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2007.07.23

映画『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』

 何を隠そう、私たちは、ハリー・ポッターシリーズの全作品を劇場で観ている。もともと『ハリー・ポッター』にはまったのは、ガンモよりも私のほうが先で、原作を熱心に読んでいたところ、その熱がガンモにも感染したのだ。ただし、ガンモは原作を読まずに映画の鑑賞だけに留め、私自身も熱心に原作に目を通したのは、前作の途中までだった。今回の作品についても、原作は読んでいない。それでも、今回の作品が公開されたら絶対に劇場に観に行こうと、派遣会社の福利厚生で前売券を購入して楽しみにしていたのだった。

 私たちが今回の上映を楽しみにしていたのは、この映画の舞台の一部が、夏休みに出掛ける予定にしているロンドンであることに加え、イギリス映画ということで、イギリス英語に慣れておきたかったという背景がある。また、鉄道好きの私たちは、おそらくロンドンに出掛けたら足を運ぶであろう、ホグワーツ行きの列車が発着するキングス・クロス駅のホームの様子が映し出されることを期待していたのだった。

 実は、前作が公開されたときに、映画の作り方に少々がっかりしてしまった。当時書いた前作のレビューを掘り起こしてみると、以下のような辛口のコメントを書いている。

今回の作品には、これまでのファンに対する小さな裏切りがあるのだ。
その裏切りとは、例えば、
ハーマイオニーとロンがパーティーで一緒に踊らなかったということ。
ダンブルドア校長の威厳が欠如してしまっていること。
ヴォルデモードへの極端なまでの恐れが薄れてしまっていること。
ヴォルデモードがいとも簡単に復活してしまうこと。
死者が出てしまうということ。
そして何よりも、映画の中に「色気」が加わったこと。
これらの要素が複雑に絡み合い、
どうしても過去の作品の流れを汲んでいないと感じてしまった。

 前作がこのような印象だったので、映画を観る前から、今回の作品で『ハリー・ポッター』の本来の面白さを取り戻して欲しいと期待していた。実際、シリーズものを製作するのは難しいだろうと思う。観客を飽きさせてもいけないし、裏切ってもいけない。どちらのボーダーラインにも触れることなくストライクを狙うのは、かなりのプレッシャーを抱く作業だろう。

 ちなみに、今回の作品は、またまた映画監督が変わっている。前作と監督が違っていることは、わざわざ映画の情報を参照しなくても、本編が始まった途端にわかった。前作は、妙なところで立ち止まってしまう印象を受けたのだが、今回の作品は、こちらが立ち止まりたくなるような心地良さ良さを備えていた。何と言ったらいいのか、そこかしこに愛を感じる映画だった。

 まだ公開されたばかりなので、できる限り内容に触れるのはやめておくが、内容的にもとても惹き付けられるストーリーだった。ハリーを始めとする有志が集まってダンブルドア軍団を結成し、護衛術を学ぶシーンには心動かされるものがある。魔法学校の特別な部屋が開いて、ダンブルドア軍団に味方するアイディアもいい。

 そして何と言っても、個人的に書き留めておきたいのは、今回の作品の予告編から気になっていたシリウス・ブラックの存在だ。シリウス・ブラックを演じるゲイリー・オールドマンは、前作にも前々作にも出演されていたのだが、どういうわけか、私には存在が薄かった。しかし、今回は予告編から気になる役者さんに変わっていた。ミュージシャンを連想させるようなあの髪型、あの目、あの表情。どこかで見たことのある役者さんだと思っていたら、私の大好きな『シド・アンド・ナンシー』でセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスを演じていた俳優さんだったのだ。あの映画は本当に泣ける映画だった。泣けた映画なのに、公開から既に二十年以上も経ち、年も重ね、あの頃と髪型がまったく違っているので、気付かなかったようだ。『レオン』にも出演されていたようだが、何故かこちらは印象が薄い。今回の作品では、ハリーがシリウスを慕い、抱き合うシーンがいい。

 それにしても、今回の作品でもそうだが、やはり、登場人物たちの成長ぶりが気になる。子供たちはどんどん成長して行くものだ。彼らが役柄を演じるのも、そろそろ限界が来ているかもしれない。原作者で私と同い年のJ・K・ローリング女史も、これ以上、ハリー・ポッターシリーズは執筆しないと宣言されているらしい。それでも、これから映画化される予定の作品があとニ作品残っている。大急ぎで製作しないと、登場人物たちに髭が生えて来てしまうかもしれない。

 悪役が存在してこそ成り立つ物語がある。『スパイダーマン』シリーズも然り、『ハリー・ポッター』シリーズも然りだ。ヴォルデモードを取り巻く悪と、ハリーと対立する従兄弟家族やマルフォイ一家、そして、今回は魔法省から派遣された女性教師。登場人物がハリーを応援する人たちばかりではないからこそ、物語の面白さが際立って来る。ハリーにはすなわち、敵も多いが、友達も多いということだ。

 そんなハリーがヴォルデモードに対して使った言葉で、精神世界的に見て、気になる表現がある。それは、
「お前は愛を知らない」
という表現だ。同様の表現は、ヴォルデモードが何故ハリーを殺せないかという理由を説明するために、他の人たちの口から、これまでにも何度かハリーに間接的に届いていた。つまり、愛を知らないヴォルデモードにとって、亡くなった両親や友達からの深い愛に包まれているハリーは、まぶし過ぎて太刀打ちできないということらしい。

 しかし、私は疑問に思うのである。ハリーが本当に愛を知った人ならば、愛を知らないと思われる相手に対し、
「お前は愛を知らない」
という表現を使うだろうかと。本当に愛を知った人ならむしろ、相手の中の愛を引き出すような表現を使うのではないだろうか。愛を知らないのではなく、あなたは、自分の中にもあるはずの愛に気付いていないだけだと。

 ただ、ハリーがこの言葉を使ったのは、ヴォルデモードに殺されかけたときである。自分の身を守るための究極的な手段として、思わず口を突いて出て来てしまった表現なのかもしれない。

 ところで、イギリス英語を聞き取ろうと思って、登場人物たちの声に一生懸命耳を傾けていた私たちだが、残念ながら、聞き取ることができたのはほんのわずかの表現だけだった。やはり、ネイティヴの人たちの話すスピードは恐ろしく速い。しかし、実際にコミュニケーションを取ろうと思えば、何とかなるのではないだろうか。そんな淡い期待で自分たちの英語力のなさを慰めながら、劇場をあとにしたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ココログメンテナンスのため、更新が遅くなり、申し訳ありません。それから、それから、誕生日にお祝いメッセージをどうもありがとうございました。信じられないことですが、いつの間にか四十二歳になってしまいました。三十二歳の間違いではないだろうかと、自分では思っています。自分の成長具合を棚に上げて、ハリーたちの成長具合を気にしている場合ではなかったですね。(^^;

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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