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2007.03.22

自分探し

 今度は何をしてグレたかと言うと、仕事帰りに三宮で友人と待ち合わせをしてベトナム料理を食べに行った。
家に帰ってもガンモがいるわけでもないのに、
「これから○○○○(友人の名前)とご飯を食べて帰るから」
などとガンモに連絡を入れてから待ち合わせ場所へと向かった。

 詳しくは書けないのだが、友人はずっと悩みを抱えていて、現在、カウンセラーの力を借りて自分探しを行っている。悩みがあっても人に相談しない私とは大違いだ。私は、カウンセラーの力を借りて自分自身を引き出すことについて、友人に尋ねてみた。
「周りの人たちを鏡にして自分自身を映し出してみるのと、カウンセラーに自分自身を引き出してもらうのとでは、やっぱり違うものなの?」
すると彼女は、カウンセラーによっても違うが、自分にはカウンセラーに引き出してもらうほうが性に合っていると語り始めた。彼女は以前にも別のカウンセラーの力を借りて自分探しをしていたことがあったらしい。しかし、かつてのカウンセラーとは相性があまり良くなかったのか、自分探しはそれほど捗らなかったそうだ。現在のカウンセラーとは相性が良いらしく、カウンセリングを受けても、毎回、新しい発見の連続だと言う。

 彼女の話に耳を傾けていると、彼女の自分自身に対する洞察力は、私の想像をはるかに超えるものだということがわかった。彼女の掘り下げ方は、周りの人たちを鏡にして自分自身を映し出す方法よりもずっと深いものだった。複数の問題に対する意味付けがしっかりと行われ、それらに対する解決策まで既に見出されていたのである。また、彼女は決してカウンセラーの言うことを鵜呑みにしているわけではなく、彼女自身がそれらの答えを既に自分のものにしていた。そこまで深く掘り下げることができるならば、カウンセラーの力を借りるだけの意味は十分にあると思った。

 私は、人に悩みを相談しない自分のほうが、自分自身の問題を深く掘り下げずに、ただ何となく生きているだけのように思えて来た。人に悩みを相談できるということは、それだけで既に心を開いていることになるのではないだろうか。周りの人を鏡にして自分自身を映し出す方法などを提示した自分が恥ずかしくもなった。やはり、プロのカウンセラーの力は偉大だと言える。

 しかし、見方を変えれば、彼女はカウンセラーに相談せずにはいられないほどの状況にまで追い込まれていたとも言える。そこまで追い込まれたことによって、これまで見えなかったものが見えるようになった。人に悩みを相談しない私は、まだまだそこまで追い込まれてはいない。だから、問題を深く掘り下げられない。そういう見方もできるだろう。

 彼女は、人とぶつかることが怖くて、いつも自分自身を押し殺してしまうのだそうだ。カウンセラーには、「もっと人とぶつかりなさい、身近な人と喧嘩をしなさい」と言われているらしい。私は、
「喧嘩の方法なら教えるよ」
と言ったあと、はっと気がついてしばらく口ごもった。確かに私は、職場でもはっきりものを言い、周りの人たちを冷や冷やさせるくらい喧嘩をして来た。しかし、そんな私にも、喧嘩ができない相手が存在していることを思い出したからだ。
「確かに喧嘩ができない場合もあるね。だけど、喧嘩ができる相手とできない相手の違いって何だろう?」
そう言って、私はしばらく考え込んでいたのだが、喧嘩をできる相手に対しては、ベースとして何らかの好意が存在していることに気がついた。つまり、好意のない相手とは喧嘩をすることができずに、言いたい言葉を引っ込めてしまう場合が多いということである。おそらく、喧嘩をしないでいることは、他人行儀なのだ。他人行儀だからか、好意のない相手と喧嘩をすると、その喧嘩が別れの決定打に発展してしまう場合が多い。

 私はかつて、彼女に言ったことがある。自分が我慢して、ものごとを丸く収めてしまうことは、自然を捻じ曲げていることに等しいと。あるべきものの姿を捻じ曲げてしいまうのは美しくないと。

 かと言って、言いたいことをずけずけ言い過ぎてしまうことにも問題がある。そういう人は、彼女のように言いたいことを押し殺してしまう人とペアを組んで、立場の違う者同士の学びを体験することになる。そのとき、お互いにもたらす気づきがあるとすれば、相手の態度を作っているのは自分自身だということだ。お互いがそのことに気がついたとき、ようやく繰り返しから抜け出せるのではないだろうか。

 彼女とあれやこれやと話し込んでいるうちに、いつの間にか二十三時を回っていた。彼女と分かれてガンモに電話を掛けてみると、
「俺も今日は飲み会だったから」
とガンモが言った。
「なあんだ。私たち、気が合うね」
と言って、笑い合った。すっかり帰りが遅くなってしまったので、終バスは既になくなってしまっていたのだが、私はすがすがしい気持ちで家までてくてく歩いて帰った。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m 正直言うと、私にはカウンセラーの力を借りて自分探しをすることは、他力本願だという先入観がありました。しかし、実際はこのような的確な自分探しが行われていたのですね。彼女に、冗談っぽく、「この経験を生かしてカウンセラーになったら?」などと言ってみたのですが、「いやあ、カウンセラーは、人の自殺を背負い込むほど大変な仕事だから、私には無理」という答えが返って来ました。彼女に言われて、私自身もそのことを想像し、いかに大変な仕事であるかを再認識しました。彼女のおかげで、また一つ、見えなかった世界が見えて来ました。彼女の悩みそのものは苦いけれど、彼女の苦い経験にありがとうです。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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