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2007年6月

2007.06.30

ホットヨガ(五十四回目/五十五回目)と清水湯

 先日、二日間連続で好きなアーチストのコンサートに出かけた日曜日、梅田店で七十五分のアクティヴコースのレッスンを受けた。いつもは、同じレッスンに参加されている男性会員は一人か二人だけなのだが、珍しく三人もいらっしゃった。一人はカップルで参加されている方で、あとの二人はそれぞれ一人で参加されている方だった。やはり、カップルでレッスンに参加されている方はうらやましい。二人で水を分け合って飲んでいらっしゃるからだ。二人でピクニックに来ているような、そんな微笑ましい様子が伝わって来る。

 そして土曜日。もともと南森町店のレッスンを予約していたのだが、直前になって心斎橋店でのレッスンに変更した。というのも、仕事帰りに天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯に入ったので、今度は心斎橋にあるラドン温泉の清水湯にも入ってみたいと思ったからだ。心斎橋にラドン温泉があるということは、以前、私のサイトに遊びに来てくださっている鏡子さんが教えてくださった。

 心斎橋店でも、七十五分のアクティヴコースを受けた。はきはきしていて、とても好感の持てるインストラクターだった。ラジウム温泉の効果なのか、いつもよりも汗をたくさんかいた。満月の日はデトックス効果が高まるという説もある。

 レッスンを終えたあと、ロッカールームで面白いものを見つけた。何かの雑誌に掲載されたホットヨガの記事が張り出されていたのだ。それは、梅田店の店長と二人の会員の方たちとの対談だった。対談の中で、会員の方が、
「いつも思うのですが、鏡の前ってすぐに埋まってしまうんですよね」
とおっしゃっている箇所を読んで、思わずぷっと吹き出してしまった。私の知る限り、鏡の前のヨガマットがすぐに埋まってしまうのは、事実だからだ。みんな、自分がどのようなポーズを取っているか気になって、鏡の前のヨガマットを選びたがるのである。他の人もそのことに気付いているということが妙におかしかった。

 心斎橋店をあとにした私は、昼食にセルフのさぬきうどんを食べて、清水湯へと向かった。心斎橋にもお弁当を広げて食べられるスペースがあれば、お弁当を持参したのにと思う。清水湯は、予め地図で確認していたのですぐにわかった。心斎橋のOPA!さえ見つけられれば、わかりやすい場所にある。

清水湯

 通常の入浴料金三百九十円とラドン&サウナ二百七十円の合計六百六十円を支払い、ラドン&サウナの緑の利用札を受け取って中に入った。大荷物の私にとって、脱衣場に設置された大きなロッカーはとてもありがたかった。清水湯のロッカーには、バックパッカーと間違われるほどの大きなリュックと、ホットヨガ用の着替えなどが楽にすっぽり収まった。ラドン&サウナの緑の利用札は、ロッカーの鍵についている白い紐に通して首からぶら下げることになっていた。

 私は脱衣場で前々日の「ガンまる日記」を書き上げた。ノートパソコンを広げて書いている間、常連さんたちが次々に行き交っている。あいさつを交わしている様子から、私のように初めて訪れる人は少なく、ほとんどの人たちが常連さんだとわかってしまう。清水湯のすごいところは、常連さんたちの専用ロッカーがびっしりと埋まっていたことだ。お年寄りから若い人まで、幅広い層に支持されている銭湯のようである。

 脱衣場から浴室へは、エレベータか階段で上がることになっていた。ビルの中にある銭湯なので、脱衣場と浴室の階を分けて広々としたスペースを実現させているようだ。私は階段を使って自分の足で浴室まで上がった。浴室には、いくつものカランと電気風呂、中温風呂、泡風呂、高温風呂、水風呂のほか、サウナ、ラドン温泉があった。これだけバリエーションがあるとなかなか楽しい。

 私は、ひとまず身体を洗って、ラドン温泉に入ることにした。ラドン温泉は、温室のような区画に、四十一度くらいに保たれたぬるめの湯船が用意されていた。ラドン温泉には、利用客が退屈しないように、テレビの設備があった。説明書きには、シリカブラックを利用して遠赤外線効果を高めていると書かれている。見ると、シリカブラックと思われる石が湯船の側面に埋め込まれているようだった。しかし、ラドンの説明はどこにもなかった。シリカブラックではラドンは発生しないはずなので、清水湯のラドンは、どのようにして発生させているのかが気になった。清水湯のラドン温泉は天然の温泉なのだろうか? ホームページの情報からも、そのあたりのことが良くわからない。利用者としては、是非ともラドン含有量を知っておきたいものだ。次に訪れたときに、ラドン含有量の表示を確認してみることにしよう。

 私は途中で休憩を挟みながら、ラドン温泉に二回入り、サウナに一回入り、再び身体を洗ってお湯から上がった。喉が渇いたので、脱衣場の自動販売機で飲み物を飲んだ。こんなふうに、一日中、何度もラドン温泉に浸かったり休んだりできたら、どんなに幸せだろう。

 私は、気がかりなことがあったことと、ガンモが仕事の待機要員で自宅に居たため、夕方には清水湯をあとにした。都会の真ん中にあるラドン温泉。心斎橋は、とにかく人の多さに圧倒されてしまうような場所だが、これほどのんびりできるスペースがあるとは驚きだ。常連のおばさまたちは、ラドン温泉よりもサウナに夢中のようである。ラドン含有量について詳しく知りたいが、心斎橋店でホットヨガのレッスンを受けるときはできるだけ利用してみようと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 清水湯には、ラドン温泉にもサウナにも、テレビの施設があり、テレビの画面を眺めているだけでも時間が過ぎて行くというありがたい状況になっていました。ただ、ラドン温泉で放送されていたのは、プロ野球だったのです。(^^; 「ああ、チャンネルを変えたい」などと思いながら踏ん張っていたのは言うまでもありません。(苦笑)こうした銭湯には、必ず常連さんがいらっしゃいます。この日はとても暑い日でした。そんな暑い土曜日に、お昼過ぎから銭湯に入りに来るなんて、単に汗を流すために訪れているのではないことがわかります。それだけ、多くの人たちに愛されている銭湯なのでしょうね。私は何と言っても、大きなロッカーが気に入りました。(^^) 清水湯をご紹介くださった鏡子さんに感謝!

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2007.06.29

虎穴に入らずんば虎子を得ず

 に書いた大きな出来事が起こってからというもの、私たちを含めてこの問題と向き合っている人たちは、一生忘れられないほどの感情を体験している。そんな中で見えて来たのは、波動の伝わり方は人それぞれだということだ。

 波動を音に置き換えて考えても良い。例えば、雑音のあるだだっ広い草原の中で、大きな声で呼び掛ける人がいるとする。その声は、近くにいる人ほど正確かつ明瞭に届くが、遠くにいる人には届かなかったり、仮に届いたとしても、途切れ途切れにしか聞こえなかったりする。声が届きにくいと感じている場合でも、声の届く場所まで自分の足で歩いて行くのではなく、声が届かないことへの怒りをぶつけて来る。

 時間の進み方についても、人それぞれであることがわかった。声が聞こえている人たちは、怒りの状態に停滞するよりも、もっともっと先へと進もうとする。だから、時間の進み方が速い。しかし、声が届きにくい人は、怒りの状態へと留まり、頑なになって動こうとしない。私は、時には怒りも必要だと思っていたが、単に自分の怒りを感情的にぶつけるのと、本当に相手のことを思って怒るのとは違うことに気がついた。前者は無関心で見守らず、後者は怒りの対象から絶えず目を離さず見守っている。前者は、単に自分の怒りを吐き出しただけだ。そうした怒りは、エネルギーの集結ではなく、分散へと向かう。

 それから、輝ける記憶。輝ける記憶がある人とない人では、取る行動がまったく違う。雑音のあるだだっ広い草原の中で声が聞こえて来るかどうかは、輝ける記憶があるかないかにもよる。輝ける記憶のない人は、自分の怒りを自己愛的にぶつけて来る。

 そんな中で経験した、狂気と狂喜と驚喜。こうした苦い経験を通してこそ示せる愛もあることに気がついた。当たり前の日常から示し続ける継続的な愛もあるが、決定的な苦境に立たされたときに手を差し伸べられるチャンスを与えられたことに感謝している。そして何よりも、輝ける記憶を持つ人たちの命があることがありがたい。例え多くのものを失ったとしても、今の私にはそれだけで充分だ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅れがちで申し訳ありません。おまけに抽象的な表現でごめんなさい。筋腫の問題を抱える一方で、もう一つの大きな出来事も同時進行していました。また一歩、前に進むことができたわけですが、まだまだ問題は残っています。それでも、怒りに関する経験は、特に貴重でした。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という言葉がありますが、今はまさしくそんな状況です。

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2007.06.28

日帰りラジウム温泉

メールに勇気づけられての記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m あの記事は、Rさんと私の合作記事となりました。(^^) 私に記事を書かせてくださったRさんと、応援クリックをしてくださった皆さんに、改めて感謝致します。本当にありがとうございます。m(__)m

 仕事がようやく落ち着いたので、私は仕事帰りにラジウム温泉に入ることを思いついた。行き先は、以前もご紹介したことのある天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯である。私にとっては、ラジウム温泉のホルミシス効果は筋腫にも良い影響をもたらしたと思っている。しかし、かつてのように三朝温泉まで行って湯治に専念するとなると、ガンモと離れて再びあの孤独感に打ち勝つ勇気を持たなくてはならない。あれほどの孤独感をわざわざ体験しに行かなくても、三朝温泉と比べるとラドン含有量は少ないが、通勤沿線上に天然のラジウム温泉があるのだ。

 実は、これまでにも何度か天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯を訪れたことがある。神戸市営地下鉄の学園都市駅から無料送迎バスが出ていると聞いていたのだが、無料送迎バスの発着場所がわからず、私は毎回、タクシーで行って、帰りはお金を払って路線バスを利用していた。何故、行きだけタクシーを利用することになってしまうかと言うと、今度こそ無料送迎バスの発着場所をつきとめようと意気込んで、神戸市営地下鉄の学園都市駅に降り立つからである。しかし、どうしても見つからないため、タクシーを利用することになってしまうのだ。路線バスがあるなら、路線バスを利用すればいいのではないかと思われるかもしれないが、路線バスは、無料送迎バスの発着する学園都市駅とは違う駅から出ているため、無料送迎バスに乗れなかった場合、再び地下鉄に乗って別の駅まで移動しなければならない。そんなことをしているうちにどんどん時間が経ってしまうので、そういうときはタクシーに乗ってしまったほうが手っ取り早いという決断を下してしまうのだ。このようないきさつから、一回分の利用コストが高くなってしまっていたため、次第に足が遠のいてしまっていた。

 あるとき、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯を利用しているという派遣仲間に無料送迎バスの乗り場を確認してみると、私が当たりをつけていた場所と一致していた。それなのに、これまで無料送迎バスを見つけることができなかったのはとても不思議だ。なるほど、そこで待っていれば、確実に迎えに来てくれるらしい。私は、無料送迎バスの発着時刻をインターネットで調べ、「私がラジウム温泉に導かれるならば、今度こそ無料送迎バスに乗りたい」と願った。しかし、急に思い立って来てしまったので、私は着替えもタオルも持参していなかった。そこで、学園都市駅前のスーパーで下着とタオルを調達し、無料送迎バス乗り場へと向かったのである。下着やタオルを自宅から持参しておけば良かったのにと思うと、ちょっぴり悔しかった。

 私は、無料送迎バスのバス停で、しばらく立って待っていた。果たして、本当に無料送迎バスはやって来るのだろうか。一度も無料送迎バスに乗ったことのない私は、まだ半信半疑だった。まるで、トトロのネコバスを待つような気分だった。

 ちょうど無料送迎バスの発着時刻になった頃、私の視界にネコバス、いや、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯の無料送迎バスが入って来た。来た、来た、来た。本当に来た。無料送迎バスは確かに運行されていた。無料送迎バスは、私の立っている目の前にゆるやかに停車し、中に乗っていた利用客を降ろした。降りた人たちは、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯を利用して既に帰路につく人たちだ。私がバスに乗り込むと、無料送迎バスは静かに発車した。そして、これまで私がタクシーで通っていた道を通り、数分で天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯に到着した。ようやく私は導かれたのだ。

天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯

 無料送迎バスに乗車することができたことと言い、何だかいつもとは様子が違っていた。何故なら、いつもとは違う湯に入ることができたからだ。天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯は、男湯と女湯のスペースが毎日入れ替わっている。これまで私が足を運んだのは、別々の日であるにもかかわらず、いつも片方の湯しか利用することができなかった。しかし今回は、まだ入ったことのなかった湯を利用することができたのだ。

 確か、初めて天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯を利用したのは、三朝温泉の湯治から帰ってしばらく経ってからのことではなかったろうか。私は、三朝温泉と比較してしまい、どこか物足りない感覚を抱いてしまったものだった。三朝温泉の贅沢な掛け流しと違って、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯はお湯を循環させているため、消毒液のような匂いがかすかに漂っていたからだ。

 しかし、ここしばらく温泉に入っていなかったからだろうか。消毒液のような匂いはほとんど気にならず、肌がすべすべになりそうなツルツルした泉質にとても好感が持てた。そう言えば、しばしばここを利用しているという派遣仲間が、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯の泉質を褒めていたはずだった。しかし私は、どうしても贅沢な掛け流しの三朝温泉と比較してしまい、ツルツルした泉質に目を向けることができなかったのだ。それなのに、今回はどうしたことだろう。このツルツルした泉質が心地良くて心地良くてたまらなかった。派遣仲間のお母さんは、皮膚が弱かったらしいのだが、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯に足繁く通っているうちに、皮膚が元気になったという。なるほど、彼女のお母さんが自然の恵みを受け取ることができたのは、泉質に惚れ込んだからかもしれないと思った。私は、空気中に溶け込んでいるであろうラドンを吸い込むために、深呼吸を繰り返した。そこにないものを求めるのではなく、そこにあるものに感謝をする気持ちが大切なのだと改めて思い直した。

 帰りの無料送迎バスの最終発車時刻がおよそ四十分後だったので、私は少し急ぎ足でお湯から上がった。もう少しのんびり入りたいところだったが、できれば無料送迎バスで帰路に就きたい。着替えを済ませて無料送迎バス乗り場に足を運んでみると、さきほど私を学園都市駅から私を運んでくれた運転手さんがいた。運転手さんは、
「女性でこれだけ早く上がる人も珍しいねえ」
と言って驚いていた。やはり私には、女性エネルギーが足りていないのかもしれない。

 行きもそうだったのだが、無料送迎バスには何故か、特定の席に「ダメ!」という張り紙が掲げられていた。常連の女性が運転手さんに、
「この張り紙、何?」
と尋ねると、運転手さんが重い口を開いた。
「おばあちゃんが、おもらししよってん。それも、大(だい)やねん。何度も何度も濡れた布でふき取ったんやけどな、念のため、今日は使用禁止にしとるねん」
私は驚いたが、何となく、そのおばあちゃんの気持ちがわかるような気がした。おばあちゃんは、どうしても我慢することができなかったのだろう。誰だって、おもらししたくてするわけじゃない。しかも、おもらししたことを誰にも言えず、黙って無料送迎バスを降りてしまったのだ。私は、そのときのおばあちゃんの孤独を、ほんの少し感じ取ったような気がした。

 ちょうど仕事を終えたガンモと待ち合わせをして一緒に帰宅した。家に帰って着替えをしていると、ガンモは私の履いている花柄パンツを見て、
「そのパンツどうした?」
と言った。何だ、ガンモは私のパンツをすべて把握しているのか。
「うん、これ、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯に行く前に買ったんだよね」
と言った。するとガンモは、
「女の子らしいじゃん」
と言った。なあんだ、私にもちゃんと女性エネルギーが残っていた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実は、天然ラジウム温泉 太山寺 なでしこの湯には、二日間連続で足を運びました。二日目は一日目に乗った便よりも一つ前の無料送迎バスに乗ることができたので、比較的のんびりお湯に浸かることができました。通勤沿線上にあるため、仕事帰りに寄ることができるのはとても魅力的です。無料送迎バスを利用すれば、コストもかからないので、これからもちょくちょく利用したいと思っています。少しでも荷物を減らせるために、ホットヨガ用に持ち歩いているお風呂道具をダイエットしてみました。(苦笑)

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2007.06.27

メールに勇気づけられて

 私の周りでは、手術経験者も合わせると、少なくとも六人の女性たちが子宮筋腫を保持または摘出している。それ以外にも、インターネットを通じて知り合った筋腫保持者の方たちが数名いらっしゃる。中には、「ガンまる日記」に筋腫のことを綴って行くうちに、私のことを見つけてくださった方もいる。もしかしたら、今、この記事を読んでくださっている方たちの中にも、筋腫を保持していらっしゃる人がいらっしゃるかもしれない。

 今日は、そんな方たちが少しでも元気になれるように、筋腫と根気強く付き合っていらっしゃるRさんからいただいたメールの一部をご紹介させていただこうと思う。Rさんは、大きさからすると、私よりももっと深刻な状況にあるという。Rさんもやはり、複数の医師から子宮全摘手術を勧められたそうだが、三つ目に訪問した病院で現在の主治医に出会い、経過観察の状態にあるそうだ。ありがたいことに、Rさんは、この「ガンまる日記」を毎日欠かさず読んでくださっているという。Rさん、いつも本当にありがとう。

 それでは、Rさんからいただいたメールを太字で引用させていただきながら、私のコメントも織り交ぜてご紹介させていただきたい。

手術を拒んでいる人は、たくさんいるようですよ。
「だって、元気なんだもん!」ってことのようです。

本当にその通りですよね。
ご覧の通り、私も元気に過ごしています。
むしろ、医師に全摘手術を勧められたりすると、かえって塞ぎこんでしまうくらいです。

筋腫ほど、医師の判断がわかれるものはないとも言われているようで、
出会う医師によって、
お腹を切ったり、子宮を摘出することになるのは納得いかない気がします。

まったくの同感です。
医師の中にも、新しいことをどんどん取り入れて行こうとする研究熱心な医師と、
丸暗記型で古典的な治療を続けていらっしゃる保守的な医師がいらっしゃるように思います。
私が聞きかじった話では、大きな病院には、同じ出身大学の医師たちが集まっているそうです。
○○病院なら△△大学といった、派閥のようなものが出来上がっているらしいのです。
もしもそれが本当だとすると、同じ病院の中で、他の医師たちと違った学説を立てることは難しい状況にあるかもしれませんね。

MRIの診察の結果が悪かったら、
まるみさんは手術を決断するのだろうか?
と、成り行きをみていましたが、
やはり、手術は希望しないようですね。
まるみさんらしいなって思いました。

見守ってくださって、どうもありがとうございます。m(__)m
はい、手術は希望しません。
だって、本当に元気なんですもん。
ホットヨガのレッスンも受けられるくらいですから。(笑)
確か、以前、いただいたメールからすると、
Rさんもアクティヴに動き回っていらっしゃったと記憶しています。

ただ、私の場合、生理のときの出血が多いことと、歩行時に少し痛みを感じることがあったり、
トイレが近かったり、集中力がなかったり、
座っているときに膣から何かが飛び出して来ているような感覚はあります。
でも、逆に言えば、それくらいなんですよ。
これらの症状と引き換えに、全身麻酔を施されて全摘手術を受ける気にはなれませんね。(苦笑)

生理がある限り、エストロゲンがでますから、
筋腫は大きくなるかもしれません。
でも、医師が、大きさより、場所が問題と言っていました。

うわあ、このお言葉、とっても心強いですね。
実は、同じ職場に、問題と思われる箇所に筋腫を抱えている女性がいるのです。
彼女とは、トイレで会う度に筋腫話に花を咲かせているのですが、
彼女は私と違って二センチ程度の筋腫が一つしかないのに、
子宮内膜にかかっているために、生理のときの出血が著しく多いのだそうです。
何と、彼女のヘモグロビン値は10以下で、貧血の状態にあるため、
医師からは鉄剤を処方してもらっているそうです。
彼女は以前、ホルモンの働きを止める注射をして生理を抑制していましたが、
エストロゲン不足に陥り、ホットフラッシュの現象に悩まされていました。
それでも、生理がない間は貧血も起こらないので、その分、身体はいくらか楽ちんだと言っていました。
現在も、ホルモンの働きを止めるために鼻から薬を入れていて、
やはり、ホットフラッシュの現象に悩まされているようです。

まるみさんは、スピリチュアル(←この言葉が妥当かどうかはわかりませんが)を、
否定していないと思いますので、お聞きしますが、
そちらの方面からの手助けってやはり無理なのでしょうか・・・。と、不安な時に考えてしまいます。

以前、直径12センチの彼女から聞いた話があります。
彼女がスピリチュアルな人に言われた言葉だそうですが、
子宮筋腫ができるのは、使われなかった女性エネルギーが子宮に溜まっているからなのだそうです。
何だかギクリとしませんか?(苦笑)
私はこの言葉を聞いて、自分なりに納得してしまいました。
つまり、子宮筋腫をなくすためには、女性エネルギーを使うようにすれば良いということなのでしょうね。
しかし、実際は、どうすればいいのでしょう。
女性らしくなりなさいということでしょうか。

Rさんはどうかわかりませんが、確かに私には、女性というひとつの性に傾くよりも、中性的なところがあるので、
普段、女性エネルギーと言われるものはあまり使っていない気がします。
おそらく、女性エネルギーは、すべての女性がもともと持っているエネルギーなので、
使われないと、出番がなくて困ってしまうのでしょう。
女性エネルギーの出番を作るにはどうすればいいのでしょうね。

 以上がRさんからいただいたメールのご紹介だが、Rさんの主治医の先生がRさんに向けられた言葉で、思わず私が感動して涙してしまった言葉があるので、皆さんにもご紹介させていただくことにしよう。

「大きくても、辛い症状が無いようなら、手術はすすめません。閉経になればなくなってしまうのだから、手術の必要はないですよ」

 何とありがたいお言葉なのだろう。私は、自分に向けられた言葉でもないのに、この言葉にたくさんの元気をいただいた。Rさんは、本当にいい医師に出会っていらっしゃると思う。ただ、この言葉は、現在のRさんの症状に対し、Rさんの主治医の先生がRさんに向けておっしゃった言葉であるため、子宮筋腫を抱えているすべての人に当てはまるわけではない。

 ここから少々深刻な話になってしまうのだが、五つ子ちゃんの中で、
「それに、脅すわけじゃないですが、ここまで筋腫が多いと、悪性のものもないとは言い切れませんよ」
と医師に言われたことを書いた。この言葉の意味は、筋腫ではなく、肉腫が潜んでいることも完全には否定できないという意味だと思う。何故なら、私はこのとき、二つの子宮がん検診の結果が陰性であることを知らされているからだ。子宮がん以外の悪性のものと言えば、肉腫だ。

 肉腫と筋腫の違いは、かつては開腹手術をして、摘出した筋腫から組織を取り出して検査しなければわからなかったらしい。しかし最近は、MRIの検査の時に、患者に造影剤を投与することにより、MRIの画像から肉腫か筋腫かを判別できるようになっているそうだ。私がMRIの検査を受けるときに造影剤が投与されたかどうかはわからない。腸や子宮の動きを止める注射しかしなかったように思うからだ。造影剤を投与するときは、患者の同意書が必要らしい。私は同意書を書かなかった。そうしたことも含めて、医師は、「悪性のものもないとは言い切れない」と言ったのだと思う。

 つまり、筋腫は安全だからと素人判断で放置してしまうのは危険な場合もあるということだ。肉腫のほうが、子宮がんよりも転移が早く、命を落とす危険性も高いそうなので、筋腫を保持して手術をしない決断をしている人には、筋腫であって、肉腫ではないという太鼓判が必要なのである。そのためにも、医師によって、自分の筋腫の状況に合った的確な判断が下されることが必要だ。

 いただいたメールの中でRさんは、ご自身で実践されて、効果があったと思われるものをいくつか挙げてくださった。その一つは、猪苗代や九十九里浜の砂浴だそうだ。砂浴には、強力なデトックス効果があるらしい。砂浴と言えば、今年の三月に別府の竹瓦温泉で砂湯に入ったことを思い出す。あの砂湯は本当に気持ちが良かった。私の身体が砂湯を求めていたのだろう。Rさんのメールにも、砂浴は温泉の十倍の効果があるとかかれていたが、確か竹瓦温泉のスタッフの方も同じようなことをおっしゃっていた。

 また、Rさんは、漢方の煎じ薬なども実践されたそうだ。しかし、半年くらい飲み続けると、効果は中だるみ状態になってしまうそうだ。漢方薬の煎じ薬と言えば、私も桂枝茯苓丸料(ケイシブクリョウガンリョウ)を毎朝煎じて、しばらく飲んでいた。もともとお血(おけつ)を取るために飲み始めた漢方薬だったが、これを飲んでいる間は生理の出血がそれほど多くなかったと私の記録にも残っている。しかし、もともと、血流を良くするために飲んでいた漢方薬だったので、ホットヨガを始めてからは飲まなくなっていた。漢方薬も、漢方薬に詳しい医師の処方に従って服用することが望ましいのだろう。私は、インターネットで自分の状況を調べ、自分の症状に合っていると思われる漢方薬を自分自身で判断し、楽天のお店で購入していた。冷えに対しては確かに効果があったのだが、筋腫に対して効果があったかどうかは、何とも言えない。

 この他にもRさんは、マイタケも積極的に摂取されているようだ。マイタケに関しては、Rさんの症状には効果があるのかもしれないが、他の方にとっては効果があるかどうかわからないそうだ。そういう話ならば、私もこれまでいろいろ実践して来た。天然のラジウム温泉、天然のプロゲステロンクリーム、フローエッセンス、お灸、ジェイソン・ウィンターズ・ティー、ゴム製の骨盤矯正ベルトなどである。ゴム製の骨盤矯正ベルトは、下半身が据わって来るのでとてもいい感じだ。

 あれから私も、普段持ち歩いている手帳に新たなスペースを作り、子宮筋腫に関してまとめるべく、再び調査を開始した。子宮筋腫が発覚した頃は熱心に調べていたものの、ここのところしばらく調査をさぼっていた。久しぶりに調査を始めてみると、過去には選択肢に上ることのなかった保険のきかない治療(子宮動脈塞栓術(UAE)や集束超音波治療(FUS))などにも意識が向き始めた。これらの治療方法は、どちらも開腹しない筋腫治療である。ただ、保険が適用されないので、特に、私のように筋腫がたくさんある人にとっては高額である。しかし、そうした治療を積極的に取り入れようとしている病院こそ、患者の治療に対して発展しつつある病院なのではないかと思うようになったのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ご自分の筋腫の症状を的確に理解してくださる医師に出会われているRさんからのメールには、とても勇気づけられました。Rさん、本当にありがとうございます。また、メールの掲載の許可をくださったことに感謝します。既成概念にとらわれないでいることは、病気の治療以外にも応用できるような気がしています。Rさんの主治医の先生は、知識からではなく、それぞれの患者さんの症状を的確に判断される力を持っていらっしゃると思います。私も、そういう医師に出会って、すべてをお任せしたいですね。Rさんからのメールに感謝しつつ、またここで皆さんに新たなご報告ができるように、願いをこめて。

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2007.06.26

オリゴトウ

名医に出会う旅にたくさんの応援クリックをありがとうございます。読み返してみるとやはり、部長の言葉がいいですね。素晴らしい部長に出会えたことに感謝しています。「名部長に出会う旅」という記事を書いてもいいくらいですね。

 自宅近くにあるスーパーは、毎週決まった曜日に全商品十パーセントオフのセールを開催している。例え十パーセントといえども、普段、セール対象にならない商品が安くなるので、私たちはしばしばそのセールを利用している。

 ガンモの仕事が休みの日、全品十パーセントオフのセールの日に当たった。毎晩、帰宅時間が遅いためにスーパーに寄ることができない私は、ガンモに、
「今日は全品十パーセントオフの日だから、オリゴ糖を買って来てね」
と頼んだ。

 オリゴ糖を頼んだのは、一ヶ月半前から飲み始めた毒だしホットジュースを作るのに、毎日、使用しているからだ。そのスーパーには、大きな入れ物に入ったオリゴ糖が置いてあり、しかも、通常価格が他のスーパーよりも安いのである。通常価格が安い上に更に十パーセントオフになるので、是非とも買って来て欲しいとガンモにお願いしたわけである。

 残業を終えたあと、私はガンモに電話を掛けてみた。
まるみ:「ねえねえ、オリゴ糖買ってくれた?」
ガンモ:「うん、買ったから」
まるみ:「ありがとう」
ガンモ:「それを言うならオリゴトウでしょ?」
まるみ:「えっ・・・・・・? オリゴトウ? ガンモ、うまい! 今、思いついたの?」
ガンモ:「そうだから」
オリゴ糖を買って来てくれたので「オリゴトウ」とは、バードニュースに続くヒットだ。

 オリゴ糖を使った毒だしホットジュース、それから毒だし脂肪燃焼スープを飲み始めてから、二ヶ月足らずの間に四キロ痩せた。この毒だし効果の大きな特徴は、夕食を軽く済ませられるということだ。

 これまでの私は、残業時間にお腹が空いてしまうので、社員食堂で夕ご飯を食べてから残業していたのだが、不思議なことに、夜になってもあまりお腹が空かないのである。おそらく、オリゴ糖のおかげなのだろう。だから、夜はいつもバランス栄養食や赤ちゃんの飲む粉ミルクなどで軽く済ませている。赤ちゃんの飲む粉ミルクは、栄養がたっぷり含まれているので、身体にはいいらしい。ただし、子供のいない私が購入するのはちょっぴり恥ずかしい。

 夜にあまりお腹が空かないのに、お通じがちゃんとあるので、少しずつ痩せられるようである。オリゴ糖は、腸に良い働きをしてくれるばかりか、食欲を抑えてくれる働きもあるようだ。しかも、毒だし効果が高まると、添加物などを含まない食事しか身体が受付なくなって来るのが不思議だ。添加物などの多い食事を続けていると、身体の中に不要なものがどんどん溜まるという悪循環が出来上がってしまう。しかし、ここに来てようやくその悪循環を断ち切り、良い循環が出来上がって来たように思う。何よりも、ほとんど外食をしなくなったことは大きな変化だ。これも、オリゴ糖のおかげだ。オリゴトウ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをオリゴトウございます。m(__)m またまた更新が遅れて申し訳ありません。仕事は少し楽にはなったのですが、帰宅してからセカンドオピニオンに向けての調査を進めています。おかげ様で研究熱心な良い医師が見つかりました。しかも、病院が現在の職場のすぐ近くにあるのは驚きです。直径十二センチの彼女がセカンドオピニオンを受けて手術をした病院も現在の職場のすぐ近くなのですが、そことは違う病院です。こちらについては、もう少し調査を進めてからまたご報告しますね。

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2007.06.25

名医に出会う旅

 人が少なくなった残業時間中に、派遣先の部長から声を掛けていただいた。
「最近、調子はどう?」
部長は以前から私の筋腫の経過を気遣ってくださっていたのだが、こうして尋ねてくださるのは実に一年以上振りのことではないだろうか。あまりものタイミングの良さに驚いた私だったが、
「もしかして部長、『ガンまる日記』を読んでくださっているのでしょうか?」
などとは聞けず、先日MRIの再検査を受けたばかりで、筋腫が増殖していたこと、医師には再び子宮全摘手術を勧められたことなどを話した。すると部長は、
「それは困ったね。でもね、いい医者を探すんだよ。自分に合った医者が必ずいるからね」
と大変心強い言葉を掛けてくださった。

 私は、「いい医者」と聞いて、患者の話を良く聞いてくれる医師を想像した。私の主治医は、私の話に対し、あまり熱心に耳を傾けてはくれない。かつて、血液検査で自分のプロゲステロンレベルを調べ、プロゲステロンレベルが低ければプロゲステロンを補うホルモン療法はないのかと尋ねたことがあった。しかし医師は、血液検査でプロゲステロンレベルを調べるのは意味がない上に、プロゲステロンを補うことも意味がないと頭ごなしに否定し、そこで話が終わってしまった。結局、私の場合はプロゲステロンを補っても筋腫は小さくはならなかったのだが、アメリカではプロゲステロンを補うことで筋腫が小さくなった例がいくつもあると私の読んだ本に書かれている。私はこのとき、医師が新しい価値観に耳を傾ける姿勢を見せなかったことにがっかりしたのだ。

 部長に対し、過去の主治医とのやりとりで、私の話を聞いてもらえなかったことがあることを、仕事に例えて話してみた。
「私の主治医は、今、私が参加しているプロジェクトのように、現状維持に精一杯で、新しいことを受け入れられないような感じなんです。○○○(新しい試みに挑戦している別のプロジェクト)のように、新しいことに取り組む余裕がないんです」
すると部長は、私の例えに大爆笑したあと、
「それでも医学は進んでるんだよ。今は、昔からすると考えられないような治療が行われているからね」
とおっしゃって、部長のお父様ががんと闘ったときの画期的な治療の様子を伝えてくださった。最新の技術により、お父様の身体の中に潜んでいたがん細胞は、的確に、そして最小限の手術で見事に取り除かれたのだそうだ。だから、医師は決して何もしていないわけではないと部長はおっしゃった。

 私は、そうした研究熱心な様子が私の通っている病院には見受けられないことを不思議に思い、
「へえ、そんな病院もあるんですね。どこの病院なんですか?」
と部長に尋ねてみた。すると、部長は、
「○○大学付属病院」
と答えた。それは、私の知っている大学だった。なるほど、大学病院であれば、研究熱心な方たちがたくさん揃っていることだろう。しかし、私が通っている病院の医師たちはどうなのだろう。新しい研究に費やせるほどの時間的な余裕はあるのだろうか。おそらく、ないだろう。大学病院というと、命に関わるほどの難病に対して熱心な研究を重ねているというイメージがあるが、子宮筋腫などのポピュラーな病気に関してはどうなのだろう。それに、子宮筋腫で大学病院に行くのもちょっぴり気が引けてしてしまう。命に関わるような病気ではないし、身体に潜んでいるのは悪性ではなく良性のこぶだ。風邪を引いて大学病院に駆け込む人がいるかどうかわからないが、感覚的にはそれに近いものがある。それでも、大学病院のような研究熱心なそのエネルギーを一度感じてみたい気もする。

 部長自身も数年前からある症状が継続しているために、病院通いを続けていらっしゃるようだ。その病気を治すために、これまでご自身の納得の行くまでいろいろな病院を回ったらしい。だから、自分に合った医者を見つけることが大切だと部長は力説したのだ。
「頑張って、いい医者を見つけよう」
と部長は締めくくった。私が、セカンドオピニオンを立てることを部長に話すと、部長は、
「うん、そうしたほうがいい。そうして、自分の納得の行くまで自分に合った医者を見つけたらいいよ」
と言ってくださった。

 セカンドオピニオンと言えば、かつて、直径十二センチの彼女が通って来た道のりでもある。彼女にメールで相談してみると、
「もし違う診断されても新たな選択肢を見つけられるし、同じ診断であってもまだ納得できるのかもしれないし。どの選択をするにしろ、背中を押してくれる材料になるかも」
と心強い返事が返って来た。確かにその通りだ。結局彼女はセカンドオピニオンにより名医に出会い、筋腫だけを摘出する核手術を受けたのだった。

 どこかのサイトで、筋腫持ちは少なくとも三人の医師を当たれというような表現を見つけた。私はまだ二人の医師にしか出会っていない。これほどアクティヴに動き回っている私が手術を受けるなんて、どうしても想像がつかない。私の一体どこが病人なのだろう? 病人がホットヨガのアクティヴコースのレッスンなんて受けていいのだろうか? 一生懸命探せば、中には、立場的にもっと自由な診断ができる医師もいらっしゃるかもしれない。だから私は、部長が言ってくれたように、そして、直径十二センチの彼女が賛成してくれたように、セカンドオピニオンという形で動き始めようと思う。実際に動き始めるのは、次回の診察の予約を入れてある九月頃からになるだろう。そこでこれまでのMRIの検査の結果のコピーをもらい、三年間の診察結果もきちんとまとめてもらい、次なる病院の医師に引き渡せるようにしておく。なかなか骨の折れる仕事かもしれないが、今抱えている問題がひとまず落ち着いたら、動き始めようと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私の派遣先の部長は、ガンモと同い年のはずですが、とても会話に深みのある人なのです。人間的にとても好きな部長です。私は派遣社員なので、部長の直属の部下ではありません。それでも、このように気にかけてくださって、派遣先としてはとても恵まれた環境にあると思っています。この件に関して、ガンモがどのような考えなのか、なかなか見えて来ないというメールをいただきましたが、ガンモは私の元気な姿を毎日見ているので、私と同じように、手術には結び付かないそうです。でも、先日のコンサートに行く前に、
「やっぱり、切る?」
と不安げに私に尋ねました。しかし、私がすぐにそれを否定して終わりました。切るというのは本当に最終手段であり、今はその段階ではないと私自身も自分の身体を通して感じているからです。後日、私の職場にいる人の子宮筋腫の症状や、先日いただいた大変心強いメールをご紹介させていただきながら、この問題について、もう少し書かせていただきますね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2007.06.24

カップの底の角砂糖

※いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。ここのところ、更新が遅れがちで申し訳ありません。実は、筋腫のことはさておいて、納品前の仕事の忙しさと今月初めに起こった大きな出来事の新たな展開によるダブルパンチを受けています。いただいているメールやメッセージ、掲示板のコメントなどにもほとんど返信できていない状況です。一つ一つに返信させていただく代わりに、筋腫のことは、後日、ここに綴って行きたいと思っています。

 この週末は、二日間連続で好きなアーチストのコンサートに出掛けていた。急に思い立って出掛けたわけではなく、何ヶ月も前からチケットを購入して予定を立てて心待ちにしていたコンサートだ。一日目はガンモの仕事が休みだったので、ガンモと一緒に出掛けた。ガンモとこうして一緒にコンサートに参加するのも、これで何度目だろう。一日目は一階の後ろのほうの席で、二日目は前から六列目の席だった。伝統的な見渡しの良い会場で、一階の後ろのほうの席からも、ステージの様子が良く見えた。二日間連続コンサートでも、一日目と二日目で同じメニューじゃないところがいかにも彼ららしい。

 「みんな、新しいアルバムを予習して来てくれてると思うけど・・・・・・」
とメンバーの一人が言うと、ガンモがすかさず私にささやいた。
「まるみはちゃんと予習してるの?」
私は負けずに答えた。
「予習してますとも。Amazonで買って、MP3に変換して、デジタルメモリプレイヤーに入れて聴いてるもんね」

 だから、演奏されている曲のほとんどは知っている。しかしそうは言うものの、曲は知っていても、かつてのように曲名がすぐに出て来ない。もはや吸収の時期を過ぎてしまったのだろうか。アルバムがまだLPレコードだった時代、九十分のオーディオテープにA面、B面と別々のアルバムを録音して、何度も繰り返し聴いていたものだった。カセットレーベルにアルバムのタイトルや曲目を丁寧に書き出して、演奏されている内容と照らし合わせながら、曲名ばかりでなく歌詞までも覚えてしまうほどの勢いで繰り返し聴き込んでいた。しかし最近は、わざわざ曲名を書き出さなくても、音楽CDからMP3に変換してしまえば、曲名が日本語でディスプレイに表示される。そのせいか、なかなか曲名を覚えることができない。ちょうど、知らない土地を訪れたときに、自分の足で歩かなければ、なかなか地理を覚えられないのと似ている。自分の手を使って、曲名リストを書き出さなければ、覚えることができないのだ。音楽も、同じものを何度も繰り返し聴くのではなく、大容量のディスクに繰り返す可能性がないほど流し込んで、BGMとして聴くことが多くなった。かつてはBGMではなく、じっくりと聴き込んでいたというのに。

 私は、気がかりなことが多く、コンサートに集中することができなかった。長年、彼らのコンサートに通い詰めているが、こんな気持ちで参加したのは初めてのことだった。気持ちが抜けて行かないのだ。会場が解けて一体となっているというのに、私だけがカップの底に残った頑固な角砂糖のようだった。コンサートは、映画のように、私を一時的に別世界へと誘ってはくれない。何故だろう。おそらく、目の前で演奏している人たちが私にとって身近な存在であり過ぎるからだ。だから、彼らのコンサートは別世界ではなく、日常の延長にあるのだろう。

 会場で友人を見掛けたが、声を掛けることができなかった。二月の公開録音でお世話になった友人だというのに、何だか気後れしてしまったのだ。元気そうな彼女に対し、どんな顔をして話をすればいいのかわからなかった。元気でもないのに元気に振る舞うのはどこか嘘っぽいし、かと言って、コンサート前にかくかくしかじかで、などと話せるような内容でもない。

 二日目のコンサートの帰りは、激しい雨が降っていた。私は傘をささずにカッパを着込んで駅までの道のりを歩いた。今、私の抱えているものすべてを雨に洗い流して欲しいような、そんな淡い期待を抱きながら。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 何だか暗い記事になってしまい、申し訳ありません。去年で三年間続いた大殺界は明けたはずですし、ガンモの厄年も終わったはずです。でも、こんなにいろいろなことが起こるのは、大殺界も厄年も当たっていないということでしょうか。もしも今、大殺界や厄年に当たっている方がいらっしゃいましたら、どうか希望を持ってください。振り返れば、これまで歩んで来た道があるように、これからも歩んで行くべき道は見えています。大きな打撃や衝撃と一緒に受け取ったものを大切にして行きたいと思っています。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2007.06.23

ホットヨガ(五十三回目)と少しばかりの動揺

※まずは皆さん、五つ子ちゃんの記事にたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 皆さんからの「頑張れ!」というご声援として受け取らせていただきました。どうもありがとうございます。実は、私と同じように筋腫を抱えていらっしゃる方からとても元気の出るメッセージと有益な情報をメールでいただきました。その方がメールに書いてくださった内容を記事の中で引用させていただいてもいいかどうか、ご本人様に確認させていただいた上で、もしOKが出れば、後日、ご紹介させていただこうと思っています。

 病院を出てから仕事中のガンモに電話を掛けたところ、ガンモは息を潜めて私の電話に出た。どうやらタイミングが悪かったようである。恐る恐る、
「今、大丈夫?」
と尋ねてみると、
「いや、ダメ」
というヒソヒソ声で答えが返って来たので、私はいったん電話を切ることにした。

 ガンモへの報告はしばらくおあずけにすることにして、このあとの私の行動は決まっていた。映画を二本観たあと、三宮店でホットヨガのレッスンを受けることにしていたのだ。ひとまず私は神戸駅まで向かい、ホットヨガ神戸店のすぐ隣にあるシネカノン神戸というミニシアター系の映画館の会員に入会し、会員価格の千二百円で『ボンボン』というアルゼンチン映画を観た。シネカノン神戸は、ホットヨガのスタジオのすぐ隣にある映画館ということで、もしもスタッフの方がスタジオから出て来られたらどうしようとびくびくしてしまった。しかも、神戸店でレッスンをうけるならまだしも、私がレッスンの予約を入れているのは三宮店だった。そのため、エレベータを降りるとコソコソとシネカノン神戸まで移動する羽目になった。コソコソと観ることになった『ボンボン』は、以前、どこかの映画館で予告編を観て以来、ずっと気になっていた映画である。

 最終日の上映という情報を得て足を運んだはずだったが、好評につき、上映期間が一週間延長されていた。主人公のフアン・ビジェガスという年配の男性の表情が実にいい。彼は、役の中で、職を失った人を演じているのだが、本当に職を失っている人に見えるほど深みのある表情をしていた。台詞での説明がなくても、表情だけで演技ができる役者さんだと思った。内容としては、職を失ったビジェガス氏が血統書つきの猟犬を譲り受けたことから人生が変わって行く様子を描いたものである。ストーリー的には、波乱万丈のわらしべ長者のような展開である。大多数が足を運ぶ映画館では決して得られないような満足感に包まれる映画だった。

 『ボンボン』を観たあと、私は地下一階にあるハーバーキッチンまで降りて行き、自宅から持参したお弁当を広げて食べた。ハーバーキッチンとは、テーブルと椅子が用意されたセルフサービス式のレストラン街である。本来ならば、そのレストラン街でオーダーされる方たちのために用意されたテーブルと椅子なのだが、手作りのお弁当を食べるためにこっそり拝借した次第である。

 お弁当を食べた私は、今度は三宮に移動し、同じく会員であるミニシアター系のシネ・リーブル神戸で『そのときは彼によろしく』を観た。またしても映画館の掛け持ちである。何故、シネ・リーブル神戸にやって来たかと言うと、金曜日は千円の会員価格で映画を観ることができるからだ。『そのときは彼によろしく』は、私には、「ううむ」といったところだった。作られた物語としての匂いがプンプン漂っている映画だった。原作は、『いま、会いにゆきます』の市川拓司氏なのだが、正直に言うと、私は『いま、会いにゆきます』でもあまり泣けなかった。何故だろう。観客の感動を狙いすぎて空振りしているような、そんな印象を受けたのだ。もう少し言うと、『そのときは彼によろしく』も含めて物語が美しすぎる。闇の部分の描写が足りていないのと、映画として観るにしても思わず突っ込みたくなるような展開だったからだ。

 少々落胆しながら映画館を出て携帯電話の着信履歴を見てみると、ガンモからの着信が残っていた。私は歩きながらガンモに電話を掛けて、病院での出来事を話した。ガンモは、
「そうか」
と言った。他には言いようがないだろう。ガンモは私が手術をしたがっていないことを知っているし、子宮を失うとなると、「手術しろ」とは言えない。ガンモは、私に判断を任せる姿勢のようだった。

 ガンモとの電話を切ってから、病院の帰りに私が映画を観たのは、現実逃避だったのだろうかと考えた。確かに、映画を観ている間は筋腫のことを忘れることができる。しかし、答えが出ないときは、ひとまずその問題を預けておいて、時が熟するのを待つ。それでもいいのではないだろうか。

 それから私はホットヨガの三宮店で七十五分のアクティヴコースのレッスンを受けた。レッスンの間、頭の中には医師から言われた言葉が残っていた。私が現在使用しているホットヨガの回数券は八月半ばには使い切ることになっている。次回の回数券を購入するときに、手術のことを考慮したほうがいいのだろうか。私としてはずっと同じ時が流れているつもりだったのに、身体の中では筋腫が成長し続けるという事態が起こっていた。医師の勧める通り、手術を受けるとなると、少なくとも一ヶ月はホットヨガのレッスンを受けることはできないだろう。そうなると、せっかくの回数券が無駄になってしまう。いや、違う。医師の勧めるままに手術を受けるのではなく、自分の意思で手術を受けるかどうかを決めるのだ。だから、私が次の回数券を購入するのも自由だ。医師の言葉で、私が動揺しているのは確かだった。しかし、自分で納得の行かない手術を受けるわけにはいかない。

 動揺したせいか、レッスンの途中にコンタクトレンズが二枚ともずれてしまった。片方だけずれることはしばしばあるのだが、両方ともずれるのは珍しい。汗と一緒にコンタクトレンズが目の中を泳いでしまったのである。私は、スタジオ内の鏡の前に駆け寄って、ずれたコンタクトレンズを調整した。一枚は元に戻ったが、もう一枚は戻らなかった。自分のヨガマットに戻って目をバチバチ瞬きさせていると、コンタクトレンズがポロッと外れたので、手で受け止めて、元に戻した。目からウロコならぬ、目からコンタクトレンズのレッスンだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅れて申し訳ありません。決して動揺が続いていたわけではなく、週末は夜遅くまで出掛けていたため、更新が遅れてしまいました。筋腫のことに関しては、セカンドオピニオンに向けて動き始めようかと思っています。またご報告させていただきますね。いつも見守ってくださってありがとうございます。

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2007.06.22

五つ子ちゃん

 朝から激しい雨が降っていた。私は、先日の再MRIの検査の結果を聞きに行くため、再び仕事を休んで病院に出掛けて行った。

 十時からの予約だったのだが、到着が十五分ほど遅れてしまった。決してそのせいではないと思うのだが、私の名前が呼ばれたのは、到着してから一時間も経ってからのことだった。大きな病院では良くあることだ。

 診察室に入ると、まずは五月に行った子宮がん検診の結果を知らされた。私の体内からは、子宮頸がん、子宮体がん、どちらの細胞も検出されなかったとのことだった。ほっと胸を撫で下ろしていると、続いて、血液検査の結果を知らされた。子宮筋腫を抱えている人は、生理時の出血がひどく多いので、貧血を心配されている。私のヘモグロビン値は十二.三だった。通常の値が十一.〇から十五.〇くらいとのことなので、この数値ならば問題はないそうだ。ただ、前回の検査では十四.〇を超えていたので、以前よりはヘモグロビン値が落ちていることになる。そう言えば、前回、血液検査を受けたときは、ヘム鉄のサプリメントを飲んでいたように思う。最近は、サプリメントにあまり頼らなくなっていたので、以前よりもヘモグロビン値が落ちて来たのかもしれない。

 そして、いよいよMRIの結果画像が蛍光灯で照らされたディスプレイに掲げられた。私はそれを見て、笑うしかなかった。私の筋腫は、三年前にMRIの検査を受けたときよりも確実に成長していた。わかりやすいように、三年前のMRIの結果画像もすぐ隣に並べられた。子宮筋腫は、子宮の外にできる人もいるのだが、私の場合、すべての筋腫が子宮の中に収まっている。私の子宮の密度を胎児で例えると、三年前が三つ子ちゃん、現在が五つ子ちゃんといったところだろうか。三つ子、五つ子というのは、筋腫の数と一致しているわけではなく、あくまで例えである。

 医師はいつになく険しい表情で、
「筋腫の数が派手ですねえ。ここまで大きくなっていると、もう手術されたほうがいいでしょう。これから先、子供を産む予定があるかどうか、ご主人さんと相談されたほうがいいとは思いますが、私としては、子宮全摘手術をお勧めします。この状況ですと、子宮を温存させることのほうが難しいです。筋腫だけを取る場合、筋腫の数が多いと、手術の時間もかかりますし、手術のときの出血の量も多くなりますしね」
と言った。医師の様子は、これまでとは違うものに感じられ、私が手術を拒み続けて来たことに対し、少し怒っているようにも思われた。私はそれでも手術を拒んだ。次の診察までにガンモと話し合って、手術をする決意を固めて来るように言われたのだが、私は返事を渋った。医師は、次の診察のときまでに手術の決意が固まっていれば、手術の段取りを進めて行くと言った。しかし、私が渋っておよそ三ヵ月後の診察の予約を入れようとすると、
「何の根拠で三ヶ月後ですか?」
と厳しい口調で言われてしまった。私が、考える時間が欲しいと答えると、
「これまで三年間、経過観察をして来たのは、筋腫の成長を見守るためだったんです。中には筋腫が大きくならない人もいますからね。しかし、ここまで筋腫が成長している以上、手術以外の方法はないでしょう。手術をせずに診察にだけ来てもらっても、こちらとしてはもう言うことは同じですよ。診察はこれで終わりです。三年間でこれだけ成長しているんです。閉経まであと十年くらいはあるでしょう。十年後にどれだけ大きくなっているか、考えたら恐ろしいと思いませんか。それに、脅すわけじゃないですが、ここまで筋腫が多いと、悪性のものもないとは言い切れませんよ」
と言われた。

 医師の口調は厳しかったのだが、正直言うと、私はそれほど深刻な気持ちにはなれなかった。成長した子宮筋腫がたくさんあって困るのは、トイレが近いこと、生理のときの出血が多いこと(少々グロテスクな話だが、生理が始まって一日目、二日目は、スーパーサイズのタンポンが、挿入後、一時間で早くも漏れ始める)、ホットヨガでうつ伏せになってポーズを取るのが辛いこと、生理が長引くこと、集中力がないことくらいである。これらの状況を改善するために、全身麻酔で眠っている間に子宮が全摘されてしまうなんて、やはり身震いがする。虫歯治療のための麻酔も嫌なのに、全身麻酔なんてとんでもない。しかも、麻酔だけではなく、お腹が切り裂かれ、臓器の一部が取り出されるのだ。

 医師は、
「最善の治療方法は、手術しかない」
と言ったが、私に言わせれば、それは治療ではない。治療とは、病気の原因を取り除き、正常な状態に戻すことだろう。問題となっている臓器を摘出するのは治療ではない。それは切除であって、治療ではないと思うのだ。医師に対してそう言いたかったが、黙っていた。

 私は、MRIの画像を持ち帰りたいと申し出た。コピーして持ち帰ることはできるが、すぐにはコピーできないと言われた。そこで、私は携帯電話で写真を撮ってもいいかと尋ねた。医師から許可が出たので、私は携帯電話に内臓のカメラを使ってMRIの画像を撮影した。しかし、その画像はあまりにもグロテスクであるためにここに掲載することはできない。結局、ひとまず三ヶ月後の診察の予約を入れて病院をあとにしたのだが、やはり私は子宮全摘手術を受ける気にはなれなかった。

 何故、私の子宮では、これほどたくさんの筋腫が成長し続けるのだろう。私のお腹がいつも冷たいのは何故なのだろう。ホットヨガも、天然のプロゲステロンクリームも、私の筋腫の成長には追いつくことができなかった。筋腫の成長を止めるには、スパイダーマン2の中でスパイダーマンが暴走している電車を停車させたように、筋腫の成長に対して先回りし、正反対の力で食い止めなければならない。そのような方法は、世の中には存在しないのだろうか。そのことがとても悔しい。これで私が素直に手術を受けたら、医学の進歩には貢献できない。私のように医師の診断を受けて、医師の勧めるままに子宮全摘手術を受けて、子宮を失って行く女性がいかに多いことか。それが最善の治療法だなどと患者に言ってしまえる日本の産婦人科事情には、どうしても納得が行かない。だから私は、これで敗北したくはない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 医師をギャフンと言わせようとして、天然のプロゲステロンクリームで頑張って来ましたが、先にギャフンと言ったのは私のほうでした。それにしても、日本の産婦人科事情、どうにかならないでしょうか。何故、原因も探らずに、切るだけなのでしょうか。私は何を改善すればいいのでしょうか。どうして子宮筋腫ができるのかと医師に尋ねれば、エストロゲンが影響しているということしかわかっていないの繰り返しです。こういう食べ物に気をつけてくださいとか、そういう注意事項も一切ないのです。やはり、敗北したくありません。闘志ばかり、メラメラと湧いているのですが、手段が見つかりません。しばらく考えてみます。

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2007.06.21

スタンプラリー

 の記事に書いた大きな出来事は、またしても新たな局面を迎えている。例え三歩進んで一歩下がるといったペースであったとしても、着実に前進している。大きな出来事が起こるときは、あたかもスタンプラリーに参加しているかのように、いろいろな出来事が連鎖して起こって行くものだが、チェックポイントをクリアするごとに、私たちは素晴らしいご褒美を受け取っている。しかし、スタンプラリーだから、一つ手前のチェックポイントをクリアしたことを証明するスタンプがないと先に進むことができない。それでも、こうして振り返ってみれば、短期間のうちにいくつものスタンプを集めて来たことがわかる。

 状況が二転、三転しているのは何故だろう? そのチェックポイントをクリアできたことに安心して、しばらくよそ見をしていたからだろうか。スタンプ帳を確認してみると、既に押印されたはずのスタンプが欠けてしまっている。これではチェックポイントをクリアしたことにはならない。再び問題のチェックポイントに戻ってみると、そこには分岐点があったことがわかった。思い切って、そちらの道を進んでみようか。一緒にスタンプラリーをしている人たちと相談する。

 一度押印したスタンプが欠けてしまったのは、前進することで、かつてそのチェックポイントをクリアできたことへの感謝の気持ちが薄れてしまったことが原因だと気がついた。そのことを思い出させてくれたのは、新たな感動にに包まれたときだった。ご先祖様が遺してくれたものが、このスタンプラリーに参加している人たちを助けようとしている。私はご先祖様に向かって、何度も何度もお礼を言った。ご先祖様以外に、血縁の人たちにも支えられている。それらの感動に包まれたとき、継続的な感謝の気持ちが大切だったことに気がついたのだ。

 血縁とは何とありがたい存在なのだろう。血縁のありがたさを知ったとき、私は親から子へと世代を繋げて行くことの大切さをようやく理解したように思う。血縁は、まぎれもなく縦の繋がりだ。縦に繋がろうとする血縁に、血縁以外で結ばれた人たちが横へ横へと繋がり、集団としての密度を高めて行く。私たちはそのように、互いにカバーし合いながら生きている。

 スタンプラリーを実践しながら、私たちはお金では買えないとても素晴らしい経験をしている。それは、どの映画館でも上映していない、素晴らしい経験だ。いろいろな人たちの力を借りながら、このスタンプラリーも、いつか完結させることができるのだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 欲しがることよりも、受け取っていることに感謝をすると、世界が違って見えますね。例えどんなに悲惨な状況にあったとしても、私たちは常に何かを受け取っているのだと痛感しています。まだまだスタンプラリーが完結したわけではありませんが、「この経験にありがとう」と思うことができました。

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2007.06.20

ホットヨガ(五十二回目)

 月に一度の定時退社日がやって来た。私は、神戸店で七十五分のアクティヴコースのレッスンを予約していた。少し早めに神戸に着いたので、レッスン中に飲む水を調達するために、ホットヨガの入っているビルのすぐ下の階にある百円ショップに足を運んだ。五百ミリリットル入りの「酸素プラス」を一本用意していたのだが、できればそれとは別に、一リットル入りの水を購入しておきたかったのだ。

 飲み物コーナーを探してみると、何種類かの水があった。しかし、どれも五百ミリリットル入りである。良く見ると、「さわやか酸素水」と書かれた金属製のボトルが並べられていた。大阪に本社のあるサンガリアという会社の製品だ。この会社の製造する清涼飲料水はどれも格安である。パッケージに書かれている内容を読んでみると、何やら通常の十倍の酸素が閉じ込められているらしい。「酸素プラス」とほぼ同じくらいの酸素が溶け込んだ水を、百円で購入できるのはとてもありがたい。私は迷わず「さわやか酸素水」を二本求め、ホットヨガのスタジオへと向かった。

 着替えを済ませてスタジオに入ると、いつもおしゃべりをさせていただくインストラクターがポーズを取っていた。私が初めてレッスンを受けたときに担当してくださったインストラクターであり、京都四条店に対する私の熱い想いを伝えてくださったインストラクターである。ヨーロッパを訪問されたり、インドで静かなヨガを体験されたりと、世界を股にかけて、アクティヴに動き回っていらっしゃるインストラクターである。

 スタジオ内にはヨガマットが十数枚並べられ、レッスン開始後、間もなくすべてのヨガマットが埋まった。いつものように、憧れのフリーパス会員のあの方も、レッスンの途中から髪を濡らして入って来られた。何もあいさつは交わさないが、憧れのあの方の存在を確認した私の心は安心感に満ちている。

 いつも思うのだが、神戸店で七十五分のアクティヴコースのレッスンを受けていらっしゃる方たちは熟練者が多い。レッスンの途中でポーズを取り続けることに挫折しないし、高度なポーズも難なくこなしている。今回のレッスンでは、来月から始まるという新しいコースで行うねじりのポーズをご紹介いただいた。それは、座って両足を揃えて宙に浮かせた状態で両足をねじるというものである。足とお腹が重い私にはとてもきついポーズだった。しかし、一緒にレッスンを受けていた皆さんは、私のように苦しそうな表情を見せることもなく、平然とした様子でポーズを取っていた。足とお腹に肉が付いてくると、このようなねじりのポーズを取り難くなってしまうので、悪循環になってしまうとわかった。

 レッスンを終えたあと、シャワーを浴びて着替えを済ませてから受付にロッカーの鍵を返しに行くと、同じくいつもお話をさせていただく別のスタッフの方が対応してくださった。私は、彼女の頭にウエーブがかかっているので、ものすごく新鮮な表情で、
「あら、パーマをかけられたんですか?」
と言った。すると彼女は、言い難そうに、
「実は、パーマをかけたのは二月くらいなんですけど・・・・・・」
と言った。あらら、今は何月? もう六月の下旬だ。確かに彼女とお会いするのは久しぶりのことだったが、四ヶ月もご無沙汰していただろうか? いやいや、そんなことはないはずだ。彼女曰く、髪の毛が濡れていると、ウエーブがわからないくらいなのだとか。この四ヶ月の間に、確かレッスンを担当してくださったこともあったはずだが、そのときは髪の毛をゴムで結んでいたのでわからなかったようだ。

 話をしているうちに、さきほどのレッスンを担当してくださったインストラクターが奥から出て来た。彼女が、
「(入会されて)もうすぐ一年ですね」
と言ってくださったので、
「そうなんですよ」
と答え、ホットヨガを始めてからすぐに、肩こりから解放されたことを話した。すると、私が背負っているリュックをご覧になって、
「そんな重いリュックを背負ってらっしゃるからですよ。重いリュックを背負うときは、腰のベルトを一緒に使ったほうがいいんですよ」
と教えてくださった。確かに私のリュックにはノートパソコンやら何冊もの手帳やら、重いものがたくさん入っている。おまけに、手提げカバンの中には、金属製のお弁当箱と金属製の水筒を持っている。更に、ホットヨガのための着替えやお風呂道具を例の古めかしいお酒入れに入れて持ち歩いている。とにかく大荷物だ。私は、重いリュックを背負っているにもかかわらず、リュックに付属の腰用ベルトを使っていなかったのだ。なるほど、重いリュックはそのようにして使うのか。さすが、いろいろな国を旅行されている方の言うことはうんちくがある。とてもいいことを教えていただいた。

 彼女は私の初めてのレッスンを担当してくださったインストラクターなのだが、
「まるみさん(実際に呼ばれたのは私の苗字)のことは、良く覚えていますよ。確か、インドの神様のTシャツを着て、ロッカーに入らなかったのか、スタジオ内にリュックを持ち込まれていたでしょう。私は、Tシャツが気になって気になって・・・・・・」
私は思わず笑いが出た。そう、ヨガを学ぶには、インドの格好をして行ったほうがいいと思い、インドの神様Tシャツを着てレッスンに臨んだのだ。それがインストラクターに強く印象付けたようだった。

 私は、紹介チケットを発行してもらい、ガンモをホットヨガに誘っていることを話して聞かせた。しかし、紹介チケットの有効期限は一ヶ月なのに、なかなか「うん」と言ってくれないことを話すと、
「大丈夫です。紹介チケットは何度でも発行させていただきますので、是非ご主人さんとご一緒に」
と言ってくださった。梅田店では、ご年配のご夫婦が一緒にレッスンを受けていらっしゃるようだ。そういうご夫婦に是非ともお会いしてみたいものだと思う。

 着替えを済ませたのが遅かったのか、私の他にロッカーの鍵を返しに来る人がなかなか現れなかったので、こうして長いこと立ち話を楽しんだ。インストラクターの方たちが、一日に何レッスン担当されているのか、ずっと気になっていたのだが、たいていは一日一レッスンなのだそうだ。確かに、レッスンを受けている私たちも、レッスン後は心地良い疲労感を感じているものだが、一日に二レッスン以上も参加するとなると、心地良い疲労感ではなくなってしまうように思える。それを考えると、憧れのフリーパス会員のあの方は実にタフである。何はともあれ、今回の立ち話では、ホットヨガのおかげで肩こりに悩まされなくなったことを、インストラクターの方たちに直接伝えることができてとても満足だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m こうしたコミュニケーションが成り立つのも、神戸店だからこそなのです。他の支店ではなかなか実現できません。「紹介チケットは何度でも発行させていただきますので」というお言葉は、とても心強かったです。もしもトライアルレッスンを受けてみたいという方がいらっしゃいましたら、私までご一報くださいませ(笑)。

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2007.06.19

再MRIと贅沢な時間

 朝一番の九時からMRIの検査の予約を入れていたため、いつもよりも一時間早く起きて病院へと向かった。前日のオフィスの冷房がいつになく冷たく感じられたことと、連日に渡る寝不足に加えて早起きしたので、体調はいまひとつだった。

 MRIの予約票には、「予約時間の二十分前にお越しください」と書かれていたので、私は八時半過ぎに受付してもらえるように出掛けて行った。しかし、私が病院に到着したときにはまだ受付のシャッターが閉まっていた。聞くところによると、受付開始は八時四十五分からなのだそうだ。何だ、あと十分は寝られたのに。そんなせこいことを考えながら、私は椅子に座って十分ほど待った。

 私が出向いた受付は、レントゲンやMRIなどの検査を一括で受け付けてくれる放射線・内視鏡受付である。八時四十五分になると、ようやく受付のシャッターが開けられ、検査の受付が始まった。私と同じ時間にMRIの予約を入れていた人もいたようだが、私はMRIの検査としては一番目に名前を呼んでもらえた。

 MRIの検査を受けるのはおよそ三年振りのことである。三年前に検査を受けたときは、生まれて初めてのMRIでかなり緊張していたものだった。あのときは筋腫が発覚したばかりで、ガンモも心配して一緒に来てくれた。検査のあとで結果を聞きに行くのにも、ガンモが付き添ってくれたっけ。そして、検査後の医師の説明も一緒に聞いてくれたのだった。しかし、今年は検査をするのも結果を聞きに行くのも一人だ。三年間、筋腫と付き合って来たおかげで、筋腫がそれほど深刻な病気ではないということが私たちにもわかったからだ。

 三年前に書いた記事を読み返してみたのだが、今回も三年前とほぼ同は流れでMRIの検査が行われた。検査を担当してくださった技師の方は前回とは違う方だったが、子宮や腸の動きを止める注射をしてくださる技師の方は三年前と同じ人だった。彼は、三年前と同じ口調で、
「これまでに目の病気や心臓の病気にかかったことはありますか?」
と私に尋ねた。三年前の経験から、私には単なる近視は彼の言う目の病気には該当しないことがわかっていたので、
「ありません」
と答えた。すると、
「チクリとしますよ。いいですか」
と言いながら、私の右腕に注射をしてくれた。この技師は、ここで注射を打つようになってから何年経つのだろう。私の注射で何本目なのだろう。私は彼の、「百万本目の患者様」じゃないのだろうか。この次にこの技師と会うのはいつのことだろう。そんなことを考えていた。

 三年前と同じように、宇宙船の中に入り、いろいろな音が聞こえて来て、三十分ほどで検査が終わった。前回MRIの検査を受けたときの感想に、「どうせなら、チャンネルのついたヘッドフォンで、自分の好きな音楽を選べるようになっていて欲しいと思った」などと書いているが、それについては改善されていなかった。

 検査を終えたあと、外しておいた結婚指輪をはめるとき、小さな文字で結婚指輪に刻まれた私たちのニックネームを判読することができなかった。いつも楽に読めるはずなのに、どこか様子がおかしい。おまけに、喉もひどく渇いていた。顔もほてっている。おそらく、これが子宮や超の動きを止める注射の副作用なのだろう。着替えと会計を済ませた私は、売店で飲み物を買って病院を出た。

 時計を見ると、まだ九時四十分くらいだった。仕事が忙しい時期なので、休暇を取らずに午後からでも仕事に出掛けたほうがいいのはわかっているのだが、私は有給休暇を取っていた。何故なら、火曜日はレディースデイだったからだ。しかし、病院を出たときは注射の副作用が残っていたので、映画館に行っても映画を快適に観られるかどうか、あまり自信がなかった。それでも、注射の副作用は心配するほどのことはなく、二時間もすればすっかり元通りになっていた。

 私は、仕事に出掛けて行くわけでもないのに、お弁当を持参していた。あれだけ外食が好きだった私が、休みの日にお弁当を持参するなど、ほとんど有り得ないことだった。しかし私は、こってりとした料理よりも、あっさりとした毒だし脂肪燃焼スープを食べたかったのだ。

 お弁当を持参しようと思いついたのは、観たい映画が神戸国際会館のある神戸国際松竹に集中していたからだ。神戸国際松竹のすぐ隣には、ビルの屋上に人工的に作られた円形の庭があり、その外周にはいくつかのベンチが設置されている。私はしばしば、映画の待ち時間にそこを利用するのだが、お天気のいい日にはとても気持ちがいいのだ。私はベンチに腰を下ろして前々日の「ガンまる日記」を書き上げたあと、ひとまず映画を一本観た。それから再び屋上の人工庭のベンチに戻り、持って来たお弁当を広げて昼食を取った。普段、省エネのために昼休みだけ消灯される薄暗いオフィスでお弁当を食べている私にとって、さんさんと降り注ぐ太陽の下でお弁当を広げて食べることは、とても贅沢で幸せなひとときだった。

 MRIの検査のためとは言え、平日に有給休暇を取り、映画を観て、お腹が空いたら持って来たお弁当を広げて太陽の下で食べる。実は、レディースデイだったので、調子に乗って映画を三本も観てしまった。こんな贅沢な時間はない。帰宅する頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。ちょうどガンモの仕事が終わる頃だったが、近所のスーパーでパンが安売りされている日だったので、ガンモよりも一足早く帰路につき、何とかスーパーの閉店に間に合った。とにかく、充実した一日だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 一日に映画を二本観るというのはしばしば実践していますが、一日に映画を三本観たことは、私の中での新記録となりました。MRIの検査がなければ、あと一本は観ることができたかもしれません(笑)。そう言えば、若い頃、友達と二人でボーリーングを十ゲーム連続プレイしたことがあります。十ゲーム終わった頃には、二人ともヘトヘトでした。それに比べれば、一日に映画を三本観ることなど、体力的にはかなりの余裕です。(^^)

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2007.06.18

映画『ゾディアック』

 最近、四つの映画を観た。『アポカリプト』、『ゾティアック』、『300<スリーハンドレッド>』、『ラストラブ』の四作品である。それらの中で、レビューを書きたくなる映画が二作品ある。『アポカリプト』と『ゾディアック』だ。『アポカリプト』は、あの衝撃的な映画『パッション』を発表したメル・ギブソン監督の最新作である。人気の高い『アポカリプト』のレビューは他の方にお任せするとして、私は『ゾディアック』のレビューを書いてみようと思う。

 ゾディアックとは、アメリカで実際に起こった連続殺人事件の犯人が犯行声明文の中で自らを名乗った名前である。ゾディアックと聞くと、神戸で起こった連続児童殺傷事件を思い出す人も多いのではないだろうか。あの事件の加害者となった少年は、ゾディアックの影響を受けていたと言われている。確かに、犯行声明文を新聞社に送付して来たことからも、ゾディアックの影響を受けていることを否めないだろう。

 この映画は、実際に起こった事件に基づいて製作されている。事件が起こった一九六〇年代の終わり頃から一九七〇年代にかけての時代背景、とりわけ、車、ファッション、音楽などがとてもリアルに描写されていた。捜査の方法も、現代のようにコンピュータで管理されたデータベースに頼るのではなく、人間同士のネットワークが築かれていた。映画の中では、ゾディアックの事件に深く関わり、人生がすっかり変わってしまった四人の男性にスポットを当てながらストーリーが進んで行く。

 私が何故、この映画のレビューを書きたくなったかというと、ゾディアックの事件に深く関わったとされる四人の男性たちの姿が、自分の生き方と近いと感じたからだと思う。スクリーンの中で起こっている出来事とは言え、集めた情報を的確に整理しながら一つの筋道を立てて行くプロセスを見守るのは、とてもハラハラドキドキするものだった。時には図書館で調べものをしたり、事件に関わった人たちから少しずつ情報を聞き出したりするのは、私の好きな作業でもある。だから、事件を解決しようと一生懸命になって動き回っている男たちの姿を、「ああ、わかるよ。事件に対して一生懸命になるその気持ち、とても良くわかるよ」と思いながら見ていたのだった。分野はまったく違うのだが、犯人探しとソフトウェアのデバッグ作業(バグ潰し)は良く似ていると思った。

 ゾディアックが犯行に使ったのは銃だった。私たち日本人には、アメリカ人が容易に銃を手に入れることができることに対する恐れがあると思うのだが、そもそも銃を手に入れてもそれをどのように使うかはその人次第なのだろう。日本において、しばしば殺人の凶器として利用される包丁は、スーパーなどでも容易に入手することができる。しかし、例えば通勤電車で隣に座っている人に、いきなり包丁を突き付けられるかというとそうではない。おそらく、アメリカにもそれは当てはまると思うのだ。だから、道具をどのように使うかが大切なのであって、自由に道具を入手できるかどうかが重要ではない。

 殺人事件そのものについて感じたのは、何か恨みがあって人を殺すほうが、魂の目覚めに関してまだまだ望みが持てるのではないかということだった。何か恨みがあって人を殺めるときに、ネガティヴな方向に感情が動いているということは、いつかポジティヴな方向に感情が動く可能性も秘めているからだ。しかし、何の恨みもなく、自分が犯行を思いついたときにたまたまそこに人がいたという理由だけで人を殺す場合、魂の目覚めにはずっと時間が掛かるように思える。そして、感情が動かない犯人だからこそ、犯行後に挙動不審な態度を取って犯人であることを周りに悟られることもなく、事件がいつまでも未解決のままになってしまうのだろう。感情が動かないということは、自分自身ではない自分を演じられるということなのかもしれない。

 結局、この事件は、有力な容疑者は挙げられたものの、未解決のままに終わっているらしい。この手の映画を観終わったあとは、ただ通り過ぎて行くだけの分野としてあまり感情が残らないものだが、この映画では事件にのめり込んだ四人の男性たちのおかげなのか、印象深く残るものがあった。四人の男性たちの生き方は、これからの私たちの生き方にも応用できるような気がしてならない。そして私は、何かに一生懸命になっている人の生き方を理解できる人でありたいと思うのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m またまた更新が遅れてしまい、申し訳ありません。おかげ様で、何とか睡眠不足を解消しつつあります。ペースを取り戻しつつ、更新させていただきます。この映画は、一つのことに根気強く立ち向かう粘り強さを教えてくれるような気がします。また、ものごとを多角的にとらえることの大切さも教えてくれていると思います。現代は情報ばかりたくさん溢れていて混沌としているばかりか、情報過多のためにかえって、この映画に描かれているような根気強さが失われているように思えるのはとても残念なことです。

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2007.06.17

ホットヨガ(五十一回目)

結婚十一周年の記事にたくさんの応援クリックをありがとうございました。m(__)m いつもあたたかいご支援に感謝しています。それにもかかわらず、更新が遅れて申し訳ありません。帰宅時間が遅く、またしても睡魔に負けてしまいました。

 結婚記念日の夜、ガンモには自宅近くの客先で夜勤の仕事が入っていた。これが新婚初夜の出来事なら、花婿は結婚初日から眠い目をこすりながらの徹夜仕事で、花嫁は結婚一日目にして寂しく一人寝することになってしまう。結婚十一周年の日でまだ良かった、と私は思うのだった。

 一夜明けて、私はホットヨガのレッスンに出掛けて行った。私が出掛けてしばらくしてからガンモが帰宅したので、またしてもガンモと入れ違いになってしまった。私は、レッスンを終えたあと、映画を観て帰ろうと思っていた。観たい映画があったのと、レッスンを終えてすぐに帰宅して、家の中でゴソゴソ音を立ててしまうと、徹夜明けのガンモの安眠を妨害してしまうのではないかと思っていたからだ。

 今回は、梅田店で七十五分のアクティヴコースのレッスンを受けた。少し早めにスタジオに入り、鏡のすぐ隣にあるヨガマットを確保することができた。私は前回のように、自分のポーズを確認しながらレッスンを受けた。女性会員ばかり十数名の中に、男性会員の方が一人だけいらっしゃった。女性の中に一人だけ混じってレッスンを受けるのは、どんな気持ちなのだろう。

 インストラクターは初めて担当してくださった方だったが、とてもわかりやすく丁寧に教えてくださった。あまりにも丁寧なレッスンだったためか、七十五分のレッスンが九十分に長引いてしまったのだが、私としてはちょっぴり得した気分だった。九十分のアクティヴコースについても、いつもと同じ回数券でレッスンを受けられるのだが、九十分のアクティヴコースのレッスンを開催している支店は少ないのだ。インストラクターは、レッスンが長引いたことを詫びていたが、私にはむしろありがたいくらいだった。

 シャワーを浴びて着替えを済ませたあと、受付にロッカーの鍵を返しに行った。そのとき私の中には、心に決めていることがあった。それは、受付で紹介チケットを発行してもらうことだった。会員の紹介があれば、通常三千円のところ、千円引きの二千円でトライアルレッスンを受けることができるのだ。一人でレッスンに参加されている男性会員を拝見して、私はガンモにホットヨガのトライアルレッスンを体験してもらい、梅田店のレッスンに一緒に通えたらいいのに、と考えていたのだ。

 紹介チケットは、その場でぐに発行してもらえた。この紹介チケットの使用有効期限は一ヶ月である。私は映画を観たあと帰宅し、ガンモに紹介チケットを発行してもらったことを話した。するとガンモは、
「ヨガには鷲のポーズがあるんでしょ?」
などと言いながら、鷲のポーズを取ってみせた。ガンモはヨガをまったく知らないはずなのに、いかにも鷲のポーズらしいポーズを取っているではないか。
「どうして鷲のポーズを知ってるの?」
と尋ねると、有名人がポーズを取っているのを映像で見て、その通りに真似てみたのだと言う。ほんのちょっと映像で見ただけにしては、なかなかさまになっていた。そして、かつてもそうしたように、鳩のポーズと言いながら、両肩を少し浮かせて羽を広げる仕草をしたあと、下から上のほうを見上げるポーズを取って見せた。ガンモの取る鳩のポーズは鳩の仕草の真似だ。

 「で、トライアルレッスン、受けてみる?」
と肝心なところを確認してみたのだが、やはり、
「行かない」
と言う。私には、
「ホットヨガは身体にいいから、これからも継続しろよ」
などと言うくせに、自分ではトライアルレッスンを受けないと言うのだ。私としては、男性用の更衣室がどのようになっているのか、シャワールームがいくつ用意されているのかなど、女性の私が立ち入ることのできない情報をガンモにレポートして欲しいと思っているのに。

 紹介チケットの有効期限は一ヶ月あるので、もう少し粘り強く勧誘してみようと思う。もしもガンモが意地でも行かないというのであれば、ホットヨガに興味を持っている職場の派遣仲間にプレゼントすることにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 男性会員を受け付けているのは今のところ梅田店のみなので、ホットヨガを口実に、梅田(大阪)まで出掛けて行くことができるのは、かなり魅力的だと思うのですが、ガンモはなかなか「うん」とは言ってくれません。確かにガンモは私のように、毎週土日に必ず休みというわけではないので、せっかくの休日を自分が本当にやりたいと思っていることに費やしたい気持ちも良くわかるのです。果たして、この一ヶ月でガンモの心を動かすことができるかどうか、またご報告させていただくことにします。

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2007.06.16

結婚十一周年

 私たちが入籍してから、ちょうど十一年の歳月が流れた。パソコン通信の写真フォーラムで運命的な出会いを果たし、東京と兵庫の遠距離であるにもかかわらず、短期間のうちに強烈に引き合って結ばれた私たち。私たちが結婚を決めたのは、交際を始めてからわずか三週間のことだった。運命の赤い糸は存在するかと誰かに尋ねられたなら、私たちは間違いなく存在すると答えるだろう。私は東京で築いた基盤を手放して、ガンモの住む兵庫のアパートに転がり込んで来た。兵庫に移住してから十一年。東京で生活したのも十一年。もうすぐ兵庫での生活が東京での生活を上回ろうとしている。

 いつもあちらこちらへ出掛けて忙しい私たちは、せっかくの結婚記念日なので、一日中、どこにも出掛けることなく自宅でのんびりと過ごすことにした。記念日となると、すぐに外食モードに切り替わりがちな私たちだが、身体がコテコテした外食を求めていないので、自宅で地味に食事を済ませた。こんなシンプルな結婚記念日もいいものだ。

 ガンモと二人で、寝室の窓からほんの少し身を乗り出して、ベランダにいる鳩たちを眺めた。いつも彼らに乳繰り合っているところを見せつけられているので、今度は私たちが彼らの前で乳繰り合ってみた。人間だって、鳩に負けないだけの愛情表現があるのだ。彼らが私たちの愛情表現を見てどのように感じたかはわからない。私たちは鳩を観察しているつもりになっているが、実は観察されているのは私たちのほうだったりすると面白いのだが。

 ガンモと入籍の日の思い出話などを語り合った。入籍の日は、確か日曜日の大安だった。私は下ろし立ての靴を履いて、婚姻届を提出するためにガンモと一緒に市役所まで歩いて行った。しかし、新しく下ろしたばかりの靴は靴擦れを起こし、私はそれ以上歩くのが困難になり、道端にうずくまってしまった。私の遅れを気にするガンモに、私は、
「だって痛いもん!」
と言って自己愛に走った。ガンモと入籍することがうれしくて、晴れの日に履こうと、新しい靴を下ろしたのだった。しかし、新しい靴はなかなか足に馴染まず、私の足は思わぬ靴擦れのために一歩踏み出すごとに酷い痛みを感じていたのだ。私は痛い足を引きずりながら、市役所まで何とか歩いて行った。

 市役所では、当直の警備員さんが私たちの婚姻届けを預かってくださった。ただ、届出を提出するだけで夫婦になることができるなんて、実にあっけないものだと感じた。しかし、こうして私たちは夫婦になったのだ。

 あれから十一年。変わったことと変わらないことがある。変わったのは、体型だ。二人ともふくよかになった。また、結婚当初は、とにかくくっついて離れなかった私たちだが、最近は一人で行動できるようにもなった。変わらないのは、ふくよかになってもシングルベッドに寄り添って寝続けていること。一日に何度もキスを交わすこと。二人で一緒にお風呂に入ること。良く抱き合うこと。抱き合う度にお互いの身体の窪みと出っ張りがフィットしているのを実感している。それから、お互いの仕事。そんなところだ。

 十一年前、パソコン通信を通じて出会ったカメラ仲間の皆さんが、私たちのためにブライダルオフを開いてくださったことを毎年のように思い出している。アットホームでとても素敵なオフ会だった。もしもあのとき参加してくださった皆さんがこのブログを読んでくださっているなら、もう一度お礼を言いたい。本当にありがとう。

 それから、いつも「ガンまる日記」を読んでくださっている皆さん、どうもありがとう。中には毎日、欠かさず読んでくださっている方もいらっしゃるようだ。私たちとともに歩んでくださって、そして見守ってくださって、本当にありがとう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 去年は結婚十周年で大騒ぎしていましたが、結婚十一周年もあっという間に迎えることができました。月日が経つのは本当に早いものですね。これからも、変わって行く部分を恐れずに、変わらない部分も含めて大切にして行きたいと思っています。これからもガンまるを見守ってくだされば幸いです。

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2007.06.15

こむら返り

 今日は、久しぶりにショートショートをお届けしよう。

 私は数ヶ月に一回程度の割合で、明け方近くに強烈なこむら返り(足がつること)のために目を覚ましてしまうことがある。足がつると、
「アイタタタタ」
とうめき声をあげ、つってしまった足が一刻も早く元通りになることを切に祈りながら、足に両手を添え、痛みが引いて行くのを歯を食いしばってじっと待つことになる。

 あるとき、やはり明け方近くに突然、こむら返りが起こった。私はいつものように、つった足に両手を添えようとしたのだが、何やら周りがやけに騒がしいことに気がついた。一体何ごとかと思いながら眠い目を開いて周りを見渡してみるると、私が足を抱えている姿を応援するかのように、たくさんの老人たちが声援を送ってくれているのが見えた。

 「ようし、そうじゃ! 来ておるぞ! さあ、引っ張りなされ!」
「おうおう、その調子じゃよ、その調子!」
「ほうら、来ておる、来ておる! 今じゃよ! 力いっぱい引くのじゃあ!」
私は、自分の身に何が起こっているのかわけがわからなかったが、とにかく言われるがままに自分の足を一生懸命引っ張った。すると、私の足の小指の先に赤い糸が結び付けられ、その糸が更に下に向かってピンと伸びているのが見えた。しかも、その糸の先からは大きな手応えを感じるのだった。いつの間に誰が何のために私の足の小指に赤い糸を結んだりしたのだろう? 私は不思議に思いながらも、とにかく自分の足を一生懸命引っ張った。

 すると、足の小指に結び付けられた糸の先から、人間の足が見えて来た。
「ほうら、釣れた。それがアンタの赤い糸の相手じゃ。思い切り引っ張りなされよ」
そう言われて、私は力の限り、自分の足を引っ張った。私が引っ張っていた赤い糸の先は、その男性の足の小指に結び付けられているようだった。その男性が私の赤い糸の相手だと言う。私の赤い糸の相手はどんな人なのだろう。そう思うとわくわくして、足を引っ張る力にもいっそう力がこもった。

 ある程度、力をこめて引っ張ると、糸は磁石のように操作して、素早く二人を引き合わせた。気がつくと、私の隣にその男性が立っていたのだ。私は、初めて会ったその男性のことを、どこかで会ったことのあるような懐かしさを覚えていた。それだけではない。初めて出会ったばかりなのに、彼のことをとても好きだと感じたのだ。出会ったばかりのその男性は、私に向かって照れ臭そうにこう言った。
「はじめまして。小村(こむら)と言います。よろしくお願いします」
こむら返りを通じて出会ったから、苗字が小村なのだろうか。私はおかしくてクククと笑った。
「はじめまして。私は谷口えりと申します。こちらこそよろしくお願いします」
そう言って、ぺこりと頭を下げた。

 私を応援してくれていたはずの老人たちは、いつの間にか姿を消していて、代わりに高校生か大学生くらいの男女が私たちの様子を見守っていた。その中の一人が私のところにやって来て、こう言った。
「ありがとう。あなたが赤い糸の人と出会えたおかげで、私たちもこうして若返ることができました。私たちの役目はこれで終わりね。どうかお幸せにね」
そう言って、若い男女はどこかへ立ち去って行った。あとでわかったことだが、こむら返りからの復帰を応援すると、老人たちが若返るらしい。だから老人たちは、こむら返りに悩まされている人の所在を聞きつけると、どこからともなく集まって来るのだそうだ。シャレみたいな話だが、小村と私の仲人(なこうど)をした人たちが、若人(わこうど)になったということだ。

 小村と私はすぐに意気投合し、恋人同士になった。ほどなくして私たちは結婚し、私の苗字も小村に変わり、私は小村えりになった。こむら返りには一字足りない小村えりである。

 小村と出会ってからの私は、こむら返りに悩まされることもなくなった。私は今ではすっかり確信している。私にこむら返りの症状が表れていたのは、小村と出会うためだったと。いや、むしろ小村のほうがもっと確信しているはずだ。何しろ、小村がえりに出会うための症状だったのだから。今、こむら返りに悩まされている人は、赤い糸の人と出会える前兆かもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 先日、こむら返りで早朝に目を覚まし、こむら返りを何か物語にできないかと模索していたところ、少々強引ではありますが、このような物語が出来上がりました。辛い辛いこむら返りですが、赤い糸の相手と出会うために、赤い糸同士が引き合っているのだとしたら、とてもロマンチックなものになるでしょうね。

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2007.06.14

鈍感力

 通勤電車の中吊り広告で、渡辺淳一さんの新刊『鈍感力』の広告を見掛けた。○○力と言うと、以前、中古カメラ市でお見掛けしたことのある赤瀬川原平さんの『老人力』が記憶に新しい。赤瀬川さんの『老人力』では、老いて物忘れが激しくなったり体力が衰えたりすることを、ネガティヴな感覚でとらえるのではなく、かえって「老人力がつく」とポジティヴにとらえたようだ。渡辺淳一オフィシャルブログによれば、少々のことでへこたれない鈍感さこそが、生きて行く上での大きな原動力になっているそうである。

 映画『愛の流刑地』のレビューにも書いたように、私は渡辺淳一さんの描く男女の愛には共感することができない。しかし、渡辺淳一オフィシャルブログをほんの少し拝見しただけでも、プロの作家としての流れるような文章の綴り方には刺激を受けてしまう。プロの作家の綴る文章は、句読点の打ち方がとても参考になるのだ。

 不思議に思ったのは、私たちが当たり前のように漢字で表記している表現を、渡辺淳一さんは漢字に変換せずに平仮名で表記されていることだ。おそらくそれは、原稿用紙に文章を綴るというプロセスを経て来た人の特徴なのかもしれないと勝手に想像する。

 肝心の『鈍感力』だが、Amazonのレビューを拝見すると、批判のコメントがやけに多い。私はこの本を読んではいないのだが、渡辺淳一『鈍感力』(集英社刊)でほんの少し試し読みさせていただいた。常体と敬体の乱用が多少気にはなるものの、やはり、プロの作家の文章としては刺激を受ける。そう考えて、私はしばらくプロの作家が書いた文章に触れていないことを思い出す。

 『鈍感力』を読まれたAmazonの多くのレビューアーの方たちが力説されているのは、決して『鈍感力』だけが大切ではないということだと思う。渡辺淳一さんは、『鈍感力』をポジティヴにとらえているが、Amazonの多くのレビューアーの方たちは『鈍感力』をネガティヴにとらえている。これは、対立の典型的なパターンだ。

 『鈍感力』をポジティヴにとらえるとすると、私の『鈍感力』はかなり高いほうだと思う。渡辺淳一さんは、渡辺淳一オフィシャルブログの中で母の子に対する愛情を例に挙げられているが、例えば我が家のように家の中が散らかっていても夫婦関係が円満でいられるのは、『鈍感力』が高いからだと思う。また、先日私が体験したばかりの大きな出来事に対してもへこたれずに、希望を持って生きて行けるのも、『鈍感力』が高いからだ。

 もしも友人が何かの出来事に対してひどく落ち込んでいるのを知って励ますとしたら、「気にせずに前を向いて歩いて行け」と言うのではないだろうか。そう考えると、『鈍感力』が高いことは決して目くじらを立てて批判するほどのことではないと思う。反対に、『鈍感力』が低ければ、自殺者はもっともっと増えてしまうだろう。大切なのは、何を吸収し、何を手放すかということなのではないだろうか。言い換えると、人生のどの部分で立ち止まり、どの部分を通過しようとするかということだ。

 もちろん、『鈍感力』だけで生きて行けるわけではない。何かものごとがうまく行かないときは、『鈍感力』も大切だということを思い出して欲しいと、渡辺淳一さんは言いたかったのではないかと私は勝手に想像している。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅れて申し訳ありません。m(__)m ここのところ深夜の帰宅が続きながらも、帰宅してから「ガンまる日記」を更新していたのですが、ついに睡魔に負けてしまいました。「ガンまる日記」を更新せずに寝てしまったことも『鈍感力』でしょうか。あまりいっぺんにたくさんのことができない状態にあるとき、『鈍感力』は助けになってくれるような気がします。もちろん、『鈍感力』を盾にしてはいけないとは思います。盾にしているように見えてしまうから、批判的なご意見が多いのかもしれませんね。

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2007.06.13

誤算

※まずは皆さん、たくさんの応援クリックをどうもありがとうございます。m(__)m いつも「ガンまる日記」に目を通してくださっていて、私たちのことを見守りながら、この時ぞとばかりに応援の手を差し伸べてくださっている皆さんに、とても感謝しています。本当にありがとうございます。きのうの記事を書き上げてから、ひとまず自分の中にあるものをすべて出し切ってしまったので、今は放心状態であります。そのため、きのうのようなエネルギッシュな記事は書けません(苦笑)。予めご了承くださいませ。

 私たちの身の周りで起こった大きな出来事は、夏休みに計画しているロンドン行きを見送ることになりかねないような状況をもたらした。しかし私たちはこの問題に関わる人たちと話し合い、予定通り、ロンドン行きを決行することにしたのだった。そう決めたのは、既に航空券も購入し、ホテルの予約も完了し、クレジットカードによる決済が行われようとしていたことも大きい。

 ところが、このロンドン行きの計画には大きな誤算があった。私の派遣先では、今年は珍しく、夏休みを二つのパターンから選択して取得できるようになっていた。修学旅行の班のように、前半のAパターンと後半のBパターンに夏休みが分かれていて、どちらか好きなパターンを選択できることになっていたのだった。そのような形で夏休みが提示されたのが今年の春頃のことだった。しかし実際は、みんながバラバラに夏休みを取ってしまうと業務に差し支える場合もあるので、個人による完全な選択制ではなく、プロジェクト単位でAパターンかBパターンかを選択することになるのだろうと思っていた。

 私は、夏休みの予定を早めに立てておきたかったので、二ヶ月ほど前に行われたプロジェクトの飲み会の席で、夏休みをどのように取得することになるのか、上司に尋ねてみた。すると上司からは、
「やはり、プロジェクト単位で合わせることになるんだろうね。AパターンかBパターンかというと、Aパターンになるんじゃないかなあ」
という答えが返って来た。私は、その時期になってもまだ夏休みがはっきりと決まらなかったので、少し焦っていた。何故なら、夏休み中はホテルも飛行機もひどく混み合うため、早めに予約を入れておきたかったからである。AパターンとBパターンを選べるというのは自由度があっていいかもしれないが、私としては選択制ではなく、最初から夏休みはこの時期とはっきり決めて欲しかった。そのほうが、会社としての方針の決定を待つ時間を節約できると思ったからだ。

 ところが、先月の下旬頃、いきなり部長から派遣社員も含めて全員にメールが流れた。そのメールには、夏休みの取得方法に関する方針を決めて欲しいと、複数の社員から要望が上がっているため、会社の上層部に相談して、はっきりとした方針を決めたいというものだった。つまり、AパターンかBパターンかを決めてしまうということなのだろう。私としては、先日のプロジェクトの飲み会のときの感触からしても、また、例年のパターンから想定しても、Aパターンに収まるものだと思い込んでいた。部長からのメールは、詳細が決まり次第、派遣社員の皆さんにも知らせると締めくくられていた。

 それからしばらくの間、部長からのメールを待っていたが、なかなか流れて来なかった。私たち派遣社員には、全体に向けた通知メールがしばしば流れて来ないことがあるので、もしかすると忘れられているのかもしれないと思い、同じプロジェクトの社員の人に尋ねてみた。しかし、まだ決定していないという答えが返って来てがっかりした。それから更にニ、三週間の月日が流れた。

 あるとき、上司と話をしているときにたまたま夏休みの話になり、上司が更なる上司に向かって、
「夏休みはBパターンに決定なんですかね?」
と尋ねる声が聞こえて来た。それを聞いた私はぎくりとして、
「えっ? Bパターンに決定したんですか?」
と聞き返した。すると、上司たちは、
「ああ、派遣さんにはまだ知らせてなかったよね。まだ決定じゃないんだけど、この間の全体会議で、夏休みはBパターンに統一するように会社の上層部に申請中だという話をしたんですよ」
私は目が点になり、開いた口が塞がらなかった。何故なら、私たちが予約した飛行機、ホテルとも、Aパターンの夏休みを想定して確保していたからだ。労力さえ惜しまなければ、ホテルは今からでも変更可能かもしれないが、飛行機のチケットは変更の効かないPEXチケットなので、キャンセル料が一人につき三万円掛かってしまう。二人合わせると六万円の大出費だ。

 「いやあ、夏休みはAパターンになると思ってて、もう旅行の予約をしてしまったんですよ。変更するとキャンセル料が発生してしまうんです。確か、飲み会のときに、Aパターンになるとおっしゃってませんでしたっけ?」
いやはや驚きだった。上司たちも困惑していた。

 しかし、ありがたかったのは、基本的には夏休みを会社に合わせて欲しいところだが、私は派遣社員なので、業務に差し支えなければ、自分の都合のいい時期に休暇を取得しても良いと言ってくださったことだった。となると、私だけがAパターンの夏休みを取得することになってしまうのだが、派遣社員は社員が誰もいない会社には出勤できないという決まりもある(会社に誰か一人でも社員がいれば出勤可能)ため、私以外の人たちが全員Bパターンで夏休みを取得するのだとすると、その間、私は出勤できないことになってしまうのである。すなわち、Aパターン+Bパターンでおよそ二週間余りにも渡って、私の夏休みが続くことになってしまうのである。果たしてそのようなことが可能なのだろうか。

 ひとまず、
「予約の変更が可能かどうか調べてみます」
とは言ってみたものの、六万円も支払って飛行機の予約をキャンセルし、新たに予約し直す勇気はない。それに、ガンモの夏休みも私に合わせて既にスケジューリングされている。更に、日程を変更することによって、飛行機ばかりでなく、ホテルも予約し直さなければならなくなってしまう。しかも、まだBパターンに決定したわけではないので、迂闊には動けない。

 とにかく、ちょっとした行き違いから、このような事態に発展してしまったのである。唯一の救いは、私が派遣社員であることだった。まだ決定ではないが、おそらく私はこのまま変更をせず、Aパターン+Bパターンのちょっぴり長い夏休みを取得することになるだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m まだわかりませんが、Aパターン+Bパターンの二週間以上の夏休みは、うれしいようなうれしくないような、とても複雑な気持ちであります。先走って予約してしまった私たちにも落ち度はありますが、夏休みをいつまでも決めてくれない会社にも要因はあり、今回はお互い様だと思っています。実際、旅行の計画を立てる人たちは、三ヶ月前には予約しておきたいのではないでしょうか。夏休みまでもう二ヶ月を切っているというのに、まだ夏休みの日程がはっきりと決まらないなんて・・・・・・。果たしてこの行き違いは何を意味しているのでしょうか。

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2007.06.12

シナリオ

 に書いた大きな出来事が起こってから、一週間余りが経過した。絶望に打ちひしがれるほどの大きな出来事であることには違いないのだが、これまで隠れていて見えなかったものが、ポジティヴな面においてもネガティヴな面においても頭角を現して来た。ネガティヴな面でとことん打ちひしがれた分、ポジティヴな面での感動も大きかったのだ。この件に関して私は、苦しくてたまらなくて泣いたことよりも、感動に包まれて泣いたことのほうが多いように思う。電話の最中や、一日の出来事をお風呂の中で振り返りながら、感動の涙を流していたのだった。それらの感動はどれも、今回の苦しみがなければ味わうことのできなかった感動だ。私は、大きな天災でもなければ動くことのなかった岩の陰に隠れていた美しい生き物に出会ったような気持ちだ。

 この一週間の出来事を箇条書きにして、項目の隣にそれぞれの出来事が起こった日付を添えてみた。すると、いくつかの山場を迎えながらも、何とか一つずつクリアし、確実に前進していることがわかった。その度にほっと胸を撫で下ろしたり、ハイアーセルフにお礼を言ったりした。そして、これを書いている今、日曜日に私たちを直撃したネガティヴな状況から一転し、大きなポジティヴへと変わった。もちろん、それですべてが解決したわけではない。既に起こってしまったことは消えないし、一つの大きな課題をクリアしたに過ぎない。それでも、私は感動の余り、泣きながら電話を掛けた。おそらくだが、私の周りにはツインソウル夫婦が少なくとも二組はいる。ツインソウル夫婦が巻き起こす旋風は、少々手荒い方法ではあるのだが、関わる人たちが陰陽のバランスを整えられるように、間接的に働き掛けて来る。

 例えば私には、健康面や節約面での陰陽のバランスを整えるように影響を与えた。この一週間で私が欠かさず実践したことは、いつもよりも少し早めに起きて、毒だしホットジュースを作り続けたことと、毒だし脂肪燃焼スープをおかずにしたお弁当を持参したことだ。相変わらず、仕事の忙しさにかまけて、私の食生活は酷かったのだ。お昼はコンビニ弁当、夜は社員食堂か外食という状況だった。毒だしホットジュースは少し前から作り続けていたのだが、お弁当を持参したのは、お金の使い方を改めるために、食費を節約しようと考えたからである。

 食生活が変わると、ヘルシー度は更に加速するということに気がついた。毒だし脂肪燃焼スープのお弁当を食べていると、コンビニ弁当などの脂っこいものは身体が受け付けなくなってしまうのである。これまでの私からすると考えられないことだが、作り置きしてある毒だし脂肪燃焼スープが少なくなると、残業のために深夜に帰宅したにもかかわらず、脂っこいコンビニ弁当を食べたくないばっかりに台所に立ち、毒だし脂肪燃焼スープをせっせと作るという行動に出たのだ。

 それだけではない。社員食堂で残業食を食べることもなくなった。社員食堂の定食は、栄養バランスを考えたメニューになっているはずなので、おそらく食べても差し支えはないとは思うのだが、毒だし脂肪燃焼スープのお弁当を食べていると、定食を食べられるほどお腹が空かなくなってしまったのである。そこで最近は、社員食堂で定食を食べる代わりに粉ミルクダイエットを始めた。しかし、さすがに粉ミルクだけだとお腹が空くので、バランス栄養食で補っている。

 というわけで、毒だしホットジュースを飲み始めてから、およそ三キロ痩せることができたのである。もちろん、この中には、心労のためにご飯を食べられなかった時期に痩せた分も入っている。しかし、単に食べなくて痩せただけなら、とっくにリバウンドしている頃なのだ。これはやはり、毒だし脂肪燃焼スープの恩恵が大きいと私は思っている。

 人生、決して悪いことばかりじゃない。確かに、大きな落胆もあるには違いないのだが、その落胆とセットになった大きな喜びや気づきも確実に存在している。そうした大きな喜びや気づきを見逃さないように生きて行きたいと思う。私たちは常に、そのシナリオでなければ見えて来なない貴重なドラマを体験し続けているのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 詳しくは書けませんが、とにかく、驚きの展開になっています。途中で道に迷ったり、立ち止まったりしても、答えはちゃんと自分の中にあるのですね。そして、自分の中の答えと一致しないから余計に苦しいのだということもわかって来ました。しかし、そうした苦しみには、喜びもセットになっているのです。それを見逃さずに生きたいと、強く感じました。皆さんのシナリオは、どんなシナリオでしょうか。

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2007.06.11

バードニュース

 ここのところ残業続きのため、ガンモよりも遅い帰宅となっている。ガンモは、仕事から帰宅したばかりの私に向かって、まじめな顔つきで何かを伝えようとしていた。
「あのね、ニュースがあるんだけど」
私はぎくっとした。ここ数日のうちに私たちの身の回りで起こった出来事からすれば、それに付随する新たな出来事が起こってもおかしくはない状況だった。ガンモは何か新しい情報を私に伝えようとしてためらっているのだろうか。
「ねえねえ、もしかしてそれ、バッドニュース? いやなニュースなら聞きたくないよ」
私は恐る恐るガンモに尋ねた。これ以上、いやなニュースはごめんだ。私は耳を塞ぎたくなるような気持ちで訴えた。何か大切なことを言おうとしているガンモのかしこまった様子は、私の心臓の鼓動をますます高まらせた。

 「バッドニュースじゃありません。バードニュースです」
と、ガンモはかしこまって言った。
「バードニュース?」
「バードニュース」と聞いて、私は急に力が抜けて、ケタケタと笑い出した。その一言で、いきなり緊張感が解けたのだ。
「バッドニュースじゃなく、バードニュースね。うまい!」
と私は言った。この時点で既に、「ガンまる日記」のネタにしようと思っていた。

 さて、ガンモのバードニュースはと言うと・・・・・・。バードニュースというくらいだから、鳩に関するニュースである。

 その前に、訂正しておきたいことがある。隣のマンションで孵ったであろう雛は、父ちゃん、母ちゃんに餌をねだるピーピーという鳴き声が聞こえて来ないので、屋上に鳩対策用の網を張り巡らせた大家さんに見つかって処分されてしまったものと思い込んでいた。ところが、父ちゃん、母ちゃんに連れられて、飛べるようになったばかりの雛が我が家にやって来たのである。柄(がら)はすっかり出来上がっているのだが、目は黒く、足もまだ赤くなっていない雛で、ピーピーという声で鳴いている。そうか、ちゃんと元気に育っていたか。処分されたのではないことがわかって、私はほっと胸を撫で下ろした。

 ガンモの報じたバードニュースは、その雛とそっくりの柄の雛がもう一羽、我が家にやって来たという内容だった。その雛もピーピーと鳴いていることから、おそらく同じ時期に隣のマンションで生まれた雛にほぼ間違いなさそうだ。母ちゃんの産んだ卵は二つとも無事に孵っていたのである。一時は悲劇的なことを想像していたので、雛たちの無事を確認することができて安心した。雛たちは、私たちへのお披露目会が終わると、当然のように私たちのマンションのベランダで寝泊りするようになった。

 どうやら鳩の世界では、親と一緒に餌を食べてもいい時期がはっきりと線引きされているようである。父ちゃん、母ちゃんは、真冬に生まれた子供たちについては、私たちが与えた餌を食べようとすると怒って追い払おうとするのに、新しい雛たちに対しては一緒に餌を食べることを許容しているのだ。

 ところで、父ちゃん、母ちゃんは今、私たちのマンションのベランダに作った巣で新しい卵をあたためている。まあ、雛たちはどんどん巣立って行くのでよしとするか。私たちのマンションのベランダで、再び新たなドラマが始まろうとしている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「バッドニュースではなくバードニュース」とはうまいことを言うものだと思いました。ひとまず、バッドニュースでなくて良かったと思っています(苦笑)。バードニュースは、That's too bad.ならぬThere are two birds.などと言うのでしょうか。ピンポンパンポーン(尻上がり)。それでは、これにて今回のバードニュースを終わります。次回の放送は未定です。ピンポンパンポーン(尻下がり)。

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2007.06.10

映画『パッチギ! LOVE&PEACE』

 ガンモと一緒に過ごす休日が巡って来た。実は、私たちに再び大きな衝撃を与える出来事が起こったのだが、そのことについては触れずに、今日は映画の話をすることにしよう。

 『パッチギ! LOVE&PEACE』の前売券を購入していたので、私たちは上映映画館をピックアップした末に、大阪の難波(なんば)にあるTOHOシネマズなんばまで出掛けて行った。ホットヨガと同様、あちらこちらの支店、いや、あちらこちらの映画館に足を運びたがる私たちである。

 ところで、この『パッチギ! LOVE&PEACE』だが、私たちは二人とも前作を観ていない。聞くところによると、少し前にテレビで上映されていたそうである。おそらく、『パッチギ! LOVE&PEACE』が公開されるにあたり、予習しておきたい人たちに向けて上映されたのだろう。私自身も、ずっと以前から前作を観ておきたくて、レンタルDVDショップに足を運ぶ度にチェックしてはいたものの、いつも貸し出し中という人気ぶりだったため、とうとう前作を観ることなく鑑賞に臨むことになってしまったわけである。

 やはり、観たいと思っている映画の反響は気になるもので、私はいつものようにYahoo!映画 - パッチギ! LOVE&PEACE - 作品ユーザーレビューを何気なく参照してみて驚いた。そこには、これまで目にしたこともないような、最悪のコメントがいくつも書き込まれていたのである。そのせいか、数値で表されているユーザー評価の値がひどく低い。これは一体どういうことなのだろう? 私は自分の目を疑った。前作が常にレンタル中で借りられないほどの大盛況ぶりだというのに、『パッチギ! LOVE&PEACE』は、ここに書かれているほど酷い映画なのだろうか。

 私たちは、十五時半からの上映を観たいと思っていた。遅めの昼食をとったあと、私たちが映画館に着いたのは十五時二十分過ぎのことだった。いつもならば、早めに映画館に出向いて指定席券を発券してもらっているのに、Yahoo!映画 - パッチギ! LOVE&PEACE - 作品ユーザーレビューを見た影響で、あまり人気のない映画なのだろうと勝手に決め込み、ついつい気が緩んでしまったのだ。

 ところが、チケットカウンターに表示されている上映スケジュールを見てみると、十五時半からの上映には既に満席を示す×マークが表示されていた。Yahoo!映画 - パッチギ! LOVE&PEACE - 作品ユーザーレビューであれほど酷いことが書かれているのに、次の上映が既に満席とはどういうことなのだろう? そう思いながら、チケットカウンターで前売券を差し出して、更にその次の回の上映を申し込むと、
「『パッチギ! LOVE&PEACE』はプレミアスクリーンでの上映となりますので、お二人様ですと、Cの7、8しか御取りできませんがよろしいですか?」
と言われた。十五時半からの上映を観られなかったので、次の回の上映を申し込んだのだが、次の回の上映もまた、二人で隣り合わせに座ることのできる席は一箇所しか空いていないという。あれれ? 何だか様子が変だぞ?

 次の回の上映も見逃すわけにはいかなかったので、私は指定された連番の席で指定席券を発券してもらった。あとから映画館の案内を見てわかったことだが、プレミアスクリーンというのは、他のスクリーンよりも少し小さめのわずか六十席しかないスクリーンだった。

 私たちは上映時間までぶらぶらとショッピングを楽しんだ。なんば周辺のあちらこちらの場所を歩き尽くして疲れたので、私たちは上映のおよそ一時間ほど前に映画館に戻り、館内にあるラウンジで待機することにした。ありがたいことに、TOHOシネマズなんばには、上映待ちの人たちが快適に過ごせるように、椅子やテーブルが用意されたラウンジがあるのである。私たちはそこでゆったりと過ごし、いよいよ上映に臨んだわけである。

 試写会か舞台挨拶などに使われているのだろうか。プレミアスクリーンは、とても豪華なスクリーンだった。自動扉の先には高級な雰囲気の漂うラウンジがあった。さきほど私たちが過ごしていたラウンジとはまったく違う。私たちが過ごしていたラウンジがファーストフード系ならば、プレミアスクリーンのラウンジは高級ナイトクラブ系だ。更にその先には、スターダストをイメージしたかのような照明がちりばめられたスクリーンがあった。小さなスクリーンだったが、椅子がとてもゆったりとしていて、隣との間隔が広い。まさしくデラックスといった感じだった。

 さて、肝心の本編だが、Yahoo!映画 - パッチギ! LOVE&PEACE - 作品ユーザーレビューに書かれているような酷い映画では断じてなかった。おそらくだが、Yahoo!映画 - パッチギ! LOVE&PEACE - 作品ユーザーレビューに書かれていることは、たちの悪い嫌がらせなのだろう。

 私はかつて、『夏物語』という韓国映画を観たときに、同じように酷いコメントばかり書き込まれていたことを思い出した。あとで、私のレビューを読んでくださった方が、Yahoo!のユーザレビューには、韓国映画に対してはいつも酷評が書き込まれることを教えてくださった。これは恐ろしいことだ。Yahoo!映画 - パッチギ! LOVE&PEACE - 作品ユーザーレビューを読むだけで、既に『パッチギ! LOVE&PEACE』のエッセンスを感じ取ったに等しい。

 この映画は、在日朝鮮人の方たちに対する差別が描かれた作品である。映画の中では、在日朝鮮人の方たちに対して、耳を塞ぎたくなるほど醜い言葉が平気で飛び交っている。正直言って、私には何故、日本人が在日朝鮮人の方たちをここまで遠ざけようとするのか良くわからなかった。何故、差別に対してそこまでやっきになっているのか、理解できなかったのだ。それと同時に、日本人の醜さを突き付けられたような気がした。

 差別用語なので、一部の人たちは注意して使わないように心掛けているはずだが、今でも「バカチ★ン(一部伏字)カメラ」という言葉が世の中には残っている。思い切って書いてしまうと、チ★ンというのは朝鮮人の方たちのことを差別して使う言葉だ。バカチ★ンカメラは、バカでもチ★ンでも使える操作の簡単なカメラという意味らしい。しかし、世の中には、このような差別的な用語の語源を知らずに使っている人がいる。もしも周りにこの言葉を使っている人がいたら、これが差別用語だと勇気を出して教えてあげて欲しい。

 私には、朝鮮の人たちと日本人の顔の区別が付かない。ということは、ルーツが同じところにあるか、朝鮮の人たちと私たち日本人は、既にたくさんの遺伝子が混ざり合っているということではないだろうか。それなのに、何故、差別するのか。

 以前も少し書いたことがあるが、私の生まれ育った愛媛県では、今なお部落差別が根強く残っている。私の身近なところでは、在日朝鮮人の方たちに対する差別が存在していなかったので、私は部落差別に置き換えて理解しようとした。しかし、差別の状況は想像できても、やはり、差別そのものを理解することはできない。何か気に障ることをされたとか、大きな被害を蒙ったとか、理由のあることならまだ理解できる。しかし、あたかも存在そのものを否定するかのような数々の暴言は、私の理解を超えていた。

 私は、差別とは、自分が仲間外れにされないようにするための防御策なのではないかと思う。差別をしている人たちは、差別をすることで、集団に属しているという安心感を得ているのではないだろうか。実際、差別をしている人たちを一人一人、分解してみると、それぞれが異なる意志を持っている。確か高校生の頃、部落差別について周りの大人に尋ねてみたところ、「みんながするから自分もする」というような答えが返って来て驚いたのを覚えている。それならば、「みんながしなければ自分もしない」が成り立つだろう。そのためには、「みんながするから自分もする」と多くの人たちが心の中でひっそり思っているということを分かち合う時間が必要だ。

 精神世界的に言えば、差別をした人の魂が次に望むことは、自分自身が差別をされることなのだろう。そうしたことを何度か繰り返すうちに、差別というループから外れる。もしも差別のループが存在するなら、差別をしない人たちは、かつて差別をしていたけれども、こうしたループから外れることができた人たちだと考えることもできる。

 この映画では、差別をする人たちと差別される人たちが、体当たりでぶつかり合っている。私は、映画を観るまで「パッチギ」の意味がわからなかったのだが、物語の後半になってようやく理解することができた。

 また、この映画を観て私なりに収穫があったのは、これまであまり好感が持てなかった藤井隆くんを観る目が変わったことだ。私がこれまで知っている彼は、ギャグという大きな皮に包まれてなかなか本質が見えて来なかった。しかし、今回のようなシリアスな役を演じることができるということがわかり、彼の存在を見直したわけである。

 印象に残ったシーンは、映画の中で上映される戦争映画の舞台挨拶におけるキョンジャの台詞だ。
「私は、愛する人のために死にに行くよりも、愛する人のために生き延びてくれたほうがいい」
というようなことを言う。私もそれはもっともだと思う。しかし、日本にはキョンジャのように自分の意見を言いたくても言えない時代があった。差別が一種の洗脳ならば、愛する人のために死にに行くという思想も洗脳なのではないだろうか。そうしたことを、この映画を製作した井筒監督は表現したかったのではないかと私は想像するのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m この映画に関しては、Yahoo!映画 - パッチギ! LOVE&PEACE - 作品ユーザーレビューはまったく当てになりませんでした。実際は、涙と笑いありの体当たり映画でした。これからご覧になる皆さんも、どうか惑わされることがありませんように。映画を観終わった私たちは、在日朝鮮人問題に関して大討論会を開きました。ガンモは学校の寮に入ったときに、様々な地域からやって来た仲間たちが、こうした差別を平気で行っている姿を見て驚いたそうです。そういう人たちも、この映画を観たでしょうか。差別が身近にある人と、そうでない人とで、見方が変わって来るかもしれませんね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2007.06.09

ホットヨガ(五十回目)

 映画を観られるようになったのだから、ホットヨガのレッスンも大丈夫だろうか? 私はそう思い、レッスンの予約を入れてみた。 

 仕事の待機要員だったガンモは、コールセンタからの呼び出しを受け、朝から仕事に出掛けて行った。一方、私はと言うと、タイミング悪く、ガンモの仕事が終わる頃にホットヨガのレッスンに出掛けて行くことになってしまった。ちょうどガンモと入れ違いで家を出ることになってしまったのである。

 さて、記念すべき五十回目のレッスンは、久しぶりに神戸店で七十五分のアクティヴコースを受けた。着替えを済ませてスタジオに入ってみると、何と、レッスンを受ける人の数は私を入れて八名だった。これまで受けたレッスンで最も少ない人数ではないだろうか。しかも、憧れのフリーパス会員のあの方のお姿も見当たらなかった。

 人数が少なかったため、私は奥の鏡のすぐ横にあるヨガマットを陣取ることができた。鏡のすぐ横ならば、自分がどのようなポーズを取っているか、じっくりと観察することができると思ったのだ。

 レッスン開始時間になると、インストラクターがスタジオに入って来てレッスンが始まった。今回のインストラクターは、ビギナーコースの頃に最も多くレッスンを担当してくださった方だった。

 私は、自分の姿を鏡に映し出しながらポーズを確認していた。大きな鏡に自分の身体を映し出してみるのもなかなかいいものである。これまで何度もレッスンを重ねて来たせいか、思っていたほどひどいポーズを取っていたわけではないことがわかり、少し安心感を覚えた。これからは、できるだけ早くスタジオに入って、鏡の横のヨガマットを確保しようか。そんなことも考えた。

 前回のレッスンでは、疲労感と頭痛に見舞われてしまった私だったが、今回のレッスンでは気持ち良く汗を掻くことができた上に、レッスン後に頭が痛くなることもなかった。お守りのために持参した酸素プラスも、半分ほど飲み干しただけで、それ以上、身体が必要としていないことが良くわかった。

 いつもならば、最後までレッスンを受けずに途中で退出してしまう人が多いのだが、今回は人数が少ないためにレッスン後のシャワー争奪戦がないことがわかっていたからだろうか。すべての人たちが最後までレッスンを受けていた。こうした状況は大変気持ちのいいものである。私は競争のないシャワールームでゆっくりとシャワーを浴び、着替えを済ませて受付にロッカーの鍵を返しに行った。

 今回は、顔見知りのスタッフが少ないためか、まだ誰ともコミュニケーションが成立していないことを少し寂しく思っていた。しかし、シフト制で別のスタッフと交替になったのか、顔なじみのスタッフが奥から出て来た。そのスタッフこそ、かつて私が、
「支店によってスタンプの色が変わったりしないんですかね」
と言ったときに、
「では、上の者にそのように言っておきます」
と言ってくださったスタッフだったのだ。私は半ば興奮気味に、
「支店によってスタンプの色が変わりましたね」
と言った。すると、すぐに
「そうなんですよ」
と返してくださった。私は、
「ありがとうございます。おかげ様で、どこの支店でレッスンを受けたか、とてもわかりやすくなりました」
とお礼を言った。それはもう、喜びを隠し切れない様子でそう言ったのだ。そのスタッフは、ニコニコしながら私の話を聞いてくれていた。

 おそらく、スタンプを集めるということで連想されたのだろう。そのあと、ホットヨガが先月行っていたキャンペーンの話になった。関西八店舗で五月中にレッスンを十回受けると、次回の回数券購入時に使用できる割引券をもらえるというものだ。残念なことに、私は、ゴールデンウィークにあちらこちらに出掛けていたので、十回レッスンは達成できなかった。
「今回はスタンプを溜めることができなかったので、また、同じようなキャンペーンをやってくださいね」
と言ってから、神戸店をあとにした。

 それから帰宅し、ガンモとホットヨガの効果について熱心に話し合った。現在、ガンモは、去年のハワイ旅行のことを自分のブログに綴っている。記事を更新するに当たり、去年の私の写真を参照しているようだ。
「まるみは顔が痩せたよ。去年と全然違うもん。やっぱりこれは、ホットヨガのおかげだね」
とガンモは言う。確かに私はレッスンの最中も、レッスンを終えてからも、顔から汗がダラダラと出て来るのだが、そのために顔がすっきりしたのだろうか。体重自体はそれほど変わっていないはずなのに、顔がすっきりしたために、ガンモには痩せて見えているようだ。それよりも、ここ数日の心労のために食事が喉を通らなかったことで痩せたことのほうが大きいくらいなのに。

 私は、顔が痩せたことよりも、酷かった肩こりからすっかり解放されたことを力説した。かつては毎週のように鍼灸医院に通い、一回四千五百円程度の治療費を支払っていたにもかかわらず、ほとんど効果がなかったことを考えると、ホットヨガは鍼灸治療のわずか半額程度で確実に効果が上がっているのである。

 ガンモは私に、
「これからもホットヨガを続けなよ」
と言った。もちろん私は、
「うん。マイルも溜まるしね」
と言った。それから、ガンモに向かって、
「梅田店は男性会員も受け入れてるから、今度、一緒に行こうよ」
と再び誘ってみた。ガンモはしばらく考えていたが、やはり、
「やめとく」
と言った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ホットヨガのレッスンは、滞りなく受けることができたのですが、いつもとどこか違っていました。きっとホットヨガが変わったわけではなく、私の中で何かが変わっていたのでしょうね。実は、この日は何事もなく過ぎたのですが、これを書いている今、新たな動揺が私を支配しています。でも、いっぺんにいろいろなことはできないのだし、本当に少しずつ前に進んで行くしかないのですよね。愛の範囲を狭めることは、他の人の生き方に影響を与えることになります。何が最善なのか、対策を練るときに、自分の下した決断が、周りの人をどれだけ巻き込んで行くのかを考えながら行動したいと思います。反面教師となってくれる存在から、そのようなことを学びました。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2007.06.08

映画『クィーン』

 いつまでも足踏みしていてはいけない。再び前を向いて歩いて行かなければ。そう思い、自分がこれまでのように映画を観ることができるのか、知りたいと思っていた。また、映画を観ることによって、疑ったり腹を立てたりした自分の感情と向き合っておきたかった。私の場合、何か気にかかることがあると、映画によって引き出されている感情を、自分自身の真実を見出すためのエネルギーに費やすことが多い。映画を観て感受性が強くなっていると、自分自身の真実も引き出しやすいのだ。

 折しも勤務先では、職場全体の飲み会が開催されようとしていた。私たち派遣社員は、プロジェクトの飲み会には参加するが、職場全体の飲み会には参加しない傾向が強い。そのため、派遣社員にとって、職場全体の飲み会が開催される日は、定時退社日と同じくらい自由な時間になるのだ。そんな私の肩を押すように、先日会員になったばかりのシネ・リーブル神戸は、毎週金曜日には千円で映画を観られることになっていた。そこで私は、ゴールデンウィークあたりからずっと気になっていた『クィーン』を観ることにしたのだ。

 この映画は、ダイアナ元妃が交通事故で亡くなってからおよそ一週間の間の、英国王室、とりわけエリザベス二世の心情を描いた作品である。登場人物は、すべて実在の人物と断言していいのだろうか。エディンバラ公、チャールズ皇太子、ブレア首相などが実名で登場する。

 映画が始まった直後に、多少、ニュアンスは違うかもしれないが、「冠をかぶる者は睡眠中でさえも冠を外すことができない」という著名人の言葉がスクリーンに映し出される。この映画は、まさしくその一言に集約されている映画だと思う。

 多くの人たちは、仕事とプライベートを分けていることだろう。私もきっちり分けている。しかし、あまりにも世間に顔が知れ渡っている存在であるとか、国のトップに立つような人たちは、仕事とプライベートを明確に分けることができない立場にいる。エリザベス二世もまた、典型的なその一人だった。

 この映画では、仕事とプライベートという概念の他に、ダイアナ元妃の死が大きく絡んで来る。形式や伝統を強く重んじる英国王室。王子たちの母親であるとは言え、チャールズ皇太子と離婚してしまったダイアナ元妃はもはや王室の人間ではない。そのような微妙な位置付けにあるダイアナ元妃の突然の死に対し、英国王室としてどのような対応をするかというところにスポットが当てられている。映画の中でも、「前例のないことだ」という表現が繰り返し登場する。形式や伝統を強く重んじる英国王室だけに、前例のないことに対して、どのように対処したらいいかわからないのだ。

 私は、東京のソフトウェア会社で社員として働いていたとき、その会社で出会って結婚したものの、二人とも退職してしまった先輩たちの結婚式の二次会の案内を回覧していたときのことを思い出した。確か、総務の男性だったと思うが、
「辞めた人間の結婚式の二次会の案内の回覧なんか回すな」
と言ったのである。おそらくその男性は、会社の人間としてそう言ったのだろう。それを聞いた私は、会社の人間としてでなく、ただ純粋に、かつての仕事仲間の新しい門出を祝福できないものなのだろうかと悲しくなったものだった。

 実際、ダイアナ元妃が亡くなってから、およそ一週間の間、英国王室は声明文も出さなければ、弔意を表す半旗も掲げなかったらしい。つまり、王室から出て行った人間のことを弔う姿勢を示さなかったのである。しかし、ダイアナ元妃は国民から絶大な人気を得ていた。そのため、何故、王室としてダイアナ元妃を弔う姿勢を見せないのかと英国国民からは批判されていたらしい。

 ここで、冒頭に映し出された著名人の言葉が生きて来る。私たちが仕事とプライベートを切り分けるようには行かないが、エリザベス二世は常に女王としての自分を演出し続けている。そこには、女王ではない素のエリザベス二世が立ち入る隙はない。つまり、エリザベス二世の場合、私生活のすべてが女王だと言っても過言ではないかもしれない。そうした彼女が、山の中でジープを故障させて一人で泣くシーンがある。この瞬間こそ、エリザベス二世が女王としての冠を外した瞬間だった。そのときに、エリザベス二世はある動物に出会う。実に美しいシーンだ。普段はその動物を射止めることを応援しているはずのエリザベス二世なのに、狩をしている人間たちの標的にならないようにと、動物を気遣うのだ。

 形式や伝統を守ろうとすると、人間性の持つあたたかさからはどんどん外れてしまう。ダイアナ元妃は、そうした形式や伝統を重んじる王室の姿勢とは正反対の立場を取り、英国国民に広く支持されたのだろう。カミラ妃(と言っていいのか)とずっと不倫関係にあったチャールズ皇太子もまた、形式や伝統に縛られない生き方を選択していたと言えるかもしれない。興味深いのは、そんなチャールズ皇太子が、ダイアナ元妃の亡骸をパリまで引き取りに行ったことだ。このことからも、チャールズ皇太子が形式や伝統に従って行動しているのではないことがわかる。高貴な身分を思わせる布に包まれた棺は、英国らしく足並みを揃えた人たちによって運ばれている。例え映画であったとしても、このようなシーンを映像で観られるのは貴重だ。

 ブレア首相とエリザベス二世のやりとりもいい。うわべだけで解釈しようとすると、首相になったばかりのブレア首相が、自分の好感度をアップさせるために動き回っているかのように見える。しかし、後半になると、ブレア首相がどれだけエリザベス二世のことを理解し、真剣に想っているかが伝わって来る。エリザベス二世が英国国民やマスコミに非難される中で、ブレア首相が逆ギレするシーンがたまらなくいい。確か、
「女王の気持ちが君たちにわかるか!」
というような内容だったと思う。その一言で、彼がエリザベス二世の態度を非難しているのではないということがわかる。ブレア首相は、エリザベス二世の女王としての苦悩を見抜いた上で助言し続けていたのだ。そして、英国国民の反応に苦悩しているエリザベス二世に対し、
「あなたが国民に支持され続けている五十年間のうち、たった数日間のことです」
というようなことを言う。もう、素晴らしいの一言に尽きる。

 映画を観終わる頃には、映画を観る前に抱えていた疑ったり腹を立てたりしたネガティヴな気持ちはすっかり晴れ、まっすぐ上向きになっていた。私は、何が一番大切なのかを忘れかけていた。この映画が直接的にそれを思い出させてくれたわけではない。しかし、本来の私自身を引き出す鍵が、この映画にはあった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 会員であれば千円で映画を観られる金曜日だったのですが、さすがミニシアター系の映画館だけあって、大きな映画館のレディースデイのようにざわざわした雰囲気は一切なく、とても静かで落ち着いた雰囲気で鑑賞することができました。ミニシアター系の映画館は、仕事帰りに一人で観に来ている人が多いようです。エンドロールが始まってもほとんどの人が席を立ちません。私は、ようやく自分のお気に入りの場所を見つけられたような気がします。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2007.06.07

記憶を塗り替えない

 揺れている。感動したかと思えば、疑ってみたり、また、腹を立ててみたりという状況だ。一日中、心配ごとが心の奥に突っかかっている。この心配ごとは、一気に解決される類のものではない。これまでポジティヴに走り続けて来たというのに、急にネガティヴな感情に襲われて、私自身が中心から離れ、分散してしまいそうになっていた。総合的に見れば目の前の課題をクリアしながら着実に前進しているとは言え、課題をクリアするごとに新たな課題が持ち上がっているという状況だ。今日も課題を一つクリアすることができたが、まだまだ不安定な状況である。さて、あと残る課題は・・・・・・。

 私が突然、ネガティヴな感情に襲われたのは、過去の記憶を現在の記憶で塗り替えてしまったからだ。例えば、親しかったはずの交友関係が壊れてしまうことを想定しよう。かつては親しく交流していたはずなのに、二人の間にひどくネガティヴな出来事が起こったときに、かつて親しく交流していたことなどきれいに忘れ去り、その友人との過去のポジティヴな記憶を現在のネガティヴな記憶で塗り替えてしまうことがある。私は、これをやってはいけないということに気がついた。過去の記憶の上に現在の記憶を上書きするのではなく、過去は過去の記憶として大事にしまっておいて、新しい記憶を別の場所に追加するのだ。それができるかどうか、器の大きさを問われているのかもしれない。

 未来は完全に予測できるものではない。しかし、何か突拍子もないことが起こったときに、それが起きることをどことなく知っていたような気がするのは何故だろうか。本当は、過去に小さなメッセージを受け取っているのに、気付かないふりをしてしまった可能性があるのではないだろうか。 

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今日はいつもよりも短めでごめんなさい。できれば明日は抽象的なモードからは卒業したいと思っています。今、私が体験しているようなことは、最初から起こらないようにすることを願うべきなのか、それとも、起こってからの学びを受け入れることによって、精神的に成長して行くべきなのか、とても迷います。きっと、経験しなければわからないことのほうが多いでしょう。この経験で私は何を学ぶのでしょうか。まだ、はっきりとそれは見えて来ません。

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2007.06.06

ハイアーセルフ

 ああ、何故、これほどまでに極限の状態に追い込まれなければ、私たちは愛を実感することができないのだろう。残業時間の合間をぬって電話を掛ける。このような極限の状態に陥っているというのに、電話の相手は気丈に振る舞い、その日の出来事を聞かせてくれる。そこには、昨日よりも着実に前進した姿があった。愛を見失い、頑なになっている人の心を溶かすべく、積極的にコミュニケーションを取ったそうだ。私は、そうした愛ある行動に感動させられ、自分がまだ勤務先にいることも忘れ、顔をくしゃくしゃにして泣いた。映画『シンデレラマン』の中で、妻がボクシングで賞金を稼ぐためにリングに立とうとする夫に対し、「私はあなたのことが誇りなのよ」と言って励ます感動的なシーンがある。私は、電話の相手に向かってその言葉を発していた。

 そして、これを書いている今日、大きなイベントが予定されていた。私自身はそのイベントには参加しなかったが、おそらく私の人生始まって以来の大きなイベントだろう。愛ある人は、勇気をもってそのイベントに臨んだ。私は仕事先で、その大きなイベントが無事に終わるようにと、ハイアーセルフに心からのお願いをした。すると、そのイベントが始まる一時間も前から不思議に気持ちが落ち着き始め、オフィスのデスクの上に置いた時計を気にすることなく、仕事に集中することができた。仕事の合間に、その大きなイベントがどのように進行しているかについて思いを馳せると、ハイアーセルフの
「大丈夫だよ」
という声が聞こえて来た。私のハイアーセルフは、年老いたおじいちゃんだ。私のご先祖様なのだろうか? ハイアーセルフのおかげで、私は仕事中、心が揺れることもなく仕事に専念することができた。私はハイアーセルフにすべてを預け切っていた。

 大きなイベントが終わった頃、結果を聞くために、私は再び電話を掛けた。すると、電話の相手はイベントが順調に進行したことを知らせてくれた。ハイアーセルフが
「大丈夫だよ」
と言ってくれたことは、まさしく真実だったのである。私はハイアーセルフに心から感謝した。お願いしたときと同じくらい、何度も何度もお礼を言った。これまでも、あたたかいハイアーセルフはずっと私を見守ってくれていたに違いない。それなのに、極限の状態でなければハイアーセルフと話をすることができないなんて・・・・・・。私がハイアーセルフの声を聞いたのは、実に数年ぶりのことだったのだ。

 極限の状態まで追い込まれたとき、集結よりも分散へと動いて行くエネルギーもある。中心にいなければ、分散へと向かいやすい。実際、分散へと向かおうとしている人もいる。中心から遠く離れた人が、外から引っ張るのだ。しかし、分散へと動く行為は、二度と同じことを繰り返さないようにするための戒めにもなる。

 そして私は悟ったのだ。単に手を差し伸べるだけが愛ではない。戒めとして突き放すことも大きな愛だということに。私たち夫婦は既に十分手を差し伸べた。更にそれ以上、手を差し伸べることもできる。しかし、あまりにも手を差し伸べ過ぎると、喜びからの学びは多くても、苦しみからの学びが足りなくなってしまう。だからここは心を鬼にして、自分自身の力で歩いてもらうために、これ以上は手を差し伸べない決断を、ガンモと二人で話し合って決めたのだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回も抽象的な書き方をして申し訳ありません。ようやく夜も眠れるようになり、ご飯も喉を通るようになりました。わずか三日の間に、これほど大きな変化が起こるものなのですね。あれだけ気持ち的にもどん底の状態だったはずなのに、再び前を向いて歩くことができるようになれるのですから、人間の精神とは強いものです。ハイアーセルフの存在には、本当に感謝しています。皆さんも気付きませんか? ニコニコと笑いながら手を差し伸べてくれるハイアーセルフの存在に。決定的なピンチのときに呼びかけてみてください。きっと、手を貸してくれるはずですよ。(^^)

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2007.06.05

 私は書くことが大好きだ。しかし、時には書けなくなってしまうこともある。初めてのペアシートの記事は書けないときに書いたものだ。あとから読み返してみると、心ここにあらずの状態で書いているのが良くわかる。文章を書くためにタイトルに掲げた出来事を詳細に振り返ることもできず、目の前に起こっている出来事に心を奪われていた。人は自分を上手には騙せないものである。もしも私が書くことを職業としていたなら、「申し訳ありません。今日は書けません。プロとして失格です」と読者の皆さんにお詫びを申し上げなけれなばらなかったかもしれない。しかし、どんな精神状態のときも「書かねばならない」状況にあるのがプロならば、私は純粋に「書きたい」気持ちを大切にできるアマチュアのままでいいと思う。

 実は、文章を思うように綴ることができなかったことには理由がある。詳しくは書けないのだが、大きな精神的ダメージを受ける出来事があった。心が痛くて痛くて、私は自分の心臓のあたりに手を当てて、深呼吸を繰り返していた。夜も眠れず、食事もろくに喉を通らない状況に陥った。それでも、何か食べなくてはと思い、飲み物とバランス栄養食を胃に流し込んでいた。夢ならば覚めて欲しいと、どんなに切願したことだろう。しかし、それは夢ではなかった。夜中に目が覚めても、心の痛みは消え去っていない。夢からは覚めたものの、寝ている間も現実はずっと持続していた。その現実があまりにも厳しくて、再び目を閉じてもなかなか眠りに就くことができない。わずか一日半の間に、体重が二キロほど落ちた。

 私がガンモと出会い、結婚したこと。私たち夫婦がずっと子供を持たずに共働きでやって来たこと。そうしたことは、今回の出来事のために用意されていたとしか思えなかった。私は泣きながらガンモに、
「存在してくれてありがとう」
と言った。ガンモの懐の広さには頭が下がる思いだ。どんな状況に陥っても、ユーモアの精神を忘れることなく、冷静に手を差し伸べてくれる。

 大きな精神的ダメージが、私をピュアなハートへと誘(いざな)う。一見、ネガティヴに見えるその出来事は、関わる人たちに精神的な成長を促した。自分でも驚いたのは、誰かを責めたり、怒りの感情が沸いて来なかったことだ。私のエネルギーは、怒りよりも、現実を受け入れ、前に進むことに費やされた。起きてしまったことは仕方がない。私はそう言って、その問題に関わる人たちにこれからのことを考えるように提案した。かつての私なら、間違いなく誰かを悪者にして責め立てていただろう。しかし、そうした行為は前に進むのを遅延させてしまう。過去ではなく、今、これからが大切だというのに。

 大きな精神的ダメージが私にもたらした変化。それは、お金の使い方を改めようということだった。私は、共働きであることをいいことに、お金の使い方がとても下手だった。そう、節約することを知らず、無駄遣いが多かったのだ。これからは、もっともっとお金の大切さを認識しようと思った。自分の身になって行くことにお金を使うのはいい。しかし、身になっていないことにまでお金を使い過ぎていた。

 仕事に関しても、もっと真剣に取り組もうと思った。幸いにして、私は技術を身につけ、その技術を生かせる仕事をしている。自分で言うのも何だが、派遣社員という不安定な立場からすれば、技術職であるがゆえに時給も悪くないほうだと思う。今のこの仕事を選んだことで、私は自分の特技を確実に活かしているのだと実感した。私の持っている技術が社会の役に立つならば、まだまだ仕事を続けて行こうと思った。そして、派遣社員であるにもかかわらず、丸五年も私を必要とし続けてくれている現在の派遣先の企業にも深く感謝した。

 血縁という絆の素晴らしさについても再認識した。これまでの私は、血縁よりも男女の愛情を重んじるところがあった。しかし、血縁は絶対的な関係だと気がついた。血縁は、どんなときも愛を絶やすことなく、時には叱咤しながらも、継続的に救いの手を差し伸べる存在だった。

 映画を観ることも、ホットヨガに通うことも、精神的な余裕があるからこそ実現できることだと改めて認識した。所用のため、火曜日のレディースデイに休暇を取ることになったにもかかわらず、私は目的を達成したあとも、映画館に足を運ぶこともしなければ、ホットヨガのレッスンを受けることもできなかった。時間はあっても、とてもそんな気持ちにはなれなかった。精神的な余裕がいかに大切であるかをとことん思い知らされた。私は、自分を形成しているものが、いつも当たり前のように存在しているものだとばかり思い込んでいた。しかし、時にはそうした当たり前のものから遠ざかってしまうこともある。大好きな文章さえも書けなくなってしまうほどに。

 問題は、まだまだ解決したわけではなく、むしろ始まったばかりだと言える。しかし、こうした大きな精神的ダメージこそ、精神的成長をもたらしてくれるのも事実だ。今はそれを受け止めようと思う。

 多かれ少なかれ、人は変化の中にいる。何かが起こった時点で、人は現状を受け入れるように変わり始める。だから、取り返しの付かないことなんて、本当はないのかもしれない。そう思うと、例え少しずつでも前に進んでいることを実感できる。与えられた課題に優先順位を付けながら、少しずつ、ゆっくりと、着実に。そして、困難に立ち向かえば立ち向かうほど、これまで見ることのなかった一面が見出され、互いに相手を見直しながら、困難に取り組む人たちの絆が深まって行く。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今回は特に抽象的な書き方でごめんなさい。例えどんなことが身に降りかかったとしても、私たちは少しずつ少しずつ前を向いて生きているのだということを実感しました。問題を一つクリアすれば、痛みは少し和らいでいます。そうした進化を励みにして、私たちは次なる課題に取り組めるように出来ているのですね。更に、大きな課題に取り組むためには、適切な助っ人が配置されていることもわかりました。確か、ずっと以前に読んだ『第十の預言』にそんなことが書かれてあったように思いますが、まさかこういうことを自分が体験することになろうとは思いませんでした。

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2007.06.04

糞と共に

 父ちゃん、母ちゃんたちの雛が誕生したであろう向かいのマンションは、おそらく独身の方向けの賃貸ワンルームマンションなのだろう。屋上には大家さんと思われる老夫婦が、マンションとは別の造りの立派な建物を構えて住んでいらっしゃる。向かいのマンションは四階建てなので、五階にある私たちの部屋からは屋上にある大家さんの家が良く見える。

 あるときガンモが息を殺しながら、
「何かね、隣のマンションの大家さんだと思うけど、おじいちゃんが屋根の上に登って網を張ってる」
と言う。私は、さりげなく隣のマンションの屋上の様子をうかがった。見ると、確かにおじいちゃんが何か作業をしている。あまりじろじろ見るのも申し訳ないので、翌日、改めて人影がないのを見計らってから、隣のマンションの屋上の様子をそっとうかがってみた。すると、屋上全体を覆うように、わざわざポールを立ててダイナミックに網が張り巡らされていた。

 「きっと鳩対策だよ」
とガンモが言った。私たちのマンションの周りを徘徊する鳩の数が増えて来たので、その分、糞も目立って来たのだろう。鳩の行動範囲は私たちのマンションだけではない。向かいのマンションの屋上に止まっては羽を休ませている姿を何度も見掛けている。そこで、鳩を寄せ付けないように、屋上全体に網を張ったようだ。
「もしかすると、三階のベランダで生まれた雛たちも処分されてしまったかもしれないな」
とガンモがぼそっとつぶやいた。

 確かにそれは有り得る。私たちのベランダから、父ちゃん、母ちゃんが新しく巣を作ったマンションのベランダはそれほど離れてはいない。もしも雛たちが元気に育っているならば、ピーピーと餌をねだる雛たちの鳴き声が聞こえて来てもおかしくはないはずだ。しかし、一度たりとも雛たちの鳴き声が聞こえて来たことはない。それに、父ちゃん、母ちゃんの食欲も、一時期ほど旺盛ではない。子育てをしているときは、ピジョンミルクを出すために、食欲が旺盛になるはずなのだ。やはり雛は、住人か大家さんに見つかって、処分されてしまったのだろう。かわいそうに。

 鳩の雛には、カラスや人間という天敵がいる。そうした天敵に備えて、彼らは常に繁殖体制を整えているのだろうか。父ちゃん、母ちゃんが肩を落としているかどうかはわからない(そもそも、鳩に肩があるのさえもわからない)が、早くも父ちゃんが枝をくわえて私たちのベランダにやって来ている。どうやら、また私たちのベランダで新しい巣を作ろうと考えているらしい。私たちとしては、仲間の鳩たちがどんどん増えてしまうので、かなり微妙な気持ちではある。ただし、これまで権力争いが激しかったキッコロとキッコロもどきは、ガンモが優しく追いやったため、私たちのベランダからは姿を消した。それから、追いやったわけではないのだが、父ちゃん、母ちゃんの初めての子供たちのうちの一羽も自主的に姿を消した。おかげで我が家のベランダは少し静かになったのだ。

 一時は心配になっていた父ちゃん、母ちゃんの不仲だが、つい先日、父ちゃんが母ちゃんの嘴(くちばし)あたりをチョンチョン、チョンチョンとつついている姿を目撃した。思わず写真に収めたくなるような微笑ましいショットだったが、カメラを構えると、彼らは警戒して愛の行為をやめてしまうだろうと思い、彼らの行為を寝室からそっと見守っていた。

 鳩が嫌がられるのは、糞の掃除が大変だからだ。しかし、糞の掃除を嫌がっている人たちは、彼らの生態をうかがい知ることはできない。おそらく、彼らが男女ペアになって、昼下がりに仲睦まじく愛を交わしていることに目を向けることもできないだろう。鳩の生態観察は、常に糞と共にある。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m もしも本当に向かいのマンションのベランダで生まれた雛が処分されてしまったのだとしたら、父ちゃん、母ちゃんの子供たちは、今のところ、真冬に生まれた子供たちだけだということになります。二回目の子供たちはあっけなくカラスに連れ去られ、三回目の子供たちは、どうやら人間に処分されてしまったようです。父ちゃん、母ちゃんは前途多難の相性なのでしょうか。これから、再び我が家で卵を産むことになるのでしょうか。

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2007.06.03

初めてのペアシート

 ガンモと一緒に過ごせる休日となった日曜日、私たちは十時頃にごそごそとベッドから這い出した。普段、眠りに就くのが午前二時くらいなので、日頃の睡眠不足を解消するために、休みの日はどうしても遅くまで布団の中に留まることになってしまう。しかし、自宅で過ごすにしても、出掛けて行くにしても、休日にやりたいことはいっぱいある。週休二日ではとても足りないくらいだ。さて、どうしよう。

 私の手元には、ガンモと一緒に観るために購入している『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』と『パッチギ! LOVE&PEACE』の前売券があった。特に、『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』は去年からずっと楽しみにしていた映画だが、まだまだ公開されたばかりなので映画館も混んでいるだろう。しかし、旅行に出掛けて行くくらいの気合を入れてスケジュールを調整しない限り、ガンモと一緒の休日はなかなか巡って来ない。そこで私は、
「ねえねえ、映画を観に行こうよ」
と言ってみた。ガンモはしばらく考えていたが、意外にも、
「観るなら、『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』を観たいなあ」
と言った。

 さて、そうなると、映画館探しが必要になって来る。はてさて、どこへ繰り出そうか。日曜日なので、大阪の映画館はひどく混雑していることだろう。混雑を避けて、できるだけ郊外にある映画館に足を運びたいところだ。『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』はとりわけ混雑が予想されるので、入場できなかったことのことを考えて、できれば『パッチギ! LOVE&PEACE』も一緒に上映している映画館がいい。しかし、『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』は全世界同時ロードショーという超メジャーな作品であり、『パッチギ! LOVE&PEACE』は主にミニシアター系の映画館で上映されている作品だ。それに、私としては、新規映画館を開拓するよりも、できれば既に会員登録している映画館のポイントカードなどの得点を利用したかった。しかし、私の知る限り、既に会員になっている映画館で、二つの映画とも上映している映画館はなかったのだ。ということは、『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』に入場できなかった場合、こちらがダメならあちらへと、またまた映画館をはしごすることになってしまう。それはガンモが好まないだろう。この際、ポイントカードなどの得点は諦めるとするか。そう思いながらインターネットを検索していると、109シネマズで両方の映画が上映されていることがわかった。

 109シネマズと言えば、三宮の一つ手前のJR灘から徒歩十分のところにあるHAT神戸か大阪の箕面(みのお)にある箕面マーケットパーク visolaが候補に上がった。神戸方面は、いつも仕事で出掛けているので、私たちは変化を求めて目新しい箕面に飛びついた。

 箕面と言えば、お猿さんが有名である。箕面では、山に住む野生のお猿さんたちを見物できるのだ。確か新婚当時だったと思うが、ガンモと一緒に箕面のお猿さんを観に行ったことがある。箕面は我が家から比較的近いところにあるのだ。

 自宅からおよそ三十分ほど車を走らせたところに、109シネマズのある箕面マーケットパーク visolaはあった。郊外型のショッピングセンターのようである。駐車場に車を停めようとすると、メガフォンを持った人が、
「本日は人気映画上映のため、駐車場が大変混み合っています」
としきりにアナウンスしていた。駐車場にもなかなか入れないくらいの「人気映画」と聞いて、すぐに『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』のことが頭に浮かぶ。やはり混雑のため、入場できないのだろうか。

 何とか駐車場に車を停めて、映画館の受付で指定席券を発券してもらうことになった。確かに、映画館はたくさんの人たちで賑わっていたが、どうやら入場できないほどの混雑ではなく、次の上映に入場できるようだ。受付の方が、
「カップルの方でしたらペアシートもございますが、いかがなさいますか?」
と勧めてくださった。
「ペアシート?」
と私は思った。そう言えば、以前、神戸の映画館で『ハンニバル・ライジング』を観たときに、ガンモが私たちの席の後方に並んでいた空のペアシートを指差して、
「あそこがいい」
と言ったことを思い出した。しかし、「あそこがいい」と言われても、私たちは受付でペアシートがいいと申し出なかったのだから仕方がない。そのときの無念な想いが残っていたのか、今回は、ペアシートを選択できるチャンスに恵まれた。私たちは、迷わずペアシートを選んだ。

 上映まで一時間余りあったので、私たちは少し遅めの昼食を取った。箕面マーケットパーク visolaには、楽しいお店がたくさんあった。上品そうな犬を連れた人たちが犬を散歩させている。中庭にいくつも設けられたベンチでは、家族連れやカップルがくつろいた。たくさんのお店があり、一時間程度ではとても回り切れやしない。私たちは、箕面マーケットパーク visolaがとても気に入った。どうしてもっと早くここを見つけられなかったのだろうと残念に思ったほどだ。

 上映時間がやって来たので、私たちは初めてのペアシートと映画への期待に胸を膨らませながらスクリーンに入場した。二人分の椅子がセットになったペアシートは、二人の中間にある肘掛を収納できるようになっていて、ガンモとぴたりと身体を寄せ合って映画を鑑賞することができた。これはいい! ただ、館内は冷房が効いていて少し寒かった上に、ガンモが薄着で出掛けて来てしまい、寒いと言うので、私はひざ掛け代わりに持ち歩いていたショールをガンモの肩にそっと掛けた。自分用のひざ掛けがなくなってしまったので、私はひざの上にリュックを置いて映画を鑑賞した。リュックは私のひざのあたりをじわじわと温めてくれた。

 スクリーンを出ると、ひざ掛けの貸し出しサービスがあったことに気がついた。良く見えるところに貸し出し用のひざ掛けを置いておいてくれている映画館もあるのだが、こちらの映画館は係の人に申し出てひざ掛けをお借りする形式になっていたらしい。次回からは、係の人にお願いしてひざ掛けをお借りすることにしよう。

 肝心の『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』のレビューだが、映画の内容が濃過ぎるあまり、私の理解不足でとてもとても書くことができない。レビューを書くには、少なくともあと一回は映画をスクリーンに足を運ぶことが必要だ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』は、思い切り楽しめた人とそうでない人で人気が二分されているようですね。少々余計なお世話かもしれませんが、これから『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』を観ようと思っていらっしゃる方は、前々作、前作の復習をしっかりとしてから映画館に足を運ばれることを強くお勧めします。私自身が理解不足に陥ってしまったのは、復習が足りなかったからなのです。映画のレビューサイトでは、理解できなかった人たちが大暴れされていますが(苦笑)、自分の不理解を他人のせいにしてはいけません(苦笑)。受付で座席指定券と一緒にもらえる「もう一度観たくなる」読本に書かれているキャラクター相関図に目を通しておくだけでも、理解度はかなり違って来ると思われます。多分私は、もう少し人気が落ち着いた頃にでも、レディースデイに足を運んでみたいと思っています。

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2007.06.02

ホットヨガ(四十九回目)

 ガンモは早朝から自家用車で仕事に出掛けて行った。行き先は、同じ兵庫県内なのに我が家から百キロ以上も離れている赤穂(あこう)である。しかも、二日間連続の仕事だと言う。旅行好きな私たちのことだから、自宅から往復二百キロ以上も車を走らせて二日間通うよりも、赤穂から近い姫路あたりのホテルに宿泊するのもいいのではないかと思ったのだが、私は赤穂とは反対方向にある大阪の南森町店でのホットヨガの予約を入れてしまっていたし、ガンモも姫路に泊まることに関してはあまり乗り気ではなさそうだった。おまけに、前日の夜に窓を少しだけ開けて寝たのだが、暑いのか寒いのか良くわからず、二人とも熟睡することができないまま、眠い目をこすりながらガンモは仕事へ、私はホットヨガへと出掛けて行くことになったのである。

 南森町店の予約を入れたのは、梅田店の予約が既にいっぱいだったことと、できるだけ午前中の早い時間帯にアクティヴコースのレッスンを受けて映画を観たかったこと、それから、南森町店のスタンプの色を確認しておきたかったからである。

 私はこれまで南森町店に足を運ぶときは、JR大阪でいったん降りて、わざわざ地下鉄谷町線に乗り換えていた。地下鉄谷町線の南森町は、JR東西線の大阪天満宮を利用しても乗り換えができることを知ってはいたのだが、私は一度覚えたルートを変えることなく同じルートで何度か通い続けていた。しかし、関西に住み始めてそろそろ十一年になろうとしているのに、私は大阪の地下鉄事情にはまだまだ詳しくないことがわかった。地上から歩いて地下鉄の乗り場を探そうものならたちまち迷ってしまい、なかなか辿り着けないのである。ホットヨガのレッスンでもなければ、一人で大阪に出掛けて行くようなこともなかったので、これまでなかなか覚えることができなかったのだ。道は、一人で歩き回らなければ覚えられないものだとつくづく実感した。

 さて、肝心のレッスンだが、今回も七十五分のアクティヴコースを受けた。インストラクターは、初めて南森町店でレッスンを受けたときと同じ人だった。まるでプレゼンテーションでもするかのような正確なレッスンを展開してくれた。

 南森町店でレッスンを受けて感じたことは、やはり、暑いということである。温度計や湿度計は、他の支店とそれほど変わらない値を示しているのだが、体感する温度がまったく違っていた。熱い空気は上から溜まって行くのだとすれば、床に置かれていた温度計は、暑さを感じている私の身体よりも低い位置にあるために、私が体感している温度よりも低いのかもしれないと思った。

 ベテランのインストラクターだったため、アレンジされたポーズも多く、これまで取ったことのないポーズもいくつか登場してとても新鮮だった。ホットヨガは、これだけレッスンを重ねてもなかなか飽きないようにプログラムされているものだといつも感心してしまう。スタジオ内がとても暑かったせいなのか、それとも、しばらく飲み続けている毒出しホットジュースのおかげなのか、汗がたくさん出て来て水分補給に忙しかった。

 ここのところ、アクティヴコースのレッスンを受けても息が荒くなったり、頭が痛くなったりすることもなかったのだが、今回のレッスンでは少し息が荒くなり、レッスン後に少し頭痛がしてしまった。レッスン後はいつまでも顔にほてりが残り、私はスタジオを出てからも、トイレで何度か顔を洗って冷やした。今回の頭痛は、これまでのようにカイロが必要になるほど激しいものではなかった。首の周りに手を当ててみると、耳の下辺りがひどく凝っていた。頭のてっぺんの頭皮あたりにも不快感を感じていた。頭の上から何かが抜け切らないような、そんな不快感だった。

 肝心の南森町店のスタンプの色だが、手元に返って来た回数券を開いて確認してみると、オーソドックスな緑のはんこが押されていた。いろいろな支店でスタンプが色分けされているとしても、緑を使わないわけには行かないだろう。現に他の支店ではいろいろな色のはんこが使用されているので、南森町店で緑のはんこが使用されていたとしてもおかしくはない。梅田店は既に確認したので、近いうちに心斎橋店のはんこの色を確認してみることにしよう。

 レッスンを終えて近くの食堂で昼食を取ったあと、JR東西線の大阪天満宮を探してみると、意外にも近いことがわかった。普段、私が利用している最寄駅では、JR神戸線とJR東西線の両方が走っているので、JR東西線の列車に乗れば、自宅の最寄駅から乗り換えなしで南森町店のレッスンを受けられることがわかった。それならば、JR大阪で降りて地下鉄の乗り場を探してうろうろする必要もない。しかも、地下鉄を利用するよりも交通費が割安だということがわかった。

 南森町周辺の商店街は、とても面白い。名古屋の大須のような庶民的な商店街が続いていて、安いものにたくさん巡り合うことができる。私は、二枚五百円のブラジャーと一枚三百円のタンクトップを買ってみた。この商店街を歩くと、もっといろいろなものに巡り合えそうだ。商店街をゆっくり歩きたい衝動に駆られたが、観たい映画があったので、先を急ぐことにした。

 観た映画は、『女帝(エンペラー)』と『あしたの私のつくり方』である。『あしたの私のつくり方』は、未来日記になってしまったが、昨日の記事に書かせていただいた。実は、上映時間の関係で、二つの映画館を短時間のうちにはしごすることになってしまった。

 昔、レッツゴーヤングという音楽番組がNHKで放送されていたのだが、その公開録音が月曜日にNHKホールで行われていたらしい。同じ頃、「ザ・トップテン」という音楽番組がNHKホールの隣にある渋谷公会堂から生放送されていた。売れっ子のミュージシャンやアイドルたちは、NHKホールで「レッツゴーヤング」の公開録音を終えたあと、隣にある渋谷公会堂に慌しく移動し、「ザ・トップテン」に生出演していたそうだ。そうした歌番組に出演している売れっ子ミュージシャンやアイドルたちァンも、彼らを追って一緒に移動していたという。私自身はそういうはしごの経験はないのだが、映画館をはしごしながら、昔はそういうことがあったということをどこかで聞いたのを思い出していた。肉体的にも精神的にも慌しいのだが、そうした移動を体験していた人たちは、達成感を感じてもいたのではないかと思う。

 二本目の映画を観ている途中に、ガンモから携帯電話に着信があった。映画を観終えて掛けなおしてみると、ようやく仕事を終えたガンモが、
「今、相生(あいおい)だから」
と言う。相生とは、姫路よりも更に岡山寄りに位置している場所だ。高速道路を走っているとしても、まだあと一時間以上は掛かるだろう。どうかガンモが無事に帰宅できますように。そんな願いを込めて私も大阪から帰宅し、荷物を抱えたまま、ガンモが車で帰って来るのをしばらく外で待っていた。ガンモが車で遠出をするときは、いつも心配なのだ。

 ガンモがなかなか帰宅しないので、諦めていったん家の中に入ったものの、やはり気になって、玄関の外に出て、駐車場の様子を上から見下ろしていた。すると、駐車場に車が入って来るのが見えた。ガンモの運転する車だった。車の中からガンモが降りて来て、立体駐車場を操作しようとしているときに、私はガンモに向かって、
「ガーン」
と呼び掛けた。私の呼びかける声を耳にしたガンモは、上を見上げた。ガンモ、お疲れさん。早朝から出掛けて行き、ようやく帰宅したのだ。それなのに、明日も赤穂まで出掛けて行かなければならないのだろうか。そう思っていると、車庫入れして上まで上がって来たガンモが、
「俺、明日は休みになったから。明日の分も働いて来た」
と言う。私は、
「本当?」
と言って喜んだ。良かった、良かった。往復二百キロ以上もの道のりを、二日間連続、車で通うのは大変だ。とにかく、無事に帰宅できたこともひと安心だったが、仕事が一日で終わったことも良かった。こうして私たちは、翌日の二人の休日を手に入れたのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 『女帝(エンペラー)』は、ストーリーよりも映像美に引き込まれました。「打算的」という言葉は、女性のために用意された言葉なのかもしれません。内容的には、相思相愛なのに結ばれない男女の物語と一括りにすることもできますが、『あしたの私のつくり方』とは正反対の内容であると言うこともできます。普段の自分の九十九パーセント以上が、仮面をかぶっている自分を演じていて、残りの一パーセントしか真実がないとしたら・・・・・・。例え本当の自分を見せないように振る舞っている気丈な人であっても、心が動く瞬間があるのです。そこに人の命が関わって来るとき、あまりにも必死になり過ぎて、ひどく取り乱す姿が映し出されます。一パーセントと九十九パーセントが逆転する瞬間を恐ろしく感じる映画でありました。

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2007.06.01

映画『あしたの私のつくり方』

 この映画が公開されることを知ったのは、ホットヨガのスタジオに置かれていたチラシからだった。ホットヨガに映画の半券を持って行くと、二回分のトライアルレッスンが通常三千円のところ二千円になるほか、入会金も通常五千円のところ三千円になるという。そのようなチラシがあることからすると、この映画の主人公がホットヨガを通して自分を作って行くプロセスが描かれた作品なのかと錯覚してしまったのだが、どうやらそうではないらしい。チラシの中で各界の著名人がこの映画を絶賛するコメントを寄せていたので、どうしてもこの映画を観たくなったのだ。

 この映画は、自分らしさを問う物語と言ってもいい。時として私たちは、集団の中で孤独を感じないように生きるための工夫として、人に好かれる自分を演じることがある。しかし、やがて、そのように演じている自分と、本当の自分とのギャップに苦しむようになる。この映画は、そうしたギャップに苦しむ若者たちを主人公とした映画である。さすが、NTT DoCoMoが特別協賛しているだけあって、携帯電話のメールを頻繁に使用しての交流が進んで行く。

 人に好かれようとするあまり、いつの間にか本当の自分ではない自分を演じてしまう気持ちは良くわかる。オープンでありたいと思えば思うほど、そうした壁にぶち当たることになる。私だって、「ガンまる日記」を毎日綴りながら、毎日楽しみに読んでくださっている方たちのことをがっかりさせてしまわないように、できるだけ多くの人たちに伝わりやすく文章を組み立てることがある。例えば、こうした映画のレビューも、まだ映画を観ていない人や、これからも映画を見る予定のない人が確実にいらっしゃるわけである。そうした人たちに対し、書くことを遠慮してしまう傾向が、私にはある。心を動かされた映画であればあるほど、感想を綴りたいにもかかわらず。また、本当の自分としてはもっとマニアックな部分を表現したいのに、一部の人にしか伝わりにくい内容であったりすると、表現することをためらってしまうこともある。もしもこれが公開されたブログではなく、自分の手帳ならば間違いなく書くだろう。

 そう、つまりは、人に見せている自分と、人に見せていない自分は必ずしも一致しないということである。これは、社会に出るともっと顕著になる。私の場合、職場で見せる自分と普段の自分はまったく異なっている。話せる人に対してはどんどんオープンになることができるが、まだまだお互いの入口を模索しているような間柄だと、なかなかオープンになることはできない。それは、人と人が相対的な関係を結んでいるからだと思う。

 ところで、この映画には、あちらこちらにキラリと光る台詞がある。特に印象に残ったのは、小学校の図書館で寿梨(じゅり)と日南子(ひなこ)が顔を合わせずにお互い前方を見つめながら交わす会話だ。かつてはクラスの人気者だったはずの日南子があることをきっかけにしてクラスメートから無視される対象になり、かつての自分が本当の自分なのか、孤立した今の自分が本当の自分なのかわからないと放った台詞だ。この言葉が寿梨や日南子の心にいつまでも残る。例えほんの短い会話であったとしても、このとき二人は、お互いの入口を見つけることができたに違いない。そして、その入口は、あたかも数年後に開けられる約束をされたタイムカプセルのように、大事に仕舞われてしまった。

 一時的に交流が途絶えてしまう二人だが、日南子の引越しをきっかけに、寿梨が日南子にメールを送ることから二人の交流が復活する。と言っても、本名を明かさないニックネームでのやりとりという奇妙な交流だ。寿梨は、日南子が転校先の学校でみんなに馴染めるように、メールで励ますのである。

 私自身は転校の経験はないが、大学のサークルを二年から参加したことがある。通常、大学のサークルというものは一年の早い時期から参加し、同じ一年生同士の雰囲気がすっかり出来上がっているものだ。一年遅れて参加した私に対し、一年の頃からサークルに参加していた人たちに構えがなかったとは言い切れない。ただ、私が所属していたのは写真研究会というほとんど男性ばかりのサークルだったので、女性の私が受け入れられやすい状況にあったのかもしれない。だからだろうか、彼らに気に入られるために自分自身を演出したという記憶はない。

 人と同じことをしなければ、過ごしにくくなってしまう学校生活。もともと学校は、個が磨かれる場所ではない。集団で行動する場所であるがゆえに、個の考えは集団の考えに丸められてしまう。だから、同じものは歓迎されるが、違うものは排斥される傾向にある。そして、排斥されないようにするために、自分自身を演出するというわけだ。

 それにしても、この映画には、思い返せば気になる台詞がいくつもある。
「中学に受かって欲しかったのは私じゃない。私の両親だ」
と寿梨は言う。確かに親の引いたレールの上を走らなければならないような環境で育つと、自分の願望を押し殺して、親の望む自分を演じることが当たり前のようになってしまうのかもしれない。自分が反発しないことで、物事がで丸く収まることがわかっているのだから。しかし、親の言いなりになってしまうなんて、私には絶対にできないことだ。私は、自分が納得の行かないことに関してはとことん反発して来た。実際私は、寿梨とは逆のことをしている。一度入学した広島の大学を、親の反対を押し切って休学し、翌年に東京の大学を再受験したからだ。この選択は、親にずいぶん心配を掛けたし、私立大学の入学金を二年連続支払うという金銭的な負担も掛けてしまった。しかし、東京で生活したことで、私の人生は大きく変わったと思っている。東京での私は、今の私の多くの部分を作っていると思う。

 この映画の結論としては、いつまでも本当の自分を模索し続けるのではなく、演出している自分も自分だと認める方向へと落ち着いた。クラスメートから無視されていた自分も自分。例えそれが目をそむけたくなるような自分であっても、目をそらさないでいようということ。つまり、本当の自分と嘘の自分が存在するわけではなく、すべて自分。そういう結論だった。これは、なるほど、と思う。どの自分が本当の自分なのかと自分探しを始めたら、心地良くない自分が存在することを環境のせいにしてしまう。しかし、そうではなく、格好悪い自分も自分だと認めるというは、ものすごく勇気の要る決断だと思うのだ。若い二人にそれができたのは素晴らしいことだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 寿梨と日南子が携帯電話で話をするシーンで、
「テレビ電話に切り替えられる?」
「切り替えられるよ」
という台詞があります。これには驚きました。最近の携帯電話は、そういうことが可能なのですね。いやはや、驚きでした。この映画は、もっといろんな観方ができる映画だと思います。実は、切ないシーンもあったのです。それは、寿梨が失ったものを持っている、かつてのいじめられっ子に出会ったときです。決して悪気があるわけではないのに、かつてのいじめられっ子の微笑みが寿梨の心をチクチクさせるんですね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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