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2007.08.14

映画『私たちの幸せな時間』

※我が家に停電があったようで、「ガンまるコム」サーバがしばらくダウンしていました。そのため、「ガンまるコム」サーバから引き込んでいる画像が表示されていませんでした。アクセスしてくださった皆さんに大変ご迷惑をお掛けしましたことをお詫び申し上げます。古いサーバなので、停電からの復旧時に自動立ち上げできるように設定できないのです。(^^; ところで、ロンドンの話はもう少し続くのですが、レビューを書きたくなるような映画を観て来ましたので、今日は久しぶりに映画のレビューをお届けしたいと思います。

 夏休みを終えて初めてのレディースデイ。他の人たちよりも一足先に夏休みを取った私は、世間がお盆休みだというのに出勤している。出勤しても、同じプロジェクトの人たちが誰もいないので、堂々と仕事を定時に上がることができる。だから、レディースデイの映画鑑賞にも気兼ねなく足を運ぶことができるのだ。

 先月末に『殯(もがり)の森』を観て以来、映画館で映画を観ていなかった私は、ちょっぴり映画に飢えていた。ロンドンを往復する間に飛行機の中で何本か映画を観たが、小さなスクリーンでは何となく物足りない。映画館で映画を観たい。だからと言って、映画なら何でもいいわけじゃない。できれば、まだ多くの人たちの目に触れていない映画がいい。

 私は、映画の上映スケジュールとにらめっこしながら、気になっているいくつかの映画の中から、待ち時間に無駄のない映画を選んだ。それがこの『私たちの幸せな時間』である。この映画は、『殯(もがり)の森』を観た映画館、つまり、ホットヨガ神戸店のすぐ隣にある映画館で上映されていた。

 この映画は韓国映画である。韓国映画には感動させられることが多い。記憶に新しいのは、去年観た『『グエムル -漢江の怪物-』』や、今年の初めに観た『夏物語』などである。特に『夏物語』は、映画館でぐじゅぐじゅに泣いた。果たして、この映画はどんな感動を与えてくれるのだろう。できる限り受身になって、シートに深く腰を埋める。

 映画が始まってしばらくしてから、映画の展開とはまったく関係のないところで涙が出て来た。突然、何か予感がしたのだ。それは、既にこの映画を観て大きな感動を味わった人たちと同じ道を辿るであろうという、ゾクゾクするような予感である。その道が見えて来るや否や、私は瞬く間に映画の世界に引き込まれて行った。

 簡単なあらすじを書いておくと、この映画は、自殺願望のある裕福な女性ユジュンと、殺人罪のために死刑が確定している死刑囚ユンスとの淡いラブストーリーである。物語の初期の段階から、ユジュンが何故、実の母親に反発しているかが手に取るようにわかってしまう。母親の愛情を強く欲しているのだ。母親が愛してくれないから自分も愛さない。そんな構図が見えて来る。自分の問題に精一杯の母親は、ユジュンに愛情を注ぐことよりも、世間体や自分自身のことばかり考えている。そうした環境において、居場所をなくしたユジュンが自ら死を選ぼうとする気持ちは、それとなく察することができる。一方、ユンスもまた、弟と共に施設で育ち、自分たちを見捨てるしかなかった母親の愛情を求めていた。

 裕福な家庭に生まれ育ったのに母親に愛されずに生きて来たユジュンと、実の母に見捨てられ、自ら施設を飛び出したあと、物乞いをしながら何とか生き抜くしかなかったユンスは、互いの境遇の違いから、最初は反発し合う。そうした反発が、客観的に観ている私たちには面白おかしく映っている。何故なら、そうした反発は、相手との間に壁を作ろうとする防御の反発ではなく、お互いをもっと良く知ろうとするためのひねくれる反発だということが手に取るようにわかるからだ。

 人間は、あまりにも深い傷を抱えてしまうと、
「一体、お前に俺の何がわかる?」
というモードで、他の人が自分の領域に土足で入り込んで来ないように、壁を作って防御してしまう。壁の隙間からそっと顔をのぞかせるのは、自分の痛みを理解してくれそうな相手に出会ったときだけだ。光の中にいる人が壁の向こう側にいる人に向かって、
「こっちへおいで」
と声を掛けるのは傲慢だ。しかし、ユジュンとユンスは、壁で閉ざされた闇の中でお互いの姿を確認することができた。同じ闇の中にいるなら、次第に目が慣れてくればお互いの姿を確認することができる。そうしたプロセスが、ユジュンとユンスの初期の交流の中に描かれている。

 刑務所にいるユンスに、毎週木曜日の午前十時から午後一時時まで、週に一回の約束で会いに行くユンス。その特別な面会は、もとはと言えば、ユジュンの伯母であるシスターと囚人たちの交流のために設けられたものだ。しかし、シスターの計らいで、ユンスとの面会はユジュンが担当することになる。その時間帯ならば、刑務官の立会いのもとで、同じ部屋の中で二人を隔てる柵のないテーブルに向かい合わせで面談することができるのだ。

 やがて、ユンスにとってユジュンが癒しの対象になっているだけでなく、ユジュンにとっても癒しの対象になっていることが、映画を観ている私たちにもわかるようになって来る。お互いが良い影響を与え合っている証拠に、出会ってからの二人はどんどん変わって行く。刑務所で明るくなったユンス。更には、母に対してずっと抱き続けていた怒りの感情を解放しようとするまでに変化したユジュン。それは、ユンスが死刑から逃れられるように願掛けする意味もあったかもしれないが、ユンスが殺したという家政婦の母親がユンスに面会にやって来て、ユンスを赦そうとしたことに影響を受けているのは間違いない。

 個人的に印象に残っているのは、ユジュンがポラロイドカメラを使って撮影した写真のプリントをユンスにプレゼントしたときに、ユンスが、
「これまでで一番のプレゼントだ」
と言ってひどく喜んだことだ。ユジュンが撮影に使っていたカメラは、確かSX-70というポラロイドカメラだ。カメラ好きの私としては、そのカメラが決して新しい時代のものではないことを知っている。ということは、ひょっとするとユジュンは写真を撮ることがとても好きな女性なのかもしれないと想像する。おそらくユジュンは、自分の好きなことの中から、ユンスにできることを探して実践した。そうだとすれば、自分の撮影した写真のプリントをユンスが大喜びしてくれたということは、ユジュンにとっても大きな喜びだったはずなのだ。自分の好きなことで人に喜んでもらえたのだから。

 反対に、プリントを受け取ったユンスからすれば、自分が好きになったかもしれない女性の視点で撮影した写真のプリントを受け取ったという貴重さもあるのだろう。誰かを好きになればなるほど、その人が見ているものをその人の視線で見てみたくなるものだ。写真のプリントは、容易にそれを実現する。刑務所の中にいる自分は、外の世界を体験することができない。その代わりに、ユジュンが外の世界をユジュンの視点で写真に映し出してプリントしてくれた。写真のプリントをプレゼントしてユンスが大喜びするシーンは、そうした心理を突いていると思う。

 ユンスは、受け取ったポラロイド写真の一枚に、「木曜日の午前十時から午後一時まで 私たちの幸せな時間」とペンで記す。ここで、「私たち」という言葉が使われていることに注目したい。複数の人をまとめて「私たち」と表現するとき、自分以外の人も自分と同じ気持ちであるという了解が必要な場合がある。しかしユンスは、ユジュンの了解もなく、「私たち」と記した。つまりユンスは、自分に面会に来てくれたユジュンもまた幸せな時間を過ごしているということに気が付いていたのである。

 ラストはもう、涙、涙だった。劇場内からもすすり泣きの声が聞こえていたし、私自身も泣かずにはいられなかった。これだけの重いテーマを扱っているのに、押し付けがない映画は珍しい。押し付けがないということはつまり、お涙頂戴の映画ではないということである。

 死刑の制度については、これまで私も「ガンまる日記」で反論して来た。この映画の中で素晴らしいと感じたのは、ユンスが殺した家政婦の母親とユンスを面会により引き合わせていることだ。そのことで、人を殺めてしまったことへの後悔と直結して、ユンスの魂の成長はスピードアップしたように私には感じられた。殺人を犯した場合、本当は刑務所に閉じ込めて服役することよりも、遺族に会わせることが一番の戒めになるのではないだろうか。しかし、実際に事件が起こると、加害者と被害者はお互い冷静になるために極端に遠ざけられる。それでは、魂の成長は加速しないと私は思う。そして、魂の成長が加速しないから、死刑という間接的な戒めの道を選ぶことになる。この映画には、死刑執行のボタンを押す仕事をしている人の苦悩も描かれている。法とは、人間らしさを押し殺してまでも守り通さなければならないことなのだろうか。そんなことを訴えかけてもいる。

 とにかく、いろいろな人たちとの関わり合いが見事に描かれた作品であった。人々が互いに連鎖し合いながら生きていることが手に取るようにわかる作品でもある。死刑について考えさせられると同時に、赦すということについても考えさせられる。死刑に反対するということは、同時に赦すことでもあるからだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 久しぶりに奥の深い作品を鑑賞しました。私が足を運んだ映画館には、明らかに二回目以降の鑑賞の方がいらっしゃって、私が状況を把握できずにまだ笑う準備が整っていないシーンで笑っていました。泣けるシーンもたくさんあります。子供時代のユンスが病気の弟を守ろうとするシーンなども、泣けて来ます。この物語にモデルとなった人物がいないのだとしたら、一からストーリーを組み立てた原作者は天才だと思います。ミニシアター系の映画館で上映されている作品のようですが、夏休み中に何か一本でも映画を観たいと思っている方がいらっしゃいましたら、是非ともお勧めしたい映画です。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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'07.08.16 『私たちの幸せな時間』@シネカノン 重そうなテーマながら気になってた映画。やっと見に行く。 「自殺未遂を繰り返す元歌手のユジョンは、叔母から頼まれて死刑囚のユンスに会う。お互い傷を抱える2人はやがて心を通わせ…」という話。韓国映画でこのタイ...... [続きを読む]

受信: 2007.08.19 23:41

» 『私たちの幸せな時間』 [京の昼寝〜♪]
□作品オフィシャルサイト 『私たちの幸せな時間』□監督 ソン・ヘソン□脚本 ジャン・ミンスク □キャスト カン・ドンウォン、イ・ナヨン、ユン・ヨジョン、カン・シンイル、ジョン・ヨンスク ■鑑賞日 7月15日(日)■劇場 109CINEMAS川崎■cyazの満足度 ★★★☆ (5★満点、☆は0.5) <感想> カン・ドンウォン、どんどん男臭くなってきている。 ちやほやされるところから脱皮した顔は優しいけど、骨太の役者になってきた。 互いに心に傷を持つ男と女が、少しずつ刑務所の中で話をする時間を積... [続きを読む]

受信: 2007.09.09 21:42

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