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2007年4月

2007.04.30

幸せのかたち

 本来ならば、帰省することを前もって伝えておくべきなのに、確実に帰省できると断言できる状態ではなかったので、ガンモの実家に帰省すると連絡を入れたのは当日のことだった。それにもかかわらず、義父や義母は私たちをあたたかく迎えてくれた。

 実家に帰ると、どのように振る舞うべきか、迷ってしまうことがある。義父も義母も身体の調子があまり良くないので、頻繁に帰省すると、返って気を遣わせてしまうのではないかと思うこともあった。そのため、先月、フェリーの回数券と青春18きっぷの消化ツアーで高松までやって来たのに、ガンモの実家には立ち寄らなかったのだ。そうかと思えば反対に、帰省して私たちの元気な顔を見せて、義母の手料理を食べることが親孝行なのだと思うこともある。お互いに無理をしないことが一番なのだろうが、どちらもフランクに振る舞っているという確信がないと、判断に迷うことがある。親の立場からすると、他人が家に来ると思うと気疲れしてしまうが、子供が帰って来ると思うと、疲れていても張り切ってしまうといった心理なのだろうか。実際、今回の帰省でも、義母は身体の調子があまり良くなかったはずなのに、私たちに精一杯の手料理を食べさせてくれた。

 一夜明けて、義妹が子供たちを連れてやって来た。義弟は仕事のため、来られなかったのだ。義父や義母は孫に会うことができてとてもうれしそうだった。やはり、孫中心の会話になってしまっているのだが、普段、大人しい義父や義母が、孫に一生懸命の様子を見ていると、義妹に産んでくれてありがとうと言いたくなる。ただ、この言葉は実際にはまだ口にしていない。おそらく、義妹と二人きりになるチャンスでもなければ、言うことができないだろう。

 孫が遊びに来ているとき、義母が手作りのぬいぐるみを持って来た。それは、まるで既製品みたいに完成度の高いアンパンマンとミッフィーのあみぐるみだった。私が、誰の手作りなのかと義母に尋ねると、義母は、自分の手作りだと答えた。私は驚いた。これまで知らなかった義母の一面を垣間見た気がしたからだ。アンパンマンなどは、マントやベルトや胸のニコニコマークまでがわざわざフェルトで作られ、本物そっくりだった。手作りにしてはあまりにも既製品に近かったので驚いていると、義母は更に奥からキティちゃんのベストを持って来た。キティちゃんの顔も、本物そっくりだった。アンパンマンもミッフィーもキティちゃんも、みんな孫のために義母が見よう見真似で作ったのだそうだ。しかし、孫の反応が今一つなのでとても残念がっていた。私は、
「それなら私に作ってくださいよ」
などと言って笑いを取った。

 孫中心のコミュニケーションが繰り広げられている一方で、義妹の連れ子である二人の男の子たちの存在も気になっていた。彼らはガンモ家にやって来ると、あたかも自分たちが主役ではないとわかっているかのように気を遣い、ゲームをするために二階に上がって行く。私たちは、この二人の男の子たちが大好きだ。とにかく素直でとてもいい子たちなのだ。義父や義母が孫をかわいがるなら、私たちはこの兄弟をサポートしようとガンモと話し合ったこともある。

 二人の兄弟は、確か歳が一つ違いで、まるで友達みたいにお互いの名前を呼び合っている。ガンモも私も、実の兄弟とは歳が離れているので、
「あんな兄弟に憧れるよなあ」
というのが私たちの共通の感想である。

 ガンモの実家に帰ると、私たちはいろいろなことを思う。子供がいない私たちと、子供のいる女性と結婚した義弟。そして、二人の間にガンモ家として血の繋がりのある子供が生まれ、義父と義母にとてもかわいがられていること。みんな、幸せのかけらを少しずつ持っている。それらのかけらはまだ個別に存在していて、絡み合ってもいない。今の私たちにできることは、一歩離れたところから全体を見渡し、エネルギーがまんべんなく行き渡るように自分自身を配置することだ。

 幸せって何だろう。男女が愛し合い、結ばれる。それは、大前提としての幸せだ。しかし、男女が愛し合ったその先にある幸せのかたちは、実に様々な模様を描き出す。どんなかたちだって、関係ないんだよ。少なくとも、私たちはそう思っている。子供がいようが、いまいが、連れ子がいようが、いまいが、関係ないんだよ。どこかに偏ることはない。いつかそんなことを、腹を割って話すことができたらと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅れて申し訳ありません。三泊四日の帰省を終えて、無事に我が家に辿り着きました。まだまだ実家で起こった出来事を消化できないでいます。記事の中で少しずつご紹介させていただきますね。みんな、完全ではないのです。でも、完全って一体何でしょう? そんなことを感じさせてくれた帰省でありました。

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2007.04.29

タコの求愛

 ガンモの運転により、私たちはガンモの実家のある香川県へと向かった。自宅近くのI.C.から阪神高速道路に入ったのだが、ゴールデンウィーク初日ということで、ひどく混み合っていた。途中、昼食をとるために立ち寄った淡路サービスエリアも、これまでにないほどの混雑ぶりだった。昼食をとったあと、ガンモは病院で処方していただいた薬を服用し、ようやく落ち着きを取り戻したようである。熱も引いて、いつものガンモに戻ったのである。まるで、ガンモの体調とシンクロするかのように、淡路サービスエリアを越えて徳島に入ると、高速道路の混雑も緩和された。私たちはそのまま高速道路を走り、高松まで移動した。

 ガンモの実家を訪問する前に、私たちは高松の屋島という源平壇ノ浦古戦縁(ゆかり)の地を訪れた。小高い山の上にある屋島は、高松市内を展望できるほか、屋島寺という四国八十八ヶ所のお寺もある。そこでお遍路さんに会い、私は高校まで過ごした愛媛で見ていた光景を思い出した。愛媛で生まれ育った私は、子供の頃から、四国八十八ヶ所を参拝するお遍路さんの姿を当たり前のように目にして来た。しかし、四国を離れてしまうと、かつては当たり前だったお遍路さんが珍しく、そして懐かしい存在に変わっていた。

 屋島には瓦投げと言って、ポテトチップスよりも少し厚みのある瓦を展望台から投げると厄除けになるというならわしがある。特に、展望台の下に設置されたワッカの中をくぐらせると良いらしい。私たちも瓦を買って投げてみたのだが、ワッカの中をくぐらせることはできなかった。そのあたりの写真を、以下のスライドショーに収めている。(写真に付加したコメントをご覧になりたい場合は、スライドショーの下にある吹き出しマークをクリック)

 屋島には水族館もある。かつてその水族館は、屋島山上水族館という名前だったが、現在は経営者が変わって新屋島水族館という名前になっている。高松と隣接している坂出の出身であるガンモは、小学校の遠足で屋島山上水族館を訪れたそうだ。私も大学生の頃、好きなアーチストのツアーで高松を訪れたときに、友人たちと三人で屋島山上水族館を訪れている。水族館への再訪は、ガンモにとっては三十年ぶり、私にとってはおよそ二十年ぶりとなった。

 新屋島水族館を訪れて驚いたのは、生き物をより身近に感じられるように設計されていることだった。ほとんどの水族館は、水槽の前に柵を作り、生き物と人間の距離を守っているところが多いと思う。しかし、新屋島水族館はそうではなく、水槽の中に手を突っ込むことができるのだ。例えば、海ガメが泳いでいる水槽に上から手を突っ込むことができる。不思議なことに、この方法を取ると、最初から柵を作って距離を置くよりも、人間と海ガメの距離も適度に保たれるようである。生き物にとことん近づいたあと、自分たちでお互いの適切な距離を調整できるようになるのかもしれない。

 新屋島水族館にはそうしたコンセプトを大切にしているのか、ヒトデやウニを触ることのできるタッチプールも設置されている。小さい頃、海水浴場ですっかり干からびてしまったヒトデやウニを目にして来たが、ここでは生きているヒトデやウニを自分の手で触ることができる。子供たちは怖がりもせずにヒトデを水の中から出してスキンシップをはかっていたのだが、どういうわけか、私は触ることができなかった。何故、子供たちにできることが私にできないのだろう。頭で考え過ぎてしまうからなのだろうか。それとも、彼らよりもたくさんの裏切りを経験して来たというのだろうか。私は、係員の方が
「慎重に触れば大丈夫ですよ」
と言ってくださっているのに、ヒトデやウニに対する警戒心を解くことができなかったことがショックだった。なお、新屋島水族館で撮影した写真は、以下のスライドショーに収めている。(写真に付加したコメントをご覧になりたい場合は、スライドショーの下にある吹き出しマークをクリック)

 さて、タイトルに掲げた本題に入ろう。新屋島水族館で、私はとても情熱的な男女の愛に出会った。それは、さきほどのスライドショーの後半部分に収めたタコの求愛行為である。タコツボの中に、一パイのタコがいたので、私はしばらく立ち止まって見ていた。いつも回転寿司に行くと、私は好んでタコを食べている。新屋島水族館でタコの姿を見たとき、彼らの生態も知らずに食べるのは、彼らに申し訳ないような気がしていた。私は、タコツボの中に隠れている、普段見慣れないタコの目や吸盤に注目していた。

 最初のうち、タコはタコツボに大人しく入っているかのように見えた。しかし、次第に身体をよじらせながら、タコツボの中から足や身体を出し始めた。タコの様子をじっと観察していると、少しずつ呼吸が荒くなって来ているように思えた。更に観察を続けていると、足を隣のタコツボまで伸ばし始めたのだ。しばらくの間、私はタコが一体何をしているのかわからなかった。足を水の中でくねらせながら、まるで風に吹かれているかのように足をなびかせて楽しんでいるかのように見えていたからだ。

 しかし、私はやがて、隣のタコツボから、別のタコの足が出ていることに気がついた。つまり、最初に見つけたタコと、隣のタコツボの中に入っているタコが、足と足を絡み合わせているのである。しかも、単に絡み合わせているのではない。あたかもお互いの吸盤と吸盤をくっつけ合わせるかのように、とても情熱的に絡み合わせているのだ。「これはタコの求愛に違いない!」と私は思った。私はドキドキしながらニハイのタコの求愛行為から目を離すことができなかった。

 やがてニハイのタコは、お互いの足と足を水槽の高い位置まで這わせ、一層激しく絡み合い始めた。そして、クライマックスに差し掛かると、すべての足をお互いのタコツボのほうに向けて、ほとんど足全体を絡み合わせ始めたのである。何という情熱的な行為なのだろう。見ている私までドキドキして来た。まるで、タコの気持ちの高まりが伝わって来るかのようだった。

 彼らはひとしきり情熱的に求め合うと、やがて落ち着き、それぞれのタコツボに戻った。インターネットでタコの求愛について調べてみると、繁殖期になると、オスは交接腕という特殊な腕が届く距離までメスに近づき、求愛するのだそうだ。そして、求愛行動が終わると、オスは交接腕をメスの外套膜の中に挿入し、精包を溝に沿って送り込み、メスの輸卵管に届けるのだそうだ。私の目の前で起こっていたのは、まさしくタコの交尾だったのではないだろうか。こちらがドキドキしてしまうほど情熱的な求愛行動だった。何故なら、彼らの高まりが私にも伝わって来るほどだったのだから。

 この行為を見守っている間、かなり長い時間が経過してしまったので、私と一緒に回っていたガンモは、少し先にある椅子に座って休んでいた。途中、何組かの家族連れがやって来たが、彼らが求愛行為をしていることには気付かずに行ってしまった。

 私に求愛行為を見せてくれた新屋島水族館のタコは、同じ海の中でもともと惹かれあっていたオス・メスなのだろうか。それとも、新屋島水族館に来てから愛し合うようになったのだろうか。どちらにしても、水族館の中でもあれほどまで情熱的に愛し合うことができるのは、とても幸せなことだと思う。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m タコがこれほどまで情熱的に愛し合うとは意外でした。感情が伴う行為を見届けるのはとてもうれしいものですね。私たちは、動物は感情抜きで交尾していると思いがちですが、案外、他の動物たちも情熱的なのかもしれませんね。人間も、彼らに負けてはいられません(笑)。それと、ヒトデやウニを触ることができなかったことについて、私の中にあった恐怖は一体何だったのでしょうか。海岸で、彼らの死骸を目にすることが多かったために、死骸には慣れているけれども、生きている彼らには慣れていないということなのでしょうか。子供たちは平気で触っているのに、触れなかったことがショックだったので、果たしてこの感情が何なのか、知りたいと思っています。

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2007.04.28

ガンモの発熱

 失くしていた鍵が見つかった夜、仕事から帰宅したガンモは原因不明の熱を出してしまった。どうやら客先で鍵を探し回っていた頃からあまり調子が良くなかったらしい。ガンモは風邪を引いてしまったと思い、風邪薬を飲んだあと、布団に入って眠った。実は少し前から、ガンモの足にできものができていた。そのできものは痛みを伴っているにもかかわらず、なかなか潰れなかったので、ガンモはそのできものを自分の手で潰し、中の膿を取り出そうとした。しかし、思うように膿が出て行かなかったようだ。同じ時期に発熱とできものの痛みがいっぺんにやって来たなんて、ガンモもついていない。

 幸い、ガンモは翌日の仕事が休みだった。朝起きてから体温計で熱を測ってみると、ガンモの熱は三十八度一分もあった。その日は金曜日で、私はゴールデンウィーク前の最後の出勤日だった。仕事がそれほど忙しくなかったので、私は熱を出したガンモの看病のために、
「仕事、休もうか? 忙しくないから休めるけど?」
とガンモに聞いてみた。しかしガンモは、
「仕事休むなんて禁止! 俺は大丈夫だから、仕事に行って来ーい」
と言った。私は、それほど遅い帰宅にはならないことがわかっていたので、ガンモにできるだけ病院に行くように伝えると、仕事に出掛けて行った。

 仕事の合間をぬってガンモに電話を掛けてみると、ガンモは少し回復したようだった。ほとんど一日中、ベッドで休んでいたらしく、私が帰宅してみると、ガンモは身体から熱を追い出すことができて、熱も少し下がったようだった。病院嫌いのガンモは、病院には行かなかったという。しかし、足のできものを自分で潰して膿を出してしまおうと、再びトライしたようだった。その結果、以前、トライしたときよりはたくさんの膿を身体の外に出すことができたらしい。それでもまだまだ完全であるとは言えなかった。

 私たちは、ゴールデンウィークが始まると、お互いの実家を訪問する計画を立てていた。今回は鉄道や船を使っての帰省ではなく、車で帰ることになっていた。私は普通免許を持っていないので、ガンモだけの運転となる。そのガンモが、ゴールデンウィーク直前に熱を出し、おまけに足の痛みまで抱えている。回復には向かっているとは言え、当初の予定通り帰省することは、ガンモの身体に大きな負担をかけてしまうのではないか。状況がはっきりしないまま、私たちはゴールデンウィークの初日を迎えることになった。

 ゴールデンウィークの初日、ガンモは朝早くから起き出して、まずは体温を測った。ほとんど平熱に戻っていた。ほっと一安心である。しかしガンモは、
「リンパが腫れてるから、○○病院に行って来る」
と言った。病院嫌いのガンモが自分から病院に行くと言い出すのは余程のことだ。ガンモはゆうべから、できものを潰した周辺のリンパ腺が腫れているのを感じ取っていたらしく、このままではいけないと思い、ゆうべのうちに○○病院の診察時間をインターネットで調べておいたらしい。

 ○○病院は、近所にある少し大きめの個人病院である。以前、同じようにガンモの足にできたできものがなかなか潰れなかったため、○○病院で診察していただいたことがあるのだ。○○病院は、個人病院ではあるものの、なかなかしっかりした病院なので、ガンモはその病院が気に入ったようだ。また、○○病院では、同じマンションの同じ階に住むHさんが看護士さんとして働いている。私も以前、○○病院にお世話になったとき、Hさんにばったりお会いして驚いた。まったく無防備な状態で自分の知っている人に出会うのは少し照れ臭いものである。しかし、そのときたまたまHさんが診察前に私の症状をヒアリングしてくださり、私と同い年だということがわかって、親近感が沸いたのである。

 ガンモが病院に出掛けてから二時間近く経っても音沙汰がなかったので、ガンモの携帯電話にメールを送ってみると、しばらく経ってから、
「ようやく診察終わった。これから帰るから。実家に帰る準備をしておくように」
とメールの返事が返って来た。土曜日の午前中だったため、病院はひどく混雑していたらしい。帰宅したガンモは、
「きのうのうちに病院に行っておけば良かった」
と後悔していた。診察していただいた様子をガンモに尋ねてみると、膿を出そうとしてできものを無理に潰すと、身体の中で膿が逆流してしまい、かえって身体に良くない状況を作り出してしまうのだそうだ。熱が出たのも、風邪ではなく、膿の逆流と関係があるだろうと診断されたそうだ。病院で熱を測ったところ、朝起きたときは平熱だったのに、三十七度一分まで上昇していたそうだ。病院の先生は、抗生物質と熱冷ましの薬を処方してくださったそうだ。

 ガンモの話によれば、何と、診察前のヒアリングをしてくださった看護士さんが、Hさんだったそうだ。Hさんは、ガンモを見るなり、
「あら、△△さん」
と、私たちの苗字を呼んでくださったらしい。ガンモ曰く、
「Hさんに、当たり前のように名前を呼ばれたから。Hさんに、足を見られた。でも、Hさん、小さくてかわいいね。思わず抱きしめたくなったから」
と言った。私もHさんはかわいいと思う。ガンモと私は好きな女性のタイプが良く似ているのだ。

 薬を処方していただいたガンモは、熱を出した原因がわかったことと、リンパ腺への負担が軽減される希望の光が見えて来たことで、元気が出て来たのだろう。予定通り、自家用車で実家に帰ると宣言した。それから私たちは帰省準備を整えて、先日、息を吹き返したばかりの三十万円のメルセデスベンツに乗り込んだ。そして、途中のサービスエリアで昼食を取り、ガンモは病院で処方していただいた薬を飲んだ。その薬のおかげで、ガンモの熱は再び平熱に戻り、できものの周りの赤い腫れも少しずつ引いて来たのである。ここのところ、西洋医学への不信感を募らせていた私だったが、今回のことで、西洋医学を少し見直した。西洋医学は、ロジカルに説明できる症状については、素晴らしい効果を発揮してくれるようである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ゴールデンウィークをいかがお過ごしでしょうか。私たちは、ガンモの実家に一泊し、私の実家に一泊しているところです。お天気も良く、最高のゴールデンウィークになりそうですね。皆さんも、有意義なゴールデンウィークをお過ごしください。ちなみに、ガンモは、二日から仕事が入っていますが、私めは九連休でございます(笑)。ゴールデンウィークにお仕事が入っている皆さん、ごめんなさい。

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2007.04.27

心の友よ

 鍵を失くしたと慌てているガンモに、
「今、どこにいるの?」
と尋ねてみると、ガンモは自宅近くの顧客の名前を答えた。どうやらガンモは、仕事中に顧客から預かった鍵を失くしてしまったらしい。鍵を失くしてしまったとわかってから、かれこれ一時間半以上も探し回っていたらしく、いつもの冷静なガンモとは様子が違っていた。
「ガンモ、落ち着いてよ。ガンモはいつも冷静に行動してるじゃない? ガンモらしくないよ。とにかく落ち着いて。鍵は絶対出て来るから。冷静になってじっくり探せば、きっと出て来るから」
と私は言った。単に励ますつもりで言ったのではなく、私の中には、鍵は必ず見つかるという確信めいたものがあったのだ。私の一言でガンモは我に返り、
「わかった、ありがとう」
と言って、いったん電話を切った。

 その後、私はガンモが探している鍵が見つかることを心から祈った。そして、ガンモが鍵を探している様子を頭の中でイメージした。すると、突然、緑色の何かが頭に浮かんで来た。その緑に強いインスピレーションを感じた私は、ついさっき切ったばかりの携帯電話を取り出して、もう一度ガンモに電話を掛けた。直感的に、ガンモが失くした鍵は緑色の何かの近くにあることがわかったのだ。
「ねえ、ガンモ、あのね、緑・・・・・・」
と言いかけたところ、ガンモは私の言葉を遮(さえぎ)り、
「そう、緑だから。緑の鍵束を探してるんだよ。何でわかった?」
と言った。予想外の展開に、私は驚いた。私は緑色の何かの近くに失くした鍵があるというインスピレーションを得たというのに、ガンモは緑色の鍵束を探していると言うのだ。私が得た緑のインスピレーションは、ガンモの探している鍵束の色だったのだろうか。私はどこか腑に落ちない感覚を残しながらも、再びガンモを励まし、電話を切った。

 自転車乗って自宅に向かって走っていると、ガンモから電話が掛かって来た。ガンモは息をはずませながら、
「鍵、あったから! まるみ、ありがとう!」
と喜びの声をあげた。ガンモの話を聞いてみると、床を這いずり回りながら、かれこれ一時間半以上も鍵を探し回っていたのに、私が電話を掛けてから、ものの数分のうちに探していた鍵が見つかったのだそうだ。私が「冷静になれ」と言ったことで、ガンモは冷静さを取り戻し、鍵を失くした直後の状態からシミュレーションを始めたのだと言う。そして、ここで失くしたとしか思えない場所を特定し、その周辺を徹底的に探したのだそうだ。何と、失くした鍵は、ガンモの仕事用のカバンの中から見つかったと言う。そして、その近くには確かに緑色のものがあったそうだ。更に驚いたことに、ガンモは失くした鍵束の色は緑色だと言ったが、実際は、紫色の間違いだったと言う。ガンモはとにかく気が動転していて、鍵束の色が緑色だという妙な思い込みがあったらしいのだ。
「確かに緑色のものの近くに鍵はあったけど、まさかカバンの中に入ってるとは思わなかったから、緑色のものの近くにあるとまるみに言われても気付かなかった」
とガンモは言った。何はともあれ、鍵が見つかったのだから、とにかくめでたしめでたしである。

 ガンモは、鍵が見つかったことがうれしくてたまらなかったようだ。というのも、ガンモは翌日、仕事が休みの予定だったのだが、一時間半以上も探して見つからなかったので、休みを返上して部長と一緒に鍵を失くしてしまった顧客を訪問し、謝罪する覚悟でいたらしいのだ。しかし、鍵が見つかって、その緊張感からすっかり解放されたので、ガンモは大いに喜んでいたのである。

 私が自宅に着く頃、ガンモはもう一度電話を掛けて来た。とにかく鍵が見つかって、うれしくてたまらないらしい。私に向かって、
「心の友よ、今、どこなの?」
と聞いて来た。私が、
「もうすぐマンションに着く頃だよ」
と言うと、
「俺ももうすぐ着くから(ガンモは自宅近くの顧客で仕事をしていたので、歩いて帰宅していた)、一緒にエレベータに乗ろうよ、心の友よ」
と言った。

 ガンモが歩いているという方向に目をやると、確かにガンモが仕事用の重いカバンをコロコロ転がしながら歩いているのが見えた。私は心の友のガンモに手を振った。再会したガンモは、私のことを度々「心の友よ」と呼び、私の前で失くした鍵を見つけるまでのプロセスを事細かに説明してくれた。その説明を聞いていると、ガンモが興奮しているのが良くわかった。

 私たちはとても不思議な相性だと思う。私が慌てているときはガンモが落ち着いていて、私が冷静なときはガンモが冷静さを失っている。普段は似たもの同士の二人なのに、いざというときにはカバーし合える、とてもいい関係である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 「確信めいた予感」は必ず当たる傾向にありますよね。事実のほうが感覚よりも先にやって来るのでしょうか。感覚は曖昧ですが、事実を感じるのは素早く、そして正確であるように思います。反対に、自信のない答えは当たっていないことが多いようにも思います。このような感覚をもう少し研ぎ澄ませて行きたいものです。

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2007.04.26

ホットヨガ(四十三回目)

 ガンモは職場の人たちと飲み会だと言っていた。奇しくも、私の派遣先でも職場全体の飲み会が開催されることになっていた。しかし私たち派遣社員は、プロジェクトの飲み会には参加するものの、職場全体の飲み会にはほとんど参加しない。飲み会の規模が大きくなると、派遣社員という線を引きたがるのだ。だから、職場全体の飲み会が開催されるような日は、正々堂々と早く帰宅できるチャンスととらえているところがある。

 このようなチャンスは、月に一回の定時退社日に値する。そこで私は、神戸店のホットヨガのレッスンを予約しておいたのだ。ここのところずっと、七十五分のアクティヴコースのレッスンを受けていたのだが、木曜日ということで、水曜日の定時退社日に受けているのとは異なるレッスンスケジュールが組まれていた。つまり、木曜日には、仕事を終えたあとに受けられる七十五分のアクティヴコースのレッスンが予定されていなかったのである。私は神戸店のレッスンスケジュールとにらめっこしたあと、九十分のベーシックコースのレッスンを受けることにした。ここのところ、七十五分のアクティヴコースに参加しても、レッスン中にひどく暑くなり、大きな息をしながらヨガマットの上で休んでしまったりと、せっかくのアクティヴコースのレッスンを生かすことができなかった。このあたりでもう一度、ベーシックコースのレッスンに戻ってみて、ヨガの基本をしっかり学び直すのもいいかもしれないと思ったのだ。私は勤務先の売店で酸素プラスを購入し、神戸店へと向かった。

 受付でロッカーの鍵を受け取るとき、うれしいことが起こった。前回のレッスンのときに話をした馴染みのインストラクターが、
「この間、四条(私が絶賛している京都四条通店のこと)に行ったので、まるみさん(実際に呼ばれたのは私の苗字)が褒めてくださったことを、京都四条通店のスタッフに伝えましたよ。そしたら、四条のスタッフがすごく喜んで、これからも頑張りたいと申しておりました」
うわあ・・・・・・。何だろう、この感動は。ものすごくうれしかった。私がずっと心の中で温め続けていたことが、京都四条通店のスタッフに届いたのだ。私の想いを届けてくれた馴染みのインストラクターに、
「どうもありがとうございます! 伝えてくださって、とてもうれしいです」
と、素直に喜びを表現した。このときばかりは私の中でも、神戸店とか京都四条通店とかいう区別はなくなってしまっていた。しかし、その区別を最初になくしたのは、馴染みのインストラクターだ。彼女の存在は偉大である。

 私の想いが届いたことと、京都四条通店のスタッフが喜んでくれたことがとてもうれしかった。この想いは、私自身が伝えることはとても難しい。現実的な話をすれば、神戸店以外の支店では、受付でロッカーの鍵を受け取ったり返したりする程度のコミュニケーションしか実現できていない。そのような短い時間に、
「はじめまして。私はいろいろな支店を回っている神戸店の会員ですが、こちらの京都四条通店のレッスンは、毎回、とても楽しみです。インストラクターの皆さんは、マニュアル通りのレッスンではなく、ヨガを根本から理解され、既にヨガをご自分のものにしていらっしゃいます。ですので、レッスンを受けていても、心に響いて来るものがあります。毎回、感動の連続です」
こんなことを口にできるきっかけはないのだ。想いが届くということがこんなにもうれしいことだったということを、私は改めて実感した。

 着替えを済ませてスタジオに入ると、スタジオ内には二十枚のヨガマットが敷かれていた。神戸店で九十分のベーシックコースのレッスンを受けることが珍しいからだろうか。今回、レッスンを担当してくれたインストラクターは、初めて顔を合わせるインストラクターだったが、とても好感の持てるインストラクターだった。

 神戸店と言えば、いつもアクティヴコースでお会いする憧れのあの方はいらっしゃるのだろうか? 今日は木曜日で、いつも定時退社日にレッスンを受けている水曜日とはスケジュールが異なっているので、お会いできるかどうかわからなかった。しかし、レッスンが始まっても、バスタオルだけ置かれているヨガマットが一つあった。きっとあの方が、ヨガマットをリザーブされているに違いない。私はそう確信していた。私たちがウォーミングアップのストレッチをしていると、入口のドアが開いて、フリーパス会員のあの方が入って来られた。やはり、髪の毛が濡れている。いつ来てもこうしてお会いできるのはうれしいことだ。彼女の勇姿を拝見すると、神戸店でレッスンを受けているのだという実感がひしひしと沸いて来る。とにかく、安心するのだ。

 そう言えば、ウォーミングアップのストレッチをしているときに気がついたことがある。ストレッチをするまで気がつかなかったのだが、私の足はいつの間にかパンパンに膨らんでいた。最近、靴下を履かずに裸足にサンダルを履いたまま冷房の効いたオフィスで仕事をしているせいだろうか。足が発熱するおかげで寒さは感じないものの、感覚とは別に、足のむくみが発生しているようである。これまではこのようなことがなかったので、自分の身体の変化に驚いている。

 九十分のベーシックコースのレッスンは、アクティヴコースのように汗をたくさん掻くこともなく、現在の私の身体にぴったりのレッスンだと実感した。思えば、私はベーシックコースに留まるべきところを、勝手に卒業して、アクティヴコースに進んでしまったのだ。もう少し、ベーシックコースに留まるべきだった。レッスンを受けたときの息の荒さを不等号で表してみると、ビギナーコース < ベーシックコース < アクティヴコースだろうか。アクティヴコースの上には更に脂肪燃焼コースがあり、ホットヨガのレッスンの中でもっとも激しいコースだと言われているが、私はまだ脂肪燃焼コースのレッスンを受けたことがない。

 ベーシックコースは、ビギナーコースの延長線上にあると言ってもいいコースで、レッスン中に取るポーズもビギナーコースで取っていたポーズとかなりかぶっている。アクティヴコースと違って、アレンジされたポーズがが少ないレッスンになっている。ここのところ、アクティヴコースでアレンジされたポーズばかり取っていたので、私は久しぶりに取る基本的なポーズに懐かしささえ感じた。

 レッスンを終えたあとの感触もすこぶるいい。アクティヴコースのように、身体がへとへとになっていない。酸素プラスを飲んだからだろうか、それとも、ベーシックコースのレッスンが私の身体に優しかったからだろうか。レッスンが終わっても頭が痛くならなかった。もしかすると、アクティヴコースのレッスンを受けたあとに頭が痛くなってしまうのは、身体が悲鳴をあげているのかもしれない。私はまだアクティヴコースのレッスンを受ける段階ではなく、ベーシックコースのレッスンに留まったほうがいいのかもしれない。私が勝手にアクティヴコースに進んだのは、九十分よりもやや短い七十五分という時間で、ホットヨガの効果を挙げたかったからだ。いつもあちらこちらを走り回っている私だから、ほんのちょっと時間を早回しさせたかったのだ。しかし、今回、ベーシックコースのレッスンを受けてみて、実際は身体がついて行っていなかったことを実感させられた。

 レッスンを終えたあと、自宅の最寄駅からガンモに電話を掛けてみた。二十二時半くらいだったが、まだ宴会まっさかりだろうと思い、レッスンを終えても電話を掛けなかったのだ。ガンモはすぐに電話に出て、私が声を出すよりも先に、
「えらいこっちゃ、鍵をなくした」
と言った。

 驚いたことに、ガンモは職場の飲み会にも行かず、まだ仕事をしていた。ガンモには、ちょっとした事件が起こっていたのだが、長くなってしまうので、この続きは後日書かせていただくことにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ここのところ、「届く」というテーマで流れているように思います。京都四条通店のスタッフの方たちに、私の想いが伝わったことは、大きな喜びでした。想いが通じると、何故、こんなにうれしいのでしょう。素直な想いだからでしょうか。ポジティヴな想いだからでしょうか。私の想いを受け取った相手が喜んでくれたからでしょうか。何もかもひっくるめて、とにかくうれしかったのです。本文の中にも書きましたが、私が直接伝えるとしたら、受付であのようなことを口にすることになるのでしょう。FAXや電子メールという方法もあるのかもしれませんが、わざわざかしこまって伝えるというのも、何だか気が引けてしまいます。今回のように、馴染みのインストラクターを通じて伝わって良かったと思いました。それが、もっとも自然な形の伝わり方だったと思っています。

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2007.04.25

二人の悪夢

 あんぐりと口が開いたアングリーな話で私は、こちらの想いがまったく届かない苛立ちを綴ったが、今日はその逆で、届き過ぎてしまった話をしよう。

 とても奇妙な夢を見た。ガンモに好きな女性ができて、私の知らないところで二人の想いが通じ合っているという夢だった。相手は、ガンモの取引先の会社の女性で、夢の中で二人は携帯電話を使ってメールのやりとりをしていた。夢の中で私はひどくショックを受け、ガンモのほっぺたを両手でつねりながら、ガンモの顔をじっと見つめ、ガンモに対して真実を追究しようとしていた。かなり恐ろしい剣幕だったと思う。目が覚めても、夢の中の嫌な感情が残っていた。ガンモに夢の話を聞かせたところ、ガンモは、
「そんなこと、現実にあるわけないだろう」
と呆れ返っていた。ガンモには、映画を頻繁に観に行っても呆れられるし、夢の話をしても呆れられてしまう。私はガンモを呆れさせるのが得意だ。どこかで「ガンモ呆れさせコンテスト」を開催していないものだろうか。私が出場したら、間違いなくチャンピオンだ。

 冗談はさておき、実は、私が夢を見ている間にガンモに怨念でも送っていたのか、私がその夢を見ていたとき、ガンモはほとんど眠れなかったのだそうだ。

 確かに夢の中の私は、異常なくらい、ガンモにネガティヴなエネルギーを発信し続けていた。しかし良く見ると、夢の中の男性はガンモと顔はそっくりでも、ガンモの魂を持ってはいなかった。夢の中の結婚相手は単にガンモと顔がそっくりな男性であって、ガンモの魂を備えた人ではなかったのだ。そうとわかっているのに、夢の中の私は必死にガンモの魂に向かって訴え続けていたのだろう。現実の世界では私の隣で寝ていて、私の必死の訴えを受信したガンモが眠れない状況に陥ってしまっていたのだ。ネガティヴな想いとは恐ろしいものである。

 いや、ガンモと私の間に言葉の要らない通信が成り立っているのは、何もネガティヴな想いだけではない。頭と頭をくっつけてると、テレパシーごっこ続・テレパシーごっこだってできるのだ。

 夜、眠れなかったガンモは、
「もう、変な夢を見るの、禁止!」
と私に言った。そんなこと言われても、夢をコントロールできるようになるには、厳しい修行が必要だ。

 ガンモは仕事から帰ると、前夜の寝不足を埋め合わせるかのように、すやすやとベッドで眠った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 夢に登場する人物を分析してみると、今回のように、顔は似ているのに実在の人物とは魂が違う人、そして、顔は違うけれど、実在の人物と魂は同じ人が登場します。夢から覚めたときに強く心に残っているのは、紛れもなく後者のほうですね。今回の場合は前者だったので、すぐに忘れてしまいました(苦笑)。夢に登場する人物は、顔は関係ないと思います。このあたりは、前世の記憶を探る行為と良く似ていますね。

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2007.04.24

あんぐりと口が開いたアングリーな話

 週に一度のレディースデイだったので、私はまたしても映画館に足を運んだ。観た映画は、『ロッキー・ザ・ファイナル』である。しかし、今日は映画のレビューを書きたいわけではない。

 いつもたくさんの女性たちで溢れ返っているはずのレディースデイなのに、今回の『ロッキー・ザ・ファイナル』は観客がとても少なかった。女性たちは、上映されている他の作品を鑑賞しているのかもしれない。実は、私がこの映画を観ようと思ったのも、積極的な選択ではなく、いわば消去法を採用したからだった。上映されている他の作品は、既に観てしまっていたり、前売券を購入したりしていたので、千円で観られる別の映画として、どれにも当てはまらない『ロッキー・ザ・ファイナル』を選んだのである。私はこのシリーズの映画を一本も観ていなかった。おそらく、レディースデイでなければ観なかった映画だろう。登場人物の台詞はそれなりに深いのだが、正直な感想を言ってしまえば、同じようなテーマであっても、少し前に観た『シンデレラマン』のほうがずっと深い感動を覚えた。

 受付で発行してもらった指定席についてみると、同じ列には誰もいなかった。レディースデイとなると、いつもひしめき合って座っているので、これはとてもロッキー、いやいや、ラッキーだと思っていた。しかし、そんな喜びも束の間、上映時間ギリギリになって、一組のカップルがやって来て、私の左側に、席を四つほど挟んで座った。男性はポップコーン、女性はビールを片手に持っていた。彼らを見たとき、何だか嫌な予感がした。そして、その嫌な予感は見事に的中してしまったのである。

 彼らは予告編の間中、ずっとおしゃべりを続けていた。「予告編だから、まあいいか」と私は気楽に構えていた。ところが、本編が始まっても彼らのおしゃべりは止まらなかった。特に、女性のほうは映画を観る気などないらしく、本編の上映中に席を立って劇場の外に出て行った。しかも、その歩き方は、椅子に座って真剣に映画を鑑賞している観客のことを配慮して腰をかがめるわけでもなく、正々堂々と立って歩いて行ったのである。しばらくすると、女性は席に戻って来た。相変わらず、二人のおしゃべりは止まらない。ああ、気が散る。私はイライラして、彼らをキッと睨みつけた。更に、小さな声で、
「うるさいなあ」
と声に出してみたりもした。しかし、彼らはチラッとも私のほうを見ようともしない。完全に自分たちの世界を作り上げているのだ。

 映画に集中したいのに、二人のことが気になって気になって仕方がなかった。自宅でDVDを鑑賞しているんじゃないんだぞ? 私の心の中は彼らへの怒りでいっぱいだった。そして、映画がクライマックスに差し掛かった頃、更に信じられないことが起こった。何と、女性が煙草に火をつけて、自分の席で煙草を吸い始めたのである。もちろん、スクリーン内は禁煙だ。男性は、女性が火を付けたその煙草をひと口、ふた口、吸った。煙草はやがて女性の手に戻り、女性は一層伸び伸びと煙草を吸った。

 私は心の中で、"Incredible!"とつぶやいた。そして、とうとうたまりかねて、後ろの席の様子をうかがい、席が空いていることを確認すると、荷物を持ってコソコソと移動した。鑑賞している他の人たちの邪魔にならないように、腰を低くして、彼らの吐く煙と、彼らの話し声が届かないところへ逃避したのだ。そうして何とか安泰を得たものの、心の中はメラメラと怒りに燃えていた。後ろの席から彼らの座っている席を観察していると、女性が吐き出す煙がもくもくと立ち昇っていた。何という二人なのだろう。

 私はどちらかと言うと、周りの影響を受け易いタイプだ。通勤電車の中でも、人の話し声が気になってしまうし、仕事中も集中力を高めるために、耳栓を使用している。それは、ポジティヴな言い方をすれば、他の人たちの存在を常に身近に感じていて、切り離せない状態にあると表現することもできる。つまり、自分のいる世界から除外できないのだ。だから、彼らのように、周りの人たちがどのように反応しているかということについて、鈍感であり続けるということが理解できない。

 彼らが話をしているときに、私が彼らを「きっ」と睨んでも、彼らの視界には入っていなかったというのだろうか。それとも、視界に入ってはいるものの、無視したのだろうか。実際、私は彼らのことをチラチラと見ていたが、彼らとは一度も目が合わなかったのである。ここまで自分たちの世界を守り続けることができるというのは、普段、揺れ易い私からすれば、ある意味うらやましいことでもある。

 しかし、こういうことがあるからこそ、「どんなことがあっても揺れずに自分らしくいる」ということに対し、抵抗したくなってしまうのかもしれない。自分の世界を守り続けることは大切だが、ちょっとは周りにも注意を向けよう。そう言いたくなってしまうのだ。

 それにしても、私は一体何に対してこんなに怒っているのだろう。おそらく、彼らの記憶の中に、私という存在が何も残らなかったことに腹を立てているのだ。私の中には、彼らの記憶が残った。しかし、私自身は、彼らに何の影響も与えてはいないのである。例えば彼らと街ですれ違ったとして、私は彼らのことを思い出すだろうが、彼らは私のことなど思い出しもしないだろう。何しろ、顔を合わせてはいないのだから。彼らに向かって自分自身の気持ちを表現することができず、こうしてブログに綴ることしか選択できなかったことに対しても苛立ちを感じているのだろう。しかし、そんな彼らを引き寄せたのは、私自身が積極的な態度で映画を観なかったからではないだろうか。何となくレディースデイだから映画館に足を運んでしまった。そして、同じように、何となくレディースデイだから映画館に足を運んだ人とかち合ってしまった。これが私の、あんぐりと口が開いたアングリーな話である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 喫煙については、これまでにも取り上げて来ましたが、とても不思議ですよね。嫌煙家の方でも、親しい人の煙は大丈夫、という方が、いらっしゃるのではないでしょうか。私自身もそうだと思います。煙が苦手なのではなく、何の了解もなく煙草を吸われることが嫌なのではないでしょうか。ある程度、親しい間柄であれば、「吸ってもいい?」の一言くらいあるでしょう。嫌煙家にとっては、その一言がとてもうれしかったりします。しかも、相手が遠慮していると、こちらから、「吸ってもいいよ」などと言ったりすることもありますよね。映画館の中で煙草を吸い始めたこの二人には驚きましたが、この記事を通して言いたいのは、「マナーを守ろう」ということではありません。マナーばかりにとらわれると、返って見失ってしまうものもありますよね。そうではなく、「もっと周りを見渡そう」です。自分たちだけの世界を作らず、自分たちの行動が他の人たちにどのような影響を与えているか、常に意識しながら生きて行きたいものです。

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2007.04.23

体積

 最近は、ほとんどのご家庭がそうだと思うのだが、我が家においてもお風呂の給湯器は、一回分のお湯だけを湯船に溜めてくれる。一回分のお湯が溜まるとブザーが鳴り、自動的にお湯が止まるようになっているのだ。しかし、現在の家に住み始めてから今年でちょうど九年になり、お風呂の給湯器も次第に自由意思を持つようになって来た。熱いお湯を出すモードが持続しなかったり、一回分のお湯が溜まったことを知らせるブザーが鳴ったあとしばらくそのままにしていると、二回目、三回目のお湯を溜め始めるようになってしまったのである。つまり、給湯器のスイッチを切りに行かなければ、次々とお湯を溜めようとしてしまうのである。と言っても毎回ではない。気が向いたときだけ奮発する。

 二回目のブザーが鳴ったときに、「しまった!」と思いながらお風呂に駆けつけてみると、当然、湯船はお湯でいっぱいになっている。そこに広がっているのは、まるで掛け流しの温泉みたいに贅沢な光景だ。
「ああ、もったいない! ブザーが鳴ったときにすぐに駆けつければ良かった」
と私たちは言う。そして、洗濯ネットに入れて湯船に浸けているトルマリンだの、ゲルマニウムだの、ラジウム鉱石だのを次々に取り出して、できるだけ湯船の体積を少なくしたあと、たっぷりとお湯が注ぎ込まれた湯船から湯桶を使ってお湯をすくい出し、身体をきれいに洗ってから湯船に浸かる。できるだけお湯を無駄にしないように、湯船に浸かる前に、洗えるところは洗ってしまうのだ。

 私はもたもたしているので、ガンモよりも少し遅れてお風呂に入ることがある。私がお風呂の扉を開けると、ガンモは既に身体を洗い終わっていて、自分の身体が浸かる分だけのお湯を何とか使い果たし、できるだけ湯船からお湯が溢れないように、お行儀良く湯船に浸かっている。私が洗い場で身体を洗い始めると、ガンモが、
「洗い終わったら、今度はまるみが湯船に入ってみて」
と言った。二人で一緒に湯船に浸かるとお湯がこぼれてしまうので、私が湯船に浸かる代わりにガンモが湯船から出ることになった。ガンモは、私が湯船に浸かる様子をじっと観察しているようだった。
「何を見てるの?」
と私が尋ねると、ガンモは、
「ん? まるみが入ったらお湯がこぼれるのかなあと思ってたけど、こぼれなかったね。どうやら、俺よりも体積が多いわけじゃなさそうだね」
と言った。何? 何? そうか、ガンモは湯船に浸かるときに、湯船からお湯がこぼれないようにするために、髪を洗ったり身体を洗ったりして、お湯をすくい出した。それからゆっくりと湯船に浸かり、お湯がこぼれないことを確認したのだろう。そして、自分がすくい出したその湯船に私が浸かったらどうなるのか? ガンモはそれを確認したかったのだ。私のほうが体積が大きければ、湯船からお湯はこぼれる。私はガンモに試されたことで、少しふくれっ面をした。お風呂に入るのに、まるで理科の実験みたいじゃないか。しかし、このような理科の実験も、私たちの体積がほとんど変わらないからこそできることである。最初から結果が一目瞭然なのではなく、実験してみなければわからないというところにスリルがあるのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m そう言えば、私がホットヨガ用に買っているラフなパンツを、ガンモが取り込んでしまい、なかなか返してくれない話を以前、ここに書いたかと思います。具体的には、緑の縞のパンツと、グレーの縞のパンツの二枚です。私たちは、身体のサイズばかりか、好きな色も似ているので、我が家には同じものが二つ必要です(苦笑)。緑の縞のパンツは特にお気に入りだったので、あれから探しているのですが、なかなか見つけることができません。これからソウルメイトに出会いたいと思っていらっしゃる皆さん、こういうこともありますので、買い物をするときは充分ご注意ください。

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2007.04.22

新しい巣

 生まれたばかりの雛たちをカラスに連れ去られてしまった父ちゃん、母ちゃんは、しばらくの間、とても静かに過ごしているように見えた。いつもならば、雛たちがある程度大きくなるまで、雛たちと一緒に巣の中に篭(こも)り、雛たちにピジョンミルクをを与えながら、一緒に過ごしているはずだった。しかし、大切な雛たちをカラスに連れ去られ、もはや巣を守る必要がなくなってしまった父ちゃん、母ちゃんは、すっかり途方に暮れてしまっているように見えた。

 しかし、そんな落胆の日々もやがて過ぎ去り、母ちゃんは再び妊娠したようだった。人間と同じなのか、妊娠すると、食欲がなくなってしまうようである。母ちゃんに餌を与えてもあまり元気良く食べないので、そろそろ新しい卵を産みたがっているのだろうと思っていた。

 実際、その通りだったようで、彼らは外に飛び立っては、枝をくわえてベランダに戻って来た。このベランダで、再び巣作りを始めたいのだろう。しかし私たちは、カラスによる雛連れ去り事件のあと、ベランダをきれいに片付けてしまい、見晴らしのいいベランダに変えてしまった。ベランダにはある程度、ものがごちゃごちゃと置かれていなければ、彼らは巣を作ることができない。何か遮(さえぎ)るもので巣を隠しておかなければ、再びカラスに狙われてしまうことがわかっているからだ。そう、私たちは、いや、とりわけガンモは、父ちゃん、母ちゃんが新しい巣を作ることに対して消極的な態度を取っていたのである。

 その理由の一つに、私たちのベランダが、既に二回もカラスに襲われていることがあった。父ちゃん、母ちゃんは、もっと安全な場所に巣を作るべきではなかろうか。そうも思っていた。しかし、一番の原因は、我が家のベランダに出入りする鳩が増え過ぎてしまったことにあった。

 まずは、父ちゃん、母ちゃん、そしてその子供たちの四羽がいる。

父ちゃん、母ちゃん

父ちゃん

美人の母ちゃん

父ちゃん、母ちゃんの初めての子供のうち、スカートを履いていないほうの○○ちゃん。まだ目が黒いキジバト柄(がら)。

 それに加え、いつから迷い込んだのか、我が家で生まれたのではない鳩が二羽いる。そのうちの一羽で、私たちがキッコロと呼んでいる鳩は、雄鳩で、戦うと父ちゃんよりも強い。父ちゃんとキッコロは、しばしば激しく権力争いをしている。そして、キッコロと柄(がら)が似ているキッコロもどきがいる。

父ちゃんよりも強いキッコロ

キッコロもどき。キッコロもどきの取っているポーズは、ヨガの「鳩のポーズ」ではなかろうか?

 そして、夜は別の場所で寝ているものの、昼間になると、旧母ちゃんの子供とそのお嫁さんの二羽がやって来る。つまり、合計八羽が我が家のベランダ周辺をバサバサとうろついているのである。当然、糞の量も半端ではない。ガンモが休みの日にせっせとベランダの掃除をしてくれてはいるものの、八羽分の糞はかなりの迫力があるようだ。私も玄関の掃除を担当しているが、玄関にも彼らの糞がある。そのため、私たちのベランダで巣作りをすることに対して、消極的な態度を取ってしまったのである。

旧母ちゃんの子供。お嫁さんと一緒にやって来る

 父ちゃん、母ちゃんは、見晴らしのいいベランダには巣を作ることができないので、どこに巣を作るべきか、しばらく思案しているようだった。そしてとうとう、私たちのマンションのすぐ左手に建っているワンルームマンションの三階のベランダに巣作りを始めたようだった。おそらく、そのマンションには、現在、誰も住んでいないのだろう。誰も住んでいないのに、ベランダに巣を作れるほど何か物が置かれているのかもしれない。少なくとも、夜になって、その部屋から灯りが漏れていることはないし、人がベランダに立っているのも見たことがない。とにかく、巣を作るための立地条件が、現在の我が家のベランダよりも優れていたのだろうと思う。

 そこに巣を作っているとわかったのは、父ちゃん、母ちゃんが枝をくわえて私たちのマンションに戻って来たあと、左手のマンションに向かってバサバサと飛び立って行ったからだ。その事実を知ったとき、私たちはちょっぴり寂しい気持ちになった。
「あっちのマンションに巣を作ったみたい。何だか寂しいね」
とガンモに言うと、ガンモも、
「やっぱりそう思う? 俺も寂しい」
と言った。私たち自身で父ちゃん、母ちゃんに巣を作らせないようにベランダを片付けてしまったというのに、いざ、彼らが別の場所に巣を作ってしまうと、ちょっぴり寂しい気持ちに襲われたのだった。

 やがて巣も出来上がり、無事に卵を産んだのか、母ちゃんは、夜になっても私たちのベランダには帰って来なくなった。おそらく、新しい巣で卵を抱いているのだろう。しかし父ちゃんは、夜になると私たちのベランダで寝ている。たいていの場合、卵を温める当番は、夜間が母ちゃん、昼間が父ちゃんなのだ。

 母ちゃんは、卵を二つ産んで落ち着いたのだろう。我が家を離れて二日ほど経つと、再び我が家のベランダに帰って来た。卵を温める当番を父ちゃんと交替したのである。私たちは、産後の母ちゃんにせっせと餌を与えた。母ちゃんは、夜通し卵を温めてお腹を空かせていたのか、餌をガツガツ食べていた。私は母ちゃんの顔をじっと見つめながら、
「餌ならいつでも食べに帰っておいで」
と言った。

 私たちが追いやってしまったために、とうとうよその家のベランダで卵を産むことになった母ちゃん。今度こそ、カラスに見つかることなく、雛たちが元気に育ってくれることを願っている。そして、雛たちが大きくなったら、また私たちのベランダに餌を食べに来るといい。その頃にはきっと、最初に生まれた父ちゃん、母ちゃんの子供たちも立派に巣立ちをしていることだろうから。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 最近、父ちゃんとキッコロの権力争いが激しく、夜中でもバサバサという羽の音が聞こえています。そんな状況でしたので、涙をのんで、彼らの巣作りに協力しなかったのです。父ちゃん、母ちゃんはいいのですが、キッコロとキッコロもどきは、何故、我が家に棲み付いたのか良くわかりません。柄も違っているので、よそで生まれた父ちゃん、旧母ちゃんの子供でもないと思います。やはり縄張りがあるのか、彼らは餌箱から餌を食べることも遠慮しているのです。それなのに、何故か我が家で寝泊りしています。もしも父ちゃんがキッコロに敗れることになったら、ここはキッコロの縄張りになってしまうのでしょうか。父ちゃん、頑張れ!

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2007.04.21

ホットヨガ(四十二回目)

 ガンモは仕事で待機要員の当番だったため、自宅で待機することになっていた。私は大阪の南森町店のホットヨガの予約を入れていたので、朝から出掛けて行った。南森町店に予約を入れたのは、レッスンのあと、毎月二十一日に四天王寺で行われている骨董市に足を運ぶためだった。

 四天王寺の骨董市には、先月、ガンモが鳥取出張に出掛けているときにも出掛けたのだが、ガンモ隊長に任命されていた、「骨董市で自転車のタイヤを見つける」という重要な任務を果たすことができなかった。四天王寺の骨董市が今月も休日に当たっていることを知ると、ガンモ隊長からは、
「四天王寺に行って自転車のタイヤを買って来ーい」
と再び任務を命ぜられていたのだ。そこで、四天王寺に出掛けて行くのに都合の良い南森町店の予約を入れたわけである。

 前回、神戸店でのレッスンを受けたあと、馴染みのインストラクターが私の次回の予約内容を確認してくださった。インストラクターは、私が南森町店の予約を入れていることを知ると、
「南森町店ですか。あの暑いところですね」
とおっしゃった。インストラクターの説明によれば、南森町店は古いビルで天井が低いため、熱気がこもりやすいのだと言う。なるほどなるほど。かつて、心斎橋店でひどく暑い想いをしたのも、心斎橋店の天井が低かったからかもしれない。しかし、以前、南森町店でレッスンを受けたときはそれほど暑さを感じなかったので、私は特に気にもとめず、レッスンに臨んだ。

 今回のレッスンも、いつもと同じ七十五分のアクティヴコースだった。少し早めに家を出たので、着替えを済ませてスタジオに入ったのは、レッスン開始の二十分も前だった。スタジオには既に何人かが待機していて、ウォーミングアップのポーズを取ったり、お友達とのおしゃべりを楽しんだりしていた。私は、前回と同じ場所を選んだ。私の隣にいた人は、確か、前回のレッスンのときも私の隣に居た人のようである。何となくだが、鏡越しに見た彼女の表情を覚えているからだ。彼女は、汗の出易いビニール製のズボンを履いていた。ホットヨガにビニール製のズボンとは・・・・・・。彼女は、下半身を集中的にサイズダウンさせたいのかもしれない。スタジオ内を見渡すと、ヨガマットは全部で十八枚敷かれていた。インストラクターの分を差し引くと、十七名のレッスンということになる。

 時間になると、前回のインストラクターとは違うインストラクターが入って来た。発声の仕方と言い、教え方と言い、とても好感の持てるインストラクターだった。レッスンの間はずっと音楽が流れているので、音楽にかき消されないような発声方法で声を出してくださることが望ましいのである。インストラクターは、一つ一つのポーズにじっくりと時間を掛けてくれた。私は、駆け足ではないレッスンに充実感を覚えていた。

 レッスンの最中に、インストラクターが骨盤に関する物語を聞かせてくださった。骨盤は、年間を通して開いたり閉じたりしているのだそうだ。骨盤は、寒い季節にはきゅっと締まり、暖かくなると開いて来るのだそうだ。春になると眠くなったり身体がだるくなったりするのは、骨盤が開くためだとか。ということはやはり、骨盤が締まっているほうが身体の調子がいいのだろう。

 しかし、休憩のポーズに入る頃から私はだんだん苦しくなって来た。一つは、生理が始まっていたこともある。もう一つは、やはり、暑かった。というのも、最初にスタジオに入ったときに温度計に示されていた温度が五十度だったのだ。二十分も前にスタジオに入り、高温のスタジオでずっと過ごしていたものだから、余計に暑さを感じてしまったのかもしれない。レッスンの時間になり、インストラクターが入って来て、スタジオ内の温度を調節してくださったものの、それでも室温は四十二度前後だったと思う。インストラクターも、スタジオの温度を気にされていたようで、途中でクーラーを入れたりして、気を遣ってくださっていた。ありがたかったのは、
「クーラーを止めますが、まだ暑い方はいらっしゃいますか?」
と私たちに尋ねてくださったことだ。私はとても暑かったが、他の人が誰も手を上げなかったので、暑くても一生懸命踏ん張った。しかし、暑くて暑くて、そこから先のレッスンに身が入らず、スタジオの外には出なかったものの、しばらくポーズを取るのを休んでしまった。

 いつも、オフィスで悩まされているクーラーが、これほど愛しい存在に思えたことはなかった。インストラクターがときどき入れてくださるクーラーの涼しい風が、私の唯一の救いだった。もう少しクーラーの風に当たっていたい。そう思っていても、いつまでも当たっているわけにはいかなかった。ある程度、スタジオの温度が落ち着いて来ると、クーラーのスィッチは切られてしまうのだった。

 生理のために体調が万全でなかったのか、それとも、スタジオ内が暑過ぎたのか、南森町店で素晴らしいインストラクターのレッスンを受けることができたというのに、私は半分くらいしか身体を動かすことができなかった。ホットヨガは、室温が高くなる分、身体が柔らかくなり、ポーズを取り易いというのに。

 こうして何とか七十五分のレッスンが終わった。後半は、暑さのせいでなかなかポーズを取ることができなかったが、それでもスタジオの外には出ずに一生懸命踏ん張った。私の隣でポーズを取っていたビニール製のズボンを履いていた女性は、後半のレッスンに入って間もなくしてから、退場してしまった。後半のレッスンも終わりに差し掛かると、ほとんどの人たちが次々に退場してしまった。おそらく、南森町店はシャワーの数が少ないために、レッスン後に混雑しないように時間差で退場しているのだろう。私は最後までレッスンを受けて、シャワーの列に並んだ。並んでいる間に吹き付けて来るクーラーの風が気持ちがいい。ああ、何故、世の中には寒さと暑さが均等に行き渡っていないのだろう。私がこれまでオフィスで感じて来た寒さをどこかにストックしておいて、今日のようなレッスンのときに、ストックしておいた寒さをそっと取り出して、中和させることができたらいいのに。または、今日のレッスンで感じた暑さをどこかにストックしておいて、オフィスで寒さを感じたときに取り出すことができたらいいのに。

 ようやくシャワーの順番が回って来たので、シャワーを浴びた。私の後ろには一人しか並んでいなかったので、ゆっくりとシャワーを浴びることができた。そうそう、以前、南森町店のシャワールームには椅子が付いていると書いたが、早めにスタジオに着いたときにシャワールームに誰もいなかったので、こっそり写真を撮って来た。この椅子は、疲れた身体でシャワーを浴びるにはとても重宝する。ただし、シャワーの数が少ないので、後ろに人が詰まっているときは、なかなかゆっくり座ることができない。

南森町店のシャワールーム。椅子が付いている

 南森町店をあとにして、昼食をとったあと、私は疲れた身体をひきずりながら、四天王寺の骨董市に向かった。しかし、またしてもレッスン後の頭痛に悩まされ、骨董市を満喫することができなかった。おまけに、お目当ての自転車のタイヤも見つけることができず、ガンモ隊長をがっかりさせてしまう。今回はレッスン前に酸素プラスを用意することができなかったため、酸素プラスの代わりに受付で真・水素水を購入したのだ。真・水素水は、体内の活性酸素と結合して水を作り出し、その水を身体の外に排出してしまう役割を持っている。しかし、私は真・水素水を飲んでもレッスン後の頭痛が収まらなかった。ということはつまり、私の身体の中には活性酸素が多いわけではなく、単に酸素不足が起こっているだけなのだろう。頭痛も酸素不足のために起こっている。確かにレッスン後も、首周りがとても固かった。

 四天王寺の骨董市で、十分間七百円の薬草ハーブマッサージなるものが行われていたのだが、何となく受身になることが憚(はばから)られて、薬草ハーブマッサージの様子を遠目で見ていた。それは、お鍋で温めた薬草ハーブを使って肩や首の後ろをマッサージするというものだった。とても気持ちが良さそうだったが、施術しているのは二人の女性で、かなり繁盛している様子だったので、見送った。お金を払うとは言え、私の身体の不調のために動いていただくのは申し訳ない。かつて、鍼灸医院に通うことを辞めたとき、自分の身体を気持ち良くすることにおいて、受身になることは辞めようと決心したのだ。

 レッスンのあと、酸素プラスを飲まなければ頭痛がするという状況は、頭のてっぺんの不快感と結び付いているように思う。頭のてっぺんには百会(ひゃくえ)というツボがあるのだが、頭が痛いときは、そのあたりが髪の毛を引っ張られたように痛むのだ。今回、酸素プラスを飲まなかったことで、頭に酸素が足りていないという状況がはっきりした。そして、首のあたりの不快感がそれを引き起こしていることもわかって来た。レッスン後に頭痛を引き起こしている原因がわかって、一歩、前進できたかもしれない。
 
※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 酸素がたくさん溶け込んだ水は、酸素プラスの他にもいろいろ出ているようですね。レッスンを受けている方の中にも、酸素プラスやその他の酸素がたくさん溶け込んだお水を持ち込んでいらっしゃる方がいます。その方たちも、私と同じようにレッスン後に頭痛がしているのかどうか、それはわかりません。酸素がたくさん溶け込んだ水は、普通のお店ではあまり売られていないので、レッスン前に調達できないと、かなり不安になってしまいます。首周りの血行不良を何とかしないと、いつまでも酸素がたくさん溶け込んだ水に頼ることになってしまいます。ただ、身体の不具合は、局所的なものではなく、もっと別のところに根本的な要因があったりします。しかし、病院に行っても、医師はあまり患者の言うことを聞いてはくれませんよね。実は、少し前に、頭皮が痛むので皮膚科に行きました。私はそこで、いろいろなことを説明しようとしたのですが、医師はあまり私の話を真剣に聞かず、自分の知っていることだけを伝えようとしました。病院は、いつもこんな感じですよね。おそらく、西洋医学の病院が、それぞれの「科」に分かれていることが原因ではないでしょうか。つまり、自分の担当している「科」に異常がなければ、患者を突き放すようなシステムが出来上がっているのです。もっと、患者の身体全体の症状から判断してくれるような病院があればありがたいのですが。結局は、他力本願ではなく、少しずつターゲットを絞りながら、自分自身で原因を探って行くしかないのかもしれません。そういう意味で、今回、真・水素水を飲んで効果がなかったということは、決定的な判断材料になりました。何だか、仕事でプログラムのデバッグをしているように、自分の身体をデバッグしています。(デバッグ=プログラムのいろいろなルートを通してバグ潰しを行う作業のこと)

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2007.04.20

映画『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』

 ガンモが職場の人たちと飲み会だと言うので、またしても私は映画を観に行った。実は、前日の夜も私は映画を観に行っている。ほとんど病気かもしれない。治すつもりはないのだが。前日の夜に観たのはジャッキー・チェン主演の『プロジェクトBB』だ。手元に『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』の前売券があったので、レイトショーで観るつもりで映画館に出掛けて行ったのだが、受付で私は何を思ったのか、『プロジェクトBB』と言ってしまったのである。何故、そんなことになってしまったかと言うと、どの映画を観るか、直前まで迷っていたからだ。レイトショーは千二百円、購入している前売券は千百五十円である。つまり、私がいつも購入している前売券の値段はレイトショーと五十円しか変わらない。レイトショーの受付で前売券を差し出すと、
「レイトショーは千二百円ですが、よろしいですか?」
と聞かれることがある。ほとんどの映画の前売券は千三百円で販売されているので、「前売券の値段よりもレイトショーの値段のほうが安いですがよろしいですか?」と、受付の方が警告を発してくださっているのである。そう言われると、前売券を購入している映画とは違う映画を観たくなってしまうのは、人間の自然な心理ではないだろうか。そうして、思わず口を突いて出て来たのが、『プロジェクトBB』だったわけである。そんな経緯から、『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』を見送ってしまったので、その翌日の今日、レイトショーを上映していない映画館の最終上映で観ることにしたわけである。レイトショーを上映していない映画館なら、千二百円というレイトショーの値段に惑わされることもないからだ。

 この映画もまた、映画館で予告編を何度も観ている映画である。確か、予告編の中でも表現されていた思うが、扱っている内容は、誰にでも起こり得ることである。つまり、子供が親を亡くす物語だ。この映画の中では、子供の役をオダギリジョー、おかんの役を樹木希林さんが演じている。

 田舎から東京の大学に出て行くことの大変さは、私も良く心得ているつもりだ。親から仕送りされたお金を大事に使えなかったことも、大学をさぼり気味だったことも、私自身の東京での学生生活と大きく重なる。また、大学を卒業しても、田舎には帰らずに、東京に残ったことも同じだ。簡単に言ってしまえば、一人暮らしは堕落し易い。そして、一度堕落した人が這い上がって行くのはなかなか大変なことである。しかし、オダギリジョー演じる主人公の"ボク"は、見事に這い上がって行った。何故、這い上がることができたかと言うと、彼自身が地の底を体験したからだと思う。自分が堕落している間にも、田舎で一生懸命働いて仕送りしてくれた母のことを想うと、これ以上は堕落できないと思ったのだろう。更には、同じ志を持った仲間との出会いが彼の創作意欲を掻き立てたのだと思う。

 文章を書いたり、絵を描いたり、曲を作ったり、写真を撮ったりといった作業は、一人で続けて行くにはとても孤独な作業である。しかし、同じ志を持った仲間に巡り合うことができると、互いに刺激し合いながらぐんぐん伸びて行く。"ボク"にもそういう出会いがあった。そして、自らチャンスを生かし、やがて自分の活動を支えてくれる人たちとも出会うことができた。だから、九州の田舎に一人で住んでいたおかんを東京に呼ぶことができたのだ。

 田舎を離れて東京に出て来たおかんは、ある意味、柔軟だと思う。田舎の人たちは、田舎を離れたがらない。おかんを私の母に置き換えてみると一目瞭然である。私の母なら、一人で田舎に残りたいと主張するだろう。しかし、おかんは、妙な意地を張らなかった。もちろん、病気に対する孤独もあったのかもしれない。おかんが状況することによって、それから先の物語が、"ボク"を取り巻く人たちとの調和という感動的なストーリーに仕上がって行く。みんな、おかんが大好きだった。お料理が得意で気さくなおかんが。

 おかんの若い頃の役を、樹木希林さんの実の娘さんである内田也哉子さんが演じている。そう、シブガキ隊のもっくんの奥さんである。樹木希林さんの実の娘さんなので、樹木希林さんと顔もそっくりだ。私は、おとんと長きに渡って別居生活を送っているおかんの人生を、樹木希林さんそのものの人生と重ねてみる。おとんは、内田裕也さんほどはちゃめちゃではないにしても、何故かこの映画の中の夫婦生活もうまく行かなかった。

 それでも、おかんは"ボク"の存在に救われていた。病気のおかんを見舞うために病院に足繁く通い、おかんのいる病室で仕事をする"ボク"。おかんにとっては、"ボク"が仕事をしている姿を見ることが喜びになっていた。ただ、やがて抗ガン剤の副作用に苦しむおかんの姿は、例えスクリーンを通しての演技であったとしても、思わず目を背けたくなってしまった。しかし、現実には、肉親のこのような姿にしっかりと向き合っている人たちがいるのだろう。私は、今でも祖母の看病を続けている実家の母のことを思った。自分の肉親が変わり果てて行く姿を見るのは辛い。しかし、そこから目をそらさず、病院任せにせずに愛情を注いで行くまっすぐな姿がある。

 いつかは受け入れなければならない親の死。先日観た『アルゼンチンババア』は、妻の死を受け入れることができずに逃げ回っていた夫の話だった。しかし、今回観た『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』は、母の死から逃げようとしなかった息子の話である。この映画は、むしろ、観終わってから余韻に浸ることのできる映画だと思う。つまり、その場で決して終わりにはならない映画だ。そして、映画の様々なシーンの中に、誰しも、過去や未来の自分の姿を垣間見る。そういう映画なのだと思う。

 平成のこの時代に、昭和の匂いがプンプン漂うこの映画。カメラ好きの方たちには、フジカシングル8(比較的新しいタイプのもの)と、ハッセルブラッドが登場するのでお見逃しなく。 オダギリジョーは、ハッセルブラッドを手持ちで使っている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 似顔絵を描いているシーンで、私一人でバカ受けしてしまったシーンがありました。「これ、誰の似顔絵?」と、描いている人に"ボク"が尋ねるのですが、「○○○の○○○」と答えるんです。その似顔絵がとにかく似ていなくて、噴出してしまいました。あのような方の似顔絵を描くシーンがあるとは、ちょっとこの映画はマニアックですぞ。(^^)

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2007.04.19

裸足の季節

 これから私は、松田聖子さんのデビュー曲について語ろうとしているわけではない。松田聖子さんのデビュー曲のタイトルを、ちょっと拝借しただけである。かつて私は、かわいい足には足袋を履かせるなという記事を書いた。今日は、それにちなんだ話をしようと思う。

 その前に、皆さんにお断りしておかなければならないことがある。少し前に、私はサウナスーツからレインコートへという記事を書いたばかりである。オフィスの冷房から足を守るために、百円ショップで購入したレインコートのズボンを途中まで履いて寒さをしのいでいるという内容だった。しかし、私がこれから書こうとしているのは、サウナスーツからレインコートへに書いたことに反する内容である。もしも私が書いたことを実践されている方がいらっしゃるとしたら、裏切りにも似た怒りの感情を抱いてしまうかもしれない。もしそうだとしたら大変申し訳ない。

 別のブログに少しだけ書いたのだが、私は自分の足にぴったりの靴になかなか巡り合うことができなくて四苦八苦していた。おそらく、私の足にぴったりの靴のサイズは二十二.五センチなのだろう。しかし、二十二.五センチの靴を買って、次第に履き慣れて来ると、履いているうちにブカブカになってしまうし、二十二センチの靴を買うと、履き始めがひどく小さくて履き辛いという悩みがあった。そこで、紐靴を買って、紐の縛り具合で靴へのフィット感を調節していた。ところが、オフィスでレインコートのズボンを着用していると、オフィスの中で靴を履いたり脱いだりを繰り返すことになるため、靴の着脱が次第に面倒になって来た。そこで、オフィスで履くことのできるサンダルを探すことにしたのである。

 サンダルを買おうと思ったのは、先日購入したばかりの紐靴が合わなくてストレスを感じ始めていたことも理由の一つだった。その紐靴は、踵(かかと)までのサイズはぴったりでも、足先が私の足の形と合わなかったため、ひどくストレスを感じていたのだった。そこで思い出したのが、以前、三宮で見つけた、ウォーキングに最適なサンダルのサンプルをいくつも並べているお店だった。私は仕事帰りにそこに行き、オフィスで履けそうなサンダルを探し始めた。そのサンダルとは、履いているうちに歩き方を調整し、ダイエットにも効果があると言われているものだった。見ると、そのサンダルは、足先のあたりがむき出しのままである。それまで、足先の狭い紐靴にストレスを感じていた私は、オフィスでこれを履こうと思い、購入したのである。

アーチフィッター カロリーウォーカー202 S

 ところが、そのサンダルがダイエットに効果があるとわかると、少々欲が出て来た。オフィスの中だけで履くのはもったいない。どうせなら、一日中、履いてしまおう。私はそう思い、そのサンダルを履いて出勤した。

 実際、そのサンダルは、とても履き心地が良かった。私の足のアーチに見事にフィットするのだ。しかし、靴下を履いた上にサンダルを履くのは格好が悪い。おまけに、オフィスでレインコートのズボンを履くときにサンダルを脱いで仕事をして、トイレに立つためにサンダルを履くと、サンダルがなかなか足に入らないことに気がついた。どうやらサンダルを脱いでいる間に、足がむくんでしまっているようなのだ。これは困った。私は、足がむくんでサンダルに入り切らないため、サンダルを引きずるような形でトイレに行くというだらしない人になってしまったのである。

 翌日、出勤する前に、私はしばらく考えた。まず、靴下を履いてサンダルを履くのは格好が悪い。サンダルを履くなら裸足にしよう。そう思って、私は思いきって裸足のままサンダルを履いて出勤した。オフィスに着いたら靴下を履くつもりで、カバンの中に靴下をしのばせておいた。

 ところが、どういうわけか、オフィスに着いても私は靴下を履かずに裸足のままで仕事をすることができた。レインコートのズボンを途中まで履いて仕事をしていたはずの私が、どうしてそのようなことができたのか、そのときは良くわからなかった。ただ、オフィスで靴下を履かなくても、また、レインコートのズボンを途中まで履かなくても、まったく寒さを感じなかったのだ。

 私は自分の変化に驚き、隣の席の人にオフィスの空調の度合いを聞いてみた。すると彼女は、今日は暑くも寒くもなかったと答えてくれた。彼女の席は、冷房の風が当たらないので、私と違ってひどく暑いらしい。しかし、その日は暑くもなく寒くもなく、ちょうど良かったのだそうだ。いつも暑いと言っている彼女が暑さを感じなかったということは、オフィスの冷房は、少なくとも暖かい設定ではなかったということになる。実際、私の座っている席には、冷風が届いていたのだ。それにもかかわらず、私は寒いとは思わずに裸足で仕事をすることができたのだから不思議である。

 その翌日も、私は裸足の上にサンダルで出掛けた。そして、やはり裸足のまま仕事をした。私の足はもはや、寒さを感じなくなってしまっていた。どうも、裸足でいると、足が発熱しているようなのである。つまり、かわいい足には足袋を履かせるなと同じ現象が起こっているのだ。

 レインコートを途中まで履いて足を保護することは、足を甘やかすことになってしまい、足が自分で発熱する自由を奪っているのではないだろうか。足を過保護にするのではなく、足をむき出しにすると、足は自分の役割を見つけたと思い、頑張って発熱するのである。これは驚くべき出来事だった。逆もまた真なのは、やはり、地球が丸い証拠である。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 裸足の季節です。この夏のスタイルはこれに決めようと思っています(笑)。私が購入したのは、アーチフィッター カロリーウォーカー202 Sですが、他にもいろいろな種類があるようです。ネットでも販売されているようなので、ご参考になさってみてください。靴は、足にフィットしたものを選ばなければ、歩くことにストレスを感じてしまい、更なる運動不足を引き起こしてしまうように思います。良く、サイズが合わなければ、中敷で何とかなるじゃないかと言う人がいますが、私はこれまで、中敷で靴がフィットしたことは一度もありません。私の孤独の中に、足の形の孤独も加えるべきかもしれませんが、これで何とか孤独はしのげそうです(笑)。

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2007.04.18

ホットヨガ(四十一回目)

 コメント機能もトラックバック機能もOFFにして書き始めた「ガンまる日記」だが、最近、映画の記事に関しては、トラックバックを受け入れるようにしている。しかし、送信されて来るトラックバックのほとんどが、私の書いた記事の内容とはまったく関係のないものばかりである。中には大変いかがわしい記事も多い。そうしたトラックバックはすべて削除させていただいているのだが、映画の記事に対して、しばしばホットヨガに関する記事のトラックバックをいただくことがある。おそらく、私のホットヨガの記事にトラックバックを送信したいのに、私が映画以外の記事のトラックバックを受け付けない設定にしているために、その前後の記事を辿ってトラックバックを送信されたのだろう。その努力を尊重して、映画の記事に関連付けられるホットヨガのトラックバックは削除していない。そして、今後もこのようなことが起こり得る可能性があるので、ホットヨガの記事に関してもトラックバックを受け入れることにした。なお、関連性の高いまじめな記事のトラックバックに関しては、トラックバック返しもさせていただいている。それでは、本題に入ることにしよう。

 月に一度の定時退社日だったので、私は神戸店での七十五分のアクティヴコースのレッスンを予約していた。勤務先の売店で「酸素の力」を購入したあと、私は神戸店へと向かった。

 神戸店でレッスンを受けるのは、確か先月のガンモの鳥取出張前以来のはずだから、既に一ヶ月ぶりである。受付には、長かった髪をばっさりとカットされた馴染みのインストラクターがいた。私が入会するときにレッスンを担当してくださったインストラクターである。彼女は、ビギナーコース時代のレッスンを担当してくださったことがほんの一、二回あっただけで、私がビギナーコースを勝手に卒業してからは、レッスンでお会いできることは一度もなかった。しかし、今日の彼女は、インストラクター用のレッスン着を身に着けて受付に立っている。ひょっとするとひょっとするのだろうか? そう思いながら、着替えを済ませてスタジオに入ってみると、やはり、彼女がインストラクター用のヨガマットの上でポーズを取っていた。

 以前、神戸店のレッスンの前に、ウォーミングアップのためのポーズを取っていらっしゃるインストラクターがいると書いたことがあったと思う。言うまでもなく、それは彼女のことだ。ほとんどのインストラクターは、レッスン開始直前にスタジオに入って来てレッスンを始める。しかし、彼女はレッスン開始の何分も前からスタジオに入り、様々なポーズを取って身体を柔らかくしているのだ。私は、久しぶりに彼女のレッスンを受けられることに喜びを感じていた。

 スタジオ内は、これまでにないほどびっしりとヨガマットが敷き詰められていた。並べられているヨガマットの数を数えてみたところ、何と、インストラクターの分を除いて全部で二十二もあった。つまり、二十二人が同じスタジオでレッスンを受けるということである。ひしめき合うとはこのことだろう。

 レッスン開始少し前に、インストラクターが私に話し掛けてくださった。私は珍しく、インストラクターに近いヨガマットを選んだのだ。彼女は、私が様々な支店を回っていることを良くご存知だった。そして、彼女もまた、いろいろな支店に足を運ばれているようだった。京都四条通店の話になり、
「あそこのインストラクターさんは、ヨガを根本から理解していらっしゃる方が多くて、教え方もとても上手ですね」
と私が褒めると、彼女はとても喜んでくださった。京都四条通店には、彼女の同期のインストラクターがいらっしゃるのだそうだ。私は、彼女の反応を聞いてはっと気がついた。私自身、彼女にそう言ったあと、神戸店のインストラクターの前で他の支店のインストラクターを褒めたことになると思い、「しまった!」という感情が沸いてしまったのだが、驚いたことに、彼女が、
「ありがとうございます。では、伝えておきますね」
と言ってくださったので、はっと我に返ったのだ。私は、神戸店、京都四条通店と、ホットヨガの支店を分けて考えていた。しかし彼女は、ホットヨガという大きな組織全体で私の言葉を受け取ってくださったのだ。私は、スケールの大きな彼女のコメントに、自分のちっぽけさを実感してしまった。インドで本格的なヨガを体験されたという彼女はさすがである。更に気付いたことがある。私たちがインストラクターに惹かれるときは、ポーズの美しさに惹かれるのではなく、インストラクターの精神に惹かれるのだ。そんな彼女から、七十五分間、ビギナーコース以来のレッスンを受けた。

 ところで、平日の神戸店と言えば、忘れてはならない人がいる。そう、フリーパス会員の憧れのあの方だ。もちろん、今回もいらっしゃった。シャワーを浴びた直後に髪の毛を濡らしたままの状態で、レッスンが始まってからしばらくしてスタジオに入って来られた。私がしばらく神戸店をご無沙汰してしまっていても、彼女は変わらずに神戸店でレッスンを受けていらっしゃる。熟練した彼女は完全にポーズが出来上がっている。私は彼女の姿を、ハイペースで映画を観に行く自分の姿と重ね合わせた。フリーパス会員というハイペースなホットヨガのレッスンにシンクロできる人は、彼女の周りにはあまりいないのではないだろうか。もしかすると、彼女もまた、ハイペースの孤独を感じているかもしれない。

 それにしても、私自身、あちらこちらの支店に足を運んでいるので、同じ支店に通い続けていらっしゃる方を凄いと思ってしまう。私はこれまで、変化を求めるタイプではないと思っていたのだが、あっちの支店にも行きたい、こっちの支店にも行きたいという欲望が次々に沸き上がって来てしまうのは、実は変化を求めているからなのではないかと思うようになった。そうした変化を求めず、一つの支店にずっと通い続けることができるのは、どんな喜びがベースにあるのだろう。いろいろな支店に足を運ぶ私は、頭の中に支店のスタンプカードを描いている。そして、新しい支店に足を運ぶ度に、頭の中のスタンプカードに印をつけている。スタンプカードを塗りつぶすことが私の励みなのである。しかし、一つの支店に通い続けることのできる人は、何を励みにしているのだろう。もしかすると、私が目的としているのはヨガではなく、いろいろな支店巡りであって、一つの支店に通い続けている人のほうが、下心なくヨガを楽しんでいるという意味で純粋なのかもしれない。

 レッスンを終えたあと、またしてもシャワールーム争奪戦に敗れてしまい、ゆっくりとシャワーを浴びることになった。着替えを済ませて受付に行くと、さきほどのインストラクターが対応してくださった。彼女は、ゴールデンウィークに行われる野外ヨガの申込書を渡してくださった。そう、私もロッカールームでそのチラシを見て気になっているところだった。五月四日に大阪城公園で野外ヨガが行われるのである。会員でないお友達を一緒に誘ってもいいのだそうだ。しかし、残念なことに、私はその日は別のお祭りの予定が入っていて参加できない。野外ヨガのチャンスなど、滅多に恵まれることではないのに。私は、とても残念な想いを抱えながら、ガンモの待つ我が家へと急いだのだった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 野外ヨガに参加できないのは、とても残念なことであります。ゴールデンウィークに外で体験するヨガは、お天気が良くてきっと気持ちがいいに違いありません。私自身が参加できないため、皆さんをご案内することができませんが、お近くにホットヨガの会員の方がいらっしゃる場合は、一緒に参加されてみてはいかがでしょうか。

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2007.04.17

映画『ホリデイ』

 またしてもガンモに呆れられながら、映画館に孤独を感じに行った。そう、毎週火曜日はレディースデイである。公開中の前売券のストックも何枚かあるのだが、千円で映画を観られるレディースデイに千百五十円で購入している前売券を使用するのはもったいない。そう思って、私は前売券を購入していない映画を観ることにした。

 とは言うものの、何を観よう。こういうときは、「迷ったときの映画情報サイト頼み」である。そこで候補に上がって来たのが、この『ホリデイ』だった。映画館に通い詰めているので、既に予告編は何度も観ている。しかし、『ブラッド・ダイヤモンド』同様、予告編を観た限りでは、観たい気持ちを掻き立てられなかった。いやいや、そんなことを言うなら、予告編で観たい気持ちを掻き立てられたが、実際はとても静かな映画だった『蟲師』はどうなるのだ。予告編で観たい気持ちを掻き立てられなかった『ブラッド・ダイヤモンド』だって、予想に反して感動してしまったのだ。となると、もはや予告編など当てにできない。そこで、『ホリデイ』をご覧になった方たちの評価をカンニングしてみると、驚くなかれ、五点満点中、四点以上の点数が付いているではないか。しかも、私の大好きな恋愛映画と来ている。今日はこれを観るしかない。私はそう思い、レイトショーを観るために三宮へと向かった。

 いつものことながら、レディースデイの映画館は女性たちで溢れ返っていた。女性同士はとにかくおしゃべりが大好きだ。予告編が始まっても、ぺちゃくちゃぺちゃくちゃおしゃべりを続けている。まさか本編が始まってもこの調子だったらどうしようなどと不安になったが、さすがに本編が始まると静かになった。

 この映画を撮影したのは、『恋愛適齢期』の女性監督さんである。『恋愛適齢期』も泣かせてくれる恋愛映画だったが、『ホリデイ』も涙と笑いに溢れたとても素敵な恋愛映画だった。やはり、強烈なシーンだけが切り取られた予告編に騙されてはいけない。

 映画のストーリーは、失恋の痛手から立ち直るために、アメリカのロスに住んでいるアマンダとイギリスのロンドン近郊の田舎町に住んでいるアイリスが、お互いの住む家を交換して、二週間の休暇を楽しむというものである。何しろ、お互いの住む家を交換するという発想からして面白い。観光が目的ではなく、失恋の痛手から立ち直るために環境を変えることが目的なのだから、無機質なホテルに長期滞在するよりもお互いの家を交換するほうが、近所付き合いや交友関係といった人間同士の触れ合いがある分、効果的かもしれない。

 現実的な面から考えると、インターネットで知り合ったばかりの人とすぐに家を交換するというのは、非常にリスクが高いと思う。知り合ったばかりで、相手がどんな人であるかもまだわからないからだ。しかし、二人はそんなリスクよりも、とにかく早急に環境を変えてしまいたかったのだと思う。だからこそ、この映画が成り立っているわけである。

 詳しい内容については記述を控えることにして、男女の愛という観点から、映画の中でいくつか気になる台詞があったのでご紹介したい。まずは、アイリスの失恋相手である二股男が失恋の痛手を受けているアイリスに向かって言った台詞についてである。二股男は、再会したアイリスに、
「君に会えなくてとても寂しかった」
とか、
「君からメールが来なくなって気が狂いそうだった」
というようなことを言った。私はこの台詞を聞いて、この二股男を蹴飛ばしてやりたくなった。これは愛の言葉などではない。完全なる自己愛の言葉だ。
「君に会えなくて、どても寂しかった」
も、
「君からメールが来なくなって気が狂いそうだった」
も、愛している対象はまぎれもなく自分だ。そのような言葉は、独り言として言うならまだしも、相手に向けて使う言葉ではないように思う。だからなのか、二股男からはアイリスに対して「君を愛している」という言葉は出て来ない。何故なら、愛しているのは自分だからだ。二股男は、まだまだ人を愛する修行が足りていない。男女が真剣に愛し合うことと依存は違う。この台詞は、両者の違いをはっきりと認識させてくれる台詞だった。もしも脚本家が二股男の台詞を書くときに、これらの表現を完全なる自己愛と意識しながら書かれていたのだとしたら、私は脚本家に拍手を送りたい。

 一方、感動した台詞もある。それは、二股男の台詞ではなく、アマンダの恋の相手の台詞だ。彼のことを、昔、何かの映画で拝見したはずだと思っていたら、デヴィッド・クローネンバーグ 監督の『イグジステンズ』だった。あの映画も面白い映画だった。脱線しそうなので、話を『ホリデイ』に戻そう。あまりあらすじを書きたくないので遠回しに言ってしまうと、彼は、これからの二人の有り方について思案に暮れているアマンダに対し、
「お互いの状況がどうであれ、僕が君を愛していることは間違いない」
というようなことを言う。実際は、周りの状況に流されて頭で考え過ぎてしまい、このようなことを相手に伝えられない場合が多いのではないだろうか。例えば、遠距離恋愛は相手を寂しくさせてしまうから、敢えて愛していると告げずに相手から去ってしまうといったように。しかし、『イグジステンズ』の彼はそうではなく、
「そういうことはまず除外して、君を愛している。これは事実だ」
と言ったのである。もっとも大切なことを言わずに押し込めてしまう恋愛が多い中で、こうしたストレートな愛の表現は胸にずしんと響いて来る。私はもう、そのシーンが流れた途端、ぐわーんと涙を流していた。彼の背中に残っていたバイオポートが反応して彼にこの台詞を言わせたのかどうかはわからないが、とても胸に響く名台詞だと思った。

 更に、この映画に登場する小さな子供たちがとてもかわいい。しかも、子供たちは、二人の女性のうちの一人にとても良くなつくのだ。私には、子供たちの存在が天使に見えた。

 果たして二人は、環境を変えることで、失恋の痛手から立ち直ることができたのか。それは観てのお楽しみである。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m アマンダ役のキャメロン・ディアスも、『イグジステンズ』に出ていたジュード・ロウも、私と同じくらいか、私よりも年上の人たちだと思っていたのですが、何と何と、私より七歳も年下だったのは驚きでした。外国の俳優さんたちは、とても大人っぽく見えるのですね。もしもこの映画が気に入って、まだ『恋愛適齢期』をご覧になっていなければ、ゴールデンウィークにDVDでご覧になってくださいませ。

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2007.04.16

スルー

 プロジェクト内で昼礼の司会進行役の当番を持ち回り制にしているという話を、以前、ここに書いたと思う。司会進行役の当番の人は、まず初めに、
「何か連絡事項はありませんか?」
とプロジェクトメンバに問い掛け、連絡事項が何もなければスピーチに入る。スピーチの内容は何でも良い。どんな話でも、みんなの前で話をするということが大切なのだ。しかし、どんな内容のスピーチをしても、プロジェクトメンバの反応が今一つだ。笑って欲しいところでスルーされてしまった苦い想いを、かつて集団の持つ相対性にも綴ったことがある。

 実は、京都でのバースディライブが終わったあと、昼礼の司会進行役の当番が回って来たので、私は先日のバースディライブの感動をプロジェクトメンバに伝えるべく、十代の頃からライブに通いつめているバンドがいること、今は年に十本程度の参加だが、以前はもっとハイペースでライブを観ていたこと、出会った頃は二十代だったメンバが、先日のバースディライブで五十三歳になったことなどを話した。そして、今、十代の人たちが、これから一つのバンドを応援し始めたとしても、何十年も経って、そのバンドがまだ活動しているかどうかはわからないので、長く活動を続けているバンドの存在は大変貴重であること、私はこれからもこのアーチストを応援し続けて行きたいと思うと締めくくった。これは感極まる内容だろう。

 しかし、感極まって話をしている私だけで、他の人たちは私の話にはほとんど無反応だった。ただ黙って私の話に耳を傾けてくれたに過ぎなかったのである。スピーチが終わったとき、グループのリーダーと顔が合った。リーダーの顔を見てみると、何か言いたそうな表情が表れている。何の話があるのだろうと思っていると、案の定、リーダーは手を挙げた。もしかすると、自分にも私と同じように情熱を注ぎ込んだ対象がいるという告白だろうか? そんな期待に胸を膨らませながらリーダーの話に耳を傾けた。

 「一つ、連絡事項があるのを忘れていました。明日の朝、九時半から全体の会議がありますので、社員は全員不在になります。以上です」
何? 何? 私は開いた口が塞がらなかった。リーダー何か言いたそうな顔をしていたのは、私がスピーチをしている途中に、伝えるべき連絡事項を急に思い出したからなのだ。きっと私の話など、リーダーの頭にはなかったのだろう。

 今回のことで思ったことがある。それは、ほとんどの場合において、想いというものは、個別のものだということだ。もちろん、愛情で結ばれた間柄であれば、相手のうれしさや悲しさや喜びが自分の感情と直結して、その想いが相手のものなのか、自分のものなのか、区別がつかなくなるほど体感できることもある。しかし、それもほんの一瞬のことだ。その体感は、丁寧に、本当に丁寧に、相手の気持ちを検証したときのみ起こり得る。しかし、そうでない場合、ほとんどの出来事はスルーしてしまう。確かにそこに留まったという記し(しるし)を残さない。そのことは、普段、ガンモと一緒に笑ったり、泣いたり、怒ったりしている私にとってはとても無機質なものに思えるのだった。だからこそ、スルーしないでいてくれる人たちの存在が余計に貴重に思えるのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私の隣の席に座っている派遣仲間の女性が、大変な映画好きだと聞いて、うれしい反面、ちょっとライバル意識を感じています(笑)。まだまだ感情の共有とまでには至っていませんが、彼女は私の昼礼のスピーチのあと、少しコメントをくれました。彼女は学生時代に軽音楽部に所属していて、ギターを弾いていたのだそうです。むむむ、話が合うかも? 彼女に、私が職場の人たちと結成しているバンドの話をして、
「ここ二年くらい練習に集まってはいないけど、今度、練習するときは一緒に参加しましょう」
と言っておきました。彼女のような存在は、私のプロジェクトには大変貴重な存在です。(^^)

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2007.04.15

京都公演二日目

 普段はJRを利用して通勤している私たちだが、京都に出掛けるときはたいてい阪急電車を利用している。多くの人たちが同じように感じていると思うのだが、京都に行きたいと思っているときは、京都駅よりも河原町に運んでくれたほうがずっと便利なのだ。また、当然のことながら、阪急電車のほうがJRよりも運賃が安い。そうした事情から、私たちはJRよりも阪急電車を利用している。

 阪急電車を利用するときは、阪急電車の最寄駅まで自転車で出掛けて、駅の駐輪場に自転車を預けている。しかし、初日のライブの帰宅時間がひどく遅くなってしまったため、預けておいた自転車を引き取ることができなかった。阪急電車の最寄駅にある駐輪場は二つあり、いつも預けている一回百円の市営駐輪場が既に満車だったので、阪急が運営している一回百五十円の駐輪場に自転車を預けることになった。市営駐輪場は、自転車の入庫/出庫が機械化されているため、二十四時間営業となっている。しかし、阪急が運営する駐輪場は人間が対応しているため、二十三時半までの営業なのである。その時間を過ぎると、預けた自転車を引き取ることができないばかりか、延泊料金を支払わなければならない。前日の夜、自転車を引き取ることができなかった私たちは、疲れ切った身体を引きずりながら、歩いて何とか帰宅したのである。

 ライブ二日目の今日、ガンモも仕事が休みだった。だから、二人で一緒に京都に出掛けて行くこともできたのだ。しかし、
「一緒に京都に行く?」
とガンモに尋ねてみたところ、ガンモはしばらく迷っていたものの、やはり二日間連続で京都に出掛けて行くのは厳しいということで、私だけが京都に向かうことになった。確かに、連日、京都に出掛けて行くのは疲れる。特急電車を利用すれば、普段の私の通勤時間と変わらない時間で河原町まで着くはずなのに、どういうわけか、ひどく疲れるのだ。おそらく、京都は人が多いからなのだろう。いつも利用している通勤電車と違って、特急電車はひどく込み合っていてほとんど座れない上に、河原町に着いてもとにかく人が多くて、通りを歩くのもやっとの状態なのだ。神戸や三宮では、例え休日でも京都ほど混雑していない。休日の京都は、地元の人たちと観光客でごった返している。それだけ人気のある街なのだ。

 さて、私一人で京都に出掛けると言っても、預けておいた自転車を引き取りに行かなければならないため、ガンモと二人で阪急電車の最寄駅まで歩いた。そこでガンモと分かれ、私は一人で阪急電車に乗った。せっかく阪急の駅まで歩いて来たので、ガンモはその後、市の図書館に足を運んだらしい。

 昨日はガンモと一緒に乗車した阪急電車も、今日は一人で乗っている。そして、河原町に着いても、私はガンモが側にいない寂しさを感じていた。しかし、今日はメンバーのバースディライブで大きなエネルギーに包まれるのだ。そう思いなおして、私は河原町から市バスに乗り、会場へと急いだ。

 会場に着いてみると、きのうよりもたくさんの人たちが、「今日のチケット譲ってください」と書いた紙を持って立っていた。彼女たちの切実なメッセージが胸に突き刺さる。私は、きのう、チケットを求めて立っていた友人を探した。しかし、彼女の姿はそこにはなかった。ということは、誰かにチケットを譲ってもらえたのかもしれない。そう思うと、少し気が楽になった。

 メンバーのバースディライブだからだろうか。きのうと同じ会場なのに、会場のざわつき具合が違う。不思議なもので、まだ開演されないうちから、観客の熱気が伝わって来るのだった。

 チケットに印刷された座席番号を確認しながら自分の席に足を運んでみると、私の席の隣には見知らぬ女性が座っていた。おそらく、きのう私にチケットを譲ってくれた友人からチケットを購入されたのだろう。私はその人には声を掛けずに自分の席に腰を下ろした。すると、いつも関西地方のライブを一緒に観ている友人の一人が私を訪ねて来てくれた。見ると、彼女は自分のチケットを握り締めている。そして、私に挨拶をしてくれたあと、私の隣に座っている女性に向かって、丁寧に、
「失礼ですが、この席は、譲ってもらったチケットですか?」
と声を掛けた。当然のことながら、その女性は、
「はい」
と答えた。その女性の話によると、ゆうべのコンサートの帰りにチケットを譲ってもらったのだと言う。私は、これから友人が何を言おうとしているのか、すぐに理解した。しかし、友人はそれでいいのだろうか。それでは友人に申し訳ないような気がした。でも、友人は、
「私の席はあちらのほうなんですけれども、もし良かったら、席を替わっていただけませんか?」
と、私の隣に座っていた女性に言ったのだ。

 私を訪ねて来てくれた友人は、私の席よりも十列ほど前の席だった。きのう、私にチケットを譲ってくれた友人がご主人さんと一緒に観るというので、今回はたまたま一人でコンサートを観ることになっていたようだ。そのため、私よりも前方の席が当たっていたにもかかわらず、わざわざ私の席を訪ねて来てくださり、席を替わってもらえないかと私の隣の席の人に打診してくださっているのだ。私は、彼女の席のほうがずっと前のほうなのに申し訳なく思い、その思いを伝えたのだが、その反面、彼女の取っている行動がとてもうれしくも思えた。私の隣に座っていた女性は、思いがけなく前方の席に移動できるということで、席を替わることを快諾してくださった。おかげで私は、訪ねて来てくれた友人と隣り合わせでライブを観ることができた。

 私は、彼女の取った行動に痛く感動していた。そして、彼女と同じことを、自分が他の人に対して実践できるかどうかを考えていた。彼女はゆうべ、最前列の席でコンサートを観ていた。だから、今回のライブはもう満足しているようだった。仮にそうだとしても、十列も後ろの席に替わることができるという、席に対する執着のなさに私は感動したのだった。執着のない彼女の選択は、結果的に誰にとってもうれしい選択となった。

 私はゆうべ、余っていたもう一枚のチケットが、電話番号のわからなくなった友人の手元に渡ることを思い描いていた。そのため、チケットを求めていた友人の姿を会場内で探したが、彼女を捕まえることはできなかった。なるほど、彼女の姿を見つけることができなかったのは、このようなシナリオが用意されていたからなのだ。

 さて、肝心のバースディライブだが、一回目のアンコールのときに、大きなケーキがステージに運ばれ、誕生日を迎えたメンバーに対し、みんなでハッピーバースディトゥーユーを歌った。彼の誕生日をお祝いしたいという想いが歌を通して一つになる。それはそれは感動的なシーンだった。

 私が彼と出会ったとき、彼はまだ二十代で、私は十代だった。それがそれが・・・・・・。とうとう彼は五十三歳になったのだ。三十歳になったときに大騒ぎしていたのが、まるで数年前の出来事のようだ。しかし、あれからもう二十年以上経っている。彼もずいぶん落ち着いて来たと思う。そう、昔はとても落ち着きがなかったのだ。昔と比べると、髪型も変わってすっかり垢抜けた。しかし、ふにゃふにゃした性格はいつまでも変わらない。かくいう私もいつの間にか四十歳を超えている。そうか、私も彼らと一緒に歳を重ねて来たのだ。そのことを実感せざるを得なかった。

 コンサートは、二回のアンコールに応えてくれたのち、昨日とほぼ同じくらいの時間に終わった。一緒にライブを観た京都在住の友人のおかげで、会場を出たあと、市バスがたくさん来るバス停まで誘導してもらい、昨日よりも一時間早く帰宅することができた。もちろん、預けておいた自転車を無事に引き取ることもできた。

 こうしてまた一つ、楽しみにしていたお祭りが終わってしまった。でも、次のお祭りがすぐそこまで来ている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 会場で、二月に行われたラジオの公開録音の入場券を融通してくれた友人とばったり会いました。昨日、私がチケットを譲ってくれる友人の席に遊びに行っている間に、席に座っていたガンモと顔を合わせていたようで、
「昨日、旦那のほうに単品で会ったよ」
と言われました。つまり、「ガンまる」の単品という意味だと思います。こんなふうに、ライブの当日は、いつもの顔ぶれを確認しながら、とりとめのない話をするだけでも温かい気持ちになれるのです。音楽を聴くためにライブに足を運ぶだけでなく、こうしたコミュニケーションも一緒に楽しんでいます。だからこそ、ずっと続いているのかもしれません。

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2007.04.14

ホットヨガ(四十回目) と京都公演一日目

 この週末は、京都で行われるライブに参加する予定が入っていたので、私は大好きな京都四条通店のホットヨガのレッスンの予約を入れていた。予約したレッスンは、朝一番のレッスンだっため、いつも仕事に出掛けて行くのと同じくらいの時間に家を出て、十時過ぎに京都四条通店の最寄駅である烏丸(からすま)に着いた。ガンモも一緒にライブを観る予定だったので、二人で一緒に家を出て来たのである。ガンモは、私がホットヨガのレッスンを終えるまで、河原町周辺で買い物をしながら時間を潰して待ってくれていた。

 前回のホットヨガのレッスンでは、スタジオがひどく暑いと感じてしまい、大きな息をしながら、やっとの思いで最後までレッスンを受けることになったが、前回と同じ七十五分のアクティヴコースのレッスンを受けたにもかかわらず、今回はそのようなこともなく、いつもの身体に戻っていた。おそらく前回のようなことになってしまったのは、久しぶりのレッスンだったことと、前日の夜にプロジェクトの飲み会でお酒をたくさん飲んだからだと思う。

 数ヶ月前に初めて京都四条通店のレッスンを受けたとき、私はインストラクターの教え方に強く惹き付けられたものだった。今回も初めてのインストラクターのレッスンを受けることになったのだが、やはり、京都四条通店のインストラクターは、ヨガを根本から理解し、その知識や経験を私たちに正確に伝えて行く力を持っている人たちだと実感した。教わる側として、これほど感じるものがあるということは、何もホットヨガに限ったことではなく、私たちは知らず知らずのうちに本物を見極めようとしているのだと思う。一つ一つのポーズを取る時間も長く、決して右から左へと流すことのないレッスンだった。一つ一つのポーズを取る時間が長いと、全体的に取るポーズの数はおのずと少なくなってしまうものだが、それでも、レッスンを終えたあとの充実感が違っていた。決められた時間内に多くのポーズをこなすことが充実感に繋がるのではなく、自分が確かにそこに留まったという実感が、充実感に繋がるのだと思った。

 レッスンを終えてガンモに電話を掛けてみると、特に場所を指定して待ち合わせたわけでもないのに、ガンモは私がホットヨガのレッスンを受けていたビルの斜め前に居た。ガンモは、私がどこでホットヨガのレッスンを受けているのか、特に意識することなく歩き回っていたらしい。それにもかかわらず、私がホットヨガのレッスンを受けていたビルのすぐ近くに居たのは、動物的な勘だったのだろうか。ガンモとはその後、交差点で落ち合ったのだが、あまりにも早く合流できたので、うれしくなって、交差点の真ん中でガンモを抱きしめたい衝動に駆られた。

 それから私たちは寺町京極まで移動して昼食を取ったあと、ライブが行われる会場方面まで歩き始めた。お天気も良く、ぽかぽかしていてとても気持ちのいい午後だった。三条大橋のあたりまで来ると、美しい景色が広がっていたのだが、何故か何羽ものとんびが何かを探すように、空を舞っていた。こういう光景はちゃんとしたカメラで撮影したかったが、ライブに出掛けるときは、カメラを預けるのが面倒なので、できるだけ持って行かないことにしている。そのため、三年前の携帯電話で撮影することにした。

三条大橋あたりを舞っているとんび

 開演までにはまだまだ時間があったのだが、私たちは会場近くに図書館があることを知り、少しの間、そこで過ごすことにしたのだ。ガンモはカメラ雑誌を熱心に読み、私は「ガンまる日記」を書き上げた。

 会場近くには、ガンモがネットで交流している人のお勧めのラーメン屋さんがあった。そこで私たちは、ライブ前に腹ごしらえをするために、少し早めに図書館を出てラーメン屋さんに足を運んだ。しかし、来るときは開いていたはずのラーメン屋さんは何故か閉まっていた。営業時間の案内を見てみると、夜の営業までの休憩時間に入ってしまっているようだった。私たちが途方に暮れていると、四国から遠征して来た友人にばったり出会ったので、話をしながら一緒に会場まで戻った。彼女の話によると、返金大魔王は、彼女が申し込んだ大阪公演にも現れたのだそうだ。また、彼女自身もバースディライブのチケットは取れず、誰かに譲ってもらったのだと言う。

 会場に着いてみると、たくさんの人たちがメッセージを書いた紙を持って立っていた。その紙には、「本日のチケット、譲ってください」、「明日のチケット、譲ってください」と切実なメッセージが書き込まれている。会場にやって来る人たちの目に留まるように、そうしたメッセージを紙に書き、手に持って立っているのだ。その中には、私の友人もいた。彼女は、今日のチケットも明日のチケットも持たないまま、関東地方からわざわざやって来たらしい。それでも、何とか今日のチケットは誰かに譲ってもらえたようだ。そうした情熱に、思わず目頭が熱くなる。何故なら、私は彼女の生きて来た人生の一部を知っているからだ。いつだったか、彼女と駅のホームで話し込んだことがある。詳しくは書けないが、彼女の生きて来た人生を思えば、彼らのコンサートに足を運ぶことは、彼女にとっての確かな生きがいに違いないのだ。

 会場で、明日のチケットを譲ってくれる友人と会い、少し話をした。聞くところによると、チケットはもう一枚、余ることになるという。私は、さきほど会場入口で会った、関東地方からやって来た彼女のことが真っ先に頭に浮かんだ。しかし、去年、私の携帯電話が壊れてしまったせいで、携帯電話に登録していたはずの彼女の携帯電話の番号がわからない。彼女の姿を会場でちらっと見掛けたものの、彼女の席がどこかもわからない。

 そうこうしているうちに、とうとうライブが始まった。音響がいい。会場の広がりがいい。ガンモにとっては初めて来る会場だったのだが、
「会場が四角いのがいい」
と言って喜んでいた。会場が四角いと、ステージが良く見えるようだ。私たちの席からも、ステージにいる彼らの姿が良く見えた。

 ステージの彼らはかなりのハイテンションだった。何故、こんなにハイテンションなのだろう。そうか、観客がハイテンションだから、彼らもおのずと乗せられているのだ。それは、ブログの更新も同じだから良くわかる。それにしても、エネルギーの渦の中にいるのはとても気持ちがいい。明日も同じエネルギーを感じることができる私は、大変な幸せ者である。

 コンサート終了後、明日のチケットを探しているという友人の姿を探してみたが、見当たらなかった。チケットを譲ってくれた友人は、残ったチケットを明日、会場で売ると言っていた。私は、明日のチケットを探している友人がいることを伝えたが、結局のところ、その友人と連絡を取る手段が見つからなかったので、どうすることもできなかった。友人が譲ろうとしているチケットは、私の隣の席になるはずである。もしも明日、会場に着いてみて、私が探していた友人が私の席の隣に来たら大笑いなのだが。

 帰りに再びお目当てのラーメン屋さんに足を運んでみると、確かに営業していた。私たちはそこでおいしいラーメンを食べて帰宅した。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 暖かくなり、ずいぶん過ごしやすくなりましたね。きのう、ガンまるコムサーバーがダウンしていると書いたのですが、私のノートパソコンの設定ミスでサーバダウンしているように見えていただけでした。実際は、快適に動いていたようです。お騒がせして申し訳ありませんでした。

ところで、きのう、返金大魔王の記事を書きましたが、私が思っていたよりも事態は深刻な状況にあったようです。ファンの年齢層が高いために、他の地方から遠征して来る人が多いのです。そのために、チケットを入手し辛い状況が発生してしまっているようです。「すごく売れているアーチスト」という実感はないのですが、情熱を持って足を運んでいるファンが極端に多いのが特徴です。

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2007.04.13

返金大魔王

 私が応援しているアーチストのファン仲間の間では、ある時期になると、
「恐れていた返金大魔王がやって来た!」
などというメールが飛び交うことがある。「返金大魔王がやって来た」というのは、コンサートのチケットの予定枠を超えて申し込みがあった場合に、振り込みをした代金から手数料を差し引かれて、チケット代金が返金されてしまうことである。つまり、コンサートのチケットの申し込みをしたが、抽選から漏れてしまったことを言う。

 通常のコンサートにおいては、抽選に漏れることはほとんどないのだが、コンサートが特別な記念日と重なっている場合や週末に大都市で行われる場合、また、会館のキャパがひどく小さいときなどは、抽選に漏れることがある。実は、二ヶ月ほど前にこの返金大魔王が私のところにもやって来た。今月、誕生日を迎えるメンバーがいて、そのメンバーのバースディライブに相当する日のチケットの抽選に漏れてしまったのだ。

 私はとてもがっかりしたが、返金大魔王がやって来たことは、友人たちには黙っていた。返金大魔王がやって来ると、アーチストのファン仲間のネットワークを駆使して、何とかしてチケットを入手しようと、あれこれ手を尽くす人もいる。しかし私は、チケットが私の手元にやって来ないのならまあいいか、と思っていた。コンサート自体は二日連続で行われることになっていたので、一日だけでも参加できるなら、それでいいと思ったのだ。

 そうして月日が流れ、コンサートの直前になったとき、いつも関西地区のコンサートに一緒に参加している友人からメールが届いた。チケットの枚数制限の関係で、今回はその友人たちと一緒にチケットの申し込みをしなかったのだが、開演前に夕ご飯を一緒に食べないかとお誘いいただいたのだ。そのメールの返事を書くときに、実は二日目のチケットが取れなかったことを正直に告白した。すると、メールをくれた友人の一人が、安全対策のために、ご主人さんの名前で申し込んでおいた分のチケットが一枚余るので、その分を譲ってくださると言ってくれたのだ。何という偶然だろう。返金大魔王がやって来てから既に二ヶ月も経っているのに、私はその間、何の努力もしなかった。しかし、例え何もしなくても、チケットを譲ってくださる方が目の前に現れてくれた。実にありがたいことである。

 今、これを書きながら、ふと思ったことがある。私が上記したように思っていたということは、チケットを譲ってくれることになった友人自身も、同じように考えていたのではないだろうか。彼女としては、できればチケットを余らせたくない気持ちが働くだろうが、それでも、やっきになって買い手を探そうとはしなかったわけである。返金大魔王がやって来るくらいのチケットだから、中にはオークションに出品して、見知らぬ買い手からの連絡を待つもたくさんいる。しかし、彼女はそれをしなかったし、もしかすると他にも声を掛けたかもしれないが、買い手が現れることなく、ギリギリまで彼女の手元に残ることになった。そして、そのチケットが私の元にやって来ることになったのである。これは、運命的な男女の出会いと同じくらいロマンチックな出会いである。返金大魔王がやって来たとしても、そこで終わりになるのではなく、ちゃんと続きがあったのだ。彼女の持っていたチケットと運命的に会わせてくれてありがとう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 彼女のおかげで、二日連続でコンサートに足を運べることになりました。実は、コンサートの予習がちゃんとできていないのですが。(^^; ところで皆さん、申し訳ありません。ガンまるコムサーバがダウンしている模様です。現在、出先でこれを書いているため、自宅サーバのメンテナンス作業ができません。復旧までしばらくお待ちくださいますよう、お願い申し上げます。なお、「ガンまる日記」のほとんどの画像は、ガンまるコムサーバより参照しているため、サーバが復旧するまで表示されません。あしからずご了承くださいませ。

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2007.04.12

映画『ブラッド・ダイヤモンド』

 今週は、ほとんど毎日のように仕事帰りに映画を観ている。先週の土曜日から観た映画を振り返ってみると、『アルゼンチンババア』『ハッピーフィート』『パリ、ジュテーム』、『華麗なる恋の舞台で』、そして今回の『ブラッド・ダイヤモンド』と続いている。

 ガンモにもとうとう、
「まるみは映画を観過ぎ!」
と呆れられてしまったが、今回の『ブラッド・ダイヤモンド』の鑑賞に当たっては、先月、前売券の持ち合わせがないときに、何か映画を観たいと思い、金券ショップでやみくもに購入してしまった松竹直営映画館の格安鑑賞券を使用した。実はその鑑賞券の有効期限が今月十三日までだったので、その鑑賞券を期限内に消費するという大義名分を果たしたのである。いつも、
「チケットを余らせるの、禁止!」
と言っているガンモのことだから、今回に限っては、
「まるみは映画を観過ぎ!」
とは言えないのだ。松竹直営の映画館はレイトショーを上映していない映画館だったため、私は定時で仕事を上がり、大急ぎで三宮へと向かった。

 実はこの映画は、これまでにも映画館で何度か予告編を観ている映画だった。しかし、予告編を観る限りでは、特に観たいと思えるほどの情熱が沸き上がって来なかったので、マークしていなかった。しかし、しかしである。格安鑑賞券を期限内に消費するという大義名分を果たすために選んだこの映画を観ながら、私は身体の奥底から沸き上がって来る感動に打ち震えていた。何だろう。以前、『ドリームガールズ』の記事でも触れたと思うが、この映画においても、黒人の熱くてまっすぐなエネルギーに感動せずにはいられなかった。彼らは本当に熱い。そして、とても美しい涙を流す。ほんの気まぐれで購入した格安鑑賞券がなければ、私は危うくこの素晴らしい映画を見逃してしまうところだった。

 映画紹介サイトによれば、この映画は社会派アクションと解説されている。確かに、いやになるくらい激しい殺し合いのシーンが何度も何度も映し出されている。舞台は、内乱の絶えないアフリカ、シエラレオネだ。何故、人間同士がまるで虫けらを殺すみたいに殺し合わなければならないのだろう。殺し合いのシーンを観ながら、そんな疑問が沸いて来る。その原因は、ダイヤモンドにあった。

 ダイヤモンドを求めるのは裕福な人たちである。しかし、実際にダイヤモンドを採掘するのは、そんな裕福とは無縁の人たちだ。彼らは武器を持った荒くれ者たちに支配され、武器で脅されながら、荒くれ者たちの利益のためにダイヤモンドを採掘することを強要されている。彼らを支配している荒くれ者たちは、権力欲しさのためにダイヤモンドを密売人ーに売りさばき、代わりに武器を手に入れている。だから、武器を持つ荒くれ者と、一般住民と、軍隊との闘争が絶えない。何故なら、ダイヤモンドが高く売れるからだ。ダイヤモンドをめぐり、このような紛争が起きていることを、この映画では問題提起しているのだ。

 私は思った。裕福な人たちが高価なダイヤモンドを欲しがるだけで、何とかして上等なダイヤモンドを手に入れて高く売りたいと思う人たちが自分自身を見失う。ダイヤモンドの買い手となる裕福な人たちと直接的な取引がなくても、労働者を武器で脅してダイヤモンドを採掘させる荒くれ者や、密売人などが大物ダイヤモンドをめぐって紛争する。もしも裕福な人たちがダイヤモンドを欲しがらなければ、ダイヤモンドがこの世に存在しても市場に恵まれないため、このような紛争は起こらない。

 私は、映画を観ながらとても奇妙な気持ちになったものだ。普段の生活で、ダイヤモンドとは無縁の人たちが、一生懸命ダイヤモンドを採掘している。一方、ダイヤモンドを欲しがるような裕福な人たちは、アフリカから遠く離れた先進国に住んでいる。これは何とも奇妙なストーリーである。ダイヤモンドを温泉と同じように自然の恵みだとすると、ダイヤモンドは本来、誰の手の中にあるべきなのだろうと考えさせられる。

 今でもアフリカの多くの子供たちが荒くれ者に連れ去られた上で洗脳され、殺しを叩き込まれ、ダイヤモンドの採掘にも関わっていると言う。裕福な人たちよ、ダイヤモンドが欲しければ、他の人たちを巻き込まず、自分の力でアフリカに渡り、採掘すればいいのではないのだろうか。自然の恵みをその土地の人たち自身も一緒に愛でているのならともかく、実際に採掘しているのは、ダイヤモンドとは無縁の人たちばかりだ。そのために、紛争に巻き込まれ、家族がばらばらになってしまうのは、何ともやり切れない。ダイヤモンドを欲しがるという裕福な人たちの欲望が、アフリカの人たちを巻き添えにしているとしか思えなかった。

 この映画を観て号泣したのは、荒くれ者に連れ去られ、家族と離れ離れになり、ダイヤモンドの採掘を強制されたソロモンの、家族への強い愛に感動したからである。家族の中で、荒くれ者に連れ去られたのは、彼だけではなかった。家族が離れ離れになっても、彼は家族のことをいつも一番に思っていた。その迫真の演技に、黒人である彼の中に宿る熱い魂を感じずにはいられなかった。どんなに離れ離れになっても、洗脳されても、「愛の記憶」がある限り、決して家族を引き裂きはしないと実感させられた。そのシーンを思い出すだけで、思わず目頭が熱くなる。

 ソロモンと対極の立場に居たのが、レオナルド・ディカプリオ演じる密売人のダニー・アーチャーである。彼は子供の頃に両親を失くしている。そのため、家族の愛や家族の絆を実感しないままに大人になってしまった。平気で嘘をつき、手段も選ばない。彼はソロモンを利用するために近づくのだが、ソロモンと一緒に旅をするうちに、二人は真の友情を結んだのではないかと思う。更には、利用する目的で近づいて、真の友情を結んだ二人が、もう一組存在する。

 人と人が出会い、新しい世界を知ること、「愛の記憶」は、回り道をした者を本来の道へと引き戻すこと、利用する目的で近づいたとしても、真の友情を結ぶことができるということ。とにかくこの映画は、私にいろいろな感動を分けてくれた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 社会派アクションという紹介通りの内容だったと思います。私は、世の中に対して問題提起をして来る映画が好きだと感じました。最近観た映画では、『それでもボクはやってない』が問題提起の映画だったと記憶しています。問題提起だから、映画を観終わったあとに残るものも違います。そして、自分にできることは何だろう。まずはそう思うのです。だから、私にできることとして、映画のレビューを書いて、この映画の存在を皆さんにアピールすることを選びました。まだ公開されて間もない映画ですので、上映期間には余裕があるかと思います。特に、ダイヤモンドが欲しいと思っていらっしゃる方に観て欲しい映画です。

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2007.04.11

サウナスーツからレインコートへ

 先日、百円グッズを駆使したオフィスの冷房対策という記事を書いた。今日は、その続編を書いてみようと思う。

 あれからオフィスの冷房が少しずつ強くなり、より一層寒さを体感するようになった。そこで私は、またしても百円ショップに足を運び、冷風から身体を守るグッズを求めた。それは、サウナスーツである。

 サウナスーツと言えば、昔、通販やデパートの特設会場に設けられたアイディア商品コーナーで、三千円前後で売られていたのを思い出す。私も、通販で銀色のサウナスーツを購入してダイエットに挑戦した覚えがある。サウナスーツを着ると、確かに汗はたくさん出て来たのだが、ダイエットに効果があったかどうかは定かではない。そのサウナスーツが、今や百円ショップで手に入る時代になったのだ。ただ、さすがに上下セットで百円ではなく、それぞれ別売りだった。サウナスーツならば、オフィスの冷風を遮(さえぎ)るにはもってこいなのではないか。私はそう思い、サウナスーツの上下セットを購入し、オフィスに持参した。

サウナスーツ(上半身用)

サウナスーツ(下半身用)

 中を開けてみると、安っぽさの漂う黒いビニール製のサウナスーツだった。しかし、使われているビニールは、家庭で使うゴミ袋よりははるかにしっかりしている。上半身用の両袖とおなかの部分、それから、下半身用の腰と両足首にはそれぞれゴムが施され、熱気を逃がさないような工夫がなされていた。しかし、手に取るだけでもパサパサと音がするので、衣服の上から着用するのはオフィスでの仕事には適さない。そこで私は、サウナスーツの上半身用だけを持ってトイレに篭(こも)り、トレーナーの下に重ねてみた。そして、その上から再びトレーナーを着込んで、何食わぬ顔で自分の席に戻った。

 いや、実際は何食わぬ顔で席に戻ったと言うものの、動く度にサウナスーツがトレーナーの中でパサパサと音を立てるので、周りの人たちも何か怪しいと気が付いているはずだった。私はとうとうたまりかねて、隣の人に話し掛け、他の人たちにも聞こえるように、トレーナーの下にサウナスーツを着込んでいることを自分から暴露してしまった。そうでもしなければ、動く度にパサパサと音がして、職場の人たちが不思議に思うと思ったからだ。隣の席の人は、百円ショップでサウナスーツが手に入ることに驚いていた。

 私は更に、椅子に座ったままの状態で、サウナスーツの下半身用のズボンに途中まで足を突っ込んでみた。やはり、ズボンも上着と同じ材質なので、履くときにパサパサと音がした。ええい、もう、どうにでもなれ。私は寒いのだ。

 ズボンを上まで履いてしまうとさすがに暑いが、ズボンの下のほうはゴムで絞ってあるとは言え、靴下の部分に相当するところが冷風を防ぎ切れない。そこで私は、足元のあたりを同じく百円ショップで購入した広めのリストバンドで丸め込み、冷気が入って来ないように工夫した。すると、とても暖かいのである。これはいい。ズボンを途中まで履くだけなので、百円グッズを駆使したオフィスの冷房対策でご紹介した大型ペットボトルクーラーで作ったブーツよりもお手軽だ。これを機に、大型ペットボトルクーラーには引退してもらうことにしよう。

 こうしてほとんど冷風をブロックした状態で仕事に励んだわけであるが、しばらく経つと、今度はひどく暑くなってしまった。トイレに立つためにサウナスーツのズボンを脱いでみると、覆われていた部分にびっちょりと汗をかいていた。確かに冷風は防げるのだが、体温がこもってしまい、ひどく汗を掻いてしまうようだ。

 更に驚いたことに、トイレの中でサウナスーツの上着をめくってみると、サウナスーツの間から、ムーンと熱気が漂って来た。触ってみると、サウナスーツの下に着ている長袖のシャツが汗でびっちょり濡れているのがわかった。サウナスーツは、オフィスにいながらホットヨガと同じ効果をもたらしていたのだ。しかし、仕事中にこれだけ汗を掻いてしまうのはどうだろう。サウナスーツの下に着ている長袖のシャツは既に汗でびちょびちょである。よもやこのようなことになろうとは思ってもいなかったので、代わりのシャツなど持参していない。サウナスーツを脱いでしまうと、今度は汗で濡れたシャツが体温を奪ってしまうのではないか。私は悩んだ挙句、サウナスーツを脱ぐことにした。脱ぐときにも、サウナスーツと長袖のシャツの間からムーンと熱気が漂って来た。

 これはいかん、と私は思った。仕事中にこんなに汗を掻いてしまっては、衛生上、よろしくないのではないか。何か改善案はないものだろうか。確かにサウナスーツは確実に冷風をブロックしてくれる。しかし、肉体労働をしているわけでもないのに、ひどく汗を掻き過ぎる。考えた末に思い付いたのが、サウナスーツの代わりにレインコートの上下で身を守ることだった。

 私は、サウナスーツを購入する前に、やはり百円ショップでたまたま購入していた半透明のレインコートの上着とズボンをオフィスに持参した。上着はまだ着用していないのだが、ズボンを履いてみた感触では、サウナスーツのようにパサパサという音もしないし、上から降りて来る冷気もブロックしてくれるので、かなり快適である。ただ、トイレに立つときに、脱いだズボンを見てみると、中に水滴が付いていた。やはり、ズボンの中に熱がこもる分、汗を掻いているようである。しかし、少なくとも、サウナスーツのように汗びっちょりになることもなく、何とか快適に過ごしている。

レインコートのズボン。下の黒いものは靴下ではなく、広めのリストバンド。このリストバンドで足先を絞っている。

 もう少し冷房が強くなってしまえば、レインコートの上着も活用することになるのだろう。ズボンを履いたときの感触からすれば、おそらく、サウナスーツよりも心地良い保温効果をもたらしてくれることと思う。去年のうちに、このような手近なもので冷風をブロックできることに気付いておけば良かったと思うが、去年の苦い経験があったからこそ、このように試行錯誤を重ねることができるわけでもある。

 ふと思ったのは、身体の熱(内からの熱)を逃がしたくないという想いと、篭り過ぎた熱を外に逃がしてしまいたいという想いと、外からの冷風をブロックしたいという想いは、同時に実現させることが難しいのではないかということだ。内からの熱を逃さない壁も、篭り過ぎた熱を逃がす壁も、外からの冷風をブロックする壁も、表裏はあるにせよ、すべて同じ一つの壁である。そして、これらはバランスが保たれることによって、より快適になる。すなわち、レインコートを採用するにしても、まだまだ試行錯誤の余地があるということだ。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m いろいろなブログを拝見していると、やはり、女性にとっては、オフィスの冷房がきついと感じてしまうところが多いようですね。同じ境遇にいらっしゃる方たちが、私のようになりふりかまわずにいられるかどうかはわかりませんが、このような方法もあるということでご紹介させていただきました。ここに挙げたのは、最終手段かもしれませんが(笑)、このような方法もあるということで、どうか希望を持ってくださいませ。特に足元は、上からひざ掛けを掛けている場合、どんな格好をしようとも、周りの人に気付かれることはほとんどありません(笑)。

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2007.04.10

ハイペースの孤独

 実は、レディースデイだったのでまたまた映画を観に行った。しかし、いくら「ガンまる日記」を読んでくださっている方たちが寛大だったとしても、毎日のように映画のレビューを綴ってしまうと、映画を観ていない人たちに申し訳が立たない。

 映画を観る前に、自宅近くの客先で仕事をしていたガンモに電話掛けてみると、
「まるみは映画を観過ぎ! 早く家に帰ってこーい」
と言われた。確かに私は映画の観過ぎかもしれない。でも、火曜日はレディースデイなんだぞ? それに、いつもいつも早く仕事を上がれるわけじゃない。せっかく仕事を早く上がれたというのに、しかも、レイトショーを上映していない映画館の最終上映に間に合う時間に三宮に着いたというのに、映画を観ないで帰ることなんてできない! 私はぶつぶつ文句を言った。そして、
「二十時半くらいまでの上映ならいいでしょ?」
とガンモに主張した。するとガンモは、
「わかった」
と言ってくれた。

 しかし、映画館に着いた私は、またたく間に孤独に襲われてしまった。千円で映画を観られるレディスデイは、特に女性同士のグループが多い。もちろん、私のように、一人で映画館に足を運んでいる女性もいる。そういう人は、私もそうだが、映画を観る回数が他の人たちよりも多いのだと思う。だから、女性同士のグループが多くてにぎやかなレディースデイはちょっと慣れない。人の少ない普段の映画館を知っているからだ。

 私にとって、映画を観るという行為が非日常だった頃は、仕事帰りに誰かと待ち合わせをして映画を観に行くこともあった。しかし、映画を観ることが日常に変わってからは、自分のペースで自分の見たい映画を観るために一人で映画館に足を運ぶようになった。誰かを誘って映画を観るとなると、観たい映画の好みもあるし、お互いに都合のいいタイミングも見計らわなければならない。つまり、誰かと申し合わせた上で一緒に映画を観るとなると、どうしても映画を観るペースが落ちてしまうのだ。映画館で感じる孤独とは、そんなハイペースの私に、周りの人たちがシンクロできないだろうと感じてしまう孤独である。

 観た映画は、『パリ、ジュテーム』だった。この映画は、様々な監督が撮影した十八話からなるショートムービーの集合体である。すべての作品がわずか五分という短い時間内に収められ、パリの二十区のうち十八区を舞台にして撮影されている。この中に、私の孤独に通じているストーリーがあった。それは、一人旅をしている女性がパリの公園でパンを食べ、孤独と喜びが一緒にやって来て涙するというものである。彼女はその瞬間、「ああ、パリが好き!」と実感するのだが、私には彼女の気持ちがとても良くわかった。彼女はパリで孤独を感じて初めて、自分自身がパリに包まれていることを知ったのだと思う。

 ハイペースで映画を観ること以外にも、私の感じている孤独はいくつもある。例えば、日本語的な表現を気にかけながら、ブログを毎日綴る孤独。ホットヨガのいろいろな支店に出掛けて行って、レッスンを受ける孤独。好きなアーチストのライブに、年に何度も足を運ぶ孤独。鉄道乗り潰しのために、全国を旅する孤独。これらの孤独はすべて、私のハイペースから来ている孤独だ。つまり、私のハイペースにシンクロできる人が周りにあまりいないという孤独である。「ガンまる日記」も、そうした孤独の中から生まれている。

 かつて私は、エネルギー指数という記事を書いた。この記事を書いた頃の私は低迷期で、エネルギー指数を持て余しているはずなのに、思うように活動できなくて途方に暮れていたのだと思う。しかし、今はどうだろう? アクティヴに活動してはいるものの、周りとペースが合わないことに孤独を感じている。例えば私は、修理が必要なものも含めるとカメラを三百台集めた。三百台のカメラを持つことは、一台のカメラを持つことよりも孤独なのだ。

 これがツインソウルの言っていた、自分のいる世界が自分と合わないということなのかもしれない。世界のどこかにいるのだろうか。ハイペースで映画を観て、ハイペースでブログを綴り、ハイペースでライブを観て、ハイペースで旅をする人が。もし居たら、どうか名乗り出て欲しい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m すみません。掲示板やメールの返信は、決してハイペースではありません(苦笑)。もしかすると、私の感じている孤独は、掲示板の返信をいつもお待たせしてしまっている方たちの孤独と等しいのかもしれませんね(苦笑)。あはははは。

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2007.04.09

映画『ハッピーフィート』

 日曜日はガンモと二人で大阪に行った。ずっと観そびれていた映画『ハッピーフィート』を観るためである。先日も書いたように、この映画の前売券は、ガンモのリクエストにより、派遣会社の福利厚生サービスを利用して購入しておいたものである。高松でこの映画を観ようとしていたとき、映画の登場人物たちに負けないくらいの「とさか」を寝癖アートで生み出していたガンモだったが、今回はそんな寝癖アートの「とさか」もないまま映画館に向かうことになった。そのため、私は、
「今日は『ハッピーフィート』にふさわしくないね」
などと言った。

 この映画には字幕版と吹替え版の上映がある。おそらく、吹替え版は子供向けに製作されたものなのだろう。神戸地区でも上映されているのだが、上映時間を調べてみると、昼間のうちに吹替え版を上映し、夕方以降に字幕版を上映しているところが多かった。上映されて間もなくは、字幕版と吹替え版を別々のスクリーンで上映していたのだろうが、公開されてからずいぶん日にちが経ったので、字幕版と吹替え版を一つのスクリーンで上映するように縮小されたのだろう。そのため、子供が活動する昼間に吹替え版が上映され、大人向けの字幕版は夕方以降の上映に追いやられてしまったのだろう。私たちが大阪の映画館を選んだのは、そうした映画館の中でも上映時間が比較的早かったからだ。

 ところで、映画を観るまで『ハッピーフィート』というタイトルについてまったく考慮していなかったのだが、フィートとは足を意味するfootの複数形だった。このことに気付くのは、主人公のマンブルというペンギンが、歌が下手な替わりにタップを踏むことを喜びとしているシーンが映し出されたときである。そう、この映画は、歌は下手でも足で自由自在にタップを踏むことのできるペンギンの話なのである。

 歌で求愛する皇帝ペンギンにとって、音痴であることは悲劇的なことだった。歌を歌うことができないために、皇帝ペンギンの仲間たちと快適に過ごすことができないマンブルを、私は自分の子供時代や土曜日に観たばかりの映画『アルゼンチンババア』と重ねた。私は、子供の頃からちょっとはみ出していた。私のはみ出している部分を理解してくれた人は少ない。子供の頃だけでなく、今でも十分はみ出していると思う。「何故、人と同じことができないの?」と親に叱られながら育ったように思う。

 マンブルには好意を寄せている女性ペンギンがいたのだが、彼女は歌姫と言っていいほど歌がうまかった。彼女に求愛したいのに、あまりにも歌が下手なために、求愛どころか音痴の歌を聞かせてしまい、彼女に不快感を与えてしまうマンブル。何だかとても切ない。得意分野が異なるために、マンブルの良さが彼女に通じないのだ。彼女にとってマンブルは、可憐なタップを踏むことができるペンギンではなく、音痴のペンギンなのである。歌とタップという組み合わせでなくても、人間社会において、このようなすれ違いは多い。○○ができる人ではなく、△△ができない人というレッテルを貼られてしまうことがいかに多いか。

 この映画は非常に良く出来たCGアニメである。映像も美しく、CGにしてはかなりリアルな映像に仕上がっている。大きな鳥がマンブルたちを襲うシーンは実にリアルで、実際にその現場を見てはいないのに、思わず、先日の父ちゃん、母ちゃんに対するカラスの攻撃を想像してしまった。しかし、私たちが映画館に着いたとき、まだ吹替え版の上映中だったのだが、字幕版の上映時間まで待合所で待っていると、吹替え版の上映を観ている人たちが何人も何人もスクリーンから出て来てはトイレに行ったり、売店で飲み物を買ったりしていた。そうした状況から、もしかすると、映画に集中できない事情でもあるのだろうかと思っていたのだが、字幕版を観て、「この映画は子供さんたちにはちょっと難しいかもしれない」と思った。決して、話の展開が速過ぎるわけではない。子供さんたちにとって親しみやすいであろうペンギンのCGアニメという題材だけで、中身は寓話的、道徳的な要素を多く含んでいるからだ。つまり、この映画が表現したいことを受け止められる対象として、小さな子供さんには難し過ぎるのではないかということだ。しかし、子供向けの映画だろうと思って字幕版を観た私たちにとっては、予想以上に楽しめる映画だった。

 ただ、少し残念に思えたのは、マンブルがどのようにしてタップを通して人間たちと交流できたかが、とてもわかり辛くなっていたことだ。物語の後半になり、駆け足の編集が行われてしまったのかもしれない。人間たちが大量に魚を摂っているために、ペンギンたちの餌の魚が減ってしまったことを、マンブルはタップを踏むことで訴え続けたのである。

 歌は皇帝ペンギン同士を繋げるが、タップは皇帝ペンギンの世界よりももっと広い世界と繋がっていた。そのことが皇帝ペンギンたちにもわかったから、これまでタップを踏むことを毛嫌いしていた連中までが一斉にタップを踏む。マンブルが認めて欲しかったことが、ようやく認められたのである。そんな、ハッピーエンドのハッピーフィートであった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 今やCGはここまでリアルな映像を描けるようになったのですね。私は映画を観ながら、実はペンギンのぬいぐるみの中に人間が入っているか、本物のペンギンが演じているのではないかと錯覚したほどです。ゲームの世界でもCGは発達しているようですが、何故か目に表情が表れていませんよね。でも、この映画は、目に表情がしっかりと表れている、とてもリアルなCGでした。目を見れば、登場人物の感情が手に取るようにわかるのです。ちなみに、寝癖の「とさか」がなくても、映画館には入場できます。(笑)

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2007.04.08

映画『アルゼンチンババア』

 ホットヨガの帰りに大阪で観た映画とは、よしもとばななさん原作の『アルゼンチンババア』である。私は原作は読んでいないのだが、まずはタイトルに強く惹かれた。そして、映画で予告編を観たとき、この映画を観ようと心に決めたのである。

 母が亡くなったその日に行方不明になってしまい、母の葬儀にも出なかった父が、地元でアルゼンチンババアと呼ばれているアルゼンチン生まれの女性の住む館で見つかった。妻の死を受け入れられずに現実逃避していた父と、母亡きあと父にまで失踪され、たった一人で家を守り続けて来たみつこと、そして、アルゼンチンババアを結ぶ愛を描いた感動作である。 

 少し早めに映画館に入ってみると、この映画のエンディングで使われているアルゼンチン民謡に日本語の歌詞が付いた歌が繰り返し流れていた。私はこの曲をしばしばアルゼンチンのストリートミュージシャンが演奏しているのを、立ち止まっては熱心に耳を傾けていた。好きな曲なので、路上で販売していたグループの演奏するCDも購入している。そんなお気に入りの曲に、日本語の歌詞が付けられているのだ。調べてみると、日本語の歌詞で歌っているのは、タテタカコという長野県飯田市在住のアーチストらしい。飯田市と言うと、あの長い長い飯田線を思い出す。数年前にガンモと二人で訪れたことのある町だ。

 この映画は、日本映画にしてはかなり変わっていて面白い。やはり、アルゼンチンという異国情緒に溢れているからだろうか。近所付き合いや人の噂を気にする日本人ならではの要素と、周りに左右されずにマイペースで自分の世界を生きているアルゼンチンババアとの対比が面白い。人と違っていることがいじめの原因になってしまったり、近所付き合いの対象から外されてしまったりする日本においては、どこまでも自分らしさを追及し続けることは難しい。それなのに、アルゼンチンババアは、自分の好きな服を着て、自分の好きなマテ茶に自家製のハチミツを入れて飲み、異国情緒溢れた刺繍をしながら、周辺を自分の好きなもので固めて行く。私は、常に自分らしくあろうとするアルゼンチンババアの生き方をうらやましく思った。

 アルゼンチンババアを演じているのは、鈴木京香さんである。私は彼女が出演している作品をこれまであまり観たことがなかったのだが、この映画を観て、彼女の美しさに惹かれてしまった。映画の中でアルゼンチンババアなどと呼ばれている存在であっても、美しい人が演じれば、美しいアルゼンチンババアになるのだ。また、アルゼンチンババアのスピリチュアルな世界にも引き込まれた。蜂からハチミツをもらうときも、火を消すために水のエネルギーを借りるときも、彼女は自然の恵みに向かって語り掛ける。そのようにいつも語り掛けているからこそ、自然が彼女に味方しているようにも思えた。

 おそらく、行方不明になったみつこの父である悟は、スピリチュアルな世界をアルゼンチンババアと共有することができたのだと思う。それは、お互いがもともと持っていた世界だった。その世界が、二人が出会うことによってますます自分らしさを取り戻す形で輝き始めた。妻の死を受け入れられずに現実逃避していた悟が、自分らしさを取り戻すことによって少しずつ立ち直って行く。

 ネタバレになってしまうので詳しくは書けないが、悟とアルゼンチンババアが運命的な出会いを果たしたという証拠は、もっと後になってから現れる。それは、アルゼンチンババアが、悟の弱さを悟自身に突き付けるときだ。アルゼンチンババアは、悟の弱さを指摘し、
「みつこさんの父親にもなれないあなたが、○○○になんかなれるわけがない」
と言って突き放す(○○○は、三文字ではなく、もっと長い)。私は、この映画の中でこの台詞が一番好きだ。この一言で、本来、やるべきことから逃げ回っている悟に現実を突き付ける。アルゼンチンババアは、「私とのことは、それを乗り越えた先にあるのよ」と言っているのだ。こうした突き放し方ができるような愛を育んでいる人は、世の中にはあまりいないのではないだろうか。

 もう一つ、アルゼンチンババアの取った行動で好きなシーンがある。それは、みつこと初めて会ったときに、みつこを抱きしめるシーンだ。
「お母さんを亡くして辛かったでしょう。辛いことなのに良く頑張ったね。会ったときには必ず抱きしめようって決めてたの」
とアルゼンチンババアはみつこに言う。この一言で、私はアルゼンチンババアの言動に釘付けになってしまった。

 映画の中では、アルゼンチンババアの家を訪れた人が、彼女の家から臭って来る激しい異臭のために鼻をつまんでいるのだが、原作を読まなければ何がそんなに臭うのかわからないようだ。原作を読まれた方の感想をちょっとだけカンニングすると、どうやら生き物の糞の臭いらしい。そんな臭いなどおかまいなしに自然と仲良くしている。アルゼンチンババアはそういう人だ。

 ところで、配役リストから、この映画に手塚理美さんが出演されていると知ったのだが、一体どの役を演じていたのだろうと思って調べてみると、何と何と、亡くなった母の役だった。「えええっ?」と思い、公式サイトでもう一度彼女の顔を確認してみた。手塚理美さんは、昔の面影がすっかりなくなっていて、目立たない存在になっていた。私が知っている頃の手塚理美さんは、とてもきれいな女優さんで、かつての夫である真田広之さん、葉月里緒奈さんと泥沼関係にあった。あの頃の手塚理美さんはもういない。すっかり自然派の女優さんに転身されたのだろうか。更に驚きだったのは、アルゼンチンババアを演じた鈴木京香さんもまた、私生活において、真田広之さんと男女の仲にあるということだ。映画の中では、悟の亡くなった妻という役柄だった手塚理美さんは、アルゼンチンババアを演じていた鈴木京香さんにとっても過去の人だったというわけである。しかし、そんなことなどおかまいなしの、手塚理美さんのあまりにも自然な演技に、彼女こそ自分自身を取り戻すことができたのだと、拍手を送りたくなった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 鈴木京香さんのアルゼンチンババアは完璧でした。白髪であっても、あんなに美しい女性を演じることができるのですね。彼女のインタービューを動画で観ましたが、何故かアルゼンチンババアを演じているときの彼女のほうが美しいとさえ感じてしまいました。(苦笑)役作りのために、実際にアルゼンチンに渡って、日系女性の生活ぶりを見て来られたそうです。この映画を観て、自分らしくあることが、一番輝いて見えるのだと感じました。と同時に、いつも自分らしくいられない自分自身を反省しました。どんなときも自分らしくある方法は、孤独を怖がらない姿勢であるのかもしれませんね。

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2007.04.07

ホットヨガ(三十九回目)

 仕事も忙しい上に、週末はずっと旅行続きだったため、しばらくホットヨガのレッスンに通えない状態が続いていた。最後にレッスンを受けたのは、ガンモの鳥取出張よりも前のことである。私の身体は、「ホットヨガに行きたい!」と叫んでいた。こうして週末になり、ようやくレッスンに足を運べる状況になった。ガンモは仕事の待機要員の当番だったため、どこにも出掛けることができず、自宅で過ごすことになっていた。こんな日は私も出掛けないで自宅でのんびり過ごしたいものだが、六ヶ月と期限の定められたホットヨガの回数券を余らせるわけにはいかないし、映画の前売券も購入しているので、上映期間中に観ておきたかった。そこで、その映画を上映している大阪方面のスタジオに出掛けることにしたのである。

 今回、私がレッスンを受けたのは心斎橋店である。前回、心斎橋店に足を運んだときは、ガンモと一緒に大阪まで出て、ガンモが別の用事を済ませている間に私が心斎橋店でレッスンを受けて、あとからガンモと合流したのだった。そのときも雨が降っていたが、今回もあいにくの雨である。暖かくなったので、レッスンのあとに清水湯に寄るつもりでタオルと下着を余分に持って出掛けた。

 いつものように、七十五分のアクティヴコースのレッスンを受けたのだが、久しぶりだったせいか、スタジオが暑くて暑くてたまらなかった。心斎橋店のスタジオが、他の支店のスタジオよりも暑くなっていたのか、それとも、久しぶりにレッスンを受けたせいかどうかはわからない。いつもはそれほど暑いと感じなかったスタジオがひどく暑く感じられ、そのために激しい疲労感に襲われてしまったのである。ひどく暑いために、休憩のポーズのときでさえも、私は身体を休ませることができずに大きな息を繰り返していた。レッスンの途中にスタジオの外に出て休もうかと思ったほどだ。しかし、これまで一度もそのようなことをしたことがなかったので、暑くても一生懸命踏ん張った。

 思えば三週間ぶりのレッスンになるのだ。その間に、私の身体は少しずつ退化を始めていたのかもしれない。だから、ポーズのきついアクティヴコースではなく、もう少し緩いビギナーコースかベーシックコースを受けるべきだったのだ。

 何とかレッスンが終わり、大きな息をしながらシャワーを浴びて着替えを済ませた。受付にロッカーの鍵を返しに行くと、ホットヨガのポーズが掲載された本が売られているのを見つけた。
「この本にはホットヨガのポーズが載っているんですか?」
と受付の人に尋ねてみると、そうだと言う。これはありがたい。毎回、インストラクターが、そのポーズが何に効くかを口頭で伝えてはくださるのだが、レッスン中にメモを取ることもできないので、ポーズは身体で覚えても、何に効くポーズなのか、なかなか覚えることができなかったのだ。そのため、教本のようなものがあればありがたいと思っていたのである。もちろん、ヨガの本はいくらでも出回っているのだが、できればホットヨガでいつも取っているポーズを集めた本が欲しいと思っていた。

HOT YOGA 季刊プリンツ21 2005 12月号別冊

ホットヨガのポーズも掲載されている

 この本は、「HOT YOGA 季刊プリンツ21 2005 12月号別冊」というタイトルの本で、価格は九百八十円だった。ホットヨガで取っている主なポーズ、それぞれのポーズが何に効くか、ホットヨガに適した水、ホットヨガに適したウェア、Q&A、オフィスや自宅でできるポーズ、自宅でホットヨガを実現する方法などについて掲載されている。二〇〇五年に発行された本のようなので、ホットヨガのスタジオで販売するために増刷されたのかもしれない。ありがたいことに、この本を購入すると、ホットヨガの布製バッグに本を入れてくださった。

ホットヨガの布製バッグ

 ホットヨガのポーズが掲載された本を購入することができてとてもうれしかったのだが、スタジオを出てからも、激しい疲労感は続いた。ただ、レッスン開始前に、近くの薬局で酸素プラスだけは購入しておいたので、酸素不足の状況だけは回避できた。あまりにも疲労が激しかったため、清水湯に入ることは断念してしまった。しかし、映画を観て帰らなければ、前売券を無駄にしてしまうと思い、何とか重い足をひきずりながら、梅田まで戻り、映画を観て帰宅した。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 久しぶりのホットヨガは、とにかく疲れ切ってしまいました。以前、レッスンの途中に目の前でバタンと倒れる人を見ているので、私のように踏ん張るのはあまり良くないことだったかもしれません。確か、九十分のアクティヴコースのレッスンを受けたときも激しい疲労感を感じましたが、七十五分のアクティヴコースでここまで疲労困憊してしまうとは、ちょっと情けないような気もしています。やはり、「継続は力なり」なのでしょう。ご紹介した本は、Amazonや雑誌のバックナンバーを扱っているサイトにアクセスしてみたのですが、見当たりませんでした。ただ、ホットヨガのスタジオでは売られているようです。帰宅してからも疲労感が続いたため、週末に書くとお約束している掲示板のコメントがまだ書けていません。何とか日曜日中に書かせていただこうと思っています。

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2007.04.06

社会的な交流

 今週末の納品に向けて動いていたはずの仕事がストップしてしまった。納品のために必要な管理番号が発行されないらしい。管理番号を発行するのは、親会社の管理番号発行担当者だ。しかし、何が原因で遅れているのかわからないのだが、とにかく私たちが納品作業を進めて行くために必要な管理番号がまだ決まっていないらしい。その番号をいくつかの納品物件にも反映させるため、管理番号が発行されなければ納品することができないのだ。形式にこだわるメーカならではの落とし穴である。

 納品作業を進めることができないためか、まるで降って沸いたように、
「プロジェクトのみんなで飲みに行きませんか?」
というお誘いがかかった。そう言えば、ガンモも今日は飲み会だと言っていたはずだ。それならちょうどいい。他のプロジェクトメンバも、残業をする覚悟で出勤して来たのだろう。その残業が飲み会に変わってしまったとしても大差はない。こうして、金曜日の夜であるにもかかわらず、プロジェクトメンバの一人を除いたほぼ全員が飲み会に参加できることになった。

 私たちのプロジェクトの飲み会が行われるのは、実に久しぶりのことだ。どんな理由があったのかわからないが、およそ半年以上もの間、プロジェクトの飲み会が開催されなかったのである。

 飲み会の席で、みんなの下の名前を言えるかという話になった。ほとんどの職場においてそうだと思うが、職場で人に話し掛けるときは苗字で呼び掛けていることだろう。だから、同じ職場の人たちに、下の名前を気に掛けられることはほとんどないと言っていい。しかし私は、メールのシグニチャなどをいつも気にして見ていたので、プロウジェクトメンバ全員の下の名前を言い当てることができた。それだけでなく、一部の人の誕生日も記憶していたので、みんなに驚かれてしまった。昔から私は、誕生日や血液型は、一度聞いたらたいてい覚えてしまうのだ。

 あまりにも驚かれてしまったので、私はみんなの前で、
「実は私、『イナバウアー』を知らなかったんです」
と暴露した。すると、周りにいた人たちは、信じられないといった表情で私を見た。私が普段からテレビを観ないことを話して聞かせると、一般常識に欠けていると言われてしまった。確かにその通りかもしれない。いや、一般常識というよりも、テレビから得られる情報に著しく疎いのである。

 テレビと言えば、プロジェクトメンバの一人が、買ったばかりだという流行のワンセグ携帯を取り出した。携帯電話にテレビのアンテナが付いていて、携帯電話にしては大きな画面でテレビを観ることができるようになっている。おまけに、フルブラウザも付いているそうだ。そう言えば、私のサイトに携帯電話からアクセスしてくださっている方が何人かいらっしゃることが気になっていたのだが、フルブラウザであれば、携帯電話からパソコンで見るのと同じようにサイトを閲覧できるらしい。

 携帯電話に関して言えば、私はひどく遅れを取っている。何しろ、壊れた携帯電話を修理に出して、三年前の携帯電話を使っているからだ。私の携帯電話は、赤外線通信もできなければ、QRコードを読み取ることもできない。しかし、これらの機能が付いていなくてもまったく困らない。いつもノートパソコンを持ち歩いている私にとって、通話以外の目的で使用される形態電話は、必須アイテムではないのだ。

 他の人たちに私の印象を聞いてみると、
「いつもノートパソコンに向かって、パシャパシャ打ち込んでいる人」
ということらしい。確かに私は、休み時間になると、ノートパソコンを広げて「ガンまる日記」を書いている。今は休み時間ではないが、プロジェクトの飲み会の話も、こうしてパシャパシャ打ち込んでいる。

 プロジェクトの飲み会を終えた私は、ツインソウルが言っていたことを思い出していた。ツインソウルは、自分の今いる世界が、自分には合わないと感じていると言っていた。私もそのことに共感したが、今回の飲み会を通じて人との関わりについて、一層深く考えさせられた。

 コミュニケーションの多くは、目の前に落ちたボールを自分の足で歩いてわざわざ拾いに行き、拾い上げたボールを相手に向けて投げている。しかし、投げたボールは、自分に届いたときと同じように相手の胸元まで届かずに、相手の目の前でポトリと落ちてしまう。つまりは、お互いに触れて欲しい部分があるのに、そこに辿り着けないコミュニケーションが多いということである。そして、胸元に届かずに、目の前に落ちたボールを拾い上げる行為の繰り返しが面倒になれば、コミュニケーションは終わりを告げる。

 私の知る限り、胸元までダイレクトに届くコミュニケーションは数少ない。しかも、相手が投げて来たボールが胸元まで届かずに、わざわざ歩いて取りに行っていることを、ボールを投げて来た相手自身が気付いていないことが多い。特に、趣味や考え方がまばらな仕事仲間という社会的な集まりにおいては、ボールは自分の前どころか、もっと自分から離れたところにポトンと落ちている。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m ボールが胸元まで届くというのは、単なる共感や知識の共有とも違うような気がしています。やはり、感情のやりとりなんですよね。つまり、心の交流がなされているかどうかだと思います。そして、心の交流とは、多対多の交流から生まれるものではなく、一対一の交流から生まれるものなのかもしれません。ここに書いたような交流は、おそらく社会的な交流に相当するのでしょうね。

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2007.04.05

百円グッズを駆使したオフィスの冷房対策

 今日は、早くも冷房の効いたオフィスで私がどのようにして冷風から身を守っているか、レポートしてみようと思う。と言っても、オフィスにデジタル式一眼レフを持ち込むわけにはいかないので、携帯電話で撮影した画像を交えながらご紹介したい。何を隠そう、冷房対策のために私が重宝しているのは、百円ショップで買った数々のグッズなのである。

 冷たい空気は下のほうに溜まって行く。そのため、私のように座りっぱなしの仕事では、足元が極端に冷え易くなっている。足を冷やすと、足首の辺りに冷たい輪っかがかかったような感覚に襲われ、夜、なかなか眠れなくなってしまう。私は去年、その症状にひどく悩まされ、やむなくぽかぽか足湯を購入した。仕事から帰宅するやいなや、ぽかぽか足湯に足を突っ込み、冷房で冷え切った足をじっくりと温めていた。

 去年、オフィスで足を冷やさないようにするために思い付いたのが、百円ショップで見つけた一.五リットル用のペットボトルクーラーを足に突っ込むというものだった。熱を逃がさないように設計されているペットボトルクーラーは、足を温めるには最適の保温具である。ただ、願わくば、もう少し足にフィットする形であって欲しい。足を突っ込むと、自分の足がロボコンになったような気持ちになってしまう。更にわがままを言わせていただくならば、もう少し大きなサイズのペットボトルクーラーが欲しい。何故なら、一.五リットル用のペットボトルクーラーでは、私の大きな足を包み切れないからだ。

 そう思っていると、先日、たまたま百円ショップで二リットル用のペットボトルクーラーを見つけた。百円ショップには、二百円商品、三百円商品など、百円で売るにはちょっといいものも一緒に売られている。二リットル用のペットボトルクーラーは、二百円商品だった。私は迷わずそれを求め、オフィスに持ち込んだ。

二リットル用のペットボトルクーラー

 早速足を突っ込んでみると、一.五リットルのペットボトルクーラーよりも大きくて快適だ。しかし、やはり足首の少し上の辺りが寒い。そこで私は、同じく百円ショップで売られているレッグウォーマーをペットボトルクーラーをぎゅっと絞る位置に安全ピンで固定して、ブーツのようなものを作った。

ブーツ型の二リットル用のペットボトルクーラー

 写真には角度の関係もあってか、ちょっと太い足が写っているが、おそらくこのブーツの愛用者の足だと思われる。ブーツの下に写っている銀色のシートは、同じく百円ショップで購入したまるみシート、いやいや、アルミシートだ。これを床に敷いておくことで、保温効果があるようだ。もちろん、このブーツを履いた上で、上から厚いひざ掛けを掛けている。そのため、私がこのような格好で仕事をしていることは、あまり気付かれない。今のところ、足首の辺りにほんの少しスースー感が残るものの、夜、眠れないほどの症状は現れていない。簡易足湯と言ってもいいほど、仕事中はぽかぽかして気持ちがいい。

 足以外には、天井から降りて来る冷風を避けるため、頭に帽子をかぶっている。帽子も、一つだけでは冷たい風が突き抜けて頭を直撃するので、私は百円ショップで購入した帽子を二つ重ねている。そのうちの一つはフリース地の帽子で、もう一つは、つばのある帽子だ。つばのある帽子は、上から落ちて来る風を顔から遠ざける役割も果たしてくれている。

フリース地の帽子

つばのある帽子

二つの帽子を重ね合わせてかぶる

 このように、百円ショップで購入したグッズたちが私を冷房から守ってくれている。これらの他に、あると便利なものがある。それは、マジックテープだ。私は仕事中、寒いときは肩からショールを掛けているのだが、風が強いときは、ショールの先を手元で縛ったほうが熱がこもって暖かい。そんなとき、マジックテープの出番となる。マジックテープで服の袖とショールを一緒に束ねてしまえば、ある程度、冷風をブロックできるのだ。

 更に、首を冷やしたくない人にとって、これからの時期はタオルマフラーが必需品である。あいにくタオルマフラーは、百円ショップでは購入できないのだが、タオルとマフラーが一緒になった逸品である。タオルマフラーが優れているのは、暑いときには汗をちゃんと吸い取ってくれることである。オフィスの冷房から逃れたい人は、暑さと寒さがいっぺんにやって来るような感覚に襲われるのではないだろうか。そう、いつもいつも寒いわけではないのだ。タオルマフラーは、暑いときは汗を吸い取ってくれて、寒いときは首を温めてくれる優れものなのである。タオルマフラーの価格は一枚千円前後だろうか。私が先日出掛けた天王寺の骨董市では一枚五百円で売られていたので、思わずまとめ買いしてしまった。色のバリエーションもたくさんあるので、日替わりメニューでちょっとしたおしゃれを楽しむことができる。

※その他の冷房対策については、冷房対策カテゴリをご覧ください。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 私はこのような怪しい格好で仕事をしています(笑)。なりふりかまわずとは、このことでしょうか。何故か、私の席の隣に座っている女性は、冷風が来なくて、日中、暑い思いをしているようです。試しに私の席に座ってもらうと、「風が来てる! 涼しい!」と言って驚いていました。これは、なかなか良い傾向だと思いました。何故なら、暑いと感じている人と寒いと感じている人が並んで座っているということは、お互いの席を入れ替えることも提案できるからです。夏本番になったとき、現在の冷房がどのように変化するかですが、去年、暖かい席に変わってもらってもなお、私の隣の席のように冷風が届かない席もあるのだと改めて実感させられました。これからの季節、女性の皆さんは特に、オフィスの冷房対策には気を配ってください。手作りのブーツはとてもいい感じですよ。(^^) 実際は、足首のあたりをもう少し強化したほうがいいので、折を見て挑戦してみようと思っています。

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2007.04.04

事前調査

 私たちは、早くも夏休みの旅行の計画を立て始めている。今年の夏休みは、どういうわけかイギリスに出掛けて行くことになっている。手当たり次第に海外旅行のパンフレットを見ているうちに、強く惹き付けられたのだ。イギリスは、私も子供の頃から強く惹かれていた国だ。しかし、シャーロック・ホームズよりもアルセーヌ・ルパンを応援するようになってからは、好きな国もイギリスからフランスへと移行して行った。モーリス・ルブラン原作のアルセーヌ・ルパンシリーズに描かれていたフランスへの愛国心が私にも浸透したのだと思う。

 しかし、大人になってから訪れたパリは、ローマに続いて治安の悪いところだった。一方、イギリスでは、その国民性にプライドの高さを感じた。私の中には、ステッキと傘と曇り空とFish & Chipsが印象深く残っている。そして、私を大変なミルクティー好きにさせたのは、イギリスを訪問したおかげだと思う。最近わかったことだが、鉄道発祥の地であるイギリスでは、あちらこちらで古い列車が温存され、観光列車として運行されているという。そのイギリスをガンモと一緒に再び訪問しようとしている。せっかくイギリスに行くのだから、ロンドンだけでなく、鉄道に乗って、いろいろなところへ足を伸ばしたい。

 それにしても、去年、結婚十周年で出掛けた先がハワイだったというのに、今年はハワイよりも遠い国を選ぶことになろうとは。いずれにせよ、まずは価格調査からだ。

 ガンモは旅行会社のパンフレットを次から次へと持ち帰り、お手頃価格のツアーを物色していたようだ。先日、私がネットで見つけた格安のツアーを主催している旅行会社のサイトのアドレスをガンモにメールで伝えると、ガンモはそのサイトを一生懸命見入っていたようである。そして、格安のツアーで宿泊先として指定されているホテルの情報を念入りに集め始めた。

 ハワイや北京でもそうしたように、私は旅先でも「ガンまる日記」を更新して行きたいと思っているため、宿泊先のホテルにインターネットの接続サービスがあるかどうかはホテル選びの重要なポイントになる。格安ツアーで指定されているホテルの名前を検索エンジンのキーワードとして入力したガンモは、海外のYahoo! トラベルの評価ページに辿り着いたようである。残念ながら、そのホテルにはインターネットの接続サービスはなかったのだが、実際に宿泊された方たちの評価のコメントが面白くて、一心不乱に読みふけった。

 それらの評価はすべて英語で書き込まれていたのだが、ガンモが読み上げて私に聞かせてくれた。その内容が何ともおかしいのだ。六階に数泊したが、滞在中、一度もエレベータが動かなかったとか、モーニングコールの機能がうまく働かず、乗るべき列車に乗り遅れてしまい、やむなく延泊することになったが、延泊料金を返金して欲しいと頼んでも受諾されなかったとか、部屋の出窓が閉まらずにいつも開きっぱなしでガタガタと音を立てていて怖かったとか、シャワールームは乾くことなくいつも濡れていたとか、あまり快適に過ごせたというコメントが書かれていない。その後、ホテルのホームページに辿り着いたのだが、そこに書かれていたことを見て、またしても笑ってしまった。というのも、FACILITY(施設)としてエレベータが挙げられていたからである。通常、FACILITYとして挙げるのは、コインランドリーや自動販売機などのホテルに備え付けの設備である。いまどき、どんなホテルだって、エレベータくらいはあるだろう。それを、いかにも施設として胸を張って、エレベータを掲載しているのは、ホテルとしていかがなものだろうか。安いツアーには安いなりの理由があったというわけだ。

 私は、
「ここに泊まる?」
とガンモに聞いてみた。当然、ガンモは、
「いやだ!」
と答えた。海外のYahoo! トラベルに掲載されていた評価のコメントには、上記のように刺激的なコメントが書かれていてもなお、今度旅行するときもまた泊まりたいと締めくくっている人もいたのだ。何故なら、そのホテルは観光に便利でかつわかり易い場所に位置しているらしく、価格も安いので、多少のことは目を瞑っても利用したということなのだろう。

 私がいつも熱心に読んでいるブログを書いている人が、最近、映画を観に行く前に、既にその映画を観た人たちがどのような感想を抱いたかを事前調査するようになったとブログに書いていた。それは、私も同じだ。しかし、そのような事前調査をしてしまうと、思いがけない映画に巡り合うこともできないとも書かれてあった。事前調査をすることは、決められた枠の中でしか行動できない自分を作り出しているということである。確かにその通りである。それは、占いでちょっとした未来を垣間見て行動するのと似ているのかもしれない。もしも占いが当たり続けるのだとしたら、自分が選びたい未来だけを選んで行くことになる。その未来は安全かもしれないが、冒険心のようなものは生まれない。果たしてそれは、本当に面白い人生と言えるのだろうか。

 かと言って、これだけの評価を見て、このツアーを申し込んでみる勇気もない。海外で過ごすには、あまりにもワイルドなホテルだ。まあ、焦らなくとも、夏休みまでまだ四ヶ月もある。どんなツアーを申し込むか、ガンモと二人でじっくり考えることにしよう。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 事前調査は、ポジティヴに転ぶときもあれば、ネガティヴに転ぶときもあるように思います。例えば、映画の話だと、他の人が絶賛している映画に対しては、「面白いはずだ」という構えがあり、最初から感情を高ぶらせて観てしまうので、観終わったあと、返ってがっかりしてしまうことも少なくありません。逆に、批判されているような映画を観て、「意外に面白いんじゃないの?」と見直すことのほうが多いかもしれません。何事も、事前調査の結果を鵜呑みにするのではなく、自分の経験で判断する姿勢が大切なのかもしれません。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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2007.04.03

続・弱肉強食

 皆さんに、とても残念なことをお知らせしなければならない。鳩の記事が続くので、後日お伝えしようかと思ったのだが、やはりリアルタイムでお届けすることにしよう。思い切って結論から言ってしまうと、以前と同じ惨劇が起こってしまった。そう、またしても生まれたばかりの雛が、カラスにさらわれてしまったのである。

 きのうの記事を書いたとき、私たちはまだその惨劇に気づいていなかった。しかし、仕事から帰宅した鳩師(はとし)のガンモがベランダの様子をうかがっていると、生まれたばかりの雛たちを保護するために巣の中にいるはずの父ちゃんと母ちゃんが、巣から離れてベランダの手すりの上にいたそうだ。ガンモはそのことを不思議に思い、巣の中を覗き込んだようである。すると・・・・・・。生まれたばかりの雛がいるはずの巣の中は、もぬけの殻だったそうだ。

 亀甲から帰って来た翌日、ガンモは仕事が休みだったので、ベランダの掃除をした。そのときに父ちゃんが巣の中に居たので、生まれたばかりの雛たちが元気にしているのかどうか、わざわざ確認せずにいたらしい。しかし、ベランダには血のついた鳥の足跡のようなものがあり、誰かが怪我でもしたのだろうかとガンモは思っていたようだ。巣の中で、そのような惨劇が起こっていたとはつゆ知らず、私たちは新しい雛が生まれたことを喜んでいた。

 惨劇の事実を知ったガンモは、ベランダを掃除したときのことを回想していた。ガンモは記憶の糸を手繰り寄せながら、巣の中に居た父ちゃんが雛を守っていたかと言うとそうではなく、巣の中でホーホーと鳴いていたことを思い出した。父ちゃんは、何かあると狭い場所に入って興奮しながらホーホーと声をあげて鳴く。おそらくだが、このとき既に、父ちゃんは孵ったばかりの雛を失い、途方に暮れていたのではないだろうか。そして、その惨劇はおそらく、私たちが仕事に出掛けている昼間、父ちゃんや母ちゃんの目の前で起こったはずだ。

 以前、カラスが私たちの家のベランダにやって来たとき、父ちゃんが旧母ちゃんに呼び掛けるように
「クウ」
と低く鳴いて、父ちゃんと旧母ちゃんが直ちに巣から離れる行為を私たちは目にしている。更に、父ちゃんと旧母ちゃんの雛たちがカラスに連れ去られたあと、カラスの鳴き声に対し、異常に敏感になっている彼らの姿を見ている。しかし、彼らは比較的立ち直りが早かった。旧母ちゃんは、すぐに卵を産んで、孵った雛たちを立派に育てた。

 ここのところ、私は仕事がとても忙しく、鳩たちと過ごせる時間が極端に少ない。しかし、今回の惨劇を知った私は、寝室からベランダに続く窓を開けて、父ちゃんと母ちゃんに語りかけた。
「元気を出してね」
例えばもしも私の周りにいる友人の誰かの身の上にこのような惨劇が起こったとしたら、「元気を出してね」などとはとても言えない。しかし、彼らに何か語りかけることが、彼らを励ます行為だと私は思ったのだ。

 何故鳩は、カラスのように大きな身体ではなく、カラスのように大きな嘴(くちばし)を持たないのだろう。例え身体が小さくても、嘴さえ大きければ、鳩パンチと嘴で、カラスに対抗できるのではないだろうか。しかし現実は、鳩にとってカラスは戦うことすらできずにただ受身になるだけの相手である。目の前で、自分の子供たちが襲われているのに、ただ遠目で見ているしかないはがゆさよ。しかも、カラスにとって鳩の雛たちは、愛情で結ばれた親子ではなく、単なる食べ物に過ぎない。

 弱肉強食は、常に一方通行の関係である。皮肉なことに、その頂点に立っているのは人間かもしれない。だから私たちは、動物たちを通して自分たちの行為の縮小型を見せられている。それでも鳩は、生きている虫を食べたりしないというのに。カラスよ、どうせ食べるなら、常に製造され続けている鳩の糞を食べて欲しい。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 更新が遅くなりまして申し訳ありません。ココログのメンテナンスは、予定通りの時間に終了していたのですが、なかなか時間が取れず、記事を書くことができませんでした。母ちゃんにとっては、まだ二回目の出産だったはずです。今後の彼らの行動を静かに見守りたいと思います。

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2007.04.02

母ちゃんに向けられた疑惑

 真冬に生まれた二羽の雛たちは、今ではすっかり大きく成長している。しかし、まだ鳴き声が幼いのと、目もまだ黒い。鳩は大人になると、次第に目が茶色に変わって行くのだ。もしも皆さんが黒い目の鳩を見掛けたなら、その鳩はまだ生まれて間もない鳩だと推測することができるだろう。

 ところで、真冬に生まれた二羽の雛たちは、全体的に黒っぽい柄(がら)のものと足元とお腹の辺りに白い羽が混じっている柄の二羽だった。ガンモはそれぞれの雛たちを私の好きなバンドのメンバーのニックネームで呼ぶようになった。何故なら、全体的に黒っぽい柄の雛は比較的地味であり、また、足元とお腹の辺りに白い羽が混じっている雛は、長いスカートを履いているように見えるからだ。ガンモの付けたニックネームは、雛たちの特徴を非常に良くとらえていると思う。

 真冬に生まれた雛たちの性格は、旧母ちゃんから生まれた雛たちよりもずっと大人しい。猫をたくさん飼っている人も、猫の性格がそれぞれ違っていてとても面白いと言っていたが、鳩の性格もそれぞれ違っていて面白い。餌を積極的に求めようとする態度、警戒心の強さ、いじめ役、いじめられ役など、それぞれの性格は、彼らの行動にはっきりと映し出されている。現在の母ちゃんから生まれた鳩は、地味で受身の性格の鳩が多いが、旧母ちゃんから生まれた雛たちは、どちらかと言うと積極的な性格の鳩が多かった。その中でも最もやんちゃなのが、旧母ちゃんの最後の子供であるビッグである。ビッグはもはや、餌と縄張りを求めて父ちゃんと真っ向から対決している。

 現在の母ちゃんは、若くて美しい鳩なのだが、性格が大人しいためか、常にいじめられる傾向にある。最近では、真冬に生まれた自分の子供たちからも叩かれているようだ。しかし、どんなに叩かれても、母ちゃんはヒステリックになったり逃げ出したりしない。しかし、最近、成長した雛の柄を良く見ていて、不思議に思ったことがある。それは、彼らに茶色いキジバトの柄が出ていることだ。

 真冬に生まれた雛たちの父親であるはずの父ちゃんは、ドバトの代表選手と言ってもいい。母ちゃんも、代表選手ではないにしても、ドバトの仲間である。それなのに、茶色いキジバトの柄が雛たちの羽に出ているというのはどういうことなのだろう? 参考URL:キジバト、ドバト

 旧母ちゃんから生まれた子供たちは、百パーセントに近い確率で母親の柄が出ている。つまり、旧母ちゃんから生まれた子供たちはみんな同じ柄で、私たちにはもはや見分けが付かない。だから、現在の母ちゃんから生まれた雛も、母ちゃんの柄をそのまま受け継ぐのだと思っていたのだが、父ちゃんの柄でも母ちゃんの柄でもない茶色いキジバトの柄が出ているのである。ガンモ曰く、
「まさか、父ちゃん、騙されてる?」
しかし、もし仮にそうだとしても、母親の柄が百パーセント引き継がれるというこれまでのパターンからは外れることになってしまう。ドバトの父ちゃんと母ちゃんから、どうしてキジバトの柄が出て来たのか、いまだに謎なのである。

 それはそうと、少し前に、餌を与えても母ちゃんがあまり餌を食べようとしない時期があった。ガンモは、
「母ちゃん、つわりかな?」
と言った。真冬に雛が生まれたばかりなのに、また子作りに励んでいるなんて、そんな! と思っていたが、実は、先月、私たちが熊本・大分の旅行から帰って来ると、母ちゃんが卵を抱いていた。食欲のない母ちゃんの様子に敏感に気づいたガンモは、母ちゃんが身ごもっていることを見抜いたのである。ガンモは休みの日にベランダにいる鳩たちを細かく観察し、彼らの生態を良く知っている。これからは、ガンモのことを鳩師(はとし)と呼ぶことにしよう。

 母ちゃんが抱いていた卵は、先日、無事に孵ったようである。はてさて、今度の雛たちにはキジバトの柄が出るのかどうか。もしも今度生まれた雛たちにもキジバトの柄が出たなら、母ちゃん自身にキジバトの血が流れているのかもしれない。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m それにしても、鳩は次々に子作りに励みます。ベランダの掃除も大変であります。でも、生まれては巣立って行く、そういうことの繰り返しです。新しく生まれた雛たちの様子も追って、レポートさせていただきますね。

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2007.04.01

亀尽くし

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ココログメンテナンスのお知らせ

 「ガンまる日記」をお借りしているココログのメンテナンスが以下の日程で行われます。この時間帯は「ガンまる日記」の更新ができませんので、あしからずご了承ください。今回は、一日だけのメンテナンスですので、ミラーサイトでの更新は考えていません。下記メンテナンス日時までに更新が間に合わない場合は、メンテナンス終了後、二日分の記事をアップさせていただきます。

◇メンテナンス日時

2007年4月3日(火)15:00~4月4日(水)15:00の約24時間

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 高松のホテルをチェックアウトした私たちは、残っていた最後の青春18きっぷを消費すべく、高松から快速マリンライナーに乗り、岡山方面へと向かい、岡山で津山線に乗り換えた。津山線と言えば、昨年十一月の脱線事故のために不通になっていた路線である。その津山線が、先月十八日にようやく運転を再開したのである。

 津山線には以前、津山まで行くために乗車したことがある。そのときも確か青春18きっぷのシーズンだったので、ひどく混雑していたのだが、今回も、脱線して復旧したばかりの路線であるにもかかわらず、多くの人たちが利用していた。津山線は、地元の人たちの大切な足となっているようだ。列車は、牧山(まきやま)の手前で思いのほかゆっくりと徐行を始めた。地元の人の話では、そのあたりが脱線した区間なのだそうだ。脱線した路線であるという事実はもはや消すことはできないが、同じことを繰り返さないようにするための慎重な姿勢がうかがえる。近くに座っていた地元の人たちの会話から想像するに、脱線事故の事実以上に利用客の期待も大きいのだと実感した。

 さて、今回私たちが津山線に乗車したのは、津山の少し手前にある亀甲(かめのこう)を散策するためである。私が大変な亀好きで、カメのはなしというブログを綴っていることは、あまりご存知ない方も多いかもしれない。実は亀甲は、駅舎が亀の形をしているのである。しかも、駅周辺には様々な亀グッズがあると言う。亀好きにはたまらない町のようである。私は、実際に亀甲に足を運ばれた方たちのレポートを拝見しながら、是非とも行きたいと思っていたのだった。不通になっていた津山線も復旧し、ようやく念願が叶い、ガンモによって、今回の青春18きっぷの消化ツアーに組み込まれたわけである。

亀甲駅

 実際に駅に降り立ってみると、実物ならではの迫力があった。駅舎全体が亀の甲羅のような屋根に覆われ、亀の顔までしっかり取り付けられているのである。しかも、写真ではわかりにくいのだが、後ろに回ってみると尻尾もちゃんと付いていた。私たちが歓声をあげながら亀の形をした駅舎を撮影していると、その姿を横で見ていたタクシーの運転手さんが、
「こせん橋の上から写真を撮るといいよ」
と教えてくれたので、帰りに駅のこせん橋に上ってそこから駅舎の全景を撮影した。

 亀甲駅周辺の町を歩けば、町のあちらこちらで亀にちなんだグッズが目に留まる。ガイドマップやマンホール、駐車禁止の看板、マンションのマーク、橋、中学校の校章など、至るところに亀が使用されている。中でも驚いたのは、無料の休息所である。

亀甲駅周辺の無料の休憩所

 二階建てになっていて、親亀の上に子亀が重ねられている。亀の子タワシならぬ亀の子休息所である。遊び心いっぱいの亀甲駅周辺は、とにかく驚きの町なのである。私たちは町のあちらこちらで私たちを出迎えてくれたかわいい亀たちをデジタルカメラに収め、再び亀甲駅まで戻った。こんなエキサイティングな駅舎は見たことがない。私たちは興奮のうちに亀甲をあとにし、ひとまず津山まで出て、津山から姫新(きしん)線に乗って姫路まで出て帰宅した。

<よろしければ、亀甲で撮影したスライドショーをどうぞ>

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 皆さんがいつも利用されている最寄駅がこんな駅だったら楽しいと思いませんか? おそらく、無料休息所は町営だと思われます。役所勤めの方というと、どうしても固いイメージがあるのですが、このような建物を提案する職員さんがいらっしゃることに対し、とても好感が持てました。設計図を描くのも、実際に建てるのも、きっと楽しかったことでしょうね。それぞれの亀は混沌としてはいるのですが、一つのキャラクターに染まってしまうよりも、それぞれの個性が出ていて面白いと思いました。亀で町を盛り上げようとする町民の想いがそれぞれに実現された町なんでしょうね。

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