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2007.02.12

映画『書を捨てよ町へ出よう』

 寺山修司監督の映画は、二十年ほど前に映画館やビデオで集中的に観ていたことがある。映画館で観たのは『草迷宮』といくつかの短編映画、ビデオで観たのは『さらば箱舟』と『田園に死す』だったと思う。書籍も何冊か読んだ。

 いくつかの映画や書籍から感じ取ったことは、寺山修司監督がこだわり続けているのは、「母」と「時計」なのではないかということだった。今回の作品の中にも、「母」と「時計」は登場している。しかし、他の作品のように、これでもか、これでもかと訴え続けるほどのインパクトを持って登場しているわけではない。『書を捨てよ町へ出よう』では、街のあちらこちらに張られている「どもり」を改善する施術院のポスターが目についた。こうした間接的なアプローチが、いかにも寺山修司監督らしい。

 さて、この映画はストーリーはあるのだが、主人公が頭の中で思い描いたことや関連性を持つ出来事が、まるでホームページのリンクボタンをクリックするかのように、次から次へと別の映像に切り替わる。イメージのシーンにはフィルターがかけられているのか、スクリーンの彩りが異なっている。例えば、主人公を取り巻く通常のストーリーはフルカラーで表現されているのだが、主人公が生活する「家」を描いたシーンには緑のフィルターがかけられている。また、主人公の夢である人力飛行機で空を飛ぼうとしているイメージには、紫のフィルターがかけられている。主人公以外の登場人物が思い描くイメージになると、時にはモノクロ映像になることもある。

 クルクルと切り替わる映像を忠実に追い掛けながら、寺山修司監督の言わんとしていることを理解しようとすると、逆に映画の世界からどんどん取り残されてしまう。取り残されないようにするには、理解しようとして立ち止まらない勇気を持つことが必要かもしれない。

 映像美としては、主人公が連れて行かれた娼婦の部屋が印象的だ。アマチュアの描いた浮世絵かと思えるようなカーテンに、お経の書かれた布団。そんな怪しげな布団の中で、主人公は娼婦に抱かれるのだが、行為の最中に、バックには般若心経が流れ、男のすすり泣く声さえ聞こえている。一体、何のためのお経なのだろう。布団にお経を書いておけば、そのような行為も清められるということなのだろうか。しかし、男のすすり泣く声は? 私は、娼婦とそのような行為をしたくない主人公が、行為の最中に泣いているのだと思っていた。しかし、主人公は泣いてはいなかったのだ。主人公は、娼婦の前では泣かなかったが、心の中では泣いていたのかもしれない。

 それから、後半の部分に登場するバスタブに浸かった若かりし頃の美輪明宏さん。脇の下にうっすらと毛が生えてはいるのだが、もう、美しいの一言に尽きる。今ではすっかり尊い存在となってしまった美輪明宏さんも、かつてはこのような役もこなされていたのである。

 この映画は、一九七一年の作品なのだそうだ。映画を観ながら強く感じるのは、古い映画特有のエネルギッシュな要素があちこちにちりばめられていることである。映画そのものがエネルギッシュというよりも、時代がエネルギッシュだったのかもしれない。例えば、新宿の歩行天国の若者によるパフォーマンス。世の中が便利になった分、人間が怠け者になってしまったのか、現代では感じられないほどの強いエネルギーを感じる。しかし、映画の中の若者たちから強いエネルギーを感じるというのに、全体的に暗いのだ。

 ここで私は、二年ほど前の夏休みに観た青森のねぶた祭りを思い出してみる。青森と言えば、寺山修司監督の出身地である。冬になるとたくさんの雪が積もり、活動を節制することを余技なくされる雪国青森で、「夏がやって来たぞ! 活動できるのは今だ!」と言わんばかりの強いエネルギーが交わされていた。しかし、温暖な四国で育った私からすると、彼らが底力を使って弾けているように見えてしまう。つまり、普段は静かなはずの青年たちが、思い切り活動できる夏に、期間限定で弾けているように見えてしまったのだ。温暖な四国で育った私には、この底力的な強いエネルギーが理解し難かった。

 寺山修司監督の映画にも、ねぶた祭りと同じような強いエネルギーを感じる。そして私は、映画の解釈のために、芋づる式につるつると関連性を持たせてみる。題材にするのは東洋医学だ。東洋医学のベースとなっている陰と陽。それに、動と静の要素を加えてみる。温暖な四国で育った私にとって、エネルギッシュであることは、常に陽+動だった。しかし、青森のエネルギーは、陰+動の組み合わせなのだ。だから、理解し難かったのかもしれない。普段からずっと熱いというよりも、いざというときに強さを見せてくれる。寺山修司監督の映画からは、そんな底力的な強いエネルギーを感じさせてくれた。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m どなたかがレビューに書いていらっしゃったのですが、寺山修司監督が表現して来たような映画を製作できる人は、確かに今の日本にはいませんね。物事を詳細に、そして正確に描写できる映画監督であることもまた素晴らしいとは思いますが、寺山修司監督のように、鑑賞する人のイマジネーションを掻き立ててくれる監督もまた貴重な存在だと思います。イマジネーションを膨らませば膨らますほど、幾通りの解釈もできますし。寺山修司監督の映画は、他にもいくつかDVD化されているので、また時間を作って観てみようと思っています。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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