« "No Vacancy"と「カアー」 | トップページ | ベリーダンスに続く道 »

2007.05.24

映画『スパイダーマン3』

 やはり、忘れないうちに『スパイダーマン3』のレビューを書いておくことにしよう。

 まず、この映画の一番の目玉は、ピーターとハリーの友情ではなかろうか。私はしばしば、真の友情とは何かということについて考える。この映画を観て強く感じたのだが、真の友情とは、相手の態度や言葉に惑わされることなく相手の真実を見抜き、過去に築き上げた基盤を守り抜くことではないだろうか。交流を重ねて行く中で、相手の態度が急変してしまったとしても、相手を責めたりせず、変化してしまった原因を究明し、理解することの大切さを思い知らされた。つまり、原因となった部分を差し引いて相手の本質を見極める。だから、例え再び元の関係に戻ることができたとしても、相手が急変した態度を水に流して許して仲直りするのではない。最初から相手の本質を見抜いているのだ。

 もう一つの目玉は、自分との戦いだ。『スパイダーマン2』に登場した葛藤は、『スパイダーマン3』にも現れる。それは、あたかも宇宙からやって来たかのような、寄生する黒い生命体だ。私は、『蟲師(むしし)』のトコヤミを思い出した。これぞトコヤミではないか。そう思ったのである。トコヤミに打ち勝つには、強い精神力が必要だ。スパイダーマンはトコヤミに勝つ。

 考えてみると、今回の作品には目玉がいっぱいある。『ゲゲゲの鬼太郎』の目玉おやじも真っ青かもしれない。今度はMJとピーターが恋人同士になったという目玉だ。二人はようやく恋人同士になったというのに、相変わらず一筋縄では行かない関係である。今回の映画で興味深かったのは、スパイダーマンが救出した女性とスパイダーマンのキスシーンだ。それは、MJの視界に届く場所で起こるのだが、スパイダーマンが誰であるかを知っているMJとしては気が気じゃない。スパイダーマンは、そんなMJの気持ちなどおかまいなしにファンサービスをする。

 このファンサービスについて、私は少し考えた。相手がスパイダーマンではなく、自分の好きなアーチストだったとしたらどうなのだろうと。熱烈なファンならば、一緒に写真を撮って欲しいと願うのも当然のことだろう。私も好きなアーチストと並んで何度か写真を撮らせていただいたことがある。それらは私にとっての宝物だ。これは、相手が一般人ならば、ほとんど有り得ないようなシチュエーションである。しかし、有名人だからそれが成り立つ。そうした行為は、ファンにとっては特別でも、有名人にとっては日常茶飯事のサービスである。写真だけならいい。さすがにキスまではせがまないだろうが、ファンによっては、肩を組んだり、握手をお願いしたりすることもあるのではないだろうか。日常茶飯事に起こるそうした行為を、好きなアーチストと親密な関係にある女性は、どのような気持ちで見守っているのだろうか。

 映画の中でMJは言う。
「あのキスは、スパイダーマンとしてのキスなの? それとも、ピーターのキスなの?」
と。MJは更に、
「それに、あのキスは私のキスなのよ」
とも言った。おそらく、蜘蛛の糸で逆さまにぶら下がっているスパイダーマンのマスクを半分だけずらした状態でのキスのことを差しているのだと思う。自分が初めて実践したことを、他の女性に真似されてしまった悔しさも手伝っていたのだろう。正直言って私は、救出した女性にキスをせがまれたとき、スパイダーマンが二つ返事でOKしたのに驚いた。あれほどMJのことを心から想っていたピーターが、MJの見ている前で別の女性とキスをするとは思えなかったからだ。MJは、スパイダーマンとしてのキスなら容認するつもりで、ピーターに「スパイダーマンとしてのキスだったのか」と確認したのだと思う。ピーターにとって、スパイダーマンに変身することを「職業」としてとらえれば、恋人のキスシーンを目の当たりにしたMJも少しは気が楽になれるというものだろう。ファンサービスのキスの仕返しというわけではないが、このあとMJには、スパイダーマンのキスに目くじらなど立てられないような出来事が起こる。

 ピーターは、ハリーとの友情においても、MJとの恋人関係においても、いくつもの危機をクリアして行く。現実には有り得ない三人かもしれない。実際、私の中学、高校時代の友人が、この三人に近い状況にあった。MJ役の友人は、心の中ではピーター役の男性のことを想いながらも、ハリー役の男性に告白され、付き合い、そして別れた。その後、MJ役の友人は、ピーター役の男性に自分の気持ちを伝えたが、ピーター役の男性は、中学の頃からMJ役の友人のことが好きだったにもかかわらず、結局二人は結ばれなかったのだ。つまり、この三人のような関係の場合、友情を取れば、身を引かざるをえない状況にある。私の住んでいた地域は特に田舎なので、かつて自分の友人の彼女だった女性と何事もなかったかのように交際を始めるということは、なかなかできなかったようである。しかし、このあたりのところがさらりと表現されているのは、映画の中の恋愛話だからなのだろうか。

 さて、この映画の終わり方だが、『スパイダーマン2』のように、次回作を匂わせるような終わり方ではなかった。むしろ、製作側の都合で、何か区切りを付けてしまいたいような終わり方だった。実際、このシリーズはこれからも製作され続けるらしい。私も、三作を立て続けに観て、この映画の人気の秘密が少しだけわかったような気がする。

 「スパイダーマン」は、ある意味、とても良くできた映画である。前作、前々作とも、できるだけ矛盾のないように作られているし、今回のようにたくさんのストーリーを盛り込んだのは、ピーターとハリーの友情を描きたかったからだろうと思う。『スパイダーマン4』が製作されるのだとすれば、どのような展開になるのだろうか。一区切り付いているだけに、物語の繋げ方に興味がある。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 『スパイダーマン3』は、今週の火曜日のレディースディに観に行って来ました。公開されて既に三週間ほど経っているはずですが、たくさんの人たちで賑わっていました。まだまだ人気沸騰中の映画のようであります。ピーターとMJ、現実にも恋人同士であって欲しいと願うのは私だけでしょうか。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

哲学・思想[人気blogランキング]に

上記ボタンをクリックしてくださいますと、一日に一回、ランキングのポイントに加算されます。もしも毎日のように「ガンまる日記」を読んでくださっているならば、記事に共感したとき、あるいは応援してもいいと思ったとき、ポチッと押してくださると、大変うれしく思います。

|

« "No Vacancy"と「カアー」 | トップページ | ベリーダンスに続く道 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/18521/15203413

この記事へのトラックバック一覧です: 映画『スパイダーマン3』:

« "No Vacancy"と「カアー」 | トップページ | ベリーダンスに続く道 »