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2007.06.29

虎穴に入らずんば虎子を得ず

 に書いた大きな出来事が起こってからというもの、私たちを含めてこの問題と向き合っている人たちは、一生忘れられないほどの感情を体験している。そんな中で見えて来たのは、波動の伝わり方は人それぞれだということだ。

 波動を音に置き換えて考えても良い。例えば、雑音のあるだだっ広い草原の中で、大きな声で呼び掛ける人がいるとする。その声は、近くにいる人ほど正確かつ明瞭に届くが、遠くにいる人には届かなかったり、仮に届いたとしても、途切れ途切れにしか聞こえなかったりする。声が届きにくいと感じている場合でも、声の届く場所まで自分の足で歩いて行くのではなく、声が届かないことへの怒りをぶつけて来る。

 時間の進み方についても、人それぞれであることがわかった。声が聞こえている人たちは、怒りの状態に停滞するよりも、もっともっと先へと進もうとする。だから、時間の進み方が速い。しかし、声が届きにくい人は、怒りの状態へと留まり、頑なになって動こうとしない。私は、時には怒りも必要だと思っていたが、単に自分の怒りを感情的にぶつけるのと、本当に相手のことを思って怒るのとは違うことに気がついた。前者は無関心で見守らず、後者は怒りの対象から絶えず目を離さず見守っている。前者は、単に自分の怒りを吐き出しただけだ。そうした怒りは、エネルギーの集結ではなく、分散へと向かう。

 それから、輝ける記憶。輝ける記憶がある人とない人では、取る行動がまったく違う。雑音のあるだだっ広い草原の中で声が聞こえて来るかどうかは、輝ける記憶があるかないかにもよる。輝ける記憶のない人は、自分の怒りを自己愛的にぶつけて来る。

 そんな中で経験した、狂気と狂喜と驚喜。こうした苦い経験を通してこそ示せる愛もあることに気がついた。当たり前の日常から示し続ける継続的な愛もあるが、決定的な苦境に立たされたときに手を差し伸べられるチャンスを与えられたことに感謝している。そして何よりも、輝ける記憶を持つ人たちの命があることがありがたい。例え多くのものを失ったとしても、今の私にはそれだけで充分だ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅れがちで申し訳ありません。おまけに抽象的な表現でごめんなさい。筋腫の問題を抱える一方で、もう一つの大きな出来事も同時進行していました。また一歩、前に進むことができたわけですが、まだまだ問題は残っています。それでも、怒りに関する経験は、特に貴重でした。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という言葉がありますが、今はまさしくそんな状況です。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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