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2007.01.31

神との仕事

 きのうあたりから、左耳に何かが詰まっているような感覚に襲われていた。飛行機の高度が上がったときに気圧の変化によって感じられるような、もしくは、耳の中に入ってしまった水がなかなか出て行ってくれないような、そんな気持ちの悪い感覚だ。

 一年ほど前のことだろうか。突然、左耳が痛くなったので、仕事帰りに職場近くの耳鼻科に立ち寄り、診ていただいたことがある。そのときは外耳炎と言われ、耳に点す耳薬を処方していただいた。しかし、今はどうにもこうにも仕事が忙しいため、できれば通院せずに済ませたかった。そこで私は思い切って、そのときに処方していただいた耳薬がまだ有効期限内であることを確認した上で、その耳薬を耳の中に点してみた。しかし、かつてはそれで症状が緩和されたものだったが、今回はまったく症状が変わらなかった。そこで、午前中だけ休みを取って、出勤前に再びその耳鼻科に寄ってみようと思ったわけである。

 耳鼻科に着いて、保険証と一年ほど前に作っていただいた診察券を提示すると、何と診察まで二時間待ちと言われた。午前中は、予約の患者さんでほとんどいっぱいなのだそうだ。これまた一年ほど前に、私が小学生の頃から耳が悪く、プールに入る度に中耳炎になり、母の運転する車で隣の市にある耳鼻科に足繁く通っていたことを書いたと思う。その頃から、耳鼻科はいつも混み合っていた。だから今回も、受診するに当たって、耳鼻科で待つということは覚悟していたが、出勤前に二時間も待つのはちょっと気が重い。それでも、今の慌しい自分に与えられた貴重な休憩時間だと思い直し、私は受付票に書かれた診察の目安時間を確認すると、病院の外に出て行った。待ち時間が二時間もあるので、駅の周辺を散策しようと思ったのである。

 私はまず、図書館に向かった。少し前に「ガンまる日記」のカテゴリにも登場したように、私は児童図書が大好きだ。特に、道徳的な分野の本がお気に入りである。図書館の児童図書コーナーには、これからの世の中を担って行く子供たちが夢いっぱいの少年少女に育って行くように、たくさんの児童図書が並べられている。その中の何冊かを手に取って読んでみた。大人が読む本と同じように、児童図書の表現方法にも幅がある。魂に響いて心に残る本もあれば、ゴシップのように、右から左へと流れて行ってしまう本もある。

 実は、久しぶりに手に取った児童図書で心にずしんと響いたのは、図書館を出たあと少し早めの昼食を取り、耳鼻科に戻ってから待合室で読んだ『トムテ』という絵本だった。トムテとは、スウェーデンの農家を守る小人らしい。ヴィクトール・リードベリという人が書いた詩に美しい絵が添えられている。短い詩の中には、思わずはっとさせられるような美しい表現がちりばめられている。言葉が他の言葉と結び付いて、さも楽しそうに踊っているのだ。

 絵本は、文章を綴る人と絵を描く人の壮大なコラボレーションだ。感動的なコラボレーションが完成したとき、それは神との仕事になっている。神との仕事は、パワーの源に繋がることができることによって、素晴らしい産物をもたらす。

 耳鼻科に戻ったのは、診察予定時間の十五分前だった。受付で順番を確認してもらうと、私の順番はまだだと言う。飛ばされていなくて良かった。しかし、実際に名前が呼ばれたのは、それから四十分くらい経った頃だろうか。

 待合室には、小さい子供さんを連れたお母さんがいる。子供さんに絵本を読んで聞かせているお母さんもいる。子供さんの名前が呼ばれて診察室に入ると、中から子供さんの泣き声が聞こえて来る。小さいお子さんたちにとって、耳鼻科で診察していただくことには恐怖が伴うのだろう。私は、自分が小学生のときに母に連れて行ってもらった耳鼻科を思い出す。待ち時間の長い耳鼻科で、私は母の時間を奪っていた。しかし、あれから何十年も経って、私は母と同じような立場のお母さんたちをここで見ている。そこにあるのは、子供さんへの献身的な愛だ。子供さんのために一緒に耳鼻科に通うこともまた、神との仕事だった。

 ようやく順番が回って来て、先生に診察していただいたところ、特に悪いところは見受けられないと言う。本格的な聴力の検査も行い、左右ともに聞こえにくい結果は出ていないと言われた。三日分の薬を出してくださったので、それを服用し、それでも状況が改善されなければ、再び検査に来てくださいと言われた。先生は、朝からずっと一人で何十人もの患者さんを診察して来られた。先生が名医だからこそ、これだけたくさんの患者さんたちがここに集まって来ている。例え二時間待つことになったとしても、先生に診察していただきたいのだ。先生の仕事もまた、神との仕事に違いない。

 結局、午後から出勤するはずの仕事は、三十分遅刻する羽目になってしまったが、いくつもの神との仕事に振れることができて、私はとても満足だった。

※皆さん、いつもたくさんの応援クリックをありがとうございます。m(__)m これを書いている今は、処方していただいた薬のおかげなのか、左耳が聞こえにくい症状は少し緩和されつつあります。もしかすると、私に神との仕事を見せるために、左耳が聞こえにくくなったのかもしれません。今回のことを通して思ったのは、私自身の仕事は神との仕事なのかということでした。私は文章を書いているとき、ふわっと身体が軽くなることがあります。そのとき、私は神との仕事をしていると実感していたのですが、実は先日、職場で仕事をしているときにその現象が起こりました。身体がふわっと軽くなると、頭がカチカチと働いて、仕事をてきぱき片付けることができます。今の仕事も少しずつ、神との仕事に近づいているといいのですが。

さて、今回も記事の中にボタンを埋め込ませていただきますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。

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