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2007.04.09

映画『ハッピーフィート』

 日曜日はガンモと二人で大阪に行った。ずっと観そびれていた映画『ハッピーフィート』を観るためである。先日も書いたように、この映画の前売券は、ガンモのリクエストにより、派遣会社の福利厚生サービスを利用して購入しておいたものである。高松でこの映画を観ようとしていたとき、映画の登場人物たちに負けないくらいの「とさか」を寝癖アートで生み出していたガンモだったが、今回はそんな寝癖アートの「とさか」もないまま映画館に向かうことになった。そのため、私は、
「今日は『ハッピーフィート』にふさわしくないね」
などと言った。

 この映画には字幕版と吹替え版の上映がある。おそらく、吹替え版は子供向けに製作されたものなのだろう。神戸地区でも上映されているのだが、上映時間を調べてみると、昼間のうちに吹替え版を上映し、夕方以降に字幕版を上映しているところが多かった。上映されて間もなくは、字幕版と吹替え版を別々のスクリーンで上映していたのだろうが、公開されてからずいぶん日にちが経ったので、字幕版と吹替え版を一つのスクリーンで上映するように縮小されたのだろう。そのため、子供が活動する昼間に吹替え版が上映され、大人向けの字幕版は夕方以降の上映に追いやられてしまったのだろう。私たちが大阪の映画館を選んだのは、そうした映画館の中でも上映時間が比較的早かったからだ。

 ところで、映画を観るまで『ハッピーフィート』というタイトルについてまったく考慮していなかったのだが、フィートとは足を意味するfootの複数形だった。このことに気付くのは、主人公のマンブルというペンギンが、歌が下手な替わりにタップを踏むことを喜びとしているシーンが映し出されたときである。そう、この映画は、歌は下手でも足で自由自在にタップを踏むことのできるペンギンの話なのである。

 歌で求愛する皇帝ペンギンにとって、音痴であることは悲劇的なことだった。歌を歌うことができないために、皇帝ペンギンの仲間たちと快適に過ごすことができないマンブルを、私は自分の子供時代や土曜日に観たばかりの映画『アルゼンチンババア』と重ねた。私は、子供の頃からちょっとはみ出していた。私のはみ出している部分を理解してくれた人は少ない。子供の頃だけでなく、今でも十分はみ出していると思う。「何故、人と同じことができないの?」と親に叱られながら育ったように思う。

 マンブルには好意を寄せている女性ペンギンがいたのだが、彼女は歌姫と言っていいほど歌がうまかった。彼女に求愛したいのに、あまりにも歌が下手なために、求愛どころか音痴の歌を聞かせてしまい、彼女に不快感を与えてしまうマンブル。何だかとても切ない。得意分野が異なるために、マンブルの良さが彼女に通じないのだ。彼女にとってマンブルは、可憐なタップを踏むことができるペンギンではなく、音痴のペンギンなのである。歌とタップという組み合わせでなくても、人間社会において、このようなすれ違いは多い。○○ができる人ではなく、△△ができない人というレッテルを貼られてしまうことがいかに多いか。

 この映画は非常に良く出来たCGアニメである。映像も美しく、CGにしてはかなりリアルな映像に仕上がっている。大きな鳥がマンブルたちを襲うシーンは実にリアルで、実際にその現場を見てはいないのに、思わず、先日の父ちゃん、母ちゃんに対するカラスの攻撃を想像してしまった。しかし、私たちが映画館に着いたとき、まだ吹替え版の上映中だったのだが、字幕版の上映時間まで待合所で待っていると、吹替え版の上映を観ている人たちが何人も何人もスクリーンから出て来てはトイレに行ったり、売店で飲み物を買ったりしていた。そうした状況から、もしかすると、映画に集中できない事情でもあるのだろうかと思っていたのだが、字幕版を観て、「この映画は子供さんたちにはちょっと難しいかもしれない」と思った。決して、話の展開が速過ぎるわけではない。子供さんたちにとって親しみやすいであろうペンギンのCGアニメという題材だけで、中身は寓話的、道徳的な要素を多く含んでいるからだ。つまり、この映画が表現したいことを受け止められる対象として、小さな子供さんには難し過ぎるのではないかということだ。しかし、子供向けの映画だろうと思って字幕版を観た私たちにとっては、予想以上に楽しめる映画だった。

 ただ、少し残念に思えたのは、マンブルがどのようにしてタップを通して人間たちと交流できたかが、とてもわかり辛くなっていたことだ。物語の後半になり、駆け足の編集が行われてしまったのかもしれない。人間たちが大量に魚を摂っているために、ペンギンたちの餌の魚が減ってしまったことを、マンブルはタップを踏むことで訴え続けたのである。

 歌は皇帝ペンギン同士を繋げるが、タップは皇帝ペンギンの世界よりももっと広い世界と繋がっていた。そのことが皇帝ペンギンたちにもわかったから、これまでタップを踏むことを毛嫌いしていた連中までが一斉にタップを踏む。マンブルが認めて欲しかったことが、ようやく認められたのである。そんな、ハッピーエンドのハッピーフィートであった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今やCGはここまでリアルな映像を描けるようになったのですね。私は映画を観ながら、実はペンギンのぬいぐるみの中に人間が入っているか、本物のペンギンが演じているのではないかと錯覚したほどです。ゲームの世界でもCGは発達しているようですが、何故か目に表情が表れていませんよね。でも、この映画は、目に表情がしっかりと表れている、とてもリアルなCGでした。目を見れば、登場人物の感情が手に取るようにわかるのです。ちなみに、寝癖の「とさか」がなくても、映画館には入場できます。(笑)

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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