MIND THE GAP
マインドシーカーのことを書いたら、MIND THE GAPについても書いておきたくなった。MIND THE GAPは、ロンドンの地下鉄の利用客に注意を促すために、乗車口に書かれている言葉である。日本語に訳すと、「(電車とホームの)隙間に注意」といったところだろうか。利用客が地下鉄に乗り降りしているときにも、"MIND THE GAP"というアナウンスが繰り返し流れている。
ロンドンの地下鉄の乗車口に書かれている
ヨークにあったNational Railway Museumには、ホームから線路に転落しつつある人の絵が描かれたボードが展示されていた。確かにイギリスの鉄道は、日本と比べると、電車とホームの間が若干広いと感じるところもあった。
ホームから線路に転落しつつある人の絵が描かれているボード
これらをふまえた上で、ロンドンで売られていたお土産の一部をご紹介しよう。MIND THE GAPと書かれたマグカップやTシャツ、ミニ紅茶缶なども売られていたのだが、面白かったのは、女性もののショーツに書かれたMIND THE GAPである。GAPには、「隙間」のほか、「割れ目」という意味もある。すなわち、女性もののショーツに「割れ目に注意」と書かれていることになる。これを男性用のトランクスやブリーフに書かなかったのは、イギリス人ならではのユーモアと言っていいのかもしれない。
「割れ目に注意」?
MIND THE GAPに関して言えば、日本だって、イギリスに負けてはいない。あれは、私が東京に住んでいた頃のことだった。総武線の各駅停車に乗っていたところ、
「足元、広-----く開いていますので、お降りの際には十分ご注意ください」
という車内アナウンスが流れた。「広-----く」などと書くと、かなり大袈裟に伸ばしているように思われるかもしれないが、実際にそういうアナウンスだったのだ。電車の扉が開いたときに、停車している駅のホームを見てみると、確かに「広-----く」開いているところがあった。
同じ車内でそのアナウンスを聞いていた乗客の一人が関西弁でこう言った。
「何や、橋でも架けんと渡れへんみたいやなあ」
私はそれを聞いて、おかしくて笑ってしまった。車内に流れた東京弁の車掌の「広-----く」というアナウンスに対し、関西弁の乗客が「橋でも架けへんと渡れんみたいやなあ」と受け答えした連携プレイがおかしかったのだ。
何を隠そう、私は京王井の頭線の渋谷駅でGAPに挟まってしまったことがある。下北沢に住んでいた私は、通勤に京王井の頭線を利用して、渋谷まで出ていた。ある冬の朝のことである。電車が渋谷駅に着いて、電車から降りようとしていたところ、後ろから押されたか何かで足を踏み出すタイミングが狂ってしまい、片足がGAPに挟まってしまった。幸い、靴が線路に落ちることはなかったが、私は両手をついて、自分の身体を必死で支えた。そのとき、GAPに挟まった私を助け出そうとしてくださった方がいたかどうかは覚えていない。私はひざこぞうをひどく擦りむいて、血がたくさん出ていたので、駅員さんに事情を説明して、駅の事務室で手当てを受けた。とにかく痛かった。
その頃、私はまだガンモと出会う前で、カルマの相手と付き合っていた。通勤途中に怪我をして心細くなり、カルマの相手に電話を掛けてみたのだが、今は出勤前で忙しいと言われ、電話をすぐに切らなければならなかった。そのとき私は、言いようのない孤独を感じた。自分に起こった悲惨な出来事を共有できる相手がいなという孤独である。このとき私は、怪我した足をひきずりながら、三十分ほど遅刻して出勤した。この事件は、カルマの相手と私の関係を象徴しているように思える。どちらかが相手に依存し、依存されたほうは相手に与えないという関係である。これが映画ならば、GAPにはまって怪我をしたということは、カルマの相手と私の間にGAPがあることをほのめかしているだろう。結局、最後までそのGAPに橋が架かることはなかった。
それからほどなくして、私はガンモと出会うことになる。今でも、その出会いと私たちが辿って来たプロセスを振り返れば、胸の奥に熱いものがこみ上げてくる。「今、そのとき」というタイミングを見計らって、私の前に現れたガンモ。私たちが出会うことは、お互いの人生の計画の中に組み込まれていた。だから、MIND THE GAPなどと注意を促されなくても、ガンモと私の間にはGAPがなかった。
※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m MIND THE GAPに関連して、思うところをまとめてみました。ロンドンのお土産品にも使われている通り、ロンドンを訪問された方ならばご存知の方も多い、とてもメジャーな言葉であります。井の頭線のホームでGAPに挟まったことを思えば、MIND THE GAPという言葉が身にしみて来ます。今になって思えば、足が折れなくて済んで、不幸中の幸いだったと思いました。そんなことも含めて、カルマの相手との記憶は、私にとって、とても苦い記憶です。与えられないものだから、どんどん求めようとしてしまうのですね。お互いに、とても自己愛的な恋愛でありました。でも、そうしたプロセスがあったからこそ、今の私がいることも事実です。
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