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2007.04.06

社会的な交流

 今週末の納品に向けて動いていたはずの仕事がストップしてしまった。納品のために必要な管理番号が発行されないらしい。管理番号を発行するのは、親会社の管理番号発行担当者だ。しかし、何が原因で遅れているのかわからないのだが、とにかく私たちが納品作業を進めて行くために必要な管理番号がまだ決まっていないらしい。その番号をいくつかの納品物件にも反映させるため、管理番号が発行されなければ納品することができないのだ。形式にこだわるメーカならではの落とし穴である。

 納品作業を進めることができないためか、まるで降って沸いたように、
「プロジェクトのみんなで飲みに行きませんか?」
というお誘いがかかった。そう言えば、ガンモも今日は飲み会だと言っていたはずだ。それならちょうどいい。他のプロジェクトメンバも、残業をする覚悟で出勤して来たのだろう。その残業が飲み会に変わってしまったとしても大差はない。こうして、金曜日の夜であるにもかかわらず、プロジェクトメンバの一人を除いたほぼ全員が飲み会に参加できることになった。

 私たちのプロジェクトの飲み会が行われるのは、実に久しぶりのことだ。どんな理由があったのかわからないが、およそ半年以上もの間、プロジェクトの飲み会が開催されなかったのである。

 飲み会の席で、みんなの下の名前を言えるかという話になった。ほとんどの職場においてそうだと思うが、職場で人に話し掛けるときは苗字で呼び掛けていることだろう。だから、同じ職場の人たちに、下の名前を気に掛けられることはほとんどないと言っていい。しかし私は、メールのシグニチャなどをいつも気にして見ていたので、プロウジェクトメンバ全員の下の名前を言い当てることができた。それだけでなく、一部の人の誕生日も記憶していたので、みんなに驚かれてしまった。昔から私は、誕生日や血液型は、一度聞いたらたいてい覚えてしまうのだ。

 あまりにも驚かれてしまったので、私はみんなの前で、
「実は私、『イナバウアー』を知らなかったんです」
と暴露した。すると、周りにいた人たちは、信じられないといった表情で私を見た。私が普段からテレビを観ないことを話して聞かせると、一般常識に欠けていると言われてしまった。確かにその通りかもしれない。いや、一般常識というよりも、テレビから得られる情報に著しく疎いのである。

 テレビと言えば、プロジェクトメンバの一人が、買ったばかりだという流行のワンセグ携帯を取り出した。携帯電話にテレビのアンテナが付いていて、携帯電話にしては大きな画面でテレビを観ることができるようになっている。おまけに、フルブラウザも付いているそうだ。そう言えば、私のサイトに携帯電話からアクセスしてくださっている方が何人かいらっしゃることが気になっていたのだが、フルブラウザであれば、携帯電話からパソコンで見るのと同じようにサイトを閲覧できるらしい。

 携帯電話に関して言えば、私はひどく遅れを取っている。何しろ、壊れた携帯電話を修理に出して、三年前の携帯電話を使っているからだ。私の携帯電話は、赤外線通信もできなければ、QRコードを読み取ることもできない。しかし、これらの機能が付いていなくてもまったく困らない。いつもノートパソコンを持ち歩いている私にとって、通話以外の目的で使用される形態電話は、必須アイテムではないのだ。

 他の人たちに私の印象を聞いてみると、
「いつもノートパソコンに向かって、パシャパシャ打ち込んでいる人」
ということらしい。確かに私は、休み時間になると、ノートパソコンを広げて「ガンまる日記」を書いている。今は休み時間ではないが、プロジェクトの飲み会の話も、こうしてパシャパシャ打ち込んでいる。

 プロジェクトの飲み会を終えた私は、ツインソウルが言っていたことを思い出していた。ツインソウルは、自分の今いる世界が、自分には合わないと感じていると言っていた。私もそのことに共感したが、今回の飲み会を通じて人との関わりについて、一層深く考えさせられた。

 コミュニケーションの多くは、目の前に落ちたボールを自分の足で歩いてわざわざ拾いに行き、拾い上げたボールを相手に向けて投げている。しかし、投げたボールは、自分に届いたときと同じように相手の胸元まで届かずに、相手の目の前でポトリと落ちてしまう。つまりは、お互いに触れて欲しい部分があるのに、そこに辿り着けないコミュニケーションが多いということである。そして、胸元に届かずに、目の前に落ちたボールを拾い上げる行為の繰り返しが面倒になれば、コミュニケーションは終わりを告げる。

 私の知る限り、胸元までダイレクトに届くコミュニケーションは数少ない。しかも、相手が投げて来たボールが胸元まで届かずに、わざわざ歩いて取りに行っていることを、ボールを投げて来た相手自身が気付いていないことが多い。特に、趣味や考え方がまばらな仕事仲間という社会的な集まりにおいては、ボールは自分の前どころか、もっと自分から離れたところにポトンと落ちている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ボールが胸元まで届くというのは、単なる共感や知識の共有とも違うような気がしています。やはり、感情のやりとりなんですよね。つまり、心の交流がなされているかどうかだと思います。そして、心の交流とは、多対多の交流から生まれるものではなく、一対一の交流から生まれるものなのかもしれません。ここに書いたような交流は、おそらく社会的な交流に相当するのでしょうね。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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