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2007.06.05

 私は書くことが大好きだ。しかし、時には書けなくなってしまうこともある。初めてのペアシートの記事は書けないときに書いたものだ。あとから読み返してみると、心ここにあらずの状態で書いているのが良くわかる。文章を書くためにタイトルに掲げた出来事を詳細に振り返ることもできず、目の前に起こっている出来事に心を奪われていた。人は自分を上手には騙せないものである。もしも私が書くことを職業としていたなら、「申し訳ありません。今日は書けません。プロとして失格です」と読者の皆さんにお詫びを申し上げなけれなばらなかったかもしれない。しかし、どんな精神状態のときも「書かねばならない」状況にあるのがプロならば、私は純粋に「書きたい」気持ちを大切にできるアマチュアのままでいいと思う。

 実は、文章を思うように綴ることができなかったことには理由がある。詳しくは書けないのだが、大きな精神的ダメージを受ける出来事があった。心が痛くて痛くて、私は自分の心臓のあたりに手を当てて、深呼吸を繰り返していた。夜も眠れず、食事もろくに喉を通らない状況に陥った。それでも、何か食べなくてはと思い、飲み物とバランス栄養食を胃に流し込んでいた。夢ならば覚めて欲しいと、どんなに切願したことだろう。しかし、それは夢ではなかった。夜中に目が覚めても、心の痛みは消え去っていない。夢からは覚めたものの、寝ている間も現実はずっと持続していた。その現実があまりにも厳しくて、再び目を閉じてもなかなか眠りに就くことができない。わずか一日半の間に、体重が二キロほど落ちた。

 私がガンモと出会い、結婚したこと。私たち夫婦がずっと子供を持たずに共働きでやって来たこと。そうしたことは、今回の出来事のために用意されていたとしか思えなかった。私は泣きながらガンモに、
「存在してくれてありがとう」
と言った。ガンモの懐の広さには頭が下がる思いだ。どんな状況に陥っても、ユーモアの精神を忘れることなく、冷静に手を差し伸べてくれる。

 大きな精神的ダメージが、私をピュアなハートへと誘(いざな)う。一見、ネガティヴに見えるその出来事は、関わる人たちに精神的な成長を促した。自分でも驚いたのは、誰かを責めたり、怒りの感情が沸いて来なかったことだ。私のエネルギーは、怒りよりも、現実を受け入れ、前に進むことに費やされた。起きてしまったことは仕方がない。私はそう言って、その問題に関わる人たちにこれからのことを考えるように提案した。かつての私なら、間違いなく誰かを悪者にして責め立てていただろう。しかし、そうした行為は前に進むのを遅延させてしまう。過去ではなく、今、これからが大切だというのに。

 大きな精神的ダメージが私にもたらした変化。それは、お金の使い方を改めようということだった。私は、共働きであることをいいことに、お金の使い方がとても下手だった。そう、節約することを知らず、無駄遣いが多かったのだ。これからは、もっともっとお金の大切さを認識しようと思った。自分の身になって行くことにお金を使うのはいい。しかし、身になっていないことにまでお金を使い過ぎていた。

 仕事に関しても、もっと真剣に取り組もうと思った。幸いにして、私は技術を身につけ、その技術を生かせる仕事をしている。自分で言うのも何だが、派遣社員という不安定な立場からすれば、技術職であるがゆえに時給も悪くないほうだと思う。今のこの仕事を選んだことで、私は自分の特技を確実に活かしているのだと実感した。私の持っている技術が社会の役に立つならば、まだまだ仕事を続けて行こうと思った。そして、派遣社員であるにもかかわらず、丸五年も私を必要とし続けてくれている現在の派遣先の企業にも深く感謝した。

 血縁という絆の素晴らしさについても再認識した。これまでの私は、血縁よりも男女の愛情を重んじるところがあった。しかし、血縁は絶対的な関係だと気がついた。血縁は、どんなときも愛を絶やすことなく、時には叱咤しながらも、継続的に救いの手を差し伸べる存在だった。

 映画を観ることも、ホットヨガに通うことも、精神的な余裕があるからこそ実現できることだと改めて認識した。所用のため、火曜日のレディースデイに休暇を取ることになったにもかかわらず、私は目的を達成したあとも、映画館に足を運ぶこともしなければ、ホットヨガのレッスンを受けることもできなかった。時間はあっても、とてもそんな気持ちにはなれなかった。精神的な余裕がいかに大切であるかをとことん思い知らされた。私は、自分を形成しているものが、いつも当たり前のように存在しているものだとばかり思い込んでいた。しかし、時にはそうした当たり前のものから遠ざかってしまうこともある。大好きな文章さえも書けなくなってしまうほどに。

 問題は、まだまだ解決したわけではなく、むしろ始まったばかりだと言える。しかし、こうした大きな精神的ダメージこそ、精神的成長をもたらしてくれるのも事実だ。今はそれを受け止めようと思う。

 多かれ少なかれ、人は変化の中にいる。何かが起こった時点で、人は現状を受け入れるように変わり始める。だから、取り返しの付かないことなんて、本当はないのかもしれない。そう思うと、例え少しずつでも前に進んでいることを実感できる。与えられた課題に優先順位を付けながら、少しずつ、ゆっくりと、着実に。そして、困難に立ち向かえば立ち向かうほど、これまで見ることのなかった一面が見出され、互いに相手を見直しながら、困難に取り組む人たちの絆が深まって行く。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回は特に抽象的な書き方でごめんなさい。例えどんなことが身に降りかかったとしても、私たちは少しずつ少しずつ前を向いて生きているのだということを実感しました。問題を一つクリアすれば、痛みは少し和らいでいます。そうした進化を励みにして、私たちは次なる課題に取り組めるように出来ているのですね。更に、大きな課題に取り組むためには、適切な助っ人が配置されていることもわかりました。確か、ずっと以前に読んだ『第十の預言』にそんなことが書かれてあったように思いますが、まさかこういうことを自分が体験することになろうとは思いませんでした。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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