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2007.05.16

映画『ハンニバル・ライジング』とガンモの怒り

 月に一度の定時退社日がやって来た。いつもは神戸店でホットヨガのレッスンを受けるのだが、今回は仕事が休みだったガンモと待ち合わせをして、神戸で映画『ハンニバル・ライジング』を観た。三宮でも上映中の映画だったのだが、定時で仕事を終えて駆けつけるのにちょうどいい時間に上映される神戸の映画館を選んだ。

 仕事を終えてガンモに電話を掛けてみると、ガンモはもう神戸まで来ていた。しかし、
「薄着で出て来たので寒い。頭にキーンと来てる」
などと言う。私はショールを持ち歩いていたので、一刻も早くガンモと合流して、そのショールでガンモの肩を温めようと思っていた。しかし、勤務先からおよそ一時間かけて神戸に着いてみると、室内でショッピングをしていたガンモは、電話で聞いたときほどは寒さを感じていなかった。早めに神戸に着いていたガンモには、どこかで夕食を済ませておいて欲しいと頼んでいた。私は、上映時間ギリギリの到着になる予定だったので、コンビニエンスストアでおにぎりを買って上映前に劇場で食べた。

 レディースデイでもなかったためか、映画館はとても空いていて、その回に上映される『ハンニバル・ライジング』を観るのは、私たちを入れて四人しかいなかった。ガンモはかつてこのシリーズの『ハンニバル』をDVDで借りて観ていたはずだった。そのときに確か、恐怖に震えながらも興奮していたと記憶していたので、私はガンモと一緒に観ようと思い、この映画の前売券を買っておいたのだ。私自身は、このシリーズの映画をまったく観ていない上に、もともとあまり好みの映画ではなかったというのに。

 ご承知のように、この映画には、人肉を食べたり、残虐な方法で人を殺すシーンが数多く登場する。ガンモはそうしたシーンに我慢がならなかったようで、映画を観終わったあと、ひどく怒っていた。
「もう、この映画、腹立った。残虐な映画、禁止!」
それに対し、私は、
「映画は映画として観なくちゃ、楽しめないよ」
と言った。

 かつての私がそうだったのだ。つい先日観た『ユー・ガット・メール』のように、映画を現実と同じ視点から観てしまい、映画の世界に自分を預けることができないでいると、置いてけぼりを食らうことになる。映画の世界に浸り切ることができずに、最後まで映画の入口付近を彷徨ってしまうのだ。映画を観るときは、図書館に入るときに大きな荷物を備え付けのコインロッカーに預けて身軽になるように、普段、大切にしている自分の価値観を映画館の入口に預けておいて、既成の価値観にとらわれることなく柔軟な態度で臨んだほうがいいのだ。

 ガンモは、この映画の中で繰り広げられる残虐なシーンにとても腹を立てていた。私は、映画をできる限り理解しよう、理解しようとして、映画の世界に自分を預けていた。すると、主人公ハンニバルの、妹ミーシャに対する強い愛を感じることができた。そう、この映画は、ハンニバルの妹ミーシャへの強い愛でできているのだ。あのような残虐な行動のどこに愛を感じるのだと思われる方も多いかもしれないが、私たちがハンニバルを理解できないのは、私たちの中に彼のような究極の体験がないことも大きいと思う。

 通常、私たちが想像する崇高な愛というものは、ありとあらゆる存在と共存し、誰も傷つけることのない愛だろう。それは多分、広がるような、しみ渡るような愛だ。一方、ハンニバルがこの映画の中で示した愛は、ミーシャに向かってのみストレートに伸びて行く愛でる。前者は愛の有効範囲が広く、後者は狭い。だから、その愛の有効範囲にいない人にはわかり辛い愛なのだと思う。

 ただ、ハンニバルの取った仕返しの行動は、あたかもミーシャのためであるかのように映ってはいても、実際は、幼い頃の自分の無力さから来る自責の念から自分自身を解放するためのものだったかもしれない。しかし、そこに絶対的な信念があったことだけは確かだ。だからこそ、ハンニバルは自分の人間としての感情に左右されることなく、心を鬼にして殺人を繰り返したわけである。

 私はこの映画を観て、これまで愛ではないと感じていたものを、一つ、愛に変えることができた。そういう意味で、私には収穫の大きい映画だったと言える。ただ、自分自身の価値観を解放した上で観ないと、ガンモのように、嫌悪感を抱いてしまうだけかもしれない。現実と映画は別もの。共感できる映画でないときは、映画の世界に自分を預けてその中で漂うくらいの余裕が欲しい。それが映画を楽しむコツなのだと私は思った。

 映画の帰りに、ガンモが寒いだろうと思い、ガンモの肩にショールを掛けようとすると、映画に対して怒っていたガンモは、
「映画を観て怒ってるから暑い!」
と言って、ショールを拒絶した。この映画に対する怒りのエネルギーが、薄着のガンモの身体を温めたようである。まさかガンモは、最初からそこまで計算した上で薄着で出て来たのだろうか。だとしたら、あっぱれである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモは、映画のシーンがあまりにも強烈過ぎて、夜、眠れなかったようです。私は、愛とは何かということについて、もう少しで何かがわかりかけているような、しかし、まだそれが何であるのか、言葉にすることがためらわれるような、奇妙な気持ちです。ヒントとして言えるのは、周波数? 出力数? そんなところです。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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