているらしく、一人立ちしていない自分たちの雛以外が餌を食べようとすると怒り出し、突付いたり、鳩パンチをくらわすのだった。

 ところで、荒くれ者だったはずのキッコロは、大変な子煩悩だということがわかって来た。もともとキッコロは、人間で言うと硬派な兄ちゃんだった。それが、母性たっぷりのTKMYと結婚してジェットが生まれてからは、せっせとジェットの世話をしている。キッコロは、鳩の夫婦がしばしばそうするように、ジェットの頭の周りを嘴でチョンチョン、チョンチョンと優しく突付く。その間、ジェットはとても気持ち良さそうに目を瞑っている。その姿がとても微笑ましい。しかし、これまでの鳩の習性からすれば、こうしてキッコロがジェットに構うのも、時間の問題である。

 あるとき、私が洗面所で布ナプキンを洗っていると、ガンモが、
「父ちゃんに噛み付かれた!」
と言いながら、洗面所に駆け込んで来た。驚いた私が、
「どうしたの?」
と尋ねると、父ちゃん、母ちゃんがジェットに対して威圧的な態度を取るので、ジェットにだけ餌を与えたという。ガンモは、ジェットが餌を食べている間に、父ちゃん、母ちゃんが寄って来ないように、餌を食べているジェットを両手でガードしていたらしい。すると、餌をもらえない父ちゃんが怒り出し、嘴でガンモに噛み付いたそうだ。

 現在、父ちゃん、母ちゃんは、二羽の雛を育てているために、ひどくお腹を空かせている。朝、私たちが台所に立つと、餌をくれと言わんばかりに、台所のガラス戸に体当たりして来るほどである。私たちが餌を与えると、父ちゃん、母ちゃんを始め、キッコロ、TKMY、ジェットまでが、我先にと餌箱を突付き始める。特に、若いジェットは、羽を広げながら、自分のスペースを確保しようとする。お腹を空かせている鳩は怖いもの知らずだ。父ちゃんがガンモに噛み付いたのも、空腹から逃れたい一心からだったのだろう。何しろ、子育てをしているときの父ちゃん、母ちゃんは、自分たちが食べたあと、餌をねだる雛たちのためにすぐにピジョンミルクを出しているからである。

 ガンモは、殺菌効果のある石鹸で手をきれいに洗ったあと、いったん寝室に戻ったのだが、ガンモが寝室に戻ってからしばらくすると、寝室からガンモの悲鳴のようなものが聞こえて来た。一体何ごとかと思い、慌てて駆けつけてみると、
「父ちゃんにやられた!」
とガンモが言うではないか。ガンモに言われるまでもなく、すぐにガンモのほうを見てみると、ガンモの着ている白いYシャツの左手の袖辺りに、鳩の糞がべっちょりと付着しているのが見えた。さきほど、洗面所で見たときに気付かなかったのが不思議なくらいだ。ガンモは急いでYシャツを脱いだ。私はそのYシャツを洗面所に持って行き、さきほどまで使っていた女性専用洗剤をガンモのYシャツにふりかけておいた。まだ新しいYシャツなので、秋ものの新作パジャマには早過ぎるなどと思いながら。

 これまで、父ちゃん、母ちゃんに対しては友好的に接していたのに、今回、子育てのためにお腹を空かせている父ちゃん、母ちゃんを差し置いて、ジェットにだけ餌を与えたことにより、ガンモは父ちゃんの逆襲を受けることになってしまった。もちろん、噛み付かれたと言っても、すぐに仲直りできる程度のものである。子育てをしてお腹を空かせている時期の鳩には、要注意である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今日の味方が明日の敵になるというのは、自然界では当たり前のことなのかもしれません。過去のポジティヴな感情を蓄積させない分、動物たちとの関わりは実にさっぱりしたものですね。今日の味方が明日の敵になるように、今日の敵が明日の味方になるのでしょうか。以前、人間に一番近い動物は犬だということを『シルバー・バーチの霊言集』で読んだことがありますが、犬は見るからに、過去のポジティヴな感情を蓄積していますよね。今頃になって、妙に納得しています。私がとりわけ犬好きなのは、そういうところから来ているのかもしれません。もちろん、私自身も、過去のポジティヴな感情をどんどん蓄積して行きたいと思っています。

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2007.10.30

縁の下の力持ち

ああ、お代官様!の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私と同じように、子宮筋腫を抱えながらも、医師に漢方薬を処方していただけない方もいらっしゃるかもしれませんので、以前、私が参考にしていたサイトをご紹介しておきますね。[筋腫] というページです。どこに筋腫があるか、また、どんな症状が現れているかによって、服用する漢方薬が分かれています。私の場合は、便秘でないことを除けば、まさしくタイプ1が当てはまっていたので、インターネットで桂枝茯苓を購入するに至りました。ご参考になれば幸いです。

 土曜日は、全部で三つのイベントが控えていた。午前中のホットヨガのレッスンと、午後からのI医師の診察、そして、夕方からの好きなアーチストのコンサートである。

 I医師の診察を終えた私は、ガンモと神戸で待ち合わせをして、少し遅めの昼食をとった。鬼嫁の追試の後悔から、私はガンモの顔を見る度にガンモに
「ガンモ、ゆうべはごめんね」
と何度も何度も謝っていた。一方、ガンモはと言うと、過ぎたことはもはや気にしていないようだった。昼食をとった私たちは、少しショッピングを楽しんだあと、コンサート会場へと向かった。

 コンサート会場は、私がしばしば映画を観ている映画館と同じビルの中にある。大震災のあと、建て替えられたその近代的な建物は、私の好きな空間の一つだ。再MRIと贅沢な時間にも書いた通り、映画館のある上位階には、人口的に作られた円形の庭があり、周辺にはベンチも設置されていて、とてもくつろげるスペースになっている。私は映画の待ち時間に、人口庭の周辺に設置されたベンチに座って、持ち込んだお弁当を食べるのが大好きだ。そんな、私のお気に入りの空間のある会館に、今年も私の好きなアーチストがやって来た。秋になると、彼らは毎年のように、その会館でコンサートを開いているのだ。

 入場するために入口に進んでみると、入口の左手にたくさんの人たちが列を作って並んでいるのが見えた。一体何ごとだろうと思っていると、どうやら立見の人たちが順番待ちをしているらしい。こんな大きな会館で立見? 会場は確か、三階席まである大きな会館ではなかっただろうか? かつて私も三階の最前列の席に当たったことがあり、高所恐怖症のため、ぶるぶると震えながらステージを見下ろした記憶がある。それほど大きな会館のはずなのに、これだけの立見客が出ているとは、驚きだった。最近、テレビを見なくなったので、彼らが世間からどの程度、注目されているか、良くわからない。どうやら、メディアにはたくさん登場しているらしいのだが。

 私たちの席は、一階席の比較的後ろのほうだった。この会館は、一階席の後ろの方でも良く見えるように設計されている。また、客席の両端には、オペラハウスを思わせるような、少しせり出した特別席が用意されている。私の友人は、その特別席のせり出した部分が味噌汁の御椀をカットしたような形をしているので、それらの席のことを味噌汁と呼んでいた。私は、この会館でコンサートが行われる度に、味噌汁の席に当たることを期待しているのだが、これまで一度も当たったことがない。味噌汁の席は、競争率の高い選ばれし席なのだ。

 コンサートが始まり、会場内に音が響き渡ったとき、私は「あっ」と思った。いつもよりも音質が良くない。彼らのステージは、音の良さに信頼を置いていたのに、今回はどうしたのだろう。音がクリアでなく、凹凸を持っていない。しかし、三時間余りの公演に耳を傾けているうちに、平坦な音にすっかり耳が慣れてしまった。今回のコンサートでは、アコースティックなサウンドがクローズアップされることが少ないために、音の表現方法を変えていたのかもしれない。

 ところで私たちは、一緒にコンサートに参加すると、隣同士で手を繋いでリズムを取る。拳を振り上げるときは、手を繋いだまま一緒に振り上げる。これは、ガンモと結婚して実現できたことの一つだ。ガンモとコンサートに一緒に足を運んでいると、周りからうらやましがられることもある。彼らのコンサートは独特の世界を持っているため、夫婦で一緒に足を運んだとしても、ほとんどの男性はコンサートの雰囲気になかなか馴染むことができずに挫折してしまうらしい。

 ガンモは、コンサートに足を運んでいる人たちの人間ウォッチングをするのが大好きだ。コンサートに参加している人たちの一生懸命の姿を観察しては、しばしば感動している。ガンモが挫折感を感じることなく、私と一緒にコンサートに通い続けているのは、彼らのコンサートに命を燃やしながら遠征している人たちの姿を見守って来たからかもしれない。今回、立見の人たちが多かったのも、関西在住の参加者だけでなく、週末を利用して他の地域からわざわざ遠征して来られる方が多かったからだと思う。ガンモも私も、そんな情熱に触れるのが大好きなのだ。今回のライブで顔を合わせた友人も、わざわざ四国から日帰りで参加していた。コンサートを終えて帰宅すると、午前一時頃になるというのに。

 コンサートを終えて、近くの飲食店で晩御飯を食べたあと、駅に向かうためにさきほどの会館の裏手を通った。すると、そこでは、さきほどのコンサートで使われたステージセットを解体し、せっせとトラックに詰め込んでいるスタッフの姿があった。翌日も、関西地方の別の場所でコンサートが予定されているため、スタッフは夜のうちにステージセットを解体し、ツアートラックで次の場所に運び出すことになる。コンサートを終えたあとにステージを解体するのだから、すべての解体が終わるのは、少なく見積もっても二十三時を過ぎるのではないだろうか。それから夜のうちにツアートラックを走らせて次の場所に移動するのだから、かなり肉体的にも厳しい作業である。しかも、彼らは解体専門ではなく、コンサート前に組み立てにも携わっているはずだ。ということは、翌日のコンサートの開始時間に間に合うように、今度はステージセットを組み立てなければならない。ほんの三時間余りの公演のために、いつもこれだけの人たちの力が働いていたのだった。良く見ると、彼らのツアートラックは、全部で五台もあった。かつては四トントラック二台だけで全国を回っていたはずなのに、いつの間に五台にもなったのだろう。

 私たちは普段、美しく組みあがった舞台だけを見て来た。しかし、こうして裏手に回ってみれば、こんな縁の下の力持ちのスタッフが活躍していたのだ。私たちが支払うチケット代金は、彼らの働きに対しても支払われているはずだ。そう思うと、かつては二千円代で鑑賞できていたコンサートが、今では七千円近い金額に値上がりしてしまっていることも、決して高い金額ではないと思えるのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m コンサートのスタッフは、体力を使う上に仕事も不規則ですよね。そんなスタッフたちの力があってこそ、美しいステージが成り立っていることを、私はいつの間にか忘れてしまっていました。私たちは美しいものばかりを見ていますが、美しいものの裏には、苦労しているスタッフの力があるということを、常に忘れずにいたいと思います。

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2007.10.29

ああ、お代官様!

ホットヨガ(七十五回目)の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ベーシックコースで身体の歪みを矯正するという目的もさることながら、実は、朝十時からのレッスンであることも気に入っています。(^^) ヨガは午前中に行うのが身体にいいと聞いたことがありますし、レッスンを終えたあとの時間がすべて自分のものになるということもうれしいですね。

 I医師には、四週間分の漢方薬を処方していただいていた。その漢方薬が切れる頃、私は再びI医師の元を訪れることになっていた。そのときまでに、私は手術を受けるかどうか、決めておかなければならなかった。

 I医師の診察を目前にしたある夜のことである。私は寝室でガンモと話をしていた。もうすぐI医師の診察の日なので、手術を受けるかどうか、決めておかなければならないと私が言うと、ガンモが、
「手術、怖い。全身麻酔から覚めなかったらどうするの?」
と言った。私はそれを聞いた途端、まるでスイッチが入ったように涙が溢れて来た。そう、これが私たちの真実だった。ガンモの言葉は、私の感情そのものだった。愛し合う男女がいて、どちらかが医師から手術を勧められてはいるものの、命に関わるほどの症状ではないとわかっているときに、愛し合う二人はどのような決断を下すのだろうか。やはり、愛する人の身体が切り刻まれることを想像して、恐ろしくなってしまうものだろう。そのような状況を想像しただけでも、耐えられないのではないだろうか。何故なら、愛し合う二人においては、手術の恐ろしさが自分のものとなるからである。私たちは、手術はしないとI医師に宣言することを心に決めて、その当日を迎えた。

 I医師が診察を行っている病院は、ホットヨガのスタジオから早歩きでおよそ十分余り歩いたところにある。私はずんずん歩いて病院に着いた。前回もそうだったが、I医師の診察を受けるときは、気持ちがとてもリラックスしている。わざわざ頭の中で、これからの展開を予想した台本を練らなくても良いのだ。

 受付を済ませて、ふかふかしたソファの上でしばらく待っていると、名前が呼ばれ、受付のすぐ上の階にある婦人科の待合室で待つよう、案内された。そのとき、私の他にもう一人、一緒に案内された患者さんが居た。問診票を書き込んでいたことからすると、どうやらその方は初診らしい。まさしく、前回の私である。その方と一緒にエレベータに乗って婦人科の待合室に移動したのだが、不思議なことに、もしも私がその方よりも先に呼ばれてしまったとしたら、その方に申し訳ないような気持ちになっていた。

 これまでは、大きな病院で十数人の患者さんたちが順番待ちをしている待合室で、自分の名前が呼ばれるのをひたすら待ち続けていた。大きな病院は、詰め込み式なのか、三十分単位で何人もの患者さんの予約を受け付けている。しかも、予約なしに、当日、来院される方たちも受け入れているので、午前十一時頃になると、診察時間がどんどんずれ込んでしまい、待ち行列が更に長くなってしまう。午前十一時を過ぎた段階で、まだ午前十時台の予約の方を診察していることなど、日常茶飯事だった。とにかく、順番待ちの行列がいつも長いものだから、どうか、できる限り自分の名前が早く呼ばれますようにと願っていたものだった。しかし、今回のように、待合室で待っている人が一人だけとなると、自分が先に呼ばれてしまうのは申し訳ないような気持ちになってしまうから不思議である。私たちは、関わる人数が少なければ少ないほど、関わる人を尊重する傾向にあるようだ。

 診察室からは、看護婦さんとI医師のやりとりが聞こえて来る。その声が聞こえて来るということは、ここで待っている人たちに、私の診察内容が聞かれるかもしれないということでもある。しかし、そんなことはあまり気にならなかった。やがて、診察室のドアが開いて、看護婦さんが私の名前を呼んでくださった。私は初診ではなかったので、それほど時間も掛からないと判断されたのだろう。私は、もう一人の方に軽く挨拶をしてから診察室に入った。

 I医師は、紙コップに飲み物を注いで飲んでいたようだ。I医師は、午前中いっぱいは、私の職場近くの病院で診察されているはずだが、お昼ご飯を食べる時間はあるのだろうか。確か前回もそんなことが気になっていた。以前、通っていた病院でも、午前中の診察が午後までずれ込んでしまったときに、医師が遅い昼食をとろうとしている現場に出くわしたことがある。午前中のうちに病院に出向いたのに、お昼頃になってもまだまだ時間が掛かると言われたので、病院の食堂でお昼ご飯を食べたあと、更に待合室で待っていると、スタッフの方が医師に出前を運んで来たのだ。時間にして、午後二時くらいだったのではないだろうか。お腹を空かせたまま仕事をすることができない私からすれば、お昼ご飯を食べることもままならない医師という職業は、想像以上に過酷な仕事だと思ってしまったのだった。もちろん、お昼ご飯を食べられないこと以上に、大変なことのほうが多いには違いないのだが。

 まず始めに、私はI医師に、
「やはり、考えてみたのですが、手術は怖いので、どうしても決心がつきませんでした」
と言った。私は、宿題をして来なかった小学生のような気持ちになっていたのだが、I医師はそれをさらりと流して、カルテを見ながら、
「桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)はどうですか?」
と尋ねてくださった。私は、
「はい、服用し始めてからは、ずいぶんお腹が温かくなりました。でも、飲み始めの頃は、筋腫が騒ぎ出すと言うか、痛みを感じることが多かったですが、今は落ち着いています」
と答えた。I医師は、私が桂枝茯苓丸を飲み始めてから痛みを感じたことに納得されていたようだった。特に説明はなかったが、I医師の反応から、桂枝茯苓丸の服用により、痛みを感じるのは、患者から初めて聞かされた症状ではなさそうだった。それは、桂枝茯苓丸が適切に作用しているということなのだろうか。私は更に、
「あと、慣れるまではとても眠かったのですが、眠くなるということはないのでしょうか?」
と尋ねた。実は、飲み始めてしばらくは、仕事中も眠くてたまらなかったのだ。しかし、インターネットを調べてみても、漢方薬で眠くなるという事例はなく、むしろ、漢方薬では眠くならないと書かれていることのほうが多いくらいだった。I医師も、
「それはわかりませんねえ」
と笑いながらおっしゃっていた。

 生理の話になったとき、
「実は、処方していただいてから、まだ生理が来ていないんです」
と私はI医師に言った。確か、前回、I医師の診察を受けたとき、生理の二日目だった。それから四週間経ってはいるものの、私の生理は今にも始まりそうでいて、まだ始まっていなかった。I医師は、前回、私が記入した問診票を見ながら、
「そうやね。前回の生理は○月○日からやから、もうそろそろやね。では、桂枝茯苓丸を服用しながら、もう少し生理の様子を見てみますか」
とおっしゃってくださったのだ。ああ、お代官様! ありがとうございます! 宿題をして来なかった小学生は、お代官様に年貢を少なくしてもらった農民に変わっていた。

 私は、漢方薬のことで少し気になっていたことがあったので、I医師に尋ねてみた。
「血流が良くなる分、出血の量が増えたりしないのでしょうか?」
以前、インターネットで桂枝茯苓丸の煎じ薬を購入して服用していた頃の記憶によれば、桂枝茯苓丸の服用中は生理の出血の量が少なかったはずだ。今回はエキス剤とは言え、同じ桂枝茯苓丸なので、おそらく同じ効果をもたらしてくれるはずだが、漢方薬で経血の量が増えたという話も聞き、気になっていたのだ。I医師は、
「そんなことありませんよ」
と、まるでばかげた話でも聞くように、首を振りながら否定した。確かに、前回、桂枝茯苓丸を処方していただくときに、
「これでしばらく生理のときの出血の様子を見ましょうか」
と言ってくださったはずである。つまり、私にとっての桂枝茯苓丸は、月経過多を和らげるための役割を持っていたはずだった。だから、私はこのまま、桂枝茯苓丸を服用し続けて生理の様子を見守る必要があるのだ。

 I医師は、
「子宮鏡手術のこととか、膣式子宮全摘手術のことは、この前に話しましたよね?」
と私に尋ねてくださった。私は、膣式子宮全摘手術の説明を受けた記憶はあまり残っていなかったが、あとでI医師のホームページで確認しておこうと思い、
「はい」
と答えた。私は参考までに、
「膣式子宮全摘手術の場合も、仕事の復帰まで一ヶ月くらい掛かるのでしょうか?」
と尋ねてみた。すると、I医師は、
「三週間くらいですかね。まあ、一ヶ月休んでもらってもいいけどね」
と答えた。それを聞いた私はおかしくなって、「わはは」と笑った。I医師が、「まあ、一ヶ月休んでもらってもいいけどね」と付け加えたことが、妙におかしかったのだ。

 私は、更に二ヶ月分の桂枝茯苓丸を処方していただき、八週間後に次回の診察の予約を入れて、病院をあとにした。何と、今回の診察時間は、わずか五分程度だった。前回の十分の一の長さである。それでいて、診察料金は五百七十円だった。前回のおよそ半分である。それにしても安い。今回も、私が支払った診察代は、待合室に設置されたあのふかふかのソファの足しにもならなかっただろう。

 生理がやって来たのは、その翌日のことだった。出血が始まったとき、まず、その血の薄さに驚いた。私はガンモに、
「お客さんが来たんだけど、血が薄いんだよ」
と言った。ガンモは、
「それなら貧血にはならないから」
と言った。その通りだ。初日は、何度トイレに立っても血が薄かった。

 そして、魔の二日目を迎えた。いつもは出血量の多い二日目だが、生理痛もほとんどなく、また、出血の量もいつもよりも少なかったため、私は普通に仕事に出掛けて行った。いつもならば、仕事を休んで身体を休ませたいところなのに、休む理由も見つからず、ちょっぴり拍子抜けしてしまったくらいだ。二日目は、初日と違って血が薄いということはなくなっていたが、それでも、血液の量は、普段と比べると格段に減っていた。私の経血の量は、布ナプキンに変えてから減り、桂枝茯苓丸の服用で更に減ったという感じである。これは楽ちんだ。私は、生理の二日目とは思えない快適さで仕事をてきぱきとこなした。頭もカチカチ動いている。この様子ならば、八週間後の診察でも、再びお代官様のお許しが下るかもしれない。私はそう思いながら、汚れた布ナプキンを楽しく手洗いし、どうかこの楽しみが閉経まで続きますようにと願うのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私にとっては、桂枝茯苓丸が驚くべき効果を表しました。思えば、最初の病院ではすぐに手術を切り出され、漢方薬の処方を切望して出掛けた次の病院では漢方薬を処方してもらえず、ようやくI医師に出会い、適切な漢方薬を処方していただくことができました。適切な漢方薬は、身体にこれほど素晴らしい変化をもたらすのですね。次の診察までに手術の決断を下さなければならないというのは、私の勝手な思い込みだったようです。(苦笑)I医師は、「桂枝茯苓丸の服用でしばらく様子を見ましょう」とおっしゃってくださっていたのでした。私としては、このまま閉経まで乗り切りたい気持ちでいっぱいなのですが、まだ効果が現れ始めたばかりなので、これからの経過に注目したいと思います。私の決断を手に汗握りながら見守ってくださっていた方がいらっしゃいましたら、心よりお礼を申し上げます。ありがとうございます。m(__)m

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2007.10.28

ホットヨガ(七十五回目)

鬼嫁の追試の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実は、ずいぶん前のことですが、これと立場が逆の出来事もありました。ガンモが東京出張に出掛ける頃、私が熱を出してしまったのです。ガンモが東京出張に出掛けるときは、翌朝からの仕事に備えるために、休暇を取って前日のうちに移動しているのですが、できるだけ早く家を出て、秋葉原を散策するのが常となっていました。ガンモが出張に出掛けるというその日に、私は熱を出してうんうんうなっていました。しかし、ガンモは新幹線の指定席を予約していたことと(現在のように、インターネットで指定席を変更できる時代ではありませんでした)、秋葉原に散策に出かけたい欲望から、うんうんうなっている私を残して、予定通り、東京出張に出掛けて行ったのです。ガンモはこのときのことをひどく後悔しているようで、今でもこのときのことを話すとバツの悪そうな顔をします。このときのガンモの新幹線の指定席の予約と、鬼嫁の追試の記事に書いた私のホットヨガの予約がかぶります。

 寝不足だったにもかかわらず、土曜日の朝は、すっきりと目が覚めた。ガンモも、アルカリイオン飲料のおかげですっかり回復したようだ。私は、ガンモにすりすりしながらゆうべのことを何度も謝った。ガンモには、一日中、いくら謝っても足りないような、そんな気持ちで過ごす一日の始まりとなった。

 私は、神戸店で十時から始まるホットヨガのレッスンを受けるために、てきぱきと支度を整えた。土曜日はガンモも仕事が休みだったので、神戸でお昼ご飯を一緒に食べる約束をしてから家を出た。しかし、家を出るのが少し遅くなってしまい、スタジオに入ったときには既にレッスン開始時間を二分ほど過ぎてしまっていた。入口から最も近いヨガマットが開いていたので、私はそこに腰を下ろし、既に始まってしまっている瞑想に加わった。今回のレッスンが、私にとっては初めての本格的な遅刻となってしまった。

 レッスンに遅れまいと、神戸駅に着いてからひたすら走り続けて来たので、私はスタジオに入ってレッスンを始めからても、しばらくは息を落ち着けることができずに咳き込んでいた。どこかに吸うべき息を置き忘れて来たのか、呼吸がなかなか整わなかったのだ。レッスンを担当してくださった吉本興業のインストラクターが心配して、何度も声を掛けてくださった。吉本興業のインストラクターとは、いつも関西弁バリバリの、天然で愉快なレッスンをしてくださるので、私がホットヨガの記事を書くために勝手に名づけたニックネームである。もちろん、彼女の本名は、既に私のシステム手帳にしっかりと書き込んである。

 さて、今回、参加したレッスンは、九十分のベーシックコースである。ベーシックコースは、ビギナーコースを卒業した人が進むコースである。ベーシックコースには七十五分のコースと九十分のコースがあるのだが、私は九十分のコースをんだ。

 これまで、アクティヴコースやスクイーズコース、脂肪燃焼コースなどのレッスンを受けて来た私が、何故、ベーシックコースのレッスンに戻ったかと言うと、最近、自分の身体に歪みがあることを実感していたからだ。例えば私の場合、ホットヨガのレッスンの最中に両足を投げ出して座ったときに、足の指先を天井に向けて座り続けることが辛かったり、仕事中も姿勢が悪く、いぞいぞと動き回ったり、自宅でパソコンをいじっているときも、同じ姿勢を取り続けることができず、何度も座り変えたり、また、普段から左の鼻だけが詰まりやすかったりした。これらは身体の歪みが原因だと判断し、身体の歪みを矯正するために、参加しているコースを逆行しようと思い立ったのだ。

 考えてみれば、私がホットヨガでベーシックコースのレッスンを受けたのは、ほんのわずかの期間しかない。何故なら、すぐにもう少しハードなアクティヴコースに進んでしまったからだ。それからは、アレンジポーズの多いレッスンに次々に参加したので、ベーシックコースで取るヨガの基本のポーズをすっかり忘れてしまっていた。私は、多少戸惑いながらも、久しぶりにベーシックコースのレッスンを受けた。ポーズを久しぶりに取ることがとても新鮮で、私はホットヨガの初心者時代の気持ちを思い出していた。

 確か、鳩のポーズは、ホルモンバランスを整えてくれるポーズだった。ポーズを取りながら、私は、母ちゃんのことを思い出していた。母ちゃんがいつも私を覗き込んでいるように、私は鳩のポーズを取った。身体の固い私は、まだまだ手を引っ掛ける鳩のポーズがうまく取れないでいる。家に帰ってから、母ちゃんに特訓を受けようか。

 三日月のポーズは、内臓の働きの活性化と背骨の歪みを整えてくれるポーズだった。そう、かつては、それぞれのポーズにどのような効果があるかを意識しながらレッスンを受けていた。まるで子守唄のように、インストラクターの説明を聞いていたはずだった。それが、アレンジポーズの多いレッスンに入ってからは、ほとんど意識しなくなってしまっていた。私は、ヨガの基本も出来上がっていないのに、次のレッスンに進んでしまったことをひどく後悔した。

 スタジオを見渡してみると、心なしか、一緒にレッスンに参加されている方たちがとても初々しく思えた。いくぶん、年齢も若いように思える。おそらく、ビギナーコースを卒業して参加されている方たちなのだろう。私には、その初々しさもとても新鮮だったので、しばらくの間、身体の歪を取るために、九十分のベーシックコースのレッスンをみっちり受けてみようと決心したのだった。

 レッスンを終えたあと、シャワーを浴びて着替えを済ませてスタジオを出ると、十二時を回っていた。ガンモに電話を掛けてみると、ガンモはまだ自宅にいるという。実は、このあと十三時半からI医師の診察の予約が入っていたので、ガンモとは、私がホットヨガのレッスンを終える頃か、I医師の診察のあとに一緒にお昼ご飯を食べようと約束していたのだ。

 I医師の診察まで、まだ一時間余りあるので、私はノートパソコンを取り出して、「ガンまる日記」の下書きをしてからI医師のいる病院へと向かった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 先週はガンモと鉄道イベントに出掛けていたので、二週間振りのホットヨガのレッスンとなりました。記事にも書いた通り、久しぶりに参加したベーシックコースは、とても新鮮でした。やはり、どこかで行き詰ってしまうということは、過去のプロセスにおいて、達成していない課題を残していたということなのかもしれません。おそらく、私がまだ早いうちから、ベーシックコースからアクティヴコースに切り替えてしまったのは、先に進みたくてしょうがなかったからだと思います。しかし、現在の私は脂肪燃焼コースまで体験しましたので、あとは自分のペースでゆっくりと進むのみであります。

ベーシックコースのレッスンを受けながら、しばらくの間、身体の歪みを取ることに専念したいと思っています。

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2007.10.27

鬼嫁の追試

映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m エディット・ピアフのヒット曲である『愛の賛歌』は、マルセル・セルダンとの恋を歌った歌だそうです。実際は、彼が亡くなる前に作詞されたものだそうですが、妻子ある相手との恋であるが故に、別れを意識していたのか、歌詞がとても物悲しいのです。エディット・ピアフは、ステージでこの曲を歌う度に、マルセルのことを想い出していたのではないでしょうか。この曲がヒットすることにより、亡きマルセルを想い出す機会が増えたことは、彼女に立ち直るきっかけを与えたのではないでしょうか。

 金曜日の夜、ガンモは職場の人たちと飲み会だった。帰宅した直後のガンモはいつもと変わりがなかったのだが、私がパソコンに向かって作業をしている間に、ガンモはお風呂に入りたいと言い、いつもは仲良く一緒にお風呂に入っているというのに、ガンモだけが先にお風呂に入った。そして、パソコンの作業を終えた私がお風呂に入ろうとしていると、ガンモがベッドの上でうんうんうなり始めた。ガンモは苦しそうに、
「まーるみ、まーるみ」
と私の名前を呼んでいる。帰宅した直後はしっかりしていたはずなのに、どうやら急に酔いが回って来たらしい。
「ガンモ、ガンモ。ちょっと、ねえ、大丈夫? どのくらい飲んだの?」
と尋ねてみると、
「ビールをグラスニ杯」
とガンモが答えた。普通にお酒を飲めてしまう私からすれば、ジョッキではなく、グラスニ杯のビールなんて、まるで清涼飲料水のようなものだが、アルコールを分解できない体質のガンモからすれば、大酒を飲んでしまった感覚なのだろう。おそらく、お風呂から上がって、ベッドに横になったときに、急に酔いが回ってしまったのではないだろうか。私の経験から言えば、お酒を飲んだときは、できるだけ横にならないほうがいい。何故なら、酔いが身体に回り易いからだ。私はガンモに、
「酔いが回り易いから、身体を起こしたほうがいいよ」
と言って、ガンモを抱きかかえて壁にもたれかけさせた。

 ガンモが過去に同じような症状に陥ったとき、アルカリイオン飲料を飲ませて切り抜けたことがある。身体が酸性に傾いているときには、アルカリイオン飲料を飲むと、身体の中で中和が起こり、お酒が水になって排泄されるようだ。私は台所に走り、確か水に溶かすタイプのアルカリイオン飲料があったはずだと思いながら、しきりに探し回った。しかし、台所に残っていたはずだと思っていたアルカリイオン飲料は、既に使い切ってしまっているようで、あいにく見つからなかった。私は、もしかするとペットボトルに入ったアルカリイオン飲料があるかもしれないと思い、更に台所周辺を探し回った。しかし、何も見つけることはできなかった。

 ガンモは苦しそうに、
「○○○○○(アルカリイオン飲料の製品名)を買って来てくれ」
と私に懇願する。とは言うものの、時計を見ると、既に午前一時半を回っている。私は、突然、冷蔵庫に琉球もろみ酢があったことを思い出し、琉球もろみ酢を水で溶いてガンモに差し出した。
「ガンモ、これ。○○○○○(アルカリイオン飲料の製品名)と同じアルカリ性の飲み物だから」
と言ってガンモに勧めたのだが、ガンモは琉球もろみ酢の匂いがひどく苦手らしく、一口たりとも口に含もうとはしない。琉球もろみ酢は、黒酢などよりもずっと飲みやすい飲み物なのに、ガンモは私が差し出した琉球もろみ酢を跳ね除けて、苦しそうに顔を歪めている。
「お願い、ガンモ。これを飲んで!」
私は声を荒げてガンモに琉球もろみ酢を差し出したのだが、ガンモはやはり、
「臭(くさ)いからいやだ!」
と言って、飲もうとしなかった。私がしきりに琉球もろみ酢を勧めている間も、ガンモは、
「○○○○○(アルカリイオン飲料の製品名)を買って来てくれ」
と懇願する。私は、夜中に近くのコンビニまで出掛けて行くのが億劫だったので、何としてでも琉球もろみ酢を飲ませて、ガンモに良くなって欲しかった。しかも、私は翌日の十時からホットヨガのレッスンを予約していた。十時からのレッスンであれば、仕事に出掛けて行くのと変わりない時間に起きなければならない。私の中に、できるだけ早く布団に入って眠りたい気持ちがあったのは確かだ。

 琉球もろみ酢をガンモに飲ませようとしてもみあっているうちに、ガンモは少し落ち着いて来たと言った。そこで私は、ひとまずお風呂に入ろうと思い、お風呂に入った。午前二時前のことだ。しかし、お風呂に入っていると、ガンモが玄関から出て行く音が聞こえて来た。まさか、こんな夜中にガンモはコンビニまで出掛けて行ったのだろうか? しかも、酔いが回っているというのに。それほど苦しい状況だったというのか。もしもガンモが車に引かれでもしたら、私は一生後悔するだろう。そう思うと、私は自分が世界で一番の鬼嫁になった気がした。

 本当にガンモのことが心配ならば、琉球もろみ酢を無理やり飲まそうとしたりせずに、夜中であろうと、ガンモのためにコンビニまで出掛けて行って、アルカリイオン飲料を買って来るべきだったのだ。私がそれをしないものだから、ガンモは私がお風呂に入っている間に、自分で玄関を開けて買いに出掛けてしまった。結局、私は自分が一番かわいいのだろうか。そんなことを思いながら、自己嫌悪に陥っていた。

 私は、ガンモがコンビニから帰って来る音が聞こえて来るかと、お風呂の中でじっと耳を澄ましていたが、再びガンモが玄関のドアを開ける音は、なかなか聞こえては来なかった。一体どうしたのだろうか。夜中にコンビニで目新しいものでも見つけて、ミッドナイトショッピングでも楽しんでいるのだろうか。それにしても遅い。まさか、ガンモの身の上に何か起こってやしないだろうか。私は心配になり、恐る恐るお風呂から上がった。

 身体を拭いて寝室に戻ってみると、ベッドの上にガンモが座っているのが見えた。ガンモが帰って来る音は聞こえなかったはずなのに、ガンモがベッドの上にいる。もしや、私は、ガンモの亡霊を見ているのだろうか。しかし、良く見ると、寝室のテーブルの上には、蓋の開いたアルカリイオン飲料の缶が置かれている。どうやら目の前にいるのはガンモの亡霊ではないらしい。私は、
「生きてるガンモだよね?」
と語りかけた。ガンモはこっくりとうなずいた。
「ガンモが出て行った音は聞こえたけど、帰って来た音が聞こえなかったから、心配してたんだよ」
と私は言った。するとガンモは、
「車に引かれそうになった」
と言うではないか。ああ、恐ろしいことだ。やはり、夜中に酔って苦しんでいる人を外に出すべきではなかった。
「ごめんね、ガンモ。ガンモの帰りが遅いから、車に引かれたりしたんじゃないかとか、コンビニで何か目新しいものでも見つけて買い物を楽しんでいるのかと思ってたんだよ」
と私が言うと、
「コンビニなんか行ってない。すぐそこの自動販売機だよ」
とガンモが言った。
「えっ?」
私はそう言いながら、一瞬、頭の中が真っ白になった。わざわざコンビニまで行かなくても、私たちの住んでいるマンションのすぐ側には個人商店があり、そのお店の前にはいくつかの自動販売機が並んでいたのだ。ガンモはその自動販売機でアルカリイオン飲料を購入したらしい。ああ、何ということだろう。我が家から二分ほど歩いたところにあるコンビニまでわざわざ足を運ばなくても、マンションのすぐ近くの自動販売機で間に合ったとは。それくらいのことを、私は拒んでしまった。しかも、私は、ガンモが飲みたくないと言っている琉球もろみ酢を無理に押し付けようとしたり、翌日のホットヨガのレッスンを気にしていたりと、自分のことばかりかわいい鬼嫁になってしまった。私は自分の行動に胸が痛み、ガンモに何度も何度も謝った。

 ガンモは、私がお風呂に入っている間に買って来たアルカリイオン飲料を飲んで、とても楽になったようだ。
「これにはクエン酸が入ってるから」
とガンモが言う。私は負けずに、
「クエン酸なら、琉球もろみ酢にだって入ってるよ。琉球もろみ酢の主成分は、クエン酸なんだからね!」
と声を大にして言った。そう、ガンモがクエン酸のパワーを主張するなら、私がガンモに勧めた琉球もろみ酢のほうがずっと優れているのだ。

 ちなみに、匂いに敏感なガンモは、身体にいいとわかっている納豆も絶対に食べない。しかし、どういうわけか、餃子は大好物である。一方、私は、納豆は食べるが、餃子は好まない。

 翌日、できるだけ早く起きたいと思っていた深夜に起こった、ガンモの酔っ払い事件。夜中にコンビニまで出掛けて行かなければならないという完全なる思い込みから、ガンモの嫌いな琉球もろみ酢をガンモに押し付けてしまったが、少なくとも、それらが最悪の方向へと作用しなくて良かったと心からほっとしている。私は鬼嫁として振る舞ったことをひどく後悔した。これは、つい先日、私がのたうち回った一日の出来事に対する追試だったかもしれないというのに。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私たちは、片方に何か起こると、数時間から数日のうちに、それと反対のことがもう片方に起こります。のたうち回った一日の試験に、ガンモは合格しましたが、今回の出来事で、私は不合格であります。鬼嫁の私は、追試のチャンスが巡って来るのをひたすら待つことにします。(苦笑)

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2007.10.26

映画『エディット・ピアフ~愛の讃歌~』

 これは、shisyun氏のエディット・ピアフ~愛の讃歌~へのトラックバックである。

 私は、気に入ったブログがあると、すべての記事にくまなく目を通す。shisyun氏の空想俳人日記も、そんな読み応えのあるブログの一つだ。特に、エディット・ピアフ~愛の讃歌~の記事を拝見したとき、私は彼の分析力にうなり、洗練された文章に打ち震えた。その記事を賞賛するつもりで書き込んだコメントに、shisyun氏は、いつものようにそっけない返事をくれた。何だ? 私は記事を賞賛したのだぞ? shisyun氏は、記事の賞賛に対するコメントは一切書かず、映画を観ろと言う。映画を観たshisyun氏に、ここまでの記事を書かせる映画とは、果たしてどんな映画なのだろう。私はそう思い、派遣会社の福利厚生のページから、この映画の鑑賞券を申し込んだのだった。

 この映画は、エディット・ピアフというシャンソン歌手の生涯の一部分にスポットを当てた伝記映画である。恥ずかしながら、私はエディット・ピアフというシャンソン歌手を知らない。しかし、映画の中で流れていた『愛の賛歌』は何度となく耳にしたことのある曲だった。たったそれだけの予備知識しかなくても、二時間二十分という比較的長い映画の中で、私は一人の女性の生き様を最後まで見守ることができた。

 ただ、最初のうちは、この映画の構成に少し戸惑ってしまったのも事実である。というのも、ストーリーが時系列に並べられていないからだ。過去と未来が行ったり来たりする。しかし、何故、時系列に並べられていないかは、映画の最後のほうでようやくわかる。私たちは死に行くときに、走馬灯のようにその人生を振り返ると言われている。おそらくこの映画は、死の床に就いたエディット・ピアフの回想そのものなのではないだろうか。

 パリで生まれたエディットは、決して裕福ではない環境で育った。夫婦仲が良くなかったのか、最初のうちは母だけに育てられていたエディットだったが、母娘二人だけの生活とは言え、母からの愛情をたっぷりと受けていたわけではなかった。あるときエディットは、父に引き取られることになり、祖母の経営する娼婦宿にいったん預けられる。娼婦宿では、とりわけティティーヌという娼婦から、実の母から与えられることのなかった愛情をたっぷりと受けながら育った。幼少の頃、エディットは一時的に目が見えなくなってしまったようだが、のちに見えるようになる。

 やがて大道芸人の父が迎えに来て、エディットは娼婦宿を離れることになる。このときのエディットとティティーヌを引き裂くシーンは、互いに相手を必要としている存在だと認識していただけに、ひどく胸が痛んだ。娼婦宿を離れたエディットは、父とともにサーカスに入団するが、父がサーカスを退団することになったために、路上で芸を披露しながら生活することになってしまう。

 実際に、路上で芸を披露しながら生きて行けるのだろうかと心配になってしまうのだが、映画のシーンからも、パリの人たちはとても寛大だった。彼らの芸を鑑賞している人たちも、決して裕福な生活を送っているわけではないはずなのに、自分を楽しませてくれた芸に対しては、きちんと対価を払うのである。夏休みに出掛けたロンドンでも、たくさんの大道芸人さんたちが路上で芸を披露されていて、彼らに楽しませてもらったと感じた通行人たちは、大道芸人さんに惜しみなく対価を支払っていた。このように、ヨーロッパには、一般の人たちにも芸術を受け入れる余裕があるために、芸術が育ち易いのかもしれない。

 この映画の中でも、路上で歌うエディットの営業活動に対し、注意を促す警官が登場するが、自分の望むを歌えば見逃してやるとその警官は言う。どんなに余裕がなくても、芸術を受け入れる余裕だけは残している。私はこの映画の中からも、パリに住む人々のそんな心の余裕を感じ取った。

 路上で少しずつお金を稼げるようになった頃、エディットは実の母と再会する。そのシーンに見られるのは、母と娘の久しぶりの再会の喜びではなく、母が娘にお金をせびるという信じられない光景だ。私は、歌が好きだった母が、娘の才能に嫉妬しているのだとわかった。エディットの母もまた、路上で歌を歌いながら、生活を支えようとした時代があったのだ。エディットは、そんな母に育てられて来た。母にしてみれば、自分も好きな歌で食べて行きたかったのだろう。しかし、自分は成功しなかったのに、娘は自分から受け継いだであろう才能を生かして成功しつつある。実の娘に対するそんな嫉妬の気持ちが、娘にお金をせびるという荒い行為に現れているのだと思った。

 路上で歌っていたエディットは、キャバレーのオーナーに見出され、ステージに立つようになる。そこから、彼女の歌手としての人生がスタートすることになり、次第にフランス中に知れ渡るほどの偉大な歌手へと成長して行く。私には、最初のキャバレーで出会った人たちが、長きに渡ってエディットの良き仕事のパートナーであり続けたように思えた。彼女が出会った人たちは、彼女の財産だ。

 やがて、名声を得たエディットが、スタッフの人たちと豪快に食事をするシーンが映し出される。そこには、かつて、金銭的に余裕がなかった頃のエディットの姿はない。まるで、お店ごと買い占めてしまわんばかりの勢いだ。それは、金銭的に余裕のなかった時代への反動かもしれない。

 この映画では、エディットにとっての、一生の恋も描かれている。プロボクサーであるマルセル・セルダンとの恋である。マルセル・セルダンには妻子が居たが、エディットとは公認の仲だったらしい。これまで固かったエディットの表情が、マルセルとのシーンでは一気にほころんでいる。エディットを演じているマリオン・コティヤールは、「本当に同一人物だろうか?」と思ってしまうほど、幅のある演技をする人だ。エディットの若い頃も、病気に侵されてしまった晩年も、魂を震わせながら一生懸命歌うシーンも、おどおどしたシーンも、売れてわがままに振る舞うシーンも、マルセルに恋するシーンも、また、悲しむシーンも、見事に演じ切っていた。

 私は、エディットが海辺で編み物をするシーンが最も印象に残っている。おそらく、エディットにとっての海辺は、飛行機事故で亡くなってしまったマルセルに最も近い場所に相当するのではないだろうか。亡きマルセルに最も近い場所で、大好きな編み物をするのが、晩年のエディットにとって一番落ち着く時間だったのだろう。

 名声を得ても、客観的に見ると、決して幸せだったとは言い切れないエディットの人生。それでも、『水に流して』の曲の中でも歌われている通り、彼女はきっと自分の人生を後悔はしていない。私は、彼女の『水に流して』という曲の中に、映画『千と千尋の神隠し』の『いつも何度でも』に通じる精神を感じ取った。辛いこともうれしいことも、過ぎ去ってしまえば同じこと。それは、自分の人生に起こっていることから逃げ出さずに、良いことも悪いことも受け入れ続けて来たからこそ言える言葉だと思う。

社会の中で女性が得たものと失ったものの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m このような記事を書いておきながらも、私は今の自分の生き方を後悔してはいません。むしろ、社会の中に、自分の役割があったのだろうと思っています。ところで、I医師のところに行って参りました。そのときの模様を綴るのは、もう少し先のことになりそうなので、先に結論だけお伝えしておきますね。私はまだ手術を受けません。詳細については、後日、記事の中でご報告させていただこうと思っています。それから、電子メールや掲示板にコメントをいただいていますが、返信が遅れてしまい、申し訳ありません。特に筋腫仲間のRさん、いつも見守ってくださって、ありがとうございます。m(__)m それから、千絵さんも、いつも読んでくださっているそうで、ありがとうございます。m(__)m 少しずつ返信させていただきますので、もう少しお時間をくだされば幸いです。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅くなり、申し訳ありません。レビューの中に書き切れなかったことがたくさんあります。筋腫持ちの私は、トイレがとても近いので、二時間二十分という上映時間に耐えられず、上映中にトイレに立ってしまいました。トイレに立つ前までは、トイレに行きたい気持ちが先立って、映画を集中して観ることができなかったのですが、思い切ってトイレに立って良かったと思いました。何事も決断ですね。(苦笑)この映画を観て、本当に、走馬灯のように彼女の人生に立ち会いました。人生の終わりは、彼女が歌っていた『水に流して』のようでありたいものです。人生が『水に流して』のようなものであると感じられるならば、自分に迫り来る死さえも受け入れる覚悟ができるのかもしれません。

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2007.10.25

社会の中で女性が得たものと失ったもの

 のた打ち回った一日から一夜明けた月曜日。私は休暇を取っていた。前日の体調不良が原因で取った休暇ではなく、予め申請しておいた休暇である。

 以前、通っていた病院の近くに、派遣仲間が住んでいる。彼女はかつて、私と同じプロジェクトで働いていた派遣仲間で、一緒に仕事をしていた男性社員とめでたく結ばれて、出産準備のために退職した。彼女が退職してからは、年に数回程度、電子メールを交わす間柄だったが、それ以上の付き合いはなく、私は以前、通っていた病院に足を運ぶ度に、彼女の自宅が近いことを、それとなく意識していた。

 先日、たまたま、彼女に電子メールを送る機会があり、彼女の家の近くにある病院に通うのもそろそろおしまいになるだろうと書いたところ、もしも都合が合えば、次に病院に来るときに遊びにおいでと彼女が言ってくれた。以前の病院には、平日に休みを取って出掛けていたので、病院で所用を済ませた平日の午後は彼女の家でのんびりとおしゃべりできることになる。そこで私は、もうすぐ退職することが決まっている派遣仲間を誘って、彼女の家を訪問することにしたのだった。もうすぐ退職することが決まっている派遣仲間は、退職までに、できる限り有給を消化しておきたいようで、休暇を申請できる状態にあったのだ。一方、私も、以前の病院からお借りしたMRIフィルムを返却しておきたかったので、それぞれの予定を着き合わせた結果、月曜日に彼女の家に集まることになったのである。

 以前の病院へのMRIフィルムの返却は、実に簡単なもので、受付でMRIフィルムを返却したい旨を申し出ると、その場で受け取ってくださった。わざわざ婦人科の受付まで出向く必要がなかったので、わずか一分程度で処理を終えた。ただ、どこの病院にMRIフィルムを持ち込んだかということはヒアリングされた。

 病院をあとにした私は、退職が決まっている派遣仲間と待ち合わせて、彼女の家に向かった。玄関を開けた途端、お子さん向けのグッズがたくさん並べられていて、思わず圧倒されてしまった。お子さんは、二歳になったばかりの男の子だ。次第に行動範囲が広くなるので、勝手に家から出て行かないように、玄関にはお子さん向けのゲートが取り付けられていた。更に、リビングにはたくさんのおもちゃがあり、ダイニングにはお子さん専用の移動式テーブルがあった。家具は立派に揃えられ、センスの良さを感じさせてくれる部屋であった。彼女はこの部屋で、ご主人さんが仕事に出掛けている間、毎日のようにお子さんと二人だけで過ごしているのである。仕事内容が異なっていたとは言え、かつては同じフロアで机を並べて一緒に仕事をしていた彼女と私は、まったく別々の人生を歩んでいたのだった。

 話の流れの中で、働く女性の妊娠・出産に関する話題になった。退職が決まっている派遣仲間が、近年、女性特有の病気が増えつつあるが、これは医学の発達により、問題が明るみになっただけなのか、それとも、時代が進化するにつれて、本当に女性特有の病気が増えて来ているのか、疑問に思うと言った。それに対し、私は、
「やはり、昔と比べて食べ物も違って来てるから、女性の身体にも変化が起こって来てるんじゃないのかな」
と言った。詳しくは書けないが、退職が決まっている派遣仲間も、また、その妹さんも、女性特有の病気を抱え、通院していたことがあったという。私も以前にその話を聞かせてもらったことがあったので知っていた。そうした話の流れの中で思ったのは、女性が男性と肩を並べて仕事をするようになると、男性と対等になれるという点では、特定部分の機能が向上して来るが、反対に、女性特有の機能が衰えて行くのではないかということだった。

 家に招待してくれた派遣仲間は、男性と肩を並べて働くというよりは、男性社員のサポート的な内容の仕事だった。彼女が結婚して、妊娠・出産への道を歩むことができたのは、女性が社会に進出する前から根付いていた、男性のサポート的な役割を果たして来たからではないだろうか。つまり、仕事のポジションであるとか、技術の向上であるとか、これまで女性が社会の中では持っていなかった何かを得ることと引き換えに、女性性を削る必要がなかったということだ。しかし、私のように、男性と肩を並べて仕事をしていると、女性の持つ本来の機能が、使われないものとして、劣化してしまうのかもしれない。かつて人間には尻尾があったらしいが、使われないためか、次第に劣化して、やがてはなくなってしまったとか。そうだとすると、これから先、女性が社会に進出して男性と肩を並べようとすればするほど、女性としての機能が使われないものとして劣化してしまうのかもしれない。

 こんなことを書いてしまうと、男性たちと肩を並べて働いている女性の皆さんを落胆させてしまうことだろう。しかし、女性特有の病気を抱えている人たちと、そうでない人たちとの間に何か違いがあるとすれば、どうしてもそこに注意が向いてしまう。もちろん、食べ物の変化、環境の変化も影響を与えているとは思う。

 現代は、社会の中で、女性も男性と肩を並べて仕事ができる時代になって来た。だから、そうした環境の中では女性性よりも男性性のほうに傾き易くなり、女性特有の機能が劣化して来た。そのことは、女性特有の病気を増やす原因になった。もしも女性性を守り抜きたいと願うなら、社会の中で、男性と肩を並べて対等に張り合うのをやめるか、女性にしか出来ないような仕事をするかのどちらかだ。

 女性が社会に出て得たものと引き換えに、女性は女性特有の機能を失いつつある。私自身や、私の周りにいる女性たちを見ていると、そんな気がしてならないのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ここに書いたことが、事実かどうかはわかりません。しかし、少なくとも私の周りを見渡してみると、女性特有の病気に悩まされているのは、男性と肩を並べて働いている女性が多いということに気がついたのです。でも、もしも記事に書いたような退化があるならば、別のところで進化があってもいいですよね。つまり、社会に出て行く女性が増えると同時に、専業主夫が増えてもいいと思うのです。そして、ゆくゆくは、専業主夫の女性性が進化して、男性が子供を産む時代がやって来るかもしれませんよ。(^^)

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2007.10.24

のた打ち回った一日

※今回の記事は、食後しばらく経ってからご覧ください。

 明けて日曜日。どういうわけか、私は一日中、身体の調子が悪かった。最初は、妙見山ハイキングで重さ三キロの靴を履いて歩き回ったために、疲れがどっと出てしまったのかと思い、しばらくベッドで休んでいた。しかし、お昼を過ぎても体調が回復せず、私は「ガンまる日記」をまだ書き上げていないことを気に掛けながら、のそのそと起き上がった。実際のところ、
「申し訳ありません。本日の『ガンまる日記』は休刊です」
と書いてしまいたいくらいの心境だった。しかし、「ガンまる日記」は、二〇〇四年二月から一日一記事と心に決めて書き始めたブログである。記事に穴を開けたくない。そこで私は、歯を食いしばって記事を書き上げた。

 書いたあとは力尽きてしまい、お昼ご飯も食べずに再びベッドに横になり、睡眠を取った。どういうわけか、ひどく眠かったのだ。その他の症状としては、首の後ろのあたりに不快感を感じていた。

 夕方頃に再び目が覚めたのだが、私の身体はまだ回復してはいなかった。それどころか、首の後ろに感じていた不快感が一層強くなっていた。そして、私はようやく理解したのだ。これは、年に何度かやって来る「あれ」に違いないと。ここ十年ほど、私は年に二、三回程度の割合で、生理と前後して激しい嘔吐と激しい頭痛に見舞われることがある。かつての「ガンまる日記」に、これは首の凝りのために、頭に酸素が行き渡らないことが原因で起こる偏頭痛らしいと書いたのだが、どうやら久しぶりにその症状に見舞われたようである。

 私は、しばらくベッドにうずくまっていたが、そろそろと立ち上がってトイレに行き、少し吐いた。吐くと言っても、朝食を食べたあと、お昼過ぎに野菜ジュースを口にしただけだったので、胃から出て来たのは野菜ジュースだけだった。それからベッドに戻り、再び横になった。ガンモが心配そうに私を見守っていた。

 一度吐いてしまうと、吐き気が更に加速する。私は再びベッドから起き上がり、トイレに立つべきかそのまま留まるか、しばらく悩んでいた。吐いた直後は、停滞していたものが急に解けるからだろうか。頭がガンガンする。私は、ベッドの側にあったおにぎりせんべい(東日本で売られているかどうかはわからないが、丸っこい三角形をしたしょうゆせんべい。三重県の会社が販売している)の袋をじっと見つめていた。その中には、まだおにぎりせんべいが数枚残っていた。いざとなったら、その中に吐いてしまおうか。そう思っていると、急に波がやって来た。私は慌てて立ち上がり、パソコンの前に座っていたガンモを押しのけて、トイレまで走った。しかし間に合わず、寝室を出たところで噴水状態になってしまった。噴水の音を聞いて、ガンモが駆けつけてくれた。
「うわああああ!」
その声からすると、ガンモは、私の嘔吐物を足で踏みつけてしまったようだ。私はかまわず、トイレまで突っ走った。トイレに着くまでの間も、ぽたぽたと嘔吐物をこぼしてしまった。ようやくトイレに着き、トイレで心行くまで嘔吐すると、頭はガンガンするのだが、身体がずいぶん楽になった。心配したガンモがトイレまで様子を見に駆けつけてくれていた。
「ビニール袋があったから、吐きそうだったら、言ってくれれば良かったのに」
とガンモが言う。私は、
「おにぎりせんべいの袋をじっと見てたでしょ。吐きたい気持ちを訴えてたんだよ」
と言うのがやっとだった。私は、おにぎりせんべいの袋を見つめながら、しばらく迷っていたのだ。このまま吐いてしまうかもしれないし、吐かないかもしれない。でも、吐くときはトイレで吐きたいと。

 トイレの横にある洗面所で手と顔を荒い、寝室まで戻ってみると、ガンモが私の嘔吐物をきれいに片付けてくれていた。ああ、ガンモ、ありがとう。ガンモの優しさが心にしみた。私は、ガンモに介護されている、年老いたおばあちゃんになった気がした。自分が誰だかわからなくなったとしても、ガンモに愛されていることだけはわかっていて、安心していられるような、そんなおばあちゃんだ。これから二十年、三十年先に、私は介護が必要な身体になってしまうかもしれない。そのとき、ガンモの身体は健康だろうか。子供のいない私たちは、老後をちゃんとやり過ごせるのだろうか。そんな心配が、ふと心をよぎった。もしかすると、今後は第三者から介護を受けるようになるかもしれない。そう考えると、私たちが愛情で結ばれた間柄であることの素晴らしさを実感せずにはいられなかった。

 ずっと先のことを想像したとき、私は、「ありがとう」と「すみません」の違いを理解した。「ありがとう」は、相手の愛情を感じているときに、自然に出て来る言葉だ。「すみません」は、愛情よりも、相手に対して申し訳ない気持ちのほうが先立って出て来る言葉なのではないだろうか。

 胃の中にあったものをすべて吐き切ったおかげで、私は少しずつ回復しつつあった。ガンモが、
「おかゆを作ってやろうか?」
と言ってくれたのだが、私の頭痛は収まったものの、まだ食欲はなく、漢方薬と毒出しホットジュースだけを飲んでしのいだのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 数ヶ月に一度の割合で、頭の後ろの不快感から始まり、嘔吐と頭痛に見舞われています。生理の周期と、食べ物に関係があるのかもしれません。頭が痛いときには、頭のてっぺんにある百会(ひゃくえ)というツボを、ツボ押し棒で一生懸命刺激していました。頭が痛いときにそこを押すと、とても気持ちがいいのです。百会のツボを刺激しながら思ったのですが、百会のあたりが弱いと、白髪が増え易いのかもしれません。更に、百会のツボと白髪と頭痛と首の後ろと鼻の不具合は、子宮筋腫にも関係があるように思えます。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2007.10.23

本番への備え

 日も落ちて、辺りはすっかり暗くなってしまっているが、数々のネオンに照らし出されて明るい十三に、半透明のレインコートを着た怪しい女と連れの男が降り立った。そう、私たちである。梅田行きを見送って、半透明のレインコートの似合う十三にやって来たのだ。十三(じゅうそう)と言えば、私の出身地である愛媛と縁の深かった故伊丹十三さんを思い出す。また、私の実家が真言宗なので、「じゅーそーぎょーしきやくぶーにょーぜー・・・・・・」と唱えていた般若心経も思い出す。

 十三駅前にある大きな交差店を渡ると、リーズナブルな価格の商品を扱う長い商店街が続いていて、購買意欲を掻き立てられた。私はひとまず、半透明のレインコートをリュックにしまうために、ジャケットを購入した。こうしてようやく、半透明のレインコートの代わりに新しいジャケットを羽織り、寒さをしのぐことができたのである。商店街をひととおり歩くと、私たちは夕食をとり、十三をあとにした。

 十三から私たちの住んでいる阪急電鉄の最寄駅へと向かったわけだが、私たちの中では何となく、まだ家に帰りたくない気持ちが芽生えていた。自宅に帰ってからも、いつもやるべきことが山積みになっている私たちからすると、こんなことは滅多にないことである。しかし、二人とも翌日の日曜日が休みだったので、ちょっぴり羽目を外してみようと思ったのである。

 「カラオケに行く?」
と私はガンモに言った。どうして急にそんなことを言い出したかと言うと、これまでガンモからときどきカラオケに行こうと誘われていたにもかかわらず、自宅に帰ってからも、やるべきことが山積みになっているという理由で、ずっと断り続けていたからだ。しかし、翌日も仕事が休みなら、何とかカラオケの時間を捻出できるのではないかと思ったのである。

 ガンモはうれしそうに、
「ええっ? 珍しいじゃん。どうしたの?」
と言う。
「いや、明日も休みだしさ」
と私は答えた。
「じゃ、行くか」
とガンモが賛成してくれたので、私たちは自宅近くのカラオケショップに足を運んだ。これまで何度も店の前を自転車で通過してはいたものの、一度も利用したことのないお店だった。

 カラオケショップの受付で、一時間だけの利用を申し込んだ。土曜日とは言え、それほど混んでいるわけでもなさそうなので、もう少し歌いたいと思ったら、延長を申し出ればいい。そのとき、ガンモは何を思ったか、
「会員カードを作ってください」
と申し出た。そのカラオケショップは、会員になれば、初回の入会金は掛かってしまうが、三十分ごとの利用料金が割引になるシステムを採用していた。どうやらガンモは、家から近いカラオケショップなので、今後のことも考えているようである。

 ガンモとカラオケに来るのは何年振りのことだろう。ひょっとすると、三年振りくらい、いや、それ以上かもしれない。部屋に入ると、これまで見たこともないようなコントローラーがデーンと設置されていた。しばらくカラオケショップに足を運ばないうちに、カラオケショップも進化したようである。普段は機械に強いはずの私たちなのに、一時間という時間制限があると思うとひどく慌ててしまい、使い方が良くわからない。おまけに、テレビの電源も入らないので、私は迷わず電話を掛けて係の人に来てもらった。どうやらテレビの電源は、私たちの入室を確認してから自動的にONになるはずだったらしい。コントローラーは、歌いたい曲の番号を入力して、「転送」ボタンを押すだけだった。そんな簡単なこともわからないなんて、係の人にとっての私たちは、タイムマシンに乗って、わざわざ江戸時代からカラオケを体験しにやって来た時の旅人のように映ってしまったのではないだろうか。

 ひとまず、二人で歌おうと思っていた、映画『メアリーポピンズ』の中で歌われている曲を二曲予約してみる。しかし、演奏が始まったものの、英語の歌詞が速過ぎてついて行けない。耳で聞いていただけの曲だったので、歌えないのは当たり前である。

 時間がもったいないので、ガンモが素早く私の持ち歌を勝手に予約した。ガンモには、私にその曲を歌って欲しい気持ちと、私が歌っている間に、自分の歌う曲を選びたい気持ちがあったようだ。ガンモが私の持ち歌として予約したのは、テレビアニメの『ドロロンえん魔くん』のテーマソングである。ガンモは私がこの曲を歌うのをとても気に入ってくれている。私はガンモのためにこの曲を耳コピーして、MIDIシーケンサを使って、携帯電話の着メロにしている。『ドロロンえん魔くん』の他に、私も自分の歌いたい曲を予約したので、私の持ち歌ばかり続いてしまった。私が自分で予約したのは、同じくテレビアニメの『トム・ソーヤの冒険』から「誰よりも遠くへ」である。気分が乗って来ると、同じく『トム・ソーヤの冒険』から、「ぼくのミシシッピー」という曲も良く歌う。今はどうだかわからないが、少なくともこれらの曲は、アニメソングが丁寧に作られていた時代の歌である。私には、これらの曲のキーが合う上にとても好きな歌なので、カラオケでは好んで歌っているのである。

 ようやくガンモが自分の持ち歌を探し当てた。ガンモが予約したのは、やはりアニメソングの『魔法使いチャッピー』のテーマソングだ。ガンモは、カラオケでは初めてその曲を歌ったようだが、自分に合っている曲だと感じたらしく、宴会のレパートリーに加えたいと言った。何故か子供の頃の記憶が強烈で、歌謡曲を歌うよりも、アニメソングばかり歌っている私たちであった。

 ガンモとカラオケに来ると、さすがに気心が知れているだけあって、歌の練習までできてしまう。職場の人たちと一緒に行くと、歌を聴いてくれている人たちに対する遠慮があって、うまく歌えない曲を繰り返し練習することはできない。何故なら、職場の人たちと一緒に出掛けるカラオケは、「本番」だからだ。私たちは、自分が持ち歌として予約した曲を、更にもう一度予約して、繰り返し練習した。同じ曲を繰り返し歌うことによって、本番に備えるためだ。

 結局私たちは、更に一時間だけ延長して、カラオケを二時間楽しんで帰宅した。二人で二時間も歌えば満足である。ガンモは、
「俺、カラオケでずっと練習したかったんだよ。会員にもなったし、また来るから」
と言って、喜んでいた。カラオケショップでは、会計のとき、次回に利用できる二十パーセントオフの割引券をくれた。しかも、マイレージカードを持参すれば、マイルも溜まるらしい。さすが、商売上手なカラオケショップである。ガンモと一緒に年内にもう一度行こうと思っている。

 こうして私たちの長い長い一日が幕を閉じたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m きのうは、記事を慌てて書き上げてしまい、申し訳ありませんでした。あとから読み返してみると、誤字、脱字の多さに赤面してしまいました。そんな記事にも、応援クリックしてくださった方がいらっしゃいました。どうもありがとうございます。m(__)m 私の職場は、昼休み終了五分前にチャイムが鳴ります。もちろん、昼休みの終了時刻にもチャイムが鳴ります。まだ記事が書き上がっていないのに、昼休み終了五分前のチャイムが鳴るものだから、推敲もそこそこに、慌ててアップしてしまったわけなのです。しかし、あんな恥ずかしい文章をアップしてしまうくらいなら、もう少し更新時間を遅らせたほうが良かったのかもしれません。記事がなかなか書き上がらないときは、早くアップしたい気持ちと、もっと推敲を重ねて、文章に息を吹き込んでからアップするかでいつも悩みます。夕方になると、細切れにしか休み時間が取れないので、どうしても昼休みが勝負になってしまうのです。こうして書き続ける限り、これからも、葛藤は続いて行くことでしょう。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2007.10.22

妙見山ハイキング(後編)

 私たちを猛烈に魅惑したシグナス森林鉄道は、妙見山の森林を走る充電式の小さなトロッコ観光列車である。定員わずか八名で、一回の利用料金は大人一人二百円、小人一人百円である。車両は何と、能勢電鉄の社員の方の手作りだそうである。ちなみに、シグナス森林鉄道という名前は、白鳥座から来ているそうだ。

 走行中のシグナス森林鉄道を一目見た途端、私たちのハートは激しく揺さぶられ、居ても立ってもいられなくなってしまった。
「絶対にあれに乗る!」
ほとんどの大人たちが子供さん連れで乗車されているというのに、私たちは大人だけで乗車の待ち行列に並ぶことにした。

 夢中になると、通常サイズよりも小さなのものに激しく魅惑されてしまうのは、どんな趣味の世界でも変わりがないようだ。例えば、カメラの世界であれば、ミニカメラに心惹かれる人たちもいる。私たちも、ミニカメラではないが、おもちゃカメラやカメラのおもちゃをせっせと集めたものだった。鉄道の世界でも、鉄道模型に魅惑されている人たちも多いことだろう。それは、例え小さくても精巧に作られていることに感動するからだと思う。私たちの鉄道趣味に限って言えば、遊園地などの娯楽施設に設置されている鉄道を材料にした乗り物に激しく魅惑されている。その小ささから言っても、子供さん向けの乗り物であることには間違いないのに、どうしても乗りたくなってしまうのである。夏休みに出掛けたイギリスでも、ヨークにあるNational Railway Museumでミニ列車に乗車した。

 いよいよ私たちの順番が回って来た。私たちが乗車したのは、トロッコの一番後ろだった。運転手さんに利用料金を支払い、記念切符にスタンプを押していただく。乗車してみて気が付いたのだが、わずか二両しか連結されていないにもかかわらず、幌(ほろ)付きのトロッコにはスピーカーが取り付けられていた。そのスピーカーからは、運転手さんのアナウンスが流れて来る。これは楽しい。

 出発して間もなく、上り坂があった。何と、その坂を確実に上ることができるように、ラックレールの設備が整えられているではないか。さきほど訪れたのせでんレールウェイフェスティバル2007秋で、能勢電鉄の社員の方たちが手作りの品々を披露されていたことを思い出す。能勢電鉄には、心から鉄道が好きな人たちが集まっているのではないだろうか。そして、そうした鉄道好きの精神が生かされるような快適な職場なのではないだろうか。私は、小さなシグナス森林鉄道に乗車しながら、そんなことを考えていた。

 坂を上り切ると、森林鉄道という名前の通り、まさしく森林が広がっていた。森林の中を、八人を乗せたトロッコがトコトコ走る。進行方向右手には、偉大な斜面が広がっているので、高所恐怖症のリハビリにもいい。決して丈夫そうではない車両とレールがガタガタと音を立てて、ほど良い緊張感を体験させてくれる。間もなく、折り返し地点のアルタイル駅が見えて来た。一度、列車を止めて方向転換させるのではなく、ロータリーのような線路を回ったあと、元来た道を戻るようになっている。当然、そこには切り替えポイントも用意されている。実に良くできた鉄道だ。

 更にトロッコ列車はトコトコ走り、始点でもあり終点でもあるベガ駅に到着した。私たちはトロッコ列車を降りてからも、しばらくの間、シグナス森林鉄道の運行を見守っていた。ガンモは、停車中の車両の周りをうろうろしながら、貴重なショットをカメラに収めていた。この列車に乗車した人は、きっと特別な思い出を作ることができるだろう。シグナス森林鉄道は、思わず笑みがこぼれるほど素敵なミニ鉄道だった。

 それから私たちは、「能勢妙見山周遊パス」を提示して、その先の妙見リフトに乗った。リフトと言うと、わずか数分で目的地に着いてしまうような短いものが多いのだが、妙見リフトの運行距離は想像していたよりもはるかに長かった。妙見リフトに腰を下ろし、緑いっぱいの景色を眺めながら、足をぶらぶらさせてリラックスしていた。しかし、私は、うっかり薄着で出掛けて来てしまったので、妙見リフトに乗っている間、寒くて仕方がなかった。そこで、妙見リフトを降りたあと、リュックの中に忍ばせていた半透明のレインコートを着ることにした。ショールも持っていたのだが、ショールではとても追いつかないくらいの寒さだったのだ。晴天の日に半透明のレインコートを着ているのはちょっぴり恥ずかしいが、寒さにはかなうまい。

 妙見リフトの終着周辺には、神社か何かがあったようだが、とても寒かったので、私たちはそれ以上、先に進むことなく、すぐに下りの妙見リフトに乗って折り返した。そして、再びシグナス森林鉄道を見守ったあとは、日差しも弱まり、更に寒くなって来たので、妙見ケーブルに乗って下山することにしたのだった。

 しかし、時計を見ると、まだ夕方近くだった。私たちは、今回購入した「能勢妙見山周遊パス」をもっと有効活用するために、どこかに立ち寄ってから帰宅しようと考えた。ガンモが、
「梅田はどう?」
と提案して来たのだが、私は、
「いやあ、梅田にこの格好で行くのは恥ずかしいよ」
と言った。寒さのために、私は地上に着いてからも、半透明のレインコートを脱ぐことができずにいたのだ。どうやらこの寒さは、単に標高が高いことが原因というわけではなかったようだ。しばらくするとガンモが、
「どうせ十三(じゅうそう)経由で帰るから、十三に寄ってみようか」
と新たな提案を持ち掛けて来た。私は、
「十三なら、この格好でも大丈夫だよね」
と言って、二つ返事でOKした。大阪の十三は、私の好きな名古屋の大須や大阪の天王寺に近い雰囲気を持っている。決して、晴れの日に半透明のレインコートを着ていてもおかしくはない街でもある。

 こうして、まだまだ旅を終わらせたくなかった私たちは、十三へと向かったのである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けおきます。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅れがちで申し訳ありません。写真の整理作業が入ると、通常よりも倍の時間が掛かってしまうのですが、それでも写真をご紹介したいのですね。欲張りで申し訳ありません。m(__)m ちょっぴり慌て者ですが、楽しみながら更新させていただいてますので、良しとしてくださいな。(^^)

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2007.10.21

妙見山ハイキング(前編)

 平野駅をあとにした私たちは、山下から一駅だけ飛び出した支線を乗り潰すため、ひとまず日生中央まで出た。日生中央駅前のアーケードを歩いていると、ピイピイという聞き覚えのある雛の鳴き声が聞こえて来たので、私たちは思わず顔を見合わせた。何故ならその鳴き声は、鳩の雛の鳴き声に違いなかったからだ。どうやら、アーケードの上部に鳩が巣を作っているようである。巣は死角になっているようで、確認することはできなかったのだが、巣を探すためにアーケードの上を見上げていると、父ちゃん、母ちゃんと思われる二羽の鳩がどこからともなく飛んで来た。日生中央の鳩も、雄と雌が番(つがい)になって行動している。鳩は本当に仲がいい。

 日生中央駅前には、ゴダイゴのヴォーカル、タケカワユキヒデ氏のコンサートの案内ポスターが何枚も貼られていた。来月開催予定だそうである。ゴダイゴファンの私としては足を運びたいところだ。しかし、会場は、日生中央駅から遠く離れた場所にあるようだ。自家用車でもなければ、会場まで辿り着くのは難しい。それでなくても、同じ兵庫県内とは言え、日生中央までやって来るのに、電車の乗り継ぎをいくつも重ねている。残念だが、今回は諦めるか。しかし、私が残念がっていると、ガンモが、
「ちょっと待って。俺もスケジュールを調整してみるから」
と言ってくれた。

 日生中央駅前をうろうろしているうちに、私たちはホームセンターがあるのを発見した。
「もしかしたら、父ちゃんたちが喜ぶ鳩の餌があるかもしれない」
とガンモが言った。我が家の近くにもホームセンターがあるのだが、あいにく鳩の餌は売られていない。郊外にあるホームセンターに足を運べば、とうもろこし入りの鳩の餌が売られている。父ちゃんは、とうもろこし入りの鳩の餌が大好物で、一粒残さずきれいに平らげる。しかし、かつてバッテリーを付け替えることにより動き始めた自家用車が再び動かなくなり、最近の私たちの移動はほとんど電車に頼ることになってしまっていた。そのため、郊外のホームセンターに足を運ぶことができなくなり、現在は、百円ショップでリスの餌を購入して与えているのだった。リスの餌にはひまわりの種が含まれているのだが、父ちゃんたちはひまわりの種があまり好きではないらしく、リスの種だけをしばしば残している。

 私たちは、日生中央駅前のホームセンターに足を運んだ。そして、ペットコーナーで父ちゃんの大好物のとうもろこし入りの鳩の餌を探し当て、購入したのだった。何と、その餌の重さは五キロもあった。私が、
「これからハイキングに出掛けるのに、五キロの餌を持って行くの?」
とガンモに尋ねると、
「父ちゃんが大好物だから」
と言って、ガンモは背負っていたリュックの中に五キロの鳩の餌をよっこらしょと詰め込んだ。
「重い!」
とガンモは言ったが、父ちゃん想いのガンモの優しさに思わず胸が熱くなった私であった。実は、私も、合計三キロの重い靴を履いていた。それは、父ちゃんや母ちゃんのためではなく、私自身のダイエットのためだった。私は、
「私も重い靴を履いてるから、一緒にハイキングを頑張ろう」
などと言って、ガンモを励ました。

 私たちは再び山下まで引き返し、そこから今度は妙見口(みょうけんぐち)まで向かった。妙見口からは、妙見ケーブルに乗るために連絡バスの乗り場をチェックしてみたのだが、ちょうど良い連絡バスがなかったので、妙見ケーブルの乗り場までおよそ三十分ほど歩くことになった。途中、緩い坂道もあったが、のどかな田園風景を眺めながらの三十分となった。五キロの鳩の餌を背負っていたガンモは、三キロの靴を履いている私よりも元気に歩いていた。

 ようやく妙見ケーブルの乗り場が見えて来たときには、私たちは安堵の息を漏らした。乗り場の奥に目をやると、きつい傾斜が広がっていた。これからこの急勾配をケーブルカーで登るのだ。「能勢妙見山周遊パス」を見せて妙見ケーブルの改札をくぐると、乗り場の階段に立っただけで既に傾いているのがわかった。

 まだ紅葉の始まっていない景色を横目で眺めているうちに、私たちの乗ったケーブルカーは、少しずつ上昇して行った。一本のロープで互いを引っ張り合うケーブルカーは、コブラのような形をした中間地点で登りと下りの車両がすれ違う。その瞬間が、私たちにとってのシャッターチャンスでもある。無事に下りのケーブルカーとのすれ違いを果たすと、間もなく私たちは山上に着いた。平地よりも標高が高いからだろう。空気がひんやりとしている。

 ケーブルカーを降りて、更に傾斜のある坂道を登って行くと、「妙見の水広場」があった。広場の名前の前に「妙見の水」と付けられている通り、妙見の名水が湧き出ているらしい。ケーブルカーで一緒だった人が、大きなタンクを何個も持ち込んで、湧き水をせっせと汲んでいたようだが、これだけのタンクをどのようにして持ち帰ったかは謎である。何しろ、タンクの数はおよそ十個ほどもあったからだ。一方、私たちはと言うと、特に喉も渇いていなかった上に、空きペットボトルの手持ちもなかったので、名水の湧き水を口にすることもなく、通り過ぎてしまった。

 妙見の水広場には、金属製の竹馬があり、思わず懐かしくなって、荷物を置いて乗ってみた。最初はふらふらとおぼつかない足取りだったが、次第に子供の頃の感覚を思い出して、竹馬特有のバランスを楽しむことができた。竹馬に乗るのは何十年振りのことだろう。小さい頃、父が本物の竹を使って竹馬を作ってくれたことを思い出す。本当に懐かしい。大人になってから竹馬に乗ってみて、竹馬は、バランス感覚を育てるために重要な役割を果たしていたことを知るのだった。

 妙見の水広場には、竹馬だけでなく、私たちを猛烈に魅惑する乗り物があった。その名も、シグナス森林鉄道である。長くなってしまうので、この続きはまた後日、お届けすることにしよう。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回の妙見ケーブルの乗車で、私たちは日本国内のケーブルカーのおよそ半分を乗り潰すことができたようです。ケーブルカーの乗車は、傾斜がきついので、高所恐怖症の方たちのリハビリになるかもしれません。私もかなりリハビリになっています。(^^)

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2007.10.20

のせでんレールウェイフェスティバル2007秋

 確か木曜日頃のことだった。 
「土曜日はホットヨガに行くの?」
とガンモが私に尋た。
「うん、行くよ」
と私が答えると、ガンモは、
「そうか。行くのか」
と何やら考え込んでいる様子だった。この週末は、土日ともガンモの仕事が休みになっていたので、どこかに出掛けたいらしかった。私がホットヨガのレッスンを予約していると知ったガンモが何やら遠慮している様子だったので、私は、
「ホットヨガは、キャンセルすることもできるよ」
と言った。するとガンモは、、
「そうか。じゃあ、能勢電鉄に乗るか」
と切り出した。私は、
「うん、いいよ」
と二つ返事でガンモの提案を受け入れ、予約していたホットヨガのレッスンをキャンセルした。

 土曜日になり、私たちは十時過ぎに家を出て、ひとまず阪急電鉄の最寄駅に向かった。これから乗車しようとしている能勢電鉄は、阪急電鉄と接続しているのだ。能勢電鉄は、兵庫県川西市を中心に運行されている阪急グループの私鉄である。ガンモは関西に移り住んでから間もない頃、川西市に住んでいたことがあるらしい。しかし、能勢電鉄には一度も乗車したことがなかったそうだ。今回、購入したのは、「能勢妙見山周遊パス」という阪急電車と能勢電鉄、妙見ケーブル、妙見リフト、一部の阪急バスに乗り放題できる便利でお得な切符である。

 阪急電鉄をいろいろ乗り継いで、川西能勢口から能勢電鉄に乗り換えた。現在は阪急グループに加わり、阪急電鉄と変わらないデザインと車両の能勢電鉄だが、かつてはフルーツ牛乳色の車両の列車が走っていたらしい。阪急マルーンに統一された能勢電鉄の車両は、見た目、代わり映えがないので、車両のバリエーションを楽しみたい私からすると、ちょっぴり物足りない。

 やがて、今回の旅の最初の目的地である能勢電鉄平野駅に着いた。ここで、鉄道イベントが開催されているらしい。ホームに降り立つと、「のせでんレールウェイフェスティバル2007秋」のポスターが目に入った。ポスターによると、鉄道アイドルの木村裕子ちゃんのトークショーが開催される予定だという。「鉄道アイドル? 木村裕子? 誰?」そう思っていると、駅員さんたちにガードされながら、私たちの目の前を通過して行く赤い制服を着た女の子が目に入った。「あっ、ポスターのあの子? 木村裕子ちゃん?」その通りだった。彼女は、ポスターに見入っていた男性に声を掛けて通り過ぎて行った。さすが、アイドル。営業活動を欠かさない。

 平野駅から歩いて数分のところに、「のせでんレールウェイフェスティバル2007秋」の会場があった。これまでにも、数々の鉄道イベントに参加して来た私たちだが、毎回、思うことは、ご家族連れが実に多いということだ。今回も、ほとんどの方たちが小さいお子さん連れのご家族だった。電車好きなお子さんが多いのか、それとも、子供を楽しませるという名目で、こっそり大人が楽しんでいるのか、それはわからない。大人だけで参加している私たちは、正々堂々と鉄道好きを披露しているようなものだ。しかし、例えば、ワッペン作りや名札作りなど、子供と一緒であれば気軽に参加できるような企画ものも、大人二人だけでは参加し辛いものがある。今回の会場では、「車掌」や「運転士」などという役柄付きの名札を無料で作成してもらえたのだ。私は、その名札が欲しくて、名札の作成コーナーをウロウロしていたのだが、私のような大人が堂々と申し込めるような雰囲気ではなかったので、泣く泣く諦めることになってしまった。

 会場の奥に入ると、能勢電鉄の社員の皆さんが、手作りのおもちゃを使って子供たちを楽しませていた。手作りの能勢電鉄の車両を押し出して、定められた場所で車両を停止させるゲームや、能勢電鉄の車両が描かれたスマートボールなどが子供たちの人気の的だった。私たちは、能勢電鉄のアットホームな雰囲気がとても気に入った。

 こうした鉄道イベントでは、子供たちだけでなく、鉄道会社の社員の方たちの生き生きとした表情を拝見することができる。それは、鉄道イベントに足を運んだ人たちの楽しい気持ちが感染しているからだろうか。参加する側も主催する側も、誰もが笑顔になる鉄道イベント。天候にも恵まれ、私たちは満足のうちに、木村裕子ちゃんのトークショーが始まるのを待たずに、次なる目的地へと向かったのである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 能勢電鉄には、私たちの苗字である「山下」駅があります。鉄道グッズ売り場では、能勢電鉄の駅名票のキーホルダーが売られていたので、私たちは「山下」駅のキーホルダーを購入しました。確か、山下駅は、全国に三箇所あります。宮城県の山下と、世田谷線の山下と、能勢電鉄の山下です。今回の旅で、すべての山下駅を乗り潰しました。(^^)

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2007.10.19

バッチ処理

 愛用している手提げカバンの取っ手の糸がほつれてしまった。ノートパソコンや分厚いシステム手帳、マウスなどを収納している小さな手提げカバンで、リュックの中にそのまま収められるようになっている。とてもお気に入りの手提げカバンだったので、私は針と糸でほつれを直そうと思っていた。

 私が針と糸を使う作業は、バッチ処理になる。バッチ処理とは、主にコンピュータ用語で、一つの処理をその都度行うのではなく、まとめて行うということである。針と糸を使う作業に置き換えて言うならば、何かを縫い合わせる必要が生じたときに、その都度、針と糸を取り出して縫い合わせるのではなく、代理品で済ませられる場合はしばらくほつれたものをそのままにしておいて、どうしても縫い合わせる必要が発生したときにだけ、まとめて縫い合わせる処理を行うことだ。つまり、針と糸を使う作業を、集中した時間にまとめて行うということである。

 針と糸のバッチ処理を行うときは、私はガンモに宣言をする。
「今夜は針と糸を使うから、穴の開いた靴下があったら出しておいてね」
するとガンモはうれしそうに、
「えっ? 縫ってくれるの?」
と言う。ガンモにしてみれば、私の針作業がバッチ処理であるために、穴の開いた靴下を何足も溜め込んでいるらしい。と言っても、ガンモは靴下をたくさん持っているので、毎日履く靴下に困っているわけではない。ただ、心の片隅に、穴の開いたままの靴下があるという、中途半端な気持ちが残り続けているだけだ。

 私はまず、お気に入りの手提げカバンの取っ手を縫い付けた。それから、ガンモと共同で履いているズボンのほつれを直した。その数、四本である。我が家はズボンの数も多いので、例え四本のズボンがほつれたままの状態であったとしても、履くズボンに困っていたわけではなかった。私はガンモに、
「ガンモの靴下は?」
と尋ねた。するとガンモは、靴下の山をごそごそと探し回り、
「今のところ、これしか見当たらない」
と言いながら、一足の靴下を差し出して、
「まだ穴が小さいうちに縫っておいて欲しい」
と言う。ガンモから渡された靴下を見てみると、確かにまだほんの小さな穴だった。私はすぐにその穴を針と糸で埋めて、ガンモに返した。

 「他にも、穴の開いた靴下、ないの?」
とガンモに尋ねると、
「ううん、すぐには見つからない」
とガンモが言う。
「じゃあ、この次は来年だね」
と私が言うと、ガンモは、
「ええっ?」
と言った。私は、
「だって、バッチ処理なんだもん」
と言った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 我が家は、このような夫婦生活を送っていますが、バッチ処理ではなく、リアルタイム処理(バッチ処理の反対で、リアルタイムに処理をすること)で針仕事などをされている方たちにとっては、驚かれる内容だったかもしれませんね。でも、これで成り立つ夫婦関係もありますし、リアルタイム処理をしないからと言って、夫婦関係が成り立たないとは言い切れないと私は思っています。他の方たちにとっての必要条件が、私たちにとっての十分条件なのかもしれません。でも、こんな夫婦がいてもいいですよね。

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2007.10.18

映画『薬指の標本』

ヴィジョンの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 記事を通して自分の考えを整理して行くうちに、少しずつ自分なりの考えが見えて来ました。私の葛藤にお付き合いくださいまして、ありがとうございます。m(__)m

 映画『博士の愛した数式』の原作者でもある芥川賞作家の小川洋子さんの小説がフランス映画になった。と言っても、製作年で言えば、『博士の愛した数式』よりも以前の作品である。私は、この映画が公開されてしばらく経った頃に、レンタルDVDショップでこの映画の存在を知った。タイトルからしてとても惹かれる映画だったので、DVDで鑑賞することにした。ちなみに、原作は読んではいない。

 結論から言ってしまえば、タイトルに魅了されたのは、それなりの意味を持っていたようで、最初から最後まで惹き付けられっぱなしの映画となった。と言っても、決して手に汗握るような、ドキドキハラハラの連続というわけではない。むしろ、とても静かな展開である。しかも、この映画で表現されていると言われている「フェティシズム」というのも、私には何だか良くわからない。ガンモに聞いてみると、
「まあ、現代風に言えば、『萌え』だろうね」
という答えが返って来た。「萌え」という言葉は、広く一般に使われているようだが、調べてみると、「フェティシズム」は、もっと学問的な分野として存在しているようである。私の知らない世界が描き出されているので、登場人物たちが考えていることを理解しようとすればするほど、画面から片時も目を離すことができなくなってしまったようである。言い換えると、この映画がとても美しい流れを持っていたということかもしれない。

 この映画には、台詞による回りくどい説明がない。また、誰一人にぎやかな性格の登場人物が存在しないのも、この映画の特徴と言えるだろう。静かな展開の中では、登場人物たちの行動と表情から、心情を察するしかない。だから余計に画面に釘付けになってしまう。そうなると、不思議なことに、「フェティシズム」が良くわからなくても、映画として、素直に美しいと感じてしまう。「良くもまあ、こんな美しい映画を作りましたね」というのが率直な感想である。

 主人公のイリスの仕事は、捨てることができないほど想い入れが強いのに、手元に置いておくと、前に進めなくなってしまう想い出の品々を、標本にするために顧客からお預かりするというものだ。想い出の品を標本にするという発想は、実にユニークである。映画の中で、そのようなビジネスが成り立っていることも面白い。しかも、顧客からお預かりした想い出の品々を標本にする標本製作士は、何故か白衣を着ている。それだけでも充分、不思議な雰囲気が漂っている。もともと、標本化を希望する品を持ち込む顧客たちが行列を作るほど繁盛しているわけでもないのだから、標本製作士がイリスの仕事である預かり業務を担当しても良いわけだ。それでも、若い女性が預かり業務の仕事を求めてやって来るところに意味がある。

 イリスを演じていたオルガ・キュリレンコは、『真珠の耳飾りの少女』で主人公を演じていたスカーレット・ヨハンソンを彷彿させる。『真珠の耳飾りの少女』の主人公もまた、台詞による回りくどい説明のない役柄だ。しかし、「男女の愛」という視点から観ると、『真珠の耳飾りの少女』のほうが共感できる。何故なら、『真珠の耳飾りの少女』では、家の主人である画家と召使という許されない間柄であるがゆえに、お互いが理性を保った行動を取っているところに好感が持てるからだ。

 しかし、この映画では、まず、標本製作士の生活は、まったく明らかにされていない。年齢的には、イリスの父親くらいの年齢なので、実際は家庭のある身なのかもしれないが、もしかすると、ずっと独身を通している人なのかもしれない。本当のところは良くわからない。そんな二人が、濃厚に絡み合うシーンが登場するのだが、そのシーンを観ても、本当に愛し合っているという登場人物の感情が伝わって来ない。しかし、そこに、この映画の狙いがあるように思える。「フェティシズム」を押し出そうとすると、恋愛感情は差し引かれて表現される。というよりも、そもそも「フェティシズム」そのものが恋愛感情とは別物なのだろう。だから、標本製作士は能面のような表情を通す必要があった。そして、イリスは、常に彼の行為を受ける対象である。標本製作士の能動に対し、イリスの受動で成り立っている。そうした役柄が徹底されているところが、映画として美しい。

 この映画の中で、標本製作士がこだわっているのは、靴だ。標本製作士は、イリスに靴のサイズを尋ねることなく、イリスの足に見事にフィットする靴を選び出してプレゼントする。そして、どんなときもその靴を履いていて欲しいと願う。しかし、その靴を履き続けることに対し、危険信号を発する人も出て来る。標本を預けにやって来た、靴磨きのおじさんだ。いやはや、実に良くできている。

 イリスが安ホテルから出勤するという設定もいい。しかも、その安ホテルの部屋は、見知らぬ男性との相部屋だ。同室の二人はお互いに相手の存在を気に掛けてはいるが、生活時間帯が違うために、出会えそうで出会えない。そのため、ストレートではなく、じわじわと回り込んで来るような感覚を味わう。

 この映画で描かれているのは、とても不思議な世界である。「フェティシズム」を知らなくても、映画の世界を充分楽しむことができる。しかし、もう少し人生経験を積んでからもう一度観てみたいような、そんな美しい映画だった。そのときはきっと、初めて観たときとは違う感じ方をするのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私は観ていないのですが、『博士の愛した数式』もかなりヒットした映画でしたね。小川洋子さんは、何度もお名前を拝見している作家さんなのに、このような世界を描き出す作家さんだとは知りませんでした。私も創作の世界に足を踏み入れるなら、このような不思議な世界を描き出したいですね。実際はそれができないので、エッセイ止まりかもしれませんが。(苦笑)

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2007.10.17

ヴィジョン

高い高ーいの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 皆さん、高い高ーいを懐かしく思い出してくださいましたでしょうか。私自身も、子供の頃、父に高い高ーいをしてもらいながら、キャッキャッと言いながら喜んでいた記憶があります。鳩も人間も同じなんですね。それにしても、ふと思ったのですが、現在の私は高所恐怖症なんですよね。子供の頃は、高いところが好きだったはずなのに、一体いつの間に高所恐怖症になってしまったのでしょう。高所恐怖症の原因は、前世のトラウマにあると思っていたのですが、高所恐怖症が後天的要素を持っている可能性も出て来ますね。さて、今回は、ピジョン(鳩)の話ではなく、ヴィジョン(未来像)の話であります。

 今月もまた、月に一度の定時退社日がやって来た。先月は、派遣仲間三人で集まって三宮でご飯を食べたのだが、今月は、直径十二センチの彼女と待ち合わせをして、二人でご飯を食べに行った。

 お互いの近況などを報告し合ううちに、私の筋腫の話になった。去年、筋腫核手術を受けている直径十二センチの彼女は、私にとって、身近に筋腫話のできる一人でもある。先月末にI医師という信頼できる医師に出会えたことについては、既にメールで報告していたのだが、詳しい内容についてはまだ話していなかった。そこで、名医の診察(後編)に書いたようなことをかいつまんで話し、もうすぐ次の診察の予定が入っているため、そろそろ決断を下さなければならない状況にあることを付け加えた。

 彼女自身も、去年、手術を受けたときは、手術の直前まで悩んでいたそうだ。一日中、何をするときにも、手術のことが彼女の頭から離れなかったらしい。私も、彼女が悩んでいたことは良く知っている。しかし、手術を受けるかどうかは、症状にもよるし、本人の生き方にも関係して来る問題なので、第三者が口を出せる領域の問題ではない。医師を始め、周りの人たちも、親しい人たちと話し合って決めなさいとなどと助言するが、身体の問題とは、誰かと話し合って決めるものではなく、本人がどうしたいかということが一番重要なのである。しかし、実際は、消去法の選択肢しかないため、ひどく悩むのである。

 私は、なかなか手術への決心がつかないので、直径十二センチの彼女が決断を下すに至った経緯を尋ねてみた。ちなみに、彼女はまだ独身で、私よりもずっと若い。だから、彼女は私に対して敬語を使う。それはさておき、もともと彼女の場合は、将来、子供を産んで育てたいという確かなヴィジョンがあったようだ。そのために、できるだけ早いうちに筋腫核手術を受けておいて、来るべきときに備えておきたいということだった。

 私の場合はそうではない。彼女は、私が子供を抱いている姿が想像できないと言う。そう、私自身も昔から、自分が子供を産んで育てるようになるとは、どうしてもイメージすることができなかった。つまり、そういうヴィジョンを持っていなかった。だから、他の人の意志によって、子供を産んで育てる方向に傾くことに対し、激しい抵抗を覚えた。例えば、私を良く知らない人に、
「仕事ばっかりして、子供を産んで育てる準備ができてないのね」
などと言われると、ひどく腹が立ったものだ。しかも、身内でも何でもない人にそう言われるのは甚だ心外である。「人にはそれぞれ人生の目的ってものがあってね、女性ならば誰でも子供を産んで育てることが人生の目的とは限らないんだよ」と言いたくなった。それに私は、何も仕事ばかりしているわけではない。しかも、私が人生の目的として見出していることは、その相手にしてみれば、それほど重要なことではないらしかった。だから、もともと通じ合うはずもない。この件に関しては、どうやら、私の中にずっと怒りが残っているようである。そのあたりのもやもやした感情は、記事の本題から外れてしまうので、今回は割愛させていただくことにしよう。

 私は、直径十二センチの彼女が私のヴィジョンを感じ取ってくれたことがうれしかった。仮に手術を受けるにしても、ヴィジョンが違えば、選択も異なって来る。だから、自分のヴィジョンを他人のヴィジョンに重ねてはいけない。彼女の場合は、妊娠・出産を希望した。ゆえに、開腹による筋腫核手術を受けた。そのため、通常の生活に戻ることができるまでにおよそ一ヶ月の期間を要した。

 私の場合は、例え子宮を温存させる手術を行ったとしても、妊娠の可能性はほぼないと言われている。それは奇しくも私のヴィジョンと一致している。それならば、子宮全摘手術を受けたとしても、将来、子供を産んで育てたいと切望している人からすれば、精神的なダメージは少なくて済む。子宮を全摘することで、子宮筋腫が再発することはなくなる。重い生理からは解放される。歩くときに感じる下腹部痛も感じなくて良くなる。貧血の心配もなくなる。筋腫が腎臓を圧迫していることで尿蛋白が出ているならば、そうした症状からも解放される。集中力も回復して来る。トイレも近くなくなる。ホットヨガのレッスンで、お腹を下にするポーズを取ることができる。また、身体から一キログラムのものが除外されるため、ダイエットにも繋がる。しかし、これらのことを合わせて考えてみても、なかなか手術に対してポジティヴになれないのが現状だ。メリットがたくさんあるようにも思えるが、やはり、全身麻酔は怖い。この一言に尽きる。

 そこで、これらの現象を数値に置き換えて考えてみることにする。プラスに対してもマイナスに対しても、それぞれ百点の持ち点を持っているとしよう。そこで、先ほど挙げた項目をプラス面から列挙してみる。

・子宮を全摘することで、子宮筋腫が再発することはなくなる。(+20)
・重い生理からは解放される。(+20)
・歩くときに感じる下腹部痛も感じなくて良くなる。(+5)
・貧血の心配もなくなる。(+5)
・筋腫が腎臓を圧迫していることで尿蛋白が出ているならば、そうした症状からも解放される。(+5)
・集中力も回復して来る。(+15)
・トイレも近くなくなる。(+20)
・ホットヨガのレッスンで、お腹を下にするポーズを取ることができる。(+5)
・また、身体から一キログラムのものが除外されるため、ダイエットにも繋がる。(+5)

 次に、マイナス面から列挙してみる。

・全身麻酔への恐怖(-90)
・布ナプキンを使わなくなってしまう。(-10)

 このような感じである。

 私の場合、全身麻酔への恐怖は、他の人よりもずっと激しいかもしれない。しかし、
「全身麻酔が怖い」
と誰かに話すと、
「部分麻酔のほうがもっと気持ち悪いでしょ?」
などと言う。そうじゃない。私は、麻酔そのものが怖いのだ。

 人には、絶対に譲れないものがあると思う。例えば将来、私たち夫婦がひどくお金に困ってしまうことがあるとしよう。そのときに、私のことを気に入ってくれる男性が現れたとして、
「僕と一晩一緒に過ごしてくれたら、あなたたちご夫婦に対し、経済的な援助を続けますよ」
などと言われたならば、どのように反応するだろうか。私は迷わず、極貧の道を選ぶことだろう。しかし、中には、自分を気に入ってくれている男性と一夜を共に過ごすという決断を下す人もいるかもしれない。それがベストの選択ではないとわかっていても、選択に踏み切ることのできる人とそうでない人がいる。踏み切ることのできる人は、その選択に対し、絶対に譲れない条件ではない場合もあれば、そうしなければ道が開かれないと感じているときだろう。私の場合は、絶対に譲れない条件でもある上に、そうしなければ道が開かれないという究極的な状況でもない。だから、迷うのだ。

 直径十二センチの彼女は、筋腫核手術を受けてすっきりしているようである。そうしたすっきり感は、実際に手術を受けてみないと体験できないことだろう。私が頭の中でいくら考えたとしても、単に机上の論理に過ぎない。しかし、だからと言って、恐ろしい全身麻酔を乗り越えて、「手術を受けます」とは言えない。

 I医師との約束の日まであと一週間余りとなってしまった。私はできる限り、自分のヴィジョンに従った選択をしたいと思っている。見えないヴィジョンを無理に見ようとする必要はない。そう、自分に言い聞かせている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この記事を書きながら、何故か小さい頃のことを思い出してしまいました。子供の頃、「○○ちゃんはこうなのに、あなたには何故それができないの?」と、他の人と比較されながら育って来たことを思い出したのです。「母になる、ならない」という選択の向こう側にも、そのあたりの苦い記憶が強く根付いているようです。小さい頃はそうした比較が当たり前だと思っていましたが、やはり、違うんですよね。私が他の人に接するにしても、その人の持っている目的を生かせるような選択が、常に実現できたらと思います。

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2007.10.16

高い高ーい

カレシの部屋に遊びに来たカノジョの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「ガンまる日記」で最も表現して行きたい分野の記事でしたので、喜びもひとしおでありました。どうもありがとうございます。m(__)m さて、今回は、鳩の記事であります。

 TKMYとキッコロの間に生まれた雛は、すくすくと順調に育っている。多少の産毛は残っているものの、既にぼたもちの段階は卒業して、立派な毛に生え変わりつつある。ただ、声はまだまだ雛の泣き声そのもので、ベランダからは、ピイピイと餌をねだる泣き声が聞こえている。

 実は、つい先日、父ちゃんと母ちゃんが温めていた卵も二つとも孵化した。ベランダの目につくところに卵の殻が二つ転がっていたので、卵が孵化したことはすぐにわかった。不要になった卵の殻は、ゴミの日に関係なく、すぐに巣の外に放り出してしまうのだから面白い。

 ベランダの掃除のときに、父ちゃん、母ちゃんたちの巣をそっと覗き込んでみると、二羽の黄色い雛たちが身体を寄せ合って震えていた。少し寒いようだ。まだ生まれたばかりなので、ピイピイとは泣かない。三羽の雛がいっぺんに泣き始めたら、たいそうにぎやかなベランダになってしまいそうだ。

 泣き声のことはさておき、我が家のベランダ事情はとても複雑だ。もともとTKMYは、父ちゃん、母ちゃんの間に真冬に生まれた初めての子供である。その子供が、父ちゃんと敵対していたキッコロと結婚して、子供を産んだ。その直後に、父ちゃん、母ちゃんの間にも雛が生まれた。TKMYとキッコロの間に生まれた雛は、父ちゃん、母ちゃんにとっては孫であり、父ちゃん、母ちゃんの間に生まれた二羽の雛は、TKMYにとっては兄弟なのである。実にややこしい。

 ところで、気になっていたTKMYとキッコロの間に生まれた雛の柄(がら)だが、旧母ちゃん、現在の母ちゃんから生まれた雛たちと同様に、母親の柄をほぼ百パーセント引き継いでいるようである。つまり、父親であるキッコロの灰色の柄はほとんど雛には現れない。ただ、背中の辺りがやけに白くて、エンジンを背負っているように見えるので、私たちはその雛にジェットと名付けた。

 ガンモが平日休みのある日のことである。仕事を終えた私が、ガンモに電話を掛けて、
「今日は何をしていたの?」
と尋ねてみると、
「ベランダ掃除のときに、ジェットを持ち上げて、外の景色を見せてやったから」
と言う。ガンモは毎回、ベランダの掃除をするときに、排水溝付近の巣で縮こまっているジェットを両手で持ち上げて、水浸しになってしまわないように、安全な場所に移動させている。掃除を終えて、ジェットを元の場所に戻すときに、ベランダの外の景色をジェットに見せてやったそうだ。最初はジタバタと暴れていたジェットだったが、外の景色を見ると急に大人しくなり、興味津々で外の景色に見入っていたそうだ。きっと、初めて見る外の景色に思いを馳せていたに違いない。

 更に帰宅前してみると、今度は、
「夜景も見せといたから」
とガンモが言った。ガンモは、日がとっぷり暮れたあとも再びベランダに出向き、ジェットに外の景色を見せたと言う。ガンモはそうすることにより、ジェットの巣立ちが少しでも早くなるのではないかと考えたらしい。

 そろそろジェットも飛行練習を始めることだろう。まだ本格的に飛ぶことができない雛は、私たちのベランダの手摺を上手に使いながら、短い飛行を繰り返して来た。雛が飛び立つと、羽を無駄に動かすせいか、バサバサと音がする。そんなおぼつかない飛行練習も、外の世界に興味を示したジェットなら、目標を持って積極的に取り組むことができるに違いない。ジェットには、ジェットという名前の通り、ロケットのように羽ばたいて欲しい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m まだ飛べないジェットは、一足早く、外の世界を垣間見たことになります。ジェットは、巣の外にはこんな景色があるのかと、じっと見入っていたそうです。ガンモの行為は、人間で言うと、小さい頃、お父さんにしてもらった「高い高ーい」と同じではないでしょうか。自分の身長では見ることのできない世界を、お父さんの「高い高ーい」の行為によって見せられ、まだ見ぬ世界に思いを馳せるようになるのです。

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2007.10.15

カレシの部屋に遊びに来たカノジョ

映画『幸せのレシピ』の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 外国映画は、キスシーンがとても自然でいいですね。この映画にも、たくさんのキスシーンが登場しました。観ているだけで、こちらもとろけそうになるようなキスシーンでありました。

 私たちはお揃いのパジャマを何枚か持っている。しかし、次第にリラックス化が進み、既製品のパジャマよりも、着古したシャツをパジャマとして再利用することが多くなった。例えば、夏であれば、ガンモの下着の半袖シャツをパジャマ代わりに着て寝ている。洗濯を繰り返すうちに、首の周りがよれよれになってしまった半袖シャツが何枚もあるので、それらを捨ててしまわずに、パジャマとして再利用しているのである。そのとき、できるだけよれよれ度の高い半袖シャツを見つけて着るのが私たちの間のお約束になっている。お風呂から上がると、ガンモが、
「俺に任しとけ」
と言いながら、下着入れの山の中から、できるだけ使い古してよれよれになった半袖シャツを一枚選び出して、私に差し出してくれる。「俺に任しとけ」というのは、「俺がとっておきのよれよれの半袖シャツを、まるみのために用意するから任しておけ」という意味である。

 秋も深まり、よれよれの半袖シャツで寝るにはすっかり寒くなってしまった。そこで、今年から秋ものの新作が登場することになった。それは、ガンモの着古したYシャツである。我が家の洗濯はとてもアバウトで、ときどき、色物(いろもの)の服とガンモの白いYシャツを一緒に洗ってしまったりする。特に私は、インド綿の服を好んで着ているので、中には色落ちの激しい服もある。そんな色落ちの激しい服とガンモの白いYシャツをうっかり一緒に洗ってしまうものだから、洗濯を終えて洗濯機から洗濯物を取り出してみると、ガンモの白いYシャツがまだら色に染まってしまっていたりする。そんなまだら色のYシャツや、極端にしわしわになってしまって現役を引退したYシャツが溜まって来たので、それらを秋の新作パジャマとしてデビューさせたわけである。

 もともと私たちは、よほど寒い冬か、冷房でキンキンに部屋を冷やしでもしない限り、寝るときにパジャマのズボンは履かない。秋が深まるこの時期では、まだまだ本格的な寒さを迎えたわけではないので、二人ともパジャマのズボンは履いていない。つまり、ガンモも私も、白いYシャツの下は下着のパンツだけなのである。

 もともと、秋の新作パジャマを先に着始めたのは、ガンモのほうだった。私はそれを、なかなかいいアイディアだと思いながら見ていた。あるとき私がお風呂から上がったばかりのとき、
「パジャマに替わるもの、何かない?」
とガンモに尋ねてみると、ガンモは、
「任しとけ」
と言って、着古した白いYシャツを渡してくれた。私はそれに袖を通してみた。すると、ガンモが何か目新しいものでも見る様子で、
「何か、あれだよね」
と切り出して来た。
「もしかして、ガンモの部屋に遊びに来たみたい?」
と私が言うと、
「そうそう、それそれ!」
と、ガンモが激しく同意した。

 そう、確かにその通りだった。私は、カレシの部屋に泊まりに来て、お風呂に入り、着替えの用意がないために、カレシの白いYシャツをちょっとだけ借りて着ているカノジョそのものだった。そんな状況を想像すると、恋人時代の初々しさを思い出して、ちょっぴりはにかみながら、ベッドに横たわってみたくなる。ベッドもちょうどシングルベッドで部屋も散らかっているので、やはりここはカレシの部屋にぴったりだ。ようし、明日はカレシの部屋から出勤することにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ご主人さんが着古した白いYシャツを、パジャマ代わりに利用されてみるのもいいかもしれませんよ。きっと、恋人時代のような初々しさを体験できることと思います。着古したYシャツが手元にない場合、作り方は簡単です。レシピをここに書いておきますね。洗濯機の中に、白いYシャツと色落ちするような綿の服を一緒に入れて洗います。脱水が終わる頃には、秋の新作パジャマが出来上がっています。(^^)

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2007.10.14

映画『幸せのレシピ』

 感情が動かなくなったときは映画を観よう。私はそう思い、ホットヨガの帰りに映画を観ることにした。今回観た映画は、公開前から前売券を購入していた『幸せのレシピ』である。映画館でも、予告編を何度か目にしていて、公開を楽しみにしていたのだが、先週は旅行に出掛けていたため、映画館に足を運ぶことができなかったのだ。

 公開されて既に二週間経っているというのに、たくさんの人たちが映画館を訪れていた。私の座っていた席の周辺も、ほぼ満席の状態だったため、ホットヨガの荷物を持っていた私は、通路が狭くなってしまうことに恐縮したくらいだ。公開されて二週間くらい経つと、そろそろ映画の感想が口コミで広まって行く時期である。この時期にまだまだ人が多いということは、ひょっとすると期待できる映画かもしれないと心の中で思っていた。

 簡単にあらすじを書いておくと、ニューヨークの人気高級レストランでシェフを務めるケイトは、プライドを持って仕事をしている。ケイトの料理が気に入って、シェフにあいさつをしたいと申し出る客もいれば、ケイトのこだわりがわからずに、調理方法に文句を言いたがる客もいる。ケイトはプライドを持って仕事をしているだけに、文句を言いたがる客にはわざわざ厨房から出向いて行き、直接対決する。ケイトにしてみれば、料理の実績を重ねて来た自分の言い分が絶対に正しいのだ。こだわりを持ち過ぎていると、視野はどんどん狭くなってしまう。しかし、ケイトの場合は、視野が狭いからこそ、上に高く細く伸びているとも言える。

 映画館に足を運ぶまでは、予告編の内容から、もっと単純でアバウトな恋愛映画なのだと思い込んでいた。しかし、実際に映画を観てみると違うのだ。この映画には実にいろいろな出来事が絡められていて、密度の高い内容に仕上がっている。例えば、お店のスタッフが開店前にミーティングを兼ねて昼食をとるシーンがある。実際、人気の高いお店ではこのようなミーティングが行われているのかもしれないが、スタッフが昼食をとる場で、新しい料理に対する斬新なアイディアを出し合っているシーンは、とてもリアルで新鮮だった。単に決められた料理を作って出すばかりでなく、料理を創作するシーンまで描かれていることに好感を持った。また、厨房のシーンも本格的で、普段、熱心に料理をしない私でさえ、その手際の良さについつい見入ってしまった。おそらく、料理好きの人にはたまらないシーンの連続なのではないだろうか。

 ケイトの姪であるゾーイが、少しずつ心を開いて行く様子も見事に描かれていた。ゾーイは交通事故で母親を亡くし、心を閉ざした状態でケイトに引き取られる。仕事の忙しいケイトが、母親役とシェフの仕事を両立させる日々が始まる。更に、ケイトが姉の死を悲しみ、休暇を取っている間に新たに雇われることになった副料理長ニックとのツインソウル的な関わりが実におかしい。見るからに、まるで正反対の二人。話の展開が読める私たちには、最初から二人がじゃれ合っているように見えてしまう。

 フルタイムで仕事をしている女性ならば、シェフでなくとも、ケイトの姿に自分を重ねてしまうのではないだろうか。私はケイトが仕事に対して持っているプライドが良くわかるので、自然に自分と重ねてしまった。お店のオーナーとケイトの考え方の違いも良く描かれていた。どんなときも客の意見を尊重しようとするオーナーと、どこまでも自分の料理にこだわりを持ち続けるケイト。コンピュータ業界においても、営業担当と開発担当の間に、意見の相違が表面化することが多い。そこに描かれているのは、おそらく、レコード会社とアーチストの間にもあるギャップではないだろうか。どんな世界においても、売上を伸ばすことと、技術者がこだわりを追求し、技術的に納得の行くものを提供することは必ずしもイコールにはならないのである。

 ケイトとゾーイがどのように絆を深めて行くかを見守るのも楽しかった。印象的だったのは、互いに仕事や学校を休んで二人の時間を持ち、ゲームをして騒いだり、枕叩きをして遊んだことである。特に、枕叩きという素朴な遊びを通じて、ケイトとゾーイは互いの感情を極限まで持って行った。お腹が痛くなるくらいに笑ったり、枕の綿が飛び散ってしまうほど互いを枕で叩き合った二人。二人の感情が極限まで達したとき、感情の接点と接点が触れ合い、強い絆が生まれた。枕叩きのシーンは、絆を深めて行くのに、感情を極限の状態で震わせることの大切さが描かれているように思う。おそらく、これは、私たちの生活にも応用できるエッセンスだ。

 とにかく、一つ一つの事象を見事に絡ませながら、とても丁寧に描かれた作品だった。笑いでごまかさないのは、この映画がラブコメディーではないからだ。ツインソウル的な二人のじゃれあいも見物である。普段、熱心に料理をしない人であっても、この映画を観れば、じっくりと台所に立って、お料理を作りたくなってしまうかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「運命的な人にはどのように出会うか?」という問い掛けに対し、私は、「自分が本当に好きなことを見つけたときに出会うと思う」と答えて来ました。この映画の中のケイトとニックは、料理という共通の世界で出会います。二人とも、本当に料理が好きなのですね。これが趣味ならば、主導権を争うこともないのかもしれませんが、とりわけケイトがプライドを持っている仕事であるがゆえに、二人の間に対立が生まれます。しかし、運命的な出会いには、キューピット役がつきものなんですね。そのあたりの展開も実に良く出来ていて、とても好感の持てる映画でありました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。運命的な人とは、自分がこだわりを持っている分野で

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2007.10.13

ホットヨガ(七十四回目)

 久しぶりに、三宮店で脂肪燃焼コース2のホットヨガのレッスンを受けた。I医師の診察を受けて以来のレッスンなので、ホットヨガのレッスンとしては二週間ぶり、カリスマインストラクターが担当してくださる土曜日の三宮店の脂肪燃焼コース2のレッスンとしては三週間ぶりとなった。

 今回、一緒にレッスンを受けたのは、私を入れて十一名の方たちだった。いつも鏡越しにお会いする方たちが見当たらなかったので、少しずつ参加者の顔ぶれが変わって来ているようにも思え、ちょっぴり寂しい気がした。

 久しぶりのレッスンだったからだろうか。それとも、体調があまり芳しくなかったせいだろうか。ひどく疲れてしまった。その割には、汗もそれほど噴き出しては来なかった。いつもは、それこそ恥ずかしいくらいに汗が噴き出して来るというのに。いつもよりも消極的な姿勢だったので、身体の活動が止まってしまっていたのかもしれない。筋腫のせいかどうかわからないのだが、私はときどき、ひどく消極的な態度を取ってしまうことがある。活動的になろうとしても、気持ちが奮い立たず、どうしても活動的にはなれないのである。そういうときは、感情の動きが停止し、集中力も失い、何をするのも億劫になってしまう。ホットヨガのレッスンについても、以前は、大阪や京都の支店にまで精力的に足を運んでいたはずなのに、最近は、神戸店と三宮店を行ったり来たりしているだけだ。京都四条通店では、今月、野外ヨガのイベントが予定されているはずだが、今回はどうも参加できそうにない。

 ところで私は、座位のポーズを取っていると、足の先を天井に向けて座ることがとても苦しいと感じてしまう。両足を投げ出して座る姿勢は、座位のポーズの基本姿勢であるはずなのに、苦しくなってしまうとは困ったものである。おそらく、身体に歪みがある証拠なのだろう。私がもっとも楽だと感じる姿勢は、胡坐をかいて座る姿勢である。だから、水分補給をするタイミングになると、待ってましたとばかりに胡坐をかく。もしかすると、骨盤が開き過ぎているのだろうか。脂肪燃焼コース2は、脂肪燃焼を目的としたコースなので、身体の歪みを取るためには、ベーシックコースなどに戻ったほうがいいのかもしれない。

 今回のレッスンで、私はお腹をかばいながらレッスンを受けた。脂肪燃焼コース2では、前半に行う太陽礼拝のポーズのときにも、後半に行うスフィンクスのポーズに続くポーズのときにも、腕立て伏せのように、お腹に力を入れるポーズがある。しかし、お腹をかばいたい気持ちが優先してしまい、それらのポーズを取ることができなかった。確か、初めて脂肪燃焼コース2のレッスンを受けたとき、お腹はかばうものではなく、使ってやるものだなどとここに書いたことを覚えている。あのときのエネルギッシュな私はどこへ行ってしまったのだろう。最近、どこか様子が変なのだ。精神的に弱気になっているのかもしれない。

 実は、私を弱気にさせている要因は、そろそろ手術を受けるかどうかをはっきり決めなければならないことにあった。I医師の次の診察は二週間後に迫っている。I医師の診察を受けたときは、信頼できる医師に出会うことができて、子宮鏡手術を受けてみようかという気持ちになっていた。しかし、こうして少しずつ月日が流れて行くと、まるで魔法が解けてしまったかのように、やはり手術に対する抵抗が生まれて来る。全身麻酔が恐ろしい。私は、手術後にちゃんと目を覚ますことができるのだろうか。

 仮に、子宮鏡手術を受けたとしても、再発のことが心配だった。I医師は、私の子宮の中にはたくさんの筋腫予備軍があるとおっしゃった。それらが成長して来るのも時間の問題なのだそうだ。となると、子宮鏡手術で筋腫だけを切除したとしても、再び同じ手術を受ける必要が出て来るかもしれない。そうなると、再び恐ろしい全身麻酔を体験することになってしまう。仮に手術を受けるとしても、恐ろしい全身麻酔を一回で済ませるためには、子宮全摘手術のほうがいいのではないだろうか。そんなことが私の頭の中をグルグルと駆け巡っているのである。

 しばらく私の葛藤は続きそうだ。やはり、答えを出すことができない。何故、答えを出せないのかと言うと、今が決定的なタイミングではないからだと思う。例えば、貧血でひどく苦しんでいるとか、生理が辛くてたまらないといった状況には陥っていない。だから、手術の必要性を実感することができないのだと思う。ホットヨガのレッスンの間にも、考えることが多くて困ったものである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 元気の元は、お腹から来ているのでしょうか。今の私は、お腹をかばう傾向にあり、お腹に力が入っていません。そのせいか、いつもふわふわと浮いているような感覚で、集中力も失ってしまっています。じっと座っていられない不快感のようなものを常に感じています。ホットヨガのレッスンで、インストラクターから、「お腹に力を入れて、丹田のあたりを上に引き上げるような感じ」と指示されることがあります。しかし、お腹に力の入らない私には、何のことだかさっぱりわからないのです。それだけ、第二チャクラのあたりが弱ってしまっているのでしょうね。内臓に弱いところがあると、身体はそこに肉を付けて守ろうとするそうです。弱って来ると、そこに力が入らなくなるのに、肉が付いてしまうとはトホホですね。(^^;

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2007.10.12

ちょっと待って、江原さん

 島原のびっくり旅館に宿泊したときに、『オーラの泉 二時間スペシャル』という番組を観た。ご存知のように、私は普段、まったくと言っていいほどテレビを観ていない。テレビを観なくても、欲しい情報が手に入る便利な時代になったことと、普段の生活の中で、テレビを観る時間を確保できないことがテレビを観ない理由である。私がテレビを観なくなってからも、ガンモは寝室にあるテレビを観ていたが、そのテレビが壊れてしまってからは、ガンモもテレビを見なくなってしまった。もちろん、私たちの携帯電話にもテレビは付いていない。今回、旅館に泊まり、ガンモがテレビを付けたのは、仲居さんが部屋にお料理を運んでくださるときに、沈黙にならないように配慮したためだと思われる。

 『オーラの泉 二時間スペシャル』を拝見して、改めて、江原さんの偉大さを実感した。数年前に江原さんの書かれた本を読ませていただいた頃の江原さんは、精神世界に興味を持っている一部の人たちだけに知られているまだまだマイナーな存在だった。しかし、テレビという媒体は、情報を広めるスピードと量が著しい。そんな状況下にあっても、決して驕(おご)ることなく、人々にスピリチュアルなメッセージを伝え続けている江原さんの姿は素晴らしい。

 二時間スペシャルのゲストとして登場された貴乃花光司さんと寿美花代さんに向けられたスピリチュアルメッセージの中にも、目を見張るような言葉が多かった。一つは、霊がメッセージを伝えたいと願うときには、相手にとって最も自然でわかり易い方法を使うということだ。貴乃花光司さんの場合は、夜中にご自宅で、病院にいらっしゃるはずのお父様の姿を見たあと、灰皿の中に水が入っていたそうだ。お父様は、煙草を吸ったあとに灰皿の中に水を入れる癖があったという。すなわちお父様は、そういう方法で貴乃花光司さんの元を訪問したことを伝えたかったらしい。実際は、お父様ではなく、お父様の守護霊がお父様に姿を変えて現れていたそうである。

 生まれて間もないお子さんを殺されてしまった寿美花代さんには、高島忠夫さんとの愛情関係は前世から続くもので、殺されたお子さんは、前世で愛人関係にあったお二人が、この世に出せなかったお子さんだったとおっしゃった。また、そのお子さんは現世では命を限って生まれて来られたのであって、目的を果たして亡くなられたのだという。実は、ガンモにも、幼くして水の事故で亡くなった弟がいる。子供が幼いうちに亡くなってしまうということについて、以前にもスピリチュアルな観点から同じような話を聞いたことがあった。私は過去にそのような話をどこかで聞きかじり、身近な状況に当てはめて納得させようとしていたが、どうもしっくり来なかった。おそらく、知識を当てはめようとしていたために、うまく行かなかったのだろう。しかし江原さんは、寿美花代さんに対して納得のできる形でコメントされていた。江原さんの場合は、知識ではなく、真実と結び付いた感覚を使われたのだろう。さすがである。前世で世に出すことのできなかった赤ちゃんが、現世ではご夫婦の間に生まれたということは、長い目で見ると、大きな前進に繋がっていると思う。私たちの魂はいっぺんに大きく躍進するのではなく、少しずつ、少しずつ前進しているのだろう。生後間もないお子さんが亡くなられたことは、その後のご家族の絆を育てる役割を果たしていると江原さんはおっしゃった。

 他にもいろいろなスピリチュアルな話題が飛び交っていたのだが、既に多くの方たちがブログなどで取り上げられているので割愛させていただくことにして、私は、他の方たちがあまり触れていない部分について書いておきたい。それは、江原さんが番組の中で取り上げられたアメリカニューヨーク州のブルックリンに住むアイリーン・ミックラックインという同姓同名の二人の女性をツインソウルと表現されたことだ。

 同姓同名のお二人は、名前が同じばかりでなく、生年月日も同じ、血液型も同じ、父親の誕生日も同じ、子供の誕生日も同じ、医療関係者であることも同じ、離婚暦があることも同じ、好きな俳優がブラッド・ピットであることも同じという驚くべき共通点を持っている。江原さんは、このお二人は、世の中にこのような共通点を持った人が存在することをデモンストレーション的に伝える役割を持って生まれた来たツインソウルであるとおっしゃった。

 「いやいや、ちょっと待って、江原さん」と私が思ったのは言うまでもない。かつて、私の運営しているホームページの掲示板で、世の中にツインソウルという言葉を広めている存在として、江原さんの名前が挙げられたことがある。今回の『オーラの泉 二時間スペシャル』で、私はその場面を目の当たりにしたわけだが、厳密に言うと、お二人はツインソウルではなく、ツインフレームではないだろうか。私の感覚では、ツインソウルはどう見ても陰と陽で正反対である。正反対だから、反発することもあれば、引き合うこともある。

 また、私だけの感覚かもしれないが、ツインソウル同士が写った写真を拝見すると、エネルギーがX字を描きながら交差しているのを感じる。しかし、テレビに映った二人のアイリーンを拝見しても、X字のエネルギーは感じられなかった。やはり、二人のアイリーンは、ツインソウルというよりも、双子の魂という意味でも共通点を持ったソウルメイトに近いツインフレームなのではないだろうか。もちろん、私が感じていることが絶対的とは言えないのだが。

 参考までに、以下に、私が普段から感じているエネルギーのモデルを紹介しておきたい。これらは、人間を乾電池に例えた図である。

ツインソウルのモデル。
ツインソウルの場合は、
お互いの極と反対側の極と繋がっているために、
X字を描き出す。
乾電池の繋ぎ方で言うと、直列繋ぎである

ソウルメイトのモデル。
共通点で結び付くソウルメイトは、お互いの同じ極が繋がっている。
乾電池の繋ぎ方で言うと、並列繋ぎである

 私自身はツインフレームには出会っていないので想像するしかないのだが、ツインフレームに出会ったという方がメールに書き出してくださった年表によれば、『オーラの泉 二時間スペシャル』で取り上げられた二人のアイリーンのように、いろいろな出来事がほぼ同時に起こっていた。だからやはり、二人のアイリーンもツインフレームだと私は思う。

 江原さんの公式サイトには、守護霊と補助霊、主護霊を明確に区別していらっしゃるというようなことが書かれている。それと同じように、私はツインソウル、ソウルメイト、ツインフレームを明確に区別したい。確かに、双子の魂という意味ではツインフレームもツインソウルと一括りにできるのかもしれないが、いくらデモンストレーション的な意味合いを持っていらっしゃるお二人であったとしても、『オーラの泉 二時間スペシャル』をご覧になって、初めてツインソウルという表現に出会った方たちが、「ツインソウルとは、驚くべき共通点の多い存在」というイメージを抱いてしまうのは少しばかり残念に思えたので、この記事を書かせていただいた次第である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 寿美花代さんが宝塚時代に、舞台から七メートル下に落ちたことがあったそうです。そのとき、寿美花代さんは、亡くなられたお母様が抱きかかえてくださったのを感じていらっしゃったとか。実は、私には、その感覚が良くわかるのです。肉体がそこになくても、存在を強く感じて、その存在が自分に対して何をしてくれているかをはっきりと感じ取る瞬間があります。そういう感覚は、他の方も経験されているのですね。それは、曖昧な感じではなく、はっきりとそれとわかる感覚です。

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2007.10.11

コンプレックスから役割へ

 島原のびっくり旅館で朝食をとったときのことである。私たちが朝食をいただいたのは、六畳くらいの広さの食事部屋だった。その部屋で、私たちを含めた五人が朝食をいただいた。おそらく、朝食の開始時間によって、部屋が分かれていたのではないかと思われる。私たちが下手(しもて)に座り、他の三人が上手(かみて)に座った。三人のうち二人は五十代後半と思われるご夫婦だった。

 朝食は、夜ほどたくさんの量はなく、ほどよいボリュームだった。ただ、知らない者同士が食卓を囲むので、何となく無口になる。私は気付かなかったのだが、もくもくと食べているうちに、隣で食べているガンモのお茶碗が空になったらしい。突然、上手に座っていたご夫婦の奥さんがガンモに向かって両手を差し出して、
「お替りいかがですか?」
と言ったのだ。お替りに対応するため、ご夫婦の後方には、ご飯の入ったお櫃が置かれていた。私は、「うわっ、しまった!」と思った。

 例え自分の夫でなくても、同じ場所で朝食をとっている男性のお茶碗の空き具合に注意を傾けるという気の効いた行為は、私には欠けてしまっている意識である。私は昔から、この手の状況にうまく対応することができない。例えば、飲み会の席でも、グラスが空いている人に甲斐甲斐しくお酒を勧めることができない。また、鍋物などの世話をするのも苦手である。みんなにお皿を配ったり、出来上がったお料理を小分けしてお皿に盛ったりする行為のも苦手なのだ。私がそれを実践しようとすると、まるで自分が偽善者になったような気がしてしまうのだ。

 例えば、自宅ならば、アバウトな盛り付けでも済ませられる。つまり、わざわざ小分けしなくても、一つのお皿に大盛りでいい。しかし、宴会となるとそうも行かない。心の中では、「アバウトでいいじゃん」と思っているのに、実際はアバウトにできないジレンマ。私はそんなジレンマを抱えているというのに、そうしたジレンマをものともせず、てきぱきと行動できてしまう人もいる。

 また、飲み会の席でなくても、例えば買い物をして両手が塞がっているときに、リュックを背負い直そうとすると、
「持っておこうか?」
とさりげなく声を掛けて、両手に持っている買い物袋を一時的に引き取ってくださる人もいる。私は、そういう親切に出会うと、自分には絶対に気付くことのできない領域だと思ってしまう。時には、自分の至らなさを見せ付けられてしまったような気がして、気後れしてしまうことさえある。実際は、そういう人の存在が、その場をうまく切り盛りする役割を果たしているというのに。

 おそらく私は、そうした状況に対し、てきぱきと行動できる人を前にして、コンプレックスを感じてしまうのだと思う。それは、女性性の欠如というコンプレックスだ。おそらく、そうしたコンプレックスを刺激されてしまうために、コンプレックスが明るみになってしまうのが怖いのだろう。

 実は、こうした気遣いができないというコンプレックスは、私にはずっと小さい頃からあった。私がこうしたコンプレックスを意識し始めたのは、二歳年下の従妹と比較されるようになってからだと思う。従妹は私と違って、料理が好き、裁縫も好きという実に家庭的な女の子だった。みんなが従妹のことを家庭的だと褒めるものだから、私はすっかりひねくれてしまい、その部分を伸ばそうとは思わなかった。私の母もまた、私とはまったく対照的で家庭的な人である。あまりにも家庭的な人が周りにいると、もともと家庭的でない人は、家庭的なことに対して自分の役割を見出そうとせず、反対にひねくれてしまうのではないだろうか。

 しかし、コンプレックスを抱くような出来事も、それぞれが役割を果たしていると考えることができれば、楽になれる。人がそれぞれ役割を持って生まれて来たのだとすれば、私の役割は、お茶碗が空いた男性にそっとお替りを勧める女性の役割ではないのではないか。宴会のときに、空いたグラスにお酒を勧める役割ではないのではないか。リュックを背負い直すときに荷物を持ってあげる役割ではないのではないか。そういう役割の人は、私以外に存在しているのではないか。

 役割を細かさに置き換えて考えてみよう。私の細かさの一つは、コンピュータ方面にある。例えば、日頃実践している細かさの一つに、メールヘッダの編集作業がある。私が参加しているメーリングリストには、メーリングリストのメールアドレスとは別に、登録されている一部の人にだけに届くメールアドレスがある。しかし、そのメールアドレスはメーリングリストとは連携していないため、登録されている一部の人たち全員にメールは届いても、そのメールに返信すると、メールの発信者にだけ返信メールが届いてしまう。何故なら、メーリングリストと違って、Reply-Toのヘッダが付加されていないからだ。そうなると、せっかく登録されている一部の人全員にメールが届いているのに、話の流れが読めなくなってしまう。私は、そのメールアドレスに届いたメールに返信するときは、わざわざReply-Toのヘッダを付加して、Reply-Toのヘッダに対し、登録されている一部の人だけに届くメールアドレスを設定して送信している。そうすることによって、そのメールに返信すると、登録されている一部の人全員にメールが届くようになるからだ。しかし、そうしたことに細かくない人は、わざわざメールヘッダを編集したりしない。だから、私の役割は、こうした不便さに対応しようとするところにあると思っている。他の人が細かくはなれないが、私が細かくなれるところに、私の役割があるのだ。

 「お替りいかが?」と声を掛けてくださった奥さんが、メールヘッダに注目しているとは思えない。この広い世の中で、みんながみんな、同じことをしなければいけないわけではないのだ。何かの細かさが欠けているからと言って、気後れする必要もない。みんなそれぞれ役割を持って生きているだけだ。そう考えると、コンプレックスを抱えていることも楽になった。コンプレックスを抱えている人は、その役割を持っている人に遠慮なくお任せしてしまえばいいのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモと私の相性は、コンプレックスに対して気後れしない相性だと思います。ガンモは私に「お替りいかが?」のような女性性を求めません。そういう相性がソウルメイトなのかもしれません。そうなると、ないものを無理に求めようとする相性がカルマの相性で、ないものをカバーし合う相性がツインソウル。こんな感じでいかがでしょうか。

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2007.10.10

福岡空港から帰路に就く

 明けて月曜日は今回の三泊四日の旅の最終日である。私たちは、夕方の飛行機で福岡空港から大阪(伊丹)空港に向けて飛び立つことになっていた。佐世保駅でのんびりとお土産を選んだあと、ひとまず特急列車のMIDORI EXPRESSに乗って佐賀まで出た。JR九州の特急列車は、判別するのが難しい。というのも、複数の特急列車が連結されているからだ。私たちが乗車したMIDORI EXPRESSにも、特急ハウステンボスと特急かもめの車両が連結されていた。今回の旅の初めに乗車した寝台特急なは・あかつきもそうだったが、出発地が同じで途中まで同じ経路を走る場合や、出発地が異なっていても目的地が同じである場合に特急列車の連結が行われるようである。目的地が異なる場合は、分岐点で、一度連結された車両の切り離しが行われる。

 佐賀で二時間ほど時間があったので、私たちは駅前のラーメン屋さんで昼食にラーメンを食べた。
「ただいまの時間、ご飯をサービスさせていただいておりますが、いかがなさいますか?」
と聞かれ、九州に来てから既に食べ過ぎているというのに、
「じゃあ、お願いします」
とサービスを受けてしまった私たちである。そう、サービスに弱いのだ。

 昼食を取ったあとは、再び佐賀から臨時特急佐賀キャンペーン号に乗り、今度は唐津へと向かった。この特急列車は、JR四国からやって来た車両で、フローリングされているなど、JR九州仕様に生まれ変わっていた。

 唐津駅では、面白いものを見た。唐津駅の駅長さんの名前が金持さんとおっしゃるのだそうだ。その苗字が金運を呼ぶということで、金持ち神社なるものが駅の改札付近に設置されていたのだ。ご丁寧に、金持駅長さんの似顔絵が描かれた記念スタンプまで用意されている。私もそのスタンプをスタンプノートに押してみた。駅長さんがキャラクターになっているのは面白い。

 唐津からは、福岡空港行きの直通列車に乗り換えた。唐津という地名は知っていたが、その唐津が佐賀県に属していたとは知らなかった。こうして、いよいよ私たちの旅も終盤に差し掛かって来たわけである。

 福岡空港に着いて、自動チェックイン機を操作すると、
「ご希望の席をお取りすることができませんでした」
というメッセージが表示された。どうやら、ガンモと隣り合わせの席を確保できなかったらしい。確か、予約時にもそのような情報が得られたとガンモが言っていたが、三連休の最終日の夕方の便ということで、混み合っているのだろう。これまで、ガンモと一緒に何度も飛行機に乗って来たが、ガンモと離れ離れの席になるのは初めてのことだった。いつもすぐ隣にガンモがいると思っていたのに、今回は寂しいことに、離れ離れになってしまうのである。

 ところで、飛行機に乗る前には、いつも手荷物チェックがある。私はほとんど毎回、このチェックに引っ掛かり、女性係員から詳細な検査を受けている。その度にガンモは、「ほうら、また引っ掛かったか」というような涼しい顔をして私の様子を観察している。ガンモは私がチェックに引っ掛かるのが楽しいらしい。引っ掛かる原因は、万歩計だったり、ダイエット目的で履いている重い靴に埋め込まれた金属だったりする。今回も、私はダイエットシューズを履いていた。夏に履いていた裸足のサンダルを少し早めに卒業して、両足で合計三キログラムもあるダイエットシューズを履いていたのだ。靴を重くするには、多くの金属が使用されているはずである。これは絶対にピーンと鳴るだろう。そうなれば、またガンモが喜んでくれるだろうか。そんなことを思いながら、覚悟してゲートをくぐった。しかし、いつも敏感に反応するはずの機械がまったく反応を示さず、私は難なくスルーしてしまったのだ。あれれれ? この機械、本当に大丈夫なのだろうか? 逆に不安になってしまった私である。まさか、筋腫がたくさんあると、金属を吸収してくれるのだろうか? いやいや、そんなはずはない。不思議に思いながらも、いつものようにガンモを楽しませることができなかったので、今度は私のほうが「しめしめ」と思っていた。

 搭乗ゲートの待合室でしばらく待っていると、間もなく搭乗案内が始まった。私たちは一緒に乗り込んだが、席は別々なので、しばしぼお別れをした。わずかの時間であっても、離れ離れになるのは寂しいものである。しかも、二人とも三列席の真ん中の席だった。飛行機の席に一人で座ると、まるで一人旅みたいだ。二人掛けの席にご夫婦で並んで座っている方たちをうらやましく思いながら、私は自分のシートに腰を降ろした。

 伊丹空港までのおよそ五十分、私は前ポケットに用意された航空会社の冊子に目を通していた。すると、ギリシャのサントリーニ島の紹介ページが目に留まった。私は、画用紙で作られたようなその白い街並みに釘付けになった。街並みもいいが、何と言っても、その冊子で掲載されていた大きなマルチーズのようなムクムクした子犬がかわいかった。実は私は、ムクムクした犬が大好きなのだ。ああ、その犬に会いたい。その犬を抱きかかえ、その犬のお腹から前足の辺りを触りたい。私は、ムクムクした犬を見ると、そんな欲望がムクムクと沸き上がって来るのだ。

 私たちが乗った飛行機は、無事に伊丹空港に到着した。旅の終わりはいつも寂しいものである。私たちは、最後にちょっとした旅を楽しむために、空港リムジンバスに乗り、JR尼崎まで出て、それから帰宅した。こうして私たちの三泊四日の旅が終わりを告げたのである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m きのうの記事は、誤字が多くて申し訳ありませんでした。m(__)m 夕方以前に読んでくださった方には、大変ご迷惑をお掛け致しました。昼休みが終わる直前に、慌ててアップしたのがバレバレですね。(^^; と言いつつも、またしてもお昼休み終了ギリギリの更新になってしまいました。(^^; 週末には何とかペースを取り戻したいものです。ちなみに、一度アップしたあとの記事の日付が変わっていると、ひとまず推敲を終えたという目安になろうかと思います。(苦笑)

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2007.10.09

佐世保バーガー

 島原鉄道のトロッコ列車を満喫したあとは、コインロッカーに預けておいた荷物を取り出して、次なる宿泊地となる佐世保へと向かった。島原鉄道で諫早(いさはや)まで出て、諫早からはJRに乗り換え、SEA SIDE LINER(SSL)で終点の佐世保に到着したのは、夕方のことだった。

 佐世保駅に降りた私たちは、駅の構内に巨大なハンバーガーのオブジェが設置されているのを発見した。何だ、これは? 駅を出て、横断歩道を渡ったところにも、佐世保バーガーの看板が掲げられていた。佐世保がハンバーガーで有名なところだったとは知らなかった。日本史の教科書にも出て来なかったし、親からも教わらなかった。世の中には教科書に載っていないことが多い。教科書に載っていないことを探すために、私たちは社会に出て行くのだろうか。

 ホテルにチェックインしてしばらくくつろいだあと、私たちは商店街へと繰り出した。商店街は、佐世保駅から歩いて数分のところにある。長崎に来てからずいぶん食べ過ぎているので、夕食は軽く済ませたいと思っていた。それならば、佐世保バーガーがちょうどお手頃なのではないだろうか。こうして私たちの、佐世保バーガーを探す旅が始まったのである。

 商店街の入口付近に、佐世保バーガーのお店、ラッキーズ京町店があった。しかし私たちは、そこでは佐世保バーガーを買わずに、商店街の奥へと進んだ。いきなり目的を達成してしまっては、佐世保バーガーを探す旅が終わってしまうからだ。こうした決断は、成功することもあれば、失敗することもある。成功するときは、最初のお店を見送ったあとに、「ここだ!」と思えるようなお店を見付けたときである。失敗するときは、商店街を歩けど歩けど別のお店が見付からなかったときである。果たして、今回はどのような結末を迎えるのか。

 いろいろな都市の商店街を歩いていると、商店街の雰囲気が別の都市と似ていることもあり、自分が一体どこの商店街を歩いているのかわからなくなってしまうことがある。佐世保の商店街は、高知や姫路の商店街に似ていた。私たちは、高知や姫路の雰囲気を思い出しながら、長い長い商店街を歩いた。

 商店街を歩いて行くうちに、佐世保バーガーを売っている老舗の喫茶店に付いた。白十字パーラーである。お店のショーウィンドウには、佐世保バーガーのサンプルがディスプレイされている。しかし、このお店では、佐世保バーガーを食するというよりも、佐世保のお土産を買ったほうがしっくり来る。そんな上品な雰囲気の漂うお店だった。私たちは、白十字パーラーも見送って、ホテルでもらった佐世保バーガーのガイドブックを頼りに商店街を練り歩いた。

 やがて、少し横道に入ったところに、大繁盛している佐世保バーガーのお店を見付けた。お店の名前はビッグマンである。お店の外には、出来上がり待ちの人たちがたくさん待機している。「よし、ここだ! ここにしよう!」私たちはそう思い、店頭に掲げられているメニューを眺めた。

 佐世保バーガーは、マクドナルドなどのハンバーガー店に比べると、少々割高である。大まかな目安としては、マクドナルドのセット価格が佐世保バーガーの一個分の値段となっている。私は、メニューの中から薩摩黒豚バーガーを注文し、ガンモはトリプルバーガーを注文した。代金を支払って番号札を受け取り、お店の外のベンチに腰掛けてしばらく待った。

 数十分待つと、私たちの番号札の番号が呼ばれた。ようやく出来上がったようである。私たちは、その場で袋を開けて食べ始めた。むむむ、大きさはそれほど大きくないが、パンが柔らかい。塩加減がちょうどいい。大量生産ではなく、一つ一つ丁寧に作られている。病みつきになるほどではないが、確かにこれはおいしい。

 お店の周辺に居た人たちは、ほとんどが観光客のようである。デジタルカメラを取り出して、撮影をしている人たちもいる。女性の二人組が、袋から佐世保バーガーを取り出して記念撮影をしていた。その後、若い三人組がやって来て、
「シャッターを押してもらますか?」
と二人組の女性にカメラを渡しながら頼んでいた。二人組の女性は、喜んでシャッターを押してあげていたのだが、何を思ったのか、
「持ちます?」
と言って、自分が購入して、さきほど記念撮影をするために袋から取り出したばかりの佐世保バーガーを彼らに差し出したのだ。その様子を見守っていた私たちも、思わず笑ってしまった。彼女たちが、彼らのためにシャッターを押してあげるだけでなく、記念撮影のための佐世保バーガーまで貸し出してあげていたからだ。

 長崎に来てから食べ過ぎ気味だったので、夜はハンバーガーだけで済まそうと思っていたものの、ポテトや飲み物も注文せずに佐世保バーガーを一つ食べただけだったので、さすがに空腹感は満たされなかった。そこで私たちは、ガンモが買っていたシュークリームをほおばった。

 Wikipedia:佐世保バーガーによれば、佐世保バーガーがブレイクしたのは、ごく最近のことなのだそうだ。コンビニでも売られているらしい。そんなことも知らなかった私たちである。佐世保には自衛隊の基地があるため、横須賀で行われた交流物産会の郷土料理の出店で大繁盛したことがブレイクに繋がったらしい。確かに、佐世保の街を歩いていても、外国人の軍人さんらしき人がたくさんいらっしゃった。なるほど、そうした背景も手伝って、佐世保でハンバーガーが受け入れられるようになったのだろう。

 なお、佐世保には、ジャパネットたかたの本社があるのだそうだ。ということは、ジャパネットたかたの社長さんの語り口調は佐世保弁だったということだ。一つ、謎が解けてすっきりである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅くなりまして、申し訳ありません。仕事が忙しく、帰宅時間が遅いため、夜のうちに書き上げられず、次の日の通勤時間と昼休みまで持ち越してしまっています。電子メールや掲示板の返信も滞ってしまい、申し訳ありません。現在、電子メールと掲示板の返信を合わせると、二十通ほど溜まっております。(^^; そう言えば、以前の日記に、JR九州のデザインが優れていると書きましたが、九州には南蛮から渡って来た文化を吸収した独自の文化が育っているのですね。長崎は、南蛮の文化が最も色濃く現れている土地なのかもしれません。今回の旅行で、三年前に出掛けたハウステンボスが佐世保市に位置していたということを初めて知った私たちでした。

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2007.10.08

がまだす島原半島(後編)

びっくり旅館の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 仲居さんたちの天然のおもてなしを一緒に楽しんでくださいましたでしょうか。仲居さんの話によれば、びっくり旅館は、魚屋さんだけでなく、お肉屋さんも併営しているのだそうです。それで、いろいろなお料理が次から次へと出て来たのでしょうね。いやはや、びっくりであります。ちなみに、旅館の名前は「びっくり旅館」ではありません。びっくり旅館の記事の中に、そっと埋め込んでありますので、ご参考になさってください。

 私たちは、お世話になったびっくり旅館をチェックアウトしたあと、再び島原駅へと向かい、ひとまず荷物をコインロッカーに預けた。これから、島原鉄道のトロッコ列車に乗車するのである。

 トロッコ列車と言うと、二年前に乗車した黒部峡谷鉄道同じく二年前に乗車した予土線のトロッコ列車が記憶に新しい。トロッコ列車は、何も子供たちだけを楽しませる乗り物ではない。大人たちをも童心に返してくれる乗り物なのだ。その証拠に、トロッコ列車に乗車している大人たちの表情は、みんなニコニコ顔だ。トロッコ列車に乗っている大人たちがみんな、幼稚園バッグを持っていてもおかしくはない。これまで乗車したトロッコ列車が大盛況だったことからすると、私たちは潜在的に、自然に対してオープンでありたいと願っているのではないだろうか。

 島原鉄道のトロッコ列車は、三月二十五日から十一月三十日に限って運行されている。料金は往復で大人一人五百円と他のトロッコ列車に比べて格安で、島原から深江までをおよそ一時間掛けて往復する。トロッコ列車が運行する区間は、平成二年に発生した雲仙・普賢岳の噴火で火砕流などの大きな被害を受けた地域である。トロッコ列車の中では、地元の方が語り部を担当してくださり、雲仙・普賢岳の噴火災害の様子などを詳細に聞かせてくださった。

 トロッコ列車から山側を眺めると、雲仙・普賢岳の噴火でできた平成新山が見えている。火山の噴火で一つの山ができるなんて、私たちには想像もつかないことだ。しかも、新しくできたこの山は、これまで雲仙岳の最高峰だった標高一三五九メートルの普賢岳を抜いて一四八二メートルもあり、雲仙岳の新たな最高峰になっているという。

 火砕流が発生したため、語り部の方も、四年余りに及ぶ避難生活を余儀なくされたそうだ。実際に火砕流によって家を流されてしまった人たちも数多くいらっしゃるという。語り部の方は、避難生活を送っている間、家が流されるのではないかと、心配でたまらなかったそうだ。また、家畜を飼っていた人たちは、家畜を避難させることができなかったため、家畜に餌を与えることもできず、多くの家畜を死なせることになってしまったそうだ。私は、餌を食べることもできず、餓死してしまったであろう家畜のことを思うと胸が痛んだ。家畜を避難させることができないならば、せめて、自然に返してやることはできなかったのだろうか。

 島原市の雲仙普賢岳噴火災害年表を拝見すると、火砕流が発生したあと、台風による土石流が発生し、更に多くの家屋が崩壊している。雲仙・普賢岳のふもとにある島原市は、海に向かって緩やかな傾斜が続いているため、被害に遭い易かったのかもしれない。

 島原鉄道も、線路を修復しては破壊され、また修復しては破壊されといういたちごっこが何度も何度も続いたようだ。語り部の方は、自然にはかなわないとおっしゃった。そして、「災害で苦しんでいるときに私たちの支えになったのは、全国の皆さまからの励ましの声や義援金、救援物資でありました。その節は、本当にありがとうございました」と私たちにおっしゃった。私はそれを聞いて、胸がぐっと詰まる思いがした。というのも、語り部の方の案内がとても素晴らしいと感じていたので、その方は現世で既に役割を見付けられた方だと実感していたからだ。だからこうしてトロッコ列車に乗っている観光客に島原の災害の様子を伝え、また、全国の人たちに助けられたことへの感謝の気持ちを述べることができるのだろう。

 実際、どこかで災害が起こったとしても、救援はいつも間接的で、それに対する被災者の方たちの気持ちも間接的にしか伝わらない。しかし、島原鉄道のトロッコ列車の語り部の方は、災害の体験談を直接的に語り、全国の人たちに助けられたことへの感謝の気持ちを直接的に述べる。これは素晴らしい循環だ。自分の役割を見付けた人でなければ、実践できないことである。

 そこで私は、「そうか」と思った。私が時々使う「接点」という言葉は、特定の役割を持った人が、集団、あるいは個人に対して役割を果たすことを意味しているのではないだろうか。接点とはつまり、橋渡しのことだ。島原鉄道のトロッコ列車で語り部を担当してくださった方は、雲仙・普賢岳の被災者の方たちと、私たち観光客との間に立ち、橋渡しの役割を果たす接点だった。

 時間はゆっくりと流れて行く。私は、四年余りにも及ぶ避難生活を終えた島原の人たちが、再び同じ場所に戻って来たことに感動した。もちろん、家が残っていれば、家を守り続けたい気持ちもあるだろう。しかし、大きな被害を受けたにもかかわらず、まだまだ火山活動が止まないでいる火山のふもとで、その場所を捨てずに人々が住み続けていることは、実に驚くべきことである。捨てたくないから、「がまだす島原半島」という合言葉が生まれた。他にも、がまだすドーム、がまだすロードなど、「がまだす」がいろいろなところに使われている。びっくり旅館の仲居さんたちだって、夜遅くまで、がまだしている。何だろう、この底力は。守りたい。復興させたい。活気付けたい。そんな気持ちから来ているのだろうか。

 雲仙・普賢岳の噴火が人々に与えた影響は大きい。数十名の方たちが命を奪われ、たくさんの家屋が崩壊した。それでもなお、雲仙・普賢岳の噴火は、単なるネガティヴだけでは済まされないものがある。きっと、島原の人々は知っているのだ。雲仙・普賢岳の存在が、ネガティヴばかりではないことを。温泉に恵まれていることや、観光客が訪れることで、人々の生活が活性化されていることを。島原の人たちは、自然に逆らうことなく、自然のポジティヴな面もネガティヴな面も受け入れ、常に自然とともにあるのだ。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 雲仙・普賢岳の噴火の傷跡は、ほとんど残っていないように見受けられました。ダメージを受けても、長い年月を掛けて元に戻って行くのですね。災害が発生していた当時からすれば、観光客がトロッコ列車に乗って被災地を観光しているなんて、けしからん行為でしょう。でも、今では立派に復興し、観光客も受け入れています。災害に遭っても、そこを離れない精神は素晴らしいですね。何があっても離れない、ツインソウルの夫婦のような強さを感じます。(^^)

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2007.10.07

びっくり旅館

 今回、私たちが宿泊した旅館は、ガンモが楽天トラベルで見付けた旅館だった。過去にこの旅館を利用された方のコメントに、以下のように書かれているのを拝見して、この旅館に宿泊してみようと決めたそうだ。

唯一無二で、不思議な魅力にあふれた旅館です。この旅館には、他の旅館に期待するような清潔さや快適さなどをもとめてはいけません。『千と千尋の神隠し』に出て来そうな旅館の造りと風情。おかみさんたちのフランクな対応。古いけど清潔で、積み重ねてきた歴史や日本を感じさせる岩永旅館全体から漂う雰囲気はなんともいえず、もう一度訪れたいと思わせる何かがあります。

(以上、岩永旅館:お客様の声より引用させていただいた)

 このようなコメントを拝見すれば、誰でも気になることだろう。その旅館に宿泊すれば、私も『千と千尋の神隠し』の千尋のように、自分の名前の一部を失ってしまうのだろうか。「まるみ」というハンドルが「まる」になってしまったらどうしよう。とにかく、どんな旅館なのか興味津々で、とてもわくわくしていたのである。

 旅館に着いて、まず最初に驚いたのは、旅館の入口のすぐ隣に魚屋さんがあったことだ。旅館と魚屋さんが単なるお隣さん同士であれば、私たちも驚かなかった。しかし、旅館の入口をくぐってみると、すぐ右手にある魚屋さんと繋がっていることがわかり、旅館と魚屋さんの間に設置された開き戸はいっぱいに開かれ、旅館の入口から魚屋さんの様子が丸見えになっていた。私たちはいきなり、頭の中がはてなマークでいっぱいになった。

 フロントにはどなたもいらっしゃらなかったが、下駄箱にはちゃんと私たちの名前が書かれた紙が貼り付けられていた。このようなサービスは、旅館には良くあることだ。つまり、このような方法で、利用客に対して「お待ちしておりました」という気持ちを示してくださっているのだ。

 フロントにどなたもいらっしゃらなかったので、私たちは少しばかりフロントで待つことになった。しばらくすると、フロント係ではない仲居さんの一人が気が付いて対処してくださった。私たちが到着したのが夕食前だったからだろう。旅館で働く仲居さんたちは、とても忙しそうに走り回っていた。

 何とかチェックインを済ませ、仲居さんの一人に部屋まで案内していただいた。私たちの部屋は三階だと言う。高所恐怖症の私が荷物を抱えて上がるには、階段は少しばかり急だった。それでも、他の仲居さんとすれ違う度に、
「いらっしゃいませ」
と元気良く声を掛けてくださり、私たちは歓迎されているという実感が沸いて来た。

 案内された部屋の前には、私たちの苗字が書かれた大きな木の札が掲げられていた。良く、居酒屋などで予約をした人の名前を玄関に掲げておくお店があるが、それと同じような感じである。チョークではなく、白い墨汁のようなものを使い、毛筆でしっかりと書かれていた。

 ところが、案内された部屋に入ってみると、ムンとした空気が漂っていた。それに気付いた仲居さんが、慌てて私たちに謝ってくださった。
「申し訳ありません。クーラーを入れて、部屋を冷やしていませんでした」
私たちは、
「いえいえ、大丈夫ですよ」
と言いながら笑っていた。何しろ、もう十月なのだから、本来ならば、クーラーで部屋を冷やしておく必要なんてないはずなのだ。急に温暖化が進んだのか、それとも毎年恒例の異常気象なのか、それはわからないが。

 部屋に案内してくださった仲居さんの話によれば、夕食は、部屋まで運んでくださるのだと言う。夕食の時間を十八時半に決めた私たちは、夕食の前に、それぞれ一風呂浴びておくことにした。私のほうが先にお風呂に入り、そのあとガンモがお風呂に入ることになった。男風呂も女風呂も、一階のフロントのすぐ横にあり、こじんまりした岩風呂とカランが三つ、それから、三、四人が身体を洗えるくらいの洗い場スペースがあるだけの小さなスペースだった。お風呂を利用しただけでも、アットホームな雰囲気を十分に感じ取ることのできる旅館だった。

 私が部屋に戻ると、十八時頃だった。夕食の時間が迫っていたので、ガンモはただちに準備を整えてお風呂に入りに行った。しばらくすると、私たちの部屋の前で
「失礼しまーす」
という声が聞こえたので、
「はーい」
と返事をすると、さきほどの仲居さんが入って来られた。
「これから夕食の準備をさせていただきますが、よろしいですか?」
とおっしゃる。まだ夕食に指定した時間まで時間があるはずだが、準備ということなので、私は、
「はい、いいですよ」
と言った。

 仲居さんはまず、部屋の奥から古びた食卓を取り出して、それを部屋の真ん中にドーンと配置した。それから、ガスコンロをセットしたり、並べても差し支えのない料理を次々に運んで来られて、食卓の上に並べてくださった。その数の多いこと。もう一人の仲居さんも加わって、せっせせっせと料理を運んで来てくださった。

 そうこうしているうちに、ガンモがお風呂から上がって来た。ガンモも、予定よりも早く夕食の準備が整っていることに驚いたようだ。外の廊下からは、仲居さん同士が話をされている声がそのまま聞こえて来る。その会話によると、私たちの夕食の開始時間は十八時半で、私たちの隣の部屋の夕食の開始時間は十九時なのだそうだ。「○○(私たちが宿泊している部屋の名前)のほうが三十分早いからね」などと、仲居さん同士が確認し合いながら、段取りを決めているのだった。

 夕食の準備を整えている最中に、ガスコンロの上に砂糖がこぼれてしまったようだ。それを、料理を並べ終わったあとに仲居さんが発見して、
「あら、申し訳ありません」
と言いながら、こぼれた砂糖をふき取ってくださった。私は、
「ああ、いいですよ。それくらいのこと、私たちは気にしませんから」
と言った。すると、仲居さんには、
「ありがとうございます。いやね、あんまりこんなこと言っちゃいけないんだけど、ベープマットにちょっと埃が付いていただけでも気にされるお客さんもいらっしゃるんですよ。どうもありがとうございます」
と恐縮されてしまった。そんな裏話を聞かせてくださるとは面白い。確かに、中には神経質なお客さんもいらっしゃるだろう。でも、私たちは、ガスコンロの上にお砂糖がこぼれていることよりも、もっと大切なことがあることを知っている。体裁だけを整えようとする心のこもっていないおもてなしも知っている。

 やがて夕食の準備が整い、仲居さんが、
「では、どうぞごゆっくりお召し上がりください」
と言ってくださったので、私たちは夕食をいただくことにした。夕食の準備が少し早いと感じたが、おそらく、私たちが指定した十八時半から食事を始められるように、てきぱきと準備を進めてくださったのだろう。

 私たちが運び込まれたお料理をいただいている間にも、次から次へと別のお料理が運ばれて来た。笑ってしまうのは、どの部屋にどのお料理を運んだかという管理が、厨房側で行われていないというところだった。具体的にどのようなやりとりがなされたかというと、食事の最中に仲居さんが私たちの食卓をのぞきに来られて、
「ああ、焼き魚はもう来てる、来てる」
と他の仲居さんに伝えながら、部屋を去って行くのである。しばらくすると、今度は焼き魚以外のお料理でも同じことが繰り返される。つまり、その料理が運ばれたかどうかを私たちの食卓に来て確認し、その結果を声に出しているのである。

 「この旅館、面白い!」
私たちは、笑いを堪えながら、食卓にたくさん並べられた料理をいただいた。どのお料理を運んだか、厨房でチェックをしておけば、わざわざ客室まで見に来なくてもいいのに。しかし、そんな仲居さんたちのドタバタは、私たちにとっては決して失礼な態度には思えず、この旅館の人間的なあたたかさとして強く印象付けたのだった。

 途中で、お料理の量が多く、とても食べ切れないかもしれないと気付いた私たちだったが、それでもなお、お料理は次から次へと運び込まれて来る。お料理だけで既にお腹がいっぱいなのに、私たちの食卓には、にぎり寿司や冷凍のカニ、デザートまで残っている。
「苦しい、苦しい」
と言いながら、私たちは残してしまうのはもったいないと思い、一生懸命いただいた。

 しかし、どう頑張ってもお腹には入らなくなり、ガンモと相談して、いなり寿司とサラダ巻など、痛まないものはこっそり冷蔵庫に保管しておくことにした。それでも、食卓にはカニが丸ごとニはい、残っている。できれば、このカニも残しておきたい。

 しばらくすると、仲居さんが入って来られて、私たちの箸が進まなくなっているのを確認されたようだ。仲居さんは、
「そろそろお下げしましょうか?」
と言ってくださった。しかし、私たちがカニを丸ごと残しているのをご覧になって、
「あら、このカニ、もったいないですね。よろしければ、冷蔵庫に入れて取っておかれたら?」
とおっしゃる。あわわわわ。私たちのほうから申し出たいと思っていたところなのに、仲居さんのほうから提案してくださった。私たちは喜んで、カニを冷蔵庫に保管させていただくことにした。一ぱいのカニは食べかけだったのだが、食べかけのカニも含めて二はいのカニを、仲居さんが一つのお皿にまとめてくださった。私たちはそれを部屋にある冷蔵庫に保管した。

 本当に面白い旅館だ。食べ終わった食卓は、てきぱきと片付けられ、食卓に使った大きなテーブルが、元の位置に戻された。仲居さんは、長方形のテーブルを横に立てかけながら、これではテーブルが障子からはみ出してしまうと困っていた。長方形のテーブルなので、最初の位置に収まり切らないときは、横ではなく縦に立てかければいいと、私たちは仲居さんに助言した。こうして、テーブルが元の位置に収まった。

 ところがしばらく経って、私たちが部屋でくつろいでいると、さきほどの仲居さんが、
「すみません。やっぱりさっきのテーブルを引き取りに来ました」
とおっしゃって、私たちの部屋にやって来た。
「明日、法事の予定が入っているので、このテーブルを持って来いと言われたんです」
私たちは、
「どうぞどうぞ」
と言って、仲居さんがテーブルを運び出すのを誘導した。

 実に不思議な旅館である。どうやら明日、法事のお客さんが入っているので、大広間でテーブルがたくさん必要になるらしい。そのために、仲居さんは私たちの部屋からテーブルを運び出して行ったのだが、何故、テーブルを運び出すかという理由まで、きちんと説明してくださった。その中で使われた「法事」という言葉に驚いた私たちだったが、これがこの旅館の味なのだとすぐに理解した。

 〇時を回った頃、私は再びお風呂に入った。そのとき、仕事を終えた仲居さんたちが、どやどやとお風呂に入って来た。その中に、さきほどのテーブルを運び出した仲居さんがいらっしゃったので、少しお話をさせていただいた。
「こんな時間までお仕事されてるなんて、大変ですね」
と私が言うと、
「そうなんです。休日はいつもこれくらいの時間になるんですよね」
とおっしゃった。私も昔、観光地にある旅館で住み込みのアルバイトをしたことがあるが、どんなにお客さんが多くて忙しくても、これほど遅くなった経験はない。お客さんの到着時間を制限されていない旅館なので、どうしても遅くなってしまうのかもしれない。私は、
「住み込みなんですか?」
と尋ねてみた。すると、
「いえいえ、みんな、通いなんですよ。島原の女は働き者なんです」
という答えが返って来た。つまり、ご自宅から通いながら、仲居さんの仕事をされているということだ。旅館の朝は早いはずなのに、遅くまで大変だろう。本当に、島原の女性は働き者である。

 翌朝、朝ごはんの前に、再びお風呂に入った。ガンモがお風呂から帰って来ると、
「朝飯は、二階で食べるんだって。さっき、仲居さんに会って、そう言われた」
と言う。そう言われてみれば、確かに朝から様子がおかしかった。朝食の時間を八時にお願いしていたのだが、朝食の時間が近づいても、お布団をあげるために仲居さんが部屋にやって来なかったからだ。なるほど、他の部屋で食べることになっているなら、お布団をあげに来られる必要はない。私たちは慌てて支度をして、二階の食事部屋へと急いだ。

 ガンモが仲居さんから聞いたという食事部屋を探して入ってみたのだが、既に他の人が食事をされている。しかも、空いている席の食卓の上を見ると、どの席も、既に食べ終わったあとがある。すると、仲居さんがやって来て、
「申し訳ありません。部屋のご案内を間違ってしまいました。あちらのお部屋になります」
と言って、別の部屋に案内された。ガンモがお風呂に入ったときに、仲居さんが食事部屋の名前を教えてくださったのだが、その部屋の名前が間違っていたようなのだ。

 朝食を終えたあと、私たちがゆうべのカニを冷蔵庫から取り出して、いただいたのは言うまでもない。何ともはちゃめちゃなおもてなしだったが、冒頭でご紹介させていただいたように、

旅館全体から漂う雰囲気はなんともいえず、もう一度訪れたいと思わせる何かがあります。

 この「何か」は、この旅館を訪れた人にしかわからない。計算し尽くされたおもてなしが造られたおもてなしならば、この旅館のおもてなしは、天然のおもてなしである。礼儀の面から言えば、失礼だと思われる方も多いかもしれないが、仲居さんたちの、はちゃめちゃで、これを言ってはいけない、あれを言ってはいけないというフィルターのない天然のおもてなしは、他の旅館ではなかなか体験できない。必要以上にかしこまる必要もなく、隠す必要もなく、ただ、加工されることなく天然のままに振る舞う仲居さんたち。そこに、この旅館の人間としてのあたたかさがあるのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 改めて、楽天の評価に書き込まれた文章を読み返してみると、感動がじわじわと込み上げて来ます。まったくそこに書かれている通りの旅館なのです。礼儀とは? 本当に心のこもったおもてなしとは? 思わず、そんなことを考えてしまいます。計算し尽くされたおもてなしで満足するか、天然のおもてなしに心を動かされるか。どちらか好きなほうを選べるとしたら、私は迷うことなく後者を選びます。(^^)

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2007.10.06

がまだす島原半島(前編)

Legato SEATで長崎への記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 旅行中のため、更新が遅れてしまい、申し訳ありません。今回も鉄道旅行の記事となり、鉄分がかなり多くなってしまいますが、私たちと一緒に旅をしているような感覚で目を通してくだされば幸いです。また、鉄分の多い記事と言っても、貧血気味の方のヘモグロビン値が上昇する効果はありませんのでご了承ください。

 寝台特急なは・あかつきの車両は、途中の鳥栖(とす)で寝台特急なはと寝台特急あかつきに切り離され、おじいさんは山へ芝刈りに、おばあさんは川へ洗濯に出掛けて行くかのように、寝台特急なはは熊本へ向かい、寝台特急あかつきは長崎へと向かった。私たちが乗車していたおばあさん、いや、寝台特急あかつきが長崎に到着したのは、九時前のことだった。三ノ宮を出発したのが前夜の二十一時十一分だったので、およそ十二時間の旅ということになる。

 長崎駅のホームに降り立ったとき、私たちが真っ先に口にした言葉は、「暑い!」だった。長崎はまだまだ気温が高いだろうと思い、半袖シャツを二枚重ねて着ていたのだが、実際の長崎は夏を思わせるほどの強い日差しで、Tシャツ一枚で十分なくらいの暑さだった。

 長崎を訪れるのは、およそ三年振りのことだろうか。三年前の夏休みに、ガンモと二人で九州のJRを乗り潰すべく、青春18きっぷを使ったガタンゴトンツアーを敢行した。そのときは、飛行機を使って出雲空港から島根に入り、広島、福岡、長崎、熊本、鹿児島を回ったあと、博多からムーンライト九州で京都まで戻るという大胆なプランで精力的に移動した。長崎の路面電車をすべて乗り潰しながら、市内観光もこなし、夜になると長崎ロープウェイにも乗り、ロマンチックに夜景を眺めた。また、佐世保にあるハウステンボスまで足を伸ばした。

 今回は、長崎には滞在しない。私たちは島原鉄道を乗り潰すため、長崎から特急かもめに乗車し、ひとまず諫早(いさはや)まで出た。そこから島原鉄道に乗り換えるのだ。九州に来るといつも思うのだが、JR九州の車両のデザイン性の高さには目を見張るばかりである。特急列車ばかりでなく、在来線の車両のほとんどがはっきりとした色使いかつ近代的な造りである。私たちが乗車した特急かもめも、皮製のシートやフローリングされた床など、デザイン性に優れていて、利用する私たちをとても贅沢な気分にさせてくれた。

 驚かされたのは、何もデザイン性の高さばかりではない。私たちが特急かもめの先頭車両に乗車した直後は、私たちの席からは運転席が見えていなかった。鉄道好きの人たちなら、走行中の景色が良く見える先頭車両の先頭席を狙いたがるものだが、特急かもめの運転席と客席の間には、ブラインドのようなものが下ろされ、景色が見えないようになっていたのだ。しかし、長崎を出発する直前になると、閉まっていたはずのブラインドが開放され、突然、特急ロマンスカーや名鉄パノラマカー張りの素晴らしい視界が広がったというわけだ。「最初からそのことを知っていれば、先頭席を狙ったのに」と、ひどく残念がる私たちであった。

 諫早に着いた私たちは、島原鉄道の一日乗車券を購入し、島原鉄道のホームで列車の到着を待った。購入した一日乗車券は、一日乗り放題切符と日帰り温泉の入浴がセットになった乗車券で、一枚三千円もする。何故、そんなに高いのかとガンモに尋ねてみると、島原鉄道は島原半島を四分の三くらいを回れるほど、長い距離を運行する鉄道なのだそうだ。その距離はおよそ八十キロ近くもあり、全線乗車すると、片道だけでも二時間半くらい掛かると言う。しかも、第三セクターではなく、今年で創業百周年を迎える昔ながらの私鉄なのだそうだ。そのような古い歴史を持った路線の一部が、この度、廃線になってしまうのである。

 間もなく、路面電車くらいの大きさの黄色い一両編成の列車がホームに入って来た。中からたくさんの人たちがゾロゾロと降りて来る。私は、人々が次から次へと降りて来る様子を、バンクス家にやって来たメアリー・ポピンズが、カバンの中から大きな荷物を次から次へと取り出すシーンと重ねた。私たちは、「まだ降りて来るの?」という表情で、乗客が列車から降りる様子を見守っていた。もちろん、三連休ということで鉄道マニアたちも多いのだが、ほとんどの利用客は地元の人たちだった。島原鉄道が長い歴史を刻み続けているのは、このように、地元の人たちに愛されて来たからなのだろう。これほど利用客が多い路線なのに、例え一部の区間であっても廃線になってしまうのは、とても残念なことである。

 やがて私たちはその黄色い列車に乗り込み、途中の島原で降りた。今夜の宿は島原なのである。旅館までは少し遠いので、島原駅のコインロッカーに荷物を預け、私たちは再び島原鉄道に乗り込んだ。そして、一日乗車券を有効活用するため、終点へと向かったのである。

 終点の加津佐(かづさ)で降りると、海水浴場が目に入った。まだまだ泳げるくらいの気温だったが、海の家はどこもかしこも閉まっていた。暑いとは言え、もう十月なのだから、当然のことである。私たちはお腹が空いていたので、営業中の看板の出ているお店を何とか見付けて、昼食を取った。昼食のときに時刻表を確認してみると、帰りの列車まであと二時間もあることが発覚してしまった。島原鉄道は、都会のように、数分置きに運行されている列車ではないので、列車を一本逃すと、次の列車までかなり時間が空いてしまうのだ。二時間もここで待つとなると、旅館で指定した夕食の時間に間に合うようにチェックインするためには、日帰り温泉に入ることを諦めなければならない。せっかく一日乗車券とセットになった日帰り温泉だったが、私たちは潔く日帰り温泉を諦め、大人しく次の列車を待つことにした。

 次の列車まで時間があったので、海岸沿いまで歩いて行くと、釣りをしている人たちが見えた。私は強い日差しの中、砂浜の手前の芝生の上に寝転がり、大地を通して大自然を感じた。女優の室井滋さんは、神社に行くと一番大きな木を見つけて抱きしめるのがお好きらしい。私は、大地に寝転がるのが好きだ。この前、大地に寝転がったのはいつのことだったろう。確か、夏休みにストーンヘンジに出掛けたときだ。ストーンヘンジだけでなく、ロンドンの公園の芝生にも寝転がった。その前は、京都御所で野外ヨガのレッスンを受けたときだ。ということは、この次に空を仰いだときには、加津佐の空を思い出すのだろうか。

 私が芝生の上に寝転がっている間、ガンモは海岸沿いにあるお墓に見入っていた。このあたりのお墓は、「○○家の墓」の文字が金色で書かれている。お墓は地味なものという先入観がある私たちにとって、文字が金色で書かれているのはとても新鮮だった。JR九州のデザインもにぎやかだが、お墓もにぎやかだ。長崎には、西洋と日本が混じり合った独自の文化がある。

 海岸沿いで過ごしているうちに、次の列車の時間がやって来たので、私たちは列車に乗り込み、再び島原まで折り返した。コインロッカーから荷物を取り出し、商店街を通り、宿泊する予定の旅館まで歩いた。その途中、まるで獲物を狙っているかのように、川べりでじっと待機している鳥たちを見付けた。これまで見たこともないような鳥である。地元の人の話では、川のすぐ側にある魚屋さんの排水溝から流れて来る魚がお目当てらしい。見ると、その川には、魚屋さんの排水溝に続いていると思われる、滝のように流れている流し口があった。どうやら鳥たちは、川の中に流れ込んで来る水の中に、魚屋さんが不要になった魚が混じっているのを見つけ出そうと、じっとチャンスをうかがっているのだ。

 かつて、私の実家方面で、畑を耕すトラクターのあとをずっと追いかけている鳥たちを見掛けたことがある。トラクターのあとに何羽もの鳥たちがついて回っているのでとても不思議に思っていたのだが、どうやら、土を耕したあとに現れるミミズを狙っているらしかった。鳥たちは、トラクターが通ったあとに、ミミズが現れるのをちゃんと学習しているのである。いやはや、我が家の鳩も面白いが他の鳥たちの習性も面白い。

 島原駅から十分ほど歩いたところに、私たちの宿泊する旅館はあった。古びた旅館ではあったが、とてもアットホームで愉快なおもてなしをしてくださった。記事が少々長くなってしまうので、次回の記事は旅館でのおもてなしの話から書かせていただくことにしよう。ちなみに、タイトルに掲げた「がまだす」とは、島原の言葉で「頑張る」という意味らしい。「がまだす」は動詞として活用し、「がまだしてます」は、「頑張ってます」となる。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 写真の中にもありますように、「がまだしてます」と書かれた島原鉄道のドロップを購入したとき、「がまだしてます」という言葉の意味がわからずに、いろいろ想いを巡らせました。「がまだしてます」という言葉を見たあと、「がまだすドーム」、「がまだすロード」などの別の言葉を見つけ、どうやら活用する単語らしいことがわかり、ますます「がまだす」についての思いが膨らみました。神戸で震災が起こったあと、「がんばろや神戸」という言葉が合言葉のように使われていました。「がまだす」、「がまだしてます」は、雲仙・普賢岳の噴火で多くの被害を受けた島原地区の合言葉たっだのです。

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2007.10.05

Legato SEATで長崎へ

うちはツムラなんですの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実は、漢方薬を保険で購入することは、私の中ではちょっとした夢だったのです。ただ、私が処方された桂枝茯苓丸が、すべての子宮筋腫の方たちに適応するわけではありません。I医師の話によれば、子宮筋腫の患者さんに処方されている漢方薬には三種類あるそうです。それらと一致しているかどうかわかりませんが、クラシエのページに、月経困難症によい漢方薬子宮内膜症によい漢方薬の紹介ページがありましたので、よろしければご参考になさってみてください。子宮筋腫と子宮内膜症は違いますが、親戚みたいな気がしていますので。

 ガンモが三泊四日の神奈川出張から帰って来た。ここ最近のガンモの関東方面への出張は、飛行機で出掛けて行って、寝台急行銀河で帰って来るというパターンが定着化している。今回も、ガンモは寝台急行銀河で帰って来た。寝台列車は、特急券や急行券の他に寝台券が必要になるので、新幹線の指定席を利用するよりも割高になってしまう。それでも、寝ている間に移動できるので時間を有効活用できる上に、とびきりの非日常を体験することができるので、ガンモは気に入って何度も利用している。

 私は、帰宅したガンモに抱きついてキスをした。以前は、ガンモと三泊四日も離れようものなら、再会のときは大騒ぎだったのだ。しかし、今回は仕事の忙しさで幾分、気が紛れているためか、大騒ぎにはならずに済んだ。銀河の中で眠れなかったのか、ガンモはとても眠そうな、腫れぼったい目をしていた。そして、抱擁が終わるなり、ガンモはベランダの掃除を始めた。

 実は今夜、仕事を終えたあと、寝台特急なは・あかつきに乗車して、長崎に向かうことになっていたのだ。三連休を利用して、近々一部の路線が廃線になることが決まっている島原鉄道を乗り潰しておこうという計画である。ガンモにとっては、寝台急行銀河で東京から帰って来たその夜に、今度は長崎に向けて寝台特急に乗車することになる。すなわち、寝台列車のニ連チャンである。それでも、私たちは久しぶりの鉄道乗り潰し旅行にわくわくしていた。三連休を旅行に費やすことになっているため、今のうちにベランダ掃除をしておこうと、ガンモは思い立ったようである。ガンモは休みを取っていたが、私は出勤時間が差し迫っていたので、旅行の準備を整えたあと、旅行用の大きなバッグを抱えて家を出た。

 自宅の最寄駅の駐輪場に行くと、駐輪場を管理しているおじさんが、
「大将、今朝、帰って来たで」
と私に言った。大将とは、ガンモのことである。
「あはは。そうなんです。今朝、出張から、寝台急行で帰って来たんですよ」
と言った。駐輪場のおじさんとは、毎朝、ちょっとした会話をしている。残暑がとても厳しかった頃、朝から強く照りつける日差しに、おじさんはひどく参っていた。おじさんは汗を拭きながら、
「このままお正月まで暑さが続いて、クーラーかけながらお雑煮を食べるねん」
となど言っていた。

 私は、三ノ宮駅のコインロッカーに旅行用のバッグを預け、何食わぬ顔で出勤した。何食わぬ顔などと書くと、まるで悪いものでも隠してしまったかのようだ。前日の夜、遅くまで残業をしていた私は、上司に、
「明日は用があるので十八時頃に上がりますよ」
と予め宣言しておいた。仕事が忙しいため、上司は
「また用があるんですかあ?」
などとネガティヴな反応を示したが、私はその日の仕事をてきぱきとこなし、十八時で仕事を終えることに対し、誰からも文句を言われない状況を作り出した。

 仕事を終えて、ガンモに電話を掛けてみると、仕事が休みだったガンモは、前夜の睡眠不足をカバーするかのように、昼寝をして、睡眠時間を補ったようである。私は三宮まで出て、お風呂に入ったあと、三宮でガンモと落ち合う予定だった。会社近くのラジウム温泉に入っても良かったのだが、今回はあまり時間がなかったので、三宮駅近くの二宮温泉という天然温泉の銭湯に入ることにしたのである。

 二宮温泉は、JR三ノ宮駅東口から歩いておよそ七分のところにある。二宮筋商店街が途切れたところの筋を左に入れば、目の前に見えて来る。料金は大人一人三百八十円。番台の近くに設置された自動販売機で利用券を購入する。

 更衣室の中に入ると、昔ながらの銭湯の雰囲気が漂っていた。ビルの中にある新しい銭湯のはずなのに、このような雰囲気が漂っているのは珍しい。金曜日の夜だからだろうか。思っていたよりも利用客が少なかった。天然温泉の湯船もあったり、ジェットバスなどの設備も充実していて、とても快適な銭湯だったのだが、更衣室で煙草を吸っているおばさんがいて、ちょっとがっかりしてしまった。更衣室に灰皿が置かれているので仕方がないのだが、できれば更衣室の外で吸って欲しい。

 お風呂から上がり、心地良い風に吹かれながら、私は再び三ノ宮駅に向かって歩き始めた。ガンモに電話を掛けてみると、ガンモもちょうど三宮に向かっている途中だと言う。間もなく私たちは合流し、一緒に晩御飯を食べて、三ノ宮駅を二十一時十一分に発車する寝台特急なは・あかつきに乗車した。いつも利用している三ノ宮駅のはずなのに、いつもと反対のホームに立っているからだろうか。三ノ宮駅が三ノ宮駅ではないような、そんな不思議な感覚に包まれていた。

 今回、私たちが利用するのは、Legato SEATと言って、寝台ではなく、高速バスにあるようなリクライニング式のシート席である。三連休の前ということもあって、寝台車は既に満席で取れなかったのである。その車両は、ホームの端のほうに位置していたので、三ノ宮駅をホームの中心からではなく、端のほうから眺めることになった。そのために、余計にいつもと違う三ノ宮駅を感じたのかもしれない。

 横三列で構成されたリクライニングシートは、まさしく高速バスの作りそのものだった。しかし、高速バスよりも車幅があるからだろうか。多少、広く感じられた。付属のレッグシートも高さを調節できるようになっていたし、折りたたみ式のテーブルの他、ご丁寧に読書灯まで付いていた。リクライニングシートは、かなり後ろのほうまで席を沈めることができる。もちろん、毛布も付いている。しかも、席の後ろのほうには女性専用シートがあり、更にその奥には女性専用のトイレが設置されていた。トイレが近い私としては、とてもありがたいことだ。

 これはなかなか快適かもしれない。私たちは、
「Legato SEAT、気に入った!」
と言いながら、握手を交わした。こうして私たちの島原鉄道乗り潰しの旅が始まったのである。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 久しぶりに鉄道乗り潰しの旅が始まりました。今回は寝台が取れなかったので、Legato SEATを利用したのですが、Legato SEATは寝台を使わないため、寝台券は不要です。つまり、特急券と座席指定券だけで夜行列車を利用できるのでかなりお得だと思います。横三列のシートなので、飛行機のエコノミークラスよりはゆったりできますが、シートを深く倒せるようになっているとは言え、睡眠中も足はずっと下に向いていますので、足のむくみは覚悟しなければならないかもしれません。高速バスでは何度も体験して来たことですが、列車での体験は初めてだったので、私たちにはとても新鮮でした。(^^) 現地に着いてからわかったことですが、ちょうど長崎くんちの開催時期と重なっていたようです。いつもは寝台特急の寝台は楽に取れるのに、今回に限って寝台が取れなかったのは、長崎くんちの影響もあったのかもしれません。

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2007.10.04

うちはツムラなんです

 I医師に診察していただいてからホットヨガに行き、レッスンを終えた頃には既に夕方だったため、その日のうちにI医師の処方箋を引き換えることはできなかった。帰宅途中に自宅の最寄駅周辺にある薬局を何軒か当たってみたものの、土曜日ということで、処方箋の受付は既に終了してしまっていたり、また、営業時間内であっても、I医師が処方してくださった漢方薬を置いていない薬局が多かった。

 I医師が処方してくださったのは、クラシエの桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)で、一日に二回服用するタイプのものである。クラシエとは、かつてのカネボウだ。私は知らなかったのだが、I医師が処方箋を書いてくださるときに、「カネボウからクラシエに変わります」と印刷された紙を見せてくださった。

 しかし、処方箋を扱っていた薬局の中には、
「うちはツムラなんです」
と申し訳なさそうな顔で謝る薬局もあった。
「おそらく、この辺はどこもツムラやと思いますよ。クラシエを探すのは難しいんとちゃいますか」
とまで言われてしまった。つまり、漢方薬を置いてはいるが、クラシエ(旧カネボウ)ではなく、ツムラの漢方薬だということだ。

 翌日の日曜日は、ガンモと映画『ミス・ポター』を観るために神戸に出掛けたものの、神戸駅周辺では処方箋を扱っている薬局が見当たらず、とうとう週明けの月曜日まで持ち越すことになってしまった。

 何故、これほどまでに処方箋が手に入らないのだろう。実は、I医師が漢方薬を処方してくださったとき、あまりにもうれしくて、この処方箋の用紙を手元にずっと取っておきたい衝動に駆られたのだ。ミーハーな私は、I医師が書いてくださった処方箋を何度も眺めていた。I医師の筆跡は、まるで女の子みたいにかわいらしかった。薬局で処方箋が見つかれば、この処方箋の用紙を手放さなければならない。そんな思いが、私を処方箋から遠ざけていたのかもしれない。

 更に私は、これまで処方箋がいとも簡単に手に入っていたのは、平日に病院に行くことが多かったからだということに気が付いた。しかも、病院のすぐ近くに処方箋を扱う薬局があり、患者はまるでベルトコンベアに乗せられたかのように、確実に処方箋に辿り着くことができる。今回は、診察を受けたのが土曜日だったことと、ホットヨガのレッスンを受けているうちに夕方になってしまったことが重なり、処方箋のベルトコンベアから外れてしまったのだ。

 ウィークデイが始まり、私は職場近くの薬局に出向くか、それとも、自宅の最寄駅近くの薬局に出向くか、少し迷っていた。職場近くにも婦人科のある大きな病院があるので、おそらく漢方薬も扱っていることだろう。しかし、万が一、
「うちはツムラなんです」
と申し訳なさそうな顔で言われてしまったとしら、仕事が終わる時間を考慮すると、その日のうちに処方箋を受け取るために別の場所に出向くことは難しい。となると、やはり、自宅の最寄駅周辺の薬局を先に当たってみたほうが良さそうだ。私はそう思い、出勤時間を少し遅らせて、ひとまず、自宅の最寄駅近くの薬局を訪ねてみることにした。

 自宅近くの薬局は、これまでにも何度かお世話になったことのある薬局である。薬剤師さんが何人もいらっしゃる、本格的な調剤薬局だ。私は受付で、I医師が書いてくださった処方箋の用紙を渡した。これまでの薬局では、そこですぐに申し訳なさそうな顔で謝られてしまっていたのだが、今回はちゃんと受理された。ようやく、ここで念願の漢方薬を手に入れることができるのだろうか。そんな期待を抱きながら、椅子に座ってしばらく待っていた。

 ところが、私が処方箋の用紙を渡してからずいぶん時間が経っているのに、なかなか私の名前が呼ばれない。様子をうかがっていると、薬剤師さんたちが何やら奥のほうでゴソゴソとやりとりをしている。I医師が処方してくださった漢方薬は、ここには置いていないのだろうか。やはり、ここもクラシエではなくツムラなのだろうか。まさか、「ツムラの桂枝茯苓丸だけどいいじゃない? だって、うちはツムラなんだもん」などと、薬剤師さんに勝手に判断され、ツムラの漢方薬を処方されてしまうのだろうか。そんなことを思いながら気長に待っていると、ようやく私の名前が呼ばれた。

 「クラシエの桂枝茯苓丸、二十八日分ですね。ええ、こちらなんですが、カネボウと書かれていますけれども、クラシエという新しい名前に変わる前のものになります。お薬の有効期限はまだまだ大丈夫ですので、どうぞご安心ください。それとですね、今回、二十八日分ということでいただいてますが、実は、一日二回のタイプのものが十四日分しかご用意できなくてですね、それも、特定の患者さんのためにお取り寄せしておいたものが、たまたまあったんです。もしよろしければ、残りの十四日分は、入荷し次第、ご自宅のほうに郵送させていただきますが、それでもよろしいでしょうか?」
いやいや、いろいろあるものだ。どうやらこちらの薬局も、漢方薬はツムラが主流のようである。しかし、特定の患者さんのためにわざわざ取り寄せているものが、十四日分だけ見つかり、それを私に回してくださると言う。その患者さんも、私と同じ漢方薬を服用していらっしゃるのか。それを思うと、少し不思議な気がした。もちろん、クラシエになる前のカネボウブランドの漢方薬でもまったく問題はない。単にパッケージが変わっただけのことだろうから。それよりも、足りない分の漢方薬を郵送してくださるというのは、いつも帰宅時間の遅い私にとって、とてもありがたいことだったので、喜んでお願いした。

 こうして、ようやくI医師が処方してくださった漢方薬が十四日分だけ手に入った。後日、この薬局からは、残りの十四日分の漢方薬がきちんと郵送されて来た。新しく届いた漢方薬には、カネボウではなく、クラシエのブランド名が入っていた。

 保険が適用された漢方薬は、二十八日分でわずか千百五十円だった。私がインターネットで比較的安く購入していた漢方薬の、およそ三分の一以下の価格である。実は、桂枝茯苓丸のエキス剤は、煎じ薬を服用する前に少しだけ服用していたことがある。そのエキス剤は錠剤だったので、味はほんの少ししかわからなかった。しかし、今回、処方していただいたのは、顆粒タイプのものであるため、服用するときに口の中いっぱいに広がり、味が良くわかる。しかし、顆粒タイプのエキス剤を服用するときは、煎じ薬よりもほんの少し気合が必要かもしれない。大人が飲む漢方薬には、子供の頃に飲んでいたようなチョコレート味の付いた薬ではないのだ。良薬口に苦し。しかし、それほど苦いわけではない。顆粒タイプの薬としては、比較的飲み易いほうだと思う。朝、晩、食前に服用するので、私はこれを毒出しホットジュースを口の中に含んで飲んでいる。これが、正しい漢方薬の飲み方かどうかはわからないが。

 ちなみに、効能だが、薬局でいただいた薬の説明書きによれば、「血管を広げて血行を良くし、うっ血や血腫を分解、吸収して月経不順などの婦人病を改善する漢方薬です」と書かれてある。普段、筋腫があるお腹のあたりがひどく冷たいところからすると、血行不良と関係がありそうなことは容易に想像できる。

 I医師は、
「通常は二週間分の処方です」
とおっしゃっていたので、二週間程度で何か変化が現れると思って良いのだろうか。確かに、私もかつて桂枝茯苓丸の煎じ薬を飲んでいた頃は、血流が良くなる効果を実感していた。今回、服用し始めてから数日経ったが、確かに少しずつ血流が良くなって来たと感じる。特に、お風呂から上がったあとに、下半身がポカポカと温かく感じるのには驚いた。そのせいだろうか、身体の中で筋腫が少し騒いでいるようにも感じられる。お腹の辺りが急に温かくなり、驚いているのかもしれない。筋腫たちで、今後の対策会議でも開いているのだろうか。ナメクジに塩を掛けたときみたいに、筋腫が小さく凝縮してくれるとありがたいのだが、桂枝茯苓丸にそのような効果があるとはどこにも書かれていない。

 漢方薬が切れる頃を計算して、次回の診察を予約した。I医師が処方してくださった桂枝茯苓丸がどのように私を変えてくれるのか。そして、私自身がどのような答えを導き出すのか。それは、あと三週間後のお楽しみである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m クラシエの桂枝茯苓丸を手に入れるまでの道のりは、少々長かったです。同じ薬を処方されて服用していらっしゃる方に、妙な親近感が沸いてしまいました。それにしても、薬剤師さんは美しい女性が多いですね。今回、自宅の最寄駅近くの薬局で担当してくださった薬剤師さんも、女優さんのように美しい女性でした。私が仕事をしているコンピュータ業界もそうですが、医療関係の業界も、医師や看護婦さん、検査技師さん、薬剤師さんなど、様々な人たちで支え合いながら成り立っているのですね。

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2007.10.03

ひとでなし

 火曜日からガンモが出張に出掛けている。行き先は、先月、出掛けるはずの予定だった神奈川である。ガンモが出張に出掛ける前は、いつも決まった台詞を私が言う。
「ガンモ、出張、行くの? 行くの? 行くの?」
私たちは、離れ離れになることをとても寂しく思うソウルメイトだ。だから、このような言葉を発して、しばしの別れを惜しむのである。

 お昼前に出発する飛行機に乗ったガンモの到着状況を確認しようと、私は昼休みにフライトインフォメーションのページにアクセスする。インターネットとは実に便利なものだ。飛行機の発着状況もほぼリアルタイムで教えてくれる。そう言えば、ガンモが会社の招待でハワイに出掛けて行ったときも、こうしてフライトインフォメーションを何度もチェックしていたっけ。

 どうやら、ガンモが乗った飛行機は無事に羽田に到着したようである。それを確認した私は直ちにガンモの携帯電話にメールする。
「飛行機、無事に着いたみたいだね」
しばらくすると、ガンモからメールが届く。
「無事に上陸(^^)」
ガンモからのメールが新規に送信されているところからすると、私の送信したメールを受信してから送信して来たわけではないようだ。しばらくすると、もう一通、メールが届いた。今度は私が送信したメールへの返信のようである。
「ばれてる。(^^;」
私が飛行機のフライトインフォメーションで知り得た情報を使って先回りしたことで、汗マークの返信となったわけである。

 不思議なことに、帰宅してもガンモがいないと思うと、仕事が忙しくなってしまう。どういうわけか、すぐに仕上がるはずのプログラムがなかなか仕上がらないのだ。現在、私が手掛けているのは、過去に修正実績のあるプログラムで、ほんの少し修正を加えれば良いだけのはずなのだが、どうしても思うように動いてくれない。まるで、「家に帰ってもどうせ一人なんでしょ。だから残業しなさい」とでも言われているかのように、原因究明のために残業、残業である。

 話は変わって、ガンモが出発した翌日のことだった。いつものように、朝、ベランダの鳩たちに餌を与えようとすると、ベランダに立ててある突っ張り棒をサポートするためのガムテープに、鳩が一羽、引っかかっていた。柄(がら)からすると、おそらく、以前、軽く網を張ったときに引っかかったヒーかフーのどちらかだ。ヒーだかフーだかわからない鳩は、蝿取り紙に引っかかった蝿のように、ガムテープの粘着部に足を片方だけ奪われ、宙ぶらりんの状態でぶら下がっていたのである。

 私が驚いたのは言うまでもない。とにかく、何とかして救出しなければ。私はまず、ヒーだかフーだかを優しく抱きかかえた。しかし、鳩を抱きかかえた時点で既に両手を使ってしまっている。私の手は二本しかない。手があと一本あれば、ヒーだかフーだかに絡み付いているガムテープを剥がすことができるのに。片方の手だけで鳩を抱き抱えると、鳩はジタバタして飛んで行こうとしてしまうだろう。こんなとき、ガンモが居てくれれば・・・・・・。仕事が忙しいとき、私たちは人手が足りないと言う。しかし、人の手が二本では足りないときは、何と言うのだろう。ひとでなし? ああ、そんなことを言っている場合ではない。

 私は、ヒーだかフーだかに大人しくするように言い聞かせながら、慎重に慎重に片手で鳩の身体を抱え込み、もう片方の手でガムテープを引きちぎった。鳩とガムテープは何とか切断されたものの、鳩の片足にはちぎったガムテープが絡み付いたままである。しかも、単に絡み付いているだけではない。片方の足の指をそのまま覆いこむようにしっかりと絡み付いていたのだ。おそらく、鳩がガムテープに足を取られてもがいているうちに、このような状況に陥ってしまったのだろう。

 このまま鳩を離してしまうと、片足に絡み付いたガムテープを取り除くチャンスには二度と恵まれないだろう。そこで私は、鳩をすぐには離さずに、片手で鳩の身体を軽く押さえながら、再び慎重に鳩の足に絡み付いたガムテープを取り除き始めた。私の思いが通じたのか、ヒーだかフーだかは、私の腕の中でじたばたもがくこともせず、じっとしていた。そのおかげで、片手では困難だと思えたガムテープの除去作業も何とか終了することができたのである。

 私が手を離すと、ヒーだかフーだかは、元気に飛び立って行った。あの大人しさからすれば、やはり、以前、網に引っかかった鳩だったのではないだろうか。あのときも危害を加えられなかったのだから、きっと今回も大丈夫なはず。そんな信頼が、ヒーだかフーだかと私の間には生まれていたようである。だからじたばたすることなく、私に身体を預けてくれた。私は、そのことがうれしかった。この出来事を、ガンモに興奮気味に報告したのは言うまでもない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 宙ぶらりんになっていたのは、ヒーだかフーだかわかりませんが、ちょっとドジな鳩なのかもしれません。その点、父ちゃん、母ちゃんはとても慎重ですね。それと、鳩は抱きかかえてみるとわかりますが、見た目よりもずっと小さいです。鳩胸という言葉がありますが、普段は胸を膨らませて、身体を大きく見せているのでしょうか。何はともあれ、手が二本で足りて良かったです。(^^)

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2007.10.02

映画『ミス・ポター』

ホットヨガ(七十三回目)の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ホットヨガのレッスンそのものよりは、心の中の描写のようになってしまいましたが。(^^; 今日は、気を取り直して、映画のレビューをお届けします。(^^)

 先日のとんかつではない和幸のライブをご一緒させていただいた人生の大先輩であるお友達から、映画『ミス・ポター』をご紹介いただいた。ピーター・ラビットの作者であるビアトリクス・ポターの半生を描いた作品で、イギリスの美しい湖水地方が舞台になっているという。お会いしたときはまた公開前だったので、公開をとても楽しみにしているとおっしゃっていた。それからしばらくして、そのお友達から映画をご覧になったという内容のメールが届いた。映画館で購入されたパンフレットによれば、ブルーベル鉄道が撮影に使われているという。ブルーベル鉄道と言えば、夏休みにガンモと二人で乗車したイギリスの保存鉄道である。これは是非とも、ガンモと一緒に観に行かなければなるまい。私は、派遣会社の福利厚生のページにアクセスして、映画の観賞券を申し込んだ。

 日曜日、ガンモはTOEICの試験に出掛けて行った。十五時過ぎにはTOEICの試験が終わるので、そのあとは二人で映画を観られるチャンスだ。そこで私たちは、ガンモのTOEICの試験が終わる頃に神戸で待ち合わせをして、『ミス・ポター』を観賞したのである。

 映画の舞台は一九〇〇年代初めのロンドン及び湖水地方である。上流階級の家庭に生まれたビアトリクス・ポターは、絵を描くことに命を燃やしている。絵と言っても、水彩画や油絵などの美術的な分野に属する絵ではなく、服を着た動物たちが登場するチャーミングで楽しく美しい絵だ。しかも、ポターの描く絵には、絵に登場する動物たちの物語がちゃんと用意されている。

 映画は、彼女が出版社に自分の描いた絵を持ち込むところから始まる。運良く出版が決まり、やがてポターは自分の絵本の編集を担当してくれることになったノーマンと恋に落ちる。それは、上流階級の娘と、出版社の息子という身分違いの歓迎されない恋だった。

 ポター役を演じているのは、『シンデレラマン』で妻の役を演じていたレニー・ゼルウィガーだ。確か彼女はアメリカ生まれのはずだったが、この映画の中ではイギリス式のアクセントで英語を発音していた。気になったので、Wikipediaを参照してみたところ、彼女は既に他の作品でイギリス英語をマスターされて高い評価を得ているようだ。

 さて、気になるブルーベル鉄道がどこに登場していたかと言うと、ポターとその家族が夏の三ヶ月を湖水地方で過ごすために、蒸気機関車に乗って移動する。その移動の手段として、ブルーベル鉄道が登場した。ああ、あの品のいい緑の駅舎は・・・・・・! そう、私たちが長い長い時間を過ごし、駅員さんが、帰りの路線バスを手配してくださったHorsted Keynes駅である。それを確認した私たちは、上映中、手を取り合って喜んだ。あの駅に確かに私たちも降り立ったという感動がこみ上げて来た。

 ただ、実際のブルーベル鉄道は、ロンドンから湖水地方に向けて走る蒸気機関車ではない。湖水地方はイギリスの北西部に位置しているが、ロンドン市内からブルーベル鉄道に乗ろうとすると、ロンドンの南のほうにあるヴィクトリア駅から出発することになるのだ。すなわち、方向が全然違う。おまけに、ブルーベル鉄道には、映画の中に見られるような石橋もない。ということは、どうやら発着する駅には関係なく、湖水地方に向かって走って行く列車として、ブルーベル鉄道の蒸気機関車が採用されただけのようである。

 それにしても、真剣に愛し合う男女の姿はとても美しい。湖水地方とロンドンでしばらく離れることになっても、手紙でじっくりと愛を交わし合うポターとノーマン。ただちに返事を書くのが当たり前になってしまった薄っぺらい現代の交流とは違う。きっと、届いた手紙を何度も何度も読み返しながら、じっくりと返事を書くのだ。

 愛し合う二人の伏線に、ノーマンの姉であるミリーとポターの厚い友情がある。三十歳を過ぎても独身の二人。今でこそ、晩婚が当たり前になっている時代だが、当時の時代背景としては、二人とも肩身の狭い思いをしていたようである。しかし、ポターもミリーも結婚には魅力を感じていない。生涯独身を貫き通す意気込みでいる。実は私にも、彼女たちの気持ちが良くわかるのだ。というのも、ガンモに出会うまでの私は、彼女たちと同じように「結婚なんてしたくない」と思っていたからだ。しかしそれは、結婚したいと思える男性に巡り合えなかっただけのことだ。出会ってしまえば、人は大きく変わる。

 感動的なのは、ポターがノーマンへの愛に気づいたときに交わす、ミリーとポターの会話だ。ポターがノーマンへの気持ちを認めることは、ミリーと交わした独身を貫くという共通の意志を揺るがすことにもなりかねない。もともと、ノーマンはミリーの弟である。ミリーは、そんな複雑な事情もそっちのけで、二人を心から祝福するのだ。しかし、幸せなはずの二人に待ち受けていた愛の結末は・・・・・・。

 誰かを愛したことのある人ならば、この映画を最後まで観ると、エンドロールで流れる曲に涙せずにはいられないだろう。エンドロールで流れる曲には、じわじわとこみ上げて来る感動がある。そう、誰かを愛したことのある人ならば、必ず立ち返る過去があるのだ。例えば、初めて愛の告白を受けた想い出の場所、初めて手を繋いだ想い出の場所などである。エンドロールで流れる曲は、私たちをそうした過去に導いてくれる。ポターにとっての立ち返る過去は、近親以外は招き入れたことのなかった自室で、初めてノーマンに踊りを教えてもらった想い出だった。ポターがその想い出をとても大切にしていることは、一人で自室にいるときに、そのときのことを思い出して、涙さえ目に浮かべながら一人でステップを踏むシーンで良くわかる。恋が始まったばかりの乙女心が実に良く描き出されたシーンである。だからこそ、エンドロールで流れる曲が映えて来る。

 ピーター・ラビットという世界中に知れ渡った絵本の作者であるミス・ポターの一人の女性としての生き様を描いたこの映画に、何らかの結論が導き出されるわけではない。しかし、生きるということは、何かを残すということだということを、この映画は教えてくれているように思う。ノーマンとの恋がどのような結末を迎えようとも、ポターの中にはノーマンとともに過ごした素晴らしい想い出が残った。この恋の結末よりも、二人が出会い、恋に落ちて、立ち返る過去に記しを刻んだことのほうが重要だと私は思うのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 世の中に功績を残した人は、実に波乱万丈の人生を送っていらっしゃるように思います。ポターもまた、その一人だったのですね。大きく感情を突き動かすような経験が、作品に深みを与えるのでしょうか。それとも、陰も陽も融合させることのできる人が大物になっているのでしょうか。それはわかりませんが、ポターが再び絵を描くことができるようになって良かった、彼女に絵があって良かったと思いました。ミリーとの美しい友情も、ある意味、とてもうらやましく思いました。

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2007.10.01

ホットヨガ(七十三回目)

名医の診察(後編)の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 長い長い記事を読んでくださって、本当に感謝しています。以前、メールに勇気づけられての記事でお世話になった、筋腫仲間(?)のRさんがメールをくださって、私がI医師と出会えたことをともに喜んでくださいました。Rさん、いつも本当にありがとうございます。m(__)m 以前の記事でもご紹介させていただいたように、Rさんも素晴らしい医師と出会っていらっしゃって、その喜びをかみしめていらっしゃいます。私もようやく、Rさんの喜びがわかるようになりました。医師と患者は、究極の凸凹コンビではありますが、お互いに相手を生かす存在でありたいものですよね。

 病院を出てからも、私の頭の中はI医師に出会えた喜びでいっぱいだった。I医師のような医師が身近に居てくださることが奇跡であるように思われた。診察のあとは、少し時間を置いてホットヨガの神戸店で脂肪燃焼コース2のレッスンを受ける予定だった。診察が十三時過ぎからの予約だったので、診察前にお昼ご飯を食べておくべきだったのだが、予約時間に遅れてしまってはいけないと思い、お昼ご飯を食べずに診察を受けてしまったのだ。しかし、時計を見ると、もう十四時半である。ホットヨガの予約が十六時からだったので、大急ぎでお昼ご飯を食べておかなければ、レッスンに差し支える。私はそう思い、少し遅めのランチを取った。

 I医師に診ていただいた病院は、神戸駅の近くにある。私がこれからレッスンを受けようとしているホットヨガの神戸店も、病院とは反対側の出口になるが、神戸駅の近くにある。私がホットヨガのレッスンを受けている間も、歩いて移動できる距離にI医師がいらっしゃるということが、私をとても不思議な気持ちにさせた。

 これまでにも、土曜日に神戸店でレッスンを受けたことはあったはずだ。しかし、ホットヨガの神戸店のスタジオから歩いて移動できる距離に、I医師のような子宮筋腫の名医がいらっしゃることに、まったく気がついていなかった。I医師が普段、勤務されている病院だって、私の職場から近いのだ。人と人の出会いとはそんなものなのだろうか。物理的な距離が近くても、接点がなければ本格的に出会うことはできない。電車でたまたま隣合わせになった人と会話を始めることもないのだから、当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。また、電車の中で隣り合わせにならなかったとしても、ガンモと私のように六百キロも離れたところに住んでいても結ばれる場合だってある。きっかけが接点に過ぎないとすれば、その接点をいかに生かして行くかが大切だということが良くわかる。

 ただ、私はこれからどのような道を辿って行くのか、まだ具体的なイメージが沸いて来なかった。例えば、手術台の上に横になっている人を心の中に思い描き、その人の顔をそっと覗き込む。果たしてそれは私なのか? 実際にそのような日がやって来るのだろうか。仮にやって来るとしても、私はどのような選択をしているのだろう。子宮鏡手術で筋腫だけを切除していただくとしよう。筋腫だけを切除した場合、術後の癒着、筋腫の再発の可能性は懸念されるところである。子宮鏡の手術は、開腹手術に比べて痛みも少ない上に入院期間も短く、手術の費用もかからない。しかし、開腹しない分、お腹の他の部分を見渡すことはできないという。つまり、どんな選択をしても、メリットの向こう側には常にデメリットも潜んでいるのだ。開腹手術も然りである。子宮全摘手術を受けるならば、子宮そのものを失うのだから、術後の癒着も、筋腫の再発の可能性もゼロだ。ああ、考え始めると、一体何がベストなのかわからない。

 時計を見ると、少しばかり急がなければ、着替えの時間が少なくなってしまうことに気が付いた。ガンモは翌日のTOEICに向けて、自宅で英語を猛勉強中のはずだ。ガンモには、ホットヨガのレッスンを終えてからゆっくり電話を掛けることにしよう。

 さて、神戸店で脂肪燃焼コース2のレッスンを担当してくださったのは、これまでスクイーズコースで何度かお世話になった吉本興業のインストラクターだった。彼女のレッスンを受けるのは久しぶりのことである。そう言えば、私は彼女の名前をまだシステム手帳に書き込んでいなかった。何故なら、彼女の名前が思い出せなかったからだ。私は、レッスンが始まる前の彼女の自己紹介に聞き入り、ようやく彼女の名前を思い出すことができた。レッスンが終わってから、システム手帳に彼女の名前を書き込んだのは言うまでもない。

 レッスンの間も、ずっとI医師のことが頭の中を駆け巡っていた。後半のスフィンクスのポーズをお休みしてしまったのは、I医師のことが頭の中に昇っていたからではない。後半はいつもお腹に力が入らなくなってしまうのだ。

 レッスンを終えたあと、シャワーを浴びて着替えを済ませてロッカーの鍵を受付まで返しに行くと、さきほどのインストラクターが対応してくださった。吉本興業のインストラクターに、
「後半、しんどかったですか?」
と言われたので、
「あはは。ばれてましたか。(笑)いや、スフィンクスのポーズがもっと前半にあってくれたらいいんですけどね」
などと言って苦笑いした。スフィンクスのポーズだけならいいのだが、それに続く腕立て伏せのようなポーズを取ることが、身体を使って疲れ切っているレッスンの後半ではとても難しいのだ。だから私は、毎回、ポーズを取らずに休ませていただいている。吉本興業のインストラクターは、
「太陽礼拝のポーズだけでも、ずいぶん汗をかきますからね」
とおっしゃった。

 ホットヨガのスタジオを出てから、すぐにガンモに電話を掛けた。私は興奮した様子でI医師の診察を受けたことをガンモに話して聞かせた。ガンモは、I医師が五十分も話をしてくださったことに驚いていた。私はガンモに、
「手術を受けることになるかもしれないよ」
と報告した。ガンモは、
「そうか。受ける気になったか」
とだけ言った。手術を受けることは、決して悲観的なことではない。それに、手術を受けるかどうかは私自身が決めることなので、ガンモも私の選択をじっと見守ってくれているのだ。

 帰宅してからも、私は興奮気味にI医師と話したことをガンモに話して聞かせた。ホットヨガのレッスン中も含めて、私はほとんど一日中、I医師と出会えたことで興奮しっぱなしだったのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実は、金曜日の夜に生理がやって来たのです。布ナプキンに変えてからは、生理がやって来るのが楽しみで、生理が来るのを指折り数えていたほどでした。布ナプキンの肌ざわりが心地いいのはもちろんですが、布ナプキンを水道でじゃぶじゃぶ洗うのが楽しいからです。今回も、布ナプキンのおかげで生理が軽いのかと思っていたのですが、どうしたことか、今回は少し重かったです。私はお腹にカイロを貼ってしのぎました。I医師は、「これから出血の量も多くなって、貧血の症状も出て来るでしょう」とおっしゃいました。もしかしたら、本当にその方向に向かっているのかもしれません。貧血の症状が出て来れば、手術も更に難しくなるでしょう。また、筋腫の大きさも、これ以上、大きくなると、子宮鏡の手術も難しくなるとI医師に言われました。処方された漢方薬が切れる頃に、I医師の元を再び訪れることになっていますが、そのときに何らかの答えを出したいと思っています。

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