« 絆 | トップページ | 記憶を塗り替えない »

2007.06.06

ハイアーセルフ

 ああ、何故、これほどまでに極限の状態に追い込まれなければ、私たちは愛を実感することができないのだろう。残業時間の合間をぬって電話を掛ける。このような極限の状態に陥っているというのに、電話の相手は気丈に振る舞い、その日の出来事を聞かせてくれる。そこには、昨日よりも着実に前進した姿があった。愛を見失い、頑なになっている人の心を溶かすべく、積極的にコミュニケーションを取ったそうだ。私は、そうした愛ある行動に感動させられ、自分がまだ勤務先にいることも忘れ、顔をくしゃくしゃにして泣いた。映画『シンデレラマン』の中で、妻がボクシングで賞金を稼ぐためにリングに立とうとする夫に対し、「私はあなたのことが誇りなのよ」と言って励ます感動的なシーンがある。私は、電話の相手に向かってその言葉を発していた。

 そして、これを書いている今日、大きなイベントが予定されていた。私自身はそのイベントには参加しなかったが、おそらく私の人生始まって以来の大きなイベントだろう。愛ある人は、勇気をもってそのイベントに臨んだ。私は仕事先で、その大きなイベントが無事に終わるようにと、ハイアーセルフに心からのお願いをした。すると、そのイベントが始まる一時間も前から不思議に気持ちが落ち着き始め、オフィスのデスクの上に置いた時計を気にすることなく、仕事に集中することができた。仕事の合間に、その大きなイベントがどのように進行しているかについて思いを馳せると、ハイアーセルフの
「大丈夫だよ」
という声が聞こえて来た。私のハイアーセルフは、年老いたおじいちゃんだ。私のご先祖様なのだろうか? ハイアーセルフのおかげで、私は仕事中、心が揺れることもなく仕事に専念することができた。私はハイアーセルフにすべてを預け切っていた。

 大きなイベントが終わった頃、結果を聞くために、私は再び電話を掛けた。すると、電話の相手はイベントが順調に進行したことを知らせてくれた。ハイアーセルフが
「大丈夫だよ」
と言ってくれたことは、まさしく真実だったのである。私はハイアーセルフに心から感謝した。お願いしたときと同じくらい、何度も何度もお礼を言った。これまでも、あたたかいハイアーセルフはずっと私を見守ってくれていたに違いない。それなのに、極限の状態でなければハイアーセルフと話をすることができないなんて・・・・・・。私がハイアーセルフの声を聞いたのは、実に数年ぶりのことだったのだ。

 極限の状態まで追い込まれたとき、集結よりも分散へと動いて行くエネルギーもある。中心にいなければ、分散へと向かいやすい。実際、分散へと向かおうとしている人もいる。中心から遠く離れた人が、外から引っ張るのだ。しかし、分散へと動く行為は、二度と同じことを繰り返さないようにするための戒めにもなる。

 そして私は悟ったのだ。単に手を差し伸べるだけが愛ではない。戒めとして突き放すことも大きな愛だということに。私たち夫婦は既に十分手を差し伸べた。更にそれ以上、手を差し伸べることもできる。しかし、あまりにも手を差し伸べ過ぎると、喜びからの学びは多くても、苦しみからの学びが足りなくなってしまう。だからここは心を鬼にして、自分自身の力で歩いてもらうために、これ以上は手を差し伸べない決断を、ガンモと二人で話し合って決めたのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回も抽象的な書き方をして申し訳ありません。ようやく夜も眠れるようになり、ご飯も喉を通るようになりました。わずか三日の間に、これほど大きな変化が起こるものなのですね。あれだけ気持ち的にもどん底の状態だったはずなのに、再び前を向いて歩くことができるようになれるのですから、人間の精神とは強いものです。ハイアーセルフの存在には、本当に感謝しています。皆さんも気付きませんか? ニコニコと笑いながら手を差し伸べてくれるハイアーセルフの存在に。決定的なピンチのときに呼びかけてみてください。きっと、手を貸してくれるはずですよ。(^^)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

« 絆 | トップページ | 記憶を塗り替えない »