« ホットヨガ(四十六回目) | トップページ | 似ている、似ていない »

2007.05.21

映画『スパイダーマン2』

申し訳ありません。現在、「ガンまる日記」の画像を引き込んでいるガンまるコムサーバが停電のため、ダウンしています。停電から復旧しても自動的にサーバが立ち上がる設定になっていないため、ガンまるコムサーバの復旧までしばらくお待ちくださいますよう、お願い申し上げます。

 最近、映画のレビューを書くことが多くなっているが、映画を通して受け取ったものを自分の言葉で表現して行くプロセスがとても楽しいので、どうかお付き合いくだされば幸いである。ということで、今回は、派遣仲間に借りた『スパイダーマン2』のDVDを観た感想を書かせていただくことにしよう。

 DVDを貸してくれた派遣仲間は、ようやく『スパイダーマン3』を劇場に観に行くことができたそうだ。彼女は、
「『スパイダーマン2』のほうが面白かった」
と言う。とにかく、私が借りたDVDは面白いらしい。しかし、自分の中で映画に対する期待を勝手に膨らませておいて、映画を観終わってがっかりしてしまわないように、映画に対する期待値をできる限り低く設定して鑑賞に臨んだ。

 私は普段、あまりエンターテイメント系の映画を好んでは観ていないのだが、派遣仲間がお勧めしてくれただけあって、確かにこの映画は面白い。特に『スパイダーマン2』では、主人公のピーターが、スパイダーマンであり続けることへの葛藤と苦悩が描かれている。いっそのことスパイダーマンを廃業してしまって普通の人間に戻るか、これからもスパイダーマンとして戦い続けるかの判断に苦しんでいるのだ。大学生のピーターがなすべきことは、大学の授業にもきちんと出席した上で、アルバイトにいそしむことなのだが、スパイダーマンに変身して悪と戦っている間に、思いのほか時間が過ぎ去ってしまう。ピーターにとっては、とにかく忙しい毎日だ。しかし、ピーターがスパイダーマンであることを知らない世間にとって、ピーターは何をやってものろまな人間に映ってしまっている。やがてピーターは、大好きなMJの舞台を観に行く時間さえも確保することができなくなってしまったために、惹かれ合っているはずの二人がすれ違ってしまうのだ。ピーターのこうした葛藤や苦悩は、スパイダーマンに変身したときのパワーにも影響する。時には粘着性のある蜘蛛の糸が出なくなってしまい、ビルからまっさかさまに落ちることもあった。行き詰りを感じたピーターは、とうとうスパイダーマンを廃業してしまう。

 映画を観る人にとっては、物語が順風満帆に運んで行くよりも、こうした葛藤や苦悩が盛り込まれているほうがストーリーには引き込まれやすい。それは、主人公の進むべき道を客観的な立場から観察して知っているからだ。主人公が進むべき道から外れてしまっていることがとても残念に思えてしまうために、物語の展開が気になってスクリーンから目が離せないのだ。映画を観ている人たちは、手に汗を握りながら、主人公が進むべき道へと歩んで行くのを見届けるための、主人公の応援団になっている。

 ピーターの葛藤や苦悩は、心の問題がそのまま肉体に現れていると見ることもできるが、潜在意識に置き換えて考えることもできると思う。都合良く蜘蛛の糸が出て来て快調だった頃のピーターには、スパイダーマンでありたいという願望と自分自身の取る行動が一致していた。だから、心に思い描いたことを直ちに実現させることができていた。しかし、ピーターの中にスパイダーマンであり続けることへの葛藤が生まれたとき、果たしてスパイダーマンになることが自分の本当に望むことなのかわからなくなってしまった。だから、スパイダーマンであることを心に思い描くことができなくなってしまい、願望が達成されなくなった。つまり、潜在意識がスパイダーマンであり続けることに関してストップをかけてしまったとも考えられる。

 相変わらず良くわからなかったのは、MJの態度だ。やはり私には、同じ女性として、彼女の取っている行動が良く理解できない。恋人と男友達の区別が付きにくいのは、国民性の違いなのだろうか。あたかも自由に恋愛しているかのように見えてしまう。またしてもMJは、ピーター以外の男性と恋人関係にある。しかも、今度は結婚話まで持ち上がっているのだ。本当に好きならば貫けばいいのに、二人は妙なところで受身になってしまっている。愛するMJを巻き込みたくないばかりにMJと距離を置こうとするピーター。そんなピーターの本当の気持ちを理解できずに、新しい恋人を作ってしまうMJ。おそらくMJは、自分から愛するというよりも、愛されたい体質なのだろう。紆余曲折を経て、MJが本当の気持ちに気付くのは、物語が終わりに差し掛かった頃である。

 『スパイダーマン』の敵は、科学の分野で成功した親友のお父さんだったが、『スパイダーマン2』の敵もやはり、実験の失敗から怪物となってしまった科学者である。怪物となった科学者は、ドクター・オクトパスと呼ばれる。科学が得意なピーターは、またしても敵となったドクター・オクトパスと面識があり、最終的には、ドクター・オクトパスがパワーを増幅させる前に科学という共通点を通じて心を通い合わせたことが役に立つ。そのあたりが泣かせどころなのだ。スパイダーマンを廃業していたピーターだが、ドクター・オクトパスにさらわれてしまったMJを救出するために再び戦いに挑むことになる。しっかりとした意志を持ち、スパイダーマンに変身したピーターは、パワーの復活を実感する。ようやくスランプから立ち直ることができたのである。ピーターにとって、大切なものを再認識するためには、一度失うことが必要だったのだ。

 後半で繰り広げられるドクター・オクトパスとスパイダーマンの電車の中での戦いはドキドキハラハラの連続である。電車に乗っている人たちを救うために、スパイダーマンが全力を尽くすのだが、特定の市民を救うために、いくつもの建物を破壊してしまうシーンがあることも心に留めておきたい。大きなパワーが炸裂するときは、犠牲を伴うことも否めないということだろうか。

  『スパイダーマン2』では、MJを含む身近な人たちや一部のニューヨーク市民にピーターがスパイダーマンであることがわかってしまう。そこで私たち観客は、「ああ、ばれて良かった」と思いながら、ほっと胸を撫で下ろすのだ。何故なら、真実が明るみになることで、観客の思い描いている結末へと向かっているのがわかるからだ。

 ラストは、『スパイダーマン3』に続いて行くことを匂わせる終わり方だった。同じキャストでシリーズものの映画を撮り続けることは、すべての役者たちのスケジュールが合わなければ実現できないことだが、この終わり方からすると、既に『スパイダーマン3』の製作に向けて動き始めていたのだろうと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実は、これを書いている今、劇場で『スパイダーマン3』を観て来ました。MJは、自分自身の愛を貫くという意味で、ようやく女性として好感の持てるキャラクターに変身していました。それにしても、同じキャストで三作も撮影するのは、大変だったことと思います。『スパイダーマン3』を観て思ったことは、やはり、派遣仲間の言う通り、『スパイダーマン2』のほうが面白かったということです。『スパイダーマン3』のレビューは、ここに書くかもしれませんし、書かないかもしれません(笑)。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

« ホットヨガ(四十六回目) | トップページ | 似ている、似ていない »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18521/15169926

この記事へのトラックバック一覧です: 映画『スパイダーマン2』:

« ホットヨガ(四十六回目) | トップページ | 似ている、似ていない »