« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »

2007年7月

2007.07.31

多彩な演出効果

幸せな共同作業の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私が「ガンまる日記」で伝えて行きたいことをふんだんに盛り込ませていただいた記事になりました。実際、この手の記事は、第三者にはなかなか伝わりにくいのです。おそらく、自分自身の体験している愛、または、理想とする愛と照らし合わせるからだと思います。私自身の苦い経験から、自分の理想とする愛と違うからと言って、誰かの体験している愛を否定するようなことはできるだけしたくないと思いました。人にはそれぞれ、生まれ持った役割があるのだと思います。その役割は、第三者にとって常に好ましい役割とは限りません。人を許容するということは、その人の役割を認めるということなんでしょうね。

 人生をドラマに例えてみると、今回のロンドン行きに関しては、多彩な演出効果が盛り込まることになった。まずは、ツアーではなく、個人旅行という選択をしたことから始まる。何故、個人旅行にしたかと言うと、ガンモが直行便の移動を望んだからだ。初期の段階において、検討していた格安ツアーのほとんどは、アジア系の乗り継ぎ便を利用するツアーだった。直行便を利用する格安ツアーも一つだけ見つけたのだが、直行便は一ヶ月前にならければ予約が確定しないと、その旅行会社の担当者に言われたのだ。しかも、その担当者は、こんなことを言った。
「直行便よりも割高になりますが、ひとまず別の航空会社(乗り継ぎ便)で予約を入れておいて、一ヶ月前に直行便のご予約を致しますので、直行便の予約が取れればそちらに切り替えるということでいかがでしょうか?」
これを聞いた私たちは激怒した。ということは、直行便の予約が取れない場合、通常ならば直行便よりも割安な乗り継ぎ便に対し、追加料金を支払うことになるのだろうか。通常の考えならば、逆だろう。そんな馬鹿は話はない。しかし、直行便のツアーを企画している旅行会社にとっては、乗り継ぎ便を予約することのほうがイリーガルな処理に相当するので、追加料金とは、その分の手数料ということなのだろう。私たちは、それならば自分たちで直行便を押さえて個人旅行に切り替えようと決断したのである。それからガンモは、PEX航空券を予約し、日本の業者を介してインターネットでロンドンのホテルを予約した。誤算の記事でも少し触れたが、それらの代金は、夏休みがBパターンに決定する以前にクレジットカードによる決済が確定していた。

 結局、私はめでたくAパターンで夏休みを取得できることになった。しかも、私と同じようにAパターンで夏休みを取得する一部の社員の方たちが、Bパターンの夏休み中に出勤されることがわかり、私も便乗して出勤できることになった。本来、派遣社員は、同じプロジェクトの社員が出勤していないと出勤できない立場にあるのだが、Aパターンも休んだ上にBパターンまで休んでしまうと、仕事に遅れが出てしまうことから、上司のまた上司を始め、部長も含めてずいぶん考慮してくださったらしい。

 そんな時、に書いた出来事が起こった。一時はいくつものエネルギーが分散し、この出来事に関わる人たちがひどく心を痛め、ロンドンどころではない状況にも陥ったのだが、現在は、かつてのように流動的な状況ではなくなり、ようやく一つの方向に向かっている。この出来事は、私の人生で最も心を痛める出来事だった。起こってしまった出来事はもう消えないが、この出来事が起こったからこそ見えて来たこと、受け取ったこと、発揮できたこと、表現できたことがたくさんあった。だから、この経験に心を込めてありがとうと言いたい。

 更に、ブレア首相が退任されて、新しくブラウン首相が就任された直後に、ロンドンでアジア系の人物による自爆テロが起こった。しばらくの間、ロンドンでは厳戒体制が敷かれていたようだが、今ではそれも少し緩められた。日本人は比較的安全な人種だと見られているならば、ここに来て、ガンモの意向で直行便を選択したことが生きて来る。しかし、入国審査が厳しいことにはは変わりがないだろう。個人旅行の場合、入国審査では旅行の行程表の提示を求められるらしい。どこのホテルに何泊するのか。また、どこを観光するのか。帰国はいつなのか。入国審査で提示する行程表は、ガンモが一生懸命作ってくれた。

 ポンドの高騰も演出効果の一つだった。私たちは、日本円をいつポンドに換金するべきか、そのタイミングを見計る毎日だった。確か、私たちがロンドン行きを決めた頃は、まだ1ポンド二百四十円未満だったと思う。その頃に換金しておけば良かったのに、運が良いのか悪いのか、私たちは一番高いときに換金してしまったらしい。ガンモは、最近のレートを見て、
「二千五百円くらい損した」
と嘆いている。しかし、考え方によっては、現地でクレジットカードを使用することへのリスクが軽減されたとも言える。今でもポンドがどんどん高騰しているような状況であれば、クレジットカードの支払日には更に高騰しているかもしれない。それはそれで、かなりの冷や冷やものだ。

 それだけの演出効果で十分なはずなのに、私たちの旅行の演出家は、まだ物足りないようだった。出発日までのカウントダウンが既に始まっているというのに、ガンモの担当している客先で大きなトラブルが発生してしまったのだ。そのとき、私はガンモと一緒に帰宅しようと思い、ガンモに一生懸命電話を掛けていた。しかし、呼び出し音は鳴るものの、何度掛けてもガンモに電話が繋がらない。一体何が起こっているのかと思い、更に何度も電話を掛け続ける。ようやくガンモが電話に出たと思ったら、電話の向こうでガンモが恐縮しながらお客さんに謝っている声が聞こえて来た。どうやら、お客さんに電話でトラブルの状況について伝えているらしい。それは、いつになく緊張しているガンモの声だった。かなり大きなトラブルらしく、そのあと、ようやくガンモと電話で話ができたのだが、
「今夜は帰れないかもしれない」
などと言った。結局、ガンモはその夜、午前一時過ぎに帰宅し、次の日も朝五時に起きて勇ましく出掛けて行った。そして、何とかトラブルを解決させて、お客さんにも無事にトラブル解決の報告が終わったそうだ。とにかく、一件落着である。

 これらの出来事は、私たちに、「ロンドン行きは見送ったほうがいい」という警告なのだろうかと考えることもあった。しかし、私たちは計画を変えなかった。

 これらの状況をクリアして来た私たちに、最後に、とっておきの演出が用意されていた。それは、台風五号の接近だ。まるで障害物競走のように、いろいろな課題を何とかクリアしてここまで来たというのに、私たちの旅行の演出家はまだまだ演出し足りないらしい。台風の進路を見ていると、どう見てもまっすぐ進んでいるとしか思えないのに、予報では、途中からくにゅっと曲がると言っている。台風が海の上を走るのと、陸の上を走るのとでは動きが違うらしい。海外旅行に慣れているガンモの職場の後輩が、台風情報を知ってガンモにこう言ったそうだ。
「国際線は、多少のことでは欠航にはならないですよ。でも、外国の航空会社の飛行機なら少々無理をしてでも飛ぶと思いますが、日本の航空会社はどうでしょう」

 台風は、これからどんなスピードでどこへ抜けて行くのだろう。とにかく、台風情報から目が離せない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ロンドンにロングステイしたいと言う友人に、ロンドンには通常のホテル滞在の他に、キッチンも付いたアパートメントホテルもたくさんあることを話すと、
「キッチン付きは、調味料が無駄になる」
という答えが返って来ました。私は彼女の答えを聞いて、「無駄になる」という意味がわからずに、しばらく考え込んでしまいました。これは、現地で調味料を調達して、余った分は現地に捨てて帰るということなのでしょうか。私の発想では、「調味料も日本から持って行って、余れば持って帰る」なのですが、そんな考えでいるから、荷物がどんどん増えているのでしょうか。去年、ガンモと二人でハワイに出掛けたとき、ABCマートで売られていた、わずか九十九セントのゴザを持ち帰った私たちです。(^^; ガンモがブログで交流している人が、同じゴザを先に持ち帰ったので、ガンモは同じことをして報告したかったみたいですが、わざわざ真似なくても、私たちなら最初から持ち帰ったことでしょう。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.30

幸せな共同作業

ホットヨガ(六十二回目)の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 楽しんでくださったようで、何よりです。(^^) バレエヨガのインストラクターがレッスン中に言っていたことで、一つ書き忘れていたことがありました。それは、お腹に力が入らない人は、肩に力が入りやすいということでした。私は、見事に当てはまっていました。(^^; お腹に力を入れるのって、私には大変ことなんです。やはり、第二チャクラが弱いということなのでしょうか。

 翌日の日曜日は、ガンモも私も仕事が休みだったので、二人揃って自宅で休日を過ごすことになった。そろそろ、夏休みのロンドン行きが目前に迫っている。ガンモは前日のうちに旅行の準備を整えたようだが、私はまだ何も準備していなかったので、手帳にリストアップしているものを次々にスーツケースに詰め込んだ。

 少し前に起こったテロ事件の影響で、通常よりも荷物チェックが厳しくなっていることだろう。私は、ロンドンに持参する怪しいものをピックアップし、手書きで一つずつ英語名を書いたラベルを貼って行った。怪しいものとは、例えば、お灸(Moxa Cautery)、毒だしホットジュースの材料であるしょうが(Ginger)、レモン果汁(Lemon Juice)、オリゴ糖(Oligosaccharide)などである。そうそう、白い粉も持って行く。洗剤だ。いつもならば、チャックの付いた透明の小分け用ビニール袋に、一回分の洗剤ごとに分けて持って行くのだが、さすがにそれでは怪しいので、ボトルガムの飽きケースの中に詰め込んで、使い古しの洗剤用スプーンも添えた。ロンドンには七泊するので、選択必須ではないが、洗濯は必須なのだ。着替えは四日分、持参する。日本と比べて最高気温が十度も低いので、半袖のほか、長袖のシャツも持って行く。これがひどくかさばる。そこで、百円ショップで大量に購入した衣類圧縮パックが大活躍している。また、早ければ、帰国前に次の生理が来てしまうので、布ナプキンも欠かせない。あれもこれも詰め込んでいるうちに、私のスーツケースは、出掛ける前からパンパンに膨らんでしまった。これではお土産が入らないかもしれない。ガンモは、私のスーツケースの中身を見て、
「荷物、減らせー。俺なんか、半分も入ってないから」
と言った。そうか、私のスーツケースにお土産が入らなくても、まだ半分も空いているガンモのスーツケースにはお土産が入る。私はそう思い、ひとまずスーツケースの蓋を閉じた。

 汗だくになりながらスーツケースに荷物をどんどん詰めて行ったので、疲れを感じた私は、しばらく休憩を取った。やがて充電が完了すると、再び準備を始めたわけだが、今度は街を歩き回るときに必要なショルダーバッグを探し始めた。私たちには、お揃いで買ったお気に入りのショルダーバッグがある。去年、ガンモが会社からハワイ旅行をプレゼントしてもらったときに、ガンモが先に自分のショルダーバッグだけを買って来た。ガンモがそのショルダーバッグをさも大事そうに使っていたので、ガンモのそんな様子を見ているうちに、私もそのショルダーバッグが欲しくなってしまった。そこで、夏休みにガンモと二人でハワイに出掛けて行く前に、ガンモと色違いのものを、同じ店で探して買った。ところが、そんなお気に入りのショルダーバッグが、我が家の大量の荷物の中に埋もれてなかなか発見できないのだ。私は、ガンモも巻き込んで、消えたショルダーバッグを探し始めた。二人とも汗だくになりながら、荷物の中をひっくり返したのだが、どうしても見つからなかった。一体どこへ消えてしまったのだろう。
「これだけ探したのに見つからない。もう諦めようか」
と弱音を吐くガンモに、私は、
「いやだ。ガンモとお揃いのショルダーバッグがいい!」
と言ってだだをこねた。

 ついにガンモは、別の部屋から我が家のルーフバルコニーに出て、ルーフバルコニーから寝室の窓を開けて、室内からは手の届かない荷物の山を探し始めた。我が家の荷物が増えてしまってからは、ルーフバルコニーにたどり着けない状態が続いていた。ルーフバルコニー付きのマンションに住んでいるというのに、せっかくのルーフバルコニーをほとんど活用できていなかったのである。ガンモは、ルーフバルコニーに置いてある物置を開けて、私たちの古い写真を見つけたらしい。
「二人とも、とてもかわいい時期があったんだなあ」
などと感慨にふけっていた。私も久しぶりにルーフバルコニーに出てみたかったが、何しろたくさんの荷物が邪魔をして、道が険しいので諦めた。かつては、ルーフバルコニーで植物を栽培したり、テントを張って寝転んだり、子供用のビニールプールを広げて水を張り、水着になって水浴びをしたこともあったはずなのに。

 ルーフバルコニーに続く窓を開けると、心地良い風が寝室に吹き込んで来た。ガンモは、ルーフバルコニーに置いてあるベンチに腰を下ろし、しばらく風に吹かれていた。
「ああ、気持ちいい! やっぱり、ルーフバルコニーを活用しなきゃ、駄目だね」
とガンモは言った。

 実は、私もそう思い、派遣の健康保険組合でポイントを貯めてもらったヨガマットを、ルーフバルコニーに持ち出して活用しようと思っていた。しかし、ルーフバルコニーへの道は近くて遠い上に、なかなか自宅でゆったりと過ごす時間を持つことができない。ガンモがルーフバルコニーで涼しい風に吹かれているのを見ると、ルーフバルコニーに置いたテーブルと椅子を使って「ガンまる日記」を書きたいなどと思うのだった。

 ガンモはやがて、散らかっていたルーフバルコニーを整理し始めた。ルーフバルコニーにしばらく足を踏み入れていなかったので、劣化してしまったものが多かったのだ。私は、台所からゴミ袋を数枚持参して、寝室の窓を通じてルーフバルコニーにいるガンモの手の届く場所に置いた。そして、ガンモがルーフバルコニーで集めたゴミを私が寝室で受け取り、寝室の入口に次々に積み上げて行った。ガンモが集めたゴミは、ゴミ袋にして四袋はあっただろうか。私たちは、再び汗だくになりながら、せっせせっせと共同作業を繰り返していた。その共同作業は、何とも言えない幸せを感じるものだった。家のことに一生懸命、時間を費やしているという幸せだろうか。夫婦共働きで出掛けることの多い私たちにとって、家のことに費やす時間は他の人よりも格別に少ない。しかし、それが私たちのライフスタイルでもある。私がガンモとお揃いのショルダーバッグをどこかへやってしまったことで、こうして二人で幸せな共同作業を進めることができた。単にゴミを片付けたり、荷物の山の中からショルダーバッグを探すだけの作業なのに、作業の途中で懐かしいものを発見して二人でしばらく見入ったり、なくしたと思っていた駐車場の鍵が見つかったりと、とても有意義な時間を過ごすことができたのである。

 結局、ガンモとお揃いのショルダーバッグは、今も出て来ないままだ。これだけ探しても見つからないので、とても残念なことではあるのだが、私は別のショルダーバッグを買うことにした。きっと、忘れた頃にひょっこり出て来るのだろう。ショルダーバッグは見つからなくても、ショルダーバッグを探すために二人で幸せな共同作業をしたこと。私たちにとっては、そちらのほうが大切なことだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m とにかく、汗だくになりながら、一生懸命、二人で探し回っていました。これほど探し回るくらいなら、日頃から整理整頓を心掛けておけば時間も短縮できるのにと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、それでは、私たちが過ごした幸せな共同作業の時間が意味を持たなくなってしまいます。私たちにとっては、こうした共同作業を厭うことなく、荷物の山を掘り起こして行くことも楽しみの一つなのです。どろんこになっても顔は笑っているお子さんを想像してください。お子さんの表情に満面の笑顔があれば、「泥んこになって汚いわねえ」なんて言ってられないと思いませんか?

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.29

ホットヨガ(六十二回目)

映画『殯(もがり)の森』の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 全国的に見ると、まだまだ公開されていない地域も多いようですね。ミニシアター系の映画は全国一斉ロードショーではなく、公開時期が少しずつ異なっていたりするので、公式サイトなどで皆さんの地域の上映スケジュールをご確認くださいませ。(^^)

 映画『殯(もがり)の森』を観たあと、映画館と同じ建物の地下で昼食を取った。私はかつて、たくさんのテーブルと椅子が並べられたその場所で、手作りのお弁当を広げて食べたことがある。しかし、最近は、お弁当が傷み易くなってしまったので、出掛けるときは外食に頼るようになってしまった。外食への気の緩みには、なかなか油断ができないところではあるのだが、私の体重は、食べると少し増えてしまう傾向にはあるものの、その翌日には増えた分を効率良く燃焼させているのか、朝起きて体重を計ってみると、いつの間にか元の体重に戻っているのだった。

 昼食を取ったあと、私はガンモに電話を掛けた。今回の舞台挨拶に、ガンモも誘ったのだが、ガンモはせっかくの休日なので、早起きせずに自宅でのんびり過ごしたいようだった。私はそのあと、ホットヨガのレッスンを控えていたので、ガンモを自宅に残して出掛けて来たのである。私はその場で前々日の「ガンまる日記」を書き上げた。それから、少し買い物をしたあと、さきほどの映画館のすぐ隣にあるホットヨガの神戸店でレッスンを受けた。ホットヨガのスタジオのすぐ隣にある映画館で映画を観たのだから、ホットヨガのレッスンを避けて通るわけには行かないだろう。それに今回は、神戸店の開店二周年記念として、特別レッスンが行われることになっていた。特別レッスンは、映画『殯(もがり)の森』を観た土曜日と翌日の日曜日に連続して行われ、サーキットヨガ、バレエヨガ、インストラクターが一人一人のポーズを改めてくれるアジャストコース、九十分のアクティヴコースなど、普段の神戸店にはないレッスンがたくさん設けられていたのである。

 私は、二回目の三十回回数券の最後の一回を、特別レッスンに当てることにした。通常のレッスンならば、Webで予約が可能なのだが、特別レッスンはWeb予約システムに対応していないのか、神戸店に電話を掛けて予約する必要があった。私は気合を入れて、受付開始日の受付開始時間に電話を掛けて、心斎橋店で受け損ねたクラシックバレエとヨガの融合が実現されたバレエヨガのレッスンを申し込んだ。今月の半ばに心斎橋店でバレエヨガの特別レッスンが開設されたのだが、心斎橋店に問い合わせてみると、申し込み多数で既にキャンセル待ちの状態だったのだ。その後、三宮店でもバレエヨガの特別レッスンが開設されたが、こちらは都合が悪くて参加できなかった。そして、とうとう我らが神戸店でもバレエヨガのレッスンが開設された。もう、参加しない手はないだろう。心斎橋店にも振られ、三宮店にも振られた私は、この日が来るのをずっと楽しみにしていたのだ。

 前回のレッスンでは、のんびり構え過ぎて遅刻しそうになってしまったので、今回はできる限り早めにスタジオ入りするようにした。着替えを済ませてスタジオに入ってみると、インストラクターのすぐ前のヨガマットが空いていたので、大胆にもその場所を確保した。ちょうど、鏡の割れ目に当たるヨガマットだったので、参加者からは敬遠されていたようである。スタジオ内を見渡すと、憧れのフリーパス会員のあの方もいらっしゃった。

 レッスン開始の少し前に、顔馴染みのインストラクターが入って来た。いつもとは違うウェアを着ている。あとでわかったことだが、彼女は二日間の特別レッスンに対応するために、土曜日は四レッスン、日曜日は三レッスンもスタジオに入ってインストラクター、あるいはサブインストラクターを務めていたのだそうだ。おそらくだが、彼女がいつもとは違うウェアを着ていたのは、一日に何度もスタジオに入るので、着替えが足りなくなっていたのではないだろうか。

 私は、彼女がインストラクターを担当してくださるものとばかり思い込んでいたのだが、どうやらそうではないらしい。
「私はバレエができないので、今回は別の者が担当します。間もなくインストラクターが参りますので、もう少しお待ちください」
と彼女は言った。

 それから間もなくして、スタジオの入口からインストラクターが入って来たとき、私は驚いた。驚いたというよりも、目が点になってしまったと言っても過言ではない。何故なら、スタジオに入って来たのは、先週、京都御所で行われた野外ヨガでお世話になった京都四条通店のインストラクターだったからだ。予想外の出来事に驚いた私は、
「ええっ? ええっ?」
と繰り返し、声を挙げていた。

 バレエヨガのインストラクターは、真ん中のヨガマットまで歩いて来て、すぐ目の前にいる私に反応してくださった。
「今日はバレエヨガのレッスンをするために京都からはるばるやって来ました。どうぞよろしくお願いします」
まさかの展開に私は動揺していた。神戸店のスタジオに、京都四条通店のインストラクターがやって来るとは思ってもいなかった。だいたい、京都から神戸までは二時間近く掛かってしまうだろう。そのとき私は悟ったのだ。バレエヨガは、バレエの基本が出来上がっているインストラクターでないと、対応できないということを。

 バレエヨガは、通常のホットヨガよりもほんの少し低めの室温で行われた。足の伸ばし方、手の動き、跳ね方、どれを取ってみてもとても新鮮だった。手は、あたかも大きなボールを抱えているかのようにしなやかに動かす。女性は着物を着ると、自然に女性らしい動きになると言われているが、バレエもまた、バレエを踊っているという意識を持つことで、手足の動きが自然にしなやかになるのかもしれない。

 京都御所で行われた野外ヨガのときも感じたが、今回、バレエヨガを担当してくださった京都四条通店のインストラクターは、人を強く惹き付ける力を持っている方だ。話をするときに、彼女のハートが分散していないのが良くわかる。彼女の言葉は常に真実を伝えている。あとで聞いたことだが、彼女は、ヨガをしているときは眉間に最も力が入るとおっしゃっていた。私は、気持ちを集中させているために眉間に力が入るのではなかろうかと勝手に想像した。力が入っているときの彼女の眉間は、熱でも持っていそうな気がした。

 おそらく、ほとんどの参加者が、初めてバレエヨガを体験されたのではないだろうか。上手に取れないポーズもあって、互いに笑い合ったりと、スタジオ内はいつになく穏やかな雰囲気が漂っていた。ヨガは一人の世界を作り上げるポーズだが、バレエは人に見せるポーズである。そうした相反するエネルギーで、陰陽のバランスが成り立っているようにも思えた。

 六十分間のレッスンは、あっという間に終わってしまった。最後に、時間に余裕のある人だけという前置きで、バレエヨガのインストラクターを囲んで放射線状に並んで集まった。インストラクターが、今回のバレエヨガの感想を聞いておきたいと言うのだ。私は、ホットヨガのレッスンに通い始めて以来の出来事に心が躍った。一部の人たちは、早めにシャワーを浴びるためにスタジオの外に出て行ってしまったが、十数名の参加者がスタジオに残り、一言ずつ感想を述べて行った。一緒にレッスンを受けていた人たちの表情を見守っていると、楽しかったとコメントした人は、コメントを口にする前から、楽しさが顔からこぼれていた。ほとんどの人たちが、私と同じようにバレエヨガに刺激を受けて楽しんだようである。

 スタジオを出て行くとき、バレエヨガのインストラクターに、神戸まで遠路はるばる来てくださったことへのお礼を言った。神戸店の馴染みのインストラクターにも、先週、京都御所で行われた野外ヨガに参加したことを話した。すると、バレエヨガのインストラクターが再び、
「十月にも野外ヨガをやりますので、来てください」
と言ってくださった。
「はい、行きますとも。あなたにお会いしとうございます」
とは言えなかったが、
「もちろん、行きます」
と答えてロッカールームへと向かった。

 シャワーを浴びて着替えを済ませると、いよいよ次回の回数券を購入するときがやって来た。私は、次回も三十回回数券を購入した。現在、ちょうどキャンペーン中で、回数券の回数に応じて、通常の回数券におまけの回数券が付いていた。例えば、三十回回数券だとプラス二回分のおまけが付いていた。これは、ちょっとお得である。

 回数券の購入時に、顔馴染みのインストラクターが、
「まるみさん(実際に呼ばれたのは私の苗字)、顔がずいぶん、シュッとされましたね」
と言ってくださった。」シュッと」という表現は、ウルトラマンを意味する言葉ではなくて、おそらくだが、痩せて、顔が締まって来たということなのだろう。周りの人たちは、ほとんど誰も気がついてくれないので、この言葉はとてもうれしかった。私は、次回のレッスンの予約を入れると、スタジオをあとにし、ガンモの待つ我が家へと急いだのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 京都四条通店のインストラクターがスタジオに入って来たときは本当に驚きました。彼女は、人をグイグイ惹き付けるようなインストラクターなのです。また彼女のレッスンを受けたいですね。レッスン後に放射線状に集まり、レッスンの感想を直接インストラクターに伝えることができたのは、とても良い経験になりました。インストラクターと参加者、そして参加者同士。普段、無機質なやりとりしか成り立っていないだけに、他の会員の皆さんの表情をじっくり眺めることができたことは、大きな喜びだったのです。皆さん、本当にうれしそうな表情をされていたので、感情は、表情にくっきりと表れるものだと実感しました。インストラクターには、「筋肉痛になりますよ」と言われていたのですが、私の身体は鈍いのか、筋肉痛はまだやって来ていません。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2007.07.28

映画『殯(もがり)の森』と舞台挨拶

 早起きをして出掛けようと思っていたのは、ホットヨガ神戸店のすぐ隣にあるシネ・カノン神戸で初回上映前に行われる映画『殯(もがり)の森』の舞台挨拶だ。この映画は、二〇〇七年度カンヌ国際映画祭グランプリ(審査員特別賞)を受賞した名誉ある作品である。舞台挨拶には、河瀬直美監督と主演のうだしげきさんが来られることになっていた。私は、シネ・カノン神戸で映画を観る度に、『殯(もがり)の森』の予告編を目にして、公開されたら絶対に観に来ようと心に決めていたのだった。そして、どうせ観るなら、上映初日の舞台挨拶の回を観たい。そう思っていたのだ。

 舞台挨拶は十時からの予定だったが、映画館としては九時から受付を始めるという。前日の夜、プロジェクトの飲み会のために帰りが遅かったので、少々睡眠不足ではあったが、私はできる限り早めに家を出ようと思い、六時半に目覚ましをセットして起き出した。しかし、前夜のお酒がまだ完全には抜け切っていなかったことと、睡眠不足のせいでのろのろと支度を始めてしまい、結局、家を出たのは八時過ぎだった。

 ところが、最寄駅に着いてみると、人身事故の影響で電車が遅れていた。人の命がかかっている出来事に対して申し訳ないが、最低でも、九時からの受付には間に合うように出掛けて行きたいと思っていたのに、シネ・カノン神戸に着いたときには既に九時半を回っていたのである。こんなに遅くなってしまっては、もはや舞台挨拶の回には入場できないのではないか。そんな不安が脳裏をよぎったが、受付で入場券を求めると、「本日の舞台挨拶は既に満員です」とも何とも言われなかった。「良かった、まだ入場できる!」私はそう思い、案内されたスクリーンへと急いだ。

 私は、シネ・カノン神戸の会員なので、これまでにも何度かこの映画館を訪れている。会員になれば、一回千二百円で映画を観られるからだ。いやいや、ここでそんなことを話したいわけではない。比較的マイナーな映画を上映しているシネ・カノン神戸は、ミニシアター系の映画館と言ってしまってもいいだろう。だから、メジャーな映画が上映されて、いつもたくさんの人たちで賑わっているような映画館ではない。しかし、今回はいつになく混雑していた。やはり、二〇〇七年度カンヌ国際映画祭グランプリ(審査員特別賞)を受賞した作品の舞台挨拶ということで、注目度が高いのだろう。ただ、若い人たちよりも、とりわけ、ご年配の方たちの参加が目立っていた。そして、舞台挨拶直前の十時前になると、ほとんど満席と言ってしまってもいいほど、座席は埋め尽くされたのである。

 十時になると、司会の男性が入って来た。司会の男性が簡単なあいさつを済ませると、私たちが入場した出入口から河瀬直美監督とうだしげきさんが入って来られた。会場から一斉に拍手が沸き起こる。いやはや、舞台挨拶に参加するのは何年振りだろう。二十年ほど前に観た『私をスキーに連れてって』以来ではないだろうか。当時の舞台挨拶は、写真撮影も許可されていて、私も一眼レフを構えて役者さんたちを撮影していたものだが、現在は許可されていないようだった。

 それはさておき、プロフィールによると、河瀬監督は、私よりも四歳年下の女性である。私が彼女の監督作品を拝見するのは今回が初めてだ。一方、うだしげきさんは、一九四六年生まれの初老の男性である。ずっと、編集、ライターのお仕事をされていた方だが、現在は『ならまち文庫・古書喫茶ちちろ』を開業されている。今回は何と、映画初出演であり、グループホームで暮らす認知症の男性を主演していらっしゃる。

 河瀬監督もうだしげきさんも、カンヌ国際映画祭グランプリ(審査員特別賞)を受賞されてからの生活はがらりと変わってしまったそうだ。特に、映画初出演のうだしげきさんは、町で声を掛けられるようになり、飲み屋さんに行っても話し掛けられるので大変だとおっしゃっていた。

 河瀬監督は、映画を撮るようになったきっかけとして、「それは、私がもう一つの目を持ったときでした」と語り始めると、「文学少女でもなく、映画を撮りたいと強く思っていたわけでもなく、ただ自分の足元を見つめて掘り下げれば、豊かなものに辿り着ける」と付け加えた。すなわち、日常の中に映画にしたい題材を見つけられたということだろう。ある日、河瀬監督は、「世の中は、おもちゃ箱をひっくり返したみたいに何て面白いんだろう」と思ったそうだ。ご自分の発見に客観性を持たせるとともに、その発見がちゃんとした物語になるように、自分の知らない人にも届いて行くように、強く意識されているそうだ。客観性の説明としては、「観客の中に、普段の自分とは違う自分が存在していること」とおっしゃっていた。

 河瀬監督の言葉は、私にとって、とても刺激的だった。私が毎日ブログを綴ることに関しても、客観性を強く意識しているところがある。自分のノートにひっそりと書き記す日記ではなく、人に伝わって行くことを強く意識している。もしもこの意識が欠けてしまえば、ブログはひとりよがりなものになってしまうだろう。なるほど、芸術とは、主観を客観に変換して行くことなのではないだろうか。ふと、そんな気がした。

 河瀬監督は、次回作を既に取り終えられているそうだ。次回作は、来年の春頃の公開になるだろうとのことだった。

 あっという間に時間は過ぎ、お二人の舞台挨拶はお開きになった。河瀬監督は次のお仕事が入っていらっしゃるとかで、すぐに次の仕事場へと向かわれたのだが、うだしげきさんは、そのまま会場で私たちと一緒に映画をご覧になった。上映後、何と、うだしげきさんがパンフレットを購入した人たちにサインをしてくださるとアナウンスがあった。

 やがて会場が暗くなり、『殯(もがり)の森』の上映が始まった。舞台挨拶で河瀬監督がおっしゃっていたのだが、この作品はほとんどがアフレコ(アフター・レコーディング)なのだそうだ。そのため、全体的に独特の雰囲気が出ている。音が曖昧ではなく、とてもクリアなのだ。特に、お年寄りが集まって話をしているシーンは、まるでアドリブで構成されているかのような、とても不思議なシーンに仕上がっている。フランス人のスタッフが二ヶ月掛けて音の仕上げを行ったのだそうだ。

 ストーリー自体は、奈良の美しい自然を描写しながら、とても静かにゆっくりと進行して行く。しかも、すべてにおいて、状況の説明がない。例えば、しげきさんとグループホームの介護スタッフである真千子が二人で車に乗って出掛けて行くシーンがある。観客には、二人が車に乗って出掛けて行くシーンが映し出されているだけで、二人が一体どこへ出掛けて行こうとしているのかささっぱりわからない。通常の映画ならば、どこに出掛けて行くかを台詞で説明するように構成されている。しかし、この映画は最初から最後までそうではないのだ。そういう意味で、察して欲しい映画になるのかもしれない。しげきさんと真千子が二人でどこへ出掛けて行くかは、ずっとあとになってからわかる。

 しげきさんは、三十三年前に最愛の妻を亡くしている。このような表現は適切ではないかもしれないが、最愛の妻を亡くした悲しみがあまりにも深かったために、しげきさんは認知症という病気を選んだのではないかという気がした。そして、介護スタッフの真千子もまた、最愛の息子を亡くし、深い傷を抱えていた。

 映画を観たときには得られなかった感動が、今、レビューを書きながら押し寄せて来ている。そう、この映画は、最愛の人を亡くした経験がなければ、心に響いて来るものに巡り合えないかもしれない。いや、例え最愛の人を失う経験があったとしても、あまりにも前向きな人には、何故、三十三年もの間、しげきが妻を失った悲しみから立ち直れないでいるのか、理解できないかもしれない。私自身はと言うと、最愛の人をまだ失ってはいない。だから、本当の意味で『殯(もがり)の森』に足を踏み入れてはいない。

 映画を振り返ろうとして、いつものようにYahoo!映画 - 殯(もがり)の森 - 作品ユーザーレビューを観に行った。そこで出会ったのが、分からなかった映画分かりたくない気持ちというコメントだ。このコメントを拝見していると、どういうわけか、胸にきゅーんと響いて来るものがあった。勝手ながら、少し引用させていただくことにしよう。

 見終わった後、映画のことがよくわかりませんでした。しかし、一つ席の空いた隣の初老の女性が泣き続けていました。
 どうして泣き続けていたのだろうと考え、映画の中に出てきた「殯」の意味と組み合わせたときに、老人(しげき)とそれを支える真千子の意味をとらえることができた気がしました。

 上映後、私はパンフレットを購入し、うだしげきさんにサインをいただいた。そのとき、うだしげきさんが私に、
「何度観ても涙が止まらなくなる映画なんですよ。もう十五回も観てるんですけどね」
とおっしゃった。私は、上映中に泣くことができなかったので、うだしげきさんのその言葉に対し、何も反応することができなかった。そのときは、主役を演じられたうだしげきさんが、主観で映画を観られて感動されているのだろうと思い込んでいた。しかし、前出のユーザーレビューを拝見して、私には届きにくい領域で感動が沸き起こっている映画なのだとわかった。うだしげきさんの涙も、決して主役を演じた主観からではなく、最愛の人を亡くした経験のある人の涙だったのだろう。
 

うだしげきさんにいただいたサイン

※ネタバレ注意報。ここから元の文字の色に戻るまでネタバレです。

 しげきさんと真千子が出会う前は、お互いに最愛の人を亡くした悲しみから立ち直ることができずに袋小路にいた。しかし、二人が出会い、森の中で一日を共にすることにより、お互いの傷が癒されて行く。同じ悲しみを抱えた者同士だからこそ、二人は繋がることができたのではないだろうか。その証拠に、しげきさんはあれだけ大切にしていたリュックを真千子が背負うことを許容する。リュックを真千子に預けるのだ。かつては、何も知らずに妻との想い出の品の入ったリュックに手を触れた真千子を突き飛ばして怪我をさせたというのに。大自然の森が、二人の深い傷を癒したとも言える。

 それを考えると、真千子と二人でお墓を掘り起こすラストのシーンは、これまで閉じていた領域を完全に開放した状態にあると言えるのではないだろうか。しげきさんにしてみれば、最愛の妻のお墓は、リュックよりも大切な場所でもあるはずだ。更に真千子も、自分が部外者であるという意識が残っていては、決して立ち入ることのできない領域でもある。しかし、二人はその領域に到達する。ああ、おそらく、うだしげきさんが何度観ても涙が出るとおっしゃっていたのは、ラストシーンだ。映画の中のしげきさんが、最愛の妻にもっとも近い場所に辿り着いたシーンで涙されるのだろう。しげきさんは、最愛の妻にもっとも近い場所で、安心したように眠る。

 この映画は、映画を観終わった直後ではなく、映画への理解を深めようとしたときに感動に襲われる映画かもしれない。少なくとも、私にとってはそうだった。この映画がわからないと叫ぶことよりも、わかろうとすることのほうが大切だと思う。笑いは万人に共通でも、深い悲しみは万人に共通ではないことを実感させられる映画だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 映画への理解を深めようとして、いろいろな方たちの感想を読む度に、身になるものがあると感じるような映画でした。ただ、台詞での説明がないだけに、そうした作りに慣れている人には戸惑いを感じてしまうかもしれません。でも、あとになって、あれはこういう意味だったんだ、ということがわかって来ると、じわじわと感動がこみ上げて来る映画なのです。映画の世界においては、「わかって!」を強く打ち出すと、時には押し付けがましい描写になったりもします。そういう意味では、この映画は観客の感じるままに任せる映画だと言うことができると思います。しかし、最愛の人の死に対し、どのような方向に進んで行くのが理想的なのでしょうか。いつまでも悲しみに留まらず、前を向いて生きて行く人たちもいます。そうした人たちは、決して薄情というわけではなく、亡くなられた方の魂をいつも身近に感じていらっしゃるのかもしれませんよね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (1)

2007.07.27

察して欲しい

 急にプロジェクトの飲み会が行われることになり、翌日の早起きが決定しているために、飲み会への参加には消極的な姿勢を示していた私もついつい流されて参加することになった。仕事のペースもそうだが、私たちのプロジェクトは、急に降って沸いたように何かが決まることが多い。

 急な決定にも関わらず、一人のメンバを除いて全員が集まった。飲み会の席で話題の中心になっていたのは、血液型による性格分析だった。現在、私たちのプロジェクトは十名で構成されているのだが、そのうちの六名がA型である。更にはO型が二人、B型が二人という内訳だ。当然、A型が多いので、A型から見た他の血液型の特徴が述べられることになった。

 A型の直属の上司から見たO型の私は、A型なら遠慮して、ひっそりと心に留めておくようなことを、ずけずけと口に出してしまっているらしい。A型の内面はとてもデリケートなので、本来はオープンにしたくないようなことが、O型によってどんどん明るみになってしまい、その度にチクチク傷ついてしまっているらしいのだ。

 また、優柔不断なA型は、ああでもない、こうでもないと頭の中であれこれ思い悩んだ挙句、ようやく導き出した結論が、他の人にはなかなか伝わり難いような短い表現だったりする。しかし、例えそのようにわかりにくい結論であったとしても、A型の直属の上司曰く、
「わざわざ説明しなくても察して欲しい」
のだそうだ。そのあとも、A型の直属の上司はしきりに、
「わかって欲しい。察して欲しい」
と繰り返していた。

 かつて私は、出て行くものが多い人を凸型、受け取るものが多い人を凹型と表現していた。凸型の人は、出すことは得意でも、受け取ることが苦手で、凹型の人は、受け取ることは得意でも、出すことが苦手である。そう考えると、凸型の典型はO型で、凹型の典型はA型と言っていいのだろうか。

 A型の直属の上司が使った「わかって欲しい」という気持ちは、O型の私にもある。しかし、私は、詳細な説明を省くときにわかって欲しいとは思っていないことに気がついた。もちろん、私にも、詳細な説明を省くことはある。しかし、省くときは最初から、相手にわかってもらうことを期待していないことが多いのだ。そういう点で、A型とは異なっている。もともと、A型とO型では、説明を省く理由が大きく異なっているのかもしれない。A型は、考えに考えた末に説明を省くことを選択するが、O型は、わかってもらえないと判断した相手には、最初から説明を省いてしまうのだ。

 O型の私から見ると、A型の「察して欲しい」振る舞いは、分厚い殻によって、常に自分を守っているように見えてしまう。O型は、A型のそんな分厚い殻を破ろうとして、じわじわとではなく、素早い結果を得るために、わざわざ言わなくてもいいようなことを言ってみたりと、少々手荒い手段を取ることがある。それは、O型が人と仲良くなるときに使う常套手段であったりもする。A型にO型の気持ちが通じれば、急速に距離は縮まるのだが、ひとたび警戒されてしまうと、A型が傷つきながら進行して行くことになるようだ。O型の手荒い手段に対し、A型が警戒心を抱くかどうかは、A型がこれまでにどのようなモードで人と関わって来たかにもよるのかもしれない。それに対し、手荒い手段を取るO型は、自信過剰でせっかちなのかもしれない。O型には、相手が自分になびくことを最初から期待しているところがある。

 直属の上司のまた上司もA型なのだが、奥様がO型なのだそうだ。直属の上司のまた上司曰く、
「A型同士だと、何も始まらないんだよね。O型が引っ張ってくれてこそ、A型は成長できるんだよ」
と言った。わかってるじゃない。

 直属の上司のまた上司の言葉を聞いて、私は高校時代からの友人のことを思い出した。高校時代、私は二人のA型の友人と仲が良かった。しかし、高校卒業後、進学のためにいったんは三人ともばらばらになったが、大学卒業後、A型の二人は愛媛に戻っていた。私は東京に残ったままだったが、A型の二人は愛媛に戻っていたにもかからわず、お互いに連絡を取り合って会うようなことはしていなかった。片方のA型に理由を聞いてみると、
「A型同士だと、お互い遠慮してしまって、なかなか進展しないんだよね」
と言っていた。実際、仲が良かったはずなのに、A型の二人が顔を合わせるのは、私が帰省したときだけだった。

 これらのことをふまえて考えてみると、A型は、O型に肩を押してもらうのを待っているように思える。一方、O型は、A型の肩を荒々しく押すのが好きだ。だから、双方が信頼関係を結ぶことができれば、絶妙なコンビネーションを組むことができるはずなのである。

 A型の直属の上司に、
「旦那さんの血液型は何型ですか?」
と聞かれたので、
「O型です」
と答えた。すると、
「O型同士は喧嘩したりしないんですか?」
と尋ねられた。
「もちろん喧嘩もしますが、喧嘩しながら抱き合いますよ」
と答えると、プロジェクトメンバ全員、水を打ったようにシーンとなってしまった。どうやら、彼らが普段活動していない領域に触れてしまったようで、返す言葉が見つからなかったらしい。O型の私は、こんな「してやったり」の状況が大好きである。

 飲み会の帰りに、B型の派遣仲間から、
「まるみさん(実際に呼ばれたのは私の苗字)の言っていることも良くわかりますよ。殻を破ってこそ、本当に親しい関係が結べるんですよね」
と言われた。何だ何だ、そう思っているなら、飲み会の席で言ってよ。と、オープンなO型の私は思うのであった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ブログを綴りながら、私の中にも優柔不断なところはあると実感しています。しかし、そんな優柔不断なところが、A型の人たちには届かないようですね。O型は、いつもスパスパ斬っていると思われているようです。何となくですが、意識して人に見せている部分と、人が部分に常にギャップがあり、血液型などでは判別できないところで、実はみんな、同じものを持ち合わせているのかもしれませんね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.26

社会的な関わり

 プロゲステロン期に入ったというのに、仕事が忙しくなってしまい、ラジウム温泉に通えなくなってしまった。今になって思えば、無料送迎バスに間に合うように仕事を毎日定時で上がっていたあの頃が懐かしい。

 私がラジウム温泉に足繁く通っていることが、既にプロジェクトメンバーたちの耳に入っていることがわかった。あるとき、直属の上司から、
「まるみさん(実際に呼ばれたのは私の苗字)は、仕事帰りにいつも温泉に行っているそうですね」
と言われ、驚いたものだ。どうやら、私が同じプロジェクトの派遣仲間に話したことから伝わって行ったようである。直属の上司は、冗談か本気か知らないが、
「まるみさん(実際に呼ばれたのは私の苗字)がいつも行っている温泉にみんなで行こうかという話も持ち上がってるんですよ」
などと言う。直属の上司のすぐ側では、私がラジウム温泉に通っていることを話した派遣仲間の直属の上司も耳を傾けていた。彼らは私の職場のすぐ近くに住んでいるので、私が通っているラジウム温泉は、彼らにとっては地元の温泉ということになる。

 私は、プロジェクトのみんなで一緒にラジウム温泉に行くことが実現するかどうかは別にして、もしも一緒に行くならば、八月から無料送迎バスの運行スケジュールが拡大される神戸市西区|天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)だろうと考えた。しかし、現実的に考えてみると、他のプロジェクトメンバが何と答えるかわからないし、第一、私だって、同じ派遣仲間と一緒にお風呂に入るのはちょっぴりどころかひどく恥ずかしい。女性同士とは言え、普段、隠しているものをすべて見せるわけだから。その一方で、一度、プロジェクトメンバをひとたびラジウム温泉に案内しておけば、今後、プチ湯治のために仕事を早く上がり易くなるのではないかという考えもある。そうは思いながらも、ラジウム温泉のありがたさは、身体に何か問題を抱えている人でなければわかりにくいのではないかという不安もある。それはそれで悲しいものである。

 驚いたのは、私の直属の上司は、私が何故ラジウム温泉に足繁く通っているかを知らなかったことだ。二年前に私が休みをもらって三朝温泉で湯治をしていたことは知っていたはずだが、そのときも詳しいことは聞かされなかったそうである。おそらく、直属の上司のそのまた上司が婦人病であることを考慮して、具体的な理由を伏せてくださったのだろう。このことについて、私の個人情報が守られていることについてはとてもありがたいことだと思った。しかし、実際のところ、その想いはとても複雑だ。

 個別に親しい関係を結べない状況にあるとき、誰かが何かを伏せると、伏せられた内容について深く追求できなか、あるいは追及しないことが、あたかも礼儀であるかのような雰囲気が出来上がっている。しかし、見せかけはそうであっても、本当はもっと踏み込んで欲しい場合もある。例えば、電車の中で肉体的に障害のある人に出会ったとして、その人を興味本位でジロジロ見ることは好ましくない行為だが、愛情を持って接したり、見守る姿勢で見つめるのは失礼には当たらないと思う。それと同じことだ。私としては、伏せることによって、相手の中で何かネガティヴなイメージが先行してしまうなら、いっそのこと伏せないでいるほうがありがたい。しかし、社会的な交流においては、その加減と対象を絞るプロセスが難しい。

 ところで、彼らが私の勤務先付近に住む人たちだとわかっていたので、ついでに私がこれからお世話になろうとしている病院に関する評判を聞いてみた。
「○○病院って、どんな病院ですか? 評判はどうですか?」
すると、派遣仲間の直属の上司から、そこは評判の悪い病院だという答えが返って来た。聞くところによると、かつて、同じプロジェクトメンバが交通事故に遭ったときに、救急車でその病院に運ばれたところ、あまりにも評判が悪いので、例え救急であっても病院を変えてもらうことになったそうだ。果たして、彼らの言う評判の悪い病院とは何なのだろう。その観点は良くわからないのだが、私自身はできるだけ、病院の評判と医師の実力は切り離して考えたいところだ。それならば、最初から病院の評判なんて聞かなければいいのにという考えもある。実際、女心はとても複雑で、常にいろいろな感情が入り混じっているものだ。

 前回のプロゲステロン期にプチ湯治を続けたからだろうか。私の筋腫は生理が終わってから一日か二日、ほんの少し固くなっていたものの、現在に至るまでずっと柔らかい。実は、ラジウム温泉に入れないので、最近、ラドンサポーターなるものを腰に巻いている。使い心地は抜群である。ただ、私にとっては、もう少し幅が広いほうがありがたい。ラジウム温泉に入れない分、こちらでカバーできているといいのに、と思う次第である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 神戸市西区|天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)を拝見したら、トップページにラドン含有量の情報がちゃんと追加されていますね。私がお願いしたことをすぐに実現してくださって、大変うれしい限りです。(^^) 次にプチ湯治を実現できるのはいつのことでしょうか。それを思えば、仕事が忙しくない時期とプロゲステロン期が重なることは、恵まれたタイミングだったのでしょうね。再び、このタイミングがやって来るのを静かに待ちたいと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.25

ホットヨガ(六十一回目)

チェコスロバキアの人たちの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 文章を書きたいと思っていると、思わず文章を書きたくなるような出来事が次々に起こって行くものなのでしょうか。何か珍しい出来事が起こると、私はその状況をすぐに頭の中で文章に置き換えます。まるで、自分の身の回りで起こっている出来事を、実況中継しているような感じでしょうか。それでは、今日も実況中継を始めたいと思います。(笑)

 スタジオに着いたのは、レッスン開始のわずか数分前だった。受付でロッカーの鍵を受け取り、大急ぎで支度を整えていると、前回のスクイーズクラスのレッスンを担当してくださった吉本興業のインストラクターがロッカールームの出入口から顔をのぞかせて、
「そろそろスクイーズクラスのレッスンを始めまーす」
と声を掛けてくださった。私は、
「はーい、今行きまーす」
と答えて、トイレを済ませてからスタジオに滑り込んだ。自宅からレッスン着のまま快速電車に乗ったのが幸いして、何とか短時間のうちに支度を整えることができた。

 スタジオに入ってみると、吉本興業のインストラクターがみんなの前でレッスン開始前のあいさつをされていた。おそらく、スクイーズクラスに初めて参加される方たちのために、スクイーズクラスとはどのようなコースなのかを説明されていたのだろう。私は、一つだけ空いているヨガマットにバスタオルを敷いて腰を下ろした。そこは、憧れのフリーパス会員のあの方のすぐ隣のヨガマットだった。いつかのように、レッスンの最中に隣の人のプリティなお尻が目の前に来ることを期待したわけではない。ちょうど鏡の割れ目に位置するヨガマットだったので、最後まで空いていたのだ。それに、今回のレッスンは、隣の人のプリティなお尻が目の前に来るほど混雑してはいなかった。それでも、狭いほうのスタジオに私を入れて十六名の人たちがレッスンに参加していた。

 私は、まだレッスンが始まっていなくて良かったと、ほっと胸を撫で下ろした。何故なら、これまで一度もレッスンに遅刻したことがなかったからだ。今回の滑り込みセーフは、厳密に言えば遅刻になってしまうのかもしれないが、レッスン自体はまだ始まっていなかったので、よしとすることにしよう。

 吉本興業のインストラクターのレッスンには常に笑いがある。彼女のおかしさは、決して人を笑わせようと計算されたものではなく、彼女の持つ天性のおかしさから湧き出て来るものだ。レッスンを始める前に、吉本興業のインストラクターはこう言った。
「忘れないうちにご紹介しておきます。今日、一緒にレッスンに参加してくださる○○インストラクターです」
私は、それを聞いただけでおかしくなってしまい、ケラケラと笑った。というのも、スクイーズクラスは新しく始まったばかりのコースなので、ポーズの取り方がまだまだ難しいと感じている人たちのために、メインインストラクターとサブインストラクターの二人の構成でレッスンが行われているのだ。前回のスクイーズクラスのレッスンも吉本興業のインストラクターがメインインストラクターを担当してくださったのだが、一緒にレッスンを受けてくださっているサブインストラクターを紹介するのが遅れてしまい、レッスンが中盤に差し掛かった頃にようやく思い出したのか、とても気まずそうにサブインストラクターを紹介されたのである。私がケラケラと笑ったのは、そのときのことを思い出したからだ。「今回は、忘れないように、早めに紹介されたのだな」と思ったわけである。私と一緒に笑った人たちも何人かいたが、おそらく前回のレッスンを一緒に受けていた人たちなのだろう。

 今回、一緒にレッスンを受けてくださったサブインストラクターは、前回と同じく私がいつもお話をさせていただいている顔馴染みのインストラクターである。彼女は神戸店のベテランインストラクターで、吉本興業のインストラクターとのコンビネーションが実にいい。例えば、ホットヨガは左右のポーズをセットで行うのが基本である。左を基準にしたポーズを取ったあとは、必ず右を基準にしたポーズを取って終了となる。しかし、今回のレッスンでは吉本興業のインストラクターが片側だけを基準にしたレッスンを行い、
「はい、それではお水を飲みましょう」
と言って、私たちに水分補給を促した。私は、もう片方のセットを忘れていることに気がついていたが、まあいいかと思いながら、言われるがままに水を飲んでいた。すると、ベテランインストラクターが前のほうに歩いて来て、
「あの、もう片方も通しておいたほうがいいと思うんだけど」
と言った。ベテランインストラクターのその一声で、私を含めたほとんどの参加者が大爆笑した。

 そんな大爆笑の渦を巻き起こしながら、私たちは六十分のレッスンを終えた。笑ってばかりだったので、あっという間の六十分だった。私のすぐ隣の憧れのフリーパス会員のあの方も、今回のレッスンでは良く笑っていた。スクイーズクラスのレッスンに継続的に参加している人だけが笑える天然のおかしさを体験することができたのである。

 シャワーを浴びて着替えを済ませたあと、受付に行くと、吉本興業のインストラクターが立っていたので、
「楽しいレッスンをありがとうございました。まるで吉本興業から派遣された方かと思ってしまうほど、楽しいレッスンでした。これからも楽しみにしています」
とお礼を言った。

 失敗を笑いにできるキャラクターを備えている人は、失敗した時点で自分の失敗を許容しているのだと思う。失敗した時点で自分自身を責めていては、笑いの渦は沸き起こらない。失敗した本人が笑うから、他の人も笑えるのだろう。私はとにかく、吉本興業のインストラクターから目が話せない。これからも彼女のレッスンに期待しよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 笑いが過去の記憶と関連付けられるとき、「原因」と「結果」の因果関係は、どこまでも続いているのだと実感せずにはいられません。そう考えると、日々起こっている出来事に釘付けになるでしょうね。(笑)シリーズものの映画がヒットする理由もおのずとわかります。「ガンまる日記」も、永く読んでくださっている人にだけわかるような笑いを目指してみたいですね。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2007.07.24

チェコスロバキアの人たち

 京都御所で野外ヨガを体験した翌日の日曜日、私はいつものように神戸店でスクイーズクラスのレッスンを受けた。ホットヨガの通算回数は、二回分のトライアルレッスンも含めてカウントしているので、三十回分の回数券を購入して来た私は、今回のレッスンも含めるとあと二回で二つ目の回数券を終えることになる。

 ガンモの仕事が休みだったからだろうか。いつになく自宅でのんびりと過ごしてしまい、レッスンに出掛ける時間がやって来たというのに、家を出るのがすっかり遅くなってしまった。私はいつもよりも一本遅い快速電車に飛び乗り、神戸へと向かった。その快速電車の四人掛けのクロスシートでは、チェコスロバキアから来られたという三人連れのご家族と、関西人のご夫婦がにぎやかにコミュニケーションを取っていた。私は特に会話に参加するわけでもなく、空いていたもう一つのクロスシートに腰を下ろした。そこには、おそらく二十代前半と思われるチェコスロバキア人の男性が一人で座っていた。すぐ隣のクロスシートでは、その男性のご両親と思われるご夫婦と、関西人のご夫婦が大いに盛り上がっていた。

 快速電車が発車して次の駅に向かい始めたとき、関西人のご夫婦が、
「私たちは次の駅で降りるのよ。Next station, sit down, sit down.」
と言うではないか。えっ? sit down? この人たちは、次の駅で座るのだろうか。いや、おそらく、get offの間違いだろう。しかし、大きな声でsit down, sit downと繰り返しているので、私は、
「sit downではなく、get offだと思いますよ」
と口を挟んだ。すると、関西人ご夫婦の奥さんが、
「さっき乗って来たばかりなのに、あなたは英語がわかるの? sit downじゃなくてget downなのね」
と言った。いやいや、get downでもなくてget offですよ、奥さん。私は一生懸命get offだと主張したが、関西人ご夫婦はおしゃべりに夢中で聞く耳を持たなかった。間もなく快速電車が次の駅に停車すると、関西人ご夫婦は、チェコスロバキア人のご夫婦とにぎやかに握手を交わして降りて行った。

 四人掛けのクロスシートの一つにはチェコスロバキア人のご夫婦、その隣のクロスシートには息子さんと私が残った。そのあと、ごく自然な流れで、息子さんが英語で私に話し掛けて来た。
「一九九五年に神戸で起こった地震はどうでしたか?」
と息子さんに尋ねられたので、私は、
「その頃は東京に住んでいたのでわかりません」
と答えた。息子さんは更に、
「地震の傷跡は今でも残っているのですか?」
と、建物が崩壊したときにできるギザギザを手で描きながら尋ねて来た。私はしばらく考えて、
「ほとんど修復は終わりました」
と答えた。そのとき、私は震災を体験しているわけではなかったが、彼らにとってあの震災が、神戸の観光名物のような位置づけなのかと思うと、ちょっぴり残念な気がしていた。

 すると、そのやりとりを聞いていたのか、隣のクロスシートに座っていた息子さんのお父さんが英語で私に話し掛けて来た。その内容によれば、お父さんはどうやら医師らしい。一九九五年の震災が起こった直前に学会のために神戸を訪れていたが、自分たちが帰国した二日後にあの震災が起こったのだと言う。それを聞いた息子さんが更に付け加えた。当時、神戸に残っていた人たちから、震災がいかにひどい状況であったかを聞かされたそうだ。なるほど、彼らにとってもあの震災がとても身近なものだっただけに、こうして震災に興味を示しているのだとわかって、私は少し安心したのだった。

 息子さんは私に、チェコスロバキアの言葉で書かれた日本のガイドブックを見せてくれた。それは、日本を旅行しようと思っているチェコスロバキアの人たちが買い求めるものだ。確かに、神戸のページには震災のことが記されている。息子さんはそのページを指して、
「これがチェコ語で言う"earthquake(地震)"です」
と私に説明してくれた。私が初めて目にしたチェコ語は、にょろにょろした文字が並んでいた。

 息子さんは更に、大阪の紹介ページを開き、大阪城を訪れてとても良かったと言った。大阪の紹介ページには、何故か日本のヤクザの写真が掲載されていた。頭を丸めたヤクザが手に煙草を挟んでいるのだが、ヤクザらしく、小指の先が切れていた。海外で発売されている日本のガイドブックには、海外の人たちの視点から見た象徴的な日本が掲載されている。これは面白い。確か、私が中学生か高校生のときだったと思うが、社会科の先生がこんなことを言っていたのを思い出した。
「海外の教科書には、いまだに武士の格好をして刀を腰に差した日本人の絵が描かれている」
それを思えば、チェコ語で書かれたガイドブックに掲載されているヤクザはかなり近代的だ。ちなみに、ヤクザは私にも読めそうなローマ字に近い綴りで記されていた。おそらく、チェコスロバキアの言葉にヤクザに該当する単語がなかったのだろう。

 そのあと息子さんは、姫路城のページを開き、
「姫路の"路"はどういう意味ですか?」
と私に尋ねた。私は少し考えて、
「"road"ですかねえ」
と答えてみたのだが、"r"の発音が良くなかったのか、息子さんには伝わらなかったようだ。

 彼らは神戸で降りると言う。
「私も神戸で降りますよ」
と言うと、
「じゃあ、神戸に着いたらあなたに付いて行きますよ」
と息子さんが笑いながら私に言った。

 間もなく快速電車は神戸の一つ手前の元町で止まった。彼らはローマ字で書かれた"motomachi"を読んでいたが、彼らにとって、母音の多い日本語を発音するのは大変らしい。再び息子さんに、
「元町の"ち"はどう発音するのですか? "もとまちゃ"ですか?」
と聞かれた。なるほど、彼らにとっては、"ch"で終わる単語は親しみ深くても、"chi"で終わる単語には馴染みがないのかもしれない。私は息子さんに向かって、
「"chi", "chi"」
と繰り返し発音した。

 彼らは神戸で降りてどこに行くのだろう。ガイドブックで北野町の案内を見ていたので、もしもそこに行きたいならば、神戸ではなく三宮で降りたほうがいいのだが、私はそれを英語で伝えることができなかった。彼らは私のためにゆっくりと話してくれるので、彼らが話す内容のほとんどを理解することができるのだが、反対にこちらの想いを英語でなかなか的確に伝えることができないことを、とてももどかしく思った。おそらく日本の英語教育が、リーディングや文法、単語の丸暗記ばかりにとらわれ、会話を重視しなかったことに敗因があるのだろう。それに対し、チェコスロバキアの人たちは、英語に対する抵抗もなく、すらすらと話をしていた。ヨーロッパ諸国に住む彼らにとって、英語は標準語のような位置づけなのかもしれない。

 快速電車が神戸に着くと、彼らは私に日本語であいさつをして、たくましく降りて行った。時計を見ると、レッスン開始まであとわずかしかなかったので、私は神戸駅の改札を抜けて一目散にホットヨガのスタジオへと向かった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ホットヨガのレッスンに出掛けて行くまでの出来事を綴ったあと、一気にレッスンの様子まで書いてしまおうと思っていたのですが、どうやら長くなりそうなので、記事を二回に分けさせていただきますね。帰宅してからガンモに、チェコスロバキアの人たちにチェコ語で書かれた日本のガイドブックを見せてもらったことを話すと、
「チェコ語のガイドブックなんてレアだから」
と言って珍しがっていました。私が、
「ロンドンで、イギリス人向けに書かれた日本のガイドブックを探してみようかな」
と言うと、
「英語で書かれたものよりも、チェコ語で書かれたもののほうが面白そうだなあ」
と言って、チェコ語で書かれた日本のガイドブックに思いを馳せていました。ロンドンの大きな書店に行けば、ヨーロッパ諸国向けの日本のガイドブックが見つかるでしょうか。外国人から見た日本はどのように映っているのでしょうか。もしも外国語で書かれたガイドブックを見つけることができれば、日本に関する新たな発見がありそうです。私たちにとって身近な日本を、まったく別の角度から見てみるのも面白いだろうと思います。彼らのおかげで、ロンドンでの楽しみが一つ増えました。(^^)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.23

映画『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』

 何を隠そう、私たちは、ハリー・ポッターシリーズの全作品を劇場で観ている。もともと『ハリー・ポッター』にはまったのは、ガンモよりも私のほうが先で、原作を熱心に読んでいたところ、その熱がガンモにも感染したのだ。ただし、ガンモは原作を読まずに映画の鑑賞だけに留め、私自身も熱心に原作に目を通したのは、前作の途中までだった。今回の作品についても、原作は読んでいない。それでも、今回の作品が公開されたら絶対に劇場に観に行こうと、派遣会社の福利厚生で前売券を購入して楽しみにしていたのだった。

 私たちが今回の上映を楽しみにしていたのは、この映画の舞台の一部が、夏休みに出掛ける予定にしているロンドンであることに加え、イギリス映画ということで、イギリス英語に慣れておきたかったという背景がある。また、鉄道好きの私たちは、おそらくロンドンに出掛けたら足を運ぶであろう、ホグワーツ行きの列車が発着するキングス・クロス駅のホームの様子が映し出されることを期待していたのだった。

 実は、前作が公開されたときに、映画の作り方に少々がっかりしてしまった。当時書いた前作のレビューを掘り起こしてみると、以下のような辛口のコメントを書いている。

今回の作品には、これまでのファンに対する小さな裏切りがあるのだ。
その裏切りとは、例えば、
ハーマイオニーとロンがパーティーで一緒に踊らなかったということ。
ダンブルドア校長の威厳が欠如してしまっていること。
ヴォルデモードへの極端なまでの恐れが薄れてしまっていること。
ヴォルデモードがいとも簡単に復活してしまうこと。
死者が出てしまうということ。
そして何よりも、映画の中に「色気」が加わったこと。
これらの要素が複雑に絡み合い、
どうしても過去の作品の流れを汲んでいないと感じてしまった。

 前作がこのような印象だったので、映画を観る前から、今回の作品で『ハリー・ポッター』の本来の面白さを取り戻して欲しいと期待していた。実際、シリーズものを製作するのは難しいだろうと思う。観客を飽きさせてもいけないし、裏切ってもいけない。どちらのボーダーラインにも触れることなくストライクを狙うのは、かなりのプレッシャーを抱く作業だろう。

 ちなみに、今回の作品は、またまた映画監督が変わっている。前作と監督が違っていることは、わざわざ映画の情報を参照しなくても、本編が始まった途端にわかった。前作は、妙なところで立ち止まってしまう印象を受けたのだが、今回の作品は、こちらが立ち止まりたくなるような心地良さ良さを備えていた。何と言ったらいいのか、そこかしこに愛を感じる映画だった。

 まだ公開されたばかりなので、できる限り内容に触れるのはやめておくが、内容的にもとても惹き付けられるストーリーだった。ハリーを始めとする有志が集まってダンブルドア軍団を結成し、護衛術を学ぶシーンには心動かされるものがある。魔法学校の特別な部屋が開いて、ダンブルドア軍団に味方するアイディアもいい。

 そして何と言っても、個人的に書き留めておきたいのは、今回の作品の予告編から気になっていたシリウス・ブラックの存在だ。シリウス・ブラックを演じるゲイリー・オールドマンは、前作にも前々作にも出演されていたのだが、どういうわけか、私には存在が薄かった。しかし、今回は予告編から気になる役者さんに変わっていた。ミュージシャンを連想させるようなあの髪型、あの目、あの表情。どこかで見たことのある役者さんだと思っていたら、私の大好きな『シド・アンド・ナンシー』でセックス・ピストルズのシド・ヴィシャスを演じていた俳優さんだったのだ。あの映画は本当に泣ける映画だった。泣けた映画なのに、公開から既に二十年以上も経ち、年も重ね、あの頃と髪型がまったく違っているので、気付かなかったようだ。『レオン』にも出演されていたようだが、何故かこちらは印象が薄い。今回の作品では、ハリーがシリウスを慕い、抱き合うシーンがいい。

 それにしても、今回の作品でもそうだが、やはり、登場人物たちの成長ぶりが気になる。子供たちはどんどん成長して行くものだ。彼らが役柄を演じるのも、そろそろ限界が来ているかもしれない。原作者で私と同い年のJ・K・ローリング女史も、これ以上、ハリー・ポッターシリーズは執筆しないと宣言されているらしい。それでも、これから映画化される予定の作品があとニ作品残っている。大急ぎで製作しないと、登場人物たちに髭が生えて来てしまうかもしれない。

 悪役が存在してこそ成り立つ物語がある。『スパイダーマン』シリーズも然り、『ハリー・ポッター』シリーズも然りだ。ヴォルデモードを取り巻く悪と、ハリーと対立する従兄弟家族やマルフォイ一家、そして、今回は魔法省から派遣された女性教師。登場人物がハリーを応援する人たちばかりではないからこそ、物語の面白さが際立って来る。ハリーにはすなわち、敵も多いが、友達も多いということだ。

 そんなハリーがヴォルデモードに対して使った言葉で、精神世界的に見て、気になる表現がある。それは、
「お前は愛を知らない」
という表現だ。同様の表現は、ヴォルデモードが何故ハリーを殺せないかという理由を説明するために、他の人たちの口から、これまでにも何度かハリーに間接的に届いていた。つまり、愛を知らないヴォルデモードにとって、亡くなった両親や友達からの深い愛に包まれているハリーは、まぶし過ぎて太刀打ちできないということらしい。

 しかし、私は疑問に思うのである。ハリーが本当に愛を知った人ならば、愛を知らないと思われる相手に対し、
「お前は愛を知らない」
という表現を使うだろうかと。本当に愛を知った人ならむしろ、相手の中の愛を引き出すような表現を使うのではないだろうか。愛を知らないのではなく、あなたは、自分の中にもあるはずの愛に気付いていないだけだと。

 ただ、ハリーがこの言葉を使ったのは、ヴォルデモードに殺されかけたときである。自分の身を守るための究極的な手段として、思わず口を突いて出て来てしまった表現なのかもしれない。

 ところで、イギリス英語を聞き取ろうと思って、登場人物たちの声に一生懸命耳を傾けていた私たちだが、残念ながら、聞き取ることができたのはほんのわずかの表現だけだった。やはり、ネイティヴの人たちの話すスピードは恐ろしく速い。しかし、実際にコミュニケーションを取ろうと思えば、何とかなるのではないだろうか。そんな淡い期待で自分たちの英語力のなさを慰めながら、劇場をあとにしたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ココログメンテナンスのため、更新が遅くなり、申し訳ありません。それから、それから、誕生日にお祝いメッセージをどうもありがとうございました。信じられないことですが、いつの間にか四十二歳になってしまいました。三十二歳の間違いではないだろうかと、自分では思っています。自分の成長具合を棚に上げて、ハリーたちの成長具合を気にしている場合ではなかったですね。(^^;

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2007.07.22

東寺・弘法さんの市

※お知らせです。ココログメンテナンスのため、次回の更新は七月二十五日十七時過ぎになる予定です。どうかご了承くださいませ。

 京都御所での野外ヨガを終えた私は、仕事中のガンモに電話を掛けてみた。
「これから東寺に行くよ」
と言うと、ガンモは、
「えっ? 湯治するの?」
と言った。ガンモには、朝、出掛けて行くときに、
「野外ヨガが終わったら、東寺の骨董市(弘法さんの市)に行くからね」
と言っておいたはずだった。それなのに、東寺を湯治と言ったのは、ガンモなりの洒落のつもりだったのだろう。実際、私が普段持ち歩いているノートパソコンで「とうじ」を変換しても、東寺よりも湯治のほうが先に出て来る。ノートパソコンには、野外ヨガのあと東寺に行くことを伝えてなかったので、仕方のないことなのかもしれない。

 東寺に行くとは決めたものの、私は京都御所から東寺までどのように移動したらいいかわからずに、途方に暮れていた。電車で移動するには近鉄が一番便利がいいが、あいにく、京都御所周辺では近鉄は走っていなかった。それならば、市バスか。私は、乗り換えなしに移動できる市バスが走っていることを期待しながら、ノートパソコンを開いてインターネットに接続し、京都御所周辺からの市バスの運行状況を調べた。しかし、残念なことに、京都御所周辺からは、東寺行きの市バスは出ていないようだった。そこで私は、ひとまず地下鉄で京都まで出るために今出川まで戻ろうとした。しかし、朝、来たとき以上に歩いても、なかなか今出川に辿り着くことができなかった。はて、来るときにこれほど歩いただろうかと首をかしげながら更に歩いて行くと、ようやく地下鉄への降り口が見えて来た。ところが、そこには今出川ではなく丸太町と書かれていた。どうやら、京都御所の出口を間違えたのか、反対方向に歩いて来てしまったらしい。京都御所は、今出川と丸太町の間に位置しているのだ。

 京都まで出て行くには、今出川よりも丸太町のほうが近い。私は、一駅分、得したような気持ちで丸太町から地下鉄に乗り、ひとまず京都まで出た。そこから迷いながらも市バスに乗り換え、ようやく東寺に辿り着いたのである。京都駅から東寺までは、決して歩けない距離でもないのだが、野外ヨガのあとで持っている荷物が重かったので、市バスを利用したのである。

 東寺の骨董市は、毎月二十一日の弘法さんの市と、毎月第一日曜日にも行われている。開催日には、東寺の周辺に露店がずらりと立ち並ぶ。京都では、東寺のほか、毎月二十五日に北野天満宮で行われている骨董市(北野さん)もある。露店の種類は、雑貨や骨董品、衣類、食料品など様々だ。

 骨董市を歩くのは実に楽しい。天気のいい日には、露店を構えているお店の人たちが店番をしながら、うたた寝している光景を目にすることがある。骨董市ではがむしゃらに売らなくてもいい。私は、商売に対するそんな姿勢が好きなのかもしれない。

東寺・弘法さんの市

 わくわくするような骨董市の歩き方を、ずっと以前に、カメラ仲間の男性から教えていただいたことがある。骨董市で掘り出し物を見つけたとしても、顔色一つ変えずに、あたかも他の商品を買いに来たような素振りを見せておいて、
「ついでにこれも買うから、安くして」
と言って、本当は欲しくも何ともない他の商品と一緒に、掘り出し物のほうをあたかもおまけのように差し出して値切るそうだ。そうすることで、掘り出し物を予想以上に安く購入できるという。骨董市は、値段があってないようなものなので、掘り出し物を見つけて動揺していると、かえって高く売りつけられることもあるという。骨董市には、そうした駆け引きがあることも確かだ。

 骨董市に来ると、私はすべての露店を確認すべく、精力的に歩き回る。一度見た露店でも、見落としているものがあるかもしれないので、気になるものが売られている露店は、二度、三度、訪問する。すると、さっきまで見ていた気になる商品が値下げされていたりする。私はその方法で、シルクの扇子を二本八百円で購入した。

 今回の骨董市では、指輪と布ナプキンを特に探していた。痩せて指のサイズが変わってしまったので、新しい指輪を探そうと思ったのだ。しかし、心惹かれる指輪は見当たらなかった。手作りの布ナプキンを売っている人も何人かいらっしゃったのだが、私が欲しいタイプの布ナプキンではなかったり、値段がひどく高いものばかりだった。手作りの品も、ある程度の値段を越えると、商品に対する思い入れが強くなり過ぎるために、作り主から離れたがらないように思う。

 手作りの布ナプキンを売っている方と少しお話をさせていただいたのだが、
「女性の病気のほとんどが、化学物質の影響だそうですよ」
とおっしゃっていた。それは私も知っている。経皮毒のことだろう。その方は、もう二年くらい布ナプキンを愛用されていて、もはや手放せない状態にあるそうだ。私は、
「わかりますよ。でもね、その値段は高いですよ」
とは言えなかった。私が何も言わなかったので、その方は、私が布ナプキンを愛用し始めたことをご存知ないだろう。私が購入せずにその場を離れたのは、布ナプキンに対する抵抗からだと思われたに違いない。

 このように、最近の私は、人と話しながら、自分の言葉を呑み込んでしまうことが多い。おそらく、相手と自分の間にあるギャップを感じているからなのだろう。自分の感じているギャップを埋めることにエネルギーを費やせなくなってしまった。まあ、いいか、と思ってしまうのである。それは、私の中に許容が広がったからなのかどうか。いや、許容が広がったのであれば、あとからこうしてブログに綴ったりはしないかもしれない。

 今回、野外ヨガに友人を誘うことに対して消極的になってしまったのも、野外ヨガのあとに骨董市を控えていたことも理由の一つだった。骨董市のようなイベントは、本当に好きな人でなければ心から楽しむことができない。いつだったか、友人や知人たちと一緒に骨董市を訪れたことがあったのだが、私がもっともっと回りたいと思っているのに、友人や知人たちが何となく退屈モードになっているのを感じ取り、後ろ髪を引かれながら泣く泣く骨董市をあとにしたことがある。もちろん、骨董市の露店を見てゾクゾクするような人も、中にはいる。しかし、そういう人に限って、一人で行動するのが好きな人だったりする。

 うろうろ歩き回っているうちに、露店を出している人たちがお店を畳み始めたので、私はそろそろ退散することにした。骨董市が開催されるのは、原則として、日の出から日の入りまでである。露店を出している人たちは、早朝から働いているので、夕方になると店を片付けはじめるのだ。

 ガンモに電話を掛けてみると、もう少しで仕事が終わりそうだと言う。
「ところで、『ハリーポッター』、いつ観るの?」
と私はガンモに尋ねた。ガンモと一緒に観るために、派遣会社の福利厚生を利用して、『ハリーポッター』の映画の前売券を購入していたのだが、もうすぐ夏休みが始まり、しばらく日本を離れることになるので、それまでに観ておきたかったのだ。
「じゃあ、これから観る? まるみがこっちに来る?」
とガンモが言う。私は時計を観た。これから移動してガンモと一緒にご飯を食べたとしても、レイトショーの上映なら間に合う時間だ。
「わかった。じゃあ、そっちに行くよ」
私はそう言って電話を切り、三宮へと向かった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 午前中は京都御所で野外ヨガを楽しんで、午後は東寺の骨董市。そして、夜は映画のレイトショーと、かなり充実した一日でありました。結局、この日は、東寺から四条河原町まで市バスで出て、河原町から阪急電車に乗って阪急電車の最寄駅に着き、そこから更にJRの最寄駅までえっちらおっちら自転車を漕いで移動して、今度はJRに乗って三宮まで出掛けてからガンモと合流し、一緒にご飯を食べて映画を観たのです。人間、一日のうちにいろいろなことができるものですね。(^^)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.21

野外ヨガ in 京都御所

もう一つのラジウム温泉の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 長い長い記事であるにもかかわらず、根気強く目を通してくださったことにも感謝しています。m(__)m

 前日の夜に降ったたくさんの雨は、私の中に一つの心配ごとをもたらした。実は、土曜日に京都御所で行われる野外ヨガに参加する予定だったからだ。今月七日に京都の病院で健康診断を受けたとき、京都四条通店の更衣室で、京都四条通店開店二周年記念イベントである野外ヨガの張り紙を見て申し込んでおいたのだ。十時十五分に京都御所の指定場所に集合し、十時半から正午まで野外ヨガを体験したあと、菜食弁当をいただくというものだ。レッスン料は通常の回数券の消費ではなく無料だったが、お弁当代として千円を支払った。

 「お友達と一緒の参加もOK、男性の参加もOK」ということだったので、是非ともガンモと一緒に参加したいと私は思っていた。しかし、ガンモはあいにく仕事が入っていると言う。申し込みをした頃、ちょうどに書いた大きな出来事で私の心は揺れていた。久しぶりに会わないかという友人からの誘いも断り、人と会うことに対し、かなり消極的な気持ちになっていた頃だ。それでも、心のどこかに京都在住の友人を誘いたい気持ちもあった。結局、私が誘うよりも先に京都在住の友人から近況報告のメールが届き、最近、アルバイトを始めたので、週末はどうしても休みが取れないと書かれてあった。それならば、神戸在住の友人に声を掛けてみようかと思いながらも、またしても足踏みしてしまった。何故なら、集合時間が朝の十時十五分だったからだ。野外ヨガの会場となる京都御所まで、私の自宅から一時間半掛かるというのに、神戸からの移動となると、二時間は掛かってしまうだろう。それを思うと、神戸在住の友人には声を掛けることができなかった。せっかくのチャンスだが仕方ない。結局、私は一人で参加することにしたのだった。

 前日の夕方、私の携帯電話には、京都四条通店のスタッフからの伝言が残されていた。伝言によれば、「微妙な天候なので、雨天の場合は、当日の朝八時半から九時までの間に、この携帯電話にもう一度連絡を入れるので、京都御所ではなくスタジオに集合して欲しい」ということだった。つまり、雨天の場合は、通常のレッスンを行うことになるという。私は、天候が心配で、前日の夜から何度も天気予報を確認していた。ガンモは、
「あれだけ降ったんだから、回復に向かうだろう」
と言った。

 朝起きてみると、雨ではなく、曇り空に変わっていた。しかし、京都の天候はどうなのだろう。私は、そのときになって、初めて気がついたのだ。空は続いているとしても、京都の空と私の住んでいる兵庫の空は、同じ表情ではないかもしれない。これまで、ホットヨガのいろいろな支店を回ることを楽しみとして来たが、天候については、地元の人でなければ見上げて確認することができない。どの支店の会員であろうと、不公平はないと思っていたが、京都に住んでいない私に京都の空を見上げることはできない腹立たしさを初めて感じたのである。言い方を変えれば、それくらい微妙な天候だったとも言える。

 京都四条通店のスタッフからは、京都御所で野外ヨガをする場合は、着替える場所がないので、ヨガができる格好でお越しくださいと言われていた。私はしばしば、三宮店や神戸店のレッスンに出掛けて行くときは、そのままレッスンを受けられる服装で出掛けることがあるが、同じ格好で京都まで出掛けて行くとなると、少し勇気がいる。私にとって、神戸に出掛けて行くことは日常の範囲内でも、京都は非日常だからだ。

 服装はいいとしても、野外ヨガの場合と、スタジオでレッスンを受ける場合とでは、持って行く荷物が異なることに改めて気がついた。まず、野外ヨガならば、それほど喉は乾かないので、たくさんの水は必要ないだろう。また、シャワーの設備もないので、着替えもお風呂道具も必要ない。つまり、最初から野外ヨガに参加するとわかっているなら、いつもよりも少ない荷物で出掛けられるのだ。しかし、微妙な天候は、私に通常のスタジオでのレッスン用の荷物を用意することを余儀なくさせた。

 結局、指定された時間に、京都四条通店のスタッフからの連絡はなかったので、予定通り、京都御所で野外ヨガが実施されることがわかった。私は、京都御所の場所をインターネットで調べ、案内図をプリントアウトして持参したのである。

 阪急電車を烏丸で降りて、地下鉄に乗り換え、四条から今出川まで乗車した。今出川を降りて地上に出てみると、ホットヨガのスタッフが立ってくれていたので、会場までの道順を聞いて歩き始めた。京都御所の敷地に入ってからが遠かった。今出川からおよそ十五分くらい歩いたのではないだろうか。途中で別のホットヨガのスタッフも立ってくれていたので、迷わずに会場に到着することができた。

 到着したことをスタッフに伝えると、スタッフは、名簿に印を入れていた。他の参加者は、ほとんどが女性だったが、誰かに誘われたのだろう。若い男性の参加者も数名いた。しばらくすると、スタッフが木陰にヨガマットを並べ始めた。

ヨガマットを並べているスタッフ

 十時半過ぎになり、いよいよレッスンが始められることになったので、私たちはヨガマットへと移動した。ヨガマットは、インストラクターを中心として、放射線状に並べられていた。インストラクターは三人いたので、三枚のヨガマットが三角形状に並べられていた。野外のように広いスペースがあれば、このような並べ方ができるものだと感心した。このような並べ方ならば、インストラクターまでの距離がほとんどの参加者から平等だ。しかし、そのためには、今回のように複数のインストラクターが必要である。

レッスン開始前

 インストラクターからのあいさつが終わり、いよいよレッスンが開始された。最初に行う瞑想のとき、インストラクターが、
「木々からの酸素をもらい・・・・・・」
と言ったとき、ここは野外なのだと実感した。たった今、木々が製造してくれたばかりの酸素をもらい、私たちが吐く息も木々たちを元気にする。木々と私たちは、永遠に持ちつ持たれつの間柄だったのだ。

 ほとんどのポーズが、いつもスタジオで取っているポーズだったが、中には一度も取ったことのないポーズもあった。例えば、太陽崇拝のポーズである。初めて取ったポーズなので、どんなポーズだったか詳細を忘れてしまったのだが、確か四つんばいになったり、伏せたり、あるいは上体を起こして身体を反らせたりするポーズだったと記憶している。何故かこの太陽崇拝のポーズを何セットも繰り返した。男性たちはポーズを取るのに四苦八苦している様子だった。お友達と一緒の参加はOKと言っても、ビギナーコースのようにヨガの基本を一から教えてくれるわけではないので、ヨガの初心者にとってはきついコースだったのではないだろうか。それを考えると、ヨガの経験の少ない友人を誘うことは、ヨガが難しいものだという偏見を植え付けることにもなりかねないような気がした。

 野外ヨガということで、草むらの中にそのままヨガマットを敷いているので、虫もいる。途中、大きな蜘蛛が上から降りて来たとかで、怖がっている参加者もいたが、スタッフが蜘蛛をよそに追いやり、何とかやり過ごした。中には虫よけスプレーを使っている人もいたが、私は虫と仲良くヨガを楽しんだ。

 野外が格別にいいと感じたのは、休憩のポーズ(シャバーサナ:屍のポーズ)のときだった。いつもはスタジオの中で仰向けになり、しばらく休憩する。しかし、今回は野外だ。曇り空だったが、突き抜けるような空が気持ち良くて、私は恍惚の状態に入っていた。このままずっと休憩のポーズを取っていたいと思ったものだ。草むらの中にヨガマットを敷いて休憩することは、自分自身の身体が空にも地面にも通じていることを実感できたからだろうか。もちろん、それもあるが、野外で寝転ぶという行為自体、本当に久しぶりのことでうれしかったのだ。

 正午前にレッスンは終わり、いよいよお弁当タイムとなった。今回のお弁当は、ヘルシーな自然食の菜食弁当である。菜食弁当の他、五百ミリリットル入りのお茶も配給された。お腹が空いていた私は、菜食弁当をぺろりと平らげた。玄米ご飯だったのだが、とても食べやすくておいしい玄米だった。

レッスン後に配られた菜食弁当

 お弁当を食べていると、さきほどのインストラクターが話し掛けてくださった。
「今日はわざわざ神戸からお越しくださって、どうもありがとうございます」
「あっ」と思った。そのインストラクターは、先日のレッスンのあとに、野外ヨガの申し込みの受付を担当してくださった方だったのだ。
「いえいえ、とんでもありません。おかげさまでとても楽しめました。やっぱり、野外はいいですねえ。特に休憩のポーズが突き抜けて行く感じで気持ち良かったです」
と答えた。正確に言うと、神戸からの参加ではないが、細かいことは黙っておいた。すると、インストラクターが、
「十月にもこのような企画を考えていますので、また是非、参加してください」
と言ってくださったので、是非とも参加したいと答えた。インストラクターが、わざわざ気を遣って声を掛けてくださったことがとてもうれしかった。

 菜食弁当を食べ終わってしばらくすると、京都四条通店のスタッフ一同が中央に並び、あいさつをしてくれた。総勢二十名近くいらっしゃったのではないだろうか。私は、「ここにいらっしゃる全員が京都四条通店のスタッフ?」と改めて驚いたものだ。通常の勤務では、シフトが組まれているため、私たちの前で全員が揃うことはないだろう。しかし、ここにいらっしゃる方たちが、かつて私を痛く感動させてくれた優秀なインストラクターたちなのである。あいさつのあと、自由解散ということになったので、私はしばらくくつろいだあと、お世話になったスタッフの方たちにあいさつをして、京都御所をあとにした。

 ヨガのあとに着替えもせずにそのまま過ごすというのも悪くない。私の中には、天を仰ぎながら休憩を取ったときの広がるような心地良さがずっと残っていた。その心地良さは、素晴らしい体験として、私のハートの中に染み込んで行った。こうして京都御所をあとにした私は、毎月二十一日に東寺で行われている弘法さんの市に足を運んだのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 微妙な天候ではありましたが、無事に野外ヨガを体験することができました。帰り際に、ヨガマットを少しめくってみると、裏側に小さななめくじが張り付いていました。それが、自然の中で過ごすということなのですよね。そう考えると、普段の私たちの生活は、自然に対して臆病になるように、臆病になるように、動いているのかもしれませんね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (1)

2007.07.20

もう一つのラジウム温泉

布ナプキンの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 布ナプキンを使う楽しさ、うれしさが伝われば幸いです。布ナプキンは、一度使い始めると手放せなくなるそうですが、既に私もそんな布ナプキン愛好家の一人になりつつあります。ちなみに、私が購入したのはネットオークションに出品されていた商品ですが、出品者の方は、通常のネットショップも開設されているようです。ネットショップのサイトにはアクセス解析が入っているようですので、オークションサイトをリンクしておきますね。商品をクリックした先か、出品者の方のプロフィールの中にネットショップのアドレスがあります。

 ガンモは職場の人たちと飲み会だと言う。私は、久しぶりにレイトショーでも観て帰ろうかと思いながら、上映中の映画を一つ一つチェックしてみた。しかし、既に観てしまった映画が多い上に、まだ観ていない映画の中にも、これと言って駆り立てられるような映画がなかった。急にぽっかりと空いた金曜日。仕事は早く上がれそうだが、まっすぐ家に帰ってしまうのはもったいない。さて、どうしよう。そう思ったとき、私の頭の中には、もう一つのラジウム温泉が急浮上していた。

 実は、まだ皆さんにはご紹介していなかったのだが、私の勤務先のある地下鉄沿線には、ラジウム温泉がもう一つあるのだ。天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯の近くにある天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)である。確か、オープンしたのは今年になってからではなかっただろうか。何故、これまでご紹介しなかったかと言うと、まだ一度も足を運んだことがなかったからである。というのも、天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)のホームページを拝見する限り、ラジウム温泉であるとうたっているにもかかわらず、ラドンの含有量が不明だったことと、何と言っても、利用料金が天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯に比べて割高だったこと、無料送迎バスの終了時間が早過ぎるなどの理由から、何か特別なことでもない限り、なかなか重い腰が上がらなかったのである。

 しかし、先ほど書いたような状況から、とうとう重い腰を上げるときがやって来たようだ。私は、天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)のホームページで、入浴料金にはバスタオルやフェイスタオルのレンタル料も含まれていることを確認した。生理が終わったとは言え、まだプロゲステロン期に入ったわけではないため、入浴の用意はなかったが、タオルのレンタル料が入浴料金に含まれているなら仕事帰りに寄ってみよう。ありがたいことに、私の勤務先のある最寄駅近くのホテルから無料送迎バスが出ていた。私は、その無料送迎バスの時間に間に合うように仕事を上がった。

 嵐のような日だった。無料送迎バスを待っている間、折り畳み傘が強い風を受けて折れ曲がりそうになる。そんな中、無料送迎バスはやって来た。利用客をいったん降ろしたとき、私は何となく格式高い雰囲気を感じ取っていた。無料送迎バスを降りたのは、無料送迎バスの発着するホテルの宿泊客らしい。そのホテルは、玄関にボーイさんが立っているようなちょっとした高級ホテルだ。そんなホテルの宿泊客が利用するのだから、格式高い雰囲気を感じてしまうのも無理はない。無料送迎バスは、折り返し、私一人を乗せて天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)まで動き始めた。

 およそ十五分ほど走り、無料送迎バスが一つの建物を目指しているのがわかったとき、私は驚いた。ここが天然温泉? 博物館か美術館のような建物の一階に、無料送迎バスの待合所があった。天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯のように、屋外テントの下に置かれた木製のベンチではなく、ちょうど、デパートのエントランスのように、ちゃんとした室内にいくつかの椅子が並べられている。これだけの施設が整っているなら、利用料金が多少高くても利用客は絶えないのではないだろうか。実際、嵐のような夜だったにもかかわらず、自家用車でやって来ている人たちが多かった。

 受付は二階になっていた。エレベータもあったが、私は階段で上った。入口で靴を脱ぎ、下駄箱に百円を入れて脱いだ靴をしまい込み、鍵を掛ける。百円は、帰りに戻って来る。そして、下駄箱の鍵を受付に預けて利用代金を支払う。ここまでは天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯と同じだ。しかし、雰囲気がまったく違っている。天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯が庶民の湯なら、天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)は・・・・・・。

 非会員の平日の入浴料金は八百五十円のはずだったが、何故か受付で六百五十円と言われ、ロッカーの鍵とタオルセットを受け取った。私は、受付の人が間違えたのだろうかと思ったが、毎日のように受付の仕事をしている人が利用代金を間違えるはずがない。実はちょうどキャンペーン中で、女性のみ通常の入浴料金の二百円引きで利用できる日に当たっていたのだ。そんなことも知らずにふらっと訪れた私は、実にいいタイミングを選んだことになる。

 二階の受付でロッカーの鍵を受け取った私は、脱衣場のある四階までエレベータを利用した。ロッカーは、私が持ち歩いている大きなリュックもすっぽり入る大きなロッカーだった。実は、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯では、ロッカーが狭いので、貴重品ロッカーに分散したり、時には下駄箱の中に分散したりして、たくさんの荷物を収納する工夫をしている。そういう意味で、大きなロッカーはとてもありがたい。

 いよいよ服を脱いで浴室に入ると、そこはもう別世界だった。もしかすると、私は旅行でどこかの温泉旅館に来ているのだろうか。そんな錯覚をしてしまうほど、贅沢な空間が広がっていたのだ。

 私は、ひとまず源泉湯に入り、泉質を確認した。アルカリ性単純弱放射能温泉と提示されている通り、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯と同じくつるつる感覚が広がった。おそらく、このあたり特有の泉質なのだろう。源泉の泉温は、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯よりも十度くらい高いようである。ホームページには掲載されていなかったラドン含有量も確認してみた。こちらも、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯よりも若干多いようだ。

 私は、露天風呂に足を運んだ。いくつもの岩が並べられた岩風呂のほか、ハーブ湯の壷風呂、寝湯など、どれを取ってもため息が出るほど贅沢な湯だ。私は、帰りの無料送迎バスの時間が気になっていたので、一つ一つの湯をじっくりと堪能するよりも、すべての湯に入ることを優先し、忙しく動き回っていた。

 露天風呂から出ると、ウェットサウナや水流浴槽にも入った。そのあと、ようやくカランに足を運んだのだが、そこで再び驚いた。何と、カランには隣の人との境界が設けられていて、それぞれが一人の世界に没頭できるように作られていたのだ。シャンプーやリンス、コンディショナーやごみ箱も、他の人たちとの兼用ではなく、一人用のカランの前に置かれていた。やはりとことん贅沢な空間だ。

 私は贅沢な気分のまま身体を洗った。しかし、心のどこかで天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯の無料送迎バスや、野菜の直売所のことが思い出された。泉質はほぼ同じなのに、利用料金と施設が違う二つのラジウム温泉。私の心は、二つのラジウム温泉の間で揺れていた。

 確か、帰りの無料送迎バスは十九時二十分だったはずだ。私はそう思い、少し早めに湯から上がって、着替えを済ませた。まだ少し時間があったので、三階にある無料ラウンジで休憩したあと、下駄箱の鍵を受け取り、下駄箱から靴と預けた百円玉を取り出して一階に下りた。しかし、無料送迎バスの乗り場に着いても、私の他には誰も無料送迎バスを待っている人もなく、また、無料送迎バスも待機していなかった。私が乗って来た無料送迎バスの折り返し運転を待っていた人はたくさんいたはずなので、誰も待っている人がいないのはおかしい。しかも、最終バスのはずだ。私はそう思い、もう一度、無料送迎バスの運行スケジュールを確認して唖然とした。十九時二十分に学園都市行きの無料送迎バスがあると思っていたのだが、それは木曜日までの運行スケジュールで、私が利用した金曜日にはその便は運行されていなかったのだ。私の顔から、一瞬にして血の気が引いて行ったのは言うまでもない。

 さて、どうしよう。私はここからどうやって帰ればいいのだろう。私が青くなっている間にも、雨の中、利用客は次々に帰って行く。みんな、自家用車でやって来た人たちばかりだ。誰かに声を掛けて、最寄の駅まで送ってもらおうか。いやいや、そんな勇気はない。

 もう一度、受付のある二階まで上がって、この辺りで路線バスが運行されているかどうか、尋ねてみようか。しかし、二階まで上がったあと、靴を脱いで中まで入るのが面倒だった。ええい、ままよ。私はリュックが濡れないようにカバーを被せ、カッパを着込んだ上に傘を差して、リュックを背負って雨の中を飛び出した。何とかなるさ。これまでだって、そうやって生きて来たんだ。そう思いながら、天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)を後にした。

 外で車の誘導をしている警備の男性に、
「この辺りに路線バスはありますか?」
と尋ねてみたが、
「さあ、ちょっとわかりませんね。でも、無料送迎バスがあるはずですけど?」
と言われた。この人は何もわかってない。曜日によって運行スケジュールが違うのだ。私は、
「今日の無料送迎バスはもう終わってるんです」
と説明して、すたすたと歩き始めた。すぐに大きな交差店に出たのだが、周りを見渡してもバス停らしきものは見当たらなかったし、路線バスも走っていそうにない。第一、どこに向かって歩いて行けばいいのかもさっぱりわからなかった。

 自家用車は、私が途方に暮れていることなどおかまいなしに、びゅんびゅん通り過ぎて行く。さきほどまで味わっていた贅沢な感覚は幻想だったのだろうか。私の職場から車でわずか十五分程度の距離のはずなのに、私はそんな場所で遭難してしまった。雨が吹き付ける中で、私の困っている想いが誰にも届かないことに孤独を感じた。

 あのとき、二階にある受付まで戻って路線バスについて尋ねれば良かったのではないかと私は後悔した。既に大きな交差点まで歩いて来てしまった私は、再び天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)まで戻る気にはなれなかった。しかし、これからどうしたらいいのだろう。遭難した私は考えた。そして、受付でもらった天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)のパンフレットが手元にあることを思い出したのだ。私はそのパンフレットを取り出して、藁にもすがる思いで天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)に携帯電話を使って電話を掛けた。
「さきほど利用させていただいた者ですが、無料送迎バスがまだあると思って勘違いしてしまいました。今、建物を出て大きな交差点のあたりにいるのですが、路線バスのバス停までどのように歩けば良いか、教えていただけないでしょうか」
すると、電話に出た男性は、無料送迎バスの運行スケジュールを確認してくださったあと、
「このあたりの路線バスは、遠いんですよね。よろしければお送りしますけれども?」
と信じられないようなことを言ってくださった。私は、
「いえいえ、とんでもありません。私一人ですし、それは申し訳ないです」
と引いたのだが、男性が熱心に「お送りします」と言ってくださるので、とうとうお言葉に甘えることにした。私一人のために送ってくださるとは、何とありがたいことなのだろう。

 電話を切ったあと、私はてっきり、無料送迎バスが私一人のために運行されるものだとばかり思っていた。しかし、出てすぐに交差点にいると言った私の目の前に止まったのは、どう見ても個人の自家用車だった。運転席から若い男性が顔をのぞかせて、私に助手席に乗るように案内してくれた。声の感じから、先ほどの電話の男性だとすぐにわかった。私は普段から、見知らぬ男性の運転する助手席に乗るようなことはしないのだが、今回は遭難者なので、意を決して助手席に乗り込んだ。今になって思えば、何とふてぶてしい利用客だろう。

 男性は、私を地下鉄の学園都市駅まで送り届けてくださった。学園都市と言うと、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯の無料送迎バスの送迎ルートでもある。気がつけば、見慣れた風景が飛び込んで来て、思わず胸の中が熱くなった。そこは、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯の無料送迎バスに乗って何度も往復した道だった。

 車の中で、天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)を今回初めて利用したこと、とても贅沢な時間を過ごせたことなどを話した。そして、ホームページにはラドン含有量が記載されていなかったので、是非ともラドン含有量を記載して欲しいとリクエストしておいた。

 こうして、送り届けてくださった男性のおかげで、遭難していた私は救われた。男性には深く感謝する次第である。八月になれば、無料送迎バスの運行スケジュールが一新され、もう少し遅い時間まで運行されるようになるらしい。そうなると、もっともっと利用しやすくなるだろう。

 それにしても、勤務先から近い場所にラジウム温泉が二つもあり、しかも、私がこれからお世話になろうとしている病院もその近くにある。もともと、私の勤務先は自宅から一時間半掛かる場所にあるので、もしも現在の勤務先で仕事をしていなければ、これらの施設を利用するきっかけはつかめなかったに違いない。仕事帰りに寄ることのできる、趣の異なる二つのラジウム温泉。これから私は、どちらに頻繁に通うことになるのだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 雨の日に、路線バスのバス停の見当たらない交差点に一人立つのはとても孤独でした。こんなとき、自動車の免許を持っていないことが悔やまれます。私一人のために、雨の中、わざわざ個人の自家用車を走らせてくださった天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)の男性社員の方に深く感謝しています。天然温泉&岩盤浴の隨縁の湯(ずいえん ZUIEN)では、まるで温泉旅館にいるような、贅沢な時間を過ごすことができました。高台にある露天風呂は、景色は見えませんが、景色が良く見えるということは、向こうからも見えるということですものね。(^^; 無料送迎バスの運行スケジュールと相談しながら、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯と交互に通いたい場所であります。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.19

布ナプキン

 注文しておいた布ナプキンが届いたので、早速使い始めた。私の生理は、ときどきひどく長引くのだが、今回はタンポンを使わなかったからだろうか。順調にフェイドアウトしている。結局、出血量が人並み以上に多かったのは二日目だけだった。この調子なら、出血量がある程度落ち着きさえすれば、布ナプキンを使用し続けることも可能だろう。私は、自分で出血量が多いと決め込んでいたので、実のところ、布ナプキンが自分に適合するのかどうか、とても不安だったのだ。

 初めて布ナプキンを下着にセットしたとき、何だかとてもうれしかった。このうれしさの正体は何なのだろう。ようやくこれで、たくさんの紙を消費しなくて済むというエコロジーの感覚からなのだろうか。驚かれるかもしれないが、私は、使い始める前に布ナプキンに頬ずりした。私が購入した布ナプキンは、一枚わずか数百円のものだが、コットン百パーセントの生地で作られていて、肌ざわりが抜群にいいのだ。肌に直接当たる部分はネル生地で、下着と接触する部分は女の子らしくかわいい柄(がら)の生地が使用されている。更に、このかわいらしい柄の上には、装飾リボンまで施されているのだ。布ナプキンは、広げると十字架の形をしていて、横十字には、下着とドッキングさせるためのボタンが付いている。とにかく、乙女心をくすぐるような布ナプキンなのだ。紙ナプキンのように機械で大量生産されたものとは違い、一つ一つ丁寧に手作りされた布ナプキンからは、作り手の楽しい気持ちが伝わって来る。

 私は、トイレに立って布ナプキンを確認する度ににまにまと笑った。最初のうちは、何故こんなにうれしいのか、うれしさの本質が良くわからなかったのだが、何度目かにトイレに立ったとき、そのうれしさの意味がようやくわかった。私は、布ナプキンの形が、紙ナプキンの形とそっくりなことがうれしかったのだ。

 世の中には、いろいろなタイプの布ナプキンが出回っているようだが、私が購入した布ナプキンは、紙ナプキンの形を忠実に再現していた。紙ナプキンを良く観察されている方ならご存知だと思うが、紙ナプキンには、血液を多く吸収しようとする中央の部分と、血液がそれほど付着しない周辺の部分の境界を示すような縫い目が入っていることがある。私が使い始めた布ナプキンもまた、中央の部分と周辺の部分の境界を示すように、ミシンで縫い目が入っていた。形といい、中央の部分と周辺の部分の境界の縫い目といい、本当に紙ナプキンとそっくりに作られていたのだ。ただ違うのは、長時間使用しても心地良い状態がずっと続くことだった。紙ナプキンはすぐに劣化してしまうので、例え量が少なくても、数時間ごとに取り替えなければ不快感を伴ってしまう。しかし、布ナプキンは、一日中使用していても心地良い状態がずっと持続するのである。しかも、きれいに洗うことで再利用できる。これはうれしくてたまらない。

 あまりにも紙ナプキンとそっくりな布ナプキンを、誰かに見せて一緒に笑いたいと思った。しかし、そんな話を一体どこで誰としたらいいのかわからずに、私は一人で喜びを抱え込んでいた。派遣仲間を掴まえて話を始めるにはあまりにも唐突過ぎる内容だし、いくら使い心地がいいとは言っても、まさかガンモに薦めるわけにも行くまい。

 一日役目を果たしてくれた布ナプキンは、水洗いしたあとは、洗濯ネットに入れて洗濯機で洗ってもいいらしい。実際、水洗いしてみると、布ナプキンに付着していた血液はすぐに取れた。不思議なものだ。コンタクトレンズだとか、カメラだとか、おむつだとか、世の中は、より手間のかからない使い捨ての時代へと動いているというのに、再利用できる布ナプキンを使うことがこんなにも気持ちがいいとは。

 私は少ない日から使い始めたのだが、もう少し量の多い日に使う人は、替えの布ナプキンを持ち歩くそうだ。汚してしまった布ナプキンは、スプレーで少量の水分を含ませておいて、ビニール製の入れ物に入れて、帰宅するまで密封しておくと良いそうだ。

 ガンモは、
「まるみが毎日、使い終わった布ナプキンを水洗いするとは思えないけど」
などと言うのだが、それは大丈夫。使い終わった布ナプキンを水洗いするのは、憂鬱なはずの一日を快適に過ごさせてくれた布ナプキンに対する感謝の気持ちを表すチャンスだと思っているから。しかし、私が毎日ちゃんと水洗いしたあとは、洗濯担当のガンモにバトンタッチするのだからね。ガンモにも、洗濯物を干す楽しみが増えるというものだ。布ナプキンを干すガンモは、今の私のように、きっとうれしくてたまらないに違いない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ネットで検索してみると、いろいろなタイプの布ナプキンがあるのですね。独創的な布ナプキンがたくさんあり、見ているだけでも楽しくなって来ます。私も見よう見真似で布ナプキンを作ってみたい気もするのですが、いかんせん、我が家にはミシンがないのです。(^^; それにしても、私がこんなに楽しい気持ちになっているのは、私が購入したショップの方が、楽しく布ナプキンを手作りしていらっしゃるからでしょうか。楽しい気持ちって、感染すると思います。私の楽しさも、この記事を読んでくださった皆さんにちゃんと届くといいのですが。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.18

ホットヨガ(六十回目)

 月に一度の定時退社日。私はホットヨガの神戸店で七十五分のアクティヴコースのレッスンを予約していた。思えば、ここのところスクイーズクラスのレッスンばかり受けていたので、七十五分のアクティヴコースのレッスンがやけに懐かしく思える。

 着替えを済ませてスタジオに入ってみると、レッスンで知り合った人たち同士なのか、それとも元々の友人同士なのかわからないが、数名の人たちが楽しくおしゃべりをしていた。ほとんどの人たちが一人で参加されているので、おしゃべりをしている人たちがいるとかなり目立つ。特に私は強いエネルギーに反応しやすいのか、例えば二人で会話しているうちの、声が大きくてはきはきしている人だけを記憶す傾向がある。どういうわけか、二人で交わされている会話も、一人の声しか聞こえて来ないのだ。声の大きさが存在感となり、私の記憶に留まるようだ。

 今回、スタジオに用意されていたヨガマットは、全部で十六枚だった。前回の二十名参加のひしめき合いからすれば、今回は比較的ゆったりとレッスンを受けることができたと言える。気がつけば、目の前に誰かのプリティなお尻があるというような刺激的なこともなかった。

 インストラクターは、受付で良くお話をさせていただいている女性だった。しかし、受付で話をするのではなく、こうしてレッスンを受けるのは何となく気恥ずかしいものだ。レッスンの途中、そのインストラクターが私のポーズに手を添えてポーズを直してくださった。そのとき、インストラクターの体温をすぐ側で感じてドキドキしてしまった。彼女の体温は、私よりもずっと上昇していた。まさしく、身体の中が燃えているという感じだったのだ。痩せている人が運動をすると、こうも身体が燃えるのかと驚いた。

 そんな私も、この二ヶ月で体重が五キロ以上落ちたからだろうか。以前よりもずっとポーズが取り易くなっているのを感じた。身体も柔らかくなり、前屈がぐっと深くなった。私は決して身体が固かったわけではなく、どうやら脂肪が柔軟性の邪魔になっていたらしい。あれよあれよという間に前屈できるようになった私は、自分の限界を超えることができたことに対し、大きな喜びを感じた。

 レッスンを終えてシャワーを浴びたあと、着替えを済ませて受付にロッカールームの鍵を返しに行くと、さきほどのインストラクターが受付に立っていた。他に人が来なかったので、私はしばらく彼女とお話しさせていただいた。彼女は、私がレッスンの途中で苦しくなって休憩したのではないかと心配してくださったていた。私がレッスンの途中で休憩したのは、お腹を下にするバッタのポーズのときだった。私は、決して疲れていたわけではないと前置きした上で、
「実は私、筋腫があるので、お腹を下にするポーズが取れないんですよ」
と言った。すると彼女は、
「なるほど、そういうことだったんですね」
と妙に納得されていた。
「脂肪燃焼コースに対抗して、筋腫燃焼コースも作ってくださいよ」
などという突拍子もない言葉が口から出掛かっていたが、言葉にする前にぐっと飲み込んだ。

 話をしている間中、私が顔からダラダラと汗を流しているので、彼女が受付にあるティッシュを取ってくれた。レッスン直後はいつもこうなのだ。私はありがたくティッシュを受け取り、それで汗を拭きながら、
「どこから汗が一番良く出ますか?」
と彼女に聞いてみた。言うまでもなく、私は顔から汗が一番良く出るのだが、彼女は、背中と首の下の辺りなのだそうだ。人によって、汗が出て来る場所が違うのも面白い。

 長話をしているうちに、誰かがロッカーの鍵を返しに来たので、私はそこで退散することにした。

 スタジオを出てガンモに電話を掛けてみると、ガンモは仕事を終えて三宮にいるらしい。お互い、ちょうど同じ新快速電車に乗れそうな時間にホームに着いたので、
「○○分の新快速電車に乗るから」
と言って、どの車両に乗るかを決めて新快速電車に飛び乗った。神戸と三宮は、途中の元町を飛ばすだけなので新快速電車でわずか二分程度だ。私の乗った新快速電車が三宮に着くと、同じ車両にガンモが乗り込んで来た。とても不思議だ。特に時間を指定して待ち合わせていたわけでもないのに、ガンモの仕事が終わる時間と、私のレッスンが終わる時間がほぼ同じで、同じようにそれぞれの最寄駅に向かい、同じ新快速電車に乗って帰宅できるのだから。もしかすると、レッスン後のインストラクターとの長話もちゃんと計算されていたのだろうか。そして、ガンモとの待ち合わせにぴったりな時間にスタジオを退出できるように、ロッカーに鍵を返しに来る人が現れたのだろうか。わざわざ合わさなくても自然に合わせられる。ガンモとは、そんな不思議な縁がある。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m インストラクターとの会話の中で、「期間限定のスクイーズクラスのレッスンが終わったら、自分がどのレッスンに戻ればいいかわからないんです」と私は言いました。何となく、自分が常に目新しいレッスンを探しているような気がしたのです。となると、やはり脂肪燃焼コースでしょうか。むしろ、ビギナーコースも新たな発見があっていいかもしれませんけどね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (1)

2007.07.17

お土産を生かす

映画『キサラギ』の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 既に映画をご覧になって、共感してくださった方もいらっしゃるのかもしれませんね。私にとっては、「書く」という視点から、とても刺激される映画でした。まだご覧になっていない方は、私に騙されたと思って、是非ともご覧になってみてくださいませ。ところで、この場をお借りしてお詫びさせていただきたいことがあります。映画『キサラギ』の記事において、文中のリンク先が複数箇所間違っていましたので、修正させていただきました。ユーザーレビューのリンク先と、柏崎で撮影した写真のリンク先です。思いもよらないページにジャンプしてしまった方、申し訳ありませんでした。m(__)m

 私たちの職場に、他国から二組に分かれて合計四名の研修生がやって来た。目的は、日本語を習得するために私たちの職場のプロジェクトに配属されて一緒に仕事をするというものである。一組目の研修生は、他国から海を渡って直接やって来た。一週間ほどこちらに滞在されるという。もう一組目の研修生は、国内にある別の系列会社で三ヶ月の研修を終えたあと、私たちの職場にやって来た。こちらにはおよそ三ヶ月滞在されるそうだ。

 彼らは全員、私の参加しているプロジェクトとは別の大型プロジェクトに配属された。そのプロジェクトをVプロジェクトとしよう。Vプロジェクトは大型プロジェクトなので、私の直属の上司よりも更に高い役職のリーダーが二人も仕切っている。ちなみに、私の参加しているプロジェクトには、同格のリーダーは一人しかいない。

 一組目の研修生たちが、私たちのために自国のお土産を持って来てくれた。そのお土産を、Vプロジェクトのリーダーの一人が、いつもお土産を置く場所に置いた。いつもお土産を置く場所というのは、みんなが使う電気ポットのすぐ隣にある冷蔵庫の上である。そこにお土産を置いておくと、電気ポットのお湯を使うためにやって来た人たちがお土産を見つけて自由に持ち帰るだろうと考えたらしい。

 これまでにも、その場所には誰かのお土産が置かれているのを何度か見掛けたことがある。しかし、社風なのか、「○○さんのお土産です」とも、「どうぞご自由にお取りください」とも一言も書かれていない。ただお土産が無造作に置かれているだけなのである。これではなかなかいただき辛いので、私もこれまで一度もお土産をいただいたことはない。

 他国からのお土産は、合わせて三箱もあった。しかし、私が電気ポットのお湯を使う度にチラチラと確認したが、そのお土産にはほとんど誰も手をつけていなかった。おまけに、つい先日、リフレッシュ休暇を取ってオーストラリアに行って来たという別のプロジェクトのリーダーが、他国のお土産のすぐ隣にオーストラリアのチョコレートのお土産を自分で張り紙をして置いた。その張り紙には、「オーストラリアに行って来ました。どうぞご自由にお取りください」と書かれ、ご自分の名前まで入れている。人間の心理だろうか。ご本人からの張り紙があると、食べてもいいと許された気になるのだ。私が電気ポットのお湯を使うためにそこを訪れる度に、オーストラリアのお土産は少しずつ着実に減っていた。しかし、誰からも許可されない他国からのお土産は、いっこうに減る気配がなかった。私は、電気ポットを使うためにそこを訪れる度に胸がチクチク痛んだ。そもそも、お土産をいただいたのなら、責任を持ってみんなに配るのが筋というものではないだろうか。もともと、オフィス全体に行き渡るくらいの数はあったのだ。ただ単に、お土産を置く場所に無造作に置いただけでは、他国からわざわざ運んでくださったお土産が生かされない。

 私は、Vプロジェクトに配属されている派遣仲間に相談してみた。彼女に言うことではないとわかってはいるのだが、私自身、派遣社員であり、しかも自分が参加しているのではないプロジェクトのリーダーに対して直接何か言えるような立場でもない。彼女は、電気ポットを使用する人ではないので、他国からのお土産が無造作に置かれていることも、そのお土産がほとんど手付かずの状態で残っていることも知らなかったのだそうだ。唯一の救いは、そのお土産は彼女も受け取ったが、比較的日持ちのいい食べ物らしい。
「今のままでは、せっかくお土産を持って来てくださったのに申し訳ないよ」
と私が言うと、派遣仲間は、
「うん、わかったよ。じゃあ、リーダーにそれとなく話してみるね」
と言ってくれた。

 しばらく経って、その派遣仲間から、職場のメールアドレスにメールが届いた。そのメールには、二人のリーダーと彼女の直属の上司に彼女が送付したメールが添付されていた。そのメールによれば、私の名前は出されていないが、電気ポットの近くに置いてある他国からのお土産がほとんど手付かずの状態で残ったままであること。そうした状況に対し、「このままでいいの?」と聞かれたがどう思うか? というようなことが書かれていた。更に、派遣仲間のそのメールに対し、リーダーの一人からの返信メールも添付されていた。その内容によれば、お土産を持って来てくれた、一週間滞在する予定の一組目の研修生たちが帰国されるまでは置いておくつもりだったが、帰国されたら破棄するという。つまり、私の言ったことが、食べ物をいつまでも放置しているのは衛生上よろしくないのではないかという指摘にとらえられているのだった。

 私は驚いて、メールを送ってくれた派遣仲間にすぐにメールを書いた。
「私が言いたかったのはそういうことじゃなくて、お土産をいただいたなら、一人一人に配るくらいのことをして欲しかったということだったのに。せめて、全体の昼礼でお土産をいただいたことを一言言っておくとか、お土産をいただいたことを張り紙するとか、そういうことだったんだけど」
と彼女にぶちまけた。せっかく話を取り次いでくれた彼女にそんなことを言うのも申し訳なかったのだが、何だかとてもやりきれない気持ちでいっぱいだった。

 私は、自分が旅行をするから良くわかるのだ。箱に入ったお土産はひどくかさばる。しかもお土産は、会社以外にもたくさん買って来るだろう。長旅をする中で、お土産の箱がつぶれたりしないように、一生懸命配慮もする。そんな思いまでしてわざわざ他国から持って来てくださったお土産をお預かりしたというのに、それを誰に対してもアピールすることもなく、黙って放置し、彼らが帰国したら廃棄しようとするとは・・・・・・。

 私はもう、開いた口が塞がらず、激しい憤りを感じて、自分が派遣社員であるとか、別のプロジェクトの問題に首を突っ込むとかそんなことはおかまいなしに、Vプロジェクトの二人のリーダーに対してメールを書いていた。もちろん、相談に乗ってくれた派遣仲間も宛先に加えて送信した。以下に、その全文をご紹介しよう。

すみません。こんなこと、私が言うべきことじゃないのかもしれませんが、○○(国の名前)の方からのお土産の件で△△さん(派遣仲間の名前)にお話をさせていただいたのは私です。

普段から、電気ポットを利用しているのですが、冷蔵庫の上に置かれている○○(国の名前)の方からのお土産がほとんど減ることもなく残っているのがずっと気になっていました。

せっかくいただいたお土産ですので、お土産をいただいていることについて全体昼礼のときに一声掛けるとか、または□□さん(オーストラリアからのお土産を置いた人)のようにちょっとした張り紙を置いておくのはいかがでしょうか。

○○(国の名前)から来られた方たちもポットのお湯を利用されているので、お土産がずっと残っている状況をご存知のはずです。そうした状況は、私としても大変心が痛みます。

このままでは、せっかくいただいたお土産を生かし切れていないような気がして、メールさせていただきました。

 私のメールに驚いたのか、それとも仕事が忙しかったからなのか、今のところ、リーダーからのメールの返信はない。私の指摘を衛生上の問題と勘違いし、お土産を廃棄するつもりでいたのだから、むしろリーダーのほうが開いた口が塞がらない状態なのかもしれない。リーダーの開いた口が塞がったら、私にメールの返事を書いてくれるのだろうか。

 ガンモの会社はどうなのだろうと思い、私はガンモに尋ねてみた。すると、ガンモの会社でもお土産を置く場所は確かに決まっているが、自分で置くのではなく、総務の人がお土産を預かってくれて、「○○さんからのお土産です。どうぞお取りください」とメッセージを添えてくれるのだそうだ。誰からのお土産であるかを示することにより、お土産を食べた人はお土産を買って来た人に対し、お礼を言うことができる。そうした循環こそが、お土産を生かすということなのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 皆さんの会社では、お土産はちゃんと生かされていますか? 私のいる職場は、お土産に関して、とても消極的な職場だと思います。以前も書きましたが、同じプロジェクトの人たちにお土産を買って来て配っても、「どこに行って来たの?」という会話にもならなければ、席を外している人にそっとお土産を配っても、「誰からのお土産?」という確認もなしにそのまま過ぎてしまいます。とにかく全体的に、コミュニケーションの取り方がとても下手なのです。そのために、元気な人はどうしても空回りしてしまうようです。実際、自分の中の過剰なエネルギーを発散できなくて困っている派遣仲間もいるくらいです。受身に慣れているのか、コミュニケーションのボールを受け取ったら、なかなか返さない人が多いですね。(苦笑)えっ? 私もいつもメールや掲示板の返信が遅いのに、人のことなんか言えないだろうですって? あははははは・・・・・・は。(フェイドアウト)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.16

映画『キサラギ』

ホットヨガ(五十九回目)の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ホットヨガの記事は、タイトルは良く似ているものの、毎回、様々なドラマを綴っているつもりですが、皆さん、見逃さずにちゃんと読んでくださっているのですね。どうもありがとうございます。m(__)m いつか、私の女性性も思い切り引き出されてみたいです。(笑) それから、この場をお借りしまして、大きな地震のあった地域にお住まいの方たちにお見舞い申し上げます。特に柏崎は、ガンモと二人で鉄道乗り潰しの旅に出掛けた場所でもあり、二人で商店街を歩いたことが思い出されます。(参考:ガタンゴトンツアー(2003年夏)8月12日)クジラや船の形をした大きな植木鉢に花が植えられている、市民の方たちの手作りのあたたかさを感じさせてくれる商店街でした。どうか一日も早く安全性が確認され、皆さまが平穏な生活を取り戻すことができますように。

 映画館で予告編を観たときは、それほど観たいと思えるような映画には感じられなかったのだが、Yahoo!映画 - キサラギ - 作品ユーザーレビューの評価がずば抜けていい。一体どういうことだと思っていたら、『ALWAYS 三丁目の夕日』、そして今年公開される予定の『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の脚本を手掛けた古沢良太氏の原作・脚本だったのだ。彼の脚本なら、間違いなく笑える。私は、『ALWAYS 三丁目の夕日』を観たときの余韻を思い出していた。しかし、この映画が公開されてもなかなか映画館に足を運ぶことができないでいたのは、まだ私の中で、映画を観て大いに笑える準備が整っていなかったからなのだろう。

 この映画は、自殺したアイドル如月ミキの一周忌の追悼会に集まった熱烈なファンが追悼会の会場で織り成すドラマだ。熱烈なファンとは、インターネットの掲示板で知り合ったオタクたちである。オタクたちは、如月ミキに関するレアグッズを一生懸命集めている。そう、彼らにとってはこの追悼会が、初めてのオフ会になったのだ。インターネットで知り合った者同士が初めて顔を合わせるときの雰囲気や、本名を明かさずにお互いをハンドルネームで呼び合うこと、アイドルの熱烈なファン心理が絶妙に描き出されていて、わかる人にはわかる面白さを引き出している。

 邦画を観てこれほど笑ったのは初めてかもしれない。映画館で、堂々と声をあげて笑えるような映画は実に少ないのだ。周りが笑っていないのに自分一人だけ大声で笑うわけには行かない。万人に共通するような笑いがなければ、つまり、笑いで会場を一つにできるような映画でなければ、堂々と声をあげて笑うことはできないものだ。そうした点において、この映画は、万人に共通するような笑いのセンスを備えている。

 絶賛すべきは、やはり脚本だ。脚本の間の取り方が絶妙にうまい。もしもこれから脚本家を目指そうと意欲を燃やしている方がいらっしゃるなら、絶対にこの映画を観るべきだ。そうすれば、この映画の脚本を通して、登場人物にまんべんなく役を持たせる技術や、ありとあらゆる出来事を連鎖させるうまさ、それから、ストーリーの意外性を学ぶことができるだろう。一体どうしたらこのような脚本を書くことができるのだろう。思わずノートを取り出して、「起承転結」を分解したくなってしまう。物語の途中で、ホットヨガのスクイーズコースのように内容を絞って絞って絞って・・・・・・。最後はまるでズームレンズの焦点を絞るかのように、一つの結論が導き出される。いやはや本当に素晴らしい。しかも、舞台のセットは追悼会の会場がメインなので、大掛かりなロケも必要ない。

 もしかすると、映画製作と音楽製作は良く似ているのかもしれない。主旋律ばかりが独走するような音楽よりも、様々な音がハーモニーとなって、いくつもの和音を織り成すほうがいい。この映画を振り返ってみると、一体誰が主人公で誰が脇役なのだろうと考え込んでしまう。主人公も脇役もいない映画なんて、他にあるだろうか。

 私の好きなシーンは、ラスト手前のみんなで小さなプラネタリウムを眺めるシーンだ。「今、ここにいることが大切なんだ」という、哲学的な台詞が展開され、登場人物たちが小さなプラネタリウムに見入っている。そこでは、それぞれの登場人物たちが星座に例えられている。つまり、いくつかの星と星を繋ぎ合わせて星座を導き出すように、人間模様も意味を持って繋がり、やがては一つの結論を導き出すということだ。

 しかし、その結論を受けるならば、宍戸錠さんが登場するラストシーンはどう捉えたらいいのだろう。一年前に、追悼会に参加した人たちの中で既に一つの結論が導き出されたというのに。そこに新たな人が加われば、新たな事実が導き出されることになるのだろうか。考えれば考えるほど、笑いの出て来る映画である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私が拝見しているブログでも、既にこの映画をご覧になった方がいらっしゃったようですね。いやはや、実に面白い映画でした。こういう映画は、文章を書くことを趣味としている私にとっても、勉強になります。やはり気になるのは、原作・脚本を書かれた古沢良太氏は、一体何から思いついてここまでの作品を仕上げたのだろうということでした。ストーリーにひねりを利かせるには、ひねりを利かせる以前のまっすぐなストーリーがあったはずで、それに少しずつ脚色を加えて行ったのでしょうか。つまり、音楽で言うと、最初から和音を考えていたか、最初は主旋律だけ思いついたかということですが・・・・・・。やはり、最初から和音なんでしょうね。ということは、最初からひねりを利かせていたということになりましょうか。実は私も中学の頃から脚本を書いていましたが、いつか私もこのような脚本を書いてみたいですね。『ALWAYS 続・三丁目の夕日』の公開も楽しみです。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (1)

2007.07.15

ホットヨガ(五十九回目)

 三連休二日目の日曜日。ガンモは前日の夜から仕事に出掛けて不在だった。朝、目を覚ましてみると、昨日よりは身体がずっと軽くなっているのを感じた。この程度なら、ホットヨガのレッスンに参加することも可能だろう。私はそう思い、ゆっくりと起き上がってしばらくくつろいだあと、レッスンに出掛ける準備を整えて家を出た。ガンモは昼過ぎまで仕事だったので、またしても私がホットヨガに出掛けて行くのと入れ違いになってしまった。それでも、ガンモは徹夜明けなので、帰宅したらゆっくりと眠りたいだろう。私が家に居てガサゴソ音を立てて動き回るよりはいいかもしれない。

 今回参加したレッスンも、前回と同じく神戸店での六十分のスクイーズクラスである。着替えを済ませてスタジオに入ってみると、狭いスタジオの中にびっちりとヨガマットが敷かれていた。ヨガマットの数を数えてみると、きっかり二十枚あった。神戸店にはもっと広いスタジオもあるのだが、狭いほうのスタジオで二十名もレッスンを受けるのは、正直言ってかなり厳しい。おそらく、広いほうのスタジオではもっと多くの人たちがレッスンを受けているのだろう。

 今回のインストラクターは、初めてスクイーズクラスのレッスンを受けたときに、サポート役を務めてくださったインストラクターだった。前回の記事で、インストラクターによって人の惹き付け方が違うというようなことを書いたが、今回のインストラクターは、吉本興業から派遣されたかのようなインストラクターだった。いや、私が勝手にそう思っているだけで、他の人たちは同じように感じてはいないかもしれない。吉本興業から派遣されたようなインストラクターと言っても、決して漫才師のようなインストラクターというわけではなく、関西弁のアクセントで、惹き付けるようなしゃべり方をするインストラクターだった。そして、スクイーズクラスの初めてのレッスンで彼女がそうだったように、今回ももう一人のインストラクターがサポーター役でレッスンに参加してくれた。

 インストラクターが、
「スクイーズクラスの参加が今日、初めての方いらっしゃいますか?」
と尋ねると、四、五名の方たちがパラパラと手を挙げていた。ほとんどの方たちが既にスクイーズクラスの経験ありということで、参加者も少しずつ慣れて来て戸惑いが少なくなっていた。もちろん、憧れのフリーパス会員の方も参加されていた。

 レッスン開始後、数分経った頃、スタジオに遅れて入って来た人がいた。彼女は私の隣の、鏡に継ぎ目のある場所に敷かれたヨガマットにやって来た。もう、そこしか空きがなかったのだ。とてもスタイルの良いかわいらしい女性だった。さきほども書いたように、今回のレッスンは二十名でひしめき合うようなレッスンだった。困ったことに、彼女のセパレート式の挑発的なレッスン着は、私の中で眠っている男性性を強く刺激した。他の人たちのレッスン着をスクール水着に例えるならば、彼女のレッスン着はビキニに相当していた。しかも、彼女の形の整った胸の谷間がスタジオ内の鏡に映ってチラチラと見えてしまう。極めつけは、私がポーズを取っていると、隣同士があまりにも接近しているために、いつの間にか彼女のプリティなお尻が私の目の前にあったことだ。これはいかん。女性同士であるとは言え、あまりにも刺激が強過ぎる。彼女のようにかわいくて小柄でスタイルが良ければ、世の男性たちは彼女を放ってはおかないだろう。そんな彼女と急接近してしまった私は、自分が女性で良かったと思うのだった。(意味不明)

 レッスンを終えたあと、私は神戸店のすぐ隣にあるシネ・カノン神戸で『それでも生きる子供たちへ』という映画を観た。貧困や孤独、エイズと直面する世界の子供たちの問題を数人の監督がオムニバス形式で描いた切ない作品だった。

 帰宅したあと、眠りから覚めたガンモに、レッスン中にすぐ隣にいたセクシーでかわいい女性のお尻が目の前に来たことなどを話して聞かせると、
「俺もホットヨガのレッスン、受けようかな」
と言った。おいおい、ガンモよ。私がこれまで、いくらレッスンに誘っても行かないと言っていたくせに。と思いつつも、ガンモに本気でトライアルレッスンを受ける気がないことは、かれこれ十一年連れ添っている私には良くわかるのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m いくら女性同士であるとは言え、目の前にお尻があるのは、かなり刺激的です。(苦笑)そう言えば、ホットヨガのレッスンのときも、映画を観ているときも、タンポンを使いませんでした。生理の三日目に二時間以上の映画をナプキンだけで観るなんて、これまでの私からすると考えられないことでした。覚悟を決めれば出血量をコントロールできるのでしょうか。それとも、タンポンを使わないことで、受け入れられている実感があり、穏やかな出血状態が保たれているのでしょうか。とにかく、今回は出血が多いのは二日目だけに留まりました。もしかすると、予定よりも早く布ナプキンを使い始めることができるかもしれません。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2007.07.14

安息日

 三連休初日の土曜日。私にとっては重い生理の二日目となった。出血量が激しく、私の身体からはおびただしい量の血が流出し、意識ははっきりせず、目の周りがチカチカする状況にまで追い込まれていた。仕事が休みであることがありがたいような、休日なのに自由に動き回れないことが悔しいような、そんな複雑な想いを抱えてもいた。休日ともなると、私はホットヨガのレッスンの予約を入れているのだが、今日はたまたま予約を入れておかなくて良かったとさえ思った。

 おまけに、二日ほど前から親知らずが残っている奥歯のあたりが痛み始めたため、いつもお世話になっている近所の歯科を訪れた。ガンモは、私にまだ親知らずが残っていることを知って驚いていたが、確かこの親知らずは、もう何年も前に暴れ始めたときに別の歯科で少し削ってもらい、症状を抑えていたものだった。どうやらそれが再びにょきにょきと成長し始めたらしい。

 歯科医は、私の親知らずの様子を見るために、レントゲンを撮った。レントゲンを見る限り、親知らずはまっすぐに生えているので、害はなさそうだということだった。痛みの原因は、親知らずが生えているのが歯ブラシの届きにくいずっと奥のほうなので、そこに歯垢が溜まり、炎症を起こしているということだった。
「こういうことは良くあることなんですよ。五日分のお薬を出しておきますので、それを飲んで様子を見てください」
と歯科医は言った。私は、かつてのように親知らずを削られると思っていたので、ひとまずほっと胸を撫で下ろした。生理の二日目に麻酔を注射されるのは御免被(こうむ)りたいと思っていたからだ。

 家に帰り、食事を取ったあと、処方された薬を飲んでみたが、症状はほとんど変わらなかった。処方されているのは、化膿止めの薬である。この薬を飲んでも効果がないということは、私の歯茎は化膿を抑えるよりも、もっと別の方向へと進みたがっているのではないかと思えた。親知らずではないが、かつてガンモが同じような症状に悩まされたとき、薬を飲んでも一向に痛みが収まる気配がなかった。しかし、ガンモはしばらく苦しんだあと、ようやく膿が出て楽になったのだ。おそらく、私にもそれと同じようなことが起こっているのではないだろうか。こういうときはむしろ、薬を飲まずに膿が熟して弾けるのをしばらく待ってみたほうがいいのかもしれない。膿にもピークというものがある。ピークを過ぎれば、あとは下り坂だ。処方された薬が効かないのだから、無理に反対の力で抑え込むよりも、ピークがやって来るのを待ったほうが賢明だ。

 一方、生理の出血量がおびただしいので、私は鉄分を補給するサプリメントを飲み、今日は一日中何もしないと心に決めてのんびり過ごすことにした。総合的に見れば、今回の生理が三連休に当たったのは好都合だったと言える。というのも、仕事をしている時期に生理の二日目が当たるとなると、タンポンの連続使用を余儀なくされるからだ。タンポンの連続使用は膣に負担がかかるので、できれば使用を控えたいところだが、外出してしまうとどうしても吸収率の高いタンポンに頼らなければならない。しかし、自宅で過ごせるならば、こまめにナプキンを取り替えればいいのだ。

 私はこうしてナプキンの使用だけで今回の生理をやり過ごすことにした。すると、身体がとても喜んでいるのを感じた。まるで、麻酔を注射されずに済んだ私の歯のように、ほっとしているのだ。そして私は、これまでいかに自分の身体を痛めつけていたかを悟った。これまでの私は、安息日を設けずに、自分を奮い立たせて仕事に出掛け、トイレに立つごとにタンポンを取り替えていた。タンポンを使用していても、勤務先で生理の血液がズボンに付着してしまったこともあった。そんな日は無理して仕事に出掛けなくても、こうして自宅でのんびり過ごせば良かったのだ。

 夜になり、ガンモが買い物に出掛けようと言って来たが、
「ごめん。お客さんが重いんだよ」
と言って、いったん断りかけた。しかしそのあとガンモは仕事で大きなイベントを控えていて、自宅近くの客先で徹夜作業の予定が入っていた。そんなガンモにお弁当を用意することもできなかったので、
「わかったよ。行こう」
と言って、お腹にカイロを貼って出掛ける準備を整えた。

 ところが、いざ立体駐車場に降りてみると、数ヶ月ほど前にちちんぷいぷいのおまじないで治した私たちの三十万円ベンツのエンジンがまたしてもかからなくなっていた。ガンモはしばらく四苦八苦していたが、やがて諦めて車から出て来た。私たちは仕方なく、歩いて近所のスーパーに買い物に行った。

 ご飯を食べてしばらくくつろいだあと、ガンモは二十三時過ぎに仕事に出掛けて行った。私の生理の二日目は、お腹に貼ったカイロのお陰でずいぶん和らぎ、翌日予約しているホットヨガのレッスンには参加できそうなくらいに回復していた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m またしても更新が遅くなり、申し訳ありません。実は、この翌日、体重を計ってみたら、六百グラムほど減っていました。いつもよりもたくさん食べたくらいだったので、体重計に乗ったときは、それだけたくさんの血が出て行ってしまったのかと驚きました。それにしても、タンポンを使わないというのは、ストレスがなくていいですね。ナプキンは、「出て来るなら出ておいで。全部受け止めるから」という姿勢ですが、タンポンは、「できるだけ出てくれるなよ。やっかいだから」という姿勢なんでしょうね。だから、身体としては本当は出て行きたいのに、ストレスを感じてしまうのだと思います。ちょうど三連休の時期に出血の多い時期が当たったおかげで、いろいろな経験ができました。これからは、できるだけ安息日を設けたいと思います。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.13

来客あり

 基礎体温を測っていなくても、自分の体温が上下するのは体感できる。朝、起きたときはそれほど体温が下がっているとは思えなかったものの、午後になってから体温が下がって来た。私は、「とうとう生理が来るか」と覚悟を決め、「プロゲステロン期の最後のチャンスだ!」と思いながら、再び仕事を定時に上がり、プチ湯治のために天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯へと向かった。

 しばらくここに来られないかと思うと、プチ湯治にも力が入った。私は湯船に入ると、ブクブクと泡立っている場所に座り、温泉の成分が少しでも筋腫に届くように、できるだけ足を広げて座る。もしもこの方法が有効なら、生理中にタンポンを使用しての入浴はほとんど効果がないことになる。しばらくお湯に浸かっていると、次第に身体がほてって来るので、今度は打たせ湯に入る。結婚指輪を流さないように注意しながら、他のお湯よりもぬるめの打たせ湯に打たれた。打たせ湯では、肩や腰のほか、筋腫の侵食も狙って打たれてみる。打たせ湯を上がると、今度はミストサウナへと移動する。ものの本によると、ラジウム温泉のミストサウナは、岩盤浴や通常の入浴よりも効果が高いそうだ。私はミストサウナの中で一人になると、ヨガのポーズを取ったりしている。ヨガのポーズを取っていると、耳元でインストラクターの声が響いて来る。ミストサウナから上がると、カランに戻り、身体を洗う。そして再びブクブクの泡へ。また、時にはジェットバスへ。身体を温めたり冷ましたりしながら、私は無料送迎バスの時間になるまでプチ湯治を続けた。

 そろそろ湯から上がって着替えをしなければならない時間がやって来たとき、湯船に浸かっていると、しばらくここに来られないであろうことを寂しく思った。私は心の中で、「天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯よ、ありがとう。しばらく来られないけど、きっとまた来るからね」とつぶやいた。

 私にとっては区切りのプチ湯治となったわけだが、その区切りを象徴するかのように、会員になった天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯のポイントカードに当たりが出た。このポイントカードは、利用日ごとに一回、自分でカードリーダーに通すのだが、利用回数に応じてカードリーダが当たりを印刷するのだ。もちろん、当たりが出ないこともある。私は、出て来たポイントカードに「当たり」が表示がされているのを見て驚いた。受付の人に当たりが出たことを告げると、受付の人は、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯のオリジナルタオルを私にくれた。そのオリジナルタオルは、わずか百円で売られているものだが、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯のロゴが入っているのがうれしい。

ポイントカード

オリジナルタオル

 さて、いつものように無料送迎バスに乗って地下鉄学園都市駅に着いたとき、普段はすぐに電車に乗ってしまうのに、どういうわけかトイレに行きたくなった。そこで、駅のトイレに入ってみると、下着にうっすらと赤いものが付着していた。「あっ」と思った。何というタイミングだろう。私にあと一回のプチ湯治を体験させるために、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯から上がるまで持ち堪えたのだ。私はガンモに電話を掛けて、生理が来たことを伝えた。
「お客さん、来たから」
お客さんとは、ガンまる用語で生理のことである。するとガンモは、
「いらっしゃーい」
と言った。これが生理が来たときのいつもの私たちの会話である。私はガンモの「いらっしゃーい」を聞きたくて、毎回、生理が来たことをガンモに報告する。それから私は、初潮を迎えたばかりの乙女のようなすがすがしい気持ちで地下鉄に乗った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 体温が下がると生理が始まるのは百発百中ですね。ひとまずプチ湯治を終えた私の筋腫は、いくぶん柔らかくなって来ているようです。筋腫は時期によって固くなったり柔らかくなったりしますが、ラジウム温泉のホルミシス効果により、筋腫の体積が減って柔らかくなっているといいのですが。そう言えば、先日の日記に書いたMRIのフィルムを取り寄せる件ですが、まだ動いていません。というのも、そもそもMRIの検査費は五千円ちょっとだったのですが、フィルムのコピーを買うのに三千円程度支払うよりも、新たに最新の画像を取り直し手もらったほうがいいのではないかという葛藤も生まれて来たからです。当然、三年前の画像と先月の画像の二枚のフィルムを購入することになるとは思うのですが、そうなると六千円の出費です。決してお金の問題ではないとは思うのですが、何度も病院に足を運びたくない状況もあり、決めかねています。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.12

反面教師にありがとう

 これまでのいくつもの経験から、理解しようとうする姿勢を示さずに、ものごとの周辺だけを材料に判断する人たちを見て来た。例えば、映画の周辺だけを彷徨い、その映画を通して監督が本当に伝えたかったことを受け取らずに、この映画は面白くないと評価する人たち。に書いた大きな出来事に対し、見守る姿勢を見せることなく判断し、そこで立ち止まろうとする人たち。そうした人たちは、私にとっての反面教師となり、彼らのようにはなりたくないと私に固く誓わせるのだった。

 私は今、リー博士の推奨したプロゲステロン・クリームを見直し始めている。先月、主治医からMRIの画像を見せられたとき、私には天然のプロゲステロン・クリームは効果がなかったと判断した。しかし、ここのところ通勤の合間にリー博士の本を読み返しいるうちに、これまで気付かなかったことに気が付いたのだ。言うまでもなく、リー博士の本とは、医者も知らないホルモン・バランス―自然なプロゲステロンが女性の一生の健康を守る!続・医者も知らないホルモン・バランス―自然なプロゲステロンである。

 私はこれらの本を、私と同じように子宮筋腫を抱えている職場の二人の女性にそれぞれ貸したのだが、彼女たちのどちらもこの本を詳しく読まずに私に返却して来た。この本は女性ホルモンに関する本なのだが、内容がかなり専門的であるために、受け付けない人にはなかなか読み進めることができないようだ。しかし、どういうわけか私には、これらの本から多くのことを吸収しようとする姿勢が最初から感じられたのだ。リー博士のこれらの著書から、女性ホルモンという大きなテーマに対し、ライフワークとも思える強い意気込みを感じたからかもしれない。

 私が初めてこれらの本に出会ってから、既に一年半余りが経過している。こうして読み返してみると、天然のプロゲステロンを補給することにより、いくつもの婦人病の症状が改善されたというアメリカにおける症例や、日本でも共通する婦人科の医師の思い込みなどについて詳しく取り上げられていた。これらの本を読んで、私は天然のプロゲステロン・クリームを使い始めたわけだが、果たして効果がなかったと言い切れるのかどうか、本を読みながらもう一度検証してみたのである。すると、私のプロゲステロン・クリームの使い方には二つの問題があることがわかった。

 一つは、使用する量である。リー博士の本によれば、二オンス入りのプロゲステロン・クリームをわずか一ヶ月で半分使い切ることを推奨していた。ということは、ニオンス入りなら、二ヶ月で使い切るということである。私が現在使用しているのは、去年、ハワイで買って来た四オンス入りのプロゲステロン・クリームだが、かれこれこれを何ヶ月使い続けていることだろう。少なくとも半年以上は使い続けているのではないだろうか。計算によれば、四オンス入りのプロゲステロン・クリームであれば四カ月で使い切らなければおかしい。つまり私は、リー博士が推奨する量のプロゲステロン・クリームを使用してはいなかったのである。推奨されるよりも使う量が少ないのだから、それで効果がないと判断するのはおかしい。

 おそらくだが、使う量が少なくなってしまったのは、これらの本に記述されているアメリカのティースプーンの量を正確に把握できていなかったためだと思われる。これらの本では、使用するプロゲステロン・クリームの量をアメリカの四分の一ティースプーンの単位で記載している。四分の一ティースプーンと聞くと、私たち日本人は、普段使用しているティースプーンの四分の一の大きさだと勘違いし、わずかの量のプロゲステロン・クリームしか使用しないのではないだろうか。しかし、私が参加しているMLで教えていただいたのだが、四分の一ティースプーンとは、「長さ二.五センチ、幅一.一センチ、深さ0.五センチ、容量約0.六ミリリットル」という、実際には私たちが思っているよりも大きなティースプーンらしい。

 もう一つは、食生活である。リー博士は、自分の元を訪れる患者に、プロゲステロン・クリームの使用とともに食生活の改善を強く勧めている。リー博士の助言に従って食生活を改善し、プロゲステロン・クリームを使い続けた多くの女性は、筋腫が小さくなったり、PMSが改善されたりと、彼女たちが抱えていた多くの婦人病の症状が緩和されている。私は、今でこそヘルシーな生活を始められたものの、以前は食生活がかなり乱れていた。そういう状況でプロゲステロン・クリームを使用し続けて効果がなかったと判断してしまったことを恥ずかしく思った。私の場合、食生活の乱れが足を引っ張って、プロゲステロン・クリームの効果が現れなかったと考えられる。

 私の前に現れた何人かの反面教師が、私にもう一度チャンスを与えてくれたと私は考える。彼らが私の前に現れてくれなかったら、私は彼らと同じように、ものごとの周辺だけを彷徨い、判断してしまうところだった。人は何においても、自分にとって都合の良い解釈しかしない。そうならないように、自分とは違う意見を持った第三者が存在している。反面教師の彼らにありがとう。私はこれからも、プロゲステロン・クリームを使い続けて行く。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m またまた更新が遅くなり、申し訳ありません。台風が私を追いかけて来るわけではないのですが、なかなか更新できませんでした。実は、生理がやって来たのです。そのことは、また後日書かせていただきますね。私の場合、筋腫のせいで生理がかなり長引くことがあるので、後半の時期には布ナプキンを使用してみようと、ネットで注文してみました。以前、ネットで交流させていただいている方から布ナプキンのお話をうかがって、とても気になっていたのですが、私は量が多いので諦めていました。しかし、長引く生理なら、後半で使うことができそうです。布ナプキンを手作りされている方もいらっしゃるようで、ネットで探すとかわいらしい布ナプキンがたくさん出て来ます。肌触りのいい布ナプキンでリラックスできたら、憂鬱な時期もきっと快適に過ごせますよね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.11

野菜の個性を守りたい

 今にもやって来そうに思えていた生理がまだ来ない。私にはまだまだ現在のプロゲステロン期のサイクルで、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯におけるプチ湯治のチャンスが残されていることになる。もしも今日のうちに生理が始まってしまったら、これらの荷物は不要になると思いながらも、私は毎朝、簡単なお風呂道具と着替えとタオルを持って仕事に出掛けている。私の通勤リュックは、プチ湯治セット、毒だし脂肪燃焼スープのお弁当、毒だしホットジュースの入った水筒、何冊もの手帳、ノートパソコンでパンパンだ。

 最近は、顔馴染みになった天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯の従業員の方と軽く挨拶を交わすようになった。しかし、現段階ではまだまだ自分を出すことができず、挨拶を交わすのも照れ臭いくらいだ。

 毎回ではないのだが、無料送迎バスを降りると、私はお風呂に入るよりも先に野菜の直売所に足を運ぶ。野菜の直売所はいつも、私がお風呂から上がる頃には閉まっているからだ。そこには、先日の栽培主のおばあちゃんのほか、別の栽培主のおじいちゃんがいらっしゃった。どうやら夕方になると、栽培主の方たちが売れ残った野菜を引き取りに来ているようである。先日のおばあちゃんがレジ係の女性に、
「今日はたくさん売れてるわ。どうもありがとう」
と言っている。そして、野菜ケースの中に残っていた野菜を、レジ係の女性に無料で分けてあげていた。売れ残りを家に持って帰るよりも、誰かの喜ぶ顔を見たかったのだろう。そのあとおばあちゃんはたくましく、空になった野菜ケースを自転車の後ろにくくりつけ、帰宅の準備を整えていた。ということは、朝はこの野菜ケースの中にたくさんの野菜を入れて、自ら野菜の直売所に持ち込んでいるということか。

 直売所で売られている野菜には、栽培主の名前がパッケージのラベルに印刷されている。野菜を購入する人が野菜をレジに持って行くと、そのラベルのバーコードがレジに読み取られることで、売り上げの管理が行われているらしい。栽培主のおばあちゃんやおじいちゃんは、自分たちの作った野菜が売れてとてもうれしそうだった。一方、私たちは、格安の野菜を入手することができてうれしい。天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯の野菜直売所は、双方のそんな「うれしい」を成り立たせてくれる場所だ。

 先日も書いたように、私は野菜の直売所で毒だし脂肪燃焼スープの材料を購入しているのだが、ピーマンを選んでいたときに、栽培主によってまったく個性の異なるピーマンが並べられているのを見て驚いた。まるでししとうのように細長いピーマンもあれば、空気を入れて膨らませたような丸っこいピーマンもある。品種の違いなのか、それとも、育て方の違いなのか、それは良くわからない。人間にもいろいろな体型があるように、ピーマンにもいろいろな体型があるということが面白かった。タマネギも、はちきれんばかりに大きなものもあれば、比較的こぶりなものもある。トマトも然りだ。そうした個性ある野菜が揃っているのは、ある意味、品質を均一化するために切り捨てられる野菜が少ないという見方もできる。せっかく精魂込めて栽培した野菜を、品質を均一化するために切り捨てなければならないとしたら、栽培主にとってそれはそれは辛いに違いないだろうと想像するのだった。そう考えると、野菜市場には、もっともっといびつな形の野菜があってもいいと思うのだ。

 ガンモは、私が買って帰った百円のキャベツに虫食いの跡があるのを見てこう言った。
「虫に食われてるということは、このキャベツ、おいしいから」
なるほど。これまで私たちがスーパーなどで購入して来た野菜は、おそらく無農薬野菜ではない。だから、キャベツが虫に食べられているようなこともなかった。その代わり、私たちの目には見えないところで農薬が使われていたのだ。

 無農薬野菜を買って来て、中に虫が隠れていることを恐れるか、虫食いのない、見た目のきれいな野菜を買って来て、農薬が付着していることを恐れるか、果たしてどちらを恐れるのがいいだろう。私は、中に虫が隠れていることを恐れるほうがいい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これまで、スーパーで野菜を買うことが当たり前のように思って来ましたが、野菜たちにしてみれば、スーパーはおめかしして出掛けて行くところなんでしょうね。だから、おめかししていない野菜はどんどん切り捨てられているのではないでしょうか。しかし、こうした野菜の直売所は、野菜たちにとってはすっぴんで出掛けられる場所なのかもしれません。値段も安く、栽培主の方たちとの触れ合いもあり、また、栽培主の方たちの「売れた!」という直接的な喜びも伝わって来て、とても心が動かされる場所であります。また、いろいろな形の野菜が扱われている野菜の直売所は、野菜の個性が守られている場所であるとも言えるでしょう。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.10

ホットヨガ(五十八回目)

指輪ころりんの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「おむすびころりん」にちなんで付けたタイトルだったのですが、指輪が転がった先で見つけたのは、ネズミの国ならぬ、鳩の国だったら面白かったかもしれませんね。

 日曜日は、ホットヨガの神戸店で六十分のスクイーズクラスのレッスンを受けた。前回、神戸店でレッスンを受けたときに感じた、参加者全員が一つに向かおうとするエネルギーを再び体験したいと思ったのだ。レッスンに参加していたのは、前回よりも多い二十名ほどだった。ヨガマットはいつも、ポーズを取るときに両手を広げても隣の人と接触しないように、前後に少しスライドさせて並べられている。しかし、そのような工夫が凝らされているにもかかわらず、両手を広げると、一人置いて隣の人と手がくっつきそうなほどひしめき合っていた。

 今回のインストラクターは、ときどきお話をさせていただいている顔馴染みのインストラクターだった。前回のレッスンを担当してくださったインストラクターも一緒にスタジオに入り、補佐という形でレッスンに参加してくださった。スクイーズクラスは手の回し方がとても難しいので、ポーズの取り方がわからなくなった人たちのために、スタジオを見回ってフォローを入れてくださる配慮だと思う。もう一つの理由としては、新しく始まったばかりのコースなので、お互いのレッスンを見せ合うことで、インストラクター同士のスキルの向上を目指しているのかもしれない。

 今回も、憧れのフリーパス会員の方が参加されていた。何と何と、憧れのあの方は、髪型を変えられて、これまでとはまったく違う雰囲気の女性に変身されていた。前回、インストラクターを担当してくださった方が憧れのあの方に話し掛け、親しそうに話をしているのが聞こえて来た。そのインストラクターは、私がいつもお話をさせていただいているインストラクターである。ああ、私もその会話に混ぜて欲しい。そう思いながら、お二人が会話を楽しんでいらっしゃる様子を鏡越しにチラチラ見ていた。

 憧れのあの方は、関東地方の美しいアクセントだった。私も関西在住でありながら、普段、関西弁ではしゃべっていないので、憧れのあの方に対する親近感がぐっと増した。私の場合、東京に十一年間住んでいたとは言え、もともとの生まれが愛媛なので、しばらく東京を離れると、関東地方独特の抑揚(一つ一つの単語には現れない文節の抑揚。すなわち、単語と単語を繋げて文章を作ってこそ生まれる抑揚)を失ってしまう。ところが憧れのあの方には、その抑揚があった。関西に住んでいてもあの抑揚を失わないでいられるところからすると、おそらく関東地方のご出身なのだろう。

 「もうすぐ二年ですよ」
と憧れの方がおっしゃっているのが聞こえて来た。ホットヨガに入会されて二年ということだろう。それを聞いたインストラクターの方も感慨深い様子で、
「二年ですかあ」
とおっしゃっていた。それに対し、
「神戸店とともにありますから」
と憧れの方がおっしゃった。うわあ、負けた。いや、決して勝ち負けではないと思うのだが、憧れのあの方には、神戸店に対する思い入れの点では完全に負けている。私はもうすぐ入会一年だが、
「もうすぐ一年ですよ」
と言うことはできても、
「神戸店とともにありますから」
などとは言えない。何故なら私は、神戸店だけでなく、あちらこちらの支店でレッスンを受けることに喜びを感じているからだ。憧れのあの方の、
「神戸店とともにありますから」
という言葉には恐れ入った。

 いつもはとても静かな憧れのあの方が、インストラクターの方と、これまで拝見したことがないほどテンポ良くおしゃべりをされていたので、もしかすると私と良く似ているのではないかと感じられた。誰に対してでもオープンというわけではなく、交流を重ねて信頼した人にだけ見せるオープンな態度。そういう人は、自分から積極的に話し掛けて行くのではなく、人との交流においていつも受身であり、誰かに話し掛けられるのをそれとなく待っている。憧れのあの方とインストラクターの方とのテンポのいい会話を聞きながら、これまでレッスンで何度も顔を合わせているにもかかわらず、憧れのあの方と私がなかなか会話を始められないのは、お互いに受身だからだと確信した。

 レッスン開始前に、今回のレッスンを担当してくださるほうのインストラクターが、
「スクイーズクラスへの参加が、今日、初めての方、いらっしゃいますか?」
と尋ねると、およそ半数の方たちが手を挙げた。前回のレッスンに参加していた私は、ちょっぴりお姉さん気分になっていた。

 そんなお姉さん気分が、初めてスクイーズクラスのレッスンを受ける人たちが一つに向かおうとするエネルギーを妨害してしまったのか、前回よりもエネルギーにばらつきのあるレッスンになってしまった。いや、決してそれだけが理由ではないかもしれない。もしかすると、前回のレッスンであれだけ一体感を感じることができたのは、インストラクターの導き方にもよるのかもしれない。インストラクターにも、多くの人たちの気を一つに集めることのできるインストラクターと、そうでないインストラクターがいる。少なくとも、前回のレッスンで担当してくださったインストラクターは、多くの人たちの気を一つにまとめることのできるインストラクターだった。今回のインストラクターは、参加者の自由意思を尊重し過ぎる傾向にあったように思う。だからと言って、前回のインストラクターが、参加者の自由意思を尊重しなかったわけではない。思わず注目度が高くなってしまうインストラクターであるという意味だ。

 今回のレッスンで学んだのは、瞑想のときに、スクイーズクラスで使っているブロックをお尻の下に置くと、下半身がどっしりと安定して瞑想に集中できるということだった。お尻にブロックを置いただけでこれだけどっしり感を感じられるということは、普段の私は下半身が安定していないということである。だから、ゴム製の骨盤矯正ベルトを身につけていると気持ちがいいのだろう。骨盤矯正ベルトを付けていないと、足だけを踏み出して歩いているような感じだが、骨盤矯正ベルトを付けていると、腰からの動きを体感できるような感じである。もしかすると、私の抱えている子宮の問題の一部もそこにあるのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅れてしまい、申し訳ありません。いやはや、「神戸店とともにありますから」という言葉には打ちのめされてしまいました。私も何か対抗できる言葉を考えなければなりません。(苦笑)いや、決して言葉で対抗するわけじゃないのですが、打ちのめされるような言葉を聞くと、対抗意識が出て来てしまうのは、私が普段から言葉にこだわっているからでしょうか。それともやはり、単に負けず嫌いなだけでしょうか・・・・・・。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (1)

2007.07.09

指輪ころりん

ホットヨガ(五十七回目)の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実は、ホットヨガの回数券の使用期限が八月半ばまでのため、翌日もホットヨガのレッスンに出掛けているのですが、ホットヨガの記事が連続してしまうので、後日書かせていただくことにします。

 そろそろ私はエストロゲン期を迎えようとしている。エストロゲン期とは、生理を境にして女性ホルモンのエストロゲンの分泌が多くなる時期である。それに対し、排卵を境にしてエストロゲンと拮抗する同じく女性ホルモンのプロゲステロンが多く分泌されるプロゲステロン期がある。プチ湯治において私がプロゲステロン期にこだわるのは、かつての本格的湯治の経験からである。エストロゲン期を前にして、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯でのプチ湯治は追い上げモードとなっていた。

 先週から、プチ湯治のために毎日定時で仕事を上がっているのだが、生理の周期に合わせてラジウム温泉でプチ湯治をしているということを、一緒に仕事をしている独身男性二人にはなかなか説明しにくい状況にある。「ガンまる日記」を読んでくださっている方たちの中にも独身男性はいらっしゃるかもしれないが、仕事で毎日顔を合わせている人に事情を説明するのとは違う。それは、見守ることと無関心でいることの違いと良く似ている。

 早退しているわけではなく、それほど仕事が忙しくない時期に定時で仕事を上がっているだけなので、彼らは私に残業を強要することはできない。それでも、全体的に忙しい雰囲気の職場なので、毎日定時に上がり続けるのはさすがに気が引けてしまうのだ。かと言って、独身男性にとって刺激的な内容の告白を自らすべきなのかどうか。

 三年前の本格的湯治のときは、クリスマス前から何日か休暇を取ることになったので、派遣会社の営業を通して、既婚者である上司の上司からに話を通していただいた。そのときも、直属の上司が独身男性だったので、直属の上司にはなかなか言い出し辛く、上司の上司に相談させていただいたのだ。当時、一緒に仕事をしていた独身男性たちには、湯治の詳しい理由までは詳しく語られないにしても、上司の上司が軽く事情を説明をしてくださったようである。

 それはさておき、毎日のように定時で仕事を上がり続けるのはさすがに気が引けると思い始めていたところ、一緒に仕事をしている独身男性が二人とも仕事を休んだ。このようなことは滅多にない。私は、神に与えられたチャンスだと思い、またまた定時で仕事を上がり、プチ湯治に出掛けた。少しずつ体温が下がって来ているので、間もなく生理がやって来るだろう。その前に、できる限りプチ湯治を進めておきたい。

 そんな追い上げモードで、いつもよりもパワー全開でお風呂の施設を渡り歩き、少しでも多くのラドンを受け取ろうとしていたからだろうか。打たせ湯に入り、肩や背中を刺激していたところ、打たせ湯のお湯が手に勢い良く当たり、左手の薬指の間から結婚指輪がスルスルと抜けて行くのを感じたときにはもう遅かった。私はすぐさま自分の左手の薬指にあるべきガンモとの結婚指輪を確認したが、そこには何もなかった。しまった! 二ヶ月の間に五キロ痩せて、左手の薬指にはめていた結婚指輪が緩くなっていたのを感じてはいた。しかし、まさかお風呂の中で外れてしまうとは思っていなかったので、いつものように結婚指輪をはめたままお風呂に入っていたのだ。

 私の薬指にはめている結婚指輪は、かつてはガンモの薬指にはめられていたものだった。二人とも結婚してからふくよかになったので、結婚指輪のサイズが合わなくなってしまったのだ。ちなみに、もともと私の薬指にはめていた結婚指輪は私の左手の小指にシフトされている。つまり、私の左手にはガンモと私の二つの結婚指輪がはめられていたのである。ガンモの左手の薬指が寂しくなったので、ガンモには新しい指輪を買った。しかし、ガンモが今、左手の薬指につけている指輪はあくまで形式的なものであって、本物の結婚指輪ではない。本物の結婚指輪は、たった今、打たせ湯に打たれて流れてしまった。

 私は、ガンモと二人で結婚指輪を買いに行ったときのことを思い出していた。私たちの結婚指輪を失くしてしまったとなると、ガンモをひどくがっかりさせてしまうことだろう。決して物質にこだわるわけではないが、結婚指輪は、二人で買った思い出の品だ。お揃いで買ったものが片方だけなくなってしまうのは、あまりにも残念なことだ。

 私は青ざめながら、一生懸命、手探りで湯の中を探した。ガンモとの大切な結婚指輪を落としたというのに、打たせ湯は容赦なく上から勢い良く降り注いで来る。ああ、どうしよう。天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯の人を呼んで、結婚指輪が見つかるまで打たせ湯を止めてもらおうか。しかし、そんなことをお願いするのは迷惑なのではないだろうか。多くの人たちを巻き添えにし、今、お湯に浸かってのんびりと過ごしている人たちの時間までも一緒に止めてしまう。それよりも、自分で何とか探そう。私はそう思い直し、湯の中に手を突っ込んで必死に結婚指輪を探した。

 もしかすると、既に排水溝のようなところに引っかかって危機一髪の状態かもしれない。そう思い、恐る恐る、落とした場所から一番近いところにある小さな排水溝のようなところを探してみたのだが、そこにはなかった。ということは、まだ望みがある。私はほっと胸を撫で下ろしながら、その望みにすべてを託した。

 引き続き湯の中を探っていると、固いものが手に当たり、私はすぐさまその固いものを拾い上げた。それは紛れもなく、私たちの結婚指輪だった。結婚指輪は、遠くへは流れず、激しく降り注いで来る打たせ湯のほぼ真下に落ちて、私に見つけられるのをじっと待っていた。動きの激しい打たせ湯の中でも迷子にならなかったのは、プラチナリングだったからだろうか。ああ、何はともあれ、見つかって良かった。

 私は、拾い上げた結婚指輪をさも大事そうに、左手の薬指よりも太い中指に退避させた。しかし、これでは薬指が寂しい。そこで、私はまず、左手の小指にはめているもともとの私の結婚指輪を薬指にはめようとした。かつては私の薬指に収まっていたはずの結婚指輪だが、五キロ痩せたとは言え、まだまだ私の薬指には小さい。そのため、私の結婚指輪にはもう少し小指と仲良くしてもらうことにした。結局私は、右手から別の指輪を抜き取り、左手の薬指にシフトさせた。結婚指輪としてはちょっと違和感のある指輪だが、それでも、薬指が寂しいよりはましだ。

 こうして、打たせ湯に打たれて大冒険をした結婚指輪は、無事に私の手元に戻って来てくれた。何はともあれ、良かった。打たせ湯に入って最も湯に打たれたのは、私自身ではなく、結婚指輪だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m お風呂に入るときは、指輪を外される方が多いのでしょうか。私は、外すとかえって失くしやすいと思い、お風呂に入るときも寝るときもずっとはめたままです。これから先、技術がもっと進歩すれば、体型に合わせてサイズが変化する結婚指輪も登場するのでしょうか。そうであれば、結婚指輪が打たせ湯に打たれて流れて行く心配もなくなりますね。生涯、ずっと同じ体型でいられる人は稀だと思いますので、そのような結婚指輪が登場すると、ありがたいですよね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.08

ホットヨガ(五十七回目)

どっきり健康診断の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実は、検査の項目には婦人科検診(乳がん、子宮がん検診)もあったのですが、既に予約がいっぱいで受診することができませんでした。しかし、私の派遣会社では、婦人科検診については健康診断の時期に関わらず、いつでも好きなときに受診することができるのです。乳がんの検診はここ二年ほど受けていませんが、子宮がん検診は、先月、かかりつけの病院で受けたばかりです。まだ受診していない婦人科検診をいつどこで受けるかは、検討中であります。どっきり健康診断所(勝手に命名)でも受け付けてくれているので、そこで受けてみるのも新たな発見があっていいかもしれません。

 ガンモと一緒にお昼ご飯を食べたあと、突然、腸が激しく反応し始めた。どうやらどっきり健康診断のあとに飲んだ下剤が効いて来たようである。下剤はまるで、「今は何を置いてもトイレに直行せよ!」と脅迫しているかのように、私の腸の中で強烈な暴動を起こしていた。私は食事を終えてトイレに立ったあと、会計を済ませてガンモと一緒に店の外に出た。すると、ただちに二回目の波がやって来たのだ。

 「ガンモ、ごめん。近くにトイレがないと不安だよ」
私はそう言って、目の前に見えて来た百貨店に飛び込み、トイレをお借りした。このような状況だと、およそニ時間後に始まるホットヨガのレッスンが気になった。レッスンの途中にお腹が痛くなってしまい、何度もトイレに駆け込むようなことはできる限り避けたい。味の付いていないバリウムよ、レッスン開始までに、私の身体から出て行っておくれ。

 そう思っていると、結局、レッスン開始直前までには、ほとんどのバリウムが私の身体から出て行った。しかし、レッスン中にトイレに駆け込まなければならない不安はなくなったものの、もう少しでレッスンの時間がやって来るかと思うと、せっかく一緒にいるガンモと離れ離れにならなければならないことを寂しく思った。しかも、今回参加するレッスンは、いつもより長めの九十分のアクティヴコースなのである。

 なかなか離れ難い私たちは、何度も何度も時計を確認し、あと何分いっしょにいられるかを計算しながら行動した。しかし、そうした計算を数分刻みに続けて行くのは気持ちがなかなか落ち着かないので、私は思い切って、いつもよりも十分ほど早くスタジオに入ることにした。ガンモは私を送り出すと、勇ましく京都の街へと消えて行った。

 京都四条通店でレッスンを受けるのは、本当に久しぶりのことだった。受付でロッカーの鍵を受け取ると、
「まだスタジオの準備が整っていませんので、もうしばらくお待ちください」
と言われてしまった。どうやら、少し早く入り過ぎたようだ。

 私はロッカールームでのんびりと着替えを済ませ、持ち歩いている手帳に思いついたことなどを書き留めながら、スタジオの準備が整う時間を見計らって、スタジオに入った。

 上下三列に並べられたヨガマットが、京都四条通店ならではの特徴を思い出させてくれる。レッスンの時間になると、インストラクターが入って来た。初めて顔を合わせるインストラクターだった。レッスン開始前にインストラクターに誘導されるままに合掌したとき、何だか温かいものが込み上げて来た。何だろう、この久しぶりの感覚は。胸の前で合掌するだけで温かいものが込み上げて来るような気持ちになれるとは。ただ胸の前で手を合わせただけで、ハートのチャクラが開いたのかもしれない。

 九十分のアクティヴコースのレッスンは、私に心地良い疲れをもたらしてくれた。かつての私には、九十分のアクティヴコースはかなりきついレッスンだったはずだ。しかし、最近はすこぶる調子がいい。レッスン後に酸素不足のために感じていた頭痛とも次第に疎遠になりつつある。厳しいレッスンに身体が慣れたのか、それとも、身体が疲れないように、無駄なエネルギーを消費しないコツを覚えたのか、それはわからない。とにかく私は、レッスン終了後、心地良い疲れを感じながらシャワーを浴び、着替えを済ませて受付に鍵を返しに行った。

 実は、更衣室で着替えているときに、私はある案内の張り紙を見つけた。詳しくはまだ書けないのだが、私はそのことで受付にいたスタッフと少しお話しをさせていただいた。受付のスタッフは、私の色とりどりのスタンプが押印された回数券をご覧になって、
「お客様は、いろいろな支店に行かれてるんですね」
と言ってくださった。私は、
「そうなんです。もともとは神戸店の会員なんですけど、いろんな支店のレッスンを受けるのが楽しみで・・・・・・」
と答えながら、先日、神戸店の顔馴染みのインストラクターが、京都四条通店のスタッフに、私が京都四条通店のレッスンを褒めていたことを伝えてくださったことを思い出し、思わず、
「そう言えば、神戸店の○○さんをご存知ですか?」
と尋ねそうになった。しかし、私は何故かその言葉を飲み込み、京都四条通店のレッスンの内容も褒めずにスタジオをあとにしてしまった。あれほど京都四条通店のレッスンを絶賛していたはずなのに、京都四条通店のスタッフと話せる状況にありながらも、何故、京都四条通店のレッスンを褒めなかったのだろう。

 おそらく、受付にいたスタッフのレッスンをまだ一度も受けていなかったことと、いろいろな支店に足を運ぶ中で、それぞれの支店の良さが見えて来たからではないだろうか。「京都四条通店のレッスンは素晴らしいですね!」と口にすることは、他の支店を褒めないことにも等しいと、私の魂は思ったのだろう。

 スタジオを出てすぐにガンモと連絡を取り合い、私たちはおよそ二時間半ぶりの再会を果たした。私たちは、私がホットヨガのレッスンを受けている間にガンモが一人で歩き回った道を辿りながら、ガンモが散策の間に見つけた面白いものを私に紹介してくれた。こうしてホットヨガのレッスンのあとに京都の街を歩き回ったので、帰宅したときには疲れ果てていた。こうして、ガンモを道連れにして京都で過ごす、どっきり健康診断とホットヨガという組み合わせの一日が幕を閉じたのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 人間の感情とは不思議なものですね。いざというときは、自分の中の興奮を抑えてしまう傾向にあるようです。京都四条通店のスタッフとお話しができるチャンスに恵まれたというのに、スタッフを目の前にして京都四条通店を絶賛しなかった私は、いつもよりも冷静な私でした。どうやら、興奮しながらしゃべる私と、冷静に感情を抑えようとする私と、二人の私がいるようです。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (2)

2007.07.07

どっきり健康診断

 私が所属している派遣会社では、年に一度、今の時期に健康診断を行うことになっている。派遣会社で定められた範囲内の検査であれば、費用は派遣会社が全額負担してくれる。ただ、派遣会社が指定する医療機関に自分で電話を掛けて、自分の都合のいい日に予約を入れたあと、自分の足で受診しに行く必要がある。

 私の周りにいるほとんどの派遣社員は、平日に有給休暇を取得して、神戸市内の医療機関で健康診断を受けている。しかし私は有給休暇が残り少ないため、土曜日も健康診断を受け付けてくれる医療機関を一生懸命探したのである。その結果、自宅からは遠い京都の医療機関で受診することになったというわけである。

 もちろん、わざわざ京都まで出掛けて行くのだから、ホットヨガの京都四条通店でのレッスンの予約を入れることも忘れなかった。レッスンの予約をしたあと、ガンモに、
「今度の土曜は健康診断とホットヨガのために京都に行くからね」
と言うと、
「何? 京都? じゃあ、俺も一緒に行く」
と言うではないか。ちょうどガンモも仕事が休みだったので、私と一緒に京都まで出掛けて行って、私が健康診断やホットヨガのレッスンを受けている間に、京都の街を散策する計画らしい。

 今回の健康診断で、私は胃の検査のためにバリウムを飲むことになっていた。そのため、前日の二十一時頃から胃の中に何も入れずに耐えていた。朝、起きたときに、多少の喉の乾きを覚えたが、検査のことを思い出して、水分補給を節制した。

 そのままガンモと一緒に八時過ぎに家を出て、九時半過ぎに目的の医療機関のある最寄駅に到着した。目的の医療機関まで、最寄駅からは徒歩五分と聞いている。九時五十分頃に目的の医療機関で受付を済ませることになっていたので、ちょうどいい時間である。しかし、最寄駅を降りても、目的の医療機関がどこにあるか良くわからなかった。目的の医療機関からは、事前に問診票や検便容器などが送られて来ていた。その中に、最寄駅からの道順を示す地図が入っていたのだが、それを見てもどうも良くわからない。いや、私は決して、地図が読めない女ではない。条里制の敷かれている京都では、東西南北の感覚がしっかりと身についていなければ、地理を良く理解できないのである。

 私は最寄駅前にある交番に駆け込んで、目的の医療機関から送られて来た地図を見せながら、お巡りさんに道を尋ねた。お巡りさんはわざわざ外まで出て丁寧に通りの説明してくだり、そのおかげで、私はどこに向かって歩いて行けばいいか、ようやく理解したのである。

 目的の医療機関に向かう途中、私の隣を歩いていたガンモは、前夜から私が水分を摂っていないことを知りながら、カバンの中からおもむろに海洋深層水の入ったペットボトルを取り出して、これ見よがしに音を立てておいしそうにごくごく飲んだ。
「こらっ、ガンモ! 私が飲めないのを知ってるくせに!」
と私はガンモをきっと睨んだ。私の怒る様子を見ていたガンモはニヤニヤ笑っていた。何だか悔しい。

 ようやく目的の医療機関に着いたので、ガンモと分かれて私だけが中に入り、受付を済ませた。そこは、近くに系列の病院があるが、系列の病院からは独立した、健康診断を専門に行う建物だった。建物の中には、私のように健康診断を受けに来た人たちがたくさんいた。私は生活習慣病の検査も行うことになっていたので、検査着に着替えて受診することになった。ほとんどの人たちは検査着に着替えずに受診していたので、おそらく生活習慣病の項目をパスしていたのだろう。私のように検査着に着替えていたのは、男性が一人と、私の他に女性があと一人だけだった。私は、大きなロッカーの中に自分の荷物を預けて身軽な検査着で検査を受けることができたので、とてもありがたかった。何しろ、健康診断のあとホットヨガのレッスンを受けることになっていたため、大荷物だったのだ。

 毎年お決まりの検査が行われる中で印象に残っているのは、採血だ。いつもは歯を食いしばっているうちに終わってしまう採血だが、どういうわけか今回は血液の流れが悪かったのか、規定量の血液をなかなか採取することができなかった。そのため、私の腕には長いこと注射の針がささっていた。採血を担当してくださった女性も、なかなか規定量の血液を採取できないため四苦八苦していた。まさか、恐れていた貧血が起こっているのだろうか。ふと、そんな不安が心をよぎった。

 面白かったのは、胃の検査でバリウムを飲んだときのことだ。六十代くらいの熟練の技師と思われる方が仕切っていて、私にバリウムの説明をしてくれた。
「よそではバリウムを飲みやすくするためにバリウムに味を付けたりしているようですが、味の付いたバリウムを使うと胃の中がきれいに写りにくくなってしまいますので、うちでは味付けしていません。ただ、オレンジの匂いだけ付けてますけどね」
と言った。私は、毎年のように健康診断でバリウムを飲んでいるが、どれも飲みやすい味がついていたように思う。味のついていないバリウムを飲むのは初めてではないだろうか。最初のうち、私は、
「えーっ」
と言いながら躊躇していたが、やがて意を決して思い切って飲み込んでみた。味の付いていないバリウムは、想像していたほど飲みにくいものではなかった。

 それからは、技師の言う通り、何度も何度も寝返りを打ったり、横になったり仰向けになったりしながら、撮影をした。私が横たわった機械は、私がこれまでに横たわって来たどの機械よりも古いように思えた。おそらく、もう何十年も、技師が自分なりのやり方をここで貫いて来られたのだろう。新しいものが流行しても取り入れることなく、彼なりの、バリウムに味を付けないという最良のスタンスを守りながら。モデルの私は、カメラマンである技師の方の要求通りに、いくつものポーズを取った。カメラマンは、私のベストショットを押さえてくださっただろうか。

 最後に医師の問診を受けて、健康診断はおよそ一時間半で終了した。問診を担当してくれた医師は、検査の結果が出ている範囲内で所見を述べてくれた。血液検査や尿検査、レントゲンなどの結果はまだ出ていなかったので、聴力や視力など、分析や現像の必要のないデータのみを参照しながらの問診となった。

 そうは言いながらも、どういうわけか医師の前には蛍光灯で照らし出されたディスプレイの上にいくつものフィルムが並べられていた。そう、先月のMRI検査のあと、産婦人科の主治医に見せられたように。そのフィルムは私の胃の中を映し出したものなのだろうかと思いながらも、医師は胃の検査結果については何も触れず、聴診器で私の心臓の鼓動を確かめたりした。特に異常は見られなかったのか、
「はい、それでは今日はこれで結構です」
と言われ、医師の問診が終わった。

 すると、スタッフの女性が私に近づいて来て、身体の中のバリウムを排出するための下剤を私に手渡しながら、下剤の飲み方を説明をしてくださった。そんなやりとりをしているときに、さきほどの医師が、レントゲンのフィルムの中に何か重大な発見をしたような素振りを見せた。医師はおそらく遠近両用眼鏡を掛けていたのだが、フィルムを良く確認するために、わざわざ眼鏡を外してじっくりとフィルムを凝視し始めた。私はそれが自分のフィルムであれば、何か発見されてしまったのだろうかと気が気ではなかったので、
「えっ? これでよろしいんでしょうか?」
とスタッフの女性に尋ねた。言葉にはなっていないが、本当にこれで帰っても良いのかという意味だった。すると、スタッフの女性はニコニコしながら、
「はい、今日はこれでおしまいです。お疲れ様でした」
と言って、問診を行っていた部屋から私を送り出してくれた。スタッフの女性にも、さきほどの医師の態度が見えていたはずなのにおかしなものである。

 果たして、あの医師の態度は一体何だったのだろうか。とても気になる。スタッフの女性がニコニコしていることからすると、私とは関係のないフィルムを見ながら反応されていたようである。あれは、健康診断を訪れた人をどっきりさせるための、医師のお決まりのギャグだったのだろうか。

 そう言えば、医師の問診待ちをしているときに、既に問診を終えた人が待合室でこんなことを言っていた。
「俺なんか胃の検査もしてないのに、撮ってもいないフィルムがたくさん並べられていた」
私は何のことだろうと思いながら聞いていたのだが、彼が胃の検査を受けてもいないのにディスプレイにフィルムが並べられていたのだとすると、私の問診のときに並べられていたフィルムも彼が問診を受けたときに並べられていたのと同じフィルムである可能性が高い。

 採血に思いのほか時間がかかってしまったことと言い、味の付いていないバリウムと言い、最後の問診でのどっきりと言い、わざわざ京都まで出て来た甲斐があって、とても実りのある健康診断だった。来年もまだ同じ派遣会社で働いていたら、再びここを指定して受診しようと思う。

 どっきり健康診断を終えた私は、携帯電話でガンモと連絡を取り合って合流し、お昼ご飯を一緒に食べたのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 健康診断の結果は、およそ一ヶ月後に郵便で送付されて来ると思います。果たして、結果もどっきりなのかどうか、お楽しみに。私が受診したところは、全体的に、古い機械を長く使っている医療機関でした。私は、そういうところに好感を持ちました。何故なら、古い機械は、本当に技術を持った人でなければ使いこなすことができないからです。つまり、人が機械について行くのではなく、古い機械が人について来るのですね。確かに年配の技師の方が多かったので、そういう意味では、同じ人がずっと長く勤めている医療機関なのかもしれません。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.06

本線と支線

プチ湯治のふれあいの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これからお世話になる病院に問い合わせをしたところ、何と何と、診ていただきたいと思っていた婦人科の医師から直接メールでご回等をいただき、歓喜しています。ホームページに開設されている病院の問い合わせ窓口に問い合わせをすると、それぞれの質問が各担当医に振り分けられているようです。そのほうが、回答が質問者に直接的に伝わって、誤解も少ないのでしょうね。婦人科の医師からの回答はとても簡単なものでしたが、こうしたことが実現できるのは、個人の総合病院だからでしょうか。公立の病院では有り得ないことであります。医師からいただいた回答は、造影剤を使っていないMRIフィルムでもいいので持参してくださいということと、そうした診察は保険の適用内にあるということでした。さてさて、現在の病院とコンタクトを取って、MRIフィルムを入手することから始めなくてはなりません。MRIフィルムを入手するために、現在の病院で九月に予約している診察時期をもう少し早めてもらうかどうか、検討中です。実は、次回の診察を九月に予約しているのは、八月は夏休みがあることと、二十日間あったはずの有給休暇をほぼ使い切ってしまっているので、新しく有給休暇が発生する八月半ば以降しか身動きが取れないという事情も含んでいました。現在お世話になっている病院は公立の病院なので、MRIフィルムのコピーを電話で申し込めるほどの柔軟性はないでしょう。となると、次回、診察に出向いたときにコピーを申し込んで、受け取るために再び出向いて、それから新しい病院に持参することになります。会社勤めをしていると、例え自分の身体のためとは言え、たくさんの休みを申請するのはひどく気が引けるものですよね。

 いつものように天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯に入ったあと、ガンモに電話を掛けてみると、ガンモもちょうど仕事を終える頃だという。そこで、ガンモと三宮で待ち合わせをして一緒に帰ろうとしたのだが、三宮に着いてみると、JR神戸線で人身事故が発生し、電車のダイヤがひどく乱れていた。駅のアナウンスによれば、先ほどまでしばらく運転を見合わせていた電車が、ようやく運転を再開したらしい。

 そのことをガンモに知らせるためにメールを送信すると、しばらく経って、ガンモからメールが届いた。
「事件発生! ごめん、先に帰ってて」
一体どうしたのだろう? そう思いながらガンモに電話を掛けてみると、何やら取り込み中の様子で話をすることができなかった。おそらく、急な仕事が入ってしまい、対応に追われているのだろう。私はやって来た快速電車に乗り込み、一人寂しく帰宅することにした。しかし、人身事故の影響により、電車が一部運休したり数十分の遅れが出ているらしく、快速電車は信号待ちのために途中で何度も停車しながらも、何とか自宅の最寄駅に到着した。三宮から最寄駅まではいつも十数分で到着するのだが、四十分くらい掛かってしまったように思う。

 ここのところ、JR神戸線沿線は人身事故が特に多い。およそ一週間に一回のペースで発生していると言っても過言ではないくらいだ。そのほどんどが自殺のようである。

 自殺について、私自身がに書いた大きな出来事を通じて感じたことがある。それは、自殺とは、本線ではなく支線を作るということだ。本線とは、自分に起こった出来事をじっくりと見据えて粘り強く生き続けることである。世の中には、どんなに辛くても生き抜いている人たちがたくさんいる。そういう人たちは、本線を生きている。

 支線を作って、そこで人生を終わりにしてしまう人たちもいる。しかし、支線を作っても、根本的な解決にはならない。何故なら、支線は行き止まりだからだ。自然な終わり方ではなく、無理に終わらせるしかないのである。おそらく、支線を作ることしか方法がないように、世の中は作られてはいない。大切な人が支線を作らないように、手助けをするタイミングを待ち望んでいる人たちがいる。そういう人たちには、手助けをしているという意識がない。その人たちもまた、自分の本線を生き抜いているだけだ。

 先日の神の目のメールが届く直前に、私の中に降りて来た言葉がある。それは、「私たちがどのような行動を取るか、常に見守っている存在がいる」ということだった。誰かが何か問題を起こしたとしても、その人に非があるわけではない。罪を憎んで人を憎まずという言葉もあるが、それとは違う。罪を憎むのではない。自分に起こった出来事として受け入れる、本線を生きるということだ。例えそれが大きな問題であったとしても、起こっている出来事は、単なる出来事に過ぎない。その出来事は、私にも、あなたにも平等に起こり得る。大きな出来事を起こした人は、その出来事を起こす役割を引き受けただけだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m またまた更新が遅くなり、申し訳ありません。次回の記事に書かせていただきますが、京都まで健康診断とホットヨガのレッスンに出掛けていました。そのため、あちこち歩き回ってひどく疲れてしまい、帰宅しても更新できずに寝てしまったわけであります。何故にわざわざ京都まで健康診断に出掛けたのか、その理由は次回のお楽しみに。と言っても、そんなにびっくりするほどの内容ではありません。(苦笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.05

プチ湯治のふれあい

 毎日のように、仕事帰りに天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯に入っている。私にしてみれば、プチ湯治と言ってもいいくらいだ。行き帰りとも無料送迎バスを利用するためには、仕事を定時で上がらなければならないが、かつて鳥取県の三朝温泉でガンモと離れ離れになって情緒不安定になった上に、一泊数千円の宿泊費を支払って湯治に専念していたことを思えば、仕事帰りにラジウム温泉に入ることができるのはとてもありがたいことだ。

 天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯に立ち寄るのが日常になって来ると、精神的にも余裕が出て来て、私は観察モードに入る。最近、特に注目しているのは、無料送迎バスの中で交わされる常連さんと運転手さんの会話だ。

 運転手さんは、六十代後半から七十代前半のおじいちゃんが多い。運転手さんは複数いらっしゃって、ほぼ毎日変わっている。あくまで想像に過ぎないのだが、近所の元気なおじいちゃんたちの協力を得て、都合のいい時間に働けるようにシフトが組まれているのかもしれない。運転手さんにもそれぞれ性格があり、おしゃべり好きな運転手さんもいれば、比較的無口な運転手さんもいる。

 あるとき、おしゃべり好きな運転手さんに当たった。その運転手さんの話によれば、先日、京都からわざわざ車で来られた方がいらっしゃったのだそうだ。聞くところによるとその方は、全国のラジウム温泉を回っていらっしゃるという。私は自動車の免許を持っていないので良くわからないが、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯は、高速道路を利用する人たちにとっても便利な場所にあるらしい。高速道路のおかげで、京都からでも足を運び易い場所にあることがわかったので、その方も喜んでいらしたようだ。

 私は、その方が全国のラジウム温泉を回っていらっしゃることについて、運転手さんからもっといろいろなお話をうかがいたかったのだが、常連さんの一人が話の方向性をラジウム温泉以外に向けてしまったため、その方に関する情報が途切れてしまった。こうしたことは、複数の人たちが会話を始めると良くあることだ。このとき私は聞き役に徹してしまったので、ラジウム温泉に関する話がそこで途切れてしまったとしても仕方がない。少なくとも、「聞きたい」人よりも、「話したい」人がいると、話はどんどん別の方向へと流れてしまうことがわかった。

 運転手さんは、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯は、深く掘った温泉ではないと教えてくださった。昔から湧き出ていた温かい水(天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯の源泉の温度は二十四度くらい)が、冬場に川に流れ出して湯気が立っていたので、温泉(実際には温泉ではなく冷鉱泉)が出ていることがわかったらしい。運転手さんは、ほとんどのラジウム温泉が、実際は冷鉱泉であることも良くご存知だった。
「このあたりで言うと、三朝ね」
と運転手さんがおっしゃったので、私はこのときぞとばかりに首を大きく縦に振った。しかし、心の中では、三朝温泉は冷鉱泉ではなく、れっきとした温泉であることを主張したかった。

 また、女性の常連さんの話によれば、毎日男湯と女湯が入れ替わっているので、利用客にもお湯の好き嫌いがあるそうだ。男湯と女湯はそれぞれ設備が異なっている。その設備の好き嫌いが極端になると、片方のお湯のときしか利用しない人もいるらしい。なるほど。常連さんにもいろいろな利用方法があって面白い。

 もう一つ、私なりの楽しみを見つけた。それは、先日も書いた野菜の直売所で格安の野菜を購入することである。おそらくその直売所では、近所の方たちが精魂込めて栽培された野菜を預かるか買い取るかして格安価格で販売しているのだろう。ときどき栽培主の方がお店に顔を出して、自分の作った野菜の売れ行き状況を確認している。そういう方は、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯の人たちが着ている制服を着ていないのと、野菜をさも大事そうに見ているのですぐわかる。

 あるとき、
「きゅうりはいかが?」
とおばあちゃんに勧められたので、
「ああ、この間、いただいたんですよ」
と言ってやんわりとお断りすると、
「あら、それはそれはどうもありがとうございます」
と、深々とおじぎをされてしまった。たった百円のきゅうりなのに、それほどお礼を言ってくださるとは驚きだった。身がたっぷりと詰まっている上に、袋に数本入っていてわずか百円なのである。そのきゅうりがまだ我が家の冷蔵庫に残っていなければ、栽培主のおばあちゃんがいらっしゃるときにおばあちゃんの目の前で購入できたのにと思うと、少し残念だった。

 スーパーなどではこのように、栽培主の方とふれあうことはできない。スーパーで売られている野菜の栽培主の方たちが、自分の出荷した野菜の行方を把握しているとも思えない。天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯には、栽培主の方たちとのこうした温かい触れ合いがある。自分の栽培した野菜が目の前で売れて行く様子を見守るのは、どんな気持ちなのだろう。おそらく、私の書いた文章を気に入ってくださる方がいるのを実感するのと同じ気持ちではないだろうか。

 栽培主の方たちは、自分たちの食べる分はひとまず取っておいて、余った野菜をこのように直売所に持ち込んでいるのだろう。このように栽培してくださる方がいるからこそ、私たちも野菜をたっぷりと食べることができるというものだ。栽培主の方たちが実践されているのは、自分の中に過剰にあるものを世の中に分けて行く行動だ。ということは、何かが過剰になった時点で、その人は世の中における自分の役割を一つ見つけたことになるのかもしれない。

 こうして毎日のように天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯に通っている私だが、相変わらず、帰りはガンモが仕事を終える時間とぴったり重なっているため、ガンモと待ち合わせをして一緒に帰宅している。ガンモもプチ湯治には賛成してくれている。ガンモからすれば、私が三朝温泉で湯治をしている間、自宅で一人寂しく待ってくれていたわけだから、あのような寂しさを味わうことなく私のプチ湯治が実現できていることに対し、安堵する気持ちもあるのだろう。

 さて、湯あたりの症状だが、最初の頃に体験した、ベッドから起き上がれなくなるほど顕著ではないにしても、お湯から上がってすぐに無料送迎バスで神戸市営地下鉄の学園都市駅まで送ってもらう頃に、ふらふらしてまっすぐに歩けなくなることが一度だけあった。しかし、そんな湯あたりの症状も、ラジウム温泉に身体が慣れて行くにしたがって、次第に緩和されつつある。少しずつ少しずつ、ラジウム温泉に身体が馴染んで来ているようである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 三年前の本格的湯治は本当に孤独な体験でしたが、今はとても気軽にプチ湯治を楽しんでいます。プチ湯治の効果は、少し現れていますが、女性の身体の変化なので、敢えてここには書かないでおきますね。(苦笑)今日、三朝温泉で筋腫が小さくなったという方のブログをたまたま見つけて、感動のあまり、涙が出て来ました。きのうはずいぶん弱気な記事を書いてしまいましたが、毎日使っている骨盤矯正ベルトのマジックテープの位置が、サイズダウンした私の身体にだんだんと合わなくなって来ているのを感じました。やはり、お腹周りも少しは引っ込んでいたようです。(苦笑)今日、次に診ていただく病院に、どのような資料を揃えて訪問したら良いか、問い合わせをしました。もしも私と同じような状況にある方で、昨日、私が書いた記事によって、私と一緒に落ち込んでしまった方がいらっしゃったらごめんなさい。一緒に頑張って行きましょう。私のほうは、ひとまず一歩前進といったところです。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.04

苛立ちと不信感

湯あたり良好!の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「神の目」をご覧になって、皆さんも癒されましたでしょうか。「神の目」は、「ガンまる日記」でシェアさせていただいたほか、に書いた大きな出来事に関わる人たちにも画像をメールに添付して送付しました。その結果、複数の方から、本当にありがたいというコメントをいただきました。私自身も、このメールを送ってくれた直径十二センチの彼女に、「あの画像を見てたら泣けて来たんだよ」とメールに書いて送付しました。すると、彼女からは、「あの画像で泣けたということは、相当苦しいんじゃない?」というような返事が返って来ました。そのとき私は、はたと気がついたのです。もしかすると、現在、何の悩みごとも抱えていない人たちは、わざわざ「神の目」に頼らなくても、十分幸せでいられるのではないかと。それはそれでいいのかもしれませんが、健康な人が温泉のありがたさを素通りしてしまうような、そんなもったいなさを感じてしまいました。心からありがたいと思える気持ちは、自分が究極の状態に立たされてこそ実感できるものなのかもしれません。「神の目」に癒されて涙した人たちは、現在、何の悩みも抱えていない人たちには感じられないエネルギーを感じることができたと思っていいのではないでしょうか。

 二ヶ月足らずのうちに体重が五キロ近く落ちているにも関わらず、私の周りにいる人たちは誰一人として、
「痩せたね!」
とは言ってくれない。最も身近な存在であるガンモでさえも、私が痩せたことに気付いてくれない。
「ねえガンモ。体重が五キロ近く落ちてるんだけど、何で気付いてくれないわけ?」
と文句を言うと、
「世の中には、妊娠したことに気がつかない女子高生もいるくらいなんだろ?」
などとわけのわからないことを言う。ガンモよ。それは、体重が減った例ではなく、増えた例じゃないか。

 毎日顔を合わせている人ほど、じわじわと痩せて行く姿に気がつかないのかもしれない。ガンモは私がこれから先、何キロも痩せてから、ようやく気が付いてくれるのだろうか。

 確か独身時代にも、潜在意識を使ったダイエットを始めてじわじわと五キロ痩せた頃、勤務先で私が痩せたことに誰も気が付いてくれなくてすねたことを覚えている。結局、それから数日経った頃に、ようやく同期の女子社員が、
「確かに痩せたね!」
と言ってくれたので、私はようやく機嫌を直した。私はそのとき、最終的には、半年間で十七キロ痩せることができたのだった。

 それはさておき、今回に限って言えば、体重が五キロ近く落ちているというのに周りの人たちがなかなか気付いてくれない原因は、私のお腹がいつまでも大きいからではないかと思い始めた。私のお腹は、大きな筋腫があるために、大きく膨らんでいる。筋腫は脂肪ではないので、体重が落ちてもお腹は引っ込まない。そのため、周りの人たちには私が痩せたようには見えないのだと気が付き、ショックを受けた。これから先、どんどん体重が落ちて行ったとしても、手術をしない限り、私のお腹は筋腫で膨らんだままなのだ。

 ずっと以前に、大きな筋腫を抱えている人が書かれた手記で、自分のお腹に向けられる視線がとても気になるという切ない文章を読ませていただいたことがある。その方は、筋腫が大きくなり、座るのもやっとという状態だったらしい。その手記を読んだ頃の私は、その方の苦しみがまだ良くわからなかったが、今の私ならわかる。いつの間にか、私は他の人の苦しみがわかるくらいまで成長していた。

 以前から私は、バストのすぐ下あたりから下腹部に向かって、何か大きな固いものがあるのを感じていた。これも筋腫だろうかなどと冗談混じりに思っていたのだが、改めて携帯電話に付属のカメラで持ち帰った先日のMRI画像を見てみると、確かに筋腫であることがわかった。現役の医師が運営するサイトで、筋腫の手術の様子を写真付きで詳しく説明しているページがあり、バストのすぐ下から巨大筋腫が取り出されている様子が掲載されているのを見たのだが、私の一番大きな筋腫もその方と同じ場所に位置しているようである。そのことがわかって、何だかとても暗い気持ちになってしまった。

 私はこれから先、お腹は出っ張ったままなのに、お腹以外はどんどん痩せて行くというアンバランスな体型を目指そうとしているのだろうか。痩せれば痩せるほど目立って来るお腹。薄着の季節であるだけに、人々の視線が気になってしまうこの頃だ。そんな自分に腹も立って来る。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 次にお世話になる病院はもう決めているのですが、三年間、お世話になった病院で診察していただいた情報が新しい病院に必要かどうか、判断しかねています。セカンドオピニオンについていろいろ調べましたが、セカンドオピニオンは保険適用外なのだそうです。どうやら、三十分の相談で一万円程度の診察料金を取る病院が多いようです。そんなお金を支払うくらいなら、過去のデータにはとらわれずに、ゼロの状態から診察しなおしていただくほうがいいのではないかと悩んでいます。しかも、現在の病院では三年間もお世話になっておきながら、肉腫か筋腫か、はっきりと診断していただいていないというのは、何とも悔しい気持ちでいっぱいなのですね。だって、私はMRIの検査を二回受けましたが、二回とも撮影時に造影剤を投与されていません。現在の病院のそのような診察方法に対し、不信感を抱いているのも事実です。同じ職場の女性も、最初は大きな病院で診ていただいていたようですが、別の病院に変わるときに、セカンドオピニオンを立てずに次の予約をすっぽかして転院してしまったのだそうです。私も最初の病院ではそれをやっていますが・・・・・・。三年間の私の診察データ。本当に有益な情報があるのなら、必要かもしれませんが、そのために造影剤の入っていない自分のMRIの画像を一枚三千円程度支払って購入し、医師にこれまでの診察の内容をまとめてもらい、更に、セカンドオピニオンとしての料金に一万円程度の支払いをするということに意味があるのでしょうか。今の私にはわかりません。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.03

湯あたり良好!

 月曜日の朝、いつものように目覚ましの音で目が覚めた。いつもならすぐに起きられるのだが、どういうわけか、ベッドに身体が沈み込んでしまい、なかなか起き上がることができなかった。おかしい。私の身体は一体どうしてしまったのだろう。身体が重いというか何というか、とにかく肉体の主(あるじ)である私の言うことをきいてくれないのである。たまたまガンモの仕事が休みだったので、身体はちょっぴり甘えてしまったのだろうか。

 これほど身体が重いとなると、仕事に出掛けて行くのは困難だろう。私は、起き上がれるようになったら勤務先に休暇を知らせるメールを送信するつもりで、そのままベッドの中でしばらく休んでいた。しかし案の定、眠ってしまい、次に目が覚めたのは九時過ぎだった。

 私は何とか起き上がり、勤務先にメールを送信して休暇を取った。いつもならば、体調が良くなくても、しばらく休んでいれば元気になれるものだが、どういうわけか、いつまで経ってもなかなか身体が言うことをきいてくれなかった。私はそのままベッドの中でしばらく眠り続け、夕方になってようやくゴソゴソと起き出した。

 私はひどくだるくなってしまった身体と向き合いながら、この症状は、ラジウム温泉の「湯あたり」だと直感した。二日間連続で天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯に入ったあと、心斎橋の清水湯に入ったのだから無理もない。かつて三朝温泉にこもって湯治をしていたときも、確か湯治三日目にして湯あたりの症状が現れている。おそらくだが、私の身体に現れたのは湯あたりの症状に間違いないだろう。ということは、湯あたりの症状を乗り越えれば、ラジウム温泉の効果が徐々に現れて来るということである。

 かつての湯治の経験からすると、湯あたりの症状が出たときは、ラジウム温泉に入るのをお休みしたほうがいいようだ。湯あたりとは、温泉の効果が一時的に過剰になり、身体が消化し切れなくなっている状態なのかもしれない。仕事を一日休んだため、仕事帰りに天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯に入ることもなく一日が過ぎた。ラジウム温泉に入るのをお休みしたおかげで、翌日には私は再び元気を取り戻していた。そして、湯あたりの症状が緩和されたので、私は仕事帰りに再び天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯に寄って、ラドンをいっぱい吸い込んだあと、ガンモと待ち合わせをして仲良く帰宅したのである。私が天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯に入ったあとにガンモと待ち合わせをすると、必ずと言っていいほどガンモの仕事帰りにちょうどいい時間帯に当たっているのはとても不思議な現象だ。

 私の身体に湯あたりの症状が出たことからも、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯にも清水湯にもラドンが含まれていることは間違いないだろう。三朝温泉の湯治から帰宅してからしばらくは、身体の調子がすこぶる良かったことを思い出す。三朝温泉の湯治から帰った直後の私は、ホルミシス効果で細胞が活性化されたからだろうか。頭がカチカチと働き、仕事にも精が出た。また、膣から何かが飛び出して来るような感覚も緩和され、椅子に座ることが苦ではなくなっていた。あのときと同じ効果が得られるなら、湯あたりも喜んで乗り越えよう。湯あたりを乗り越えたあとは、身体の調子が良くなっているのだから、まさしく「湯あたり良好!」である。

 現在の私の身体のサイクルはプロゲステロン期である。このままエストロゲン期になるまでしばらくラジウム温泉に通い続け、エストロゲン期がやって来たら、次のプロゲステロン期がやって来るまで、しばらく通うのを止めてみることにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 三朝温泉における私の湯治の経験から言えば、湯あたりの症状が出ているということは、温泉の効果が期待できる境目の時期のようです。すなわち、湯あたりの症状は好転反応なのです。それにしても、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯はとてもいいところです。スタッフの方たちも気さくで、とてもいい雰囲気です。野菜の直販所もあり、何と、小さなキャベツが百円、ピーマンも一袋百円、小ぶりのトマトも一袋百円で売られていました。私はそれらの野菜を、毒だし脂肪燃焼スープの材料のために購入しました。キャベツはスーパーで買うと高いので、この値段で売られているのはとてもありがたいことです。ラジウム温泉に入るだけでなく、野菜まで安く購入できるのはとてもお得です。(^^)

それから、話は変わりますが、ここで皆さんとシェアさせていただきたいことがあります。直径十二センチの彼女が願いをこめて私にメールをくれました。内容の一部をここに転載させていただきます。

「七つの願いをこめて」
この写真はナサの天体望遠鏡で撮影されたもので、三千年に一度と言われている大変珍しい現象です。これは「神の目」と呼ばれています。 この目を見つめる者には多くの奇跡が訪れるといわ れており、見るものがこれを信じる信じないは関係なく、七つの願いが聞き届けられると言われています。 とにかく試してみて、どのような変化があるか、見てみてください。この知らせを、「そのかたの願いが叶いますように」と思いを込めて、たくさんの方にシェアして下さい☆自分だけで独り占めはしないこと。今日から七日までが最も強いパワーだそうです。

上の画像が七つの願いが叶う「神の目」という画像です。何だかこの画像を見ていると泣けて来ませんか? 本当に神の目に見えて来ます。ついつい先日のブルームーンのことを思い出してしまいますね。私も早速七つのお願いをしました。七日までが最もパワーが強まるときだそうですので、よろしければシェアしてみてください。皆さんの願いも叶いますように。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

2007.07.02

ホットヨガ(五十六回目)

 確か、先月の定時退社日に神戸店で受けたレッスンで、七月から新しいコースが開設されると聞いていた。一体どんなコースが開設されるのだろうと思いながらホットヨガのホームページで確認してみると、スクイーズクラスという名前のコースらしい。スクイーズとは、絞るという意味だ。雑巾のように身体を絞るコースなのだろうか? ホットヨガのホームページによると、スクイーズクラスは、脂肪燃焼コースがあまりにも激しくてきついという方たちのために、脂肪燃焼コースよりも少し緩めのコースとして開設されたようである。私は脂肪燃焼コースにはまだ一度も参加したことがないのだが、新しく始まったばかりのスクイーズクラスにはとても興味があった。そこで早速、レッスンの予約を入れてみたのである。

 ホームページで確認してみると、スクイーズクラスのレッスンを開設している支店はまだまだ少ないことがわかった。例えば、神戸店では開設されているが、三宮店では開設されていない。私は、自分のホームである神戸店をターゲットに選び、レッスンに臨んだ。

 いつものように着替えを済ませてスタジオに入ってみると、馴染みのインストラクターがヨガマットの上でポーズを取っていた。私が一番最初にレッスンを受けたときに担当してくださったインストラクターである。彼女と軽くあいさつを交わし、私も少しウォーミングアップをしながらレッスンが始まるのを静かに待っていた。

 それぞれのヨガマットの周りには、見慣れない物体が置かれていた。発泡スチロール製の青いブロックである。私は見慣れないその物体に目をやりながら、それぞれのヨガマットの横に一つずつ置かれているので、おそらくレッスンで使うのだろうと推測した。

 七月から始まったばかりの新しいレッスン。一日に参加したので、ほとんどの方たちにとって、初めてのレッスンとなったはずである。スタジオ内を見渡すと、憧れのフリーパス会員のあの方もいらっしゃった。ホットヨガ熟練者の彼女も、これから私と同じスタート地点に立とうとしているのだ。

 スクイーズクラスの特徴は、身体を絞ることにある。これまで取って来たいろいろなポーズが、身体を絞るようにアレンジされているのである。中には動きを追うだけでも目が回ってしまうようなポーズもあり、手の動きをなかなか覚えることができずに右往左往してしまった。また、ブロックを使って行うレッスンもある。これまで取ったことのないポーズに戸惑いながらも、ほとんどの人たちが初めてスクイーズクラスのレッスンを受けるということで、同一直線上に立った。私はその感覚がとても心地良かった。何故なら、みんなが一斉に新入生なので、何とかしてポーズを覚えようとするエネルギーが一つの方向へと向かって行くのを感じたからだ。

 レッスンは六十分だった。いつもは七十五分のアクティヴコースのレッスンを受けているので、六十分が過ぎて行くのはあっという間である。やはり、初めてのポーズを取るということで、インストラクターも説明が長くなってしまったのだろうか。インストラクターは、本来ならばもっとたくさんのポーズを取るプログラムを組んでいらっしゃったようだが、残念ながら、終了の時間となってしまった。スクイーズクラスは、行く行くは、音楽に合わせてリズミカルに身体を動かして行くようなコースになって行くらしい。しかし、私を含めたほとんどの人たちが新しいポーズに戸惑い、流れるようなポーズにはほど遠かった。これから回を重ねるごとに、レッスンに参加している人たちの中でどのような変化が訪れるのか楽しみでもある。

 スクイーズクラスは、九月までの限定コースなのだそうだ。要するに、夏の間に思い切り身体を絞ることを目的として開設されたコースらしい。脂肪燃焼コースがどれくらいきついコースなのかわからないが、スクイーズクラスは戸惑いながら参加できるとても楽しいコースだとわかった。少なくとも私にとっては、どれを取ってもきついポーズではなかった。何と言っても、一緒にレッスンを受けている人たちの一体感が心地いい。

 ホットヨガのレッスンは、最初はビギナーコースから入って行くものだが、スタート地点は人それぞれだ。ビギナーコースのレッスンに参加するのは、入会後三ヶ月から半年くらいなので、同じビギナーコースに参加している人であっても、スタート地点が同じとは限らない。そういう意味で、同じスタート地点に立って参加することができるスクイーズクラスはとても魅力的なのである。スタート地点の違う人同士が集まってレッスンに参加しているのと、全員が同じスタート地点に立ってレッスンに参加しているのとでは、スタジオ内の一体感がまったく違っていた。

 スクイーズクラスは特別レッスンとして平日にもレッスンが開催されているので、おそらく、この次にレッスンに参加したときは、スタート地点にも少しばらつきが出てしまっているのだろう。それを思うと、初めてのスクイーズクラスのレッスンに参加できたことはとても貴重な経験だったと思えるのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ホットヨガでも、いろいろなアレンジポーズが次々に生み出されているようです。先日出掛けた心斎橋店では、ヨガのポーズにクラシックバレエを組み込んだ特別レッスンも開催されるようです。新しいポーズを生み出す人がいるかと思えば、私のように、新しいポーズに飛びつく人がいるわけですね。(笑)夏季限定のスクイーズクラスのレッスンが終了したあとの自分が、更なる刺激を求めてしまいそうで何だか怖いような気がしますが、しばらくの間、スクイーズクラスの一体感を感じてみたいと思っています。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (0)

2007.07.01

映画『ボルベール<帰郷>』

 週末は、二日間続けてホットヨガのレッスンに出掛けた。しかし、ホットヨガの記事が連続してしまうので、レッスンの帰りに観た映画『ボルベール<帰郷>』のレビューを書かせていただこうと思う。

 この映画は、大きな劇場で観るにはあまり馴染みのないスペイン映画である。しかし、映画館で予告編を観たときから、とても気になる映画だった。流れている音楽と、映像から伝わって来るスペイン人の熱い気質が私の観たい情熱を掻き立てたのだ。公開されたら是非とも観に行こうと思っていたところ、ホットヨガのレッスンが千円で映画を観られる「映画サービスデー」と重なった。ガンモは仕事で遅くなると聞いていたし、この映画の上映スケジュールも、ホットヨガのレッスンを終えて観るのにちょうどいい時間帯だった。しかも、私が映画館に着いたのは上映時間ギリギリの時間だったのだが、受付で発券してもらった指定席は、まるで私のために空けておいてくれたかのような良く鑑賞できる席だった。

 他の映画の予告編が終わり、いよいよ本編が始まった途端、私はこの映画の世界に引き込まれた。いきなり、心地良い風が吹く中で、何人もの女性たちが一生懸命お墓を磨いているシーンが映し出されているのである。お墓を磨いているのがほとんど女性たちばかりであることから、日本のお彼岸などに見られる光景とは異なっていることが想像される。そのような光景を目にすれば、一体何事かと思うだろう。この映画の舞台となっているスペインのラ・マンチャでは、生きている間に自分のお墓を購入し、そのお墓をせっせと磨く習慣があるのだそうだ。しかし、そうした習慣を映像で見るのは、何とも不思議な気がするものである。

 冒頭に登場する何人もの女性たちが象徴するかのように、この映画には、全体を通して男性がほとんど登場しない。それはまるで、Dというコードで始まる曲がやはりDのコードで完結するのが音楽の世界の暗黙の了解であるように、冒頭の映像が映画のすべてを象徴しているのである。男性が登場したとしても、死んでしまったり、街を出て行ったりする。つまり、この映画の登場人物の多くは女性だということだ。その中でも、主演女優のペネロペ・クルスがとりわけ美しい。これまでに、彼女の主演作は『赤いアモーレ』を観たが、今回の役柄のほうが彼女の美しさを一層際立たせている。

 スペイン映画を見慣れない私にとっては、映画の中で交わされるアクションの大きい抱擁とキスがとても新鮮だった。日本では、あいさつ代わりにキスをするような習慣はないが、スペイン人のキスは、アメリカ映画などに見られる簡単なキスよりも濃厚で愛情深く見えた。抱擁しながら、相手の耳元で「チュッチュッチュッチュ」と大きな音を立ててキスを交わすのである。

 映画のジャンルとしては、ヒューマンドラマに相当するのだろうか。少なくともラブストーリーではない。殺人事件が絡むが、サスペンスものでもない。死んだはずの母が戻って来るが、ホラーでもない。映画の内容を一言で表現すると、血縁の絆を取り戻すプロセスを描いた作品と言っていいのかもしれない。血縁が失ってしまった絆を取り戻すプロセスとして、殺人事件が絡んで来るのである。殺人事件の背景には、旺盛な性欲という因果がある。殺人事件が明るみになってしまうかどうかで、私たち観客は手に汗を握りながらストーリーが展開して行く様子を見守ることになる。殺人事件が明るみにならないようについつい祈ってしまうのは、いつの間にか登場人物の生き方に共感しているからなのだろう。

 男性がほとんど登場しないこの映画を通して監督が表現したかったものは一体何だろう。血縁の絆の素晴らしさを描くなら、殺人事件を絡めなくても表現できるはずだ。では、女性性だろうか。それとも、母性だろうか。実際は、夫婦関係がうまく行っていなかったという死んだはずの母。離婚したあと自宅で美容院を営みながら独り暮らしをしている姉。娘に異常な性欲を示した夫と結婚していた妹。生涯結婚することもなく、末期癌に侵され、静かに死を待つ女性。女性だけの世界に偏っていると言えば偏っている。監督は、男性たちに失望した女性たちも、強く生きて行けることを描きたかったのだろうか。それとも、女性が快適に生きて行くには、むしろ男性の存在など邪魔だということなのだろうか。

 描かれているのは特異な世界なのだが、どういうわけか、この映画には赤いイメージがつきまとう。それは、血の赤なのか。それとも、火事で燃え盛る炎が示す赤なのか、はたまた、映画の中には出て来ないがスペインの闘牛士が使う赤いムレタの色なのか。あるいは、情熱の赤なのか。とにかく二時間、スクリーンからずっと目が離せない映画だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ヨーロッパ映画は、人間の感情が細やかに表現されているという点で、アメリカ映画とは明らかに違っていますね。その分、暗いイメージを伴う作品も多いかもしれませんが、エンターテイメント系の映画のようにその場限りではなく、しばらく余韻が残るのが特徴です。この映画は、情緒的なものを感じたい人にはお勧めの映画です。公開されたばかりですので、情緒的なものを感じたい方は是非。(^^)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

| | トラックバック (5)

« 2007年6月 | トップページ | 2007年8月 »