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2007年9月

2007.09.30

名医の診察(後編)

 子宮筋腫というポピュラーな病気に様々な方面からアプローチされ、時には子宮筋腫について学会で研究論文を発表されたり、講演会などでスピーチを依頼されることもあるI医師は、特に威圧的な様子もなく、気難しい様子もなく、気取った様子もなく、また、私のために特別ニコニコしてくださるわけでもなく、診察室の奥のほうにある椅子に静かに腰掛けていた。看護婦さんが、
「籠の中に荷物を置いて、そちらの椅子に座ってください」
と案内してくださったので、私はI医師の手前にある椅子に腰を下ろした。

 最初は、I医師のほうから話し掛けてくださった。
「生理はこんなもんだと思ってた?」
いきなりそんな質問から始まったので、私は苦笑いしながら、
「はい」
と答えた。

 一般的に、子宮筋腫の患者は生理がひどく重いのだが、他の人と比較する手立てもないため、毎月の生理はこんなものだと思ってしまいがちだ。I医師は、生理痛はひどいか、出血の量は多いか、貧血はあるかなどについて尋ねてくださった。私は、紙ナプキンとタンポンの併用から布ナプキンに切り替えてからは、生理痛も出血の量も以前よりずっと緩和されて来たことを話した。また、現在は貧血の症状は出ておらず、ヘモグロビン値は十一.五程度だと答えた。するとI医師は、
「ヘモグロビン値が十一ありますか」
と言ってくださったが、私の知識では、十一という値は、貧血の症状が現れていないと言えるギリギリのラインでもあった。更にI医師は私に、
「妊娠を望みますか?」
と尋ねた。私は言葉を選びながら、
「まだわかりませんが、現在のところ、積極的には望んでいません」
と答えた。と言っても、私は既に四十二歳なのだが。

 I医師は次から次へと私に質問を浴びせて来る。今度は、
「トイレは近いですか?」
と聞かれたので、
「はい。近いです。一時間に一回はトイレに行きます」
と答えた。私の膀胱は筋腫に圧迫されているため、トイレがひどく近いのだ。そのため、集中力も乏しい。
「ということは、一日に十回はトイレに行きますか?」
とI医師に聞かれたので、
「はい、行きます」
と答えた。更に、
「夜、寝ているときはどうですか?」
と尋ねられたので、
「夜は大丈夫です。トイレに行くために夜中に起きたりはしませんが、朝、起きると、膀胱はパンパンに膨らんでいます」
と答えた。

 私は、先日の健康診断で、尿蛋白が出ていると診断されたことを話した。
「もしかすると、筋腫が腎臓を圧迫しているのでしょうか?」
と今度は私が尋ねると、
「その可能性はありますね」
とI医師は言った。そう、七月に行われた健康診断で、尿蛋白が出ていると診断されてしまったのだ。

 それからI医師は私に、子宮筋腫が発覚してからの経緯について尋ねた。私は、三年前の健康診断で初めて筋腫が見付かったこと、子宮ガン検診でお腹を押さえられたとき、尿意を感じたことなどを話した。そして、最初は地元の病院に掛かったが、エコーだけの診断で、筋腫の数が多いために子宮全摘手術を勧められたこと、次の病院ではMRIの検査をしたが、やはり数が多く、大きくなって来たので子宮全摘手術を勧められたことなどを話した。I医師は私の説明にうなずくと、今度は後ろを振り返ってMRIフィルムを確認しながら、詳細な説明を始めてくださった。

 まず最初に語られたのは、私の筋腫には、どのような対処が必要かということについてだった。結論から言ってしまえば、私はやはり、手術を受けるべきだそうだ。私はこの場に及んでもなお経過観察を期待していたので、かなりがっかりしたのだが、I医師は開腹による子宮全摘手術を勧めるわけではなく、子宮鏡を使って膣から筋腫だけを取る手術も可能だろうとおっしゃった。私は、子宮の全摘手術を勧める医師が多い中で、筋腫だけを取る手術を勧めてくださる医師に出会えたことを心から喜んだ。ただ、その手術を行うときは、リュープリンと言って、エストロゲンとプロゲステロンの分泌を止める薬を使って筋腫を小さくしてから行うそうだ。その薬を使っている間は、生理が止まる。私の周りにもリュープリンのお世話になった方がいらっしゃっるが、エストロゲン不足によるホットフラッシュにひどく悩まされていた。リュープリンは、一時的に筋腫を小さくする効果はあっても、副作用があるのである。

 子宮鏡を使う手術なら開腹はしない。しかし、手術のときは私の苦手な全身麻酔を使うと言う。私は、
「実は、全身麻酔がイヤなんです」
と正直に言った。すると、I医師は、
「手術をするときは麻酔をしなければならないでしょう」
と苦笑いしながらおっしゃった。

 I医師の説明によれば、私の子宮は、筋腫だけを取って、子宮を少しずつきれいな状態に戻して行ったとしても、妊娠はほぼ望めないだろうということだった。それくらい、私の子宮は荒れてしまっているらしい。また、現在は貧血の症状が現れていなくても、近い将来、生理のときの出血量がもっともっと増えて来て、必ず貧血になるだろうとおっしゃった。何故なら、既に私の中にある筋腫予備軍がどんどん成長して来るからだそうだ。

 I医師は、私の子宮は、筋腫も含めると既に一キログラムくらいになっているだろうとおっしゃった。通常はニワトリの卵大の大きさで、五十グラムと言われている子宮が一キログラムにもなっているとは恐ろしいことだ。しかし、だからと言って、最初から子宮全摘手術を勧めるわけではないとI医師は言ってくださった。それを聞いたとき、胸のあたりがじゅわんと熱くなった。ただ、I医師は、子宮を全摘するメリットとしては、例えば旅行のときに生理に当たってしまい、シーツを汚すことを心配する煩わしさからわは解放されるとおっしゃった。この例は、私の心情を深く突いている。そして、これ以上、筋腫が大きくなると、子宮鏡を使った手術も難しくなるとI医師はおっしゃった。

 私の認識では、子宮鏡を使った手術が適するのは、出産経験のある人に限られると思っていた。出産経験がある人ならば、既に膣から子宮への通り道が出来上がっているからだ。そのことをI医師に言うと、I医師は、
「一般的にはそう言われていますね。でも、できますよ」
とおっしゃった。つまり、出産経験のない私でも、I医師の技術ならば、子宮鏡の手術が可能だとおっしゃるのだ。何と頼りになる医師なのだろう。

 更にI医師は、MRIフィルムを見ながら、子宮鏡の手術でどの筋腫が切除できるかについて、丁寧に説明をしてくださった。I医師は、まるで本を読むように、MRIフィルムの画像を読み解いた。I医師の説明によれば、子宮内膜に直接影響を与えていない筋腫は残しても差し支えないということだった。私の場合、子宮内膜から離れたところにある筋腫が最も大きい。しかし、I医師は大胆にも、その筋腫は子宮内膜に影響を与えているわけではないので、残すとおっしゃるのだ。子宮鏡を使った手術は、膣から筋腫をかき出すようにして取り除いて行くので、膣から遠い筋腫はかき出し難いらしい。私は驚いたが、I医師の論理的な説明に聞き入った。私は、仕事柄、論理的な説明を聞くと妙に納得するところがある。I医師の説明は、丸暗記の知識ではないので、私が何かを質問しても、私が納得できる答えを返してくださる。私がこれまで診ていただいた医師は、論理的ではなく、どちらかと言うと丸暗記タイプだった。だから私は医師のする手術の説明に対して納得できなかったのだと感じた。

 これを機会に、私はずっと気になっていたことを、思い切ってI医師に切り出した。
「肉腫の可能性はあるのでしょうか?」
そう尋ねたのは、これまでお世話になっていた医師に、
「ここまで大きいと、悪性のものもないとは言い切れない」
と言われたからだ。子宮がん検診の結果で異常なしと報告してくださった直後にそう言われたので、悪性と言えば肉腫しかない。I医師は、MRIフィルムを更に熱心に眺め、
「肉腫の可能性はないです。これは肉腫ではなく筋腫ですね。ただし、『現時点では』と言っておきましょう」
と答えてくださった。私は、このMRIを撮影するときに造影剤を使っていないことを指摘したのだが、I医師は、例え造影剤を使っていなくても、肉腫の場合は、細胞の中で出血している様子がMRIフィルムの中に白く写り込むとおっしゃった。私が持ち込んだMRIフィルムは、様々な角度から撮影された画像が三枚のシートに分けられていたが、それらはすべて意味があるのだとI医師はおっしゃった。つまり、三枚のシートは様々な角度からの筋腫が網羅された画像だということだ。それらの網羅された画像の中に、白く写り込んだものが混じっていなければ、肉腫の疑いはないと判断していいのだそうだ。ただし、肉腫の疑いがあると判断される画像であっても、実際に調べてみると、そのうちのほとんどは肉腫ではないのだそうだ。まずは、あらゆる角度から撮影されたMRI画像の中に、白っぽいものが写っているかどうかで、肉腫が疑わしいグループと、肉腫ではないグループに分けられる。私の場合は後者なので、肉腫である可能性はほとんどないと言えるのだそうだ。私はほっと胸を撫で下ろした。

 肉腫に話が及んだので、肉腫について、I医師が細かく説明してくださった。
「肉腫は、閉経後の女性に多く見られるんですよ」
とI医師がおっしゃったので、
「じゃあ、肉腫はエストロゲンの影響を受けないのですか?」
と尋ねてみた。そこから話が長くなった。I医師は、肉腫には三種類あり、その中にはエストロゲンの影響を受ける肉腫もあると丁寧に説明してくださった。私は、I医師の説明を聞きながら、この方は本当に、子宮筋腫や肉腫や、女性の様々な病気に対して命を燃やしている方なのだと実感した。そして、ご自分が知っていることを、子宮筋腫について不勉強な私にも、こうして惜しみなく分けてくださっている。そのことが、とても有り難かった。I医師は、婦人科の医師になるべくしてなった、天性の医師だと強く感じた。つまり、I医師は既にご自分の役割を見つけられた方だと実感したのである。私は、そういう医師に巡り合えたことを心から喜んだ。だから、この医師にお任せしよう。私の中に、今まで診ていただいた医師に対しては沸いて来なかった感情が沸き上がって来た。

 やがてI医師は、子宮の形が描かれたパネルを開きながら、
「これが正常な子宮、あなたの子宮は・・・・・・」
と丁寧な説明を始めた。私の子宮は、正常な子宮の形とは似ても似つかなかった。子宮が変形しているとでも言うのだろうか。大きさもそうだが、子宮を保つラインが中でぐにゃりと曲がっていたのだ。I医師は、子宮をイカの頭に例えて説明をしてくださった。
「イカの頭を取って、内臓を取ると、ぺしゃんこになるやろ? 本来の子宮はそんな状態です」
それが本来の子宮の形ならば、私の子宮は中身がいっぱいに詰まった状態にあるということだ。そう言われてみれば、子宮筋腫を患ってからというもの、正常な子宮の形など意識したことはなかったことに気が付いた。

 私は、ふと気になっていたことを口にしてみた。
「私の筋腫は粘膜下筋腫なんでしょうか?」
すると、I医師は、
「誰がそんなこと言ったん?」
と笑いながら私に尋ねた。私は恥ずかしくなり、
「いえ、自分で調べてそう思っていただけです」
と答えた。これまで診ていただいた医師に教えてもらわなかったので、私はインターネットで調べて勝手にそう判断していたのだ。I医師は、
「中には粘膜下筋腫も混じっているけど、ほとんどが筋層内筋腫と漿膜下筋腫ですよ」
と答えてくださった。

 今後の話になったとき、私は方向転換するかのように、漢方薬のことを切り出した。I医師にお任せしようという気持ちが沸き上がって来たとは言え、すぐには手術の決心が付かなかったからである。
「私の筋腫は、漢方薬ではとても追いつかない状況なのでしょうか?」
何故、漢方薬のことを持ち出したかと言うと、I医師は漢方薬につていも詳しい方だからだ。すると、I医師は意外にもあっさり、
「いいですよ。では、しばらく漢方薬で様子を見てみますか?」
と言ってくださったのだ。これまで診ていただいていた病院では、漢方薬を扱っているにもかかわらず、処方してくださらなかったというのに。私が、
「以前、ネットで桂枝茯苓丸(けいしぶくりょうがん)を購入して服用していました」
と言うと、やはり私にはそれが合っていたようで、I医師も桂枝茯苓丸を処方してくださった。漢方薬の処方は、症状はもちろんのこと、体質や体型などから判断するのだそうだ。I医師は、
「一日二回のタイプを処方しておきますね」
とおっしゃった。ネットで購入して服用していた桂枝茯苓丸は、煎じるタイプのものだったので、今回、処方してくださる桂枝茯苓丸もそうなのかとI医師に尋ねてみると、
「いや、違います」
とI医師はおっしゃった。
「ということは、エキス剤ですか?」
と私が尋ねると、
「そうですが、何か?」
と逆に聞かれてしまった。私は、
「いえいえ、それで問題ありません」
と答えた。
「確かに、三十年くらい前までは、煎じるタイプの漢方薬のほうが効果が高いと言われていましたが、最近は技術も発達して来ているので、私はエキス剤を処方させていただいています」
とおっしゃった。煎じるタイプの漢方薬は、朝、十五分ほどぐつぐつ煮出す必要がある。旅行に出掛けると、煮出すことができないので、旅行中は服用することができない。その点、エキス剤は持ち運びに便利なので、旅行中でも継続して服用することができる。I医師は二十八日分の漢方薬を処方してくださり、私は漢方薬が切れる頃に再びI医師を訪ねることになった。

 もう一つ、どうしても気になっていることがあったので、I医師に尋ねてみることにした。
「プロゲステロンと筋腫の関係についてはどのようにお考えですか?」
すると、I医師から意外な答えが返って来た。
「プロゲステロンは筋腫を成長させるよ」
「えっ?????」
私は驚きのあまり、それ以上、言葉が出なかった。I医師は更に続けた。
「婦人科の医師ではない誰かがプロゲステロンが筋腫に効果的だとか何とか言ってるようだけど、プロゲステロンで筋腫が大きくなることは、筋腫を培養した実験で既にわかっていることであって、婦人科の医師ならみんな知っていますよ」
私は愕然としてしまった。
「でも、プロゲステロンはエストロゲンと拮抗するホルモンではないのですか?」
私はすがるように、I医師に尋ねた。すると、I医師は、
「それは一部の話であって、筋腫に関しては拮抗しません」
ときっぱりおっしゃったのである。

 困った、困った。私は一年半余りに渡って、天然のプロゲステロンクリームを使ってプロゲステロンを補充して来た。しかし、実のところ、それで筋腫が小さくなったわけではない。もう少しで効果が現れるはずだと自分自身に言い聞かせながらプロゲステロンクリームを使い続けて来たが、現実をしっかりと見つめてみれば、私の筋腫は小さくなるどころか、大きくなってしまっている。それがプロゲステロンの補充によるものだとは思いたくはなかったが、プロゲステロンが筋腫の成長に関わっているということは、筋腫を培養する実験で明らかになっているというI医師の言葉を信じるしかなかった。というのも、I医師のホームページを拝見したとき、妊娠中にも筋腫が大きくなると書かれてあり、疑問に思っていたのだ。何故なら、妊娠中に増える女性ホルモンはプロゲステロンのほうだったからである。私が愛読していたリー博士の本には、妊娠中には筋腫が小さくなると書かれていた。一体どちらが本当のことなのだろうと疑問に思っていたのだ。私は、I医師にプロゲステロンを補充していたとは言えず、動揺した気持ちのままI医師にお礼を言って、診察室をあとにした。

 診察室の外にある待合所では、次の患者さんが診察の順番を待っていた。ああ、お待たせして申し訳なかった。時計を見ると、私が診察室に入ってから、既に五十分も経過していた。私は病院で、医師とこれほど話し込んだことはなかった。それだけ、I医師の説明が丁寧だったということだ。

 それから私は二階に降りて行き、精算を済ませた。何と、請求されたのは、処方箋代としての千五十円だけだった。一体、誰がセカンドオピニオンに一万円も掛かると言っていたのだ。五十分も話し込んでしまったのに、千五十円だけでいいのだろうか。私が支払った千五十円では、待合所のソファの足しにもならないだろう。そんなことを考えながらも、私はI医師とのやりとりに興奮を覚えながら病院をあとにした。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 長い長い記事を読んでくださって、ありがとうございます。衝撃の結果が出てしまいました。やはり、私の筋腫は手術が必要であることと、プロゲステロンも筋腫を成長させるということです。今回の記事では、医師とのやりとりを綴っただけで、まだまだ私の心情を表現し切れていません。そのあたりについては、次回の記事に盛り込ませていただくことにします。それにしても、I医師は、婦人科の医師になるべくしてなった医師だと感じました。すべてにおいて、私の納得の行く説明をしてくださいました。手術に対してずっと抵抗し続けていた私ですが、本当は、知識の押し付けではなく、手術が必要だという論理的な説明が欲しかったのです。その説明を、I医師がしてくださいました。何だか記事を書きながら、猛烈に私の片思いだという気がしてなりませんでしたが。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2007.09.29

名医の診察(前編)

 毎週土曜日は、ホットヨガの三宮店でカリスマインストラクターが担当してくださる脂肪燃焼コース2のレッスンを受けることを楽しみとしていたのだが、今回は特別な事情があり、レッスンを見送ることになった。新しい病院にMRIフィルムを持ち込んで、診察していただくことになっていたのである。これまでお世話になっていた病院は、公立の病院だったので、土曜日の診察は受け付けてくださらなかったのだが、今回は私立の病院なので、土曜日も診察を受け付けてくださったのだ。実は、私がその病院を選んだのは、ある医師に診ていただきたかったからである。ここに医師の名前を書いてしまっていいものかどうか判断しかねるので、I医師とさせていだくことにしよう。

 I医師は、子宮筋腫の様々な対象方法について、様々な角度から積極的に取り組んでいらっしゃる医師である。行き詰ると、開腹による子宮の全摘手術を勧める医師が多い中で、I医師は次々に新しい技術を取り入れ、様々な可能性を提案をしてくださる。また、例え手術を行うにしても、できるだけ開腹手術をしないとはっきり宣言されている医師である。

 私がI医師の存在を知ったのは、子宮筋腫の対処方法について幅広く調査を始めた頃だった。保険適用外のFUS(集束超音波治療)やUAE(子宮動脈塞栓術)も考慮に入れ始めたとき、I医師の存在が浮かび上がって来たのである。I医師が自ら開設されたホームページには、子宮筋腫に関する様々な情報が詳しく掲載されていた。I医師は、子宮筋腫に関して、学会でも様々な研究を発表されて来た方で、新しい技術を次々に検証され、積極的に現場に取り入れられている。それだけでも、筋腫が大きくなれば開腹して子宮を全摘すればいいというオーソドックスな考えを守り続けている医師ではないことが十分にうかがえる。

 I医師のホームページを拝見したとき、私はこの医師のお世話になりたいと強く感じた。そこで、I医師のホームページから、現在、I医師が勤務されている病院を参照してみたところ、驚いたことに、私の職場近くの病院だったのだ。診ていただきたいと強く感じた医師が関西にいらっしゃることだけでも有り難いというのに、こんなにも身近な場所にいらっしゃったとは! しかも、その病院のホームページには、「他の病院で子宮全摘手術を勧められた方はご相談ください」と書かれていた。つまり、開腹手術ではない別の方法を示してくださるというのだ。私は、その病院のホームページから、六月にMRIを撮影しているが、どのような経路を辿ればI医師に診ていただけるか、問い合わせをした。おそらく、セカンドオピニオンという形になるのだろうが、できれば保険の適用範囲内であって欲しいと願いながら。すると、I医師から直接メールで返事が返って来た。どうやらその病院は、グループウェアを導入しており、病院のホームページを通して患者から問い合わせがあったときに、問い合わせ内容がそのまま担当医にメールか何かで通知されるらしい。私は、病院の問い合わせ窓口からメールが返って来るものだとばかり思っていたので、I医師から直接メールが届いたことに驚いた。メールの内容はとてもシンプルだったが、是非とも診ていただきたいと思っていた医師から直接メールが届いたことは、大きな喜びだった。

 I医師からのメールによれば、そのMRIフィルムを持参してくださいとのことだった。もちろん、保険の適用範囲内だとも書かれていた。ただ、MRIフィルムを持参するのは、私の職場近くの病院ではなく、系列の別病院だということだった。I医師は、特定の曜日に限って、系列の別病院に勤務されているのだ。私としても、そちらの病院に足を運ぶほうが、わざわざ職場近くの病院まで出掛けて行くよりもずっと近いので、有り難かった。

 しかし、I医師からメールをいただいてから、実際に系列の別病院に予約を入れるまでに二ヶ月余りもかかってしまった。というのも、これまでお世話になった病院の予約を九月半ばに設定していたからだ。I医師にMRIフィルムを見ながら診断していただくのに、これまでの病院でMRIフィルムを貸し出ししてもらえるのか、それとも、コピーしてもらったほうがいいのか、そのあたりの事情が良くわからなかった。しかし、これまでお世話になっていた病院の予約当日、いちかばちかでMRIフィルムの貸し出しをお願いしたところ、意外にもあっさり承諾してくださることになった。ようやくMRIフィルムが手に入ったので、私はI医師が指定してくださった系列の別病院に予約を取るべく電話を掛けた。受付の方に、
「子宮筋腫で、I医師にMRIフィルムを見て診断していただきたいのですが」
と申し出ると、
「これまでにI医師に診てもらったことはありますか?」
と尋ねられた。今になって思えば、このような質問をされたことは、患者がI医師について来ていることを示している。I医師は、常に新しい技術を追求していらっしゃるためか、これまでに複数の病院に勤務された実績がある。受付の方の表現から、過去に別の病院でお世話になった患者さんが、I医師を指名して来られているであろうことが推測された。それは言い換えれば、I医師が名医であるということだ。私は、まったく初めての受診だったので、
「いえ、まったく初めてです」
と答えた。そして、この土曜日に予約が取れたのである。私は、I医師のホームページを何度も拝見しながら、この日が来るのを指折り数えて待っていた。

 十三時半からの予約だったが、十五分前には来てくださいと言われていた。おそらくだが、初診なので、問診票に記入する時間が必要なのだろう。しかし、何を思ったのか、私が病院に着いたのは、予定よりも更に十五分早い十三時だった。I医師に診ていただけることを、それほど楽しみにしていたのかもしれない。

 I医師のホームページを何度も拝見し、I医師の偉大さを実感していた私は、I医師に診ていただけることで、もっと緊張するのではないかと思っていた。しかし、どういうわけか、前日の夜も、当日の朝も、ほとんど緊張することなく、私の気持ちはずっと落ち着いたままだった。そして、I医師に何を尋ねるのか、リハーサルもせずに当日を迎えた。私は受付で名前を告げ、MRIフィルムを渡した。予想した通り、問診票に記入したあと、待合室でしばらく待つことになった。私は、待合室のソファに驚いた。これまでお世話になった病院が公立の病院だったからだろうか。待合室に用意されていたのは、ソファというよりも、クッションの少ない長椅子に近かった。しかし、私が新しくお世話になる私立の病院の待合室のソファは、身体が沈み込むほどふかふかのソファだったのだ。私は、公立の病院と私立の病院の違いを待合室のソファに見出した。

 待合室でしばらく待っていると、誰かが階段を昇って来た。その病院の受付は二階にあるのだ。私は、階段を昇って来た人が誰なのか、すぐにわかった。何故なら、病院のホームページで何度もお顔を拝見した、I医師だったからだ。I医師は、土曜日の午前中は、私の職場近くの病院に勤務され、午後からは私が今回出向いた系列の別病院に勤務されている。一体、お昼ご飯をいつ食べていらっしゃるのだろう。私がそんなことを気にしなくてもいいのに、ついつい気にしてしまった。生のI医師を拝見した私は、まるでお気に入りの芸能人を生で見ることができたミーハーなファンのような気持ちになっていた。I医師は、映画の中に登場する医師が良く持っている黒カバンではなく、片方の肩でリュックを背負っていた。I医師のリュック姿を拝見した私は、I医師に対して一気に親しみが増したのだった。

 間もなく、私は受付のすぐ上の階にある別の待合所に案内された。やはり、その待合所にもふかふかのソファが並べられていた。深みのあるソファに腰を下ろすと、気持ちが落ち着いて来た。十三時半きっかりに私の名前が呼ばれ、私は深呼吸をして診察室に入った。いよいよI医師とのご対面である。I医師の後ろには、私が持参した三枚のMRIフィルムが並べられていた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m いいところで切ってしまってごめんなさい。記事が長くなりますので、二回に分けて書かせていただきますね。ついに、I医師に診察していただくことができました。まったく緊張せずにその時を迎えられたということは、私の中で既にシナリオが出来上がっていたからなのかもしれません。しかし、診察を受けたあとは、かなり興奮気味で、ほとんど一日中、I医師との会話が頭の中を駆け巡っていました。まさに、出会うべくして出会った医師という気がします。これまで診ていただいた医師とはまったく違っていました。この続きは明日の記事に書かせていただきますね。

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2007.09.28

安上がりな英語教材

ホットヨガ(七十二回目)の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m バイオリズムの感情リズムは二十八日周期なんですよね。月のリズムも、確かそれくらいのサイクルではなかったでしょうか。月のリズムというページに面白い記事が掲載されていました。かつて私が読んだ本も、ここで紹介されている本だったかもしれません。後日、確認してみますね。

 仕事を終えて自宅でくつろいでいると、飲み会だったガンモがしょぼんと肩を落として帰って来た。
「みんな、英語、頑張ってる」
ドアを開けるなり、ガンモはそう言った。

 どうやら飲み会の席で、英語の話になったようだ。ガンモの会社は外資系なので、英語の成績が評価に響いて来る。単刀直入に言えば、英語の成績が悪ければ、どんどん落ちこぼれるシステムになっている。そのため、ガンモの会社の同僚たちは、英語を必死に頑張っているのだそうだ。英会話スクールに通っている同僚もいれば、これまでTOEICの点数が芳しくなかった同僚も、一日三時間もの猛勉強を重ね、着実に点数を伸ばしているそうだ。ガンモは英語に対してそこまで真剣に取り組んでいないので、このままでは取り残されてしまうと思い、しょぼんと肩を落としての帰宅となったわけである。

 「俺も英語を頑張るから、まるみも一緒に頑張ってくれないか」
とガンモが言う。
「いいよ。私ももっと英語を頑張りたいと思ってるしね」
と私は言った。ガンモが一人で頑張るよりも、私も一緒に頑張ったほうがガンモも励みになるらしい。それは確かにその通りだ。私の周りにも、ご夫婦で英会話スクールに通っていらっしゃる方たちがいる。

 英語を真剣に学ぼうとするなら、夫婦で英会話スクールに通うという選択肢もありかもしれない。だだ、ご夫婦で英会話スクールに通っていらっしゃる方の話によれば、毎週、決まった曜日の決まった時間にレッスンが行われるので、その日は都合をつけて空けておかなければならないらしい。ホットヨガのように、自分の好きなときにスケジュールを選んでレッスンを受けられるのであれば良いが、一つの支店で同じ曜日の同じ時間にレッスンが固定されている場合、ガンモのように休みが不規則で夜中の仕事もあるとなれば、継続はなお難しい。レッスンを平日に持って行くとしても、ガンモと私の職場は一時間も離れている上に、帰宅時間も仕事の状況によってまちまちなので、やはり難しい。ガンモと私は、仕事帰りに容易に待ち合わせることはできても、待ち合わせているのはいつも同じ時間ではないからだ。となると、そんな私たちには、習いに行くというよりも、自ら学習するという姿勢が必要だ。

 さしあたっての目標は、日曜日に行われるTOEICだ。もちろん、日々の積み重ねが大切なのはわかっているのだが、私はガンモに教材として、百円ショップで購入した英語の教材テキストを渡した。CDとセットになって売られているそれらの教材を、ロンドンに行く前にまとめて購入していたのだ。CDの中には、ネイティヴスピーカーの声で様々な英会話が録音されている。中には、TOEIC対策用の教材もある。私はそれらのCDをすべてMP3に変換し、デジタルメモリプレイヤーに転送して、通勤の途中に何度も繰り返し聴いていたのである。もちろん、ガンモにもMP3の変換データを渡していた。CDと一緒に購入した教材テキストは、CDの中で語られている英語を表記したものと、日本語の解説である。TOEICを目前にしたガンモは、それらの教材を使って真剣に勉強を始めた。簡単な英会話なので、とても聞き取り易く、耳を傾けているだけでも自信がついて来る。しかし、簡単なだけに、本当にこれでいいのだろうかという不安も伴う。

 ところで、DVDで映画を鑑賞するときにいつも思うのだが、映画の音声だけを取り出して、MP3に変換できないものだろうか。既に鑑賞した映画ならば、映像がなくても音声だけでその内容を想像することができる。それを通勤の途中に聴くことができれば、英語の学習も楽しくなるのではないだろうか。もっと手軽なところで英語の学習を始めることができれば、英語がもっともっと身近なものになって行くと思うのに、英語の学習を始めるのにわざわざ身構えなければならないのは、何となくしっくり来ない。そこで、百円ショップという安上がりな英語教材を求めてみたのだが、聞き取り易くて自信が付いて来る反面、不安になってしまったりと、英語を学ぼうとする者の心境はとても複雑である。どこかに、もっと自然に英語を学習できるお手軽で安上がりな英語教材は転がっていないものだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモの言う「一緒に頑張る」というのは、お互いに良きライバルになるということだと思うのです。確かに私はTOEICの点数ではガンモに負けていますが、英単語に関しては、私のほうがたくさん覚えています。私たちはお互いに負け嫌いの性格なので、きっと良きライバルになることができるでしょう。それにしても、あまりお金をかけることなく、時間にも拘束されることなく、楽しく英語の勉強ができるといいと思うのですが、そんなことを望むのは、ムシが良過ぎるのでしょうか。一番いいのは、英語を話さなければならない状況を作り出すことのようですが、あいにく私は日本人なので、ガンモがどうしても英語をしゃべらなければならないような状況を作り出すことができません。家の中で、英語しかしゃべってはいけないルールを決めておしゃべりをするのも面白いかもしれませんが、文法を直してくれる人がいなければ、向上しないですよね。それに、英語しかしゃべってはいけないというと、タモリさん、さんまさんのゴルフのようになってしまうかもしれません。(苦笑)

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2007.09.27

ホットヨガ(七十二回目)

 先週に引き続き、仕事を終えたあと、神戸店で脂肪燃焼コース2のレッスンを受けるべく、神戸へと向かった。予定よりも早めに仕事を上がることができたので、私は神戸で少しばかりショッピングを楽しむことにした。セールを行っている催事場に足を運んでみると、
「レジは十九時で閉めますので、どうぞお早めにご利用ください」
というアナウンスが繰り返し流れている。どうやら十九時で閉店するらしい。時計を見てみると、閉店まであと数分しかないではないか。私は大急ぎで催事場を回ったが、そんなアナウンスが繰り返し流れているとなると、まるで急かされているようで、じっくりと商品を選ぶこともできない。商品を手に取ろうものなら、すぐさま決断を迫られてしまいそうだ。そんな状況で落ち着かなかったので、私は早々にその催事場をあとにした。

 いつもならば、ご飯を食べずにレッスンを受けて、レッスンのあとにバランス栄養食を少しばかりかじって夕食はおしまいにしてしまうのだが、いつもよりも時間がたくさんあった上に、お腹もかなり空いていたので、私はレッスンの前にしっかりと腹ごしらえをしておくことにした。これまでの経験から言えば、レッスン前は空腹のほうが汗がたくさん出ることもわかっていたのだが、いつになくお腹が空いてしまっていたのである。

 ご飯を食べたあと、更にちょっとした買い物を済ませ、私はスタジオに入った。受付では、久しぶりに顔を合わせるスタッフが対応してくださった。確か、彼女の名前は○○さんだったはずだ。システム手帳にこっそり作成したホットヨガのスタッフリストにもそう書いたのだが、実のところあまり自信がない。彼女に直接確かめれば良かったのだが、彼女がインストラクターを担当してくださるときまで楽しみを取っておくことにしよう。

 着替えを済ませてスタジオに入ってみると、前回と同様、参加者が少なかった。ヨガマットは十二枚敷かれていたが、一人キャンセルされたらしく、参加者は全部で十一名だった。私はいつものように、インストラクターのヨガマットのすぐ近くにある鏡の前のヨガマットに腰を下ろした。いつも、私よりも早くスタジオに入り、ご自分の好きな場所を選んでいらっしゃる方たちのほとんどは、インストラクター近くの前列よりも、後列を好まれているようだ。

 レッスン開始時間になり、インストラクターがスタジオに入って来たとき、私は思わず驚きの声をあげてしまった。何故なら、今回のインストラクターを担当してくださるのは、二週間前から張り出されているというレッスンの担当スケジュールには目もくれず、どんなレッスンも一通りこなせるとおっしゃっていた彼女だったからだ。彼女は小柄でとても美しいプロポーションの持ち主だ。ホットヨガを始めてから、そこまで美しい身体を作り上げることができたのか、それとも、ホットヨガを始める前からスリムだったのか、今度、彼女に尋ねてみたい。

 インストラクターは、
「今日は満月ですね」
とおっしゃった。そう言えばそうだ。私は、インターネットでしばしば月例カレンダーをチェックしているので知っていた。更に、インストラクターは、
「満月になると、精神的にもいろいろ影響が出て来るようで、スタッフの間でも、何かあると、『今日は満月だから』という言葉が合言葉のようになっています」
とおっしゃった。

 確かに私も満月の影響を受けることが多い。満月の日は感受性が豊かになり、普段よりも涙もろくなったりする。また、満月の日には届くメールの数が増えたり、掲示板の書き込みが活発になったりもする。満月の日には、誰かとコミュニケーションを取りたくなるのかもしれない。

 以前も、満月の日に神戸店でレッスンを受けたのだが、そのときは、満月の日には汗が出易いとインストラクターからうかがった。実際にその通りだった。しかし、今回はどうなのだろうと思い、自分の身体をじっくり観察していたところ、脂肪燃焼コース2のレッスンを受け始めて以来の汗の少なさだった。理由は二つ考えられる。一つは、私の身体がもうすぐ生理を迎えようとしているために、水分を蓄える傾向にあるということ。そしてもう一つは、夕食を取って間もないということだ。汗をかきやすいかかかきにくいかの違いは、満月であるかどうかという要素に加え、月経のリズム、それから、空腹か否かという少なくとも三つの要素が複雑に絡み合っているように思える。

 前回のレッスンのときに、神戸店の脂肪燃焼コース2はポーズを取る時間が長いと書いたのだが、例え前回のレッスンとは異なるインストラクターであっても、太陽礼拝のポーズに含まれるダウンドッグのポーズのときに、しばらくポーズをキープするところは変わらなかった。やはり、神戸店のレッスンはポーズをキープすることに重きを置いているようである。ホットヨガは、身体を動かし続けるのもきついが、同じポーズを保ち続けるのもまたきつい。

 いつものレッスンでは、後半のスフィンクスのポーズで、私はお休みさせていただくことにしている。しかし、今回は少しだけ踏ん張ってみた。しかし、途中でお腹に力を入れることを躊躇してしまい、志半ばで諦めることになってしまった。それでも、最初からポーズを取らずに全面的にお休みしていたことを思えば、ほんの少しでも前進できたように思う。

 三宮店のレッスンでは、スフィンクスのポーズのあと、余力のある人だけでブリッジ(アーチのポーズ)を取るのだが、神戸店のレッスンにはそれがない。おそらく、太陽礼拝のポーズのキープ時間が長いために、時間切れになってしまうのではないだろうか。まだまだ身体が重い私は、アーチのポーズを取ることができない。今回、レッスン開始前にこっそりヨガマットの上でアーチのポーズを取ってみたのだが、腕に力がなくて上半身を持ち上げることができなかった。子供の頃は苦もなく取っていたはずのポーズなのに、大人になると、こうも言うことをきかなくなってしまうとは、ちょっぴり情けない。

 六十分のレッスンは、心地良い疲れのまま、静かに幕を閉じた。神戸店のシャワーの数は今回の参加者の人数と同じくちょうど十一個だったので、シャワー争奪戦が繰り広げられることもなく、ゆったりとシャワーを浴びることができた。

 着替えを済ませてスタジオを出る頃には、既に二十二時を回っていたのだが、例えそんな時間であっても、スタッフの方たちはまだ忙しそうに動き回っていた。スタッフの方たちが一日の仕事を終えるのは、おそらく二十三時を回る頃なのではないだろうか。仕事帰りにレッスンを受けようと思うと、今回のように二十時半から始まるレッスンはとてもありがたい。しかし、レッスンの開始時間が遅くてありがたいのは仕事帰りの私たちのほうであって、そこで働いているスタッフの方たちは、私たちが着替えを済ませて帰ってもまだ仕事が残っている。映画館だって、レイトショーが上映されることはありがたい。仕事帰りに気軽に寄ることができるからだ。しかし、二十時半からのホットヨガのレッスンやレイトショーが実現されるためには、遅くまで仕事から解放されない人が出て来るということなのだ。

 私は、
「遅くまでご苦労さまです」
と言ってスタジオを出たのだが、そう言えば、「ご苦労さまです」という表現は、一般的には目下の人に用いる言葉なので、あまり好ましい表現ではなかったかもしれないなどと心の中で反省していた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ご飯を食べてからレッスンに参加すると、汗が出にくくなることがはっきりしました。もちろん、これまで参加して来た脂肪燃焼コース2以外のレッスンと比べると、たくさんの汗は出ていました。汗が出にくいと書いたのは、空腹で参加して来た脂肪燃焼コース2との相対になります。汗があまり出なかったせいか、レッスンの翌日、体重計に乗ってみると、体重がしっかり1キログラム増えていたのでした。やはり、満月に食べると太るというのは本当だったのでしょうか。まあ、最近の私は、太ってもまたすぐに痩せますので、見ていてくださいな。ちなみに、私の体重は、リバウンドはありませんが、現在、横ばい状態です。ロンドンから帰って来た直後が一番痩せていました。

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2007.09.26

恥ずかしい主観

 押し入れから十年前のノートを見付けた。ガンモと結婚して一年余り経った頃に書かれたそのノートは、私がガンモへの想いを綴るために綴り始めたものだった。あたかも本としての体裁を整えるかのように書き連ねられた目次には、ポエム、エッセイ、流行語、ガンモの名言、まるみのひとりごと、ガンモの似顔絵といった項目が並べられている。私はページをめくり、それら一つ一つの項目に目を通してみた。・・・・・・恥ずかしい。何故だろう? 決して、気持ちが変わったわけではないのに、ちょっぴり照れるのだ。その恥ずかしさについて考えるために、恥ずかしいながらも、ポエムの中からいくつかをご紹介しよう。

お似合いの私たち

ガンモ、お似合いってことは すごくいいことだね

何でも一緒にできるし おそろいの服も買えるし

ガンモ、お似合いってことは 二人の持ってるエネルギーが
いつも同じくらいってことなんだ
どっちに傾いているわけでもない
常に平等に釣り合いが取れてるってことなんだ

お似合いのガンモがいる すごくお似合いのガンモが・・・・・・
それだけでも 何だかうれしいね
ガンモ、心強いよ


ガンモの眉毛

私はけっこう ガンモの眉毛が好きだったりする

ガンモの眉毛は ガンモの感情とシンクロしている

私は時々 ガンモの眉毛の動きを思い出して

ガンモがたまらなく愛しいと思うことがある

ガンモの眉毛は 私と同じ 繋がり眉毛

でも 私のより ずっと濃い


 内容としては、「ガンまる日記」を書き始めたときの心境とほとんど変わらないかもしれない。しかし、何故、恥ずかしいのだろう。おそらく、これらが私の主観で書かれているからだ。とりわけ、ガンモに読まれることを意識しながら、ガンモという対象に絞って書かれているからだ。だから、このポエムはガンモと私にしか繋がっていない。それゆえに、ガンモと私以外の対象に読まれることを意識すると恥ずかしいのだ。それに対し、最初から人に読まれることを意識しながら書き始めた「ガンまる日記」は、ある程度、客観への変換が行われている。だから、一歩下がったところで冷静に自分の書いたものを観察することができる。自分の身の回りで起こっていることを、そこに居合わせていない人たちにも伝わるように、意識しながら書いているからだ。

 さきほどのポエムに、客観を加えてみると、こんな感じだろうか。

お似合いの私たち

ガンモと私は鏡が大好き

鏡の前に並んで立って
自分たちの姿を何度も何度も映し出しては
お互いの持つエネルギーを確認している

鏡に映った私たちを見ると
お互いに過不足なく
エネルギーが流れているのを感じる

私たちはとってもお似合いだ

だから、痩せても太っても
お揃いの体型でいられる
体型が変わる度に
お揃いの服も着られる

お似合いの私たちの心地良いエネルギーを感じるために
私たちは鏡の前に並んで立って
自分たちの姿を何度も何度も映し出している


ガンモの眉毛

ガンモの眉毛は
ガンモの感情とシンクロして
ピクリと動く

難しいことを考えるときにもピクリ
ベッドの上で愛情をいっぱい注ぎ込んでくれるときもピクリ

私は
ガンモの感情を読み取ろうとして
ガンモの眉毛の動きに注目する

仕事中に時々
ガンモの眉毛の動きを思い出すことがある
そんなとき
ガンモのことがたまらなく愛しくなる

ガンモの感情に合わせてピクリと動く眉毛
ガンモの眉毛は私と同じ繋がり眉毛
私の眉毛もガンモの眉毛のようにピクリと動くかな

 むむむ。これで、恥ずかしさは少し収まった。まだまだ客観に変換できたとは言い切れない部分があるが、やはり、ガンモ一人に向けて書くのと、他の人にも伝わるように書くのとは違う。流行歌の歌詞だって、主観ばかりではヒットしない。作詞家が主観を抑え、客観を加えるからこそ、聴き手が自分たちの経験に置き換えて耳を傾けることができるというものだ。

 私が押入れで見付けたものは、私が十年前に書いた主観だった。しかし、こうして「ガンまる日記」を書き続けることによって、主観から客観への変換が行われつつある。そして、私自身もそれを楽しんでいる。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 十年前に自分が書いたものを読んで、どうしてこんなに恥ずかしいのだろうと思っていると、こういうことでした。電子メールでも、個人に向けて書いたものがいきなり公開されると恥ずかしいですよね。主観はやはり恥ずかしいのだと思います。一人で舞い上がっているように見えるからでしょうか。映画の世界においても、人々に多く受け入れられている作品は、主観から客観への適切な変換が行われ、鑑賞する人に自由意思を与えている作品だと思います。

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2007.09.25

悪くない

映画『レディ・イン・ザ・ウォーター』の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 既にご覧になられた方も多いのかもしれませんね。評価が大きく分かれている映画でしたが、映画から何も受け取ることが出来なかったと言っている人たちもまた、まだ自分の役割とは違うところにいるだけなのかもしれません。

 朝、起きて、寝室の窓からベランダの様子をうかがうと、TKMYがうずくまっている巣のすぐ近くで、卵が一個、転がっているのが見えた。今度は何だ? しかし、私にはすぐに想像がついた。ずっと温めていたもう一つの卵がもう孵らないとわかり、見切りを付けたのだ。雛が孵った卵の殻をよその巣の近くまで捨てに行く習性があるのだから、孵らなかった卵を巣の外に押し出す習性があってもおかしくはない。ベランダ掃除のときでさえ、絶対に離れまいと、あれだけ大事そうに温めていたはずの卵なのに、孵らないとわかってからの態度は意外にもあっさりしている。

 それにしても、卓上カレンダーに印を付けているわけでもない彼らは、どのようにして、この卵はもう孵らないと判断するのだろうか。鳩にも、日数の感覚があるのだろうか。私は、TKMYやキッコロがベランダの壁にこっそり×印でも付けているのではないかと思って見てみたが、そんな印はどこにも見当たらなかった。私たち人間は、日数の経過をカレンダーに頼って確認しているというのに、彼らは本能的に日数の経過がわかるようだ。

 ところで、先日、情熱的な交尾を見せてくれた父ちゃん、母ちゃんの巣で、ガンモがまたしても新しい卵を一つ発見した。ガンモがそれを発見したのは、情熱的な交尾の翌日のことだった。そこにあったのは、前日の交尾の賜物なのだろうか。それはわからない。それにしても、鳩はたいてい卵を二つ産むので、もう一つの卵がお腹の中で育ちつつあるというのに、交尾をしたことになる。そうだとすると、人間で言えば、安静にしておかなければならない時期ではないのか。胎児が生まれるのと、卵が生まれるのとはまた違うのだろうか。

 TKMYとキッコロの間に生まれた雛も順調にすくすく育っているようだし、父ちゃん、母ちゃんも新しい卵を抱いているし、またまだ我が家のベランダはにぎやかな状態が続きそうである。

 ところで、TKMYとキッコロの巣があまりにもむき出しの状態なので、カラス避けのために、ガンモが巣の上に庇(ひさし)を作った。
「庇を作ったから見てみ」
とガンモが私に言うので、寝室の窓を開けて見てみると、巣の上に小さなダンボール箱が斜めに立て掛けてあった。これなら、上空を偵察しているカラスの目からはいくぶん、守ることができそうだ。
「へええ、これはいいね。TKMYたちは気に入ってるみたい?」
と私が尋ねると、
「どうやら、嫌がってはいないようだね」
とガンモが言う。しばらく観察していると、TKMYは巣の上に庇があるのが当たり前のように振る舞っている。気に入らないものは、巣の外に突付き出してしまう彼らだから、ダンボールの庇が気に入らなければ、さっさと突付き出してしまうのではないか。案外、村上春樹さんのように、「庇があるのも悪くない」と思っているのではないだろうか。

 つい先日も、私たちのマンションの庭の木から、鳥の悲痛な叫び声が聞こえて来た。たまたま外にいたガンモが階下に目をやると、木の間からカラスが飛び立って行くのが見えたと言う。もしかすると、その木に巣を作っていた鳥の雛がカラスに連れ去られ、雛を亡くした親が悲痛な叫び声をあげていたのではないだろうか。その悲痛な叫び声はしばらく続いていた。声だけで、感情が手に取るようにわかってしまうほど、悲痛な叫び声だった。父ちゃん、母ちゃんがカラスに雛を連れ去られたときも、あのような悲痛な叫び声で鳴いていたのだろうか。TKMYの責任感の強さからすれば、もしもカラスが我が家のベランダにやって来たとしたら、どうなるのだろう。どうかどうか、我が家のベランダがカラスに狙われませんように。庇が、母性いっぱいのTKMYの雛を守ってくれますように。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m まだまだにぎやかな我が家のベランダであります。卵が一つしか孵らないことは良くあるのです。父ちゃん、母ちゃんの間にも、しばしば孵らない卵がありました。TKMYとキッコロの間に生まれた雛は、どんな柄(がら)になるのか、とても楽しみです。TKMY柄が強く出るのでしょうか、それとも、キッコロ柄が強く出るのでしょうか。また、経過をご報告させていただきたいと思います。

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2007.09.24

映画『レディ・イン・ザ・ウォーター』

 またしても評価の分かれる映画を観てしまった。公開中、映画館に張り出されていたポスターに強く惹かれて、是非とも観たいと思っていた映画だったが、時間が取れなくてとうとう観ることができなかった『レディ・イン・ザ・ウォーター』をDVDで鑑賞したのである。映画のポスターから想像する内容とはまったく異なっていたが、私は、今まで見たこともない物語の展開に驚き、そして、映画の中で繰り広げられる現代版おとぎ話を存分に楽しんだ。きっと、他の人たちもこの映画を楽しんだに違いないと思いながら、いつものように、Yahoo!映画 - レディ・イン・ザ・ウォーター - 作品ユーザーレビューに目を通してみると、驚いたことに、私のように「面白かった、映画を十分に楽しめた」という感想を持っている人は、ごくわずかのようである。そういう映画だと知ると、私はついついレビューを書きたくなってしまうのだ。

 現代版おとぎ話と言われているこの映画は、フィラデルフィアのコープ荘というアパートの管理人クリーブランドとその住人たち、そして、アパートのプールの下に住んでいたストーリーという名前(映画のレビューを書くには、ちょっと紛らわしい名前である)の若い女性の登場人物で構成されている。ストーリーはクリーブランドに、自分がナーフであることを告げる。ほどなくしてクリーブランドは、韓国人のアパートの住人から、韓国のおとぎ話にナーフが登場することを聞かされる。ナーフとは、ニンフ(精霊)のような存在だったのである。クリーブランドは、韓国人の住人の部屋に何度も何度も足を運び、ナーフのおとぎ話の情報を聞き出す。実際にナーフに詳しいのは韓国人の大学生のお母さんのほうであるが、お母さんは英語が話せないため、大学生の娘が通訳をする。英語が話せないために、クリーブランドに対して警戒心を抱いているお母さんだったが、ナーフのおとぎ話を熱心に聞きに来るクリーブランドに少しずつ心を開いて行く。全体的に、ナーフのおとぎ話に従って、ナーフであるストーリーを元の世界に戻そうとする展開となっている。

 本来は別世界に住む人物が元の世界に戻って行くおとぎ話と言えば、日本にも『かぐや姫』がある。『かぐや姫』のおとぎ話をこの映画に置き換えると、かぐや姫に相当するストーリーが月に帰って行くのを、アパートの住人たちが手助けするようなイメージだろうか。ただ単に、ストーリーが元の世界に帰るのを手助けするだけでなく、アパートの住民がそれぞれの役割を見つけて力を合わせ、ストーリーが元の世界に戻るのを邪魔する怪物から命がけで守るのである。

 ナーフであるストーリーを演じているのは、ブライス・ダラス・ハワードという女優さんだが、まだ何色にも染まっていないと思わせる彼女の無垢なキャラクターは、ナーフ役にぴったりだと思う。彼女が本当にナーフであったとしてもおかしくはないくらいだ。彼女は何と、『シンデレラマン』や『ダ・ヴィンチ・コード』の映画監督であるロン・ハワード氏の娘さんなのだそうだ。

 この映画の中には、いくつものスピリチュアルなエッセンスが盛り込まれている。おそらく、その部分を受け入れられるかどうかで、この映画の評価が分かれるのだろう。もともとこの物語は、この映画の監督であり、脚本家であり、また、映画の中でも作家の卵として登場しているM・ナイト・シャマラン氏が、自分の子供たちのために考え出した物語なのだそうだ。シャマラン氏がインドのご出身だからだろうか。とても哲学的な物語に仕上がっている。

 人々が役割を持って生きているという思想は、『聖なる予言』や『第十の予言』を思い出させてくれる。とりわけ、この映画の中で展開されている物語は、『第十の予言』に通じるものがある。しかも、面白いのは、役割が間違って配置された場合、効力を発揮しないところだ。

 アパートの住民たちは、ストーリーを無事に元の世界に戻すために、自分たちの役割に従って行動する。例えば、ストーリーが元の世界に戻るための暗号を解く通訳を担当する者、怪物に襲われてダメージを受けたストーリーを癒すヒーラーなどである。最初はその役割が間違って配置される。しかし、間違って配置された人たちは自分の力を発揮することができない。やがて、役割が間違っていることに気がつき、正しい役割で再配置されたとき、物語は躍動し始める。人々が自分の持っている役割に気がついたとき、もはや誰の指図も要らない。例えば、ヒーラーが傷ついたストーリーを癒し始めたとき、後ろから七人の姉妹がヒーラーの肩にそっと手を添える。私はそのシーンで涙がじゅわんと出て来た。ああ、何だろう。この映画は。そんなさりげないシーンで泣かせてくれるとは。それぞれが役割に気が付いたために、自分がすべきことを誰かに指図されなくても能動的に動くことができるのだ。

 この映画は、人々が自分の役割に気づいて行くことの大切さを教えてくれている。役割に気づくまでには、いくつもの試行錯誤や迷いの繰り返しだ。しかし、役割に気づいたとき、その人生で約束された大きな流れに乗り始め、互いに人生の目的を達成することができる。役割を持った人々が互いに関わり合い、支え合いながら、一つの目的を達成して行くプロセスが、美しい映像を交えながら描かれているのだ。ストーリーを狙う怪物もユニークでいい。とにかく、日常生活に応用できるスピリチュアルなエッセンスがたくさん詰まった映画なのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 人と人がどのように作用し合っているかを、間接的に伝えてくれる映画でもありました。こんな映画は、これまでに観たことがありません。普段、私たちがうまく行かないと思っていることは、もしかしたら適切な役割ではないのかもしれませんね。逆に、世の中で成功している人は、自分の役割を既に見つけた人なのかもしれません。自分の役割とは何なのでしょう。そんなことを考えさせてくれる映画でありました。

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2007.09.23

もっとも大阪らしい場所

 三連休の中日(「なかび」。名古屋の方には申し訳ないが、「ちゅうにち」ではない)は、ガンモと二人で大阪・四天王寺で行われている大師会(だいしえ)に出掛けた。以前も書いた通り、四天王寺大師会では、弘法大師の命日にちなんで、毎月二十一日に数百もの露店が立ち並ぶ骨董市が開催されている。今月はお彼岸月なので、開催期間が一週間に延長されていた。

 この三連休、私は完全に仕事が休みだったが、ガンモは自宅で仕事に使う資料を作成したり、短時間のサポートの仕事がちょこちょこ入ったりと、半分休みで半分仕事のような状態だった。日曜日は、深夜から仕事が入っていたようだが、土曜日のうちに仕事で使う資料が出来上がれば、二人で四天王寺に出掛けようと話していた。

 私がホットヨガのレッスンに出掛けた土曜日、ガンモは朝早くから起き出して、寝室でガサゴソと音を立てていた。その物音に目を覚ました私が時計を見てみると、まだ六時頃だった。ガンモは何と、早朝に起きて受験勉強に励む受験生のように、四時過ぎから起き出して、資料作りに精を出していたのである。目を覚ました私に、ガンモは、
「インターネットでいい資料が見つかったので、何だか乗って来たよ!」
と言った。

 私がホットヨガのレッスンに出掛ける頃には、ガンモは仕事で使う資料をすっかり作成し終えていた。
「資料が出来て良かったね。じゃあ、明日、一緒に四天王寺に行ける?」
と、私が尋ねると、ガンモはうれしそうに、
「行けるから」
と答えた。

 さて、一夜明けた日曜日、私たちは出発の準備を整えてお昼前に家を出た。どこかで軽く腹ごしらえをしておこうと思い、途中の京橋駅(京橋と言うと、東京が有名だが、大阪にも京橋という名前の駅がある)構内の立ち喰いそば屋さんに入った。注文した品を受け取り、空いている席を見つけて食べていると、私の横に座っていたおばちゃんが突然、手を伸ばして来て、私の手にタッチしながら声を掛けて来た。
「お姉さん、座る?」
一瞬、何のことだかわからなかったのだが、私は間もなく状況を理解した。その店は、立ち喰いそば屋さんではあるものの、利用客のためにいくつかの椅子が用意されていたのだ。立ち喰いそば屋さんと名の付く通り、ほとんどの人が立って食べていたが、私の横で食べていたおばちゃんは、お店が用意した数少ない椅子に座っていた。食べ終えたおばちゃんは、自分が座っていた椅子が空くので、すぐ横で立って食べている私にわざわざ声を掛けてくださったのである。さすが大阪。自分が食べ終えても、黙って立って店を出て行こうとせずに、自分が使っていた椅子を誰かに譲ろうとする人情がある。私は先日、こうしたコミュニケーションに戸惑うと書いたばかりだが、このときになって初めて、大阪のおばちゃんの気持ちを理解した。大阪のおばちゃんは、単に世話好きなだけなのだ。決して見返りを期待しているわけではなく、また、同等のことを相手に要求しているわけでもなく、ただただ純粋に、自分が誰かの役に立ちたいと思っているだけなのだ。

 私たちは、京橋駅から大阪環状線に乗り換えて、天王寺まで出た。いつもながら、天王寺駅前から四天王寺まで続く道はひどく混み合っている。私は、文庫本を三十円で売っているお店で、気になる文庫本を一冊ゲットした。しかし、良く見ると、上巻と書かれているではないか。どこかで下巻も探さなければ。続いて、八百屋さんの露店の前でガンモが固まった。何か気になるものを見つけたらしい。私は少し先まで歩き、ガンモの様子をうかがっていると、ガンモは繁盛している八百屋さんのご主人の身体が空くのをしばらく待っているようだった。間もなく、ガンモがお金を払っているのが見えた。どうやら八百屋さんで何かを買ったらしい。やがてガンモは、
「二十世紀梨が安かった」
と言いながら、ビニール袋に二十世紀梨を一山買って、満足そうな顔をして歩いて来た。それを見た私が、
「これから骨董市を回るのに、重たくなるけど、いいの?」
と言うと、
「だって、帰りに売り切れてたら悔しいじゃん」
とガンモが言った。なるほど、それもそうだ。優柔不断なガンモにしては大胆な行動力だと思っていたら、ガンモは二十世紀梨が大好物なのである。これまでの幾多の失敗の経験から、決断を鈍って、二十世紀梨を失いたくなかったのだろう。

 私は、四天王寺で腹巻を買おうと思っていた。最近では、冬場になるとガンモも腹巻を使うようになって来たので、私の腹巻が服の上から腹巻を着けるガンモのサイズに合わせてビヨーンと伸びてしまっていたり、長年使っているうちに、既に劣化してしまってい腹巻も多かったからだ。四天王寺に出店されているお店では、普通のお店で買うと一枚千円以上する腹巻が、二枚千円で売られている。ただ、そのお店は、毎回、出店しているわけではない。私は、「どうか腹巻のお店が出店されていますように」と心の中で祈りながら、そのお店の出店場所へと足を向けた。あった、あった。私はそのお店で、念願の腹巻を大人買いした。

 すぐ近くには、ホットヨガのレッスンで履けそうなズボンが格安で出ていた。一枚五百円。これはいい。私は迷わず二枚求めた。カバンにぶら下げるタイプの時計は、普段、腕時計を着ける習慣のない私にはぴったりだった。一個五百円。デザインの違うものを二つ求めた。お風呂で使うゲルマニウム温浴ボールも、定価二千四百円のものが一個六百五十円。こちらも二つ求めた。ああ、このようにして、我が家はどんどん物で溢れ返って行くのか。そんなことを思いながらも、骨董市のショッピングは楽しくてやめられない。

 あちらこちらの露店を渡り歩くうちに、ガンモが、ビニール袋に入った二十世紀梨の重みで手が痛いと言い始めた。ショルダーバッグのようなものがあればいいのだが・・・・・・。そう言えば、私もあちらこちらを歩き回って疲れ果てている。そこで私たちは、四天王寺の無料休息所で少し休むことにした。無料休息所には、いくつかのテーブルと椅子が用意されていたが、既にたくさんの参拝客で溢れ返っていた。しかし、相席を覚悟すれば、何とか座れそうだ。私たちは、椅子が二つだけ空いているテーブルを見つけ出し、そこに落ち着いた。

 一息つきながら、歩き回って疲れた身体を休ませていると、休む場所を求めて次から次へと人が入って来るのが見えた。しかし、相席でなければ、空いている席は見つからない。そのとき、ちょうど休息を終えて立ち上がったおじいさんが、休息場を求めて入って来たおばあちゃんに声を掛けた。
「おばあちゃん、ここが空いたから、ここに座り」
そう言って、自分が立ち上がって空いたばかりの席に案内したのだ。ああ、大阪の人情よ。さきほど、京橋駅の立ち喰いそば屋さんで出会った人情と同じだ。そうか、今日の私のテーマはこれだった。決して見返りを求めているのではない、大阪の人情に触れるための旅だったのだ。

 休息を取って元気になった私たちは、四天王寺をあとにして、再び元来た道を戻り、JR天王寺駅まで戻った。それから、駅ビルの中でしばらく買い物をしたのだが、とにかく、いろいろなものが安い。もしかすると、天王寺は大阪の中で最も大阪らしい場所なのではないだろうか。私は、天王寺の砕けた雰囲気が好きだ。確か、こんな街が他にもあったはず。そう、名古屋の大須だ。私は、名古屋に行くと必ずと言っていいほど大須に足を運ぶ。いろいろなものが安くてごちゃごちゃしていて楽しいからだ。天王寺も大須も、掘り出し物を見つけさせてくれる。有名デパートのように、品のいいものだけがデンと並べられているのではない。ごちゃごちゃした商品の中から、自分の欲しいものを掘り出すのだ。そういう意味で、天王寺は名古屋の大須に似ている。となると、名古屋にとって、最も名古屋らしい場所が大須なのだろうか。それは、どうかわからない。

 駅ビルの中にある雑貨屋さんに、格安のショルダーバッグがあった。あちこち歩き回って、二十世紀梨の重みで手が痛いと苦しんでいるガンモにこれを求めれば、少しは楽になれるのではないだろうか。そう思ったとき、私はふと気がついた。そう言えば、私のリュックの中に、携帯用のショルダーバッグが入っていたのではないか? 私は急いでリュックの中を探った。あった! そのとき背負っていたリュックは、ロンドンに持って行ったリュックだった。ロンドンでたくさんの買い物をしたときのために、携帯用のショルダーバッグを忍ばせていたのだ。そのことをすっかり忘れていた。私は大急ぎで携帯用のショルダーバッグを取り出して開き、ガンモに渡した。ガンモは、
「助かったよ。手が痺れて来て、大変だったんだ」
と言って喜んだ。携帯用のショルダーバッグは、ずっと私のリュックに入っていた。もっと早く気付けば良かったのに。重い二十世紀梨をショルダーバッグに移し変えて、楽になったガンモともう少しショッピングを楽しんだあと、私たちは帰路についた。

※撮影した写真のスライドショーを貼り付けておきます。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 毎月二十一日に行われている四天王寺の大師会ですが、休みの日と重ならないことも多いので、重なったときは喜び勇んで出掛けています。天王寺は、名古屋の大須のように物価が安く、大阪の人情も溢れている上に、映画館もあります。また、銭湯もあるので、歩き回って汗をかけば、一風呂浴びて帰宅することができます。とにかく、一日中、遊べる場所なのです。これに、ホットヨガのスタジオが加われば、実に怖いものなしであります。(苦笑)

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2007.09.22

ホットヨガ(七十一回目)

 木曜日に神戸店で脂肪燃焼コース2のレッスンを受けたばかりだと言うのに、私はまたしてもホットヨガのレッスンに出掛けた。三宮店でカリスマインストラクターのレッスンを受けるためである。ガンモは、夕方から仕事が入っているとかで、仕事の時間まで自宅で待機することになっていた。

 着替えを済ませてスタジオに入ってみると、十数枚のヨガマットが並べられていた。インストラクターのヨガマットのすぐ近くにある鏡の前のヨガマットが空いていたので、私はそこに腰を降ろした。そう言えば、先週のレッスンのあとに、カリスマインストラクターが、
「参加してくださる方も、ほとんど毎回、同じ顔ぶれなので、皆さんと一緒にレッスンに参加させていただいているという感じですね」
とおっしゃっていたことを思い出した。果たして、本当に同じ顔ぶれなのだろうかと思いながら、鏡越しに他の参加者の方たちのお顔を拝見してみると、確かに何度もお見掛けしている方たちが揃っていた。なるほど、カリスマインストラクターは、毎回、参加者の方たちのお顔を確認しながらレッスンを進めていらっしゃるのだ。神戸店のように、インストラクターを固定させないレッスンスケジュールの組み方もあれば、三宮店で土曜日に行われている脂肪燃焼コース2のように、同じインストラクターに固定されたレッスンスケジュールの組み方もある。もしかすると、脂肪燃焼コース2のレッスンに通っていらっしゃる方たちの中には、私のように、カリスマインストラクターのレッスンを受けたくて通っていらっしゃる方も多いのかもしれない。カリスマインストラクターが男性ならば、少々ライバル意識を感じてしまうところかもしれないが、カリスマインストラクターは女性なので、一緒にレッスンを受けている方たちは同志である。

 同じ顔ぶれだと認識させていただいた参加者の中には、私と同じ職場で働いている女性とそっくりの女性もいらっしゃった。実は、三宮店のレッスンで初めて彼女のお顔を拝見したとき、私は同じ職場の女性に出会ったと思いながら、レッスン中に彼女のことをチラチラ見てしまった。本当に、見分けが付かないくらい良く似ていたのだが、良く見ると別人だった。じろじろ見てしまって申し訳ない。そんな彼女も、現在は私と同じく脂肪燃焼コース2のレッスンに参加されている。

 今回のレッスンでは、初めて脂肪燃焼コース2のレッスンに参加される方がいらっしゃったため、レッスンの流れが少しスローになった。私にも初めて参加した日があったが、今ではすっかり脂肪燃焼コース2のレッスンに馴染んでいる。相変わらず、汗は滝のように噴出している。あまりにも汗が出て来るので、私は、顔から垂れて来る汗を見つめながら、「これはもしかすると涎(よだれ)なのかもしれない」と思ったほどだ。

 しかし、後半のスフィンクスのポーズあたりから、私の身体は言うことをきかなくなってしまう。スフィンクスのポーズから、腕立て伏せのようなポーズに入るのだが、お腹の筋肉を使うため、ひどく苦しいのだ。私は、筋腫をかばうように、ヨガマットの上でしばらく休んだ。前半のポーズならまだしも、身体が心地良い疲れを感じている後半にお腹を使うのはかなり苦しい。それでも、私以外の参加者は、根気強く頑張ってポーズを取っている。私もレッスンを重ねれば、いつか彼女たちのようになれるのだろうか。

 レッスンを終えてシャワーを浴びながら、着替えのショーツにどのショーツを持って来たか、思いを巡らせていた。しかし、自分が一体どのショーツを持って来たのか、なかなか頭に浮かんで来なかった。何だか嫌な予感がした。私は慌ててバッグの中を探ってみたが、案の定、着替えのショーツは見当たらなかった。また、やってしまった。今度はショーツだ。さきほどまで履いていた、汗でびっちょり濡れたショーツをこっそり洗って固く絞って履くか。しかし、しっかり乾かないままでショーツを履くと、ズボンの上から水がにじんで来るだろう。そうなると、ズボンが透けて見えてしまう。それは恥ずかしい。ええい、ままよ! どうせ今日はすぐに帰宅するのだから、ノーパンで行くしかない。私は覚悟を決めて、ショーツを履かずに、そのままズボンを履いた。心配だったので、腹巻を少し下のほうにずらしておいた。それからトイレに入ったのだが、ズボンを脱ぐだけで用が足せてしまうのは、多少の違和感はあるものの、なかなか便利だと感じた。

 着替えを済ませて、受付にロッカーの鍵を返しに行くと、ちょうどカリスマインストラクターも着替えを済ませて奥から出て来られたところだった。
「今日もありがとうございます」
と私が言うと、
「後半は苦しかったですかね?」
と質問されてしまった。カリスマインストラクターには、私が休んでいたのが、しっかりばれていた。
「はい、ちょっと苦しくなったので、さぼってしまいました」
と苦笑いすると、
「いえいえ、それでいいんですよ。ご自分のペースで。でも、前半は、ポーズがきれいに取れるようになって来ましたよ」
と言ってくださった。その言葉がとてもうれしくて、私は再びカリスマインストラクターにお礼を言った。「ポーズがきれいに取れるようになって来た」というのは、ある時期からある時期までの変化を見届けてくださっている表現である。これは、レッスンを担当してくださっているインストラクターが、毎回、同じだからこそ言えることだ。私は、自分の変化を見届けてくださっていることのありがたさを実感していた。「しかし、来週は事情があって、あなたのレッスンを受けられないのですよ。トホホ」という残念な想いを内に秘めながら、私は三宮店をあとにして、ガンモの待つ我が家へと急いだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m またしても忘れ物のハプニングでありました。こうした忘れ物には、毎回、冷や冷やさせられますが、何とか切り抜けています。ホットヨガで着替えを忘れたくらいで言うのも大袈裟ですが、私たちは、どんなピンチも切り抜けられるように出来ているのではないでしょうか。ヨガスタジオによっては、毎回、同じインストラクターからレッスンを受けていらっしゃる方も多いと思います。インストラクターが自分の変化を見届けてくださっているのは、大きな安心感がありますね。

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2007.09.21

鳩の習性

 硬派だったキッコロも、最近では卵を温めることに関して協力的な姿勢を見せていた。平日休みであるガンモの報告によれば、最初のうち、三時間程度だったキッコロの抱卵時間も、次第に五時間、七時間と延長されたようである。私たちは、TKMYとキッコロが抱卵を交替することを、バッキンガム宮殿にちなんで、「衛兵の交代」と呼んでいた。

 あるとき、いつものように卵を抱いているTKMYを観察していると、TKMYのお腹の下で何かがもぞもぞ動いているのが見えた。それを見たガンモが、
「あれえ? 生まれたんじゃないの?」
と言った。私たちは、寝室の窓から顔をのぞかせて、TKMYのお腹の下のあたりに注目した。これまで、父ちゃん、母ちゃんは、これほど見通しの良い場所に巣を作ることはなかったので、私たちは容易に巣の様子を確認することはできなかった。巣の様子を確認するには、覚悟を決めてわざわざ巣のある物陰まで回り込まなければならなかったのである。しかし、ベランダの排水溝の辺りに作られたTKMYとキッコロのオープンな巣は、私たちの寝室の窓から容易に見渡せる場所にあったので、私たちは好きなときに観察することができた。

 私たちがじっと観察を続けていると、TKMYのお腹の下から孵化したばかりの雛がちょろりと顔を出した。TKMYは、さも大事そうに雛を見守っている。その表情は、完全に母の表情だ。

TKMYと雛。雛に向けるTKMYの顔は、母の表情そのものだ。
ご覧の通り、排水溝の近くに作られたTKMYたちの巣の周辺は、
TKMYが鳩パンチをしながら威嚇するため、なかなか掃除ができない

 TKMYとキッコロにとって、初めての雛なのかどうかはわからないが、卵が孵化しても、TKMYは巣から離れようともせず、雛も一緒にお腹の下に抱き、もう一つの卵を温め続けている。私たちは、TKMYのお腹の下にいる雛が窒息死したりしないだろうかと冷や冷やしながら、TKMYたちの様子を見守っていた。

 しばらくすると、キッコロが登場し、衛兵の交代が行われた。衛兵の交代の瞬間には、TKMYが巣から離れることになるので、キッコロが卵を抱くまでの間は、巣の様子を更に観察することができる。そのとき、巣に残った卵の殻はどうするのだろうと私たちは疑問に思った。すると、キッコロは卵を抱き始める前に、孵化したばかりの雛の卵の殻を嘴(くちばし)でくわえ、父ちゃん、母ちゃんたちの巣の近くまで運んで行ったのだ。まるで、よその家に自分の家のゴミを捨てに行くかのように、卵の殻を捨てに行ったのである。

 実は、これまでにも何度か、父ちゃん、母ちゃんの巣の近くに卵の殻が転がっているのを確認したことがあった。父ちゃん、母ちゃんが卵を温めていた時期ではなかったのに、どうして卵の殻が父ちゃん、母ちゃんの巣の近くに転がっているのか、とても不思議だったのだ。どうやら鳩には、孵化した卵の殻をよその巣の近くに捨てに行くという珍しい習性があるらしい。

ひとまず、卵の殻の半分を捨て終わったキッコロ
(撮影:ガンモ)

 鳩をじっと観察していると、実に面白い。確かに糞の掃除は大変だが、彼らの生態を観察することで、これまで知らなかったことが見えて来る。子供の頃、私の実家では鳩を飼っていたが、彼らがこのような習性を持っていたとはまったく知らなかった。まだまだ観察が足りなかったのだろう。

 鳩の夫婦は本当に仲が良い。TKMYに雛が生まれたことで、父ちゃん、母ちゃんは、おじいちゃんとおばあちゃんになったわけだが、彼らはおじいちゃん、おばあちゃんになったとしても、昼間から堂々と愛を交わす。若い者になんか負けていられないとでも思っているのだろうか。ベランダに目をやると、父ちゃんと母ちゃんが嘴同士を絡め合わせて、身体を震わせているのが見えた。この動きは、親鳩が雛にピジョンミルクを与えるときの動作である。どうやら、父ちゃんが母ちゃんにピジョンミルクを与えているらしい。行為が一通り終わると、母ちゃんは、まるで雛のようにすぐに父ちゃんにピジョンミルクをおねだりしに行く。すると父ちゃんは、母ちゃんのリクエストに応えて、再び自分の嘴と母ちゃんの嘴を絡み合わせ、身体を震わせながら母ちゃんにピジョンミルクを与える。母ちゃんの身体も、父ちゃんに同期して震えている。母ちゃんのおねだりする様子が特にかわいい。ロンドンの街角で抱き合うカップルを何組か見て来たが、孫のいる鳩の老夫婦だって、こんなにも情熱的に愛し合っている。

父ちゃんが母ちゃんにピジョンミルクを与えている

 どうやら、父ちゃんが母ちゃんにピジョンミルクを与えたあとは、お決まりのコースがあるらしい。更にそっと見守っていると、やがて父ちゃんは、母ちゃんの身体の上に乗った。運動会のシーズンなので、二羽でピラミッドでも作るのだろうか。いや、違う。交尾である。

父ちゃんと母ちゃんの交尾

 人間のように長い時間ではないが、彼らは確かに特定の段階を経て交尾に辿り着いていた。彼らの要求はとてもストレートである。言い換えると、とても素直だということだ。父ちゃん、母ちゃんのように、互いに愛を交わすという確かなステップを踏みながら交尾に辿り着いているところからすると、鳩の世界には欲望を対象とした交尾は存在していないのではないかさえと思ってしまう。もしも本当に存在しないのだとしたら、欲望にまみれた人間のほうが、ちっぽけな存在に見えて来る。

満足げな表情で母ちゃんから離れる父ちゃん。この表情は、「ごちそうさまでした」?

 やがて交尾は終わり、父ちゃんは母ちゃんから離れた。胸を膨らませながら、満足げな表情をしている。

 人間は手があるので、愛する人と手を繋ぎ、抱き合うことができる。鳩は手がないので、愛する鳩と手を繋いで歩くこともできなければ、抱き合うこともできない。人間には手があるのに、ちゃんと活用できているのだろうか。その手は、愛しい人を抱き寄せているのだろうか。唇は、愛しい人と重ね合わせているのだろうか。

 もしも愛を忘れかけた人がいるなら、鳩の夫婦をじっと観察してみるといい。きっと、彼らから教わることがたくさんあるはずだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 鳩を観察していると、毎回、新たな発見があります。だんだんパパらしくなって行く硬派なキッコロ。そして、いつまで経っても情熱的な父ちゃん、母ちゃん。彼らは、自分たちの持っているものを最大限に生かして、人間よりも豊かで情熱的な愛情表現を繰り返しているように思います。ところで、今回の交尾で、母ちゃんは妊娠したのでしょうか。それはまたのお楽しみということにしましょう。

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2007.09.20

ホットヨガ(七十回目)

 水曜日の夜、ホットヨガのページを開いて神戸店のレッスンスケジュールを眺めていると、木曜日の二十時半から脂肪燃焼コース2のレッスンが開催されていることがわかった。二十時半からのレッスンならば、いつものように定時で上がってあたふたしなくても済む。これは好都合だ。私は、そのままレッスンの予約ページにアクセスして、予約が取れるかどうか確認してみた。すると、まだまだ人数に余裕があることがわかったので、私はそのまま迷わず予約を入れた。そう言えば、今月は定時退社日に派遣仲間たちとご飯を食べに行ったので、平日のレッスンを受けるのは久しぶりのことである。

 ガンモに、
「明日は神戸店でホットヨガのレッスンを受けて帰るから」
と言うと、
「俺も明日は飲み会だから」
とガンモが言う。ガンモの職場は、月に一回の割合でミーティングが行われていて、そのミーティングのあとは必ず飲み会が開催されることになっている。どうやら、そのタイミングと重なったようだ。これは、ばっちりのタイミングではないだろうか。

 こうして一夜明け、一日の仕事を終えてから神戸店へと向かった。そう言えば、私には新たな楽しみがあったのだ。それは、普段、持ち歩いているシステム手帳に、ホットヨガスタッフのプロフィールページを完成させることだった。記憶というものは実にあやふやなもので、これまで覚えていたことであっても、突然、どこかに置き忘れてしまうものらしい。しかし、突然、どこかに置き忘れた記憶が蘇って来ることがある。あたかも、記憶のインデックスにアクセスできたかのように、私は、しばらく忘れしてしまっていたスタッフの名前を次々に思い出すことができた。そして、ホットヨガスタッフのプロフィールページを開いては、次々に更新して行った。今日もプロフィールページを更新することができますように。そんな期待を抱きながら、私は神戸店の扉をくぐった。

 受付には、これまであまり話をしたことのないスタッフが立っていた。私が靴を脱いで上がろうとしていると、向こうから、前回のスクイーズコースのレッスンを担当してくださったインストラクターが歩いて来て声を掛けてくださった。
「今日はスクイーズではなくて、脂肪燃焼なんですか?」
そう。確か、前回お話ししたときに、最近はスクイーズコースに熱心に通っているという話をしたのだった。それなのに、いきなり脂肪燃焼コース2に心変わりしている私は、
「そうなんですよ。お腹に意識を向けるレッスンで、私に一番合っているのかなあと思いまして」
と答えた。

 受付でロッカーの鍵を受け取り、ロッカールームに歩いて行くと、スタジオの前で数人の方たちが待機されていた。早めに支度を整えた方たちが、スタジオの準備が整って中に入れるようになるのを待っているのだった。おそらく、早めにスタジオに入ることができれば、自分の思う通りの場所を確保することができるからだろう。待機されている方の中には、憧れのフリーパス会員のあの方もいらっしゃった。私は、その方たちの前を、遠慮がちにおじぎをしながら通り、ロッカールームに入った。

 いつも自宅から通うときは、レッスン着のまま家を出て来るので、ほとんど着替える必要がない。しかし、今回は仕事帰りだ。しかも、最近、裸足のサンダルを卒業したので、やむなく靴下を履き始めた。そのため、上下ともに着替えて、更に靴下まで脱ぐという面倒な動作が入って来る。まだレッスン開始時刻までには余裕があるからいいものの、レッスン開始数分前の滑り込みセーフには危ういかもしれない。

 準備を整えてスタジオに入ると、ベテランインストラクターが迎えてくださった。彼女は私が初めてレッスンを受けたときに担当してくださったインストラクターなので、私のシステム手帳には一番最初に彼女の名前が載っている。スクイーズコースのレッスンでも何度もインストラクターをつとめてくださった方である。今回も彼女のレッスンを受けられるのかと思っていると、彼女は正面にあるインストラクター専用のヨガマットではなく、スタジオの奥のほうのヨガマットに腰を下ろした。なるほど、今回も彼女は、サブインストラクターという形でサポートされるらしい。

 彼女は、近くにいた会員さんとしばらくお話をされていたが、レッスン開始までにまだ時間があったからだろうか。その方とのお話が終わると、今度は私に声を掛けてくださった。私が、
「夏休みはどこかに行かれましたか?」
と尋ねると、夏休みをどんなふうに過ごしたかを聞かせてくださった。というのも、彼女が以前、ヨーロッパに出掛けたり、インドに出掛けたりしたという話を聞かせてくださったからだ。彼女は、夏休みを九州で過ごされ、九州のことがとても気に入ったそうだ。私も、数ヶ月前に阿蘇に行った話や、宮崎は小学校の修学旅行で訪れたという話をした。それからお互いの出身地や住んでいた場所の話になり、彼女と私には、これまで住んでいた地域に共通性が見られることが発覚した。お互い、兵庫県に移り住んだ時期もほぼ同じだった。そう、彼女も私も震災後に兵庫県に移り住んだ一人だったのだ。

 彼女は、関東地方に住んでいたこともあったという。私も十年以上、東京に住んでいたことがあるという話をすると、彼女は目を丸くして驚いていた。
「神戸は楽ですよね」
と彼女が言った。
「そうそう、そうなんです。関東地方で過ごしたことのある人にとっては、大阪はちょっときついですよね」
と言いながら、私は先日、大阪でばったり会った写真部の後輩のことを思い出していた。後輩の奥さんが、まだまだ大阪に慣れないと言っていたことを。
「私も以前、大阪のスタジオでインストラクターをやってたんですけど、朝から、『ねえねえ、ちょっと聞いてよぉ』という乗りなんですよね」
「あははは。わかります。大阪は、人と人の距離の持ち方が独特ですよね」
いい意味で言えば、大阪の人たちは人なつっこい。しかし、マイペースで動き回りたい人にとっては、自分のペースを守り切れないこともある。例えば、以前にも書いたと思うが、大阪の会社に派遣されていたとき、残業時間に自分が買ったパンをちぎって、残業している人たちに分けてくれる人がいた。もともと、その人が残業時間を乗り切るために買ったパンであるはずなのに、自分一人で食べるのは気が引けるのだろうか。その人は、職場に残っている人たち全員に、自分で買ったパンをちぎって分けてくれたのである。そんなことをされては、自分も同じことをしなければならないのだろうかと思ってしまう。残業時間に何か食べたい人は食べればいいし、わざわざ自分が買って来たパンを人に分けなくてもマイペースで過ごせばいいのではないかと私は思っていたのだ。

 私は、
「私が関西に来て一番驚いたのは、休み時間にヘッドフォンで音楽を聴いているのに、『ねえねえ』と声を掛けられることですかね」
と言った。東京では、休み時間にヘッドフォンで音楽を聴いている人には絶対に話し掛けない。その人が自分の大切な時間を過ごしているとわかっているため、その人の時間を尊重するのである。しかし、関西では違う。思い立ったときに、いつでも声を掛けられる。インストラクターは、
「そうですよねえ。そういうところ、ありますよねえ」
と、言葉を選びながら同意してくださった。彼女が使った「神戸は楽」という表現は、大阪の人情と比較してのことだったのだ。

 あれこれ話をしているうちに、とうとうレッスン開始時間となった。今回のインストラクターは、受付では何度かお目に掛かってはいるものの、レッスンを担当してくださるのは初めてのインストラクターだった。インストラクターが自己紹介で自分の名前を口にしたとき、あとでインストラクターのプロフィールページを更新するために、しっかりと彼女の名前を記憶にとどめた。

 神戸店で初めて受けた脂肪燃焼コース2のレッスンは、全体的に長めにキープするポーズが多かった。太陽礼拝のポーズも、ダウンドッグのポーズでキープしている間に、二人のインストラクターがポーズを矯正してくださるので、私たちはかなり長い時間、同じポーズを取って持ち堪えなければならなかった。それが「キクー」という感じで身体を刺激するので、例え一つ一つの動作はゆっくりであっても、かなりの汗をかくことになった。私のこれまでの経験では、夜に参加したレッスンではあまり汗が出なかったはずなのだ。しかし、脂肪燃焼コース2のレッスンでは、汗は否応なしにタラタラと出て来る。少し痩せて、私の代謝が良くなったのか、それとも、脂肪燃焼コース2のレッスンがそうさせているのか、はたまた、毒だしホットジュースの効果なのか、それはわからなかった。

 これまで、三宮店でカリスマインストラクターのレッスンを受けて来た脂肪燃焼コース2のレッスンは、インストラクターが違うだけで、まったく違うレッスンになっていた。同じ曲でも、再生するスピードによって、曲の雰囲気が変わって来るのと同じだ。三宮店がアンダンテなら、神戸店はアダージョといったところだろうか。

 週末のレッスンに比べて、レッスンを受けている人の数が少ないのも気に入った。レッスンに参加していた人たちは、わずか十人程度だったと思う。しかも、二人のインストラクターが付いてくださるという贅沢なレッスンだった。空いているヨガマットがいくつかあったので、直前になってキャンセルされた方も多いのかもしれない。平日なので、仕事の都合で急に参加できなくなってしまう人もいるのだろうか。また、レッスンが開催される日が木曜日であることもありがたい。私の場合、ホットヨガのレッスンが映画のサービスデーと重なってしまうと、あっちも行きたい、こっちも行きたいという状況に陥ってしまうからだ。これからは、アンダンテとアダージョを使い分けてみるのもいいかもしれない。

 レッスンを終えてスタジオを出る頃には二十二時を回っていた。飲み会に参加しているガンモの携帯電話にメールを送ってみると、
「今、お茶中」
という返事が返って来た。さすがに、
「俺も今、飲み会が終わったとこだから」
というわけには行かなかったようである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m レッスンに持って行く水を、五百ミリリットル入りのペットボトル二本に変えてみました。これまでは、一リットル入りのペットボトルと予備で五百ミリリットルのペットボトル一本を持参していたのです。不思議なことですが、五百ミリリットル入りのペットボトル二本にしたほうが、レッスン中に飲む水が少なくて済むようになりました。一リットル入りのペットボトルに水がたくさん入っていると思うと、安心してごくごく飲んでしまうからでしょうか。そう考えると、これまでのレッスンでは、お水を飲み過ぎていたのかもしれません。中には、五百ミリリットル入りのペットボトル一本で参加されている方もいらっしゃいます。そういう方は、手持ちの水がなくなってしまうと、例えレッスンの途中であっても、退室されます。五百ミリリットルの水で頑張り通せるように、自分なりに目標を決めてやりくりをしながら、レッスンに参加されているのかもしれませんね。

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2007.09.19

MIND THE GAP

 マインドシーカーのことを書いたら、MIND THE GAPについても書いておきたくなった。MIND THE GAPは、ロンドンの地下鉄の利用客に注意を促すために、乗車口に書かれている言葉である。日本語に訳すと、「(電車とホームの)隙間に注意」といったところだろうか。利用客が地下鉄に乗り降りしているときにも、"MIND THE GAP"というアナウンスが繰り返し流れている。

ロンドンの地下鉄の乗車口に書かれている

 ヨークにあったNational Railway Museumには、ホームから線路に転落しつつある人の絵が描かれたボードが展示されていた。確かにイギリスの鉄道は、日本と比べると、電車とホームの間が若干広いと感じるところもあった。

ホームから線路に転落しつつある人の絵が描かれているボード

 これらをふまえた上で、ロンドンで売られていたお土産の一部をご紹介しよう。MIND THE GAPと書かれたマグカップやTシャツ、ミニ紅茶缶なども売られていたのだが、面白かったのは、女性もののショーツに書かれたMIND THE GAPである。GAPには、「隙間」のほか、「割れ目」という意味もある。すなわち、女性もののショーツに「割れ目に注意」と書かれていることになる。これを男性用のトランクスやブリーフに書かなかったのは、イギリス人ならではのユーモアと言っていいのかもしれない。

「割れ目に注意」?

 MIND THE GAPに関して言えば、日本だって、イギリスに負けてはいない。あれは、私が東京に住んでいた頃のことだった。総武線の各駅停車に乗っていたところ、
「足元、広-----く開いていますので、お降りの際には十分ご注意ください」
という車内アナウンスが流れた。「広-----く」などと書くと、かなり大袈裟に伸ばしているように思われるかもしれないが、実際にそういうアナウンスだったのだ。電車の扉が開いたときに、停車している駅のホームを見てみると、確かに「広-----く」開いているところがあった。

 同じ車内でそのアナウンスを聞いていた乗客の一人が関西弁でこう言った。
「何や、橋でも架けんと渡れへんみたいやなあ」
私はそれを聞いて、おかしくて笑ってしまった。車内に流れた東京弁の車掌の「広-----く」というアナウンスに対し、関西弁の乗客が「橋でも架けへんと渡れんみたいやなあ」と受け答えした連携プレイがおかしかったのだ。

 何を隠そう、私は京王井の頭線の渋谷駅でGAPに挟まってしまったことがある。下北沢に住んでいた私は、通勤に京王井の頭線を利用して、渋谷まで出ていた。ある冬の朝のことである。電車が渋谷駅に着いて、電車から降りようとしていたところ、後ろから押されたか何かで足を踏み出すタイミングが狂ってしまい、片足がGAPに挟まってしまった。幸い、靴が線路に落ちることはなかったが、私は両手をついて、自分の身体を必死で支えた。そのとき、GAPに挟まった私を助け出そうとしてくださった方がいたかどうかは覚えていない。私はひざこぞうをひどく擦りむいて、血がたくさん出ていたので、駅員さんに事情を説明して、駅の事務室で手当てを受けた。とにかく痛かった。

 その頃、私はまだガンモと出会う前で、カルマの相手と付き合っていた。通勤途中に怪我をして心細くなり、カルマの相手に電話を掛けてみたのだが、今は出勤前で忙しいと言われ、電話をすぐに切らなければならなかった。そのとき私は、言いようのない孤独を感じた。自分に起こった悲惨な出来事を共有できる相手がいなという孤独である。このとき私は、怪我した足をひきずりながら、三十分ほど遅刻して出勤した。この事件は、カルマの相手と私の関係を象徴しているように思える。どちらかが相手に依存し、依存されたほうは相手に与えないという関係である。これが映画ならば、GAPにはまって怪我をしたということは、カルマの相手と私の間にGAPがあることをほのめかしているだろう。結局、最後までそのGAPに橋が架かることはなかった。

 それからほどなくして、私はガンモと出会うことになる。今でも、その出会いと私たちが辿って来たプロセスを振り返れば、胸の奥に熱いものがこみ上げてくる。「今、そのとき」というタイミングを見計らって、私の前に現れたガンモ。私たちが出会うことは、お互いの人生の計画の中に組み込まれていた。だから、MIND THE GAPなどと注意を促されなくても、ガンモと私の間にはGAPがなかった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m MIND THE GAPに関連して、思うところをまとめてみました。ロンドンのお土産品にも使われている通り、ロンドンを訪問された方ならばご存知の方も多い、とてもメジャーな言葉であります。井の頭線のホームでGAPに挟まったことを思えば、MIND THE GAPという言葉が身にしみて来ます。今になって思えば、足が折れなくて済んで、不幸中の幸いだったと思いました。そんなことも含めて、カルマの相手との記憶は、私にとって、とても苦い記憶です。与えられないものだから、どんどん求めようとしてしまうのですね。お互いに、とても自己愛的な恋愛でありました。でも、そうしたプロセスがあったからこそ、今の私がいることも事実です。

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2007.09.18

マインドシーカーの成果

ホットヨガ(六十九回目)の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 早速ですが、システム手帳にホットヨガのインストラクターのプロフィールページを作り、思いつく限りのインストラクターの名前を書き出してみました。顔は知っていても、名前は知らなかったり、また、名前を思い出せないインストラクターがたくさんいらっしゃることに気がつきました。これではいけませんね(苦笑)。今後、これらのプロフィールページが埋まって行くのがとっても楽しみであります。(^^)

 あれは、ファミリーコンピュータ(略してファミコン)が下火になり始めた頃のことだったと思う。マインドシーカーという「透視」、「予知」、「念力」を養成することを目的としたゲームにどっぷりはまったことがある。私は、若い頃から不思議大好き少女だったのだ。マインドシーカーは、ESPカードの訓練もあったりと、かなり本格的な超能力養成ゲームだった。

 マインドシーカーで鍛えた甲斐があったのか、私には少しだけ超能力らしきものがある(と書いておこう)。仕事帰りに、しばしばガンモと偶然出会うことも超能力の一つかもしれないが、人と偶然、出会う前に、その人に会う予感がすることがあるのだ。そういうときは、その人のことが、突然、意識に昇るのである。

 約束の日に、通っていた病院の最寄駅で電車を降りる前に、私は同じプロジェクトの男性のことをふと思い浮かべた。私が通っていた病院は、その男性にとっての最寄駅だったのだ。時計を見ると、その男性が出勤するのにちょうどいい時間帯だったので、ひょっとすると駅でその男性にばったり会うのではないかと思っていた矢先のことである。私の乗っていた電車がホームに着いたとき、その男性がちょうどホームに上がって来て、電車に乗っていた私とばっちり目が合った。とても不思議な感じだった。頭の中で思い浮かべた人が、そのままフェードインして来るかのように、私の前に現れたからだ。

 その男性の奥さんは、私のかつての派遣仲間である。つまり、その男性と私の派遣仲間は、現在の職場で出会い、職場結婚をしたのである。その派遣仲間は、私の参加しているプロジェクトで一緒に働いていたメンバーだったが、二年前にご懐妊されて退職された。途切れ途切れながらも、彼女とは今でもときどきメールのやりとりをしている。私がその病院に通っていることをかつての派遣仲間にも話していたので、私が病院に行く日で、お互いの都合が合いそうなときに、彼女の家に遊びに行く約束をしていたところだったのである。

 ある人のことが突然、意識に昇ったときは、ご本人が目の前に現れたとしてもあまり驚かない。以前にも同じようなことがあった。私が独身の頃、東京にある私鉄の駅構内のDPEショップアルバイトをしていたときに、好きなアーチストが駅の階段から昇って来るのを当たり前のように受け入れたことがある。そのとき、まるでテレパシーを受け取ったみたいに、好きなアーチストのことが意識に昇り、駅の階段に目を向けてみると、好きなアーチストがゆっくりと駅の階段を昇って来るのが見えた。普通ならそこで驚くべきことなのだが、私は、何かの続きのように、その光景を自然に受け入れた。

 時間を現代に戻そう。実は、約束の日には、もう一つ、不思議な出会いがあった。病院でMRIフィルムと紹介状を受け取って、いったん帰宅したあと、大阪に向かった私だが、お友達との待ち合わせ場所に、あまりにも早く着き過ぎてしまった。待ち合わせ場所には、ビルの地下にある遅めのランチを食べられるお店を選んだのだが、どういうわけか、私が下調べのために足を運んでみると、待ち合わせに選んだお店が閉まっているではないか。これはいけないと思い、私はいったん地上に出て、お友達が来るのを待ってみることにしたのだ。そして、私が地上に上がってしばらくすると、背後から、私の旧姓を呼ぶ声が聞こえて来た。

 旧姓を呼ばれた私は、「えっ?」と思った。何故なら、関西に移住してからというもの、私のことを旧姓で呼ぶ人はいなかったからだ。独身時代からの友人も関西には住んでいるのだが、みんな私のことを苗字ではなく、「まるみちゃん」と呼んでくれているので、結婚しても、名前を呼ばれることに関しては変化がなかったのである。「私を旧姓で呼ぶのは誰だろう?」そう思いながら振り返ってみると、何と、大学時代の写真部の後輩がそこに立っているではないか。確か、彼から今年受け取った年賀状によれば、彼は大阪に転勤になり、奥さんと子供と一緒に大阪に引っ越して来たという。

 私はとても驚いたが、再会できたことがとてもうれしかった。独身時代、私は彼と二人でつるんでいたこともあった。もちろんん、男女としてではなく、友人としてである。永井真理子さんのライブに二人で出掛けて行ったこともある。彼が一緒にライブに行こうと思っていた彼女に振られ、チケットが余ってしまったために、私にお誘いが掛かったのだ。

 それはさておき、彼に関することで、私にはずっと気掛かりなことがあった。それは、最近、彼の出身地で家が全焼する火事があり、彼と同じ苗字の家族のほとんどが焼死してしまったことだ。私は、もしも火事で亡くなられた方たちが、彼の実家の人たち、もしくは、親戚の人たちだったとしたら、どのようにお悔やみを言おうかと、ずっと気掛かりだったのだ。しかし、それを確認するためだけに彼に連絡を取るのは、野次馬みたいでできなかった。どうやら、ようやくそのチャンスが巡って来たようだ。私は恐る恐る、彼に尋ねた。
「あのね、ずっと気になってたことがあるんだけど、○○で起こった火事とは関係あるの?」
○○は、火事のあった地域の名前、つまり、彼の出身地だ。彼はすぐに状況を理解したようだ。
「ああ、あれね。苗字は同じだけど、違う人なんですよ」
と彼はさらっと言った。それを聞いた私はほっとしたものの、ほっとした自分に対し、直ちに腹が立った。火事で複数の方が亡くなられたことは変わりようのない事実なのに、自分の知っている人と関係がなかったことでほっと胸を撫で下ろしていいのだろうか。いや、良くないだろう。「亡くなられた方が知っている人であろうと、知っている人でなかろうと、みんな平等なのに」と、自分自身を戒めた。

 彼とばったり会ったタイミングは絶妙だった。彼が勤めている会社が、ちょうど私が立っていた先にあり、出先から帰社する途中だったようだ。彼には同僚の連れがいたが、その同僚は、携帯電話でずっと仕事の話しをしていた。そんなタイミングに、私が地下から上がって外の様子を眺めていたのを彼は見つけたようだ。もしも電話を掛けていたのが彼の同僚ではなく彼自身ならば、このような会話は成り立たなかったかもしれない。彼との再会は、決して予感していたわけではなかったが、おそらく、この絶妙なタイミングは、火事のことを彼に確認するために用意された絶妙なタイミングだったのではないだろうか。

 予感と言えば、もう一つある。それは、先日、ガンモの出張が決まったときのことだ。今週の半ばに、ガンモは関東地方に出張の予定が入っていた。そのまま三連休に続いて行くスケジュールだったので、
「金曜日の夜に仕事を終えて、飛行機に乗って来たら?」
とガンモが私に提案した。つまり、三連休を関東地方で一緒に過ごそうという計画のようだった。しかし、いつもならば、旅の話とあらばすぐに飛びつくのに、何となく今回は気乗りがしなかった。だから私は、
「今回は何となく気分が乗らないから、やめておくね」
と素直に言ったのだ。

 ガンモはがっかりしていたが、
「わかった。じゃあ、俺は銀河で帰るから」
などと言った。銀河とは、寝台急行列車の銀河のことである。ガンモは金曜日の夜に帰って来ることになるのだが、三連休前の金曜日で、既に飛行機は満席だし、新幹線では帰りたくないとガンモが言ったのだ。
「うん、わかった。それでいいよ」
と私は言った。飛行機が満席ならば仕方がない。飛行機の便利さを知ってしまえば、新幹線を利用したくなくなる気持ちも良くわかる。

 そんな会話をしてしばらく経った頃、ガンモがこんなことを言った。
「出張、取りやめになるかもしれない。どうしよう。行きの飛行機をキャンセルするのに三千円も掛かっちゃうよ」
会社から出張費として支給されるのは新幹線の料金なので、それを飛行機に切り替えて利用する場合、出張の予定に変更があったとしても、キャンセル料は自腹になってしまうのだそうだ。なるほど、私が気乗りしなかったのは、そういう展開を予想していたからなのか。妙に納得してしまった私である。

 結局、ガンモの出張は取りやめではなく、来月に延期になった。その出張が本当に決定事項なのかどうかは、今のところ、私には見えて来ない。もしも私に予知能力があるのだとしたら、来月のことはまだまだ見えず、例えば直前であるとか、ほんの少し先のことしか見えて来ないのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 不思議なことが連続して起こるときは、宝くじにも当たりやすくなっているそうです。約束の日に、宝くじを買っておけば良かったのかもしれませんが、買いませんでした。それにしても、ばったり会うときは会うものですね。後輩には、「貫禄が出て来たねえ」などと言われました。余計なお世話です。(苦笑)「こっちには慣れた?」と聞くと、「子供は慣れたんだけど、女房が慣れなくてねえ」なんて言っていました。確かに、関東育ちの人には、関西の乗りはギャップがあるでしょう。特に大阪ではそれがとても顕著であります。でも、大阪に住むすべての人に対して、ギャップを感じるわけではないと思うので、少しでも自分と近い人とお近づきになれるといいのになあと思っています。後輩の奥さんに、密かにエールを送ることにします。

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2007.09.17

ホットヨガ(六十九回目)

 土曜日はガンモの仕事が待機要員の当番に当たっていたのだが、私はホットヨガのレッスンを予約していた。ガンモが家に居るときに一人で出掛けて行くのは、後ろ髪が引かれる思いがして辛いものである。それでもガンモは、
「ホットヨガの予約は好きに入れていいから」
と言ってくれている。私が一人で出掛けて行くことよりも、せっかく購入したホットヨガの回数券を期間内に消費できずに余らせてしまうことのほうが禁止らしい。

 今回も、三宮店で脂肪燃焼コース2のレッスンを受けた。どうやら私は、脂肪燃焼コース2のレッスンにすっかりはまってしまったようである。ありがたいことに、今回のレッスンも、カリスマインストラクターが担当してくださった。毎週のように、カリスマインストラクターのレッスンを受けられるのはとてもうれしい。このうれしい気持ちを、いつかカリスマインストラクターご本人にお伝えしたいものだ。

 レッスンは、ポンプのように小刻みに息を吐き出す呼吸法から始まる。今回の記事では、ポンプのように息を吐き出す呼吸法の正式名称を記載するというお約束だったので、私は意識を集中して、インストラクターの口から放たれた呼吸法の名前を暗記しようとした。カパラ・・・・・・ティ。あれ? 覚えられない。ひとまず、カバラをカバラ占術のカパラと関連付けておいて、そのあと、サイババの聖地プッタパルティをイメージした。受験生の頃、こんなふうに関連付けながら英単語を覚えたっけ。「主(あるじ)ぶらぶら代数学」とか「スコーンと殴って軽蔑」とか。カパラで始まり、ティで終わるなら、あとでインターネットの検索エンジンに情報を与えれば答えを導き出してくれるだろう。そうして調べた呼吸法が、「カパラバティ」である。実際は、プッタパルティとはほど遠かった。カパラバティは、大きく息を吸い込んだあと、ポンプのように小刻みに息を吐き出して行く呼吸法である。梅田店で受けた2の付かない脂肪燃焼コースでは、鼻の穴を片方ずつ塞いで行う呼吸法をカパラバティと呼んでいたように思う。三宮店で行われる脂肪燃焼コース2では、大きく吸った息を十回に分けて小刻みに吐き出しているが、上級レベルになると、ポンプの回数がもっと多くなるらしい。

 カパラバティに続いて、太陽礼拝のポーズに入った。太陽礼拝のポーズは、右足ベースのポーズと左足ベースのポーズを一組にして一セットと数え、合計三セット行う。つまり、片足ベースだけのポーズで言うと、合計六回も同じポーズを取ることになる。そのため、三セットを終える頃には、かなり息切れして汗もたくさんかいている。

 脂肪燃焼コース2のレッスンを受けていると、毎回、たくさんの汗が噴き出して来る。しかも、他のレッスンがじわじわと汗をかいて来るのに対し、脂肪燃焼コース2では、急速に汗をかくのだ。それが何とも気持ちがいい。それだけ、私の身体に合っているということなのかもしれない。

 レッスンを終えてシャワーを浴び、ロッカーの鍵を受付に返しに行くと、
「まるみさん(実際に呼ばれたのは私の苗字)、お顔のあたりがずいぶんほっそりされましたね」
と声を掛けられた。三宮店で私の名前が呼ばれるのは初めてのことだ。声を掛けてくださったのは、七十五分のアクティヴコースのレッスンで何度かお世話になったインストラクターだった。私は、突然のことに驚き、
「ええっ? うれしいです。どうもありがとうございます」
とお礼を言った。しかし、心の中では、何故、彼女が私の名前をご存知なのだろうと、不思議に思っていた。私は神戸店の会員なので、三宮店で自分の名前が呼ばれることなどないと思っていたからだ。

 以前、笑点もどきというショートショートを書いたが、レッスンを受けている間は受付に顔写真付きの会員証を預けているので、受付にいらっしゃるスタッフの方たちは、会員のことをもっと良く知っておこうと、私たち会員の会員証をじっくりとご覧になっているのかもしれない。だから、会員証の写真と比べて顔がほっそりしたことに気が付いてくださったわけだ。もしも会員証の写真が顔ではなく、手だけとか、足だけとか、お腹周りだけだったとしたら、
「手がずいぶんほっそりされましたね」
とか、
「足がずいぶんほっそりされましたね」
とか、
「お腹周りがずいぶんほっそりされましたね」」
と言ってくださることだろう。

 声を掛けてくださったスタッフのすぐ隣に、先ほどレッスンを担当してくださったカリスマインストラクターが立っていた。カリスマインストラクターがそれとなく会話に加わってくださったので、私は、
「土曜日はいつも、脂肪燃焼コース2のレッスンを担当してくださるのですか?」
と尋ねてみた。カリスマインストラクターの答えは、
「そうなんです。最近、脂肪燃焼2は、土曜しか担当してないんですよ。参加してくださる方も、ほとんど毎回、同じ顔ぶれなので、皆さんと一緒にレッスンに参加させていただいているという感じですね」
とおっしゃった。私は、
「いつもレッスンを楽しみにしてるんですよ」
と、これまで心に秘めていた想いを伝えた。それた聞いたカリスマインストラクターは、
「ありがとうございます」
と言ってくださった。

 相手がどんな対象であれ、感動の気持ちを伝えることは、循環を絶たないという意味においても、とても大切なことだと思う。相手から何かを受け取り、感動したことをその相手に伝える。すると、今度はその相手が感動する。そこで生まれた感動が新たな原動力となり、新たな感動を生み出す循環を作り上げる。やがて、循環の流れが大きくなると、自分も循環の中に存在していることを実感できるようになる。感動したことを相手に伝えるだけで、こうした心地良い循環が出来上がるなら、もったいぶらずに、相手に感動を伝えたほうが絶対にいい。

 レッスンを終えてガンモに電話を掛けてみると、
「帰ってこーい」
と言うので、私は映画も観ずに、ガンモの待つ我が家へとまっすぐに帰宅した。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 三宮店で名前を呼ばれたときは驚きました。こうした歩み寄りは、とてもありがたいですね。何か接点を持とうとしてくださっているのがわかります。私もスタッフの方たちのことを知りたいと思うのに、スタッフの方たちは名札を付けているわけではないので、レッスンのときの自己紹介を聞き漏らさないようにするしかないのです。スタッフの方たちが私たちのことを知ろうとしてくださっているならば、私もシステム手帳に「ホットヨガのスタッフリスト」なるページを作って、情報を蓄積して行くことにしましょうか。名前を覚えてもらえるというのは、どんな状況においてもうれしいことですものね。

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2007.09.16

映画『パッチギ!』

とんかつではない和幸の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 和幸というユニット名から、井筒和幸監督のことを思い出しました。そこで今回は、井筒和幸監督の作品である『パッチギ!』のレビューをお送りしたいと思います。

 今年公開された映画『パッチギ! LOVE&PEACE』は劇場で鑑賞したものの、まだ初代『パッチギ!』を鑑賞してはいなかった。確かこの映画が公開される頃、この映画の登場人物の何某かについて、坂崎氏がモデルになっているという話を、坂崎氏がパーソナリティをつとめていたラジオ番組で聞きかじっていた。そして、坂崎という役の青年をオダギリジョーが演じていることまでは知っていた。いよいよ映画が公開されたとき、私は映画館に足を運びたかったのだが、ついついチャンスを逃してしまい、鑑賞しそびれてしまった。その後、DVD化されてレンタルDVDショップに並び始めたものの、いつ確認しても貸し出し中という大人気ぶりだった。大人気であるがゆえに、レンタルDVDショップには何本も並べられているのに、それらすべてが常に貸し出し中の空箱なのである。そんな大人気作品を、ここに来て、ようやくレンタルすることができた。

 映画全体の乗りとしては、映画『パッチギ! LOVE&PEACE』にかなり近いものがある。舞台となっている京都では、朝鮮高校の生徒と日本人高校の生徒の争いが絶えない。世界のどこかで常に戦争が起こっているように、京都においても、朝鮮高校の生徒と日本人高校の生徒が激しい戦いを繰り広げている。

 映画『パッチギ! LOVE&PEACE』を先に観て、既に免疫が出来ていた私は、血の気の多い高校生たちの激しい戦いを冷静に見守ることができた。映画『パッチギ! LOVE&PEACE』を観たときは、それこそ血みどろの戦いに思わず目を瞑りたくなったものだった。また、映画『パッチギ! LOVE&PEACE』の描写では、明らかに日本人が朝鮮人を侮辱していると強く感じたのだが、今回観た『パッチギ!』では、朝鮮高校の生徒と日本人高校の生徒の戦いが対等に描かれていたからだろうか。この戦いは喧嘩両成敗であると感じたのだった。

 この映画の中でスポットが当たっているのは、ザ・フォーク・クルセダーズ(通称:フォークル)に憧れるギター少年、松山康介である。彼は、発売中止になってしまったフォークルの『イムジン河』の美しいメロディに魅せられて、『イムジン河』をギターでコピーし始める。確かに私も、初めて『イムジン河』を聴いたときは、その美くしいメロディと切ない歌詞に心を震わせてものだった。『イムジン河』は、もともと朝鮮で生まれた曲で、この映画の原案者である松山猛氏が日本語に訳したものをフォークルが歌ったとされている。

 『イムジン河』にとことん魅せられた康介にギターを教えたのが、酒屋の息子、坂崎である。現実の坂崎氏の実家も酒屋さんだが、同じ酒屋の息子という設定かつ同じ坂崎という苗字だとしても、映画の中の坂崎のモデルがあの坂崎氏であるとはとても思えない。ギターが上手でフォークソングに詳しいことを除けば、キャラクターがまったく異なっているのである。どうやら、井筒監督が坂崎氏をモデルにしたのは、坂崎にギターを教わる康介のほうだったらしい。酒屋の息子、坂崎は、坂崎氏の兄がモデルになっているという話もある。

 康介の通う日本人高校の教師は、
「戦争をなくすには、同じように戦争で対抗して行くしかない」
と言う。毛沢東が言った言葉らしいが、高校の教師が生徒に示す言葉だとはとても思えない。もっとも、耕介にとっては、世界のどこかで起こっている戦争よりも、もっと身近に朝鮮高校との対立がある。その対立に対し、康介は音楽という接点から働き掛けようとする。というのも、康介は、沢尻エリカ演じるキョンジャに恋をしてしまったからだ。

 キョンジャも流暢な日本語を話すことができるというのに、康介は何とかしてキョンジャと接点を持とうとして、一生懸命、ハングル語を勉強する。キョンジャとしても、そのような熱心な歩み寄りの姿勢を示されれば、日本人である康介に対する警戒心も次第に解けて行く。こうして、
「戦争をなくすには、同じように戦争で対抗して行くしかない」
と教師が言ったことが正解ではなかったことが証明されて行く。

 どんな交流も、最初は人と人が接点を結ぶことから始まる。その接点が集まり、やがて面へと成長して行くわけだが、面を朝鮮高校と日本人高校の対立に例えるならば、面が歪んでいる場合は、もう一度接点を結ぶことから始めることになる。それが、康介とキョンジャの接点だと言える。康介がキョンジャと接点を結ぶことに成功すると、康介はキョンジャを取り巻く朝鮮人たちと少しずつフレンドリーな交流を持つことができるようになる。このように、接点から面へと、着実な拡大が行われて行く。国家間の交流がうまく行かないのは、接点を結んだつもりになっているからではないだろうか。接点と接点をしっかり結べていないものだから、接点から面に拡大させて行くときに歪みが出てしまうのだと思う。

 しかし、順調に拡大されて行くかのように思えた康介とキョンジャ周辺の面は、ある事件をきっかけに、行き詰まりを迎える。その中で、朝鮮人の年配者が康介に言う。
「○○をしたのは誰だ。今、それを知らなければ、お前は一生それを知ることがないだろう」
○○とは、今の日本を築き上げるためのいくつかの貢献である。つまり、年配の朝鮮人は、日本人に対して、自分たちのして来たことを「わかって欲しい」、「認めて欲しい」のである。彼らからしてみれば、自分たちは日本にこんなにも貢献して来たはずなのに、いつまで経って自分たちの社会的な立場が向上しないことに苛立ちを感じているということである。このあたりのシーンで感じたであろう康介の挫折感は、映画の中で見事に描かれている。

 この事件をきっかけに、康介は拡大しつつあった面を一時縮小することになる。しかし、一時的に挫折感を味わったであろう康介が、この先も面を拡大することを諦めなかったとは、明確に描かれてはいないが、容易に想像することができる。

 理解し合えないと諦める前に、康介のように、例えば相手の言葉を少しでも理解しようとして歩み寄ったか。この映画では、そんなことを暗に訴え掛けてもいるかのようだ。祖国が北と南に分けられたことを嘆いた歌『イムジン河』。『イムジン河』は、北朝鮮と南朝鮮の間に流れているだけではなく、もっと身近な場所にも流れているのではないか。そんなことを考えさせる映画でもあった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この映画の原案者の松山猛さんは、五年前に再結成されたフォークルがリリースしたアルバムで『ライカはローリング・ストーンズ』という歌詞を書かれています。松山さんは確か、中古カメラ業界でも一目置かれている方のはずで、おそらく私も、記憶を辿れば、中古カメラ市の会場で開催されていたトークショーで、生の松山さんを一方的にお見掛けしたように思います。この映画では、接点から確実な面に成長させて行くことの大切さが、映画『パッチギ! LOVE&PEACE』よりも間接的に表現されていると思います。私がしばらくレンタルできないほど、多くの人たちに支持されている理由は、そこにあったのかもしれません。

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2007.09.15

とんかつではない和幸

約束の日の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m いきなり、とんとん拍子に流れ始めたことに驚いています。思えば、ガンモと結婚したときもとんとん拍子に流れましたし、「これだ!」というときには、今回のように、とんとん拍子で流れ出すのでしょうね。この先、どこに流れ着くのか、しばらくの間、今の流れに身を任せてみたいと思います。

 イギリスのプログレッシヴ・ロックを心地良い音楽として熱心に耳を傾けている私だが、実は日本のフォークソングも大好きである。アコースティックギターを中心としたピュアでリズミカルなサウンド。意外性かつメッセージ性に富んだ歌詞。そうしたものが、強く私を掻き立てるのだ。

 私の影響なのか、それとも、ガンモがもともと持っていたものなのか、ガンモもまた、フォークソングが大好きである。だから、イルカさんのライブも、吉田拓郎さんのライブも、きたやまおさむさんの還暦ライブもガンモと一緒に観て来た。

 ところで、『イムジン河』や『帰って来たヨッパライ』、『悲しくてやりきれない』などのヒット曲を生み出したザ・フォーク・クルセダーズ(通称:フォークル)という音楽グループが、五年前に再結成された。再結成メンバーには、オリジナルメンバーである加藤和彦氏と北山修氏はもちろんのこと、はしだのりひこ氏に代わり、THE ALFEEの坂崎幸之助氏が参加した。

 再結成された年の十二月、京都駅の大階段コンコースでフォークルのフリー・ライブが行われた。冬の寒い日の平日に野外で行われたフリー・ライブに、ガンモも私も仕事の都合をつけて、早くから並んだ。そのライブでは、新生フォークルの三人のほか、泉谷しげるさんや佐野史郎さんも応援に駆けつけ、演奏してくださった。寒い日の野外ライブという状況の中、私たちは寒さにブルブル震えながらも、メッセージ性の高いエネルギッシュなサウンドに酔いしれた。

 そのフリー・ライブは、同じフォークソング好きのお友達と言っていいのか、人生の先輩たちご一緒させていただいた。人生の先輩たちは、フォークルの音楽をリアルタイムで堪能された方たちである。そのフリー・ライブの思い出は、人生の先輩たちと一緒にランチバイキングをご一緒させていただいたときの楽しいおしゃべりもセットになって私の記憶の中に留まっている。

 前置きが長くなってしまったのだが、そうした音楽活動を背景に、この度、和幸(かずこう)というユニットが結成された。まるで合併した銀行のように、加藤和彦さんの「和」と坂崎幸之助さんの「幸」を取ったユニット名である。その和幸のコンサートが、大阪で行われることになっていたのだ。不思議なことに、その日程は、約束の日と重なっていた。一回の有給休暇で予定を二つもこなせるのは、一粒で二度おいしいキャラメルのようである。

 せっかくの有給休暇なので、五年前に楽しくおしゃべりをさせていただいた人生の先輩たちと少し遅めのランチをご一緒させていただくことにしていた。最初は、ガンモも一緒にランチに参加させていただく予定だったのだが、直前になって夜中から早朝に掛けての仕事が入ってしまったため、ガンモはランチを見送らせていただいて、自宅で仮眠を取ってからライブに参加させていただくことになった。

 人生の先輩たちというのは、いつもライブをご一緒させていただいているNさんと、Nさんのお友達であるIさんである。お二人とも、旅行がお好きで海外旅行を何度となく経験され、海外にも大変お詳しい。もともとフォークソングのライブ繋がりだと言うのに、私たちはいつの間にか、旅行の話で盛り上がっていた。Nさんは、私が作成している旅行記に熱心に目を通してくださっていて、本当に頭の下がる思いである。まるで一緒に旅をしているかのように、内容についても詳しく調べてくださっていた。Iさんとも、お会いするのがまだ二回目とは思えないほど、健康のことや旅行のことなど、いろいろなお話しをさせていただいた。Iさんから、トルコを旅行されたときの楽しいお話をうかがって、頭の中がトルコのことでいっぱいになってしまった私である。

 ライブの開演時間まで五時間半もあったというのに、気がつくと、夕飯を取っておいたほうがいい時間になっていた。おしゃべりにすっかり夢中になってしまい、時間が経つことも忘れてしまっていたのだ。昼食を取ったあと、近くのスターバックスでコーヒーとお茶を飲んでいた私たちは、昼食を食べたお店の隣にある喫茶店に入り、軽く夕食を取ってからライブ会場へと足を運んだ。楽しいおしゃべりとは、それぞれが均等に話ができたからこそ実感できるのではないだろうか。ふと、そんなことを思っていた。

 ライブ会場に入り、席に向かって歩いて行くと、仮眠を取って元気になったガンモの姿があった。ありがたいことに、Nさんが手配してくださったチケットは、かなり前方の席だった。しかも、チケットを手配してくださったNさんが端のほうに座り、私たちを真ん中寄りの席に導いてくだった。Nさんは、何という細やかな気配りのできる方なのだろう。私たちは、Nさんの気配りに感謝した。

 ライブが始まる直前に、日本語やら韓国語やらフランス語やらスペイン語で、今回のライブの案内が流れた。それがギャグのようでおかしくもあり、会場のあちらこちらから笑いが漏れていた。思えば、国際色豊かなライブの案内が、今回のライブを象徴していたように思う。

 ようやく開演となり、ぞろぞろとステージに登場したのは、国際色豊かな六人のバックバンドのメンバーと、外人っぽい乗りの和幸ユニットだった。二人で大人しくアコースティックギターを抱えてフォークソングのナンバーを聴かせてくださるのかと思いきや、どうもそうではないらしい。和幸ライブは、大人の遊び心がたっぷりと詰まった、バリエーション豊かなステージに仕上がっていた。具体的にどのような遊び心かと言うと、古いヒット曲に国際色豊かなアレンジが加えられているのである。例えば、あの『帰って来たヨッパライ』がボサノバ・バージョンで登場したり、『あの素晴らしい愛をもう一度』がウクレレ・バージョンで登場したりするのである。

 古いヒット曲にアレンジを加えるのは、かなり勇気のいることである。何故なら、中には原曲で受けた感動を頑なに守り続けたい人たちもいるからだ。古いヒット曲にアレンジを加えることによって、その曲を長く支持して来た人たちを裏切ることにもなりかねない。しかし、会場に集まった観客からは大きな歓声が上がった。それは間違いなく、
「あの名曲があんな曲に生まれ変わっている!」
という驚きの歓声だった。

 和幸のお二人は、最近、ウクレレにはまっているらしく、十万円弱のウクレレを購入した喜びを表現した「アルプス一万尺」の替え歌も披露してくださった。このあたりにも、お二人の遊び心が十分に表現されている。その歌詞は、
「♪ウクレレ十万弱・・・・・・」
から始まる。あまりにも的確な替え歌を聞いて、会場からどっと笑いが沸き起こった。

 ライブは、六十年代から七十年代を徐々に振り返ることで構成されていた。時代に合わせて和幸お二人のファッションやギターも次々に変わって行く。ギター好きの人にはたまらないほど、ファッションショーのごとくギターが次々に取り替えられて行く。私はこれまでいろいろなアーチストのライブに足を運んで来たが、同じステージの途中でギターや衣装を頻繁に取り替えるアーチストはそれほど多くない。それを考えると、和幸のお二人は、ギター持ち、衣装持ちという点においても共通点があるのではないだろうか。

 今回のライブに、私はライブとしての原点を垣間見たように思う。それは、演奏する側が心から楽しまなければ、観客も一緒に楽しむことができないということである。彼らが楽しく演奏している気持ちが観客にも伝わって来るのである。ライブを開催するという義務のような感覚ではなく、自分たちの好きなものを伸び伸びと表現するということ。そこに、音楽活動の原点がある。いや、音楽活動に限らず、文章を書くことについても同じことが言える。書く人が心から楽しんでいなければ、読む人も心から楽しむことはできないだろう。和幸ユニットは、ステージで演奏していることを心から楽しんでいた。だから、立ち上がったり、こぶしを振り上げたりしなくても、観客は満足していた。和幸とともにライブを楽しんでいたのである。

 アーチストというものは、活動期間が長くなると、既に築き上げたものを守ることで精一杯になりがちである。しかし、期間限定という制約は、和幸ユニットに「今、そのときを思い切り楽しんで弾ける」チャンスを与えた。和幸ユニットのこうした経験は、「守り」ではなく「攻め」という形で今後のそれぞれのバンド活動に生かされて行くのではないだろうか。

和幸:「バラバラふたり」のプロモーションビデオ

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 坂崎氏の活動ぶりを拝見していると、「染まる」ということについて考えさせられます。彼には、力関係を敏感に感じ取り、受身で活動するところと、能動で活動するところが的確に切り分けられているように思います。だからでしょうか。ふにゃふにゃしているのに、芯が強いと感じてしまうのは。加藤和彦さんは、音楽家として、大変実力のある方だと思います。確か、きたやまおさむさんの還暦ライブで演奏された曲も、すべてのアレンジを担当されたはずです。加藤和彦さんは、古い曲に手を加えて、新しい曲に生まれ変わらせる達人なのかもしれません。

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2007.09.14

約束の日

足し算の恋愛と引き算の恋愛の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 二つの立場を考えたときに、片方に足りているものはもう片方に足りていないという現象が面白いですね。私たちが二元世界にいる証拠だと思います。どちらの立場も完全ではないのだから、争う必要もないということなのかもしれません。

 「約束の日」などというタイトルを掲げると、一体何の約束だろうと、皆さんは思われるかもしれない。それは、主治医との約束の日である。

 五つ子ちゃんの記事からおよそ三ヵ月の月日が流れた。自分なりに考える時間が欲しかったことと、八月半ばに新たに発生する有給休暇との兼ね合いで、次回の診察を九月半ばに予約していたのだ。そのときに、主治医の提案通り、子宮全摘手術を受けるかどうかについて、自分の意志を伝えることになっていた。言うまでもなく、私は子宮全摘手術など受けるつもりはなかった。

 朝一番の予約に少し遅刻して病院に入り、受付を済ませたあと、いつものように産婦人科の待合室に腰を下ろした。もしかすると、ここに座るのも今日で最後になってしまうかもしれないと思うと、何だか複雑な気持ちだった。

 待合室には、担当医の名前とともに、順番待ちの状態を三十分単位でデジタル表示するボードがある。そのボードには、例えば、「婦人科の診察室1では、A医師が、九時から九時半までの予約の患者を診察中」という内容が記号で表示されている。しかし、どういうわけか、そこには私の主治医とは異なる担当医の名前が表示され、「しばらくお待ちください」というメッセージが添えられていた。朝一番なので、まだ表示の準備が整っていないのかと思っていたのだが、どうもそうではないらしい。間もなく私の名前が呼ばれたので、再びボードを確認してみたものの、主治医とは異なる担当医の名前が表示されたままだったからだ。

 名前を呼ばれた私は、診察室に入った。そこには、私の主治医ではない医師が座っていた。私の主治医よりも十歳くらいご年配のナイスミドルの医師である。
「今日はどんなご予定でしたか?」
とナイスミドルの医師に聞かれた。私は、
「○○先生はどうされたのですか?」
と、主治医の事情を確認したい気持ちを抑えて、
「手術をしないならば、これ以上、来てもらっても、言うことは同じだと言われましたので、別の病院の先生に診ていただこうと思っています。そのため、MRIフィルムの貸し出しをお願いしたいのですが」
とはっきりと言った。

 すると、ナイスミドルの医師が、
「わかりました。では、MRIフィルムを取り寄せて、紹介状を書きますので、しばらくお待ちください。次に行く予定の病院はどちらですか?」
と尋ねてくださったので、私は、
「△△病院です」
と答えた。そして、私はそのまま診察も受けずに診察室を出て、しばらく待合室で待つことになった。

 私は、いとも簡単にMRIフィルムの貸し出しの許可が下りたことに驚いていた。これまで、頭の中であれこれ考えていたことが嘘のようにシンプルな展開である。MRIフィルムのコピーをお願いするよりも、貸し出しのほうが最短距離だったとは。しかも、これまで三年間お世話になった主治医にあいさつすることもなく、いきなり別の医師が現れて、私の要求を受け入れてくださった。私の主治医はどうしたのだろう。

 私が通っていた病院では、年におよそ一回のペースで外来担当医の当番の曜日が変わる。半年に一度のペースで検診を受けていると、「主治医の当番の曜日が変わりましたので、予約日を変更する場合は電話してください」と病院側から連絡が入ることがある。今回は、そのような連絡もなかったし、外来担当医の当番の曜日が変わったことを知らせる張り紙もなかった。となると、私の主治医は、私の「約束の日」だけ都合が悪かったのだろうか。

 MRIフィルムを取り寄せて、紹介状を書いていただくのに、一体どれくらい時間が掛かるのだろう。待合室で待っている間、私はまたしても頭の中でいろいろなことを考えていた。こうして、セカンド・オピニオンへの道を歩み始めたわけであるが、これまで診ていただいていた比較的若手の主治医ではなく、ナイスミドルの医師に所見をうかがえるチャンスだったのではないか。とは言え、他の主治医の患者に対し、同じ病院内で、主治医とはまったく異なる大胆な見解を述べてくださるとも思えなかった。

 待合室でおよそ十数分待っただろうか。看護婦さんに名前を呼ばれたので、私は看護婦さんのところまで歩いて行った。看護婦さんは、大きなビニール袋を手に持っている。看護婦さんは、
「こちらがMRIフィルムになります。そして、こちらが紹介状です。次の診察の予約はありませんので、産婦人科の受付ではなく、一階の受付で会計を済ませてください。もしまたこちらでの診察をご希望される場合は、また予約してください」
と言われた。私は、
「ありがとうございます。MRIフィルムはいつお返しすればいいのですか?」
と尋ねた。すると、看護婦さんは、
「いつでもいいですよ」
と言ってくださった。「いつでもいい」とは、実にありがたい話である。

 一階の受付で会計を済ませると、ナイスミドルの医師の書いてくださった紹介状とMRIフィルムの貸し出しの手間賃で、わずか九百円ちょっとの請求だった。頭の中であれこれ考えていた結末とは異なるシンプルな展開に、私は拍子抜けしてしまうほどだった。

 それにしても、MRIフィルムは思っていたよりも大きい。新聞紙の片面くらいの大きさだろうか。私は、このMRIフィルムが、ホットヨガの更衣室にあるロッカーに入るのだろうかなどと心配していた。これからホットヨガのレッスンに出掛けるわけではないのだが、やはり、新しい病院に持ち込むときに休暇を取るとなると、ホットヨガのレッスンとセットにする可能性が大きいからだ。

 病院の最寄駅にあるトイレのおむつシートの広いスペースを拝借して、MRIフィルムを広げてみた。フィルムは全部で三枚あった。フィルムにはご丁寧に、病院の名前まで焼き込まれている。私は、それらをトイレの蛍光灯に透かして眺めてみた。こうして改めて見てみると、確かに派手な筋腫である。私は、これらの筋腫とこれからどのように付き合って行くことになるのだろう。

 こうなると、思い立ったが吉日である。私は次の病院に電話を掛け、診察の予約を入れた。その病院の婦人科では、MRIフィルムを持ち込んで、医師に判断していただくという手順も取っている。しかも、保険の適用範囲内だという。多くの病院で、セカンド・オピニオン患者に一時間一万円程度の金額が請求されていることを考えると、とてもリーズナブルな診察だ。また、公立の病院ではないからだろうか。ありがたいことに、土曜日も受け付けてくださるという。私が土曜日にお願いできないかと申し出ると、何とか今月中の予約を取ることができた。

 もっといろいろなことが停滞してしまうのではないかと思っていたのだが、停滞のない急な展開に驚いている。これほど簡単にMRIフィルムを入手することができて、紹介状まで書いていただいた上に、次の病院の予約もすんなり取れるとは。しかも、有給休暇を申請しなくても良い土曜日に。こうして私の筋腫物語は、新たな展開を迎えることになった。

 午後から大阪で予定が入っていたので、時間が気になっていたが、思っていたよりも病院が早く終わり、ひと安心した。時間に余裕ができたので、私はいったん帰宅して、大きなMRIフィルムを置いてから再び家を出た。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 現実は、頭で考えるよりもずっとシンプルだと実感しました。これから先、新しい病院でお世話になるということは、これまでの主治医とは、見覚えのある人の記事に書いたような状況でお姿を拝見したのが最後になってしまいました。今になって思えば、あれはあれで意味があったのだと思いました。人と人との関わりが、このような形で終わってしまうこともあるのですね。これから私が診ていただく医師は、子宮筋腫について研究を重ねていらっしゃる医師です。どのような診断が下されるのか、またご報告させていただきたいと思います。

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2007.09.13

足し算の恋愛と引き算の恋愛

 月に一度の定時退社日の出来事をまだ書いていなかったので、書いておきたい。定時退社日というと、いつもならば、ホットヨガのレッスンの予約を入れておくところなのだが、今月はどういうわけか、定時退社日の日程を一週間間違えてしまい、翌週の水曜日にレッスンの予約を入れてしまっていた。そのことに気が付いたのは、同じ職場で働いている派遣仲間から、職場のメールアドレスに、定時退社日にみんなでご飯を食べに行かないかとメールが届いたことがきっかけだった。

 彼女の言う「みんな」とは、現在の派遣先で知り合って、数ヶ月に一度のペースで一緒にご飯を食べに出掛けている派遣仲間のことである。メンバーは、私を入れて四人だ。その中には、直径十二センチの彼女もいる。そのうち、直径十二センチの彼女も含めた二人は、既に別の職場で働いている。少し前から、メールをくれた同じ職場の派遣仲間が、
「そろそろまた四人で集まりたいね」
と言ってくれていたのだが、それぞれの都合でなかなか実現できないでいたところ、今月の定時退社日に、集まれる人だけで集まろうという話になったのである。直径十二センチの彼女は都合で参加できなかったのだが、三人のメンバーが三宮に集結した。

 集まったのは、別の会社で契約社員としてバリバリ働いているかつての派遣仲間と、今年いっぱいで私と同じ職場を退職することが決まっている派遣仲間だ。契約社員として働いている派遣仲間の職場には、現在、休職中の女性が二人もいらっしゃるのだそうだ。仕事があまりにも忙し過ぎて、精神的にプレッシャーを感じ過ぎてしまったことが休職に至った原因だそうである。彼女もそうなってしまわないように、彼女の部長が気遣って、彼女が趣味に費やす時間を尊重してくれているそうだ。

 今年いっぱいで現在の職場を退職しようとしている派遣仲間も、退職を考えた理由として、仕事が忙し過ぎることを挙げていた。確かに、プログラムの開発業務に携わっている人たちは、いつも忙しく働いている。
「万年、残業みたいなもんだからね」
と彼女は言った。

 例えば、ソフトウェア業界の実情を語るのに、こんな漫画がある。(SEが死ぬほど忙しいのは彼女もわかってくれるよね?)この漫画、私にはわかり過ぎてしまう。私がかつて、彼女のプロジェクトのお手伝いをしたとき、彼女のプロジェクトは実際にこの漫画と同じような状況だった。彼女のプロジェクトのメンバーは、納期に間に合わせるために、年末年始も返上して出勤していたはずだ。その頃、私は、仕事でキリキリしていた彼女と職場で大喧嘩した。しかし、どういうわけか、私にとってはそんな彼女が、同じ職場内では最もプライベートでも関わる派遣仲間となった。

 現在の職場を去りつつある彼女は、現在の職場で何が一番良かったかと言うと、私とさらっとした付き合いが実現できたことだと言ってくれた。職場によっては、例え休み時間であっても、女性の派遣社員同士がべったりと密な交流を持ちたがるところもある。しかし、彼女も私も互いに一人で行動できるタイプの人間だったので、密に交流したい部分と、自由意思を尊重し合う部分が合致していてとても心地良いと感じてくれていたという。私もまったくの同感だった。

 やがて彼女たちと、恋愛話になった。契約社員で働いている彼女は独身で、現在の職場を去りつつある彼女は既婚者である。彼女たち二人とも、恋愛に対してはいつも受身なのだそうだ。つまり、自分から好きになって、想いを打ち明けるタイプではないということだ。彼女たちの恋愛はいつも、「ちょっといいな」と思っている男性からの告白から始まるのだそうだ。そして、彼のことをもっと好きになれるかもしれないという可能性を秘めながら、
「まずはお友達からね」
と言って、彼との交際を受け入れるのだそうだ。いわば、友達から恋人への「お試し期間」みたいなものを設けるわけである。
「ちょっと待って。その『お試し期間』が過ぎたら、『はい、さよなら』ってお別れするの?」
と尋ねると、二人ともたいして悪びれた様子もなく、こっくりとうなずいた。「お試し期間」を過ぎて、自分の感情が高まって来ない場合は、
「私たち、やっぱりお友達ね」
と言って、元のお友達に戻るのだそうだ。

 私には、
「まずはお友達から始めましょう」
と言った経験も、逆に言われた経験もないので良くわからない。このような台詞を私から言うことは百パーセント有り得ないことなので、この台詞を口にする人の気持ちはわからないが、仮に自分が告白した相手にそのようなことを言われたとしら、私はショックを受けるだろうと思う。何故なら、私の中で、
「恋愛は、想いがパンパンに膨らんでから始めるもの」
という既成概念があるからだと思う。自分の想いがパンパンに膨らんでいるのに、相手の想いがパンパンに膨らんでいないのだとすると、その時点で既に片思いなわけである。だからショックを受けるのだ。私は、片思いの状況からはお付き合いを始められない。

 「お友達から始めることなんてできないよ」
と主張する私に、
「でも、付き合ってみたら、もっと好きになれるかもしれないんだよ。実際に付き合ってみないとわかんない部分ってあるじゃん」
と彼女たちは口を揃えて言う。
「いやあ、私の場合、最初から直感を頼りに行動するから、『ちょっと好き』程度では付き合わないなあ。最初から寝ても覚めても好きじゃないと付き合えないよ」
と言った。すると彼女たちは目を丸くして、
「寝ても覚めても好きな人になんか出会ったことがないよ」
と言った。私はむしろ、彼女たちが寝ても覚めても好きな人に出会っていないと断言したことに驚いた。私の場合、最初からビンビンにボルテージが上がっていて、その状態が持続する。仕事中にガンモのことを想って泣いたり、早く家に帰りたいと思って居ても立ってもいられなくなっていたという話を彼女たちに聞かせると、彼女たちは更に目を丸くして驚いていた。

 私には良くわからない感覚だが、世の中には、相手から告白されて、好きという感情がじわじわと湧き上がって来る人もいるようだ。それにしても、人を少しずつ好きになるというのは、どういうことなのだろう。ひょっとすると、彼女たちが体験しているのは足し算の恋愛で、私が体験して来たのは引き算の恋愛なのだろうか。

 足し算の恋愛も引き算の恋愛も、百を最高だとすると、足し算の恋愛は、最初は六十くらいから始まり、相手をもっと知る度に点数を加算したり減算したりする。引き算の恋愛は、最初は八十くらいから始まり、相手をもっと知る度に点数を加算したり減算したりする。どちらの恋愛も、相手をこれ以上受け入れないと決めるタイミングがずれているだけだ。

 足し算の恋愛を実践している人たちには、可能性への期待を秘めてはいるが、最初から直感で行動する引き算の恋愛を実践している人にはそれがない。つまり、相手の可能性を最初から却下してしまうということだ。一方、足し算の恋愛は、相手の可能性に期待する反面、交際がある程度深まって来ると、中途半端な状態で相手を放り出してしまうことにもなりかねない。その点、引き算の恋愛は、最初から門前払いなので、感情的な関わりが少ない分、断られた人の立ち直りも早い。総合的に見てみると、どちらも一長一短であるように思える。

 ただ、私は、彼女たちが「寝ても覚めても好きな人になんか出会ったことがないよ」と言ったことが気になっていた。彼女たちと私の持っているエネルギーが同じだとすると、彼女たちの場合、人を好きになるという能動的なエネルギーの代わりに、相手の可能性に期待するという受動的なエネルギーに変換されているのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 他にも、時代が加速しているという話を彼女たちとしました。現代のコミュニケーションは、携帯電話のメールのやりとりが主流になって来ていますが、私が友人の携帯電話にメールを送信してからわずか数時間後に、その友人から、「返事が遅くなってごめんね」とメールに書いて来たことを話しました。わずか数時間後に返信するメールに「返事が遅くなってごめんね」と書くということは、「メールを読んでいるのにすぐに返信できなくてごめんね」という意味なのだろうと思ったと言いました。そして、そんな時代は恐ろしいとも言いました。携帯電話のメールは、返信は速くても、お互いが言いたいことだけを提示し合っているだけで、内容のほとんどがイエスで構成されています。相手にイエスを返すのは素早くできるのですよ。でも、そんな交流をしていると、ノーの壁にぶち当たったときに乗り越えられなくなるのが目に見えています。そろそろこんな無意味な加速はやめなければならないと思うと私は言いました。彼女たちも同じようなことを感じていたようですが、なかなかそういうことを口にする機会はないようです。IT社会は確かに便利になったことも多いですが、お互いに言葉を交わす機会は多くても、中身が薄っぺらになってしまったような気がしてなりません。IT業界で働く私たちがこんな時代を作ってしまったのだとしたら、こうした加速について危機感を感じていることを主張して行かなければ、時代はどんどん加速してしまうと思いました。

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2007.09.12

黒酢パワー

 朝、起きて母ちゃんの様子を見てみると、母ちゃんは相変わらず右目をしょぼしょぼさせていた。やはり、母ちゃんの右目は見えていないらしく、ベランダの隅のほうでじっとしている。ベランダの隅で、自分の見えない目を壁側に向けてしまえば、右目が見えないことに関して、ある程度、不安が解消されるのだろう。私が吹き掛けた黒酢は効果がなかったのか。まだまだ手の限りを尽くしたわけではないが、ガンモを激怒させるまでに至った私の行為は、何の意味も成さなかったのかと思うと、ちょっぴり悲しかった。

 ガンモは私に対してまだ怒っていた。朝、歯磨きをするときにガンモにそっと抱きつくと、
「俺は怒ってるんだから。母ちゃんをいじめて・・・・・・」
などと言っていた。しかし、ゆうべのような激しい怒りではない。何となく、意地で怒っているようにも見えた。

 私は、昼休みにインターネットで鳩の病気について調べてみた。しかし、母ちゃんの症状に合致するものはなかった。母ちゃんの病気は、目がしょぼしょぼしてしまうほど目が開きにくくなり、やがて閉じたまぶたで目が笑っているように見える病気なのだ。私が調べた限りでは、そのような病気はない。調べていて気になったのは、鳩の病気について詳しく解説されているページはなく、鳩から人間への感染を懸念するページが多かったことだ。私が知りたいのは、鳩の病気のことなのに、鳩の症状ではなく、鳩を介して人間に感染したときの症状や感染しないための注意ばかり熱心に書かれているのだ。心配しているのは人間のことだけか。私は、そのことにがっかりしてしまった。

 子供の頃、一緒に耳鼻科に通っていた年下の男の子が、実家近くで獣医をしているという話を、つい先日、母から聞かされた。母に頼んで、彼に聞いてもらおうか。しかし、私だって、しばらく連絡を取り合っていない友人から突然、
「パソコンの調子が悪いんだけど、まるみちゃん、わかる?」
というような相談を受けると、あまりいい気がしない。我が家は二人ともコンピュータ業界で働いているので、ときどきそのような相談を受けることがあるのだ。普段から連絡を取り合っている間柄ならまだしも、パソコンが壊れたときだけ連絡をして来られると、問題が解決したときに、
「ご利用ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております」
などと言わなければならないような気がしてしまう。それを考えると、やはり、実家近くの獣医には聞けない。

 では、母ちゃんを捕まえて、自宅近くの動物病院に連れ込むのか。しかし、そもそも、どうやって母ちゃんを捕まえるのだ。また、恐るべき網を使うのか。捕獲を始めてすぐに、母ちゃんを捕獲できればいいが、捕獲に手こずった場合、母ちゃんとのこれまでの信頼関係を崩すことにもなりかねない。捕獲に失敗すればするほど母ちゃんとの信頼関係が失われ、母ちゃんを捕獲し辛くなってしまうだろう。このように、新たな一歩を踏み出すのはなかなか勇気がいるものである。

 仕事を終えて、いつものように三宮でガンモと待ち合わせた。ガンモは、
「俺、まだ怒ってるんだから」
と言っていた。どう見ても、全然怒っていないのに。怒っていると主張するのは、ガンモの意地なのだろうか。

 ガンモと一緒に帰宅して、私たちはすぐにベランダにいるはずの母ちゃんを探した。しかし、母ちゃんの姿がない。
「母ちゃんがいない! まるみにいじめられて、出て行ったんじゃないの?」
とガンモが脅す。まさか、私が黒酢を吹き掛けたことで、状態が更に悪化したというのだろうか。ガンモの言うように、本当に怯えてしまったのだろうか。

 しかし、それは間違いであることがすぐにわかった。
「母ちゃん、居た! あれ? 右目が復活してる。あれ、母ちゃんだよね?」
ガンモが母ちゃんを見付けた。見ると、開きにくそうにしていた右目がちゃんと開いている。しかも、右目が見えなくなって、動きもおぼつかなかったのに、しっかりと平衡感覚を取り戻しているのだ。
「母ちゃんの右目が治ってる!」
私たちは狂喜した。どうやらガンモは、ベランダの隅を見て、「母ちゃんがいない」と判断したようである。しかし母ちゃんは、右目が見えるようになったためか、ベランダの隅から引越しして、別の場所に移っていたようだ。

 私は、母ちゃんの姿を確認した。確かに元気になり、右目もパッチリ開いている。右目が見えなくておどおどしていたのに、今ではしっかりと立っている。そこに居るのは、今までの元気な母ちゃんそのものだった。私が吹き掛けた黒酢が効いたのだろうか。しかしガンモは、
「自然治癒力だろう」
などと言った。
「違うよ。私が黒酢を吹き掛けたからでしょ?」
と私は主張した。

 これだけ元気になったとは言え、母ちゃんの右目には、まだ少し悪い菌が残っているかもしれない。再発しないようにするためにも、私はもう一度、母ちゃんの右目に黒酢を吹き掛けておきたいとガンモに申し出た。今度は、ガンモも怒らなかった。私は、霧吹きを手に取り、母ちゃんの右目を狙って再び黒酢を吹き掛けた。しかし、ゆうべのようには命中しないのだ。ゆうべはとにかく切羽詰っている状態で、母ちゃんのためにできる精一杯のことだという一心で黒酢を吹き掛けた。だからだろうか。母ちゃんの右目に都合良く命中したのだ。しかし、母ちゃんの症状が良くなると、私が吹き掛けた黒酢は宙を舞い、母ちゃんの頭部や背中にはかろうじて当たるものの、右目には命中しなかった。母ちゃんの症状が和らいだことで、集中力が掛けてしまったのかもしれない。

 黒酢が母ちゃんに効いたことがわかったので、私はガンモに言った。
「コンピュータ業界から足を洗って、獣医を目指そうかな」
それを聞いたガンモは、鼻をくすんと鳴らした。
 
※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ひとまず母ちゃんの状況が落ち着きました。今では元気に飛び回っています。ただ、まだほんの少しですが、目をしょぼしょぼさせているので、黒酢を吹き掛けることを継続して行きたいと思います。もしも黒酢ですっかり元気になれるなら、前の母ちゃんにも黒酢を施したかったと思います。本文にも書きましたが、新しい一歩を踏み出すときは、ためらってしまうこともありますよね。最初から、「もう絶対にこれだ!」と思えるときはいいのですが、そうでないことも多く、頭の中であれこれ考えて、足踏みしてしまうこともあるようです。でも、実際に新しい一歩を踏み出してみると、意外にも簡単だったり。自分の心の声に耳を傾けるのは、簡単なようでもあり、難しいことも多いようです。

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2007.09.11

続・母ちゃんの右目

 仕事が休みだったガンモは、寝不足を解消し、すっかりパワーを取り戻したようだ。そして、再びベランダを掃除してくれた。TKMYはやはり、断固として巣から動こうとしなかったそうで、先日と同じように、ガンモがTKMYを手で持ち上げて排水溝の掃除を敢行したという。

 ガンモの話では、TKMYに替わり、キッコロも卵を温めていたそうだ。ただ、昼間に三時間ほどだけだったと言う。それでも、キッコロが決して子育てに対して非協力的なわけではないことがわかって、少し安心した私たちである。その三時間の間に、TKMYは餌を食べたり、水を飲んだりして自分の時間に費やしたはずだ。

 それよりも、気になることをガンモから聞かされた。
「母ちゃんの右目が、前の母ちゃんと同じように見えなくなって来てる」
私はガンモの言葉に驚いた。かつてはとても元気だった前の母ちゃんは、右目が見えなくなり、いったんは持ち直したものの、ある日、私たちのベランダに帰って来なくなった。何ヶ月待っても帰って来なかったので、悲しみに暮れた父ちゃんは、とうとう新しいお嫁さんをもらったのだ。それが、現在の母ちゃんである。その母ちゃんも、右目が見え難くなったのか、右目をしょぼしょぼさせているらしい。

 ガンモの言葉を確かめるために、私はベランダにいる母ちゃんの様子をうかがった。確かに母ちゃんは、右目を開きにくそうにしょぼしょぼさせていた。右目が見え難いせいか、動きも鈍い。前の母ちゃんとほぼ同じような症状だ。これは、鳩特有の病気なのだろうか。

 かつて、前の母ちゃんが同じような症状に陥ったとき、私は何もしてやれないことに苛立ちを覚えていた。本来ならば、抗生物質入りの目薬を点してやりたいところだったが、鳩に目薬を点すのは、二階から目薬を点すくらい難しいことである。そこで私は、消毒のために、黒酢の入ったスプレーを用意して、母ちゃんの右目に吹き付けた。黒酢の殺菌効果は強力だと聞いていたので、母ちゃんの右目にも良い結果をもたらしてくれるのではないかと期待したのだ。

 そのことをガンモに伝えると、ガンモが声を荒げてひどく怒った。
「黒酢なんて、きっと糖分も含んでるだろうに、べとべとになって、母ちゃんの目が開かなくなったらどうするんだよ!」
「だって、前の母ちゃんのときに、結局何もできなかったし、何もしないよりはいいんじゃないかと思ったんだよ」
私は一生懸命弁明したが、ガンモは、
「そんなこととしたら母ちゃんが怯えるだろう? ただでさえ、右目が見えなくておどおどしてるのに」
と言う。私は、母ちゃんの目が良くなることを願って、殺菌効果の高い黒酢を吹き付けたのに、そのことを母ちゃんが理解してくれないとは思えなかった。しかしガンモは、
「母ちゃん、かわいそうに・・・・・・」
と言ったあと、そっぽを向いてしまった。前の母ちゃんが右目を患ったときも、ガンモはひどく心を痛めていた。あのとき私は、今回のように黒酢を吹き付けようとしたのだが、吹き付ける前にガンモに相談したとき、前の母ちゃんが怯えるからと、ひどく反対されたのだ。

 黒酢を吹き付けられた母ちゃんは、驚いてベランダから飛び立って行こうとしたが、夜だったので、羽を頼りなくばたつかせながら、すぐにベランダの手すりに戻って来た。夜になると目が見えない鳩は、とても頼りない飛び方をするのだ。右目が見えなくなりつつある母ちゃんの飛び方は、いつもよりも一層頼りなかった。

 その後、どういうわけか、父ちゃんの様子が少しおかしくなった。父ちゃんたちの巣のあった狭い場所にこもり、小さな声でホーホーと鳴き始めたのである。父ちゃんは、朝方には元気良くホーホーと鳴くことがあるが、夜にホーホーと鳴くのは比較的珍しい。しかも、その鳴き方は少し元気がなく、まるで抒情詩でも詠んでいるかのように規則的だった。

 父ちゃんは、母ちゃんの右目を悲観して鳴いているのだろうか。そして、私はとんでもないことをしでかしてしまったのだろうか。しかし、この状況で、一体どうすれば良かったのだろう。そっと捕まえて、動物病院に連れて行く手もあるが、捕まえられるという行為にもっと怯えることだろう。そこで私は、私ができる最善の策だと思い、黒酢を母ちゃんの右目に吹き付けた。今の母ちゃんに、前の母ちゃんと同じ道を辿って欲しくなかったからだ。しかし、それはやはり、自分で何か手を施したという記録を残すための自己満足に過ぎなかったのだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 結論から言うと、黒酢を吹き付けても、母ちゃんの様子は変わっていませんでした。前の母ちゃんが同じような病気で弱り、私たちのベランダに帰って来なくなったとき、父ちゃんはとても寂しそうに、ベランダの手すりから遠くを眺めていました。そのときの父ちゃんの背中を思い出すと、二度と同じことが起こらないように願います。もう少し、鳩の目の病気について調べてみたいと思います。症状ですが、目がただれているわけではなく、まぶたが開きにくくなっていて、閉じたまぶたに表情があり、右目だけ笑っているような感じになります。分泌物がないことから、オウム病ではないと思うのですが・・・・・・。

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2007.09.10

ばれた?

離れませんの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m TKMYは、今年の初めに生まれたばかりですが、まだ生後数ヶ月だというのに、鳩はすぐに成人して、やがて母性が生まれるのですね。人間は、いろいろなことを知識として詰め込もうとする時期がありますが、鳩はどうなのでしょう。例えば、TKMYとキッコロが初めて結ばれるとき、誰かから何かを教わったのでしょうか。そうではなく、何もかもが知識ではなく本能だとしたら・・・・・・。知識ではなく本能だけで鳩の社会が成り立っているのだとしたら・・・・・・。文化を持っている人間のほうが、回り道をしながら生きているように思えて来ます。

 仕事を終えてガンモに電話を掛けてみると、ガンモは自宅近くの顧客のところで作業していた。そこは、自宅から歩いて十数分のところにあるのだが、最寄駅の駐輪場に自転車を預けたままにしていたガンモは、タクシーに乗り、最寄駅まで自転車を取りに行ったようだ。私が三宮に着いて、再びガンモに電話を掛けてみると、ガンモは、
「今、○○○」
と、最寄駅の駅前にあるレンタルDVDショップの名前を口にした。
「えっ? ○○○?」
私が驚いて聞き返すと、
「ミュージカルのDVDはどこにあるのかな?」
と言う。私はそれを聞いてピーンと来た。「ははあん。駅前まで行ったついでに、『メアリー・ポピンズ』のDVDを探しに行ったんだな。」

 私は、
「ミュージカルのDVDは、一番奥の右から二番目の列の棚にどっさりあったよ。『メアリー・ポピンズ』は、ミュージカルのDVDじゃないけど、映画のDVDがあったよ。今、三宮。すぐにそっちに行くから、そこで待っててね」
と言って、電車に飛び乗った。

 折しも、そのレンタルDVDショップでは、旧作レンタル半額セールを実施中だった。つい先日、私はそのセールを利用してDVDをまとめてレンタルしたばかりだった。しかも、私のリュックの中には、そのときに借りた返却予定のDVDが入っていた。ガンモがレンタルDVDショップに足を運ばなくても、私は最初から、仕事帰りにそのDVDショップに立ち寄る予定だったのだ。

 もしもガンモが自宅の最寄駅まで自転車を取りに行くことを私が知らなかったとしたら、またしても私たちは、レンタルDVDショップでばったり出会い、
「良くお会いしますね」
とあいさつを交わすことになったかもしれない。

 三宮から十数分で最寄駅に着き、私はガンモの待つ駅前のレンタルDVDショップへと急いだ。自動ドアを開けて店の中に入り、借りていたDVDをカウンターでいったん返却した私は、籠を手に取り、更に店内へと進んだ。すると、ミュージカルのDVDが並べられているあたりにガンモが立っているのが見えた。ガンモの手にはしっかりと『メアリー・ポピンズ』のDVDが握られている。それは、ミュージカルの舞台を録画したものではなく、一九六〇年代に製作されたディズニー映画のミュージカルだ。私は、ガンモから『メアリー・ポピンズ』のDVDを受け取り、籠に入れた。

 それから私は、他にも借りたいDVDはないか、店内をくまなく探し回った。旧作半額クーポンを持っているので、心強い。ガンモも丁寧に店内を回っていた。私は、ある程度、見たいDVDを選んで籠の中に入れたのだが、ガンモはまだ熱心にDVDを選んでいる。時計を見ると、既に二十二時を回ろうとしているではないか。私は、「んん? ガンモがこんなに遅くまでDVDを選んでいるなんて、何だか様子がおかしいぞ?」と思い、ガンモに言った。
「ねえ、ガンモ。ひょっとして、明日、休みなんじゃないの?」
するとガンモはぎくりとしたように、ひと呼吸置いてから、
「ばれた?」
と言った。そりゃあ、わかりますとも。ガンモもブログを書いているので、翌日も仕事がある日はできるだけ早めに帰宅して、コメントを書き込んでくださった方たちに返信することを喜びとしている。しかし、二十二時になろうとしているのに、ガンモがまだ見たいDVDを物色しているのはおかしい。そうした態度から、私は翌日のガンモの仕事が休みであることを見破ったのである。やはり、私の読みは正しかった。

 ガンモによれば、先週からずっと働き詰めだったガンモに、チームのスケジュール管理を担当している会社の同僚が、ガンモに休みを振ってくれたのだそうだ。ありがたい話である。おそらく、その同僚自身も、連続で出勤し続けた経験があるのだろう。

 ガンモの仕事は土曜、日曜、祝日に関係なくスケジュールが組まれているので、休日出勤した場合は、平日に代休を取ることが多い。そして、平日の仕事が休みのときは、休みであることをひとまず私に黙っておいて、前日の夜か当日の朝に私に告白することを楽しみとしているようだ。要するに、私がちょっぴり悔しがる姿を見るのが楽しいらしい。

 皆さんも想像してみて欲しい。朝、目覚ましの音で目が覚める。私は、鳴り続ける目覚ましを止めてベッドから起き上がる。しかし、ガンモはまだ起き出さない。私がガンモに、
「もしかして今日、休み?」
と尋ねると、ガンモは満面の笑みを浮かべながら、こっくりとうなずく。これが寒い冬場なら、ガンモは温かい布団にくるまって寝ているのだ。そんなとき、ガンモは本当に幸せそうな顔をしている。ガンモがベッドで寝ているというのに、私はガンモをベッドに残して、後ろ髪を引かれる思いで、いそいそと仕事に出掛けて行かなければならない。私は、布団にくるまって寝ているガンモにキスをして出掛ける。すると、ガンモの顔から、一層、幸せそうな笑みがこぼれる。私は、自分だけが出掛けて行くことが悔しいような、ガンモを残して出掛けて行くことが寂しいような、そんな複雑な思いで家を出て行くのだった。

 こうした瞬間を味わうために、ガンモは仕事が休みであることを直前まで黙っておくようだ。黙っておかなければ、その瞬間を味わうことができないからだ。しかし、私もだんだん学習を重ねて来て、ガンモの行動から、ガンモの休みを見破ることができるようになったというわけだ。ガンモがこのような楽しみを持っているなら、私も、ガンモと同じような楽しみを何か見つけなければ・・・・・・。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m だんだん秋らしくなって来ましたね。少しずつ気温が下がって来たので、体調を崩し易い時期です。健康管理にはくれぐれも気をつけてください。更新が遅くなり、申し訳ありません。ここのところ、電子メールのやりとりが活発になっていて、毎日、流動的に活動しています。皆さんからいただいているメールで返信できていないものもありますが、できるだけ順番に書かせていただいているので、ご了承ください。私の感触では、満月の頃と新月の頃に、交友関係が急に活発になる傾向があるのですが、いかがでしょうか。満月の夜や新月の夜には、メールを書きたくなるのでしょうか。

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2007.09.09

離れません

 父ちゃんの天敵であるキッコロと、父ちゃんと母ちゃんの初めての雛のうちの一羽が夫婦になった話を、以前、ここに書いた。真冬に生まれたその雛は、羽の後ろのほうに白くて長い毛が混じっていた。その模様がまるでステージ衣装の長いスカートを履いているように格好良く見えたので、私たちはその雛に、私の好きなバンドのメンバーのニックネームを付けた。ここでは仮にTKMYとしておこう。

 TKMYとキッコロは、我が家のベランダでしばしば愛を交し合っていた。鳩に良く見られるように、どちらかが相手の顔をちょんちょん、ちょんちょんと優しく突付くのだ。突付かれているほうは、目を細めて、さも気持ち良さそうにしている。

 キッコロはとても荒くれ者だったが、TKMYに愛されるようになってから性格が丸くなったように思う。相変わらず、父ちゃんと激しいバトルを繰り広げてはいるが、以前よりも表情が柔らかくなったことは確かだ。鳩だって、愛を知ると性格が丸くなるのだ。しかし、荒くれ者だった頃のキッコロを知っているだけに、私たちには、硬派のキッコロにTKMYがとことん惚れ込んで、押しかけ女房のように迫って行ったのだろうと思っていた。

 やがてTKMYとキッコロは、ベランダの排水溝のくぼみのあたりが気に入ったのか、二羽で並んでうずくまるようになった。その姿がまるで卵を温めているように見えたので、私たちは、
「まさかそこに卵を産んだりしないよね?」
と言いながら、経過を見守っていた。そんなところに卵を産んでしまっては、カラスに狙われても仕方のない状況だったからだ。しかし、うずくまっていたTKMYとキッコロが排水溝を離れても、あとには何もなかった。それに、巣の材料となる枝類を集めて来てもいなかったので、コンクリートの上に直接卵を産むこともないだろうと思い、しばらく気を抜いていた。

 ところが、そんなTKMYが、とうとう産気づいてしまった。母ちゃんもそうだが、卵を産む直前の鳩の雌は、まるで一つのことしか考えていないような行動を取る。少々大袈裟かもしれないが、多少意識のしっかりしている酔っ払いが、安全に戻せすことのできる場所を求めて彷徨っているかのような、まっしぐらの状態になるのだ。気になって、排水溝のあたりを見てみると、いつの間に運んで来たのか、枯れた松葉が集まっている。キッコロが松葉を口にくわえて運んでいる姿も何度となく確認した。まだまだ巣を作るには足りない量の松葉だったが、産気づいたTKMYが卵を産みたがっているのだろう。TKMYはやがて、排水溝のあたりにうずくまり、とうとう動かなくなってしまった。

 あるとき、寝室の窓から父ちゃんに餌を与えていると、TKMYが寄って来た。巣から離れるなんて、よっぽどお腹が空いていたのだろう。TKMYが離れた場所を確認してみると、しっかりと卵が二つあった。卵を確認した私は、仕事に出掛けているガンモにすぐさまメールで報告した。ガンモはTKMYが排水溝のあたりに卵を産んだと知って、少々苦笑いしたが、それでもTKMYを応援しているようだった。

 TKMYに餌を与えているとき、キッコロもすぐ近くにいたので、私はキッコロの警戒心を解いてやり、TKMYと同じようにベランダの窓から餌を与えた。やがてTKMYは巣に戻り、再び卵を温め始めた。キッコロは、卵を温めているTKMYの側をうろうろしている。まだまだ生まれるには早過ぎるはずなのに、男親としては落ち着かないようである。

 それはさておき、この週末は二日間ともガンモの仕事が入っていたので、ベランダの掃除は私が担当することになっていた。私は仕事に出掛けて行くガンモに、
「排水溝のところにTKMYの卵があるけど、どうしよう」
と尋ねてみた。するとガンモは、
「TKMYと相談して決めたら」
と言って出掛けて行った。

 ベランダの掃除は、ホースで水を流しっぱなしにして行う。私は、ガンモに言われた通り、作業を始める前に排水溝のところでうずくまっているTKMYに話し掛けた。
「あのね、TKMY。これからベランダの掃除をするから、そこをどいてもらわないと、水びたしになっちゃうよ」
私は、TKMYが巣を離れてくれたら、巣と卵が水浸しにならないようにどこか安全な場所に卵と巣を移動させようと思っていたのだ。しかし、そんなことを口にしてみても、TKMYに通じるはずもない。理解するはずがないとわかっていても、TKMYにはそこをどいてもらわないと、TKMYも卵も巣も水浸しになってしまう。

 ベランダは糞で汚れているので、一週間に一回は掃除をしなければひどく汚い。私たちだって、ベランダの掃除ができる日は限られているので、できればこのチャンスを生かしたい。そこで、TKMYとしばらくにらめっこになったのだ。

 TMKYがなかなか巣から離れようとしないので、私はとうとう意を決して、掃除を始めた。ホースから水を流し、糞を洗い流して行く。TKMYだって、これまでに何度も見守って来た光景だ。ほとんどの鳩は、ベランダの掃除が始まると、どこかに飛んで行き、掃除が終わった頃に戻って来る。しかし、卵を抱いているTKMYは、断固として巣のある排水溝から離れようとしなかった。

 排水溝には、TKMYの巣の材料として集められた松葉がある。それらの松葉とベランダに落ちていたたくさんの糞が排水溝を塞ぎ、排水を妨げた。私は、どうしたものかとおろおろしていた。そこで私は再び、排水溝でうずくまっているTKMYのところまで行き、これこれこういうわけだからと必死に語りかけた。しかし、TKMYは断固として排水溝から離れようとしない。

 とうとう私は、排水を妨げている松葉を、柄(え)の付いたタワシを使って少し浮かせた。そうすることによって、少しでも排水を促そうとしたわけである。そのとき、TKMYが抱いていた卵が松葉にからまってTKMYのお腹の下から離れた。しかしTKMYは、卵を守るというよりも、自分がうずくまっているその場を離れようとしなかった。

 私はTKMYに謝りながら、排水溝に溜まった糞を除去し始めた。どうやらTKMYは、私の行為に腹を立てているようである。ときどき、不機嫌な声でクーと鳴くのだ。しかし、どうしても排水溝に溜まった糞を片付けなければ、排水が行われず、ベランダ全体が水浸しになってしまう。巣を守ろうとしたTKMYは、私に鳩パンチをくらわした。必死に巣を守ろうとする母、TKMY。死なばもろとも、とはこのことか。TKMYの気持ちはわからないでもないが、糞の掃除もしなければ、ベランダを快適にすることはできない。私は一生懸命TKMYに状況を説明しながら、排水溝に溜まった糞を慎重に取り除いて行った。

 そうこうしているうちに、ようやくガンモが仕事から帰って来た。卵はTKMYのお腹から既に外れていたが、卵の位置を戻そうにも、TKMYの鳩パンチが強烈で近寄れなかった。私はガンモに、
「あとを頼む!」
と言ってバトンタッチした。

 ガンモはTKMYに突付かれながらも、松葉で作られた巣を元に戻し、その上に卵を載せて、TKMYに向かって慎重に語りかけながら、TKMYを両手で抱きかかえて卵の上に載せたそうだ。さすがガンモである。私よりも鳩パンチ暦が長いだけのことはある。ガンモは言った。
「前の母ちゃんも、今の母ちゃんも、卵を抱いていても掃除のときは巣から離れるのに、TKMYは目の前であれだけ水が流れていても、巣から離れようとしなかった。俺が抱きかかえても逃げないなんて、責任感が強い」

 責任感が強いと言うのか、生まれて来る子供たちへの愛情が強いとでも言うのか。とにかく、ただならぬ愛情であることは確かだ。しかも、いつ見ても卵を温めているのはTKMYだ。つまり、荒くれ者だったキッコロは卵を温めることに協力的でない。硬派な鳩は、卵を温めることからも遠ざかってしまうのだろうか。これでは、TKMYの負担が大きいばかりである。

 TKMYが私たちに見せてくれた頑固な態度。これこそが母性というものなのだろう。卵を失うくらいなら、自分の命を失うことさえ恐れない。そんなTKMYの断固とした態度に強く心を打たれた私たちであった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 日曜日もホットヨガの予約を入れていたのですが、自宅でするべきことが多過ぎて、キャンセルしてしまいました。ベランダ掃除もその一環だったわけですが、TKMYの母性には痛く感動させられました。卵が孵ったら、TKMYはきっといいお母さんになるでしょう。しかし、キッコロが卵を温める当番を交替してくれないのは、どうかと思いますが・・・・・・。TKMYは、キッコロに惚れ込んで結婚したので、キッコロには甘いのでしょうか。鳩社会にも、子育てに協力的な父親もいれば、そうでない父親もいるというのが面白いですね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2007.09.08

ホットヨガ(六十八回目)

映画『シッコ』の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 上映されていた映画館で、『めざましテレビ』で紹介されたときの映像が流れていたので、注目度の高い映画なのかもしれません。世の中に何かを訴えて行く手段として、メガフォンを持って街角で叫ぶ方法もありますが、あまりにも直接的過ぎて、かえって伝えたいことが素通りしてしまうことが多いように思います。でも、製作には時間が掛かってしまいますが、映画であれば、押し付けることなく、確実に届くように思います。それに、街角での演説を口コミで広めて行く人はいないけれど、映画の衝撃は口コミでどんどん広がって行きますものね。

 ようやく週末がやって来た。寝不足を解消しておきたいところだったが、金曜日の夜、ガンモが仕事で深夜に帰宅したかと思えば、土曜日だと言うのに、早朝から起き出して、再び仕事に出掛けて行った。そのため、私の寝不足もどんどん加速して行く。ガンモもほとんど寝ていないのではないだろうか。私は、出掛ける予定は入っているものの、仕事が休みなのでまだ少しは楽だったが、ガンモは土曜、日曜とも仕事が入っていた。このままでは、ガンモの寝不足も心配だ。

 ガンモが出掛けたあと、私もゴソゴソと起き出して、歯医者に出掛けた。特に虫歯があるわけではなく、およそ三ヶ月に一回のペースで歯石を取るなどのケアをしていただいているのだ。予約時間を十分ほど過ぎて待合室を訪れてみると、既に二人の患者さんが診察を受けていた。どうやら、かなりてこずっている様子である。待合室で二十分ほど待っただろうか。ようやく名前が呼ばれ、三ヶ月振りに歯をきれいにしてもらった。再び三ヶ月後の予約を入れて帰宅すると、早くもホットヨガのレッスンに出掛けなければならない時間になっていた。

 しかし、ちょっと待てよ。「ガンまる日記」を途中まで書いてはいるものの、まだアップできていない。寝不足のため、書き上がっていないのだ。私は、集中して「ガンまる日記」を書き上げるか、ホットヨガに出掛ける準備を始めるかの選択に迫られた。その結果、私は大胆にも両方を選択することにした。大急ぎで着替えの準備を整え、「ガンまる日記」を書いているノートパソコンのすぐ側に置いた。それから私は、頭をカチカチと働かせながら記事を書き上げた。しかし、アップするにはまだまだ推敲が足りないのに、時計を見ると、もう時間がない。急いで出掛けなければ。

 私は、支度を整えて家を出た。快速電車の中で、運良く補助シートに座ることができたので、ノートパソコンを広げてもう一度推敲を行い、記事をアップした。もう少し見直したいところもあったが、もう時間がないので、更なる推敲作業はレッスン後まで見送ることにした。

 さて、予約していたホットヨガのレッスンとは、三宮店での脂肪燃焼コース2である。私は、三宮店で受けた脂肪燃焼コース2のレッスンを忘れることができなかった。脂肪燃焼コース2こそ、私が真に欲しているレッスンだと思ったのだ。

 スタジオに入ってみると、狭いスタジオに十七枚のヨガマットが所狭しと並べられていた。前回のレッスンでは、参加者が驚くほど少なかったのに、これは一体どうしたことなのだろう。やはり、脂肪燃焼コース2は、人気のコースだったようである。ありがたいことに、レッスンを担当してくださるインストラクターは、前回のカリスマインストラクターだった。そう、私は彼女のレッスンを受けたかったのだ。人数は多いものの、前回と同じ展開に、私はわくわくしていた。

 前回の記事で、私は間違ったことを書いてしまったようだ。まず、ヨガ的には、太陽崇拝のポーズではなく、太陽礼拝のポーズと呼ぶのが正しいらしい。更に、最初に太陽礼拝のポーズから入ったと書いているが、実際は大きく息を吸ったあとに、十回に分けてポンプのように吐き出す呼吸法から入った。ただ、呼吸法の名前は思い出せない。次回のレッスンのときには、ちゃんと記憶に留められるようにトライしてみることにしよう。

 ポンプのように吐き出す呼吸法のあと、太陽礼拝のポーズに入った。前回のレッスンでは、何から何まで目新しくて、「何でもやります!」というモードだったのかもしれない。今回は、寝不足が続いていたせいだろうか。少し身体がだるかった。それでも、大量に噴き出して来る汗に、私は満足感を覚えていた。それこそ恥ずかしいくらいに、汗が顔から垂れて来るのである。やはり、脂肪燃焼コース2の威力は素晴らしい。そのせいか、後半はぐったりしてしまい、ヨガマットの上で少し休んでいた。四つん這いの反対のポーズであるテーブルのポーズに続く、足を伸ばしたテーブルのポーズと、スフィンクスのポーズに続く腕立て伏せのようなポーズ、それからブリッジ(アーチ)のポーズをすべて放棄して。これらのポーズが、私にとても厳しいのだ。無意識のうちにお腹をかばってしまうのと、身体が重いことが原因である。

 バランスのポーズのときに、私は一瞬、自分の身体が心配になった。やはり寝不足のせいで、なかなか調子が出なかったのだ。以前、神戸店でのレッスン中に、私の目の前でバタンと倒れてしまった方がいらっしゃったが、自分もそうなってしまうのではないかという不安が少しだけあった。しかし、何とか持ち堪えた。こういうとき、本当は踏ん張り過ぎないほうがいいと思う。

 六十分のレッスンは、あっという間に終わった。カリスマインストラクターが、
「今日は人数が多かったので、微妙に湿度が高かったかもしれません」
と言った。なるほど、スタジオ内の湿度は、私たちが流す汗の量とも関係があったようである。となると、汗をたくさん放出した私は、スタジオ内の湿度を高めることに大きく貢献できたかもしれない。私がいれば、加湿器は必要ないのではないだろうか。「ジャパネットガンまるです。少しずつ秋も深まり、そろそろ冬の準備を始められてはいかがでしょうか。今日は、人間型の加湿器をご紹介します。こちらにございますのが、『人間加湿器まるみ』です。『人間加湿器まるみ』は、顔に大量の汗をかいて、乾燥した室内に潤いを与える役割を果たしてくれます。エアコンなどで乾燥した室内に、一台、いかがでしょうか」

 私は重い身体を引きずりながら、どやどやとシャワールームになだれ込んだ。シャワールームに座り込んでシャワーを浴びたいほど疲れ切っているが、汗をたっぷりかいたので、妙に心地いい。先日、ドジを踏んでしまったボディソープとシャンプーのラベルは、新しくガンモに作ってもらったので、もう間違えることはない。ガンモのパソコンには、パソコンから打ち込みできるラベル印刷機が接続されているのだ。私は、ゆっくりとシャワーを浴びて汗を流した。

 スタジオを出て、ガンモに電話を掛けてみると、ガンモの仕事は二十二時まで掛かると言う。おいおい、大丈夫かい。こうして、ガンモも私も寝不足のまま、土曜日の夜が更けて行った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 寝不足で体調が優れなかったからでしょうか。前回のレッスンとは微妙に感触が違っていました。お腹に意識が向かなかったことが、一番の違いかもしれません。レッスンを受けるときは、体調を整えておかないと、せっかくのレッスンで何も残らなくなってしまいます。いくらたくさんの汗をかいたとしても、それでは意味がありませんよね。以後、気をつけたいと思います。私は何故か、太陽礼拝のポーズが好きです。ポーズが長いからでしょうか。それとも、私が獅子座生まれだからでしょうか。

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2007.09.07

映画『シッコ』

 『シッコ』とは、マイケル・ムーア監督がアメリカの健康保険制度にメスを入れたドキュメンタリー映画である。ドキュメンタリー映画と言っても、事実だけを淡々と並べるお堅い表現方法ではなく、深刻な状況にありながらも、観客が声を出して笑えるほど涙と笑いの入り混じった作品に仕上がっている。

 日本で病気や怪我をした場合、社会保険に加入していれば、健康保険証を提示するだけで、ほとんどの人が一部の負担金額だけで治療を受けることができる。また、社会保険に加入していない場合であっても、ほとんどの人が国民健康保険に加入しているので、やはり一部の負担金額だけで治療を受けることができる。つまり、日本は国民が全員保険に加入する国民皆保険なのだ。それに加えに、民間の保険に加入している場合、保険の適用範囲内であれば、民間の保険会社が入院や手術などの費用を負担してくれる。日本の企業では、休み時間になると、民間の保険会社のセールスレディがいそいそと保険の勧誘にやって来る。

 しかし、アメリカではそうではないらしい。結論から言ってしまえば、アメリカは日本のように国民皆保険ではないので、保険に加入していない人が多い。いや、加入していないというよりも、加入したくても加入できないケースが多いのだそうだ。国民皆保険ではないアメリカでは、民間の保険会社が権力を握っている。しかし、民間の保険会社は、保険料を支払いたくないばっかりに、専属の医師を雇い、健康状態に問題がありそうな人から保険加入の申請があると、いろいろと難癖をつけて却下してしまうと言う。つまり、日本のように、「保険に入りませんか?」と積極的に勧誘が行われているわけではなさそうである。更に驚くべきことに、保険会社専属の医師は、健康に問題がありそうだと判断した人からの保険加入を却下することによって、保険会社に優遇されるという。そのため、ますます国民が保険に加入しにくい状況になっているという。まったくもって恐ろしい社会だ。そのような社会だから、保険に加入できない人は、高い治療費を払うことができずに病院の治療を受けられず、やむなく死を受け入れるケースも少なくないという。マイケル・ムーア監督は、アメリカのこうした健康保険制度にメスを入れたのである。

 この映画の本編は、足に怪我をして、ぱっくりと開いた傷口を針と糸で縫い合わせている男性の映像が映し出されて始まる。健康保険に加入することができない彼は、高額な治療費を支払って病院で治療を受けるよりも、自分で傷を縫い合わせて怪我を治そうとしているわけである。日本では到底考えられない光景だ。

 また、仕事中に二本の指を切断してしまった男性が、指をくっつけ合わせるのに、予算と相談して決断しなければならなかった。健康保険に加入していない彼が指の接合手術を受けるのに、薬指なら一万二千ドル(およそ百三十五万6千円)、中指なら六万ドル(およそ六百七十万円)掛かると言われたという。結局彼は、予算の事情で中指を諦め、薬指だけを接合してもらったのだそうだ。

 他にも、保険に加入することができずに高い治療費を払い続け、ついには自己破産し、自宅を手放すことを余儀なくされ、娘夫婦の物置に身を寄せることになった老夫婦の夫婦の姿も映し出されていた。一見しただけで、老夫婦がそれほど歓迎されていないのが見て取れる。娘夫婦のところだけでなく、他の兄妹間でも老夫婦を数年単位の持ち回りで受け入れようとする話し合いが真剣に行われている。老夫婦、すなわち彼らの親を受け入れることで、これまでの生活が一変してしまう老夫婦の子供たち。受け入れに対する子供たちの消極的な姿勢を見て、みじめな思いを抱えている老夫婦。どう見ても、みんな、ちっとも楽しそうじゃない。

 アメリカでは、保険会社だけでなく、病院の対応にも問題があると言う。健康保険に加入していない患者は、高額な治療費や入院費を支払うことができないため、驚いたことに、入院中の患者をタクシーに乗せて慈善施設の前に放り出すケースまで確認されているそうだ。つまりアメリカでは、医療が商売になっているわけである。だから、飲食店で無銭飲食する客を見せから追い出すように、儲けにならない患者を強制的に病院から追い出すのだ。

 マイケル・ムーア監督は、他の先進国の医療の現場を視察するために、カナダやイギリス、フランス、キューバへと出掛けて行く。訪問したほとんどの国で、マイケル・ムーア監督は、病気や怪我をした人たちの医療費が無料であることを知り、驚いている。その驚き方がいかにもおかしい。医療費について、社会主義的な考え方が取り入れられているので、治療を受けた人はすぐさま小麦畑で働かされるのではないかと勝手に想像し、小麦畑で歌を歌いながら楽しそうに働いている人たちの映像まで挿入されているのだ。私はそこで大爆笑してしまった。この監督は表現方法が面白い。純粋にそう思ったのである。

 医療費が無料の国ということで、つい先日、訪れたばかりのロンドンが映し出されていた。確かにロンドンは物価の高いところだが、そのようにして国民から少しずつ集めた税金が病院の治療にも生かされているわけである。税金が高くなれば、おのずと物価も高くなるが、国民は、いざというときに無料で治療を受けられる。だから、アメリカのように、予算に応じて接合する指を選ぶこともない。つまりは、いつお金が必要になるかということだけなのではないだろうか。言い換えれば、いざというときに備えて、少しずつ税金を納めておくか、それともいざというときに一気に支払うかの制度の違いだと思う。『アリとキリギリス』に例えるならば、医療費が無料の国に住む人たちはアリ。アメリカに住む、健康保険に加入できない人はキリギリスだと言える。

 医療費が無料の国に関して言えば、例え高い税金を納めたとしても、実際は病院のお世話になる必要のない人もいるだろう。不思議なことに、そういう人であっても、医療費が無料の国に住んでいる人たちの間には、「持ちつ持たれつ」という連帯感が生まれている。もともとアメリカにだって、無料で本を貸し出してくれる図書館がある。そうしたことが既に実現できているのだから、医療に関しても応用できるのではないか。アメリカにおいても、医療費が無料の他の先進国と同じように、「私」から「私たち」への意識改革が必要なのだとマイケル・ムーア監督は言う。

 ただ、特定の組織が力を持ってしまうと、そこで働いている人たちは、なかなかその権力を手放そうとしない。しかし、中には良心の呵責に苛まれている人もいるようだ。例えば、保険会社の窓口担当の女性や、保険会社の専属の医師たちである。彼女たちは、ようやく保険に加入できると大喜びしていた人からの加入を却下したこと、また、保険が適用できないと判断したために、死に至らしめてしまったことなどを涙ながらに告白している。そして、そんな仕事が楽しくないと漏らしていた。単にお金を受け取るだけでは魂は喜ばないのだ。

 この映画は、既にアメリカでもかなりの反響を呼び起こしているようだ。マイケル・ムーア監督は、映画という形で、ブッシュ大統領に国民皆保険という大きな課題を突き付けたことにもなる。果たしてブッシュ大統領は、この映画をどのように受け止めるのだろう。映画の内容は、ここに書いた以外にも実に盛りだくさんで、9.11の事件で活躍した消防隊員たちも登場している。驚くべきことに、彼らも健康や医療に問題を抱えていたのである。

 ドキュメンタリー映画なので、最初は少し構えてしまったが、ユーモア溢れる展開に引き込まれながらも、先進国アメリカの悲惨な状況に驚きを隠し切れなかった。さきほど、『アリとキリギリス』に例えたが、キリギリスのアメリカは楽観主義者が多いために、将来に備えて計画的に行動するという発想が乏しいのかもしれない。そのときが楽しければいいという考えが、食べ過ぎからの肥満を引き起こしているのではないだろうか。去年、ハワイに出掛けたときに出会ったアメリカ人と、今年、ロンドンに出掛けたときに出会ったイギリス人の体型を比較してみると、そう思わざるをえない。マイケル・ムーア監督は、アメリカと他の先進国の平均寿命を比較していたが、楽観主義を改善しなければ、治療以前に、太り過ぎから来る病気も多いのではないだろうか。

 制度の面から言えば、特定の組織(アメリカの場合は保険会社)が権力を持ち続けるということは、そこのシステムが固定化してしまうということでもある。こうしたシステムは、固定化させるのではなく、常にフレキシブルな対応が必要なのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 『シッコ』という単語は、「病人」という意味で使っているようです。つまり、アメリカの健康保険制度は病気だということなのでしょう。映画を観ながら、「良い循環」というキーワードも浮かんで来ました。特定の組織が権力を握らないということは、固定化しないという意味においては、停滞とも無縁なのではないかと思いました。アメリカがこの問題に真剣に取り組んで行くためには、現在、甘い蜜を吸っている人たちが、甘い蜜を手放す覚悟を持たなければなりません。私だって、「あなたの時給は下がるけれども、そのおかげでたくさんの国民が救われるんだよ」と誰かに言われたら、考えると思います。(苦笑)でも、私が拒むことが、誰かの命に関わるのだとしたら、決して自分だけが甘い蜜を吸うわけには行きませんよね。この映画が、甘い蜜を吸っている人たちの良心に働き掛けて、人々の意識が変わり、アメリカの保険制度が変わるといいなと思います。

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2007.09.06

イーバンク銀行からのお知らせ[ご本人確認のお願い]

 「イーバンク銀行からのお知らせ[ご本人確認のお願い]」というタイトルの怪しいメールがYahoo! JAPAN ID@yahoo.co.jp宛に届いた。Yahoo! JAPAN IDのメールアドレスに届くメールは、すべてメインアドレスに転送しているので、私はこのメールをいつも使っているメールソフトで受信することになった。

 このメールに書かれている内容は、どうやら悪質なフィッシング詐欺のようなので、「ガンまる日記」を読んでくださっている皆さんに注意を促すためにも、一部のURLを伏せた状態で、以下にメールの全文を掲載させていただくことにしよう。

----------------------------------------------------------------------------

イーバンク銀行をご利用いただきありがとうございます。

近日、イーバンク口座による被害が確認されております。
被害防止の為、ご利用頂いておりますユーザーIDにてログイン確認(口座状況確認)
をお願いします。

2006年7月10日以降に初めてログインを行なわれる方は、「初期ユーザID※」とログイン
パスワードを入力し、画面の説明にしたがって「ユーザID」、「ログインパスワード」、
「暗証番号」の設定を行なってください。

一週間以内に確認頂けなかった場合、お客様のご利用口座を一時的にご利用停止と
させて頂きます。

安全の為下記セキュリティサイトからログイン確認をお願い致します。

↓↓↓↓↓↓↓↓↓
URL http://xxx.xxx.com/index.html
↑↑↑↑↑↑↑↑↑

ユーザIDを失念した場合は、イーバンク銀行ホームページ右上の「ログイン」ボ
タンからログイン画面を開いてください。「ユーザIDを忘れた場合はこちら」リンク
からユーザIDの初期化が行なえます。

**********************************************************************
イーバンクのサービス内容に関するご質問は、イーバンク銀行ホームページ
より、E-Mailでお問い合わせください。

イーバンク銀行
http://www.ebank.co.jp
**********************************************************************


--------

----------------------------------------------------------------------------

 イーバンク銀行からのメールなのに、送信元アドレスは、何故かxxxx@goo.jpとなっている。イーバンク銀行の人が、gooのメールアドレスを使って送信して来たのだろうか? 仮にそうだとしても、gooのフリーメールアドレスならば、xxxx@goo.jpではなく、xxxx@mail.goo.ne.jpではないだろうか。そんなことを思いながら、メールのヘッダ情報を確認してみると、確かに途中でmail.goo.ne.jpアドレスを介しているにもかかわらず、

X-Mailer: Microsoft Outlook Express 6.00.2800.1506

のヘッダ情報があった。つまり、このメールはWebメールであるmail.goo.ne.jpのアドレスを経由しながらも、Outlook Expressを使って送信されているということである。ますますわけがわからない。メールヘッダも偽装することができるらしいので、確実とは言えないが、mail.goo.ne.jpの送信サーバを踏み台にして送信されただけかもしれない。

 それはさておき、見るからに怪しい内容ではないか。そもそも私は、イーバンク銀行を開設してはいないし、仮に開設するとしても、Yahoo! JAPAN ID@yahoo.co.jpのアドレスを連絡用アドレスに使用したりはしない。その時点で既に十分怪しいわけである。おそらく、オークションの入札情報やYahoo! ブログなどの情報からYahoo! JAPAN ID@yahoo.co.jpアドレスを生成し、無差別に送付しているのではないだろうか。

 イーバンク銀行のような企業が顧客に向けてメールを発信するときは、これこれこのような文面のメールを顧客に向けて発信するが、文面におかしな表現は含まれていないかと、社内でレビューを重ねるものである。しかし、送信されたメールを拝見する限り、レビューを重ねて洗練された文章とはとても思えないところがある。

 まず、このメールの送り手がイーバンク銀行ならば、顧客に向けて発信されるメールは、敬語の使い方が徹底されていなければならないだろう。しかし、このメールの文面は、敬語の使い方が中途半端だ。例えば、

ご利用頂いておりますユーザーIDにてログイン確認(口座状況確認)をお願いします。

とある。顧客に送付するなら、「お願いします」ではなく、「お願い申し上げます」とするだろう。また、

一週間以内に確認頂けなかった場合、

とあるが、後続の文章に、

お客様のご利用口座を一時的にご利用停止とさせて頂きます。

とあり、「ご利用口座」、「ご利用停止」と、「ご」という丁寧語が使われているので、「確認」の前にも「ご」を付けて、

一週間以内にご確認頂けなかった場合、

とすべきだろう。

 更に細かいことを言えば、「頂く」という表現は、自分がへりくだるために、自分自身の行為に対して使う謙譲語であるため、相手の行為に対しては付けないことが大原則となっている。となると、

一週間以内にご確認くださらなかった場合、

と表現するのが望ましい。その原則に従えば、

イーバンク銀行をご利用いただきありがとうございます。

ではなく、

イーバンク銀行をご利用くださいまして、まことにありがとうございます。

と表現すべきだと思う。ただ、この「いただく」に関しては、「本日は、○○線にご乗車いただきまして、まことにありがとうございます」などと、世間でも相手の行為に対して広く一般的に使われてしまっているため、人々の感覚が既に麻痺してしまっている。「ご利用停止とさせて頂きます」の「頂く」については、自分の行為に付けているので使い方は正しい。

 他にも細かいことを言えば、もっといろいろ出て来る。

被害防止の為、

とあるが、「ため」という言葉は、漢字では表記しないことが望ましいと決められている日本語の一つである。多くの顧客に対して情報を発信する立場にあるイーバンク銀行が、そのことを知らないはずがない。

 また、全体的に、顧客のメリットを提示することよりも、メールの送信者側のメリットを強く意識した文章になっている。そのため、文章全体を通して、顧客に対してへりくだる気持ちが薄く感じられ、メール送信者の要望を強く押し付けて来るような印象を与えている。

 これらのことからも想像できるように、このメールは、イーバンク銀行へのIDとパスワードを盗むために、矢印で囲まれたURLへのアクセスを促す目的で送信されたものだ。だから、これと同様のメールが届いた場合、メールの中で指示されたURLには絶対にアクセスしてはいけない。何故なら、イーバンク銀行にアクセスするためのユーザIDとパスワードが、指定されたサーバからログオンすることで記録され、盗まれてしまうからだ。

 怪しいと思って調べてみると、イーバンク銀行の本家サイトに、こうした悪質なメールに注意を呼び掛けているページがあった。

フィッシング詐欺に関するご注意 イーバンク銀行|インターネットバンキング

 今回の場合は、テキストメールなので、誘導されているURLがイーバンク銀行のアドレスではないことがすぐにわかるのだが、もっと悪質なメールになると、こうした情報がHTMLメールで送られて来て、表示内容は正規のアドレスだが、実際にはHTMLタグ内に偽のアドレスが埋め込まれていることもあると言う。つまり、正規のURLをテキストで表記しておいて、そのテキストへのリンク先に偽のアドレスを埋め込み、そこをクリックしてアクセスした人の個人情報を盗むという仕掛けである。

 私は、もともとパソコン通信畑の人間なので、普段からHTMLメールを書いたり読んだりする習慣はない。HTMLメールが送られて来ても、発信元が不明のメールは読まない。例え友人や知人からのHTMLメールであっても、HTMLをプレビューさせず、テキストの部分だけを読んでいる。また、ごく稀に、お誕生日をお祝いするときなどに私からHTMLメールを送信することがあるが、そのようなときは、テキスト部分に「HTMLメールで送信してるよ」と一言注意書きを入れておく。そうすることによって、HTMLメールを受信する人の警戒が解ける。基本的には、HTMLメールは送信しない。また、受け取ってもプレビューしない。普段から、こうした注意は必要だと思う。

 今回のようなケースは、たまたま私がイーバンク銀行に口座を開設していなかったことや、Yahoo! JAPAN IDのメールをメインアドレスでは使用していなかったことなどから、メールの文面を冷静に判断することができた。しかし、ロンドン旅行のときに聞き取れなかった英語の意味を勝手に穴埋めしてしまったように、既に自分の中にイーバンク銀行に関連する何かがあった場合は、このメールの情報と勝手に結び付けて内容を埋め合わせ、URLにアクセスしてしまうかもしれない。そのようにならないためにも、ものごとを冷静に、多角的に判断することが望ましいと改めて実感したのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m メールソフトのHTMLプレビュー機能を生かしている方は、画像の表示をOFFに設定しておくのがよろしいかと思います。スパムメールの送信者は、HTMLメールからリンクされている画像が実際に参照されたかどうか、サーバ側のアクセスログを見てチェックしているそうです。メールソフトのHTMLメールのプレビュー機能が生かされている場合、HTMLメール内に埋め込まれた画像が表示されると、そのメールアドレスは有効なアドレスだと判断され、次々にスパムメールが届いてしまうようです。

ところで、皆さんのお住まいの地域では、台風の影響は大丈夫でしたか? 普段から、ニュースに疎い生活をしているもので、台風が大変だったことに気が付くのが遅れてしまい、申し訳ありません。新幹線などの運休により、東京では、地方からやって来た人たちがホテルを求めて右往左往されていたようですね。皆さんの無事をお祈りしています。さて、ここのところ、更新が遅れてしまい、申し訳ありません。毎晩、二十三時過ぎから「ガンまる日記」を書き始めて、一時半過ぎまで書いていたため、寝不足が続いていたようです。週末に、この寝不足を何とかしなければなりません。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2007.09.05

チム・チム・チェリー

ホットヨガ(六十七回目)の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実は、ホットヨガや布ナプキンを題材にしたショートショートを書きたくてうずうずしているのですが、ネタがもう少し熟して来るのを待つことにしますね。

 ロンドンで観たミュージカル『メアリー・ポピンズ』が忘れられない。特に、煙突掃除係の男性が歌っていた『チム・チム・チェリー』のメロディが耳から離れないのだ。そこで私は、Amazonで『チム・チム・チェリー』が収録されたサントラ盤を購入することにした。

 手元に届いたCDには、確かに『チム・チム・チェリー』が収録されていたのだが、私たちが観て来たロンドンのミュージカルのスタッフが歌ったものではなく、ディズニー映画のサントラ盤だった。それでも、ずっと耳から離れることのなかった『チム・チム・チェリー』を何度も繰り返し聴くことができるかと思うと、うれしくて仕方がない。

YouTubeから参照

 もともと『メアリー・ポピンズ』は、私が子供の頃から大好きだった本のタイトルである。ガンモは原作を読んではいなかったが、私が「『メアリー・ポピンズ』のミュージカルを観たい」と言ったところ、ロンドンで一緒にミュージカルを観るのに付き合ってくれた。英語は良く聞き取れなかったが、ミュージカルは本当に素晴らしくて、私たちは観終わったあと、
「観に来て良かった。本当に素晴らしかった」
と何度も何度も繰り返し感動のため息を漏らしていた。

 私は、寝室にあるガンモのパソコンの前に、そっと、Amazonから届いたCDを置いておいた。きっとガンモが聴きたがるだろうと思ったからだ。それから私は、別の部屋でしばらく作業をしていた。

 私が作業を終えて寝室に戻ってみると、軽快な音楽が流れていた。ガンモが『メアリー・ポピンズ』のCDを聴いているのだ。ガンモは興奮した様子で、
「このCDはミュージカルじゃなくて映画のサントラ盤だけど、対訳が手に入って良かった。あのね、ミツバチは蜜を集めるためにせっせと働いてるけど、本当はちっとも大変じゃないんだって。何故なら、蜜を集めるときに一口ずつ舐めてるからなんだって」
と言う。
「うわあ。『メアリー・ポピンズ』で歌ってた歌詞の中にそんな内容が含まれてたの?」
と私が興奮しながらガンモに尋ねると、
「そう。ロンドンで観たときは聞き取れなかったけど、『メアリー・ポピンズ』は歌詞が面白いから。『2ペンスを鳩に』の歌詞がまたいいの。『さあ、私の袋のパンくずをお買いなさい 小鳥たちに餌をやってください 鳥に優しくしているのを 皆さんに見せたら楽しいでしょう あの幼い鳥はお腹をへらしています 巣は空っぽなんです 2ペンスでできるんですよ 鳥に餌をどうぞ、一袋2ペンスです』だって」
「へええ。イギリス人の考えることって、面白いんだねえ」
「他にも、銀行の歌とかあるんだけど、『信用第一の銀行』という曲の中で、『もしきみがお利口さんに2ペンスを銀行に預金すれば 安全で堅実 銀行へ安全に預金したその2ペンスは すぐに利息を生みますよ』だって」
「あはははは。イギリス人って、独特の世界を創り出すんだねえ」
「あと、medicineっていうのは、医学とか薬という意味もあるけど、『メアリー・ポピンズ』の中では魔法と訳されてるよ」
「確か台所のシーンだったよね。なるほど、薬はすぐに病気が治るから魔法なんだ」
私たちは、すっかり『メアリー・ポピンズ』のミュージカルの歌詞の面白さにとりつかれていた。

 ガンモは更に、
「2ペンスって、イギリスの口語でTuppenceって言うんだって。『タペンス』って発音するんだよ」
と言った。2ペンスをTwo penceと言わずに、Tuppenceという単語を新たに作って、口語として使っているらしい。
「へええ、それもまた面白いね。やっぱり独特の世界だわ」
ガンモが興奮しているので、私まで一緒に興奮して来た。

 『メアリー・ポピンズ』のサントラに激しく心を奪われた翌日、私は仕事帰りにガンモと三宮で待ち合わせをしていた。三宮に着いてからガンモに再び電話を掛けてみると、
「ごめん、風向きが変わったから、先に帰ってて」
と言う。『メアリー・ポピンズ』は、東風に乗ってやって来て、風向きが西風に変わったときに去って行く。そんな物語であることを、ガンモはちゃんと心得ているのだ。だから、
「風向きが変わった」
と私に言って、仕事が忙しくなったことを示したのだと思った。

 このように、私が最初に好きになったものであっても、いつの間にかガンモのお気に入りになっていることは多々ある。もちろん、その逆もある。そして、相手のお気に入りが自分のお気に入りになったことを、このような形で示すのだ。そのうち、どちらが先に気に入ったのか、どちらか先に影響を与えたのかわからなくなってしまうのが、私たち夫婦の特徴である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m YouTubeで公開されている映像を観ていると、次第に感動が蘇って来て、心が躍ります。画質や音質からすると、ご紹介した映像は、海賊版かもしれませんが。(^^; あれからもう一ヶ月も経ってしまったのですね。でも、確かに私たちはロンドンのプリンス・エドワード・シアターでミュージカル『メアリー・ポピンズ』を鑑賞しました。その感動が、一ヶ月後に映画のサントラ盤を聴き、YouTubeの映像を観て蘇っているのです。現地でもっと、「今、そのときを」楽しんでおけば良かったと、そんな後悔の念も沸き上がって来ます。リアルタイムで理解できなかったことを、サントラ盤なり、映像なりで復習するのもまたいいですね。そんな私たち二人に共通しているのは、「『メアリー・ポピンズ』のミュージカルをロンドンにまた観に行きたい!」という野望を持っていることです。

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2007.09.04

ホットヨガ(六十七回目)

快適布ナプキン生活の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m かなり赤裸々に書いていますが、どうか会社などで読まれて赤面されませんように。(^^) 布ナプキンのおかげで、生理が始まってから四日目あたりから、ほとんど出血もないまま過ごしました。私の生理は、早くもクローズ状態に入っているようです。布ナプキンと出会うまでは、子宮筋腫の影響で、二週間以上も生理が続くことが、今年になってから二回ほどあったというのに、布ナプキンの威力には驚きです。これだけ出血量が少なくなると、ヘモグロビン値も上がっているかもしれません。ここまで違うと、紙ナプキンやタンポンの持つ化学物質の影響力について、真剣に考えてみたくなります。もしかすると、赤ちゃんのおむつも、昔ながらの布のほうが赤ちゃんの身体に優しいのかもしれませんね。

 日曜日に受けたホットヨガのレッスンとは、神戸店のスクイーズコースである。先日までは確か、「スクイーズクラス」と呼ばれていたはずなのに、久しぶりにホットヨガのホームページを確認してみると、いつの間にか「スクイーズコース」に変更されていたので、これからは「ガンまる日記」でも「スクイーズコース」と書かせていただくことにする。確かに、他のコースはすべて「○○コース」と名前が付いているのに、スクイーズだけが「クラス」と表記されているのはおかしいと思っていたのだ。

 今回のレッスンを担当してくださったのは、突っ込み上手なベテランインストラクターでもなく、吉本興業のインストラクターでもなく、ビギナーコースのときにたくさんお世話になったインストラクターでもない。かつて私が、支店ごとにスタンプの色を変えて欲しいと受付でお願いしたときに、
「では、上の者に言っておきます」
と言ってくださったインストラクターである。どういうわけか、私は、彼女がインストラクターをつとめるレッスンにはあまり参加したことがなかった。過去をさかのぼって振り返ってみても、これまでに一回か二回くらいの参加の記憶しかない。

 スクイーズコースのレッスンと言うと、ベテランインストラクターや、吉本興業のインストラクターが担当してくださるレッスンに慣れていたので、彼女がレッスンを担当してくださるのはとても新鮮だった。彼女は、静かで着実なレッスンを展開してくださるのだが、どこか、いじめ上手なところもある。例えば、腹筋をたくさん使うきついポーズがようやく終わったと安堵していると、
「何なら、もう1セット、行きますか?」
とさらりと提案して来たりする。当然、私たちは、1セットで十分だと心の中でしきりに主張しながら、ブルブルと首を横に振る。

 まだまだ下半身が重い私は、インストラクターや他の参加者の方たちが自由自在に足を持ち上げている姿をとてもうらやましく思っている。そして、ホットヨガを始めてからというもの、人間の身体の美しさに魅せられている。子供の頃、百科事典に掲載されていた裸婦像の絵を見つけたとき、どうして裸の女性の絵なんか描くのだろうと不思議に思っていた。美しさよりも、裸婦像を描くときの様子を想像し、不謹慎なことを考えていたのだ。しかし、今ならその美しさが良くわかる。本当に、美しいものは美しい。だから、絵に描いて残しておきたいだろうし、写真にも収めておきたい。百科事典に掲載されているような裸婦像は、そのような理由で描かれたものなのだろう。ホットヨガを始めて、美術品が生み出された理由を想像できるようになろうとは思いもよらなかった。

 レッスンを終えたあと、今回のレッスンを担当してくださったインストラクターとしばらく受付で話をした。私は、彼女の久しぶりのレッスンがとても新鮮だったことを伝えた。
「インストラクターを担当されるレッスンのスケジュールは、いつ決まるんですか?」
と私が尋ねると、彼女は、
「直前にならないとわからないんですよ」
と答えた。すると、その会話を隣で聞いていた、ビギナーコースでお世話になったインストラクターが、すかさず突っ込みを入れた。
「二週間前から決まってるじゃないですかあ」
「あっ、そうだっけ? いつも直前にならないと、スケジュールを見ないから」
と、さきほどのインストラクターが言う。
「お二人で言ってることが全然違ってますねえ」
と私が突っ込みを入れると、レッスンを担当してくださったインストラクターは苦笑いしていた。

 直前にならなければ自分の担当するレッスンを確認しないということはつまり、どんなレッスンを担当することになったとしても、難なくこなせるということである。私は、
「ということは、逆に、どんなレッスンでも担当できるということですよね?」
と彼女に聞いてみた。すると、彼女はしばらく考えてから、
「そう、ですね」
と答えた。私は更に、
「ところで、皆さん、いつ練習されてるんですか?」
と尋ねてみた。すると、
「休館日があるじゃないですか。そのときにみんなで集まって練習してるんですよ」
と答えてくださった。
「へええ。皆さんが練習されている光景を見学してみたいものですね」
と私は言った。

 ホットヨガのインストラクターは、決められた時間の中で、決められたコースのレッスンを行うことになる。例えば、七十五分のアクティヴコースならば、七十五分という決められた時間枠の中で、アクティヴコースのために用意されたすべてのポーズが完結するように、頭の中に自分なりのシナリオを歓声させて実践するわけである。つまり、一回、一回のレッスンがインストラクター主役の舞台でもある。担当するレッスンを直前にならないと確認しないということは、どんなシナリオでもこなせるということであり、また、ホットヨガの定めるレッスンスケジュールに対して、常に受身でいられるということでもある。私がインストラクターなら、自分自身も楽しむために、レッスンを選り好みしてしまいそうだ。そう考えると、二週間前から提示されているというレッスンスケジュールを直前まで確認せずに、インストラクターをこなし続けている彼女の存在はとても大きいと改めて実感したのだった。 

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅くなり、申し訳ありません。ここのところ、深夜の更新が続いていたせいでしょうか。またしても睡魔に見舞われてしまいました。これまで私は、受身よりも能動的でいるほうがパワーもあって凄いと思っていたのですが、今回、改めて受身でいることの凄さを実感させられました。彼女の受身の姿勢を、私自身の仕事にも生かせるといいのですが。いや、仕事でなくても、何かを貫くときの信念にしたいと思います。

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2007.09.03

快適布ナプキン生活

 日曜日もホットヨガのレッスンを予約していたので、私はレッスンに出掛けるための準備を整えていた。ガンモは仕事の待機要員の当番に当たっていたため、客先で何かトラブルが発生しようものなら、すぐにスーツに着替えて出掛けて行かなければならなかった。そのため、土曜日のように、私と一緒に出掛けることはできなかった。

 今月もそろそろ生理がやって来るはずだったが、やって来そうでいて、なかなかやって来なかった。恥ずかしがっているのか、それともじらされているのかわからないが、どちらにしても、私はとてもじれったい気持ちでいっぱいだった。昔から、何かが始まりそうで始まらないという状況は、どうも落ち着かない。どっちつかずの状態では物事に集中することができないため、ついつい無駄に時間を過ごしてしまうことになる。

 生理がやって来ないと言っても、決して遅れているわけではない。前回が特別早かっただけのことだ。日曜日の朝、ガンモが私の体温を感じて、
「まるみの体温、高いなあ」
と言った。体温が高いということは、まだ生理が始まらないということだ。しかし、万が一のことを考えると、レッスンに持って行くズボンも、外を出歩くときのズボンも、考慮しておいたほうがいい。私は、濃い目の色のズボンを探してホットヨガ用のバッグに詰め込んだ。

 出掛ける直前にトイレに行くと、来るべきものが来ていた。
「ガンモ、お客さん、来たから」
と、私は寝室にいるガンモに向かって言った。何度も書いて来たが、「お客さん」とは、ガンまる用語で生理のことである。私がそう言うと、ガンモは必ず、
「いらっしゃい」
と言ってくれる。その「いらっしゃい」を聞きたくて、私はガンモにお客さんが来たことを報告するのだ。ガンモは今回も、
「いらっしゃい」
と言ってくれた。この儀式がないと、何なく生理が始まった気がしないのである。

 さて、今回も、私は布ナプキンだけでやり過ごそうと思っていた。まだ始まったばかりだったので、ホットヨガのレッスンはそれほど構えることなく終えることができた。レッスンを終えてスタジオをあとにした私は、快適な布ナプキン生活を送るために、ホットヨガと同じビル内にある百円ショップに足を運んだ。布ナプキンを使い始めて今回で三回目の生理を迎えるわけだが、職場で本格的に布ナプキンを使うのは初めてのことである。そこで、布ナプキンを職場に持参するのに都合のいいチャック付き手提げバッグを購入しようと思ったのだ。ご存知のように、百円ショップには、百円商品だけでなく、二百円商品、三百円商品と、少しグレードの高い商品が並んでいる。私はそれらの中から、七百円商品の小さなチャック付き手提げバッグを選出して購入した。トイレに持参するのに楽しくなるような手提げバッグが欲しかったのだが、私が見付けたそのバッグは、ポケットの多さといい、大きさといい、材質といい、色といい、申し分のないバッグだった。

 私はその手提げバッグに、ありったけの布ナプキンを詰め込んだ。手提げバッグに付いている小さなポケットには、同じく百円ショップで購入した「女性専用洗剤」を携帯用の霧吹きに詰め替えて忍ばせた。女性専用洗剤とは、血液やおりものの汚れを落とすために開発された洗剤らしい。私は、汚れた布ナプキンに女性専用洗剤を吹き付けておけば、血液が落ち易くなるだろうと考えたのである。

 月曜日に向けての準備は万全だったが、日曜日の夜、布団に入ったとき、「明日は自分のために仕事を休もう」と決めていた。というのも、横森理香さんの本に、「筋腫持ちの人は、生理のときは仕事を休む」と書かれていたからだ。生理の二日目と言うと、最も出血量の多いときである。派遣社員といえども、私には年間二十日間の有給休暇があった。社員で働いていた頃には、有給休暇の他に生理休暇もあり、有給休暇よりは保障率が少なかったものの(有給休暇が百パーセント保障なら、生理休暇は八十パーセント保障だった)、生理が重いときはしばしば利用したものだった。派遣社員には生理休暇はないので、有給休暇を使うしかないのである。こうして、私は生理二日目の月曜日に、仕事を休むことにしたのである。

 実際、仕事を休んで良かったと思ったのは、汚れた布ナプキンを素早く水道水で洗うことができたことだ。相変わらず、布ナプキンを洗う作業が楽しくてたまらない。百円ショップで購入した女性専用洗剤を付けて手洗いすると、布ナプキンに付着していた血液はすぐに取れる。職場のトイレでは、なかなかそうは行かないだろう。布ナプキンを洗っていると、先月出掛けたロンドン旅行を思い出す。思えば、先月の生理が、布ナプキンの本格的デビューだった。これからも毎回、布ナプキンを洗う度にロンドン旅行を思い出せるのだとしたら、とても素敵なことだ。

 しかし、先月もそうだったが、やはり早め早めに取り替え過ぎてしまい、布ナプキンのストックが危うく切れかけてしまった。そのため、少し生乾きの布ナプキンを使用する羽目になってしまった。そこで私は、再びオークションで布ナプキンを検索し、先月、お世話になった出品者の方から布ナプキンを追加購入した。以下に、私が購入させていただいた出品者の方をご紹介しよう。なお、以下にご紹介するどちらの方も、オークション以外にネットショップをお持ちである。

pfssk399さん
happy_napuさん

 周りの人たちにも、布ナプキンを使い始めたことを話してみたところ、ほとんどの人たちが驚いていた。派遣仲間に、
「タンポンを使っていた頃は、出血の量が多かったけど、布ナプキンにしてからぐっと減ったんだよ」
と言うと、
「へええ。これまでタンポン、使ってたんや」
と言われた。そうか、普通の人はタンポンを使わないのか。私はむしろ、そのことに驚いた。確かに、出血量がそれほど多くなければ、タンポンを使う必要ないのだろう。

 その派遣仲間に、
「布ナプキンを洗うのが楽しいから、職場のトイレでも洗いたいんだよね。ほら、オフィスってすごく乾燥してるでしょ。洗ったあと、自分の机の周りに干せないかなあ」
と言うと、彼女も私の話に乗って来て、
「そうやんなあ。布ナプキンなんて、男の人が見てもわからんやろうから、干しても大丈夫なんとちゃう?」
と言ってくれた。本当に、そんなことが実現できたら素敵なのに。オフィスの乾燥した空気に、少しでも潤いを与えられるし、何と言っても、使い終わった布ナプキンを洗って干せるのはありがたい。 

 別の派遣仲間から、布ナプキンを使っている派遣仲間がいると聞いた。
「○○ちゃんも布ナプキンを使っていたらしいけど、やっぱり手間がかかるのと、血液の汚れがなかなか取れないので、紙ナプキンに戻したらしいよ」
なるほど。毎回、汚れたものを洗うのが面倒臭いと思う人もいるようだ。私は、
「何で? 布ナプキンを手洗いすることは、とても楽しいのに」
と言ったが、その話を聞かせてくれたご本人が布ナプキンを使用されていないので、汚れた布ナプキンを洗う楽しさも、わずらさしさも理解できないようだった。

 血液の汚れがなかなか取れないという悩みに関しては、さきほどご紹介した百円ショップの女性専用洗剤を携帯用の霧吹きに入れておいて、使用後に吹き付けておくと効果がある。汚れた布ナプキンは、一番小さなサイズの衣類圧縮パックに詰め込んでいる。帰宅後、再び女性専用洗剤を使って簡単に手洗いしただけでほとんどの血液が取れるのだ。それから、手洗いした布ナプキンをネットに入れて、洗濯機で洗うと、血液の汚れはきれいに落ちている。また、私が購入している業者の方は、「アルカリウォッシュ」という製品を勧めてくださっている。前回購入時に「アルカリウォッシュ」のサンプルをいただいたのだが、こちらはまだ使用していない。

 私の場合、早め早めに布ナプキンを取り替え過ぎる傾向にあるので、布ナプキンのストックがすぐになくなってしまう問題点をクリアできれば、やはり布ナプキン生活はとても快適である。前回に引き続き、出血の量が少なくなっているのを実感している。

 私はガンモに、
「そうだ、いいこと思い付いた。あのね、職場でね、『布ナプキンがなくなりましたので、今日はお先に失礼します』と言って、仕事を上がるの」
と言った。つまり、どんなに忙しい職場であっても、仕事をするのは布ナプキンのストックがある間だけ。職場に持参している布ナプキンのストックがなくなってしまえば、その日の仕事はお開き。帰宅してもいい。働く女性にとって、そんな職場にならないだろうか。すると、ガンモは、
「それは甘い!」
と、ずいぶん辛口のことを言って、私を現実世界に引き戻してしまった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 税込み七百三十五円の手提げバッグに布ナプキンを忍ばせ、快適な生理週間を過ごしています。ただ、私の場合、以前ほど多くはありませんが、まだまだ血液の塊が出ています。これが出なくなれば、正常な皆さんに、もっと近づくことができるのでしょう。こういう話は、同じ女性同士であっても、なかなか口にはしないようですね。もしも私の書いていることが、皆さんのお役に立てば幸いです。

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2007.09.02

映画『誰も知らない』

 凄い映画を観た。以前から、この映画をご覧になった方のレビューを拝見し、題名だけは知っていた映画である。映画のレビューを書かれた方の衝撃があまりにも強そうだったので、私もDVDを借りて観てみることにした。

 この映画は、一九八八年に東京で実際に起こった巣鴨子供置き去り事件をベースに製作されているという。父親の違う四人の子供を持つ母親が子育てを放棄し、子供たちをアパートに残したまま、好きな男性の元へ走ってしまうというストーリーである。アパートに残された子供たちは、母親からの仕送りのお金で細々と生活をしている。ただ、映画の中で弟や妹たちの面倒をみている長男の明は、必ずしも実際の事件の長男のキャラクターとは一致しないそうだ。

 私は、この映画から、衝撃も含めて極めて多くのものを受け取った。まず、子供がたくさんいると、アパートでは入居を断られるケースもあるという事実に驚いた。犬や猫などのペットの飼育を禁止しているアパートやマンションが多いことは周知の事実だが、小さい子供の入居を禁止しているアパートがあることまでは良く知らなかった。物語は、一家が新しいアパートに引っ越して来るシーンから始まるのだが、どういうわけか、二つのスーツケースの中から子供たちが一人ずつ出て来る。いきなり、映画でそのようなシーンが映し出されても大丈夫なのだろうかと不安になってしまう。もしもこの映画を観た子供たちが真似をして、スーツケースの中で息ができなくなってしまったとしら、窒息死してしまうのではないか。そんな映像を観るだけでも冷や冷やものなのに、撮影中は安全だったのだろうか。しかし、そんな危険を冒してまでも、まるで荷物のように運ばれる子供たち。一体何事かと思えば、小さい子供の入居禁止というアパートの事情から逃れるために、小さい子供がいることを周りに隠しているのである。YOU演じる母けい子は、アパートの隣人にも、子供は一人だけだと言う。実際は四人なのに。スーツケースから出て来た二人の子供以外にも、明が駅まで長女を迎えに行き、こっそりアパートの中に招き入れる。それだけでも、何だか悲しい物語の始まりを予感させる。

 子供が四人もいることがわかってしまうと、アパートには居られなくなってしまうことから、けい子は明以外の子供たちに、「大きな音を立ててはいけない。大きな声を出して騒いではいけない。ベランダに出てはいけない」と厳しいルールを宣言する。育ち盛りで騒ぎたい子供たちにとって、それはとても窮屈なルールだったはずだ。しかし、そのアパートで一緒に暮らすためには守らなければならないルールだった。そう、ここには、少子化とは反対の問題が浮上しているのだ。子供を産んで育てていない私からすると、お子さんを四人も生んでくれてありがとうという気持ちになる。しかし、現実には、子供をたくさん抱えた、父親のいない母子家庭のアパート暮らしは想像以上に厳しい状況らしい。小さい子供が入居可能なアパートを探そうにも、家賃の問題もあるのだろう。

 驚いたことに、映画の中の子供たちは、誰一人として学校にも行っていない。現実の事件の説明に目を通してみると、出生届が提出されていないことがわかった。しかし、子供たちは学校に行きたがり、友達を欲しがっているのがわかる。家の外に出て行くことを許されない明以外の子供たちにとっては、家の中の世界がすべてだ。狭いアパートの中では、次男がゲームをしたり、けい子が仕事に出掛けている間に長女がせっせと洗濯をしたり、次女はお絵かきをしたりして過ごしている。しかし、少しだけ外の世界を知っている明。そして、外に働きに出掛けて、もっともっと外の世界を知っているけい子。次第に、外の世界を知っていることによる葛藤が描き出されて行く。

 一見、幸せそうに見えるけい子と子供たちだが、けい子に好きな男性ができたあたりから、子供たちの生活が一変してしまう。けい子がアパートに帰らなくなってしまうのだ。けい子が何ヶ月もアパートを不在にしている間、長男の明が弟たちの面倒をみていた。実にしっかりした長男である。お金はときどき、けい子から仕送りされていたようだが、家賃の支払いが停滞したり、電気代が払えないために、電気が止められたりもする。やがては、水道も止められていたのだろうか。そのため、公園で水を汲んだり、公園の水で洗濯をしたりして、何とか生活を続けて行く子供たち。時には、コンビニの期限切れの食べ物をもらって空腹をしのぐ姿もあった。

 長男の明に集中する人が多いかもしれないが、私が特に印象に残っているのは、ピアノが好きな長女の京子である。子供の頃に買ってもらったピアノをいつまでも弾き続けている。少しずつおしゃれをしたくなって来る年頃の京子は、けい子に塗ってもらったマニキュアが少しずつ剥がれて行く手の先を見守っている。洗濯をするから、家事をするから剥がれて行くのである。また、公園の遊具の上に妹が乗ったあと、遊具の上に付いた泥を手で払っている。その姿に、姉として、自分が妹の面倒をみなければ、という責任感が表れている。

 ああ、何だろう。この映画を観ていると、社会の制度だとか、ルールだとか、そんなものが一切関係なくなってしまう。生きるためなら、万引きしても仕方がないじゃないか。亡くなった子供を土に返してやるのもアリじゃないか。そう思えて来るのだ。周りにいる大人を責めるとか、そんな感覚さえも失ってしまう。ただ、彼らの生きようとする姿を純粋に応援したくなるのである。

 公開当時はミニシアター系の映画館で上映されていた映画らしく、台詞による細かいストーリーの説明はなく、観客に想像させるような映像展開となっている。先程も述べた通り、この映画で描かれているのは、外の世界と内の世界である。アパートの扉は、外の世界との境界。けい子は完全に外の世界に憧れ、内の世界を放棄して出て行った。外の世界と内の世界の狭間で揺れていたのは、自由に出歩くことのできる明だったのではないだろうか。一時、友達に恵まれた明。学校にも行っていなかった明にとって、その友達はとても貴重な存在だったはずだ。しかし、やがてその友達も、明を利用していただけだということがわかってしまう。更には、いじめにあっている女子中学生との出会いがある。おそらく、明は彼女に恋をしている。しかし、明は彼女と外の世界を作るのではなく、彼女を内の世界へと招き入れた。明の内の世界に入った女子中学生は、他の兄弟たちとも調和して行く。明の友達では実現できなかったことが、女子中学生には実現できた。それは、女子中学生が明を利用しようとしなかったからだ。彼女こそが、真の友達だ。なるほど、真の友達というのは、内と外を結ぶ役割を持っているのだ。真とは、片側だけではない、ということだ。プラスだけでも、マイナスだけでもないということだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m とても衝撃的な映画でありました。これは、社会の問題ではなく、個人の問題だと思いました。社会の問題として取り上げるとするならば、小さな子供の入居を拒否しない制度を作るということでしょうか。子供たちは、誰かに助けを求めることもできたのでしょうが、そうすることによって、四人ばらばらの生活を強いられてしまうという恐怖もあったようです。だから彼らは、警察にも駆け込まず、ごく一部の人たちにだけ助けを求め、細々と暮らしていたのでしょう。母けい子は、子供たちを内の世界に閉じ込めたまま、外の世界を選びました。しかし、自分の達成したいことが、自分の関わって行く人たちの達成したいことと矛盾している状況に陥ったとき、私たちはどちらを選択することになるのでしょう。自分の達成したいことと、自分の関わって行く人たちの達成したいことを天秤にかけて判断するのでしょうか。けい子は、天秤にかけた結果、外の世界を選ぶことにしたのでしょう。しかし、おそらくけい子の選択は、好きな男性と一緒に暮らしていたとしても八方塞だったのではないかと想像されます。何故なら、内の世界にいる子供たちと繋がっていないからです。いろいろな悲しい背景はありますが、映画を観ていると、それでも彼らは幸せだったのではないだろうかという気がしてなりません。だから、映画を観るときも完全に受身の姿勢で、ストーリーの展開を映画自身にゆだねることができました。そうそう、コンビニの店員さんに、映画『アルゼンチンババア』の主題歌を歌っていたタテタカコさんが出ていました。歌声を聴いたときは、ずいぶん不思議な歌い方をされる方だと思っていましたが、キャラクターも中性的でちょっぴり不思議ですね。(笑)

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2007.09.01

ホットヨガ(六十六回目)

 2の付かない脂肪燃焼コースのレッスンを受けたいと思いながら、私はホットヨガのホームページを開き、どの支店でレッスンを受けるのが最も都合が良いか、思案していた。ホットヨガは、支店によってレッスンスケジュールが異なっている。脂肪燃焼2のコースを開設しているほとんどの支店では、2の付かない脂肪燃焼コースも開設しているところが多かったのだが、三宮店のように、週末には2の付かない脂肪燃焼コースのレッスンが行われない支店もある。しかも、私の希望としては、できれば午前中から始まるレッスンに参加して、午後からの時間を自由に使いたかった。そこで候補に上がったのが、梅田店だったのである。私は、久しぶりに梅田店のレッスンを予約した。

 ガンモに、
「今度の土曜日は、梅田店でレッスンを受けるから」
と言うと、ガンモは、
「俺も休みだから、一緒に梅田に行こうか?」
と言った。ガンモの言う「一緒に梅田に行こうか?」は、男性会員を受け入れている梅田店で、一緒にホットヨガのレッスンを受けるという意味ではなく、梅田という場所に一緒に行くという意味だった。つまり、レッスンが終わったあとに、梅田でデートしようということである。私は何だかわくわくした。以前も、心斎橋店でレッスンを受けたときに、ガンモと一緒に出掛けて行って、レッスン後に落ち合った。ガンモが近くで待っていると思うと、私はとてもうれしくなるのだ。

 さて、着替えを済ませてスタジオに入った私は驚いた。何故なら、細長いスタジオに、たくさんのヨガマットが敷き詰められていたからだ。脂肪燃焼コースは、間違いなく人気のコースだった。前後の奥行きの少ない、細長いスタジオに、何と二十一枚ものヨガマットが敷き詰められていたのである。

 これまでにも梅田店のレッスンを受けたことは何度かあったものの、今回のような細長いスタジオではなく、別のスタジオでレッスンを受けることが多かった。既にスタジオ入りしている多くの人たちは、ヨガマットの上に仰向けになって休んでいる。私は、この光景が何かに似ていると思った。そうだ、フェリーの二等船室だ。二等船室では、ヨガマットほどの広さのマットの上に布団を敷いて寝る。隣の人との間隔の狭さと言い、仰向けになって寝ている人がいることと言い、フェリーの二等船室の光景にそっくりだった。船に乗ったら、混まないうちに大浴場に向かう私だが、今回は脂肪燃焼コースのレッスンなので、インストラクターが入って来るのを静かに待っていた。

 スタジオに入って来たインストラクターは、以前、アクティヴコースのレッスンを担当してくださった方だった。インストラクターに、
「脂肪燃焼コースのレッスンが、今日、初めての方、いらっしゃいますか?」
と聞かれ、私は手を挙げていいものかどうか、迷っていた。2の付く脂肪燃焼コースなら先日参加したばかりだが、2の付かない脂肪燃焼コースは今回が初めてだ。しかし、普通は2の付かない脂肪燃焼コースから入るのではないだろうか。私が手を挙げるべきかどうか迷っていると、別の方がさっと手を挙げたので、インストラクターはその方のほうを向きながら、脂肪燃焼コースの特徴について語り掛けた。そのとき、インストラクターが何を言ったか、私の心には残らなかった。少なくとも、お腹に意識を向けたレッスンではないことは確かだった。

 これまで梅田店で参加した七十五分のアクティヴコースのレッスンでは、男性会員は二名から、多いときで三名くらいいらっしゃることもあったのだが、今回のレッスンでは、男性会員は一人だけだった。どうやら、カップルで参加されているらしい。確か、以前のレッスンでもお見掛けしたことのある方たちだった。

 2の付かない脂肪燃焼コースのレッスンの内容だが、七十パーセントくらいは七十五分のアクティヴコースの延長にあるポーズだった。私は、太陽崇拝のポーズを期待していたのだが、2の付かない脂肪燃焼コースでは、太陽崇拝のポーズは行わなかった。私は、そのことにがっかりしてしまったのだ。自分なりに取りたいポーズがあったのに、そのポーズが取れないのは、コンサートに出掛けて行って、聞きたい曲を演奏してもらえなかったときのような、とても残念な気持ちになってしまったのである。

 また、インストラクターの導き方にも、少々がっかりしてしまった。ごく稀に、レッスンを受けていると、「この人はカリスマインストラクターだ!」と強く感じてしまうほどの魅力を備えたインストラクターに出会えることがある。そんなときは、インストラクターの魅力にグイグイ惹き付けられて、レッスンが楽しくなっている。三宮店で脂肪燃焼2コースのレッスンを担当してくださったインストラクターは、まさしくカリスマインストラクターだった。カリスマインストラクターがどのようにして誕生するかと言うと、レッスンを受けることに対して受身になっている私たちに対し、最も届き易い方法で語り掛けてくださるからだと思う。そのとき、お互いの開いている場所が見えている。だから、カリスマインストラクターは、私たちの開いている場所に向かって語りかけてくださる。そうすることによって、これまで開いていた場所が更に開く。やがて、開いているその場所は、インストラクターと私たちの接点になる。

 カリスマインストラクターは、私たちにわかり易い方法を提示してくれるだけでなく、時に大きな失敗をして、参加者の笑いを取る。その失敗のおかげで、私たちはインストラクターへの親しみが一層増すことになる。「災い転じて福となす」とは、こういうことを言うのかもしれない。私たちがインストラクターに強く惹き付けられるとき、私たちとインストラクターの間には、いつの間にか、接点を介した双方向のやり取りが成立しているのである。

 ところで、私は最近、髪の毛を伸ばし始めた。まだまだ短いながらも、髪の毛をゴムで一つに束ねている。私よりもずっと長い髪の毛の人は、お団子ヘアにされているため、結び目が頭のてっぺんにあり、レッスン中に仰向けになっても結び目が邪魔にならないようだ。しかし、私はお団子ヘアにはまだまだ長さが足りないので、レッスン中に仰向けになると、束ねた髪の結び目が頭に当たり、何となく心地が悪い。かと言って、髪の毛を解くと邪魔になってしまうので、少し困っている。髪の毛を切りたくなければ、もう少し伸びるまで我慢するしかないのだろう。今、お団子ヘアにされている方たちも、私のように短い時期を踏ん張って来られたはずだから。

 レッスンが終わる頃には、三宮店で受けた脂肪燃焼2コースのレッスンがひどく恋しくなっていた。あのとき、お腹に意識を向けた脂肪燃焼2のレッスンは、私にぴったりだと感じたはずだった。しかし、レッスンを受ける順番として、2の付かない脂肪燃焼コースを飛ばして2に進んでしまうことが、とても気がかりだったのだ。実際に2の付かない脂肪燃焼コースのレッスンを受けてみて、脂肪燃焼2のコースを受けたときほどうれしい気持ちにも、また、新鮮な気持ちにもなれなかったことは事実だった。

 ホットヨガに限らず、私がこれまで経験して来た様々な出来事の中で、「初めて」を経験するタイミングが他の人と異なったときに、お互いにその経験の感想を語り合うことが何度もあった。しかし、私が興奮を覚えるような体験をしているのに、他の人にとってはそれほど重要な経験ではなかったり、また、その逆のパターンのこともあった。同じような経験をしているはずなのに、あまりにも感想が違い過ぎるのは、お互いがもともと持っているものが違っていることに加え、「初めて」を導いてくれる人の力も大きいと私は思う。ホットヨガは、インストラクターによって、見せてくれる世界が大きく異なって来るのだと思った。

 レッスンを終えてシャワーを浴び、着替えを済ませた頃、ガンモから、
「腹、減った」
と電話が掛かって来た。どうやら、私がレッスンを終えるのを待ちくたびれているようである。私たちは合流して、お昼ご飯を一緒に食べた。仕事帰りに待ち合わせて帰宅するのもいいが、ホットヨガ帰りに待ち合わせて食事をするのもいいな、と思った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 念願の、2の付かない脂肪燃焼コースを体験して来ました。感想は、書かせていただいた通りですが、私が体験して来たことは、ブログの更新にも役に立つことだと思いました。つまり、独りよがりにはならないことを目指して行くという点において、です。(苦笑)そういう意味で、今回のレッスンは、とても勉強になりました。立場の違う人同士が共存するとき、お互いの接点を作らなければ、独りよがりになってしまうんですね。そして、接点を作るということは、「自分はここが開いている」と、まずは相手に示すことだと思いました。そうすると、相手はそこをめがけてやって来てくれるものなのですね。

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