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2007.05.01

ベクトル

 ガンモの実家に一泊したあと、今度は私の実家へと向かった。どちらの実家もお正月以来の帰省になるのだが、ここのところ、義母の病気のことでガンモの実家に帰ることが多かったため、今回の帰省では私の実家に二泊することにした。

 ガンモにも私にも歳の離れた弟がいるのだが、どちらの弟も新しい家庭を持ち、両親とは同居せず、実家からそう遠くないところに住んでる。年寄りだけの生活では寂しいせいだろう。私たちが帰省するととても喜んでくれる。

 歩くのが好きで、毎日体重計に乗るのが楽しみだという父は、とても健康的に痩せていた。一方、母は足の痛みを抱えていた。それでも、手料理を作って私たちを精一杯もてなしてくれた。二人ともまだ六十代だが、帰省する度に年を重ねて来ているのを実感する。

 そんな父母が、私の頭にたくさんの白髪があるのを見て驚いていた。以前から白髪はたくさんあったのだが、白髪染めは子宮に負担がかかってしまうので使用を中止していたのだ。最近は、黒ゴマを多く含んだ食べ物を食べてみたり、マッサージ棒で頭皮をトントントンと叩いたりしている。それらが白髪に効果があるかどうかは定かではない。

 一泊した翌日、私たちは伊予市にあるとべ動物園に行った。小さい頃、私は家族と一緒に松山市にあった道後動物園に足を運んでいた。その頃撮影した写真も残っているはずだ。しかし、道後動物園の拡張が難しくなって来たことから、道後動物園を閉園し、一九八八年に松山と隣接している伊予市にとべ動物園を開園した。私が愛媛を離れてからの開園になっているが、とべ動物園には帰省したときに何度か足を運んでいる。

 最近、私たちは妙に動物園づいている。もともと動物園にいる動物はあまり好きではなかったのに、ホノルル動物園、北京動物園と、広い敷地で伸び伸びと生活している動物たちを見て来て、動物園を見直し始めたのだ。そして、とべ動物園にも足を運んでみようということになったのである。とべ動物園は、ホノルル動物園や北京動物園ほど広い敷地ではないが、日本にしては広い敷地の中で、動物たちが伸び伸びと生活していた。とべ動物園の様子は、以下のスライドショーに収めている。(写真に付加したコメントをご覧になりたい場合は、スライドショーの下にある吹き出しマークをクリック)

 私の実家からとべ動物園までの往復は、往路は高速道路、復路は一般道を通った。かつては私の実家から少なくとも一時間半は掛かっていた松山方面への移動も、高速道路を使えば数十分で可能になってしまう。便利になったものだ。

 四国に高速道路が開通して、もう何年になるだろうか。帰りに一般道を通ったとき、子供の頃、私の実家方面と松山を結ぶ国道十一号線がひどく混雑していたことを思い出していた。お椿さん(椿まつり)に行くのも、道後動物園に行くのも、鷹ノ子温泉に行くのも恐ろしい渋滞で、車はいっこうに進まなかったのを子供ながらに覚えている。しかし、高速道路が開通したおかげで、今では交通量が分散され、混雑がずいぶん緩和されているのである。

 四国は高速道路の開通が遅かったので、高速道路の工事を進めて行くのも、並大抵の努力ではなかったはずだ。高速道路の建設予定地に家を構えて住んでいた人たちもいたことだろう。しかし、高速道路建設のために土地を譲ってくださった方がいたおかげで、めでたく高速道路が開通し、多くの人たちにとって便利になった。

 私はずっと、誰かの苦しみの上に成り立つ喜びなど存在しないと思っていたが、もしかしたら、本当にもしかしたらなのだが、そこに住んでいた人たちが土地を譲ってくださったことへの感謝の気持ちを忘れずに、四国内を高速で移動できるようになったことに感謝していると、高速道路建設のために土地を譲ってくださった方たちにもそれが伝わり、同じ喜びとなり得るのではないかと想像した。つまり、双方が同じベクトルで喜びを感じられるのではないかと思ったわけである。それが、自分と他人を区別しないということなのではないかと思う。更にそのような喜びなら、高速道路を作った人にまで浸透するのではないだろうか。高速道路のなかった時代のことを思えば、現在のように高速で移動できることを当たり前のように思うことはできないと思った。

 とべ動物園に出掛けて行くと言って実家を出たのは十三時を回っていたというのに、広いとべ動物園をゆっくりと回り、一般道を通って帰って来てもまだ十八時頃だった。私たちは、帰りがもっと遅くなると思っていたので、予め、
「晩御飯はいらないよ」
と母に言ってから家を出て来た。十八時なら晩御飯に間に合う時間だが、急に予定を変更するのも申し訳ないので、私たちは外食することにした。しかし、一方では、実家に帰っているのに外食するなんて、ちょっと後ろめたいような気もしていた。

 帰宅してからそのことを母に言うと、
「なあんだ、外食するなら誘ってくれたら良かったのに」
と言われた。私は驚いて、
「えっ? 実家に帰ってるんだから、母の手料理を食べるのが親孝行なんじゃないの?」
と言うと、母は、
「いやいや、もう年を取って身体がしんどいから、子供が帰って来ても、外食してくれたほうが楽ちんだと、他のお母さんも言うとったよ」
と言った。私は、
「ふうん」
と言ったあと、しばらく考え込んだ。それが母の本音だとすると、私たちが親孝行だと思っていたのは、単に甘えていただけなのかもしれない。親孝行と甘えはベクトルの方向が違う。親孝行は、親に向かって行くベクトルで、甘えは自分に向かって行くベクトルだ。しかし、一度も母の手料理を食べないわけにはいかないだろう。何しろ、母は私と違って、まるで家事をするために生まれて来たような人だから。

 母が家事に一生懸命であることを褒めると、母は私に言った。
「お父さんと結婚したときに、何を食べさせてお父さんを喜ばせてあげようか、そればっかり考えていた」
と。
「へええ。そんな考えは、私の中にはないなあ」
と言うと、母は、
「私は外で働くことができんかったけんね」
と言った。その言葉には少し考えさせられた。
「みんな、自分のできることを一生懸命やって生きてるのよ」
と母は言った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 母の言葉から考えてみると、ガンモと私は、同じ役割の人間が二人いる家庭なのでしょうね。昔は、男性が外で働き、女性は家を守って来た時代でした。ということは、父親と母親の役割としてのベクトルの向きは異なっていたのですね。義母も母も、そうした典型的な時代を生き抜いて来た人たちなのだと思います。尽くすことを強いられたのではなく、尽くすことが喜びだったのでしょう。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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