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2007年5月

2007.05.31

屋根裏部屋

 ロンドンに、想いを馳せている。だからもう少し、ロンドン行きのことを書かせて欲しい。

 ガンモがロンドンで滞在するホテルを決めたのは、ガンモの仕事が休みの水曜日のことだった。土曜日に海外ホテルの予約代行サイトに問い合わせておいたホテルの空室状況が、その日にわかったらしい。しかし、予約代行サイトからの回答は、早くも"No Vacancy"だったそうだ。別のホテルなら空きがあると言われ、少々割高になってしまうが、提示されたホテルに変更し、予約が確定したらしい。

 仕事を終えてガンモに電話を掛けたとき、ガンモからロンドンのホテルの予約が確定したことを聞いた。私は、予定よりも旅行代金がどんどん高くなっていることに腹を立て、
「もう、お仕置きするから」
と言った。どんなお仕置きかと言うと、サービス満点の床屋さんをせずに、ガンモの髪の毛を切らないでおくお仕置きだ。ガンモの髪は以前にカットしてからかなり伸びていたのだが、私は仕事の忙しさにかこつけて、
「そんな高いホテルを予約したから、しばらく髪の毛なんか切ってあげない」
と言ってすねた。そうは言うものの、ガンモが予約したホテルのことがちょっぴり気になり、
「どんなホテルなの?」
と尋ねてみた。するとガンモは、
「ホテル自体はヨーロッパの古いアパートを改造した建物で、部屋は屋根裏部屋みたいなとこだから」
と言った。ガンモは既にホテルのホームページを見て、ホテルの画像を確認していたのだ。
「屋根裏部屋?」
屋根裏部屋と聞いた途端、私の怒りは収まり、急にわくわくし始めた。ホテルの部屋が屋根裏みたいだなんて素敵じゃないだろうか。単純な私はそう思ったのである。
「屋根裏部屋、いいねえ。でも、屋根裏部屋に泊まりたいってフロントの人に頼むのに、何て言えばいいのかな?」
と私が言うと、
「チェックインするときに、ハイジの家みたいな部屋にしてくれって頼めばいいじゃん」
とガンモが言った。
「ハイジの家ねえ、わはははは」
ハイジの家と聞いて、私は干草のある部屋をイメージした。とにかく、屋根裏部屋に泊まれることを想像して、私はすっかり楽しい気分になっていたのである。

 帰りの電車の中でノートパソコンを開いて、ロンドンの屋根裏部屋のホテルを検索してみた。ガンモから口頭でホテルの名前を聞いていたのだが、覚え切れなかったので、ホテルの最寄駅の名前と屋根裏部屋というキーワードで検索した。すると、出て来る出て来る。何、何? あまりいいことが書かれていないではないか。「こんな屋根裏部屋みたいな部屋に○○ポンドも取るなんて!」というような怒りの表現ばかり目立っている。おいおい、大丈夫なのかい? 私は一気に不安になってしまった。

 電話を切る前に、
「念のため、ホテルのURLをメールで送っておいてね」
とガンモに頼んでいたのだが、そのメールが帰宅途中に届いた。私は、急いでそのサイトにアクセスしてみた。私の遅い遅いモバイル環境に、私たちが宿泊するホテルがゆっくりと表示される。そのサイトに掲載されている部屋を見て、あっと驚いた。屋根裏部屋と聞いていたが、ハイジが住んでいるような干草が用意されている部屋ではなかった。白い壁に、傾斜のある窓から光が取り込まれている、とてもおしゃれな部屋だ。おお、これはいい! フロントで「ハイジが住んでいるような部屋を借りたい」などと申し出ても、きっと通じないだろう。

 私はすっかり機嫌を直し、頭の中は屋根裏部屋のことでいっぱいになっていた。きっと私は、この屋根裏部屋の窓から通りを見下ろすことになるのだろう。本当に楽しみだ。

 去年、ハワイに出掛けたときは、ほとんど下調べもできずに旅立ってしまったので、今年は出掛ける前から少しずつロンドンのことを予習している。十七年前に訪れたときは、ヨーロッパ五カ国を回る忙しいツアーだったので、ロンドンは駆け足で通り過ぎてしまった。ほとんど記憶もない。今回はガンモと二人の個人旅行だ。私は、ロンドン行きのために手帳を一冊用意して、行きたいところ、買いたいものなどをどんどん書き込んでいる。旅先で困らないように、英語の学習も少しずつではあるが、進めている。

 楽しみなのは、私の好きなプログレッシブロックのグループに、イギリス出身のバンドが多いことだ。例えば、イエス、キング・クリムゾン、キャメル、ピンク・フロイド、ルネッサンス、ジェネシス、マリリオンなどである。私は、普段から持ち歩いているデジタルオーディオプレイヤーに、イギリス出身の彼らの音楽をたくさんセットしては繰り返し聴いている。イギリスには、ビートルズを始め、世界的に有名なバンドが多い。私は一時的にビートルズを熱心に聴いていたこともあったが、今はプログレッシブロックに落ち着いている。イギリスは、バンドが育つ国なのだろうか。

 ガンモはガンモで、イギリスのガイドブックを熱心に読んでいる。私も負けずにロンドンの調査を進めながら、せっせとノートを埋めて行こう。こうして少しずつ、ロンドン行きの準備を始めている私たちである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ハイジと言えば、以前、掲示板に書き込みをしてくださっていた方が、何かについて自分にはわからないと書いたあと、
「おじいさんもモミの木も教えてくれません」
と書いて来たことがありました。そのコメントを読んだとき、私はものすごくおかしくて、大爆笑しました。おそらく、『アルプスの少女ハイジ』のアニメの歌詞から来ていると思うのですが、このように、ひとひねりしたユーモアはいいですね。私も、何かについてわからないことがあるとき、
「おじいさんもモミの木も教えてくれないので、私にはわかりません」
と言ってみようかしら。と思いながらも、なかなかさりげなく使えないので、こうしてここに書いています。

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2007.05.30

ゲイフレンドリー

 夏休みに出掛けるロンドンの滞在先はなかなか決まらなかった。先日も書いたように、ロンドンのホテルはとても高いので、私は格安で宿泊できるユースホステルやゲストハウスなどを次々に候補に挙げていた。しかし、ガンモはそうした選択には消極的な姿勢を見せていた。ユースホステルは鍵が掛からないとか、部屋にシャワーが付いていないとか、いろいろなことを理由に挙げて来る。私がインターネットで検索して候補に挙げているのはダブルの個室なので、鍵が掛からないというようなことはないと思うし、お風呂付きは諦めたとしても、トイレが付いている部屋だってあるのだ。しかしガンモは、そうした冒険はしたくないようで、できればバス・トイレ付きの普通のホテルに泊まりたいと言うのだ。

 ガンモの職場には、イギリスに留学経験のある人がいる。その人は、いわゆる英語がペラペラで、世界を旅してはあちらこちらに友達を作り、帰国してからも、旅先で知り合った友達と互いに連絡を取り合い、再びその地を訪れるときには、友達の家に泊めてもらっているらしい。その人にユースホステルやゲストハウスのことを尋ねてみると、
「そういうところは怖いよ」
と言われたのだそうだ。そのため、ガンモは一層疑心暗鬼になっているらしい。しかし、私がインターネットで調査した限りでは、それほど怖いようなことはないと感じていた。

 先週の金曜日に病院で検診を受けたあと、映画の上映時間まで図書館でロンドン事情について調べてみた。図書館で読んだ本の中に、私が宿泊先として絞り込んでいたユースホステルのあるアールズ・コート周辺にはゲイの人たちが多いと書かれてあった。私は少し驚いた。その本の著者である男性がアールズ・コート周辺のアパート(だったと思う)を訪れたときに、トイレに入ったところ、トイレの鍵が掛からなかったそうだ。あまり気にも留めずに用を足していると、ふいにトイレのドアが開いて、後ろから男性に抱きつかれたのだそうだ。

 帰宅してからその話をガンモに聞かせると、
「アールズ・コート、禁止! 怖い」
と言った。確かに、異国の地でトイレに入ったときに、後ろからいきなり誰かに抱きつかれたら怖いだろう。しかし、それは私が候補に挙げていたユースホステルで起こった出来事ではない。私たちがアールズ・コートを訪れたからと言って、そういう出来事に遭遇するとは限らない。そう思うのは、私が女性だからだろうか。

 夏休みの訪問になるので、そろそろ本格的にホテルを予約しておかなければ選択肢がどんどん狭くなってしまうと思い、私たちは土曜日にあちらこちらのページを検索して、納得の行くホテルを洗い出していた。その中に、「ゲイフレンドリー」という記述があり、私たちは少し困惑したのだ。

 「ゲイフレンドリー」とは、文字通り、ゲイに対して好意的という意味だろう。ホテルのページに「ゲイフレンドリー」と書かれていたならば、「ゲイの方も歓迎致します」という意味にとらえて良いと思う。私たちは、この聞きなれない言葉に少々びびってしまった。「ゲイフレンドリー」という言葉から私たちが想像したのは、そのホテルに宿泊している人たちが、私たちを除いてみんなゲイであることだった。そして、寝ている間にガンモもゲイの仲間にされてしまうのでは・・・・・・。そんな勝手な想像を膨らませてしまい、そのホテルを宿泊の対象外にしてしまったのだ。

 しかし、良く考えてみれば、これは大きな偏見だったことに気が付いた。というのも、「ゲイフレンドリー」に関してインターネットで調べてみると、このようなページに辿り着いたからだ。そのページの回答には、「大概は、同性愛の人たちは同じように同性愛の人たちにしか恋愛感情のあるアプローチはしません」と書かれていた。目からウロコだった。私が図書館で調べたように、トイレの戸が開いて、後ろからいきなり抱きつかれるようなことは特例なのだろう。そしておそらく、そうした特例がゲイのイメージとして一人歩きしてしまっているのではないだろうか。

 大学時代、同じサークルに自分はゲイだとカミングアウトしている先輩がいた。先輩と言っても、私と同い年だ。私は別の大学を休学して翌年に再受験したので浪人扱いである。当時、私が所属していたのは、写真をまじめに撮る写真研究会というサークルだった。ゲイの先輩は、ライカ使いで芸術的な写真を撮る人だった。彼の住んでいた場所が私の住んでいた場所と比較的近かったので、学校帰りに一人で彼のアパートに寄せてもらったことがある。男一人、女一人、同じ部屋の中で数時間過ごしたが、何もなかった。先輩がゲイだということを知っていたので、私も構えがなかったように思う。

 結婚してから、東京の伊勢丹デパートで行われていた中古カメラ市に出掛けたときに、会場でその先輩にばったり会った。これまで中古カメラ市には何度も足を運んでいたが、大学のサークルで一緒だった人に会うのは初めてのことだった。先輩は、今でも芸術的な写真を撮り続けているのだろうかと、そのときふと思った。

 なるほど、そういうことか。私は、「ゲイフレンドリー」という言葉に慣れなくてたじろいでしまったが、ゲイという存在を思うとき、最も身近だったサークルの先輩のことを思い出せば良かったのだ。それなのに、つい最近本で読んだ、男子トイレに忍び寄り、後ろからいきなり抱きつくゲイのことを想像してしまった。そして、あたかもすべてのゲイがそうであるかのような偏見を抱いてしまった。サークルの先輩のような人が身近にいたにもかかわらず。サークルの先輩が、いきなりガンモに抱きついたりしないであろうこともわかっていたはずなのに。男女の恋愛だって、女性の同意なしに先へ先へと進められることだってある。それなのに、私が男女の恋愛を思うときは、そうしたネガティヴなイメージは排除してしまい、熱烈に愛し合う男女を思い描く。おそらく、男女の愛については、私自身が良ポジティヴな経験を重ねて来たために、常にポジティヴなイメージを引き出すことができるのだ。しかし、ゲイについては良く知らないために、本で読んだばかりのネガティヴなイメージを引き出してしまったのだろう。

 私は、同性愛に関しては偏見を持っていないつもりだったが、偏見を持たないという姿勢は、同性愛が自分とはずっと遠いところにあるときにのみ成立していたようだ。しかし、同性愛が自分の手の届くところまでやって来た途端、自分や周りの人に危害が及ぶのではないかと勝手な想像を膨らませてしまった。それだけ、同性愛を知らないということなのだろう。

 日本はまだまだ、同性愛を理解することに関して遅れを取っているらしい。言い換えれば、日本は他国に比べてオープンではないと言うことだ。イギリスのホテルの紹介ページでは「ゲイフレンドリー」という表現が使われているが、日本ではそのような表現を見たことがない。つまり、日本では、まだまだ「ゲイフレンドリー」である姿勢を公言することがためらわれる状態にあるということだ。男女の愛が大好きな私が同性愛主義者に変わることはないが、私自身もこれまでよりもっともっと偏見を捨てることができたらと思う。人と違うことの孤独なら、少しは理解しているつもりだから。

 結局私たちは、ガンモが見つけた四ツ星ホテルに滞在することになった。当初の予算よりも、ずっと割高になってしまった夏休みのロンドン旅行。そのロンドンで、まずはゲイの人たちへの偏見を取り除くプロセスを体験してみようと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「ゲイフレンドリー」という表現があることを、今回初めて知りました。思えば、歌手のエルトン・ジョンが男性パートナーと結婚されたのもイギリスでしたよね。むむむ、やはりイギリスは進んでいますね。ゲイのパートナーが見つかるだけでも凄いことなのに、長年寄り添うことができるというのも素晴らしいことだと思います。

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2007.05.29

「言っとくから」

 私たちは夫婦共働きだが、ガンモの休みが不定期なので、お互いの休みが合わないことも多い。どちらかが休みで、どちらかが仕事のときは、仕事に出掛けて行くほうが休みの相手をうらやましく思う傾向にある。例えば私が仕事でガンモが仕事のときは、
「ガンモはいいね。休みで」
などと言いながら、離れ難い感情を抑えながら仕事に出掛けて行く。一方、休みのガンモは優越感に浸っている。ガンモが休みの日はたいてい、ベッドの中から私を見送ることになる。

 私の休みは不定期ではないので、私の休みがいつなのか、ガンモもしっかり把握している。しかし、ガンモの休みはガンモにスケジュールを確認しないとわからない。以前は、オフィスに良く見られるように、我が家でもホワイトボード形式の週間カレンダーにそれぞれの予定表を書き込んでいた。磁石の名札もちゃんと作り、裏返しにすることで在宅中と外出中を色分けして切り替えられるようにしていた。

 最近はその週間カレンダーは使用しなくなり、ガンモの休みの申告は直前に口頭で行われるようになった。ガンモが私に休みを申告するときは、
「言っとくから」
と言う。「言っとくから」というのは、「(明日、休みであることを)言っとくから」なのである。何故、「言っとくから」なのかと言うと、以前、休みであることをガンモが私に伝え忘れてしまい、出勤前の私がひどく悔しがったときに、
「休みなら休みって、ちゃんと言っといてよね」
と私が言ったからだ。出勤の準備を整えて、「さあ、今日も仕事だ頑張ろう。夜にはガンモと待ち合わせて一緒に帰ろう」と思っているところへ、
「実は今日は休みなんだ」
と言われてしまうと、かなりがっくり来るものである。

 何故、そこまでがっくり来てしまうかと言うと、もちろん、自分は仕事に出掛けて行くのに、という空しさもあるが、途中の駅で待ち合わせができないことも大きいと思う。途中の駅で待ち合わせをして帰宅するほうがお互い早く顔を合わせられるというものだが、片方が家にいるとなると、家にいる人は移動量が発生しないので、働いている人だけが一生懸命移動することになる。そうなると、お互い顔を合わせる時間が遅延してしまう。それが何ともまどろこしいのだ。

 さて、新たな納品を控えて、最近めっきり残業の多くなってしまった私だが、仕事を終えてガンモに電話を掛けてみると、ガンモも残業だったようだ。しかし、雰囲気的にはガンモのほうが私よりも早く自宅近くの最寄駅に着きそうな様子だった。
「じゃあ、最寄駅で待ってるから」
とガンモは言う。
「ええ? どうして? 先に帰ってていいよ」
と言うと、
「十五分くらい待つよ」
と言ってくれた。

 結局、ガンモは自宅近くの最寄駅で私の到着をしばらく待っていてくれた。そのとき、時刻はもう二十三時前だったのだ。駅の駐輪場に着いたとき、「もしかして」と私は思った。
「ねえガンモ。もしかして、明日、休みなんでしょ?」
とガンモに尋ねてみると、ガンモは急にニヤニヤし始めた。「ばれたか」という顔をしている。どうやら図星だったようだ。
「やっぱりね。明日、休みだから余裕があるんでしょ」
と私が言うと、
「何でわかった?」
と言う。そりゃあ、十年以上も連れ添っていたらわかりますとも。私は、ガンモが自分で書いているブログに寄せていただいたコメントに返信するのを楽しみにしていることを知っている。十五分もあれば、コメントもいくつか書けるだろう。帰宅前の二十三時前という時間に、そうした時間を返上してまで駅でわざわざ私を待っていてくれたというのは、きっと時間的な余裕があると思ったのだ。ガンモは改めて、
「言っとくから」
と言った。
「言うのが遅いよ、ガンモ。私が気付かなければ、当日まで黙っておくつもりだったんでしょ」
と私が言うと、ガンモはゲラゲラと笑った。やはり、当日申告して、私を悔しがらせるつもりだったらしい。ガンモよ、そうはさせん!

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ご家庭でご主人さんの帰りを待つ主婦の方は、とても我慢強いと思います。ご主人さんだけの移動量で耐えていらっしゃるんですもの。私は、ガンモの仕事が休みでなくても、ガンモが自宅近くの客先で仕事をしているだけでもかなりがっかりします。余程、待ち合わせて帰るのが楽しいのでしょうね。そんな楽しみも、仕事が忙しくなってしまったので、しばらくお預けであります。毎日、「メシ・残業」コールをしています。掲示板のコメントなども、なかなか書けなくて申し訳ありません。週末にはお返事させていただきたいと思っています。

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2007.05.28

まるみ流手帳術

 先日、ホットヨガのレッスンのために三宮に出掛けたときに、文房具店の店先に皮製の高価なシステム手帳がリフィルのない状態でセール品として並べられていた。魅力的なA5サイズのシステム手帳から、ミニ六穴のシステム手帳まで揃っていた。書くことが大好きな私は、自分の要求にぴったり合った手帳を探すのも大好きだ。私は店先に並べられたセール品のシステム手帳を何度も手に取っては吟味した。

 驚かれるかもしれないが、私は手帳の使い勝手に関する要求が少々多い。要求が多いということは、世の中には私の要求にぴったりの手帳が数少ないことを意味している。

 まずは、サイズ。頭の中にあることをカテゴリごとにまとめたい私としては、比較的大きめの手帳を使いたい。しかし、普段、ノートパソコンも持ち歩いた上でA5サイズのシステム手帳を持ち歩くにはあまりにもかさばり過ぎるし、バイブルサイズだと逆に少し小さい。バイブルサイズで少し小さいと感じているくらいなのだから、当然、ミニ六穴タイプは私には小さ過ぎる。できれば、A5サイズとバイブルサイズの中間くらいのサイズがちょうどいい。しかし、そのようなサイズのシステム手帳はない。あるのは、ノートタイプの手帳のみだ。ノートタイプの手帳もいいのだが、ノートタイプの手帳はアドレス帳と一体になっているものも多く、毎年、アドレス帳まで一新しなければならないのが面倒である。

 次に、リング径。ほとんどのシステム手帳のリング径はせいぜい二十五ミリ程度だ。私が欲しいのは三十ミリ以上のリング径のシステム手帳だ。しかし、大きめのリング径のシステム手帳にはなかなか巡り合えない。あったとしてもひどく高価だったりする。

 私が使うシステム手帳は、高価でなくてもいいのだ。もしも動物の皮で仕上がっていることが高価になっている原因ならば、私は動物の皮製のシステム手帳など望まない。しかし、上記の条件を満たすようなシステム手帳のほとんどが立派な皮製である。だから、これらの条件のどれかで妥協するしかない。

 かつて私がシステム手帳にとことんこだわっていた頃、バイブルサイズのリフィルをあちらこちらで求め歩いていたものだった。しかし、どのリフィルも私の要求を満たしてくれるものはなく、デザイン性、罫線の大きさなどの点で、どこか物足りなかった。そのため私は「システム手帳名人」なるリフィル作成ソフトウェアを購入し、リフィルを自作していたこともあったくらいだ。自作するのをやめてしまったのは、リフィルを印刷するくらいならば、手書きよりも中身まで含めて印刷してしまったほうが便利だと思うようになったからである。ところが、実践してみると面白くない。中身まで含めて印刷してしまうことで、手帳ならではのアナログの醍醐味が失われてしまったのだ。そのため、リフィルを自作するのをやめてしまった。

 このように、例えどんな状況にあったとしても、手帳に関してはなかなか満足することができなかった。存在するものには満足できず、常にないものを求めてしまっていた。

 そんな私が、システム手帳を快適に使用できる方法を見出したことがあった。それは、オークションでFranklinCoveyの古い年度のリフィルセットを落札したときのことである。出品者の方は、セミナーか何かでその手帳とリフィルを入手されたのだが、一度も使うことなくその年度が過ぎてしまい、過去の日付が印刷された一年分のリフィルと皮製でおよそ三十ミリのリングの付いた手帳を格安で出品されていたのである。私はその方から同じものを二セット購入し、年度や月は気にせず、月の始まりの曜日だけ合わせて愛用した。例えば、今年の五月一日は火曜日だったが、落札したその手帳の中から、年度や月に関係なく、一日が火曜日で始まる月のリフィルを並べて使用していたのである。

FranklinCoveyの過去リフィル

 FranklinCoveyのリフィルは、通常のバイブルサイズよりも少し大きいので、伸び伸びと綴ることができた。しかも、ご覧のように見開きで一日分の出来事を書き込むことができるようになっている。この量は、書きたがりの私にはちょうど良い量だった。普段、持ち歩く手帳には、最低でも一日一ページは欲しいものである。もちろん、書くことが少ない日にはまったくの空白になってしまうのだが、空きが出たページは、別の日に思いついたことを書き込むページに当てていた。

 年度や月にとらわれない手帳は、日付の制度から自由になれた気がしてとても心地良かったのだが、二年近く使い続けるうちに、月の開始曜日が合わなくなってしまい、次第にシステム手帳から遠ざかってしまった。もともと、過去の日付入りの手帳をニセット購入したのだから無理もない。また同じような出物に出会えないものかと、しばらくオークションをうろついていたのだが、とうとう巡り合うことのないまま月日が流れてしまった。

 いつの間にか、私はノートタイプの手帳を愛用するようになっていた。あれだけ避けて通っていたのに、不思議なものである。ノートタイプの手帳は、ミスタードーナツのおまけでもらったり、手帳の開始月から半年を過ぎたものが格安で放出されていたりして、優れたデザイン性の手帳を容易に入手することができる。私が新しく見出したのは、月間見開きカレンダーのページを利用して、リストを作ることだ。常に書きたいことで溢れている私は、この月間見開きカレンダーに予定を書き込むなどという器用なことはできない。米粒くらいの文字を書くことができるのなら別である。このような小さい欄に、一日の出来事を書き切れるわけがないのである。

 しかし、既に過去の日付になってしまった手帳ならば、そのページをリストに変えることができる。例えば、観た映画のリスト。このリストと、ブログやホームページに綴った内容を照らし合わせながら管理して行くのだ。記事を書いたものに関しては、「済」のはんこを押して行く。月間見開きカレンダーだから、およそ三十個分のリストを作成することができる。予定を書き込むには狭過ぎるが、リストを一つだけ挙げて、終了したものに対して「済」のはんこを押して行くにはちょうどいい。また、リストになっていると、消化して行くことへの達成感がある。リストを挙げて消化して行くプロセスが実に楽しいのだ。

年間見開きカレンダーに書き込んだリスト。リストを消化すると、「済」のはんこを押している

 このように、手帳は、日付が過ぎてしまったときに自由度がぐんと高まる。月間見開きカレンダーなどというものは、月によっては、週末の枠がひどく狭く印刷されていたりする。だいたいにおいて、土日のほうが予定が多いはずなのに、週末に限って枠が狭いなんて、使う人の身になって考えられていない。そんな手帳はけしからんと思ってしまうのだが、こうしてリストとして使うことによって、すべての曜日が平べったくなり、区別がなくなるのだ。

 このような使い方を思いついたおかげで、ちょうど今の時期に売れ残り、文房具店で安売りされているノートタイプの手帳を買って来ては、カテゴリごとに分けて使用している。今のところ、私が持ち歩いている手帳は全部で四冊だ。一つはスケジュール管理用、一つは思いついたことの走り書き用、一つは映画鑑賞の管理用、一つは研究用である。「ガンまる日記」をはじめ、すべてのホームページやブログのネタは、思いついたことの走り書き用の手帳に走り書きしたものから生まれている。

 手帳を買うには、今の時期が大変お買い得だと思う。一月始まりや四月始まりの手帳が、半額どころか、三分の一以下の値段で叩き売りされているので、私のように月間見開きカレンダーを使ってリストを作りたい人にはもってこいなのだ。 

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m FranklinCoveyの過去の日付のリフィルを譲ってくださった出品者の方とは、直接取引きになりました。直接取引きとは、郵送や宅急便での発送ではなく、手渡しでの取引という意味です。出品者の方は何と、私たちが住んでいる家のすぐ近所に住む女性のところに足繁く通っている若い男性だったのです。こちらの住所を教えると、知っているというので、夜に待ち合わせて取引成立となりました。私はガンモと一緒に取引場所に向かいました。あちらもカップル、こちらもカップルでのご対面となりました。とてもさわやかなカップルでしたが、あれからもう何年も経つので、そろそろゴールインされたかもしれません。これまで何度もオークションで取引を重ねて来ましたが、もっともほのぼのできる思い出です。

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2007.05.27

映画『恋愛睡眠のすすめ』

 ガンモは早朝から仕事に出掛けて行った。昨日も書いた通り、私は三宮店でホットヨガのレッスンを受けた。レッスンを終えてからガンモに電話を掛けてみると、別の顧客のところであと一仕事残っているという。そこで私は、映画を観ようと思ったわけである。

 前売券を購入している映画は、三宮では上映されていなかった。その映画は何と、ホットヨガの神戸店のすぐ隣にある映画館で上映されていたのである。さきほど三宮店でレッスンを終えたばかりで、昨日の記事でご紹介した布製バッグの中には、汗で重くなった着替えやお風呂道具が詰まっている。その布製バッグを持って、ホットヨガの神戸店の隣にある映画館に出掛けて行くのは何だか奇妙な気がしていた。それに、三宮から神戸までは電車でわずか二駅なのだが、ホットヨガのレッスンを終えて心地良い疲れを感じていた私には、電車に乗って移動することが少し億劫に感じられた。そこで、他に何か面白そうな映画はないだろうかと思いながら、金券ショップを何気なくのぞいてみた。できれば、三宮の映画館で上映されている面白い映画の鑑賞券に出会えることを期待しながら。

 そこには、まるで私に見つけられるのを待っていたかのような鑑賞券が並べられていた。いつも読ませていただいているブログで、「面白かった、観たばかりなのにもう一度観たい」と絶賛されていた『恋愛睡眠のすすめ』の鑑賞券が千五百円で出ていたのだ。その映画は、いわゆるミニシアター系の映画館で上映されている映画である。ミニシアター系の映画館で千五百円の鑑賞券なら、まあまあではないだろうか。私は迷わずそのチケットを購入し、映画館へと向かった。

 普段、派遣会社の福利厚生サービスを利用して映画の前売券を購入していると、どうしてもメジャーな映画にばかり傾いてしまう。つまり、自分の感性を刺激されるような映画からは遠ざかり、前売券を安く購入できる映画の中から観たい映画をピックアップしてしまうのだ。それを考えると、金券ショップは少々マイナーなミニシアター系の映画館との架け橋となってくれているのかもしれない。

 足を運んだミニシアター系の映画館は、シネ・リーヴル神戸という映画館である。これまでに何度かこの映画館で上映されている映画を観たいと思ったことはあったのだが、なかなか導かれず、今回、初めて訪れることになった。ミニシアター系の映画館の特徴は、受付で鑑賞券と引き換えに座席券を発券してもらうときに、確実な座席指定が行われるわけではなく、単に整理番号が発行されるだけだということだ。受付を終えた観客は、上映の十分前にシアターの入口に集合し、整理番号順に入場して好きな席を選ぶのである。

 大きな劇場に比べると、スクリーンは比較的小さめで、キャパも小さい。それでも、静かで落ち着いた映画ファンが集まって来る。大きな劇場に足を運ぶ人たちがにぎやかな大多数派なら、ミニシアター系の映画館を好む人たちは静かな少数派と言えるのかもしれない。

 さて、肝心の映画だが、妄想癖のある男性ステファンが、同じアパートの隣の部屋に引っ越してきた女性ステファニーに恋をするのだが、思いをなかなか伝えることができずに、夢の中でその恋が成就したことを思い描いて現実逃避するという奇想天外なストーリーである。ステファンとステファニーという名前の設定もいい。まるで名前のアダムとイブみたいだ。

 スクリーンに流れて来る映像の中で、夢と現実の区別はすぐにわかる。夢のシーンの映像は、ステファンの手作りの品々が登場するからだ。例えば、ダンボールで作ったテレビカメラ、同じくダンボールで作った車など、それらのダンボール製の品々をステファンが真剣に操作しているところがとにかくおかしい。この映画の紹介用に使わせていただいた画像だって、男女が馬にまたがっているように見えるかもしれないが、良く見るとこの馬が本物の馬ではないことがおわかりいただけるだろう。馬の首元には大きなボタンが見えているはずだ。つまり、このようなユーモアが至るところに散りばめられている映画なのだ。私はあまりにおかしくて、声を立てて笑いたかったのだが、何しろミニシアター系の映画館に足を運んでいる人たちは静かで大人しい。結局、周りの大人しい雰囲気に合わせて、あまり声を立てずにひっそりと笑うことになった。

映画『恋愛睡眠のすすめ』公式サイト

 このおかしなステファン役を演じているのは、『バベル』でメキシコ人男性のサンチャゴを演じていたガエル君という俳優さんらしい。『バベル』とはまったく違うキャラクターに意外性を感じた。

 一部のレビューで、この映画は男性版『アメリ』だなどとコメントされている方もいるが、私はオドレイ・トトゥを引き合いに出すなら、『アメリ』よりも『愛してる、愛してない』を思い浮かべた。更に、オドレイ・トトゥから離れるとなると、妄想癖という視点から『ローズ・イン・タイドランド』を思い浮かべた。もちろん、『愛してる、愛してない』や『ローズ・イン・タイドランド』のような狂気の世界はこの映画にはないのだが。

 このような映画を製作することができる監督は、本当の意味で自由な表現ができる人だと思う。不自由な思想に囚われている人にはなかなか撮れない映画だ。不自由な思想とは、「こうあるべき」というがんじがらめの思想である。そして、この映画を見る人の自由度も問われる。この映画を観て面白くなかったという人は、不自由な思想に囚われている人だと思う。

 ステファンとステファニーは、イメージの世界を共有できる稀な相性として出会ったのだと思う。だからステファンは、最初はステファニーの友人ゾーイに惹かれていたはずなのに、次第にステファニーに心が傾いて行くのではないだろうか。おそらく、二人の会話を第三者が傍から観察していたとしても、到底理解できないような二人だけの世界観があると感じた。

 日本人の私から見ると、ステファニーも確実にステファンに惹かれていると思えるのに、欧米人の友人と恋人の区別は良くわからない。唇と唇を重ねるキスは恋人同士だとしても、異性の友達と家の中で二人切りでいるのに、相手の気持ちがわからないなどということが有り得るのだろうか。つまり、唇と唇を重ね合わさなくても、プラトニックな恋人同士に見えてしまうような男女の間柄が、欧米の男女には多いように思えるのだ。

 それにしても、欧米の古びたアパート暮らしにはとても憧れる。窓を見下ろせば通りが見えるような、それほど広くない部屋が好みだ。例えば、『華麗なる恋の舞台で』や『スパイダーマン3』に登場する古びたアパートは心惹かれるものがある。私が東京で住んでいたのも、とても古びたアパートだった。私がアコースティックギターの練習をしていると、向かいのビルの歯医者さんの看護婦さんがピシャリと窓を閉めた。銭湯に通う時間を節約したかったので、台所にお風呂を作った。トイレを流すときは、上から垂れている紐を引っ張って流した。そのような古いアパートには、生活感が溢れやすいのだろうか。例えそこが異国であったとしても、そのアパートに身を寄せることができれば、その街に溶け込むことが容易だからかもしれない。

 私も、ダンボールで古びたアパートを作ろうかしら。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ミニシアター系の映画館が近所にない方、ごめんなさい。この映画は、全国のミニシアター系の映画館で、順次公開されているようですね。見られない方は、どうかDVDでお楽しみくださいませ(苦笑)。ステファンみたいな妄想癖のある男性は、女性にとってどうでしょうね。ステファンというよりも、こういうファンタジー系の映画を手放しで喜べる人はいいですね。ステファニーの役をシャルロット・ゲンズブールが演じていたのですが、彼女は素の演技がとても上手ですね。彼女のような演技ができる女優さんこそ、実力のある女優さんなのでしょう。私は、彼女の『ジェイン・エア』が好きです。ミニシアター系の映画館は、格安の鑑賞券を入手し難いので、私は千円払ってシネ・リーヴル神戸の会員になりました。会員になると、毎週金曜日に千円で映画を観られるそうです。火曜日以外にも楽しみが増えてしまいました(笑)。

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2007.05.26

ホットヨガ(四十七回目/四十八回目)

 病院で検査を受けた帰り、映画館で映画を観たあと、三宮店でホットヨガのレッスンを受けた。支店によってスタンプの色が変わっていることが確信に変わりつつあったので、三宮店のスタンプの色を確認したかったのである。受けたレッスンは、七十五分のアクティヴコースだ。

 受付でロッカーの鍵を受け取るときに、三宮店のスタッフに声を掛けられた。私がレッスン用に持ち歩いているバッグが珍しかったらしい。実はこのバッグは、今年の始めに骨董ジャンボリーで購入した布製のお酒入れである。ちょうど、小学生の持つ水着入れを拡大したような形のバッグだ。購入した直後は取っ手の部分を太い紐に付け替えて持ちやすく改造しようと思っていたのだが、やはり、最初からあるがままの姿で使い続けることにした。言葉だけでは想像しにくいと思うので、思い切って画像を掲載しよう。このようなバッグを持ち歩いている人はほとんどいないので、これを持って歩いている人は非常に高い確率で私ということになってしまい、少々恥ずかしいのだが・・・・・・。

お酒入れに使われていたと思われる布製のバッグ。この中に着替えやバスタオル、お風呂道具が入っている

 受付に居たスタッフの一人が、これを持っている私に対して、
「お酒の袋ですよね?」
と声を掛けてくださったのである。私は、
「その通りです。良くご存知ですね」
と言ったのだが、考えてみると、三宮店でこのような世間話が成り立つのは珍しい。

 このバッグを持ち歩いていると、見知らぬ人から実に良く声を掛けられる。声を掛けてくださるのは、特に年配の方が多い。だから、ホットヨガのスタッフのような若い方にお酒の袋だとご指摘いただいたのは、少々驚きだった。

 さて、肝心のレッスンだが、
「お酒の袋ですよね?」
と言ってくださった方がインストラクターだった。

 レッスンの途中、外の空気を吸いたくなったのか、レッスンを受けていた人が一人、スタジオの外に出て行った。ほとんどのインストラクターが、一時的にスタジオの外に出て行く人に何も言わないのに対し、そのインストラクターは、
「また帰って来てくださいね」
と言ったのである。これまで私は、スタジオの外に出て行く人に声を掛けるインストラクターに出会ったことがなかったので、その一言がとても新鮮だった。私自身は、これまでに一度もレッスンの途中にスタジオの外に出たことはないので想像するしかないのだが、レッスンの途中にいったんスタジオの外に出るということは、スタジオの中がひどく暑いと感じていたり、トイレに行きたかったり、気分が優れなかったりするのだろう。そうした状況にある人に対し、ほとんどのインストラクターが何も声を掛けないでいるのは、スタジオの外に出て行く人の自由意思を尊重しているのだと思う。しかし、敢えて声を掛けたインストラクターは、出て行く人に声を掛けることによって、その人が再びスタジオに戻りやすくなると考えていたのだと思うのだ。自由意思を尊重して笑顔で無言のまま送り出すのも、「戻って来てくださいね」と一声掛けるのも、どちらもありだと思う。強いて言えば、前者が陰で後者が陽の態度だろうか。どちらかと言うと、私は声を掛けてくださるほうがありがたい。私自身、まだまだ言葉に頼っている部分があるのかもしれない。

 ここまでが金曜日のレッスンでの出来事である。実は、これを書いている日曜日も三宮店で同じレッスンを受けて来た。「ガンまる日記」は一日遅れで書いたあと、翌日、日付を一日分戻しているため、書いている段階で日曜日のことを綴ると未来の日記になってしまう。何故、未来の日記を書くことになってしまったかというと、原因は回数券のスタンプの画像である。金曜日のレッスンのことだけを書こうと思っていたのに、回数券のスタンプの画像に日曜日のスタンプまで含まれてしまったからである。記事だけが過去で、スタンプが未来になってしまうのでは辻褄が合わない。そこで思い切って、二回分の記事として掲載させていただくことにしたのである。

 レッスンを終えたあとに、三宮店のスタンプの色を確認してみると、水色だった。私はうれしくて小躍りした。神戸店=紫、梅田店=赤、三宮店=水色。ここに、証拠写真として再びスタンプの画像を掲載しよう。良く見てみると、既に三月十八日に三宮店のレッスンを受けたときに水色のスタンプが押されているではないか。しかし、他のスタンプの色とあまり変わらなかったので、気づかなかったようだ。ちなみに、緑のスタンプは、ある時期までの各店のスタンプの共通の色である。

三宮店のスタンプの色は水色だった

 これで、支店によって異なるスタンプが採用されたことがほぼ確定した。ついに、私の望みが叶ったのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ご紹介したお酒の布袋ですが、これと同じものを持っている人を街で見掛けても、恥ずかしいので、そっとしておいてください。なあんちゃって。骨董ジャンボリーで一つ千円に値下がりしているのを二つ買いました。もう一つは小さめの袋だったので、ホットヨガには使えそうにありません。レトロ風で気に入っているので、もう少し買っておけば良かったと後悔しています。

ところで、やはり、アクティヴコースのレッスンを受けても頭痛の症状が出なくなりました。これも裸足効果の一つかもしれません。ただ、私はレッスン後に顔からダラダラと汗が出て来るのです。顔がほてりやすいのだと思いますが、実はこうしたほてりは、「冷え」の一つなのだそうです。身体に冷えている部分があると思い、身体を温めようと頑張っているのですが、実際は上半身だけが温まっているからです。私の場合、オフィスの冷房で冷えやすくはなっていたものの、足はもともと冷たくはなかったので、やはり、お腹周りの血流が悪いために、上半身が温まりやすくなっているのかもしれません。むむむ、しかしそれならば、酸素プラスを飲むと頭痛が収まっていたのはどういうことなのでしょうか? 顔がほてることと、頭に酸素が足りなくなることは、相反する現象のようにも思えるのですが・・・・・・。謎ですね。

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2007.05.25

ベリーダンスに続く道

 半年に一度の検診のため、有給休暇を取って病院に足を運んだ。私の子宮筋腫は、二〇〇四年に発覚してからおよそ三年ほど、ずっと経過観察を継続中である。本来ならば、医師の勧める通り手術を受けるべき状況なのだろうが、私は抵抗し続けている。

 現在、通院している病院では、およそ半年ごとにエコーによる診断を受け、およそ一年ごとに子宮がん検診を受けている。子宮がん検診については、派遣会社の健康診断でも受診しているので、私は年に最大二回も子宮がん検診を受けていることになる。今回の検診では、その子宮がん検診を受けることになっていた。

 いつもはずいぶん順番待ちをすることになるというのに、今回はトイレを済ませて待合所で待っていると、すぐに検査室に呼ばれた。検査台に上がり、検査を受ける。部位が部位なだけに、あまりわくわくするような検査ではない。これまでにも何度か子宮がん検診を受けて来たが、医師によっては痛みを感じることがある。現在お世話になっている医師は、器具を扱うのが上手なのだろうか。ほとんど痛みを感じない。子宮がんは子宮体がんと子宮頸がんの二種類があることは以前にも書いた通りである。病院で行う検査も、二種類の検査を行う。それぞれのがんが発生する部分の細胞を採取しているようだ。

 その後、いつものエコーによる診断を受けた。モニターに映し出された子宮内部には、いくつもの影が映っている。私には良くわからないのだが、医師は、
「以前よりも数が増えているみたいやね」
と言った。数が多いと、エコーではわかり辛くなってしまうのだと言う。そのせいか、医師の診察もアバウトだ。エコーによる診断は、これまでに何度も受けて来たが、その度に意味がないなあと思ってしまう。筋腫の大きさや数をはっきりと特定できる確実な方法ではないからだ。

 医師は、
「以前、MRIを撮ったのはいつやったっけ?」
と私に聞いて来た。私は、
「確か二年くらい前だったと思うのですが」
と答えたのだが、実際はおよそ三年前のことだった。
「もういっぺんMRIを撮ってみたほうがええんちゃうかなあ」
と医師は言った。私は素直に、
「はい、わかりました」
と答えた。

 ここのところ、子宮筋腫があることをほとんど意識することなく生活して来た。確かにホットヨガのレッスンでお腹を下にするポーズが取りにくかったり、歩行時に違和感や痛みを感じることもないわけではなかったのだが、自分では以前と比べて何か大きな変化があるとは思っていなかったのだ。しかし、私の子宮内部のエコーを診た医師は、以前よりも筋腫の数が増えているようだと言った。私自身も自覚症状がそれほどなかったので、再びMRIを撮って明らかにしようと思ったわけである。もちろん、余程のことがない限り、相変わらず手術を受けるつもりはない。

 ただ、二ヶ月ほど前の生理がかなり長引いてしまい、一週間以上経っても鮮血が出ていた。結局、そのときは二週間以上生理が続いたのではないだろうか。そのことは医師に伝えた。それ以外はこれまでと変わりがないと、私自身は思っている。

 帰りに血液検査のための採血をして、MRIの予約を入れた。何と、「この日はいかがですか?」と打診された日は、およそ一ヶ月も先のことだった。それくらい混み合っているのだろうか。ありがたいことに、その日はレディースデイの火曜日である。有給休暇を取って映画を観るにはもってこいだ。私は、その日にMRIの検査の予約を入れ、結果のわかる数日後に再び産婦人科の受診の予約を入れて病院をあとにした。

 三年前の私ならば、大きな絶望を感じたものだったが、この三年間、子宮筋腫と付き合って来て、もうかなり慣れっこになっていた。ガンモに報告の電話を掛けたとき、ガンモも私も冷静だった。おそらくこれからも、筋腫ができたら切るしかない、私のように筋腫が多い人は子宮ごと摘出するという医学的な姿勢は変わらないのだろう。世の中は、私のように手術に抵抗し続ける女性ばかりではないので、何とかそれで成り立っている。医学的には、一度出来た筋腫は、閉経しない限り小さくはならないと言われている。だから、切ることが医師の仕事になっている。しかし、それは治療ではない。単に状況を変えるだけだ。

 女性の四人に一人は筋腫を持っていると言われているというのに、手術しか方法がないというのは、やはり納得が行かない。私はそうした代わり映えのない医学的なシステムに反抗する意味も含めて、いつか医師をギャフンと言わせるつもりであれこれ民間療法を実践して来た。しかし、これといった決め手になるような結果にはたどり着いていない。

 ただ、天然のプロゲステロンクリームは、私の筋腫の成長を遅らせていると実感している。もしも私が天然のプロゲステロンクリームを使用していなかったら、筋腫の成長はもっと早まっていたのではないかと思うのだ。おそらく私の身体は、天然のプロゲステロンクリームでプロゲステロンを補うことで、筋腫の成長を遅らせられるほどの状態に保たれているのだと思う。

 私は、お腹のあたりがいつも冷たい。これは、オフィスでトイレに立ったときも、また、ホットヨガのレッスンを受けた直後にシャワーを浴びるときも実感している。つまり、いつもそのあたりの血行が悪いということだ。だから、お腹の辺りに老廃物が溜まりやすくなっているのではないか。私自身はそう思っているのだが、お腹の血行を良くする方法が良くわからない。裸足で過ごすようになって、足が発熱したように、お腹を出すことでお腹が発熱し始めるのだろうか。となると、やはり、恥をしのんでベリーダンスをするしかないのだろうか?

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 以前もここに書いたベリーダンスですが、この度、Amazonでベリーダンスの本を二冊ほど注文してみました。二冊にしたのは、一冊では千五百円を超えなかったからなのですが(苦笑)。確かに私は、お腹のあたりがかなりもさもさしています。女性らしいくびれからはほど遠い状況であります。(^^; ベリーダンスが子宮筋腫に良いと広めてくださったのは、作家の横森理香さんです。私も去年、講演会でお会いして愛読書にサインをいただきました。そのときの講演会でも、ベリーダンスのことを話されていました。関西地区にもいろいろな教室があるようですが、私は教室に通う勇気はないので、とりあえずはDVDで実践してみます(苦笑)。

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2007.05.24

映画『スパイダーマン3』

 やはり、忘れないうちに『スパイダーマン3』のレビューを書いておくことにしよう。

 まず、この映画の一番の目玉は、ピーターとハリーの友情ではなかろうか。私はしばしば、真の友情とは何かということについて考える。この映画を観て強く感じたのだが、真の友情とは、相手の態度や言葉に惑わされることなく相手の真実を見抜き、過去に築き上げた基盤を守り抜くことではないだろうか。交流を重ねて行く中で、相手の態度が急変してしまったとしても、相手を責めたりせず、変化してしまった原因を究明し、理解することの大切さを思い知らされた。つまり、原因となった部分を差し引いて相手の本質を見極める。だから、例え再び元の関係に戻ることができたとしても、相手が急変した態度を水に流して許して仲直りするのではない。最初から相手の本質を見抜いているのだ。

 もう一つの目玉は、自分との戦いだ。『スパイダーマン2』に登場した葛藤は、『スパイダーマン3』にも現れる。それは、あたかも宇宙からやって来たかのような、寄生する黒い生命体だ。私は、『蟲師(むしし)』のトコヤミを思い出した。これぞトコヤミではないか。そう思ったのである。トコヤミに打ち勝つには、強い精神力が必要だ。スパイダーマンはトコヤミに勝つ。

 考えてみると、今回の作品には目玉がいっぱいある。『ゲゲゲの鬼太郎』の目玉おやじも真っ青かもしれない。今度はMJとピーターが恋人同士になったという目玉だ。二人はようやく恋人同士になったというのに、相変わらず一筋縄では行かない関係である。今回の映画で興味深かったのは、スパイダーマンが救出した女性とスパイダーマンのキスシーンだ。それは、MJの視界に届く場所で起こるのだが、スパイダーマンが誰であるかを知っているMJとしては気が気じゃない。スパイダーマンは、そんなMJの気持ちなどおかまいなしにファンサービスをする。

 このファンサービスについて、私は少し考えた。相手がスパイダーマンではなく、自分の好きなアーチストだったとしたらどうなのだろうと。熱烈なファンならば、一緒に写真を撮って欲しいと願うのも当然のことだろう。私も好きなアーチストと並んで何度か写真を撮らせていただいたことがある。それらは私にとっての宝物だ。これは、相手が一般人ならば、ほとんど有り得ないようなシチュエーションである。しかし、有名人だからそれが成り立つ。そうした行為は、ファンにとっては特別でも、有名人にとっては日常茶飯事のサービスである。写真だけならいい。さすがにキスまではせがまないだろうが、ファンによっては、肩を組んだり、握手をお願いしたりすることもあるのではないだろうか。日常茶飯事に起こるそうした行為を、好きなアーチストと親密な関係にある女性は、どのような気持ちで見守っているのだろうか。

 映画の中でMJは言う。
「あのキスは、スパイダーマンとしてのキスなの? それとも、ピーターのキスなの?」
と。MJは更に、
「それに、あのキスは私のキスなのよ」
とも言った。おそらく、蜘蛛の糸で逆さまにぶら下がっているスパイダーマンのマスクを半分だけずらした状態でのキスのことを差しているのだと思う。自分が初めて実践したことを、他の女性に真似されてしまった悔しさも手伝っていたのだろう。正直言って私は、救出した女性にキスをせがまれたとき、スパイダーマンが二つ返事でOKしたのに驚いた。あれほどMJのことを心から想っていたピーターが、MJの見ている前で別の女性とキスをするとは思えなかったからだ。MJは、スパイダーマンとしてのキスなら容認するつもりで、ピーターに「スパイダーマンとしてのキスだったのか」と確認したのだと思う。ピーターにとって、スパイダーマンに変身することを「職業」としてとらえれば、恋人のキスシーンを目の当たりにしたMJも少しは気が楽になれるというものだろう。ファンサービスのキスの仕返しというわけではないが、このあとMJには、スパイダーマンのキスに目くじらなど立てられないような出来事が起こる。

 ピーターは、ハリーとの友情においても、MJとの恋人関係においても、いくつもの危機をクリアして行く。現実には有り得ない三人かもしれない。実際、私の中学、高校時代の友人が、この三人に近い状況にあった。MJ役の友人は、心の中ではピーター役の男性のことを想いながらも、ハリー役の男性に告白され、付き合い、そして別れた。その後、MJ役の友人は、ピーター役の男性に自分の気持ちを伝えたが、ピーター役の男性は、中学の頃からMJ役の友人のことが好きだったにもかかわらず、結局二人は結ばれなかったのだ。つまり、この三人のような関係の場合、友情を取れば、身を引かざるをえない状況にある。私の住んでいた地域は特に田舎なので、かつて自分の友人の彼女だった女性と何事もなかったかのように交際を始めるということは、なかなかできなかったようである。しかし、このあたりのところがさらりと表現されているのは、映画の中の恋愛話だからなのだろうか。

 さて、この映画の終わり方だが、『スパイダーマン2』のように、次回作を匂わせるような終わり方ではなかった。むしろ、製作側の都合で、何か区切りを付けてしまいたいような終わり方だった。実際、このシリーズはこれからも製作され続けるらしい。私も、三作を立て続けに観て、この映画の人気の秘密が少しだけわかったような気がする。

 「スパイダーマン」は、ある意味、とても良くできた映画である。前作、前々作とも、できるだけ矛盾のないように作られているし、今回のようにたくさんのストーリーを盛り込んだのは、ピーターとハリーの友情を描きたかったからだろうと思う。『スパイダーマン4』が製作されるのだとすれば、どのような展開になるのだろうか。一区切り付いているだけに、物語の繋げ方に興味がある。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 『スパイダーマン3』は、今週の火曜日のレディースディに観に行って来ました。公開されて既に三週間ほど経っているはずですが、たくさんの人たちで賑わっていました。まだまだ人気沸騰中の映画のようであります。ピーターとMJ、現実にも恋人同士であって欲しいと願うのは私だけでしょうか。

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2007.05.23

"No Vacancy"と「カアー」

 最後に鳩の記事を書いてから既に一ヶ月以上が経過した。おそらくだが、向かいのマンションのベランダで雛が誕生したのだろう。父ちゃんと母ちゃんは、しばらくの間、代わる代わる我が家のベランダに戻って来ていたが、やがて連れ立って戻って来るようになった。私たちは、お腹を空かせているであろう父ちゃん、母ちゃんにせっせと餌を与えた。

 雛が孵ったのだとすれば、二羽揃って巣から離れているのは、雛が育って来た証拠である。母ちゃんは卵を二つ産んだはずだが、二羽とも生まれたのか、それとも一羽だけなのか、それはわからない。ただ、不思議なのは、我が家で卵を産んだわけでもないのに、我が家のベランダに卵の殻が転がっていたことだ。それを見たガンモは、
「いくら温めても孵らなかったので、卵の殻をこっちに運んで来たんじゃないの?」
と言った。そう言えば、以前も覚えのない卵の殻がベランダに転がっていたことがあった。どうやら鳩には、一定の期間内に卵が孵らなければ、卵を突付いて様子を見る習性があるようである。

 雛が孵ると、雛たちは餌を求めて大きな声でピーピーと鳴く。今のところ、私たちの家のベランダからその声は聞こえて来ない。そのため、本当に雛が孵ったのかどうかはわからない。しかし、もしも雛がすくすくと成長しているのだとすれば、そのうちに父ちゃん、母ちゃんに連れられて、目の黒い雛が我が家のベランダにやって来るに違いない。そのときを楽しみにしておこう。

 ところで、我が家のベランダは、以前よりも大変なことになっている。父ちゃん、母ちゃんに新しい巣を作ることを遠慮してもらったのも、我が家のベランダに棲み付いた鳩の数が次第に増えて来て、ひどくにぎやかになったことが原因だった。実はあれからまた増えてしまい、正直言って、右往左往している。以前は昼間に出入りしている鳩も含めると、合計八羽いると書いたのだが、実はあれから二羽増えて、昼間は九羽、夜に八羽になってしまった。ベランダに二羽増えているのを確認したガンモは、彼らに向かって
"No Vacancy."
と言った。

 新しく仲間に加わったのは、キッコロモドキに柄(がら)がそっくりのキッコロモドキモドキと、旧母ちゃん柄の鳩の二羽である。旧母ちゃん柄の鳩は父ちゃんの子供だとしても、キッコロモドキモドキは父ちゃん、母ちゃんの血縁ではないはずだ。彼らはどこからともなくやって来て、いつの間にか我が家のベランダで寝泊りするようになったのである。

 新入りの鳩たちは、最初のうちは、遠慮して地べたで寝ている。どうやら鳩社会には階級のようなものがあり、夜寝るときは、最も権力を持つ鳩が高い位置で眠る。我が家で最も権力を持つ鳩は父ちゃんなので、父ちゃんが最も高い位置で寝ている。しかし、最初は地べたで寝ていた新入りの鳩も、次第に慣れて来ると、少しずつ高い位置で寝るようになる。そして、自分のテリトリーを求めて夜中にバトルを繰り広げることが多くなった。少しでも高い位置で寝たいのか、他の鳩とテリトリーの争いになり、お互い羽を広げて激しく叩くのだ。その姿はまるでフェンシングをしているかのように激しい。

 そうしたテリトリー争いのために、夜中にあまりにも大きな音で騒ぎ立てるので、私は最近、カラスの鳴き声を真似て、
「カアー」
と、彼らに負けずに大きな声を出している。すると、それまでフェンシングの鳩パンチを繰り広げていたのが面白いくらいにピタリと止まるのだ。本当にカラスがやって来たのかどうか、じっと耳を澄ませているのだ。中には、本当にカラスがやって来たと思ったのか、夜中にバサバサと飛び立って行く鳩もいた。

 彼らに、
"No Vacancy."
と言っても通じないが、カラスの
「カアー」
は通じる。ガンモ曰く、私の声にはカラスの要素が混じっているらしい。何だそれ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 父ちゃん、母ちゃんが向かいのマンションに巣を作ったためでしょうか。父ちゃん、母ちゃんの最初の子供たちがまだ巣立ちをしていないのです。この状況で、向かいのマンションで生まれた子供が我が家にやって来たらどうなるのでしょう。私は何度もカラスに変身しなければなりません。私は、狼少年ならぬ、カラス少女でしょうか。えっ? もう少女じゃないだろうですって? はい、失礼しました。

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2007.05.22

似ている、似ていない

 ガンモが眼鏡を新調した。次第に年齢を重ねて来て、小さな文字が見えにくくなってしまったために、これまでの近視専用の眼鏡から、遠近両用眼鏡の購入に踏み切ったのである。最近では、パソコンのディスプレイに映し出された文字を追うのも困難になって来たらしい。

 ガンモはこれまでガラスレンズを好んで愛用して来たので、今回もガラスレンズにしたいと思っていたようだが、お店の方の話では、もはやガラスレンズは取り扱われなくなってしまっているのだそうだ。そのため、ガンモにとって初めてのプラスチックレンズの眼鏡となった。

 先日、仕事が休みだった日に、ガンモは新しい眼鏡を引き取りに行った。私が仕事から帰宅すると、宅配ボックスに大きな荷物が届いていた。宅配ボックスから荷物を取り出してはみたものの、一人で運ぶには重かったので、私はガンモに電話を掛けて、エレベータの前まで台車を持って迎えに来てくれるように頼んだ。エレベータに乗って、私たちの住んでいる階までやっとの思いでその荷物を運ぶと、エレベータの前で新しい眼鏡をかけたガンモが待っていてくれた。私は新しい眼鏡をかけたガンモを見ると何だかうれしくなり、エレベータの前だったにもかかわらず、ガンモに抱きついてキスをした。それは、衝動にも似た感情だった。

 ガンモの選んだフレームの色はこげ茶色で、これまで愛用していた眼鏡よりも全体的に小さめだった。しかし、耳にかかる部分は太い。ガンモにしてはかなり現代的なフレームを選んだと思う。その眼鏡をかけているガンモは、有名人の誰かに似ている。しかし、それが誰なのかわからない。そこまで出掛かっているのだが、どうしても思い出せない。

 ガンモは、同じ職場の人たちにも、
「誰かに似ている」
と言われたそうだ。でも、誰も、似ている有名人の名前を的確に挙げることはできなかったという。おそらくみんな、くしゃみが出そうになっているのになかなか出て来ないときのような、むずむずしたはがゆい気持ちを抱えているのだろう。一番最初にくしゃみを出すことができるのは誰なのだろう。

 お風呂から上がるときに、私のほうが少し早く上がり、洗面台に置いてあったガンモの新しい眼鏡を手に取ってみた。これがガンモの新しい眼鏡かと思いながら、私もそっとかけてみた。恐ろしく度が緩い。私の視力は、裸眼では0.01しかないほどの近眼なので、たいていの人がかけている眼鏡の度は緩いのだ。

 しかし、後日、コンタクトレンズを装着した状態でガンモの新しい眼鏡をかけてみると、今度は頭がクラクラした。私の視力にはまったく合わない眼鏡だが、ガンモは新しいその眼鏡で、読みにくかった文字もちゃんと読めるようになったらしい。ただ、近くのものを見るときは、おじいちゃんのように眼鏡を少し目から離して、口をへの字にして、遠くから覗き込むようにして見ている。

 つい先日、ガンモと一緒にご飯を食べに行ったときのことである。ガンモが私の耳元でこんなことをささやいた。
「スピッツのマサムネ(※私も一応、『スピッツベルゲン』の会員なので、マサムネのことを親しみを込めて呼び捨てにさせていただいている)も、こんなところでバイトしてるから」
どうやら、この店のどこかにスピッツのマサムネにそっくりの男性がいるらしい。私は店内をきょろきょろ見渡しながら、マサムネに似た男性を探してみたがどこにも見当たらない。私はガンモに、
「マサムネ? いないよ、どこ?」
と尋ねた。するとガンモは、
「目の前にいるから」
と言うではないか。「目の前? まさか・・・・・・」と思い、ゆっくりと目の前の男性に視線を移してみたのだが、マサムネには似ても似つかなかった。私は、
「全然似てないよ」
と笑いながらガンモに言った。遠近両用眼鏡を新調してからのガンモは、小さな文字は読めるようにはなったものの、文字以外のものが少し変形して見えるようになってしまったのかもしれない。それにしても、似ていなかった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m まずは皆さんに、ガンまるコムサーバがダウンしていたことについてお詫びを申し上げなければなりません。しばらくガンまるコムサーバがダウンしてしまい、申し訳ありませんでした。電気メーターの取り替えのため、およそ五分程度の停電があったのですが、その間にガンまるコムサーバが落ちてしまいました。電源が復旧しても自動的に立ち上がる設定にしていなかったため、私たちが帰宅するまでサーバがダウンしたままの状態になってしましました。アクセスしてくださった皆さんには大変ご迷惑をおかけしました。心よりお詫び申し上げます。m(__)m

ところで、最近、オフィスなどでは、紙を節約するために、一枚の紙に複数ページの文書を分割して印刷する方法が取られていますが、先日、B5の紙に二分割で印刷されたものに目を通したとき、私も目がチカチカしてしまったのでした。私も新しい眼鏡を新調すると、どんな世界が見えて来るのでしょう。いろいろな男性が正宗に見えてしまったら、ちょっと困りますね。スピッツのライブに行ったときに、本物のマサムネがマサムネでなくなってしまいますので。(苦笑)

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2007.05.21

映画『スパイダーマン2』

申し訳ありません。現在、「ガンまる日記」の画像を引き込んでいるガンまるコムサーバが停電のため、ダウンしています。停電から復旧しても自動的にサーバが立ち上がる設定になっていないため、ガンまるコムサーバの復旧までしばらくお待ちくださいますよう、お願い申し上げます。

 最近、映画のレビューを書くことが多くなっているが、映画を通して受け取ったものを自分の言葉で表現して行くプロセスがとても楽しいので、どうかお付き合いくだされば幸いである。ということで、今回は、派遣仲間に借りた『スパイダーマン2』のDVDを観た感想を書かせていただくことにしよう。

 DVDを貸してくれた派遣仲間は、ようやく『スパイダーマン3』を劇場に観に行くことができたそうだ。彼女は、
「『スパイダーマン2』のほうが面白かった」
と言う。とにかく、私が借りたDVDは面白いらしい。しかし、自分の中で映画に対する期待を勝手に膨らませておいて、映画を観終わってがっかりしてしまわないように、映画に対する期待値をできる限り低く設定して鑑賞に臨んだ。

 私は普段、あまりエンターテイメント系の映画を好んでは観ていないのだが、派遣仲間がお勧めしてくれただけあって、確かにこの映画は面白い。特に『スパイダーマン2』では、主人公のピーターが、スパイダーマンであり続けることへの葛藤と苦悩が描かれている。いっそのことスパイダーマンを廃業してしまって普通の人間に戻るか、これからもスパイダーマンとして戦い続けるかの判断に苦しんでいるのだ。大学生のピーターがなすべきことは、大学の授業にもきちんと出席した上で、アルバイトにいそしむことなのだが、スパイダーマンに変身して悪と戦っている間に、思いのほか時間が過ぎ去ってしまう。ピーターにとっては、とにかく忙しい毎日だ。しかし、ピーターがスパイダーマンであることを知らない世間にとって、ピーターは何をやってものろまな人間に映ってしまっている。やがてピーターは、大好きなMJの舞台を観に行く時間さえも確保することができなくなってしまったために、惹かれ合っているはずの二人がすれ違ってしまうのだ。ピーターのこうした葛藤や苦悩は、スパイダーマンに変身したときのパワーにも影響する。時には粘着性のある蜘蛛の糸が出なくなってしまい、ビルからまっさかさまに落ちることもあった。行き詰りを感じたピーターは、とうとうスパイダーマンを廃業してしまう。

 映画を観る人にとっては、物語が順風満帆に運んで行くよりも、こうした葛藤や苦悩が盛り込まれているほうがストーリーには引き込まれやすい。それは、主人公の進むべき道を客観的な立場から観察して知っているからだ。主人公が進むべき道から外れてしまっていることがとても残念に思えてしまうために、物語の展開が気になってスクリーンから目が離せないのだ。映画を観ている人たちは、手に汗を握りながら、主人公が進むべき道へと歩んで行くのを見届けるための、主人公の応援団になっている。

 ピーターの葛藤や苦悩は、心の問題がそのまま肉体に現れていると見ることもできるが、潜在意識に置き換えて考えることもできると思う。都合良く蜘蛛の糸が出て来て快調だった頃のピーターには、スパイダーマンでありたいという願望と自分自身の取る行動が一致していた。だから、心に思い描いたことを直ちに実現させることができていた。しかし、ピーターの中にスパイダーマンであり続けることへの葛藤が生まれたとき、果たしてスパイダーマンになることが自分の本当に望むことなのかわからなくなってしまった。だから、スパイダーマンであることを心に思い描くことができなくなってしまい、願望が達成されなくなった。つまり、潜在意識がスパイダーマンであり続けることに関してストップをかけてしまったとも考えられる。

 相変わらず良くわからなかったのは、MJの態度だ。やはり私には、同じ女性として、彼女の取っている行動が良く理解できない。恋人と男友達の区別が付きにくいのは、国民性の違いなのだろうか。あたかも自由に恋愛しているかのように見えてしまう。またしてもMJは、ピーター以外の男性と恋人関係にある。しかも、今度は結婚話まで持ち上がっているのだ。本当に好きならば貫けばいいのに、二人は妙なところで受身になってしまっている。愛するMJを巻き込みたくないばかりにMJと距離を置こうとするピーター。そんなピーターの本当の気持ちを理解できずに、新しい恋人を作ってしまうMJ。おそらくMJは、自分から愛するというよりも、愛されたい体質なのだろう。紆余曲折を経て、MJが本当の気持ちに気付くのは、物語が終わりに差し掛かった頃である。

 『スパイダーマン』の敵は、科学の分野で成功した親友のお父さんだったが、『スパイダーマン2』の敵もやはり、実験の失敗から怪物となってしまった科学者である。怪物となった科学者は、ドクター・オクトパスと呼ばれる。科学が得意なピーターは、またしても敵となったドクター・オクトパスと面識があり、最終的には、ドクター・オクトパスがパワーを増幅させる前に科学という共通点を通じて心を通い合わせたことが役に立つ。そのあたりが泣かせどころなのだ。スパイダーマンを廃業していたピーターだが、ドクター・オクトパスにさらわれてしまったMJを救出するために再び戦いに挑むことになる。しっかりとした意志を持ち、スパイダーマンに変身したピーターは、パワーの復活を実感する。ようやくスランプから立ち直ることができたのである。ピーターにとって、大切なものを再認識するためには、一度失うことが必要だったのだ。

 後半で繰り広げられるドクター・オクトパスとスパイダーマンの電車の中での戦いはドキドキハラハラの連続である。電車に乗っている人たちを救うために、スパイダーマンが全力を尽くすのだが、特定の市民を救うために、いくつもの建物を破壊してしまうシーンがあることも心に留めておきたい。大きなパワーが炸裂するときは、犠牲を伴うことも否めないということだろうか。

  『スパイダーマン2』では、MJを含む身近な人たちや一部のニューヨーク市民にピーターがスパイダーマンであることがわかってしまう。そこで私たち観客は、「ああ、ばれて良かった」と思いながら、ほっと胸を撫で下ろすのだ。何故なら、真実が明るみになることで、観客の思い描いている結末へと向かっているのがわかるからだ。

 ラストは、『スパイダーマン3』に続いて行くことを匂わせる終わり方だった。同じキャストでシリーズものの映画を撮り続けることは、すべての役者たちのスケジュールが合わなければ実現できないことだが、この終わり方からすると、既に『スパイダーマン3』の製作に向けて動き始めていたのだろうと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実は、これを書いている今、劇場で『スパイダーマン3』を観て来ました。MJは、自分自身の愛を貫くという意味で、ようやく女性として好感の持てるキャラクターに変身していました。それにしても、同じキャストで三作も撮影するのは、大変だったことと思います。『スパイダーマン3』を観て思ったことは、やはり、派遣仲間の言う通り、『スパイダーマン2』のほうが面白かったということです。『スパイダーマン3』のレビューは、ここに書くかもしれませんし、書かないかもしれません(笑)。

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2007.05.20

ホットヨガ(四十六回目)

 週末はやはり、ホットヨガに行きたい。できれば梅田店で午前中に始まるレッスンを受けたかったのだが、またしても予約を取ることができなかった。ホットヨガには、レッスン後のシャワー争奪戦のほか、梅田店における午前中のレッスン争奪戦も密かに繰り広げられているようである。やはり、休日の早い時間にレッスンを終えて、梅田でショッピングなどを楽しみたい人も多いのだろう。午前中のレッスン争奪戦に敗れてしまった私は、神戸店で午後から七十五分のアクティヴコースのレッスンを受けることにしたのである。ガンモは夕方から深夜まで仕事が入っていた。私がレッスンを終えて帰宅する頃には、ちょうどガンモが家を出て行くことになるので、入れ違いになってしまうことがちょっぴり切なかった。

 今月は、月に一度の定時退社日にガンモと一緒に映画を観に行ったので、神戸店のレッスンを受けるのは久しぶりとなった。レッスンを担当してくださる顔馴染みのインストラクターに久しぶりのごあいさつをする。日曜日の午後ということもあって、レッスンを受ける人の数は十数名程度だった。これくらいの人数がちょうどいい。更にもっと人数が少なければ、会員の皆さんとも会話を始められるのかもしれないと思う。人が十人以上集まると、誰もなかなか個人的な会話を始めようとはしないものだ。

 私が選んだヨガマットは、憧れのフリーパス会員のあの方の隣のヨガマットだった。フリーパス会員の方と私は、既に神戸店のスタジオで何度も顔を合わせているというのに、お互いにあいさつを交わさない。やはり、話を始めるきっかけが見つからないのだ。

 通常、ホットヨガのレッスンを受ける人は、一リットル以上の水を持参しているものだが、フリーパス会員のあの方は、五百ミリリットル入りのペットボトルを一本しか持参されていなかった。レッスンにレッスンを重ねた結果、必要以上に水分を補給しなくても良いように、身体を調整できているのかもしれない。さすがである。私などは、一リットル分の海洋深層水と五百ミリリットル入りの酸素プラスという二段構えで臨んでいる。海洋深層水はレッスンの最中に飲み、酸素プラスはレッスン終了後に飲んでいる。

 最近、裸族ならぬ裸足族になったおかげでオフィスの冷房も克服しつつあり、体調もいい。アクティヴコースも再び身体に馴染んで来たのか、レッスン中の息切れからもレッスン後の頭痛からも解放されつつある。心なしか、汗も以前よりたくさん出ているようである。

 七十五分のレッスンを終えてシャワーを浴びた。十数名しかいなかったため、シャワー争奪戦が繰り広げられることもなく、シャワールームはとてもゆったりとしていた。これまで主に土曜日にレッスンを受けていたが、日曜日のレッスンは比較的空いていることがわかった。

 受付にロッカーの鍵を返しに行く途中で、今回のレッスンを担当してくださったインストラクターとは別の顔なじみのインストラクターと会った。彼女と顔を合わせたのは、およそ三ヶ月ぶりではないだろうか。あまりにも久しぶりの再会に、彼女も驚いていた。神戸店では、こうしたコミュニケーションが成り立つのがうれしいのである。

 ところで、レッスンを終えて手元に返って来た回数券を開いたとき、「あっ」と思った。ホットヨガでは、レッスンを受けるごとに、回数券にスタンプを押してもらえる。私は、回数券のスタンプの色が支店によって違っていることに気がついたのだ。神戸店のスタンプの色は、これまでの緑から紫に変わっていた。確か、私がいろいろな支店に足を運んでいることが神戸店のスタッフの耳に入り、
「支店によってスタンプの色が変わったりはしないんですかね」
などと言ったときに(ホットヨガ(二十七回目)参照)、スタッフの一人が、
「では、上の者にそのように言っておきます」
と言ってくださったことがあった。もしかすると、本当に上の人に話してくださったのだろうか? ちなみに、梅田店は現在キャンペーン中だからなのかわからないが、スタンプそのものが他の支店と違っていて、赤いハートマークのスタンプだった。これはわかりやすい。一目で梅田店のスタンプだとわかる。もしも私の提案が受け入れられたのだとしたら、これからもあちらこちらの支店巡りに身が入りそうである。

すべての支店でほぼ同じ色のスタンプが押されていた旧回数券

色とりどりに変わりつつある現在の回数券。スタンプを見れば、どこの支店でレッスンを受けたかがわかるようになっている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m デジタルが主流になりつつある世の中で、スタンプというアナログのツールは味がありますね。スタンプを押す人によって、インクの色が濃かったり薄かったり、スタンプの向きがあっちを向いたりこっちを向いたり。もしも私の提案を神戸店のスタッフの方が広めてくださったのだとしたら、とても光栄であります。以前、私が絶賛していたことが京都四条通店のスタッフに伝わったことと言い、神戸店では確実なフィードバックが行われているようであります。

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2007.05.19

映画『眉山-びざん-』とガンモのリベンジ

 最近、ガンモと二人で映画を観に行くことが多くなった。ガンモが興味を持ちそうな映画の前売券を、私が派遣会社の福利厚生サービスを利用してせっせと購入しているからだ。今回は、『眉山-びざん-』を観るために明石市にあるワーナー・マイカル・シネマズ明石まで、ガンモと車で出掛けて来た。

 我が家からワーナー・マイカル・シネマズ明石までは、電車でおよそ一時間十五分くらいのところにある。高速道路を利用すると、十五分ほど短縮されておよそ一時間ほどで着く。かつて私は、その近辺で仕事をしていたことがあった。ワーナー・マイカル・シネマズ明石や隣接しているサティには、仕事帰りにしばしば足を運んだものだった。同じ敷地内にはスポーツクラブや入浴施設があり、早く仕事を終えた日にはそれらの施設を利用していたこともある。私がその近辺で仕事をしていたのは、確か一九九八年から一九九九年にかけてのことだったと思う。あれ以来、ほとんど足を運んでいないので、およそ八年振りの訪問となったわけである。さすがに八年も経つと、周辺もかなり開発が進み、それまで影も形もなかったマンションがいくつも並んでいた。

 駐車場に車を止めたあと、すぐに映画館のカウンターに出向き、発券してもらった。ワーナー・マイカル・シネマズ明石は、先日出掛けた三田(さんだ)にあるワーナー・マイカル・シネマズよりも幾分空いている。上映時間までおよそ一時間半余りあったので、私たちはしばらくショッピングを楽しんでから再び映画館に戻った。

 この映画を語るには、『眉山-びざん-』の原作者の話から始めなければならないだろう。『眉山-びざん-』の原作者は、シンガーソングライターのさだまさしさんである。ガンモはさだまさしさんのファンで、彼のレコードを何枚も持っている。一方、ファンの皆さんには申し訳ないのだが、私は彼の音楽があまり好きではない。(ファンの皆さん、ごめんなさい。あくまで、好みの問題です)。ガンモには、さだまさしさんのコンサートに行こうと何度も誘われているのだが、私はなかなか「うん」と言わずにここまで来た。しかし、
「チケットが取れたら行ってもいいよ」
とは言ってある。

 それはさておき、一年ほど前にたまたま漫画を読んでいたときに、さだまさしさん原作の『眉山』が漫画化された作品を読んだ。そのとき、あまり好みではないはずのさだまさしさん原作の物語だとというのに、不覚にも感動して泣いてしまったのである。その漫画は、前編と後編に分かれて構成されていたのだが、私が購入した漫画は古本だったため、後編を読むことができずにずっともやもやしていた。そして、数ヶ月ほど前にこの作品が映画化されることを知ったとき、前編の漫画であれだけ泣いてしまったのだから、きっと感動的な映画に仕上がっているに違いない。ガンモもさだまさしさんを好きだと言っているし、派遣会社の福利厚生サービスで前売券も格安で入手できる。よし、ガンモと一緒にこの映画を観に行こう。そう思ったわけである。

 前売券を購入したあと、ガンモに、
「さだまさしさん原作の『眉山-びざん-』を観に行くからね」
と言うと、ガンモは「眉山」という名前に反応した。ガンモはかつて、仕事の関係で徳島市に住んでいたことがあるので、徳島にある「眉山」という山を知っていた。しかし、さだまさしさんが同名の小説を発表したことは知らなかったらしい。つまりこの映画は、私が漫画の前編だけ読んで、その感動的なストーリーに引き込まれ、さだまさしさんファンのガンモが徳島にある「眉山」という山を知っているという少し中途半端な状況で観ることになったのである。

 映画を観終わった感想から言おう。率直に言うと、私は漫画を読んだときほど大きな感動には包まれなかった。しかし、私たちの席の後ろからは、鼻をすすり上げる音がいくつも聞こえていた。先日、『ハンニバル・ライジング』にガンモを誘って、ガンモをひどく怒らせてしまった私だが、私自身の手応えからすると、今度もガンモをがっかりさせてしまったのではないかと心配だった。
「どうだった? あまり泣けなかったよね?」
と私が言うと、ガンモはしばらく黙っていた。そして、ようやく口を開いたかと思うと、
「涙が何度もこぼれて、顔から垂れて来た」
と言うではないか。
「ええっ? マジ?」
と私は驚いた。ガンモは眼鏡を外して、頬を伝った涙の後を私に見せてくれた。一体どうしたというのだろう。ガンモは、
「やっぱりさだまさしは凄い」
と言う。そして、どのシーンで感動したかを、饒舌に語り始めたのだった。私がきょとんとしていると、
「まるみは何にもわかってない。映画の表面的な部分しか観てない」
と言う。

※ここからネタバレ(ここから先はしばらくネタバレが続きますので、まだこの映画をご覧になっていない方で、ご覧になる予定のある方は読み飛ばしてください。ネタバレが終了するまで、色を変えて書いておきます。)

 二人でいくつもの映画のシーンを振り返りながら、ガンモが熱く解説を加えて行く。確かに、ガンモの解説を聞いていると、私自身、見落としてしまっている箇所がいくつもあった。例えば、松島菜々子さん演じる娘の咲子が東京で自分の本当のお父さんを探すシーンで、咲子はお父さんが開業している個人病院の診察室に入って行く。もしも私がこの映画の脚本を書くなら、お父さんの住んでいる場所だけ確認して、中には入らずに立ち去るように書くだろうと思う。しかし、咲子はそこで自分の本当の父に会う。それが実現できたのは、そこが一般の家庭ではなく、個人病院だったからだとガンモは解説する。なるほど、そこまで考えられて脚本が書かれているのだとしたら素晴らしい。しかし私は、そのシーンが妙に引っかかったのだ。咲子の立場からすると、本当のお父さんがどのような人なのか、知りたい気持ちもあると同時に、知りたくない気持ち、お父さんに迷惑をかけたくない気持ちもあると思うのだ。そうした葛藤が表現されずに診察を受けているようで、私には不自然に思えてしまったのである。

 また、阿波踊りのシーンで、咲子と宮本信子さん演じるお母さんたちと、本当のお父さんである篠崎氏が対岸に立つ。これが何を意味しているかということについてガンモは、現在の二人(篠崎氏とお母さん)の距離感を示していると語った。つまり、既に目と鼻の先で顔を合わせられるような関係ではなくなってしまっているということである。そうした二人の距離感を、ガンモは対岸のシーンから読み取っていた。

 更に私には、この映画の中で不自然に思えたところがある。それは、小児科の先生と咲子の会話が、お母さんのことばかりだったことだ。確かに咲子の頭の中はお母さんの病気のことで頭がいっぱいだったかもしれない。しかし、そのような状況の中にあっても人を好きになったのだから、もっともっと好きになった相手のことを知りたいと思うのが乙女心なのではないだろうか。小児科の先生の小さい頃はどんな子供だったのかとか、二人の会話の中に、咲子のお母さんのことだけでなく、もっと小児科の先生自身にまつわる話が挿入されていても良かったのではないかと思う。そのことを私が指摘すると、ガンモは、
「そういう話は映画のストーリーとは別のところで流れているはずだから」
などと言う。ガンモの解釈は完全に原作者の肩を持っているのだった。

  もう一つ、私が不自然に感じたのは、この映画の中では、不倫のどろどろした部分が一切表現されていないところである。私には、まるで不倫の美しいところだけを書き出したストーリーのように思えてしまった。咲子のお父さんは東京で個人病院を開いているが、患者さんからとても慕われている良い医師である。そのような良い医師ならばなおさら、不倫に対する自責の念にかられてもおかしくはないはずだ。しかし、そうした二股の苦しみは、この映画の中ではほとんど表現されていない。すなわち、医師の本妻との生活がほとんど描かれていないのである。こうした葛藤や苦悩は、原作にはちゃんと存在していたのだろうか。それは原作を読んでみなければわからないが、ガンモはさだまさしさんのファンであるばかりに、映画で表現されていない部分を自分で穴埋めしていたのである。

※ネタバレおわり

 映画を観終わった感触としては、先日の『ハンニバル・ライジング』とは正反対の状況となってしまった。私たち夫婦には、しばしばこういうことが起こる。何かが一方に傾くと、すぐにもう片方に傾いて、バランスを取ろうとするのだ。平たく言えば、私たちには素早くリベンジがやって来る。

 それにしても、何故、漫画を読んだときにはあれだけ泣けたはずなのに、映画ではあまり泣けなかったのだろう。この映画では必ず泣けるはずだと身構えていたからなのだろうか。それとも、単純に相性の問題なのだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m もともと、私にはこの手のストーリーに身構えてしまう傾向があったのですが、漫画を読んだときは確かに感動したのです。しかし、「本当に好き」 ということについて、またしても考えさせられてしまいました。押したり引いたりするところで、自分の価値観と照らし合わせて考えました。更に、この映画には、献体というもう一つの大きなテーマも隠されています。献体とは、亡くなったあとに、遺体を解剖実習の学生さんたちに提供することです。自分の亡骸が、今後の医学のために役立つように、医学生を応援する形で行われているようです。

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2007.05.18

一対一の交流

 仕事帰りに同じプロジェクトの派遣仲間と一緒になった。彼女は普段、バスで通勤している上に、同じプロジェクトと言っても私と一緒に同じ仕事をしているわけではないので、帰る方向も帰る時間も別々だ。しかし、彼女がたまたま三宮で用があるというので、三宮まで電車で一緒に移動することになった。

 彼女は二十代後半で独身である。スタイルも良く美人だ。そんな彼女は、女性専用車両を好んで利用したがった。彼女曰く、電車の中で、知っている男性が隣に座るのは気にならないが、知らない男性が隣に座るのは何だか落ち着かないのだそうだ。だから、電車に乗るときはいつも女性専用車両を利用しているという。むしろ、女性専用車両のほうが苦手な私とは大違いだ。私は思わず、彼女に、
「もしかして女子高出身?」
と尋ねてみた。しかし、彼女から返って来たのは、
「ううん、バリバリの共学出身」
という私の予想に反した答えだった。

 その後、ごく自然な流れで男女の愛の話になった。私がいつもガンモと待ち合わせて帰宅していることは、既に彼女の耳にも入っていたようだった。私は、結婚してそろそろ十一年になること、今でもシングルベッドに寄り添って寝ていることなどを彼女に話して聞かせた。彼女は、男友達はたくさんいるが、彼氏と呼べる人は現在、いないと言う。彼女の中では、男友達と彼氏は別なのだそうだ。しかし、最近、結婚生活というものに憧れを感じ始めたという。

 現在、彼女は甥っ子と一緒に住んでいるという。あるとき、その甥っ子が何かいたずらをしたので、
「悪いことをしたんだから謝りなさい」
と叱ったそうだ。その場には、彼女のお母さんや他のご家族もいたらしい。彼女以外の人たちも、甥っ子に対して
「謝りなさい」
と言ったそうだが、甥っ子はちょっぴりすねていたのか、なかなか謝ろうとしなかったと言う。その後、何かのはずみに、その甥っ子が、
「ごめんなさい」
と彼女に対して素直に謝って来たのだそうだ。彼女は甥っ子が謝るその姿を見て、まるでダムが決壊したかのように泣いてしまったのだと言う。彼女は普段、ご両親の前でも泣いた顔を見せたりしていないそうだが、ちょっぴりすねていた甥っ子がようやく心を開き、謝って来たことがとてもうれしくなり、思わず泣いてしまったのだろう。そのとき、甥っ子のことがかわいくてたまらなくなり、自分も早く子供が欲しいと強く思ったのだそうだ。

 電車の中で女性専用車両を好むことと言い、結婚するよりも先に子供が欲しいと思っていることと言い、私とはまったく違う価値観を持っている彼女だったが、彼女と一対一で話をしていることがとても心地良かった。彼女との一対一の会話を通じて、決して同じ価値観を持ち合わせた者同士が話をすることが楽しいわけじゃないと実感した。一対一の会話には、相手がどこを向いているのかがはっきりとわかる分、人と密に関わることの喜びがあったのだ。

 そんな彼女に、
「私たち夫婦には秘密がないんだよね」
と言うと、こんなことを聞かれた。
「じゃあ、一人になりたいと思うことはないんですか?」

 正直、この質問には驚いた。なるほど。彼女はまだ、自分と区別がなくなってしまうような男性には出会っていないのかもしれない。もちろん私は、
「ないよ」
と答えた。そして、
「私も昔は、一人で過ごす時間が好きだったけどね」
と前置きしてから、
「夫は自分と同等の存在だから、一人になりたいとは思わないよ。でも、私たち夫婦は、休みが別々のことも多いから、自然に一人の時間が出来てるけどね。それ以上は、わざわざ一人の時間が欲しいとは思わないなあ。それに、わざわざ一人の時間が欲しくなるような相手とは、夫婦として成り立たないと思うけどなあ」
と付け加えた。

 彼女は、これまでお付き合いして来た男性に対し、言いたいことを言えずに、ネガティヴな感情をどんどん溜め込んでしまったのだそうだ。相手に対して怒りを感じても、表面的には普通に振る舞うことが出来るという。しかし、ある日突然、怒りが爆発し、破局を迎えてしまうのだそうだ。おそらく相手の男性は、彼女が何故爆発したのかわからない状態のまま、別れを受け入れることになってしまうのだろう。私は逆にそれができない。怒りを押し殺したり、喜びを隠したりすることができない。何でも顔に出てしまうのだ。その分、ネガティヴな感情を溜め込まないので、どんどん忘れることができる。

 彼女と一緒に電車に乗ってみて、様々な発見があった。オフィスで仕事以外の話をするとなると、女子トイレで話をするしかない。しかし、女子トイレで話をしていると、入れ替わり立ち代り他の人たちがやって来るので、途中で話が中断されたり、他の人のことを気遣って、より突っ込んだ話ができないことも多い。もちろん、勤務中であることも、話に熱中できない理由の一つではある。だから、電車に乗っている間にいろいろな話ができるのはとても貴重な時間だと感じた。例え相手と違う価値観であっても、一対一で話をすることはとても楽しかった。自分とは違う生き方を尊重できるのは、一対一の交流が成り立っているときなのだと実感した。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m もしもこの対話を多対多で始めていて、私と、私以外の人たちがみんな同じ意見だったとしたら、違う意見でも面白い対話ができたとは思えず、自分だけ取り残されてしまったような、ちょっぴり寂しい気持ちになっていたかもしれません。集団の持つ相性に振り回されることなく、どんなときも個人に目を向けることができれば、どんなコミュニケーションももっと円滑に運んで行くのかもしれませんね。

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2007.05.17

保守党 VS 労働党

 映画『ハンニバル・ライジング』を観て帰宅するや、私たちは再び夏休みの計画について練り始めた。ここのところ、ずっとこの調子なのである。夏休みに利用する飛行機やホテルを確保しておかなければ、何だか落ち着かないのだ。

 実は、数日前に、ガンモがロンドンまでの直行便を利用した比較的安いツアーをインターネットで見つけて問い合わせをした。ところが、旅行会社の人には、直行便は出発の一ヶ月前でなければ予約が取れないので、ひとまず別の航空会社の乗り継ぎ便で仮予約をしておいて、直行便が取れた時点で直行便に切り替える方式で良いかと尋ねられたらしい。しかも、直行便が取れず、仮押さえしておいた乗り継ぎ便の利用が確定した場合は、パンフレットに記載されている旅行代金よりも若干割高になってしまうのだそうだ。直行便のツアーに提示されている金額よりも、乗り継ぎ便を利用するほうが高くつくなんて、そんな馬鹿な話はない。直行便を確保できるかどうかもわからないのに、そのようなツアーを主催するとは何事だと、ガンモの話を聞いていた私も思った。早めに夏休みの切符を予約して安心したい私たちは、そのツアーを見送ることにした。

 そんなことがあったため、ガンモの意識はこれまでよりも一層、直行便へと向いてしまっていたようだ。直行便の予約サイトで私たちが利用する日の空席照会を行ったところ、帰りの便の空席がわずか二席しか残っていなかったのだそうだ。ガンモは、「これはえらいこっちゃ」」と思ったらしい。私に、
「帰りの便の直行便の空席が、あとニ席しか残ってない。よし、もう予約するから」
と言った。私は、
「ちょっと待ってよ、ねえ、ちょっと待ってよ」
としきりに制したのだが、ガンモは直行便が売り切れになってしまうことがとにかく怖かったらしい。私が止めるのも聞かず、とうとう購入ボタンを押してしまったのだ。そして、
「ああ、取っちゃった。これからこの切符をキャンセルする場合は、一人三万円掛かるからね」
と言った。

 正直言って、私はとても残念に思った。夏休みで航空券がひどく高い時期に、ロンドンまで直行便で行くことになろうとは思っていなかった。私は、ガンモと一緒ならば、眠い目をこすりながらも、夜中の乗り継ぎでかまわなかったのだ。そんなワイルドな旅を期待していたというのに、直行便でロンドンまで十二時間で、夕方にはロンドンに着くと言う。確かに、不慣れな土地に夜中に着いて、いくらホテルのフロントが二十四時間営業とは言え、心細いのもわかる。しかし、私たちは一人ではなく、二人で行動するのだ。

 更に、航空券の手配はガンモに任せていたとは言え、私だって、ガンモが購入した金額の半額くらいの格安航空券を販売しているサイトを見つけていたのだ。それなのに、ガンモは安心したい気持ちばかり先立って、直行便の航空券を購入してしまった。クレジットカードで決済し、既に座席指定まで終わっていると言う。ガンモとワイルドな旅ができなくなってしまい、とにかく私はがっかりだ。映画『ハンニバル・ライジング』を観た直後はガンモが怒っていたが、直行便の件で一転して私は不機嫌になった。

 私はムスッとして、せめて滞在費だけでも浮かせようと、
「ユースホステルに泊まるのでなければ、ロンドンには行かない!」
と主張した。ロンドンのホテルはあまりにも宿泊費が高いので、実は先日、ユースホステルの家族会員になったばかりなのだ。ヨーロッパはユースホステル発祥の地なので、たくさんのユースホステルがある。しかも、ユースホステルであっても、個室が用意されているところもあるので、夫婦で同じ部屋に泊まることが可能なのである。しかもうれしいことに、ユースホステルにはインターネットアクセス可能なところも多い。

 私は一生懸命、ユースホステルを推しているのだが、ガンモがなかなか首を縦に振ってくれない。ガンモは若い頃に、日本のユースホステルに何度か泊まったことがあり、ユースホステルというと、宿泊客とコミュニケーションをする場所だと思っているらしい。私は、ユースホステルにはほとんど泊まったことはないのだが、コミュニケーションが大切ならば、それでもいいじゃないかと思っている。例え英語が上手じゃなくったって、話そうとしたことが大切なのだと思う。ドイツ語やフランス語じゃない。中学から親しんでいる英語なのだ。ガンモは私よりもTOEICの点数が高いくせに、堅実な道を歩もうとする。

 そんなわけで、保守的なガンモと、自分で動こうとする私(労働党にこじつけている)が、ロンドン行きをめぐってお互いの意見をぶつけ合っているのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 撃てば響いてくださって、とても感謝しています。夏休みをもっと自由に取ることができたらいいのに、と思います。ガンモの会社は外資系なので、自分の好きなときに夏休みを取ることができるのですが、私の職場は日本の企業なので、夏休みは勤務先で決められた時期 に取ることになっています。こちらは、私のほうが保守党でしょうか(笑)。ああ、これを書いている今も、直行便のことが悔しくてなりませぬ。

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2007.05.16

映画『ハンニバル・ライジング』とガンモの怒り

 月に一度の定時退社日がやって来た。いつもは神戸店でホットヨガのレッスンを受けるのだが、今回は仕事が休みだったガンモと待ち合わせをして、神戸で映画『ハンニバル・ライジング』を観た。三宮でも上映中の映画だったのだが、定時で仕事を終えて駆けつけるのにちょうどいい時間に上映される神戸の映画館を選んだ。

 仕事を終えてガンモに電話を掛けてみると、ガンモはもう神戸まで来ていた。しかし、
「薄着で出て来たので寒い。頭にキーンと来てる」
などと言う。私はショールを持ち歩いていたので、一刻も早くガンモと合流して、そのショールでガンモの肩を温めようと思っていた。しかし、勤務先からおよそ一時間かけて神戸に着いてみると、室内でショッピングをしていたガンモは、電話で聞いたときほどは寒さを感じていなかった。早めに神戸に着いていたガンモには、どこかで夕食を済ませておいて欲しいと頼んでいた。私は、上映時間ギリギリの到着になる予定だったので、コンビニエンスストアでおにぎりを買って上映前に劇場で食べた。

 レディースデイでもなかったためか、映画館はとても空いていて、その回に上映される『ハンニバル・ライジング』を観るのは、私たちを入れて四人しかいなかった。ガンモはかつてこのシリーズの『ハンニバル』をDVDで借りて観ていたはずだった。そのときに確か、恐怖に震えながらも興奮していたと記憶していたので、私はガンモと一緒に観ようと思い、この映画の前売券を買っておいたのだ。私自身は、このシリーズの映画をまったく観ていない上に、もともとあまり好みの映画ではなかったというのに。

 ご承知のように、この映画には、人肉を食べたり、残虐な方法で人を殺すシーンが数多く登場する。ガンモはそうしたシーンに我慢がならなかったようで、映画を観終わったあと、ひどく怒っていた。
「もう、この映画、腹立った。残虐な映画、禁止!」
それに対し、私は、
「映画は映画として観なくちゃ、楽しめないよ」
と言った。

 かつての私がそうだったのだ。つい先日観た『ユー・ガット・メール』のように、映画を現実と同じ視点から観てしまい、映画の世界に自分を預けることができないでいると、置いてけぼりを食らうことになる。映画の世界に浸り切ることができずに、最後まで映画の入口付近を彷徨ってしまうのだ。映画を観るときは、図書館に入るときに大きな荷物を備え付けのコインロッカーに預けて身軽になるように、普段、大切にしている自分の価値観を映画館の入口に預けておいて、既成の価値観にとらわれることなく柔軟な態度で臨んだほうがいいのだ。

 ガンモは、この映画の中で繰り広げられる残虐なシーンにとても腹を立てていた。私は、映画をできる限り理解しよう、理解しようとして、映画の世界に自分を預けていた。すると、主人公ハンニバルの、妹ミーシャに対する強い愛を感じることができた。そう、この映画は、ハンニバルの妹ミーシャへの強い愛でできているのだ。あのような残虐な行動のどこに愛を感じるのだと思われる方も多いかもしれないが、私たちがハンニバルを理解できないのは、私たちの中に彼のような究極の体験がないことも大きいと思う。

 通常、私たちが想像する崇高な愛というものは、ありとあらゆる存在と共存し、誰も傷つけることのない愛だろう。それは多分、広がるような、しみ渡るような愛だ。一方、ハンニバルがこの映画の中で示した愛は、ミーシャに向かってのみストレートに伸びて行く愛でる。前者は愛の有効範囲が広く、後者は狭い。だから、その愛の有効範囲にいない人にはわかり辛い愛なのだと思う。

 ただ、ハンニバルの取った仕返しの行動は、あたかもミーシャのためであるかのように映ってはいても、実際は、幼い頃の自分の無力さから来る自責の念から自分自身を解放するためのものだったかもしれない。しかし、そこに絶対的な信念があったことだけは確かだ。だからこそ、ハンニバルは自分の人間としての感情に左右されることなく、心を鬼にして殺人を繰り返したわけである。

 私はこの映画を観て、これまで愛ではないと感じていたものを、一つ、愛に変えることができた。そういう意味で、私には収穫の大きい映画だったと言える。ただ、自分自身の価値観を解放した上で観ないと、ガンモのように、嫌悪感を抱いてしまうだけかもしれない。現実と映画は別もの。共感できる映画でないときは、映画の世界に自分を預けてその中で漂うくらいの余裕が欲しい。それが映画を楽しむコツなのだと私は思った。

 映画の帰りに、ガンモが寒いだろうと思い、ガンモの肩にショールを掛けようとすると、映画に対して怒っていたガンモは、
「映画を観て怒ってるから暑い!」
と言って、ショールを拒絶した。この映画に対する怒りのエネルギーが、薄着のガンモの身体を温めたようである。まさかガンモは、最初からそこまで計算した上で薄着で出て来たのだろうか。だとしたら、あっぱれである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ガンモは、映画のシーンがあまりにも強烈過ぎて、夜、眠れなかったようです。私は、愛とは何かということについて、もう少しで何かがわかりかけているような、しかし、まだそれが何であるのか、言葉にすることがためらわれるような、奇妙な気持ちです。ヒントとして言えるのは、周波数? 出力数? そんなところです。

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2007.05.15

毒だし報告

 朝、起きてみると、いつもとは違う感覚に包まれていた。風邪でもないのに左の鼻から鼻水が垂れている。「何だ、この鼻水は?」と思いながら、垂れた鼻水に手をやってみると、いきなり赤いものが手を染めた。鼻血だ。私は慌ててガンモを起こした。
「ガ、ガンモ、私、鼻血が出てるよね?」
ガンモも驚いて起き上がり、私の鼻から垂れているものを確認すると、ティッシュを取ってくれた。一体どうしたというのだろう。こんなふうにタラタラと鼻血が出るなんて、数年振りのことではないだろうか。ティッシュで丁寧にふき取ったものの、鼻血は少しの間、流れ続けていた。

 私は、ひとまずティッシュを鼻に詰めて、思案した。まさか、このまま電車に乗って仕事に出掛けて行くのだろうか? 仕事に出掛けて行ったとしても、鼻血が止まらなければ仕事にも集中できないだろう。いっそのこと休んでしまおう。いやいや、休むにしては仕事が忙しい。そこで私は勤務先にメールを送って午前中だけ休みを申請し、午後から出勤することにしたのだった。

 数年ぶりに鼻血が出た原因として真っ先に頭に浮かんだのは、およそ一週間ほど前から飲み始めた毒だしホットジュースのことだった。毒だしホットジュースは、普段、便秘気味の人には大変効果のある健康法らしく、始めた人の中には一日に二回以上の便通がある人もいるようだ。私はもともと便秘気味ではないので、便通に関しては目に見える効果は現れていない。ただ、オリゴ糖のおかげで満腹感が継続するためか、ずいぶん小食になったようだ。夕飯を減らせる傾向にあるので、食べない分、むしろ便通が衰えてしまったくらいである。

 それではかえって逆効果だと思い、毒だし脂肪燃焼スープなるものにもチャレンジしてみた。夕食に何も食べたくなくなるほど満腹感が持続することもあるので、同じ食べるなら、毒だし効果を増強してくれる食べ物にしたいと思ったのだ。

 毒だし脂肪燃焼スープは、指定された六種類の野菜を適当に切って煮込むだけの簡単な野菜スープだ。実際に作ってみると、思いのほかおいしい。もしかすると鼻血が出たのは、毒だし脂肪燃焼スープを飲み始めた翌日のことだったのである。もしかすると、毒だしホットジュース毒だし脂肪燃焼スープの組み合わせで、毒だし効果が増強され過ぎたのかもしれない。

 鼻血はほどなくして止まった。不思議なことに、以前よりも鼻の通りが良くなっていた。私の鼻は、小さい頃から左の鼻だけが詰まり易かった。鼻の骨の一部が、詰まり易いように曲がっているらしい。しかし、鼻血が出たあとは、とてもすっきりしていたのである。鼻に毒でも溜まっていたのだろうか? とにかく、鼻血が出たことは、毒だしと何か関係がありそうだ。

 ところで、毒だしホットジュースだが、毎朝、一リットル作り、コップ一杯飲んだあと、ステンレスボトルに入れて職場にも持参している。市販されているしょうが湯に近い味でとても飲みやすい。これを食前に飲んでいるだけだ。ホットジュースにしたのは、以前、整体師さんから温かい飲み物を取るようにアドバイスいただいたからである。それまでの私は、冷たい飲み物ばかり好んで、身体を冷やし過ぎていたのである。

 ステンレスボトルは、裸のまま持って行くとすぐに中身が冷えてしまうので、百円ショップでステンレスボトルを包み込めるような保温ケースを購入した。もともとしょうが湯は好きなので、飽きずに毎日続いている。何よりも、簡単に作れるのがいい。肝心のダイエットのほうだが、飲み始めてわずか一週間足らずで体重が一キログラム落ちた。気のせいか、お腹の贅肉を落としてくれているようである。毒だしホットジュースには、私が実践しているしょうが湯ベースのものと、ペパーミント&レモンベースのものと二種類ある。しょうが湯ベースで効果が上がらなければ、ペパーミント&レモンベースに切り替えてみようと思っている。

 飲み始めてしばらく続いていた眠気だが、ようやく身体が慣れて来たのか、飲み続けても眠気を感じることはなくなった。おそらく眠気は好転反応で、温泉療法で言うところの湯あたりのようなものだったのかもしれない。

 まだ始めて一週間程度だが、一週間に一キログラム体重が落ちるとなると、月に四キロ、一年続けば四十八キログラムも体重が落ちてしまう。「まるみさん」と声を掛けられても、かぼそい声でしか返事ができなくなってしまうかもしれない。さすがにそれはないか。先日、実家に帰ったときに、健康的に痩せた父の姿を見たが、痩せ始めるとダイエットは楽しいらしい。私も毎日体重計に乗って、昨年末にもらい過ぎた卓上カレンダーに体重を書き込んでいる。確かに、体重が減って行くのは楽しい。食べたいものを我慢するのではなく、自然に小食になるダイエットはとても楽チンだ。

 鼻血が出た次の日も、毒だしホットジュース毒だし脂肪燃焼スープを組み合わせてみたのだが、鼻血は出なかった。今度はいつ出るのだろう。

Amazonへのリンク

毒だしホットジュース
毒だし脂肪燃焼スープ

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 鼻血が出た原因は、正確にはわかりません。出たのは一度だけで、あれから出ていません。もしも私と同じ道を歩んでみようと思われる方は、どうか鼻血に注意してくださいませ(苦笑)。毒だし脂肪燃焼スープは、作り置きもできるので、これまた楽チンです。今回のチャレンジで、これまで購入したことのないシナモンやオリゴ糖をスーパーで買い揃えました。バニラ・エッセンスも昔、お菓子を作っていた頃は使ったことがあったのですが、開け方がわからず、先端を歯でちぎってしまいました。ハサミでカットするには、先端にあまりにも突起がなさ過ぎると思いました。バニラエッセンスの正しい開け方は、それで正解なのでしょうか?

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2007.05.14

映画『ユー・ガット・メール』

 今回のような旧作DVD半額レンタルキャンペーンはとてもありがたい。しかし、実際にレンタルDVDショップに足を運んでみると、三つのパターンで悩んでしまう。一つ、劇場で観て面白かった新作DVD(今回のキャンペーンでは半額にならない)も借りたい。二つ、劇場で観て面白かった旧作DVDを借りたい。三つ、まだ観ていない旧作DVDを借りたい。特に、一つ目と二つ目は、ガンモと一緒に観ていない映画に関してそう思う。面白い映画だったので、ガンモにも紹介したいのだ。しかし、半額にならない新作は何とか我慢できても、旧作となると迷う。まだ観ていない旧作を選ぶか、既に観た旧作を選ぶか。はてさて、どちら?

 結局、今回のキャンペーンでは、二つのレンタルDVDショップで、まだ観ていない旧作DVDを複数レンタルすることになった。会員証が全国共通なので、そのようなレンタルの仕方も可能なのだ。

 ところで、今回の旧作DVD半額レンタルキャンペーンでは、レンタルするときに半額クーポンを提示することが半額の条件になっている。レジに並んでいるときに他の人たちの様子をうかがっていると、私以外の人はみんな携帯電話を提示していた。私は普段、ノートパソコンを持ち歩いているため、携帯電話のWeb機能をほとんど使っていない。だから、パソコンからプリントアウトしたクーポン券を紙で提示した。しかし、携帯電話と紙を比べると、紙のほうが原始的な存在に思えてしまった。ノートパソコンよりも小さいPDAを持ち歩いていた頃は、クーポン画面をブラウザで開いて提示したこともある。携帯電話の画面に対抗しようと思ったら、PDAを使うしかない。別に、こんなことで対抗する必要もないのだが。

 さて、こうした旧作DVD半額キャンペーンを利用していくつか借りて来たDVDの中で、今回は『ユー・ガット・メール』にスポットを当ててみようと思う。

 この映画が好きという人は多いのではないだろうか。メグ・ライアンとトム・ハンクス主演のあまりにも有名な映画で、公開当時、大ブレークしたことも覚えているのだが、実は私はまだ観ていなかった。しかし、少し前に、「この映画が好き」と宣言している方のブログを拝見して以来、この映画のことがずっと気にかかっていたのだ。かつて二人が共演した『めぐり遭えたら』は、劇場で観ている。そのとき、監督・脚本を手掛けたノーラ・エフロンが、この映画においても監督・脚本を担当している。ノーラ・エフロンと言えば、『恋人たちの予感』の脚本も書いている。確か、『恋人たちの予感』には、ひどく泣かされた記憶がある。

 ご存知の通り、この映画はインターネットのチャットで出会った二人がメールを交わすようになった上に現実にも出会い、オンとオフの狭間ですったもんだしながらも、最終的には結ばれるというものだ。私自身、ガンモとの出会いがパソコン通信だったので、どうしても自分と同じ視点で観てしまう。そのせいか、ついついレビューも辛口になってしまう。単刀直入に言ってしまうと、この映画には最初からどこか引っかかるものがあるのだ。

 まず、メグ・ライアン演じるキャスリーンにも、トム・ハンクス演じるジョーにも、同棲している恋人がいる。映画の中では、同棲している恋人の目を盗んでメールを交換しているような展開になっている。ここでまず、何故? と思う。同棲するほどの間柄なのに、何故、メールのやりとりをしている異性がいることを隠すのだろうと、単純に不思議に思ってしまうのである。相手が例え異性であっても、メールの交換をしている相手がいることを同棲相手に話せばいいのではないだろうか。相手がこんなこと言った、あんなこと言ったという情報についても、共有すればいいのにと思う。映画の中では、キャスリーンもジョーも、互いの同棲相手が不在のときにメールをチェックしている。異性とメールのやりとりをしていることを同棲相手に秘密にしなければならないということが判明した時点で、私の中では何となくダークなイメージが広がってしまったのだった。

 もう一つ、引っかかった点がある。それは、交わしているメールの内容が、日常会話に過ぎないということだ。映画の設定では、何でも話し合える間柄ということらしいが、それにしてはメールの内容がいまひとつピンと来ない。ネットで知り合った者同士にとって、リアルにおける交流が始まる前に交わされる言葉というのは、お互いの魂に強く響くようなやりとりが展開されるのではないかと私自身は思っている。そのやりとりの中には、他の人とは達成し得なかった、お互いにしかわからない暗号のようなものが隠されているはずなのだ。お互いに、その暗号を解くことができたからこそ、大多数の人が同時に出会えるネットの中で、「この人だ!」と思えるのだと思う。ひとたびその暗号を解いてしまうと、お互いに話し出したら止まらない。そうした描写が、この映画には足りていないと思った。

 映画の中で面白いのは、この二人がリアルでも出会うという点だ。しかも、リアルの世界では互いに敵対し合っている。果たして、オンのときに抱く感情が真実なのか、それとも、オフのときに抱く感情が真実なのか。映画を観ている私たちはドキドキハラハラする。しかし、当の映画の登場人物たちは、途中までオフでも出会っている相手だということを知らない。キャスリーンに至っては、物語の終わりまで気付かない。

 この映画の中で最も重要なのは、これまで敵対していた二人が次第に友情を育んで行くシーンだと思う。そう、物語がほとんど終わりに差し掛かろうとしている頃だ。多くの時間を共有する中で、次第にオフで会っている二人の中に恋心が芽生え始めているのが手に取るようにわかる。しかも、かつての同棲相手には明かせなかった、メールを交わしている異性がいることまで、キャスリーンはジョーに話す。おかしなことに、その相手はジョー自身のことなのだが。その時点で、かつての同棲相手に対してはオープンに出来なかった交流が達成されているわけである。だからもう、メールのやりとりをしている異性とは顔を合わせなくても良い。キャスリーンのそんな満足感が表現されたあとに、ジョーの正体がわかっても良かったのではないかと思う。

 おそらく、脚本を書いたノーラ・エフロンは、軽いタッチで、しかも一筋縄では行かない恋愛物語の脚本を書きたかったのだろう。もしも私がこの映画の脚本を手掛けるならば、もう少しシリアスなタッチに変えた上で、二人がメールで交わす言葉を宙に投げ、暗号を解読できる鍵を持った二人だけがお互いの真実を受け取れるように描きたい。

 それにしても、『恋人たちの予感』と言い、メグ・ライアンは、ノーラ・エフロンが脚本を手掛けた、反発する女性の役を演じるのがうまい。彼女は、ノーラ・エフロンの脚本に応えられる、ぴったりの女優さんだと思う。特に、怒った姿がかわいい女優さんにはなかなか出会えないので、彼女の存在はとても貴重だと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「この映画が好き!」という方、ちょっと辛口のレビューを書いてしまってごめんなさい。m(__)m 自分自身の経験上、どうしても、こうした題材に対しては厳しい目で観てしまうようです。こうした交流には、言葉のキャッチボールを続けて行くことに喜びを感じる、二人にとっての「魔法の言葉」のようなものがあるはずだと思うのです。映画を観ながら、一生懸命それを探していましたが、とうとう見つかりませんでした。その部分の描写が少し物足りないと感じてしまったのですが、オフで出会ったときのハラハラドキドキの展開は良かったです。映画を観終わると、愛も憎しみも隣り合わせだという感想を抱くのですが、ツインソウル的な関わりとは違うように思いました。それと、この映画を観ていて思ったのですが、本当に嫌いな人に対しては、無視したり、言いたいことが言えなかったりするように思います。キャスリーンはジョーに対し、心の中で思っているネガティヴなままの感情をフィルターをかけずにぶちまけました。そうした行為は、本当に嫌いな人に対してはできない行為だと思いました。そう考えると、キャスリーンとジョーの間にあった敵対心も、最初から気になる存在として、相手をもっと知りたい気持ちがあったからかもしれませんね。

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2007.05.13

ホットヨガ(四十五回目)

 ガンモは朝から仕事に出掛けて行った。一方、私は梅田店でのホットヨガのレッスンを予約していた。ここのところ、九十分のベーシックコースのレッスンを受けてとても調子が良かった私だが、今回は再び七十五分のアクティヴコースに挑戦することになった。というのも、せっかくの休日なので、できれば午前中のうちに九十分のベーシックコースのレッスンを受けたいと思っていたのだが、私が足を伸ばせるどこの支店も、早い時間のレッスンは既に予約がいっぱいか、夕方からのスケジュールが組まれていたからだ。そこで、午前中から始まる七十五分のアクティヴコースに切り替えて、梅田店でレッスンを受けることにしたわけである。

 支度を整えて玄関の外に出たものの、ホットヨガ用に持ち歩いているバッグの中身がいつもより少し余裕があるような気がしていた。しかし、私はとても急いでいたので、バッグの中身を確認せずにそのまま自転車に乗って出掛けてしまった。

 梅田店に着き、着替えを済ませてスタジオに入ってみると、十数人の女性会員の中に男性会員が二人待機していた。一人は単独で参加されている方で、もう一人は女性会員と一緒にカップルで参加されている方だ。確か、カップルのほうは、私が初めて梅田店でレッスンを受けたときにも顔を合わせた方だ。私はそのカップルを見ながら、ガンモと一緒にホットヨガのレッスンを受けている姿を想像した。バランスのポーズのときに片足でヨロヨロ立っているガンモの姿が目に浮かぶ。ガンモは、私がホットヨガのレッスン用に購入したリラックスウェアのズボンを次々に自分のものにしてしまい、
「俺んだから」
と言って返してくれない。それなのに、私が梅田店は男性会員も受け入れているからと、ホットヨガのレッスンに誘っても、
「ホットヨガには行かない」
などと生意気なことを言うのだ。私のホットヨガ用のズボンを好んで履いているので、ガンモもホットヨガに行きたがっているのかと言うとそうではない。単に私の買って来たズボンがリラックスウェアとして気に入っただけだ。ガンモがなかなかホットヨガに傾かないのは、ホットヨガを始めた私がまだそれほど痩せていないからということらしい。

 スタジオ内を見渡すと、六十代くらいの女性がいらっしゃった。先日、同じ梅田店のレッスンで有閑マダムと思われる方たちにお会いしたが、その方たちよりも明らかに年上だ。おそらく、私がこれまでに出会った女性会員の中で最年長だろう。見ると、隣の若い女性と話をしている。若い女性から、
「お母さん」
という響きが聞こえて来たので、驚いたことに、どうやら親子でホットヨガに参加されているようだ。梅田店は、親しい人たちと一緒に参加したくなる支店なのかもしれない。

 久しぶりに受けた七十五分のアクティヴコースは、息が荒くなることもなく、自分のペースを守り続けることができた。また、スタジオ内をひどく暑いと感じることもなかった。今回は特に、息が切れるようなポーズはなかったように思う。とりわけ、いつも苦しいと感じてしまうドッグポーズがなかったのは大きい。同じ七十五分のアクティヴコースでも、どのようなレッスンを行うかは、インストラクターによって違って来る。そう言えば、レッスン開始前にインストラクターが、
「七十五分のアクティヴコースが初めてという方、いらっしゃいますか??」
と尋ねたところ、数人の人が手を挙げていた。もしかすると、アクティヴコースのレッスンを初めて受ける方たちのことを考慮して、インストラクターが比較的緩めのポーズを選んでくださったのかもしれない。

 いつものように最後までレッスンを受けたあと、ゆっくりとシャワーを浴びた。梅田店のシャワールームには十分な数のシャワーが用意されているので、レッスン後にシャワー争奪戦がくり広げられることもない。さて、バスタオルで身体を拭いて、衣服を身に付けようとしたところで私は青ざめた。下着の替えはちゃんと持って来ていた。しかし、Tシャツの替えを忘れてしまったことに気がついたのである。

 かつて私は、替えのズボンを忘れてまるみ軒というショートショートまで書いてしまった。あのときは、自宅からリラックスウェアのズボンを履いて電車に乗り、そのままレッスンを受けた。シャワーを浴びて、さてズボンを履こうと思ったときに、リラックスウェアのズボンしか持って来ていないことに気がついたのだった。しかし、そのズボンはレッスンでびちょびちょになってしまった。あのとき私は、持ち合わせていた二枚のショールをしっかりと下半身に巻きつけて三宮のセンター街を恐る恐る歩いたのだった。あのようなピンチも何とか切り抜けた私だ。ピンチを切り抜けるには自信がある。

 今回は、自宅から着て来たTシャツでレッスンに臨み、シャワーを浴びたあと、別のTシャツに着替える予定だったのだが、替えのTシャツを忘れてしまったのだ。はてさて、どうしよう。とりあえず、Tシャツの代わりにバスタオルでも胸に巻いて、その上にジャケットを羽織って外に出ようか。それとも、さきほどレッスンで着ていたTシャツを水道水で洗って、できる限り固く絞って着ようか。それとも、スタッフの方に泣きついて、洗濯機をお借りしようか。しかし、どのアイディアに対しても積極的にはなれなかった。かつてのピンチを切り抜けた私も、とうとう絶体絶命のピンチに立たされた。

 唯一救いだったのは、Tシャツの上に長袖のジャケットを着ていたことだった。私は何気ない顔でシャワールームからロッカーに戻り、ひとまずロッカーを開けた。そこには自宅から着て来たジャケットがある。私は意を決したように、ブラジャーの上からそのままジャケットを羽織った。そして、何気なく鏡を見に行った。ちょっぴりセクシーだが、違和感はなさそうである。

 いつもの私なら、ボタンを留めずにそのジャケットを着ている。同じようなジャケットをもう一つ持っているのだが、そちらはボタンではなく磁石で留めるタイプのものだった。今回はたまたまボタンで留めるほうのジャケットを着て来て良かった。もしも磁石で留めるタイプのジャケットを着ていたら、何かのはずみで磁石が外れてしまい、露出狂に変身してしまうところだった。

 私は何気ない顔をしてロッカーの鍵を受付に返したあと、ガンモに電話を掛けて替えのTシャツを忘れたことを報告し、梅田でお昼ご飯を食べた。Tシャツを着ていない分、胸のあたりはちょっとセクシーだったが、おそらく違和感はなかったことだろう。

 ガンモの仕事がひとまず終わったというので、私は早々と大阪をあとにして最寄駅まで戻り、再びDVDをレンタルして帰宅した。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新の励みになっています。(^^) よく、映画のシーンなどで、主人公たちが決定的なピンチを切り抜けるシーンがありますが、あのようなことは現実にも起こり得ることなのだと実感しました。映画も決して作り事だけではないのですね。しかし、長袖の時期だったから良かったものの、半袖の時期ならば、ジャケットはないので、間違いなく絶体絶命のピンチでした。こうしたハプニングは、ホットヨガの記事にスパイスを加えてくれますね。

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2007.05.12

尻尾を出して大笑い

 我が家の台所には、いろいろな種類のお茶漬けをストックしている引き出しがある。その引き出しには、ノーマルのお茶漬けのほか、鮭茶漬け、梅茶漬けなどがストックされている。先日、その引き出しを開けてみると、わさび茶漬けという新しい仲間が加わっているのを発見した。新製品評論家のガンモがスーパーで買って来て、仲間に加えたのだろう。スーパーに買い物に行く既婚男性は、世の中にはあまり多くないのかもしれないが、我が家は夫婦共働きで休みが別々のことも多いので、ガンモが一人でスーパーに買い物に行くことも日常茶飯事である。他のお茶漬けは、銘柄がわからないように縦に並べられていたのだが、購入したばかりだと思われるそのわさび茶漬けは、銘柄が見えるように、引き出しの中に仰向けにして収められていた。

 ある日のことである。ガンモは朝から仕事に出掛けて留守だった。お茶漬けが食べたくなった私は、お茶漬けの入った引き出しを開けた。あの新入りのわさび茶漬けを食べよう。そう思っていたのだ。ところが、引き出しを開けてみると、一番上に銘柄が見えるように仰向けに収められていたはずのわさび茶漬けが見当たらない。まさか、そんなことはないだろう。いや、待てよ。ガンモがわさび茶漬けを自分だけの楽しみにするために、わさび茶漬けを他のお茶漬けの中に紛れ込ませたのではないだろうか。ガンモと連れ添ってそろそろ十一年になろうとしている私は、ガンモの行動を読んでそう思ったのだった。そして、引き出しの中の一番左の位置に、あたかも他のお茶漬けと同等であるかのように、縦に並べられているわさび茶漬けを発見したのである。私は、その中から包みを一つ取り出して、ご飯にかけてさらさらと食べた。わさびが効いていてとてもおいしかった。

 食べ終わってから、ガンモに電話を掛けた。私はガンモに向かって単刀直入に、
「ねえ、わさび茶漬け、隠してたでしょ?」
と尋ねた。するとガンモは、突然、大声で笑い出したのである。大声で笑い出すというところが、わさび茶漬けを隠していた証拠である。意図的にわさび茶漬けを隠していたのでなければ、つまり、無意識のうちにわさび茶漬けを他のお茶漬けと一緒に縦に並べたのであれば、
「ねえ、わさび茶漬け、隠したでしょ?」
という何の前触れもなく発せられたその言葉に反応して大笑いしたりはしないものである。
「やっぱり笑ったね。大笑いしたのが、隠した証拠」
と私は言った。かくしてこの戦いは、まるみホームズの勝利となった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m いざ文章にしてみると、なかなか伝わりにくい内容だったかもしれませんね。隠すと言っても、自分のお気に入りの食べ物を、私がちょっと探せばわかるところに紛れ込ませておく程度のものです。とびきり珍しいものは、むしろ目のつくところに置いてくれるのですが、普通に手の届く範囲の新製品などは、このように目立たないところに紛れ込ませてスリルを楽しんでいるようです。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2007.05.11

映画『スパイダーマン』

 最初にお断りしておくが、これは、現在公開中の『スパイダーマン3』のレビューではない。二〇〇二年に公開された、まだ2も3も付かない『スパイダーマン』である。まずは、この映画を観ることになったきっかけからお話しすることにしよう。

 ジョニー・デップが好きという派遣仲間とトイレで顔を合わせたとき、
「そろそろ『パイレーツ・オブ・カリビアンの公開だね』
と彼女が言った。その話題から公開中の映画全般の話になり、彼女が『スパイダーマン3』を観に行きたいが、まだ映画館に足を運べていないと残念そうに言った。私の職場は、場所がらなのか、私のように兵庫県の西のほう(つまりは大阪寄り)に住んでいる人は少なく、兵庫県の西のほう(つまりは岡山寄り)に住んでいる人のほうが圧倒的に多い。だから、私のように、仕事帰りに三宮で映画を観て帰るというような人はほとんどいない。つまり、映画館の集中する三宮や神戸を経由して通勤する人が少ないのだ。そのため、映画を観るのは週末に集中しているらしい。

 私は、映画館で予告編を何度も観ていることもあって、『スパイダーマン3』が公開されていることは知っていたが、前作も前々作も観ていないので、おそらく劇場で『スパイダーマン3』を観ることはないだろうと思っていた。『スパイダーマン』のように、大多数の人たちから支持を受けているような映画は、私が観なくても大いに盛り上がっているので、積極的に観たいという気持ちが沸き上がってこなかったのだ。それでも、心の中では何となく気にはなっていた。そのことが彼女にも伝わったのか、彼女が私に、
「『スパイダーマン2』のDVDなら持ってるから、今度、持って来るよ」
と言ってくれた。私は彼女の申し出を喜んで受け入れた。

 『スパイダーマン2』のDVDを借りられるなら、できれば『スパイダーマン』も観ておきたい。そう思っていると、折しも、私がいつも利用している全国的なレンタルビデオショップで旧作DVDの半額レンタルキャンペーンが開催されていた。そこで、仕事帰りにガンモを誘って、近くのレンタルビデオショップに足を運んでみたのである。ちょうど金曜日の夜だったので、まあ、人の多いこと。みんな、考えることは同じなのだろう。そこで私は、『スパイダーマン』を含む数枚のDVDをレンタルしたわけである。

 観終わった感想としては、さすが、大多数の人たちに支持されているだけあって、とても面白い映画だと感じた。と同時に、子供の頃に観た『アメリカン・ヒーロー』という映画を思い出した。『アメリカン・ヒーロー』は、もともとアメリカのテレビ番組が映画になったものだと記憶しているが、テレビ番組の吹き替え版も日本で放映されていたので、私は毎週欠かさず観ていた。やはり、何となく冴えない男性がパワーを得てヒーローになり、悪者をやっつけるのである。しかも、マドンナ的存在も登場する。

 『スパイダーマン』にも、『アメリカン・ヒーロー』と同じような要素が散りばめられていた。ヒーローになりたての頃は、例えヒーローであってもちょっとかっこ悪い。『アメリカン・ヒーロー』では、ヒーローがうまく空を飛べなくてヨロヨロしていたし、『スパイダーマン』では、変身後のスーツがいかにも素人っぽい。途中から今のスーツに変わるのは、スポンサーでも付いたのだろうか。過去に私が『アメリカン・ヒーロー』にはまったように、『スパイダーマン』にどっぷりはまってしまう人も少なくないだろうと感じた。実は、私は『スーパーマン』も観ていないのだが、『スーパーマン』にもやはりマドンナが登場し、一般の人たちには誰がスーパーマンに変身しているかを内緒にしているのだろうか。多くのヒーローものには、いくつかの共通点が存在しているように思う。

 そして、おそらくこの先マドンナに恋するヒーローに悩みができるとすれば、本当の自分はヒーローに変身する前の自分なのか、それともヒーローに変身した自分なのかということなのではないだろうか。更には、例えマドンナのハートを射止めることができたとしても、彼女が想いを寄せているのは変身前の自分なのか、それともヒーローに変身しているときの自分なのかということについても悩むことになるだろう。普段、冴えない男性であるだけに、このような悩みを抱えてしまうことは容易に想像できる。『スパイダーマン』では、変身前の自分と変身後の自分の狭間に立たされて悩むというようなシーンはなかったのだが、『スパイダーマン2』、『スパイダーマン3』でどのような展開になるかは見物である。

 それにしても、映画だからなのか、正義の味方が登場する世界には必ずそれに対抗する悪が存在するのは面白い。善と悪は同時に生まれ、実際は常にバランスの取れた状態にあるということを説いているのだろうか。しかも、その悪は、『スパイダーマン』の中では、ヒーローにとって身近な人物であるのは意外である。

 マドンナであるMJの生き方は、同じ女性として、あまり共感できるものではなかった。彼女はいつも、誰かに好きと言われて付き合っている。だからだろうか。MJが付き合っている相手の男性のことを心から愛しているという気持ちが映像から伝わって来なかった。そうした彼女を、ピーターはずっと見守って来た。ようやくMJが主体性を持つことができたのは、ピーターの真っ直ぐな愛がMJに通じたからではないだろうか。更に、墓場でMJとピーターがキスをしたとき、キスを終えたMJは自分の唇を軽く押さえた。それは、その唇の感触を既に知っているというサインだったのではないだろうか。おそらくだが、『スパイダーマン2』では、MJは、ピーターがスパイダーマンであるということに気づいてしまうのではないだろうか。

 『スパイダーマン3』の興行成績が思いのほか伸びているので、『スパイダーマン』シリーズはこれからも製作されることになるらしい。これだけ多くの人たちに支持されているのも、ピーターとMJを簡単に結び付けないでいることも人気の理由の一つなのかもしれない。人々は、一筋縄ではいかない恋に燃えるように、一筋縄ではいかない映画に燃えるのではないだろうか。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 皆さんは、『スパイダーマン3』をもうご覧になりましたか? 『スパイダーマン3』を観るかどうかは、『スパイダーマン2』を観てから決めたいと思います。『スパイダーマン』でピーターの伯父が亡くなるシーンに泣けました。伯父といえども、まるで本当の親子みたいな家族だったからです。確か、この映画が公開された頃、ガンモと二人でユニバーサルスタジオジャパンに行きましたが、『スパイダーマン』のアトラクションがひどく混み合っていたのを思い出します。今では『スパイダーマン3』のアトラクションが出来ているのでしょうか? 私は個人的には、『バックトゥーザフューチャー』のアトラクションが好きです。

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2007.05.10

出番をなくしたものたち

 裸足の季節という記事の中で、裸足のままサンダルを履いて通勤し、そのまま仕事をしているという話を書いた。あれ以来、私はずっと裸足のままで過ごしている。もちろん、ゴールデンウィークもずっと裸足だった。そして、ゴールデンウィークが終わり、仕事が始まってからもずっと裸足だ。靴下を履くよりも、裸足でいるほうがむしろ気持ちがいいくらいだ。裸足になってみると、足が自分から発熱し始めて寒さを感じなくなったのだから、自分でも驚いている。

 今では、裸足になるだけでは物足りず、夜寝るときに、パジャマのズボンを履かない生活を始めた。上半身はパジャマを着ているのだが、下半身はパンツ一枚だけで布団に入っているのだ。隣で寝ているガンモにとっては、刺激的な格好である。

 去年の今頃は、帰宅するや否や、脚温器 ぽかぽか足湯に足を突っ込んで、オフィスの冷房で冷え切った足を一生懸命温めていたものだった。今や脚温器 ぽかぽか足湯は、使わなくなったまま我が家でほこりをかぶっている。百円ショップで購入したレインコートのズボンも、オフィスではもはや出番がない。先日の大雨の日、あのレインコートのズボンが手元にあれば、ズボンを濡らさずに済んだのに、などと思ったくらいである。私を温めてくれたものたちは、ほとんど出番をなくしてしまったのである。私の身体に一体何が起こってしまったのだろうか?

 変化が起こったのは、足だけではない。これまでは、頭の上から吹き付けて来る冷風をブロックするために、帽子をかぶって仕事をしていた。その帽子さえも、今では防止している。つまり、かぶらなくなったのだ。オフィスの机の引き出しには、折り畳まれた帽子が収納されたままである。相変わらず、冷気は頭の上からざんざんと降り注いで来ているというのに。私は、頭の上に冷気を感じると、百円ショップで購入したツボ押し棒で頭をトントントンと叩いたり、突起の大きいブラシで頭をマッサージしたりしている。これが効いたのか、裸足になったことが頭にまで影響しているのかどうかはわからない。とにかく、少し前までの私とはすっかり別人になってしまったのである。変わっていないのは、首だけは冷風から守らなければ、調子が悪くなるということだった。首だけは、冷やすと今でも調子が悪い。おそらく、ホットヨガのあとに頭が痛くなる現象も、首周りの冷えと関係しているのだろうと思う。

 実は、先日、オフィスの設定温度を確認してみて驚いた。何と、十八度に設定されていたのである。去年の私ならば、悲鳴を上げたことだろう。実際、これまでにも十八度に設定されていたことはあったのだが、そのような設定温度では冷風がざんざんと降り注いで来て、拷問かと思っていたほどだった。しかし、確かに冷風は降り注いでいるものの、設定温度を確認するまで気がつかなかったというのは自分でも驚きだった。

 この一年で、私の身体は大きく変わった。つい先日まで、寒さに震えていたというのに、裸足になったとたん、世界が変わったのである。頭のてっぺんにある百会(ひゃくえ)というツボを刺激し続けていることも、冷えに強くなった要因かもしれない。私の中で少しずつ、自律神経の乱れが整って来たのだと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「ガンまる日記」を応援してくださってありがとうございます。皆さんの応援に、いつも感謝しています。身体の変化はとても不思議ですね。つい先日まで、あれほど冷風をブロックしていたのは何だったのでしょう。思い込みによるものも大きかったのかもしれません。実は、先日より、新たな試みを始めました。毒だしホットジュースです。デトックスに関しては、アメリカから個人輸入したフローエッセンスを飲んでいたのですが、高価であることと、手間がかかることで、しばらくストップしていました。しかし、先日、毒だしホットジュース、毒だしジュースの本を購入し、あまりにも簡単に毒だしができることがわかり、ダイエット目的で実践し始めました。おそらく、私がこの方法で痩せれば、ガンモが私の真似をするはずです。実は、それが楽しみなのです。効果が現れたら、またこちらでご報告させていただきますね。それにしても、フローエッセンスを飲んでいるときもひどく眠かったのですが、毒だしホットジュースも仕事に差し障るくらい眠いです。

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2007.05.09

寝言とガンまるダンス

 今日は関連性のない短編を二つお届けしよう。

[寝言]

 私は早朝、しきりにガンモの名前を呼んでいたらしい。
「ガーン(ガンモの愛称)、ガーン、ガーン、ガーン」
寝言で何度も何度もガンモに呼び掛け、とうとうガンモを起こしてしまったそうだ。そのとき、私は確か、ツインソウルの夢を観ていたはずだ。夢の中で究極の選択に迫られ、決断できない状況から、ガンモに助けを求めていたようだ。目を覚ましたガンモが私の手をぎゅっと握ると、私はようやく落ち着きを取り戻して、何事もなかったかのようにすやすや眠ったらしい。一方、ガンモは目が覚めてしまい、仕方なく早朝から起き出して自転車のメンテナンスをしていたようだ。ガンモは仕事が休みだったのだ。

 ようやく私が目覚めると、ガンモは、
「朝五時頃、『ガーン、ガーン、ガーン、ガーン』って叫んでたよ」
と言った。実は私は、自分が寝言を言っていたことをあまり覚えていなかった。ガンモを起こしてしまったというのに、私自身は何事もなかったかのように眠り続けていたのだ。

 時にはこれと逆のこともある。寝ているときに、ガンモが夜中に何か叫ぶ声が聞こえると、私が目を覚ましてガンモの手をぎゅっと握る。ガンモが寝言を言うのは、たいてい怖い夢を見ているときである。怖い夢を観たときは、愛する人が隣にいてくれると安心する。それが夢だったことを、ただちに証明してくれるからだ。しかし、目を覚ました方は意識がはっきりして来るのに対し、寝言を言って起こした方は、まだ夢の中にいる。寝言で誰かを巻き込んで起こしたくせに、当の本人はちゃっかり夢の続きを観ているものだ。

[ガンまるダンス]

 ここ数年、私たちの間で流行っているダンスがある。まず、「ガンまる日記」のプロフィール画像に採用させていただいている歓喜天のようにしっかりと抱き合う。その状態のまま、お互いの片方の足を上げて、上げていないほうへ身体を傾ける。例えば、男性が左足を上げたなら、女性は右足を上げる。その状態で、上げていないほうの足の方向へと身体を傾けるのである。そして今度は最初と反対の足を上げて、身体を反対に傾ける。あとは、やじろべえのようにこれを繰り返す。抱き合ったままでこれを実践すると、何だかとてもハッピーになる。私たちはこの動きを「ガンまるダンス」と名づけた。今のところ、ガンまるダンスが何に効くかはわかっていないが、夫婦円満には間違いなく効果があるだろう。皆さんもお試しあれ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m たまにはこういった短編もいいですかね。実は、毎日、「ガンまる日記」を書くのに二時間くらい掛けています(苦笑)。短編ですと、いつもよりも早めに仕上がりました。こんなことをしているから、いつもいつも時間が足りないのかもしれません。でも、やはり私は書くことが好きです。しゃべることよりも大好きです。

ガンまるダンスがハッピーになるのは、抱き合った夫婦の間にリズムが生まれるからだと思います。リズムが生まれると、二人で協力し合ってそのリズムを守ろうとします。やじろべえのように身体を動かしているうちに、何だか身体が軽くなって、余計にハッピーな気持ちになれるようです。

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2007.05.08

アパートの鍵、貸します?

 またしてもレディースデイがやって来た。火曜日は定時のチャイムが鳴ると、そわそわして落ち着きがなくなってしまう。そうなると、もう仕事どころではない。私は、できればレイトショーではない時間帯の映画を観たいと思っていたので、そそくさと仕事を上がり、ガンモに電話を掛けた。この時間ならば、ガンモはまだ仕事をしているはずだ。レイトショーをやっていない映画館の最終上映ならば、ガンモの仕事が終わるまでに観ることができるのではないだろうか。私はそう思い、
「映画を観て帰るから」
と息を弾ませながらガンモに言った。するとガンモは、
「映画観過ぎ! 禁止! ○○で待ち合わせするから」
とわがままを言った。まあ、先にわがままを言っているのは、間違いなく私のほうなのだが。

 ガンモは、もう少しで仕事が終わるので、私と待ち合わせをして一緒に帰りたいようだった。私は、「せっかくの火曜日だが、まあいいか」と思い、三宮まで出た。そうは言うものの、ガンモの仕事は状況が変わり易いので、三宮に着いて、もう一度ガンモに電話を掛けてみることにした。するとガンモは、
「ごめん。二十時くらいまで仕事になってしまった」
と言う。ある程度、予測していたことなので、私は、
「わかった。じゃあ、映画を観て帰るから」
と言って電話を切った。しめしめ、である。

 時計を観ると、上映時間まであと十分しかない。私は映画館へと急いだ。観た映画は、『フランシスの2人の息子』というブラジル映画である。ブラジルの田舎に住む子沢山のフランシスコの息子二人が、カントリーミュージシャンを目指すという、実話に基づいた物語だ。エンターテイメント系の映画ではなかったので、感情が置き去りにならず、どっぷりと映画の世界に浸ることができた。とてもいい映画だった。

 映画を観終えると、時計は二十一時前を指していた。二十時まで仕事だと言っていたガンモはどうなったのだろうと思い、ガンモに電話を掛けてみると、
「俺もちょうど終わったとこ」
とガンモが言うではないか。またしてもグッドタイミングだ。それから私は、ガンモが仕事をしていた客先のある最寄駅まで移動し、ガンモと合流して帰宅した。

 帰宅した私たちは、インターネットを使って盛んに調べものにふけった。どんな調べものかと言うと、夏休みに予定しているロンドン行きのプランを立てるための事前調査である。夏休みということで、ツアー料金がひどく高い。もともと、ロンドンは驚くほど物価が高い。当然のことながら、ホテルの滞在費も恐ろしく高い。そこで、何とか予算を抑えて旅行できないものかと、インターネットで情報収集していたのだ。

 私たちが宿泊の条件に入れているのは、インターネットが使用できる宿泊施設だ。お互い、ブログを毎日綴っているので、ロンドン滞在中も更新を継続したいのである。旅行パンフレットやインターネットで調べてわかったことは、ロンドンまでの直行便は限られているということだった。当然、直行便を利用したほうがロンドンには早く着くが、その分、航空運賃も高い。と言っても、関西国際空港から発着する直行便は一つの航空会社しかない。成田まで足を伸ばせば、別の選択肢もあるらしい。

 ガンモは始め、直行便でヒースローまで飛び、インターネットに接続できるホテルに連泊するツアーに決めようとしていた。しかし、当然のことながら、直行便とセットになったツアーはひどく高い。そこで、格安航空券とホテルを自分たちで探すという方法に切り替えつつある。格安航空券となれば、当然、乗り継ぎが発生するだろう。時間を無駄にしたくないガンモは、乗り継ぎに関してあまり乗り気ではないようだ。私が独身の頃、初めて出掛けたヨーロッパ旅行では、成田からKLMを利用し、まだ眠いうちにアムステルダムでいったん降ろされ、数時間をそこで過ごした。オランダとなれば、木靴を買いたくもなるだろう。私は、待ち時間の間にアムステルダム空港の売店で買った木靴を勤務先に持って行き、愛用していた。カーリーヘアの私が木靴を履いて仕事をしていたのだから、とにかく変わり者の新人だったのだ。同じ職場の先輩は、来客があったときに、そんな私の姿がお客さんの目に触れないように祈っていたらしい。直行便であれば、木靴を買うこともなかっただろう。乗り継ぎのための待ち時間があれば、パーマだってかけられるかもしれない。私は、そんな楽しさに期待したい。

 関西国際空港発の格安航空券の乗り継ぎ便は、アジア系の航空会社が多い。ひとまず関西国際空港を飛び立ったあと、自分の国に寄り、そこから更にロンドンに向けて旅立つわけである。直行便で行くにしろ、乗り継ぎ便でいくにしろ、その時間をどのように過ごすかだと私は思うのだ。

 現在、ガンモが格安航空券、私がホテルを担当して探している。ホテルは、アパートメントホテルも候補に挙げている。ロンドンにも、日本で言うところのウィークリーマンションのようなものがいくつかあり、インターネットの接続も可能になっているところが多い。連泊する場合は、ホテルよりもアパートメントホテルのほうが気楽でいいのではないかと私自身は思っている。他に、カップルで利用できるドミトリーなどにも手を伸ばし始めているところだ。

 個人的には、インターネットさえ使用できるならば、映画『華麗なる恋の舞台で』に出て来たような生活感にあふれた古びたアパートでもいいのだ。ロンドンには、部屋をシェアしながら複数の人たちでアパートに住んでいる人も多いらしく、ルームメイトを募集したり、短期に限って部屋を借りたい人を探す掲示板なども見付けた。借りたい人もいれば、貸したい人もいるわけである。果たして、私たちの借りたい気持ちに応えてくれる人は誰なのだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m さすが、「ゆりかごから墓場まで」と言われているだけあって、ロンドンはずいぶん物価が高いようですね。ロンドンで出産した女性が、「出産費用がタダだった」と言っていたのを思い出します。それだけの費用が税金でまかなわれていることを考えれば、物価が高いのも当然のことなのでしょう。ロンドンに住んでいる人からすれば、いつお金を払うかの違いだけなのかもしれませんね。去年、ハワイに出掛けたとき、ホテルのランクを落としても楽しく過ごせたので、できれば今回もワイルドに行きたいと思っています(笑)。ホテルのグレードではなく、ガンモと一緒に出掛けることが大切なのですから。

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2007.05.07

映画『ゲゲゲの鬼太郎』

 ゴールデンウィークの最終日、外はあいにくの雨だった。この日の予定としては、ガンモと一緒に『ゲゲゲの鬼太郎』もしくは『ハンニバル・ライジング』を観に行くことになっていた。どちらも、派遣会社の福利厚生サービスを利用して格安の前売券を購入していたのだ。しかし、外は雨である。電車に乗るためには、自転車かバスで駅まで出て行かなければならないが、自転車かバスのどちらを選ぶにしても、雨の日の移動は面倒だ。そこで、自家用車の出動となったわけである。

 せっかく自家用車で出掛けて行くのだから、ショッピングも楽しめる映画館がいい。私たちがしばしば利用しているのは、伊丹市にあるダイヤモンドシティテラスか三田(さんだ)市にある三田ウッディタウンである。どちらの映画館でも、私たちの観たい映画が上映されていることがわかっていた。私たちは悩んだ挙句、三田ウッディタウンに向けて出発した。

 およそ四十五分掛けて目的地に着いた私たちは、その混雑ぶりに驚いた。駐車場には満車を示す看板が掲げられている。何とか駐車場に車を停めることができたものの、やはり、ゴールデンウィーク最終日とあって、館内はひどく混雑していた。おまけに外は雨である。絶好の映画日和ではないか。受付カウンターには、複数の映画に関して、「○○の回の上映は満席です」という張り紙が大きく掲げられていた。残念なことに、その中には、私たちが観たいと思っている『ゲゲゲの鬼太郎』も含まれていたのである。しかも、もう一つの候補である『ハンニバル・ライジング』は十九時過ぎの上映だ。自宅から四十五分も自家用車を走らせてやって来たというのに、映画を観るためにこれほど待たなければならないとは・・・・・・。そう思ってがっかりしていたのだが、冷静になってタイムテーブルを確認してみると、およそ二時間ほど待てば、『ゲゲゲの鬼太郎』の次の回が上映されることがわかった。私たちは希望を持って、長い列にもう一度並び直し、無事に『ゲゲゲの鬼太郎』の座席指定券を獲得したのである。

 それから私たちは、食事やショッピングなどをしばらく満喫したあと、上映時間に合わせてスクリーンに入った。親子二世代で楽しめる映画だからだろうか。圧倒的に家族連れが多い。更に中に入ってみて驚いたのは、とてもこじんまりしたアットホームなスクリーンだということだ。ワーナーマイカルは、通勤ルートにはない映画館なので、ほとんど足を運んだことがない。予告編の上映中も、他の映画館とは違って、ワーナーマイカル独自の映像が流れていた。映画館のマナーに関する映像が、『ゲゲゲの鬼太郎』の登場人物(登場妖怪?)だったのはさすがである。映画を観る前から、映画の登場妖怪に出会えるなんて、ちょっぴり得した気分だ。他の映画館と違って、イヤというほど予告編が流れるわけでもなく、予告編の上映時間が比較的短かったためか、映画の本編が始まっているというのに、まだ予告編を観ているような感覚で居続けたことに、少々焦りを覚えた。何しろ、やけに本格的な予告編だと思いながら観ていたら、それが本編だったのだから。

 さてさて、前置きが長くなり過ぎてしまったが、ようやく映画のレビューに入ることにしよう。この映画に関しても、既に劇場で何度も予告編を観ていたし、映画のポスターからも映画の雰囲気をそれなりに感じ取っていたつもりだった。しかし、実のところ、実写版ということで、あまり期待はしていなかったのである。ところが、ところがである。まず、映画を観終わって、キャスティングの素晴らしさに拍手を送りたくなった。鬼太郎はともかく、猫娘、砂かけ婆、子なき爺、ねずみ男、車輪の妖怪、誰をとってもはまり役である。特にねずみ男に関しては、オリジナルキャラの持つずる賢さがとても良く現れていた。更に、目玉おやじの声がオリジナルの声優さんであるのもうれしかった。

 この映画を一緒に観たガンモは、
「この映画、キャスティングがいいよね。鬼太郎以外は」
と言った。確かにその通りかもしれない。私の鬼太郎のイメージは、どこかもさもさしている感じだったのだが、美形のウエンツが鬼太郎を演じると、もさもさからはほど遠い。もちろん、そんな文句はどこへ行っても受け付けてもらえないかもしれないが。それでも私は、ある鬼太郎の技のシーンで声をあげて笑った。なるほど、そのシーンは、美形の彼が演じるからこそ余計に笑えたのかもしれない。

 ところで、鬼太郎役のウエンツ君は一体何者なのだろう? 彼の存在を知らないのは、世の中で私だけなのだろうか? 彼は、私の知らなかったイナバウアーと同じくらい有名なのだろうか? ウエンツという名前から私が個人的に思いを馳せるのは、中学のときの英語の先生のことである。その先生は、例えばdon'tを「ドーント」ではなく「ドーンツ」と発音した。普通に考えれば、ウエンツで想像するのは、goの過去形wentなのではないだろうか。中学のときの英語の先生の法則に従えば、wentはウエンツだ。まさか鬼太郎役のウエンツも私と同じ英語の先生から英語を習っていたなんてことはないだろうか。

 そう言えば、かつて、『蟲師(むしし)』を観たときに、上映前に『ゲゲゲの鬼太郎』の予告編が流れて、『蟲師(むしし)』のギンコと鬼太郎がかぶってしまったという方が多かったが、確かに髪型と言い、もの静かで怪しげな雰囲気と言い、二人のイメージが重なる。また、実写版の映画ということで、『どろろ』も一緒に思い出した。最近、もの静かで怪しげな男性の主人公が人気を集めているのだろうか。口数が少なくて、感情をストレートに表現しない男性像は、日本人男性の典型なのかもしれない。

 とにかく、実写版の『ゲゲゲの鬼太郎』は、予想に反して、大人も子供も楽しめる映画に仕上がっていた。この映画のヒットにより、しばらく日本にゲゲゲ旋風を巻き起こすのではないだろうか。そうなれば、「鬼太郎」という固有名詞も単語登録されて、難なく変換できることだろう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 実は、この映画が公開されるまで、「一反もめん」のことを「一反もんめ」だと思い込んでいました。花いちもんめの仲間だと思っていたのでしょうか。おそらく、耳ではなく、目で覚えていたのでしょうね。先日訪れた米子駅の売店には、その「一反もめん」のタオルがお土産品として売られていました。ちゃんと手も付いていました。ネットで検索すれば、同じものが手に入るようです。(^^)

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2007.05.06

物乞いおばあちゃん

 倉敷の商店街にある無料休息所でくつろいでいると、見知らぬおばあちゃんに声を掛けられた。あまりに突然のことで、正確には覚えていないのだが、確かおばあちゃんは私に、
「今日会ったばかりで申し訳ないんですけど、しばらく食べてないので、お金を恵んでもらえませんか。その辺で何か買って食べますので」
というようなことを言った。おばあちゃんの年齢は六十歳過ぎくらいだろうか。初夏を感じさせるほどの陽気にしては少し暑そうな服を着て、古ぼけたスニーカーを履いていた。突然のことに私が戸惑っていると、おばあちゃんは顔を歪めながら、自分の身の上話を始めた。夫にも先立たれ、子供もいないこと。今年の一月からお風呂に入っていないこと。自宅の電気は既に止められていること(確か、止められているのは電気のほうだったと思う。ガス代は、皆さんのご厚意により集められたお金で支払うことができたのだそうだ)。今年で六十五歳になるが、年金を受け取れるようになるのは誕生日を迎える十一月からであること。しかし、実際に受け取ることのできる国民年金は、本当に微々たるものであること。この年になって、このようなみじめな生活をするとは夢にも思ってもいなかったこと。そのようなことを、一生懸命私に説明するのだった。

 これまでにも何度か、物乞いおばあちゃんに出会ったことがある。やはり、旅先で出会うことが多かった。生まれて初めて物乞いおばあちゃんに出会ったのは、小さい頃、両親と一緒に買い物に出掛けたときのことだった。私の両親は、そのおばあちゃんを常習犯だと疑い、お金を差し出さなかった。そのとき私は、本当にお金に困っている人だけがこのような行為をするのではないことを知った。

 最も新しい記憶を手繰り寄せてみると、去年の十一月に北京を訪れたときに、やはり物乞いおばあちゃんに声を掛けられた。言葉は良くわからなかったのだが、何かしきりに訴え掛けて来て、私たちから何かを受け取りたい気持ちが伝わって来た。それを見ていたツアーの現地係員の男性が、
「北京には、あのようなお年寄りのグループがたくさんいるので、お金を巻き上げられないように注意してください」
と言った。現地係員の男性の話では、そうしたグループにはボスのような人がいて、組織化されているらしいのだ。つまり、本当にお金に困っているわけではなく、ビジネスとして成り立っているのだそうだ。私は、現地係員の男性の言葉に従い、何も差し出さなかったのだが、もしも本当に生活に困っていたらどうしようと、後味の悪い思いをしたのを覚えている。

 倉敷で出会った物乞いおばあちゃんに対して、どのように接したらいいか、私はしばらくの間、思案していた。できれば、かつてのような後味の悪い思いはしたくなかったし、千円くらいなら渡してもいいと心の中で思っていた。やがて私は意を決して、財布の中から千円札を取り出して、おばあちゃんに差し出した。その途端、おばあちゃんの表情がぱっと明るくなり、涙で目がにじんだ。私は、おばあちゃんの中で感情の玉が弾けたような手応えを感じたのを見逃さなかった。おばあちゃんは、
「ありがとう。ありがとう」
と何度も私に言った。しかし、一方で、私の中にはまだ完全におばあちゃんの貧困を信頼し切れない気持ちも残っていた。そして、もしも本当にお金に困っていないのであれば、こうして目的を達成できたことで、さっさと私の前から姿を消してしまうのではないかと思っていた。ところがおばあちゃんは、私が差し出したお金を左手に持ったまま立ち去ろうともせず、しばらく感慨にふけりながら、今度は自分の身の上話ではなく、私自身に意識を向けた。そして、
「どこから来られたの?」
と私に聞いて来たのだ。おばあちゃんがいわゆる常習犯ならば、犯行現場からは直ちに立ち去ってしまいたいのではないだろうか。私が、
「兵庫県の○○市です」
と答えると、おばあちゃんは、
「私も兵庫県の生まれなのよ。兵庫県の佐用(さよう)というところ」
と言った。それからおばあちゃんは、雪の日に長靴が買えなかったので、雪の積もった道を歩くのも大変だったという新たな身の上話を始めた。私が千円を渡したことがとてもうれしかったようで、身の上話の区切りが付くと、私が差し出した千円をまるで拝むように握り締め、
「これだけあれば、明日の分もあります。本当にありがとうございます」
と言って、私に深々とおじぎをした。やがておばあちゃんは立ち上がり、私に一歩近寄って、
「神様と仏様の思し召しです。ありがとうございます」
と目に涙を浮かべながら私に手を合わせて去って行った。おばあちゃんが「神様と仏様の思し召しです」と言った途端、私は、再びおばあちゃんの中で何かが弾けたのを感じ取った。私には、おばあちゃんのこらえ切れぬ感情が、思わず涙になってこぼれたと実感した。

 千円札を受け取ったときのおばあちゃんの反応からすれば、あの、おばあちゃんの中で感情の玉が弾けたような手応えは本物だったと確信している。その感情の玉が弾けたとき、おばあちゃんは思わず涙を流した。あの涙はおばあちゃんの真実だった。今、これを書きながら、私はそう思うのだった。

倉敷で撮影した写真。(写真に付加したコメントをご覧になりたい場合は、スライドショーの下にある吹き出しマークをクリック)

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 世の中には、本当にお金に困ってお金を分けてもらおうとする人と、そうでない人が混在しています。本当に貧困の状態にある人たちを見極めるのは、少々難しいかもしれません。何故なら、私たち自身は、最初から相手の話を身構えて聞いてしまうからです。このような状況に出くわすと、実にいろいろなことが頭を駆け巡ります。六十五歳を迎えようとしているおばあちゃんが、倉敷という観光地で、本当に食べて行くことができないほど仕事がないのでしょうか。仮にそうだとしても、今回のように私たちがお金を差し出すことは、おばあちゃんにとって、本当にプラスになっているのでしょうか。恥をしのんで、観光客にお金をくださいと頼み込むような状況にありながらも、国や県や市は、おばあちゃんに対して何も手を差し伸べないのでしょうか。何が一番いいのか、私にはわかりません。しかし、お金を差し出したことで、後味の悪さだけは免れました。ということは、私は自己満足のためにおばあちゃんにお金を差し出したのでしょうか。とにかく、考えさせられる出来事でした。

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2007.05.05

米子・倉敷一人旅

 一人旅と言うと、傷心旅行のイメージを先行させてしまう人も多いかもしれない。私は、鉄道旅行がらみのブログで一人旅を存分に楽しんでいらっしゃる方を何人も知っているので、その方たちが心の傷を抱えながら、いくつもの旅を重ねていらっしゃるとは思っていない。一人旅が好きな人は、誰かと誘い合わせて旅に出掛けて行くよりも、一人旅のほうが気楽だと思っているのかもしれないし、旅に出掛ける回数があまりにも多いために、周りの人たちがそのペースに同調できないのかもしれない。

 さて、今回の私の一人旅は、好きなアーチストのコンサートに参加するためのものだった。私が米子に出掛けて行く日、ガンモには今年最大の大きな仕事の予定が入っていた。コンサートのチケットを申し込む段階からそのことがわかっていたので、私は一人旅を決意したのである。

 米子や倉敷と言えば、私たちの住んでいる地域からは比較的足を伸ばしやすい。また、これら二つのコンサートは、連続して開催されることになっていた。若かりし頃の私なら、米子のコンサートのあと、夜行バスで神戸か大阪まで戻り、自宅で少し睡眠を取ってから、夕方のコンサートに間に合うように倉敷まで新幹線に乗るだろう。しかし、私も次第に年を重ねて来た。そこで、米子のライブに参加したあとは、米子市内のホテルに一泊したあと、翌日、倉敷まで移動してコンサートを観てから帰宅することにしたのだ。ガンモは私の一人旅のために、いつもの二人旅でそうしているように、列車のタイムテーブルを印刷して渡してくれた。私はそれを頼りに行動することになった。

 鳥取県に行くのであれば、三朝温泉に寄りたいと思っていたのだが、同じ鳥取県といえでども、三朝温泉から米子までは少し遠い。おまけに、三朝温泉行きの高速バスの時間が思っていたよりも遅い時間の発車だったため、三朝温泉に入ってからコンサートに行くのは少し無理があると思い、今回も三朝温泉を見送ることになってしまった。鳥取県にはご縁があるものの、三朝温泉が少しずつ遠のいて行くように思える。

 米子までは三宮からバスを利用した。米子行きのバスは、いつもレイトショーでお世話になっている映画館のあるミント神戸の一階から出発する。三月に鳥取出張に出掛けたガンモに会いに行くために利用した鳥取行きのバスも同じ場所から出ていた。ゴールデンウィークのため、多少の混雑はあったものの、三時間余りで米子に着いた。私は少し遅めの昼食をとり、予約しておいたホテルにチェックインしたあと、「ガンまる日記」を書き上げた。

 コンサート会場までは、歩いて出掛けたのだが、徒歩五分程度で会場に着くことができるのは、とても便利だと思った。会場に着いてみると、友人の一人にばったり会った。彼女は鳥取県在住の二児の母である。鳥取でコンサートが行われるときは、彼女と仲の良い関西在住の友人が彼女のところに泊まり込みでやって来て、一緒にコンサートを楽しむのが常になっている。かつて、鳥取で行われるコンサートの前には、彼女と関西在住の友人と私の三人で落ち合って、しばしば食事をともにしたものだった。今年も関西在住の友人は、鳥取在住の友人のもとを訪れて米子のコンサートに足を運んでいる。私の周りでは、何年経ってもみんな変わらずに、彼らのコンサートに通い続けているのだ。

 長年、同じアーチストを応援し続けていると、誰がどの方面のコンサートに足を伸ばしてやって来るか、だいたい頭の中に入っている。頭の中に、彼らのコンサートに参加している友人たちの出席簿があるのだ。そうした友人たちとは、コンサート前に予めメールや手紙で座席番号を知らせ合うこともあれば、会場に着いたときに携帯電話で連絡を取り合って落ち合うこともある。しかし、ほとんどの場合、お互い特に連絡はせずに、会場に着いて、行き当たりばったりで顔を合わせて話をすることのほうが多い。

 米子のコンサートは二年振りの開催だったようだが、確か二年前に米子で行われたコンサートには、ガンモと一緒に足を運んだはずだった。コンサートの最中に好きなアーチストが、
「二年前も来た人?」
と尋ねてくれたので、私は、
「はあい」
と言って、ステージに向かって手を挙げた。私と同じように手を挙げている人たちがたくさんいた。コンサートは大いに盛り上がっていた。

 米子のコンサートを終えたあと、会場で愛媛在住の友人にばったり会った。確か彼女とは、先月の京都のコンサートでも顔を合わせたばかりだ。わざわざ愛媛からお疲れさま。私の中にある、彼女の出席簿に○が付いた。このようにして、みんなコンサートを楽しみにして足を伸ばしてやって来るのである。だから、コンサート会場には、一度も話をしたことがなくても、どこかで顔を見たことのある人が多い。

 コンサートを終えたあと、会場近くのスーパーに寄り、晩御飯と翌日の朝食を調達してホテルに戻った。同じホテルには、私と同じ目的で米子を訪れた人もいたようだ。ガンモに電話を掛けてみると、既に二十一時を回っているというのに、まだ仕事が終わらないという。0時を過ぎて、おやすみコールのつもりでもう一度ガンモに電話を掛けてみても、ガンモの仕事はまだ終わっていなかった。結局ガンモは、朝から出勤して、翌日の朝三時過ぎまで仕事をしていたらしい。ガンモ、お疲れ様。

 翌日、ホテルをチェックアウトしたあと、私は駅のコインロッカーに大きな荷物を預け、前日、買い物をしたスーパーにもう一度出向き、Tシャツを購入した。というのも、これほど気温が高くなるとは思っていなかったので、長袖のシャツの着替えしか持っていなかったからである。しかし、長袖のシャツを着て歩くには暑い。かろうじて、前日の夜にパジャマ替わりに使用したTシャツがあるのだが、そのTシャツは、コンサート会場で購入したもので、好きなアーチストのロゴがしっかりと入っている。チェックアウトしてからいったん米子駅に足を運んだとき、同じ目的で米子を訪れたであろう人たちがたくさん居たので、このTシャツで一日を過ごすのはとても恥ずかしと感じた。まるで、「私は○○のファンです」と看板を掲げて歩いているようなものだからだ。長年ファンをやっていると、こういうところはひねくれて来る。私はトイレで購入したTシャツと着替えて、何食わぬ顔で再び米子駅に戻った。

 米子から倉敷まで向かうには、高速バスとJRの特急列車、そしてJRの普通列車を利用する手段がある。私が選んだのは、JRの普通列車だ。JRの切符を米子から神戸市内まで連続して購入した。距離が長くなれば途中下車が可能になるので、そのほうがずっと格安なのである。また、神戸市内に入れば、通勤定期を利用して帰宅することができる。普通列車を選んだのは、「ガンまる日記」を書く時間が欲しかったからだ。高速バスの中ではとても書けないし、特急列車はすぐに目的地に着いてしまうので、ゆったりとノートパソコンを広げることのできる普通列車にしたわけである。

 駅のホームに着いてみると、愛媛在住の友人が列車の到着を待っていた。彼女は「ガンまる日記」を書くわけではないと思うのだが、わざわざ特急列車に乗って急ぐこともないと思っていたのだろう。彼女も一人旅だったので、私たちはすぐ近くのボックスシートに腰を下ろした。

 倉敷までの所要時間は、およそ三時間だった。発車直後の列車はガラガラと言ってもいいほど空いていたのだが、倉敷に近づくにしたがって、ひどく混雑し始めた。果たして、倉敷で降りることができるのだろうかと心配になってしまうほどの混雑ぶりだった。何とか倉敷で降りることができた私たちは、大きな荷物を抱えて駅の改札を通り抜けた。彼女は用があると言うので、私たちはいったんそこで分かれた。

 私は、大きな荷物をコインロッカーに預けて、倉敷の町を散策することにした。駅のコインロッカーはいっぱいだったのだろう。私は、倉敷駅を降りたところにある水島臨海鉄道のコインロッカーに一つだけ空きを見付けてそこに荷物を預けた。倉敷は、毎年同じ時期に足を運んでいるので、もう慣れたものである。ゴールデンウィークということで、美観地区はひどく込み合っていた。コンサートが始まる直前まで倉敷の街をぶらぶらして過ごし、開演直前に会場入りした。

 この年になると、さすがに二日連続でコンサートに参加するのは体力的に疲れるということを実感しつつある。前日の夜はたっぷりと睡眠を取ったものの、米子から倉敷まで移動し、開演時間まで倉敷の街をぶらぶらしてから会場入りしたわけである。開演中、ほんの少し椅子に座ることはできるものの、ほとんどが立ちっ放しである。かつて、鳥取のコンサートのあとに高速バスの夜行便で一時帰宅し、翌日、新幹線で倉敷まで移動していた私はどこへ行ってしまったのだろう。ホットヨガで身体を動かしているとは言え、コンサートの二連チャンでこれほど参ってしまうとは情けない。

 コンサートは前日に引き続き、大盛況のうちに幕を閉じた。私よりもご高齢の彼らの体力は素晴らしい。私なら、あれだけのステージをこなしたら、翌日は起き上がれないのではないだろうか。彼らのステージは、ホットヨガのレッスンで言うと何コースに相当するのだろう。九十分のアクティヴコースか六十分の脂肪燃焼コースくらいではないだろうか。

 閉演後、JR倉敷駅まで重い足を引きずりながら歩いた。コンサート会場からJR倉敷駅まではおよそ三十分歩くのだが、この道のりが一番辛かった。私の足は本当に重くなっていた。しかし、二十一時四十三分の岡山行きの列車に乗らなければ・・・・・・。時間のことばかり気にしながら、必死で歩き続けた。そして、コインロッカーに預けておいた荷物を取り出し、駅のホームになだれ込んだとき、二十一時四十三分の列車が入線して来た。駅のホームは、コンサートを終えた人たちと観光客で溢れ返っている。何とか目的の列車に間に合ったものの、私はふらふらだった。しかし、ふらふらでも、混雑した列車の中では座ることができない。苦しい。私は岡山までの十数分間、必死に踏ん張っていた。

 そして、岡山駅に着き、新幹線の自由席特急券を購入して、新幹線ホームに入った。数分後にひかり号がやって来ることになっていたが、ひかり号は子雑していると予想していたので、隣のホームに停車していたこだま号に乗り込んだ。こだま号の中でゆったりとくつろぎながら、西明石で降りて在来線に乗り換え、そこから最寄駅まで各駅停車に乗って何とか帰宅した。帰宅したときには、既に0時を回っていた。

今回撮影した米子。(写真に付加したコメントをご覧になりたい場合は、スライドショーの下にある吹き出しマークをクリック)

二〇〇五年に訪れた水木しげるさんの故郷である堺港。(写真に付加したコメントをご覧になりたい場合は、スライドショーの下にある吹き出しマークをクリック)

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 長いようで短かった九連休のゴールデンウィークが、とうとう幕を閉じようとしています。皆さんのゴールデンウィークはいかがでしたか? 私は、やりたいと思っていたことの半分くらいしか実践できませんでした(苦笑)。やりたいことが多過ぎるのかもしれません。それにしても、まだまだ青春のつもりで肉体を酷使していますが、身体が言うことを聞かなくなってしまい、年を取って来たのを感じます。考えてみると、自宅から出掛けた先月の京都公演の二連チャンでさえも肉体的にかなり厳しかったように思います。これくらいのことで疲れが出てしまうのは、とても情けないことです。演奏している彼らのほうがずっとご高齢なのに。私は、彼らと体力勝負でもしたいのでしょうか。しかし、体力のことを考えて、コンサートにも行かず、自宅で大人しくしているのもひどく悔しいのです。だから、わざわざガンモと離れてまで出掛けて行ったわけであります。彼らについて行くには、体力作りも必要だということが良くわかりました。

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2007.05.04

映画『バベル』

 水曜日の大阪のレディースデイに見た映画とは、『バベル』である。映画館は、きのうも書いた通りの大盛況ぶりだった。当たり前のことだが、やはり、大阪は神戸よりも都会である。それだけに、映画館のキャパも大きい。とにかく、レディースデイということで、映画館の発券カウンターがくねくね曲がるほどの人がやって来ることが驚きだった。私は、既に満席になってしまった十四時からの上映を見送り、四時間近く待って、十七時十五分からの上映を観ることにした。その間、別の映画でも観られればと思っていたが、観たい映画の上映時間が合わず、結局、上映までの待ち時間に大阪の町をぶらぶらと歩き回っていた。せっかくのレディースデイなのに、このような形で時間をロスしてしまうのはもったいない気がした。

 ようやく上映時間になり、スクリーンに入った。私が選んだのは通路側の席だったのだが、あとになって、その席を選んだことを後悔した。さきほども書いた通り、大阪の映画館は大きい。そして、ゴールデンウィーク中のレディースデイということで、たくさんの人たちが映画を観に来ていた。私が席に付いてリラックスしていると、上映時間ギリギリまで、いや、上映時間になっても、次から次へと人が入って来る。往来の絶えない通路側の席に、私はまたしても居心地の悪さを感じていた。これから大阪で映画を観るときは、通路側の席だけは絶対に避けようと心に誓ったのだった。

 さて、この映画だが、既にあちらこちらで物議をかもし出しているようだ。例えば、Yahoo! 映画のユーザレビューに目を通してみてもそれは一目瞭然だ。そう、この映画もまた、賛否両論が激しく分かれる映画のようである。この映画を観て何も受け取らなかった人たちは、勝手に怒っている。何故、そんなに怒るのだろうと考えてみると、なるほど、わざわざお金を出して観ているという意識があるからなのだろう。私が通路側の席に座って居心地の悪さを感じてしまったのも、お金を払って観ているという意識があるからなのだろうか。私の場合はおそらく、ざわざわしない静かな映画館と比較してしまうからだと思う。

 この映画のテーマは、「通じない」だろうか。モロッコ、メキシコ、アメリカ、日本を舞台に、主に言葉の通じない世界が描かれている。言葉以外にも、思いが通じない世界も描かれている。言葉が通じないという経験は、きっと誰にでもあることだろう。私自身にもある。独身の頃、外国の方たちと交流があり、言葉の壁を感じてしまったことが何度かある。また、以前にもここに書いたことがあるが、独身の頃、ヨーロッパ旅行に出掛けたとき、パリのシャンゼリゼ通りの美容院でパーマをかけたことがある。そのとき、ストレートパーマにして欲しいと言ったつもりだったが、黒人歌手のような見事なカーリーヘアに仕上がってしまった。その頃の私は軽いソバージュだったので、まっすぐの髪にしてもらおうと、フランス語で「まっすぐな」という単語と「パーマネント」という単語をつなぎ合わせて注文したのだ。しかし、「パーマネント」のほうだけが通じて、カーリーヘアになってしまった。その頃の私は社会人一年生だったのだが、日本に帰ってからも私はしばらくその髪型で通した。だから、言葉が通じなかったことが失敗だったとは思っていない。現に、こうして長きに渡って私の心の中に残り、日記のネタにもなっている。

 言葉の壁のほかに、意識の壁もずいぶん体験している。人と人が関わり合うとき、多くの場合、自分の視点からしかものを見ることができない。つまり、第三者を理解しようとするとき、その人特有の経験が邪魔をすることがある。相手が理解しているかどうかは手ごたえでわかるので、相手に通じていないときはそうじゃないと一生懸命説明しようとするのだが、たいていの場合、その方法はうまく行かない。大袈裟に言えば、自分の知っていることは正しいことで、自分の知らないことは間違いといった現象が起こる。もっとも顕著なのは、医者と患者の会話ではないだろうか。映画の中でも、メキシコとアメリカの国境でこのようなことが起こっている。果たして、コミュニケーションとは何だろう。多くのコミュニケーションが、本当に誰かの話に耳を傾けているのではない。口を開けば、みんな、自分のことばかり話している。自分のことを話すのがコミュニケーションなのだろうか。

 映画の中で、菊池凛子という若手女優が耳の聞こえない女子高生、チエコを演じている。本当に聾唖者なのか? と錯覚してしまうほどの迫真の演技だった。映画を観ていない人のために詳しく書くことはできないが、チエコの行動がとても不思議なのだ。要は、耳が聞こえないというハンディを背負いたくないために、「自分にだってここまでできる」ということを周りに対して主張しているのだ。その主張は、性への興味とも直結している。しかし、チエコがその方法で成功することはない。性交することもない。私は、わかって欲しいという気持ちの強いチエコに、自分自身の姿を見た気がする。

 いくつものシーンが、映画を観終わってからの復習が必要なくらい、断片的に心に残っている。それらのシーンは、どれも深く考えさせられるような重要なシーンばかりだ。例えば、メキシコ生まれの子守り役の女性が、砂漠の中で子供たちを置き去りにしたと勝手に解釈されたこと。実際はそうではないのに、解釈する側に妙な思い込みがある。その思い込みが邪魔をして、彼女の真実を理解することができない。また、生死に関わるほどの怪我人がいるのに、滞在時間が長くなると、ツアーバスに同乗していた人たちの心が離れて行ったこと。瀬戸際に立たされたとき、第三者よりも自分を選ぶという人間の心理を描き出している。また、息子の結婚式なのに、子守りを任された女性に代わりの子守りがやって来ないこと。この行為を行っているのは、瀬戸際に立たされたとき、第三者よりも自分を選ぶということを、反対の立場で経験している夫婦だ。他の人によって突きつけられている現実を、別の人に対して突きつけている。他人は鏡とは良く言ったものである。相手に自分の主張を認めてもらえないと、まるでボタンをかけ違えたみたいにどんどんずれで行く。そうしたことは、日常茶飯事に起こっているが、根本的な解決に至らずに、次々に新しい問題を生み出している場合が多い。

 一本のライフルが、様々な人たちを引き合わせた。ライフルでジャッカルを撃たずにツアーバスを撃った。すべてはそこから始まったように思えた。いや、本当はもっと前から始まっていた。通訳が、ライフルを譲り受けた瞬間から。いや、もっと前からだ。そう考えると、ライフルは、一体誰の手元にあるべきだったのだろうか。結局はそこに辿り着く。この映画には、「適材適所」というテーマも隠されていたのだろうか。

 とにかく、映画を観終わってから、断片的にいろいろなシーンがよみがえって来るのである。実際の映画も断片的で、複数の時間を同時進行させようとして、一つの場所で、ある程度の時間が流れると、画面が次々に切り替わって行く。そうした展開に慣れない人もいるのだろう。映画館では、席を立って歩き回る人が多かった。彼らは映画に釘付けになっているのではなく、どうやら退屈してしまっているらしい。Yahoo! 映画のユーザレビューに酷評を書いている人も、映画館で歩き回っていた人の一人かもしれない。二時間余りの作品で、長いということもある。それなのに、なかなか結論が出ない。しかし、物語はやがて一つの方向へと繋がって行く。ただ、繋がるスピードが遅いために、中には待ち切れなくなってしまう人も多いようだ。

 このレビューを書きながら、私はふと思った。映画のテーマが「通じない」なら、監督は最初から、観客にこの映画が「通じない」ことを願ったのだろうかと。少なくともこの映画は、日常生活でありがちな「通じない」という現象を、断片的に訴えかけている。どうしたら「通じない」状況から脱することができるのかについては、的確な答えをくれない。それぞれが自分で答えを導き出すしかないのだが、この映画の中で取り上げている方法を実践するとうまく行かないということだけは間違いない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 人と分かり合えないとき、わかろうとする場合と、わかることを諦める場合がありますよね。わかることを諦める場合は、自分や相手の主張が激しいときである場合が多いように思います。わかろうとする場合は、相手を知ろうとして受身になれるときだと思います。ある人のレビューを読んでいたら、情報は素早く伝わるのに、言葉や思いはなかなか伝わらないと書かれていました。まさしくその通りだと思いました。なるほど、この映画は、情報の伝達の速さと、言葉や思いの伝わる遅さを対比した映画だったのですね。

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2007.05.03

ホットヨガ(四十四回目)

 実家から自家用車を走らせて帰って来た夜、ガンモの携帯電話に緊急の呼び出し電話が入った。ガンモが担当している自宅近くの顧客で重大なトラブルが発生したという。まるでガンモの帰りを待っていたかのようだ。ガンモは現地に向かい、徹夜で作業する羽目になってしまった。三時間ほど前に実家から帰宅したばかりで、旅の疲れを癒すためにお風呂に入ってのんびりとくつろぎ、あとは布団に入って眠るだけの状態だったというのに、何というタイミングだろう。ガンモは長時間、高速道路を運転してとても疲れていたが、唯一の救いは、実家でたっぷりと睡眠を取っていたことだった。

 ガンモを送り出した私は、一夜明けて、ホットヨガのレッスンに出掛けた。九連休のゴールデンウィークを有意義に過ごそうと、前もって、梅田店の予約を入れておいたのだ。何故、梅田店を選んだかと言うと、大阪の映画のレディースデイが水曜日だったからだ。この日はもともと、ガンモに朝から深夜まで仕事の予定が入っていた。そこで私はホットヨガのあと、レディースデイを利用して映画を二本くらい観て帰ろうと思っていたのだ。

 梅田店を訪れるのは、今回で二回目である。実は、あれから何度か梅田店の予約を試みたものの、休日はいつも予約がいっぱいで、数週間先の予約しか取ることができなかった。私の場合、観たい映画とセットにしてホットヨガのレッスンを受けているので、数週間先までの予定はなかなか立てられない。今回は、ゴールデンウィークとは言え、カレンダー上は平日に相当していたからだろうか。すんなりと予約が取れたのである。ここ最近の経験から、アクティヴコースは今の私の身体には適していないと判断していたので、九十分のベーシックコースのレッスンを選んだ。

 平日に大阪に行くことはほとんどないので、私は休日用の回数券しか持ち合わせていなかった。JRは、土曜日/日曜日/祝日と平日のラッシュアワーを外した時間帯に利用できる昼間特割きっぷを格安で販売しているのだ。大阪に行くのに、地元の最寄駅からその回数券を自動改札機に通してみると、
「時間外です」
というメッセージが表示され、怒られてしまった。カレンダー上は平日とは言え、私の中ではゴールデンウィーク気分だったのだが、自動改札機もやはりカレンダー通りに動作していたようである。私は通常の料金を支払って大阪まで出た。

 ホットヨガの梅田店は、JR大阪駅から歩いておよそ十五分ほどのところにある。阪急電車を利用している人には便利なのだろうが、JRを利用している人には少し遠い。途中、いくつかの映画館の前を通り過ぎるのだが、カレンダー上は平日扱いとは言え、ゴールデンウィーク中のレディースデイだったため、少し早めに家を出て、ホットヨガのスタジオに行く前に観たい映画のチケットを購入しておけば良かったと、あとになってから思った。

 さて、梅田店に着いて着替えを済ませてスタジオに入ってみると、十八枚のヨガマットが敷かれていた。既に何人かの人たちがスタジオ入りし、ポーズを取ったり、横になってくつろいだりしていた。その中に、ノースリーブに脇毛をちょろりとのぞかせている人がいた。脇毛の処理をせずにノースリーブのレッスン着でレッスンを受けるなんて、ずいぶん大胆な人だと思っていたら、何と、その人は男性会員だった。しばらく足を運ばないうちに、梅田店は男性会員も受け入れているということをすっかり忘れてしまっていたのだ。その男性会員は、私よりも髪の毛が長い上に一つに束ねていたので、てっきり女性だと思ってしまったのである。

 結局、男性会員を受け入れているとは言え、そのレッスンの男性会員は、その人一人だけだった。確か、以前、七十五分のアクティヴコースのレッスンを梅田店で受けたときは、男性会員は二人いたはずだった。はっきりと顔を覚えているわけではないが、今回の男性会員は、以前の一緒にレッスンを受けていた男性会員とは別人だと思う。十八名のうち、十七名が女性ばかりのレッスンに足を運べるのだから、勇気ある青年だと思う。もともと、ヨガをやっているような人は、どことなく中性的な雰囲気が漂っているので、女性たちに混じっていても、あまり違和感はないのかもしれない。現に、私も女性だと思って見てしまっていたのだから。そういう意味で、女性専用車両に迷い込んでしまったおじさんとはちょっと違う。

 そのレッスンには、男性会員のほか、五十代と思しき女性会員も二人ほどいた。私はこれまで、仕事を終えた平日の夜か、週末のレッスンしか受けたことがなかったせいか、二十代から四十代の会員にしか会ったことがなかった。今回のように、五十代の女性会員にお会いできるとは、さすが平日のレッスンだ。もしかすると、有閑マダムとは、このような人たちのためにある言葉なのだろうか。普段の生活では、有閑マダムと出会うチャンスのない私は、何だかドキドキした。

 インストラクターは、大学時代のゼミの先輩にそっくりの女性だった。私はレッスンを受けながら、先輩のことを思い出していた。とてもわかりやすくて好感の持てるインストラクターだった。確か、神戸店のインストラクターが、神戸店や三宮店のインストラクターは梅田店に集められて教育を受けると言っていた。ということは、梅田店には優秀なスタッフが揃っているということなのだろうか。梅田店で、彼女のレッスンをまた受けたいと思った。そしてやはり、九十分のベーシックコースは、私の今の身体にぴったり合っていると感じていた。

 今回は、酸素プラスを調達できなかったので、近くのコンビニエンスストアでO2 AQUAという、通常の水の十二倍もの酸素が溶け込んでいるという水を購入した。酸素プラスが通常の十倍の酸素量なので、十二倍の酸素が溶け込んでいるO2 AQUAはちょっと贅沢な水となる。販売価格も、酸素プラスより二十円ほど高かった。

酸素プラス

O2 AQUA

 O2 AQUAの飲み心地は、酸素プラスとそれほど変わらなかったように思う。私には十倍と十二倍の違いは良くわからない。それよりも、アクティヴコースからベーシックコースのレッスンに変えてから、レッスン後に頭痛に悩まされることもなくなったので、今度は酸素水の力を借りずに様子を見てみたいと思う。

 レッスンを終えて昼食を取ったあと、私は映画館に向かったのだが、レディースデイということで、映画館の受付カウンターは長蛇の列だった。十三時半過ぎに映画館に着いたというのに、十四時から観ようと思っていた映画は既に満席で、十七時過ぎからの上映分のチケットしか購入することができなかったのである。どうやら、ゴールデンウィーク中の大阪のレディースデイを甘く見過ぎていたようである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ゴールデンウィークをいかがお過ごしでしょうか。皆さん、有意義に過ごされていますか? どういうわけか、この日のレッスンは、いつもよりもたくさんの汗が出て、身体はいつもよりもたくさんの水を欲しがりました。ベーシックコースに変えてから、頭は痛くなっていないので、もしかすると、酸素水も必要ないのかもしれません。でも、レッスン後に欠かさず飲んでいるのは、お守りのようなものです。そう言えば、先日、実家に帰ったときに、実家の母も酸素プラスを好んで飲んでいることがわかりました。身体が何を求めているかということについて、親子で別々のルートから同じところに辿り着いていることは興味深いと感じました。筋腫が出来たことといい、クーラーに弱いことと言い、母と私はどこか似たような身体の症状を抱えているのでしょう。

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2007.05.02

田舎の暮らし

 私の実家の庭はジャングルだ。植物好きの母が庭で様々な花や野菜を栽培している。母は庭に植えているタマネギやミニダイコンを収穫して、サラダを作ってくれた。採れたての自家製野菜でサラダを作るなんて、外出の多い私たちの生活では考えられないことだ。マンション暮らしの私たちでも、ルーフバルコニーで野菜を栽培することはできるが、旅に出掛けている間、植物を放置することになってしまう。植物には、毎日欠かさず水を与え、成長の様子を観察する時間が必要だ。

 庭には植物ばかりでなく、シマヘビもいる。私も以前、見掛けたことがあり、暖かい季節に帰省したときは是非とも写真を撮らせて欲しいとシマヘビにテレパシーを送っていた。今回の帰省でそれが叶うかと思っていたのだが、残念ながらシマヘビは、カメラを構えた私の前には現れてくれなかった。トカゲに似たカナヘビの写真は収めることができた。実家の庭の様子は、以下のオンラインアルバムに収めている。(画像クリックでスライドショー開始)

実家の庭

 お昼ごはんを食べてから、私たちは帰り支度を整えて実家を出発した。父は仕事に出掛けて不在だった。父は、六十五歳を過ぎてもまだ外で働いている。仕事はシフト制で、とてつもなく早い朝もあるらしい。それでも、仕事自体は気楽な雰囲気で、かなり自由がきくのだそうだ。その職場では、父が最年長らしい。楽しく仕事ができているならそれでいいのではないか。娘としてはそう思うのだった。

 実家を出てからすぐに、入院中の祖母を訪問した。祖母は、意思表示することも難しいとされているが、母はそんなことはおかまいなしに、毎日、祖母に語りかけている。母が言うには、私が帰って来たことを伝えると、祖母はちゃんと認識してくれていたそうだ。実際、私が祖母の病室を訪れて祖母に声を掛けると、祖母は目に涙を浮かべていた。そして、私の顔をちゃんと見てくれた。祖母の目には、はっきりとした意思が表れている。意思がなくなっているのではない。ただ、寝たきりの入院生活が長いため、身体のあちらこちらが固まってしまっている。そんな祖母を、母は一日三回、毎日欠かさず、見舞っているのだ。

 病院をあとにした私たちは、今治(いまばり)方面に向けて車を走らせた。途中で母と分かれ、私たちはしまなみ海道へと向かった。かつては、ポイントごとに料金の精算が必要だったしまなみ海道も、度重なる料金の精算なしに通行できるようになった。また、ETCのおかげで、高速道路の清算はすこぶる楽ちんだった。

 ゴールデンウィークの合間の平日だったためか、帰りの高速道路は空いていた。私は車の運転をしないので良くわからないのだが、空いている高速道路は、単調な運転になってしまうらしい。そのため、ガンモに刺激を感じてもらおうと、私たちはしりとりを始めた。普通のしりとりではつまらないので、鉄道ファンの私たちらしく、「駅名票しりとり」を始めた。それだけに、濁点で終わってしまうと、続きを考えるのがなかなか難しい。「ざ」に続く駅名票を答えるのに詰まったガンモは、何を思ったか、
「ザルツブルク!」
などと苦し紛れに答えていた。私は当然、
「日本じゃないとダメ!」
と却下した。そういう私も、「づ」で始まる駅名票で詰まってしまい、ついにはお手上げとなった。

 少し前まで動かなかった三十万円のベンツは思いのほかスイスイ走り、私たちを無事に自宅へと送り届けてくれた。こうして、三泊四日の実家への旅が終わりを告げたのである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 双方の実家の両親の暮らしぶりを見て思ったことは、私たちとは違って、家を基盤にした生活を送っているということでした。両親は、三食とも自宅で食べているのです。外に働きに出ている父でさえ、昼休みが長いので、会社の食堂でご飯を食べずに、母の手料理を食べるために一時帰宅することがあるそうです。植物を育てていることといい、三度の食事を自宅で食べることといい、私たちの生活とはまったく違っていることに気がつきました。三度の食事を自宅で食べられるということは、例え出掛けたとしても、六時間以内で帰宅するということだと思います。当然、生活時間帯も違っていて、朝も夜も早いのです。田舎のお店が早く閉まってしまうのは、生活時間帯の違いもあるのかもしれませんね。

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2007.05.01

ベクトル

 ガンモの実家に一泊したあと、今度は私の実家へと向かった。どちらの実家もお正月以来の帰省になるのだが、ここのところ、義母の病気のことでガンモの実家に帰ることが多かったため、今回の帰省では私の実家に二泊することにした。

 ガンモにも私にも歳の離れた弟がいるのだが、どちらの弟も新しい家庭を持ち、両親とは同居せず、実家からそう遠くないところに住んでる。年寄りだけの生活では寂しいせいだろう。私たちが帰省するととても喜んでくれる。

 歩くのが好きで、毎日体重計に乗るのが楽しみだという父は、とても健康的に痩せていた。一方、母は足の痛みを抱えていた。それでも、手料理を作って私たちを精一杯もてなしてくれた。二人ともまだ六十代だが、帰省する度に年を重ねて来ているのを実感する。

 そんな父母が、私の頭にたくさんの白髪があるのを見て驚いていた。以前から白髪はたくさんあったのだが、白髪染めは子宮に負担がかかってしまうので使用を中止していたのだ。最近は、黒ゴマを多く含んだ食べ物を食べてみたり、マッサージ棒で頭皮をトントントンと叩いたりしている。それらが白髪に効果があるかどうかは定かではない。

 一泊した翌日、私たちは伊予市にあるとべ動物園に行った。小さい頃、私は家族と一緒に松山市にあった道後動物園に足を運んでいた。その頃撮影した写真も残っているはずだ。しかし、道後動物園の拡張が難しくなって来たことから、道後動物園を閉園し、一九八八年に松山と隣接している伊予市にとべ動物園を開園した。私が愛媛を離れてからの開園になっているが、とべ動物園には帰省したときに何度か足を運んでいる。

 最近、私たちは妙に動物園づいている。もともと動物園にいる動物はあまり好きではなかったのに、ホノルル動物園、北京動物園と、広い敷地で伸び伸びと生活している動物たちを見て来て、動物園を見直し始めたのだ。そして、とべ動物園にも足を運んでみようということになったのである。とべ動物園は、ホノルル動物園や北京動物園ほど広い敷地ではないが、日本にしては広い敷地の中で、動物たちが伸び伸びと生活していた。とべ動物園の様子は、以下のスライドショーに収めている。(写真に付加したコメントをご覧になりたい場合は、スライドショーの下にある吹き出しマークをクリック)

 私の実家からとべ動物園までの往復は、往路は高速道路、復路は一般道を通った。かつては私の実家から少なくとも一時間半は掛かっていた松山方面への移動も、高速道路を使えば数十分で可能になってしまう。便利になったものだ。

 四国に高速道路が開通して、もう何年になるだろうか。帰りに一般道を通ったとき、子供の頃、私の実家方面と松山を結ぶ国道十一号線がひどく混雑していたことを思い出していた。お椿さん(椿まつり)に行くのも、道後動物園に行くのも、鷹ノ子温泉に行くのも恐ろしい渋滞で、車はいっこうに進まなかったのを子供ながらに覚えている。しかし、高速道路が開通したおかげで、今では交通量が分散され、混雑がずいぶん緩和されているのである。

 四国は高速道路の開通が遅かったので、高速道路の工事を進めて行くのも、並大抵の努力ではなかったはずだ。高速道路の建設予定地に家を構えて住んでいた人たちもいたことだろう。しかし、高速道路建設のために土地を譲ってくださった方がいたおかげで、めでたく高速道路が開通し、多くの人たちにとって便利になった。

 私はずっと、誰かの苦しみの上に成り立つ喜びなど存在しないと思っていたが、もしかしたら、本当にもしかしたらなのだが、そこに住んでいた人たちが土地を譲ってくださったことへの感謝の気持ちを忘れずに、四国内を高速で移動できるようになったことに感謝していると、高速道路建設のために土地を譲ってくださった方たちにもそれが伝わり、同じ喜びとなり得るのではないかと想像した。つまり、双方が同じベクトルで喜びを感じられるのではないかと思ったわけである。それが、自分と他人を区別しないということなのではないかと思う。更にそのような喜びなら、高速道路を作った人にまで浸透するのではないだろうか。高速道路のなかった時代のことを思えば、現在のように高速で移動できることを当たり前のように思うことはできないと思った。

 とべ動物園に出掛けて行くと言って実家を出たのは十三時を回っていたというのに、広いとべ動物園をゆっくりと回り、一般道を通って帰って来てもまだ十八時頃だった。私たちは、帰りがもっと遅くなると思っていたので、予め、
「晩御飯はいらないよ」
と母に言ってから家を出て来た。十八時なら晩御飯に間に合う時間だが、急に予定を変更するのも申し訳ないので、私たちは外食することにした。しかし、一方では、実家に帰っているのに外食するなんて、ちょっと後ろめたいような気もしていた。

 帰宅してからそのことを母に言うと、
「なあんだ、外食するなら誘ってくれたら良かったのに」
と言われた。私は驚いて、
「えっ? 実家に帰ってるんだから、母の手料理を食べるのが親孝行なんじゃないの?」
と言うと、母は、
「いやいや、もう年を取って身体がしんどいから、子供が帰って来ても、外食してくれたほうが楽ちんだと、他のお母さんも言うとったよ」
と言った。私は、
「ふうん」
と言ったあと、しばらく考え込んだ。それが母の本音だとすると、私たちが親孝行だと思っていたのは、単に甘えていただけなのかもしれない。親孝行と甘えはベクトルの方向が違う。親孝行は、親に向かって行くベクトルで、甘えは自分に向かって行くベクトルだ。しかし、一度も母の手料理を食べないわけにはいかないだろう。何しろ、母は私と違って、まるで家事をするために生まれて来たような人だから。

 母が家事に一生懸命であることを褒めると、母は私に言った。
「お父さんと結婚したときに、何を食べさせてお父さんを喜ばせてあげようか、そればっかり考えていた」
と。
「へええ。そんな考えは、私の中にはないなあ」
と言うと、母は、
「私は外で働くことができんかったけんね」
と言った。その言葉には少し考えさせられた。
「みんな、自分のできることを一生懸命やって生きてるのよ」
と母は言った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 母の言葉から考えてみると、ガンモと私は、同じ役割の人間が二人いる家庭なのでしょうね。昔は、男性が外で働き、女性は家を守って来た時代でした。ということは、父親と母親の役割としてのベクトルの向きは異なっていたのですね。義母も母も、そうした典型的な時代を生き抜いて来た人たちなのだと思います。尽くすことを強いられたのではなく、尽くすことが喜びだったのでしょう。

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