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2007.03.11

駅の中にある温泉と阿蘇山

 私たちはチェックアウトを済ませ、バス停のある大きな施設へと向かった。心の中では、ペンションのオーナーが高森駅まで車で送ってくれることを密かに期待していたのだが、それは叶わなかった。送迎サービスも実施されているらしいので、こちらからお願いすれば送ってもらえたはずなのだが、小心者の私たちは、高森駅まで車で送って欲しいと口に出すことができなかったのである。

 そこで私たちは、ペンション近くの大きな施設の前にあるバス停から路線バスに乗るつもりで、大きな荷物を抱えて、長い坂道をえっちらおっちらと歩き始めたのだった。ガンモは、高森駅からペンションまでは車でわずか二分の距離なので、路線バスを利用することなく、高森駅まで歩いて行きたいと言った。しかし私は、大きな施設が宿泊施設だったので、チェックアウトの時間に合わせて路線バスが運行されているはずだと主張し、ガンモを大きな施設へと誘導したのだった。

 結果的にその選択は正解だった。そう、結果的には。しかし、私たちが大きな施設のバス停まで歩いて行くのにあと三分は掛かってしまいそうな距離にいるときに、一日に五本しかない路線バスが、無常にもバス停に向かって走って行くのが見えたのである。ああ、とても無念ではあるが、もう間に合いそうにない。そう思いながらも、形相を変えて歩いていると、次のバス停に向かうために、大きな施設のバス停を出発した路線バスが私たちの目の前までやって来た。「これが最後のチャンスだ!」私はそう思い、そのバスに乗せて欲しいという想いを込めて、バスの運転手さんに向かってありったけの態度で示した。とにかく、何が何でもそのバスに乗せて欲しいという気持ちを身体全体で表現したのである。

 すると、実にありがたいことに、運転手さんが私のメッセージに気がついてくださり、バス停ではないところでバスを停めてくださったのだ。おかげで私たちは、何とか路線バスに乗ることができたのである。このような特例は、一日に五本しか運行されていない路線バスだからこそ実現できることであり、本数の多い都会のバスならば、有り得ない光景だったことだろう。本当にありがたいことである。

 しかも、高森駅までのルートは、きのう乗ったルートとは逆廻りのルートだったので、わずか数分で高森駅に着くことができた。しかし、バスに乗って数分で到着とは言うものの、大きな荷物を持って歩いたなら、一時間は掛かってしまったのではないだろうか。ガンモもバスに乗ってからの風景をバスの窓からずっと眺めていたので、私は、「もしも歩いてたら大変なことになってたよね」とでも言うかのように、高森駅まで歩きたいと言ったガンモをギロッと睨んだ。思えば、バスの運転手さんに向かって、全身で訴えかけるだけのパワーがあったのなら、最初からペンションのオーナーに高森駅まで車で送って欲しいと頼めば良かったのである。誰かに懇願するという意味では同じなのだから。しかし、バスの運転手さんに全身で訴えかけることができたのは、自ら選択肢を狭めた結果、湧き上がって来たパワーだったとも言える。

 私たちは高森駅から再び南阿蘇鉄道に乗車した。実は、南阿蘇鉄道の阿蘇下田城ふれあい温泉駅には、駅の構内に温泉がある。私たちは、そこで降りて温泉に入ることにした。急に温泉に入ることに決めたので、ガンモは余分な下着を持っていないと言う。一方、私はと言うと、いつでも温泉に入れるように、普段から余分に下着を持ち歩いているので、
「じゃあ、私のパンツ貸してあげようか?」
と言ってみた。当然のことながら、ガンモは、
「いや、いい」
と言って、私の申し入れを断った。

 阿蘇下田城ふれあい温泉駅の温泉の入泉料は、村民の皆さんは二百円、村外の私たちは四百円だった。奥に休憩所があり、お茶を飲みながらくつろぐことができる。私たちはそこに荷物を置いて、一人ずつ交代で温泉に入った。

阿蘇下田城ふれあい温泉駅の温泉利用者のための休息所

 女性風呂には、先客のおばあちゃんがいた。軽くご挨拶をすると、私たちと同じ列車に乗っていて、阿蘇下田城ふれあい温泉駅で一緒に降りたおばあちゃんだった。地元のおばあちゃんで、毎日、この温泉を利用されていると言う。お風呂の中で、おばあちゃんの身の上話をじっくりと聞かせていただいた。おばあちゃんは、若い頃に編み物などに精を出して、右手を使い過ぎたためか、高齢になってから右手の自由が効かなくなってしまい、しばらく入院生活を送っていたのだそうだ。しかし、病院で治療を受けてもいっこうに良くならず、このままではいけないと、自主的に退院し、この温泉に足繁く通うようになったと言う。すると、あれだけ辛かった症状がみるみる緩和され、今ではすっかり元気になられたのだそうだ。私も、温泉から自然の恵みを受けられることは良くわかっているので、おばあちゃんの話を聞きながら、大きくうなずいていた。

 おばあちゃんは、若い頃に、全国の温泉を回られたそうだ。私が兵庫県から来たと言うと、有馬温泉にも行ったのよと話してくださった。おばあちゃんは、有馬温泉の赤茶色のお湯をしっかり覚えていた。それから、つい先日、親戚の方たちと、近くの高級温泉旅館に泊まったときのことを話してくださった。宿泊料を確認せずに予約したところ、何と一泊一万六千円もするお部屋だったこと、そんなに高いお部屋はいやだと、親戚の方たちに反対されたが、私がお金を払うからいいと押し切ったそうだ。しかし、実際にお部屋に案内されてみると、とても豪華なお部屋だったので、最終的には親戚の方たちもとても満足されたそうだ。それでも、宿泊料も確かめずに旅館を予約するものではないと、おばあちゃんは教訓のようにおっしゃっていた。

 お風呂から上がって休憩所に戻り、ガンモと交替した。休息所には地元のおばあちゃんやおじさんが次々にやって来て、それぞれが思い思いの時間を過ごしていた。地元のおばあちゃんは、お風呂で会ったおばあちゃんとは違う人だったが、お弁当を持参でやって来た。やはり、全国いろいろなところを旅されて、数年前に旅から引退したとおっしゃっていた。

 おじさんは、私が「ガンまる日記」を書くためにパソコンに向かっていると、インターネットで何かを調べているのだと思い、
「この辺の情報なら良く知ってるよ」
と話し掛けて来た。良くわからないが、南阿蘇周辺の人たちは、とてもおしゃべり好きなようである。あるいは、県外からやって来た人たちに対する警戒心がないとも言える。そのおじさんは、あとからやって来たお友達と合流し、待合所で酒盛りを始めてしまった。

 ガンモがお風呂から上がり、私が「ガンまる日記」を書き終えると、私たちは再び南阿蘇鉄道に乗り、立野まで出た。今度の宿泊先は、昨年十月に訪問したばかりの大分である。前回の訪問では別府に宿泊したのだが、今回は大分に宿泊することになっている。私たちは大分を目指して立野からJRに乗り換え、ひとまず宮地まで出た。

立野から宮地方面へと向かう

 お腹が空いたので、途中の阿蘇で降りて、昼食を取った。昼食には阿蘇の郷土料理である「だんご汁定食」をいただいた。

阿蘇駅

 恥ずかしい話だが、阿蘇で降りたというのに、阿蘇山がどこにあるのかわからなかった。これだと思えるような、突出した山がなかったからである。調べてみると、阿蘇山というのは、阿蘇五岳(あそごがく)という正式名称に対する俗称なのだそうだ。ということは、阿蘇山は、五つの山から成っているということなのだろう。おそらく、その辺に見えているのが阿蘇山なのだろう。

阿蘇を出発して、しばらく経ってから見えて来た山。これも阿蘇山

 阿蘇で昼食を取ったあと、私たちは宮地(みやじ)行きの列車に乗り、終点の宮地まで出た。宮地では、次の列車までおよそ二時間待つことになった。ガンモは、宮地駅のホームに入って来る列車を撮影したりして、忙しく動き回っていた。

 ようやく私たちが乗車する列車が入線して来たので、私たちは早々とその列車に乗り込み、列車の中でくつろいだ。そして、その列車で豊後竹田まで出たのである。豊後竹田は、お城風の面白い駅舎だったのかが、大分行きの普通列車への乗り換え時間がわずかだったので、駅を堪能する時間もなく、隣のホームに待機していた列車に飛び乗った。大分に着いたのは、十九時頃だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 駅の中にある温泉と言うと、私は上諏訪駅を思いだしますが、今はもう足湯になってしまいました。気候がそれほど厳しくないせいか、九州の温泉は、比較的ぬるめですね。ぬるい温泉にゆったりと長めにつかるからこそ、コミュニケーションが生まれるのかもしれません。それにしても、三月も半ばにさしかかろうとしているのに、全国的に寒いのでしょうか。大分も寒いです。先月、福岡を訪問したときは、九州の人はマフラーをしないものだとばかり思い込んでいたのですが、さすがに寒いのか、マフラーを首に巻いている人が多かったです。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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