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2007.06.08

映画『クィーン』

 いつまでも足踏みしていてはいけない。再び前を向いて歩いて行かなければ。そう思い、自分がこれまでのように映画を観ることができるのか、知りたいと思っていた。また、映画を観ることによって、疑ったり腹を立てたりした自分の感情と向き合っておきたかった。私の場合、何か気にかかることがあると、映画によって引き出されている感情を、自分自身の真実を見出すためのエネルギーに費やすことが多い。映画を観て感受性が強くなっていると、自分自身の真実も引き出しやすいのだ。

 折しも勤務先では、職場全体の飲み会が開催されようとしていた。私たち派遣社員は、プロジェクトの飲み会には参加するが、職場全体の飲み会には参加しない傾向が強い。そのため、派遣社員にとって、職場全体の飲み会が開催される日は、定時退社日と同じくらい自由な時間になるのだ。そんな私の肩を押すように、先日会員になったばかりのシネ・リーブル神戸は、毎週金曜日には千円で映画を観られることになっていた。そこで私は、ゴールデンウィークあたりからずっと気になっていた『クィーン』を観ることにしたのだ。

 この映画は、ダイアナ元妃が交通事故で亡くなってからおよそ一週間の間の、英国王室、とりわけエリザベス二世の心情を描いた作品である。登場人物は、すべて実在の人物と断言していいのだろうか。エディンバラ公、チャールズ皇太子、ブレア首相などが実名で登場する。

 映画が始まった直後に、多少、ニュアンスは違うかもしれないが、「冠をかぶる者は睡眠中でさえも冠を外すことができない」という著名人の言葉がスクリーンに映し出される。この映画は、まさしくその一言に集約されている映画だと思う。

 多くの人たちは、仕事とプライベートを分けていることだろう。私もきっちり分けている。しかし、あまりにも世間に顔が知れ渡っている存在であるとか、国のトップに立つような人たちは、仕事とプライベートを明確に分けることができない立場にいる。エリザベス二世もまた、典型的なその一人だった。

 この映画では、仕事とプライベートという概念の他に、ダイアナ元妃の死が大きく絡んで来る。形式や伝統を強く重んじる英国王室。王子たちの母親であるとは言え、チャールズ皇太子と離婚してしまったダイアナ元妃はもはや王室の人間ではない。そのような微妙な位置付けにあるダイアナ元妃の突然の死に対し、英国王室としてどのような対応をするかというところにスポットが当てられている。映画の中でも、「前例のないことだ」という表現が繰り返し登場する。形式や伝統を強く重んじる英国王室だけに、前例のないことに対して、どのように対処したらいいかわからないのだ。

 私は、東京のソフトウェア会社で社員として働いていたとき、その会社で出会って結婚したものの、二人とも退職してしまった先輩たちの結婚式の二次会の案内を回覧していたときのことを思い出した。確か、総務の男性だったと思うが、
「辞めた人間の結婚式の二次会の案内の回覧なんか回すな」
と言ったのである。おそらくその男性は、会社の人間としてそう言ったのだろう。それを聞いた私は、会社の人間としてでなく、ただ純粋に、かつての仕事仲間の新しい門出を祝福できないものなのだろうかと悲しくなったものだった。

 実際、ダイアナ元妃が亡くなってから、およそ一週間の間、英国王室は声明文も出さなければ、弔意を表す半旗も掲げなかったらしい。つまり、王室から出て行った人間のことを弔う姿勢を示さなかったのである。しかし、ダイアナ元妃は国民から絶大な人気を得ていた。そのため、何故、王室としてダイアナ元妃を弔う姿勢を見せないのかと英国国民からは批判されていたらしい。

 ここで、冒頭に映し出された著名人の言葉が生きて来る。私たちが仕事とプライベートを切り分けるようには行かないが、エリザベス二世は常に女王としての自分を演出し続けている。そこには、女王ではない素のエリザベス二世が立ち入る隙はない。つまり、エリザベス二世の場合、私生活のすべてが女王だと言っても過言ではないかもしれない。そうした彼女が、山の中でジープを故障させて一人で泣くシーンがある。この瞬間こそ、エリザベス二世が女王としての冠を外した瞬間だった。そのときに、エリザベス二世はある動物に出会う。実に美しいシーンだ。普段はその動物を射止めることを応援しているはずのエリザベス二世なのに、狩をしている人間たちの標的にならないようにと、動物を気遣うのだ。

 形式や伝統を守ろうとすると、人間性の持つあたたかさからはどんどん外れてしまう。ダイアナ元妃は、そうした形式や伝統を重んじる王室の姿勢とは正反対の立場を取り、英国国民に広く支持されたのだろう。カミラ妃(と言っていいのか)とずっと不倫関係にあったチャールズ皇太子もまた、形式や伝統に縛られない生き方を選択していたと言えるかもしれない。興味深いのは、そんなチャールズ皇太子が、ダイアナ元妃の亡骸をパリまで引き取りに行ったことだ。このことからも、チャールズ皇太子が形式や伝統に従って行動しているのではないことがわかる。高貴な身分を思わせる布に包まれた棺は、英国らしく足並みを揃えた人たちによって運ばれている。例え映画であったとしても、このようなシーンを映像で観られるのは貴重だ。

 ブレア首相とエリザベス二世のやりとりもいい。うわべだけで解釈しようとすると、首相になったばかりのブレア首相が、自分の好感度をアップさせるために動き回っているかのように見える。しかし、後半になると、ブレア首相がどれだけエリザベス二世のことを理解し、真剣に想っているかが伝わって来る。エリザベス二世が英国国民やマスコミに非難される中で、ブレア首相が逆ギレするシーンがたまらなくいい。確か、
「女王の気持ちが君たちにわかるか!」
というような内容だったと思う。その一言で、彼がエリザベス二世の態度を非難しているのではないということがわかる。ブレア首相は、エリザベス二世の女王としての苦悩を見抜いた上で助言し続けていたのだ。そして、英国国民の反応に苦悩しているエリザベス二世に対し、
「あなたが国民に支持され続けている五十年間のうち、たった数日間のことです」
というようなことを言う。もう、素晴らしいの一言に尽きる。

 映画を観終わる頃には、映画を観る前に抱えていた疑ったり腹を立てたりしたネガティヴな気持ちはすっかり晴れ、まっすぐ上向きになっていた。私は、何が一番大切なのかを忘れかけていた。この映画が直接的にそれを思い出させてくれたわけではない。しかし、本来の私自身を引き出す鍵が、この映画にはあった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 会員であれば千円で映画を観られる金曜日だったのですが、さすがミニシアター系の映画館だけあって、大きな映画館のレディースデイのようにざわざわした雰囲気は一切なく、とても静かで落ち着いた雰囲気で鑑賞することができました。ミニシアター系の映画館は、仕事帰りに一人で観に来ている人が多いようです。エンドロールが始まってもほとんどの人が席を立ちません。私は、ようやく自分のお気に入りの場所を見つけられたような気がします。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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